秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

鹿島神社の「おものめ様」

2017-10-31 | 東北地方の伝説(宮城県)
10月31日、ハロウィンだってことをすっかり忘れていた。
今月の後半は濃すぎて、忘れとる。もう今年も終わった気分。
慌ててスーパーで、かぼちゃの饅頭を買う。(そこか)
とりあえず食べて納得しておく・・・。

さて、久しぶりに加美町の鹿島神社に行ってきました。
今回は一人ではなかったので、いろいろと面白かった~。
震災以前に行ったきり、その後、行ってなかったので久しぶりの鹿島様。





以前に比べて明るい感じです。
聞いた話ですが、震災前に鹿島神社の木が倒れたそうだ。
何の木か不明ですが、それが震災の前触れだったのでは?という噂。

色麻町を通り、本来の地名由来が四竈だった話で、
一緒に行ったNさんが、なぜか「おにぎりを4個作らないと」と、思ったそうだ。
面白いんですけど~、おにぎり4個って何?

4個というのは、妄想するに、「四角」や「四方の山」の意味なんじゃないか、と。
鹿島神と繋げれば・・・?(わからないけど)
ただ、この後、飯豊神社にいったので、飯(もがり)だなぁ。
でもうちらは、ランチのことしか考えてないんすけどー。

鹿島神社や色麻、七ツ森については前から妄想してますので省略します。

ところで、私は今回初めて気づきました。
本殿の東側に「おものめ様」がまつられています。
中を覗くようにしないと見えないのですが、奈良の三輪山と同じような話です。



大蛇の化身に恋した娘---------------------------------

昔、加美町四日市場元宿に一人の美しい娘が住んでいました。
いつの頃からか、この娘のところに一人の若い男が通うようになりました。
その若者はこの世のものとは思われないほど美しい面立ちでした。
そして二人の仲は、日増しに深くなるばかりでした。

娘の家には年老いた一匹のガマが住みついていました。
そのガマは娘のところに通ってくる若者は、実は大蛇の化身であることを知っていました。
そこで、ある時娘にそのことを知らせ、 若者とつきあうのをやめるよう忠告しました。
けれども、恋におぼれて夢中になっていた娘は、忠告を聞かなかったばかりか、

ついには若者の子を身ごもってしまいました。
ガマは娘のことを気の毒に思い、「私の言うことを信じないのなら、
今度若者が来たら着物のすそに糸を長くつけた針を通しておきなさい」と
娘に言い聞かせました。
娘は半信半疑でしたが、忠告に従うことにしました。

そのことがあってから、若者は娘のところへ通って来なくなりました。
驚いた娘は、何日も夢中になって若者を探しました。
そして、とある山道にさしかかった時、目の前に若者の着物につけた糸を見つけました。
その糸をたぐって行くと、ある老木の根元のほら穴の中に入っていきました。
ほら穴の中を探ると、そこに大蛇の死骸が横たわっていました。
それは、あの若者に化けた大蛇だったのです。

娘は嘆き悲しみました。
そして家族や世間にわびて、せめて多くの若い人々のために
良い縁が結ばれるよう縁結びの神として奉仕したいと言い残し、近くの沼に身を投げました。
村人はこれを哀れんで供養し、縁結びの神としてまつりました。
これが、鹿島神社にまつられる「おものめ様」だということです。





おものめ様が見ている風景。

鹿島神社サイト(おものめ様の姿はこちらで見られます)
http://www.kashimajinja.org/m_densetu.htm

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男性が蛇というのは、「蛇塚八幡」も同じです。


男根信仰じゃ。

それで、この蛇塚八幡のことを以前書いた時に、
蛇信仰と機織姫という話があった。(篠田氏の本から)
その意味は、占いは女であり、おものめ様のガマというのは蛙。

「蛙は山姥で巫女(占い師)である。
これらは洞窟に関係し、三輪山の神封じや洞穴や夜刀の神(蛇)が
畑に出て邪魔をするのを嫌がったという風習からきている。
そのため、里人が神の住まいを作り、立札を立てて追いやったという。

また、洞穴は巫女が神との婚姻を許されるのであり、
その洞穴に蛇(男)がおり、そこに太陽が隠れるという。
いったん、洞穴に入り身ごもり、新たに生まれ変わるという
修験道の修行は47日間行われる。
出雲神は自然神だが、動物に変わる神は蛇と決まっている。」


蛇は一本の大きな樹に降りるとされる。
私のイメージは、これなんですけど。



アスクレピオスの杖
医療の神様。ギリシャ由来です。
余談ですが、「スタートレック」の宇宙艦隊医療部のシンボルマークがこれなんだって。
観てないからわよくからんけど。

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さて、そんな「おものめ様」を妄想していたら、「かぐや姫」に繋がった。
なして?

鹿島神社の鹿島は、「香島」であり、「カグシマ」とよんだ。
鹿児島県の鹿児島も、香島といった。
カシシマの説もありますが、「カグ」の方が正しいでしょう。

カグは、いろいろあります。
カグツチなどもそうですが、いきつくところは「火」なんです。
香りの歴史は、火から始まっているそうです。
人間が火を発見してから香りを利用するようになった。
古くは、メソポタミア文明で、シュメール人は「レバノンセダー(香りのする杉)」
を神へ捧げていたそうです。
レバノン杉ですね~。
いいね~。レバノンはもちろん行ったことないけど、レバノン杉は憧れ。
一度でいいから本物をみてみたいと思ってましたが、
残念ながら絶滅危機になってます。
いずれ消えてなくなるのでしょう。

レバノン杉は「香柏」と言われ、香りがとても良いので、古代はレバノン杉を
たくさん伐採した為に、一部しか自生しなくなったと。
香りは杉や松も同じです。
日本でも杉や松には神が宿るとされますが、元は香りだったでしょう。
アロマの原型みたいですね。
それを薬として使用していたのは、納得できます。


※レバノン杉

ギルガメシュ神話(メソポタミア)では、世界最古の環境破壊を伝えているものといわれる
神話があります。
シュメール人の天神によって森林伐採(レバノン杉)が行われている時、
森の精霊であるフンババ(フワワともいう)が対抗します。
フンババの姿は異形なのですが、異形にされるのは世界共通です。
その口は竜のような口で髭をたくわていること。
日本では夜刀神と同じようなものでしょうか。

であると、スサノオの子である五十猛が植林を進めたというのは、
レバノン杉のことがあって、植林の知識を得たと考えられます。

他にも、古代エジプトでは、王が亡くなるとその亡骸に香料を塗り、ミイラにした。
この場合の香りは、防腐・防臭効果として使用し、洋服にも用いられる。

インドではスパイスを焚いて死者を来世へ送った。
日本に伝来したのは、奈良時代。
鑑真和上が沈香や白檀など数種類の香薬を調合して作る薫物を日本に伝えたそうです。
初めは供香(そなえこう)として仏前に用いられましたが、
平安時代には、宮廷を中心に空薫物(そらだきもの)として部屋や着物に香をたきしめる
風習が盛んになったといわれます。
※香りの歴史:日本香料工業会より

カグの意味は、「輝く」が有力らしいが、
かぐや姫は、「香具耶姫」と書き、天香具山と同じ漢字をもつ。
匂いを嗅ぐも「カグ」

昔は土葬が一般的だったから、遺体を安置するときに、
香りを使っていた(お香をたく)ということが想像できます。
その香りが充満していたので、香島といわれたとも考えられます。

昔は、島流しの刑がありました。
孤島はそのような場所です。
そのような場所をまた供養する巫女がいたわけですね。
宗像三神はそんな感じがしますけど・・・。

持統天皇の歌に、
「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」 があります。
小学生(確か4年か5年生だったと思う)の時、学校の授業で百人一首をやった事があります。
先生が、一つでもいいから、百人一首を覚えて下さいといわれ、
私が選んだのが、この歌でした。

私が歴史に興味をもった時代が飛鳥時代で、特に持統天皇に興味をもってました。
それが小学生からこんな風に、持統天皇の歌を覚えていたというのも、
不思議なもので~。
貴族社会から、今じゃエミシなんだな~ぁ。(なぜ?)

それで、カグツチ(迦具土、加具土)は、
天香具山の香具やかぐや姫の語源ともいわれる説があった。
かぐや姫も天香具山のルーツは、カグツチだったと?!

カグツチといったら物部氏。
鹿島神社=物部氏=カグツチ=かぐや姫?=天香具山?。
でもでも、その裏に大伴氏や多氏(出雲)などの豪族がいることをお忘れなく。

アテルイとモレの碑がある水沢の羽黒山で書いてました。



道祖神で修験者の火神とされますが、丹波桑田郡阿多古神社が発祥らしい。
由来は、704年頃、役小角と白山の開祖泰澄により建立されたと。
中国五行思想があり、火に関係する神はカグツチである。
愛子神をカグツチだという説もあり、湯殿山のご神体の上に、
愛宕神のカグツチと水神を祀っていた。
火と水の融合で鉄をつくっていた人達の信仰が、羽黒山にあったのです。

そういえば、この日、やたらと湯殿山の碑があったな~。

なぜ、色麻が竈なのかは、カマドの竈や釜のことで、
カマドは火を焚くから、その火防のために鹿島神なのかな、と思います。
が、鉄を作っていた場所だったかもね。
色麻町にも、大崎古川にも愛宕山という山名がある。
いろいろ話がありますが、そのような場所にお墓があるのは、カグツチだから?

仙台の総鎮守としてある愛宕神社も、カグツチの神を祀っています。
伊達政宗は、京都からご神体を運ばせて祀り、1573年に米沢から大崎の
岩出山を経て仙台荒巻に仮遷座。
1603年に向山に造営して遷座した。
政宗は、愛宕神社を仙台城下の総鎮守に定めたという格式ある神社。



もののふ→マロ→伊達ちゃん(なんかほっこりする呼び方ね~)

雷は剣のこと-----------------------------------------------

茨城県の鹿島神社には長い直刀が奉納されています。
アテルイもいる。

鹿島神社のご祀神は、タケミカヅチなんですが、「雷」の漢字を用います。
ミカヅチは、イカヅチであり雷のこと。
稲をもたらしたとか、イナリ=鋳なるの鉄用語、イナンナ説(日本だと豊受大神)など、いろんな説があります。


雷神図(尾形光琳)

古事記では、「伊邪那岐命は、体に蛆が集かり、頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、
女陰に咲(裂)雷神、左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、
右足に伏雷神の8柱の雷神(火雷大神)が生じている伊邪那美命の姿を見たとされる。」
と、あります。

全部、雷がつく。
むむむー、雷は、古くから怨霊と考えられてはいないかね?
菅原道真も雷。
雷神は鬼の姿で太鼓を鳴らす。
その雷を丁重にお祀りしているのは。上賀茂神社(賀茂別雷神社)と
賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)。
他にも天満宮、鹿島神宮、春日大社。塩竈神社・左宮 - 建御雷神。
雷電神社に、加波山神社。

妄想するに、天地創造のひとつである雷は、落雷などの強烈な電磁波を起して
世界を造ったようになっている。
そのような雷がイザナミの姿というのは、地下の黄泉国に封じたという意味で。

葦原中国平定(出雲の国譲り)で、タケミカヅチやフツヌシは、大国主に対し、
剣を逆さに突き刺して談判したという話になっている。
逆さにするのは、逆の意味があるから、生に対して死となる。
子の事代主は、すんなり服従したという。
その剣を十束剣(とくさのつるぎ)といった。

カグツチは、血から8柱の神々が生まれている(古事記より)
そのカグツチを斬ったのは、イザナギで十拳剣としった天之尾羽羽張(あめのおはばり)
という刀であった。
羽が2つで、ハハ。
ハハは、またカカとも読む。カカ→カグ
十拳剣は、長い剣なので、鹿島神社にある直刀にあたる。
ヤマタノオロチも天之尾羽羽斬(アメノハバキリ)で斬られた。

「故、斬りたまひし刀(たち)の名は、天之尾羽張と謂ひ、
亦の名は伊都之尾羽張ばりと謂ふ。」
カグツチを殺すと、その血から火・雷・刀などの八神が生まれ、
タケミカヅチ(建御雷之男神)も生まれている。

「伝アテルイの刀と剣」で妄想してましたが、
剣を口の中に入れる不動明王があるが、山頂に置かれた鉾や剣をみても天から垂直に
落ちてくる力を大地に含め、人間の体内にも含める。
体の中心の軸にエネルギーを通す時、剣を使って地球の大地の中(マグマ)まで
響かせるようなイメージ。
それを落雷に委ねたのだろう。
雷神とは、剣を使って大地にエネルギーを投入したとか。
意外にも雷と剣は深い関係がある。

そう考えると、大地震がおこるような震動があった場合、
直刀でなければならなかった。
「天羽羽矢」は羽を2つ書く。羽とはこの場合、刀のことで刀が2本で剣になる。
それを「ハハ」とよび、蛇と重ねた。


※両方の刃をもつ剣:(剣名:以餅鉄守一作之1864年)

月山刀は、赤色の蛇とよばれ、ヤマタノオロチの時に生まれた剣と伝わる。
八劒神社はヤチホコの意味で、大国主を祀る。
また、「八つの肝」の意味もあり、肝は五臓の中で一番重要。
肝心、肝に銘じる、というように剣で五臓をおさめる。

