子ども文化総合研究所

乳幼児期から青年期までを含めた子どもの育ちをめぐるさまざまな話題を提供するブログです。

現実をどのようにとらえるのか?

2016-12-12 08:41:24 | Weblog
 修士論文の口頭試問で、小川正先生は私の修士論文を高く評価してくださいました。それをふまえての注文ということで、次のようなお話をされました。
「笹倉君、君の論文は、観点はよいのだけど方法論が弱いなぁ」。
 何を言われているのかもわからなかった私は、「方法論ですか……」とあいまいな言葉を言うだけでした。
 小川先生は少し苛立ちを覚えられたようで、
「そう、方法論だよ。つまり、君の論文には世界観がないんだよ」。
 私はますます意味がわからなくなり、頭の中は「?」マークでいっぱいになりました。
 口頭試問の時に小川先生が私に伝えたかったのは、おそらくこういうことではなかったのかな、と思えるようになるまで10年ほどかかりました。
 私は、研究方法を、現実のとらえ方と理解するようになり、したがってそれは、世界観につながるものとなっています。具体的には、現実を、それぞれの人の「生きられた経験」としてすくいあげたいと考えています。そのため私は、客観的な事実よりも、当事者がどのように経験し記憶したのかということを重視する立場、つまり、主観的事実重視の立場をとっています。
 以上のように考えてきたのですが、最近、また、ゆらぎ始めています。それは、指導教官であった岡村達雄先生が私に叩き込んでくれたこと、すなわち、「何のために、誰のために研究をするのか?」という問いにつながるようです。このテーマについては、機会をあらためて書きたいと思います。(S)

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鳴門の渡船

2016-11-10 11:49:09 | Weblog
 先週末(2016年11月5日~6日)、鳴門教育大学で中国四国教育学会が開催され、Sさんと研究発表するために鳴門へ行ってきました。タクシーの運転手さんは、「鳴門で開催される催しに参加する人は100人いたら95人までが徳島で宿泊する。鳴門は通過地点になってしもうた」と残念がっておられましたが、その貴重な「5人」として、今回は鳴門駅前のビジネスホテルで宿泊をしました。 
 そして、最近ではとても珍しくなった渡船に乗ってみました。市街地の黒崎から、鳴門教育大学のある高島までです。所要時間は2分ほどで、運賃は無料でした。通勤、通学の時間帯は、およそ20分間隔で運航されています。昼間は利用者が少なくなるのでしょう。1時間に1運行といった感じです。市が運営しているとはいえ、無料であることに感動し、少し調べてみました。
 鳴門には3本の渡船ルートがあるようです。そのうち私達が利用した黒崎渡船は、もともとは民営であったものが、1947(昭和22)年に市が引き継ぎ、市営渡船として運航されるようになりました。そして1956(昭和31)年4月から無料運航されています。ただ、市の財政状況が厳しくなり、2003(平成15)年4月からは、民間移管され、漁協が委託を受けてるようです。
 黒崎渡船が運航する小鳴門海峡は、大きな船が通るため、人が歩いて渡れるような高さの橋をかけることができないから渡船が残されているというようは話を聞いたことがあります。車を利用すれば、高島から市街地へは橋を渡って移動することが可能ですから、高島と市街地を行き来する人のほとんどは橋を渡っておられることでしょう。渡船は、車を運転しないお年寄りや子どものためのものになっているのかもしれません。このように考えると、無料運航の渡船には、お年寄りと子どもを大切にする鳴門市政の姿勢が表れているのかもしれないと思いました。(I)

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アクティブラーニングについて思うこと

2016-11-01 22:29:32 | Weblog
 大学教育で使われ始めた「アクティブラーニング」という言葉が、小学校や中学校、高等学校でも飛び交うようになってきました。そもそも、アクティブラーニングとは何か? 文部科学省の用語集では次のように説明されています。

 教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。

 他のいくつかの説明や定義にも目を通しましたが、私には何が新しいのかさっぱりわかりません。このような教育は今の小学校であたりまえに実践されていますし、戦後の教育改革において目玉であった社会科は経験主義の立場であり、まさに、アクティブラーニングだったのです。さらに言えば、戦前の生活つづり方教育もアクティブラーニングととらえることも可能でしょう。
 気になるのは、次の学習指導要領におけるアクティブラーニングの導入の意味です。なぜ、文部科学省は、最近になって、小学校から大学までも含めた教育においてアクティブラーニングを強力に推進させようとしているのか、その意図をていねいに読み解く作業が求められていると思います。(S)

