米朝・功罪

2015-04-11 17:59:18 | 塾あれこれ
「功罪」とは大袈裟ですが。

先日、桂米朝さんが亡くなられました。
お高齢とはいえ残念です。

もちろん何度も高座をうかがい強い印象があります。
現代の数少ない名人でしたね。


私はどうしても志ん朝を思い浮かべます。

二人とも理知的で、演出をきちんとされ、笑いも多いが
中に引き込ませる噺もまた素晴らしい。
現代に古典を生かす腕もさすがでしたね。

ただ、お叱りを受けるかもしれませんが、個人的には
志ん朝のほうが好きでした。

一つには関西で米朝を聞いていないという点もあるかとは
思います。

実は米朝さんの体質も江戸落語向きではなかったか?

上方落語にある、こてこて、べたべたな部分は
知性の米朝にはきついものがあったのではないでしょうか。

客にもコテコテ文化があれば乗ってくれるとは思いますが。


落語を現代の営業的に成り立たせるための力も
米朝さんは発揮されました。

ホールで沢山の客を集める落語です。

これで落語が生き返ったのです。
漫才の添え物からも抜け出せました。

ただし噺が変質します。

お互いのやり取りがあってこそ成りたつのが「はなし」

ホール落語は演劇風な世界に近づきます。
大事なものが抜け落ちちゃった。

志ん朝も同じことが言えました。
本当の古典の世界がホール落語で可能か?
亡くなる前のある種のスランプは、そのままの志ん朝では
八代目文楽や円生という目標に届かないと思えたからでしょう。

本当の大物と並ぶとどこかひ弱でした。
兄の馬生にすら及ばないのです。
独演会の輝きが出ません。

彦六の若いころ、彼にマキざっぽで追いかけられた、
どこかにそれが抜けないで残っていたのでは?


米朝の上方らしくなさ、
それも理知が邪魔をしていたのかもしれません。

米朝ワールドだから、それは良い、のかもしれないけれど。


私の好きな八代目正蔵のような、小屋掛けで聴く
昔ながらの噺は、もう消えてしまっているんでしょうね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