秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

荒雄川神社と麻と絹

2017-05-28 | 東北地方の伝説(宮城県)
まだ探訪から帰ってきて1週間も経っていないのに、
もうすでに精麻が手に入る流れ・・・
あとは、奉納できる日を待つだけ。(地元の神社です)
こんな流れになるとは思ってもおらず、びっくりしてます。
昨日の夜に動き出して、朝に完了してるとは。。。

これは、よっぽど日本の神事にとって麻が重要であることを示していて、
世の中を整えるには、麻が必要なんです。というメッセージを送っているのは、
瀬織津姫や豊受大神などの「姫」なんですね。
また、そういうのを影でサポートしているのが普通の主婦なんですね。
私一人の力ではないんですよ。

この繋がりは、やはり鳥海山大物忌神社と関係する鬼首の荒雄岳神社へ
行ったからですね。インスパイアされてしまった。
昨年、大物忌神社に精麻を奉納にいったからだわ。。。
帰ってきてからトントンと流れていく。今度は違う神社だけど。
麻が勝手に動いている感じです。
麻は植物だから人を伝播させる力があるんだと実感しています。


※荒雄岳の森


※鬼首荒雄岳神社 大物忌神を祀る。

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普通の人がやってのける時代とは、まさに女性や主婦の時代ということです。
精神世界の中では、主婦やお母さんはすごいんです。
で、たくさんいる女性たちの中に、ひとりぽっつんと男性がいる構図は、
その男性が「さにわ」の働きをするからです。
うまく神事というものを伝える役目です。
女性は直感で動いていればよくて、これが古代神事のやり方なんですね。
このルーツは、姫彦制度からきていると思いました。

古代の祭政一致は、姫彦制度があったそうです。
「言霊の宇宙へ 菅田正昭著」より
「ウチナー(沖縄)では、地方の段階から中央の段階まで「姫彦」制が
貫徹していた。すなわち地方では姫に相当するノロ(祝女)と、彦に相当する
アジ(按司)がおり、中央の琉球王国には、聞得大君とよばれる最高位の神女と、
彼女より気分的にすこし下位になる最高政治権力者として王がいた。
しかも沖縄の場合、その「姫彦」制をささえる民衆の信仰として、
「おなり神」があった。
※アジはアルジ(主)の訛。

「おなり神とは、姉妹の生魂のことで、普通の女性の「たましい」が
兄弟たちのためにときには胡蝶(ハベル)になってその身辺を守ってくれる、
という信仰である。すなわち沖縄の女性たちは、自分と同じ血が流れている兄弟
たち、つまり同じミタマを分けあっている一族のため、神に祈り、
巫女として祭祀を司るのである。」




霊統が働いていて、私は暇じゃないけど~(暇だろ)
アイスをご褒美に動かされているのだな・・・。
もう少しアイスより高いものが食べたい。(そこか)

そしてそれがウタとなっているそうです。
ユタやウタはイタコと同じ言葉で、歌に発するものです。
なぜ、麻が大事なのかは、「アサ」という言葉にありました。
アワ歌に詳しい知人が言っていたのを思い出しましたが、
確か、アワは、アスワからきていると言っていた。
で、たぶんそれは麻のアサになっている言霊だと思いました。
アから始まり、ワで終わる。
アルファとオメガの関係。その間に「ス」が入る。
麻が大事というのは、アスハ(ワ)神の志波姫が伝えていることでもあったんですね。
だからアスハ(ワ)なんだ、とわかりました。

言霊の「ス」は、大本教にこんな話がのっています。

「su.jpg(ス)の言霊は、まだ霊でもなく、宇宙のすべてのものの〝大根元〟であり、
ちょっとむずかしく言うと、太極元(たいきょくげん)ということだ」

「太極元? 確か太極(たいきょく)というのは、中国の易学(えきがく)から出ていて、
朱子学の宇宙論の中で重視された概念だよね。
万物の元始、宇宙の本体、万物生成の根元、という考え方だね」
(省略)
「松太郎は、su.jpg(ス)の言霊にも呼び名(ご神名)があることを大地に伝えた。
 天之峯火夫神(あめのみねひをのかみ)である。」
「天之峯火夫神とよばれたsu.jpg(ス)の言霊が、湯気とも煙とも何ともたとえようのない
異様で微妙なものとなって大虚空中に漂っていたんだ。
そしてこれが十億年たって広がり、形も音も色もない霊物となったんだ」


※おほもと
http://www.oomoto.or.jp/japanese/teachings/akatsukinodaichi/02.html
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祝詞の中に「大倭日高見国」が登場してきます。
我皇御孫之命は(ニニギ)は、高天原に千木高知りて統治し、
四方の国を定めたと。四方の国とは、大倭日高見之国で、
豊葦原の水穂の国の中心地だった。

「罪を消すように八重雲を吹きはらうように
朝の御霧(海霧)を吹きはらるように、はらい清める」

この清めをするのが瀬織津姫の働きで、「速川の瀬」とよんだ。

まだ地が固まっていない霧の世界。それが「ス」という振動に。
速川は、「急激な固体化」が想像され、大量の水が地上にふりそそぎ、
大陸を生んだ地球の創世が、瀬織津姫の働きと感じる。
物部氏の祝詞は、その頃の混沌としたまだ地が定まっていない中津国が
鉱物に変わり物質に変化し、大陸をもたらした天地創造の祓えと考える。

石を祀るのは、水の気体(霧の世界)から、固体へ変化した状態のもので、
石も本来は水であったわけです。
数々の鉱石は、その当時を記憶しているのです。



池月の荒雄川神社について
「延喜式神名帳にのっている玉造三座の一つで、鬼首の荒雄岳上にある社を
奥の院とし、当社(池月)は里宮と称されれる。
神宮寺も併設され、この地の信仰の中心となっています。
祭神は、須佐雄尊と瀬織津媛尊で1086年頃に源義家東征の際、
戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝わる。



1170年に藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に奥州一宮とし、
室町幕府には奥州探題の大崎五郡の一宮として崇敬し、
江戸時代に至っては、岩出山伊達家の氏神となりました。
1743年幕命により、江合川(荒雄川)沿いの三六所明神を合祀したので、
三六所様とも称される。」


入口に姥神が祀られていました。
マリア様みたい。





とても女性的な神社です。
境内には5000年前の縄文遺跡が残されています。





ところで、なぜスサノオとセオリツヒメなんでしょう?
武蔵一宮の小野神社でも天下春命と瀬織津姫でした。
不思議な組み合わせ。



荒の麻----------------------------------------------------

伊勢土着の麻積氏(おみ)という人がいます。
小見とも書きますが、その祖を
長白羽神ともいい、「ながしらはのかみ」という。
天岩戸に登場し、思兼命に命じられ麻を育て、
それを伊勢神宮に奉納する役目だった。

その人たちは「荒妙(あらたえ)」というものを織っており、
荒妙とは、荒い粗末な布という意味で、藤、麻、苧や楮などを用いたものと考えられる。
それに対し、柔らかいきめ細かな細い布を「和妙(にぎたえ)」という。
荒妙は、天太玉命といわれ、岩戸隠れの時に思兼命が考案した方法でよいか、
アマノコヤネが太占(ふとまに)で占ったものとされる。


それが「布」といわれるのは、言霊でいう「ヒレ(霊顕)」の事だろう。
比礼は、布のようなもので描写されますが、本来は言霊です。
物部氏と蘇我氏の対戦は、宗教戦争のように感じとれますが、
それ以前の天皇は霊知り(ひしり)とよび、言霊の(どんな方法かわかりませんが)
祈祷をしていたと想像されるのですが、異国の文化や言葉が入り、
言霊が漢字で説明できなくなった時、言霊より文字の方が重要になったと。
言霊に解釈をつけることはできないので、言霊は自然と消えていった。

蘇我氏が仏教をもたらしたのは、宗教というより言語という言葉(外国語)や
漢字であり、言霊は漢字では説明できないので、霊知りが廃れたと考えられる。
なので、物部氏は負けたというより、霊知りの働きができなくなった時代の
転換にあったのだろう。

石上神宮に伝わる十種の神宝の中の「蜂の比礼」「百足の比礼」「種物比礼」
というのは、神代文字のことを言う。
言霊学では、ヒレ=霊顕という文字にあてはめることができると。
それが物部氏の独特な祝詞だったと思います。

白旗は絹------------------------------------------------------

志波姫神社の説明にあった、白幡村というのが気になったのですが、
伝説ではよく「白羽の矢を立てる」という話があります。
日本古来の生贄風習に白い幡を少女のいる家の屋根に立て、
目印としていたといわれます。
それが祭りの開始と考えられ、矢を立てる松ともいい(矢立ての松)、
結界の意味があるそうだ。
しかし、これも神おろしの御柱の原型を伝えているものと思う。
松の木に神が降りるのは、降りてくるのを「待つ(松)」からです。
その少女とは巫女なんですね。
巫女の神降ろしに、松を立てるわけです。(依り代のこと)

その白い幡というのが、絹のことではないか、と思った。
幡や旗が秦だったと考えると、絹をもたらした秦氏たちです。

白羽の由来は、志良波のことで、茨城県の太田市に天之志良波神社があります。
天白羽命(天之志良波神 長白羽神)を祀るので、麻を広めた麻積氏の祖です。
また、柳田国男は、志良波のシラハは、シンラで新羅のことをさすと。
養蚕をもたらしたもので、蚕のことと結びつけている。
麻がもたらされた場所に、後から絹が伝わったと想像する。

妄想するに、麻という植物の波動というモノの働きを司る人がいなくなった時に、
絹という布を代用して行われた神事だと。
なのでヒレのことを布や羽衣という説明をしている。
本来は、麻などの植物のことで、音の波動=言霊=麻のルーツがあるわけです。
機織姫伝承が多いのも、機織の動きや縦と横の糸を紡ぐ行為や形、模様は、
言霊を示しているものだと。(意味などはわかりませんが)
そういうものだと思うしかないけどね。頭で理解するものでないんだろう。

麻も絹も同じ働きをするもので、麻の音に対し、糸を出す蚕(天の虫)の絹は象形として表された。

荒のルーツは、荒妙の麻という原始の植物の大地をさし、
和のルーツは、和妙の絹という蚕の天孫(空)をさす。
天と地の融合だから、男女神を祀る。



バビロニアのバアル神みたいな。(↑)
天と地を指さしています。

たぶん、スサノオは天の人、セオリツヒメは地の人ということで、
祀っているのですね。

エミシは、荒蝦夷、熟蝦夷となり、まつろわぬ民とは麻などの
植物に憑依する神を神格化していた。
荒魂や和魂も同じで、ニギとよませるのも、ニニギやニギハヤヒなど、
ニギというのは、和であり絹の方であろう。
これがイエスキリストの降臨のことを言うのかもしれない。

一方、瀬織津姫は麻の方で、長脛彦も麻の方だったから国津神で縄文の精神が結びつく。
なので、二ギハヤヒとセオリツヒメが夫婦神というのは、
平穏な夫婦というよりは、サルタヒコとアメノウズメのように、元々いた土地の人と天から渡来した人の
思想が婚姻を結ばせることで、全く異なる文明の融合を示していると思うのです。
これは、西洋と東洋の融合とも言えます。

なので、麻を排除する方向へいこうとしている日本社会は、
すでにその時点で、バランスを失っているのだから、
神々が、麻を必要とするのは自然なことです。
喉が渇くと水が飲みたくなる。
それと一緒です。



ニニギは国津神を排除するために降りてきたわけではなく、
わざわざ、二柱を立てるために降りてきたわけですから。

麻積氏は、藤原秀郷を祖とする足利氏の庶流佐野氏の流れをくむ氏族とある。
それが平家らしい。
また、「積」は、津見とも書き、山積や海積の山幸彦、海幸彦の話に繋がる。
とすると、積という漢字をもつ氏族は南方系の海人族といえる。

矢を立てる意味も、時間を印すと考えられる。
矢は「時を告げるもの」という意味がシュメールにあり、
シュメール語「ti」を象徴とし、「犬」の意味があるそうだ。
日本でも「チ」は霊的な意味がある。



狛犬がいるのは、シュメールでも同じように「チ」という霊性な犬なんだな~。
荒雄川神社の狛犬たちがなんだか面白くて愛らしい。
黄泉国の門番はシュメールでも犬なんです。



生贄の話に、早太郎伝説があります。
猿を倒す犬の話なのですが、生贄を食いとめた話になっている。
これもヤマタノオロチに似ていて、スサノオは生贄の娘を助けている。
早太郎伝説の犬と猿は、どちらも「居ぬ」と「去る」なので、
黄泉の話をしているものと思われます。
この世の話ではないという事ですね。



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ひとつわかったこと。石棒が大将軍だったこと。
奈良県に2つ大将軍神社があります。
一つは、奈良県大和郡大江市にある大将軍神社で、イワナガ姫を祀る。
もう一つは、奈良県十津川にあり、瀬織津姫を祀る。
この神社も古来は、麻を栽培していた神といわれていたそうだが、
大将軍神社は、八名の神名をそろえて大将軍八神社というのはあります。
そのボスはスサノオです。
なんだか、縄文の里にスサノオがやってきた感じですね。
この方は、縄文精神を受けつごうとしていたのかな。

武蔵一宮の小野神社が天下春命なのは、平家が関係しており、
例えば、宮城県の三角あぶあらげが有名な定義山も平家里で、ここにも大将軍が
祀られています。それは金精様とよばれ石棒(ミシャグ)がルーツだったんです。
ミシャグチの将軍塚です。


定義山の将軍地蔵。(光る石の伝承がある石)

だからか、先月、奥松島の石棒の話がでてきました。
そして池月の荒雄川神社には、5000年前の縄文遺跡が残されている。
荒というルーツの中に、石棒が隠されていたとは。

天白神を恐れていた持統天皇の話がありますが、
奈良の天河弁財天にも、大将軍神社がありました。
境内の東北の方角に五色という所があり、そこに祀られているのですが、
陰陽道では、太白星は金星の精を司る方角だという。
金精様という大将軍とは、金星のことでもあった。

だからか、
そこでイナンナが浮かんできたのだな。
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古代絹は弥生時代以前より、北部九州へ伝わり養蚕法では国外禁止だったそうです。
種や桑種子に関与(伝えた)したのは、非漢民族の呉国の末裔や、
苗族(ミャオ)の少数民族といわれます。
で、スサノオは北陸から伝来しているので、ミャオ族のルーツという説もあるが…。
九州に蚕をもたらしたオシラサマ信仰が残されていないのは、
4世紀頃の朝鮮~新羅経由~北陸に上陸したためであり、
三河~関東~東北へ広まったという。

白のシンラには、こんな所でも繋がっていそうです。
九州の八代海に不知火(しらぬい)がある。
火を知らないという漢字は、水のことを言っているのかもしれません。
万葉仮名では「之良」と書き、シラとよむ。
旧暦の8月1日の深夜に海上に現れる不知火から不知火海(しらぬいかい)とも呼ばれる。
八代海にトンカラリン遺跡がありますが、巫女が身を隠す洞窟でした。
日の御子とよび、ヒノミコからヒミコになった。
穴は龍体で、龍神信仰がある。
穴に入るお籠りは、龍の子であることを体現しているわけです。

龍燈伝説の発端にあり、寄り来る神や漂着した来訪神という。
アラハバキの客人というよに、「まれびと」というのは、
巫女が呪力によってひきつける相手(神)だという。
これって男女の恋愛関係とか婚姻にすごく近い行為なんだと思うのです。

