BBの覚醒記録。無知から来る親中親韓から離脱、日本人としての目覚めの記録。

日本が普通に好き。 右も左も興味ない是々非々主義です。

皇后陛下の「工作」

2015-05-02 | 東宮雅子妃問題

皇后陛下の「A級戦犯」発言、憲法護持発言、五日市憲法賞賛論、元GHQメンバーへの
賛同コメント、慰安婦問題への言及、ヘイトスピーチ批判、九条の会関連作曲家追悼に静養中の身でわざわざ遠路お出かけ、そして東宮夫妻への異常な放置、どころか擁護などのいぶかしさに対して、さまざまな説が出ています。それらの代表的意見をコメ欄から拾ってみました。

事象を重ね考察した上での推論であり、「仮説」に過ぎません。考察のよすがとしての。断定ではありません。以下、コメ欄より。(読者の便宜のために要点を青文字にしました)

皇后陛下の出自を記した、被差別エリア出身の

ルポライターは、皇后貶めのための筆致ではなく、

むしろ今上の選択と、皇室の英断を讃える書き方だし

事実だと私は思っています。

となると同じ「仲間」である雅子妃への異常なほどのかばい方も納得出来ます。

一見柔和なように見えて、意地の強い皇室伝統への歯向かい方も。昭和大帝のお話中すら、頑として頭を一定以上には下げない。自らの代になってからは現金なくらい、すっぱり低頭を止めています。

 

となると、仮説としてのGHQの関与も具体性を帯びてきます。

 

つまり皇室弱体化を狙うGHQは、最初から平民から選ぶことを決めていた、と。だとすれば、何の反対もなく、唐突な平民妃の登場も理屈は通るわけです。

あたかも事後法のように、当たり前になっていますが平民出のお妃など、長い皇室史を揺るがすほどの大事件です、国民にとっても。それが風のようにスーッと既成事実となってしまった不思議。

まだ当時残っていたGHQの影響を考えればその不思議にも説明はつきます。

 

平民プラス、カトリックの家族背景(祖父母の代からなので、筋金入りです)と、その思想。幼少期からカトリックなら、天皇がこの世の最大の価値ではないと、刷り込まれます。そしておまけに、出自が事実であるとしたら、これほどうってつけの皇室の伝統破壊者はいないわけです

加えて、国民が納得するだけのご家庭と、美貌、学歴もある。学力自体は世間思われているほどの学校レベルではありませんが、まあ当時の女子の名門ですから。

言葉の感性は優れているので、「振る舞う」能力もある・・・・。 略

実家の母、冨美子さんの言葉「あちら(皇室)とのストラグル」などという言葉は「普通の家」の奥さんからは出て来ません。「天皇陛下を最もお偉い方だという教育はしておりません」という発言も。

GHQにしたら満点の妃候補です。

 

そして、小泉信三を使ってテニスコートに呼び寄せ、後は筋書き通りなのは、雅子妃の場合の皇太子の出会いが人工的に用意されたのと同じやり方です。

 

以上の仮説を据えると、当時入内に動いたメインの3人が小泉信三をはじめとして、全員クリスチャンであったという不自然さにも、説明がつきます。

 

もともと、正田家の美智子嬢に目をつけ、テニスコートでの出会いを仕組んだのは小泉信三ですが、その背後にある勢力をふと考えてしまうのです。

 

それと、平民出で皇室の血が薄まったはずなのに、皇太子、愛子さまとレレレが続けて誕生するのも解ります。そちらの出自なら、これはこれで血が濃いのですから。言ってみれば濃い者同志の結合だったわけです。

 

皇后陛下の出自は断定は出来ませんが、著者が貶めで書いているわけではなくむしろその逆、そして宮内庁が何も抗議してないこと。「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と雅子妃の少女時代から言っていた福田赳夫氏が群馬の非差別出身らしいこと、正田家も群馬であること‥‥‥・など傍証から可能性は結構濃いかと思っています。

 

それと、美智子妃入内にあたってはクリスチャン3人が動いているのですが、それとは別に初代宮内庁長官がクリスチャン、それから二代続けてキリスト教となんですよ。そして内部の侍従長がカトリック。

これだけ重なると、偶然ではないでしょう。しかも神道の場ですから、確率として異常。

となればGHQはキリスト教を日本と皇室の弱体化に使ったわけだから、初代長官もGHQの差金、と思えばそれから美智子妃入内に至るまでの、クリスチャンでうめつくされた経緯が分かりやすいんですよ。

 

テニスコートの出会いも偶然ではなく、仕組まれたと宇佐美長官が明言しているし。まあ、GHQに仕込まれたという要素を感じても無理からぬところではないでしょうか。

 

 

昭和大帝があれほど拒んだ雅子さんを、不敬かと思えるほど、あたかもその死を待っていたかのように、雅子さんを熱心に引き入れた形跡が伺える美智子さんの行動も、また異様なほどのかばい方も、納得できます。

 

GHQの元メンバーベアテ・シロタ・ゴードンへの

隠しもしない賛辞、五日市憲法賛美、

憲法護持・・・・慰安婦の主張肯定・・・・

韓国へのシンパシー・・・・と、美智子さんが

もし、GHQ政策の流れでのカトリック左翼さんなら

とりあえず全部説明できますね。

 

 

 事実の累積から派生した推論です。

 

◆正田家 祖父母の代からのカトリック。

美智子さん。小学1年生から大学まで13年間カトリック系学校でカトリック思想の洗礼を受け続ける。

GHQがプロテスタント、カトリックを日本洗脳の道具として使っていたのは事実。昭和天皇への改宗も試みられていた。(*「天皇の国師」他)

 

歴史的に植民地化する時、その尖兵は宣教師たちであった。

 

今上の皇太子時代に、貼り付けられたのはクェーカー教徒(キリスト友会)で、

非戦が旗印のキリスト教で、GHQの狙いは明白。

初代宮内庁長官から3代に渡り、クリスチャン。

正田美智子入内にあたって、実際に動いたのも、小泉信三をはじめとするクリスチャンたち。内部には、その弟をバチカン枢機卿に持つ浜尾侍従で、

現皇太子の養育と教育にあたる。神道の場で、これを確率的に偶然では片付けられない。

 

これらを見る時、 「何らかの意図」が皇室内をキリスト教で固めたのは事実。

現在は、それが創価に取って代わっている構図。

美智子皇后、雅子妃共に、出会いは仕組まれたこと。

祖父母の代からのカトリックであった正田家の、美智子妃の母は「天皇は神ではない」と子供の頃から美智子皇后を教育、その成婚にあたっても「あちら(皇室)とのストラグル(闘争)」と言い放つ当時の日本女性にしては例外的な人物。

 

前者は、宇佐美毅・宮内庁長官が国会で明言。元朝日新聞記者佐伯晋氏の証言あり。

後者は高円宮と小和田のタッグ関与で明白。

小和田の背後には福田赳夫・康夫の元総理あり。福田は群馬の被差別部落と言われ、

一説に言われる美智子皇后の出自も群馬ではあり、その共時性をいう人もいる。

また共時性で言えば、雅子妃の母方江頭もその家系だという説もあり、GHQ施策の

闇を暴いた江藤淳が江頭の家系に連なるのも、運命の皮肉。

 

小和田の家系は三代前が辿れずこれは、地方の狭いエリアでは異例のことで、それを

根拠に半島出自説がある。雅子妃が、チッ素水俣の家系で、美智子皇后の妹が第二の水俣企業と言われる昭和電工に嫁いでいることにも、共時性を見出す人もいる。

 

美智子皇后の「工作」をいう人は、弟の正田修とその夫人、大原総一郎の次女・泰子とを“手先に”使っていると指摘。チャールズ王子が悠仁親王と会いたがっていると英国で報じられるや、王子の来日の日めがけ秋篠宮殿下がまず倉敷公務に飛ばされ、次にスケジュールギリギリに佳子内親王が飛ばされた。この一連の動きを皇后が指示、動いたのが正田修・泰子夫妻と言われている。

 

参考サイトhttp://blog.goo.ne.jp/duque21/e/3bc7f24d5e7afae6c2f8d18af4fc2c40

 

◆コメントを拝読して、ハッと思い当たりました。

そうです、宮沢喜一は部●出身者です。

そして雅子妃入内に暗躍した福田さんも、

色濃いです。

で、福田は群馬ではなかったですか?

となると・・・・皇后陛下の群馬、ソノ地区が見事に

符合。

 

http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/3bc7f24d5e7afae6c2f8d18af4fc2c40

 

◆上原善弘の記述に宮内庁は、抗議したのだろうか。

してないとすれば、皇后陛下の出自が群馬の特殊エリア出身となり、皇后、皇太子妃ともに、ということになりかねない。

身分差別的なことで言うわけではないが、**さんが

おっしゃるように、部*の皇后が部*の雅子さんを皇室に入れ込んだという構図はやはりまずい。

選考基準にそれが先行したとするならば。

 略

◆>美智子皇后、雅子妃共に、出会いは仕組まれたこと。

[佐伯晋氏]

「テニスコートの恋」の真相 皇太子さまご結婚は「お見合い」か 

元「お妃選び班記者」が推理する「テニスコートの恋」の「真相」(1)

http://www.j-cast.com/2012/05/10128633.html?p=all

1959(昭和34年)年2月6日の衆院内閣委員会で、宇佐美毅・宮内庁長官は、はっきり「恋愛説」を否定しています。

 

[宇佐美毅氏]

第31回衆議院内閣委員会議事録第五号

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf

 略

マスコミから出る記事・写真を通し、当時、国民からも皇太子と美智子さんに厳しい声が挙がっていたようです。鋭い議員の指摘は、まさに的を射るものでした。

 

皇后の「工作」について これもコメント欄から

 

工作員と言っていいのかどうか、弟の正田修氏とその妻泰子(大原總一郎氏の次女)が皇后の手先で動いてます。しじゅう皇后からは呼び出され、宮中で会ってます。

 

大原氏もカソリックで洗礼名はヨセフ

 

BB:右が正田泰子氏。皇后の実弟修氏の妻で、大原家の次女、つまり親戚がらみのイベントが秋篠宮殿下と佳子さまを倉敷に飛ばすのに利用された。弟の嫁もカトリックの家の娘とは、正田家は相当カトリックにこだわっていますね。

 

以下に注目 

1963年:中国へのビニロンプラント輸出が日本政府により許可される。(わかりやすい中国つながり?)

1964年8月:大原美術館理事長に就任

 「大原美術館」で何か思い出しませんか。

そう、悠仁親王殿下に会いたいと言っていたチャールズ皇太子来日の時に

わざわざ秋篠宮殿下と佳子内親王が「飛ばされた」倉敷。

 

佳子内親王の倉敷飛ばされはとりわけ、間際で唐突な付け加えだったので、取り沙汰されてます・・・・というより、はっきり皇后陛下の画策でございましょう。

 正田修氏は、韓国にべったり加担で愛国者に批判と不買運動を起こされた花王の取締役に就任したのが2006年。 (わかりやすい?韓国つながり)

 正田修氏

 

2009年(平成21年)6月 日清製粉グループ本社名誉会長相談役。

工作員はネット徘徊の下っ端も含め、いるのではないですかねえ?

 弟、修氏は反日企業と言われる花王へ。

妹、恵美子氏は第二の水俣病の企業昭和電工へ

お輿入れ。

韓国と中国というキーワードは皇后陛下にも

あてはまりますが・・・・はてさて・・・・

 

◆《接見の可能性》

2月24日の外務省報道発表では、すでに天皇皇后昼餐会と皇太子接見のみで、秋篠宮家スルー。

それでも日程をすり合わせると…

2月27日(金)の午後、東宮訪問と六本木ヒルズイベントの間。秋篠宮殿下はこの日フリー。王子にはハードですが、悠仁さまの学校授業が5時限までなら会えたかも。

2月28日(土)の午前中なら、ウィリアム王子と秋篠宮両殿下双方が空いていました

悠仁さまの学校がお休みなら会えたでしょうねぇ。

 

《倉敷行きの不可解》

それにしても…

唐突な倉敷ご訪問。3月2日は公務が無かったので、3月1日・2日の日程でも可能でしょう。しかも、秋篠宮ご一家らしくない土日に一般人の鑑賞規制して…2日は休館日なのに。外圧感じちゃいますねぇ。

 

えらいもん見つけてしもうた!

美智子皇后お気に入りのダニエル・オストの展覧会が、皇后義妹の実家・大原家で開かれる。大した事でもないのに、そこへ秋篠宮殿下と佳子内親王殿下がお成りに…

 

変だと思ったら、産経ニュースに書かれています。

しかも後から内容が改竄されているんです。

 

「倉敷市などによると、 ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は日本の皇室と親交があり、 国内での展覧会開催を知った皇室側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。 」

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:GMFCKpfkjnoJ:www.sankei.com/photo/story/news/150228/sty1502280013-n1.html+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a

 

これがこうなった!

「 倉敷市などによると、ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は同国の王室と親交があり、国内での展覧会開催にあわせて倉敷市側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。」

http://www.sankei.com/west/news/150228/wst1502280069-n1.html

 

も一つ、瀬戸内海放送ニュース 魚拓

「今回のご訪問は、日本の皇室とベルギー王室の関わりが深いことから、皇室が希望されたということです。」

http://megalodon.jp/2015-0301-0003-39/www.ksb.co.jp/newsweb/index/2920

 BB注;独自ルートでの調べでは、皇室側の申し入れありきで倉敷市は声をかけていません。

ところで…

香ばしい皇后陛下のベルギー絡みエピが。

 

1.皇后陛下は、ベルギー葬儀弾丸ツアーの際、ダニエル・オストに弔問用花束を作らせています。ちなみにオストはベルギー人。

FNNニュースに記事がありましたが、削除されています。(検索結果からチラ見)

オストさんは、2014年、皇后さまがベルギー元王妃の葬儀に参列した際に手向けられた花を手がけるなど、皇室とも縁がある。」 略

2.皇后陛下はベルギー葬儀に行かれて、「今回、晩餐や午餐など、ヨーロッパ王室とのご交流を通して、 王室社会の中に、皇太子夫妻の存在感があまりない寂しさをつよく感じられたそうです」 平成流皇室外交が継承されていない。

週刊文春2015年1月1日-8日新年特大号   美智子さま80歳「命の弾丸ツアー」より

 略

3.皇后陛下は、ベルギー王室はとても良い王位継承の仕方をされているとお考えです=長子優先。両陛下はベルギー王室が国民からどのように受け入れられているか、実際に見に行くべきと考えられた。

 

 

産経や瀬戸内海放送ニュースのウッカリ記事のお陰で、週刊文春の怪しげな記事の信憑性がUPしてしまったヨ~。

こんな事から、

「ナルちゃん達がかわいそう。もう欧州王族とアーヤ達は会わせないわ!」

と、なったと言われても何も驚かない!!!

 

変だと思ったら、産経ニュースに書かれています。

同じ産経でもこのお成りの依頼主が「皇室」だったり「倉敷市」だったり。

しかもほぼ同時に配信している。

「倉敷市などによると、 ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は日本の皇室と親交があり、 国内での展覧会開催を知った皇室側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。 」

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:GMFCKpfkjnoJ:www.sankei.com/photo/story/news/150228/sty1502280013-n1.html+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a

 

◆誰かが妨害?

 

◆【ダニエル・オスト、倉敷に咲く花】という記事があります。

http://www.hearst.co.jp/brands/fujingaho

 

美智子さまの弟様の奥様でいらっしゃる

正田泰子さまがダニエル氏とのご縁や

イベントに秋篠宮さま、佳子さまがいらしたことを

語られています。

とてもきれいな方でいらっしゃいますね。

 

婦人画報は読者イベントで、 ダニエル・オスト氏の晩餐会もしていました。

http://www.hearst.co.jp/whatsnew/danielost-

 

ちなみに婦人画報の読者層は40~60代の女性のようです。

evenhttp://www.magazine-data.com/women-magazine/fujingaho.html

とても素敵な企画ですが40~60代女性向きのこの観賞公務がなぜ男性の秋篠宮さまと二十歳になられて2か月の佳子さまに振り分けられたのでしょうか。

 

お花の観賞公務は美智子さまや華子さまは単独で、

紀子さまや久子さまはお嬢様とご一緒だったりと、

女性皇族のご公務のイメージがあります。

http://www.danielost.jp/event/kurashiki.html

 

「倉敷 ダニエル・オストの花と心」は3月1日~4日

ウィリアム王子の日本ご滞在は2月26日~3月1日

秋篠宮さまと佳子さまが倉敷ご滞在は2月28日~3月1日。

秋篠宮さまと佳子さまが「倉敷 ダニエル・オスとの花と心」をご鑑賞になったのが3月1日です。

 

ご鑑賞を一日ずらせば、皇位継承順位2位の秋篠宮さまがウィリアム王子とお会いにならずに、倉敷まで出かけて母方の親戚とお会いになっていた、というような(考え方によってはあのお方の同日シリーズよりも失礼かもしれません)なことにはなりませんでした。

 

◆大原美術館は3/2が休館日で、秋篠宮両殿下も公務は無かったのです。3/1~2と、一日後にずらした方が余程ごゆっくりご覧になれました。

 

妙な日程の原因は…

**様がおっしゃるとおりなのです。

 

さらに当初。

ウィリアム王子は2/28(土)午前中が空いておりました。

秋篠宮同妃両殿下もこの時間は公務なし。(倉敷移動も28日午後から夕方)

悠仁様も、学校が土曜日なのでお休みだったのでしょう。

 

接見可能ですよ!

 

そこにNHK大河ドラマ撮影スタジオ見学のど~でもいい公務が、ウィリアム王子に入りました

 (悠仁親王に会わせず、これ?)

15歳から美智子さんは、竹山謙三郎氏主催の「竹山パーティー」に、兄巌氏と共に参加していました。竹山氏は、美智子さんが明仁皇太子と出会った軽井沢テニス旅行のアレンジもされています。※1
さらに、謙三郎氏の子息。竹山雄太郎氏は、雅子さんと、徳仁皇太子の橋渡し(お任い)をしたうちの一人とのこと。※2

2代に亘り竹山家が、将来の東宮妃召し合わせに協力しています。


美智子さんは、準備の手伝いや初参加者の相手、ダンスの名手の竹山氏に手ほどきを受けたり…兄がいっしょと言えども15歳の娘を良くこういう場所に出すものだと。…さすがストラグル御母堂ですわ。この時代、普通は娘に虫がつかぬように若い男性の中に入って行く事を避けるところを…男性を見る目を養う為?いやいや、来たるミッションに向けて男あしらいの訓練!?

竹山氏子息が、雅子さんと徳仁皇太子の橋渡し。」もしや美智子皇后の何らかの依頼があった?
一説に、竹山氏のお眼鏡に叶った優秀で品行方正な東大生達こそ美智子さんの理想で、(高学歴=有能で人品が良いと単純に思い込んだ。)叶わなかった夢をナルちゃんの結婚でリベンジ!…で、世紀のスカを掴んだとか。(あくまでも風評です)

軽井沢テニスをセットしている事から、竹山謙三郎氏が黒幕と繋がりがあり、美智子さん育成を頼まれた可能性も無いとは言えません。それで、ナルちゃん嫁も?
何やら2代通して一つの大黒幕が居るのかも。恐らくGHQかCIA絡みの親米エージェントなんでしょうねぇ
建築技術は当時米国が本場で、竹山氏も交流が深いことでしょうから、頼まれちゃったのかしらぁ?



[ソース]
※1.えぴすとらEpistura vol.13 1996.7
当時建築研究所の所長は現皇后の軽井沢テニス旅行のアレンジ等数々のエピソードを 残している竹山謙三郎氏でした。
http://www.kenken.go.jp/japanese/contents/publications/epistura/pdf/13.pdf
※2.歴史が眠る多磨霊園 竹山謙三郎
その息子の竹山雄太郎は皇太子と雅子様の橋渡し(お任い)をされたうちの一人であり、建設省研究所所長を務めた人物である。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takeyama_k.html
その他にもソース有り

[ご参考]
竹山パーティーとは…
謙三郎氏は、理工学系ゆえ男性ばかりで出会いの少ない大学の教え子や所員の為に、中野の自宅で月に一回お見合いパーティーを開催した。ノーベル賞受賞の小柴昌俊氏も、こちらでのご縁で結婚されている。
・竹山謙三郎氏とは…
兄が「ビルマの竪琴」の竹山道雄。自身は建設省建築研究所所長などを歴任された建築構造学の重鎮。電子計算を取り入れ、超高層霞が関ビルの建設を可能にした。
子息雄太郎氏も建築研究所所長を務めた。

◆竹山パーティは知りませんでした。
うーん、と唸っています。
要するに、美智子さんの母富美さんは、美智子さんを
エリートの男に嫁がせたく、美智子さんがまだ15歳の
頃から、あれこれ画策していたってことでしょう?
玉の輿欲満々。

で、巷間二度目の当時の皇太子との出会いは仕組まれたと、露見していますが軽井沢は偶然、とされていますね。
ところが、軽井沢も仕組まれていたってことですね

雅子妃の場合も、偶然の出会いを装われ、皇太子がかきくどいて入内というストーリーにすり替えられていますが、実は雅子妃側が入内させる気満々
娘を高く売るために、さんざん渋ってみせ、条件を吊り上げた。このパターンが、そのまま皇后陛下にあてはまりますね。富美さんがあちら(皇室)とのストラグル(闘争)したと言っているのは、条件折り合いですよね

竹山パーティに15歳から出入りさせているようなら、やる気横溢なのに、渋って見せる駆け引きは小和田家とやり口が同じです。

 

http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-200.html

BB注: 婚姻関連の画像では99%不機嫌な顔をさらしている富美さん。あり得ないですね、
故意にそう見せているしか。(いやいや嫁がせるのだから、解ってますね、と
暗黙の脅し、駆け引き?) 皇室を「あちら」と呼ぶ闘争心。幼い頃からの母親の皇室への姿勢は、美智子様にも影響を与えていると思われます。

BB注;初代宮内庁長官が要するに正田美智子さん入内に関して、宮内庁としての調査が不十分であったと、述懐。由々しき記事なのですが。

娘の衣装代は出すから、その代わり・・・・というような取り引きがあったかもしれませんね。当時の皇室は恐ろしく貧しかったのですから。民間でも考えられないくらい、頻繁なお里帰りも、正田家がイニシアチブを握っていたと考えると説明がつきます。
小和田家と比較して、正田家が表に出て来ないと美談として語られていましたが、里帰りはひんぱん、宮中と正田家の富美さんとの間には特設電話。
何やら、スタータレントの母親を思わせる富美さん。プロデュース能力に長けていて、娘を条件良く売りつける。今上陛下が皇后の言いなりなのは、当時からの力関係もあったのではないですか?
これも雅子妃と東宮との力関係の相似形です。

そして、皇后雅子妃共に竹山氏が噛んでいるとなると、背後に大きな親米組織があったという仮説が成り立ちますね。だって、あの当時愛国者は軒並み公職を追放されている中(BB注:大蔵省、建築業界のボスとしての地位を保っていたって、そう考えてもいいような? これとて仮説の域を出ませんが、説が成り立ち得るに十二分な要素があれこれ揃っています。

BB注:公職追放とは、政府の要職や民間企業の要職につくことをGHQが禁止。

・・・・・・・・・・転載ここまで

参考

竹山謙三郎氏 

1932(S7)東京帝国大学工学部卒。同年大蔵省営繕管財局、'46建設省建築研究所、'55同所長。'61退職、東京都立大教授。'63鹿島建設技術研究所4代目所長、'64退職。 1966(S41)所内に電子計算センターを新設し、日本初の超高層「霞が関ビル」の建設に大きな貢献を果たした。

息子の竹山雄太郎は皇太子と雅子様の橋渡しをされたうちの一人.
なんと、父と息子二代にわたって、皇太子妃を誕生させた主要人物。
偶然・・・・でしょうか‥‥‥・?

