チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」

2017-04-10 14:19:29 | 独学

 133. ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた (パット・シップマン著 2015年12月)

  THE  INVADERS (How Human and Their Dogs Drove Neanderthals to Extinction) by Pat Shipman Copyright ©2015

 本著は、題名でその結論を述べてますが、著者の仮説はおそらくかなり近いと考えられますが、これを証明するための確たる証拠となると非常に難しいのです。

 人類が30~40万年前に、旧人類からネアンデルタール人と現生人類に分かれたらしいのですが、種としてはほぼ同一であると考えられます。ネアンデルタール人が先にアフリカを出てヨーロッパに渡って、新人類が後らしいのですが。

 7万年前頃に、アフリカを現生人類は出発して、ユーラシアからベーリング海峡を渡って、北アメリカから南アメリカまで拡散しました。

 地球は、現在までの百万年の間に11回の氷河期と11回の間氷期をノコギリ状に入れ替わっており、気象変動がどの状態にあったかが、一つの要因である。(この部分は、チェンジング・ブルー 大河内直彦著に詳しいです)

 人類がアフリカでどのように進化したのか。(この部分は、この6つのおかげでヒトは進化した チップ・ウォルター著を参照ください)

 ネアンデルタール人の人骨は少なく、三万年前の年代を千年単位の精度で決定することは、同位元素や遺伝子(ミトコンドリア遺伝子を含めて)や地層(火山の噴火)を総合的に駆使しても、簡単ではありません。

 ネアンデルタール人と現生人類のかかわりが、どうであったかは、かなりグレーです、しかし、ネアンデルタール人も、現生人類もマンモスなどの大型草食動物のハンターとして、競合し頂点捕食者であったことは、事実です。(捕食者なき世界 ウィリアム・ソウル・ゼンバーグ著を参照ください)

 もう一つの主役は、犬です。狼から、オオカミイヌにそして犬になったのかの年代測定は、やっかいです。

 しかしながら、私の住んでいる北海道で、アイヌがヒグマを狩猟する時の、犬がいなければ、無理でそれほどアイヌ犬は重要です。

 私が子供の頃、北海道で農業をするには、馬の優劣が農業の優劣を支配してました。

 著者のパット・シップマンは、米国の女性古人類学者で、広い分野の最新の研究成果を総動員して、この壮大な推理小説のような謎(ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた!)に挑んでいます。では、いっしょに読んでいきましょう。


 『 現生人類とネアンデルタール人が生存した時代と場所が重なることが最初に注目されて以来、古人類学者のみならずアマチュア研究者もこれらの事実の解釈に格闘してきた。

 現生人類のテレトリーがユーラシアへ拡大したことがネアンデルタール人を絶滅に追いやったのか? 

 ネアンデルタール人は現生人類が到着するより少なくとも20万年前からユーラシア地域に定着していたのに、どうして絶滅したのか? ネアンデルタール人は地形も動物相も知らない新参者より有利だったはずではないのか?

 現生人類がネアンデルタール人を絶滅に追いやったとすれば、その過程を裏付けるなんらかの証拠が発見できるはずだし、現生人類が有利だったことを確かめることができるはずだ。

 それができないならば、では他にどんな因子が作用して、数十万年の生存してきたネアンデルタール人を絶滅させたのか?

 これら2種のヒト族の間に競争関係があったとすれば、ともに生存していた期間が2万5千年もあったことは、とくに現代の侵入生物学者が研究してきた事象と比較すれば異常に長く思える。

 古生物学的視点からすれば、現生人類がどのくらい急速にユーラシア全域に分散したか、侵入した個体群と在来個体群の規模によっては、この仮説的な両種の共存期間はもっと短時間だった可能性もでてくる。 』


 『 ヨーロッパにおける現生人類の最も古い年代測定値は、およそ4万4千年前となる。この現生人類が出現した事象とネアンデルタール人の最終的な絶滅との間に関係があるとすれば、現生人類の個体群が地理的に分散し、人口が増大する時間を計算に入れなければならない。

 現生人類がこれほど古い年代にユーラシア中に分散していたとは考えにくい。最後のネアンデルタール人が4万年~4万2千年前であることが信頼できるなら、現生人類とネアンデルタール人が共存した期間はかって1万年とされたものが、数千年あるいはそれ以下まで縮むことになる。

