のあの日記

のあです。ツイッターと連携しています。1日ぶんのツイートとリツイートを、自動でアップしてくれます。これは便利だー(笑)

だいばだったのおはなし

2017-08-09 09:03:00 | 日記
提婆達多は、釈尊の弟子で、誰よりも釈尊にあこがれていたのに、どうして反逆してしまったのでしょうか。


新人間革命 「仏陀」の章より抜粋
==========================
仏陀 二十七

 退転、反逆も根本の一点の迷い、狂いから始まる。
 提婆達多(デーヴァダッタ)は、自分が釈尊の第一の弟子であるかのように、吹聴するようになった。また、自分も悟りを得た仏陀で、最も厳格な修行者であるかのように振る舞った。
 名利を貪る欲望は、あらゆる役柄を演じさせる。彼は、人びとの前では、見事な「聖者」であった。
 その一方で提婆達多は、自分を庇護し、後ろ盾となる、権力ある人物を探していた。そして、目をつけたのが、摩訶陀(マガダ)国の王子の阿闍世(アジャータサットゥ)であった。
 彼は考えた。
 “阿闍世は有能な人物であり、いずれは、王位を継ぐことになる。次期の国王が私に帰依することになれば、私の未来は安泰だ。更に、人びとの尊敬も高まるであろう”
 彼は、釈尊が弘教に出掛けた隙を突くように、阿闍世に近づいていった。
 阿闍世は、父の頻婆娑羅(ビンビサーラ)王のもとにあって、なかなか王位に就くことができずに、悶々としていた。
 提婆達多は、巧妙に王子に取り入り、手厚いもてなしと供養を受けるようになった。連日、車五百台もの供養の品々が、彼のもとに届けられた。
 彼は、その供養を貪った。もはや、それ自体が出家としての堕落であった。
 やがて、彼は、自分が釈尊に代わって、教団の中心になろうとの野望をいだき始めるのだった。
 そのころ、既に釈尊は七十歳前後であったようだ。
 釈尊は、そんな提婆達多の野望を見破っていた。弟子の大成を思い、心を痛めたにちがいない。
 しかし、釈尊が善導しようとしても、彼は聞く耳を持たなかった。敢えて自分の優秀さを誇示して、何も言えない雰囲気をつくり出していた。
 それは求道を放棄した、慢心のなせる業にほかならなかった。もし、厳しくその姿勢を正そうとすれば、彼は反逆するにちがいないと、釈尊は深く思った。
 ある日、釈尊は、弟子の一人がこうつぶやくのを聞いた。
 「提婆達多も大したものだ……」
 提婆達多への阿闍世の庇護に、羨望を感じての言葉でもあった。
 釈尊は、厳とした口調で言った。
 「決して羨むようなことではない。芭蕉や竹も、花を結んだ途端に枯れてしまう。人間も同じだ。人は名利によって、自ら崩れていく。だから、私は提婆達多のことが心配なのだ」
 それから間もなく、一つの出来事が起こった。

仏陀 二十八

 その日、釈尊の周りには、大勢の弟子が集い、求道の語らいが弾んでいた。
 すると、おもむろに、一人の弟子が立ち上がり、釈尊の前に進み出た。提婆達多(デーヴァダッタ)であった。
 彼は、釈尊に向かって慇懃に合掌すると、こう語りかけた。
 「世尊! ご相談申し上げたいことがございます」
 丁寧な口調であったが、どことなく不遜な響きがあった。
 「今や世尊は、お年を召されました。お体も衰えておられます。ご無理をなさってはいけません。
 速やかに閑居され、悠々自適の生活に入られてはどうかと思います。そして、後のことは、この私にお任せください」
 提婆達多は、釈尊の体を気遣っているように見せかけながら、教団の統率の権限を、自分に譲れと、引退を迫ったのである。
 釈尊は、彼が本性を現したことを知った。
 「提婆達多よ、私に代わって、教団を統率しようなどという考えを起こすのはやめなさい」
 「世尊には、末永くお元気で、私どもを、見守っていただくために、閑居をお勧めしているのです。私に教団の指導をお任せ願えれば、これまで以上に、発展させてまいります」
 提婆達多は、執拗に引退を迫った。
 釈尊は、今、ここで厳しく彼を弾呵し、一念の狂いを正しておかなければならないと思った。そうすれば反逆するであろうことはわかっていた。しかし、弟子の悪を責めることは、師としての慈悲である。
 釈尊から、火のような言葉が発せられた。
 「もう、やめなさい! お前の魂胆は見え透いている。私は、あの舎利弗(サーリプッタ)や目連(モッガラーナ)にも、教団の指導を任せないのだ。
 それが、どうして、お前のような、人のつばきを食うものに、教団の指導を任せることができようか!」
 容赦のない、呵責の言葉であった。「人のつばきを食う」とは、提婆達多が阿闍世(アジャータサットゥ)の庇護に甘えて、私利私欲を貪ってきたことを指している。
 釈尊の言葉は、提婆達多の胸に突き刺さった。毒矢に射られたように、彼の心に激痛が走り、熱湯のような憤怒が噴き上げた。
 彼は、釈尊が人びとの面前で、舎利弗や目連よりも自分の方が劣っていると公言したのみならず、「人のつばきを食う」と、最大の侮蔑の言葉を浴びせたことに我慢がならなかった。

