女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

さらば「いもねぎ」大正の味

2011-06-29 | インポート

 タイトルを見て「なんじゃ?」と思った人と「ピンときた人がいるだろう。

 

今日の朝日新聞の社会面にタイトルの記事が載っていた。

「わびすけ」とは、京都市上京区にある同志社大学今出川キャンパス西側の
烏丸通沿いにある100年近い歴史のある喫茶店!?(和風食堂と言ったほ
うがしっくりくるかも)。で「いもねぎ(定食)」はその名物メニュー。

以前このブログでも写真とともに紹介した。その時は、「久しぶりにキャンパス
の近くに行き以前と変わらずわびすけがあってうれしかったよ~」ののりだ
ったが、

 

  

 

     ついに、

 

  

 

     ついに、

 

  

 

 

その「わびすけ」が明日で閉店する。

 

ということは、あの「いもねぎ」が食べられなくなる

 

 

 

こう言うと、「中村さん、よっぽどいもねぎ定食のファンだったんだろうな」と思われ
そうだが、

そうではない。

 

 

わびすけは私が学生の頃からガイドブックに載る有名店だった。が、外観はあまり
にも地味。いもねぎ定食もあまりにも素朴で少々拍子抜けした記憶がある。

 

それでも、ボウリング部の先輩、語学クラスの友達、一般教養の授業で友達になっ
た系列の高校から進学してきた友達・・・いろんな人が、三重から出てきた田舎もん
の私に、「わびすけ」の「いもねぎ定食」の話をしてくれた。


むっちゃおいしかった!通いつめた!というわけではないが、青春時代(いいなぁ~
この響き)の思い出が「わびすけ」「いもねぎ定食」につながる。

 

  

記事を読むと「近年大学内の飲食店が充実したり、近所にこじゃれた飲食店が開店
し客数が減少したこと」

「高齢となった店の跡継ぎがいないこと」などが閉店の原因らしい。

 

 

これも時代の流れか・・・。

 

 

 

 

しかたないか・・・、でもちょっと寂しい

 

 

今度の休日に家で「いもねぎ定食中村風」でも作ってみようかなぁ 

もちろん、味付けは塩コショウ!しかもコショー多め!!で決まり

 

  

  


トップに求めるもの

2011-06-18 | インポート

 

  トップ(経営者)に何を求めるか?

 

  先見性、バイタリティ、面倒見のよさ、人脈、人間的魅力など・・・いろいろあるだろうが、

  なくてはならないものは何か?の問には、

 

  私だったら、迷いなく  「決断力」  と答える。

 

  どんなに人柄がよくても

  どれだけ面倒見がよく、人間的にチャーミングであったとしても

  どれだけ素晴らしい人脈を持ちそれをビジネスに活かしていたとしても

  決断力がない = ものを決められない ⇒ 優柔不断な  トップについていこうとは思わない。

  「ものを決める」

  という行為には、自らの責任において決めるという勇気が必要であり、決めたことによって発生する

  結果への責任がもれなくついてくる。決断しなければ、結果に対する責任を回避出来る。

  

  トップが決断をしないということは、トップ以外の誰かが決断するということを意味する。本来自らが

  決断し責任を負うべきことを自分以外の誰か(=部下)に押し付けようとするトップが魅力的であるは

  ずがない。

  トップ自ら決断し「オレが責任をとるから思いっきりやってくれ!」と毅然とした態度をみせるから

  こそ部下は「この人のために頑張ろう」「この人に恥をかかせたくない」と思って頑張るのではないか。

  

     私はそういうトップの下で働きたいし、今そういうトップの下で働くことができて幸せだ。

  最近、あからさまに優柔不断なトップではなく、「その件は○○に任せているから」「みなさんの意見を聞

  いて、みなさんがいいというのなら私は構いませんよ」「そういう考え方も悪くないが・・・・」と言いながら、

  問題を先送りしたり、部下に決断するようもっていく「隠れ優柔不断系トップ」が多い。

  

  自分では、物分りのいいトップを演じているつもりかもしれないが、部下からは、

 

  「また、問題先送りしてはるわぁ」「また始まった。頼りないなぁ・・・

  にしか映らない。トップたるもの自分の意志できっぱりと決断しかっこいい背中を部下にみせてほしい。

 

 

  

 

 

 


笑顔から生まれるもの・・・

2011-06-17 | インポート

    笑顔から何が生まれるか?

    

               会話 喜び 幸せ 安心感 信頼関係 癒し 和み

        いい人間関係    笑顔 やさしい気持ち 勇気 元気

        好印象  ゆとり エネルギー   親しみ 落ち着き 平和

        笑声 お金   ・・

   

    これらは研修の中で受講者に聞いた上記の質問の回答例

    

    これらの中で一つでも、人を不快にしたり、もらって嫌な気持ちになるものがあるか?