正田美智子さんの、軽井沢テニスをアレンジしたのは父親の
謙三郎氏。エリート男性に、女性を引き合わせる竹山パーティを主催。
美智子嬢は15歳からこちらに出入り。三島由紀夫とのお見合いが
これに、絡んでいたかは不明ですが、三島も東大卒大蔵省のエリート。

後に小和田雅子さん実家のチッ素水俣が問題にされた時、詭弁を弄し
入内にこぎつけた団藤重光に、三島は大学時代に講義を受けているので、
これも因縁因果? 美智子さんが三島と結婚していたら、
どうなっていたのでしょうね。 

東宮の誕生なく、雅子妃いず清潔な皇室であったかもしれないけど、その代わり
秋篠宮家も悠仁さまもいらっしゃらなかったわけだから、俯瞰で見れば
因縁因果の糸の絡まり合いには、天から見れば何か意味があるのかもしれませんね。

天皇陛下皇后陛下、そして東宮夫妻と内廷皇族はもう、残念ながら・・・・・
どう変わりようも、変えようもありません。秋篠宮家への移譲を心より祈念致します。

 

 

 

 

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亡くなった叔父はどこで拝めばいいんでしょうね。 (あんこ)
2015-05-02 01:27:16
初めてコメントさせて頂きます。最近は叔父の事ばかり考えます。田舎の三男の叔父は朝鮮半島に希望を求め渡航し、そこから徴兵されて行き最終どこで無くなったのか解かりません。叔父の実家も年数を越え住む人も居なくなりました。多分叔父さんを写真とか名前で知って、意識しているのは現在私だけでしょう。
私が死んだらもう叔父さんは親戚からも意識されなくなって、元々居ない人の様に扱われるのか。会った事は無いけどいろいろ考えます。何故天皇陛下は靖国に参拝して下さらないのか。外交的にどうとか、陛下は外交などお気にされる必要は無いと思います。国民に対峙して頂たいと望みます。靖国しか帰る場所の無くなった叔父さんの魂はどうしたらいいの。
Unknown (あんこ)
2015-05-02 01:53:44
どなたですか?あんこを使わないでください。気持ち悪いのでこれからあんこは使用しません。日本人抑留死亡者名簿が発表されたから鎌をかけているのですか?皆様(あんこ)という方は既存のあんこではありません。
あれ? (サボテン)
2015-05-02 02:26:37
テニスコートの出会いのいかがわしさって前に話題になったことありませんでしたっけ?
勘違いでしたらすみません・・・。

ただ、こちらで得た知識だったか、ほかの所でだったか忘れましたが、
日本が対米戦争に進むきっかけが、ABCD包囲網(包囲陣)。
今上陛下と美智子妃の出会いのきっかけが、
昭和32年の軽井沢ABCDテニストーナメント。
というのを記憶していたものですから、すっかりそういうものだと思ってました。

テニストーナメント、どういう意図でつけられたかわかりませんが、怪しい名前です。

もし、くだんの ABCDの画策によって出会いを仕組まれていたとしたら、
首謀者達の嘲笑や高笑いが聞こえてくるようで、怒りが込み上げてきます。
日本は本当に虚仮にされた。

しかし、皇后の背後も魑魅魍魎ですね。うへ~。

このような話もちょっと前までなら、ガセだと思い込んでいたでしょうが、
図らずも皇后自らの行動と言葉で明らかにしつつありますから、もう擁護のしようもないですし、
今まであれ?と思っていた演技がかった奇妙な演出・言動も妙に納得してしまいます。

BB様やコメ欄の博識の皆様のご意見、敬服いたします。

でも、心の中では、その話がガセであったら、どんなにか良いだろうとも思うのです・・・。
本当であっても、祭祀をキチンとやってくれさえいたらと思っていましたが、
やはりパラオの前の祭祀お休みの件でガクッときてしまいました・・・。
正田冨美の言葉 (桃実)
2015-05-02 02:42:17
「私の描いていた老後の楽しみも、ある意味では奪われてしまいました。
 たいしたことじゃないけど、私は焼き物(陶芸)が好きだったんです。美智子も焼き物は好きで
した。 だから、いつの日か"焼き物を教えて"っていわれるようなおばあちゃんになりたかったん
です。 こういうことは理屈じゃないんです。できないこととはわかっていても、年をとるにつれて
自分の夢だったことへの思いが強くなって……。
 もし、美智子のことがなかったら、私はいまも趣味の中にカメラと焼き物があったと思うわ。
ふたつばかり楽しみを奪われたということかしら」



 応接室の暖炉の上には高さ3センチほどの小さなお雛さまが飾られていた。
お雛と、め雛に背を向けて座る富美子さん。



「最高の縁組と、最適の縁組とは違うんですよ」
と、富美子さんはポツリとつぶやいた。
「いろいろなことで苦しみました。ひどいこともされました。どうして、私たちが……と、
あのころはそう思い続ける毎日でした」
 富美子さんがはじめて視線をそらした。

「私たちの言葉が足らなかったのかもしれませんが、私たちのひと言がずいぶん誤解されたこと
はありました。それでも私たちは何をいわれてもいいと思っていました。でも、振り返れば、どう
してと思うぐらいにつらいことはありました。とにかく、あらかじめ話し合っていたことでも約束が
違いすぎました。こんな思いで苦しむのはもうたくさんです」



【「最高の縁組と、最適の縁組とは違うんですよ」 】

いい縁談ではなかった、と言ってのけてますね。

【あらかじめ話し合っていたことでも約束が
違いすぎました。】


皇室側が、契約違反をしたと言ってますね。


何が事実で事実でないか知らないけど、普通の家の奥様がこれらは言わないわー。


おまけに、戦後間もない頃に「あちら(皇室)とのストラグル」とか「天皇は神ではない」と子どもたち(美智子さんにも)には教育しました、ってw


美智子さんが子供の頃ってったら、戦前よぉ、

それで天皇えらくない、神でないって
なんか、すごーーーく特殊なお宅の特殊なお方ね。


初代宮内庁長官が、母方(副島)の調査をすべきだったって、後悔したのって、何だったんでしょうね。
あちらも後悔してますけど、冨美さん。

皇室側も、実家の母も恨めしく思ってる成婚って、どんなん。


きれいな雅子さん (ひなげし)
2015-05-02 05:38:03
皇后陛下はきれいな雅子さんなんだなとこの頃思います。

ベルギーのように長子にこだわったら、昭和天皇からだと照宮成子様の系統が正当ということになっちゃうんですけど、そこらへん皇后陛下はお分かりなんだろうか?
あちらは配偶者も皇族で血筋からも完全に負けてしまうのに。
身震いする (Emi~)
2015-05-02 05:53:50
この度の記事…真実なのか仮説なのかどちらにしても皇后陛下の今を起点にして辿ると…繋がってしまう事、そうとられることが問題ですね…

桃実様がコメントされている正田富美の言葉、私も初めて読んだ時に娘を思う母親が今だからこそにしても話すべき内容では無いとびっくりしたことを思い出しましたし目線をいつも一人だけずらす違和感は引っかかっていました…

最近の吉本反日芸人の原爆繋がりをこじつけだと言う人も居ますが繋がる事がおかしいと思うのです
妄想とは違って人物や背景などが繋がる事に必ず意味も意図も真実に限りなく近づいていくのではないかと…

力を使う者は力でまた滅びる、皇后陛下の陛下にベッタリと腕組む姿がまた浮かんで来てそれが恐ろしく自己の存在感誇示と執着に感じられ本当に…怖いです…
皇室に於いて只お一人お顔が変わられた皇后陛下…そこには笑顔さえも作り出すことが出来なくなり自身を表しておられているとも思ってます…

秋篠宮御一家の光が必ずや守られます様に…心からまた新たに強く思いました…
Unknown (友子)
2015-05-02 06:03:03
日本は昔から本当にスパイ(工作員)天国なんですね...
スパイ防止法の案が出てもなぜか毎回ボツになるという不可解さ。
この法案が通ればいろいろと都合が悪くなるなりすまし連中がいかに多いかということでしょう。
まさかの皇室関係者からの... でもこれが日本の真の浄化につながる?
流石、BBさま! (white snow)
2015-05-02 08:29:31
またまた、目から鱗です!
点と線が結ばれた感じで、一気に読ませて、頂きました。BBさまはじめ、コメント欄の皆さまのインテリジェンスを持ってすれば、?も解き明かされるものですね。私がずーっと前、S田家のお話(多分
お手伝いさんの)を聞いた記憶では、
日本的な考えの御宅では無く、欧米ナイズされて、朝はトーストでMさんは、
真ん中の柔らかいところだけを食べて、
ミミはそのまま残す食べ方をしていた。
これを聞いた時、私と同じと思ったので
覚えています。後、着ていた物を脱ぎっぱなしにする話もありました。
その時、えー?あんな才媛で、ご優秀なMさんが?と信じられませんでした。
今のMヒの学歴と同じ思いです。
情報操作されれば、奥のことを詮索出来る時代では無かったので、如何様にも、
創作出来たのですね。国民はそれを信じて疑わず、有難がっていました。
Mさんの計算違いは、今の世の中が、
自分の時と同じだと思っていることです。もう、時代は変わりそんな操作は
見破られてしまいます。世界は縮まり、
瞬時に調べれば分かってしまうのですから。泰子さんが一枚噛んでいたのは、
ショックでした。冨美さんの雙葉の後輩で、お姉さまのレイコさんはTBSのディレクターでした。もう亡くなってます。

Mさんのことを疑念するのは、決して、
Mヒを擁護することではありません。
おかしいことを精査すると、MMが
重なってきてしまいます。
奥のことは、もう誰も、畏れ多いことと
して、進言する方々も無く、やりたい放題になり、神聖な場としての存在さえ、
危機に陥ってしまっている現状。
ユダ金、GHQ、カトリック、ソーカ
次は何が出て来るのでしょうか?
戦没者に鑑みれば、何故、神社に祀られているのか?靖國と云う神社で会おうと
なったのか? 日本国が天皇を中心とした
神道国家でななかったのか?
それを信じて疑わず、兵士達は戦いに向かい散って行ったのではないのか?
それを信じて疑わない遺族は、今も老齢の身ながら、参拝に訪れているのではないか? 私は、戦没者を持つ子孫として、
義憤に駆られるのです。
素晴らしい記事!有難うございました。 (終には覚むる夢の世の中 東京都)
2015-05-02 08:59:19
偶然見かけたサイトですが、
拙劣な言葉遣いと橋下擁護の姿勢から、あちらの方とすぐに分かります。
今回の安倍氏の活躍?で内部抗争に一旦雌雄が決したとも見えますが、混乱はこれから生起するでしょう…


http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20141130


■  天皇直属の「殺人・諜報部隊」

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


●  この日本には 3つの殺人部隊が存在する

1   天皇直属の殺人部隊

2   暴力団の殺人部隊

3   創価学会の殺人部隊





●   この中で最も恐ろしいのは  1である

    この部隊は 旧日本軍から派生している

    敗戦になり きゅうにほんぐんの組織が  この部隊に化けた

    警察機構の一部として 給料をもらっている

    公安のような立場だ

    アメリカならば「CIA」のような諜報機関としての工作もする

    ただし 天皇のこの部隊は  「殺人」が主な仕事としている

    殺人をし 政治家 様々な業界のトップたちを脅迫する

    殺人の仕方  殺人のターゲットなどは 長年研究されており  世論の関心を操作する

    天皇の犯罪がばれそうになれば  様々な犯罪も起こす

    また 殺人や犯罪の社会的な影響力も 事件ごとに研究している

    美智子妃殿下が気にいらない人物の名前を 故小野舞台に伝えれば 病気に見せかけて始末することもやる

    この部隊の名前を 天皇デス=Dとする

    


    Dは 表向き警察組織として成り立つ

    毒ガス

    殺害方法

    かく乱の仕方

    様々なことを研究もしている

    ゆえに 創価学会の殺人部隊と同じ方法で 人を殺す

    この部隊は 一部 創価学会とも交流している

    ゆえに 殺害方法は おおよそ同じだ

    この部隊は 暴力団も創価学会も恐れている

    警察組織の中にあるので  犯罪も何にもかも 好き勝手にやっても 警察に逮捕されない

    Dは 敗戦後 仕事がなかったので 現在の日本国民脅迫統治に懸命になっている

    仕事がないと Dは縮小される

    ゆえに 美智子と天皇の殺人命令に 一生懸命になる

    



    この組織の仕事の一環として

    政治家を殺すことが 重要な仕事になっている

    天皇が気にいらないと思った政治家が70歳前後になった時  病気に見せかけて殺す

    創価学会公明党の票を食ってしまうような政党(日本維新の会のような)を解体または 党首にバカな発言を威命令し

    国民の人気をそぎ落とし  創価学会に恩売りをする

    国民に人気のある政治家  または自民党をつぶせる腕を持った政治家を  一般に問題にされない

    軽い「記載ミス」などで 捜査対象にしてしまう・・・このような工作・研究もしている
引用ここまで
Unknown (読者)
2015-05-02 10:42:57
色々な点が線で結ばれてどんどん見えてきましたね。
もう、信じられない、信じたくないと目をそらせてはいられません。

ただ、まだよくわからない部分もありまして・・・
たとえば、ある時から愛子さまを敬宮と呼ばなくなった(見切りを付けたのでは無かったのか)
悠仁さまと和船に乗られた(これはとても意味があると思うのですが)
紀子さまのお着物や帯が豪華になっている(秋篠宮家の予算では無理。皇后からでは無かったのか?)
洋装も凝った刺繍だったり、薔薇の共布のドレスは特別で「次はこの方ね」とわかるのだとかコメントされている方が以前にいらっしゃいました。

この辺はどうなのでしょう。
皇后の気分しだい? (ひまわり2号)
2015-05-02 10:48:31
読者様

私もそこが、何がなんだか‥・・の部分です。

一つ仮説を立てるとすると「皇后の気分次第」w
という、あっけないものしか思い浮かびません。

理由は以下。


>皇后陛下はベルギー葬儀に行かれて、「今回、晩餐や午餐など、ヨーロッパ王室とのご交流を通して、 王室社会の中に、皇太子夫妻の存在感があまりない寂しさをつよく感じられたそうです」 平成流皇室外交が継承されていない。

週刊文春2015年1月1日-8日新年特大号 美智子さま80歳「命の弾丸ツアー」より


>.皇后陛下は、ベルギー王室はとても良い王位継承の仕方をされているとお考えです=長子優先。両陛下はベルギー王室が国民からどのように受け入れられているか、実際に見に行くべきと考えられた。
悲劇の女帝 (ハルキ)
2015-05-02 10:49:25
さすが戦後70年だねえ。「どうして雅子さんが入内出来たのU+2048」という難問があっさり解明U+203Cまさかねえ、粉屋さんがお仲間とは思わないもの!そりゃあ、虐め抜かれた皇室にお仲間が来てくれれば美智子さまは嬉しいよね、当たり前だ。それなのにハルキは美智子さまは雅子さまをお嫌いだと思っていたんだよ、ひどい不敬ですね。ごめんなさい、美智子さま!

ハルキは「早く戦争を終わらせる為にアメリカが原爆落としてくれた」なんていう先生がいた時代に育ったから「浩宮さまが気持ち悪いのは皇室の血が濃いからだ。優秀な妃殿下をもってしてもこれが限界。妃殿下はある意味犠牲になられた」なんてのを信じていたの。「なるちゃんはとにかく天皇即位!」って真面目にお育てになったのに酷い不敬だったね、ごめんね美智子さま。

そういう意味でキコちゃんは酷い嫁だと思うよ。だって真子さまも佳子さまも現代の若者チョイスの装いで自然。美しいもの。悠仁さまも賢そうでノビノビされてるもの。サーヤの髪型や服装みたいに一般の女子以下に目立たないようにするのが皇室のあり方なのにね!間違ってもお母様より美しく装ってメディアに多く露出するなんて絶対ダメだよね、だから美智子さまと違うやり方のキコちゃんはいけないと思うよ!

ミッチーファンのハルキのお母さん(74歳)はファンのままお墓に入ってもらうとしても、その子どもでぼーっと皇室報道を見て来たハルキ世代は何故だかわかんないけど「キコちゃんファン」になってしまった。あんな少ない予算で内親王を目立つように仕立てるなんてひどい妃殿下だと知りつつも。公務で外国に行かれても「何しにきたの?旅行?皇位継承者でもないのに」と言われちゃう秋篠宮さまファンになってしまった。いざという時に斎宮として出てくるサーヤのファンになってしまった。

これから雅子さまの「適応障害」がよくならなくても「失声症」を患われた美智子さまがそばにいればきっと大丈夫だよ!だから雅子さまご夫婦が生活に困って何かを売ったことが知られてもマスコミからかばってさしあげてね。それから雅子さまのご先祖がどんな方でも「知りませんでした」というのは無しだよ。

美智子さまは週刊誌はお好きだけどネットはなさらないんだね。ハルキみたいな庶民の感想なんか屁でもないもの!でも「アジアの女帝」にはあと少しで届かなかったみたい。悲劇の皇后だ。それじゃ美智子さまはお気に召さないかな?キャハ!
占領下GHQ、それ以降サヨZ勢力 (瑞陽@初夏を告げるは先帝祭)
2015-05-02 10:52:20
あな恐ろしや、周到なる日本破壊計画ですね。
誤算は親分のアメリカが日本が自分の生命線と気づいた時には、彼らの独自の暴走は既にアメリカの思惑とかけ離れまくっていたことですが。

終には覚むる夢の世の中 東京都様
確かにあのサイトはアチラ系の御方謹製のサイトですが、
「なぜ戦後の皇室・皇族の警備が戦後は軍or自衛隊ではなく警察なのか」
「なぜ中川昭一氏はあのような最期となったのか」
「なぜ安倍総理は『もし俺が志半ばで逝ったときは後を頼む』と言わんばかりの自衛隊などの体制作りをしているのか」
という疑問はかなりはっきり解けました。

やはり今上天皇(実質的には美智子さん)直属の「刺客部隊」は存在し、中川昭一氏は彼らに殺され、安倍総理は自身が彼らのターゲットになっていることを認識していると。

これはどう言い繕っても明らかに主上御謀反ですな。
皇后美智子さまのうた (青空)
2015-05-02 12:50:21
画家の安野光雅による『皇后美智子さまのうた』朝日新聞出版発行。皇后陛下と反日との連携。何でよりによって歌人でもない画家、それも反日の在日画家に?という、その気色悪さの原因がようやく分かりました。
青空様へ (虹)
2015-05-02 13:16:49
はじめまして。


貴重な情報をありがとうございます。

安野光雅が調べて左翼だってすぐ分かりましたが
在日説はどこからでしょうか?
皇后の孤独 (西陣織孫娘)
2015-05-02 14:52:35
BB様、記事の更新ありがとうございます。

こうして見ると、どうして秩父宮、高松宮、三笠宮、常陸宮、方々が天皇家と距離を置く、あるいは無視なさるかがわかりますよね~
それは、雅子さん入内の時に「知らされなかった」からではなく、もっと遡って正田美智子嬢のアレの壮絶さから「日本はもうだめだと思った」とおっしゃったんですよねそりゃ無理もないわ。

やはり宮方々の妃には強い血筋の潔さのプライトと言うか誇りと、のちの皇統への危惧があったからなんですね。

それと共に、皇族の方々は御自分の使命を自覚されておいでだから、秋篠宮を可愛がられ大切にされるのですね。
Unknown (Unknown)
2015-05-02 16:54:57
「天皇は神ではない」とか、冨美子さんは、戦前だったら、非国民ですよね。

新婚は、ドイツで過ごして、ドイツ流の合理的な子育てをしたんだそうです。

h   ttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1251951235765.jpg
美智子皇后と背後への歴史的なブーメラン。 (伊藤知昭)
2015-05-02 17:05:48
BB様、諸先輩の皆様。

