不人気

2016-10-28 18:26:40 | 塾あれこれ
時折にしか書きませんので読みづらいと思います。
お許しください。

山口塾のあった時代。

中学部が設立され実際の運用は任されたものの
人事権など大事な部分は塾長にありました。

そのほうが気楽と思っていました。

ただ、下に配属された人からは私は「よく分からない
けれど威張ってあれこればかり言う奴だ」というふうに
思われていたようです。

後に私を除く全員から総スカンを喰らい
私は塾長に「申し訳ありません。塾を辞めます」と
もともとやりたくない面もあったので
急な話ではあれ「えいやっ」と思い切れました。

つるしあげの場に行く前に私へ直接、意見を言う
ことなど誰からもありませんでした。

よほど不人気だったのですね。
直接塾長に話を持って行った。

しかし、なぜ直接話せないのか今でも疑問です。


ともかく「そんななら辞める」という私に
塾長は「辞められては困る」

当たり前です。
中学部の基本設計は私がやり、
難関校受験のノウハウも私が持っていたのです。

で、結局難関受験のクラスを作って私はそこに
机を置く、ということにしました。
ならばお嫌いな私の姿を見なくて済むでしょう。

受験クラス=3Aのシステムは旨く行きました。
受験では一人の人間が担当するのが一番です。

私は何で、苦労して成績を上げ元の部下連中にも
果実をやるのか、複雑な気持ちでした。

「お前らそれで大人かい」と思いましたね。

でも生徒の為、塾のためには良い方法です。
何でもないときに私から言い出していたら
感情的な受け止め方をされていたでしょう。

しかし、何年か経つと塾内にはこんな噂が。
「井上は威張ってるが成績の良い子を
 集めてりゃ誰だってできるんだよ」
イイトコドリだというのです。

裏切られた連中にも利益があるように
人一倍頑張ってたのに。

何年かで辞めることを内心決めました。

ふいに辞めては人としていかがか、と
思えましたからね。
伝えられるものは伝えよう、と。

辞める時は、もうスカスカでした。
情けない退却戦でしたから。

送別会?
中学部からは申し出はありませんでした。

塾に入れて頂いたころの先輩たちが
居酒屋で開いてくれた一回きりです。

人には、信じられない者もいると
嫌な現実を見せられた思いがします。


私が辞めてほぼ一年後、アイルの事件が
起きます。

山口塾の下降の始まりです。

外から見ていて哀しくはありませんでした。
シンドイだろうな、と思うだけです。

次に繋がる撤退戦が戦えていないように
思えましたね。
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