 40の重要な遺跡からサンプルを採取する大がかりな再年代測定プロジェクトがオックスフォード大学研究所のハイアムとその同僚らによって実施され、ムスティエ文化の終わり、つまりネアンデルタール人が絶滅した時期の信頼できる編年が確定された。

 その結果はネアンデルタール人の絶滅の謎を解くうえで重要なものだった。きわめて明解かつ圧倒的な正確さで、ハイアムらはヨーロッパ中のムスティエ文化が95パーセント以上の確率で較正年代で4万1030年前~3万9260年前の間に終焉したことを示した。

 さまざまなネアンデルタール人の個体群を絶滅させた唯一の事象や出来事というものはないとされているにもかかわらず、彼らはきわめて短時間のうちに消滅していたのである。

 加えて、もし絶滅が単一の事象に対する反応だとするならば、ムスティエ文化はユーラシア全体で同時に消滅することが予想されるが、実際には同時に消滅したわけではなかった。

 ムスティエ文化の消滅に関するデータと、現生人類がヨーロッパに到着した最も古い年代を比較してみると、このふたつのヒト族の生存が重なる期間は、2600年~5400年ということになる。

 現生人類がヨーロッパに拡散し、アジアに広がっていくのにかかる時間を考慮すれば、ネアンデルタール人の絶滅は現生人類が各地域に到達してからきわめて早い時期に生じていることになり、現生人類の到着がネアンデルタール人の絶滅の重要な要因となっていた可能性を強く示唆している。

 また、現生人類が有能な侵入生物であることは明らかなので、次に侵入生物学に視点を移し、そのアプローチによってこの絶滅について何が解き明かされるのかを見ていこう。 』


 『 さて、ネアンデルタール人が絶滅した一方で現生人類が生存できた原因を知るには、もうひとつの重要な因子にも注目する必要がある。長期にわたる地球規模の気象変動だ。気象変動も種の生死を分ける大きな影響を及ぼしたはずだ。

 初期の現生人類がアフリカから世界へと未曾有の大規模な侵入を始めたのは13万年前頃だ。それ以前の初期現生人類はアフリカでしか発見されていない。

 一方現生人類の近縁種であるネアンデルタール人はそのころレヴァント(地中海東岸)として知られる中東地域を含むユーラシアに生息し、アフリカには存在しなかった。

 13万年前頃から、レヴァントの遺跡は現生人類とネアンデルタール人が交互に占有していた形跡が見られ、その時期がおおよそ気候変動の時期と重なる。

 長期的な気候変動の追跡には多くの代理指標が使われる。古代の花粉サンプルからは、とくに繫茂していた植物やほとんど生息していなかった植物がわかる。

 洞窟に形成される石筍や鍾乳石などの二次的な鉱物堆積層からは、それが形成される間にどれくらい降雨があったかがわかる。

 古代の海底堆積物には有孔虫という海洋微生物が保存されていて、その石灰質の殻部分に取り込まれている酸素同位体の比率は当時の海水温の違いによって異なる。

 さらにハツカネズミやクマネズミ、トガリネズミ、リスなどの微小哺乳類は限られた温度範囲でしか生息できないため、その個体数や割合が気象変動の目安になる。

 こうしたさまざまな分野の情報を総合することで、過去の雨量や気温、さらに長期的な気候の安定性といった研究の土台が得られる。

 古人類学者と古生物学者は「海洋酸素同位体ステージ」(MIS: Marine Isotope Stages)を気候の指標として利用する。

 酸素同位体ステージ(OIS: Oxygen Isotope Stages)と呼ばれることもあり、有孔虫などに保存されている酸素18と酸素16というふたつの同位体の含有比率から、古代の気温が推定できる。

 寒冷期には質量の小さい酸素16を含む水分子(H₂O)は気化しやすくなり、そのぶん海水と海洋性有孔虫に含まれる酸素18の濃度は高くなる。

 気化した酸素16の含む水分子は寒冷期に雪や氷となって陸地に固定され、極地の氷床は増大し海面は下降する。

 MISに振られた数字が偶数のステージは酸素18の比率が大きい期間で、寒冷な氷河期に対応し、奇数ステージは酸素18の比率が小さく、温暖な間氷河期だったことを意味する。

 MIS1は現在の気候ステージで1万1千年前から続いている温暖な期間。MIS2は2万4千年から1万1千年まえにあたる。「最終氷河期の最寒冷期」(LGM: Last Glacial Maximum)と呼ばれる期間で、史上最後の大氷河期だ。

