シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

上野公園夜桜・西郷どん・弁天堂

2018-04-04 | お出かけ
3日続けて桜を見た最後は会社の帰り。
■3月26日(月)
以前、会社の同僚と文京区の特別名勝『六義園』に枝垂桜のライトアップを見に行ったことがあり、今日行ってみるかと仕事を終えた後一緒に会社を出た。しかし、電車に乗り他の桜の名所のことが話題になり、そういえば・・・上野の夜桜は見たことが?2人とも「無い」ということで、ならば今回は上野に行ってみよう、となった。
 
JRの公園口から出て公園内に入る。上野公園に来るのは十数年振り?かも。といっても広い公園の一部しか知らない。
御徒町側の途中から桜並木に入ってみようと思い、ついでに西郷どんを見ていく。(西郷どんに限っては2012年『UENO3153』ができた年にも見た
こういう像は鳥の落とし物で汚れているイメージもあるけど西郷どんはキレイだった。
 

桜のある通りでは、桜へのライトアップはしないようだ。どちらかというと提灯メイン。人出も多いし足元重視なのかな。桜の花はほのかに明るい。
 

見上げると、月がキレイだった。
 

しばらく人ごみの中を歩いたものの、これ以上先に行って、また戻るのは勘弁と2人とも途中の広くなった所でギブアップ。
 
 

不忍池側の脇道に入って進むと『上野精養軒』の前にでた。微妙なライトアップ。
 

さらに進むと徐々に人はいなくなり、どこに向かっているのかと不安になる。そのうち坂道になり、車道にでた。池も見えない寂しい通りをトボトボ行くと、行く手が開けて人の多い横断歩道にきた。不忍池の中にある『弁天堂』に行く所だ。
 
弁天堂はライトアップされ関心をひくが、そこに至るまでは露店が立ち並び人ごみ状態。同僚が折角だからと突入し、仕方なく後に続く。
 

弁天堂の横や後ろにもテーブルが並び、花見飲み客がたくさん。ここで飲むのは楽しいかもしれないけど、トイレはどうするのだろうと心配になる。

その後は車道に沿って進み、改めて京成側の入口(?)を眺めて公園を後にした。
 

といっても、そのまま帰るのはサラリーマンらしくないので、アメ横周辺を散歩し、空いていそうな赤提灯の縄のれんをくぐるのであった。
 
 
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上野松竹デパート→さくらテラス

2014-07-15 | 日常のできごと

数ヶ月前に山手線の車窓からチラッと見えて気付いていた。上野駅前、2年前に「西郷会館」が「UENO3153」に変わったその横に新しい商業ビル(さくらテラス)が建っていた。
(北の玄関口である上野の事なので、新潟産の者としては気になる駅なのであった・・・)

先週の夜、上野駅の近くに用事があったので、ついでに外観を眺めてきた。
(慣れないアイフォンのカメラで撮ったので画がボケボケ。)

▽左側は「UENO3153」右側が「さくらテラス」


▽中央のエスカレーターは、裏に拡がる上野恩賜公園に直結しているようだ。


調べてみると、正式には『上野の森 さくらテラス』といい、「上野松竹デパート」として半世紀以上親しまれてきた「上野大東ビル」が、モダンな全面ガラス張りの地上3階、地下1階の建物に生まれ代わり、新業態店を含む19店舗が入る大型飲食店ビルとして今年の4月にリニューアルオープンしたとのこと。


「上野松竹デパート」は昭和28年(1953年)に「上野公園デパート」として竣工。
2階で「上野松竹映画劇場」が開業。その後地下1階に「上野映画劇場」「上野名画座」、2階の松竹の隣に「上野セントラル」を相次いで新設した「映画の館」だった。
さらに、松竹開業の翌年、昭和29年(1954年)にはお隣で「上野東宝劇場・上野宝塚劇場」もオープン。上野駅前は映画目当ての人であふれたことだろう。

ついでに調べてみると、上野には他にも、「上野日活館」「上野パーク劇場」「上野公楽座」「上野スター座」「上野東急」など、約13スクリーン(?)の映画館が上野方面に存在していたようだ。

当時は大衆の娯楽が劇場や映画館が中心だったので、浅草~上野は大変な賑わいだったが、娯楽が他に変わって行くと共に集まる人々も少なくなり、シネマコンプレックスの登場や施設の老朽化などから館自体も無くなっていった。

上野松竹→上野セントラルは、平成18年(2006年)に53年の歴史に幕を閉じた。
映画館閉館後も、上野囲碁センター(昭和30年代から3階の約半分を使用し営業)、画材店、100円ショップ、薬局、古本屋などが営業を続けてきたが、平成24年(2012年)8月に全館閉鎖した。


2012年の9月20日、「(西郷会館→)UENO3153」を見に行き日記にも取り上げた。その時に「上野松竹デパート」も撮っていたが、これがちょうど解体前の姿だった。(再掲)


この時は全館閉館したことも、直に解体することも知らなかったけど、良い機会に拝めることができたわけだ。


参考:「上野の森さくらテラス」報道向けページ↓ (下段に竣工当時の画あり)
http://www.info-ginza.com/sakura/open/201403.html

