シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

小浜市:小浜城(雲浜城)

2016-10-23 | お出かけ
8月の下旬に出張で初めて福井県小浜市に行ったのだが、10月13日~14日には京都~舞鶴市~小浜市へと、再度行く機会があった。宿泊は小浜市で、前回とは異なる宿に泊まった。で、また朝散歩の様子である。
 
◎小浜城(別称:雲浜城=うんぴょうじょう)
関ケ原合戦の後、慶長6年(1601)、若狭の国主となった京極高次(お初の夫)が着工し、その子忠高が引き継ぐも、寛永11年(1634)、酒井忠勝が城主となり、寛永15年(1638)に三層の天守閣を築いた。
酒井家14代、238年間の居城となったが、明治4年廃藩置県に際して城内に小浜県庁が設置された。しかし間もなく大阪鎮台分営のための改修工事中、明治4年(1871)12月二の丸櫓から出火し、旧城大部分を焼失した。
 
駅前から伸びる通りを北に進み、南川を渡ってすぐ左に曲がると、城壁があった。
画の手前も左も住宅が迫っている。城壁の前がゴミ置き場になっているのが、プチ観光に来た者にとってはちょっと寂しい。

本丸の跡地の一画。大きな木が数本あった。

この石垣の上に天守台があったようだ。上ってみたが何もなく。直下には住宅など。

小浜城は海と河川とを取り合わせた要害の海岸城だった。

しかし、現在は城郭の一部の石垣を残すのみで、掘は埋められ城址の周囲は市街地になっている。本丸跡は神社とその境内として残されている。
雲浜城の由来を調べてみた。京極高次は、かつての若狭守護武田氏の後瀬山城を捨て、居城を海岸沿いの蜘蛛の浜(下竹原)に移し、新たに城下町割りを行った。その蜘蛛の浜は後に雲浜と改称され、城は雲浜城とも呼ばれるようになったという。

◎小浜神社
明治8年(1875)、本丸跡に藩祖である酒井忠勝を祀る小浜神社が建立された。
順路は前後するが、1の画の道路を右に進むと、左に鳥居~参道が現れる。

拝殿は透明な板で囲まれていた。社殿の左奥が2の画になる。


◎雲城水

小浜市一番町船溜まり横にある自噴井戸で、「平成の名水百選」にも選ばれている。
地下30mの砂礫層から湧き出る地下水。山育ちの私には海岸沿いで、飲める水が自噴するということが不思議に思えたが、地下水ということを考えればあるわけだ。
 

案内板によると、この地は清水湧き出る豊水の地として知られ、各戸の掘り抜き井戸からは夏は冷たく、冬は暖かい恵みの水が絶え間なく流れ出ていたという。
半面、水禍に襲われることも多く、水天宮をお祀りしたとのこと。

◎一番町船溜まり
海に縁のない環境で暮らしているので、こういう光景も新鮮に感じる。

イカ釣り漁船だろうか。

この船には「若狭高等学校」の名前入り。学校の持ち物?地域ならではか。


◎小浜聖ルカ教会

南川の堤防道路沿いに教会があった。裏側なのか表側なのかよく分からないが、堤防道路から入れるようになっている。
この教会は、明治30年に建設された煉瓦造の教会堂を昭和6年に改造し、煉瓦造の1階部に木造の礼拝堂が2階にのる形とした建物になっている。登録有形文化財(建造物)
 
 
時間がそれほど取れなかったのでバタバタ散歩だった。とりあえず記録しておく。
 
コメント (4)
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