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厚田の戸田記念墓地公園開園40周年、来園者延べ1,000万人を達成

2017-05-16 11:25:05 | Weblog

聖教新聞を記事2017.5.15の転載:

恩師の言葉を脳裏に焼き付けた池田大作先生が構想を重ね、1977年(昭和52年)10月2日、厚田の地に学会初の墓地公園が開園した。
 池田先生には、もう一つの願いがあった。
 それは“恩師がこよなく愛されたソメイヨシノで墓園を荘厳したい”というものだった。
 この師の思いを実現したのが、桜守の故・佐々木忠さんだ。
 佐々木さんは01年(明治34年)から67年(昭和42年)までの気象データを詳細に分析するとともに、低温や海から吹き付ける潮風への対策、土壌改良、肥料の開発や害獣からの防御、加えて大型台風による全木倒壊など、さまざまな困難に挑んだ。
 その一つ一つを乗り越え、挑戦から10年目の87年、不可能が可能になる。ソメイヨシノが厚田の地に、見事な花を咲かせたのだ。師弟の宿願を果たした瞬間だった。
 生前、佐々木さんは語っている。「桜はうそをつかない。ちゃんと報いてくれる。自然界の流れをつかんでいるんだよ。わずか1週間しか咲かないのに、すごい力をもっている。科学がどんなに進歩しても、一輪の花を咲かせるのは大変なんだ。桜から実に多くのものを学んだね」

 


 


北の大地 さくら物語 ダイジェスト案内 BS11 2016年の桜 2016.7放映 プレイバック1:

 この番組では、日本列島を北上する桜前線の終着点・北海道で咲き誇る、「桜」に秘められた人間ドキュメンタリーが紹介されますが、そのメインを飾っているのが、我ら三代城の誇りである、厚田・戸田記念墓地公園の桜です。師匠・池田先生の心をわが心として、札幌より北では不可能と言われた「ソメイヨシノ」を満開に咲かせた桜守(さくらもり)、佐々木さん親子(忠・忠弘・忠法・聖子)の物語が紹介されます。そして、この番組撮影のために特別に用意された、桜のトンネルで有名な「桜冠(おうかん)の道」の、圧巻(あっかん)の「夜桜」ライトアップ映像も初公開されます。さらに、池田先生、戸田先生の映像や写真が,全国放送としては始めて、テレビの電波に映し出される。 

BS11放送を見逃した人のために、 Youtube ダイジェストリンク

https://www.youtube.com/watch?v=DVVrxsGqpkw   

 

ナビゲータの藤田可菜さん



 

プレイバック2:『名字の言』 聖教新聞 平成23年5月21日 『名字の言』から 厚田の桜が紹介されていましたので転載します。

北海道は桜の季節。今年も厚田・戸田記念墓地公園で8千本の桜が満開となった▼「毎年のように来ています。ここに来ると元気になります」「厚田は、創価学会の思想が刻まれた天地ですね」と桜を愛でた人々の声。同園は1年を通じて市民に開放され、親しまれている。北の大地の春を彩る桜の名所として、テレビや雑誌等でも紹介。毎春、約10万人が訪れる。「戸田墓園は、わが郷土にとって、なくてはならない場所です」と地元・石狩市の名士も語る▼明年は開園35周年。開園当時、今日のように発展した姿を想像する人は少なかった。だが、池田名誉会長は当初から“今後、国内・海外から多くの人々が来園するだろう”と語っていた。「生命と生命のふれあいを通して、麗しい理想的な人間共和の世界を」と期待を寄せていた▼御書に「身土不二」(563㌻)と。自身と国土、人と地域とは一体。創価の友の笑顔が弾けるところ、地域が明るくなる。妙法の栄えるところ、その地が繁栄する。そうしていくことが仏法者の使命である▼「桜は、厳しい冬を耐えて、耐えて、耐え抜いて、遂に迎えた春を、歓喜の勝鬨のごとく咲き誇る」と名誉会長。あなたの人生にも勝利あれ、と桜は語りかけている。(鉄)

 

 


 

プレイバック3:随想「北限の桜の誓い」

 北海道は三代会長ゆかりの希望の天地、そのなかで北海道厚田村(現在の石狩市)は第2代戸田城聖会長のふるさとであり、この地に創立者池田大作先生が師恩の想いで戸田墓地公園を開園された。この戸田記念墓地公園は、北緯4324分、東経14126分、夏は涼しく、冬は雪に囲まれる酷寒の場所である。この場所に毎年8,000本の染井吉野桜が5月の大型連休あけに美しく咲き誇る。日本列島の桜前線の到達点が、まさにこの戸田記念墓地公園であり、酷寒を耐え忍んで咲き薫る情景は筆舌に尽くしがたい。

 実は創立者池田先生は、戸田先生が愛された桜を故郷の厚田に咲かせるという構想を佐々木忠(北桜造園会長)に託されたのである。そこでは、池田先生は次のように話されている。「戸田先生の墓園を、先生がお好きであったソメイヨシノの桜で荘厳したい!」それは弟子としての1つの願いであった。桜が咲けば、地域の方々も喜んでくださる。緑が増えれば、環境問題にも貢献できる。ところが当時、この構想には、学者も業者も、学会の幹部も皆こぞって反対した。「不可能です」「やめたほうがいい」--。 

  「冬の厳しい寒さや害虫との闘いなど、佐々木さんの闘争は想像を絶する苦労の連続だった」。ソメイヨシノ桜は、氷点下18度以下では根が腐り、幹が裂けてしまう。「そこで1本、また1本と桜の幹に藁やビニールを巻き、保温に努めた。過去の気象データの収集や1本1本の桜の観察による育成作業は特に手間暇をかけたようである。最初は、日本中の桜の専門家、植物学者を訪ねて歩いた。残念ながら誰もソメイヨシノの北限のデータを持っていなかった。「全部、自分で体験して対処していくより方法はない」。1901年から67年間の厚田の気象データを収集してそれを分析した。いつ雪が降り、いつ雪がなくなるのか。1年間の気温の変化を調べた。そういえばかつて富士宮の造園事務所には植物に関する書物とデータが収集されていたことを思い出した。桜が生育する暖かい期間を調べ、その短期間に十分な栄養を与え育てなければならない。栄養を樹木全体に循環させるため、幹を1メートルほどにして枝を横に広げた。そのことは、天敵である海からの潮風を避けることにもなり、今では逆に、“桜トンネル”とよばれる厚田独特の景観を演出することにつながった。北限の地では桜が夏に養分を造るための日照量は、本州の6割しかないので病気になりやすい。余計な枝を切り取ってゆく剪定や土壌の改良にも真剣な努力を重ねた。桜は、一年のうちに5日か6日しか咲かない。厚田の桜は、残りの360日を精一杯生きて、どんなに過酷な環境にあっても翌春には、必ず開花してくれる。

 戸田記念墓地公園は、昭和52年(1977)に開園し、160万平方メートルの広大な敷地に近代的な墓苑と公園という安らぎの空間が演出されている。桜並木は、この墓地公園内の遊歩道や区画を繋ぐ回廊に育成され、開園以来30余年の樹齢を経ている。その荘厳な光景は、20095月号の北海道ウォーカー「特集・北海道の絶景桜30」ならびに北海道じゃらん「桜名所ガイド」で名所ベストワンと紹介されている。北海道一の桜の名所として毎年3万人もの人が訪れ、厚田望来村から札幌市内まで車の渋滞が続くという。ソメイヨシノの北限の地が、このような経緯で創られたことを観桜に集った人々の記憶にいつまでものこることを期待しいたい。

 

厚田の桜フェスティバル

 

 

 

 

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