チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「ゼロベース思考」

2017-02-20 13:50:52 | 独学

 127. ゼロ(0)ベース思考  (スティーヴン・レィット&スティーヴン・ダブナー著 2015年2月)

   (Think Like a Freak     ©2014 by Steven D.Levitt & Stephen J.Dubner) 

  『 1981年のこと、バリー・マーシャルというオーストラリアの若い研修医が、おもしろそうな研究プロジェクトを探していた。彼が消化器内科の研修を始めたばかりの王立パース病院では、そのころ年長の病理学者が謎に出くわしていた。

 マーシャルはのちにこう語っている。「20人の患者の胃から細菌が見つかったんだ。強酸性で細菌が生息できるはずがない場所にね」。

 この年長の医師ロビン・ウォレンは、「こうした患者の体内で何が起こっているのかを調べる」手伝いをしてくれる、若手研究者を探していた。

 このくねくねした細菌は、鶏などと接触する人たちに感染症を引き起こす「カンピロバクター」という種類の細菌に似ていた。

 でもヒトの体から採取したこの細菌は、本当にカンピロバクターなのか? どんな病気を引き起こすのか? なぜ胃の悪い患者にこうも集中しているんだろう?

 バリー・マーシャルは、じつはカンビロバクターにくわしかった。彼の父は鶏肉加工工場で冷媒技師をしていたことがあったのだ。母は看護師だった。

 「わが家では、医療の何が真実かということについて、よく議論を戦わせたものだ」と、マーシャルは高名な医療ジャーナリストのノーマン・スワンによるインタビューで語っている。

 「母は民間医療法が正しいと 『知って』 いたが、わたしはいつもこんなことを言っていた。 『そんなの古くさいよ、何の裏づけもないじゃないか』。すると母は 『そうね、でも何百年も昔から行われているのよ。バリー』って」

 マーシャルは自分が引き継いだ謎に夢中になった。ウォレン医師の患者から採取した検体を使って、くねくねした細菌を研究室で培養しようとした。

 何ヵ月も失敗が続いたあと、幸運な偶然のおかげで—— イースターの連休で、試料がいつもより三日長く培養器に放置されていた——とうとう培養に成功した。

 それはカンピロバクターじゃなかった。それまで発見されていなかった細菌で、のちに「ヘリコバクター・ピロリ」と名づけられた。「その後も多くの人たちからとり出した菌を培養した」とマーシャルは言う。

 「おかげでこの細菌を殺す抗生物質を特定できた。もとは、なぜこの細菌が胃の中で生息できるのかをつきとめようとして、試験管のなかでいじったり、いろいろと有用な実験をしたりしていたんだ。

 潰瘍の原因を調べようとしていたわけじゃない。ただこの菌が何なのかを調べたかった。それからちょっとした論文にまとめて発表できればいい、くらいの気持ちだった」 』

 

 『 マーシャルとウォレンは、胃の不調を診てもらおうとやって来た患者がこの細菌をもっていないかをその後も調べ続けた。ふたりはすぐに驚くべきことに気づいた。

 13人の潰瘍患者のうち、なんと13人ともがこのくねくねした細菌をもっていたのだ! ひょっとするとヘリコバクター・ピロリは、ただ患者の胃の中に存在するだけじゃなく、じつは潰瘍を引き起こしているんじゃないのか?

 マーシャルは研究室に戻り、ラットやブタにヘリコバクター・ピロリを注入して、潰瘍ができるかどうか調べてみた。潰瘍はできなかった。「これは人体で実験しなきゃだめだと思った」

 実験台になるのは自分だと、マーシャルは決めていた。また彼は、妻やロビン・ウォレンにも言わずに置こうと決めた。まず自分の胃から採った生検を調べて、すでにヘリコバクター・ピロリがいないことをたしかめた。

 きれいなものだった。そして患者から培養したピロリ菌をぐいと呑み干した。マーシャルは頭のなかで2つの可能性を考えていた。

 1. 自分は潰瘍を発症する。「そしたらバンザイ、証明されたことになる」

 2. 潰瘍を発症しない。「何も起こらなかったら、2年間の研究はおじゃんになる」

 人類史上、自分から潰瘍になろうとしたのは、バリー・マーシャルただ一人だろう。もし発症するとしても何年も先のことだろうと、彼は踏んでいた。

 ところがヘリコバクター・ピロリを呑み込んでから5日後に、マーシャルは突然激しい嘔吐に襲われた。「バンザーイ!」10日後、自分の胃からもう一度生検をとると、「細菌だらけだった」。

 すでに胃炎を起こしていて、明らかに潰瘍になりかけたいた。そこでピロリ菌を駆除するために抗生物質を飲んだ。

 こうしてマーシャルとウォレンの研究によって、ヘリコバクター・ピロリが潰瘍を引き起こす真の原因だということ、またその後の研究によって、胃ガンの原因でもあることが証明された。これは驚異のブレークスルーだった。 』


 『 もちろん、まだたくさんの検証が必要だったし、医学界からは猛反発を喰らった。マーシャルは冷笑され、糾弾され、無視された。 ——どこかの気がふれたオーストラリア人が、自分で発見したとかいう菌を呑み込んで潰瘍の原因をつきとめたと言っているが、本気かい?

 80億ドル規模の業界が存在理由を否定されて、心穏やかでいられるはずがない。まさに潰瘍になりそうな悪夢だ! 

