「食足らざるときは、士貪り民は盗す、争訟やまず、刑罰絶へず、上奢り下諂(へつろ)ふて風俗いやし、盗をするも彼が罪にあらず、これを罰するは、たとへば雪中に庭をはらひ、粟をまきて、あつまる鳥をあみするがごとし」
(『集義和書』)
熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん、1619 - 91)
江戸時代前期の儒学者。中江藤樹に師事し陽明学を修める。備前岡山藩主池田光政の執政を務める。引退してからの後半生は不遇で、京都・吉野・明石・大和郡山・下総古河と転々とする。その間に、思想家として蕃山学を確立した。主な著作に『集義和書』『集義外書』『大学或問(わくもん)』がある。
上記引用は、河上肇『貧乏物語』よりの再引用。河上は、蕃山のこの部分を引き、「経済を改善しなければ道徳は進まぬ」と結論づける(孟子のことばに「恒産なくして恒心なし」がある)。
河上の描いた1910年代(「今日多数の人々が貧乏線以下に沈淪している」)とは異なり、中産階級が日本社会の多数を占める現在では、まず、古典的な「貧乏」は一掃されたかに見える。
しかし、道徳は進んだかと言えば、そうは言えないだろう。
それでは、河上の描いた図式、
経済的な貧乏→道徳的な低下:経済的な貧乏根絶→道徳的な向上
が成り立たないのか?
蕃山のことばを借りれば、日本社会は単に「士貪り」「上奢り」の状態にあるだけではなかろうか。
つまり、全世界規模で見れば,依然として「経済的な貧乏」は一掃されてなどいない。ただ、日本社会が、従来の「民」「下」の状態から、「士」「上」の状態になったということに過ぎないのではないのか。
「今日多数の人々が貧乏線以下に沈淪している」という世界状況を忘れてならない。
参考資料 河上肇『貧乏物語』(岩波書店/絶版)
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