何時も御世話になり、有り難う御座います。

内廷皇族を操って日本を崩壊させ、社会全体の背乗りをさせたのは美智子皇后でした。
その背後に暗躍したのは GHQ。
そしてヤフオクをきっかけに、寝た子を起こしたのも国母気取りの美智子皇后。
ネットを通じて様々な謎がリンクし、暴かれて行きました。

御上の謀反、つまり宮中祭祀の途絶と国体であり国是であった万世一系、男子による一子相伝の皇統の廃棄。

日本が日本でなくなるように画策した美智子皇后とその背後。
さらには創価学会をも動員しての日本弱体化。
全ての元凶は GHQ。
しかし米国の覇権は移って来ました。

押し付け憲法の米国へのブーメラン。
平和憲法9条の米国へのブーメラン。
歴代侵略主義大統領へのブーメラン。
奸計による他国収奪へのブーメラン。

日本も、ソビエト革命当時の各国の情報機関のように、米国の中枢を牛耳ってもおかしくは無いでしょう。
スパイによる工作やマスメディア・サイバー空間は、熾烈化した目に見えない戦場です。

[ 日本のF機関に見る大東亜戦争の気高さ ]
https://www.youtube.com/watch?v=5Bt1idRaqrQ
[ 植民地支配じゃない日本統治の実力 ]
https://www.youtube.com/watch?v=Ynx_SJWuQkM
[ 日本、アメリカ侵略軍はどっち? ]
https://www.youtube.com/watch?v=XC9nkkEyt2U
[ 戦争に負けた理由は武士道精神? ]
https://www.youtube.com/watch?v=5XRF2U3LSac
[ 今なお続く日本洗脳工作 ]
https://www.youtube.com/watch?v=GaxsQ-QT4ic

極端な話、かっての GHQ が国際法に違反して日本を支配したように、逆に日本が野蛮で単純な米国を統治しても不思議は有りません。
その方が、まやかしの国連平和主義が蔓延するよりも今後の世界は平和だと言えるでしょう。
無理に悪巧みの手配を駆使して美智子皇后を入内させ、皇室を巧妙に占拠して内廷皇族を崩壊させた報いです。
国体の再構築を含め、御上謀反の事後処理の為にも旧皇族の復帰必須。

日本大事、天皇大事、秋篠宮御一家を通じた宮中祭祀大事。

長々と失礼致しました。
群馬 (美絵理)
2015-05-02 17:25:21
群馬といえば、愛子さんの目撃談があったようですが、どちらに行かれたのでしょうね。
和舟に乗ったこと (あらら)
2015-05-02 18:48:20
天皇皇后と紀子様と悠仁様が和船にお乗りになった件ですが。
その写真を拝見して、内容的にはとても希望を感じましたが、ビジュアルな面からとても気になったことがありました。それは美智子さんの上着の色が真っ黒だったこと。まるでお葬式のように真っ黒。
「私は決してこれに喜んで同乗しているのではない」、という意思の表明のようなものを感じて、ずっと気になっていました。だってこれおめでたい儀式なんですよね?もう少し何とかならなかったの?と非常に嫌味を感じてました。

まぁ美智子さんのファッショッションポリシーは「目立てばいい」ということなのが良くわかってしまった今では、単にそういうことなのかとも思いますが。
いろいろ (改名 しらべ)
2015-05-02 21:11:07
連日の 怒濤の更新 ありがとうございます。
ヤブー(濁点)Tシャツの件 の時は笑わせて頂きありがとうございます。
売り上げの方はいかがでしょうか。RESをいただいていたのに失礼しました。
改名して 調べ→ しらべ といたします。

ここのところ、こめんとしようと、練っていたのですがーー。文章がまとまらずに、とりあえずの所をーー。タイミング狙ってました。

ふくだたけお氏は現在の高崎市 の生まれ 江戸時代の名主
館林は利根川べり、特殊エリアのことは近隣の地域では古くからの家の人は知ってます。
私も群馬の出身者から直に聞いた事あります。知っていても黙っている時代でした。

まあ さべつはよくない??とか五月蝿かった時代ですね。
雅子ちゃんは将来ーー」と言った(予言した?)
f氏戦後間もない1948年におきた昭電事件、昭電汚職(しょうでんおしょく)、昭電疑獄(しょうでんぎごく)で大蔵省退官
しょうでんといえばーー、BBさま、はじめ皆さん、ぴんと来ますね。
第2水俣病
そして、Q条の会 結成時呼びかけメンバー、三木睦子氏 wiki 参照
故三木総理夫人 アジア女性基金 、マザーMと安西家つながり
三木睦子氏は 森コンッエルンの娘

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E7%9D%A6%E5%AD%90
h省略
びっくりした。 私だけ?知らんかったわ。

続き (しらべ)
2015-05-02 21:18:34
そしてマザーMの祖母殿 正田きぬさん この方もクリスチャンでした。
信仰の道に導いたのは フロジャック神父 以下ウィキ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
そして偶然見つけた
ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm
副題 迷児たちを諷刺した横山大観 

ベルギーに専用機飛ばして学ぶべきは、長子ーーではなくて、ハンディある子どもを家庭で暖かく包み込み、適切な療育をすること。ベルギー王室のお子様達の姿に心を打たれました。スピーチをしたあの王女様 同じ年齢とかーー。
先進国ではハンディを隠すことは児童の虐待とされています。
数々の障碍者施設を訪問されて励まされた慈愛の方は演技だったのでしょうか
日本でも多くの人が ご優秀伝説に 疑問を持っています。
外国の報道でしたか、 ~なんてめっそうもないとかーー。

とりあえずアトランダムに並べてみました。私の感想も入れて、読みづらかったら申し訳ないです。
まだまだあるんですが今日はこのへんで。失礼いたします。
急に暑くなりました。お体大切に。
皇后、その出自とカトリックと左翼思想 (夕映え)
2015-05-02 23:43:10

「しらべ」さんの情報を基に私も調べてみました。
長くなりますが、大事な資料かと思われるので。


◆福田赳夫氏出生地 とりあえず特殊地域でしょうか?

群馬県群馬郡金古町足門(現在の高崎市足門町) 出生地

*インターネット版部落地名総鑑 - 同和地区で検索のこと


第二の水俣と言われた【昭和電工】つながりで見てみます。



福田赳夫 昭電事件、昭電汚職昭電疑で大蔵省退官(逮捕されたが無罪。しかし何らかのひっかかりは、あったからこその逮捕ではなかろうか?)

「雅子ちゃんは皇太子妃にする」発言 → 皇后陛下の雅子さんへの熱心な入内お誘い



三木睦子(三木武夫の妻)

昭和電工の創業者・森矗昶の二女

(姉は元昭和電工社長の安西正夫に嫁いでいる)

三木睦子の左翼ぶり

著書 『戦争で得たものは憲法だけだ 憲法行脚の思想』

『憲法九条、あしたを変える 小田実の志を受けついで』

9条の会結成時呼びかけメンバー。アジア女性基金。



皇后陛下の妹、正田恵美子さんの夫は、安西孝之氏(昭和エンジニアリングの社長)、

安西家は、 第二水俣病加害企業である。

皇后陛下の祖母きぬさんはカトリック教徒。

以上のキーワードを基に、以下の資料。


h

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

(抜粋)



この年、衰弱激しいフロジャック神父の身を気遣う見舞客はあとを断たなかった。その中には、軽井沢のテニスコートで天皇皇后両陛下の「初めての出会い」の瞬間を写真におさめたカトリック信徒の田中耕太郎最高裁長官もいた。

 そして、三〇年来にわたってフロジャック神父の事業を援助し続けてきた正田きぬの姿も当然あった。フロジャック神父は、この年皇太子妃になったばかりの正田きぬの孫への心やりと永年の援助に対する感謝の気持ちから、こう語りかけた。

美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね

 これが何を意味するのかは、木下が一番よく知っている。その翌年一九六〇(昭和三五)年七月二日、朝日新聞社講堂では「フロジャック神父を偲ぶ集い」が行われた。

 この時壇上には、すでに敬虔なカトリック信徒になっていた木下道雄の姿があった。この時の木下の「フロジャック神父を思う」と題する記念講話は、『フロジャック神父の生涯』(五十嵐茂雄、緑地社)におさめられている。その四二五ページから引いておきたい。

 神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。

 「神父」とは当然フロジャック神父、「この時代」とあるのはフロジャック神父が水戸を拠点に日本伝道を始めた頃を意味する。そして、「会心の傑作」が「皇太子殿下御婚約のよきしらせ」につながっていく。

 フロジャック神父は関東の山野を歩きまわって布教していた。文中にあるように上州館林へ行ったのもこの頃である。上州館林と言えば、美智子皇后の実家があったところ。つまり、上州館林の正田家にカトリックの信仰の種をまいたのもフロジャック神父だった。

 一九二七(昭和二)年、東京関口教会で美智子皇后の祖母である正田きぬはフロジャック神父の手から洗礼を受けて敬虔なカトリック信徒になっていた。このきぬと美智子皇后の祖父・正田貞一郎(日清製粉創業者)、それに叔母・正田郁子の告別式はいずれも 千代田区 麹町の聖イグナチオ教会で営まれた。また、母・登美子も聖路加国際病院で臨終洗礼を受け、妹の安西恵美子も洗礼を受けている(『美智子皇后と雅子妃』福田和也、文藝春秋他参照)。

 弁慶が皇室とカトリックの縁結びを務めていた。明治維新以後、神道界や仏教界にフロジャック神父のような弁慶が存在していたなら、やはり歴史は大きく変わっていただろう。

『フロジャック神父の生涯』のとびら裏にはこんな言葉が飾られている。

 最後の握手皆様によろしくとみ声細く

    仰せありしも悲しき思ひ出

                正田きぬ

・・・・・・・・・・・・


とりあえず断定的解釈は避けますが、カトリック、左翼思想、第二水俣、と糸が絡み合ってますね。朝日新聞まで。

資料の一節を読む限り、正田家も福田家と同じくそのエリアと読めるのでは?

カトリックに関しては正田家で未受洗なのは、ひょっとして皇后陛下だけかも? 弟の修氏の嫁もカトリックの家の娘で、そのこだわり方から推して。
修氏夫婦が、ウィリアム王子の来日の際に、悠仁親王に会わせぬよう仕掛けたのは皇后ですが、その意向を受けて具体的に動いたのは修氏夫婦です。(妻がイベント主の次女だったので、身内、操作がやりやすい)

カトリックに関しては皇后自身も・・・・未受洗かどうか、自己申告ですからね・・・・。成婚が決まった時、カトリック関係者がなんで色めき立ったのか・・・・
祖母だけの存在のせいではないような・・・・・。

天皇皇后「初めての出会い」の場にカトリック教徒である木下道雄がいて、そこに祖母のきぬまでがいたとなると?カトリックが背後にあって仕組まれた出会いではないか? そして、マッカーサーが日本洗脳の道具として使ったのは、プロテスタント、カトリック問わずキリスト教だったことを思うと、GHQの流れの一環で仕組まれたのでは、という仮説もさほど無謀ではないでしょう。

美智子さんの成婚が、カトリック神父の「会心の傑作」
という表現・・・・。



皇后は疎開で館林の国民学校にも行っているので、祖母との接触もあったでしょう。

祖母の代からのカトリック神父との個人的御縁なので、少なくとも精神的には相当カトリックの縁は骨絡み深いと見るべきでしょう。

夕映えさま (BB)
2015-05-02 23:51:49
拝読しました。

記事のほうに「参考資料」として
転記はよろしいでしょうか。
トピック違いですが (ミルティリおばさん)
2015-05-03 00:13:25
BBさん、お世話になります。
お手数をお掛けしました。

少しばかりの御礼がしたいので
http://tananaka6.blog.fc2.com/いらしてください

綴りが違っている方を送信してしまいました。
直しに伺います。

お疲れにならないようにご精進ください。
BB様へ (夕映え)
2015-05-03 00:14:52
文章に間違いがあったので、訂正に来たら早速のコメント、ありがとうございます。

×天皇皇后「初めての出会い」の場にカトリック教徒である木下道雄がいて、そこに祖母のきぬまでがいたとなると?


祖母のきぬがいたのは神父の病室です。


書き換えたのを、再送しますので、転記なさるならそちらをお使いくださいませ。いつも、ありがとうございます。

昭和天皇はじめ神父には、協力出来だったようですが、当時マッカーサーが相当協力に、カトリック、プロテスタント問わず日本と皇室のキリスト教化を図っていた時なので、その強制のぶんだけ割り引いて読んだほうがいいのかもしれません。

よく調べてない部分ですが、Wiki記載の神父には
館林時代の活躍や、皇后祖母との濃い関係は触れられていないような気が?
調べてみるので、転載はもうちょっとお持ちください。



いろいろ皆さんのコメントを参考にしながら、調べてみると我ながらびっくりするような絵柄が見えて来て慄然とすることがあります。


余りにも国民は知らされていませんね・・・・。
祭祀に関して (にんこ)
2015-05-03 01:01:34
昨日帰宅すると大神神社の会報が届いており、巻頭は昨年11月、30年振りのスメラミコト御親拝の記事でした。

衆知の通り皇后も御供参拝をされた公務?ですが、宮司の寄稿には、崇神天皇の御代、疫病流行や民の離散など災害が多いのは朝廷に善政がなくお咎めを受けているのかと八十万神に問うたところ大物主の我を敬い祀り事を鄭重に、との諭しがありこれに従うとたちどころに疫病は収まり平安な世になったとの故事を偲ばれたが故の御親拝であると拝察する、とありました。

帝は出立の際ご一同に「御奉仕のことくれぐれもよろしく」とのたまわれたそうですが、「誠に鄭重な御親拝」「同様に参拝」とのみ表現された神々への御「問」。

さて真の祈りであられるのかどうか。一国民が忖度するのは不敬の極みですが、平成は確かに後世災害多き御代だったと総称されるのは間違いはなく、ならばあらゆる検証は同時代に生きる日本人の務めでもあると思います。

今や、現皇太子妃、現皇后、そして幕末・帝国主義隆盛時代の諸勢力と薩長土肥、或いはそこまで現代の諸現象の遠因を遡ることが出来るのかもしれません。皆様方のご賢察を眺めていてふとそんな事を思いました。西洋との邂逅が全ての元であり大航海時代には押し返せた事象が近代になって殺到浸潤してきたのだと、再びしっかりと認識し直す必要があると。

ちなみに件の会報には「皇后陛下御歌歌碑と御誕生日会見に際してのお言葉」という小欄が設けられており詠まれた歌まで載っていましたが、天皇の御歌は全く無し。「入門 天皇と皇族」の表紙を連想しました。↓
ttp://www.yosensha.co.jp/book/b181746.html
Unknown (ひとみ)
2015-05-03 01:34:27
紀子妃の
「共布で作られた薔薇のコサージュ付きのドレス」

あれね。アイスブルー?のドレス。

特別なドレスと思えませんが(笑)

筆頭宮家の妃殿下らしいですけれど。

そんな事
ネットに書き込みする人が居るから、

雅子が、招かれた披露宴で、
ブルーのコサージュ五個程付けて、
来た(笑)
皇后、その出自・カトリック・左翼思想・GHQ? (夕映え)
2015-05-03 03:49:26

しらべさんの情報を基に私も調べてみました。
長くなりますが、大事な資料かと思われるので。

雅子さんがまだ少女期の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」

と言っていた福田赳夫氏。そんな早い時期から不思議だが、
小和田夫妻は、福田夫妻の「配下」のような関係。

そして、小和田家の家系についてはとかく囁かれているが、
雅子さんの母方、江頭家も、福田家に類することが言われているのは
ご承知のとおり(むろん、この部分の真偽は不明。状況証拠に
近いものがグレーゾーンとしてあるだけ)


◆福田赳夫氏出生地 とりあえず特殊地域でしょうか?

群馬県群馬郡金古町足門(現在の高崎市足門町) 出生地

*インターネット版部落地名総鑑 - 同和地区で検索のこと


第二の水俣と言われた【昭和電工】つながりで見てみます。



福田赳夫 昭電事件、昭電汚職昭電疑で大蔵省退官(逮捕されたが無罪。しかし何らかのひっかかりは、あったからこその逮捕ではなかろうか?)



三木睦子(三木武夫の妻)

昭和電工の創業者・森矗昶の二女

(姉は元昭和電工社長の安西正夫に嫁いでいる)

三木睦子の左翼ぶり

著書 『戦争で得たものは憲法だけだ 憲法行脚の思想』

『憲法九条、あしたを変える 小田実の志を受けついで』

9条の会結成時呼びかけメンバー。アジア女性基金。



皇后陛下の妹、正田(安西)恵美子さんの夫は、安西孝之氏(昭和エンジニアリングの社長)、安西家は、 第二水俣病加害企業である。

皇后陛下の祖母きぬさんはカトリック教徒。(その後の一家の葬儀の場を
見ると聖イグナチオ教会にある程度まとまっているので、一家のうち複数が
信徒であった可能性)


恵美子さんもカトリック教徒。


以上のキーワードを基に、以下の資料。


h

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

(抜粋)



この年、衰弱激しいフロジャック神父の身を気遣う見舞客はあとを断たなかった。その中には、軽井沢のテニスコートで天皇皇后両陛下の「初めての出会い」の瞬間を写真におさめたカトリック信徒の田中耕太郎最高裁長官もいた。

 そして、三〇年来にわたってフロジャック神父の事業を援助し続けてきた正田きぬの姿も当然あった。フロジャック神父は、この年皇太子妃になったばかりの正田きぬの孫への心やりと永年の援助に対する感謝の気持ちから、こう語りかけた。

美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね

 これが何を意味するのかは、木下が一番よく知っている。その翌年一九六〇(昭和三五)年七月二日、朝日新聞社講堂では「フロジャック神父を偲ぶ集い」が行われた。

 この時壇上には、すでに敬虔なカトリック信徒になっていた木下道雄の姿があった。この時の木下の「フロジャック神父を思う」と題する記念講話は、『フロジャック神父の生涯』(五十嵐茂雄、緑地社)におさめられている。その四二五ページから引いておきたい。

 神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。

 「神父」とは当然フロジャック神父、「この時代」とあるのはフロジャック神父が水戸を拠点に日本伝道を始めた頃を意味する。そして、「会心の傑作」が「皇太子殿下御婚約のよきしらせ」につながっていく。

 フロジャック神父は関東の山野を歩きまわって布教していた。文中にあるように上州館林へ行ったのもこの頃である。上州館林と言えば、美智子皇后の実家があったところ。つまり、上州館林の正田家にカトリックの信仰の種をまいたのもフロジャック神父だった。

 一九二七(昭和二)年、東京関口教会で美智子皇后の祖母である正田きぬはフロジャック神父の手から洗礼を受けて敬虔なカトリック信徒になっていた。このきぬと美智子皇后の祖父・正田貞一郎(日清製粉創業者)、それに叔母・正田郁子の告別式はいずれも 千代田区 麹町の聖イグナチオ教会で営まれた。また、母・登美子も聖路加国際病院で臨終洗礼を受け、妹の安西恵美子も洗礼を受けている(『美智子皇后と雅子妃』福田和也、文藝春秋他参照)。

 弁慶が皇室とカトリックの縁結びを務めていた。明治維新以後、神道界や仏教界にフロジャック神父のような弁慶が存在していたなら、やはり歴史は大きく変わっていただろう。

『フロジャック神父の生涯』のとびら裏にはこんな言葉が飾られている。

 最後の握手皆様によろしくとみ声細く

    仰せありしも悲しき思ひ出

                正田きぬ

・・・・・・・・・・・・


カトリック、左翼思想、第二水俣、と糸が絡み合ってますね。朝日新聞まで。

資料として紹介した中には、皇室と神父の交わりが書かれていますが、時代的にマッカーサーが、カトリック、プロテスタントを問わず、キリスト教を日本と皇室洗脳化施策として用いていた時なので、当然GHQからのゴリ押しもあっただろうし、記述からその分を割り引いたほうがいいかもしれません。

とにかく異様に、キリスト教の関与が多いのですよ。ということは、やはり
GHQ関与の可能性をやはり考えてしまいます。
当時、マッカーサーが最先端の思想統制に用いようと試みていたのが、
プロテスタント、カトリック問わずキリスト教であったのは、史実に明らか
ですから。その史実の延長線上に、皇室内外における異様なほどの
キリスト教ひしめきが具体例であります。偶然を遥かに超える確率で、
となれば明らかに意図した存在があるわけです。
GHQ以外にあるとすれば、CIAの可能性ですね・・・・。

軽井沢の出会いが偶然を装った仕掛けであったことは、もう検証され尽くしていますが、上記の資料でも正田家が深く関わったカトリック神父に帰依したカ田中耕太郎最高裁長官が、現場にいて写真まで写していた、ということは、正田家も承知の仕掛けであったと思って間違いないでしょう。例の「竹山パーティ」の存在があったことは無論で、この竹山パーティに美智子さんが15歳から出入りしていたことも事実です。

雅子妃の場合と同じく結構長いスパンでの入内への道がある程度敷かれていたかも?

