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法と鏡2

2017-04-23 19:58:03 | 最終章・これを知るために

北朝鮮をめぐって、戦争になるかならないか・・・・・どのテレビ局も連日放送しています。そして私達日本人が忘れていた事実を、今更ながらに思い起こさせています。それは国という単位を規制する法がこの地球上には無い・・・・・ということです。私達はまだ国以上のものを持っていません。それなのに日本人だけは、憲法というものに理想を託している・・・・・ばかりか、個々の命を託している?????・・・・・なぜそんなことが世界で唯一できるのでしょうか。私達は今その理由と、世界の現実から顔を背けている自分達をはっきりと知る必要があるのではないかと思います。

 

それはひとえに日本人が『鏡』というものを心のよりどころにして暮らしてきたからではないかと思います。そしてその鏡と法とを同じように思っているからではないかと思います。日本人の心情は、自分が正しいか間違っているかを確かめる時に照らし合わせるもの・向き合うものは、『鏡』に映った自分だからだと思います。その鏡の奥にあるもの・・・・・これは天岩戸屋でアマテラスが向き合わされた鏡と同じで、そこに映っている美しいもの・貴いもの・正しいものをのぞき込む自分の姿勢だと思います。これは本当に世界に誇るべき姿勢だと思います。そしてそれが普遍的世界中の心情になれば、もっともっと世界は住みやすくなるかもしれません。だけどこれがまかり通っているのは、日本だけ・・・・・あるいは、日本のほかに何か国あるのでしょうか・・・・・私達日本人の使命はこの美しい『鏡』の国を守ること。これがいつの日か世界平和に寄与する道なのだと思います。『鏡』は『鑑』であって、自分の姿を映すものであり自分のお手本でもあります。

でも、そもそも『国』というものは自分たちを守るための集団から発達してきたのではないかと思います。だとすれば、対立する相手があるのが前提条件で、対立関係を如何に納得のいく状況にするかが世界の近代化であり、条約というものの性質だと思います。それで世界の考える『法』というものが発達してきたのであって、東洋哲学的な『法』とは全く違うものです。西洋の『法』は神から授けられる統治上の決まりで権力も一緒に付与されます(ということにして、人間が作った法を発布し行使する権力の正統性を表明しています)。でも東洋哲学の行き着く果ての日本では『法』とは『道理』であって、もともとあるものであり、逆らっては『ばち』の当たるものです。だから日本人ほど『法律』に合わない国民性のものはいません。裁判に対しても同じです。日本人は『大岡裁き』が好きなんです。

 

どうしてこんな世界に独特の国柄と国民性が生まれたのか・・・・・これは、ひとえに日本語の音波による脳神経のオペレーション(言霊)であって、カタカムナのおかげというべきか所為というべきか・・・・・『鏡』に映して自分を正しているもの、それは『カガミ』であって、『鏡』の奥から自分に向かってくる『カ』の『カ』の『ミ』と照らし合わせているんです。そういう心情になるように日本語というものを作って今日まで伝えてきました。(このことを知りたいと思う方はご自分で研究なさってください。簡単ではありません。それは既成観念というものがあって言葉を聞いても分からないからなんです。知識として知っても何の役にも立ちません。私はそれを探求して放浪50年のような気がします。)ただ日本人と自分のことを言うならば、最低でも、美しい『鏡』の日本語を使わなければならないと思います。なぜなら自分の発する日本語が、また『鏡』になって『カ』の『カ』の『ミ』として放出されるからです。『言葉』というものは本来そういうものなんです。これは『認識』の表明であって、私達が受け取っている脳の刺激のコピーなんです。私達の体全体がその波動で振動しているんです。その振動するもので私達は心身ともに出来ていて、それが『カ』の『カ』の『ミ』なんです。それを繰り返しているうちに、最初は何となくわかってきて、いずれは体得できるだろうと思っています。

 

今日テレビで、どうして国と国の争いに国民が巻き込まれるのか、というようなことを言っている人を見ました。だけど、国と国の争いは国民と国民の争いなんです。日本人ほど国と国民の関係を遠くに感じている人々はいないような気がします。(これは国というものを超越していない現在の世界では危険なことです。)また今は難民などといって保護活動が行われたりしますが、そうやって(武力で追い出して武力で攻め取って武力で自分たちを守って)別の国を建ててきた歴史があって全世界の国が出来ました。そんな現代の難民をどうするのか・・・・・これは大変な問題です。現代は新たな建国の余地がない?????国境の変更は認めない?????だけど難民を受け入れる余地もない?????先ごろもハンガリーだった(ブルガリアだった?)かと思いますが、国境を閉鎖して難民の門戸を閉じました。この難民の問題が、大騒動の挙句に『国』の性質を変えるかもしれませんし、もっと頑固なものになるかもしれません。大昔から私達日本人は難民を受け入れて国を作ってきました(これについては自説を『随想古事記』という形でこのブログの記事にしました)。もちろん武力と日本語を使ってです。『海幸山幸』の山幸彦は豊玉姫の父(当時の日本の支配者)から治水権(シオミツ玉シオヒル玉)と言葉(呪文)を贈られました。それがこのお話しの伝えていることであり、古事記のお話しです。『ホツマツタエ』にも国内の争いを治めるために、イザナギイザナミ両尊が国民の言葉を正して回られた、という記述があります。言葉というものが人間性の問題そのものだからでしょう。この建国や国の立て直しは何千年も前のことで可能でしたが、それを現代社会でどう出来るか・・・・・全世界は『バベルの塔』以前に戻ることが出来るのか・・・・・というくらい深刻な問題だと思います

 

最後に心の底から考えなければならないことは、この事態に至るまで私達は拉致被害者と呼んでいる同胞を救出できずにいるし、方策もない・・・・・また核廃絶を叫びながら、隣国の核開発を止めさせる方策もなければ、放置して瀬戸際まで来ている・・・・・ということです。この無策はひとえに憲法に道理を求めているからではないかと思います。だけど憲法は道理ではない!!!!!その証拠に憲法では加害者の権利は保証しているが、被害者の権利は認められないと思えるようなことが多い。それは死亡事件の裁判になった時、被害者の多くは死亡しており国民ではなくなってしまう(?)からではないでしょうか。私達は死んだら日本国民ではない?????そして悔しいかな、拉致被害者と呼ばれている私達の同胞は憲法の支配下にいない?????裁判すら出来ない・・・・・相手は国民ではなく、北朝鮮です。これでは納得がいかないことばかりです。そしてこれが、憲法が私達の『鏡』ではない証拠です。

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