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【1109/96:原発事故被災者】炉心が溶けている「逃げろっ」 あの日奪われた「日常」

2011-09-11 23:25:55 | Weblog
■3・11直後、福島から長浜へ 山下さん夫妻 消えぬ無念 募る不安

【写真:生活支援に関する書類などを広げ、今後の不安について話す山下隆夫さん(右)と百合子さん(長浜市で)】

 東日本大震災の発生から、11日で半年。県防災危機管理局によると、県内には東北3県を含む9都県から163世帯419人(1日現在)が避難している。特に、福島第一原発事故で、自宅に戻るめどの立たない住民は、今なお多い。第二の故郷の福島県川内村を離れ、長浜市の市営住宅に暮らす夫婦の半年の思いを聴いた。(生田ちひろ)

 無職山下隆夫さん(62)と妻の百合子さん(63)は、同原発の30キロ圏内にある川内村から3月16日、長浜市に避難してきた。隆夫さんは「村は放射能のせいで、産業も農業も、もう無理だ。復興するとは思えない」とため息をつく。

 千葉県八千代市で私鉄に勤め、3年前に定年退職した隆夫さんと、百合子さんは自然に憧れ、退職金を投じて川内村に転居。家庭菜園で果物や野菜を作り、地元にもすぐにとけ込み、夢に見た生活を満喫していた。

 その〈日常〉が3月11日、一変した。激しい揺れで家屋にひびが入り、田畑は地割れを起こし、陥没した。12日夕、同原発に勤める知人が血相を変え、隆夫さんの自宅に飛び込んできた。

 「原発の炉心が溶けている。逃げろっ」

 2人は事態をのみ込めないまま、車に食料や水を積み込み、避難の準備を始めた。15日には全村避難が決まり、2人も川内村を離れ、長浜市に住む姉を頼って来た。

 間もなく、市営住宅が無償で借りられ、近くの住民らが生活に必要な家電製品や布団などを届けてくれた。コートを着込み、コタツや車で寝る生活からも解放され、初めて足を伸ばして眠ることができた。

 近隣住民とも打ち解け、精神的にも支えられている。「本当に良くしてもらい、恵まれている」と、2人は口をそろえる。

 一方で、今後については「希望がない」と肩を落とす。市営住宅の入居期限は来年3月まで。「放射能汚染が今、どうなっているのかがわからず、村に戻ろうという気持ちも湧いてこない。このまま長浜で暮らしたい」と、夏から転居先を探し始めた。だが、年金生活でまとまった蓄えはなく、なかなか折り合える物件は見つからない。

 隆夫さんは「東電や政府は一時的なものでなく、土地や家を買い上げるなど、きちんとした補償をするべきだ」と訴える。そして、「原発がなければ、川内村を離れなくてもよかった。終(つい)の棲(す)み処(か)となるはずだったのに」。無念の思いが、2人の口をついて出た。

(9月11日付け読売新聞・電子版)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20110910-OYT8T00941.htm
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