カトリックに関しては正田家で未受洗なのは、ひょっとして皇后陛下だけかも? 弟の修氏の嫁もカトリックの家の娘で、そのこだわり方から推して。
それに皇后自身も・・・・未受洗かどうか、自己申告ですね・・・・。
祖母の代からのカトリック神父との個人的御縁なので、少なくとも精神的には相当カトリックの縁は骨絡み深いと見るべきでしょう。
なおWiki にあるヨゼフ・フロジャック神父は出身国も来日の時期も重なっているのですが、
館林で布教、皇后陛下の祖母との深い接触に関する記述はないようです。
故意に記載されてないのか? あるいは私が何か勘違いしているのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF

私の勘違いでなければ、なぜ皇后陛下の祖母がらみの記述と神父の活躍した群馬館林時代の記述がないのか、狐につままれたようで不思議です。





あくまでも傍証として (鳩摩羅什)
2015-05-03 04:21:22
正田家の本家は、昔「生田」を名乗ってました。
生田って、地名も声明も部*が多いです。
が、むろん全ての生田がそうということでは
全くありません! 確率として他の名前や地名よりは
多いという「説」があるというだけです。


GHQ関与は「陰謀論」として棄却する人も多く
そのほうが、思考停止してられるので楽ですが
夕映えさん他が述べていること他、キリスト教の
比率が尋常ではないです。
明らかに何かの意図があるとしか思えません。
となれば、終戦後間もなくのあの時期、やはりGHQかCIAしかないでしょう。要にいる人達がGHQの公職追放に誰一人あってないというのもねえ・・・・
安西正田福田の関係はGHQ時代からだよ。 (Unknown)
2015-05-03 10:06:31
掲示板からの内容で、話がうまくまとまっていませんが、

終戦後のGHQの動き
GHQ(ニューディール左派VS保守派)および日本国政府内部抗争
昭和帝は吉田茂のあまりのアメリカ追随ぶりに業を煮やし
自らアメリカと交渉しようとなさった(←あまり書かれない)

入江侍従長は戦後祭祀廃止、バチカン化を図った宮中での総元締め?
先帝に嘘ついて出自の低いキリシタン女を皇太子妃に認めさせたのも彼だし。

1950年、朝鮮戦争勃発によって大量の農産品が兵食として消費されたが
53年、朝鮮戦争終結によりだぶつく農産物の行き先探しが急務に。

アメリカ政府が抱える小麦在庫は三千万tもの膨大な量に膨れ上がり、
アイゼンハワーは日本吉田内閣に小麦の輸入上積輸入を要請。

日本は食糧は欲しいが金がない。復興資金も欲しい。
そこでアメリカはPL480法案を可決、代金はドルでなく後払いでよい、
復興資金は20~30年の長期低利の借款にする等々きわめて好条件。
吉田内閣はこの法案に飛びつき、アメリカは長期にわたる小麦売り捌き先を確保した。

子供の給食に援助物資のパン&ミルクを使うという方策
家庭の食事の洋風化
この変革のアイコンとなったのが当時の皇太子ご一家
実際の販路開拓に動いた日清製粉


h
ttp://www.logsoku.com/r/2ch.net/news2/1293078556/

個人的に、これ見よがしにバッグを持つ、若き日の、
美智子さまの写真に、今更ながら、
目が覚めた気分です。

h
ttp://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E6%AD%A3%E7%94%B0%E3%81%8D%E3%81%AC#mode%3Ddetail%26index%3D174%26st%3D6408
Unknown (Unknown)
2015-05-03 10:14:31
以前から、BB様のコメント欄で載せてよいものかわからず、ずっと心にしまっていたのですが、思い切って載せたいと思います。
もしかしてBB様は、上森三郎氏のブログ「かごめかごめの真実とは」をご存知なのでしょうか…。
上森氏は空海様の導きによって、眠られた日本の歴史・世界の宗教の始まりを、今まさに世界に明かそうとしてくれています。
以下、抜粋です。

「かごめかごめの真実とは」
http://blog.goo.ne.jp/kagome1248

天皇家とはいったい何なのでしょうか。

私には今、天皇家のスタートは神武天皇でスタートしたことを教えられます。

大国主命=神武天皇=イエス・キリストだと教えられます。

ただし、絶対的注釈を要求されます。

絶対的注釈を入れない限りにおいては、初代大王(天皇)=イエス・キリスト=神武天皇ではないと声を荒らげられます。

BC3年 中央アジア、キルギス生まれのイエス・キリストが22歳で日本に来て6年間過ごし、船でインドまで行ってそこから陸路キルギスまで帰り、故郷に帰ったのは29歳の時でした。

そして、イスラエルに着いたのは29歳で、33歳で他の2人と共に十字架に架けられ、・・でも、手のひらには釘など打たれなたったことや、処刑されても心臓はとまらなかったことや、その後、船で日本まで搬送され、徳島から日本の大地を踏んだことなど教えられています。

再び日本に上陸したときは、33歳でした。

そして・・・、ウガノミタマの主である曽我氏に推挙されて、現在の兵庫県高砂市にある高御位山で35歳で初代大王であることを宣言されたことなどを教えられています。

曽我氏のルーツは何か・・・???

曽我氏は、BC3674年現在の鳥取県米子市生まれのモーセが3人の妻との間に19人の子供を授かりますが、現在の中央アジアカザフスタンあたりで生まれた子供たち数人から部族が誕生し、イスラエル、エジプトへと旅をして日本に帰ってきて、BC660年、天皇家の祖であるウガヤ王朝がスタートし、そのウガヤ・・・曽我氏の推挙で、35歳のイエス・キリストが兵庫県か高砂市の高御位山で即位宣言をして、それから世界のどの国よりも理想的平和国家の建設に102歳まで身を粉にして働いたということです。

そのイエス・キリストがこの日本の初代天皇であったことなど、どうして天皇家が言えるものでしょうか。

世界の歴史と、そして現在も、イエス・キリストを絶大なる神、または神に一番近い存在として宗教活動をして世界を植民地支配していこうとする意図的集団からすれば、それは隠し通さなければならない不都合的真実なのです。

イエス・キリスト様は、みんなに推挙されて初代大王(天皇)になったわけですから、神武の武勇伝みたいに、多くの命を力ずくで奪って大王になっていないことを周知徹底するように要求される訳です。

イエス・キリストは人々に愛と勇気を説いた人です。 どうして剣などを振りかざし人を殺めて天下などほしがるものでしょうか。

神武東征の武勇伝には、この我が国を世界大戦へと誘導する魂胆の人たちの策略の波動が今でも漂っています。

もう二度と同じ過ちはくりかえすことがないように、神武東征はなかったことを、天皇家も政府も国民に知らしめなければいけません。

・・、我が国は、イエス・キリストという数千年に一人出るか出ないかの逸材に恵まれ、そして理想国家建設にこの我が国にその御霊と汗が落とされたわけですから、その真実を今、表に高らかに告げなくてはなりません。

もう全て表に出さなくてはならないその時に来ているようです。今、その時に出会える幸せを地球上の世界市民で共有しなくてはなりません。

もうその方は今、確かに動き回られているようです。世界の平和の為に・・・。
…………………………

学者たちは上森氏の話を否定しています。
でも上森氏は嘘は言っていないと思います。
不思議ですが、私が上森氏の出版した本を偶然本屋さんで見つけたときと、BB様のブログに出会ったのは同時期でした。神様が与えてくれたご縁だと思っております。

しかも、なぜかお二人のブログの言葉の一部分から共通するものを感じたり…
「歴史的に植民地化する時、その尖兵は宣教師たちであった。」「夜明け前の真っ暗闇」
きっと偶然なのでしょうが…。

ただ、目には見えない大きな力が今、日本を新しい時代へ導こうとしているのは確かだと思います。

日本にある神社仏閣を線で結ぶとユダヤの神秘思想が浮かび上がったり、日本国内での山を使った巨大なメノラーの地上絵発見や、イエス・キリストが天皇陛下の祖だった等々…という事実を美智子さまや取り巻き連中はどう感じるのでしょうか。
きっと認めないでしょう。信じないでしょう。見ざる聞かざる知らんぷり。
「天皇は神ではない。天皇陛下を最も偉い方だとは教育していない」。
残念です。イエス・キリストの精神を最も継いでいるのが代々の天皇陛下だというのに。
皇室弱体化のためにキリスト教を取り入れたということは、GHQはキリスト教を悪用しているということになりますが…。うわー最低。
上森氏は、今上陛下にこれまでの発見を文書でご報告されています。それが逆に恐い。老害美智子BAに悪用されないか?と…

八百万の神々が日本を良い方向に導こうとしてくれていると思うと、感謝の言葉しか出てきません。腐敗した皇室が浄化され、一日でも早く立て直されるよう、祈ります(*^▽^*)
作られて…いますね (雪勇気)
2015-05-03 11:09:55
BB さま、おはようございます。わかりやすくまとめてくださり、ありがとうございます。出会いは仕組まれた…そのとおりだと思います。今でもあることですし、お金持ちの実家が娘に持参金を持たせたり婚家を援助したりすることだって、昔も今も決して珍しくはないでしょう。
ですが………もの凄い違和感を感じました。富美さんに。
そして、驚きました。少し前までは、富美さんは良妻賢母の鑑、正田家は娘を嫁がせた家の鑑のように思っていましたから。富美さんのインタビュー記事を初めて見ましたが、普通の日本人の感性とは思えませんでした。その他の言動を見ても、何らかのもの凄~く強い意志を持って、娘を嫁がせたとしか思えません。それでいて、嫁がせた身でありながら、わたくしが~娘が~と、自己愛に満ち婚姻に敵意剥き出しの言動…あの年代の日本女性には非常に珍しいのでは、と思いました。また天皇家に臨むような言動には…キリスト教徒だからというのもあるでしょうが赤に傾いた思想をお持ちの方だったのかな、と恐怖を感じました。
この親にしてこの子あり、まさかまさか日本一高貴な女性にも当てはまるとは…。BB さまのこの記事と皆様のコメントを拝見し、それこそ日本の歴史認識がひっくり返りました!
Unknown (羽)
2015-05-03 12:14:25
こんにちは。
今日は憲法記念日ですが、毎年のように殆ど触れる事も無く悲しいばかりですね。

知れば知るほど背筋が寒くなる事ばかりです。
GHQが諸悪の根源であるのは間違いないと思います。
そうでなければ今頃在日問題に苦しむこともなかったでしょう。
吉田茂元首相、白洲次郎さんのやろうとしていた事が通れば…今になってやっとそれが叶おうとしているのは喜ばしい事ですが。

原爆揶揄芸人関連でお邪魔している掲示板、やっぱり皇室関連の話になると思考停止する人が多いですね。
天皇皇后両陛下を侮辱するなんて…というコメントもきました。
(パラオ訪問したのであれば靖国もしてほしいと柔らかめに言っても批判されました)
そもそも皇后陛下が雅子さまがあんな感じなのに何も言わない事に対して疑問に思った事がないんでしょうかね。

皇室に関して秋篠宮家という最後のストッパーがいてくれる事や、
雅子さまが皇后陛下程の策士ではなかった事は幸いかと思います。
でも一日でも早く廃太子廃妃しないとですね。
BBさま (夕映え)
2015-05-03 13:08:04
私の推論コメントですが、まだまだ遺漏があり手を入れています。
ただ、あまり何度もここに似たようなコメントを掲載していただくのは、気が引けますのでもし転載してくださるなら、新たに手を入れたコメントを非公開指定でお送りしますので、ご検討の上転載なさるなさらないを決めてくださいませ。

転載に値せぬと思えば、どうぞそのままにご放念ください。
新渡戸稲造の5000円札 (Unknown)
2015-05-03 13:51:30
稚拙にもかかわらず、連打お許しください。

新渡戸稲造の5000円札にある「菊花紋章」が、
縦に2つに切られています。

その下に、世界地図があります。

肖像に文化人を起用したのは、ここからです。

美智子様の兄、正田巌氏は、日銀監事ですが、
日銀の黒幕と言われているそうです。

元々ご成婚に真っ向から反対していて、理由は彼が調べたところ、20世紀に入り、26の国々で王制が廃止され、このうち7割に当る18がアジアの国だった。 いずれ、この波は日本にも来る。 

そこで結婚に条件をつけられた。 将来天皇家に男子が誕生した場合、必ず海外留学させ、語学研修をさせること。 これは天皇家が廃絶された時には、海外で生活出来るようにしておきたい。 

お札の件に関しては、お札自体、政府が発行しているものではないんですよね。

ユダヤなのかフリーメーソンなども裏で、
関わっているのではと思うのですが。

h
ttp://sun.ap.teacup.com/souun/2188.html

h
ttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/4596846.html
都会のオアシス皇居 (lavinia)
2015-05-03 14:20:34
BBさま みなさま こんにちは。

記事内容と関係ありませんが、本日の日経新聞の記事「都会のオアシス皇居」を読んで、一部を転載させていただきます。


国立科学博物館が実施した皇居の生物相調査では、
第一期、第二期の合計で681種のハチ類を確認できた。
伊豆諸島などを除く東京都内で記録されたハチ類の6割近く、日本産のハチ類の約15パーセントにあたる。
「皇居に自然が残されているとはいえ、驚くべき数だ」と同博物館動物研究部お篠原明彦グループ長は指摘する。
ー以上転載終わり

これを読んで、怒りがフツフツ。
一度壊したら取り返しがつかないものを惜しげなくぶっ壊すメンタル。すごいですとしか。
ぼんやり黒幕が (らむ子)
2015-05-03 15:36:10
しらべ様、夕映え様が転載されたブログ記事の著者、園田義明氏が・・したためた
「隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!? 」
園田義明著  講談社+α新書

そのものズバリ…ではあります。
…………………………………………………………………………………………………
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=272500
戦後日本をつくり上げた「意外な2つの勢力」「憲法九条」は「皇室を救い出す」トリック!「天皇の戦争責任回避」と「天皇制存続」実現のための「象徴天皇制」と「戦争放棄」

1957(昭和32)年、軽井沢のテニスコートにキューピッドが舞い降りた。その舞台をつくった3人の人物がいる。昭和天皇、カトリックに近い聖公会信徒であり、長く慶応義塾塾長をつとめた小泉信三、そして、死の直後にカトリックの洗礼を受けることになる吉田茂元首相である。小泉も吉田もクリスチャン人脈の中にいた。結論からいうなら、カトリック家系の美智子妃誕生は、昭和天皇の同意のもと、この2人が仕掛けた政略結婚だった。軽井沢での「運命の出会い」はけっして偶然ではなく、この時すでに正田美智子に候補が絞られていたのだ。そのことを知っていたのは昭和天皇と吉田茂と小泉信三。それに、女子学習院の同窓会組織である「常磐会」周辺の一部だけだった。

●「テニスコートの恋」の真実
●皇太子妃をめぐる暗闘があった
●吉田茂に束ねられた人脈
●御前会議「機密漏洩」事件
●戊辰戦争は「南北朝」動乱だった
●侍従・木下道雄と正田家
●カトリックと国家神道の因縁
●長崎で結ばれた皇室とバチカン
●今上天皇とヴァイニング夫人
●靖国神社「非宗教団体論」
…………………………………………………………………………………………………
ネット上のこの方の他の文章も読むと、スタンスが偏向しているので、まるっと信用はしませんが…
2008年に初版が既に廃版のもよう。amazonに古本がプレミア付であります。

未読で言うのはなんですが…「吉田茂」は美智子さんを嫌っていたという話もあるので、100歩譲って、上から(まぁGHQでしょう)クリスチャン妃を何とかせいという圧力に、しょうがないと手を打ったのかも?

軽井沢テニスコートでの写真を撮った「田中耕太郎」についてwikipediaには、
「1957年8月19日の、皇太子明仁親王(現在の天皇)と正田美智子(現在の皇后)との軽井沢のテニスコートでの出会いは、田中耕太郎が、カトリック人脈である小泉信三、吉田茂らと共に演出したとされており、田中もその出会いの場に立ち会っている。」と、あります。

田中氏は「砂川事件」裁判で、米国とご相談の上、ご都合の良い判決を出していますね。(wiki及びニュース記事より)

最高裁判所所長時代に裁判長として「砂川事件」の政府の跳躍上告を受け入れ、合憲(統治行為論を採用)・下級審差し戻しの判決を下した(1959年12月16日)。
が、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と接触し、一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが、次々と機密解除となった日本及び米国公文書から明らかになった。

文化勲章受賞。大勲位菊花大綬章を没後叙勲。
大勲位って、戦後、皇族以外は、よくいうことききました~ってアメリカから貰う物なのね…?
Unknown (BB)
2015-05-03 16:28:14
>夕映えさま


推敲コメントをお待ちします。


>らむ子さま

夕映えさま論と合わせると、興味深い推論が
出来るかも。並列させて構いませんか、
転載に。


天皇の素顔の一端まで見えかねないのが
痛し痒しですが、100%の肯定はBBもしていません。
GHQの制圧下にあったし、まあこの部分は仕方ないかなあ、と思える部分でもあります・・・・。


戦争責任に関しては、部下の処刑の代わりに自分を
やってくれと、おっしゃりに出向いているので何とも・・・・。


巷間思い込まれているように、マッカーサーとの
接見は一度のみならず複数回、相当の条件
交渉があったかと思われます。


昭和天皇は基本的に、真っ直ぐなほうではなかったかと・・・・? いくつか、「れれれ」はありますがGHQと後から関係から来る拮抗の結果かな、という解釈は擁護が過ぎるでしょうか。

すご~く極論すると、天皇って人間性は不要なんです。人間じゃないってとこがスタートラインなのだから、そのように振る舞える人、振る舞ってはいけないことをしない人、それで十分だと思います。
天皇というのは、日本国民がいっせいに読み続ける神話というフィクションだとも、言えるかもしれません。

その神話を奉じることで、日本は解体せずひとつに束ねられて来ました。

神話の人物が「平和憲法護持」など、なまなましいことをおっしゃってはいけませんね。
祭祀を粛々となさっていらばいいのです。
あとは、接見と判子押し。これらや公務はやらないならやならいで、よいです。
祭祀が全て、この国の祭祀王であることが全てです。

胸の内で何を思われようと、浮世に関わることは表には出さぬ。
参考までに (某)
2015-05-03 16:56:15
岡崎匡史『日本占領と宗教改革』
学術出版から、出ているものです。昭和天皇陛下とマッカーサーとの会談直後から、宮廷ではバイブルクラスが催され、日本の国体護持のため、今上陛下がやむなく「人質」となり、バイニング夫人の教育を受け入れざるを得なかったことが詳細に書かれています。
バイブルクラスはGHQの占領終了と共に廃止されたようです。
皇后陛下が、皇太子妃殿下のとき、宮中でカトリックの話をしていると昭和天皇陛下が聞き付けられ、侍従も女官も驚くほどのお怒りで、妃殿下をお叱りになったとか。妃殿下は、うつ伏して謝られるも、ショックで失語症になられたようです。
粉屋の娘云々も、身分を言っているのではなくて、キリスト教の隠喩で、(ア)メリケン粉といったという記述もあったような。

記憶違いであれば、すみません。
また読んでおられれば、またまた申し訳ないです。
Unknown (さるすべり)
2015-05-03 17:44:32
BBさまの情報収集力&洞察力と皆様の細かい情報の嵐で、ものすごいことが起きそうな勢いですね・・。

私は石原新太郎氏は数少ない真の愛国者だと思っています。
弟の裕次郎結婚のときに部屋に呼びつけて、「在日の女なんかと結婚するのはお前の勝手だが、
絶対に子供だけは作るな! 石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!」
と恫喝したそうで。

氏は昔から反天皇制論者ですよね。
約50年前、天皇一家の処刑シーンを描いた深沢七郎の小説『風流夢譚』をめぐり、
石原氏が残した小説についてのコメント。

「とても面白かった。皇室は無責任極まるものだし、日本になんの役にも立たなかった。
そういう皇室に対するフラストレーションを我々庶民は持っている」
(「週刊文春」<文藝春秋/1960年12月12日号>)

昨年の雑誌のインタビューで、国歌を歌わない主義の氏が仕方なく歌う場合には
「君が代は(天皇の世は)」ではなく「わがひのもとは(私の日本は)」
と歌詞を変えてしまう、と語ったそうです。

石原氏はGHQの真相と日本政財界の策略のほぼ全てをご存知なのでしょう。

愛国の石原氏がなぜ反天皇制・・と長い間疑問に思っていたのですが、こういうことだったのかも・・
このまま進めばそれこそ皇室が日本を潰す根源なのだ、と。
とこのところのBBさまの記事で謎が解けてきました。




あれ? (ロムセン)
2015-05-03 17:58:13
ロム専で、興味深く拝読させてもらっていました。
ブログ主様のコメントに、あれ?と拍子抜けです。
恐くなりましたか?天皇皇后批判が。
神話?人間性なき存在?
かつて人間性なき天皇なんていましたか?すり替え、闘争、権謀、天智天皇は殺しまでやってますが?
桓武、白河、後白河、後醍醐 エトセトラ
汚い人間性有りまくりじゃないですか?
人間なんだから人間性否定は無理がありはしませんか?
日本を束ねてきた?はぁ?
江戸時代まで、一般庶民は天皇の存在を知らなかったと言われてますが?
国策で明治天皇を神にしたんですよね。

とにかく、ブログ主様の理性と矛盾するかのようなコメントにはガッカリでした。
せいぜい神話的天皇制度確立の為に頑張ってください。
Unknown (さるすべり)
2015-05-03 18:17:38
おっと・・上コメ誤字失礼しました(汗
新太郎→慎太郎
あれ? はロムセンさんのほうww (菜の花)
2015-05-03 18:17:40

>かつて人間性なき天皇なんていましたか?

ちゃんと読みましょう。

>神話の人物が「平和憲法護持」など、なまなましいことをおっしゃってはいけませんね

明らかに敗戦以降の天皇の存在を語っているでしょうに。「象徴」と、コンセンサスが出来てからのこと(その善悪は別として)


なんでそこに桓武白川・・・・

そんなもの、悪名高きNHK大河でも皆さん知ってますよw

>日本を束ねてきた?はぁ?

だから、戦後の話。あれだけぐじゃぐじゃにやられて、
ひとつにまとまって来たのは、皇室があるからでしょ。


>江戸時代まで、一般庶民は天皇の存在を知らなかったと言われてますが?
国策で明治天皇を神にしたんですよね。

神武天皇ありきで、とりあえず神スタートですわw

江戸時代の庶民をどのレベルまで引き下げるに
よりけりですねw  識字率は高かったので、源氏物語の存在は平均的庶民でも知ってましたでしょ。


なんで、こんな平明なコメントを読み違えられるのか、
大いなる謎ですがw

自分の狭い思い込みと半端な知識と、読解力不足は仕方ないとして、BBさんブログに世話になったのなら、捨て台詞は避けるぐらいの人間性は持たれたらいかがでしょうか。 あなたのコメントへ信憑性がそれだけでも、疑われますよ?

