一風斎の趣味的生活/もっと活字を!
新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。
 



以下は、小生が以前書いた「明治時代の花見」の情景。
現在はいかがなものか、比較してご覧ください。
――おれたち、明治に生まれた東京人にとって、一年間の鬱屈を晴らすのは、何ってったって花見だ。
もちろん、手に一瓢を携え、俳句の一つでもひねろうか、という上品で優雅な花見もあるにゃああるが、ほとんどの連中は酒の勢いで馬鹿騒ぎをしようって肚だ。
 飛鳥山もいいが、ちと遠いのが難だ、上野公園は取締りがうるさい、ってことになると、やはり場所は向島堤に限る。

それぞれ趣向を凝らし、花見船の太鼓・三味線を下座音楽に、今戸から向島へ渡る(「竹屋の渡し」または「待乳の渡し」)。
懸茶屋からは、衣かつぎ、クワイの串団子、サザエの壺焼なんかの匂いが風に乗って流れてくる。屋台では、百眼、つけ髭なぞの変装用具まで売ってる。
堤のあちらでは、男連中が揃いの衣装で白波五人男を気取っていやがる。
女連中で喉と腕に自慢なのは、派手な着物に幅狭な帯を締め、網笠を被り三味線を弾いた鳥追姿。
こちらの連中は、熊谷次郎直実と無官太夫平敦盛のつもりなんだろうか。本物の鎧兜に身を包んだものだから、酔いが回ってくると動きが思うようにとれず、あっちへフラフラこっちへヒョロヒョロ。

明治31(1898)年に、大浦兼武 (おおうら・かねたけ、1850 - 1918) って薩摩のお人が警視総監に就くってえと(山県内閣)、花見の浮かれ騒ぎはまかりならぬ、と余計な訓令を出した。まあ、訓令の出た当座は、葬式の行列のような寂しい花見だったが、二、三年もすれば元の木阿弥。当たり前じゃあねえか、一日の花見のために残りの三百六十四日生きているって野郎だっているんだ。前にもまして天地がひっくりかえるような大騒ぎの花見となった。

特に明治33(1900)年の4月15日は、晴天の日曜日ということもあって、警察のご厄介になった者、向島だけで、酩酊者205人、喧嘩96件、迷子14人、っていうから、その騒ぎのすごさが分かるだろう。

*写真は、明治30年頃の彩色絵葉書「東京向島の桜」。

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