「沈黙」を読みました

2009-09-03 10:57:42 | Weblog
史実(!)を基にした物語です。江戸幕府が切支丹の弾圧をはじめ、高名な神父フェレイラが拷問によって棄教し『転んだ(=キリスト教を捨てること)』ことに非常に驚き、その弟子である司祭ロドリゴなど3名を日本に布教する宣教師として潜入(この当時は既に渡航は事実上不可能)するところから始まります。司祭ロドリゴは神父フェレイラが素晴らしい神父であったことを考えると棄教が信じられず、自ら志願して日本への布教を切望し、命の危険を冒して日本にいるキリスト教信者の為、そして神父フェレイラの真実を確かめるため、日本に渡航する決意なのです。しかし彼らロドリゴの予想を裏切るような日本での生活が彼らを待っています。日本に渡るための最終地点マカオで知り合う1人の日本人キチジローの弱さと狡さ、キチジローを頼らねばならないロドリゴたち。日本での布教と司祭としての責任や重みを噛み締めた上での日本への潜入を誓う神父ロドリゴの見た日本とキリスト教の関係は?また非常に重いテーマでタイトルにもある「神は何故沈黙し続けているのか?」という根源的問いに様々な角度から光が当たります。


史実を基にした構成で、なおこのキリスト教の布教ということに関して困難な時代の、さらに困難な目的の中でより鮮明になる重いテーマに対する明確な著者からの答えがわかりやすい形で示されているわけではありません。様々な角度から、時には掘り返してでも問題を意識させ、そのうえ考えさせるその手腕には小説家「遠藤 周作」の上手さだと思います。当然著者なりの考えがあると思うのですが、どうとでも取れる解釈を提示してくる部分など、かなり凄いです。信仰を持たない私のようなものでも、どう捉えるのか?を考えないわけにはいかないようにある意味苦しめてきます。その取りこぼしの無さはすさまじいとさえ言えます。


また、構成がとても考え抜かれていて、まえがき、書簡(1人称)を経て書かれる本文、そして最後の記述に行くあたりにも凄さがあると思います。非常に練られた構成です。


ある一人の男の生涯という意味においても、読ませる物語(結果は史実)、たとえ神に、信仰に、特にキリスト教に興味がなくとも、日本人であるなら、オススメしたいです。


最後の最後で司教ロドリゴと井上の交わす会話はロドリゴの心の平穏と自身の信仰のあり方の最後の形であるものまで崩しかねない言葉を投げかけるのですが、この徹底的さは本当に書き手は信者であるのか?という疑いさえ持たせます。しかし、どういう形であっても神を信じるという行為に分け隔てはない、という信念にも感じさせ、いかようにも取れる形にこだわる作家遠藤周作の凄さなのだと私は理解しました。あるいはこれこそ日本的キリスト教信仰のあり方なのかもしれません。

最新の画像もっと見る