ロムセンさんへ (秋葉)
2015-05-03 18:27:36
皇室解体論でも期待して読んでたのですか?

もしそうなら、勘違いです。

自分の思い通りの論調にならないのが食わないのなら
ロムで人の労力をただで見て、罵倒するだけじゃなく、ご自分で納得の行くブログを立ち上げましょう。

その時はご案内ください。
コメ欄にまで目を光らせ、重箱の隅つついてあげます・・・ってのは冗談
ロムセンさん (purple onion)
2015-05-03 18:43:10
あなたが、何を言いたいのか全くわからないわけではありませんが、BBさんのコメント読み違いですよ。

ロムセンというと、ここしばらくのことですか?

ある程度長い読者さんとのコンセンサスがあるので
コメ欄でのBBさんのコメントは結構端折られることがあります。象徴天皇として規定されてから以降のことをコメントしておられるので、「平和憲法護持」が出て来るのでしょう?

江戸時代における天皇の存在感が希薄なことは事実ですよ。でも征夷大将軍の任命など「権威」として利用されていたのだし、庶民は知らないというのも乱暴。
「天皇」という言葉自体が定着してなかったし。

というわけで、あなたの論旨は解るのだけど、何か思い込みで変な受け取り方をしてると思います。
大変ですねBBさんw (桃実)
2015-05-03 19:18:26
東宮批判の時は、東宮批判だけでも、世の中の人耳を傾けてくれないのに、この上内廷皇族まで批判したらいよいよ聞いてもらえなくなると、「方針として」天皇皇后無批判でいいとこしか書かないよ、ってそれ表明してたよねえ?コメント欄だったけど、明確に。

で、東宮のことは多くが知るところになったので、そろそろ内廷ね、ってことなんでしょ?
いきなり始めるとヤバイんで、枕詞書いてw
それでも、まだ天皇まで手をつけるとヤバイわ・・・・(聞く耳、持ってもらえなくなるという意味で)・・・・でもコメントの転記ぐらいなら、大丈夫かしらね・・・・ってそういう判断と流れだと、勝手に思ってますw


違ってたら訂正してくださっても、くださらなくてもいいでーすw

それにしても、読者が多いと対立軸にあるもの同士も読んでたりするんで、何を書いても双方陣営から罵声を浴びせかけられるのよね。 頭悪い批判も多いしねー、桃実ならやってられないわ・・・・

「雑音は気にせず」(あら、皇后入っちゃった)
邁進なさってくださいませ。


解るものはわかっておりますー
宮中祭祀の根源こそが日本が日本たる所以。 (伊藤知昭)
2015-05-03 19:33:56
BB様、諸先輩の皆様。

何時も御世話になり、有り難う御座います。

無責任なロム専が湧いてきてBB様を貶していますが、本来の天皇の役割を全然理解していないようです。
反日勢力や沈黙する自称保守と同根です。
あちらとこちらとの繋ぎ、依り代であるのが判らなければ、神話以前の万世一系の連綿とした遺伝子の継続にも言及出来ないでしょう。
結界である皇居本来の意味も、です。

論理とは別次元の思考過程が必要な世界でもあります。
結局、波長が合うか合わないかの、理屈抜きの話でもあります。
ある意味、遺伝子の永遠の時間的な歩みの現実、その営みに対しての説明の方便が神話の骨子でしょう。
語り継がれた創造神話以前に遺伝子が存在しており、文明以前に日本列島にはホモ・サピエンスが居住していました。
地球上どこの人類集団にも指導者や纏め役は常に存在しましたし、それが後世の王室や国家元首に成っています。
生物学的な遺伝子に限らず、文化的な、あるいは社会的な遺伝子の後継者も含まれます。

少なくとも、BB様の過去記事を学べば、矛盾は感じませんでした。
一般のロム専の方々へ冒涜を叩き付ける人も居るのですね(発想と発言が在日と同じです)。

日本大事、天皇大事、宮中祭祀大事。

であればこその秋篠宮御一家大事。

長々と失礼致しました。
クリスチャン護送船団「隠された皇室人脈」に書かれていること (らむ子)
2015-05-03 20:02:44
BB様、こちらに前述の書籍内容を要約したブログ記事がありましたので、ご確認いただければ幸いです。

〔園田義明 著『隠された皇室人脈―憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』 第1章 皇太子ご成婚と二人のクリスチャン より一部抜粋、要約 P.14-P.40〕
ttp://ameblo.jp/antibizwog/entry-11586549367.html
(頭にh足してください)

さらに一部抜粋して掲載します。

小泉も吉田もクリスチャン人脈の中にいた。結論から言うなら、カトリック家系の美智子妃(正田美智子 1934-)誕生は、昭和天皇の同意の下、この2人が仕掛けた政略結婚だった。軽井沢での「運命の出会い」は決して偶然ではなく、この時既に正田美智子に候補が絞られていたのだ。そのことを知っていたのは昭和天皇と吉田 茂と小泉信三。それに、女子学習院の同窓会組織である「常盤(ときわ)会」周辺の一部だけだった。

1953(昭和28)年
7月6日 皇太子継宮明仁親王(1933-、今上天皇)、ローマ教皇ピオ12世 Pius PP. XII(Maria Giuseppe Giovanni Eugenio Pacelli 1876-1958、ローマ教皇在位:1939~1958)に謁見
10月4日 吉田 茂、小泉信三宛書簡
1954(昭和29)年
10月20日 吉田 茂、ローマ教皇ピオ12世に謁見
1957(昭和32)年
5月3日 吉田 茂、三谷隆信(1892-1985)侍従長宛書簡
5月12日 吉田 茂、三谷隆信侍従長宛書簡
8月19日 皇太子、美智子軽井沢での「運命の日」
1958(昭和33)年
11月27日 皇太子婚約決定の皇室会議
1959(昭和34)年
4月10日 皇太子結婚の儀

~皇太子のこの欧州訪問の随行員として、美智子妃誕生の立役者クリスチャントリオ、小泉・三谷・黒木が揃います。さらに、吉田茂は、昭和天皇・今上と2人の皇太子による2つの皇室外交に関わった唯一の人物だったと強調しています。byらむ子~

(中略)
もう一度、先の年表を見ていただきたい。10日に一度くらいの割合で昭和天皇に会っていた吉田 茂が、この皇太子外遊の年に小泉信三(1888-1966)に手紙を書き送っている。吉田と小泉は1942(昭和17)年からの知り合いで、信頼出来る友人同士にして互いのブレーン役を務めていた。小泉は皇太子外遊に部分的に同行し、一足先に帰国していたのだ。

この手紙は1953年10月4日に、吉田によって書かれている。外遊での皇太子の態度が感泣するほど立派だったと書きながら、それも皇太子の教育掛を務めた小泉らの指導のお蔭としている。注目すべきはその次で、皇太子の結婚問題に関する小泉の手紙を松平信子夫人に転送しつつ、熟慮を促したとある。

この前年、朝日新聞が1952年7月29日の朝刊に「御意思、十分に尊重 まず北白川、久邇家の順に選考」という四段の囲み記事を掲載し、皇太子妃を巡る報道合戦の口火を切った。ここに「悲劇の宮家」北白川宮家の名前が挙がっていたことを覚えておいてほしい。
(中略)

不思議なことに、この吉田の手紙は、天皇皇后両陛下の軽井沢テニスコートでの「初めての出会い」があった1957年8月19日より4年も前に書かれている。つまり、4年前の時点で既に小泉と松平の対立があったことを明確に示している。

旧皇族や華族以外からも皇太子妃の候補を挙げるという路線が決まっていたのだろうか。いやむしろ、この手紙が書かれた1953年10月4日の時点で、皇太子妃候補が或る程度絞られていたと考えるべきだろう。
(中略)

~1953年といえば、美智子さんは18,9歳。なんで15歳から竹山パーティー?の謎も解ける可能性が。byらむ子~

吉田自らがこれだけ慌しく動いているところを見ると、恐らく吉田が北白川宮家を訪問した5月2日前後には、皇太子妃が正田美智子に絞られていたと推測される。そして、この3カ月後に、現在の天皇皇后両陛下は軽井沢で「出会う」ことになる。

結局、それは偶然でも運命でもなく、予(あらかじ)め吉田や小泉は、皇太子妃最有力候補として正田美智子に絞り込み、「テニスコートの恋」のシナリオが綿密に描かれていたのだ。新聞各紙の中で『吉田 茂書翰』にある小泉信三宛手紙の不思議に気付いて、内容まで紹介していたのは読売新聞だけである。それ(読売)にしても、軽井沢での「運命の日」以前であることの重要性については何一つ言及していない。
………………………………………………………………


華族の素晴らしいお嬢さまが、当て馬として引っ張りまわされるのまで同じですねぇ。

この頃は、まだ国家の為と思っていたのでしょうねぇ。
この明仁皇太子の欧州訪問の随行には、ロックフェラーのエージェントといわれる、山本正の父君も参加。クリスチャン護送船団の一員。

恐縮ですが、 (煎り立て一番)
2015-05-03 21:08:42
さるすべり様へ

石原慎太郎の日本人としての美意識、これが全てではないですか。
こちらの記事をご紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/36f6a792c70c254ab57e42a9200f8597
石原慎太郎って三島由紀夫が三種の神器のことを話しても何それ?おいしいの?状態だったそうな。

BB様、夕映え様、らむ子様、お疲れ様です。大変勉強になったと同時に、自分の思考停止状態、都合のいい思い込みに愕然としました。
Unknown (しらべ)
2015-05-03 21:45:22
夕映え様、BB様 皆様
私の拙いコメント、きちんとアップしてフォローまでありがとうございます。
さて
ttp://seiyou.ehoh.net/seiyou/++owada1.htm まずこの年表を拝借してます。

F家がBかどうかわかりませんが、少し記憶が戻ってきました。

三角大福 (いちご大福ではありません)ジョークです。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%A4%A7%E7%A6%8F
お若い方はもちろんおわかりにならないと思いますが、私なども岸内閣、、池田さん長期せいけんは覚えているのですが(子どもだったので)後は順序がとっちらかって、子どもが使用した年表をひっくり返すのですが、覚えられません。

あくまで推論にすぎませんが、
MIKI 降ろしというのがありました。
1975年~76年にかけて 以下WIKIより
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97

お読みになればわかる通りM→Fパパ です。

深読みすぎかもしれませんが、
絶対に表には出せないけれど、カードとして使えませんか。(妄想?)

そして、雅子夫人 父がFが総理になった時ーー。
出世の階段のぼる ♪

もう一つ推論です。

竹山出会いの会のことは知りませんでした。ありがとうございます。
三島由紀夫との縁談のことは知っていましたが。
竹山氏所属のかしま研究所のそばには、東京での再会のコート日本郵船コートがありました。

もう一つの推論が
出会いの地 テニスコートの場所 軽井沢 キリスト教との結びつき
軽井沢はカナダ人宣教師(聖公会) ショーによって欧米型保養地として
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC



確か、Mマザーは終戦後 双葉→聖心に移られています。
WIKI によると、疎開時期を挟んで、双葉、中学から聖心
五反田の家は戦前からの建物ですよね。通学に遠いから??幼稚園、小学校と通ったのに
わざわざ受験??疑問でした。
このたび、ある答が 玉の輿作戦するのだったら、大学までエスカレーターですよね。15才からストラグルでは、受験勉強できません。それよっかピアノや茶道、お稽古ですよね。
国民はまだ貧しい時代でした。

そして聖心で GHQの意のままーー。シナリオ書いたのはーー。コメントして下さった中にもありましたね。

エピだけしか知りませんが、ご成婚後記者のたばこに火を付けたとかーー。
この話読んだ時おどろきました 。退院時の例の写真もどん引きしました。
ド庶民だけど、学生時代(70年代)つきあっていたBFにそんなまねをするなといわれました。今流に言うとお○の花道 (ちと古い)。そうそうあぐらで手づかみもNGでしたね。なんか、また非常に悲しくなりました。

これだけ打つだけでフフーです。BB様の日々の更新の大変さ想像を絶します。
自虐史観だらけの自分から脱皮できて、過去を振り返ることが出来て感慨深いです。

Unknown (Unknown)
2015-05-03 21:57:01
結局明確な証拠のない妄想ですか
仮説も肥大化しすぎると手が付けられませんな
皇室批判と無用論は画然と異なる (夕映え)
2015-05-03 22:05:06
>ロムセン様へ

あなたは、NHKの反日大河ドラマ史観に毒されていらっしゃるのでしょうか? 故意に歴代天皇の「人間的悪質」のみを並べ立てていて、それはフェアではありませんね。

たとえば順得天皇。

「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」
(順徳天皇「禁秘御抄」)



順徳天皇は、鎌倉時代の天皇ですよ。


>らむ子さまへ

あなたが引用された一説、

>>「田中耕太郎」
「砂川事件」裁判で、米国とご相談の上、ご都合の良い判決を出していますね。

>>当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と接触し、一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが、次々と機密解除となった日本及び米国公文書から明らかになった。

明らかにGHQ関与のくだりです。

むろんGHQ本体は去っているわけですが、その「本質」は日本に埋め込まれていたわけですから。
NHKにしろ、海外特派員協会にしろ、日教組にしろ、GHKの代理機関の残滓です。

このくだりは、推敲コメントにいれておいたところです。

皇后の入内に昭和天皇の関与ということにショックを受ける人もいるかと思い、それゆえのBBさんの懸念かとも思いますが(伝達のタイミングの見計らいとしての)
BBさんが直接書かれるわけでないので、コメント紹介という意味ではよろしいかと。(BBさまへ。このくだり不適切と思えば、削除なさってくださいませ。異議はありません。おまかせします)

拙文には、天皇のその時の動きがGHQからの圧力というよりは恫喝であることにも触れてはありますが。
昭和天皇の誕生日にA級戦犯への死刑判決、今上天皇皇太子時代の誕生日になったとたんの午前0時から、A級戦犯を次々に吊るして行った彼らの凄まじいばかりの、皇室への脅しが急に消えるわけもありません。


>煎り立て一番さま

石原慎太郎が保守として、上り詰められなかったのが皇室の存在意義が理解できなかったところでしょう。
思想はよろしかったのですが、画竜点睛で皇室への尊崇を欠きました。

皇太子を五輪招致運動員の一員にすることを画策したり、清子様を使うことを持ちかけ、黒田氏にピシリと断られたりしています。

いかに皇太子が腐っていようとも、天皇皇后両陛下が主上御謀叛的な左翼思想に染まっておいででも、皇室そのものの存在意義の否定はなりません。
ロムセンさんも、そのたぐいのお方でしょう。

>Unknownさんへ

>>結局明確な証拠のない妄想ですか

証拠の提示されている部分と、推論の部分との判別もつかない頭脳でしょうか?

>>仮説も肥大化しすぎると手が付けられませんな

仮説に対しても、「そうではない」という願望前提の感情的批判未満論は手が付けられませんな。
名無しさん (秋葉)
2015-05-03 22:20:09
>結局明確な証拠のない妄想ですか

どの部分を妄想呼ばわりでしょうか?

皇后の出自に関してなら、自分で正田家の本家の住所と当時の地域区分けを調べれば解ること。
(現在のそれは、行政が同和指定を指定ませんから、その当時の資料をどうぞ)

GHQ関与への推論をもし妄想呼ばわりなさるなら、
あなたは、美智子さま入内前後の皇室への、異様なまでのキリスト者たちの数と関与を、合理的に説明せねばなりません。

皇后の出自と、入内へのGHQ関与については、あなたのように、理由も示せずただ感情的に切って捨てる人が異常に多く、驚いています。

よほどまずい指摘なのか、自分が思い込んだ固定観念が崩れるのが怖いのか。

いずれにしても成熟した思考態度ではなく、卑怯でもあります。
名無しでの書捨てを含めて。
Unknown (さるすべり)
2015-05-03 22:34:02
煎り立て一番様

私もわりと古くからBBさまブログで勉強させて頂いてる読者なので、この記事は存じています。
当事は私もなぁるほど、とこの記事をすんなりと読みました。

しかし、BBさまも少し前の記事でご自分から、「GHQの先を見越した皇室弱体化政策のなんという凄み。」
と愕然とされていることから、
時間の経過により、これまで私達が目にしなかった新たな事実が表に出てきます。
しかしかなりの時間も掛かります。
確かに三島氏と話しをした当事、石原氏が天皇の司祭長としての役割をどこまで理解していたのかは
疑問ですが、GHQの策略に関しては民間人よりもはるか以前から知り尽くしていたと思います。

なので、石原氏のこれまでの発言は「私個人」にとって、皇室とGHQ政策の裏の部分を知っていての発言だったのか・・?
とここにきてなんとなく繋がった、という単なる私の感想でした。

これは煎り立て一番さまやBBさまへの意見、反論ではありませんので、誤解されませぬよう、
その旨宜しくお願いいたします。
寄せられているご意見と批判に (BB)
2015-05-03 22:54:51
BBが口をつぐんでいることに、ご不審の念を抱かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、間もなく夕映えさまたちによるコメントの転載をさせていただきます。


転載するということじたいが、一端のお答えになるかと思っています。

皇室問題は微妙で難しく、東宮夫妻の批判を始めたのが、拙ブログは比較的早かったと思うのですが、無理解と罵倒の中、発信方法は文体から切り取る角度から、あれこれ模索して現在に至ります。

やっと、東宮問題は世の中の多くの人々が認知するところとなり、あるレベルを超える辺りから、自動的一気拡散の趣で、改めて発信する必要すら失せた状況にあります。じゃあ、次は・・・・という流れなのでしょうか。
至らぬ言葉、思慮の浅さも無論ありながらの数年間でした。
内廷皇族については、不勉強のBBより読者の方が詳しく、BBはそれに助けられながら目覚めたり、読者の方々が寄せられた情報を寄せ集めて、新たなことに気付いてみたり・・・・でもまだ自身の言葉で100%発するには至っていません。おそらくこれもまた東宮問題と同じく、2,3年後には一般が気づくところとなるかと思っています。


ふつつかな表現や未熟な思考で、ご迷惑おかけした部分をお詫びしつつ。
石原さん (BB62)
2015-05-03 23:50:49
BBさんには敬意。
でも、たまには休憩してください。

若いころの裕次郎と浅丘ルリ子は好きでしたが、
石原慎太郎氏は、どうも好きになれない。

一応、コピペしておきます。
>私にとって天皇が女性であろうとなかろうと関わりないことと思われる。

「祭司たる天皇  石原慎太郎」
http://sigin.sakura.ne.jp/junpaikai/HTML/NipponnYo_Kousitsu.htm

いろいろ書いていますが最後でこけてしまいます。
この人は大事なところでスベる。だから信用できない。
>大事なところでスベる。 (朝路)
2015-05-04 00:16:16
言い得て妙ですね。

最後の要諦で腰砕け。

都庁も大事な時期に去ってあの始末。
余計な都税が選挙に何度も使われ、
尖閣防衛の費用は集めたきり、
五輪招致のお金は、タイミング知らずの
溝に捨て続け、いまだ、ここぞという時本人いず、
売国朝鮮人桝添を誕生させたのは石原さん。


その姿勢と言論はなかなか正しい。

でも根っこが。
石原さん・2 (GG62)
2015-05-04 11:34:00
朝路さま
>でも根っこが。
そうなんですよね。この人は根の部分でわかっていない。
保守ではないと思います。

記事とは主旨ちがいではありますが、
三島由紀夫のあきれた気分がわかりやすいのでコピペします。

ぼくは吉田松陰の「汝は功業をなせ、我は忠義をなす」という言葉が好きなんだ。
ぼくはいつも石原慎太郎なんか、精神がわかるわけがないと思ってるんだけど、
やつは功業しようと思って政治家になったんだろ。
ぼくは忠義をするつもりだから政治家にならないよ。

三島由紀夫-エロスは抵抗の拠点になり得るか-

先程のコメント、BB62になっていましたね。失礼しました。
なし (ななし)
2015-05-05 00:45:15
明治維新から今日まで、日本人は騙されてきました。田布施一族の末裔たちは、今もしっかりと姻戚関係を繰り返しながら、日本を支配し続けています。もちろん、皇室とも繋がっています。日本人を妻にしないという決め事でもあるのでしょう。
表社会も裏社会(朝鮮カルト・朝鮮yakuza)も朝鮮人が支配する日本。朝鮮人の朝鮮人による朝鮮人のための日本。どうりで、“維新の会”という政党が出てきたのも頷けます。
売国奴、長州5。

田布施一族 (みぃ)
2015-05-05 05:18:40
山口県の田布施周辺は、南朝(朝鮮半島のこととよく間違えているが違う。古代朝鮮半島には南朝などない)、即ち後醍醐天皇の末裔が住み、それを隠蔽するため後に非差別部落指定にしたのである。

吉田松陰をはじめ長州藩は、その後醍醐天皇(南朝)の末裔の家系と関係があり、北朝で続いてきた天皇家の系統(神武天皇からの男系がとぎれた天皇の系統)から正統な血統である南朝の後醍醐天皇の末裔である大室寅之祐に天皇家を継がせようと、孝明天皇の子が死産であった為その母親と父親の中山家と組んで孝明天皇の子として育て、やがて明治天皇に即位したという説がある。

よく田布施一族や明治天皇を朝鮮人とする説は、南朝を朝鮮半島と読み違えているのではと思います。
追加 (みぃ)
2015-05-05 06:24:46
因みに、田布施とはヘブライ語に由来するもので、天皇家に繋がる物部氏ゆかりの土地だそうです。(君が代もヘブライ語)

田布施一族や明治天皇がが朝鮮人とはノンフィクション作家の一人がよく調べもしないで書き広まったとのこと。
日本人がキリスト教宣教師達を拷問する反日映画 (とおりすがり)
2015-05-05 14:32:18
皇后様は監督が来日したら会うのだろうか?