古来、筑紫は、「白日別」(しらひわけ)とよんだ。
これもシラであり、龍の世界を伝えているのです。

池月の荒雄川神社は、スサノオの火と、セオリツヒメの水もあると思います。
火は水で鎮火できる。
また、スサノオの絹とセオリツヒメの麻という対比にもみえます。
火山帯の多い鬼首や鳴子地方ならではの神だといえますが、
スサノオと婚姻したクシナダヒメは、櫛とかきますが、「奇し」のクシで、
「あやしい」という意味があり、巫女のことをさします。
愛子が「あやし」とよぶのは、そんな奇しから由来しているようにも思えます。
お籠りをしている巫女は、ただならぬあやしい姿にみえたのでしょう。


※不思議な石が。

数々の姉と妹の描写の話は、麻と絹の違い、
精神文明と物質文明の違いが隠れているわけです。
西洋と東洋といった異なる文明をどう繋げていくか、という役目に女性が深く
関与していました。今は、そこまでする必要はないんでしょうけど。
その転換期にいた時代が、エミシの時代で、
今もまさにその時代の転換期にきているような気がします。



で、結局、この先どうなっていくのか考えてみると以前は、最悪だな、と思ってましたが、
これから良くなっていくのだな、というかもうどんどん良くなっていると。
アイス食べて地場産の物を食べてりゃなんとかなる~。
あたりまえだけど、やっぱり家族を守ることに尽きますね~。
それが一番、大事ですね~。
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全然、まとめられませんけど、ツラツラと書いただけで終わっとる…。
最後に、この地図をみてちょっと感動した。


江合川流域の地図。

アラハバキは女性的だと感じました。
荒雄川神社の江合川(荒雄川)は、荒雄岳をぐるっと一周しているんです!
荒雄岳はブナ林の森ですごく良い山なんです。
悪路王がいた山といわれます。

まるで自然にできた聖杯のよう。シルベリ・ヒルみたいだね。
シルベリ・ヒルとは、新石器時代、ヨーロッパ最大の人工墳で、
女性の妊娠した腹部を現し、身体の他の曲線には、かつて塚の周りを流れていた水であり、
沈泥で描かれている土着信仰の典型。
シルベルヒルも、小高い円墳の回りに水を流しているんです。

江合川(荒雄川)は、荒雄岳を守るようにして流れているんですね。
荒雄川神社はそんな子宮をイメージする女性的な神が鎮座する場所だったと思います。
ほんとに参拝できてよかった~。
池月の荒雄川神社へ一人で行けなかったのは、そういうことなんです。
3人でなければならない理由。
宗像三女神みたいなもんで。
大物忌が働いている証拠です。



精麻奉納でもそうでしたから。何するんだって3人になる。
山は人が3人集まってできている。
ということで、ミッション終了~。
(しばらく神社はいかない・・・)
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日高見国の紫波姫 その2

2017-05-27 | 東北地方の伝説(宮城県)
志波姫神社由緒

志波姫神社は、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を祀る延喜式神明帳
栗原七座の内の大社にして、人皇第四十五代聖武天皇の神亀天平年間の創建といわれ、
延暦年間(795年~801年)に坂上田村麻呂東征の際、武軍長久と五穀豊穣
を祈願したと伝えられる。
社はもと伊豆野権現社と称し、築館の町裏玄光に鎮座されていたが、正保年中に
祝融の災いに罹り社殿のすべてが烏有に帰し、其の後、再建されることなく伊豆大権現
の石宮を祀るのみであった。



寛永十六年(1639年)伊達第二代藩主忠宗公は、家臣古内主膳重廣に
伊豆野原の野谷地を賜り、その開拓を命ぜられた。
伊豆野原を拝領した古内主膳は伊達藩の土木技術者であった川村孫兵衛元吉に
伊豆野原開拓工事の設計を依頼、1644年工事に着手、3年の難工事の末、
伊豆野堰の完成をみた。
伊豆野堰開削によって伊豆野原開拓に成功した領主古内主膳は、1658年に至って
社殿を造営し、水下15ヶ村の守護神として此の地に遷座した。
明治22年4月、市町村制の施行により姫郷村、白幡村、梅崎村の三ヶ村を合併し、
この由緒ある社名を唱えて志波姫村とした。
町名ゆかりの神社である。
平成4年10月27日、志波姫神社本殿が江戸時代初期の建築様式を伝えるものとして、
宮城県指定有形文化財に指定された。



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伊豆大権現や伊豆野原という地名から、出雲が「伊豆毛」と書いて「イズモ」と
よんでいたことを考えてしまう。「毛」は豊かな緑と考えれば、
毛が野に変わってもおかしくない。
ここも出雲由来の地ではないか、と。

伊豆大権現は、「ただならぬもの」という意味をもった稜威「いつ」から、
伊豆になった説もある。
神聖や、斎み清められている場所。
他の地域の話になりますが、675年奈良県北葛城創建されたという
廣瀬大社があります。
「廣瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)」ともいう。


※足の神様



社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神とし、
龍田大社の龍田風神と並び、古来から丁重に祀られていた。
大忌神は、天武天皇により祀られたが、その祀られた回数は19回、
持統天皇も16回も祀る。その大忌神という存在が詳しくわかりませんが、
それほどまでに気を使う神だった。
おそらくこれが地層などの断層とも考えられる。
4月と7月に農耕の守護として祭事をおこなっていたが、その後はぱったり絶えた。

静岡県にも葛城山があります。
地名は伊豆で、奈良と区別するために伊豆葛城山という。
ここは、白浜層群と呼ばれる地層で構成されており、静岡で3番目に古い地層。

鬼首が火山帯で栗原も地震が多い。
鳥海山大物忌神社へ行った時、宮司さんの話から、
伊勢神宮の外宮である豊受大神のことでもあると。
忌ってなんだい?
なとなく、政治力もあり天皇の選出までも祈祷していた強大な巫女のイメージがある。
大物忌を祀る鬼首の荒雄川神社とも繋がってくるのです。

伊豆に左遷されていた役小角ですが、葛城の深山の滝に不動明王を祀り、
大滝神社とした。大滝大明神は1年に1度、浜降り神事をするという。
滝の祓い清めのために、那智の滝神は、それを「瀬織津姫」として祀ったと。

福島県にも大滝神社がありますが、同じ神事が伝わっています。
男と女が出会う逢瀬ともよび、浜へ降り潮垢離をとる。

遠野市上郷町来内にも伊豆神社があります。
祭神が瀬織津姫で、俗名が「おない」さんという。
遠野三山の守護神の親神といわれる。
陸奥国に、拓殖婦人という蚕業を奨励するために派遣された女性がいたというのを、
「エミシの国の女神」を書かれた菊池氏の本にありました。
福島県の小手姫も、蚕業を奨励するために大和から派遣された女性だったでしょう。
左遷という言葉は厳しいかもしれないが、実際、そうだったのかもしれない。
独身女性を選んでいたのか、孤独な生涯だったとも伝わる。

おないさんは、その女性の一人と。
その方が、瀬織津姫信仰を広めたともいわれます。
ああ、忘れていましたが、コノハナサクヤヒメが祀られている理由は
詳しく調べてないので、わかりません。
ニニギの降臨にでてきますが、姉のイワナガ姫ではなく、
妹のコノハナサクヤヒメを選んだのは、美が理由なのですが、
それから人は寿命をもつようになり、老いることになったという話。
それ以前は、異なる世界があったという意味で、
これも混沌とした水蒸気のような水の世界から、鉱物の世界という重力をもった
地球の変革を意図している物語だと思います。

荒雄川の水分が、瀬織津姫となっているのは、
ミクマリ→ミコモリとなり、子安神の女性の信仰に流行した。
ネパールにも「クマリ」という生きた女神がいますが、幼い少女です。
昔の日本でもそんな幼い少女が神にされていたのです。
以前から、武甲山、葛城山の水分を書いてますが、
こういうところで、繋がるわけですね。
古くは、みそぎという水の穢れや祓いは、かつて人間の欲で沈んだ大陸があり、
その創世をする際の誓いという意味での罪祓いなんだと思う。
その過去の経験を深く体験している人は、修験の道へいくのかもしれない。

瀬織津姫の分霊というのは、幼い少女のイメージがあり、
古来からそのような祀り方をしたのも女性だと思います。
女性の様々な働きを司る水神なので、「忌」になったのだろう。
鬼もそうで、陰のこともある。
水の陰は女性。火の陽は男性。月と太陽と星で、日月神事。


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栗原の志波姫が祀られる経緯は、山を越えてきたというよりは、
海側の気仙沼などの方面から上陸した女神信仰があった気もします。
だんだんと内陸へ伝わり、志波姫として祀られたとか。

「ひーさんの散歩道」を書いているひーさんが、志波姫神社のことをブログに書いていて、
アスハ(阿須波)が関係していることを言ってました。
Nさんが、「アスハ」という響きが、なにか惹かれると言っていて。
そんな話をしながら車を走らせていると、いろんなインスピレーションが
みんなで沸いてくるから面白い。

アスハというのは漢字にすると「ハ」は「波」になるなあ、と思い、
水なんだろうなあ、という妄想。
飛鳥とか阿須賀(熊野)の響きは、アスハとも似ていて、
閼伽や、アスハから阿修羅が想像されたり。

アハの間に、スが入る。
スという静かな霊魂は、アという生まれる気から、
ハという出ていく(吐き出す)気の間に鎮座する。
なんて妄想。
小野小町の入るのと出ていくのが、アスハみたいな。
アから入り、ハで出ていく。その間に何が入ったんだろう・・。



アスハは大年神ともいわれます。
アスハ=志波姫=大年神(スサノオに関係すると思った)たぶん。
出羽三山の羽黒山の参道にも祀られてます。
この神が以前、何かで調べたら出てきてすごいな!と思うことがあったのですが忘れた・・・。

大年神は疫病によって消された神といわれる。
海を照らして依り来る神で、アマテルの海照神の原型の姿らしい。
船だか、UFOだか、海坊主だか・・・。
それを三輪山も神としている説もあります。
御諸山の上に座す神といわれ、大物主を大国主とし、復活させたと。
ということは、古くは大物主であったのを後に大国主とした。

これは妄想するに、モノとクニの違いで、言霊で想像するに、
モノという精神世界から、クニという物質文明への移行でもあると。
モノの○(丸)から、クニの□(四角)へ。
縄文の集合意識から、固体への目覚めということか?
個々の世界への目覚めと考える方が私はしっくりきます。
宗教でいえば、イエスキリストの降臨。
そこが、ニニギの降臨と重なる。

縄文土器と弥生土器が大きく異なる文化になっているのも、哲学や思想が生まれた
という深い人類の内面の意識の変化です。
より機能的な道具として考えられるようになった。
縄文人は2つのタイプに分かれると思っていますが、
生活の中に道具が用いられるようになったのは、定住する人が増えただけなんだろう。
先住民は自然の中で暮らしていたから、環境の変化でどんどん移動を余儀なくされていた。

日本の神々は、内面におかないと見えないものですね。
それがすごいんですけど。
だから人によって様々に変化するから、人も神も流動的に蠢いているものです。
蠢くという漢字もすごいですけど、春の虫ですね。
これが、麻と絹の変革期と思います。

自然崇拝を行ってきた植物などを神として祀ってきた人たちの世界から、
天孫系というのは、天の虫である蚕をもたらした。
麻から絹の転換は、縄文と弥生の転換でもあり、
そこに征伐というものが加わると、物質文明になっていくために必要な
変革だったのです。

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アラハバキの話に戻りますが、三河国(愛知県)にオオナムチを祀る
荒羽々気神とかく神社があります。
アラハバキと読むのですが、荒魂のこと。
三河一宮に、砥鹿神社(とがじんじゃ)がある。
大己貴命(おおなむちのみこと) 大国主命のことだと。
この砥鹿は、戸隠のトガと同じ音をもつ?
イワクラ信仰で、古墳群があった神社であることも。


大崎のアラハバキ神社。


神社裏に三吉神の石碑と、穴が開いた石が奉納されている。
私はこの石が重要な気がします。
2回目のアラハバキ神社でしたが、必ずこの石にお参りします。

なぜか私は、みよし神(三吉神)が好きでして、秋田県太平山に鎮座する強い神なんですが、
親しみをこめて勝手にさんきっちゃんと呼んでしまいます。
ですが、御姿はすごい形相の仙人のおじさんです。
三吉神は役小角が開山したとか。で、ここもオオナムチを祀っています。
丸い石に穴があいているのは、おそらく「オブ石」というものでしょうか?
盃状穴(はいじょうけつ)というのがあります。
世界中にみられる穴のあいた岩のことで、再生や不滅のシンボルとされています。
お産ということと、あの世とこの世をくぐる巨大な丸い石は、ケルトでもあります。
また、大穴持命というのがあり、オオナムチのこと。
この石は、そのシンボルかもしれない。
我が家の実家では、お墓参りは、墓の台に丸い石をコツコツたたいて拝みます。

由来について「祭神は、祖神、天・地・水の三神を基とし、日輪(日・月・星)を父なる神、万物を育む地、水(山海)を母なる神とする。
自然信仰で2千年に及び鎮座する産土神。

由来は、古代先住民(アラハバキ族)が祀ったもので、ある文献によると、
古代東北・関東の地に600余社数え、平安期のアラハバキ系中心王候は、南部衣川、安倍氏が後裔といわれる。
前九年の役後、改神或いは合祀の憂目にあい、現在県内に残るアラハバキ社は、当社の他数社ご鎮座がみられます。

祭祀年は、アラハバキ王城の地を西暦前に、米山町朝来に、
西暦後に多賀城へそして古川市宮沢に移したと(302年)ある。
いずれにせよ、一族がこの地に守護神としておいた。
このアラハバキ神は、「みずいぼ」神とよばれ、目・耳・鼻の神であるといわれる。」


アラハバキは、伊雑神(いぞうかみ)といわれているそうですが、
天照と瀬織津姫を一体とした秘神で、伊勢神宮内宮のこと。
イゾウは、磯部という人がいますが磯のイソの説もある。
三河には海人族がいた。
おそらく、天武天皇はこの系譜があったから、瀬織津姫に気をつかい?
持統天皇も瀬織津姫に認めてもらう必要があったのか、三河で必死な巡業をしたらしい。
とくに持統天皇が恐れていたのが、天白神で金星といわれる。
金星はイナンナですが、私はイナンナが一番好きで、
なぜか、瀬織津姫はイナンナみたいだと思ったんです。
池月の荒雄川神社で、そんなことを思った。
これも占星術による、天変地異のことも伝えていそうですね。

その三河には天照神以前に、塞神であり境界と考えられた「来名戸」クナトがあった。
勿来(なこそ)や、遠野の伊豆神社がある来内など、ナイの地名はアイヌ語ですが、
東北地方にとても多い地名です。

伊豆神社の語源(不思議空間「遠野」)
http://dostoev.exblog.jp/15013663/

「野の創世神話の拠点である伊豆神社がある。
この伊豆神社の伊豆の語源は、遠野の先人で有名な学者である伊能嘉距の
アイヌ語の転訛説を一般的としている。」


※不思議空間「遠野」より 伊豆神社

「アイヌ語の「山の鼻」という意味の「Etu(エツ)」より、
山の鼻に鎮座する神「エツ、カムイ」と呼ばれたものに、
後から「伊豆」という漢字があてられて「伊豆の神」と呼ばれて、
後に伊豆から飛んできたという神話が発生したものだというもの。
これには伏線があり、伊豆神社の鎮座する地名を「来内」と云い、
やはりアイヌ語の「ライ・ナイ(死の谷)」という意味がある為むなのか、
この来内一帯をアイヌ語の普及している地と考えたのかもしれない。
しかし、祀られている女神・瀬織津姫との関連が示されていないのが現状だ。」