イザナギがイザナミから逃れるときに、「十拳剣を振って」逃れたとある。
剣を振るというのは、あの世とこの世の縁切りでしょう。
結界の意味もあります。
言霊では、太刀(たち)といい、「絶ち」に通じる。
人が死について向き合ったときに、死体を見つめてしまったイザナギが、
そのような醜さから断ち切るために、剣を振ったと解釈される。


飯豊神社のイワクラ。


日と月の祠(左)



※飯豊神社に事代主の社があった。


「地震のおかげで普請が増え、大工が儲けて大喜びしている」という、
地震よけの歌にかこつけた風刺画(安政2年10月の瓦版)だそう。
ナマズを抑えるのは鹿島神ことタケミカヅチ。

地震が起きればゼネコンが儲かる。
こんな図をみると、フリーメーソンみたいですよね。
メーソンは石工で、宮殿の建築、土木の仕事をしていたと。
宮殿の中に入れるのは唯一、石工だった。
ぜいたくな暮らしをしている様をみて、経済の仕組みを考えたと。
それから世界の金融は、裏の組織が・・・てな話に。

ここの鹿島神社にも要石があります。
「ゆるげども よもや抜けじの要石 鹿島の神の あらん限りは」

「これは要石に鹿島の大神が降臨してまもっているから日本の国土はぐらぐらしないと云う意味。
要石は鹿島神社以外の神社には祀られていない。」(
看板より)


要石のそばに龍神の碑。

山神が多産の象徴として女神なのは、
鉄などをつくる資源も含めて、あらゆる産物を生み出すのが山だったからです。
それを女性の多産と重ねているのです。


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帰りは、石神山精神社へ行き、最後のしめは、玉ヶ池。
鹿島神社と飯豊神社から、坂上田村麻呂伝承へ。



石神山精神社の巨大杉は、坂上田村麻呂が植えたと伝わる。
レバノン杉を思い出すなぁ。

玉ヶ池には長者屋敷があったという。
マロと悪玉姫伝承があります。

また、ここにも、鹿島神社と同じような話がある。
屋敷に住む笛が上手な少年がいたが、
あるとき見知らぬ少女と恋に落ち、子供を授かる。
妻は大蛇だったので出産をみられ、子供を抱いて石巻へ逃げる。
後に大きくなったその子は、漁をしていると、海が荒れてきたので、
陸に逃げると大きな津波が押し寄せてきた。
思わず若者は「おっかー」と叫ぶと、大蛇が若者が乗っている船を岸まで引っ張っていった。

何を伝えているのかというと、津波は竜(大蛇)である。
因幡の白兎も波のことを伝えているならば、兎の語源に、禹が元になっている説のように、
爬虫類である。きれいに言えば、白龍が兎に変わっていると思う。
波乗り兎が、津波を意味していることも?
天地創造の始まりは、大津波だったのだから。



鹿島神が地震の神様だというならば、何かが霊剣を抜いてしまったわけでしょう?
だから軸がないので、今、ぐらぐらしている状態。
またそこに剣を治めないと。と言われているようだ。
気合で??
ムリぽ。

で、結局、かぐや姫はどこいった?
相変わらず脱線して、かぐや姫をほったらかした。
ということで、勝手に終了~。
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イソポの兎と五瀬命

2017-10-29 | 神話・伝説
アイヌ語から読み説けるのか、考えてみたけど至難であり、無理ぽ。
さすがに難しいねえ。
でも、アイヌ語の視点からこんな話になりませんか?
というお話だけ、軽く。

「日本書紀の垂仁天皇39年」
『イニシキが茅渟の兎砥の川上宮で剣千口を造らせた。
その剣を川上部(かわかみのとも)、又の名を、裸伴(あかはだがとも)と言う』
という話があります。

「大阪府泉南郡阪南町の菟砥川流域)にて剣1千口を作り、石上神宮(奈良県天理市)に納めた。
そして、以後五十瓊敷命が石上神宮の神宝を管掌した。」

イニシキ=五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)

「裸伴考」より(http://www.dai3gen.net/akahada.htm)参考に
させて頂きました。

アイヌ語で兎砥川上を訳すと、「isepo(兎)ruy(砥石or多い) pene(川上)」
兎のつく地名は、大体、兎が多い場所となります。

アイヌ語辞典では、他の意味がある。
「oruypene-emus(抜き身の刀)」
「o-ru-pit-ne(裸)」
抜いた刀の意味。

「兎砥川上」の「isepo-ruy-pene」は、
「抜き身の刀」の「 o-ruy-pene(-emus)」、「 o-ru-pit-ne(裸)」と音が似ている。

emus と書かれている「刀」には他にも tam という言葉もあり、
川上部とか裸伴の「トモ」との関連も考えられると。

どういうことかというと、アイヌ人が話をした会話を日本書記に記したならば、
この場所で刀を抜いた=殺されたという解釈がなされる。
でも、王族の名前を記すことで怨霊を恐れた為、その状況を記すことはできず。
もしくは、全く理解できなかったので、兎が多くいた場所というそのままの解釈に
なったとか。

「雄水門」は、男之水門ともいわれる。
このあたりの旧名が「日根郡」であり、この「ヒネ」がアイヌ語で 
男=ピンネ、pinne であること。
また、この場所は、 神武天皇の兄、五瀬命はナガスネヒコに討たれて亡くなっています。

「イセ(が)死ぬ」は 「ise ray」
これと、兎砥という地名 ise-po ruy」との音の近さがある。
ということで、裸伴考では「イセがここで亡くなった、という民話(?)の原点かもしれません。」
との事。

これについては、私もなるほど~と思いました。
裸については、因幡の白兎も、いじめられて兎の皮がはぎとられる話でした。
兎と裸の関係が、アイヌ語から読むと、抜き身の刀に通じると思ったのです。
その兎を大国主が癒した話になっています。


ワニと兎。

アイヌ語では、他に、兎が飛び跳ねる姿=白い波のこともあります。
波乗り兎と似ている。
海の白い波を「イセポ テレケ」といい、兎が跳ねるという意味。
ですが地元の人は、波が荒くなると困るので、沖へ狩りにでる時は、
「イソポ」は禁句なんだそうです。

これも、因幡の白兎と白波が通じる気がします。
また、その波と白兎の共通の音が、別の意味合いをもって解釈ができると。
日本書紀はアイヌ人から聞き取った話を暗号のように記している気もしますね。
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五瀬命『日本書紀』・『古事記』によると、ウガヤフキアエズと、
海神の娘の玉依姫との間に生まれた長男とあり、
弟に稻飯命・三毛入野命・神日本磐余彦尊(神武天皇)がいる。


五瀬命

彦五瀬命の墓は、和歌山県竈山墓(かまやまのはか)にあるそうです。(竈山神社)
972年の成立では、紀伊国名草郡に墓があった。
名草といえば、ナグサトベ(女首長)。
神武東征の時に、紀州熊野周辺でナグサトベの一行が反撃した話がある。
そのため、迂回して回ったということ。
その時、神武天皇を案内したのは、ヤタガラスだったといわれる。

兎のイソが、イソタケルなどの「五十」とつく名前にも似てます。
ただ、五瀬命と五十猛命の関係が似ているようですが、よくわかりません。
でも、近い場所にあった。



五十猛命を祀る神社が、和歌山県伊太祈曽(いたきそ)神社です。
イソタケではなく、「イタキソ」が正しいそうです。
スサノオの子で、世界の樹木を集めたような話になっていて、
これが植林のルーツだと思いますが、その場所で鎮座した土地を「木の国」と称し
「紀伊国」となった。
また厄災に遭われた大国主を木の国で助けたのも五十猛命とされる。

その神社に近いところに、五瀬命を祀る竈山神社があります。
ここに五瀬命のお墓があります。
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伊達家の伊達の由来は、イタテとよみ、宮城県色麻町に伊達神社があります。
イタテとよみますが、色麻は元は四竈という地名だった。
和歌山県にも伊達神社があり、ここが伊太祁曽神と関連がある神社となる。
もうひとつ兵庫県に伊達家の名前由来の射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)がある。
射楯兵主神社も、五十猛神を祀る。

となると、伊達家の祖先は、五十猛神をルーツとする?
そしてそして、その五十猛神は、大屋毘古神と同一との説があった。
大屋毘古神とは、五十猛神の別名で、前回、仙台の瀬織津姫を祀る瀧澤神社に
いきましたが、禍津日神(まがつひのかみ)のことを書いていた。
大屋毘古神は、大禍津日神の事でもあると。
イザナギとイザナミの間の子に大屋毘古神(おおやびこのかみ)がおり、
これは「大綾」から「あ」が取れて「大屋」になったものとされ、
大綾津日神(大禍津日神)と同一神格とされている。

要するに、これも祓いになっているという事ですかね。
祓いを清めるという流れ。

和歌山県の伊達神社の由来
「五十猛命は素盞鳴命の御子にして、大八州に数々の木種を播殖し給い、
かつ国土経営の功績顕著なるをもって、別の名を「有功の神」と申し上げる。

また神八井耳命は神武天皇の御子にして、園部の氏神に当らせ給う。
園部兵衛重茂はこの神の後裔であるという。

『続日本後紀』仁明天皇承和11(844)年の条に「紀伊国ノ従五位下伊達、志摩、
静火ノ神ニ正五位下ヲ授ケ奉ル」とあり、その後、本国神名帳によると遂に
正一位を授けられたという。

又、神名「伊達」は伊太氏にて山東庄に鎮りませる 伊太祁曽神と同神なり、
土人当社を一宮大明神と称う。
当社に中野島村志摩神社、和田村静火神社の三神を紀三所の神と称え奉るという。


瀧澤神社から伊達政宗が気になり、青葉神社へ行くことになって。
兎が気になり、アイヌ語に繋がる。
読みとくと、五瀬命と五十猛命に繋がった。
遠回りしている感じだけど、
発端は、私個人の祓いだったわけですよ。

祓い清める働きとは、一人の人物がどーのこーのではなく、
登場してくる神話の人物が、それぞれの祓いと清める荒霊と和霊の
働きをもっていたということなんでしょう。

「静火神社」というところでも火を鎮めるから水なんですね。
その火は怒りなどの人々の内面に働く。
それを清める必要があるから、私は瀧澤神社へ行ったということなんですね。
ついでに、先祖のいろんな事も清められたらいんですけど。
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縄文やアイヌという点で、
伊達神社のある宮城県色麻町は、元は四竈といったのですが、
竈(釜)というのは、塩竈神社が大製塩地帯といって縄文から続く酋長が住んでいた。
竈もその生産工程の一部であり、祭器として用いられており、
塩竈神社は元は竈を祀っていました。
色麻周辺も縄文遺跡がとても多いので、古くから交易があった場所です。

このあたり北上すると鹿島神社が目立ってきます。
物部氏などが関わっていますが、
最初の日本書紀で、『イニシキが茅渟の兎砥の川上宮で剣千口を造らせた。」
というのは、石上神宮の物部氏の話になるのですが、高倉下の剣になるそうだ。
七ツ森は、すべての山に「倉」とつける。
高倉の地名や山名もあります。
坂上田村麻呂伝承も集中しているし、おまけに悪玉姫伝承もある。

ということで、泉が出雲だと感じたところで、
それ以前は、縄文の村が栄えていたところだったわけです。
イソポのイソが、磯になり海の言葉になっているのも、
海の縄文のような気がします。
七ツ森は山の縄文です。

裸の説としては、世界神話ではイナンナが地上に降りてくる時に、
洋服をはぎとられて、裸になる話があります。
マタギの世界でも動物の皮をはぐことを神格化している行為でもある。

新しい人類の誕生という大袈裟な妄想にもなりそうですが、
因幡の白兎は、ワニ(総じて爬虫類)がいた島に行きたかったという。
対岸の島にいるワニを騙して~」という話。
その話の続きは、禊のようになっています。
大国主から伝授されるわけです。
海水で清めると体がひりひりして痛いという兎の話(皮を剥がされたので痛い)
は、海水と真水の違いを伝えているようなものだ。
ヒーリングしていた説もありますけど。

その兎が出雲の国を平定する際に用いられた話であれば、
それ以前住んでいたワニというのは、ウガヤ朝(龍)なんでしょう。

妄想するに、兎のような存在が上陸し、こちらは天からきた天照神と言うことに。
大国主は国を譲ることに決めたから、兎を救った話に。
でもそれに反対していたナガスネヒコは、裏切った?五瀬命を討った。
ナガスネヒコはワニの爬虫類側。
最初、ワニや龍などの爬虫類がいた地を天からきた兎によって征服された。ということ。
でも、大国主は「偉大な」という存在感がとても強い。
征服されたと思わないために、「天と地」のムスビを治めたのが大国主の力だったのでは?
それが出雲大社なんですね。

で、今さらなんですが、出雲大社は、大国主なんだよね。
千家さんは、アメノホヒが先祖なんだって?
アメノホヒとスサノオの誓約という話。
大国主の子孫はスサノオらしい。いまさら。

私は、伊達政宗が何かの「ムスビ」をするために、
動かされていたと感じます。
それは、夫婦神というよりは、陰陽のように人には善と悪の部分がある。
それを祓い清めるために戦っていた気もします。
伊達政宗が命名したという太白山もムスビの神ですけど、
この山は、天と地を結ぶ山だと思います。

結局、まとまらず・・・。
ひとまずおしまい。
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伊達政宗と兎

2017-10-28 | 神話・伝説
なーーーっ!
また変な流れになった。
伊達ちゃんの妄想をしていたからか、
昨日の午後、人と会う約束をして行ったら、いろいろとあって青葉神社へ行く流れに…。