ハリウッドの反日映画再び。
故遠藤周作(キリスト教)の小説「沈黙」を著名な米国人のマーティン・スコセッシ監督が映画化
(ちなみに故遠藤周作と皇后様の親友の曽野綾子夫妻は親友)

あらすじ ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%BB%99_%28%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%91%A8%E4%BD%9C%29#.E3.81.82.E3.82.89.E3.81.99.E3.81.98

窪塚洋介がハリウッドデビュー マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙」で大役演じる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150505-00000000-tospoweb-ent
>日本人がキリスト教宣教師達を拷問する反日映画 (散歩中)
2015-05-05 15:53:18
あの当時の宣教師たちって、植民地化の先兵たちですよねえ。「沈黙」はそこを描いていないような?

それに全部の宣教師たちがやられたわけじゃなし。

これ、在日の俳優が台湾で捕まって降板したあの
映画じゃないんですか?

日本が舞台なのになんで台湾で撮影するんでしょうね。
内容次第では反日映画 (秋葉)
2015-05-05 16:13:48
宣教師は日本女性を海外に売り飛ばしてましたが、
そこが描かれているとは思えないですね。

宣教師=日本の一方的被害者という図式なら反日映画認定で間違いないです。

宣教師は諜報活動もやってました。

遠藤周作は、「海と毒薬」であるかないかわからない、
米兵への生体実験も、フィクションとして描いています。

皇后と同じ自虐史観カトリック左翼ですね。

在日朝鮮人の男が出演予定でしたが暴行事件で
降板、

窪塚は麻薬関連の何かで事故起こしてませんでした?

吹き溜まりみたいなキャスティングです。

これも、アンジェリーナ・ジョリの「ブロークン」と同じく
上映禁止に追い詰めたほうがよさそうです。
配役が香ばしい (菜の花)
2015-05-05 17:27:06

隆大介という在日俳優がキャスティングされてましたが、主演も本来はあの、反日俳優渡辺謙だった
んです。

スコセッシの撮影開始が遅れ、渡辺のブロードウェー
舞台とかぶさったので、渡辺が降りて浅野忠信になった。

配役の偏り方から見ても、反日を意図した組織が絡んでいると思います。

スコセッシはカトリック司祭者志望だったので、宣教師たちを一方的被害者という視点でしか、描かない気がします。遠藤原作を知らないのですが、米兵の生体解剖とかあったかわからないことを小説にしているし・・・・。


カトリック即反日というような短絡は論外ですが、
日本においては、日本の神道=精神性破壊=洗脳の道具として使われて来たのは、事実です。

キリスト教をやはり日本人洗脳の手段として用いたのがマッカーサーなので、そこからも美智子様入内のGHQ関与が指摘される点です。

窪塚洋介 (ハミングバード)
2015-05-05 19:39:47
BB様、いつも記事の更新ありがとうございます。

窪塚洋介は「GO」って言う映画で在日韓国人を演じています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/GO_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
当時、この映画は映画賞を総なめにしていたので、
期待して観たのですが、
何が良いのか全く分かりませんでした。

それと窪塚は9階のマンションから飛び降りています。
原因は薬をやっていた為と言われています。
私の中で窪塚はプッツン俳優のイメージしかありません。


みぃ様 (あみ)
2015-05-05 22:05:41
はじめまして、あみと、申します。
余計な事とは存じますが、「君が代もヘブライ語」との記載を拝見し、下記の事かと思いまして記させて戴きました。  間違いでしたらお詫び申し上げます。



【日本語】     
君が代は

【ヘブライ語】       
クム・ガ・ヨワ 

【語訳】
立ち上がって神を称えよ


【日本語】
千代に八千代に 

【ヘブライ語】
チヨニ・ヤ・チヨニ

【語訳】
神に選ばれしシオンの民よ


【日本語】
細石の   

【ヘブライ語】
サザレ・イシィノ 

【語訳】
残りの民として喜べ


【日本語】
巌となりて

【ヘブライ語】
イワ・オト・ナリテ    

【語訳】
神の預言が成就した


【日本語】
苔の生すまで 

【ヘブライ語】
コカノ・ムシューマッテ

【語訳】
全地あまねく宣べ伝えよ
あみ様 (みぃ)
2015-05-05 22:57:56
ありがとうございます。

その通りです。

因みにタブセ(田布施・多布施)は、ヘブライ語で故郷と言う意味だそうです。

南朝の天皇家の血筋をもつ一族が逃れてひっそり暮らした隠れ里ではないでしょうか。

大雑把にしか知らないのですが、非差別部落の中には、政変で権力を失い地方へ逃れた一族を閉じ込めておく意味もあったようです。

瀬戸内海沿岸には、非差別部落が多く、源氏や平氏などそれぞれの勢力争いの時、逃れて移り住んだ隠れ里だったようです。
追加 (みぃ)
2015-05-06 00:00:09
橋下維新こそ、反日朝鮮人の成り済まし政党でしょう。

こっちは、背乗り朝鮮部落そのものの団体。

地元八尾では、維新の会は、部落の会と呼ばれているようです。

橋下の父親と叔父は朝鮮人であり山〇組系暴〇団員であり、部落利権にたかる為水道会社を設立しその受け皿としている。尚橋下徹の政治資金は暴〇団員の叔父橋下負博から出ている。

また橋下の支援団体は、ソフトバンク・創〇企業パソナ・北朝鮮系のマルハン。


橋下の『都構想』は大阪府と日本を分断し、効率化の美名の下、大阪府民や市民の血税でつくられた水道事業や地下鉄などのインフラを外資に売却しその莫大な利権を得るのが狙い。

橋下の掲げる維新八策には、伊丹空港の跡地を朝鮮人の開放区にし朝鮮人の税金は0、また何千万単位の朝鮮移民を大阪に呼び入れ、日本人の土地財産は没収、それを平等に朝鮮移民に分け与える、外国人参政権と人権擁護法案の実現などがあります。

因みに橋下維新が大阪の首長になってから大阪府の税収や大阪府民の所得が下がり続けています。因みに隣の京都は反対に上がっています。
二重行政が『都構想』にしないと解消しないという錯覚を橋下は与えています。京都は府と市が協力し二重行政はほとんど解消しています。橋下維新は府も市も維新で同じ政党が握っているわけですから、その時点から強調して二重行政は解消できるはず。

二重行政の解消が『都構想』の目的ではありません。橋下維新政府をつくり日本政府と分断する為です。
質問です (雨上がり)
2015-05-06 01:00:55
>差別部落の中には、政変で権力を失い地方へ逃れた一族を閉じ込めておく意味もあったようです。


皇后陛下の出自が、群馬館林の被差別地区であることに、間違いはないと思いますが、かといって元々の穢多非人というわけでもなさそうなんでしょうか?
新田氏に行き着くのですよね。

質問は、みいさんだけではなく、どなたにでも。

穢多非人であっても、別に現在がきちんとしていればいいわけですが、皇后が巧みに隠してきた反日左翼的立ち位置や、雅子妃のどうしようもない劣悪な有り様などから、言われるのだと思います。


それにしても、皇太子妃が二代続いて部落と宗教がらみ(カトリックと創価」って、日本弱体化勢力の敷いた路線であることを疑わざるを得ませんね。
そして弱体化路線の源流はやはり、GHQか、後可能性ががあるとすればCIAしかないでしょう。
部落を入れ込んだ理由は、日本国民の生理的な拒絶感を知っていて、ある時点で故意にばらして、皇室への希求力を喪失させる、とか? いう狙い?
雅子妃の場合は、早々とばれちゃいましたけどねえ。
元々が窒素水俣の穢れたご家系であり、実父はあからさまなまでに、GHQに協力することによって出世階段を駆け上がって来た、小和田恒ですから。
Unknown (みぃ)
2015-05-06 03:30:10
部落にも色々ある感じ。エタ非人の部落もあれば、田布施のことを調べていて、分かったけどあの辺り一帯は、南朝の後醍醐天皇の末裔や縁のある人々の隠れ里だったり。

四国の山里にも平家の落武者の隠れ里があるので納得です。

みぃは、高校になるまで非差別部落の存在を全く知りませんでした。部落は昔の言い方で集落のことかなと、最初思った位です。

広島県の山間部の小さな城下町の出身ですが、去年全国の部落の所在地一覧を見て愕然としました。

みぃの実家の住所が部落として掲載されていました。( ̄○ ̄;)。

〇〇市〇〇町は部落とあったのです。だけど〇〇町は市街地の半分を占める面積があり、とーゆうことは〇〇市の半分は部落ということになります。因みにみぃの家系は、祖父祖母共に地主の家柄です。みぃの実家も周りの家も田舎にありがちな白壁で土塀と中庭(築山や池に鯉)のある門構えの家です。これが部落???


よく思い出してみると、〇〇町の民家が多く建ち並ぶ場所から外れた川沿いの土手にへばりつくようにそのような外観の家とは違う古ぼけた木で壁を継ぎはぎにしたような小さな家がいくつもごちゃごちゃ固まってあった一角をを思いたしました。距離で50メートルもない範囲の小さな一角
続き (みぃ)
2015-05-06 03:49:32
です。
そう言えば昔、大人が字△△とつく場所の土地を買うのは嫌だと言っていました。あの小さな一角が部落だったんですね。

思えば、〇〇市は、明治の頃から小さな村をいくつも合併して町になりそして町をいくつも合併して市に昇格しています。
そしていくつもの小さな村名は大きな一つの町の名になっています。

ですから現在の町名で部落を表記すると〇〇町全体が部落なんだと錯覚してしまいますね。〇〇町は市街地の半分3~4キロメートル四方ですから、実際、街を見るとすぐそんな訳ないと分かります。

又今は字△△もなくなり〇〇市〇〇町〇丁目に区分されているのでそのようなおかしなことになるのでは。

本当に部落の所在地を調べるなら明治の頃の地名でその場所を特定するのが正確だと思います。

京都の地元の人があの辺りには今でも行くなという旧部落地帯があります。今は京都市左京区〇〇町の小さな限れた一角らしいのですが、昔は、そのエリアは〇〇郡△△村と呼んでいたそうです。

今の町名イコール部落を示していた部落名ではないところが多いのでは。
部落を狙ったイエズス会の布教 (夕映え)
2015-05-06 05:03:39
皇后陛下については、仕えていた新田氏の居住区内の正田とあり、現代でも東武伊勢崎線「館林」駅の裏手(西口)から徒歩1分と狭く限定されていて、エタヒニンの人たちの信仰対象であった白山神社もあり、まず間違いないでしょう。

部落問題・人権事典ー群馬県のサイトに明記されています。

http://www.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%B7%B2%C7%CF%B8%A9

正田家が新田家に連なるというのは勘違いだと思います。「仕えて」いたのです。(連なるという説もありますが、根拠が今のところ皆無です)

後傍証的な意味では、イエズス会というのは
当時の部落から信者を取り込んで行きました。

ヨセフ・フロジャック神父が館林市を活動の場にしたのは、ゆえないことではなくここで美智子さんの祖母、正田文右衛門の五女。正田きぬさんに出会い、洗礼を施し、そして皇居にまで出入りした上で、美智子さんの成婚を自分の最大の作品」と称しているのだから、およそ推測に固くない動きがあったのだと思われます。

背後にGHQのカトリック、プロテスタント問わずキリスト教を、神道思想破壊の道具として使ったという背景があります。

そして、このフロジャック神父と館林、正田美智子の祖母との関わりが、Wikipedia 他の記録でもいっさいないことが、逆証明にはならないでしょうか。

つまり神父と皇后との関わりなど、神父の生涯でも大きな出来事であり、まして成婚に関わったとなると最大イベントであったろうに、いっさい触れられててないのです。美智子入内の前に書かれ、きぬも序文を寄せている神父の伝記以外は。

「隠さねばならぬ何か」があったと思うべきでしょう。

なりすまし (しょう)
2015-05-06 06:14:00
日本女性をアメリカに売っていた昭和天皇と三菱。その数50万。日本の若き乙女たちを騙し、売春婦として売り飛ばし、巨万の富を築いた。隠し財産はバチカン銀行へ。騙され売られた日本女性たちは、そのほとんどが梅毒に感染し20代で死亡、または自殺。
特攻隊で亡くなった少年・若者たちは、このことを知る由もない。当時の日本人は、みな騙されていた。
天皇は靖国へなぜ参拝しないのか?それより韓国への謝罪のほうが大事だというのか。パラオ訪問はパフォーマンスみえみえ。
皇室のクリーンなイメージは、時代の流れとともにメッキがはがれ出した。それを必死で庇う朝鮮人たち。日本人より皇室ファンが多いようだね。
Unknown (みぃ)
2015-05-06 07:17:20
正田家は部落ではない気がするのですが。


正田家の祖先は生田と名乗り新田家に仕えていた武家とあるし。その新田家は南朝の後醍醐天皇に仕え功績があった一族とあるし。

又正田英三郎の父日清製粉の創設者貞一郎だっけ?の経歴を見ても部落出身者とは思えない。

正田醤油が正田家の本家らしいけど前身は米問屋だし。


想像するに新田家も馬の管理や馬具にエタ非人を使用していたり又正田家も醤油を製造するにあたり、当時の醤油職人が皆部落出身者と言うのは考えられる。

ただ正田家が部落ではないかとアングラ雑誌に書いた部落出身の上原善弘や本田豊の主張が他の部分でも学会では認められていないらしいから、こちらの信憑性がどうかなと感じる。


ですが、美智子皇后の入内がGHQとカソリックによる皇室改革(神道の家系にキリスト教思想を植え付け変質させる)の為の尖兵としてのものであったことは確かだと思います。

戦後の初代宮内庁長官はGHQから皇室の改革を命じられたクリスチャンでしたし。
からゆきさん (みぃ)
2015-05-06 15:18:40
しょう様の説明はからゆきさんの項目で検索すると出てくる文章ですが、かなり事実と違うような気がします。

明治の頃から政府や天皇家は、富国強兵の為に船舶など海運業に力を入れそれが後に日本は世界一の海軍や船舶業に繋がりますが、その事とは別に朝鮮半島の併合や朝鮮半島から日本への米輸出などにより日本は幾度となく農村を中心に貧困にみまわれ、海外への移民や斡旋業者による女性の身売りなどがあったと思います。

ですがしょう様のような極端なで乱暴な説明をするサイトの文章を読んでいると、かなり天皇家を貶める目的のプラパガンダのような捏造の意図を感じます。

詳細は調べてないのですが、むしろしょう様の内容はキリシタン大名時代イエズス会が行った日本女性の海外への売り飛ばしの内容に近いような気がします。イエズス会と天皇家の悪質なすり替えでは?

幼少の頃、教師や祖母から農村の貧困による移民や身売りの事は聞いたことがありまが、その話に一番近いと思ったのはこちらです。

『からゆきさん -教科書が教えないもう一つの日本史―』

h〇p://www.google.co.jp/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=h〇p://www.kanda-zatsugaku.com/110624/0624.html&source=s&q=%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%93&sa=X&ei=laRJVY2RGabJmAX4soHIAw&ved=0CCUQFjAK
皇后の出自 (夕映え)
2015-05-06 18:05:50
まず、正田の本家がある地区は明確に同和です。
広い範囲のくくりで、そうでないところも包括されたという如きことではなく、狭く限定されてます。

館林市:


赤生田町(下新田) 栄町 新栄町(天神) 成島町 野辺町(西山)

この「栄町」に属します。ごく狭いエリア限定の、部落です。栄町に穢多非人たちの信仰の対象、白山神社があるかどうかはまだ調べてません。割に絞りこまれた地域にあったのは事実だとまでは、調べてます。

醤油業を起こす時、この部落エリアに移転してきているので、なんで部落にわざわざ? という疑問があります。

ここで推論が置ける余地がありますが・・・・傍証すらない推論でしかないので、記しません。

そのエリアに居住していたからといって、ご本人たちが穢多非人だというわけでもない、という状況はありえるのかもしれません。これは、歴史に詳しい方の意見を待ちます。

フロジャック神父が布教の手がかりとしてまず、イエズス会のセオリー通り、部落からとして館林に手をつけ、その流れで正田家と関わったというのは、事実認定でいいと思います。

美智子さん入内にGHQが噛んでいるのは状況証拠の多さからして、ほぼ確定で良いかと思います。


あった・・・・ (夕映え)
2015-05-06 18:12:04
白山神社、ありました。

それも、正田醤油の敷地内にです。

正田醤油館林工場敷地内の白山神社http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2011/10/post-8594.html


なぜ敷地内にわざわざ穢多非人の信仰対象である白山神社?

白山神社は一般にも信仰されていたと思いますが、
しかしそれが、同和地区と目されるまさにその場所にあるとなると、穢多非人との関連性は色濃いと言うべきでしょう。

それで、即正田本家がそうだという論拠にはなりませんが。

もうちょい追って調べてみますが・・・


穢多非人と士族との関わり他。
竹山家 (ざくろ)
2015-05-06 19:42:08
まさかここで浜松一の旧家と言ってよいであろう竹山家の名前を目にすることになろうとは。

竹山姓の人々は今も天王町というところにたくさん住んでいらっしゃいます。
本家は跡継ぎがなく潰れたようです。
最後の当主のかたが本を出されています。

「平左衛門家始末」浜松・竹山一族の物語
竹山恭二著 朝日新聞社
Unknown (煎り立て一番)
2015-05-06 21:45:29
本人談の両親エピを貼れとゆわれた気がして
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/18ecd264ac02dc4be746e2e1eb380087/?cid=726917c85cb72e63789ab4d3bc890650&st=1

私が小学校に入る頃に戦争が始まりました。昭和16年(1941年)のことです。四学年に進級する頃には戦況が悪くなり,生徒達はそれぞれに縁故を求め,又は学校集団として,田舎に疎開していきました。私の家では父と兄が東京に残り,私は妹と弟と共に,母につれられて海辺に,山に,住居を移し,3度目の疎開先で終戦を迎えました。 度重なる移居と転校は子供には負担であり,異なる風土,習慣,方言の中での生活には,戸惑いを覚えることも少なくありませんでしたが,田舎での生活は,時に病気がちだった私をすっかり健康にし,私は蚕を飼ったり,草刈りをしたり,時にはゲンノショーコとカラマツ草を,それぞれ干して4キロずつ供出するという,宿題のノルマにも挑戦しました。8キロの干草は手では持ちきれず,母が背中に負わせてくれ,学校まで運びました。牛乳が手に入らなくなり,母は幼い弟のために山羊を飼い,その世話と乳しぼりを私にまかせてくれました。 教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に,たまに父が東京から持ってきてくれる本は,どんなに嬉しかったか。冊数が少ないので,惜しみ惜しみ読みました。そのような中の1冊に,今,題を覚えていないのですが,子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は,どちらも8世紀に記された2冊の本,古事記と日本書紀に記されていますから,恐らくはそうした本から,子供向けに再話されたものだったのでしょう。 父がどのような気持ちからその本を選んだのか,寡黙な父から,その時も,その後もきいたことはありません。しかしこれは,今考えると,本当によい贈り物であったと思います。なぜなら,それから間もなく戦争が終わり,米軍の占領下に置かれた日本では,教育の方針が大巾に変わり,その後は歴史教育の中から,神話や伝説は全く削除されてしまったからです。 私は,自分が子供であったためか,民族の子供時代のようなこの太古の物語を,大変面白く読みました。今思うのですが,一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域の人々が,どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐れたか,どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じられます。 父がくれた神話伝説の本は,私に,個々の家族以外にも,民族の共通の祖先があることを教えたという意味で,私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。本というものは,時に子供に安定の根を与え,時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。もっとも,この時の根っこは,かすかに自分の帰属を知ったという程のもので,それ以後,これが自己確立という大きな根に少しずつ育っていく上の,ほんの第一段階に過ぎないものではあったのですが。
Unknown (みぃ)
2015-05-06 23:50:14
廃棄物が多く効率の悪い重労働の醤油製造業は、部落産業だったみたい。

正田家に醤油の製造を教えた野田醤油も労働争議に水平社が関わるなど醤油製造の労働者は部落と関わりがある様子。

上原善広の文 (夕映え)
2015-05-07 06:57:35
全面肯定するわけではなく、参考まで。

T=館林、 ××町=目車町


      群馬県T部落   文・上原善広
同 和 地 区 指 定 さ れ て い な い 理 由 あ り の T 部 落

 群馬県T駅に降り立ったのは午後3時くらいだろうか。私は駅を出ると横を通り
駅舎の裏側に出た。
 部落は必ずしも一律全てが悪条件な場所にあるのではない、ということを以前
に書いたが、ここはそれとは正反対。いわゆる今までの偏見どおりの、条件が悪
悪い部落に入るか。 以前の地名は「××町」といい、道端の案内板によると、
昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていたので、それで××とつけられた
と、道端の案内板は解説している。
ここは非常に説明しにくい部落だが、非常に貴重な部落でもある。なぜなら
、ここから女性が一人、皇族に嫁いでいるからである。そもそもこの土地につ
いては、ある研究者の方に紹介していただいて知ったのだが、最初は私も半信
半疑であった。しかし今回実地に歩いててみて、それを確信するに至った。
 まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、女性はその社長
の娘だった。地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという。何代にもわたって
記録的な成長を続けてきたこのN社だが、それはやはり「差別からの脱却」が
まず根本に、怨念のようにあったからであろうと思う。江戸期から商いに奮闘
してきたその歴史は、彼の地にあるN記念館でも辿ることができる。老舗の醤油
屋も現在彼の地にあるが、その醤油屋から分家してできたのがN社である。「こ
な屋」と「醤油屋」はいずれも女性の一族の経営で、 故に彼の地ではうどんが
名物となっているが、これは不味いのであまり有名でない。醤油もそう良質な
醤油でなかったと聞いている。



