耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

今年も盛会だったK大学“りんどう会(献体組織)”総会

2007-05-30 16:18:19 | Weblog
 昨日はK大学の献体者で組織される“りんどう会”の年次総会に出席した。毎年のことだが、百数十名の会員が一堂に会し、会長、医学部長の挨拶、本年度新会員(56名)の自己紹介、健康講話、記念撮影のあと会食で午前の部が終了。午後2時から平成19年度「解剖体慰霊祭」が、遺族、りんどう会会員、医療・福祉関係者、医学部関係者・教職員・医学生など約500名が参列し、古刹[梅林寺]で荘厳かつ盛大に挙行された。

 祭典は、導師による祭礼の儀で始まり、続いて10数名の僧侶が列をなして読経しつつ祭壇を何回も周回し、それが終ると導師を挟んで両側に整列した僧侶たちの読経が続くなか遺族代表、祭主、来賓の焼香が行われる。続いて、医学部教授、医学部2年生代表がそれぞれ祭文を捧げ、最後に参列者全員の焼香で、都合1時間余におよぶ慰霊祭は終了した。

 主治医の循環器内科医院院長を通じて私が献体を申し出たのは2002年3月である。1984年私は、県の透析患者の会会長をしていた友人に協力する立場から「腎臓提供者カード」を所持しており、いずれ「献体」する予定でいたが、大病に見舞われたのを機に主治医の出身大学の献体組織“りんどう会”に入会したのである。

 今年の“りんどう会”では、例年発行される会報『りんどう』とは別に、「篤志解剖全国連合会」が発行する『篤志献体』というA4版80頁の立派な冊子が配布された。これを見れば、全国の献体活動(59医科・歯科大)の状況、解剖学習のあり方、献体をめぐる法律と問題点などを知ることができ、参考になった。特に、献体をしていながら「献体法」(1983年制定)があることを教えられ、誠に迂闊なことだったと反省させられた。

 私の知る限り、献体者のほぼ全員が「善意」で、「医学教育の充実、発展」を願っていることは「入会時の自己紹介」を聞いて確認できることである。しかし、先の『篤志献体』には、あるテレビ放送で、献体の会員証を掲げ「私は葬儀をするお金がありませんから献体しました」と発言した人がいたと紹介し、献体は本来「無条件・無報酬」の奉仕の精神で行われるもので、このような意図で献体する人は加入を断っていると書かれている。当然のことだろう。

 「りんどう会」会報の『りんどう』には、「学生感想文“解剖学習を終えて”」が毎回収録されている。それをみれば、ほとんどの学生が「解剖実習」の4ヶ月間で「自分が変わった」ことを告白している。Aさん(女性)のほぼ全文を紹介する。


 
 <約4ヶ月間の解剖実習が終りました。この充実した日々は決して私一人の力ではなし得ないものでした。貴重な身体を献体して下さった御本人様やその御遺族の方々はもちろんのこと解剖学講座の先生、そして一緒に勉強してきた班員のみんなに心から感謝します。
 
 実習中は毎日が驚きの連続でその驚きとともに知った事は一生忘れることはないと思います。一人の人を知るというのは短い実習時間の間ではできずに私たちの班はよく夜遅くまで残って勉強しました。どんなに遅くなった時でも御遺体は優しく私たちを見守って下さいました。私たちは解剖が進むにつれて御遺体と親しみを持つようになりました。

 …私は納棺の時、お疲れ様です、そしてどうもありがとうございましたという気持ちで一杯でした。もう二度と会うことはないのだという淋しささえこみ上げてきました。それはちょうど長年お世話になった御師に別れを告げることに似ていました。御遺体もよく頑張ったね、これからも頑張るのだよといってくれているように感じました。私の経験した解剖はこれからの勉強の中での強い土台となりました。

 …医学の基本は解剖であるということです。人間を知るということそれがまさに医学なのだと思いました。これからの医師への道の中で、また医師となってからも今のこの気持ちを忘れなければ大丈夫と思えると思います。そう思わせて下さったのは他の誰でもない献体して下さった御遺体自身です。本当にありがとうございました。よい医師になれるよう頑張ります。>


 こうした若い有志の人たちのために、身は死すとも「生きた」教材として役立てるのは喜ばしいことといわねばならない。医学生の皆さんには初心を忘れず、心身に悩みを抱えた人々に優しく寄り添って欲しいと願うばかりである。



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