仏陀 二十九

 提婆達多(デーヴァダッタ)の体は、怒りに、わなわなと震えていた。
 しかし、平静を装い、釈尊に合掌すると、そそくさと立ち去っていった。
 彼は固く拳を握り、憤怒に燃えた目で天を睨んだ。
 “瞿曇(ゴータマ)は、俺を皆の前で怒鳴りつけ、恥をかかせた。あれが聖者のやることか! 悟りを得た仏陀の振る舞いか!
 もし、俺に悪いところがあれば、内々に呼んで、諫めればよいはずだ。
 また、俺は、阿闍世(アジャータサットゥ)から供養を受けた。しかし、供養なら、あいつだって受けているではないか。何が悪いのだ!”
 釈尊に対する供養、寄進は、精舎をはじめ、膨大なものがあった。しかし、それは、すべて教団のために使われ、釈尊はボロ布をまとい、托鉢して歩き、清貧に甘んじていた。提婆達多のように、供養を私利私欲のために使うことは決してなかった。
 だが、もはや、彼には、それもわからなかった。
 “結局、瞿曇は供養を独り占めしたいのだ。教団のものは全部自分のものだと思っている。だから、いつまでも、統率の権限を手放さず、居座っているのだ。
 教団の発展は、あいつ一人の功績ではない。弟子たち皆の力ではないか。しかし、あいつは、それを認めようとはしない。あの男は弟子たちを、自分のために利用しているのだ!
 瞿曇は老いた。身も心も……。昔は、そんな人間ではなかった。だから、俺も仕えてきた。しかし、今や強欲な、老残の身をさらすだけの人間になってしまった。そんな男に、いつまでも操られてなるものか!”
 彼にとって、既に釈尊は怨念の対象でしかなくなっていた。
 名聞名利に蝕まれ、自己の野望のために生きようとする者にとっては、いかなる聖者も、自分と同じようにしか見ることはできない。歪んだ鏡には、すべてが歪んで映るように、人間は自己の境涯でしか、物事をとらえることができないものだ。
 一方、釈尊は、提婆達多が去っていく姿を見て、思った。
 “提婆達多は反逆するにちがいない。彼一人が去っていくことは仕方がない。しかし、それによって、真面目で純粋な弟子が、信仰の道を踏み外したり、何も知らない民衆が惑わされたりするようなことがあってはならない”
 釈尊は、辛い決断ではあったが、弟子と民衆を守るために、提婆達多と戦う心を固めた。

