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不完全なわたしが生きていくこと

2016年12月20日 13時36分39秒 | 事務連絡

  世界が大きく変わっていくのであろう予兆を残して、2016年が終わろうとしています。

 そんな年の瀬に、不完全な私が生きていくことについて、あらためて考えてみました。机の中の、北林さんがお書きになった「心に残る珠玉の言葉」という本から、谷口隆之助さんの言葉を紹介したいと思います。

 

「私たちがもっと素直になれば、私たちが毎日こうやって生きているということがやはり他人の心遣いを受けて生きているのだと言うことがしみじみ感じられるはずなのである。ただ、私たちがあまりにも傲慢であり、依怙地であるために、自分が何かを借りていると思うより、自分が何かを貸していると思いたがるのである。」

 

 他人に何かを借りていると考えると、私たちは惨めな気持ちになったり、卑屈になったりします。反対に他人に何かを貸していると思うと、自分が一段と高い所に立っているような優越感を感じやすいものです。

 そこで、私たちは借りているという負い目の気持を必死に振り払おうとします。そのために、私たちの人生態度はその根本のところで狂ってしまうと谷口さんは言います。

 私たちは自分の意思で生まれたわけではなく、そもそも誕生からここまでを自分の力のみで生きてきたわけでもありません。人生は、そのはじまりからもともと借りのあるものであって、その借りさえ、実は返済できずに終えるのです。ですから、何も借りていないと思うのは、「虚構の自負」なのではないかと谷口さんは言うのです。

 

 それがあるために、「自分本位の感情のままに他人を裁断し、しばしば他人を敵視し、憎み、何ごとも自分の意のままにならなければ気がすまず、我意が通らなければ、他人を恨み、さらに自分で気が付かないうちに他人を傷つけ、他人を踏みにじって、私たちは生きているのではないか。」と、谷口さんは問いかけます。

 

 謙虚に自分の生活を見つめてみると、「生きている限り、私たちは他人の好意を受け、他人の世話を受け、他人の配慮と愛とを受けて、生きている。そればかりではない、死んでからさえ、私たちは他人の手によって埋葬される。」ことに気がつくことができます。

 

 そういう人間、自分自身の現実の在り様を心の底から諒解するとき、私たちははじめて、「私たちが互いにゆるし合いつつ生きるということが、人間としての根本の生き方なのだ。」ということを、自分自身の身を通してはっきりとわかるというのです。

 

 不完全な私は、他者の力を借りてここまで来て、もしかしたら、他人の気遣いや行為のほとんどに気づかないまま、今ここに居ます。

 

そんな私ですが、今年はトレイニングで輪の中に座っている機会を得ることができ、私が他者と互いに浸透し合って生きている存在だということを、あらためて身体で感じることができました。

 なかなか、谷口さんの言うような心境まで達することができない私は、時に傲慢な自分を持て余しつつ、残り少ない今年を生きていきたいと思います。

 

わさいえりこ

 

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