十年一昔と言われますが早いものです。
いつもながら今の話ができないので、昔話です。
定年まで十年余りを残した頃、塾の進み方が私の考え
る方向と違うように思え勤めを辞める事にしました。
勤め先が経営方針を大転換させたのです。
退職はたいへん不安でしたがマニュアル中心になった
塾で仕事をするよりもリスクが大きくとも本当に必要
とされる塾を、と考えたのです。
私が一番に飛び出し、次々とやめる人が続き
人間の体に例えれば血液型が変わってしまったような
変化がおきたようです。
(歌舞伎役者か?)
◎
飛び立った巣のその後も気にはなります。
基本的に喧嘩別れではなかったから。
でも自分の足元をしっかりとできるかどうかが先。
飛び出した人間が当塾の比較的近くで開業しました。
チャンスとばかり近づきましたね。
まったくバッティングしない塾でしたから向こうも気
が張らなくてよいと思ったのです。
適宜連絡をとろうという諒解はすぐにつきました。
そこでお願い
「お互いの悪い評判があれば伝え合いましょう」と。
良い話なら他からも入るでしょう。
悪いのはそうはいきません。
悪いことを伝えあえられる関係が出来ればよいと
本気で考えていました。
いまならムリムリと気づきますけれども。
小さな所には悪いウワサは届いてきません。
大きな組織では隙間風のようにどこからともなく
伝わり、センサーさえ張っていればよいのです。
責任者には言いづらくとも若手には文句をいう
なんてよくありますよね。
また情報量の違いも大きいものです。
話は横道にそれますが、小さなところのクチコミが
なかなか広がらないのも情報量の少なさゆえ。
時間がかかるワケです。
○
(もくろみ)は悪くなかったかもしれませんが
実現は難しいものでした。
これほどとは思いませんでしたね。
ささいなことでも言えません。
些細なことだから言えない、何だそんなことまで
というのもありますよね。
向こうには大きな問題はありませんでしたから
私から申し上げることはなかったのですが
もし万一あったとしてと思うと・・・
言えませんよね。
年寄り風を吹かせて、鼻持ちならない言動に
なるオソレが大です。
あるいは「オタクはよろしいですねえ」なんて
根拠のないイヤミを言われるかもしれないでしょ。
いくら気心が知れていても組織が違えばリスクを
越えて言えるものではありません。
関係修復のチャンスが少ないのです。
いつもながら今の話ができないので、昔話です。
定年まで十年余りを残した頃、塾の進み方が私の考え
る方向と違うように思え勤めを辞める事にしました。
勤め先が経営方針を大転換させたのです。
退職はたいへん不安でしたがマニュアル中心になった
塾で仕事をするよりもリスクが大きくとも本当に必要
とされる塾を、と考えたのです。
私が一番に飛び出し、次々とやめる人が続き
人間の体に例えれば血液型が変わってしまったような
変化がおきたようです。
(歌舞伎役者か?)
◎
飛び立った巣のその後も気にはなります。
基本的に喧嘩別れではなかったから。
でも自分の足元をしっかりとできるかどうかが先。
飛び出した人間が当塾の比較的近くで開業しました。
チャンスとばかり近づきましたね。
まったくバッティングしない塾でしたから向こうも気
が張らなくてよいと思ったのです。
適宜連絡をとろうという諒解はすぐにつきました。
そこでお願い
「お互いの悪い評判があれば伝え合いましょう」と。
良い話なら他からも入るでしょう。
悪いのはそうはいきません。
悪いことを伝えあえられる関係が出来ればよいと
本気で考えていました。
いまならムリムリと気づきますけれども。
小さな所には悪いウワサは届いてきません。
大きな組織では隙間風のようにどこからともなく
伝わり、センサーさえ張っていればよいのです。
責任者には言いづらくとも若手には文句をいう
なんてよくありますよね。
また情報量の違いも大きいものです。
話は横道にそれますが、小さなところのクチコミが
なかなか広がらないのも情報量の少なさゆえ。
時間がかかるワケです。
○
(もくろみ)は悪くなかったかもしれませんが
実現は難しいものでした。
これほどとは思いませんでしたね。
ささいなことでも言えません。
些細なことだから言えない、何だそんなことまで
というのもありますよね。
向こうには大きな問題はありませんでしたから
私から申し上げることはなかったのですが
もし万一あったとしてと思うと・・・
言えませんよね。
年寄り風を吹かせて、鼻持ちならない言動に
なるオソレが大です。
あるいは「オタクはよろしいですねえ」なんて
根拠のないイヤミを言われるかもしれないでしょ。
いくら気心が知れていても組織が違えばリスクを
越えて言えるものではありません。
関係修復のチャンスが少ないのです。
現在、Y塾に息子が通っております。
Y塾のホームページを探していて、偶然迷い込みました。
世間は狭いもので、Y塾に勤務されていた方の奥様と一緒に働いたり、このブログに迷い込んだりしましたのに、塾はなくなってしまいます。
小学3年生の時、小学校の先生に勧められてY塾に通い始めました。
色んな方針がある塾ですが、息子は、いろんな問題やいろんなとき方を学び、とても楽しそうに通っています。
中学受験は、親がかかわらなければならないとよく聞きますが、今のところ、自分で宿題もして、サッカーと両立して頑張っています。
塾も引き続き、T塾でY塾のカリキュラムで教えていただく予定にしています。
けれど、Y塾をやめられた講師の先生方は、みんな口をそろえて、Y塾をよく言わないので親としては不安になります。
そんなにY塾は、よくないのでしょうか?
