一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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石河幹明という男(1)――太宰の『駆け込み訴え』を通して

2005-08-10 00:09:22 | Book Review
「『福沢諭吉の真実』を読む。」というタイトルで、12回にわたる書評を行なってきた。
この文章を読まれた方はご存知であろうが、福沢像を後世に誤らせた原因を作ったのは、まず間違いなく石河幹明という人物である。

それでは、石河というのはどのような性格で、なぜ誤った福沢像を世に広めることになったかは、未だに定かではない。いや、『福沢諭吉の真実』の著者である平山洋氏には、それなりの仮説があるのだろうが、学者としては根拠のない想像については禁欲的で、本書では一端を示されるだけである。

そこで、小生のような無責任な一書生が、空想を逞しくしてみようというのが、今回の記事の狙い。

事実に関しては本書に当たるなり、本ブログの原稿を読み直すなりしていただくとして、まずは小生なりの感想から。

小生、この石河なる人物に関して、突飛なことに連想したのが、太宰治『駆け込み訴え』に登場する「ユダ」である。そう、キリストを三十の銀で祭司長に売ったイスカリオテのユダである。
太宰の描くユダは、福音書にあるユダとは違い、イエスを愛するが故に、自らの手で売った。
太宰は書く、
あの人は、どうせ死ぬのだ。 ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為《な》そう。きょうまで私の、 あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後の挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。
と。

ユダはイエスを愛していたが、その何分の一も、イエスはユダを愛してはいなかった。いや、ユダから見れば、かえって軽蔑すらしていた。
たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。
私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇から救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。
太宰だけあって、うじうじしてるね、このユダ。
でも、対人関係のある側面は捉えている。

それでは、どこが石河と福沢との関係に似ているか、それは次回に。

太宰治
『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』
文春文庫
定価:本体670円(税込)
ISBN4167151111

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