イ エ ス 共 同 体 の 祈 り

<祈りの言葉>を毎日、お送りしています

  ―― ぎのわんイエス共同体 ――

2016年3月31日:祈りの言葉

2016-03-31 |    

聖書の言葉: わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。(ガラテヤの信徒への手紙 5.25-26) 



祈   り: 神さま。私たちを自由にするあなたの霊に導かれて、前進することができますように。人と比べるのではなく、ゴールを目指して歩むことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 人と自分を比べるのではなく、ただゴールを見ながら、前進すべきです。そのときに、ともに歩み、支え合い、信頼できる<友>を見いだすことができるでしょう。 



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2016年3月30日:祈りの言葉

2016-03-30 |    

聖書の言葉: 互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。(ガラテヤの信徒への手紙 5.15) 



祈   り: 神さま。私たちは、<死>や、<悪>や、<虚偽>とたたかうのではなく、人間どうし、身近な者どうし、互いに争い合っています。互いに滅ぼされることのないように、あなたが私たちに、生きる力、人を愛し、真実に向き合う力を与えてください。アーメン



コ メ ン ト: 復讐の連鎖は、全人類の破滅です。競争社会は、社会そのものを崩壊させます。 



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2016年3月29日:祈りの言葉

2016-03-29 |    

聖書の言葉: パウロの言葉:律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされます。(ガラテヤの信徒への手紙 5.14) 



祈   り: 神さま。命令だから、義務だから、運命だからといって人を愛するのではなく、何ものにも縛られることなく、自由に愛することができますように。アーメン



コ メ ン ト: パウロは、従わなければならない「戒律」があるとしたら、それは「愛をもってともに生きる」ことだと語っています。「隣人を自分のように愛する」とは、強いられてすることではなく、自由にすべきことです。つまりパウロは、「自由に生きなさい」という教えだけは、従うべきだと主張しているのです。



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2016年3月28日:祈りの言葉

2016-03-28 |    

聖書の言葉: パウロの言葉:兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。(ガラテヤの信徒への手紙 5.13) 



祈   り: 神さま。相手に従順になるのではなく、相手を自由に受け入れることができますように。縛られることなく、自分を生かし、人を愛し、真実を受け入れ、困難な現実に立ち向かっていくことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 神さまは、私たちに自由を与えてくださいます。私たちは、縛られることなく、自由に、自分を生かし、人を愛し、真実を受け入れるべきです。権威や権威、この世の教えや教会の教えに、従順になるべきではありません。 








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2016年3月27日[復活祭/イースター]:祈りの言葉

2016-03-27 |    

聖書の言葉: 最初の人はででき、地に属する者でしたが、第二の人は天に属する者です。(コリントの信徒への手紙(1) 15.47) 



祈   り: 神さま。この暗黒の世界に、あなたが再び真実の光をもたらしてくださいました。私たちが、あなたの復活の光に照らされ、闇の世界から立ち上がり、天に属する者となることを追い求めて、生き、愛し、真実と向き合うことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 地上の宝を天に持っていくことはできません。しかし私たちは、今、ここで、天に宝を積む者となり、天に属する者となって歩むことができます。そのような歩みい、復活したイエスが、私たちを招いてくださいます。 








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2016年3月26日:祈りの言葉

2016-03-26 |    

聖書の言葉: 昼の12時になると、全地は暗くなった。‥‥3時にイエスは大声で叫ばれた:エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)。(マルコによる福音書 15.33-34) 



祈   り: 神さま。主イエスが十字架にかけられ、主イエスのいない暗黒の日が到来しました。この廃墟の中に、あなたが再び、光を灯してくださいますように。アーメン



コ メ ン ト: 私たちが主イエスを見捨てた瞬間は、私たちが神さまを見捨てたときでもあり、神さまが私たち人間を見捨てたときでもあました。地上のすべては暗黒の中に突入し、そこには苦しみと悲しみしか存在しませんでした。そこに再び光をもたらしてくださるのは、神さまです。 



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2016年3月25日:祈りの言葉

2016-03-25 |    

聖書の言葉: ピラト群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。(マルコによる福音書 15.15) 



祈   り: 神さま。私たちは権力者に服従することによって、満足を得ようとしています。抑圧したり、服従することをやめ、天に宝を積み、この地上で、ともにしあわせに生きることができますように。アーメン



コ メ ン ト: 群衆は、自分たちとピラトを同一視することによって、共犯関係に立とうとしています。このことにより、ピラトと群衆の関係が、つまりピラトが群衆を抑圧し、群衆がピラトに服従するという関係が正当化されることになります。 