仏陀 三十

 釈尊は、集っていた弟子たちに言った。
 「遂に提婆達多(デーヴァダッタ)の本性は明らかになった。王舎城(ラージャガハ)で彼の正体を皆に伝え、こう宣言するのだ。
 『彼は、以前の提婆達多ではない。私利私欲を貪る者である。彼の行動や発言は、仏陀の教えでも、教団の指導でもない。それは彼の我見にすぎない』と。
 もし、これに反対のものは、意見を言いなさい」
 釈尊のこの提案に、戸惑う弟子もいた。
 提婆達多は釈尊の引退を迫ったが、表面上は、釈尊の健康への気遣いを理由にしていた。それだけに、まだ、彼の邪悪な本性がわからなかったのだ。
 また、釈尊の意見は、同志を追い込む、冷酷な仕打ちのような気がしていたのである。
 彼らは、事態の深刻さが理解できていなかった。悪と戦うことをためらう、その感傷が、多くの仏弟子を迷わす結果になることが、わからなかったのだ。
 それは、すべての人を成道させようとする、釈尊の大慈悲を知らぬがゆえの、迷いでもあった。
 しかし、真っ向から異論を唱える人はいなかった。
 釈尊は居並ぶ弟子たちに視線を注ぐと、舎利弗(サーリプッタ)に言った。彼は教団の長老であった。
 「舎利弗! 長老であるあなたが、王舎城で提婆達多を糾弾してくるのだ」
 舎利弗は困惑した。
 「世尊、私には、それはできません。私は、かつて王舎城で、提婆達多は偉大な力があると、称賛してきました。その私がそうしたことを言うのは……」
 「本当に提婆達多を称えてきたのか!」
 「はい……」
 釈尊は、強い力を込めて言い放った。
 「だからこそ、戦ってくるのだ! あなたが出向いて、提婆達多の本性を暴き、仏陀に違背したものであると宣言してくるのだ」
 悪と徹底抗戦する心が定まらなければ、悪人に付け入る隙を与え、正義も破られてしまう。釈尊は、それを弟子たちに教えようとしていたのである。
 舎利弗は、何人かの比丘とともに、王舎城に向かった。そして、提婆達多の悪心を糾弾した。
人びとの反応はさまざまであった。舎利弗たちが、提婆達多への、供養と、尊敬と、名声に嫉妬していると見る人もいた。また、世尊があそこまで言わせているのは、提婆達多がよほど邪悪であったにちがいないと、考える人もいた。

仏陀 三十一

 提婆達多(デーヴァダッタ)は、舎利弗(サーリプッタ)によって、王舎城(ラージャガハ)で自分の本性が暴かれてしまったことを知ると、狂乱せんばかりに憤った。
彼は心に決めた。生涯、師の釈尊と戦い、大怨敵となろうと。
それから、提婆達多は、阿闍世(アジャータサットゥ)を訪ねた。
「王子! 人間の一生というのは短いものです。あなたは、国王になることなく、王子のままで亡くなるかもしれません。それで、よろしいのでしょうか」
「いやじゃ。それでは、なんのための人生かわからぬではないか」
「それならば、王を殺すことです」
阿闍世は驚いて、提婆達多の顔を見つめた。彼は口元に笑みさえ浮かべ、悠然として言った。
「あなたが王位に就くには、それしかありません。そして、私は瞿曇(ゴータマ)を殺して、新しい仏陀となりましょう……」
提婆達多には、国王の頻婆娑羅(ビンビサーラ)を殺してしまえば、釈尊への供養が断たれ、打撃を与えられるという計算もあったのかもしれない。
いずれにせよ、頻婆娑羅がいなくなれば、阿闍世が王となり、自分が最高の権力者を、自在に操れるようになるのだ。
阿闍世は、提婆達多の言葉に、一条の光明を見いだした。
国王の座を狙う王子と、教団の指導者の座を狙う提婆達多は、結託して、非道の暴走を開始したのである。
阿闍世は、父の頻婆娑羅を幽閉し、遂に餓死させ、王位を継いだ。
一説には、頻婆娑羅がクーデターを事前に察知し、阿闍世を捕らえるが、息子の気持ちを知って、王位を譲ったともいわれる。
提婆達多の謀略によって王位に就いた阿闍世は、彼の要請をことごとく聞き入れた。
そして、釈尊に、王の家来が刺客として放たれた。しかし、仏陀の姿を見た刺客はたじろぎ、行動に移すことはできず、暗殺は失敗に終わった。
だが、提婆達多は諦めなかった。新王・阿闍世の権力を背景に、次々と釈尊殺害の陰謀を練り上げ、実行していった。
ある時、王舎城の町を歩いていた釈尊に、砂煙をあげて象が向かって来た。
象は凶暴だった。いたく興奮し、気が立っていた。
幸い、事なきを得たが、これも、事故死に見せかけて、釈尊を殺そうとする陰謀であった。



