十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

座禅と瞑想はどう違うのか

2016年10月15日 | 佛教

表題のような質問がヤフーの知恵袋に出ていたので回答を書いてアップしたら、既にベストアンサーが選ばれたということで受付を拒否されてしまった。

折角書いたので、ここにアップします。

「回答」

座禅の座は坐る場所のことです。
坐禅は行為のことですから、坐るという意味の坐を用いるのが本来は正しいのです。常用漢字から外されているので座禅でもかまわないのですが、坐禅というを使ってほしいと思います。

瞑想というのは誰が使い出したのか知りませんが、北伝佛教典には一つも出てきません。つまり、大乗佛教では使われない言葉です。

明治以後南伝佛教が入ってきた時、使われ出したのでしょう。

さて、佛教は自己の生命を根本とします。
生命が頭を持ち、その働きとして想いが湧出してきます。我々はその想い中に入り込んでしまってそれに振り回されているのが我々の日常です。

そんな想いを手放して生命そのものに帰る、帰命といいますがそれを実現するのが坐禅です。生命がむき出しになっている状態、それが決着点だということなのです。我々、生命を生きているのだからその生命の働きに任せていこうというのが坐禅です。

瞑想というのはそもそも想という字が入っているとおり、想いによって生命をコントロールしようとするものです。

確かにその有用性は認められます。心地よいイメージの中に身をおけば体はそれに反応するのはよく体験するところです。

しかし、主人である生命を家来である頭が想いでコントロールしている図は、宗教としては違うのではないかと思います。

 

 

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