Short Stories
vol.9 「ニーム」(1/5)
旅から戻ってのお土産で一番大きなものは何だと思う?スーツケースに入らないほどすっごく大きなもの。
恥ずかしげもなくこんな問いかけをする幼さ可愛さも、今ではちっとも驚かなくなったし、怖いとも感じなくなっている。
丸い顔の真ん中に西洋人形のような薄い黒目がぼんやりと浮いた、それでいて油断ならない攻撃の気配を口元に宿す、美人とは言えないけれど子供受けすること間違いないミホに、身構えもなく、はい、その答えは「言葉」でしょうと、返事できるようになったのは、やはり彼女が死者だからだろう。
あのままミホがインドで生き続け、サーガルという内陸の小都市からさらに車で3時間走って辿り着ける貧しい村に、離婚の慰謝料を資金にして建てた私塾で子供たちと生活を続け、電気も水道も無くテレビも見ることができない日々に耐えながら、畑に野菜や菜の花を植えて収穫するだけの一生が待っている彼らに文字を教え、時にはハーモニアムという手風琴のようなキーボードを鳴らしながら日本の歌を歌い、その限られた村落の中だけにしても尊敬を集め、そしてああ、今も土にまみれた幼い者達と共に暮らして居るのなら、つまりは日本から逃げ出したのちの成功者で在り続けているのなら、私は畏怖の気持を持って一歩退き、旅のお土産?スーツケースに入らないほど大きなお土産?さあね、見当もつかないわ、と途方にくれた顔で笑み返すことが出来たでしょうに。
けれどミホは数年後インドから逃げ帰って、郷里の実家に一年ばかり居たのち大阪に行き、インドで罹った肝炎を悪化させて安アパートの一室で死んだのだ。その話を聞いたとき、ミホは表も裏も葉脈まで明らかな、どこにでも在る一枚の葉っぱになってしまった。結局彼女もフツウの日本人なのだと安心して手に受け、その葉を指で摘んで陽にかざすことも出来るようになった。なあんだやっぱり、私と同じじゃない。
人は死とともに身近に近寄って来て、解りやすくなることもあるのだ。解らないものは怖いけれど、解れば怖くなくなる。またしても意表を突こうだなんて、彼女らしい死に方だと、一瞬の警戒心は起きたのだけれど。