十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

将棋:藤井五段が史上最年少棋戦優勝 六段昇段も

2018年02月17日 | 俳句

今日は朝十時半から中学生将棋棋士、藤井聡太五段が朝日杯将棋オープン戦の準決勝で羽生竜王と対戦し勝利する金星を上げ、続く午後からの決勝戦で広瀬章人八段に勝ち優勝したところをずっと観戦。応援していたので気分がよかった。

将棋の羽生は負けて、フィギアスケートの羽生はオリンピック2連覇、何か妙な羽生繋がりだ。

「毎日新聞:記事」
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12159-0217e040320/

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冬の夜に一句

2018年02月15日 | 俳句

寒くなると就寝中1,2回尿意を催して起きることになる。

寒がりで血圧も高い、寝ぼけて便所までの歩行もふらつき転倒の怖れもある。

それで冬場は尿瓶を利用するようにしている。水を欲しくなる時もあるので尿瓶と水瓶を寝床の側において時に応じて使用する。

「冬の夜は 尿瓶水瓶 並び置き」

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天気晴朗なれど寒さ厳し

2018年02月13日 | 俳句

晴天で風も昨日と比べ穏やか、昨日はポタリングを止めにして家に引っ込んでいたが、午後3時頃いつものをコースへ出かけた。

淀川堤防に出たところで真上は晴れて青空が広がっているのに雪がチラチラ降ってきた。

「晴天の 遠き雲より 風の花」

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建国記念の日に一句

2018年02月11日 | 俳句

別に嬉しくもないがオリンピック開催、北朝鮮の核軍拡によって日本を意識する機会となっている。

今日は日本の建国について考えてみよう。

「紀元節 修理固成 知国」 (きげんせつ つくりかためなせ しらすくに)

意味はねずさんの日本の歴史を参照してください。

https://www.youtube.com/watch?v=Ux1qBqsVwmE&index=2&list=PLG1SNOv6LToRvnVkpE5KDJ_esHW4ex4pS

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平昌五輪で一句

2018年02月10日 | 俳句

平昌五輪が開幕、懸念された悪天候もなく開会式は無事終了したようである。しかし、朝鮮の独りよがりの強い政治色の大会運営には辟易する。

ともあれ、日本選手の活躍に期待したい。

さて、冬季五輪は滑るのを競うものであるが日本ではこの時期滑るのを禁句とする人達がいる。そこで一句。

「冬季五輪 見るか見ないか 受験生」

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往くは人道迷い道 帰るが佛道悟り道

2018年02月06日 | 一法言

多くの人は悟りを求めて何故悟れないのか、皆山のあなたへ、河の向こうに悟りの世界を求めるからである。そこはどうせ迷いの世界に過ぎない。

般若心経は短くて優れたお経のように思われているし、いろんな宗派で読まれている。私も読んだり覚えたりもしたが最近気づいたことがある。

あの呪文ところ、「羯帝羯帝(往き往きて) 波羅羯帝 (彼岸に往き、)波羅僧羯帝 (彼岸に到達した僧こそ)菩提 (悟りである)僧莎訶 (めでたし)」。これはどうも違うとしか思えない。

禅的には「即今 当処 自己」が本拠、それを離れて向こうにおいてしまっては悟りはあり得ない。

いわゆる彼岸とは迷い世界のことである。飛んじゃっている、浮いている、浮世のことと言わざるを得ない。

安泰寺の本堂に懸けられた扁額は内山興正老師の揮毫による「帰命」である。(写真のとおり)
帰命とは修証一如、只管打坐の坐禅することと解している。

下の歌は悟りの歌?です、

  夕焼け小焼け

  夕やけこやけで 日が暮れて
  山のお寺の 鐘がなる
  お手々つないで みなかえろ
  からすといっしょに かえりましょ

 夢路より

  夢路より かえりて
  星の光 仰(あお)げや
   さわがしき 真昼の
  業(わざ)も今は 終わりぬ
  夢見るは 我が君
   聴かずや 我が調べを
    生活(なりわい)の 憂いは
    跡(あと)もなく 消えゆけば
    夢路より かえりこよ

埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)
  
  埴生の宿も わが宿
   玉のよそい うらやまじ
    のどかなりや 春のそら
    花はあるじ 鳥は友
    おお わが宿よ たのしとも たのもしや

以上の考え方に対し皆さんはどう考えられるでしょうか。賛否のコメントいただければ幸いです。

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節分の豆撒きは「福は外」

2018年02月02日 | 世相

明日は節分です。それぞれのご家庭で豆撒きをされるところも多いでしょう。
豆撒きには大概は「鬼は外、福は内」と掛け声されるのではないでしょうか。

我が家では20年も前から、「福は外」です。どうしてか。このブログに9年前に書いていますが、初めての方もおられるでしょうから以下再掲します。

「再掲文」

 皆さんのお宅では節分行事をされますでしょうか。土地土地でいろんな習慣があるようですが、どこでもあるのが豆まきですね。豆まきの時はどんな掛け声をされるのでしょうか。一般的には「福は内、鬼は外」ですが、そう言わないところも結構あるようです。