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「教育勅語」を暗唱させる幼稚園

2016-10-29 16:18:16 | Weblog
 信頼のおける友人から情報提供を受けました。教育勅語を暗唱させる幼稚園と同じ学校法人が経営する私立小学校「瑞穂の国記念小学院」が来春、大阪府豊中市で開校する運びとなっています。ちなみにこの小学校の名誉校長は安倍首相の妻、昭恵さんです。詳しくはこのテレビ東京の放映をご覧ください。(I)


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法律や条例による「家庭教育」への縛り

2016-10-24 23:53:48 | Weblog
 自民党は、来年の通常国会に「家庭教育支援法案」(仮称)の提出を予定しています。この法案については、本田由紀さん(東京大学)が、朝日新聞デジタルで次のように批判しています。

 法的な枠組みで、国が子どもに対する接し方など私的な部分に踏み込むようなことになれば、親子ともに自由や逃げ場がなくなりかねない。国は法制度で家庭に重圧をかけるのではなく、困窮した家庭を助け、子育てを社会で担うようにするという役割に徹するべきだ。

 この法案の理念に則った条例の1つに、くまもと家庭教育支援条例(平成25年4月1日から施行)があります。一読して思うのは次の2点です。
 1点、人の多様性を重視している私の立場からすると、家庭もいろいろあってよいのであり、理想的な1つの家庭像に縛られたくないと思いました。
 2点、子育ての自己責任論からの解放を重視している私の立場からすると、「保護者の役割」として「その子どもの教育について第一義的責任を有する」という文言には賛成しかねます。
 国や自治体は、安易に私的な領域である家庭に踏み込み、一定の価値観を押し付けることは避けるべきではないでしょうか。(S)

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懐かしの神戸

2016-10-08 09:34:56 | Weblog
 先日、神戸で開催された講演とシンポジウムに参加しました。終了後、JR神戸駅近くの会場から長田区方面に散策しました。
 私は、1990年4月から1995年3月まで、神戸市長田区にある通信制普通科高等学校に勤務していました。私はこの町が大好きで、時間があれば、あてもなくブラブラしていたものです。
 当時のことを思い出しながら、変わらない街並みに懐かしさを覚えたり、新しいお店に立ち寄ったりしながら、1時間以上、歩いていたと思います。終点は、長田神社の鳥居近くにある立ち飲み屋。長男が最近、開発したお店で、店内には、いかにもお酒好き、というような人たちでにぎわっていました。新しい店でありながら、すでに、地元の支持を得ているようにも感じました。
 この界隈を歩くといつも後悔するのは、長田商店街にあった大衆演劇場に一度も入らなかったことです。1995年1月の阪神・淡路大震災をきっかけにしてなくなったと記憶しているのですが……。
 幸い、私が今、住んでいる岡山には、徒歩で行けるところに大衆演劇場があります。機会をみつけて是非、足を運びたいと思います。ただ、気になるのは客層。8割以上が中年のおばさまがたなのです。踏み込むにはちょっと勇気がいるよなぁ。(S)

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スカイプによるテレビ電話会議

2016-09-28 08:23:23 | Weblog
 みなさんは「ボルドー」と言ったら、「あぁ、あそこね」とすぐにわかると思います。しかし、地理感覚が異様に乏しい私は、グーグルなどで調べなければなりません。ボルドーは、フランスの南西部に位置する都市で、ワインが有名なところだそうです。
 先日、参加した研究会で、スカイプによるテレビ電話会議を初体験しました。ボルドーにいる人とPC画面を通じて、予想以上に快適な議論ができました。時差もほとんど感じられません。不思議だー。地理だけなくIT機器にも異様に弱い私は、ただただ、感心するばかりでした。
 同時に、どこに行っても会議ができる環境というのは、便利であるというよりも、むしろ厄介なことだなぁというのが正直な感想です。(S)