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2016年3月24日:祈りの言葉

2016-03-24 |    

聖書の言葉: 群衆は‥‥叫んだ。「十字架につけろ」。ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか」。群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。(マルコによる福音書 15.13-14) 



祈   り: 神さま。権力者のもとで抑圧されている人たちが、権力者に従順になり、権力者を支持し、その残虐な行動に加わるようになるとは、何と愚かなことでしょうか。そうならないように、自分の罪を自覚し、権力者に従順になっていないかを考えることができますように。アーメン



コ メ ン ト: 神さまを信じるからこそ、この世の権力、権威、一般的な教えや常識に、従順にならずに生きるべきなのではないでしょうか。  








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2016年3月23日:祈りの言葉

2016-03-23 |    

聖書の言葉: 祭司長たちは、(暴動のとき、人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中にいた[7節])バラバの方を釈放してもらうように、群衆を扇動した。(マルコによる福音書 15.11)



祈   り: 神さま。私たちが権力者の扇動に惑わされることがありませんように。常に真実を追い求めつつ、あなたの判断を仰ぎつつ、歩むことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 「歴史」は、権力者に都合のいいように、権力者によって書かれたものです。歴史の真実を見ぬき、人間の罪の実態を明らかにし、権力者や人に惑わされることなく、歩むことが大切です。








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2016年3月22日:祈りの言葉

2016-03-22 |    

聖書の言葉: ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。(マルコによる福音書 15.9-10) 



祈   り: 神さま。権力者らは、お互いに協力し合い、民衆までも巻き込んで、自分たちを守ろうとします。その愚かな行為に、私たちまでもが利用されたり、加担したりすることがありませんように。アーメン



コ メ ン ト: ピラトは、祭司長たちがねたみのためにイエスを殺害していることに気づきながら、祭司長たちの暴走をとめようとはしませんでした。  



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2016年3月21日:祈りの言葉

2016-03-21 |    

聖書の言葉: ピラトは、再びイエスを尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに」。しかしイエスは、もはや何もお答えにならなかった。(マルコによる福音書 15.4-5) 



祈   り: 神さま。現代においても、多くの人たちが、何の弁明の機会も与えられることなく、何のもあげることができないまま、殺害されています。あえてそれらの人たちとともに立とうとしたイエスの思いを知ることができますように。アーメン



コ メ ン ト: 仕組まれた状況の中で、イエスに弁明の機会が与えられました。それはイエスを処刑する原因が、イエス自身にあると主張する人たちの思惑でした。イエスは、その人たちの計略に乗らずに、むしろ弁明の機会さえ与えられずに殺害される人たちとともに立とうとしました。








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2016年3月20日:祈りの言葉

2016-03-20 |    

聖書の言葉: あなたがたは、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜びなさい。(ペトロの手紙(1) 4.13) 



祈   り: 神さま。キリストの苦しみにあずかり、地上で苦しみを負う人たちとともに歩むことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 私たちは、①人を傷つけたり、押しのけたりして、苦しみを負うことと、②イエスのように、人に関わり、人をを愛して、苦しみを負うことの、どちらを選ぶのでしょうか。 








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2016年3月19日:祈りの言葉

2016-03-19 |    

聖書の言葉: ピラトがイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは答えた:それは、あなたが言っていることです。(マルコによる福音書 15.2) 



祈   り: 神さま。「イエス」と呼ばれる方を信じ、その生き方、教えに共感します。主イエスとともに歩むことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 私たちとともに歩んでくださる方の、名前や肩書が重要なのではありません。その名前や肩書で呼ばれる方に共感し、その方と、ともに歩むことが大切です。  








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2016年3月18日:祈りの言葉

2016-03-18 |    

聖書の言葉: 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。(マルコによる福音書 15.1) 



祈   り: 神さま。私たちが自分自身の傲慢さ、弱さ、愚かさ、不誠実さを知ることができますように。その自分が、いかに生きることができるのかを考えることができますように。アーメン



コ メ ン ト: 権力者たちは、誰もイエス殺害の責任をとろうとせず、イエスは、次から次へとたらい回しにされました。








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2016年3月17日:祈りの言葉

2016-03-17 |    

聖書の言葉: 鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が2度鳴く前に、あなたは3度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。(マルコによる福音書 14.72)



祈   り: 神さま。私たちは私たち自身を知ることができないのに、主イエスは私たちのことを知っていてくださいます。主イエスの前で、自分を見つめ、自分を生かしながら、歩むことができますように。アーメン



コ メ ン ト: 自分で自分を生かそうとすると、失敗してしまいます。しかし主イエスが私たちとともに歩み、私たちを生かしてくれます。主イエスは、さまざまな人を通して、<私>に近づいてこられます。 








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