東京雑司が谷の鬼子母神  「鬼は外」といえば祭神を追い出すことになるので「鬼は内、福は内」

奈良市中院町の元興寺  元興神(がごぜ)という鬼がいて悪者を退治する言い伝えがあることから「鬼は内」

奈良県吉野山の蔵王堂 「福は内、鬼も内」といい、鬼を集めて、お経の力で改心させるというもの。

愛知県の大須観音  「福は内」だけ。鬼の面が寺宝なので「鬼は外」は唱えない。群馬県鬼石町  昔、鬼が投げた石でできた町と言われており、鬼は町の守り神。近年では、全国から追い出された鬼の安住の地をうたっており、「福は内、鬼は内」という。  

(地域情報誌くりちゃん2月号から引用) といろいろあるようですね。

共通するところはどこも「福は内」は唱えるが「鬼は外」とは言わないところですね。  ところで私の家では「福は外」と唱えて豆まきを致します。何故、「福は外」なのか。ちょっと説明しますと、以前住んでいた近くに成田不動尊関西別院というのがあって毎年芸能人なんかを年男年女に招いて派手に豆まきを致します。そこの掛け声が「福は内」だけなんです。寺の境内に鬼なんぞおらないというのがその理由でございます。なるほどと思ったのですが、よく考えてみるとお寺さんが「福は内」というのも又おかしな話ではないか。福を授けるというなら「福は外」ではないのかと思いましてね。 

 そもそも「福は内」というのは内に福がないということで貧乏根性の表れでありましょう。幸い我が家はささやかではありますが恵まれてもいる。恵まれているならここは気持ちだけでも世間様に福をお分けするべきではないかということで「福は外」と掛け声することにしたのです。もう20年以上も前からそのやり方で豆まきをしております。   

   節分に  福を数えて  おすそ分け  福は外  福は外  

「福は内」とやるよりも「福は外」とやる方が気分が爽快になりますよ。で、今年の豆まきは寺も里も「福は外」で行きましょう。日本中が「福は外」とや>るようになればもっと住みいい社会になると思うのですが。  


     「福は外」!「福は外」!!^\(^o^)/~

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皆既月蝕に一句

2018年02月01日 | 俳句

昨日、皆既月蝕で赤くなった月を見た。満月が一月に2回あるのをブルームーンといって数年に1回に当たり珍しくそれが皆既月蝕となると滅多にあるものではないということらしい。

「寒空に 顔赤めたり 蝕の月」

 

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内山興正老師の生命方程式

2018年01月27日 | 生命

内山興正老師が自己生命の有り様について、自己生命の方程式というのを考えられてその著作や講話においてよく明示されていました。
アインシュタインの宇宙方程式よりご自分の生命方程式の方が上だなんて冗談めいて言われたていたこともあります。
つまり、老師自慢の方程式です。

内山老師の「人生科読本」にあるその方程式部分をお見せしますと、以下のとおりです。


ところがもう一つ、ピンと来ていない人も多いのではないかということです。

例えば2/2はペアの在り方を考えてみますと、ペアである限り相手のことも一緒に考えて一体感を持ち連帯していることが自己の在り方になるということです。夫婦の場合一心同体なんていいます。
2人いてそれぞれが単に2人の中の1人つまり1/2の存在でないという意味です。
それがトリオならば3/3。それを拡大していくと日本人/日本人、全体/全体ということになるというのです。

これを図示するといつも紹介する老師の自己生命図になります。

ところが1/全体の存在でもあると別に書かれています。つまり、その中の1員でもあるということです。

この自己生命は一つなのに式が2つに別れているところが私にはちょっと気になるところです。

老師はかつて「自分と自己」という文章も書いておられます。全体分の1の自分と全体分の全体である自己を分けて書いておられるのです。

そこで老師に異を称えるようだけど全体/全体と1/全体と一つの式に入れて一本化したものを考えてみました。この方が私にはスッキリしたものになるのです。

それが次の式です。

       1  2  1 2  3   1 3       日本人   1   日本人  全体   1  全体
自己=1=─=──=─×─=──=─×─=・・・・・=─────=────×────=───=───×───
       1  2  2 1  3   3 1       日本人  日本人   1   全体  全体  1

1/全体は全体の中の1部、部分であること、それは1なる自分は全体に支えられているということでもあります。
一方、全体/1は全体は部分よって出来ている、部分によって支えられてると形になります。
また、一なる自分の生命体験によって全体なる世界が出来ているということでもあります。

