子ども文化総合研究所

乳幼児期から青年期までを含めた子どもの育ちをめぐるさまざまな話題を提供するブログです。

前提をどうするのか

2012-05-30 08:43:49 | Weblog
 原発をこのまま稼働させないと、今年の夏は、電力が〇〇キロ・ワット不足します。そのため、現状のままだと大変、困った事態となります。しかし、関電大飯原子力発電所3、4号機を再稼働させれば、電力不足がほぼ解消されます。

 以上のような論理は、そもそも、前提が間違っているように思います。原発から完全に手を切る。これが前提です。そして、そのために私たちは、何をしなければならないかについて考えるのです。生活の快適さを維持させるために原発に依存するのではなく、原発に依存しないようにするために生活の質を再考すべきなのです。そのさい、大切なのは、原発につながる仕事をしている人たちの生活を、いかにして保障するかも同時に議論することです。そうでないと、他者の犠牲の上に立っている原発と同じ轍を踏むことになると考えるからです。(S)
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『虹のたつ峰をこえて』(新開ゆり子、アリス館牧新社、1975年)を読みました。

2012-05-29 18:47:11 | Weblog
 先日、新開ゆり子さんの『虹のたつ峰をこえて』(アリス館牧新社、1975年)を読みました。相馬にこのような歴史があったことを、私はまったく知りませんでした。『虹のたつ峰をこえて』の「語りはじめに」を引用しておきます。

 これは、今から百六十年もむかしの事、天明の大ききんで、その農民の大半を死なせた奥州の大地は、耕すべき人の影すらもなかった。その時、越中のお寺に生まれた少年二人が、相馬(福島県)中村藩からたのまれ、北陸の農民千八百家族を移住させるために立ち上がった。
 文化十年(一八一三)二月末、第一陣二十七名は、虹のたつ山の峰をこえて、三百里の相馬へと旅立つのであった。

 北陸から相馬に移ってきた百姓たちは、親鸞聖人の教えを信じる浄土真宗の人たちでした。彼や彼女たちは、それはもう一生懸命、働きました。そして少しずつ豊かになっていきました。ところがそのことで、相馬に元々、住んでいた村人たちから反感も買うようになりました。移住によって相馬が豊かになったという美談に終始せず、いわば影の部分も記しているため、かえって、奥行きのある物語となったように思います。また、その土地の語り口を生かした文体も大いに楽しむことができました。
 浄土真宗の人たちは、北陸の地から相馬に移り住みました。そして、彼や彼女たちの末裔は、その後、3・11を経験することになったのです。160年前の相馬の人たちが、津波という天災に加えて原発事故という人災までも経験することになろうとは、思いもよらなかったことでしょう。(S)
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とても親切な「意地悪」

2012-05-28 00:00:35 | Weblog
 通勤でいつも利用する新快速、向かい合わせに座る4人がけの座席に座りました。私以外の若い男性3人は友だち同士。結構、話しがはずんでいました。やがてコンビニの袋に入ったサンドイッチやおにぎり、ジュースを取り出して飲食が始まりました。
 賑やかな3人に囲まれて、なぜここに座ってしまったのかと少し後悔していたら、3人の降車駅に到着したようです。彼らは出口にむかって移動を始めました。
 彼らが座っていた座席にふと目をむけると、ゴミだけが入っていると思われるコンビニの袋がそこに置きっぱなしになっているではありませんか! そこで私は、彼らを呼び止めて、「忘れ物ですよ」と「優しく」親切に声をかけさせていただきました。結果は……彼らはゴミを手にして電車から降りていきました。(I)
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家族なら愛し合うことができるのか

2012-05-27 00:00:47 | Weblog
 昨日の続きです。家族であるという理由で、人は愛し合うことができるのでしょうか。妊婦健診未受診妊産婦の実態調査や次のような事実から、私は、家族であっても愛し合うことができない親子関係もあるのではないかと考えています。Iさんが2011年11月21日に書かれたブログから一部、引用しておきます。

 2006年度―88人、2007年度―151人、2008年度―149人というのは、何を表しているかわかりますか?
これらは、2007年度と2008年度の厚生労働省調査による全国の遺棄児童数です。「遺棄児童」数というのは「棄児」数と、「置き去り児童」数を合わせた数です。
 「棄児」というのは、病院等の玄関先、敷地内、路上等に遺棄された児童であって、保護された時に親が分からない者と定義されています。また「置き去り児童」というのは、親が判明しており、親が監護を放棄して、家庭の内外(産科、知人宅、自宅など)に放置した児童と定義されています。
 各年度の「棄児」数と「置き去り児童」数の内訳は次のとおりです。2006年度―棄児:27人・置き去り児童:61人、2007年度―棄児:55人・置き去り児童:96人、2008年度―棄児:49人・置き去り児童―100人。