後に、「来るな」となって、疫病や伝染病を防ぐ神と変化。
逆に、「おいで」の小出森は、仙台の太白山だね。
いつの時代かはるか昔、どっと大量の渡来人が日本へ押し寄せてきました。
家畜やいろんな植物や食物を運んできたことで、民族が絶滅した話は世界中にあります。
日本もその危機に追われ、先住民族やアイヌ人は、奥山へ消えていったのだと思います。

さて、三河の天白神が、看板の説明にあった白幡村というのが繋がっている気がします。
この地に、そんな天皇を操っていた巫女がいたのだろうと。
志波姫神社もそんな塞神として祀られた神であった。
また、このあたりは4号線沿いですから奥州街道の道沿いです。
多賀城からの北上ルート。
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今回の探訪の道順に、アラハバキがあり、荒雄川神社があり、志波姫神社があるのは、
昔も、誰かが歩いてきて祀ったわけで、それは直線上に結ばれるわけではないですが、
同じ系譜をもつ霊統の働きがあるわけです。
それが、巫女の巡礼というものか、この世の穢れを祓うために昔も今のように
同じようなことをしてきたのだな~。

まあ車で移動してるし~、あら伊達の道の駅でアイス食べるし~。
ROYCEのアイスがうま~っ。
相変わらずのほほんですが、
瀬織津姫という女神は、私たちのような普通の主婦にでも歓迎してくれるのだな、
と思うわけです。笑。
今まであんまり好きではなかった瀬織津姫だったんですけど、
荒雄川神社(池月)にいったら、ホレてもうた。
ジワジワくるんだな。



今まで拒否していたところもあったから。
やっぱ、これからそういう縁になるからだと思う。
これは特別なことではなくて、免疫を高めるみたいな。(なんだそれ)
だからと言って、セオリツヒメさま~といって駆け寄る気分にはなれない。(走れないし)
それだけ強い祓い神ということでしょう。
瀬織津姫になれておこう。笑


次は荒雄川神社の妄想。
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日高見国の志波姫 その1

2017-05-26 | 東北地方の伝説(宮城県)
東北イネハポ探訪。
今回は、荒脛神社~鬼首の荒雄川神社~池月の荒雄川神社~志波姫神社と巡ってきました。
これらの神社名を聞いて浮かぶのが、荒魂ですかね。
もう全てがアラハバキなんだと思いたい東北ならではの独特な?神社です。

だんだん、荒と和の関係がみえてきました。
なぜ、荒魂と和魂(にぎたま)、荒蝦夷と熟蝦夷(にぎえみし)というのか。
結構、深い話だと思う結論に至ったわけですが、まず、志波姫神社について。

私は、この神社はないと思いこんでいました。
志波彦を祀る神社は塩釜神社にありますが、志波姫というのは地名としてはあっても、
神社も祭神もないと思っていたが、あったんだね~。
Rさんはずっと祈願したいと思っていたそうで、感無量。
私は、こんな所にあったんだ~という不思議な感じで。
でも祭神は志波姫ではなく。
これが結構、興味深い。なぜ志波姫ではないのだろう??
という妄想に走る・・・。

古川と栗原に志波姫神社はありますが、
今回は時間がなかったので1社のみ巡り、重要だったと思われる
栗原の方の志波姫神社へ寄りました。

さて、この地図はかなり前にホツマツタエの勉強会でもらった資料です。
出所がわからないのですが、古代の神社はこうなってます。


東北地方


関東地甲信越

日高見国の神は、志波姫と志波彦なんですね。
東北にしかない名前です。
日隈国:善知鳥神社、岩木山神社、大日霊貴神社。
日高見国:駒形神社、志波姫神社、志波彦神社、塩釜神社、大物忌神社


※伊豆野原という地名が気になる。

ホツマツタエでは、日高見にヤマテ宮があったと。(多賀国府の下)
ほど遠い紀元前の話。
それが、鳥海山が鎮座する豊受大神と関係している。
「日高見国方壷のヤマテ宮にて」
「豊受神より天の道を学ぶ。」
---------------------------------------------
もうほとんど資料を参照して東北の古代史をツラツラ書きます。
志波姫神社の由来の前に、日高見国の妄想を。
以前にも書いた話ですが、もう一度復習。

古代の人たちは、神を言霊の音で祀っていることがありました。
日の本(青森県の壷のいしふみ)といわれるツボは、ツボではなく「ツモ」と言ったそうです。
ツモの音の響きはわかりません。おそらく意味はなく実態のない音だと思う。

マロ(坂上田村麻呂)ではなく、文室綿麻呂が征伐した場所ですが、
ヒノモトは、全体の日本ではなく日本の中の一部で、
陸奥と奥州の古名であるとされる。
その風俗は、人国記によると、肌が白く青い目をしていたという。

ヒタカミという言葉は、九州、茨城、北東北で見られます。
その起源は、飛騨山脈のある飛騨であろうと考えられます。
縄文の文明があった十字路といわれる。
縄文時代のヒダ、ヒタカの由来があり、塩のルートも関係してきます。
異民族のことを「ヒナ」といい、ヒナ→ヒタとなり、ヒタのカムイからヒタカミとなった。
またその言葉は、「HETUKU(ヘトゥク)」からきており、繁栄の地の意味があり、
夷守(ひだもり)という言葉に変化している。※1

毛の国という北関東にあった国も、毛は豊さの意味があるので、この地もヒタカミと考えられる。
789年 紀古左美がエミシと戦う時「日上湊」に多くの溺死者を出した場所ですが、
日上とは、日の上=ヒノカミ、ヒナカミとよび、日高見から北上川の名前ができたとされる。※1
東北では、旧桃生町 日高見神社、気仙沼(旧唐桑町)日高見神社、水沢 日高見妙見宮がある。
※1参照 日高見の源流:その姿を探求する 菊地栄吾著より

カムイの「ムイ」は束ねる意味がある。
集まったモノ。
国としての概念がなかったと考えると、今の私たちとは異なる価値観、集合意識というものを
もっていた人たちのムラと考えられるのです。
そのきっかけになった神話が、麻と絹の描写で表しているもので、(後ほど詳しく)
エミシ征伐というのは、征伐という単純な話ではなく、
人類の大きな転換期を迎えたことを伝えるものだと思います。

東北の歴史は、大和朝廷が定まった頃にくらべて100年近い差があると思います。
古墳時代~農耕技術が盛んになり、今とあまり変わらない生活をしていた近畿地方に比べ、
東北ではまだ縄文人と弥生人が共存していた時代と考えられます。
9、10C頃の阿部氏たち奥六郡が登場し始めてようやく国としてまとまった気がします。
そのくらい東北の古代史というのは、かなり長い間、朝廷の支配を受けずに暮らして
いたわけで、その頃を統治していた人たちの信仰に、志波彦、志波姫がいたのです。

偽書とは言われますが、興味深い東日本流外三郡誌の日高見国とは、
秋田がルーツとなっており、安日彦が始祖とし、(後の安部氏)古くからあった
ヤマタイ(平和な国)を治めていたと。
高砂族という西方の侵略によって、安日彦がやぶれ国が滅びる。
日高見国のヤマタイ国をめざし、会津を通り、東日流へ身をよせる。
長脛彦の墓が津軽で伝わっている伝承も以前書きましたが、
そこに五角形の城跡があり、名称は邪馬台であった。

また、中世の世界地図に、東日本の部分を「BANDOI」と表記されているのがある。
これは安東水軍の安東の国の意味ではないだろうか?
秋田をルーツとする北東北の安東のANDOUと、
関東地方を治めていた武蔵坂東のBANDOUの統一から連想される国名である。
坂東五王=東国の関東地方と、東北の日高見国は、西の大和朝廷に対する
連合国として、越国を境とし、日高見国としたといえるでしょう。

坂東とは、関東地方の古名で、相模,武蔵,上総,下総,安房,常陸,上野,下野の
関東8ヵ国を坂東八国という。
関八州ともいい、「8」を重視している。

アラハバキ国は10箇所くらいあったといわれる。
多賀や、宮城県大和町に「高倉」という地名がありますが、
日高見国の中心にあったともいわれ、アラハバキ王?が長い間、治めていた宮城は、
王宮城とよんだとか?その王を武波日彦or大根子彦王という。

七つ森がある山名に、すべて鞍(クラ)をつけているが、
神が座す意味があると聞いた。
大倉、高倉、など倉とつく地名は多い。

「高倉下」という人が二ギハヤヒの神宝(剣)を授かる話がありますが、
物部氏の祖とされる石上神社にあると。
これらの話は、東日流外三郡誌の和田家文書によるものですが、
これが偽書とはいえど、興味深いのは、これを書かせた人が物部蔵人という人。
「丑寅日本記」という記事があり、それぞれの王の名前が挙げられている。

安日彦が敗れた高砂族とは、筑紫国日向を征伐した一族で、南方系らしい。
日向族がおさえられた戦いを、熊襲征伐の歴史として伝わっている。
なので、同じように東北の蝦夷征伐というのは、日向族や高砂族などが関係し、
東北へ逃れているから、ヤマトタケル征伐の話になっているのだろう。
安日彦が敗れた原因のひとつに、狩猟の民だったが稲作が伝わり、
その技術を迎えるために、妹を二ギハヤヒに嫁がせた話がある。
その二ギハヤヒが日向族だった説もあるのだが、
ナガスネヒコの伝承と同じように、妹を二ギハヤヒに嫁がせたが、
政権を握ったのは二ギハヤヒになり、ナガスネヒコは裏切られて東北へ逃れる話になっている。

このあたり、降臨したニニギ(二ギハヤヒ)に関係し、定説では日向族はニニギと考えられるので、
すでに大和や大陸に住んでいた先住民と、渡来してきた漂流民の混血をすることで、
一族を増やしたと考える。
それが、アラハバキ族になったか、と。
そんな説もありますが、いずれにしても東北と九州は兄弟のように同じであると言えます。
また、ニニギやニギというのは、漢字にすると「熟」になるが、「和」もニギと読ませているのがある。
それに相反する言葉として、「荒」が使われている。
これが、縄文と弥生が異なることと似ているもので、
文明の大きな違いとなってみえてくる。
次回、そのことについて述べます。

東北と九州の似ている点は、甲信越もそうですが、火山地帯の多さでしょうか。
九州も火山の多い地域です。
火山帯の高山地帯で繰り広げられたゲリラ戦というのは、地形を知っていないと戦えない
わけです。大和朝廷側についた日向族や高砂族が強かったのは、
阿蘇山などの火山の地形をよく知っていたからでしょう。
また、そのような場所に温泉があり鉱石があることもよく知っていた。
だから、東北へきて火山の麓に住むのです。
鬼首がまさにそんな地形をもっている山で、八幡平などもそうですが、大和朝廷の人たちだけで
このような環境で戦うのは難しいと思うのです。


※鬼首の禿岳

卑弥呼は、この頃、西と東に別れていたのを一つに統一するために、
登場させられた女王と考えられる。
しかし、東北地方に卑弥呼の名はなく変わりに、「姫」という名の巫女伝承がとても多い。

興味がある方は、下のサイトを参照してみてください。
大分に実在した国家の話が書かれています。


三部族のイメージ図

※ウエツフミとウガヤフキアエズ王朝の研究
大分に実在した国家
https://ugaya.jimdo.com/2015/02/23/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E3%81%A7%E8%A6%87%E6%A8%A9%E3%82%92%E4%BA%89%E3%81%A3%E3%81%9F%EF%BC%93%E9%83%A8%E6%97%8F-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%97%A5%E5%90%91%E6%97%8F-%E9%9A%BC%E4%BA%BA%E6%97%8F-%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%97%8F%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/

そういえば、今、大分県では活断層のせいなのか、
地割れが起こっていますね・・・。
地下で何がおこっているんだろう。
なんだかこういう時に、大分県の古代史にシンクロするというのは、
何かを伝えたい「振動」が起こっているということですかね。
まさか、高砂族とか九州の豪族がでてくるとは思わなんだー。
大分の振動から共振して、共鳴してしまう現象とは・・・!?
やっぱり繋がっているんだよー。
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さて、ようやくここで紫波姫神社の由来について。
長くなるので続く~。
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ジブラルタル海峡の神話

2017-05-24 | 神話・伝説
不思議?な夢をみたのを思い出しました。
先月の話ですが、仙台でイネハポ探訪をしているRさんからメールが届く夢でした。
「わかっている人だけに教えます」
という言葉から始まっていて、わかっているというのは、
たぶん、ニュアンスとして「いろいろなことに気づいている人」という意味と思います。

音声がリンクされていたので、聞いてみたら、
「ブラジル」を連呼している女性の声でした。
ブラジル・ブラジル・・・・を連呼していて途中から、
「ジブラルタル海峡が危ない」と言っていた。

はっ!と夜中に目が覚めて、
ジブラルタルかいきょ~ぅ??と、さすがに唸った。

人生いきていてジブラルタル海峡を耳にすることなどあるのだろうか?
これは何か覚えておかないといけないな、と思いつつ、
寝る…。

案の定、朝おきると、すっかり夢のことは忘れていました。
1日仕事を終え、帰りの電車の中で突然、夢のことを思い出した。
なんかみた!!
なんだっけ?

