秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

音羽御前と坂上田村麻呂

2016-11-29 | 神話・伝説
田村神社甲冑堂だけで、こんなに盛り上がる話になるとは・・・。

田村神社の甲冑堂に続きます。
近くにある馬牛沼には、呼称が「馬牛沼」となった由来について、
9世紀の初め頃、征夷大将軍坂上田村麻呂の馬がこの沼に落ちて死んだので
「馬入沼」としたとある。
他、沼の中の孤洲が馬に似ているので「馬形沼」とした。
また、この沼に馬首牛身の異獣が泳ぎ回っていたので「馬牛沼」と名付けたなど、
馬にちなんだ伝承がある。


馬については、後ほど。
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源義経に関わる伝説が新潟県長岡市にありました。
栃尾観光協会より。

「音羽御前は、福島県飯坂の大鳥城主・佐藤基信の妻で、
源義経の忠臣知られる佐藤継信・忠信の母親です。
音羽御前が息子たちの安否を尋ねて旅に出て、
ここ栃尾の小貫に瑞雲庵を結んだことが瑞雲寺の始まりと伝わっています。」

継信・忠信兄弟の安否を尋ねる旅に出た音羽御前は、
出雲崎・寺泊に草庵を結び日ごろより信仰していた羽黒大権現(十一面観音)を祀りました。
そこで源氏が大勝したことを聞き「袈裟」をまとったまま踊ったことから
「佐渡おけさ」などの民謡『おけさ節』が生まれたといいます。

ところが継信は屋島の戦いで忠信は京都で壮絶な最期を遂げました。
その知らせを聞き、悲嘆に群れていた音羽御前の枕元に、
羽黒大権現が現れ「この近辺に霊場がある。その地に我れを祀れ」とお告げがあり、
文治3年(1187)、栃尾の小貫に侍仏堂(瑞雲庵)を建て羽黒大権現を祀って供養しました。
以来、その霊験あらたなることが広く知れ渡り、方々から人々が参詣に訪れ、
上杉謙信公も栃尾城在城のおりには、度々参篭したと伝わっています。」


そして、初めてお目にかかった伝説に登場。
那須与一。

「静御前の墓から刈谷田川対岸の赤谷を眺めると那須与一が住んだという館跡、
「古戸が池」(現在は水田になっている)があります。
屋島の戦いで平家の女官のかかげた扇を見事に打ち落とした弓の名手、
那須与一は讒言により流され、後に栃尾に移り住み赤谷の古城に居を構えました。
彼は讒言が偽りであったことからやがて故郷の那須郷に帰ったが、
息子夫婦はこの地にとどまりました。やがて二人に子供が授かったが、
産湯を水屋でつかわした穢れから一夜のうちに館が水没して、
その跡に大きな池、古戸が池ができました。満月の夜になると
赤ん坊を抱いた母親の亡霊が湖上に現れたといいます。」

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新潟に伝わる話から、佐渡金山にも関係していそうだ。
となると、佐渡の藤原から、佐藤姓が誕生というのもわかる。

甲冑を着て励ましたお嫁さんとは、母を静御前としているものだろうか。
正妻は、音羽御前(郷御膳)というが、妾が静御前となる。

静御前の名刀(薙刀)というのが徳川家に伝わっている。
薙刀は複数ありますが、徳川家では三条小鍛冶宗近作といわれる。
この方は、岩沼の金蛇水神社の神宝を造った人。
しかし、山にいる賊(鷹狩り)において中心から刀が折れたという。

ところで、音羽御前の名前が気になる。
音羽山は平泉にもあるが、元は、清水寺の音羽山だった。
音羽の滝のこと。
ここに坂上田村麻呂が重なると思う理由。

清水寺の由縁について、
時は、778年、賢心は「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢をうけ、
翌朝、霊夢にしたがい清泉をもとめて上がると、
音羽山麓にある滝にたどり着きました。
するとそのほとりで草庵をむすび、永年練行をしている行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会ったのです。

行叡居士は賢心に霊木(れいぼく)を授け、千手観音像(せんじゅかんのんぞう)を
奉刻し観音霊地を護持するよう遺命を託すや否や、姿を消してしまいました。
「行叡居士は観音の化身である」と悟った賢心は、以後固く遺命を守り、
千手観音を刻んで草庵と観音霊地の山を守っていました。

その2年後の宝亀11年(780)、坂上田村麻呂公が妻室・三善高子命婦の安産のため、
夏の暑い日に鹿を求め音羽山に上がってこられました。
そしてひと筋の水の流れを見つけ、そのあまりの美しさに、
水源を求めて歩みを進めるうちに草庵にたどり着き、賢心と出会いました。

坂上田村麻呂公は賢心に鹿狩りに上山した旨を話すと、
観音霊地での殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭されました。
深く感銘を受けた坂上田村麻呂公は、
この賢心が説かれた清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を妻室に語り聴かせ、
共々深く仏法に帰依(きえ)されました。
そして後日、自らの邸宅を仏殿(ぶつでん)に寄進し、
十一面千手観世音菩薩を御本尊として安置されました。


鹿の血------------------------------------------------

マロが探していたのは鹿の血らしい。いずれにしても鹿狩り。
鹿の血を求めるのは、中国の史記、匈奴伝の盟約の形式のようだ。
鶏や犬、馬などの血を皿に注ぎ、頭蓋骨などを取って互いにすする儀式。
それを「水」に代行した為、滝(源流)を求めるようになった説がある。