 もちろん、例外があることは認めますが、わが子の養育を放棄し遺棄した親が、子どもを愛するようになる可能性はきわめて低いと言わざるを得ないでしょう。しかし、だからといって私は、そのような親を責めているのではありません。わが子の養育を放棄し遺棄するような親は、おそらく、それに近い成育歴を有しているに違いないからです。
 家族は、愛という緊密な人間関係であるからこそ、一方が他方を縛り付けるような事態を生じさせる可能性があります。同時に家族は、家族であっても愛し合う関係が存在せず、一方が他方をモノのように取り扱う事態を生じさせる可能性もあります。いずれにせよ、最後のまとめは昨日とほとんど変わりません。すなわち、家族について考えるとき、現実に存在する、個別具体的な家族の姿から出発した議論が大切であるということです。(S)
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家族愛について考える

2012-05-26 00:39:26 | Weblog
 先日、岡山市民劇場の2012年5月の例会として、加藤健一事務所の「川を越えて、森を抜けて」を観劇しました。今回、私がこのブログで書こうと思っているのは、私が観た舞台についてのあれこれではなく、この作品のテーマについてです。もう少し正確に言うと、この作品のテーマの受けとめられた方についてです。舞台の出来に関して何ら不満はありません。そのことは最初に述べておきたいと思います。なお、ストーリー等については、加藤健一事務所のこのサイトをご覧ください。
 「家族の絆や思いやりの心をあたたかく描いたハートウォーミング・コメディ」(チラシより引用)というキャッチコピーからも容易に想像できるように、「川を越えて、森を抜けて」のテーマは家族愛となっています。事実であるかどうかは別にして、近年、家族愛が希薄になった、家族の絆が弱くなったと嘆くような言説がマスコミ等で大流行りです。そのような下地があるから、「家族っていいよね」とか「本来、家族ってあたたかいものだよね」というようなメッセージが多くの人の心に響くのです。しかも「川を越えて、森を抜けて」では、そのようなメッセージがコメディタッチで描かれるため、押しつけがましさは極力、軽減され、より受け入れやすくなっています。
 ところが実際には、「川を越えて、森を抜けて」の家族像は、あくまでも、イメージの産物であることを忘れてはなりません。この作品で描かれているような「理想的」な家族像が一人歩きし始めると、それが家族の規範となり、人びとを縛り付けるような事態を引き起こしかねません。家族について考えるとき、現実に存在する、個別具体的な家族の姿から出発した議論が大切であると思います。(S)
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Hi Hiの漫才

2012-05-23 23:53:49 | Weblog
 初めてサンドウィッチマンの漫才をYou Tubeでみたとき、おもしろいだけでなく、漫才としての完成度の高さに驚きました。M1グランプリ2007決勝ファーストラウンドで、審査員のオール巨人さんが「完璧に近い」とおっしゃったのもうなづけます。
 おもしろいだけでなく、漫才としての完成度が高いという点は、Hi Hiの漫才にもあてはまるように思います。「思いつき漫才」というスタイルの斬新さにだけ目が奪われないようにしましょう。練りに練られたネタは天下一品です。横になる前にもう一度、Hi Hiの漫才をみるぞ。(S)
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映画「ベニスに死す」

2012-05-21 20:44:19 | Weblog
 先日、シネマ・クレールで映画「ベニスに死す」を観ました。言わずと知れたルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作です。以前、観た記憶があるので、今回が2回目か3回目でしょう。でも、おそらく私は、以前、観たときは何もわかっていなかったのだと思います。
 美少年のタジオが去った日、作曲家のアシェンバッハは、人気のなくなった浜辺で、病に冒された体を長椅子に任せ静かに息を引き取りました。残酷でありながら、至福の瞬間であったことが暗示される微かな笑みは、一体、何を意味するのでしょうか。たとえば、あまりにも有名なこのラストシーンは、経験を経るごとに解釈も異なっていくに違いありません。
 もう一度、劇場のスクリーンで「ベニスに死す」に会える機会があることを祈っています。そのとき私は、この映画にどのような思いを抱くのか。自分のことながら興味津々です。(S)
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「いのちの序列化」があってはならない