 6万年前から2万4千年前まで続いたMIS3は、現生人類がユーラシアに入った時期だ。

 ユーラシアは長い間ネアンデルタール人の生息地であり、サーベルタイガーやマンモス、ケブカサイ、ホラアナライオンなどの多くの哺乳類とともにネアンデルタール人は数十万年のあいだ繫栄していた。

 このMIS3のステージを知ることが、ネアンデルタール人の絶滅を理解するうえで必須となる。気候がきわめて不安定な期間で目まぐるしく変化し、数百年のうちに温暖期から短期的な寒冷期へ、そしてまた温暖期に戻るといったことが生じていた。 』


 『 MIS3のステージ内におけるこうした突然の変動を「ハインリッヒ・イヴェント」(HE: Heinrich Event)と呼んでいる。最も厳しい寒冷期はHE4でおよそ3万9千3百年前のことだ。

 MIS3ステージのなかで約3万9千3百年前、ナポリ近郊で大規模な火山が噴火し、中央、東ヨーロッパの大半がカンパニアン・イグニングブライト(CI)と呼ばれる特有の火山灰で覆われた。

 巨大な火山灰の雲が広大な地域を覆い、肉眼では見えないが地球化学的に検出できる微細な細粒火山灰が堆積した。この火山灰の雲が生態系と気温に大きな影響を与えてことは間違いない。

 ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ研究所のジョン・ロウのチームはこの噴火で噴出した火山灰を編年の鍵層として利用し、ネアンデルタール人の絶滅が4万年より前なのか後なのか、現生人類が現れたのはこの巨大噴火の前なのか後なのかを推定した。

 ロウのチームは「CIの噴火は過去の〔20万年で〕地中海域最大なもので……250~300立方キロの火山灰を放出して中央および東ヨーロッパの広大な地域を覆い、膨大な量の灰と揮発性物質(亜硫酸系のガスを含む)が大気中に放出されたことで「火山の冬」が生じていた可能性が高い」と説明している。

 CIの火山灰は広く拡散してだけでなく、地球化学的に独特のものだった。この噴火が環境に与えた影響でネアンデルタール人はヨーロッパから消滅し、現生人類の侵入に好都合となったか、あるいは環境ストレスによりネアンデルタール人と現生人類の交代劇が加速されたのではないか、と推測する研究者もいる。

 しかし、CI火山灰の堆積した地域を北アフリカからヨーロッパの広大な地域、さらにロシアまで注意深く特定した結果、そうではないことがわかった。

 イタリアの6つの地点と北アフリカ、バルカン半島、ロシアの5地点で、現生人類の遺跡がこのCI火山層に下になっている。つまり現生人類のヨーロッパ到着の方がCIより古かったということだ。

 またギリシャとモンテネグロの2地点と北アフリカの1地点では、ネアンデルタール人の遺跡も火山灰層の下にあった。ロウらは次のように結論づけている。

 「われわれの調査結果が示唆しているのは、この〔ネアンデルタール人の〕絶滅はCI噴火のずっと以前に起きていた可能性が高いということである……〔現生人類〕もまた、CI噴火以前にヨーロッパの大部分に拡散していたようだ。したがってネアンデルタール人と〔現生人類〕個体群の交流は〔4万年前(BP)〕までにあったはずだ」

 CI噴火後、現生人類は生存していたがネアンデルタール人は生存していない。オックスフォードでの年代測定プロジェクトでも、多くの遺跡から採取し年代が同定された標本からこの結論が裏付けられている。

 しかし巨大火山噴火は、ネアンデルタール人絶滅の直接的原因にはなり得ない。なぜならこの噴火は1日あるいは2日程度のタイムスケールで起きた出来事だが、ネアンデルタール人の絶滅は数百年から長くて数千年かかっているからだ。

 またCI火山灰の分布地図から、現生人類は当時すでにユーラシアにいたことが裏付けられ、これほどの大災害も乗り越えられる能力を持っていたことがわかる。 』


 これ以降、第5章仮説を検証する、第6章食物をめぐる競争、第7章「侵入」とはなにか、第8章消滅、第9章捕食者、第10章競争、第11章マンモスの骨は語る、第12章イヌを相棒にする、第13章なぜイヌなのか?、第14章オオカミはいつオオカミでなくなったか?、第15章なぜ生き残り、なぜ絶滅したか と続きます。 (第132回)

 

 


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