仏陀 三十二

 釈尊は、霊鷲山でよく弟子たちに説法をした。
その山の山頂付近は、ゴツゴツとした巨岩が奇観をつくっていた。
提婆達多(デーヴァダッタ)は、今度はそこに目をつけ、殺害を計画した。
釈尊は弟子たちと連れ立って、霊鷲山の頂を目指して歩いていた。
すると、山頂付近の大石がグラリと揺れ、斜面を転がり始めた。
「危ない!」
弟子が叫んだ。
大石は速度を増して、樹木の枝をへし折りながら、釈尊を目がけて、転がって来た。
とっさに、彼は身を翻した。大石は体を掠るように、転がり落ちていった。弟子が駆け寄った。
「世尊! お怪我は!」
釈尊の足の指から血が出ていた。だが、それには構わず、釈尊は、じっと頂を見上げた。怪しげな人影が動くのが見えた。
彼は静かに言った。
「大丈夫だ……。案ずることはない」
弟子が傷口を布で縛り、手当てをすると、釈尊は、何ごともなかったかのように歩き出した。
岩陰に身を潜め、その様子をうかがっていた男が、憎々しげに舌打ちした。提婆達多であった。
男は頭を抱え込んだ。企てた殺害の計画が、皆、失敗に終わってしまったのだ。次はいかなる方法をとるべきか、彼は考えた。
提婆達多は思案を重ねながら、“釈尊の命を狙うことは無理があるのかもしれない”と思った。釈尊の周りにはいつも弟子たちが付いているし、今後、警護も厳重になると考えられた。
それに、自分の犯行であることが、明らかにならないとも限らない。そうなってしまえば、仮に釈尊を亡き者にしても、人びとの非難は、自分に集まることは間違いない。
彼は作戦の変更を余儀なくされた。殺害計画はやめて、教団を分裂させることを考えたのである。
提婆達多が目をつけたのは戒律であった。
当時のインドでは、苦行など禁欲主義を尊ぶ伝統があり、厳格な生活の規律が重んじられていた。しかし、それは、釈尊の考えとは相反するものであった。彼は、苦行にしても、悟りへの真実の道ではないと捨て去っていたのである。
確かに、釈尊の教団にも戒律はあったが、それは、集団生活を維持し、修行に専念しやすくするために設けられたものであり、かなり柔軟なものであった。
したがって、それぞれの事情や状況において、例外も認められ、決して、人間を縛りつけるような絶対的なものではなかった。

仏陀 三十三

 戒律は修行のための手段であって、それ自体が目的ではない。しかし、その戒律が目的となり、人間を縛るようになれば、まさに本末転倒という以外にない。
釈尊の教えの根本は、何ものにも紛動されない自分をつくることであり、戒律はあくまでも、それを助けるものにすぎない。
釈尊には、厳格な戒律で人を縛るという発想はなかった。だからこそ、彼は、後に、死を間近にして、“自分の死後は細かい戒律は廃止してもよい”と、阿難(アーナンダ)に言い残しているのである。
真の戒律とは、「自分の外」に設けられるものではなく、「自分の内」に育まれるものでなければならない。仏教の精神は、外からの強制による「他律」ではなく、「自律」にこそあるからだ。
だが、釈尊への反逆の意志を固めた瞬間から、提婆達多(デーヴァダッタ)の思考は、既に常軌を逸していた。いや、思考だけでなく、人格も崩壊していた。
かつて、「智者」と称えられていたころの、清純な理知の輝きは失せて、嫉妬と憎悪の怨念の炎が、「邪智」の妖火となって、その目を異様に燃え上がらせていったのである。
彼は、教団を分裂させ、混乱に陥れるための、周到な計画を練り上げた。
ある時、提婆達多は、自分を慕う何人かの比丘を引き連れ、釈尊のもとに向かった。
提婆達多は、釈尊から離れ、別行動をとってはいたが、反逆を明らかにしていたわけではなかった。
釈尊は、久し振りに訪れた提婆達多を迎え入れた。彼は、提婆達多が自分の命を付け狙ってきたことも知っていたであろう。しかし、それでも、可愛い弟子の一人であった。いな、心が毒された弟子であればあるほど、釈尊は不憫に思い、この不肖の弟子のために、心を砕いていた。
折あらば、善導し、悔い改めさせたいと思ってきたのである。
提婆達多は、恭しく釈尊に合掌すると、こう切り出した。
「世尊は、欲望を制御して、満足を知り、衣食住に対する貪欲な執着の心を捨て、精進に励むところに、仏道があると説かれた。
ならば、これから私の申し上げることは、あらゆる面で、世尊も賛同されるものと思います。
つまり、新たに五つの戒律を設けて、それを出家した者に厳守させるのです」
提婆達多は、のぞきこむように、釈尊の顔を見た。

