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「いとおしい」ということ

2017年01月30日 23時08分28秒 | リレーエッセイ

僕は健康診断が苦手だ。

もちろん健康維持のために必要なことは理解しており、会社の規定でもあるので、必ず年に一回人間ドッグを受診はしているが、僕が40代前半のころ都内のあるクリニックで受診した際、ある医師に言われたことがいまだに僕の心の中の棘となって残っている。

当時、僕は海外のコンピューター通信システム製品を国内のサービスプロバイダーに展開する営業の最前線で働いていて、海外メーカーの技術者や国内の取引先の担当者と銀座や赤坂で接待三昧、酒にタバコ、連夜の夜なべと無節操な生活をしていた。そのあげく高血圧症など成人病の兆候が早くも出始めていたのだろう。その医師に僕は「最近は医療技術が発展したため脳卒中などで倒れても昔みたいにすぐに死なずに、半身不随になって生きながらえる。このままいくとあんたは死に損なって、家族に迷惑をかけることになるぞ。」と脅された。医師としては僕にお灸をすえようと心配して忠告してくれたのだろう。が、その時分の僕はこんな忠告を素直に受けるはずもなく、それっきりそのクリニックでの受診を止め病院を変えた。以来、僕は健康診断というものに身構えるようになっていた。

 

最近某大病院で心臓の精密検査を受けた。

僕は大分以前から心電図の波形に少し問題があり、人間ドッグのたびに指摘を受けていた。そのたびに再検査で心電図をとったが、特に自覚症状もなく日常生活に支障もないため、結局「しばらく様子を見ましょう」ということになり、長い間なにもしないでいた。昨年の人間ドックでも心電図の項目に要再検査と所見があった。まぁ今回も今までと同様もう一度心電図をとって様子見かなと思っていたら、会社の健康推進室から面談に応じるようメールで通達がきた。

僕が勤務する会社は、経済産業省・東京証券取引所から「健康経営銘柄2016」に選定されたり、「第5回 健康寿命をのばそう!アワード」(生活習慣病予防分野)で「厚生労働大臣最優秀賞」(2016年11月)を受賞したりと健康経営や従業員の健康促進に相当気を使っている。僕は十年ぐらい前にタバコを止め、以前のような無節操な生活はしていないものの、昨年春に名古屋での単身生活から神奈川の自宅に戻り体重が少し増えてしまった。血圧もあまり芳しくない。そんな負い目もあり、今回、健康推進室から呼び出されたのは、会社が僕の無節操を糾弾し、以前の医師のように健康推進室の担当者が僕をまた脅かすことではないかと内心恐怖に慄きビクビクと身構えた。

僕と面談したのはかなり経験を積んだ感じの僕よりすこし年上の女性のナースだった。身構えた僕は、彼女に最近読んだアトゥール・ガワンデの『死すべき定め』の話を持ち出して「医療技術がどんなに発展して死ににくい時代になろうとも、僕は自分の『生』をしっかりと生きて行く」と必死に彼女につっかかった。そんな僕を彼女は優しく笑顔でいなし、「わたしはあなたの心臓がいとおしい」と言った。

彼女は真剣だった。初対面の人間から僕の身体のことをいとおしいと言われた僕も驚いた。僕が驚いたのは、彼女が心電図のグラフが示す僕の心臓の動きが「心配だ」とは言わずに、僕の心臓のことが「いとおしい」と言ったことだ。僕はこの言葉を受け止め、即座に彼女が大病院に僕の精密検査の予約をとることに同意した。

 

大病院での精密検査はまず問診から始まり、改めて心電図の採取、ヨード造影剤を投与してのCTスキャン、心臓超音波検査と続き、かなりの時間とそれなりの費用、そしてリスクと不安に向き合うものであった。そんな自分を支えたのは彼女の「いとおしい」という言葉だった。彼女がいとおしいというなら僕だって自分の身体をいとおしく思わなくっちゃいけない。

「心配している」と「いとおしい」という感覚の違いは、かつて哲学者マルティン・ブーバーが『哲学的人間学』の「原離隔と関わり」の章で指摘した「同情」と「共感」の違いを想起させる。「心配している」私は他者に心を配るが「私自身」は痛くもかゆくもないと言えば言い過ぎだろうか。一方、「いとおしい」は日本の古語の「いとほし」であり一般的には「愛ほし」をあてるが、「いと惜し」に通じるかもしれない。滅びや死を内在する「生命」 ー生きとし生けるもの― に対して「私」自身が感じるの痛みの感性だ。僕は人から「心配だ」と言われても何かよそよそしい感じがするが、「いとおしい」という言葉には、共に痛むような感覚の共有 ―共感― を感じる。だから健康推進室のナースに「いとおしい」と言われたとき、僕は自分でも信じられないぐらい素直に精密検査の受診指示に従ったのだと思う。 

先日検査の結果が出た。若干心筋が厚くなっているものの心臓・冠動脈共に健全で日常生活に支障なしとの所見だった。病院から会社に戻り真っ先に彼女に結果を伝えた。彼女は本当に喜んでくれた。僕も嬉しかった。

 

「いとおしい」という言葉を思う時、最近僕が参加したあるIPRトレイニングの「終わりの全体会」で、最後まで気になっていたあるメンバーに対して「いとおしい」と相手を見つめながらしっかりと語りかけた一人の素晴らしいナースのことを思い出す。

僕は本当の人間存在 ―人格間関係(IPR:Inter-Personal Relationship)の中に存在する人間の現実存在― が最も洗練され、昇華されたときの姿は「いとおしい」という感性であらわされるのではないかと思っている。 

和智 章宏

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