チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

物は置き場所、人には居場所(その14)

2016-11-18 14:36:51 | 哲学

 物は置き場所、人には居場所(その14)   日常をデザインする哲学庵  庵主 五十嵐玲二

 13. 情報の置き場所について

 良く言われることの中に、物が乱雑で自分でコントロールが出来なくなった状態に於いては、その人の精神も混乱しているというものです。物も情報も体系的に整理して、自分がコントロールしているつもりでも、時間の経過に伴って、乱れてくるものです。

 特に現代社会では、不要な情報、整合性に欠く情報が、目から耳から入り込み、乱れは増大します。情報に於いても、自分が現在および将来について、使えるかどうかを判定して、メモしたり、記憶したりします。

 頭の中でどのように記録されているかは、解かりませんが、情報は形や言葉や味や触感などを持っており、その意味と自分に対する共感によって、使用可能な情報かを判断します。

 この時、有用な情報には、インデックス(名札、タグ)がつきます。このインデックスを自分の持っている知識体系のどこかに位置付けます。

 これは、自分の持っている大きなカテゴリー(分類体系)を縦糸に、知識間の関連性、連続性を横糸にして、知識のネットワークが構成され、このネットワークのどこかに情報のタグを結びます。

 その情報が再利用されることによって、ネットワークの回路が構成されます。何度も使われるネットワークの回路は、太くなりますが、使われることのないネットワーク回路は、やがて消滅します。

 私たちが最も使われる情報は、日本語です。日本語は、私たちの文化と日常生活に深く根ざしています。基本的には、情報ネットワークは、日本語で構築されていると考えられますが、その情報が群がりやすい叢(むら)のようなものがあると考えます。 』


 『 ネットワークの情報の叢となるのもを、12とり上げます。

 一つ目は、名著です。これは自分にとって名著かどうかで、自分が読み込んでいく時、その中に再発見があり、さらに何かの折に、その中の一節が浮かんでくるものです。

 名著の著者について、考えを飛躍させたり、そのすぐれた文体が知らず知らずに自分の文体に影響を受けていたり、歴史上の人物であっても、もし現代のこの問題について、著者はどう考えるかすら、推量することも楽しいことです。

 二つ目は、師(師匠)です。自分にとって尊敬できる人、これは直接教えを受けることのできない歴史上の人物であっても、その人物を伝記や著書を読むことによって、師となりえます。

 父親や実際に教えを受けた恩師であれば、亡くなった後でも、相談して何らかの回答が得られると考えます。優れた師匠に巡り合えることは、幸運なことだと思います。

 三つ目は、価値ある芸術作品です。自分にとって価値ある芸術作品は何かを語りかけてくれます。その作品が製作された時代であったり、作者の生い立ちであったり、さらには作品の数奇な物語です。

 四つ目は、自分にとって感動を与える音楽です。自分にとって感動を与える音楽は、ある勇気を与えてくれます。その音楽の一部を口ずさんだり、楽譜を取り寄せたり、ピアノや、ヴァイオリンやチェロで弾いてみたり、感動を共有したいものです。

 五つ目は、すぐれた道具です。すぐれた道具は、自分の手の延長として、新しい世界に自分を導いてくれます。すぐれた道具は、それ自体が芸術作品のような風格を持つものです。

 道具を使いこなすには、高い技術と道具のメンテナンスする技術と作業空間を必要とします。そのためその道具に関する様々な情報が集まります。

 六つ目は、自分にとって重要な概念です。自分が考える時の道具の役割を果たします。私にとっての重要な概念は、進化論、プレートテクトニクス、エントロピー、微分・積分、文化・文明、サスティナビリティ……です。

 七つ目は、自分にとって、お気に入りの場所です。その場所は、身近なところだったり、遠い海外だったり、都市のある空間だったりしますが、その場所は、物語の発想を育みます。

 八つ目は、自分が追い続けているテーマです。テーマを追い続けると、それに関する情報が集まってきます。テーマは何でも構いませんが、長い間に渡って追い続けることが重要です。そのなかで、自分のオリジナルの切り口が見つけられると考えられます。 

 九つ目は、自分がみがいてきた技術です。ここで言う技術とは、仕事上の技術は無論のこと、自分が得意とするスポーツ上の技術を含みます。さらにはそのスポーツで、負け続けたとしても、自分としての独自視点があれば、十分です。

 もちろん、芸術的な技術、外国語の技術、ソロバンの技術……など、自分の時間と動力を傾けたものは、自分の手と足と頭を使って、情報が集積される叢を形成します。

 十番目は、自分の友達です。この場合の友達は、相手が必ずしも友達であると認めてなくて、十分です。自分の友達は、ライバルでもあるため、ある意味危険な存在でもあります。

 友達としてさまざまに語り合いその中から多くのことを学びますが、必ずしも、良い関係でなくても、友達を通して、自分について考え、自分について多くのことを知る手がかりを与えてくれます。

 十一番目は、自分が育ってきた歴史、自分が生きてきた歴史です。良くも悪くも、子どもの頃の環境が自分を育て、青年時代以降の自分の生きてきた歴史が、自分の中に反映され、それらの中に、情報の集積場所が形成されます。

 十二番目は、自分が食べてきた食べ物です。自分の好きな食べ物を通して、季節感を感じ、子どものころ食べた家族での食卓の様子や、その時の満足した気持ちや美味しかった、味と香りなどです。

 情報とか知識は、一般に感情のないものとして考えがちですが、自分の脳内ネットワーク内の情報や知識は、何らかの感情を伴っているものです。むしろ自分のなかの情報や知識は、ある種の感情が伴わないものは、自分の情報や知識にはなれないように思います。

 食べ物は、無論、栄養的な意味をもちますが、人間も生物である以上食べるこが、生きることでもあります。この食べることの様々な行為の中に、情報や知識の集積場所(叢)が、できると考えます。 』


 ここにあげた12の項目は、それ自体が情報ですが、これらが脳内ネットワークの核となり、新し情報が入ってきた時、このネットワークのどこかにインデックスが結びつけられます。

 そしてこのネットワークの情報は、意味や機能や感情を持っています。ネットワークの縦糸と横糸がしっかりしており、そこに情報の核となる12の項目(一つの項目の数の制限はありません)がバランス良く配置されると豊かなネットワークが構成されます。

 この脳内情報ネットワークは、上手に活用されればされるほど、情報間の回路が広がり、その機能も豊かになります。

 情報ネットワークの中で、ふとある情報Aと情報Sが共鳴しあって、ある新しい発想が生まれたり、ある事象のなかの筋道となる部分を抽出すると、別の事象との共通点が見出されたりします。

 脳内ネットワークが一つの生命体のように独自性が生れ、それが人間の個性となるような気が致します。(第14回)

 

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