仏陀 三十四

 提婆達多(デーヴァダッタ)は、五つの戒律を述べ始めた。
「一、修行者たるもの、命ある限り、人里から離れた林のなかに居住すべし。もし、人里に入る者は罪となる。
一、修行者たるもの、命ある限り、乞食行をなすべし。もし、食のもてなしを受けたる者は罪となる。
一、修行者たるもの、命ある限り、ボロ布の衣を着るべし。もし、衣の布施を受けたる者は罪となる。
一、修行者たるもの、命ある限り、樹下に住み、屋根の下では暮らさぬこと。もし、屋根のある家に近づく者は罪となる。
一、修行者たるもの、命ある限り、魚、鳥獣の肉を食べざること。もし、これを破れば罪となる」
これらの内容は、経典によって、微妙に異なっているが、いずれも、殊更に、生活を厳しく規定するものであった。
「世尊、いかがでございましょう?」
提婆達多は尋ねた。
釈尊は、言下にこれを退けた。
「提婆達多よ、そんなことを定めて、なんになるのだ。林に住みたいものは林に住めばよいし、人里に住みたいものは、人里に住めばよい。そのように自由でよいではないか」
その答えを聞くと、提婆達多は、ほくそ笑んだ。
「世尊がそうお考えならば、仕方ありません」
彼は、呆気ないほど簡単に、自分の意見を引っ込めた。それは、彼が計画していた通りの結末であった。
当時、苦行を尊ぶ風潮から、釈尊の教団が、竹林精舎や祇園精舎などの精舎を安息所としていることが、しばしば批判の対象になっていた。その背後には、釈尊の教団が多くの在家信徒の供養を得ていることへの嫉妬があった。
いずれにせよ、釈尊への非難を煽るうえで、五つの戒律の提案を否定されたことは好都合であった。それは釈尊が贅沢を欲して、腐敗、堕落したと証明できる切り札となるからだ。
提婆達多は、意気揚々として、自分の手下を引き連れ、王舎城(ラージャガハ)に向かった。
そこには、ちょうど、釈尊の弟子たちが集まっていた。その大多数は、まだ新参の弟子であった。
彼は、皆の前に立つと、厳かに語りかけた。
「諸君! 世尊はこれまで、なんと説いてきたか、知っているか。
世尊は、欲望を制御して、満足を知り、衣食住に対する執着の心、貪欲を捨て、精進せよ--こう説いてきたのだ。しかし……」

仏陀 三十五

 聴衆は、提婆達多(デーヴァダッタ)の話に、一心に耳を傾けていた。
彼は、釈尊に、新たな五つの戒律を設け、厳守するよう提案したことを話していった。
「私の提案は、清浄なる出家者としては、当然のことではないか。いな、世尊自身が、これまで説いてきたことでもある。
だが、世尊は、それを拒んだ。
なぜか--。厳しき修行を厭うているからだ。贅沢が身についてしまったからだ。それは、腐敗し、堕落した姿ではないか。もはやそこには、まことの仏陀の姿はない。
そこで、私は新しき仏陀の道を開くために、この五つの戒律を打ち立て、修行に励むことにした。本当の仏陀の道を極めんとする者は、私とともに来れ!」
彼の話は熱を帯び、怨念の放つ、異様な迫力をもっていた。
新参の修行者たちの心は動いた。
“釈尊は、堕落し、栄華を求めていたのか!”
彼らは、釈尊に帰依して日も浅く、提婆達多の策謀など知るよしもなかった。
しかし、心ある弟子たちは憤った。
“提婆達多は、世尊の教団を分裂させようとしているのだ!”
結局、その場にいた比丘たちのうちの五百人は、提婆達多に付いて、彼が本拠地としていた象頭山に行ってしまった。後に残ったのは、ほんの一握りの弟子たちであった。
“正義”が“邪悪”となり、“邪悪”が“正義”と見えるように仕向ける、提婆達多の巧妙なトリックが功を奏したのである。
釈尊は、舎利弗(サーリプッタ)と目連(モッガラーナ)から、この報告を受けると、言った。
「あなたたちは、あの五百人の比丘たちが、かわいそうだとは思わないのか。彼らが不幸になる前に、連れ戻してあげることだ」
釈尊は、何もわからぬままに、和合僧を破壊しようとする提婆達多に騙され、仏道を踏み外そうとしている比丘たちが、不憫でならなかった。
舎利弗と目連は、急いで象頭山へと向かった。
まことの時に、敢然と立ち上がり、戦ってこそ、本当の弟子である。
釈尊は、弟子たちの行動をじっと見ていた。
二人は必死であった。どんな危険が待ち受けているかもわからない。
しかし、釈尊の正義を証明するためにも、また、五百人の比丘のためにも、断じて戦い、勝たねばならないと思った。