 

コメント (4)
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西郷会館→UENO3153

2012-10-07 | 日常のできごと

9月20日に珍しく出かける用事があり、さらに夕方からだったのでそのまま直帰することになった。帰りは山手線内回りで乗り換えの上野駅に向かう。

通勤は上野駅で地下鉄に乗り換えるので、山手線(もしくは京浜東北線)は久し振り。上野駅に近づいた時、車窓の外に妙に明るいビルが見えた。アレ!?確かあそこには古いビルがあったはずだし、あの明るいビルは何だろう・・・と思ったが、深く考えもせずそのまま乗り換えて帰宅した。

しかし、その後も何となく気になっていた。新潟県人にとっては♪上野は 俺らの 心の駅だ~という『あゝ上野駅』の時代ではないが、上野駅は他の駅よりも気になるというか親しみがあるというか・・・。

昨日、休みなのだが急いでいる書類作成とたまった書類整理のため出社することにした。そこで、朝地下鉄に乗り換える前に立ち寄った。

上野駅から外に出て京成上野駅方面に向かう。・・・考えてみると、ここ数年の間でも、上野駅界隈には何度か来ているのだが、反対側のほうだったり、アメ横のほうだったりで、京成側には相当長い年数来ていない。・・・

JRのガード下から建物が見えてきた。何てこった、およそ上野らしくない洒落たビルがあった。

その昔、上階は大きなレストランで1階は土産物屋さん、店先には大判焼き・・・というような記憶がある。それが、精養軒、叙々苑という敷居の高い店の他、寿司・海鮮・ステーキ・手羽先などなど。

変わるものだな~!と、隣のビルを見ると、こちらは変わらないザ・昭和!だ。でもここはかつて映画館があったはずだが、その影もない。朽ちかけの様相。「上野松竹デパート」の文字に哀愁がただよう。

それはさておき、新しいビルになって屋上からの西郷さん辺りは(※)どうなったのだろう。気になるけど・・・そろそろ、会社に行かねば。

※この並びの建物は上野の山(上野公園)を削って建てられていて、建物の屋上と西郷さんの銅像がある公園の地面レベルがほぼ同じ。建築上の制限によるのだろう。

夕方、書類整理は後に回すことにして、結局、陽が沈む前に西郷像を見に行くことにした。(こういう時でないとなかなか足がむかないのでね。)

京成の手前の広い階段を上り(似顔絵屋さんは健在)、さらに階段を上る・・・見えてきた。

↑右下から斜め左にむかう右側が新しいビルの屋上だ。屋上も小奇麗だった。銅像はけっこうギリギリに建っているな~。
西郷さんは相変わらず見果てぬ海の向こうを眺めていた。

帰りは、ビルの屋上から階段で下りた。途中に置いてあったリーフレットをみると、この建物は『UENO3153』で「うえのさいごーさん」と覚えてネ、だって。


以前の光景があやふやなのでカチャッてみると、「上野経済新聞」というWebサイトに載っていた。ちょっと拝借。

上野駅前のランドマーク的存在だったファミリーレストラン「聚楽台」(1959年:昭和34年秋オープン)が入居していたビル「西郷会館」が老朽化のため2008年4月に閉店。その後、建て壊し、4年半越しに「UENO3153」と名前を変えてリニューアルオープンした。

そうそう聚楽台だったな~、入ったことはないけど。しかし、50年間の歴史は建て替えで閉店。3153には聚楽台は入っていない。

2008年4月:聚楽台支配人のコメント「50年間も営業を続けられたのは、応援し続けてくれたお客さんと、熟練した接客技術をもったベテランウエートレス・従業員の功績が大きい。みんながワイワイできるような、上野らしさを失わない形で再オープンを迎えたい。」

しかし、4年半後:ビルの施設を運営する方のコメント。聚楽台については「出店交渉したものの、条件面が折り合わず断念せざるを得なくなった」
この4年半で経済状況が変わったのだろう。それも仕方がないか。

上野は北の玄関口、日本を代表するターミナル駅として栄えてきたのだが、何故だろう、駅ビルは無い。その代わり上野駅前のランドマーク的存在だったのが「聚楽台」が入居していたこのビル「西郷会館」だった。

東京駅丸の内駅舎が昔の威容を取り戻したニュースと比較するつもりはないけど、えらい違いだな~。

さらに「東北縦貫線」計画があり、JR東日本の上野駅と東京駅を結び、上野駅止まりだった宇都宮線・高崎線と常磐線を東京駅まで乗り入れ、東海道本線と直通運転させる。当初は2013年度開業予定だったが、2014年度の開業を目指すことになったようだ。

2014年といっても2年後だ。上野駅はどうなっているのだろう。もはやターミナル駅ではなく普通の駅に近くなる。
今でも新潟や東北から上京する方にとって上野駅は通過駅なのかもしれない。数年後に『あゝ上野駅』は「昔、昔のことじゃった」になりそうだ。


ところで、山手線に乗った時に反対の車窓を見ていたら、今でも3153に気がつかなかっただろう。通常と違う行動、たまたまって大事だな~。

 

コメント (4)
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