ブラジルだったなあ。
ブラジル・・・ブラジル・・・ジル・・・ジル・・・
ジブラルタルかいきょ~ぅ!!
おー。電車の中でニンマリ。

そうか。
ブラジルは関係ないんだ。
ジブラルタルという難しい言葉を思い出せるように、
その言葉に良く似ているブラジルをもってきただけだ。
ブラジルは、ジブラルタル海峡を連想させるための国名なだけで。
そんな優しさだった。ワラ


ジブラルタル海峡

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だいたい、ジブラルタル海峡がどこにあるかわからないけれど、
せっかく出てきた話なので、神話を探してみました。
なかなか面白い。


※google earth(アフリカとヨーロッパの間)

まず、興味をもったのは「ヘラクレスの柱」です。
Wikipediaによると、
ヘラクレスの柱とは、ジブラルタル海峡の入口にある岬につけられた古代の地名。
北のヨーロッパ側の柱は「ジブラルタルの岩」(Rock of Gibraltar)と
広く受け止められているが、南のアフリカ側の柱については諸説あり、
その中で有力な候補とされているのが、セウタのモンテアチョ(Monte Hacho)、
モロッコのヘベルムサ山(Jebel Musa)である。


ヘラクレスは、ギリシア神話に登場する半神半人の英雄ですが、
この場所は、イギリスかスペイン領かどっちの領土かもめているような所です。
アフリカとヨーロッパ(スペイン)との間にあります。

アトランティスぽいですが、柱が2柱ということに関心をもつ。
日本でも2柱をたてる。
プラトンによると、失われた王国アトランティスはヘラクレスの柱の向こうにあったという。
きっと、この柱があっちとこっちの境界なんだな、というのは何となくわかります。


※セビリア市庁舎のカール5世の紋章

「ヘラクレスに課せられた12の功業の1つに、大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ島
エリュテイアに住むゲーリュオーンの飼う紅い牛をエウリュステウス王のところに
連れ帰る仕事(ヘーラクレースの10番目の功業)があった。

エリュテイアへ向かう途中、アトラス山を横断しなければならなかったが、
ヘラクレスは山を登る代わりに、近道しようと考えた。
それで、かつては巨人だった巨大な山をその怪力で砕くことにした。
ヘラクレスは不滅の鎚矛または棍棒(神話によってさまざま)を使って、
山を真っ二つにした。

その結果、大西洋と地中海がジブラルタル海峡で繋がった。
以降、分かれた2つの山をひとまとめにして、ヘラクレスの柱と呼ぶようになった。」



※古代ローマの地図の中世の複製ポイティンガー図に表されたヘラクレスの柱

ヘラクレスの柱は、地球の異なる地域に通じる門あるいはゲートとして、
あちこちで言及されていると。

さて、なぜにジブラルタル海峡が危ないのか?
わかりません。遠い国の話なので、ぼんやり~なのですが、
ちょっとこれは汚染ではないか、とそんなことを思った・・・。

ある朝、NHKのニュースで、電化製品などの廃棄処分について、
正規のルートではなく無料で処分してくれる業者に渡すと、
海外に流出する場合があり、ベトナムなどの国で、その解体工事が非常に危険になっていると。
有毒ガスがそのまま地中に流れるので、その地域では深刻な汚染問題となっている話でした。
なぜか、これをみてジブラルタル海峡を思い出した。

日本でも震災があってから原発の海域汚染が問題となっています。
これは日本だけではなく、世界中の海が汚染されているので、
相当、地上にいると見えないだけで、かなり悪化しているのだと思った。

ジブラルタル海峡が汚染海域であると、そんなことあるのだろうか?
・・・あったんだな。

natureasia.comより
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/10450
「欧州の海洋哺乳類の脂肪中のPCB濃度が有害なレベルに達している」
(2016年1月15日)

「(省略)PCB(ポリ塩化ビフェニル)は、合成化合物の一種で、
電気製品の部品に用いられていたが、1979年に米国で禁止され、
1981年には英国で禁止された。
しかし、地中海に面したヨーロッパ諸国での禁止は段階的に実施され、
1987年になって完全に禁止された。
クジラ類とイルカ類の脂肪中PCB濃度は、PCBがEUで禁止された当初は減少したが、
それ以降、英国のネズミイルカと地中海西部のスジイルカの脂肪中PCB濃度は下げ止まっている。」

「ヨーロッパの4種の海洋哺乳類(ネズミイルカ、スジイルカ、バンドウイルカ、シャチ)の
座礁した個体や生検された個体(合計1,081頭)の脂肪中PCB濃度のメタ解析を行った。
その結果、バンドウイルカ、スジイルカ、シャチの平均PCB濃度が、
海洋哺乳類にとっての毒性閾値を超えていることが判明した。
また、これらの海洋哺乳類にとって、地中海西部と中部、イベリア半島の南西沖、
カディス湾、ジブラルタル海峡が世界的なPCBの「ホットスポット(汚染海域)」
であることも明らかになった。」

ジブラルタル海峡がホットスポット!
むむー。あまりにも遠くの国なので実感がないのですが、
世界中で汚染が広まっているようですな。
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妄想するに、神話に出てくるヘラクレスのカルマだったりして・・・。
数ある神話の中で、こんな話が。
女戦士アマゾネスがおり、戦神アレスとニンフのハルモニアを祖先とする。
北の未開に住む人たちで、他国の男と交わり子を産むが男子は殺すか
体の一部を傷つけて女子のみを育てた。

アマゾネスはギリシャの英雄と戦っている話が多く、
トロイに参加したり、ヘラクレスの12の業のうちの9番に、
アマゾンの女王ヒッポリュテーの腰帯を持ってくることとある。
腰帯をもってくるというのは、日本でも神功皇后の腹帯をもってくる話と似ているねえ。


※ヘーラクレースと戦うアマゾーン。アッティカの黒絵式アンフォラ(大型の壺)より。紀元前530年から520年ごろ。

しかし、ヘラクレスが9番の業を収めるためにアマゾンの国へ行った時、
ふとした行き違い(ざっくりしすぎ)で、争いがおき、ヘラクレスはアマゾネスを打ち破る。

ギリシャの男性にとって、アマゾネスは、馬に乗って戦い、
異邦人であり、女性であるというのは、脅威であったと考えられる。
ギリシャの英雄たちが輝かしい戦闘をする相手はアマゾネスであり、
勝利すれば武勲として語られたそうだ。
ギリシャ神話の女神とは対極に位置するアマゾネスは、男を排除する社会であるが、
女だけの充足した世界をつくっていた。それで十分、世界が成り立っていたということだ。
それに脅威をもった男が、ことごとくアマゾネスを排除したと考えられるという。

日本でも「女護島」というのが、井原西鶴の「好色一代男」で、最後に訪れた土地として
でてくる。女だけの島で、女しか生まれない。
男がこの島へ入ると二度と帰ってこれない。
まあ、アマゾネスと女護島のタイプは違うと思うけど。

そんなヘラクレスのアマゾン退治と水の汚染というところが、
やっぱり女性は水で祓いをしますから、そんなところで世界のどこかで
海の汚染や水の祓いを受けてしまうのは、長くて深い歴史の中で、
女と男がバトルしているカルマとして受け取るしかないのだな、なんてことを妄想する。

何が一番大変かって、その土地に住んでいる人が、それを引き受けるから大変です。
哺乳類動物も大変ですが、人も大変。
-----------------------------------------------------
さて、もうひとつ、興味深い海の怪物話がある。
ヘラクレスの柱のあるあたりを調査した紀元前6世紀の航海者(ヒミルコ)がいる。
その報告書には、

「波と波の間の谷にたくさんの海藻が育ち、それは茂みのように船の航行を遅らせる
(中略)海獣たちがあちこちでのろのろ動いていて、のろのろ進む船団の間を、
巨大な怪物がだらだらと泳いでいる」(Avienus)。
この描写は「泥の海」というよりはサルガッソ海のようである。」


サルガッソの海に、浮遊する海藻があるという。
メキシコ湾流、北大西洋海流、カナリア海流、大西洋赤道海流に囲まれた海域。
藻が原因で、船が座礁する魔の海とされている渦巻きのものだった。

「サルガッソ海の周りで上記4海流が時計回りの大きな渦を作っているため、
浮遊物が集まると考えられる。
「粘りつく海」といわれるのも、この海藻の集合によるものである。
大量の気泡を内包しており、アメリカの沿岸地域に多量に生えているこの海藻が
嵐によって海を漂流し、海流に乗ってサルガッソ海に流れ着く。」




で、この藻がホンダワラ類の海藻なんですね。
ホンダワラというのは、塩釜神社の塩の御釜の儀式で藻を刈るのが、
ホンダワラですが、奥松島の方でとれる藻。
普通の海藻なので、海面上で船にからみつく藻ではないはず。
けれど、なぜかサルガッソ海では、藻が船のオールなどにからみつき動けなくなるという
事象があるそうだ。

しかも、この海に産卵のために戻ってくるのが、ウナギなんですよ。
ヨーロッパウナギというもの。
ウナギの生態は謎です。
----------------------------------------------------

ヘラクレスの柱の領域が、今では見ることのないアトランティスという大陸説がありますが、
地球がどのようにしてできたのか、また、宇宙とはどんなものか、ほとんど
解明されていない地上ですから、失われた大陸があってもおかしくありません。

私たちにも見えなくなっている世界だから、見えないだけで、
探検家なり冒険家なり、人知れず時間軸を超えた瞬間、海上の楽園を見たのだろう。
紀元前の話となれば、何がいても何をみても、おかしくない世界だったのです。

そんなジブラルタル海峡が汚染されている話を知っただけで、
大きな収穫かもしれない。
日本だけではなく世界で起こっていることを、夢でそれを教えてくれることが、
私にとってどう変わるのか想像もつきませんが、
アトランティスらしき楽園の聖地だった海が汚染され、海の動物たちが有毒な体をもって
生きなければならないことを、ギリシャ神話の世界がどうやって未来の話として修復してくれるのか。
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ダウン・トゥ・アース

2017-05-20 | 日記・エッセイ・コラム
ひとりごと。
体のこと。
自立神経失調症や慢性痛に悩んでいる方の参考になれば、と思います。

2カ月くらいずっと首こり、肩コリ、背中の痛み、腰痛、胃もたれ、腹部のハリが続き、
体がガチガチで浅い眠りで、朝起きる時疲れているという状態が続いてました。
自立神経失調症・・・だな。と。
さて、これをどうやって治すかなあ。と思ってました。

高校生の時に、自立神経失調症になったので、
大きなストレスを抱えるとこうなってしまいます。
面倒な「心因性疼痛」というもので、長期間続くと慢性痛といわれるものです。
あっちこっちがおかしくなります。
それが、2、3日前から良くなり、背中の痛み、腰痛が消え、
今は普通に戻り熟睡できるようになりました。
首こりが治ったからです。
自立神経失調症は、首こりにきます。
そこから肩、背中、腰痛と凝りがでてきます。
背中に自立神経(交感神経・副交感神経)が流れているからです。

そういえば、高校の時もいろんな病院に行き、異常ないんですが、
首コリで整形外科に行きレントゲンを撮った記憶がある。

首のコリが治ると痛みが消え、全てが治るという重要な首に、
改めて首から魂が入る理由がわかったような、わからないような…。
でも、治った理由がわからない・・・。
まあ、いっか。

介護の疲れ、お葬式や法要など、いろいろなことに神経を使ったこともあります。
やっかいな身内とか。怒りもあり。
今頃、疲れがどっときたのだな、というのはわかるのですが、
自立神経失調症は、私の場合、突然の痛みがおき、突然治るというのが特徴らしい。

体が緊張しやすい性格もありますが、それを我慢し続けるのはしんどい。
そんな時、友人がタイミングよく教えてくれた話がありました。
帰省した時に、友人も肝臓が悪いという話になり、
目もすごく疲れるという。それで腰痛の痛みとかそんな話になった時、
火と水の五臓の話になりました。
帰省して友人がシンクロしてると、この動画を教えてくれまして。

なんて簡単な方法なんだろうー!
面倒くさがりな私でも簡単!
グランディングとは、瞑想をするものだと思ってましたが。
とっても参考になる話なので、慢性痛で悩んでいる方は、参考にどうぞ。
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ネイティブアメリカンに育てられた方が実証された治療法です。
「靴をぬがないと病気になる」と教えられ、
95%以上の人が大地と繋がっていないのが、炎症の失病だという。
裸足で歩くことが炎症の火を消すことになり、
慢性的な痛みを解消できることがわかったそうだ。





ゴム底をはいた靴では大地と繋がれない。
裸足で歩くと炎症が治まる臨床実験をはじめたところ、赤ちゃんも含め、
痛みからの不快、炎症を治すことが証明され、
およそ20のデータを元にした情報は、専門家でも検証済みという。

科学的根拠もあり、やはりそれが電気なんですね。
物質は顕微鏡でみていくと最終的には何もなくなる。
有から無になることが可能だという意味です。
心臓も脳もすべて電気的な働きをもち、地面はマイナス電荷をおびていると。
イオン化するとプラスとマイナス電荷にわかれる。
体にはマイナス電荷が必要なんだそうです。
痛みは、好中球の白血球に関係し、
その活動で連鎖反応を起こすと。
体は電気的な存在で、電子不足は血液がドロドロになっている。



背中が痛いというのは、背中には自立神経が通っているので、
背中の張りや痛みは、自立神経の乱れと考えられます。
グランディングに、鎮痛作用があるというのはとても有難い話なのです。

ダウン・トゥ・アース


電気というところで、私も思うことがありました。
7、8年位前も、同じように背中がパンパンになり体がコリコリになりました。
その時もストレスがあり耳鳴りがひどかった。
帰り道、突然腰に違和感を感じ、腰が痛くなり背中がコリコリに。
で、いつも検査しても骨に異常がない。



高校の時の自立神経失調症はひどいもので、慢性疲労症候群のように
ものすごい疲れがありました。冷や汗もでるし。パニック発作も少しあったなあ。
が、2度目の時は慢性疲労はないのですが、その時、
健康診断の尿検査で数値がプラスだったから、(前からいつもそうなんだけど)
念のため、腎臓の精密検査を受けた時がありました。
いつも異常なしですが、その際、エコーで検査しまして、
腰にジェル状のものをぬってエコー検査する時、腰に一瞬違和感がありまして。
なんと、それから腰痛が治ってしまいました。
そのことを友人に話たら、嘘だ~と信じてくれなかったのですが。

エコーという反射波?というのは、電波ですね。
電気ですから、
この電気が何か神経(脳?)にまた作用されて、良くなったということですか?
わからんけど。
たぶん、そういう現象も、マイナスとプラスと電気がどうのこうの、と。
まあ、痛みが治まったのはよかった。
しかも、以前から毎回尿検査でも数値が+になるのに、ここずっと標準値に戻っている。
体は摩訶不思議。

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その動画をみて、今回も同じように首コリと背中痛と腰にきたので、
試しに、自然のある所で、人がいないところでね、裸足になって歩いてました。
砂浜が一番、気持がいい。
裸足で歩くなんて新鮮ですよね~。

ちなみに、痛みというのは、激しい痛みではなく違和感な痛みであり、
凝りは以前より異常に凝っている状態です。

ですから、何が要因で首コリが治ったかは、わかりません。
裸足で歩いてみたといっても、4,5回くらいです。
けれど痛みが治まったことは確かです。

高校生の時は、何も薬も治療もありませんでした。
原因が貧血症だったからですが、血液に異常がなく。
血液(赤血球・白血球)は、たらふくあると言われた。

そのまま帰されたことが良かった。
3か月間は死ぬかと思ったけど。
完治するのに、2年はかかりました。
原因が自覚していないストレスとなると、治りにくいものです。
あの時、不眠症ではなかったのですが、呼吸が苦しい状況や
まあ、自立神経失調症と検索すると出てくる症状すべてにあてはまるものでした。
ものすごいだるさで通学していたのですが、
ある時、学校の授業で武甲山に登り、ほぼ回復したという経験をしたので、
やっぱり病気ではないのだな、と思ったものです。
これは行動療法になりますが、
人は、経験の積み重ねで健康になっていく。というのが実感です。
うつ病の中でも新型うつとか、なんだとか、
未経験な自分がいると。そう思う方が楽です。
まだまだ知らない自分がいると。
実際、そうなんです。

体はある程度、刺激を与えた方がよい。
脳が覚醒しますから。

私が山へいく理由のひとつには、体調があまりよくない時、
登山をすると治るからです。
それは、あの大変な経験をしたからです。

登山の有酸素運動は効果大です。
呼吸法はよくいわれますが、家で呼吸法をするのは難しい。
ですが、山へ登ると自然と呼吸が有酸素になります。
長くて深い呼吸になるわけです。
ジョギングは浅い呼吸になるので有酸素にはならない。
脳が酸素にいきわたるには、長い呼吸を続けることが必須です。

自立神経のバランスを失っている時、呼吸がうまくできていません。
吸って吐く時の、吐くことがほぼできてない。
とても浅い呼吸なのですが、それは、お腹がはっているからです。
背中がはるとお腹もはる。
肺がうまく機能できていない状態でもある。
腹式呼吸すらできない状態。
呼吸ができないから血流が滞る。

うつ病になる前には、必ず体にきますが、
自立神経失調症が仮面うつだという人がいますが、それは違うと思います。
大体が、体に対するストレスの負荷がかかる場合におきます。
私の場合は貧血だったのですが、長時間の過労もあります。
うつ病になるのは、不眠症が長期間続くとなりやすいのですが、不安症が強い。
痛みの不安からうつ病になることはあるが。
でも、大体が、そのストレスが解消されれば治るものです。
ほっとけばいつか治るのが、自立~の特徴です。