今回は、導かれたとか、招かれたのではなく、来いっ!ってことだ。
妄想するなら、来いっ!て。笑
青葉神社の存在をすっかり忘れてましたけど・・・。
南に引っ越しをしてから、ほとんど北仙台へ行くことがなくなった。
青葉神社は仙台に戻ってきた3年前に訪れただけ。

昨日は北四番町のカフェを予約しているというので、行ったのですが、
予約が入っていない!?となった。で、すでに他の方の予約が入っている。
場所が必要だったので、そのカフェではできなくなった。
それで、近くに青葉神社があるので、場所を変えて移動することに。
その人は青葉神社にご縁があるので、青葉神社に行きましょうとなった。
「げげげー、青葉神社ー」という心の叫び。。。





あ~、ちょうど伊達政宗の妄想してたからだな~、と思い、連行されていく・・・笑。
でも、参拝できてよかったです。


鳥居がきれになってました。日と月の模様がステキ。
宮司さんが震災で鳥居が壊れたから、もう結界がないのだから、鳥居は不要となったそうだ。
しかし、いろんな人からの寄付があった為か、鳥居が完成したのですが、
私はこの鳥居の方が好きです。やっぱり新しい鳥居は気持ちが変わります。

さて、結論から申しまして、やっぱり伊達家はアイヌ人か縄文人の末裔?に
遡るくらい、東北人の血が濃いということがわかりました。
伊達政宗は、根っからのエミシなんだ。
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片目については、2015年の夏、秋田物部氏の妄想をしている頃、
ブログにもちょっと書いたのですが、寝てる時によく残像が浮かびますが、
片目の男性が何度か出てきました。
でも、いつも秋田唐松神社も出てくるので、意味がわからず。
片目というと伊達政宗だな、と思っていたのですが、失明した目ではなく
片方の目の色が違うオッドアイ(虹彩異色症)な感じで、片目の色を見えないように、
長い前髪で隠しているようでした。
その時に、オッドアイのことを知ったのですが、別にそれが障害というわけではなく、
ちょっと特殊な目をしている感じなだけです。

昭和49年、空襲の時に伊達政宗のお墓が崩壊された為、再建することになった。
その時に調査が入り、伊達政宗のDNAや骨格などを調べた結果、
天然痘で右目を失っていない可能性が高いという結果に。
眼帯をしていたのは、後から誰かがそのように想像させたという説もあるが、
白い眼帯ではなく、模様があるものだったり、何かと伊達男を連想させる話もあります。

家臣に目が腫れているのを切り取らせたとか、いろんな話がありますが、
どうもそれも信憑性にかけると。
両目はあったという事で、伊達政宗はオッドアイだったのでは?という説が浮上したのです。

それより私が興味をもったのは、伊達政宗の頭蓋骨に「外耳骨腫」が見つかったことです。
これは、良性のものなので特に問題がないものですが、
環太平洋地域~太平洋内諸島の住民に発見されるもので、海などの水に長時間潜っている人が
なるといわれる。特に海女さんに見つかるものだそう。
他にもペルー人の人骨から出土されることも多く、縄文人の人骨からも見つかっている。

外耳骨腫の仕組みについて、
「縄文人骨全体の割合では、これまでの骨考古学による統計で、
男性20%、女性12%にこれがあった。
差し引き17%もの縄文人に骨腫があったことになり、これは異常に多い。
現代人では数パーセントあるかないかである。
同じくらいの数値を出すのは、ポリネシアのマオリや、ペルー沿岸部の海辺の人だけ。
縄文人も山間部より海岸部のほうが圧倒的に多い。
これは海岸部縄文人の多くが素潜り漁に励んだ証拠であり、
実はその女性などはちゃんと立派な墓に入れられた巫女王であったケースが多い。
それは弥生時代や古墳の主でもよくあることである。」


※民族学伝承ひろいあげ辞典より
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56267549.html

詳しいことは、「ひーさんの散歩道」で書いてますので、興味ある方はこちらへ。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/f935cb63363bd560be7b69b761c548c4

ということで、伊達ちゃんが縄文精神をもった人だった。
という妄想が膨らみます。
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伊達政宗の兜が三日月なのは、月待講に関係してます。
妙見信仰もそうなのですが、それより、なぜ兎なのか?という疑問があります。
日本では月は兎。不老不死。多産と考えられている。
これも水に関係してきます。

日光の奥の院に、瀧尾神社がありますが、その入口に瀧尾高徳水神社がある。
兎と亀の像があります。



瀧尾神社は、水神で田心姫(宗像三神の一人)を祀る。
水神の祠にあった亀は北、ウサギの卯の方角は東。
陸のウサギと海の亀のトーテムを現し、どちらも多産。
禹の字源は兎ではないが、後にウサギになったとの説がある。
そう、禹は龍(治水の神)の語源。

仙台に文殊堂があります。
月と関係が深く中国の陰陽五行説では、火は太陽、月は水を表す。
そこから兎は水とゆかりのある動物とされ、屋根の上に上げて火伏せを願う。





兎の逆立ちは、「うだつ」を重ね、「うだつが上がる」の願いが込められている。
屋根の兎は波ウサギと言い、波に見たてた瓦を渡る兎だそう。
奈良の法隆寺にもある。
伊達家が祀っている寺社の屋根に兎がよく見られます。

仙台市泉区は出雲の匂いがします。
鷲倉神社の他にオオナムチを祀る神社では、根白石の宇佐八幡宮。
兎口神社というのがあり、兎としているのは、出雲の大国主に関係している。
神道では、大六天の面足尊、かしこね仙の夫婦神との説。
ウサギグチ→オサングズ(山から兎が出てくる道)として兎口(トグチ)となった。
なぜ門に置くかというと、邪気を払うような意味があり、
兎口神社は、疫病などを祓うと伝わっている。


※旧仙台城門の兎

泉の住吉地区の小角は、飯石明神社があり、小石を借りて枕に置くと、
病気の子供が治ると言った話がある。
これも飯石神社は島根県にあり、出雲族の先祖に稲作技術を伝えるために、
今に残る石の上に降臨したからと伝わる。
しかし、七北田川右岸にある実沢では、村一の諏訪神社があったが、
今は熊野神社になっている。
元の狩猟神(ミシャグチ)から、熊野の水神に変わったような場所でもあった。
他にも石神の話は泉区にいくつかある。

松森城があった周辺には、数多くの石伝承や自然霊を供養していたような地がある。
なぜ、この周辺に石神が多く信仰されているのかは、
ミシャグの諏訪神の信仰があったからでしょう。

波と兎に関係するものもあります。
なぜ、兎と波なのか?はいろいろありますが出雲の国譲りに関係する。
古事記の因幡の白兎。

「波乗り兎」があるところでは、天日名鳥命を祀る天日名鳥命神社があり、
鳥取県にあります。ここに波乗り兎の彫刻が掘られていますが、
天日名鳥命が因幡国造氏の氏神天穂日命の子神といわれている。


こちらの写真は別の寺院のものです。

その付近に、天穂日命神社があり「アメノホヒ」(稲穂)をご祭神とする神社もある。
この2つの関係は、出雲の制定のために葦原中国に降りてきたアメノホヒとの
誓約(天照とスサノオの誓約)があった場所と考えられる。
そこに兎と鷲が関係しているそうです。
鷲をトーテムとするのはアメノホヒで、兎が出雲となっている。

神話では、「葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、
大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。
その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、
子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。」

難しいのでこのへんは割愛しますが、スサノオは出雲平定のために上陸し、
ヤマタノオロチでクシナダ姫を娶る。
そのクシナダを姫を祀っているのが、京都の岡崎神社で兎を神徳としている。
速素盞鳴尊(すさのをのみこと) 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祀る。
※岡崎神社のサイト
http://www.okazakijinja.jp/

妄想するに、先にいた天照神の太陽神を、別の渡来した人々(スサノオ?)
の太陽神に代え、その代わり以前いた太陽神を月神に変えてしまったような感じがします。
地上にいたものを排除したと考えれば、黄泉の国へ戻すために、
あえて月へ返したという発想。

出雲は月神になってしまっているならば、東北地方に逃れてきた出雲族が、
エミシとなって鬼にされ、その成敗を受けるには、あの世に行ってもらう。
という思想があったから、多くの先住民を残酷に殺してきたのだろう、と思ってしまう。
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月の13月サイクルを考えていた古代に、亀や蛙も登場します。
共通するのは、多産と出産の星巡りです。
このような祈祷をしてきたのが巫女だったことは石碑でもあらわれる。

月待とは、月齢の日に仲間が集まり、飲食をともにしながら
月が出るのを待つ、経などを唱えて月を拝み、悪霊を払う行事。
十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜などに行われる。





福島の会津只見町に瀧神社があり、ご祀神は瀬織津姫。
只見川の荒れ狂う川を治めるために建立。
その境内に「二十三夜」の石像。

宮城県登米の大武丸が占拠していた大嶽山の近くに石神社があります。
807年坂上田村麻呂の勧請とあり、奈良県の大神神社の分霊を置いている。
石信仰として広く崇拝され、石神社となった。
ここにも二十三夜姫。





仙台の広瀬川にも橋姫伝承があり、荒れ狂う水を鎮めるために、
橋姫の供養塔がある。そのそばにも十八夜観音がある。
1064年天台宗般若坊先達により開かれた。
もとは、鏡ヶ池の前から大年寺門前へ通じる北側にあったという。
長町に大火があった時、長町の通りが鬼門に当たるので、
鬼門除けのために現在に移したという。



特に、二十三夜に盛大に行われるという話。
なぜ、23日周期なのか?は、私は女性と月の周期の関係といったら
月経しかないと思います。昔の女性の周期が23日と短いものだったか不明ですけど、
感情周期というのがあり、28日周期といわれる。

ドイツの医師が発表した内容ですが、
これは女性の一般的な月経と同じ周期なので、感情に働くのが28日周期となる。
それに対し、男性の周期である身体周期があり、これが23日周期といわれています。
知性の周期は33日というのだから、33という数字は何かとありますね。
古代の人は、これを「運命の周期」と考えてその周期を信仰したといわれます。

月待ちというのは、何を待っているのかというと、命を宿すことを待っているわけです。
女性の感情と男性の身体の周期を祈っていた。
それにより命が宿される。
二十三夜の周期が、身体周期であることを知っていたか不明ですが、
その祈りとは、男性に向けた女性たちの祈りとも言えます。

ふか~い思想ですね。
ですから、そこに水に関与する瀬織津姫などの穢れや祓の神を置くのは、
女性の視点からいうと、命を授かる力にほかありません。
女性にとってはそれが一番、重要なことですから。
悪霊に邪魔されないというのは、川の氾濫を鎮めるのと同じ。
流産が多かったからです。
無事、出産できることを祈るのは、川を穏やかに鎮めるのと同じ働きがあるからです。

世の中の災害や、特に水の災害などが多いのは、女性が混乱しているという意味もあります。
火は男性が混乱している。
震災の教訓は、男社会が火で燃やそう(命を絶すこと)としているのを消すために水神が大津波を起した。
という解釈は、意外にも的を射ているのではないでしょうか。

なぜ、その津波を東北が受けてしまうのか。
瀬織津姫は、犠牲があろうがなんであろうが、容赦なく気づかせるまで働く
肝っ玉かあちゃんの性質があると、私はそう感じてます。
親と子の関係もそうです。
きれいごとかもしれませんが、愛されているからこそ、なのでは?
他の地域に比べて、東北地方はいろんな面で豊かな土地であることを誰もが認めます。
その豊かさの恩恵を受けていることは事実ですから。

伊達政宗は鹿舞を見るのが大好きだったそうです。
そのルーツが諏訪神の鹿を奉納するシシ(肉)の狩猟からきていたわけだから、
伊達政宗が鷹狩りを好んでいたという理由も何となくわかります。

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さて、キリがないので終わりにしたいのですが、
まだ兎については、他に考えられる説があります。
もし伊達家が縄文のルーツをもっているならば、アイヌ語説で解けないかな?と思ったのです。
調べると興味深い情報をゲット。
伊達の名前のルーツ、イタテに絡んできそうです。

ちょっと長くなりそうなので、次にします。
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瀧澤神社と八幡神

2017-10-27 | 日記・エッセイ・コラム
前回の「怒りを鎮めてくれる瀧澤神社」の続きです。

瀧澤神社の由来--------------------------------

瀧澤神社の主祭神は祓戸大神(はらえどのおおかみ)の一柱で
、災厄抜除の女神・瀬織津姫である。祓神や水神としても知られるが、瀧や河の神でもあり、
それが火防の神と謂われる所以であると思われる。

その証拠に、瀬織津姫を祀る神社は瀧や河の近くに鎮座する事が多い。
これは治水神としての特性で日本神話に登場する水神の特徴にも一致する。

神社発祥の歴史は古く、慶長六年(1601)伊達政宗の仙台入府以前に既に川内瀧澤
(現在亀岡八幡宮の在る地)に鎮座し、伊達家四代藩主網村の天和三年(1683)まで
その地に祀られていた。社殿宏広壮、住民の崇敬を集めていたという。

その瀧澤神社が同心町(大仏前=現在地)に遷座した経緯は伊達家の氏神である。
梁川八幡宮(後の亀岡八幡宮)との社地交換によるものである。
天正十八年(1590)福島県伊達郡が上杉領となるに及んで、社司岩手山(山田)宮大夫清重、
弟重之は密かに御神体を奉じて仙台の地に入り、慶長六年政宗の命により同心町に仮宮を営み、
その後寛永十七年(1641)二代藩主忠宗は社殿を造宮して梁川八幡宮と称した。
四代藩主網村の時、梁川八幡宮を仙台城の坤(ひつじさる=南西)の隅に移す事になり、
瀧澤神社との社地交換が行なわれ今日に至った。