私は、親の立場からは、子供も楽しそうだし、懇談会でも厳しいことを言ってくださるし、感謝しているのですが・・・・。
ほかの塾を知らないのでなんとも言えませんが、1年間充実していたように感じるのですが。
親の私が分かってないのでしょうか?
すみません。
塾の先生なので内情をよく御存じなのかと図々しく聞いてしまいました。
潰れたから悪いとばかりも言えませんし生き残った処がしかるべき理由があるかどうかも分かりませんよね。
生徒数や成績が伸びている塾だから良い、全国展開だからよい、などという簡単な理由では塾の善し悪しはわからないものだと思います。
もちろんそんな塾は皆悪いなどという話でもありません。
人間も塾も神様のような完璧は望めませんから。
塾と生徒の関係は、相性が一番大切だと思います。
本人がさしたる問題もなく通っておられるようですから、とりあえず続けられても構わないのではないでしょうか。塾は良くなければ直ぐやめればよいのです。
自分のために利用するのが塾ですからご家庭でご覧になって怪しいとなると再検討されますよう。
塾に頼りきりだけはよろしくないでしょう。
とても参考になりました。
最後の「塾に頼り切りだけはよろしくないでしょう。」という言葉が、特に参考になりました。
反省すべき、考え直すべき点が、よくわかりました。
ありがとうございました。
色々、申し上げるべきこともあろうかと思うのですが、なかなか難しいものです。
カリキュラムとかシラバスというものは概ねどこでも目標が似ていれば具体論も似てくるはずです。ただそれらを実現する教員そして生徒が本当に生きたことをできているかどうかは現場を細かくチェックしないと分らない処も多いでしょう。
それが「相性」にも繋がるので、とあるアルバイトの大学生は偏差値が高くない学校でしたが一部の生徒にとても嵌まっていたのを思い出します。また反対に評判の良い先生に対してどうにも相性が悪い生徒もいました。
さて、生意気に「塾任せ」ウンヌンと申し上げました。先の塾でもときたま「信頼しているので塾任せ」というお言葉を頂く場合がありました。けれどもうまく行かないことも。
教育権は親にありますから塾とか学校とか専門の知識では任せねばならぬ処があるとしても最終的な子供へのまなざしはしっかりとしてあげてください。(口はばったくて失礼ですがお許し下さい)少しだけの目配りで塾や先生との相性は見えてくると思います。
もう少し大きくなると煙たがってそれも難しいことにはなるのですが。
私たち夫婦は、中学受験も進学塾も知りません。
だから、進められた塾に通わせ、塾任せでした。
正直、今もそうです。
国語の回答は、もう既に完璧には答えれません。
ただ、以前より、夫婦ともども息子がどんなことを学んでいるのかということに、興味を示したり、一緒に考えたりするようになってきました。
小学校では、問題ないといわれている息子の問題を指摘され、考えさせられることもたくさんありました。
もうすっかり大人のように接してしまっていた息子を、時には、甘やかせることも学びました。
息子も小学校とは違う楽しさを感じて通っているようです。
塾へは、私自身は、この1年間で3回、訪れただけなので、子どもにあっているかどうかは、わかりません。
他の塾でも今のように感じていたかも知れません。
ただ、やはりどこの塾の先生も、すごいなあと感じています。
中学受験を抜きにしてもこうして塾に通わせたことは、我が家には、いい経験になったようです。
小学校では学べない学問の楽しさが、塾にはあるのだろうなと、思っています。
今日のブログのぢとじの違いも小学校では、深く学べません。
子どもがうらやましいです。
少子化の影響もあり、Y塾はなくなりますが、このように学べる場所が、消えていくのは、悲しいですね。
また、ブログ拝見させていただきます。
ありがとうございました。