原因不明の腰痛は、9割といわれています。
内臓疾患での腰痛は、1割程度だそうで、ほとんどが原因不明という。
それが脳にあると思っています。
前は、胃痛はストレスといわれていましたが、今は腰痛だそうです。
また、原因不明の痛みの場合、大体、精神的な病名でかたづけられます。
病名があった方が原因がわかったという安堵感があり、
患者にとっては悩まなくてすむ。
が、それが慢性化する要因になってます。
病気とはいえないから、病名をいわれても治らない。

不快な痛みは、気にすれば気にするほど痛みが増していきます。
何かに夢中になっていたり集中している時は、痛みが消えている。
消えているのではなく、実際、痛みがないからです。
それを痛いと言っているのが脳だからです。

そのような状態を持続できれば、脳が「痛い」から「痛くない」に変わる。
それがやっかいな心気症であったり心因性のものだったり、これまたやっかいな性格です。
大体、薬で痛みを止めますが、慢性化したら痛みは治りにくくなる。
癖になるとずっとその痛みとつきあっていかなければならない。
痛みがなぜ起こるのか、を知らないと、どうにもならないわけです。

だから、昔は精神的な痛みをノイローゼといった。(高校の時、内科で言われた)
自分で自分に暗示をかけて悪くしているようなものだ。
と医師はいいたいのだろう。
いかに、自分の体を知るか、というのは大事です。
それが健康でいられる秘訣です。
病院に行けば治るものでもない。
他人がやっていることが同じように効果があるわけではない。
何でも体質で片づけるものでもない。
長年の経験で治すしか方法がないんです。

あの時、心療内科へうつされ、
薬をもらい抗うつ薬のような痛みどめとか睡眠薬とか飲んでいたら、
同じ症状になった時、またその薬を欲するようになっていただろうと。

裸足で歩く方法がすべての人に効果があるとは言えないかもしれない。
なぜなら、治ると信じている人にしか効果がないからです。
すべてにおいてそうですね。
宗教がなくならないのは、信じているから、救われるということで。
それはそれで良いと思います。
プラシーボを大いに利用すべき。
痛みを消したいなら、裸足で歩け!ということを知ってしまった私は、
そうすることで自分を治験する。
それが私なりの治療法なんだということを、改めて実感してしまい、
逆に、そういう経験をしないと学べないというのも、どうなのかなあ、と思う。

高校生の時の、ひどい自立神経失調症を、だれにも相談できずにいた。
それは医師が「病気じゃない」と言うから、そう思っていた。
私がおかしいのだと。なので、治療もせず、自力で治した。
それにも意味があった。


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ひとつ、気になったこと。
うつ病の方にも同じようなことがあると思うのですが、
人間は霊的な存在であることを改めて思うことがある。
高校時の自立神経失調症になる前に、子供の頃から自分が自分でなくなるような、
別の人が自分の中に入っているような、自分に対する違和感をよく感じてました。
自分でないような感覚・・・というのは、以前、うつ病の方のピアカウンセリングを
していて体験談を聞いていて思ったことです。

自分が別のところにいるような違和感。
自分が生きている実感がない。などの意見が多かった。
それは、私が子供の頃に感じていたことと同じか、と。
それが続いていた時に、自立神経を崩しました。
今はそのような違和感はありません。

シュタイナー理論で説明できそうなのですが、難しいなあ。
人間の層(エーテル体、アストラル体)というものが存在し、
その時の記憶に問題があると。
過去世ということにも繋がる。

その時の記憶が、どこかで自分を見失おうとして遠くに行ってしまう。
自分が遠くにいこうとしているという説明が正しいかわからないが、
私にはそう感じる部分がある。

自分のことを知ろうとしていないという事で。
たぶん、いろいろなことを知っているような感じですが、
本当の自分を知らないと私はそう思っています。
だから、こういう経験をするしかないのだな、と。
私という人が何かというよりは、人間とはなんぞや、という大きなことです。
体がそれを教えてくれているようなのです。

自分が自分でないような違和感というのは、自分の中にまだ完全に入りきらない
存在(霊的なモノ)があるのか?と。
首から魂が入るといったのは、ずっと前に、そんな夢をみたもので。
少年の首に光が入った夢でした。
魂を放すつもりで森へ返したのに、元にもどってきた一つの魂がありました。
そういう男性の声が聞こえた夢でした。
その声の主が、修験者であることは、何となくわかりました。
その夢をみた日、修験の山の本を読んでいたからで・・・。
私はそれを遠くでみていたという夢なのですが。

いかに、人は、魂の中で生きているか。
また、いかに体はそれをよく知っているか。
体の痛みのサインは、魂が本来の自分を呼び戻そうとしている火=魂である。
炎症の痛みが火であることは、魂が痛みに気づくことがあるのだと。
でも、魂には痛みがない。
ということは、その痛みは、時間軸をこえて閉じこもったままの
孤独な自分を置き去りにしており、痛みを感じることで、自分が
今ここで生きている実感を、取り戻そうとしている合図だと。
また火災が多いのは、地球がどこかで痛みをもっていると言える。
だから、大地へ繋がれ、と。
そのメッセージにとても深い愛を感じました。
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万物の原始は水であるby武甲山

2017-05-19 | 秩父の祭りと信仰
「すべては水である。水こそ万物の始原(アルケーarchē)である」
と言ったのは、タレスという哲学者。
水から空気、火、あらゆる万物を生み出したギリシャ神話がうまれる。

秩父今宮神社(八大龍王宮)宮司さんから情報を頂きましたので、
共有します。
いつも読んで頂き、感謝しております。
地元の人に読んでもらうのが一番、うれしいことです。
宮城県民ですが、秩父は故郷なのでこれからも武甲山を見守っていきます。
みんな葛藤はあります。
今は、企業が神ですから。

秩父御田植祭り--------------------------------------------

当社では(おそらく秩父神社でも同じく)次のような解釈のもとで、
長年にわたり神事を営んできております。
すなわち、「水分祭」は、秩父神社が、今宮神社の龍神のもとに「水乞い」に参られ、
今宮神社が武甲山の伏流水(龍神の分霊)を秩父神社にお分かちし、
秩父神社がそれを持ち帰られて境内にて御田植神事を執り行い、
氏子たちはこの水をそれぞれの御田に頒かち持ち帰って一年の農耕生活を営む。

やがて、秋の収穫を終え、農耕生活を終えるにあたり、秩父神社の例大祭(秩父夜祭)にて、
この水をもういちど武甲山にお返しする。御神幸行列の先頭にて、
水の霊を依さした藁の龍神を大榊樽に巻き付けて御旅所までお運びし、
お水を武甲山にお返しする。これが御旅所での神事の原点であると。

このような解釈は、4月4日の「水分神事」で水乞いに参られた秩父神社が、
今宮神社のご神前にて奏上する水乞祝詞の中にも見受けられます。
        記
  掛けまくも畏き今宮の神社の大前に
  謹み敬ひ畏み畏みも白さく・・・(中略)
  此の御垣内の御池に湧き出づる
  清き水の甘き水沢々に戴き持ちて
  夫々に御田に頒ち
  奥津御年の八束穂の稔の秋を迎ふべく
  御田を耕し早苗を植え草取り
  歌声も面白く田人等が向股に泥掻き寄せ
  或はまた泥掻き慣らし
  仕草も面白楽しく仕へ奉る
  其の元つ水は御池の水にこそ在れ・・・

つまり、龍神の恵み(=武甲山の伏流水)は、
今宮神社が秩父神社にお返しするものではなく、
春に今宮神社が秩父神社に「お分かち」し(水分祭)、
秋に秩父神社が武甲山に「お返し」し、その龍神が春になると、
武甲山の伏流水を伝わって里(今宮神社)に下りてくる、と考えられているわけです。


------------------------------------------------------
秩父御田植祭りの水の循環は、水分神社などとして秩父だけでなく全国にもありますが、
秩父の御田植祭りについて詳しく知りませんでした。
調べると、なぜ武甲山に蔵王権現なのかも水に関係していました。
水分は水配で、金剛山、葛城山の灌漑用水を司る神(水分神)になると。
天水分神、国水分神とした。
それがたぶん、今宮神社を祀るイザナギ・イザナミとしているのかもしれない。
水の要素が強い神という点で。



残念ながら、皮肉なことに、武甲山にお返しする水を飲んでいるのは、
三菱やセメント会社、西武鉄道などで、地元には水は返ってきません。
横瀬は民家の家の井戸が枯渇しています。我家も減ってます。
龍も空に帰っています。
なので、今は龍は降りてきてません。(それだけはわかる)
要するに、水が枯渇すると蒸発しないから雲も雨も降らない。

変な話だけど、その龍を戻すために?
山頂に変なピラミッド型のものを作っている感じを受ける。

横瀬の宇根・根古屋地区は、秩父神社が氏神でなく三峰神社もそうで、
武甲山を祖霊とした修験系が原点にあります。
神を信仰するというよりは、山信仰です。
蔵王権現~熊野~御嶽~天狗信仰と流れています。
今は、猿田彦神を祀る天狗信仰となり、牛頭天王の天王様のお祀りが重要です。
それは、南(鹿島の方)に武甲山があるため、海からもたらされる人や動物、鳥などの伝染病を
防ぐ役目が武甲山にあるからです。
昔、横瀬は忍藩にあったのですが、忍を「おし」とよんだのは、
忍壁皇子とか、大阪の由来にもなっている忍坂だったりしてね。
そうすると、賀茂家だから武甲山に蔵王権現をもってきたのも忍に繋がる。(たぶん)
福島だと信夫(忍)だね~。

秩父は内陸にあたるので比較的、伝染病にかかることはなかったようだ。
そのため、秩父札所が有名になった話がある。
札所があるから御加護を得られると。
全国から参拝が増えたのは江戸時代頃からです。
全国で伝染病や土一揆などの天変地異や政治的な変化が起こると、
秩父から検非違使を全国に派遣していました。
その度、秩父神社が昇格している経緯がある。
武甲山が昔、嶽山とよばれたのは、豊な実りがある山のことを言っていた。

それを名神祭(みょうじんさい)という。
国家的事変がおこり、その発生が予想される際に、
解決を祈願するための臨時の国家祭祀のことだが、
武蔵では名神にあげられているのは、氷川神社と金佐奈神社のみ。
今宮神社もこの名神の役目として含まれると考えられます。

今宮神社取調書によると、701年~704年(伊豆に左遷された時期?)に、
役小角が隅々までこの地に立ち寄った際、
深山幽谷の悪獣毒蛇が出て来て作物や人畜を害し、
人々が困り果てている状態を知ったので、八大龍王を祀り、信心堅固に
悪獣毒蛇の降伏を祈り村人たちを救ったことから、この地に八大龍王を祀る。
明治の神仏分離で修験道廃止、八大龍王の奉祭は禁じられたが、
龗神(おかみのかみ)と呼称を改めて信仰している。


秩父今宮神社ご朱印神社メモ
https://jinjamemo.com/archives/36592992.html

熊野は山から生み出される水が滝となり、その山水を海へ流し、
プランクトンが成長し魚がそれを食べ、人が魚を食べる。
その食べたものを土に返す。雨が降り蒸発した水は雲をつくり、
山に水がもたらされる。そして山から水が降りてくる滝ができる。
その滝が海へ流れ~という循環を信仰としています。
この気や流れを龍と見立てていました。

全てのサイクルに「分け与える命」があります。
全ては命に関わること。
世の中がバランス悪くなり、病気が蔓延しているのは、
秩父に限らず全国の神事に矛盾がありすぎるからです。


役行者の怒りから生まれた蔵王権現。(正義の為の怒りはもってよし)
http://wakuwaku-nara.com/kankou/zaoudouhibutu/(わくわく奈良情報館より)

「蔵王権現のご開帳:
次回 第11期特別御開帳は、平成30年春を予定しております。(日程は未定)
ご参拝をお待ちしております。」

だそうです。
いくっ!忘れそうだが…。
-----------------------------------------------------------

https://www.tunami-shelter.jp/
勝手にエネルギー論/自然エネルギーと水循環の考察/より



「世は「電力不足」のあとは「水不足」に喘いでいます。
水は人にとって「命」です。
水がなくなれば「死」に至ります。
世界の四元素説として「物質は、火、水、土、空気の四元素からなる」という。

「地球上には多くの水が存在しており、生物の生育や熱の循環に重要な役割を持っている。
その97%が海水として存在し、淡水は残り3%にすぎない。
そのほとんどが氷河や氷山として存在している。
このなかで、淡水湖・河川水・地下水浅が、人間が直接に利用可能な水で、
総量の1%未満である。飲料水として利用できるものはさらに少ない。」

「地球における継続的な水の循環は水循環と呼ばれている。
太陽エネルギーを主因として、固相・液相・気相間で相互に状態を変化させながら、
蒸発・降水・地表流・土壌への浸透などを経て、地球上を絶えず循環している。
また、この循環の過程で地球表面の熱の移動や浸食・運搬・堆積などの地形を形成する
作用が行われる。」

「自然は太古から「循環」してきた。
地球上では「水循環」が人類発生以前から行われてきたのであって、
人類はその流れの水から「おこぼれ」を頂戴して生きてきただけである。」

「電力不足」など笑い事で済ませることができますが、「水不足」
は社会基盤を根底から消失させます。
「水危機」は何か日本と日本人に対する「天罰」のような「予感」がします。
3.11被災地を見捨て「政争」に忙しい世の様は、「最後の審判」を受ける
「堕落した人間界」のようです。 」

「水」の重要性を再確認しなくてはならない。
日常の蛇口を捻れば出てくる「水」の「ありがたみ」を今こそ感謝し、
更に「水力」は人類に「エネルギー」をもたらしてくれる。」

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そう考えると、三菱の三つ柏の家紋と、宮城県北部を領主としていた葛西氏が重なる。
何度も言いますが、誰が悪いか、ではなくて、
歴史は何度も繰り返す」と言いたいのです。


三菱のマークについて。
https://www.mitsubishi.com/j/group/mark.html


※葛西氏の家紋

三菱マークの由来は、秩父にいた北条氏も同じルーツをもつようですが、
一番、震災で被害が大きかった陸奥国牡鹿郡石巻(登米)、三陸岩手南部を領主とし、
巨大卍の旗を掲げて戦っていた葛西氏も、三つ柏の家紋をもつ。
平泉や舞草刀、骨寺村がある一関博物館では葛西氏の展示テーマをよくやっている。
「中世の支配者葛西氏」と。
その葛西氏は秩父平家の出。
平氏良文流秩父氏一門豊島氏支流。
豊島氏は、東京豊島区がそう。

本家より別れた一族で血族集団といわれる。
だから濃い。秩父は血がとても濃ゆいのだ。
かつて秩父事件があったように。
この地域の頑固さが良いんだけど、悪い方に働くと天変地異も起すくらい激しい土地なんです。
だから、私はこのマークをみると破壊の象徴なんだ、と思ってしまう。
たぶん、妙見が破壊神だというのは、エミシ征伐でもそうですが、
そういう激しい民族を鎮めるために、武甲山を信仰した感じも受けます。

しずまれ、しずまれ。
と言うのは、世の中の不都合なことに対する怒りを鎮めるものだと思いますが、
その怒りの発端を、人に向けられるものではなく、目に見えない頑固なモノです。
自分自身だったりするものです。

平家というのは濃い血の集団が起す要因に、妙見信仰があると思っていたこともあるでしょう。
ただ、そこに薬師如来を祀るというのは、やっぱり病気を起す原因に、
人々の怒りや反乱があることはわかるような気がします。
で、それがサンカみたいだな、と。
島国根性とかいいますね。
サンカも征伐されてきたような。
秩父は海ではないが、あんな奥深い山でよく生きてきたな、と思うのです。
一切、秩父の外から出ないで。
その根性は、部外者をよせつけない雰囲気をかもしだしている。

