石造美術紀行

石造美術の探訪記

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2008-06-15 23:58:20 | お知らせ

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滋賀県 高島市安曇川町横江 地蔵堂(旧崇禅寺)石造宝塔は今どこへ?

2008-06-15 23:53:36 | 宝塔・多宝塔

滋賀県 高島市安曇川町横江 地蔵堂(旧崇禅寺)石造宝塔は今どこへ?

先頃、高島市安曇川町横江の布留神社の石造宝塔を紹介しましたが、同じ横江にもう一基、石造宝塔があったとの情報があります。昭和49年発行の近江史跡会編『近江文化財全集』下巻334ページに旧崇禅寺石造宝塔(横江地蔵堂所在)として写真が載っているのがそれです。写真だけなので「崇禅寺」という寺院のこと、法量や材質など詳細は不詳ですが、竹薮を背景に立派な宝塔が写っています。隣には近世の墓標が少し写っています。基礎側面の様子は不詳、比較的低そうな感じ。背の高い塔身は首部と一石よりなり、框座はなく、樽形の軸部には舟形光背に彫りくぼめ半肉彫り坐像が見えます。笠は全体に扁平で軒はあまり厚くなく反りも穏やかな印象。斗拱部の段形が一段見えます。相輪は九輪の大部分が残っており、上請花と宝珠が欠損しているようです。写真だけではハッキリしませんが、鎌倉後期でも早い頃のものと見受けられます。昭和59年の『安曇川町史』にも布留神社塔とともに名前が出るだけですがわずかに記述があります。しかし、残欠を除けばかなり悉皆的な調査記録でもある平成5年の滋賀県教委編の『滋賀県石造建造物調査報告書』には記載がありません。横江の集落中程にある地蔵堂に行きました。無住で地元で管理されているようなお堂があり、よく手入れされた境内は写真にあった竹薮やお墓があるようなシチュエーションではなく、近世の大きい宝篋印塔と若干の中世石造物の残欠があるだけで石造宝塔はありませんでした。思い切って地蔵堂横で畑仕事をされていた地元のお婆さんに尋ねましたが「よく知らない」とのことで要領を得ません。別の場所に運ばれたのでしょうか?万一散逸したとすれば遺憾の極みです。どなたか安曇川町横江の地蔵堂にあったという石造宝塔の行方をご存知ではないでしょうか?