※瀧澤神社参照
http://www.s-honcho.com/takizawajinja/

和歌の三神の碑もあり、住吉三神、柿本人麻呂、衣通姫を合祀する。
和歌とは関係ない塞神ぽいですね。
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由来にある「亀岡八幡宮」は以前、巨石がある高子城跡へ
行った時にあった八幡様でした。詳細は後で。

八幡宮の御祭神は誉田別尊(ホンダワケノミコト)。
誉田別尊は、応神天皇のことで、神功皇后が母親になる。
古事記では、神功皇后のことを息長帯比売命という。

神功皇后は甲冑を着て戦った話になり、アマゾネスになっている。
神功皇后を軍神にしてきたのは、坂上田村麻呂だったりして。(親しみを込めて以下マロで)
荒魂の自然の力を利用して、大洪水や大地震などの天変地異を利用した
戦術があったと思います。
地形を利用した戦いであれば、八幡平もそう。
エミシは、自然の地形や気候を利用した戦いをしており、巣伏の戦いでも北上川の氾濫を利用し、
朝廷側の兵士を川へおびきよせて溺死させた話がある。
そのような戦術をもっていたのがアテルイといわれ、アテルイが強かったのは、
地形、天候に熟知していた人だったからでしょう。
天候をよく知り、天文学の知識をもった戦術というのは、バアル神のようでもある。

神功皇后を戦いの女神にしているのは、アナトというバアル神の妹と似ています。
兄とは夫婦関係をもつのですが、アナトは、愛と戦いの女神で豊饒神になっている。
この神話のある聖地が、今のシリアです。


※天と地をさしているアナト像

フェニキア人のバアル神は嵐であるが、
「ハバル」の輝く者の意味の由来があるそうです。
ハバルキが訛ったといわれ、ハバルのキは、男神。
その言葉が、ハパルキとなり、アラハバキになったことも考えられます。
バアル神は、日本では風神・雷神のこと。

誉田別命は、八幡神になっていますが、
エミシと戦勝するたびに、マロは八幡神を祀ってきました。
その誉田別尊と神功皇后に瀬織津姫が関係してきて、瀬織津姫も軍神にされてるような。

伊達市保原町の天照神明宮も、御祭神がとても長い女神がいる。
撞賢木厳之御魂天疎向津比売命(天照大神荒魂)、誉田別尊、武甕槌命。
読めねー・・。

向津比売命とは、兵庫県に祀られており、瀬織津姫と同神とされる女神。
ここも洪水の話になっており、ご神体が全く濡れていなかったので、奉ったという話。
熊野大権現と相殿だったそうですが、蚕の神と関係しているので、
スサノオも絡んできます。

それに、昔は、ここに星の宮を祀っていたというのだから、おったまげ。
それはカカセオでしょう?茨城にいた星神。
だから武甕槌命(タケミカヅチ)なんですね。

梁川八幡宮へは2回行ってましたが、ご神体?といわれる応神天皇が神馬に乗った
像があり、ご開帳の時に拝観してきました。
これには、私も行ってみたい!と思うのだから、何かあるんでしょうねー。
どさんこ馬に乗っている神様です。
で、これとよく似た像が、宮城県北部の葛西氏に関係する場所にありました。写真下。


※みちのく悠々漂雲の記 宮城県より

朝日姫住居跡にある像なんですが、朝日姫とはこの地を占拠していた葛西氏の娘で
全盲になった人と伝わり、盲巫です。
朝日姫とは、旭巫女であり名取老女(旭の巫女と言われた)と同じです。
ということは、熊野神社と八幡神はセットなんだろうね。
熊野といえば、紀州にいた女首長、ナグサトベの話がある。
神武天皇に殺された話がたった1行だけ記紀に書かれている。
体を3箇所にわけて埋めたと。
ハイヌベレは世界にもある豊饒の意味ですが、のの岳もそこにいたエミシの首長を
3箇所に分けて埋めている。
マロがそうやって鎮魂したという。
ナグサトベという人が伊達家と絡んでいそうな気がしてきた。

また、旭という漢字にしているのは、太陽神ではありますが、
九の漢字は蛇(龍)からきています。
ククリの「9」の数字などの意味もあり。
九尾や九曜の意味も。射日神話がルーツです。
太陽を射る話。中国か北方のシャーマン説はあり得ます。

ちなみに、この場所は、盲巫が盛んに祈祷していた場所にあります。
梁川八幡宮でも盲巫(貝田巫女)が誕生した話がありますが、史書などの記録は残っていません。
それは、伊達政宗が片目の障害があったことで、盲巫に崇拝されていました。
障害があっても天下を取った人なので、伊達政宗のおかげで盲人たちが自立できるようになり、
差別されなくなったことが、盲巫の間で伝承されています。

さて、保原や梁川に伊達家が占拠していたのは、やはり金だと思います。
伊達市保原町の昔話に、保原の高子沼の近くには、
「鶏の一番どきが鳴くと、沼の中で黄金が、朝日にキラキラ光っていると。
とろうと思って何度も潜るんだけど、とれない。
ある時、光っているのは、沼の中ではなく山から光っているとわかる。
舟をこいで向かいの山へいくと、輝く黄金が見つかった。
それが反射して沼を照らしていたのだ。」






高子沼は、伊達政宗が金の精錬所跡を沼に変えて隠したという話がある。
沼底から実際、中世の廃鉱石が多数見つかったそうです。
高子沼は、高子岡城跡の阿武隈線を超えたところにあります。

高子二十境という散策コースがあり、
そのうちのひとつ、「丹露磐」に以前、行ったことがありました。
高子岡城が築かれたところで、奇岩があるところでした。
ここに亀岡八幡宮が祀られています。
---------------------------------------------------
竪三つ引両の家紋は、伊達家の家紋。
伊達家の家紋は種類がいろいろあります。
始祖は源頼朝からですが、
九曜は桓武平氏をルーツとする。



源氏と平氏の家紋が並んでいるのが、大武丸が支配していた登米市の大嶽山興福寺で見た。




※大武丸が潜んでいたという洞窟。

807年に征夷大将軍・坂上田村麻呂が討伐。
その亡きがらを葬った塚の上に観音堂を建てたのが始まりと伝えられています。
観音堂の内陣には、伊達家の紋章である「竹に雀」が施されてます。

黄金山神社のある「箟岳山(のの岳)」もマロ伝承がある。
坂上田村麻呂の分霊をもっていたのが、伊達政宗という話は、
実際、そうなのかもしれない。
同じような働きをしていると思う。



梁川八幡宮は、平安時代中期に田原中納言勝稙が京都の石清水八幡宮を勧請して
創建したのがはじまりと伝わる。
龍宝寺という八幡宮の別当寺院がありまして、その境内に、鬼石観音があるそうです。
これには気づかなかったのですが、ここにもマロが建立したと伝わる。


梁川八幡宮の本殿

ということで、いろいろとマロ伝承のあるところに、
伊達家、特に伊達政宗が足跡をつけているようです。
伊達家の時代の歴史は苦手なので、詳しいところまでわかりませんけど…。

梁川八幡宮は、夫人・愛姫が田村家より輿入れの際、
この地で田村家から伊達家への引渡しが行なわれたとして有名。
お見合いをした所です。
でも雪多い真冬の極寒。
敵に殺されないように、足跡が聞こえない雪の多い日を選んだそうです。
当時、政宗公は13歳、愛姫12歳。


政宗嫁とり

で、これは仙台市博物館のガイドさんから聞いたのですが、
なぜ、伊達政宗は、他の兄弟に比べて違うのか?という疑問が私はありました。
こういっちゃなんですが、福島の田舎の田村家の嫁さんをもらうというのがね。
なんだかね。
兄弟は、京都や加賀のお屋敷をもつお嬢さんを嫁さんにもらってます。
政宗公だけ、田村家なんだよね。

政宗公の父親が田村家と信頼関係があったそうで、
田村家は坂上田村麻呂の系譜をもつ三春の田村氏なんだそう。
有名な三春の滝桜。

田村家が途絶えることを相談していたそうです。
父は政宗に、愛姫(めごひめ)を嫁さんにするよう願ったのでしょうね。
母親からはあまりよく思われなかった話がありますが、
父親は政宗を伊達家の後継ぎとして考えていたそうです。

伊達政宗も、坂上田村麻呂を意識していたから、愛姫を妻にしたんでしょうけど、
愛姫の生涯をwikiで読む限り、伊達政宗も結構、荒い人だったんだな、と思う。
(お母さんの愛情不足とか?)
愛姫さんが、強い女性だったのがわかります。

あんまりまとまってませんが、瀧澤神社の由来が、
伊達家の八幡神と繋がるもので、そこには応神天皇と神功皇后が鎮座する。
その分霊をマロや源氏が軍神として、瀬織津姫におきかえて荒魂の力をかり、
征服してきた背景があった。

仙台という町は、祓戸神に守られている話はあります。
震災の時に、あれだけの被害を受けたにも関わらず、
あまり仙台~宮城県北部では被害が少なかったと聞く。(南は微妙)
また、福島原発の水素爆発の時に、風が南東(関東地方へ)流れたことが幸いし?
仙台では放射能被害が思ったより少ない(場所によりますが)と言うことも聞いた。

この図は、2011年3月に地表に落ちた放射性物質が保存された場所で、
12月時点での放射量を測定しているものです。
(放射能汚染地図-群馬大学早川教授作成)
芝生などの草地で測定される数値に相当し、アスファルト道路は、
放射能物質が雨で流されたので、この地図で示した4倍程度の数値が測定される。
軒下などはたまりやすい?のか、その何倍もの高い数値となるそうです。


詳細はこちら。(早川由紀夫の火山ブログ)
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-473.html

これをみると、当時、仙台~宮城北部は放射能汚染を受けてないですね。
ただ、この後の汚染について、仙台も真っ赤になりますけど、
極力被害は最小限に留められたのかもしれない。
ですから、風神・雷神というのは、このような働きをする。
実証される日がくるのかなぁ。(まあ、宗教はいつも排除されるけどね…)
でも私は、あんまり仙台神話はのせたくはない。
風がどう向こうが、原発があったとしても、それを破壊させたことが問題です。

地元の人の話だと、震災から動物がいなくなったと。
忽然と?消えたような話。動物はなわばりがあるので固まって暮らしていますが、
どこかへ移動したというけれど・・・。
地下水も減ってますしね。

ただ、あれだけの震災の被害を受けても、難なく復興をとげている都市としては、
奇跡といえるでしょう。
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ところで、もうひとつ、伊達政宗の兜である三日月信仰と通じる
月待ち講というのがあります。
月を信仰しているのですが、瀬織津姫と関係していると思います。
そのような信仰をもたらしたのが、巫女さんであることも。

今回、瀧澤神社へ行って、伊達政宗の知らないことを
教えてもらった気がしてます。
私は以前から、あまり伊達家の歴史には興味がなかったのですが、
そう言うわりには、梁川へは何度も行っているし、梁川八幡宮へも行ってしまう。

また、伊達政宗の片目の話と伊達家のルーツが意外でした。
そして出雲との関連などなど、いろいろ繋がりすぎて妄想できませんが、
なんとかまとめてみたいと思います。



つづく。
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怒りを鎮めてくれる瀧澤神社

2017-10-26 | 日記・エッセイ・コラム
神道がとってもおもしろいな~という体験をしました。
ある事を調べていたら、仙台市内の錦町公園近くにある瀧澤神社がでてきました。
「瀧」という名前からして水神に関係する神社だな、と思い調べてみると、
ご祭神が瀬織津姫とのこと。
看板とか説明書きが何もなかったので、ネットで調べたのですが、
なるほど~と思いました。

仙台に瀬織津姫を祀る神社があるとは知りませんでした。
でも、この神社、導かれたのではなく今回は、招かれたようでした。


錦町公園、少し紅葉が始まってます。



個人的な話になりますけど、介護の時からずっと義姉に対する怒りはありました。
ここでは書けないことが、とにかくいっぱいあって、大変でした。
なので、私も自立神経を崩してずっと調子が悪かった。
自己愛が強く、嫉妬深くて恨みをもつ女に関わると大変だ、ということもわかりました。
関わると大変なことは義理の両親からも聞いていましたが、
こんなに面倒な人だと思ってませんでした。

そんな身内との嫌な関係をずっと引きずっていて、
ほっとけばいいんでしょうけど、
やっぱり、腑に落ちないことも多く、自分の中に怒りがたまっていたんです。
そんな時に瀧澤神社を知って、先日いってきたのです。
-----------------------------------------------
まず、この神社の情報に辿りついたきっかけは、
詳しいことは言えないのですが、仙台にあるお寺に、
強力といわれているある像があります。
無理な願いもすべて叶うといわれていますが、その分、間違ったことをしたり、
お礼をしないでいると、災いが自分にふりかかってくるということで、
恐れられているものです。
大体、その像は非公開にするそうです。
で、その像が、昔、地中から見つかったので、
その像を信仰する宗教によって祀られたといわれるものです。