駅の裏にはそれらの工場群が散在する。日本を代表する大企業であるから、
本社はずいぶん前に東京に移してあるが、工場は小規模ながらまだこの発祥の
残っている。いずれも古い施設だ。その工場の一つをぐるりと回ると、その裏
にひっそりと、これもまた古ぼけた白山神社が祭られている。白山神社の周囲
には廃屋と呼んでもよさそうな、朽ちかけた家々が並ぶ。ここは女性が皇族へ
嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。 指定を受けると部落とわ
かってしまうからである。家々の横を泥川が流れる。
「貴 あ れ ば 賎 あ り」か ら 真 に 貴 も 賎 も な い 時 代へ・・・
 私はこのような事実をことさらスキャンダラスに書いて、読者や部落民の劣
情に訴えたいのではない。休刊した「噂の真相」三月号でも書いたが、この事
実を考えると、私たち「平民」よりも皇族の方が先進的ではないかと思うのだ。
なぜなら皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺
の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味しているからだ。
ただ「平民」と「部落民」の結婚差別どころの騒ぎじゃない。無論、皇族や宮
内庁内には数々の激しい抵抗があったと予想できるが、私たちにそのことをう
かがい知ることはできない。
 私はこの事実を知ったとき「さすがは象徴天皇である」と、心の中で喝采し
た。私たちも税金を払っている身である。しかし、この事実は、公表されて初
めて意味を成すことである。公表すればそのまま、差別に対して皇族の先進性
がアピールできるではないか。これをもって「部落解放」を宣言しても良いく
らいの、画期的な「事件」なのだから。



 しかし、それはされなかった。そうした事実がまことしやかに広まることも
ほとんどなかった。一部の研究者や関係者だけの心に留め置かれたのである、
なぜか。
 女性が結婚したその当時は、残念ながら差別はまだまだ悲惨なものだったか
らである。
 しかし、これは快挙事であることは間違いない。現天皇が自らの祖先につい
て朝鮮半島を持ち出して一騒動になったことはまだ記憶に新しいが、今思えば
彼らしい自由な発言であるといえる。そして今回の皇太子による「雅子のキャ
リアや人格を否定する動きがあった」という発言は、この父にしてこの子あり
、真に勇気ある堂々とした発言だ。周囲の関係者や宮内庁職員の方が、天皇家
よりも閉鎖的で前近代的なのだろう。正に皇室の新時代の幕開けと見て良い。
私は今まで松本冶一郎の「貴あれば賎あり」を信じてきたが、これからはそん
な古臭い言葉なんか放棄したい。真に、貴も賎もないのだとしたい。
 こうした事実を、この稿で堂々と具体的に公表できたらいいのに。そして地
名も堂々と公表することができたとき、部落解放は成されたと見ても良いと私
は思う。
 彼の地を歩いたその夜、たいしてうまくない田舎町の飯と酒と女だったが、
それはたいそう私のはらわたに沁みた。彼らの「歴史的な結婚」の四十年に乾杯
しようではないか。
穢多非人と朝鮮人 (もみじ)
2015-05-07 08:08:48
コピペです。


http://kagabiyori.seesaa.net/article/23729084.html
>>白山信仰の発生には、古代朝鮮半島からの渡来人が深く関わっているらしい。
>>山陰から北陸にかけての日本海側の地域には、多くの渡来人が対馬海流に乗って渡って来た。
>>白山は、頂上に雪をいただき、一年中、白く輝いている。朝鮮半島から海を渡って来る人々には
>>海の向こうに見える白き山は、どれほど印象的であったか。

穢多の身分に落ちるには、色んな事情があるが、山窩(朝鮮サンカ)もその内のひとつ。
傀儡子や、炭焼き、海女(人)など、浮浪民の人達が多数いた。
Unknown (応援してます♪)
2015-05-07 10:00:24
皇室掲示板でもこのように書かれていましたが、あまりそのような意識を持っては見ていませんでした。


>白山神社って部落の総本山ってことでいいの?
http://www.shirayama.or.jp/index.html

上手くまとめられないのですが、白山神社というか、神様を冒涜するような意味での書き込みは見ていて辛いです。
エタ、ヒニンといわれる方が何を信仰されていたのかや、朝鮮がらみの名前ではと、ここの祭神である、「菊理姫」は言われてたり、説もありますが、日本全国に祀られ信仰されています。
福井県の永平寺でも大切にされているはずです。

ただ、いただけないのが、ワールドメイトというカルト宗教は、ここのくくり姫の名前を多用したり、訳のわからない説をふりまいているようです。
ワールドメイトの深見氏が、なぜ白山ヒメ神社に執着するのかなと気になったことはありますが、朝鮮がらみで気に入ったり、信仰しているんでしょうかね。
ああいう団体は他と差別化も図りたいだろうし、白ヒメ神社の神様を持ち出したのかなとも考えもしますが。

別に他を落とし込もうとか呪いをかけてるわけでもないと思うし、信仰して、まじめに生きてこらえれた方たちまで、さげすめるように取れる書き方は見ていて辛いです。
それに神様はそのような狭い意識対ではなないとおもいます。
くくりというのは人の縁をつなぐという意味でも用いられているので、もっと広い意味で崇敬していけばいいと思うのですが。

事実を突き止めることは大変大切だと思います。
でも、生きていくうえで、祈ったり、縁にしたり、信心し各自の信仰にたいして、上からものを言うような感じはよくないと思います。
生まれた身分は仕方のないところもあります、信仰で心を支え、励ましていこうとすることはそれも清いことかと思います。
そこには人種とか生まれは関係ないのではないでしょうか。



Unknown (みもざ)
2015-05-07 10:13:56
>白山神社って部落の総本山ってことでいいの?
http://www.shirayama.or.jp/index.html


これは明らかに事実と違うし、その掲示板で指摘して、書くべきことでしょう。もみじさんのは、単なる事実の叙述だし、
なぜここで、それを書かれるのか?

こちらで白山神社が取り上げられてるのは、
あくまでも正田本家のエリアの傍証としてでしょう?

ちょっとわからん。
白山は一般信仰もされてるけど、部落にあったら
やっぱりね、ということなんでしょう?
被差別部落の人たちの信仰対象だったから。
それに、その事自体が神社の格を貶めるとは思わない。弱者救済なんだし。

Unknown (応援してます♪)
2015-05-07 10:59:14
BBさま、みなさま、こんにちは。
先程は、挨拶もなしに、よその掲示板から引用しての書き込み失礼しました。


>みもざさま

掲示板のものは掲示板にと教えていただいてありがとうございます。
私の選択と、道理が間違っていました。


あちらの掲示板での書き込みは、こちらのブログを見ての流れの意見だと思い、ここに書かせてもらいました。
あと、ワールドメイトのことも含めて、お伝えしたかったのもあります。

こちらのブログで、白山神社のことを調べて書いてくださってる方のお名前を個人的にあげて書くのも避けたかったんです。
BBさんのブログコメントに、いつも真摯にコメントされてるみなさまには、愛着があってこういう形での書き込みでは名前を書きたくないという思いが強いです。
でも、これも私の勝手な言い分です。

BBさま、こちらにこられるみなさま、わたしの間違った選択と行動で、ブログを汚してしまってすいませんでした。

参考までに (夕映え)
2015-05-08 03:42:09
全てコピペで、私個人の意見ではありません。
あくまでも、参考まで。

◆館林の正田邸は小頭半左衛門邸のあった場所に立っている。
つまり、かつてのB地区のあったその場所に建っている。

◆これは群馬県の部落史問題の研究家から聞いた話。
噂の真相で記事になる10年も前のことです。

◆小頭の末裔は維新後群馬県の水平社の中心メンバーになった。
その中の正田熊次郎は館林の正田家の親戚にあたる。

◆天保期に提出された小頭の由緒書では、「成島村之内西原 長吏 半左衛門」と記されています。
一方で、館林の小頭は館林城の大手門近くに屋敷を構えて、月に三度城内の掃除や
罪人の拷問や成敗を仕った、と延宝期の史料には書かれています。
ですから、成島も目車も両方正しいと思いますよ。
半左衛門は館林に何箇所か屋敷を構えていたのではないですか。

◆正田家の先祖が新田氏の家臣だとか、
世良田の出身であることを理由にB説を否定しようとしているのであれば、むしろ逆効果。
群馬県の被差別部落は、自分たちの先祖を新田氏と関連づけて 語る部落が多い。
皇后の弟って、離婚してます? (秋葉)
2015-05-08 14:30:03
>皇后・美智子様の実弟である正田修・素子 夫妻が、都内の教会でカトリックの洗礼を受けられたということです


この時の妻の名は素子だけど、チャールズ王子の来日の時、秋篠宮さまを倉敷に飛ばす作業を行ったのが、修氏と、大原の娘、泰子さんとなってるのだけど?

離婚の噂は聞いたかなあ? (ぼんやり)

カトリックで離婚は禁止だけどねえ。
日本人は結構従わないけど。

それにしても、再婚相手も(もし再婚なら)
カトリックの家野娘です。大原美術館の大原がそう。

正田家は全員カトリック。
皇后を出した家系なら、遠慮しないかなあ、
入内後の受洗は。
Unknown (Unknown)
2015-05-09 02:24:00
まるでワイドショーだな。興味津々、内幕暴きに凄い情熱だ。ワイドショーと言えば、暇な主婦、だよね!?
知的装ってるけど、口達者な暇人の集まり。下々が騒いでも動かすのは上なんだよ。
はいはい、また名無しさん (菜の花)
2015-05-09 02:54:44
記事のどこがまずいか、具体的に指摘、
なぜまずいのか、その論拠を述べましょうね。

>下々が騒いでも動かすのは上なんだよ。

あなたのような情弱無気力ばかりじゃ
ございませんの。

在日さんなら、国へ帰る時が近づいてます。
Unknownへ (桃実)
2015-05-09 03:24:27
夜中に徘徊して、文章未満を書き散らしている
暇人。巣へお帰り。
(^O^) (みぃ)
2015-05-09 05:54:54
口達者で暇人のみぃです。


この数日、正田家のルーツについて色々調べてみたのですが、やはり正田家は、名家だと思います。

その理由として江戸時代『米文』と 言う屋号で米問屋を営んでいたこと。

この規模は日本有数で、先物取引の発祥は大阪の堂島の米相場からと言われていますが、当時『米文』の商いはこの米相場に影響を与えるほどだったということから、当時の日本の経済を動かす規模だったと思います。

当時えた非人をまとめ管理していたのは、えた頭である弾左衛門であり、部落の仕事は皮革製品やにかわ、竹製品や葬祭に関わる処理、一部芸能関係とはっきり限定されており、副業で一部えた非人も農業ができたみたいですが、一般に流通される米とは隔絶されていました。
えた非人の仕事は専売特許のように許された仕事だったので、その利益も大きくそれを取り締まる弾左衛門は一万石以上の大名規模とも言われていますがそれでも身分的には分けられており、えた非人の産業内で固定されていたので、この時代、正田家が扱っていたような大規模は米の商いには、携われない。

又、1844年正田家は名字帯刀を許された領主身分であった。そして美智子皇后の祖父であり日清製粉の創設者正田貞一郎氏の父作次郎は明
続き (みぃ)
2015-05-09 06:03:14
治初頭、横浜で外国の米を輸入する貿易商であったことから、正田家の西洋嗜好はこの頃からの影響もあるのではと考えられます。

又正田貞一郎氏は現在の一橋大学を出て、戦前貴族院の議員であり又母の幸も武家でかなりの名家であったこと。

この時代、今より身分制度がはっきりしており、武家の名家の娘がえた非人の家系に輿入れすることは考えられない。

また貞一郎は後に洗礼を受けるが館林ではなく東京の文京区の関口教会であり、父の代からの西洋との繋がりを考えるとあまり不自然さを感じない。


又米相場が投機的と考え醤油醸造を初める経緯も『米文』の相場での影響を考えると頷けます。

現在の館林の正田醤油が目車という部落地区にあるか隣接しているのは、多分その頃醤油製造の過程での作業の多くが部落産業のものだったからではと推測します。今でいう3Kの仕事であった醤油醸造は、職人を集める為そのような場所に工場を建て、敷地には、今で言う企業の福利厚生のような考え方で部落民の為の白山神社を敷地内に奉ったのではと推測することもできるのではと思います。

実際、神戸の有名な灘にある酒造造メーカーは経営者は違いますが、酒職人である杜氏か、あるいはその下働きは殆どが部落民と聞いたことがあります。

続き (みぃ)
2015-05-09 06:41:02
そして初代宮内庁長官の小泉も正田家のルーツは、300年遡ったと言われていますので、間違いはないかと思います。


民間人として初めての入内ということで、もしおかしな出自であれば国民からの反発も出ることから、開かれた皇室を達成したいGHQ側としてもこの辺は慎重に審査したのではないでしょうか。

実際、雅子卑の正体を後藤田官房長官から聞かされた昭和天皇は、雅子卑の入内を『ムシロ旗が立つ。国民の誰からも祝福される結婚でなければならない』旨の事を仰り、猛反対されています。

又GHQとして当時の美智子様が都合が良かった点は、西洋的なものに精通しており、カソリック的風土の家系ブラス正田家の戦前から日本経済に影響を及ぼすほどの経済手腕、特に日本人の主食を米から小麦に代えさせ、戦後日本を植民地としアメリカからの農産物をどんどん買わせたいアメリカにとって、次代の天皇家のトップが製粉会社と言うのはイメージ的にも好都合だったのではないでしょうか。
正田家を通して日本人にどんどん米よりパンを食べさせる=新しい時代の開かれた皇室=日本人の新しい食文化の広告塔の意味もあったのではないでしょうか。

実際、戦後の日本の飢えをアメリカが救ったと印象づける為のGHQのギブミーチョコレート作戦の中に学
続き (みぃ)
2015-05-09 06:55:28
校給食がありました。

パンと脱脂粉乳の配給です。

アメリカは、子供の頃からパン食に馴染むと大人になってからもその味覚を覚えパン食を続け将来的に日本はアメリカからどんどん小麦を買い付ける国になると計算したそうです。

その為の次代の天皇家のトップが日清製粉の令嬢で西洋的な文化を家柄に持ち思想的にもクリスチャンの美智子様は、開かれた皇室=西洋化の皇室=日本人の西洋化した暮らしのイメージにぴったりの国民に対する広告塔としての価値もあったのではないでしょうか。

勿論従来の代々受け継がれた皇室の伝統や仕来たりを破壊する尖兵としてもGHQは期待したと思います。


事実皇室に新しい風とばかりに、入内時東宮に台所を造らせ自らお子様のお弁当を作る美智子様の姿に憧れる主婦は多かったと思います。



長々とすいません。暇人で下々のみぃでした(^O^)
みい様お疲れさまでした (夕映え)
2015-05-09 07:52:04
ほぼ納得できたお説ですが、わずかにまだ疑問が残ります。反論ではなく素朴な疑問です。

名家が、穢多非人と商売とはいえ関わるでしょうか。
そのためにわざわざ館林に越してくるでしょうか。
工場だけ建設して家とは分離するのが普通では。

イエズス協会の布教メソッドの原則に従って
部落布教にまず出向いたと思われるフロジャック神父が、なぜ正田きぬと、密着したのだろう。
そして、なぜその事実があちこちの記録から抹殺されているのだろう?

ちなみに正田醤油は、館林駅裏手(西口から徒歩1分)でもろ、部落エリアのまっただ中です。
穢多非人を労働力として集めるにしても、わざわざ
まっただ中へ工場建設? 湿地帯で環境もよろしくないと、上原レポートですが。

身分脱落で穢多非人に落とされるというケースが無いかどうか、調べてるのですが解りません。

初代宮内庁長官は小泉ではなく、田島道治では?
その田島が、美智子さんの母方つまり副島家の
家系調査を興信所任せにしたことに、不安を漏らしているのはなぜ?

実は、正田より以上に副島に何かありそうな?
冨美さんの、皇室を皇室とも思わぬ敵愾心を
見るにつけ、何者だろう?と。
あの時代の日本の女としてはよくいえば規格外、
悪く言えば異様です。
皇室を「あちら様」呼ばわりで「闘争」と英語で表現、その上「最適の縁談ではなかった」とまで放言。「皇室が」つまり昭和天皇と皇后が「約束違反ばかり」とまで言い、挙句「私が日記を公開すれば100人以上が困る」と恫喝めく。
そして、美智子の入内により私は人生の2つの楽しみを奪われた、と。

余りの異常さに副島について調べてみたのですが、これが尻尾を掴ませません。どういう家? 冨美ってどういう女性?

正田家の過去を隠すのは、単に穢多非人という安い労働力を使ってのし上がった事実を知られたくないからでしょうか。

いずれにしても、皇后が有能でなくても、悪目立ちせず天皇の半歩後ろをついて歩く人なら、あげつらわれなかったことですね。
A級戦犯の、なんとか市憲法の、GHQのゴードン追悼賛美の、九条の会の連中と親交の、と反日の度が過ぎます。
夕映え様 (みぃ)
2015-05-09 09:19:23
初代宮内庁長官は田島でしたよね。その元で調査したのは小泉かな?ちょっとうろ覚えです。
米問屋を営んでいた頃の住所はどこかわからないのですが。

正田醤油は、明治に入ってからの事業だし部落民の職業は限られていたけど、部落の仕事は今で言う技術職ですから、労力で使用はしていたのではと思います。

実際灘の名だたる酒造メーカーがそのような構造だと聞いたことがあります。

正田醤油の場所をググッてみましたが、それだから正田家が部落とは思えませんでした。

京都で今も地元の方が眉をひそめる特殊エリアがありますが、格式のある寺院や京都大学と隣接しています。

またみぃの家は分家の庶民的規模ですが(笑)、祖母方の本家は代々続く庄屋の家系で、白壁の続く門構えのかなり広い屋敷でしたが(中庭にある客間だけでも40坪位の一戸建てになってました)、最近知った街の旧部落エリアと数十メートルと近くにありました。(道路の拡張の為昭和50年頃別の高台の場所に移転していますが)

住所も明治の頃の町名で特殊エリアの場所と同じ町名です。

田舎なのでその町名全てが部落ではなく、ごく一部に小さな範囲であるだけでしたので。


ご指摘のあまり細かなことは調べていません。そこまで当時の事は
続き (みぃ)
2015-05-09 09:31:22
ご指摘のあまり細かなことは調べていません。そこまで当時の事は調べても解らない部分はあると思います。

みぃはどちらかというと大筋で判断します。

そりゃあ、今となっては解らない事情もあると思いますし。

細かな事から、全体を判断することはしません。逆にこじつけにも挙げ足とり的なバランスの悪い物の見方になると思えるからです。

全体がまずあってからの細部なのです。
勿論細かなところから疑問に思える隠された真実を見つけることがあるかもしれません。ですがその場合でも全体のバランスの整合性は大切だと思います。
どう考えても江戸時代、米相場を牛耳るほどの米の大棚が当時厳しく限定され管理されていた部落関係の人間には携われないと思います。

因みに、現代の世界中で行われている先物取引の発祥は大阪の米相場です。また証券の相場分析で使うテクニカルチャートのろうそく足も米相場の日本人の発明だったと思います。


今で言えば江戸時代の正田家は日経平均株価に影響を与える主要産業の大企業だったと言えます。

名字帯刀を江戸時代許さてもいますし。昭和の中位まで就職時の身元調査も普通に行われていました。結婚となるとかなり厳しく調査できた時代でした。

それをあやふやにしたのが水平社運動とか創価の公明党でしょう。どちらも朝鮮系が大きくからんでいます。
江頭と小和田や福田の繋がりならさもありなん、そういう繋がりじゃんと思いますが。
追加 (みぃ)
2015-05-09 09:40:21
元々江戸時代米問屋時代の正田家の場所は分かりませんが、作次郎が早死にした為祖父に引き取られた為横浜に住んでいた貞一郎は館林に移り住んだみたいです。
正田家と水平社 (虹)
2015-05-09 10:32:35

>それをあやふやにしたのが水平社運動とか


水平社に正田の縁戚が絡んでます。だから混乱中。

かつて、正田が穢多非人を使っていたからか?