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同質性の高い空間が居場所であった場合に抱く「異質性」

2016-09-02 12:34:49 | Weblog
2016年9月1日、西宮市の勤労青少年ホームで子ども人権部会がありました。今回は、部会に関わるメンバーが、それぞれの関心のあるテーマで報告を行いました。私は、Sさんとの共同研究で、今年度からスタートした科研費研究(研究課題:内集団・外集団によるインフォーマル重層的里親養育支援地域ネットワークに関する研究)のこと、その研究に至るまでの経緯として、これまでの科研費研究のまとめ(「児童養護施設退所後の自立困難軽減に向けた地域養護活動の可能性―旧・沢内村(現・西和賀町)における取りくみを事例として―」)についてお話させていただきました。
報告後の意見交換の際に、参加者の一人から次のような意見をもらいました。報告資料にある、児童養護施設退所者が抱く孤立感、「自らの人生の異質性への意識が、『自分のことをわかってくれる人はいない』『人は信用できない』といった思いをもたらし、孤立感を増幅させる」(全国社会福祉協議会2009:162)という思いと同様の思いをゼミ学生から聞いたことがあるとのことでした。その学生さんは、不登校を経験し、フリースクールで大学まで過ごしてきた人であるということでした。4年間の学生生活を通し、他の学生たちと一緒に食事をし、お酒を飲み、ゼミ旅行に行くというような学生生活を積み重ねる中で、卒業するときにはこのような異質性は抱かなくなっていたということです。
この学生さんのエピソードは、児童養護施設退所者であるかどうかにかかわらず、人は、多様性の少ない同質性の高い空間だけを居場所として長年過ごした場合に、内集団の居心地の良さとは裏腹に、外集団との壁がどんどん高くなってしまうということの表れではないでしょうか。だからこそ、同質性の高い空間を居場所にせざるを得ない、あるいはまたそのような空間を選んだ子どもは、この学生さんのように、外集団と思っていた人たちと一緒に、「あたりまえ」の暮らしを経験する必要があると感じました。
ただ、この学生さんが外集団と内集団の境界線を引き直すのに要したのと同じエネルギーでは、児童養護施設の子どもたちが、境界線を引き直すのは難しいかもしれないと思っています。それぐらいに異質性を感じざるを得ないのが社会的養護の下に置かれた子どもなのでしょう。(I)


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次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」を読んで(3)

2016-08-12 00:10:26 | Weblog
 昨日の続きです。「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」を読んで預かり保育について気づいたことを記します。(I)
 預かり保育については充実がはかられるとのことですが、「地域の人々との連携などチームとして取り組むことの例を示す」(65頁)と記されています。公立幼稚園の中には、預かり保育が自主的なとりくみとして行われており、そのため人的条件が整わない中で、教員が疲弊していたり、このような事態を避けるために、安価な時給で「介助員」「教育補助員」等に預かり保育を依頼するというような状況があります。現状を鑑みると、「地域の人々との連携などチームとして取り組む」ということが、後者のような形式を是としていく方向に動くのではないかと懸念されます。

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「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」を読んで(2)

2016-08-11 01:10:59 | Weblog
 昨日のブログでSさんが「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」を読んで記事を書かれています。私も「審議のまとめ」を読んで気づいた点を記します。(I)
 
 2005(平成27)年度より施行された「子ども・子育て支援新制度」において、これまでの「幼児教育」という文言ではなく、「幼児期の学校教育」という文言が登場しました。その時から、幼稚園が「学校教育化」していくことを懸念していましたが、今回の「次期学習指導要領に向けたこれまでの審議のまとめ(素案)」では、いよいよそれが現実のものになってきたことを強く感じています。
 今回の改訂は、①何ができるようになるか、②何を学ぶか、③どのように学ぶか、④子供の発達をどのように支援するか、⑤何が身に付いたか、⑥実施するために何が必要か、という6点を軸にしています。ここで提示された6点のうち、とりわけ「①何ができるようになるか」「⑤何が身に付いたか」という視点は、これまで教育の「ねらい」を「方向目標」として位置づけてきた幼児教育を根底から覆す議論につながると思います。できること、身に付くことに主眼がおかれるようになれば、幼児教育の世界に「到達目標」が持ち込まれることになり、育ちの個人差が大きい時期であるにもかかわらず、そのことが認められなくなることを強く懸念します。
 また、「5歳児修了時までに育ってほしい具体的な姿」として10項目(① 健康な心と体、②自立心、③ 協同性、④ 道徳性・規範意識の芽生え、⑤ 社会生活との関わり、⑥ 思考力の芽生え、⑦ 自然との関わり・生命尊重、⑧数量・図形、文字等への関心・感覚、⑨ 言葉による伝え合い、⑩ 豊かな感性と表現)が示されています。しかし、項目相互の関連性が見えてきません。項目内容の見直しも求めたいところですが、少なくとも「5歳児修了時までに育ってほしい具体的な姿」でとりあげる項目の関連性を示し、構造化されたものにしていく必要があると思います。 
 また、「『幼児期の終わりまでに育ってほしい姿』は、5歳児後半の評価の手立てともなるものであり、幼稚園等と小学校の教員が持つ5歳児修了時の姿が共有化されることにより、幼児教育と小学校教育との接続の一層の強化が図られることが期待できる」(62頁)とされています。「他の幼児との比較や一定の基準に対する達成度についての評定によって捉えるものでないことに留意する」(63頁)ということですが、「できる」こと、「身に付く」ことに主眼を置けば、「他の幼児との比較や一定の基準に対する達成度についての評定」は避けられないでしょう。「他の幼児との比較や一定の基準に対する達成度についての評定」が子どもに負の影響が及ぶことを危惧するのであれば、そもそも、「何ができる」「何が身に付く」というような視点そのものを問い直さなければならないと思います。
 

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