そんな密教の世界でも扱うのがとても難しいといわれているその力に
あやかったのかどうか、仙台城の鬼門にあたるというのです。

で、その像のことについて知ったのは、ある方からのお話だったのですけど、
行ってみようかな~と思ってそのお寺について調べていたら、瀧澤神社に繋がったのです。
何のキーワードで瀧澤神社に巡りついたかよくわかりませんが、
こういうことはよくあります。
その意味は、そっちじゃなくて、こっちにおいで、という意味です。

私は、怒りを治めるためにはどうしたらよいか?
という悩みがずっとあったので、瀬織津姫がなんだかぴったりきてしまった。

信頼しているヒーラーに相談したくらいなんですけど、
前回の記事で言ったように、書くことをしたら体が元に戻った。
でも、思いだすとまた怒りが出てくる。
結構、私もしつこいので、私が怒ると大変なことになるんじゃないか?
なんてそんなことを思ったりした。

そんな時に、瀬織津姫というのは、藁にもすがる思い。
それは、怒りを鎮めてくれるからです。
こういう時は、神社でもお寺でも何でもいいから、話を聞いてもらうのが一番なんです。
願い事とは、ちょっと違うよ。

「悪い言葉にノルな」と言っていたのは、瀧澤神社からの声であり、
またその神社の由来などを調べていると、主人の先祖と関係深い土地が登場し、
なぜか、伊達政宗の意外な一面を知ってしまった。
面白いよね~。




--------------------------------------------
伊達政宗と瀧澤神社の関係ついては、後で妄想します。
まず、私はこの神社にとっても救われました。
有難いことです。

瀬織津姫の実態については、よくわかりません。
でも、日々の日常の体験から紐解いていくと、瀬織津姫の働きというのは、
災いを起すのですが、それを緩和するために働く男神がいるということです。

瀧澤神社は、瀬織津姫となっていますが、その霊は怒りをもって災いを起す
「禍津日神(まがつひのかみ)」でしょう。
イザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神。
神話では、禍津日神が生まれた後、その禍を直すために直毘神(なおびのかみ)二柱と
伊豆能売(いずのひめ)が生まれている。

伊豆能売は、元伊勢の加良比乃神社というのがあり、倭姫命が天照命を奉ったのですが、
そこに一緒に合祀したのが、伊豆能売でそれがルーツにあるといわれる。
その女神とは、琵琶湖に住んでいる金龍という話もあるのだから、驚き。
伊豆能売が出雲ぽいけど、仙台と絡めると出雲は関係してきます。

本居宣長は、伊豆能売と瀬織津姫は同神と言ってます。
先にも述べましたが、その災いをひきおこす禍津日神を正すのが「直毘神」といわれ、
イザナギが禊をしたことに由来します。
どちらの世界にも公平にする働きをする表裏一体。
この表裏一体の姿とは、その強烈といわれる私が調べていたお寺
にある像の姿と同じ意味をもつのです。

本居宣長は禍津日神を悪とした。
が、平田篤胤は、善としたのです。
私は、実際、今体験していることを考えると、
平田篤胤の話の方が共感できます。

「平田篤胤は禍津日神を善神だとした。篤胤によると、
禍津日神は須佐之男命の荒魂であるという。全ての人間は、
その心に禍津日神の分霊と直毘神(篤胤は天照大神の和魂としている)の分霊を
授かっているのだという。

人間が悪やケガレに直面したとき、それらに対して怒り、憎しみ、荒々しく反応するのは、
自らの心の中に禍津日神の分霊の働きによるものだとした。
つまり、悪を悪だと判断する人の心の働きを司る神だというのである。
またその怒りは直毘神の分霊の働きにより、やがて鎮められるとした。
」(Wikipedia)

なるへそ~。
だから、私は瀧澤神社に来たのだね。
怒りを鎮めてもらうためにだね。
私の中に怒りがあるということは、悪を悪と思っているから。
悪を悪と思わなければ、怒りにはならないという事。

へ~、うまくできてるな~と思ったわけ。
でも私も人間だもの。
「相田みつお」の言葉を叫びたいわっ。

ただ、引きずるのは良くないので、どうしたらいいか、となった最終手段として、
瀧澤神社に招かれたことには、救われました。
やっぱり、神様というのは気づきを与えてくれるものです。
そういうところは、自分でも気づけるようになって良かった。
誰にも傷つけないのが、日本の神道の良いところ。
「良いも悪いも本人次第」だからです。
自己愛が強い人には、理解できない世界です。



帰りは、美味しいお弁当でも買ってゆっくり家でランチしようと思って買い物したら、
「777円」だったのには、ラッキー。
これでやっとこさ、私の中にあった怒りが鎮まりました。
その答えが「777」ってすごくネ?(←ノリが軽い)

この「7」の数字が3つ並んでいるゾロ目は、「よく頑張りましたね」
といったご褒美を受けたメッセージだそうです。

また、昨日は、主人がうれしそうに東京出張から帰ってきました。
義姉との面倒なことが、もう少しで決着できそうだ、と。
Yeah!(←だからノリが軽くなってる)

ほんとに、瀧澤神社はいろんな面で、和解を繋げてくれる神様なんですね。
ということで、個人的な感想として、瀬織津姫はとても良い働きをしてくれると思っています。
ただ、相手をわからせることは無理なので、祈願するのは意味がありません。
お願い事をしたいけど、自分が変わらなければ、何も変わらない・・・。

ということで、私のこんな話が参考になるのであれば、
怒りを鎮めたいと思っている人には、お勧めの神社です。
その怒りを引き受けて、また自分の体に緩和して戻してくれるから、問題ありません。
表裏一体なので。

※場所は、デジタルアーツ仙台専門学校の隣にあります。


さて、そんな瀧澤神社もなかなか力のある神様でしたが、
なぜ、ここに瀬織津姫なんでしょう?
瀬織津姫は、東北地方に祀られている中でも、月神(ツクヨミ)としての
要素がとても深いということです。
月=瀬織津姫といっても過言ではないようです。
伊達政宗が三日月の兜をしているのも、三日月信仰に関係するし。
月の暦、13月のリズム。
出産、多産の意味などいろいろ。

よって女性へ向けた信仰、巫女であることは間違いありません。
瀬織津姫信仰を深めたのが女性であり、またそれを表に出さないようにしたのも女性である。
なぜそんなに瀬織津姫なのかね~。



瀧澤神社を調べてみると、伊達家が絡んでいるようでして。
ど~も、伊達政宗と瀬織津姫が似合うな~と思ったのでした。

次は、お礼に、伊達政宗と瀧澤神社の歴史を妄想す。
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自分の能力を伝授できる人

2017-10-23 | 日記・エッセイ・コラム
ひとりごと。
台風と同時に選挙戦というのが、ぴったりだな、と思いました。
でも、和歌山の紀の川では土砂災害がありました。
どうしても大雨の時には、災害がでてしまいます。
吉野や和歌山県の紀の川あたりは、昔から雨が多い場所と聞いています。
あ、紀州熊野があるんだったね。

選挙では、枝野さんがいいと思いました。
福耳だから。(そこか)
震災の時に、毎日みていた枝野さん。

そんな時に、また震災のことを思いだした。
震災の出来事で、たくさんの人が大きな気づきや人生の転機など、
とっても深い体験になった人がとっても多い。
私もそうでしたが、なぜ、ここまでしないと人は気づけないのだろう、
と思うことはあります。

義母が亡くなる時の話。
亡くなった日、私はずっと病室にいたのですが、
後ろに体をひっぱられるような、乗り物にのっているように
体が揺れている時があった。
とっても疲れていたので、目を閉じてソファーに座っていたのですが、
ずっと体が引っ張られているようでした。
感覚的には、ゆるいジェットコースターに乗っているような。
グワ~ンとした揺れ。

その時は、疲れているからと思ったのですが、
そのことを後で友人に話をしたら、亡くなる時のエネルギーは、ものすごい力で働くという
ことを言っていた。そのような体験をした人がいるそうです。
産まれる時より、死ぬ時の方がずっと強いらしい。

震災では、震災関連死をのぞいて、たった数時間で、1万5千人以上が亡くなった。
その瞬間にかかったエネルギーは想像できない。

私は、あの時の状況を現実に受け入れられなかったので、
震災で亡くなった人の命を無駄にしないために、
命のバトンタッチとして、あの時にかかったエネルギーを私たちが、
受け取ったと解釈することにした。
だから、多くの人が、震災で気づいたのだろう。
なので、背負う必要はなく。
その人の人生の続きを生きていると思うことにした。
さびしいけどね。

ただ、これは私がこんなブログを書いているからだけど、
震災以前の、もっともっと古い時代から、一緒に生きている気はしています。

魂は亡くなっても生きているから、見えないけど、感じることはできる。
その多くの魂のエネルギーを引き継ぐために生きている人は、やっぱり
これからも生きなければならない。
決して無駄にしないために、何かの存在、守っている先祖などが、
次の人たちへ伝授したエネルギーと考えている。
先祖は、私たちを残したいから、生まれているわけですから。

伝授できるエネルギーというのは、あちら側の方がすごいわけです。
臨死体験をした人がガラリと精神ともに変わるというのはそういう意味で。
やっぱ、黄泉帰り(蘇り)は神話にも登場するように「陰」の力が女性は強いんではないかな。
だから、看取りは昔から巫女(女性)の役目なんです。
そのエネルギーに耐えられるというより、巫女は死者と向き合うことを
生業としてきたのは、そのエネルギーを受けることでご加護を得られるという
宗教的な意味合いがあったと思うのです。

ちょっと意味わからん話ですけど~。

本物のヒーラーと思う人は、自分の体験を人に話をした時、
それを聞いた人が、その後同じ体験をすることになるとわかった。
自身の体験で、気づくことができる。そういう伝播というのは、なかなか起きないもの。
ずっと前から信頼している友人(ヒーラー)がそういう人なんですが、
とっても苦労をしてきた人で、自分で努力して克服した人。
でも、なぜ、人は苦労しないとそういう能力をもてないのか、とも思う。

歴史上、自分の能力を伝授できた人は、鑑真だったといわれています。
日本にはいなかったので、わざわざ鑑真まで会いにいき、
10年もかけてようやく日本に到着した時は、視覚を失っていました。
僧侶が修行を終えて称号をもらう時に、何かの儀式をするのですが、
詳細わかりませんけど、その時に、鑑真は卒業していく僧侶たちに、
自分の能力を伝授したという話があるのです。


鑑真和上。(2回も展覧会で鑑真和上をみにいきました)
実際にみると、本物にしかみえません。
もしかしたら、本物かもしれないよね。3Dプリンターで作ったみたいです。

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現代は、義姉みたいに、自分の両親ですらちゃんと面倒もみられず、
看取りができない人がとても多い。
世間は嫁も娘も面倒はみないものなの?

仕事があるから、子供がいるから。いろんな理由があるにしても、
薄情な家族はいるものです。
高齢者の孤独死が多いというのが、今の時代を映している。
結果、そのような悲しい死を遂げる人が増えているため、それを受ける家族がでてきてしまう。
代々、それを受けてしまうわけです。孫の代まで。
高齢者施設は、必要なこともあるけれど、
そもそもこんなに異常に増えているのは、おかしい話なのです。

カルマはあるから、そういう人は、将来、孤独な死になる。
死ぬ時にものすごい孤独感を味わってしまうのだそうだ。

「敢えて苦労するために」問題を自分で作っているというのはあると思う。
そういう学びのために生まれ変わっている人。

本当の悪というのは、自覚できない自分を放置していることなんだろう。
自分をほったらかしてる。
だから自分が病気になると人のせいにする。

そういう人は精神的におかしいから、と周りは言うが、それは違うんだな。
やたらと大人の発達障害という言葉がでてるけど、程度にもよるが障害ではない。
どうしても逃げてしまうんだね。
家族に対して恨みをもっている人というのはわかります。
大人の発達障害というのはよくわかりませんが。

もう義姉に対しては、好きなように言わせてました。
主人はもっと大変ですけどね、私は一緒に敵にされてますけど。
もう関わることないので、どーでもいい話ですが。
言い返せばいいじゃん、と思うけど、
やっぱり普通ではないので、コミュニケーションがとれない。
言い損する。笑

普通の人だったらこうはならないんだけどね。
主人は男だから客観的にみられるけど、女ってーのは、面倒くっさい性なんだよなぁ。

だから私も義姉に対して、自分の感情を抑えるのが大変でした。
とにかく関わると嫌な思いをする。
なぜ、一生懸命な人たちが、それを許す精神を保たなければならないのか。
と本当に思うものです。

義姉の言動や行動は幼稚で未熟なのですが、本人としては一生懸命なんです。
相手には伝わってないけど。
その表現が、他の人と違う。
ただ、相手に不快を与えるやり方だから、伝わってない。

それを受けなければならないわけだよっ。すんごい不愉快だけど。
私は女性性が弱いので、究極の女性性を学んでいるところだから、
こういう義姉が登場してしまうのです?