と好意的に考えてもみたけど、腑に落ちない・・・。



◆館林の正田邸は小頭半左衛門邸のあった場所に立っている。 つまり、かつてのB地区のあったその場所に建っている。

◆群馬県の部落史問題の研究家から聞いた話。
噂の真相で記事になる10年も前のこととしての書き込み。

小頭の末裔は維新後群馬県の水平社の中心メンバーになった。 その中の正田熊次郎は館林の正田家の親戚にあたる。


◆水平社の初代群馬支部長であったのは、正田熊次郎。 先祖は小頭であったと聞いた。


◆正田邸が建っているのは、明治以前は小頭半左衛門の屋敷があった場所。



Unknown (Unknown)
2015-05-09 11:47:34
現代では、能力があれば、いくらでも出世できる世の中ですが、
福田、竹中など部落出身者は、
反日、売国傾向にあるようです。

皇后様に関しては、冨美さんの影響が大きいのだと思いますが、
もともと皇室に敬いの念などない家庭環境で、
たとえ松平さん、白蓮さんからのいやがらせがあったとしても、
ほんとに良い家柄のお嬢さんなら、マスコミに駄々漏れするようなことはしないと思う。

GHQの後ろ盾があったからでしょうが、
娘を嫁がせて、やってあげた。
そういう面持ちだったのではと思います。

紀子妃など、育児制限などされ、秋篠宮様は、40歳くらいにして白髪になられたのも、
そのせいなのかと思うのですが、
愚痴るようなことがマスコミに出てこないのは、
紀子妃の祖母の手紙からもわかるように、
しっかりしたお家柄なのだろうと思います。
Unknown (みぃ)
2015-05-09 15:06:36
時間がないので大まかに。明治に入ると士農工商えた非人の身分制度は、なくなったのでしょう?確か。


今ちらっと調べたら大正時代大正デモクラシーのもとそれでも未だ社会に残っていた差別をなくそうと、水平社運動がおこり、『富裕層の力をかりて』行われてたとあります。

ちょうど世界的にも労働者運動があったみたいだから、差別の根絶が生産をあげると協力する富裕層や企業経営者がいてもおかしくないのでは。

ましてや貿易関係の取引もあり海外のモダンな生活様式や思想(キリスト教も含め)に触れていた家系であれば、水平社運動に賛同することも考えられると思います。


口達者で暇人のみぃより。

Unknown (応援してます♪)
2015-05-09 15:23:05
BBさま、みなさま、こんにちは。

みなさまのコメントも読ませていただいて、勉強させていただいております。

なんの知識もないものが書き込むのも申し訳ないのですが、虹さまのコメントで、水平社と出てきて、はじめてネットでしらべてみようとしたのですが。
水平社の団体旗をはじめた見たのですが、見た目とても怖くて、気になり旗のことを調べると、ここにもキリスト教と言いますか、迫害を受けたイエスという意味が絡んでるんですね。

>荊冠旗(けいかんき)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%8A%E5%86%A0%E6%97%97
>荊冠旗(けいかんき)とは全国水平社およびその後継団体の1つである部落解放同盟の団体旗。荊冠とはナザレのイエスが十字架の上で被せられた荊の冠であり、受難と殉教の象徴とされる。デザイン考案者は全国水平社創立者の一人西光万吉である。
水平社時代の荊冠旗は黒地(差別が続く暗黒社会の象徴)の中に血の色(殉教の象徴)の荊冠が描かれていた[1]が、戦後は全面黒地を赤地に変え、水平社時代のデザインが左上に縮められた形で左肩に“希望”を表す白い星が挿入された[2]。現在、機関紙『解放新聞』には「荊冠旗」と題するコラムが連載されている。


この、旗のデザインをされた方、活動名でしょうか、西光万吉さんのことの履歴には、活動に及ぶきっかけのところに、もキリスト教関連のことが少し触れられています。

>賀川豊彦の社会主義思想(キリスト思想)、佐野学の共産主義思想などに触発され、全国水平社創設につながった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%85%89%E4%B8%87%E5%90%89


部落問題というのは、キリスト教系統との関わりが深いのですね・・。
この旗からくるイメージが怖いです。
差別反対というけれど、平和や和合という感触は感じず攻撃性を感じます。
みなさまは、とっくにご承知のことかと思いましたが、なにかしらお役に立てばと思い、書かせていただきました。


追加 (みぃ)
2015-05-09 16:35:33
明治4年に部落の解放令が出され、『人民の平等』が政府により唱えられていますね。

当時、欧米列強がこぞってキリスト教の容認と共にそのような身分制度の廃止を明治政府に要求したようです。

部落のあった土地の扱いも変わったみたいです。

そう考えてみると、何故西陣織りや京染めに部落関係者が多いのか理解できます(多いけれど一部です)

江戸時代ではえた非人の仕事とは特定されていないのに。

明治以降に友禅染めのようにかなり重労働の仕事が旧部落民の仕事になっていったのでしょうか。

醤油や酒や友禅染めの共通点は、製造過程で過酷な重労働が必要とされ、産業廃棄物が多い点があげられます。
それらの産業には解放令が出て人民の平等が制定された明治以降,富国強兵のスローガンの元生産性をあげる為にも旧部落民の労働力が必要とされたのではないでしょうか。

今でいう3Kの仕事です。旧部落の労働力は日本の産業発達の為、社会を下支えする労働力であったのでは。

又欧米列強がキリスト教と共に自由な身分解放を明治政府に要求したところから見て、その頃いち早く欧米との取引のあった正田家は、その思想的な部分に共感していったのではないでしょうか。
追加 (みぃ)
2015-05-09 16:40:10
(アメリカは奴隷制度があったのに日本には市場開放の為のダブルスタンダードだったのかしらん)


正田家はいち早く人間の平等やキリスト教の慈愛などに感化されていたのかもです。

その姿勢が今の美智子皇后の雅子卑や東宮への扱いの原点になっているのでは。

国民としては迷惑このうえないことですが。
暇人認定のみぃ (みぃ)
2015-05-09 18:53:29
明治に入り明治政府の(部落)解放令が発令された後、富国強兵の中で貧困に苦しむ旧部落民の為に水平社運動の以前に『融和運動』が起きてます。

これは天皇に忠誠を誓った旧部落民の経済的な向上を求めて、国粋主義者や富裕層が一緒になって部落民以外の人に旧部落民への同情と理解を求めて進められた運動みたいです。


その後より過激に差別を糾弾する目的で水平社運動が結成されたみたいです。

記述の正田熊次郎や小頭の土地云々をググると、部落研究者から聞いたとか、言われていたとかと言う表現が気になります。
さらに進めると紀子妃殿下まで部落民で繋がっていると出てきます。


これ、ひょっとしたら、江頭・小和田・福田ラインの正真正銘の部落繋がりが、部落出身の作家や郷土史家などと吊るんで不当に正田家や紀子妃殿下の出自を貶め、雅子卑のいかがわしさからスライドさせる為に工作していませんか?

みぃの祖母の本家(代々続く元庄屋)も土地で言えば部落のあった場所と言えます。

現在の町名の区割りではみぃの実家ですら部落町名扱いです。
みぃは直感的にその部落出身の作家なんとかの信憑性を疑います。なんとなく朝鮮人ババアの『私が生き証人です。証人がいるので事実です』の言い方
続き (みぃ)
2015-05-09 18:55:35
朝鮮人ババアの『私が生き証人です。証人がいるので事実です』の言い方にアメリカ人が信じてしまうようなノリ。


旧部落民の水平社運動も朝鮮人の白丁解放運動と連携し始めた頃からより過激になったのでは。

特に戦前戦後密入国した朝鮮人が部落民に成り済まし水平社を組織し(水平社運動とは又別のよう)、部落利権にたかり暴力団まで繋がるのが問題だと思います。その典型が大阪市長・橋下徹の山口組系暴力団で朝鮮人の父親と叔父です。


京都のある部落では戦前戦後の朝鮮人の流入を拒絶したところもあるみたいです。

福田・江頭・小和田はまさに部落民と流入した朝鮮人がタッグを組んだ関係だと思います正田家に関してはここまで強い根拠はない気がします。

(部落ではない)史実の方が強い気がします。
皇太子妃2代にわたる本質の探索。 (伊藤知昭)
2015-05-09 19:22:00
BB様、諸先輩の皆様。

何時も御世話になり、有り難う御座います。

ヨゼフ・フロジャック神父のパリ外国宣教会を通じたバチカンとの関係を考えていましたが、何も掴めませんでした。
申し訳ありません。
宣教師であれば、組織内の上部に報告書を提出している筈で、美智子皇后の御母堂と神父の具体的な交流の軌跡が(一次資料として)、何らかの形で外部若しくはネット上に流出しているかと思いましたが、甘かったようです。

ただ、調査中に驚きました。
日本基督教団公式サイトのホームページの右側の中程に、日本基督教団部落解放センターへのリンクがあったのでした。
正田家・カトリック神父がいつ頃からの関係かは知りませんが、先日来の状況証拠がさらに深まっています(雅子妃の身辺調査への部落関係からのクレームを含む)。
さらに、教えていただいた ハーバー・ナス子 様の過去記事がピンと来ました。

[ ♪治安を悪くして、カオスにしたらいざ布教♪宣教師の出番だよ~♪ ‐ 雅子様大好き ]
http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-182.html

部落問題と宗教(共産勢力を含む)の日本占領戦略が、分かりやすく明快に解説されており、参考になりました。
だからこそ、美智子皇后の A級戦犯や憲法9条発言への繋がりに納得しました。
当然、神道や万世一系を拒否した雅子妃と美智子皇后が合同で愛子天皇への画策も明確です。

今は、BB様を始め大勢の憂国の皆様の尽力で、反日勢力の頂点に君臨する内廷皇族の外堀が埋められつつあります。
異教徒からの、神道の要・日本の国体、その奪還でもあります。

日本大事、天皇大事、秋篠宮による宮中祭祀大事。

どうも失礼致しました。
究極の暇人 (みぃ)
2015-05-09 19:57:55

江戸時代と違い解放令の出た明治以降では、旧部落民の職業も又部落のあったエリアや土地も変動していったと思います。
勿論変わらない場所もありますが。

実際、京都市中心部の堀川通りにあったいくつかの部落を他の場所、高野方面や下鴨そして太秦近辺に異動させたみたいです。


今その部落の跡地の堀川通り周辺は普通にビルやマンションが建ち並んでいます。

旧部落の土地に後に工場を建てたり土地を取得して家を建てても、部落の土地だったから部落民であるということにはならないのでは。

みぃ様 (西陣織孫娘)
2015-05-09 20:14:51
BB様、お借りします。

みぃ様、お熱の御加減は良くなられましたか?昨今の季節の移りが優しくなく、真夏の様だと思えば、ひんやりする日があったりして体調管理が大変ですね。
どうぞ無理を為さらないでくださいね。

ところで、

何故西陣織りや京染めに部落関係者が多いのか理解できます(多いけれど一部です)

についてですが、もし宜しければ参考にさせて頂きたいので、詳しく教えて頂けたら幸いです。
西陣織孫娘様 (みぃ)
2015-05-10 02:47:56
お気遣いありがとうございます。

一部訂正があります。京都市は堀川通りにあった部落ではなく友禅工場や染工場を都市計画に基づきそれぞれ高野や太秦方面に移転させたそうです。
堀川や千本や西大路通り近くなど京都市の中心部の部落のあったところは、市営住宅になったり、周りは普通に住宅やマンションが建ち部落があった場所とは一見わからなくなっていますね。


1900年代になり伝統的な部落産業から友禅関係へと旧部落の人達は、仕事の幅を広げていったみたいですね。


多分西陣織と言っても上京区で行われている機織りのような職人作業ではなく、先染めの工程や生地の整理や蒸し加工などの工程に従事したのだと思います。帯や着物地の西陣機織りのように長年の熟練を要する技術的な工程ではなく、工場での作業のような工程での仕事だと思います。
昔は多かった下駄の鼻緒をおるビロードなどの先染め(西陣)に多かったそうです。もともと下駄づくりは部落産業でしたから、明治以降の部落解放と共に関連職種ということで徐々に西陣に入り込んでいったとも言われているようです。
また同じように友禅と言っても手描き友禅のように長年の技術修得が徒弟制度の中で必要とされるものではなく、型染めのよう
続き (みぃ)
2015-05-10 02:52:24
に習得が早くでき技術職というより肉体労働に近い工程に多くの部落民や朝鮮人労働者が従事したようです。

昔友禅は川流しがあったように川のそばでの作業が必要で、その為京都市の都市計画で染工場が田中・養正地区など京都でも大きな部落地区のそばに移転させられたので、部落の人達の産業になっていったようです。そしてその後部落に入り込んだ朝鮮人も被差別階級でも従事できる仕事ということで、頼みこみ就業させてもらい、仲間が仲間を呼び染工場に朝鮮人が増えていったようです。
やはり肉体労働できつく、重労働な上、産業廃棄物も多く一般的には敬遠される仕事であり、又今ほど機械化もされていない時代、人の手が必要な工程が多く需要があったからだと思います。

部落地区で生まれた公爵 (みぃ)
2015-05-10 05:53:14
生家が部落地区にあるが、部落民ではない例。
京都では、今でも地元の、特に年配の方が眉をひそめる古くからの部落地帯、田中・養正地区。

この部落地帯のど真ん中に、西園寺公望の生家があります。
西園寺家は5摂家に次ぐ格式の高い公家で天皇家とも親戚になる家柄。

後に住友家の養子になりフランスのソルボンヌ大学へ留学、伊藤博文の腹心として貴族院議員、後に内閣総理大臣となり昭和天皇を支えられた方だとか。

この生家は京都での別宅として使用され現在は京都大学に譲渡され、迎賓館として使用されています。

この田中・養正地区には田中水平社もありますが、重要文化財の格式あるお寺、通称百万遍寺や京都大学もあります。

そして、部落解放後の1904年頃敢えてこの部落地区に鐘淵紡績工場が建設され又京都市の都市計画で京友禅の染工場も多く移転してきています。そしてこれらの工場では多くの部落民が働いていたそうです。

これってこのまま館林市の正田家と部落地区に醤油醸造工場を建て部落民が働いた正田醤油に当てはまりますよね。

正田醤油や日清製粉の創設者正田貞一郎は貴族院議員でしたし。

部落地区といっても昔は田畑の中に小さく点在しその合間には部落ではない普通の民家や格式のある家もあるのだと思います。(みぃの祖母方の元庄屋の本家もそのような立地)

だから町名や地区だけですぐ出自を部落民認定するのも危険だと思います。
続き (みぃ)
2015-05-10 05:59:48
因みにこの西園寺公望公爵、『自分は、被差別部落の女性と結婚したい。私が被差別部落の女性と結婚することで、被差別部落の方々の社会的立場が向上するのに助けとなるだろう』とおっしゃっていたとか。


ですが、周りの猛反対で実現しなかったとか。
みぃさまへ (BB)
2015-05-10 08:20:00
夕映えさんや、らむ子さんに代表される、出自論(断定ではなく、推論ですが)が出尽くしたかと思われるので、みぃさんの意見をアップして、平衡を取りたいのですが、いかがでしょうか。
(コメ欄も結構読まれているかとは思うのですが、一方の仮説を記事にしたので、その対極の意見も載せておくべきではないかと)

お名前を伏せたまま、以下の論の転載許可を頂きたいのですが、いかがでしょう。

もし転載OKで、文章をこう直したいというようなことがあれば、それもお願いします。

・・・

この数日、正田家のルーツについて色々調べてみたのですが、やはり正田家は、名家だと思います。

その理由として江戸時代『米文』と 言う屋号で米問屋を営んでいたこと。

この規模は日本有数で、先物取引の発祥は大阪の堂島の米相場からと言われていますが、当時『米文』の商いはこの米相場に影響を与えるほどだったということから、当時の日本の経済を動かす規模だったと思います。

当時えた非人をまとめ管理していたのは、えた頭である弾左衛門であり、部落の仕事は皮革製品やにかわ、竹製品や葬祭に関わる処理、一部芸能関係とはっきり限定されており、副業で一部えた非人も農業ができたみたいですが、一般に流通される米とは隔絶されていました。
えた非人の仕事は専売特許のように許された仕事だったので、その利益も大きくそれを取り締まる弾左衛門は一万石以上の大名規模とも言われていますがそれでも身分的には分けられており、えた非人の産業内で固定されていたので、この時代、正田家が扱っていたような大規模は米の商いには、携われない。

又、1844年正田家は名字帯刀を許された領主身分であった。そして美智子皇后の祖父であり日清製粉の創設者正田貞一郎氏の父作次郎は明治初頭、横浜で外国の米を輸入する貿易商であったことから、正田家の西洋嗜好はこの頃からの影響もあるのではと考えられます。

又正田貞一郎氏は現在の一橋大学を出て、戦前貴族院の議員であり又母の幸も武家でかなりの名家であったこと。

この時代、今より身分制度がはっきりしており、武家の名家の娘がえた非人の家系に輿入れすることは考えられない。

また貞一郎は後に洗礼を受けるが館林ではなく東京の文京区の関口教会であり、父の代からの西洋との繋がりを考えるとあまり不自然さを感じない。


又米相場が投機的と考え醤油醸造を初める経緯も『米文』の相場での影響を考えると頷けます。

現在の館林の正田醤油が目車という部落地区にあるか隣接しているのは、多分その頃醤油製造の過程での作業の多くが部落産業のものだったからではと推測します。今でいう3Kの仕事であった醤油醸造は、職人を集める為そのような場所に工場を建て、敷地には、今で言う企業の福利厚生のような考え方で部落民の為の白山神社を敷地内に奉ったのではと推測することもできるのではと思います。

実際、神戸の有名な灘にある酒造造メーカーは経営者は違いますが、酒職人である杜氏か、あるいはその下働きは殆どが部落民と聞いたことがあります。
そして初代宮内庁長官の小泉も正田家のルーツは、300年遡ったと言われていますので、間違いはないかと思います。


民間人として初めての入内ということで、もしおかしな出自であれば国民からの反発も出ることから、開かれた皇室を達成したいGHQ側としてもこの辺は慎重に審査したのではないでしょうか。

実際、雅子卑の正体を後藤田官房長官から聞かされた昭和天皇は、雅子卑の入内を『ムシロ旗が立つ。国民の誰からも祝福される結婚でなければならない』旨の事を仰り、猛反対されています。

又GHQとして当時の美智子様が都合が良かった点は、西洋的なものに精通しており、カソリック的風土の家系ブラス正田家の戦前から日本経済に影響を及ぼすほどの経済手腕、特に日本人の主食を米から小麦に代えさせ、戦後日本を植民地としアメリカからの農産物をどんどん買わせたいアメリカにとって、次代の天皇家のトップが製粉会社と言うのはイメージ的にも好都合だったのではないでしょうか。
正田家を通して日本人にどんどん米よりパンを食べさせる=新しい時代の開かれた皇室=日本人の新しい食文化の広告塔の意味もあったのではないでしょうか。

実際、戦後の日本の飢えをアメリカが救ったと印象づける為のGHQのギブミーチョコレート作戦の中に学校給食がありました。

パンと脱脂粉乳の配給です。

アメリカは、子供の頃からパン食に馴染むと大人になってからもその味覚を覚えパン食を続け将来的に日本はアメリカからどんどん小麦を買い付ける国になると計算したそうです。

その為の次代の天皇家のトップが日清製粉の令嬢で西洋的な文化を家柄に持ち思想的にもクリスチャンの美智子様は、開かれた皇室=西洋化の皇室=日本人の西洋化した暮らしのイメージにぴったりの国民に対する広告塔としての価値もあったのではないでしょうか。

勿論従来の代々受け継がれた皇室の伝統や仕来たりを破壊する尖兵としてもGHQは期待したと思います。


事実皇室に新しい風とばかりに、入内時東宮に台所を造らせ自らお子様のお弁当を作る美智子様の姿に憧れる主婦は多かったと思います。


再びみぃさまへ (BB)
2015-05-10 08:41:09
次の文も添えるほうが、平衡が取れるかな・・・・
可能なら転載許可をくださいませ。

・・・・・・・

生家が部落地区にあるが、部落民ではない例。
京都では、今でも地元の、特に年配の方が眉をひそめる古くからの部落地帯、田中・養正地区。

この部落地帯のど真ん中に、西園寺公望の生家があります。
西園寺家は5摂家に次ぐ格式の高い公家で天皇家とも親戚になる家柄。

後に住友家の養子になりフランスのソルボンヌ大学へ留学、伊藤博文の腹心として貴族院議員、後に内閣総理大臣となり昭和天皇を支えられた方だとか。

この生家は京都での別宅として使用され現在は京都大学に譲渡され、迎賓館として使用されています。

この田中・養正地区には田中水平社もありますが、重要文化財の格式あるお寺、通称百万遍寺や京都大学もあります。

そして、部落解放後の1904年頃敢えてこの部落地区に鐘淵紡績工場が建設され又京都市の都市計画で京友禅の染工場も多く移転してきています。そしてこれらの工場では多くの部落民が働いていたそうです。

これってこのまま館林市の正田家と部落地区に醤油醸造工場を建て部落民が働いた正田醤油に当てはまりますよね。

正田醤油や日清製粉の創設者正田貞一郎は貴族院議員でしたし。

部落地区といっても昔は田畑の中に小さく点在しその合間には部落ではない普通の民家や格式のある家もあるのだと思います。(みぃの祖母方の元庄屋の本家もそのような立地)

だから町名や地区だけですぐ出自を部落民認定するのも危険だと思います。
みぃ様 (西陣織孫娘)
2015-05-10 15:08:28
BB様、何度もお借りしてすみません。

みぃ様、詳しく教えて頂きまして大変勉強になりました。

うちは代々(先祖がwikipediaに載っているので、あまり詳しくは書けませんが)機織で、染めやさんとは横の繋がりがほぼなくて、全く知りませんでした。

ありがとうございました。お手を煩わしてしまい申し訳御座いませんでした。
続き (みぃ)
2015-05-10 17:03:50
やはり戦争に勝ち占領した分けですから、そのような場合、その国の上層部から支配していくと思います。

天皇家に始まり憲法を抑え将来アメリカの経済的植民地にするための経済界を抑え。

トップ・ダウンアプローチで支配していくと思います。

逆にカソリックなど宗教はトップ・ダウンアプローチ+ボトムアップ・アプローチだと思います。


まず社会の底辺から裾野を広げていくやり方。
実に面白いブログですね (通りすがり)
2015-09-27 22:30:43
はじめて知って、読みふけっております。

「闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」」(草思社)に
銀座にあった美容院に正田母娘さまがよくご来店で、
「あの娘さんが皇室にお嫁にいくから」と噂されていたと
いう一文がありました。
Unknown (Unknown)
2015-10-03 06:49:54
この皇后の義妹のお着物や帯・・・
皇太子妃の母親の疑惑のブローチを思い出しますねぇ
泰子さんって (みもざ)
2015-10-03 07:05:31
美智子さんの置物のお下がり着てるって聞いたけど?

手足となって働くことのご褒美かしらね。
最近の最大の功労賞は、ウィリアム王子が悠仁さまに会うことを強く望まれていたのに、それを妨害したことよね。
また泰子さんのお着物が2,3枚増えたのではないかしら?

詳しい方が泰子さんの着物を画像で撮ってくださったら、美智子さんの着物と較べられるわ。
色々知ってから、さん呼ばわりするようになった自分が悲しいわよ。
尊敬してたのだもの。

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