 それまでは潰瘍になれば、生涯にわたる医者通いとザンタックの服用、場合によっては手術、と相場が決まっていたのに、いまや安い抗生物質を飲めば治るというんだから。

 潰瘍発症のしくみが完全に受け入れられるには何年もかかった。一般通念ってやつはなかなかしぶといのだ。いまも潰瘍はストレスや辛いものが原因だと信じている人がたくさんいる。

 だが、さいわい医師たちはいまではちゃんと理解している。誰もが潰瘍の症状の治療に終始しているあいだに、バリー・マーシャルとロビン・ウォレンが根本原因を暴いたことを、医学界はとうとう認めたのだ。2005年に二人はノーベル賞を受賞した。 』


 『 ブライアン・マラニーが30歳ごろ、当時の大手クライアントの一つに、ニューヨーク・パークアベニューの美容外科があった。この外科は裕福なマダムの御用達で、ここはやせたいとかここは豊満にというわがままな要望に応えていた。

 マラニーは、地下鉄に乗ってクライアント先に向かうことが多かった。下校時刻にぶつかると、何百人もの子どもたちと同じ車両に乗り合わせることもあった。

 そのなかに顔に障害のある子どもたちが多いことに、マラニーは目をとめた。あざやほくろやしみがあったり、なかには奇形を持った子もいる。彼らこそ、どうして形成手術を受けていないんだろう?

 大柄で赤ら顔で話し好きのマラニーの頭に、ふと型破りなアイデアが浮かんだ。ニューヨークの公立学校に通う生徒に無料で矯正手術を提供する慈善団体を立ち上げよう。

 彼はこの団体に「オペレーション・スマイル」という名をつけた。だがプロジェクトが順調なスタートを切った矢先に、同名の慈善団体がすでに存在することを知った。

 そっちのオペレーション・スマイルはバージニア州に本拠を置く大手団体で、ボランティアの医療チームを世界の貧困国に派遣して、子供たちに形成手術を行っていた。

 いたく感銘を受けたマラニーは、自分のオペレーション・スマイルを畳んで合流し、役員に就任して、派遣団の一員として中国やパレスチナのガザ地区やベトナムに足を運んだ。

 何でもない簡単な手術に人生を大きく好転させる力があることを、マラニーはすぐに知った。アメリカでは口唇口蓋裂の女の子が生まれても、幼いうちに治してしまうから、ほんの小さな傷が残るだけですむ。

 でも同じ女の子がインドの貧しい家庭に生まれたら、口唇裂は放置され、そのうちに唇と歯肉と歯がひどく寄せ集まってしまう。そのせいで女の子は村八分にされ、良い教育を受けたりよい仕事に就いたり、よい結婚ができる望みはほぼ断たれてしまう。

 簡単に直せるちょっとした奇形は、放置されることで、マラニーの言葉を借りれば「不幸のさざ波」を起こすのだ。これは純粋に人道上の問題に見えて、じつは経済に悪影響をおよぼす問題でもあった。

 実際、マラニーは腰の重い政府にオペレーション・スマイルを売りこむ時には、口唇裂の子どもたちを「不良資産」になぞらえて、簡単な手術を受けるだけで経済の本流に戻してあげられるのだと説明することもある。 』


 『 しかし口唇裂手術への需要は、オペレーション・スマイルの供給能力を大きく上回ることが多かった。医師や手術設備をアメリカからいちいち空輸しているかぎり、現地での滞在時間もキャパもかぎられる。

 「1回の派遣につき、300~400人の子どもたちが手術を求めて殺到した」とマラニーは言う。「だがどう頑張っても100人から150人しか助けられなかった」

 ベトナムの小さな村では、少年が毎日やってきて、オペレーション・スマイルのボランティアとサッカーをしていた。そのうち「サッカーボーイ」の名でスタッフに親しまれるようになった。

 任務が完了し、一行が店じまいをして去るときになって、バスのあとを走って追いかけてきたサッカーボーイが、まだ口唇裂の治療を受けてないことにマラニーは気づいた。

 「愕然としたよ——どうして助けてあげられなかったのか」。人道主義者としては心が痛んだが、ビジネスマンとしては猛烈に腹が立った。「8割方の客を追い返す店がいったいどこにある?」

 マラニーはオペレーション・スマイルの新しいビジネスモデルを考えた。何百万ドルも寄付を集めて医師と手術設備を各地に空輸し、かぎられた期間だけ治療を提供する代わりに、同じ資金を使って現地の医者に設備を提供し、年間を通じて口唇裂手術ができるようにしたらどうだろう?

マラニーの試算では、一手術あたりのコストは最低でも75%は下がるはずだった。しかし、オペレーション・スマイルの運営側はこの計画にあまり乗り気じゃなかった。

 そこでマラニーは辞任して、「スマイル・トレイン」という新しい団体を立ち上げた。広告代理店を数十億の金額で売り払って、彼は一人でも多くのサッカーボーイとサッカーガールを探しあてて、笑顔をとり戻すことに打ち込んでいる。

 それに、「世界で最も機能不全の3000億ドル業界」と彼が呼ぶ。非営利業界そのものの「顔」を変えたいと意気込んでいる。

 世界の慈善家たちは、超大富豪ウォーレン・バフェットの息子のピーター・バフェットの言う「良心ロンダリング」に耽っていると、マラニーは考えるようになった。

 つまり罪悪感を打ち消すために慈善事業を運営しているだけで、人々の苦しみを和らげる方法を本気で考えてはいないのだと。かってヤッピーの典型だったマラニーは、いまやデータ至上主義の社会改良家に生まれ変わったのだ。

 スマイル・トレインは驚異的な成功を収めた。全世界で100人足らずのスタッフによって、15年のうちに約90ヵ国で100万件以上の手術を提供した。

 マラニーが制作に関わったドキュメンタリー映画「スマイル・ピンキ」は、アカデミー賞〔短編ドキュメンタリー賞〕を受賞した。 (第126回)

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