      1  全体
自己=───×───   自己というのは宇宙の中では部分でありつつ全体性を有しているということになります。
     全体  1

 この式の×は兼ねているという意味に解すると、佛教の言葉で出てくる「即」に当たるでしょう。

「一即一切 一切即一」「一心一切法 一切法一心」「煩悩即菩提」「色即是空 空即是色」etc

例えば、坐禅もそうではないでしょうか。全体分の1の肉体でもって全体の宇宙を体現することを意味します。

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イプシロンロケットによる夜光雲で一句

2018年01月23日 | 俳句

1月18日、午前6時6分に打ち上げられたイプシロンロケット3号機の軌跡が、夜光雲(やこううん)として全国各地で観測された。

 http://fanfun.jaxa.jp/topics/detail/11361.html

「冬空に 天女の衣 夜光雲」

「冬の朝 夜光雲引く イプシロン」

秋に退職者の会の会報に投稿したものが新年号に掲載された。

「秋空を 飛行機雲が 真中分け」 

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真っ青な寒日和に一句

2018年01月21日 | 俳句

淀川の川向うの工場から真っ白な蒸気が寒風に流れてくさまを詠んでみた。

「寒日和 白龍に似て 蒸気飛ぶ」

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雪安居に一句

2018年01月19日 | 俳句

「嵐止み 寂滅為楽 雪安居」

雪山偈
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」

雪山偈の生滅滅已を嵐止みとした。外の世界の嵐が止んだ、また、只管打坐して頭の中の嵐も止んで、寂滅為楽の世界が開けてくるというところを詠んでみた。

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人生料理の本ーー典座教訓に学ぶ

2018年01月17日 | 佛教

17日、雪安居中の安泰寺のユーチューブ動画に典座教訓の輪講がアップされていました。
雪に閉ざされた雪安居の間に行われるているそうで、輪講とは修行者が当番を決めて講義するものである。
典座教訓は道元禅師が叢林における料理を司る典座という役職者の心構えを教示されたものである。

それの解説を内山興正老師が書かれたがそれが「人生料理の本」である。
昭和45年の秋に初めて当時京都市北区玄琢にあった安泰寺を訪れた時出版間もない本が廊下に積まれていたのを求めて帰ったのが最初である。

その折、内山老師に出逢い、本にも出逢ったのであるが、非常に深い感銘を受けた。青天の霹靂と言ってもいいだろう。
それまでは世界があってその中に自分がいると思っていたのが、自分がいて世界がある。天地がひっくり返った。

典座は坐禅できない、他の修行者が坐禅している間に食事の用意しなければならない。在家の人間に生き方にピッタリの教えになっているところが素晴らしいと思った。以来、私の座右の書である。

典座教訓の解説本は多くの著者によって書かれている。4,5冊持っているが、やはり、人生料理の本が一番である。

https://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1/357-4021335-7834962?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E5%85%B8%E5%BA%A7%E6%95%99%E8%A8%93


ところで、この中でけしからんのが、料理研究家の平野雅章の書である。

典座教訓 赴粥飯法 (古典) 単行本  – 1973/1

この本の中に内山老師の「人生料理の本」から、丸々パクっているのである。
中根環堂氏の「赴粥飯法現代講話」からも、パクパクやっているようです。

「人生料理の本」から盗作したのは、次の部分である。

 

しかし、よくもまあ、とびっくりしたことだったので披露しておくと、
昭和50年台後半の頃だと思うが、正法眼藏味読会に参加するために京都の宗仙寺に赴いた時のこと。
玄関によく「禅の友」という曹洞宗宗務庁発行の小冊子(月刊)が置かれており、あればそれを頂いていた。ある時その中に老師のパクリ文がそのまま掲載されていたのである。

元々老師が「禅の友」に月々書いておられたものを纏めて単行本にまとめられたものであり、こともあろうにそれに堂々とそっくり写したのですから。

早速、老師にご注進とも思ったのであるが、流石にお弟子さんの中に気づく人もいるだろうと思いとどまった。後、どうなったか知らないが、宗務庁もどうかしていると思わざるを得ない。

さて、老師の本は再刊行されているものも多いが、いつまで経っても「人生料理の本」は出てこない。老師の本の再刊行は愛弟子の櫛谷宗則さんが関わっておられたので聞いていみたら宗務庁がうんといわないということなのである。私としてはどんな本より刊行してほしい本なのであるが・・・。

典座教訓に関心があり本文に関する意見や感想のある方はメッセージをください。

 

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1月期親睦囲碁会

2018年01月15日 | 道楽

1月期親睦囲碁会が本日開催。

4人しか集まらず、総当たりで実施した。

結果は1勝2敗、いつものとおり、詰めが甘くて大石が死んでしまった。

メンバーが6人しかおらず、今日はなんとか4人集まったが、3人になれば試合は出来なくなってしまう。

これまでは自然に集合する形を取っていたが、次回から参加できない時は3日前に連絡するようにし、3人以下なら開催しないことを申し合わせた。

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インフルエンザの流行に一句

2018年01月13日 | 俳句

インフルエンザが急に流行し始めたそうである。

自転車で散歩に出かけたが、風が冷たくきついので市の図書館に逃げ込んだ。

本読んでいたら隣に坐っていた人が咳を連発、たまらず前に坐っていた人と逃げ出した。

「流感や 咳から逃げる 読者達」

風邪を引かない心掛けも大事だが、人に伝染させない心掛けが大事。予防接種も自分の為ならず他人のためにすべきである。

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