サンカの人々も島から一切出ることはせず、その世界で自立できることを
知っていたので、船で島へやってくる人を歓迎しすぎると別れる時が寂しい。
島の人たちのクールさは、生き抜くための精神力であって、
感情を表に出さないような人たちだったと思います。
秩父が平家落里とよばれ朝廷から逃れてきた人が多く、
持山寺の長七郎など、秩父にいたサンカの人たちを
信頼していたから情報を集めることができたのだろうと思います。

そのくらい山が深いので、人が入ってくることがないから、
観光してくる人などあり得ないわけです。昔は。
何かあって逃れてきたんだろうけど、そのことについてはお互いに触れない。
一族で固まって住むから、地方はみなそうですけど、
その寡黙さは、今でも健在…。
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震災の津波で大量の水を受けた場所があるのに対し、
30年以上も掘り続けて水が枯渇した武甲山の伏流水が枯れているというのも、
ある意味、水の循環ともいえる。
ある地では異常な水を得、ある地では完全に枯れているという極端なアンバランスは
全国で起こっていること。
だから、歴史は何度も繰り返し、それがカルマとなっている。

ちなみに、秩父氏は平将恒を祖とし、平将門の「女系子孫」であると!
だから平将門は女ぽいんす~。
優しかったんす~。
全然怖い人ではなかったんす~。

つまり秩父氏は、母方の血統に根拠を求めるので、女系優先の母系制だった。
まさにイネハポ。これもある意味、コワ。笑。
ですから、日本の女は強すぎる。いや、世界中がそうだね。
その強さを封印してしまった男社会だから破壊されるんですね。
でも~、男は大変です。(サラリーマンが一番えらいんだな…)
「次生まれ変わる時も同じ国で生まれますか?」というアンケートに、
日本人は、83%が「YES」と答えた。へ~、
もう生まれ変わる気がないですけど。

水の象徴が、女性であることは言うまでもなく。
でも考えてみると、女性優先ではないが、どこかで母系制が残っている
日本のような国は、なかなかないと思っています。
政治家がいろいろもめてますが、日本は恵まれすぎていると思います。
水の枯渇も、女性に問題があると思っています。
家族のことを置き去りにして、自分ばかりみている人が多すぎるわけで。
神社参拝もそうで。

まあ、そんなことを言いつつも、私も昔はそうだったから。
私はなんとか介護を通じていろんな事を経験し、
主人の両親を看取ったことで、家族が何であるかよくわかりました。
それだけのことをしないと、こんな内容のことは書かせてもらえませんし、
東北探訪だってさせてもらえません。
それだけの苦労を、どこかでしないとな。
それだけの重荷を背負うことをしないとな、と思っていました。

義理の両親が亡くなった後、ご飯を盛る夢をみてました。
2回も。先祖供養をしている夢らしんです。
数十人のたくさんの人がいて、あの人たちは、あの世へ行く人たちなのかなあ・・・。
義理の父が亡くなった後にも見た夢で、おばちゃんの先輩がいて、
まだ私はおにぎりの握り方が甘いと指摘された。ワラ
俵型のおにぎりなんです。「たわわに実る」という意味らしいです。
もがりの風習もいろいろ。

結婚は、過去に互いに敵だった者がくっつくものです。
だから夫婦ケンカが絶えないとか言うのは、当然です。
そうやって育むことが、先祖供養になることは昔から言われてきました。

葛西氏は、地元の豪族たちと婚姻を結ばせて金採掘を行っていたようです。
葛西氏は謎でして、実態がよくわかりません。
なんというか、他の氏族は過去にここに住んでいたんだな、という人の気配を感じます。
例えるならば、新築物件と中古物件を見る時に、新築は人が住んでいないから無機質な感じ。
葛西氏の気配がそんな感じで無機質に感じるから、知りたくてもよくわからない。

ま、いつかご対面することはある?と思いますが、
秩父平家がどれだけ陸奥に関係していたのか、改めて思います。
でもその結束は何だったかは謎。
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小野小町の墓

2017-05-17 | 神話・伝説
新緑の青葉が光る仙台の街なみ。
今が一番きれいな時期ですね~。
山々も新芽の緑鮮やかなコントラストを魅せています。

ところで、すっかり忘れてました。
一番大事な小野小町の墓!!
行ってきたんすよー。
GW最終日に。
帰省ラッシュで道が混んでいると思ったのですが、
GW中にいかないといつ行くの?となるから、ただ墓参りだけしてきました。

行ってみると、のどかな場所で素敵な所でした~。
でもお墓というよりは石碑が立っているだけのような所です。





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小野小町の墓

「小野小町は平安時代の女流歌人で日本女性の代表的美人として有名である。
伝説によれば、「都での華やかな生活も寄る年波には勝てず、
晩年故郷の秋田に帰る途中、ここ新田夜烏の里に差しかかったころ、
にわかに病に倒れてしまった。
草庵を結んで氷室の薬師に百日参りして病気平癒の祈願をかけ、
明日が満願成就という日に根尽き果てて、路傍に倒れそのまま没してしまった。
それを見た村人たちは寂しい最後をとげた小町をあわれんで
手厚く葬り、墓碑を建立してその菩提を弔った。」



小野小町の生涯については謎が多く、出生の地や死亡した場所などについては、
正確には把握されていない。
この墓も真偽のほどは今のところさだかではないが、往時の風流人が小町の墓を建て、
多くの人が墓参し、歌を詠む習慣が近年まであったとも伝えられている。
ある意味で、当時の古川地方の文芸的側面を物語る遺産とも考えられ、
文化史的にも大変貴重なものである。」




夢にみた通りで、実際、このあたりで亡くなった方がいたのだと感じました。
川のある場所ですし。





このあたり、奥州藤原氏と金の関係もありますね。
歌人といえば、藤原家で有名な人がいますが、歌の上手な貴族の男性だったかもしれないしね。





左遷されてきた人・・・というイメージもしますが、
小野小町が全国に伝承を残しているのは、旅をしていた尼さんのような
そういう女性だったところに、共感します。





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この後、近くに荒雄川神社(池月)があるので行ってみようと思っていたのが、
珍しい失態をしたというか、こんなミスあるの?というミスをしました。

まあ、違う山を登っていたこともあるので、
やってもうた。というか。
池月じゃない違う神社へ向かってしまった。ワラ

荒雄川神社が3つあるとは知らなんだ・・・。
奥宮は鬼首、里宮は池月と思ってました。
が、その間、鳴子西にも荒雄川神社がありました。
マップで検索する時、いつも池月の荒雄川神社で検索していたのに、
その時は、荒雄川神社で検索していたら、鳴子西の住所がでてきて、
何も疑いもなくそのまま鳴子まで行ってしまった・・・。
30分くら走り、その場所までやってきても鳥居とか神社らしい姿がない。



近くで車をとめてマップ通りに歩いてみると、
中学校の前にある神社で、それらしい社務所があった。
それで気づいた。
ここは池月じゃないっ!!
気づくのおそっ。



なんか普通のお宅みたいだし。
もう疲れて池月の荒雄川神社に参拝する気分なくなってしまった。

まあ、良い風景がみれたし、きっとこれも女僧侶の旅人が
ここまで歩いてきたんだよ~という風景を見せたかったのでしょう。

結局、不完全燃焼のまま、渋滞の中、帰ってきました。
「あら伊達の道の駅」付近が混むんだよね~。。。

荒雄川神社は、日を改めて行くことにしまして、
小野小町探訪はひとまず終了。
長いミッションでした~。
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月の小野小町:五十鈴神社

2017-05-14 | 神話・伝説
昨日の夕方は不思議ではなかったですか?
いつも6時半頃になると外は暗くなってきて、
部屋のカーテンを閉めると部屋が暗くなるのですが、(当たり前ですけど)
昨日はまだ外が4時くらいの明るさで、カーテンを閉めても、
まだ薄明るいなんてことはありませんでした。しかも雨だし。
日の入りは、6時半頃ですが、普通ではないなあと。

※関東で不気味な紫色の夕焼け

https://news.goo.ne.jp/article/weathernews/trend/weathernews-http_weathernews.jp_s_topics_201705_130095_.html

空がおかしいね、と主人と話ていると、主人が情報を見つけてくれました。
どうもこの日、関東地方では、空が一面紫色になっていたそうです。

気象現象ではよくあるという専門家の話ですが、思い出すのは、
「紫色にたなびく空~」という伝説です。
紫色の雲や空というのは、神々しいことを伝えているのですが、
けっこうよく言われる話です。
陰陽五行説では、黒は水で陰。赤は火で陽。
赤と黒を混ぜると紫?
融合の意味で火と水=カミであるから、よく紫色の雲や空という時に、
神をみるとか権現が現れるとか、山にそのような紫色の雲がみえたので、
修験者たちが権現を祀るといった話はけっこうあります。

古代の天変地異には、紫色の空という描写は大体あるのですが、
良いことの兆しと考えるのがよいか、と。
悪い気を整えた。という意味でしょう。

しかも、昨日は5月13日。
ファティマ聖母の予言だったんですよね。
ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している
聖母の出現の一つで、5月13日でした。
ちょうど昨日が、ファティマ第3の予言とかいろんな噂で、
第三次世界大戦が勃発といってますが、紫色の空が関東でみえたという事は、
古来から言い伝わる陰陽のバランスを整えた意味で、一番波動の高い紫を
この日に行われたのですよ、と考えるものであり、別に何か戦争が起こるということではない。
まさに、関東の空がそれに答えているわけです。

北朝鮮は気になりますけど。
ああ、それにあわせてサイバー攻撃がありましたけどね。
とりあえず皆が騒ぐから、何かしておいた方がいいかな、という程度で済むものであれば。

ということで、昨日の紫色の空から、伝説は単なる伝説ではなく、
事実として証明できる部分はあるのだな、と実感してます。
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さて、このノリでいきたいところですが、そろそろつきてきました。
・・・ですよね~。五十鈴神社で行き止まり~。

五十鈴神社が東松島に4社ありまして、そのうちの2社行ってきました。
たぶん、海側に五十鈴神をおくというのは、鈴の巫女という意味で。
私は五十鈴は言霊で考えています。

鈴は口のこと。
神社の鈴は、言霊では「口」の形になる。
※「朽ちる」とは、口が老いる=死という意味にもなる。
人間が口を開けた形。
口を開ければ言葉が出る。
一音、一音の単位が言霊。
なので、神社に鈴がつけられている。
参拝者にとって正面の本殿に座す存在とは、綱を振って鳴らす鈴の音、
それに表徴される言霊。


伊勢神宮は昔、拆釧(さくくし)五十鈴宮とよばれていたそうです。
釧(くしろ)とは、古代の腕に巻く飾りのことで、その周りに小さい数個の鈴がついている
もので、五十鈴にかかる枕言葉となった。
五十鈴とは、五十音のことで、アイウエオの言霊のこと。
※五重塔もアイウエオの言霊のこと。
参拝の二拝、二拍手、一拝も20音、20音、10音で50音を表す。

※島田先生の「コトタマ学入門」より参照。

なので、秋田唐松神社に大量の鈴が奉納されているのは、
物部氏の祈祷のやり方は、鈴にあったということでしょう。
天河弁財天にも通じるものです。

小野小町と五十鈴神社が関係すると断定できませんが、五十鈴神社がある場所に、
小松や小野という地名があるのは偶然ではないと思います。

それで、小野小町という女性は、鳥の伝染病という疫病祓いに
関係するものということはわかりました。
小野小町が疱瘡神にされているのは、アイヌの人たちでも行われた祭事である
鳥を祓うもの=伝染病を撲滅する力=小野小町。
その追い払う力が水という薬水で、それを祓戸神といい、瀬織津姫でもあったんですね。

ということで、これは、神功皇后や卑弥呼でも顔にイボができたので、
清水(井戸)で洗うと治ったという話があります。
美人というのは、そのようなイボからきれいになった意味も含まれていると思います。
今は、子供の頃、はしかや水ぼうそうなどをやりましたね。
それが免疫になり成人してからは、疱瘡にかかることはない。
昔は、高熱を出して亡くなる子供がたくさんいました。

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さて、古墳の上にたつ五十鈴神社がありました。
小脇浦古墳ともいい、いろんな種類の埴輪が見つかったそうです。
5~6世紀頃で、5基の古墳がこのあたりにあって、甲冑と太刀も出土されたと。
色麻町の伊達神社(フツヌシを祀る)も、古墳の上にたってます。





気仙沼の五十鈴神社は、天照神と大海津見神とスサナル神であった。
元は龍神といわれ、ここに「丸森」という地名がありました。
元々、丸森というところに五十鈴神社があったのですが、現在の地に移したそうです。
この境内には猪狩神社があり、気仙沼湾に海苔と製塩を伝えた猪狩新兵衛を祀るそうです。



東松島に、小野城があり、時代は安土桃山時代。
城主は、長江紀伊守盛景子長江勝景、次男、三男の三分一所城主という三兄弟の城。
長江氏は、鎌倉権五郎影政(桓武平氏良文流)の祖。
桃生郡深谷荘という所領にいたという。
深谷は埼玉県にもあり、深谷にある「血洗島」という地名があります。
ずっと前に大宮の埼玉歴史民族博物館だったか、行った時に血洗島の獅子舞をみたのを
覚えています。
その地名由来に、気仙沼の「ケセン」が同じ語だった説があったのです。
「「血洗」(けっせん)は当て字で、アイヌ語の「ケシ、ケセン、ケッセン」
(岸、末端、しものはずれ、尻などの意)など、
東北・北海道に気仙(ケセン)沼・厚岸(あつケシ)などと共通する同意語ではないか。」

(Wikipedia)

なので、こういう所で必ず武蔵と繋がるのですから、小野は武蔵(秩父国造の祖)を
敬う人たちであり、またアイヌとも繋がると思います・・・?
アイヌ人だったかわかりませんが、アイヌ人と共生していた一族だったような気がします。
小野小町が秋田で生まれたという話も、アイヌ人であったのでは?と思ってしまう。





古墳にたつ五十鈴神社は小松という地名です。
その近くに、「月観の松」がありました。
クロマツの巨樹で県天然記念物。
樹齢千年といわれ、源義経を案内した金売吉次が住んだ館跡の近くという。
吉次が月を観ながら酒を飲んだそうです。



ここには小さな祠で「月夜見神社」を祀っていました。
とっても大きく立派な松です!!