いっかい、それを自分の中で負として受け止め、それを良しとして
吐き出さないといけないから、身体にくるんださ~。

イエスキリストが、他人の罪を代わりに受けるために十字架にはりつけされた。
という、キリストの話が、こういう時に痛感してしまう・・・。
が、私は普通の主婦。イエスじゃねー。
たまってくるよ。

それで、どうしてもあいつの怒りがおさまらんっ!ということで、
夏頃に、信頼している友達(ヒーラーさん)に相談したら、思うことは書きなさい!と言われた。
とにかく書けと。
怒りをぶつけろっ。って。

・・・トイレで叫ぶの?
・・・壁に穴あけていいの?? (ちゃう)

わからん。私はぶつけ方がわからないんだな。
書くことが一番効果があるというヒーラーのすすめ。
なので、この前、いっぱい義姉のおかしな行動を分析するようにワープロでガーっと打ちこんだ。
まるで精神科の主治医のように、書いてやった。
本当は手書きがいんでしょうけど。

そしたら、なぜか、それが理由かはわからないけど、
それを期に、ずっと4月頃から体調不良(自立神経の乱れと胃のもたれ)が
続いていたのが、すっかり治ってしまった。
いつもの体調に戻ったのです。
背中のハリと腰痛と胃が治った。

これには、私もあれ?という拍子抜け。
治った理由がわからない・・・。
今までは、良くなったかな?と思うと、またすぐ戻っていたけど、ずっと調子は普通。
吐き出したから?
完全に体調が戻ってる!

だからね、たぶんね、
ヒーラーから伝授してもらったのかな、と思った。
それは、友達も怒りが収まらない時は、
ノートにがーーーーっと書くのだと。
そうすると良くなると言っていた。

同じことをしたら、体調が戻った。
治まったのだ。

・・・伝授されたんだ。
ヒーラーの力をもらったんだ。
だから、友人を密かに鑑真とよんでいる。笑
------------------------------------------------------
「あの時、あんなことをいわれた」というのを思い出すから、みんな辛くなる。
世の中、おかしいからね。

でも、震災の時のことを考えると、他の人より東北の人たちは、
亡くなった多くの命から、とっても大事なことをみんな、伝授されていると思う。
それを忘れてはならないと思ったことなんです。

世の中、不公平にみえる。
でも、見えないところでは、
何かが一生懸命、「正しい人であるように修正してくれている」ことに
気づくと、ガラっと変わります。
このブログを書き始めてから、常に感じています。
ほんとは愚痴をいっぱい書きたいところですが、それにノッてはいけない。
ノルな。ということを常に言われている気がします。

つまり、そういう言葉をブログには書くな、ということなんですね。
悪い言葉も伝授するから。
何かが、そう伝えているようなのです。
悪い言葉にノルな。

これって祝詞みたいな話ですね。
そんな能力をみんな受け取る力は持っているのです。
そのことについて、もっと関心をもってほしいと何かがそう言っているみたいです。

ただ、それに気づいていくには、自分がその体験をしないとならない。
体験したら、「良いことに変わったことを」誰かに伝えないと伝播しない。

それをどう受け止めるかは、人それぞれ。
そこが境なんだよね。
どんどん良くなっていく人と、どんどん落ちていく人の境。
だれにもチャンスは何度も何度も訪れている。
けれど、受け止め方によって、結果は変わっていく。
--------------------------------------------------
以前、自分の家が不幸なんだ、ということを聞くことがよくありました。
そのように言う人たちの多くが、うつ病になっていたからです。
たぶん、そのように言う人は、どこかで感づいていると思うのです。
家相というのがあります。
自分が、それを補おうとしている人なのかもしれない。
だから体にきてしまうのだろうな。

で、そういう人の方がずっと霊性が高いんじゃないか、と思ってます。
自分が参ってしまうのは、うつ病もいろいろですが、いっぱい受け止めすぎてしまうからでしょう。ただ、人のせいにするのは、違うよ。
受け止めすぎていっぱいになっても、吐き出せない。
受けるのは良いが、吐き出すなら、良い形で吐き出さないと、自分に返ってくる。
ずっと悪いままの人は、悪いものを吸ったら、悪いものしか吐いてないってことです。

それが上手くできない人は、たばこに頼ります。
煙で出すのは有害ですね。
だから自分の体に返っているだけで意味がない。

吸ったものを良いものに吐き出すっていうのは、人それぞれの体験しかないと思ってます。
自分がその痛みを受け取ったら、
考えるものではなく、私の場合は、書くことで何かが潜在的に変わったということでしょうか。
でも、理解はできてません。
良くなった体験は、理解はできないものなのです。

だから、人生、修行みたいなものだね。
良い行いは、考えてすることではない。

ま、そんな風に思って書いていると、またすっきりとしてくるものです。
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裏の山寺:垂水鍾乳洞とマタギ

2017-10-21 | 洞窟・巨石探訪
この場所へは何度か来ています。
洞窟はいろいろありますが、なかなか良いと思う洞窟です。
ここは山寺を開山した円仁(慈覚大師)が修行したと伝わりますが、
先にこの場所に住んでいたのは、マタギの磐司磐三郎でした。
ほとんどの人は山寺へ参拝しますが、ここまで来る人はまずいないでしょう。





根本中堂を通りすぎ、トンネルをくぐって直進すること約15分。
観音堂(千手院)がみえます。
線路を渡るんですよ~。
このそばに、磐三郎の墓があることを知っている人は、ほとんどいないでしょうね…。



磐司磐三郎は兄弟と伝わりますが、伝説については、こちらを参照して下さい。
※磐司磐三郎物語(秋保里センター)
http://akiusato.jp/history/bansaburo2.html

「慈覚大師と出会うまでの磐司磐(万)三郎は、ここ山寺地内を自分の庭にしていたので、
あちこちに、かれの名をとどめるところがある。
「弓かけの松」「矢投げの松」などがそれであり、「大声立て」という奇妙な地名は、
狩りに出かけようとした磐司が、自分の愛犬を大声で呼んだところだというが、
村の人びとは、慈覚大師だけではなく、慈覚大師に帰依した磐司磐三郎に共鳴し、
自分を磐司磐三郎に重ねて伝えてきたものであろう。」



陽の洞窟(光があたる場所)


陰の洞窟



峯の浦という散策コースもあり、巨岩もたくさんあります。
(でも道がちょっと危険らしいので、一人では行かない方が無難です。)

「山寺の裏山には、天邪鬼が住んでおり千手院から橋をかけようとして失敗し、
奥山寺に籠って考えてから、再び橋をかけて今度は見事に成功したという。
その時の石橋の残石が、宮城県名取郡秋保の石橋だという。」


石橋は、おそらく赤石橋と思われます。
また、所部には材木岩の柱状の石があり、そこに石橋をかけようとしたが、
石積が終わらぬうちに朝になってしまい、橋脚のみが残ったのを、材木岩、柱岩と呼んでいる。

山寺は非常に岩が多いため、ひとつひとつ名前がついているそうですが、
把握するのは難しい。
それすべては、慈覚大師が手をかけた石とか、修行した場所とか、慈覚大師に関わる石名になっている。



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この日は、天気のよい平日でした。
団体客、幼稚園児たち、海外からの観光客で大賑わい。
紅葉シーズンとなると、東北地方は観光客だらけになりますね。
まだ、紅葉には少し早いので、来月あたりがちょうどいいと思います。



山寺が好きな理由は、狩猟と農耕の境の聖地であり、
天台宗と自然崇拝が混在している所だからです。
面白山峠を越えるので非常に自然が深いうえに豊かな水。
昔は、動植物が楽園のように広がっていた所でした。
阿仁(秋田)へは行ったことがないのですが、似ているのかもしれません。





今、東北歴史博物館で「熊と狼展」をやっています。
熊狩りの映像(昭和初期)が貴重です。

狩猟とは、自然界から多種多様な食糧を得、動物などがいなくなれば、
他の地へ移動する移民でした。
それに対し、農耕は定住社会を築きます。
田畑、家畜をすることで食料の維持を確保するが、天候に左右される。
そのため、自然をコントロールするために雨乞い儀式などが盛んになりました。
また、品種改良も農耕の民にとっては重要なこと。
しかし、その品種改良や自然よりも人間が主になることを反対したのが、
磐司磐三郎でした。



面白い本を見つけました。
「ホモ・サピエンスの秘密」なぜか、ほりえもんが推薦していたので買ってしまった。笑
子供も読めるわかりやすい本なので、こちらを参考に、磐さんと共鳴したい。

ホモ・サピエンスは農耕をするようになった人類なんだそうです。
それ以前のネアンデールタール人は狩猟の民だった。

狩猟の民は、免疫をもっていたうえに、菌が繁殖しやすい場所の排泄物やごみ捨て場などに、
長く留まることなく移動していた。
そのため、狩猟の民の死因は、病気ではなく狩りや移動中の怪我だった。
農耕社会になると定住するため、菌が繁殖し感染病が広まる。
それによって牛頭天王の疫病神がうまれた。

アンコールワットの遺跡の滅亡は、マラリアだったそう。
貯水池の水まわりに蚊が繁殖する。
そのため、抗生物質が登場した。

要するに、農耕社会になったので宗教が生まれたということ。
狩猟の民は、自然崇拝だったので、神という概念はない。

定住するとなわばり争いが始まる。
イラク北部のモスル付近では、人骨がたくさん見つかったそうだが、
激しい争いの跡があったという。
これも貯水池の争いです。
水の確保のために、戦争が始まった。
-------------------------------------------------------
「対面石」というのがあります。
ハート型をしているのですが、
この形になっているのも意味があります。
狩猟文化と農耕文化が対面した所だからです。



「この大石は対面石といわれ、860年慈覚大師が山寺を開くにあたり、
この地方を支配していた狩人磐司磐三郎と大師がこの大石の上で対面し
仏道を広める根拠地を求めたと伝えられている。
自然の景観を生かし、山岳仏教の霊場を築きあげるため、
動物を殺すことをやめてほしいという、慈覚大師の尊い心に感動した
磐司磐三郎は、生業としていた狩猟をやめたうえに自ら仏道に帰依して
立石寺開山の基礎づくりに協力したといわれている。
狩人をやめたことを喜んだ動物たちが、磐司に感謝して踊ったというシシ踊りが
8月7日の山寺磐司祭で奉納される。」




磐さんは屈辱だったでしょう。
天台宗の霊場については、名取老女生誕地と伝わる岩沼の岩蔵寺でもあります。
修行場にしたいから、10年間の契約で貸してほしいと頼む。
期限通りに修行場に戻ると、慈覚大師は、「永久に」と約束したと言い張る。
契約違反だと怒った主は、大蛇になって大雨、落雷を降らせたという話。

これって、異なる宗派の派閥を伝えているんでしょうね。
慈覚大師は空海の存在が大きかったから、必死だったと思う。
自分の業績のために…?

宗教が誕生した理由は、はっきりとわかっていませんが
農耕が始まる前に、祈りのための動物儀礼をした跡がトルコで発見されました。
大麦が生産され、麦は貴重だった為、捧げ物としていた。
その大麦の食物が必要となり、小麦を改良して大量生産が始まる。
ここから農耕が始まるきっかけと考えられ、それは儀式に必要だったからです。



本来、農耕は自然をコントロールすることはできない。
天候のコントロールもできない。
そのため豊饒の女神が誕生。イナンナ、トヨウケ神、ラクシュミー、サラスバティなどの
女神信仰がうまれ、火(太陽)と水(雨)の信仰がもたらされる。

西洋の二元論は単純なものです。
神の教えに従う者が善。
神の教えに従わない者は悪。
そのどちらでもない日本はグレー。

キリスト教にとって異教徒は悪と考える。
イスラム教がそれ。
イスラムを追われた人たちが、日本にたくさん渡ってきています。
そういう人たちを保護してきたのも、先住民であり狩猟の民なんですよっ!

狩猟の民が忌として嫌われた理由には、肉食と血を飲むことでした。
「穢れ」とされたその行為は、死者や家畜の死に触れること。
そのような人たちを神社から遠ざけたのです。

歴史上、忌、嫌われた部族として有名なのは物部氏ですが、
神の祝詞から排除されたのは、死者に接することができたからでしょう。
蘇生というミルラ(ミイラ)を扱える人。
仏教はアニミズムなやり方を嫌ったと考えられますが、
もっと深い話だと、言霊の真理を知らない人たちが理解できなかったというのもあります。

しかし、マタギのルールはとても厳しいものです。
山へ入る前は、穢れを一切はらわないといけない。
女性との関係をもつことはもちろん、女性も入山は禁止。

---------------------------------------
山寺を追われた磐司磐三郎は、仙台市の蕃山へ移動。
蕃山とは、盤二盤三郎(漢字は「盤」)の伝説に因んでついたとされます。
狩の適地を探し山寺から名取川へ到着し、このあたりを住処としていたようです。
その後、秋田県阿仁地方へいき、戻ってきたという話はありません。
阿仁地方は、マタギの聖地なのですが、マタギの間でもなわばりがあったようです。

「根子集落というのがあり、まるで人目を避けるかのように、
険しい山を隔てた盆地に、ひっそりと住み着いて切り開かれた集落である。
今でも国道から根子集落に入るには、ここから先に人が住んでるのかと思わせる
ような場所から、入り込んでいかねばならない。」

「農耕作業と併せて、農閑期の狩猟活動も当然行われただろうが、
何しろ縄張りは比立内マタギ、打当マタギに大半を握られていたから、
新規に縄張りを獲得するのは大変な事だった。

「根子集落のマタギ関係の住民に、その点を尋ねてみると、
確かに比立内や打当方面(森吉山も含む)へ出かける事は、
あまり無かったようで、根烈岳と呼ばれる集落の西方向の山か、
八幡平、駒ケ岳など遠くの山へ出かける事が多かったと聞いた。
ちなみに森吉山という山は、クマが繁殖する山として、
その生息数は東北随一の山と言われている。根子マタギは、
その山に取り付くことが出来なかったのである。」


※根子集落について、「くまの棲むまち」サイトより引用

平家の落ち武者が開いた村などと言われるそうですが、
そうであると12世紀頃になる。

熊や狼の動物儀礼をし、
自然と共存していた人たちの遺伝子の中に、ホモサピエンスの遺伝の多くを
受け継いでいないとも言える。
ホモサピエンスを必要とした創造主とは?