                       

                      ないないない

   

      そう、笑顔からはいいことしか生まれない。

   しかもコストもかからない。

   だから、

   しかめっ面じゃなくて笑顔

   笑顔からはじめよう!

   笑顔笑顔が集まる。

   自分から笑顔を届けていこう


やまあらしのジレンマ

2011-06-15 | インポート

 

     やまあらしジレンマ

 

ドイツの哲学者ショーベンハウアーが自著の中で用いている寓話の中の比喩。「やまあらしが寒いから

くっつこうとするとお互いの棘で相手を傷つけてしまう」から派生して対人関係における「居心地のよい

親密さを求めるために生じる『近づきたいけど離れたい』ジレンマ」のことを言う。

 

 私がこのジレンマの話を聞いたのは心理学を専攻していた学生時代。

  最近は、これを『近づきたいけど近づきすぎたくない。離れたいけど離れすぎたくない』ジレンマのこ

と解釈する(らしい)。

                           この2つの解釈。

 

         ええっ~っつ、一緒やん  と思ったかも・・・。

   

  でもこの2つの解釈根っこは全く違う

   以前の解釈は

  「あったかさと痛みの間のジレンマ」  ⇒ その根っこは『相手と親密になりたい』想い。

  

   最近の解釈は

   「一人ぼっちはイヤ!でも傷つくのはもっとイヤ!!つかず離れずの距離感を保ちたい

   =ぼんやりしたジレンマ(ジレンマと言えないかも・・・)

  ⇒ その根っこは、相手と親密になりたい!よりも強い『自分が傷つきたくない=防衛本能』。

                  

      

                      私は私。人は人。  

  

  一見、それぞれの自主性を重んじた大人の関係(=いいじゃん)。それぞれ自立した者同士がお互いを

  認め合い相互啓発する前提でこれなら問題ない。でも、自立できないもの同士がお互いの未熟さや弱さ

  をかばいあうためにこのスタンスをとっても成長はない。

 

  「私もあなたに何も言わないから、あなたも私に何も言わないでね」

  「私もあなたを攻撃しないから、あなたも私を攻撃しないでね」

  は。でもと引き換えに手に入るものは???

  

  近づけば棘に刺さる。踏み込めば傷つくことも多い。でもそれと引き換えに「気づき」「教訓」

  そしてそれらを繰り返すことを通じて「強さ」を手に入れることができる。

  

  自分の足で立ち、自分の人生を活きる・・・。

  

  そんな仲間と一緒に自分も頑張って活きたい


究極の選択

2011-06-11 | インポート

 

  「あんたっ、私と義母さんどっちが大事なん(どっちとるん)」

関係がぎくしゃくしている夫婦間で嫁から旦那に向けて発信されてきたであろう愚問。

  いわゆる嫁VS姑問題

この類の問題を取り上げるTV番組で「離婚カウンセラー」なるコメンテーターが、

 「こういう場面で嫁を選択しないようなマザコン男はダメ」

と鼻息荒くコメントする。

 そもそもの問題で言うと、「どっちが大切か」そのものが愚問両方大切に決まってるやんそれでもこんな質問を投げかけてくる嫁側の心理は、自分と姑との間に入ってどっちにもいい顔をしている旦那への失望感、こんな人に自分の将来をかけていいのだろうかという不安、この人本当に自分を守ってくれるか?愛されているのか?を確認することで安心したい・・・ が複雑に入り混じりこんな愚問をはかせるのだろう。

 昨日はある飲食店のマスターが認知症を発症した母親の介護のため別居し、離婚調停にはいっているという話を聞いた。

   賛否両論あるだろうが、

私は、こういう場面で躊躇なく「親を選ぶ」男がいい。誤解がないように付け加えておくが、決してマザコン男奨励派でもないし好きでもない。

 ではなぜ「親を選ぶ男がいい」か?

 母親とは「子供を自らの体内で育み、命がけでこの世に送り出し、一人前になるまで育ててくれたかけがえのない存在」。どれだけ感謝してもし尽くすことはない。その代償が「あんたじゃなくて嫁をとる」こんな不義理な男は信用できない。

 

 それ以前に「こんな愚問を嫁に言わせるような男に問題がある  んちゃう?

なぜなら、その男に対する「信頼感」「安心感」「尊敬」の気持ちがあればこんな愚問は不要だし、好きになった男の親には感謝し大切にしようと思うはず。結果として、嫁VS姑の問題なんておきるはずもない。

 

 毅然として「男としての責任を果たす男」「できた・賢い女」がつく。要はその人の器しだい

 これは夫婦の問題に限ったことではない。女性社員を上手く活用できるかどうか?これもその会社のトップや上司の器にかかっている。