Short Stories
vol.8 「唐辛子姉妹」(1/5)
六月、空気が虹彩を含んで明るい。姉の唐辛子が、隣の枝のまだ青くて固い妹唐辛子に言った。「妹よ(ルビ・アウヤ)、あんたのその枝は滋養が足りんのか日差しがちと及ばんのか、熟すんが遅いわい。あたしを見てみなされや、そろそろ色づいて来とるわいな」
妹の唐辛子も負けじと言い返す。「姉さん(オンニヤ)、早く赤くなったところでカプサイシンが増えて辛くなるだけで、旨みが少ないのを知ってますでしょ。この国の唐辛子(コチュ)は海の向こうの日本という国の唐辛子と違って、しみじみ深い味があるのです。その昔、豊臣秀吉という武士がこの国にやって来た折のこと・・」
姉唐辛子は、ああまたその話かと思う。辟易した風情が妹唐辛子にも伝わったらしい。「まあ聞いてください。その豊臣が持ち込んだ唐辛子ではありますが、この国で進化して旨みを増したのは、何と申しましてもこの土のお陰なのですよ姉さん」
妹唐辛子がこの土というのは、全州市の隣イクサン市を流れる広やかな川の水が、ひたひたと潤す農地のことである。唐辛子畑の隣の畝には、大蒜のほぼ枯れた葉がさやさやと風に打たれている。土の中から半分覗いた大蒜は、競って白い肩を盛り上がらせ、ニラ、ネギ、ショウガもサックリとした黒土の上で背伸びをしている。畑の向こうには大麦畑が薄香色に波打っているけれど、唐辛子の木の背丈はせいぜい40センチだから、姉唐辛子にも妹唐辛子にも大麦畑は見えない。見えないけれど風が麦の匂いを運んでくる。「妹よ、豊臣の話なんぞどうでも良いわい。それよりこの匂いは乾いていて、何とも極上であるよね」「はい姉さん、きっと豊臣秀吉もこの匂いを嗅いだのでしょう」
姉唐辛子は陽を浴びて色づくことに必死だけれど妹唐辛子は、代々大地から伝わる唐辛子の記憶遺伝子を総動員して、豊臣秀吉をひけらかす。
このあたりの農民が酷い目に遭わされたことはきれいさっぱり忘れている、というより、記憶の遺伝子から恨のDNAが抜け落ちてしまっている。
「・・姉さん、その昔は私達唐辛子は毒だったそうですわね」「妹よ、聞き囓りは良うないわい、南蛮椒については大毒と書かれてあった話はあれども、おそらく今とは異なる種類にて正しくは・・」「正しくはどうだったの?」「正しくはただ、我らポルトガルより日本の豊後に入りしのち、このあたりに運ばれてきたという事実あるのみ」「では加藤清正が目潰しに使ったということは?」「正しくは、判らんことなり」
煩いなあ、と姉唐辛子は思うが、妹の教養主義も適度な暇つぶしにはなると心を鎮め、聞き流すことにした。