金売吉次は、宮城県栗原にある金成にお墓が伝わっています。
以前いった事があるのですが、あこや姫伝承と似ている話でした。
山形県のあこや姫伝承でも、砂金取りの金売吉次の話があり、
そこでかいがいしく働いていたのが、あこや姫だったという話。



金売吉次は炭焼藤太伝承で、墓が伝わる金成は、畑地区だった。
このあたり、熊野神社も多く、畑(ハタ)からおそらく秦氏が住んでいた所と思います。
金売吉次は京都宇佐八幡宮に関係し、首途八幡にいたといわれる。
首途は「かどで」とよみ、出発の意味で奥州藤原の重要な起点とされた。
ここから義経を伴って金売吉次が陸奥へ出発した意味がある。



そして必ず清水で清めるようになっている。
砂金の清めかクリスチャンの清めか。


※矢印のある森が、五十鈴神社。

また、京都にも小野小町終焉地があり、
京丹後市大宮町の五十河(いかが)という所で、小野家の所領だった。
五十鈴川は、伊勢の第一級の川で天河弁財天に繋がる。
伝承では、天河弁財天は、天武天皇と役行者が関わったといい、
伊勢神宮内宮に祀られる女神(荒祭宮、瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀ったとある。

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もうひとつ、月浜にある五十鈴神社は、宮戸という地区にあたる。
ここに鳥を追い払う「鳥追い行事」があった。



鳥追い(とりおい)とは、小正月(1月14日 - 15日)に行われる年中行事のひとつで、
主に東日本の農村において行われる行事で、田畑を鳥の被害から守ることを祈念して行われる。
この行事は、主に子どもが主役となって行われ、
地域によってやり方は異なるが、木や藁・正月に使われた注連縄などで小屋をつくり、
その小屋を小正月の夜に燃やすものや、
子どもたちが鳥追いの歌を歌いながら村の中を回ったり、村境まで行くものなどがある。



月浜の五十鈴神社には、「えんずのわり」という鳥追い行事をやっています。
200年前くらいから続いているそうです。
行事をするのは、この地域の小2から中2までの男の子たちで、
五十鈴神社 にある 岩谷(いわや)で、
1週間ほど寝食を共にしながら、1月14日の夜に、一番大事な行事の 『鳥追い』を行う。
これをすると、大漁祈願、健康を願うことができるという。



詳細は、こちらのサイトが詳しいのでチェックしてみて下さい。
写真があります。
※仙台人が仙台観光しているブログ
http://senndai-tabi.seesaa.net/article/442291900.html

1月15日に行われる行事で有名なのは、「なまはげ」です。
これも疫病や伝染病祓いが関係している。
新潟県にも鳥追い行事があります。
その鳥追いの歌

「あの鳥、どっから追ってきた
信濃の国からおってきた
何を持っておってきた
柴ぬいておってきた
柴の鳥も河辺(かば)の鳥も 立ちやがれほーいほーい」


柴をかりにいったおじいさんは、桃太郎の話ですね。
そういえば、金華山にも五十鈴神社があります。


五十鈴神社からみる月浜

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畑をあらす鳥を駆除する目的もありますが、
疱瘡や疫病をもたらす鳥を祓うために、スサノオを祀る牛頭天王信仰は多い。

アイヌの祭事では、鳥がもたらす厄病神を追い払ったのが、
ミントゥチといわれる。魚族。河童のような皿はない龍のような爬虫類らしい。
蛟と書き、「ミツチ」という。
虫は龍の意味がある。

アイヌでは、疫病を祓うのは、ミンツチである。
シオツチやテナツチの「ツチ」である。
アイヌでは、ツチが山民のこともさし、山に住む異界のものと考えられているようです。
おそらく、その山民が産鉄族のこともさし、
山に住む賊が何をしているかわからないといった、恐怖から生まれたものも考えられます。

白鳥が飛来する場所に、伝染病が運ばれるという話もあります。
古代製鉄に白鳥が関与しているのは、アイヌの人たちにとって、
悪いものをもたらしたと考えられるのです。
それが異国人がもたらした伝染病ということを伝え、
その病に侵されても治すことができたお礼として、
小野小町が疱瘡神の象徴とされているのです。

妄想するに、小野氏は、小野篁や小野妹子や小野小町や、
登場する伝承が、かなりシャーマニズムな系譜をもつと感じる。
「の」という文字の形が、本来渦巻きということから、
シャーマニズムな一家で、アイヌ人や先住民の病気もなおしてきた人だったの
ではないか、と思います。
汚染を浄化する整備もしてきたとか。
また、小野の「小」は、御か織の漢字をあてていたとも考えられている。

その象徴となるのが石や巨石、イワクラであるというのは、
汚染された水を浄化するのは石であるから、石が神格化されているのです。



ということで、だいたい、小野小町が薬師様を祀る話が多いのは、
薬水ということで、やはり水神の象徴ということでしょう。
水は浄化する力をもちます。
水に勝ものはなく。容赦なく浄化する力は風よりも強大です。
今回、小野小町探訪で、十分、それを知ることができました。
月も水です。
月の水により、薬水があり永遠の命をもつことができ、
地球の創世に月の水が関与していました。
私もその力にあやかって、水を浄化し、どんどん雨をもたらしていく
想像をしながら東北探訪をしていこうと思いました。

とりあえず、小野小町妄想はおわり。
また出てくると思いますが・・・。
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月の小野小町:東松島

2017-05-13 | 神話・伝説
雨ですね。
久しぶりの雨で、山火事も完全に鎮火しますね。
ちょうど、これを書いていると、「旅サラダ」という番組で、
泉ピン子さんが被災地の宮城県(松島)に来ていて陸前小野駅が。
あのかわいい「おのくん」を紹介してました。
ネットの購入だと?人気があって手に入るのに時間がかかるそうです。
とってもかわいい「おのくん」です。
おのくんは、宮城県東松島市の「小野駅前応急仮設住宅」の主婦たちが
ひとつずつ手縫いで作っているのです。
サルがモチーフのキャラクターのぬいぐるみ(ソックモンキー)。
東日本大震災からの復興への願いがこめられている。
「めんどくしぇ」が合い言葉。



そういうシンクロがあると、あぁ、被災地のためにも
小野小町の探訪は続けないとなあ、と思うのでした。

大学の時は、野蒜海岸でよく遊んでいましたが、
その面影はなくなっていました。
震災後の夏、知人と女川へ行く途中に知人のご主人が、会社でお世話になった方が野蒜に住んでいて、
被災してしまったのでお盆の時期もあり、お参りをしてきました。
もう言葉になりませんでした。
土台だけ残っている家と、まるで爆風でもあったような無残な家をみるのと、
どちらも衝撃は大きいのですが、あの状態で残された家を見るのは、本人にとっては
耐えられない現実だと思います。

それでも生きなければならないのは、なぜでしょう?
現代は、変わりすぎです。
いくらなんでも変わりすぎっちゅーことで。
もうついていけねー。
ただ、漠然と生きるのは嫌なので、目に見えないところで、
何かが一生懸命な感じを受けるので、とりあえず、なんとなく、ぼんやりと、動いてみる。笑。

原発だけが理由ではなく、自然を壊しすぎるのはわかる。
当然の報いだと思っていますので、私は自覚しています。

変わらない風景をみることは、もうないでしょう。
なので、記憶で残すしかありません。

海側を車で走っていると、よく「津波到達地点ここまで」の看板をみかけます。
なので、もし大地震がきて津波がきたら、どこへ逃げようかと考えて運転してます。
まあ、いざという時は、車を置いて山へ逃げるしかないんですけど。

ということで、おのくんの「おの」について妄想していると、
なんだか、「おの」という言霊は、優しいなあと感じます。
----------------------------------------------------------
ところで、ずっと小町だと思ってましたが、
本来は、小野小町は、小町というよりは「小松」の意味があった。
小町=小松で同じこと。
小松から小町へ変わったようなのです。
東松島へ来てそれがわかりました。
また、どうも塩と縄文にも関係しているようなのですが、
小野の地名や小野という姓をもつ人の信仰により、天然痘になった小町の
病をなおしたのが薬師様という話が全国にあります。

また、石を信仰していたという話もあります。
群馬県の富岡は、元は塩薬師というのですが、石薬師となっています。
小町が天然痘が治ったそのお礼として石を祀ったという伝承。
小町は、また疱瘡神ともされている。

小町が生まれた場所は秋田県湯沢小野ですが、湯の沢というように、
天然痘になった顔を清水で洗うと治ったという話も。
また、小町の姿見というのがあり、磯前神社の境内にあります。
そこに一緒に祀られているのが、蛇(宇賀神)と石棒でした。
石棒は、奥松島の縄文遺跡でもいくつか見つかっています。

秋田県発祥といわれる小町の里にも、縄文遺跡(岩屋洞)が発掘されています。
小町が晩年世をさけて住んだところといわれる。
お籠りとしての役目をもつ巫女とは、神と婚姻をするべきと考えられ、
一緒独身だったと聞きます。
瞑想をしながら臨死体験のような、また、幽体離脱のようにあの世と接触し、
これからの予測をするといった方法をとっていたと考えられます。


※岩屋洞:秋田美人のルーツ・小野小町
http://www.akita-gt.org/study/bunka/bijin.html

小町伝承の特徴は、全国を旅していたような女性で、
天然痘で病にたおれるが清水で顔を洗うと治ったとか、温泉で治したとか。
あこや姫伝承と同じで、
あこやの松と小松の「松」は同じものとして考えられます。

電子書籍でみつけた「古代歌謡と南島歌謡」より一部を。

「柳田国男によると、佐用媛のサヨは塞の神を意味し、
松浦のマツは神あるいは貴人に対する奉仕を意味する言葉である。
したがって松浦佐用媛は固有名詞ではなく、本来は遠く遊行して諸国の
神の祭りに参与した一群の女性を指す言葉であった」という。

また、「小松という名は、小野小町の小町と根源を同じくしていると延べ、
陸前栗原の小松の虚空蔵などで小野小町が佐用媛の任務に代わって居るのも、
自分にとっては些かも偶然ではない」と言っている。」

「~神をマツルとか貴人にマツラフという語と同種類の語が、マツである。
神をマツり、神にマツラフ女性が神聖な祝宴にはべるのは当然としても、
それがやがて男たちの酒盛りをとりもつ巫娼の役割を果たし、
あげくのはてには枕席も共にすることになれば、マツという語も男が女をマツ、
女がはやくから男をマツという風に転用されてくる。」



※松浦のサヨ姫。

な~る。
よくわかります。
元は、神に仕えていた巫女が、男に仕えるようになったというところが、納得。
もうこれで終了~といきたい。
が、まだまだあるねぇ。

柳田国男の「女性と民間伝承」でも、
「小野氏という一族は、珍しく文才に長じた女性が出ており、
現に小野小町のごときもいちじるしい例ですが、
これは、複数の伝承があることから一人ではなかったと古くから唱えられている。
おそらく中世以来の旅の女が、盛んに小町を説いて後に混同した結果かもしれない。
これはたいてい旧家の小野姓が付近にあり、その伝説に参与していたことは、
あたかも平家が来て隠れたという山間の村に、小松という苗字の残っている
のと同じであります。」


また、月と松はとても深い関係があることがわかりました。
もうひとつ、深い関係がありそうなのが、五十鈴神社です。
この話は後ほど。
---------------------------------------------------
さて、奥松島はとっても良かったです。
また行きたい!と思うほどに好きになりました。
嵯峨渓は絶景で有名。が、私は船が苦手なのでゆっくり見たことがないですけど。
GWだったので船を待つ人が多い中、私たちは大高森を登ってきました。
(15分くらいで登れます)

ここにも薬師堂が祀られています。(場所がわからず…)


大高森からの展望。


観光サイトより。
「大高森の中腹に有る堂宇は、当時の宮城県知事森正隆氏が建設したもので、
堂内には白木作りの薬師如来像が安置されています。
伊具郡西根、高蔵寺本堂の修繕の際、この大柱(インド産の香椿木)で薬師如来、
聖徳太子、三十三観音作り、その薬師如来が大高森薬師堂に奉祀され、
聖徳太子は松島扇谷に奉祀されており、三十三観音は県下いたるところに奉祀されてます。」






一番興味をもった奥松島縄文歴史館には、面白い土偶もありました。
猫?か宇宙人か?
この土偶の発見話がすごい。


「平成20年5月1日に、貝塚に見学にきてくれた地元の小学生が発見したものです。
その時は、胴体部分を発見。
それからちょうど1年後の同じく5月1日に、別の小学生が頭部を発見。
もしやと思い胴体とはめてみると、ぴったり。」


ということがあり、奇跡の土偶といわれています!
ああ、そうか。ハイヌヴェレ信仰というのは、頭、体、足を別の場所に埋めるから、
やっぱり土偶のことを言っているのですね。
このふしぎな土偶さんは、何かシャーマニズムな存在で、動物霊みたいな。
その霊を再び生きてほしいことを願って、バラバラに埋めたということですね。
それを地元の小学生が見つけて、一つにしたということで、生き返ったことになっているんですね。

この土偶を作った縄文人は、ほっと一息ついているような感じがします。
ああ、よかったと。
この土地を守ってくれているみたいです。

もう宇宙人にしかみえませんけど?
口のまわりに点々がついてる。
・・・ひげ?
専門家の話では、髪型というが・・・それでは面白くない。ワラ



松島の縄文はすごいとは聞いていましたが、さすがっ。
実際、行ってみるとやっぱり理由はわからないけど、すごく気持ちがよい
素敵な所でした。ここなら住める。笑


※矢印のある所が、奥松島縄文村歴史資料館。
里浜貝塚まで行ってみましたが、素敵すぎます。
http://satohama-jomon.jp/satohama/index.html
「松島湾には大小260余の島々があり、水深4m程と浅く、貝塚群が約70ヶ所集中します。
その中で最大の島、「宮戸島」(みやとじま、東西4.5Km・南北4.3Kmの規模)
北側に存在する里浜貝塚は、東西約640m、南北200mの日本一の面積をほこる貝塚です。」



貝がたくさん土に埋まってますけど、
主人は気持ちよすぎて昼寝。
私は気持ちよすぎて裸足で歩きまわる。
国の史跡ですが。



あぁ、縄文人だなあ、と改めて思う・・・。
こういう時があったのよ~ぉぉ。(遠吠えしたくなる)
じゃ、今から縄文人になれるか?といえば、無理だな。
洞窟で住むとなれば、暗所恐怖症なので毎日火をともすでしょう。
ほら穴でお籠りするとなれば、閉所恐怖症なので狭いところではパニック発作で出ていくでしょう。
海で漁をするとなれば、船酔いで気を失い貧血で介護されるでしょう。
面倒くさいと言われ、縄文人に、ほされます。



ここは、当時とあまり変わらない風景だそうです。
縄文人はいい所に住んでたよね~。
夏は海で漁をし、冬は山で狩りをした生活だったとわかっています。
弥生人も縄文人も、共生しながら暮らしていたので、特段、争いもなく。
今の方がずっと残酷な時代に生きてます。
そのことは、しかと自覚しないと。



震災ではこのあたりも被災しましたが、石神社(石棒をご神体としていた神社)
がどこか近くにあったそうですが、津波で流されたそうです。
石棒は展示されています。

心底、「ありがとう」と感謝の念を大地に捧げたくなった。
ここに住んでいた縄文人のサザエさん一家のような、
当たり前の普通の家族であった心の記憶が蘇る。
そういう時の瞬間を感じながら、過去に戻れることは、幸せなことだと思います。
だから、まほろば探訪がやめられない。笑。



そうそう、縄文人は、マグロも取って食べていたそうです。マグロ漁。
いいなあー。マグロ漁のやり方(針)は、今でもその方法で漁をしているそうです。
詳しいこと忘れたけど、魚が餌を食べた時に針がとれないように引っ張ると、
奥に針が曲がるよう設計された釣り針だそうです。

ですから、海幸彦の釣り針みたいな話なんです。
その技術が今でも応用されているんですよ。
東南アジアも同じ伝承があるので、海民の漁を伝えてるものか、と。

なので縄文人は、別に、骨つきの肉ばっか食って獣の皮をきて、
巨大な丸い石をお金として転がしていたわけではないのだ。
ギャートルズじゃないってことだ。
けっこう好きなマンガでよく見てました。
私より縄文人の方がおしゃれ。


イノシシの牙でつくったペンダント。(里浜貝塚出土)