語句の解説
◎和合僧
法によって結ばれ、ともに仏道修行に励む人びとの集まりのことで、教団を指す。本来、「僧」とは僧伽(サンガ)の略で「集い」「和合」の意。仏法では、この和合僧を破壊することは、五逆罪のなかでも最も重い罪とされている。

仏陀 三十六

 釈尊がいかに正しく、まことの仏であっても、弟子の多くが提婆達多(デーヴァダッタ)に従っていくならば、提婆達多こそが、正義となり、仏であるということになってしまう。
現実のうえで、正義を証明するためには、弟子たちを連れ戻さなければならなかった。
舎利弗(サーリプッタ)と目連(モッガラーナ)は息を弾ませ、象頭山への道を急いだ。
提婆達多は、勝利の快感に酔いしれていた。
彼は、二人が山に登って来るのを見ると、にやりと笑い、仲間に言った。
「ほら、見てみなさい。瞿曇(ゴータマ)の最高の弟子である舎利弗と目連でさえ、私の教えを求めて、喜んでやって来たではないか。これで、私の教えが、どれほどすばらしいか、よくわかったであろう」
釈尊の最高の弟子である二人が、自分を慕って来たと思った彼は、嬉しくて仕方なかった。
仲間の一人が答えた。
「いや、彼らを信じてはなりません。何を考えているかわかりません」
「心配は無用だ。私の指南を求めているからこそ、ここまで来たのだ」
傲り高ぶった彼には、何も耳に入らなかった。そこに慢心の落とし穴もある。
提婆達多は、努めて鷹揚に振る舞い、喜んで二人を迎え入れた。そして、得々として、従ってきた比丘たちに説法した。彼の話は、実は、ことごとく釈尊の受け売りであった。
しかし、比丘たちは目を輝かせ、真剣に提婆達多の説法を聞いていた。
彼は、熱を込めて語りに語った。
舎利弗と目連は、反撃のチャンスを待っていた。
やがて、疲れ果てた提婆達多は、舎利弗に言った。
「ここにいる比丘たちの求道の姿を見よ。眠ろうとさえせずに、真剣に法を求めているではないか。
舎利弗、彼らのために、私に代わって説法してやってほしい。私は背中が痛くなった。少し休もう」
それは、高齢の釈尊が、疲れた折に、しばしば行っていたことであった。彼はその振る舞いを、まねてみたかったのかもしれない。
舎利弗が説法を始めた。
提婆達多は、そのまま横になり、眠ってしまった。
いよいよ反撃の好機は到来した。
二人の戦いが始まった。
舎利弗と目連は、苦行に等しい五つの戒律を守ることは、本来の仏陀の道ではなく、提婆達多が教団を分裂させるために画策したものであることを語り、釈尊の教えの正義を叫んだ。

仏陀 三十七

 舎利弗(サーリプッタ)と目連(モッガラーナ)は、更に、和合僧の重大な意義を訴え、それを破らんとする提婆達多(デーヴァダッタ)の反逆を、鋭く暴いていった。
五百人の比丘たちの智慧の目は、次第に開かれ、自分たちに分別がなかったために、提婆達多に騙されてしまったことに気づいた。
彼らは、舎利弗と目連に促され、再び、釈尊のもとに帰っていったのである。
やがて、眠りから覚め、仲間から事の顛末を聞いた提婆達多は、憤怒に震え、その場で熱血を吐いて死んでいったと、ある仏典は伝えている。
弟子の戦いが、釈尊の、そして、教団の窮地を開いたのである。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« ウルトラアクトティガの懺悔 | トップ | ダメもと »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL