Short Stories

vol.3 「四時五分の天気図」(1/7)

四時五分の天気図 人生においてこういうことは、そうそうはないし、ましてや死にかけた瞬間に、ここ何年も旅の必需品としてホテルの枕元に置いていたセイコーの薄型目覚まし時計が、電池切れのせいではなく、律義にぴたりと四時五分を指したまま止まり、おまけに前向きに倒れていたなどと、偶然にしても、恥しくて誰にも言えやしない。


 もっとも目覚まし時計が四時五分で止まったのを知ったのは、体温も戻って意識もしっかりし、髪も洗って、ああ生きていた、でもあのときは死んでいたな、死とはあんなものかもしれないと気付くことが出来た、つまり、五時半ぐらいの出来事で、あれ、私の目覚まし時計を誰かが触ったのかしらと、私の体温低下を心配して部屋に出入りした何人かを思い出し、その人たちに尋ねてみて、いえ、時計なんて触ってませんよ、と答えられた。やっぱりそうすると、あの四時五分に、この時計も一緒に死んでくれたのだわと、思わず虫の死骸でも暖めるように手の平に包んだ。


 こんなにコンパクトなカメラだもの、海の中の操作なんて平気よ大丈夫よと、テレビクルーの一人から海面で受けとった水中カメラは、意外にもずしりと重くて、あの瞬間大丈夫かしら、と自分を疑ったのであるが、潜ってしまえば何とかなると、アンカーロープもない切り立った崖のドンブカの海に向かって、入って行った。


 島に滞在して四日目、台湾少数民族タオ族の作家、シャマンさんの日常に付き合い、山に行き木を伐り倒し、それを継ぎ合わせて舟を造り、素潜り漁に出るという男たちの生活を、逐一取材させてもらい、またテレビもこうした日々をドキュメンタリーに仕上げる目的で同行していた。


 山は何とかなった。海をあなどった。


 シャマンさんは三角形に切り立つ沖の小島の傍らで、素潜りをはじめた。ちょうど鋭角の三角錐を海面に立てたような島は、実は海面下の方がうんと深くて、島のまわりは渦が巻くのが見えるほどの強い海流に晒らされていた。それでもわずかに、しぶきが踊っていない片側からシャマンさんは入ったので、私も同じようにした。乗ってきたボートの上からはテレビクルーや通訳の女性が、ちょっと不安げに見下していた。


 その顔が不安げに見えた、ということはすぐそこに在る未来に、影が舞い下りていたのだ。やめた、と言えなかった。ボートのチャーター費用だって馬鹿にならないだろうし何よりシャマンさんが潜る気になっているのだから、ダイビングギアを付けて潜る私がためらうわけにはいかない。人生にはこんな瞬間が何千回もある。これまでもあった。私のダイビング歴は二百本をとうの昔に越えている。


 シャマンさんは薄いウエットスーツの腰に五、六キロのウエイトを巻き、頭髪は帽子で包み、手作りの、というより代々タオ族に伝えられた銛を片手に、しぶきも上げずにボートから海中へ下りる。私も追いかける。しかし手で辿るはずのアンカーロープはないし、流れはきつい。


 ウエイトが足りない。フィンを蹴ろうにも、海面の頼りない水が踵に当る。ジャックナイフで数回、頭を海中に押し込んで、ようやく潜れた。


 カメラはすでに回っていて、余計な操作は不要、ただフレームの中にシャマンさんが魚を突く場面をとらえておけばよかった。


 落ちていく体を立て直したとき、カメラが私の胸にずしんと当った。口にくわえたレギュレーターの内側がきしんだ気がする。台風の夜の古家の柱が妙な音をたてるように、キチキチ、と鳴った。今は十二月、夏以来多分整備されてないのだろう。しかし空気は出てくる。渋いが大丈夫。カメラを下に向けると、私の体も反転して呼吸が楽になった。