現代人は、創造主の下で生きなければならないことを、強いられてきた部分もある。
本来は、創造主を「喜ばせるために」生まれたホモサピエンスであるべきなんだが。
それを奴隷化したのが、農耕と宗教であることを、山寺にいた磐司磐三郎から教えてもらった。
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埴輪について

2017-10-18 | 日記・エッセイ・コラム
秋の夜長。
相変わらず、おかしな妄想にふける・・・。

人生のうちに、埴輪について考えることなんてあるの?
ないよね・・・。
はにわぁ~?んぁ?
てな反応になるんでしょうけど…。

土偶は人気があるのに、埴輪は人気がない。
埋葬用のモノだから?
でも、埴輪は良い仕事をしてきた。
簡単にいえば、魂を入れる人形になってあの世へ送る働きをする。

さて、なぜ埴輪なのか。
これは、あるマンガをみてしまったから。
それが隼人だった。
その前に、新燃岳が噴火していますが、大きい噴火でないにしても、
自然環境が心配です。
朝日新聞に、「新燃岳周辺から錦江湾に注ぐ霧島川や天降川に火山灰が流入し、
激しい濁りに漁業などへの影響を懸念する声が上がっている。」とあった。

「霧島川は清流として知られる。
霧島神宮の近くには清流と渓谷が織りなす神水峡があり、
霧島市隼人町で天降川と合流する。」


これが東北地方の火山だったら、エミシだ。と思う。
鹿児島県だから、隼人だ。と思った。
まつろわぬ民は、自然と共振してしまう。
いまだにそうやって自然と共鳴してしまう。

---------------------------------------------
この前、なぜか、Youtubeに、手塚治氏のアニメが数件UPされて表示されてきた。
これは意図的にだれかが操作してるのかな、と思ってしまう…。笑
たまに、Youtubeをみますけど、Youtubeは履歴が残るので、
前回見た内容と類似したカテゴリを毎度、起動するたびに下に閲覧されます。
例えば、お笑いの芸人コントをみていたとしたら、
その芸人さんのコントの未閲覧のものを表示したり、
最新の情報を探してくれます。
それはそれで、結構、便利に使ってます。

でも、私はYoutubeでアニメをみたといえば、アイヌのアニメくらいで、
一度も、手塚氏のアニメをyoutubeでみたことない。
でも、数件の手塚氏のアニメがずらっと表示されて出てきたので、懐かしいなあと
思いながら、なんで手塚治氏のアニメだろう?とも思った。

その中に、「Hi no Tori Yamato Hen Chapter・・・」という英語のタイトルがあった。
それを見てみたら50分くらいなのですが、隼人と大和の話。
マンガで読んだことがある方もいらっしゃると思いますが、
私はこの話は初めて見ました。

手塚治氏のラストはいつもすごいな~と思う。
余韻が残るんですね~。
なんというか、何かを引き寄せるモノがあるなぁ。

隼人族の女の子と大和の青年が恋に落ちるんですけど、
大人に騙されるということなんですね。
で、最後は青年の父が大和の大王で亡くなるのですが、その父の生贄として
2人が殺されてしまうのです。
度々、火の鳥が登場するのですが、最後のテロップに、何かを感じて受けてしまった。



埴輪ねぇ・・・。

ま、そんなこんなで、きっとこれは、最後が一番伝えたかったのではないかな、
と思い、あえて埴輪について妄想することで、埴輪の供養になれば、と思います。


-----------------------------------------------------------
古代は、人口が少なかったので、人との関わりはずっと濃密でした。
それぞれの小さな村を束ねるサパネク(長)がいたので、
そのような長が大王として君臨していた。
が、今よりずっと家族制度を重視していたので、大王が亡くなると、
父親を失くしたような喪失感があった為、後追いする人が多かったのではないか、
といわれる。また、大王の墓と一緒にあの世までも供にできることを
望んでいた兵士はとても多かったと考えられる。

しかし、新しい時代になってくると、人々はそのような選び方はせず。
命の尊厳を重視するようになると、殉死の考え方がなくなっていく。
しかし、大王にとっては殉死の数が多ければ多いほど良いと考えられ、
強制的に殉死された人が絶えなかった。
それを阻止するために生まれたのが、埴輪でした。
家の形もあれば馬もあり、動物も多く、武具を装った女性の姿もある。

たぶん、縄文土偶だったら良かったと思うのですけど、
土偶を作れる人がいなくなったので、
埴輪のような形が生まれたと思います。

土師氏は、「土師」を氏の名とする氏族で、埴輪を製作したといわれる。
出雲族の野見宿祢命(のみのすくね)という人が発明したと。

垂仁天皇の命により、当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲で力比べをするため、
出雲からやってきた。
当麻蹴速は、葛城王の一族といわれる。

野見宿祢命の土に魂を込めて作る埴輪が、特別な意味をもっていたわけです。
この功績から土師臣を賜り、代々、王家の葬儀を司り古墳の技術集団となった。

ところで、前方後円墳に埋葬されているのが男性の王だと思いがちですが、
女性の王も多いのです。
宮崎県に夫婦と思われる古墳が発見されました。
被葬者は不明ですが、「男狭穂塚陵墓」とされ、被葬候補者ニニギといわれる。
その隣に「女狭穂塚(めさほづか)」の古墳がある。
こちらは、コノハナサクヤヒメ。

なぜ、ニニギとコノハナサクヤヒメなのかわかりませんが、
九州地方では最大規模の古墳で、5世紀前半中頃の築造と推定されるそうです。

それで、埴輪が圧倒的に多く発掘されているのが、関東地方では群馬県なのです。
群馬は「埴輪(はにわ)王国」とよばれるほど、埴輪研究の「メッカ」とされているそうです。
国宝・国指定重要文化財の埴輪全42件のうち19件(45%)が群馬県から出土している!

地名は「太田」。
太田という地名には、いろいろあります。
しつこく言っている多氏ですが、横穴石室を残した人で、隼人が描く模様に似ている図を
壁に描いていた人たち。
相馬にもきてましたが、妙見信仰を崇拝していたと思われます。

その太田市に大型古墳が多い。
高句麗系なんでしょうけど、埴輪のルーツは中国、朝鮮です。
埼玉も大型古墳が多いですが、群馬県も100m以上の大型古墳がたくさんあります。

なぜ、上毛野国(群馬)に?
「女体山古墳」という名前がありますが、国宝になっている天神山古墳の東方に
位置するといいますが、仕えてきた女性あるいは妃なんじゃないか、と思う。

妄想するに、群馬県に多いのは、女性の王がたくさん君臨していたからと思う。
それは、利根川流域の土蜘蛛を思い出す。
アジスキタカヒコネにも通じる話。
郡山にいた土蜘蛛とか。

土蜘蛛とは、岩などの土に籠る「土籠り(こもり)」からであり、洞窟に籠ることが由来。
漢字のように、籠るのは、篭るとも書き、龍と書く。
なので、土蜘蛛との関係も考えれば、上毛野氏が北関東に移り住み利根川沿いに
多く集まったのかと考えられます。

土蜘蛛は九州にいました。
上毛野氏のルーツは、紀の川流域にいた集団で「荒河戸畔」の名で倭王を擁立したという。
崇神天皇の皇子豊城入彦を始祖とし、百済から招かれた人。

五世紀頃大阪湾へ向かい、須恵器生産の地へ行き三輪山信仰を深めていた。
この頃、前方後円墳がたくさんできるようになり、神武天皇と崇神天皇は同一との説もある。
大和朝廷を建国したのがこの天皇であり、ここから前方後円墳が作られたので、
卑弥呼と前方後円墳との関係も考えられそうです。

埴輪を奨励したのは、大陸からもたらされた埴輪があり、
これを日本にも応用したという事です。

利根川のトネやトメは、女性の長につける場合がある。
また、豊城入彦のトヨは、神名にとても多い。
トヨ=イヨで、台与にも繋がる。
よって、女王。
前方後円墳の発想は女王であり、埴輪も日本固有のモノに変わってきたと思います。

崇神天皇の一族の中にいる卑弥呼の存在を考えれば、トヨは、イヨでもある?
イヒトヨの飯豊などもそうで、宮廷で食事を司る巫女といえる。
イヒトヨの古語の意味は、ふくろう。
エジプトのトート=鳥=火の鳥・・・(無理やりだね)

当麻蹴速に代わり、野見宿祢命になったのは、
当麻蹴速が、葛城山の土蜘蛛といわれた先住民だったからでしょう。
葛城山の一言主神社に土蜘蛛塚というのがあり、神武天皇が土蜘蛛を捕まえて、
彼らの怨念が浮かばないように、頭、胴、足を分けて埋めたという伝承がある。
これが、ナグサトベのハイヌベレ神話になっている。

葛城王が残忍だったかはわかりません。
この一族からずっと殉死をしていたかも不明ですが、
アニミズムな精神をもっていた人たちと考える方が自然です。

葛城王がいた所に出雲が入植し、古墳の埋葬の仕方も変化したといえます。
大量に埴輪を上毛野国がつくっていた背景に、古くから伝わる自然崇拝、
縄文の意識が非常に高いと思います。
また、巨石信仰も非常に多い。
大地母神を信仰していたならば、殉死という考えには至らない。
女王が埋葬されていたのであれば、母は子供のことを考えて、殉死の風習は止めたでしょう。

また、群馬県前橋市に産泰神社があり、
木花佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメ)を祀っています。
創建は不明ですが、背後にある巨石群により神社信仰初現形態の一つである
巨石崇拝に起源があるという。
富士山とも関係し、フチアイヌの存在を友達から教えてもらった。
地球の胎内が富士山だから、火=命の誕生と繋げた。
古代の人は、火山の噴火とは、命の再生と捉えた。

浅間山もそうです。
806年富士山本宮浅間大社は、山宮浅間神社で祀られ遷都するまでは
富知神社(ふちじんじゃ)の湧玉池を祭器していたとされる。
800年~1000年頃にかけて、全国的に火山の噴火が多かった。
火山を静めるために祠や神社を建てたという話があるように、
富士山の噴火も864年のおこり、多数の犠牲者があったという。

要は、火と水の関係、また陰と陽が重要なのは、男性性が異常に強い女が問題だった。
今も。
シュメール神話に、人間の欲によって天変地異が起こった話がありますが、
女が男に対して欲をもったから。と書いてあるんです。
女が、どーのこーの、という書き方をしている。
発端が女だったということらしい・・・。

古代は、女性性の高い女が、皇后になっていた。
それが究極の母性なんでしょ?(難しいよね)
感ですが、関東地方で一番、女性性が高まる場所が群馬県だと思います。
東北地方では秋田ですが。

女同士の嫉妬とセオリツヒメの話が、ホツマツタエにありますが、
モチコとハヤコだっけ?の話とかね。
案外、単純だったりするね~。

ということで、群馬県にはかなり古くから女神信仰があり、
戦場ヶ原の伝説にあるように、龍(蛇)でもあった。
女性=龍であり、水が女性の象徴となる。
それを崇拝していたのが、土蜘蛛といわれた人たち。
その人たちのおかげで、私たちは長い時間を家族と先祖と共に生きられる。

埴輪の大量出土とは、命の尊厳を守るための風習を根付かせたといえる。
そのような尊厳を訴えてきたのは、やはり女性たち(母親)ではなかったのか。
しかし、ヤマトタケルは熊襲、隼人、土蜘蛛、蝦夷といったまつろわぬ民を襲撃している。
私には、ヤマトタケルが女性にみえる。
多くの女性を従えていたような、男のような女。

「武」の人たちの騎馬民族=大和の台等は、まつろわぬ民にとって大きな転換期で、
ただならぬ選択を強いられたことでしょう。
その「武」の中に、女性もいたわけです。

てなことを妄想してしまう私は、過去に女の派閥にあってたんでしょうなっ。
埴輪からそんな妄想にふけるのでした・・・。


「かわいいはにわ」NAVERより
https://matome.naver.jp/odai/2141286879281347101
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干咾不動尊と観音様

2017-10-16 | 東北地方の伝説(宮城県)
宮城県南の方は、ラーメン激戦区といえるほど、
おいしいラーメン店がたくさんあります。
そんなにラーメン好きではないのですが、
寒くなってくると、ラーメンが食べたくなる…。

主人はラーメン好きなので、連れて行ってもらうのですが、
一番、美味しいと思った味噌ラーメンは、「麺組(めんぐみ)」
以前にあったお店から移転して、今はハナトピア岩沼にあります。
人気店なので、とにかく待ちます。

ちなみに、ハナトピア岩沼の近くに金蛇水神社があります。
交差点右へ進むのですが、反対方向は田んぼが広がっていますが、
このあたりは、「三条小鍛冶宗近鍛冶場跡」とあります。
刀を作っていた場所らしい。
マップにちゃんと表示されている。。。
ハナトピアの住所が「雷神」なので、このあたり普通はスル―してしまいそうですけど、
何かと立ち寄る場所なので、何かあるんだろうなあ、と思ってしまいます。

で、その日、ラーメン食べて帰るのはつまらないので、
ちょっと近場で面白そうな所がないかな~。とマップを眺めていたら、
「干咾不動尊」(かんまんふどうそん)というのを発見。