小野という人や地名を探すには、
縄文遺跡へ行けば、会えるということです。
小野という人たちの思想の中に、縄文があることは確かです。
被災地で生まれた「おのくん」は、まさにそれを伝えていたのです。

詳細は、近くに黒いおしゃれな建物が展示室になってます。
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奥松島の縄文遺跡で発掘されたのが、製塩土器でした。
塩と縄文は関係していて、すぐお隣は塩釜ですが、
塩釜神社の藻塩焼神事(ホンダワラ)は、藻を集めて煮詰めるものです。
その藻は、鼻節神社の沖で刈り取ります。
鼻節神社は、猿田彦神を祀っています。
塩釜神社のご祭神は、志波彦ですが、この人が塩土爺といわれるのは、
シオツチという「ツチ」という言葉に隠された先住民族の精霊的な言葉と思われ、
古くから塩を交易していた場所に、後から春日神(タケミカヅチとフツヌシ)
が陸奥開拓へやってきた。その中に葛城氏や鴨氏や賀茂氏などなど、出雲?も
たくさんやってきたと思います。

あれ?タケミカツチもツチだね。
テナツチ、アシナツチとか。


御釜神社(藻塩焼例祭、広げたホンダワラの上から神職が潮水を注ぐ釜。)


牛石藤鞭社(うしいしふじむちしゃ)

武甲山伝説で、「松藤たえろ」という話がありますが、
山姥のマツとフジは、フチなのか、祭祀用の鉄などの意味があると思います。
藤は、藤つるで戦ったタケミナカタと諏訪のモリヤが鉄輪だった話があり、
互いに異なる祭祀道具だったようです。

縄文時代の塩は、焼いた海藻の灰(灰塩)をそのまま使用したそうです。
灰塩(はいじお)を海水にまぜて濃い塩水をとり、煮詰めて土器で塩をつくりました。
塩釜神社の神事は、その時代のやり方をそのまま神事として伝えているものだと思います。
塩釜神社の神事が縄文から続いているものと考えると、
やはり奥州征伐というのは、征伐ではなかったと思うのです。
後世、大事に伝承することを日本人は欠かさなかったわけですね。
関東からやってきた豪族たちの多くは征服したのではなく、
この地に留まるために力を貸したものと考えます。

元は日本にいて海外へ渡米し、再びその一族が日本に戻ってきた時に、
代々、古くから受け継がれている神事や伝統を、神道やキリスト教の信者たちが、
守っていたことに感激したユダヤ人がいたわけです。

ユダヤと神道が似ているのは、結局、同じ先祖のルーツがあるからです。
外国だと日本の神道は受け継がれなかったけれど、日本ではそれが残っていることに
感激したユダヤ人がいたから、今でも伝承されている神事がたくさん残っています。
相撲もそのひとつです。
私の先祖(霊統)ルーツのひとつに、秦氏がいるのがわかります。
砂金とりなどをしてきた、金鉱石を発掘していた先祖です。
後からそういう場所へ繋がっていくので、そうなんだ、と思うしかなく。
てか、前々からそういう場所ばかり行ってるし。



また、話を戻しますが、秋田の小町の姿見伝承の磯前神社は、
茨城県大洗にある磯前神社と同じものだと思われ、
常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が現れ、製塩業の者が海に光るものがみえたというが、
奇妙な石だったという。
製塩は、茨城県(常陸国)が最も古いそうです。
長野にも塩の道がありましたが、共通するのはそういう場所に、縄文遺跡があることです。

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塩と関係する小野という人や地名に、東松島も関与していることもわかりました。
また、それが武蔵と繋がるというのは、
「陸奥の塩竈社家」という、こちらのサイトから参考にさせて頂きます。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/siogama-j/siogamaj1.htm

「熊野神社は柴田郡でも小泉村(現村田町小泉)や支倉村(現川崎町支倉)にあり、
小泉村の北の村田郷の鎮守は白鳥社であった。
村田郷は古くは北西の足立村と一村であったと伝え、足立はいま「あしたて」というが、
これに通じる安達を名乗る社家が名取熊野三社にあった。
安達という地名は小野郷にもあり、川崎町の本砂金(もといさご)の南に見える。
こうした足立・安達は、武蔵国造一族など五十猛命(素盞嗚神として現れることが多い)
の後裔関係者に見られる苗字や地名である。」


小野郷は、あこや姫伝承にもでてきました。
熊野といえば名取老女ですが、小野篁の伝承がある竹駒神社もあった。
金蛇水神社の霊水で刀をつくり、竹駒神社に奉納したという伝承。

武蔵国造は、タケミナカタ系、諏訪神のミシャグチ、三輪信仰の系譜をもつとされ、
神武天皇に抵抗したのですが、陸奥に逃れ磐城国へ逃れた者もいたらしく、
その人たちが陸奥へ行き、岩城(いわき)となったという。
武蔵国一宮に小野神社があったように、小野氏は武蔵国造を崇拝していた。
それが石信仰だったようです。

このサイトにもあるように、「五十猛命(素盞嗚神として現れることが多い)
の後裔関係者に見られる苗字や地名である」というのは、
東松島にもそれを思わせる五十鈴神社が多く祀られていることです。
素盞嗚神は、スサナル。鳴神、雷。鳴子のナル。

調べてみると、五十鈴神社は東北地方の海側に多く祀られていました。

五十鈴 (神器) は、 天河神社(奈良県)に古来より伝わる独自の神器という。
東松島には4社、(小松、宮戸、小野、大曲)という場所にある。
地名にあるように、小松と小野という場所に五十鈴神社があることから、
小野小町に関係していると思います。
どうもこの神社を崇拝しているのは、「五十」のイソのことをさす。
これは、色麻町の伊達神社がイソタケルを祀ってますが、
河童伝承がある所です。
また、ナグサトベの本では、イソタケルも一緒に同行していた話もあります。

五十の音(鈴)を司る言霊のことなので、
言霊を操っていた巫女(男女)がいた中に、小野が関係しています。
(詳細は、次回)

五十鈴神社は、気仙沼1社、南三陸2社、石巻3社、牡鹿郡女川町4社、
東北地方では由緒ある神社として祀られているのは、宮城県だけで、14社もある。
全国でも、こんなに祀られているのは宮城県だけなのです。


月浜

実は、このことについては全く知りませんでした。
東松島の帰り、主人が月浜に行きたいというので、海をみてきました。
すると、奥の方に鳥居がみえたので行ってみると、五十鈴神社でした。
初めて五十鈴神社に参拝したのですが、考えてみると、ここも月浜という月でした。
月と五十鈴神社?

つづく。
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月の小野小町:月出

2017-05-11 | 神話・伝説
月出里という地名が、茨城県にありました。
月出という地名だけでは、他の県にもあるのですが、
この地名由来がビンゴ。

さて、「月出里」と書いて何と読むか?
そのまま、「つきでさと」と読んでしまいそうだけど、
「すだち」と読むのだっ!

産経ニュースより。
http://www.sankei.com/premium/news/160528/prm1605280004-n2.html

「角川日本地名大辞典」(角川書店)には「もとは月出と書いて『すたち』と読んだが、
のちに月出里(すだち)と改めた」とある。
読み方の由来については「地内に大清水という字があり、清水の湧き出る地に由来する」
という説と、「上谷原という字があり、州がたっている地に由来する」


一方、「筑波地方の地名の由来」(中山満葉著)の説明は実に興味深い。
「月出里の『月出』は『朏(ひ)』のこと」だと書かれている。
朏は「みかづき」とも読み、「三日月の里」が「朏の里」と転化し、
「月出里」になったのではないかとしている。

読み方については「新月の現れを小鳥の巣立ちに見立てた」のではないかと推察している。
月の満ち欠けで月日の長さを決める太陰暦では、新たな月に入ってから初めて見える月は三日月だ。
そのことから三日月のことを新月とも呼ぶ。月に入ってから初めて見える三日月(新月)を、
鳥の巣立ちになぞらえたのではないかという説だ。」


そうか、私は巣立っていったのか~。
・・・う~ん。

どちらの説もOKでしょう~。
この漢字、月と出が一文字とは。
「朏」が「ヒ」とよみ、三日月とはっ。
三日月信仰は、北関東に信仰として残されています。
三日月状に切った餅をお正月に食べるとか、三日月神社もある(栃木県壬生町)
この地域の三日月信仰は、太陽は丸だが、月は三日月である。
日月星信仰は、三つの円ですが、月は三日月なのだ。

三日月に星マークは、千葉家の家紋がそれに似ている。
伊達政宗の家紋も、月を現しているそうなので、日月星信仰という妙見になる。


※信太郡月出里神社
http://www.geocities.jp/ba3tuchiura/awatoawa/sudachi/sudachi.html
「道路標識に「稲敷市月出里」の表示が出てくる。 
この道を逆に進むと「星の里」という村落もある。 
夜ここに立てば月と星が綺麗で、それ以外には何も無いのではないかと思う。」
「信太郡月出里神社」というサイトに、神社の紹介もあります。

ところで星がきれいといえば、長野県阿智村(あちむら)という所があります。
阿知氏の阿智に通じている所でもありますが、
日本一星がきれいということで、町おこしをしています。
※星がきれいすぎてヤバイ話(Naver)
https://matome.naver.jp/odai/2141170997402806101

なので、星信仰が昔からあったということ。
それだけ宇宙に近い場所だったと思います。

しかも、ここでは兎を食べてはいけないタブーがあった。
きゅうりを食べてはいけない=牛頭天王信仰。
ということがあるように、ここでは兎を食べないということは、
兎=大国主信仰も?
それで繋がるのは、日光!
北関東ですね。
今、日光がブームなんですか?



日光瀧尾神社の入口にある瀧尾高徳水神社は、奈良の吉野にある丹生都比売神社のご祭神、
ミズハノメを分請している。
そして、兎と亀が一緒に祀られている。

吉野といえば、役小角です。
丹生=秩父にいた丹党一族です。
秩父も丹生都比売を祭る丹生神社はたくさんあります。
産鉄族の崇拝と考えると、鉄用語では丹生は水銀の意味がある。
不老不死とか。
まあ、金の女神ということです。
瀧尾神社は水神で田心姫を祀っています。

数年前にもブログに書いてますが、
遠野不思議空間を書いている岩手のGOさんのコメントを改めてよんで、
アジ(アジスキタカヒコネ)さんが登場することに納得。

二荒山にも金の信仰があったと。
その二荒山の滝尾神社の祭神は、古来から鶏を忌み嫌うそうですが、
鶏は、伊勢神宮の使役という。
伊勢と因縁の深い神が滝尾神社の神とも考えられると。
その二荒山には阿遅志貴高日子根神(アジスキタカヒコネ)が祀られているそうです。

「実際に、常陸国=高天原説も出ているし、関東周辺のかなりの古墳がある説明が、
なかなかなされていないのが現状なのは、高天原を今更関東に設定したくない学者も
多いと思うんですよ。」

そうそう、私も本当にそう思う。
実は、北関東はすごかった。特に、千葉と茨城はすごい。
昔の常陸国がとにかくすごい。ほとんど行くことないけど、古代史をいろいろ
紐解いてみると、大体、常陸へ繋がる。
そりゃそうだ。
宇宙から光の柱が見えるくらいな場所だからね。
だから星がきれいという星信仰は、宇宙に一番近いというか、宇宙に直接いける
空洞があったと思います。
役小角が、「山に橋をかける」ということを言っていたり、
磐梯山とか、山頂から橋をかけるという伝承があるというのも、
宇宙へいく柱のことを言ってるのだと思います。

ということは、丸森町に星宮神社があり、目の神様といわれるのは、
上毛野氏かもしれない北関東からきた星信仰を伝えた人が、
やってきた場所だといえるのですね。
それが巨人で一つ目の神様。
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国生みのルーツは、一つに限られていません。
あっちこっちにあります。
埼玉でよく耳にする峠名に「関八州」というのがあります。
八つの大陸を一つにしたような国生神話のことを言ってるそうです。

江戸時代、関東8か国の総称で、
相模(さがみ)・武蔵(むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・
常陸(ひたち)・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)の8か国。関東八州。

バラバラになっていた大陸を一つにする。
と、いうのは、日本列島が世界の雛型ということで、
世界の大陸を統一した形になっているのが日本列島。
その神話がオノコロ島からはじまり、かき混ぜて(渦)で日本という島がうまれたと。
これまたミクロに日本列島を統一すると、関八州になるとか。

ヒタカミという元祖が、飛騨に限っているわけではないと思う。
かなり古い時代から国として繁栄していた場所は複数あり、
他にも同時期に繁栄していた場所があると見る方が面白い。

ということで、「月出」という地名が、月と兎と深い関係があることがわかりました。
もしかしたら、カカセオ(香香背男)かもしれない。
岩手のGOさん曰く、

「香香背男は女にもなっているのを見つけました。
香香背男という神は「男」という漢字をあてているんで男神かと勝手に思っていましたが、
それを香香瀬尾と漢字をあてれば、蛇神にもなり、まるで滝尾神社の祭神にも成り得るんですよね。」

ちょっと瀬織津姫ともかかりそう。
カカは蛇ですから。蛇=三輪山信仰ともいえる。
エミシが崇拝していた三輪信仰に、大国主が関与している。
それは最初の国生みの巨人(大いなる人)ということです。
大いなる人というのは、大きな存在力をもったヒト(霊)ということです。

「また、「常陸国風土記」では筑波は紀ノ國と呼ばれていたと。
その筑波にある筑波山は「万葉集」で朋神(ふたかみ)山と記されていますが、
それは二神山・二上山でもあったろうと。
それはつまり、伊弉諾と伊邪那美がいて、国造りをしたという話。
それならば「我国間記」の天地開闢の地は当て嵌まるんです。

「二渡らす」は「ふたわたらす」と読みます。
み谷二渡らすは日光三山の一つに阿遅鉏高日子根神を祀ったという意と解釈しました。
二荒山は星の信仰が強いですから天地開闢というより、香香背男の意識を持たせて考えてます。
天地開闢の山が筑波山だとしたら、香香背男に関するのは二荒山だと思います。」

私は、筑波山に登る時に、遠くから筑波山をみたその山容の美しさに、
シャスタ山に似ているな、と。ふとそんなことを思ったのです。
でも、そういうものだと思います。
シャスタ山のような聖山も、日本にもたくさんあるということで、
その人の体を通してみるビジョンというのは、無限大であっていんだな、と思う。
シャスタ山も、一つではないということです。

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ど~も小野小町を探訪すると、私は、その裏に感じているのが、役行者です。
ここ最近、蔵王権現の話をしている。
シンクロしてる。

まあ、これが次々と繋がっていってしまい、妄想が追いつかん・・・。
不思議なことに、またある場所へ導かれました。
GW中、主人は仕事が忙しかったのですが、
休みを1日とって、東松島に行きたいと言うので、行ってきました。
私は松島は行ったことあっても、東松島は、たぶん行ったことがないと思う。
いや、行ってないなあ。通ったくらいかもしれない。




(ジオラマ風)

東松島へ行ったら、小野小町の本当の由来がわかった。
このことは、家に帰ってから後で知ったのですが、
思えば、夢の中にでてきた女性が、私に地図を渡したのは、
その地図通りに、現実世界で歩いていることに気づく。今さら。
小野小町について導かれる場所が書かれていたマップだったと・・・。

それで二枚渡されたというのは、私と主人の分だったのねー。
面白すぎ。

東松島は、主人が行きたいといった。
私だったら行かなかった。というか、「東松島」というキーワードには至らなかった。
だから先祖は、主人が動けば私が動くことをよく知っている。



次は、東松島(奥松島)探訪へ~。
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