yamanba's blog

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「小川内の杉」移植

2016-03-03 10:59:44 | 五ケ山ダム

いよいよ「小川内の杉」の移植がはじまった。報道で一報を知り、すぐさま現地へ向かった。世界的にも前例のない巨大杉の移植に関心が高まっているようで、現地が見下ろせる高台には様子を窺う人や地元の人の姿があった。(先月の移設作業発表を見逃していた)

「小川内の杉」は、佐賀県指定天然記念物で、樹齢は推定700年~800年、樹高39メートル、根回り13.4メートル、根元が3本くっついていることから別名親子杉と呼ばれ、長年地元の人たちに親しまれてきたご神木である。福岡県が進める五ヶ山ダム建設によって水没の危機に瀕していたところ、地元住民の強い要望もあって、平成25年3月、佐賀県文化保護審議会において移植保存が決定した。同年4月、福岡県が提案した移植方法が許可され、県は移植に向けて準備を進めていた。そして、この程(2月24日)移植を開始した。

作業初日。鉄枠で囲んだ「小川内の杉」を土ごと1メートル引き上げる予定だったが、地面が固く剥がれなかったため4センチ上げたところで中断。(移設作業状況・その1五ヶ山ダム建設事務所の担当者は「これまで前例がない移植だけに細心の注意を払っている。地面の状況を調べ、樹木医に意見を聞いて対策を考え、移設作業を本格化させたい」とコメントしている。700年以上もその場所で生きてきたものを剥がそうとしているのだから、無理もない。木は嫌がっているのだ。

そもそもダムは必要なのか。福岡県は昭和53年の福岡市大渇水をダム建設の第一理由として掲げていた。それを受け、福岡市は異常渇水から市民を守る必要があるとして、市民の意見を十分に聞くこともせず、昭和63年、五ヶ山ダム事業を採択した。殆どの福岡市民が知らないところで”事”は進んでいた。しかし、用地買収に15年もの年月を要していることから、地元のダム建設反対は根強かったものと思われる。この時点で、福岡市民(私自身)が動かなかったことが悔やまれてならない。

本当に水は足りていないのか。以前、「五ヶ山ダム事業」でも述べているが、福岡市では平成17年から海水淡水化事業を開始し、配水技術の向上や節水の徹底などによって、現在約70万m³/日の供給能力を持つ程になった。需要は約40万m³/日とされているから、水は十分足りている。(参照:福岡市水道事業統計年報)その証拠に、福岡市は「五ヶ山ダム建設事業について」で、当初は「10年に1度の規模の渇水」と言っていたものを、「10年に1度以上の規模の渇水」のためと言い変えている。一方、治水面についても、平成11年6月29日に発生した浸水被害を受け、福岡市では浸水対策レインボープランを展開しており、その心配はないと言っている。

五ヶ山ダムは不要だった。様々な資料を検証していくと、ダム建設に掲げられた理由や根拠は早い段階で崩れていたことがわかる。何よりダム本体工事の着手まで34年もの年月が掛かっていることが、それを証明している。それ故、事業を覆すチャンスはいくらでもあった。議会は一体何をしていたのか。なぜ福岡市で反対運動が起きなかったのか。(承知していないだけかもしれないが)。それはこの五ヶ山が、福岡市民にあまり馴染みがなかったからではないだろうか。今尚、ダムがつくられていることを知らない人も多いのではないだろうか。どれだけの自然が失われたか。

私にとって心の故郷「五ヶ山・小川内」。十数年前までは自然と共に人の暮らしがあった。脊振山から流れ出る水でつくったうどんは美味だった。地元の猟師さんがとってきたイノシシの料理も最高だった。それが今では森も小川も人も消えてしまい、かつての面影はなくなった。鉄枠に囲まれ、痛々しい姿の「小川内の杉」を見つめながら、こうなる前にとの思いがひしひしとこみ上げてきた。今となっては移植が上手くいくことを願うしかない。生き続けてくれることを願うしか。

 

 

 

鉄枠に囲まれた「小川内の杉」 移植のため枝が削ぎ落とされていた

 

 

 

 

 

8億円の税金を投入してつくられた移植用の設備

 

 

 

 

 

土台部分、車と比較してどれほど大きいかがわかる  写真手前、分離型架台に載せられて移動する

 

 

 

 

 

 上部設備 ここまで運ばれる

 

 

 

 

 

作業中断でケーブルの点検か

 

 

 

 

 

 CGのように簡単ではない

 

 

 

 

 

ここに小川内集落があった 先に移転した山祗神社が見える(写真左上)

 

 

 

 

 

かつての清流は無残な姿に

 

 

 かつては(画像をクリックすると大きくなります)

 

 

 

人の暮らした跡が

 

 

 

  

 

小川内地区の看板 ここから先は入れない

 

 

 

 

 

脊振方面へ続く道は行き止まり(ケーブル上部設備) 

 

 

 

 

 

かつての森も消えて 

 

 

 

  かつては(画像をクリックすると大きくなります)

 

 

 

 

 

生きて 

 

 

 4年前(画像をクリックすると大きくなります)

 

  

不要の産物 堤体はほぼ完成していた(平成28年2月28日撮影)

 

 

 

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・巨大ご神木4センチふわり ダム建設で移植へ、吉野ケ里町 (西日本新聞)

・指定天然記念物「小川内の杉」移植開始(佐賀新聞)

 

 



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