村田町の鬼の手形石がある近く。
そういえば、不動尊の石碑をみたことあるなあ。
ということで、行ってみました。



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で、不動尊だから滝。
・・・小さいけど滝。
お不動さんが滝の中にいらっしゃる。
むむむー、なんというか、なんともいえない空気。
説明できない空気。



でも、八大竜王が祀られている隣の弁天様がとっても素敵でした。
お不動さんは、中に入って参拝できます。
大きく迫力のある不道明王が鎮座する。





看板がありまして、長~い文章が書いてあるのでほとんど読んでませんが、
階段登ると、何かがあると主人が言うので行ってみると、
中は入れませんが、「日蓮聖人涅槃図」があるとの事。
暗くてよくみえませんが、ちょっと気になった看板の内容を抜粋。

「~(省略)~日蓮聖人が晩年9カ年間を過ごされた身延山を釈尊法8カ年
の聖地霊鷲山の対比し釈尊の入涅槃された倶那城(クシナガラ)を武蔵国池上郷になぞらえる
信仰があるからである。倶那城は霊鷲山の東北にあたるとされ、池上は大よそ
身延山の艮(東北)に位置する。」


クシナガラとは、釈迦が入滅した場所といわれ、死期を悟った釈尊は霊鷲山(ビハール州)から
生まれ故郷に向う途中にこの地で亡くなる。
このクシナガラで釈尊が涅槃するまでの模様が描かれている涅槃図のようです。



その釈迦入滅の場所が、東北に位置するという話は興味深いですね。
まあ、東北は黄泉国にあてられているのはあります。
ここは日蓮宗なんですね。
池上郷というのは、鎌倉時代、武蔵国の武将で池上宗仲という人がいて、日蓮の有力な壇越だったそう。


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さて、ちょっと不思議な出来事。
最初、私は御堂まであがって上から少し滝をみて下に降りてきました。



下でうろうろしていると、主人が御堂に涅槃図がかけてあるよ、と教えてくれたので、
また御堂まで登った時、巨木があることに気づく。
最初は、涅槃図も巨木にも気づきませんでした。



大きな木だなあ。と、見上げて、もう少し近づこうと思い、
ふっと下の方をみたら、何かの塊がみえた。
よくみると、観音様がうつぶせで倒れている。

・・・あれ?この観音様は倒れてるの・・・?
主人が、そういう位置なんじゃないの?と言う。
そんなわけないよねー。
どうみても、倒れてますなあ・・・。
でも観音様としては、そうしていたいのかな。

いやいや、そんなわけないよね。

すぐ隣に2体のお不動さんの石像もある。
土台も何もない草の上にポンと置かれている観音様だったので、
倒れてしまったのです。
主人が、無造作に勧音様を起すので、
「もっと丁寧に扱わないと」と二人でワイワイしながら、観音様を起してあげました。

田束山でみたような、素敵な観音様。
30センチくらいの高さの銅像。
でもバランス悪いのですぐ倒れてしまいそう。
なので、すぐ隣のお不動さんの肩にもたれるように、立てかけておきました。
お不動さんとしては、肩が重いんじゃ~。って言われそうだけど。
仕方ない。バランス崩してまた倒れると困るから、
仲良く寄り添うお不動さんと観音様に仕上げて戻りました。

でも、車に戻ってから、急に不安になり、
お不動さんが、嫌がってないかな。
余計なことをしてしまったかな。。。
とか、なんだか悶々としてしまった。

細い道を戻り、村田の街道へ出た。
すると、すぐ左側に中型のトラックが停まっていたのですが、
なんとトラックの白い箱の荷台に大きな文字で「ありがとう!」と書いてあるではないかっ!!

わー!お礼言われてるっ!!
観音様だ!と、思った瞬間、鳥肌もん。
なんとわかりやすいレスポンス。笑。
だって、普通、「ありがとう!」なんて書いてあるトラックを見ることある???
しかも明朝体。このタイミングで。
何とも面白いトラック。

来る時は気づかなかったわけで。
この粋な観音様のメッセージに、にんまりしながら帰ってきました。
こういう出来事があると、本当に面白いな~と思います。
観音様は、誰かに起こしてもらうのを待っていたんですね。

めでたし、めでたし。

★場所は、名取方面から来る場合、「村田民話の里」が見えたら右へ。
蕎麦店があり、隣が鬼の手形石があります。
橋をわたるとすぐに干咾不動尊の石碑があるので、左へ降りていくとすぐです。

おまけ------------------------------
麺組の味噌ラーメン、スープがマイルドで美味しいの~。




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藤原実方と廣田神社

2017-10-14 | 東北地方の伝説(宮城県)
藤原実方は平安時代の歌人であった。
光源氏のモデルともいわれる。
一条天皇の前で、歌の議論となり頭にきて相手の冠をたたきおとした。
その行為に怒った一条天皇は、陸奥へ左遷させたと伝わる。

陸奥へ来た理由は、砂金の交易の為であったともいわれているが、
実際のところはよくわかりません。

実方とあこやの松は、平家物語に語られている。

藤原実方はある老人に聞く。
実方「あこやの松はどこか?」
老人「出羽の国」
実方「時代が経っても誰も名所のことは覚えていないのだな」と言って去ろうとする。
老人「あなたは、『みちのくのあこ屋の松に木がくれて いづべき月のいでもやらぬか』
   の歌にある松を知ったのでしょう?それは出羽と陸奥が一国であった時に詠まれた歌です。
今、あこやの松は出羽にあります。」

今日、久しぶりに、藤原実方のお墓へいく流れになった。
名取に住む知人とランチをした後、藤原実方のお墓に行ってみたいということになり、
行ってみたら、何やら「整えられている」。




何かあるのかなあ、とその場でネットで調べてみると、
ちょうど、明日の16日に「墓前献詠会」があるとの事。
郷土ゆかりの偉大な歌人である藤原実方朝臣をしのび、
応募された短歌の内から優秀作品を選んで、墓前献詠会でうたい納めるそうです。


詳細はこちら。
http://www.kankou.natori.miyagi.jp/news/7074
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ところで、藤原実方を調べていたら、何度かこのブログでも書いていたのですが、
青森県の廣田神社に、実方公を祀っている神社があるとの情報を発見。

廣田神社・・・?
またこの歌会の前日に、こんな情報を知ってしまう。
こりゃ、実方パワーの恩恵にあずかり、妄想しよう。笑

廣田神社は、天照大御神荒御魂をお祀りしています。
兵庫県最古の神社といわれ、神功皇后摂政元年(201年)に祀られたとある。
三韓出兵御帰還、神功皇后・胎中天皇により武庫の地・廣田の国に創建されたことが、
日本書紀に記されていると。

伊勢神宮の別宮・荒祭宮(内宮:皇大神宮)が、荒御魂を祀っている。
そして、荒御魂とは、瀬織津姫であったと。

「武庫」といえば、ムカツヒメ=弁財天。
天河大弁財天社で祀られる「弁財天」と同神とされている。
「むこうやま」という漢字をあてて、武庫となった。
六甲山は西宮市にある廣田神社の社領であったといわれ、
六甲比命神社があり、そこにある御神体は、巨大な磐座である。
それが、六甲姫といわれる弁財天で、セオリツヒメの磐座ともいわれている。

しかし、その廣田神社が青森県にあったことは知らなかった。
青森を開拓した青森城代二代目・進藤庄兵衛正次翁の神霊を祀る唯一の由緒ある神社との事。

廣田神社(青森)の由緒------------------------------------------

ご祭神は、天照大御神荒御魂。
相殿神は、大国主命、事代主命、蛭子命。
配祀神に、藤原実方を神霊が祀られている。

往古一条天皇の御代、長徳年間(996年)に左近衛中将より陸奥守に
任ぜられた藤原実方朝臣が蝦夷鎮撫のため、外ヶ浜貝森村(現在の青森市)
に「夷之社(えびすのやしろ)」を創建して陸奥国長久の平安を祈願したのに発祥します。

そのため、御祭神も神功皇后が新羅御討伐の際に、
皇軍を擁護したまわった天照大御神の荒御魂を主祭神として、
これに国土経営の神様である、大国主命、事代主神並びに蛭子命を相殿したことは、
実方公の深慮から出たもので、後世その功績を思い、永くその英霊を慰めるべく
一面和歌の神として廣田神社に配祀をしました。


藤原実方が、大国主命、事代主神並びに蛭子命を祀るようにしたかった。
という解釈がなされる。
実方公がこだわっていた事は、なんだろう。
蝦夷とよばれた人たちは、出雲族だったということに繋がる。
一部だと思いますが、出雲族を考えて国譲りをした大国主を祀ったというならば、
藤原実方は、出雲に対して何を思っていたのだろうか。
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神功皇后は巫女のように神からのご神託を占える人だといわれた。
争いに占いは重要だったので、どの道でいくか、航海の荒波で亡くなるわけには
いかないので、天気予報みたいな占いもしていた。
仲哀天皇は瀬戸内海を南下し、皇后と武内宿禰は、敦賀により、出雲の国で兵を徴集した。
出雲族を従えた人といえば、卑弥呼がいる。
神功皇后が卑弥呼のように描かれている部分がある。
同一ではないと思うが。


藤原実方の墓:竹林がなかなか良い。

不思議な光。

藤原実方のお墓から北へ進むと、近くに笠島道祖神社がある。
猿田彦神と天細女命を祀る。
道祖神は、佐具叡神社(さぐえの)とよみ、サエ神となっている。





伝承では、この神の前を通る時は、馬を降りて通るものだと地元の人が言う。
しかし、佐具叡神社は男根信仰である。
また、アメノウズメの裸体で踊る神話から、実方公は、そんな下品な神はけしからん。
と言って馬から降りずそのまま通ったことで、落馬して亡くなったという話がある。

『源平盛衰記』(鎌倉時代)に、京都の出雲路道祖神社にこの笠島道祖神の話がある。
実方公が、この神を祀っているのは何かを地元の人に問うと、
「都の賀茂の河原の西、一条の北の辺におはする出雲路の道祖神の女なりける」と言う。
その道祖神が、「石神」とよばれた。

出雲路道祖神とは、「幸神社」といい、出雲族との関わりがあるともいう。
鴨川河畔西側の出雲路にあり、出雲への出発点になっていたと。
道祖神は、岐(わかれ)の神、御霊とも呼ばれ、賽の神、障の神であり、交通の要衝に置かれた。
また、夫婦和合の神ともいう。

その出雲の路にあった幸神社と同じ由来をもつのが、笠島道祖神であった。
それが出雲由来の幸神だったということ。

なので、京都の幸神社(出雲路道祖神)も、猿田彦神を祀っている。
ご神体が、先にのべた石神。
相殿に、天之御中主日御神を祀る。
また、幸神社は、猿の関わりが深い。

「本殿北東角に、鬼門除けの意味を持つとされる猿の神像が祀られている。
猿は右肩に御幣(ごへい)を担ぎ、北東の方角を向いている。
これは、都への邪鬼の侵入を防ぐために北東の空を守護するためという。
当社では、猿は日吉山王神社(日吉大社)の神使としている。

当社は、先住の出雲氏の神が平安遷都後に、都北東の境界を守護する
道祖神として取り込まれ祀られたとみられている。
後に、天孫降臨の道案内をした猿田彦神と混淆された。」


青森県に廣田神社があり、そこに出雲と関係する藤原実方があるのは、
国譲りをした大国主への配慮と受け止められる。
また、猿田彦神の本当の女神が、アメノウズメではなく、セオリツヒメだったら?



本当の夫婦の和合(陰と陽)を鎮魂する意味で、歌をうたっていた人だったら、
藤原実方は、かっこいい光源氏だね。

また、エミシが崇めていたという奈良県の三輪山には、
狭井川の「狭井坐大神荒魂」という神がいる。
水は荒魂なのだ。
また椿大社は猿田彦神を祀るが、七つ森の石神山精神社は、早池峰神とも関係し、
それが引拠となり、椿大社の石神を祀ったともいわれる。
椿大神社神拝詞に、瀬織津姫の名前が登場している。
「 罪咎(つみとが)や御幣の川に祓ふらむ 瀬織津姫の神のみいつに 」



水の清めに瀬織津姫が詠われているのですが、
椿大社には、ニニギとコノハナサクヤヒメも祀っているので、
山津見神と関わるのだろうと。。。

藤原実方の御神歌…「なかめやる雲井の空はいかならん 今ぞ身にしむ外ヶ浜風」
(雲井=大空)



空の様子(雲行きがあやしい)はどうだろうか。
外ヶ浜の風が身にしみて感じる。といった内容でしょうか。
身にしみて感じるとは、秋の寒くなってくる季節をさしますが、
「しみじみ」とした自分の人生だったか、青森のまつろわぬ民を思ってなのか。



今日は曇りでどんよりした日だったのですが、お墓についたら青空がみえ、
この時だけ晴れてくれました。

藤原実方は、左遷をされたわけではなく、
陸奥開拓で東北へやってきた時に、いろんな世界をみてきたと思います。
東北地方の厳しい自然環境。でも豊かな清水と田園が広がる。
貴族と豪族、農民との生活。

西行は、藤原実方について「朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて 枯野の薄 かたみにぞ見る」
と、弔いの歌をうたっている。

廣田神社と藤原実方との関わり。
なぜ、藤原実方は亡くなってしまったのか。
病気説もありますが、真相は謎。
それは出雲が知っている?
不思議な導きでした。
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