2012-05-20 23:59:43 | Weblog
 2012年5月20日、全国大学人権教育交流会主催による講演会が大阪で開催されました。テーマは「原子力発電所問題について考える―原発労働の現場から―」です。講演会では2人の方がお話されました。1人は、元原発労働者で「原発労災給付不支給処分取り消し」裁判原告の梅田隆亮さん、もう1人は、「原発労働裁判・梅田さんを支える会」共同代表の木村公一さんです。梅田さんは、1979年に、中国電力の島根原発、関西電力の敦賀原発の原発点検作業に従事されていました。木村さんは、福岡国際教会牧師、西南学院大学神学部非常勤講師、そして核・ウラン兵器廃絶キャンペーン福岡共同代表もつとめておられます。
 2人のお話をお聞きして、私は重いハンマーで頭をなぐられたような気がしました。原発労働者についてあまりにも無知であった自分に愕然としました。お伝えしたい話はいろいろありますが、講演会の最後に木村さんがおっしゃったことを1つだけ紹介します。木村さんは次のような話をされました。
 原発のストレステストにはいろいろな項目が並んでいる。しかしその項目に原発労働者の安全確認という項目はない。本当に原発が安全であるといえるのは、原発労働者の安全も確保されたときである。私たちがストレステストに原発労働者の安全確認を入れて欲しいと訴えても、そのような項目は絶対に組み込まれることはないであろう。なぜ、組み込まないのかと、原発を推進する政府や企業側に説明を求めても、かれらは絶対に応えられないはずだ。なぜなら彼らが、原発労働者の安全確認を無視できるのは、生命(いのち)に序列があることを当然と考えているからである。かれらにとっては、被曝して死に至らしめてもよい生命と、被曝してはいけない生命があるのだ。
 私は、この講演会に参加するまで、原発が安全であるかどうかを原発労働者の生命の問題から考えたことがありませんでした。自分の愚かさが恥ずかしく、そして言いようのないくやしくさを覚えました。フクシマのような事故が起こらなくても、ずっと原発は安全ではなかったです。原発安全神話は、まさに神話であり、原発が安全であるなんてまるで嘘っぱちだったんだと思いました。
 講演会のあと、木村さんや梅田さんとお話したかったのですが、いろいろな方とお話されていて、私はお声をかけることができませんでした。この場を借りて、木村さん、梅田さんへのお礼を申し上げるとともに、梅田さんにお伝えしたかった言葉を記します。「梅田さん、どうか長生きしてください」。(I)
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「言葉を失う経験」の向こう側

2012-05-18 12:42:10 | Weblog
 かつて私は、自分を圧倒するような感動を経験しても、それを記述することは不可能ではないか、という趣旨で次のような文章を書きました。

 いったい、圧倒的なあの感動(ここでは映画のこと:引用者)をどんな言葉に置き換えればよいのか。文字にしたその瞬間に、私の思いはリアリティを失ってしまう。(「感想文」教育解放研究会『学校のモノ語り』東方出版)

 つまり、感動をめぐる正確な記述は無理だと、努力する前に白旗を掲げていたのです。
 先日、佐野眞一さんの次のような談話を読みました。朝日新聞(2012年5月3日)からの引用です。

 かつて新聞は社会の「窓」だったが、今は「壁」になってしまっている。そこを乗り越えるのは徹底した現場主義しかない。大事なことは、記者が現場で「言葉を失う経験」を積むことだ。壮絶な場面、それは震災の被災地でも火事現場でもいい。それを目の当たりにした記者が言葉を失っても何か伝えようという意思を持たなければ、読者を感動させる言葉は生まれてこない。

 一読して、自分の安易さが恥ずかしくなりました。言葉を失っても何か伝えようという意思。とても大切なことを学ぶことができたように思います。(S)
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ベン・シャーンの回顧展

2012-05-15 22:26:43 | Weblog
 先日、岡山県立美術館でベン・シャーンの回顧展「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」をみてきました。「ドレフュス事件」などを主題として描く社会派の画家として出発したシャーンは、1954年の核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにした連作絵画「ラッキードラゴン」を描きました。そしてその延長線に、絵本『ここが家だ――ベン・シャーンの第五福竜丸』( 絵:ベン・シャーン、構成・文:アーサー・ビナード、集英社。2006年)が位置づいています。同絵本は、次のような文章で終わっています。

 わすれたころにまたドドドーン!
 みんなの 家に放射能の 雨がふる。
 どうして わすれられようか。
 畑は おぼえている。
 波も うちよせて おぼえている。
 ひとびとも わすれやしない。

 しかし実際には、一部の人を除いて、私たちは3・11を迎えるまで忘れていたのです。今度こそ私たちは、フクシマのことを、怒りをもって記憶し続けなければなりません。そして語り継いでいけねばなりません。それが私たちの責務であるように思います。(S)
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