なので、マロは常に源流を求めていたのですが、
おそらく、水銀(丹砂)もあったと思う。
血を飲むルーツは、イエスの血を飲むのをワインにしたようなもので、
神に捧げる動物や血は、シシ(獅子舞のルーツ)となる。
ユダヤの話では、羊が日本にはいなかったので鹿で代用していた話。
悪魔祓いに、羊の血を門に塗ると免れたというのがあったそうだ。
牛頭天王の蘇民将来の由来に似ているものです。
また、鹿は諏訪大社になる。
諏訪の洩矢とタケミナカタが戦った話。
タケミナカタは、藤の枝で戦った人。
藤は鉄のことですが、藤原氏でもあり・・・。

十一面観音------------------------------------------

栃尾伝説の羽黒大権現が十一面観音であるということ。
十一面観音も、セオリツヒメという水神でもある。

早池峰信仰とは、元は薬師様であったのを十一面観音にした説がある。
「江戸時代、早池峰山は十一面観音の山といわれた。
中期頃、この山の姫神は、瀬織津姫との考え方が定着。
十一面観音以前は薬師如来の信仰があり、薬師から十一面観音に変わった。」


出羽三山は、古くは葉山(羽山)信仰で、鳥海山も含まれた。
どちらも薬師信仰だった。
後に、観音菩薩に変化する。
薬師様は、薬の壷をもっている。ツボが大事。
薬の壷は、不老不死に通じるもので水が薬だったこと。
ホメオパシーのような。


※木造十一面観音立像 法華寺(平安時代、国宝):かっこえ~。

清水寺も十一面観音に変え、鹿狩りを止めるよう伝えるというのは、
祝詞に殺生を含めた中臣鎌足の思想といえる。

ちなみに、那須与一の与一とは、余一(あまるいち)で、「十一男」という
意味の通称だという。十一を十一面観音にしているような。
本来は、那須宗隆といった。


木造薬師如来立像(国宝・元興寺蔵):しぶい~。

ということで、音羽御前が羽黒大権現の十一面観音を祀った話が、マロと重なる。
奥州藤原氏を支えた信夫佐藤氏一族が、坂上田村麻呂を崇拝し、田村神社とした。
姉妹の嫁が義母のために甲冑を着るのは、マロに対する尊敬の意をこめたような。
それは、また、静御前のためでもあり。

馬と共に沈められる姫------------------------------------------

「馬形沼」伝承より、馬が沈んだ話はよくあります。
マロは沈んでませんが、変わりに女性が沈められることはよくあります。
陸奥街道は、騎馬民族の誇りの道なのか、馬と共に沈められる姫(豪族の娘)がある。

宮古地方にもあった音羽姫の「奥州黒」伝承。
宮古地方の統治者、閉伊頼基の妻が近江の豪族、佐々木四郎高綱の娘、音羽姫である。
藤の花と馬をこよなく愛し、奥州黒という名前の馬は、姫が自ら飼育した愛馬と伝わる。
近江から閉伊に嫁いだ姫を忘れられない奥州黒は、嫁いでいく姫を追いかけた。
十二神山の麓まで辿りつくが、里人が奥州黒を立ちよった屋敷をみて、
火をつけて殺してしまう。
死骸を調べてみると、佐々木家の家紋がついた鎧などがあった。
音羽は悲しみ、藤畑の音羽ヶ森に奥州黒祀り、駒形神社とした。


佐々木姓も東北地方に多いと聞きますが、
近江国蒲生郡篠笥(ささき)郷を発祥とする佐々木氏がいるという説。
佐々木さんの伝承ということですね。

馬が嫁いでいく嫁を追いかけて沈んだ沼は、他にもあります。
栗原市の駒ヶ淵も同じ話で、馬の名前は「カゲ」といった。
細倉鉱山がある所で、9世紀頃に発見された銀山です。
タタラと馬の関連は、遠野物語のオシラサマに関係する。

また、早池峰信仰も三山伝説があるように、栗原にも三山伝説がある。
三山伝説の大土ヶ森(オドガ)は、太白山のオドガ森と同じ響き。
いずれも巨石がすごい。
白山、出羽、早池峰の三山伝承は、熊野にあるという。(エミシの国の女神より)
共通するのは、白山信仰のシンラ。
ククリヒメは、古くにあったセオリツヒメの代行といったものか。
それは、薬師如来から観音信仰に代わったものと同じで、
本地垂迹(ほんちすいじゃく)によるものだろう。
本地垂迹とは、八百万の神々は、様々な仏や菩薩が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え。
例えば「天照大神」は「大日如来」の化身と考えるといったこと。
なので、混乱するね。

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ということで、信夫佐藤氏の母親の音羽御前は、坂上田村麻呂に関係する
女性であり(ルーツが)、その子孫がマロを崇拝し、奥州藤原氏を推進?
するようになっていった。
古くは、機織を伝えるために、養蚕の奨励にあたった時の女性がおり、
マロによって陸奥に連れてこられた豪族の娘か、藤原氏(貴族)の娘だったと思われる。
藤原氏は天皇家に嫁がせるために、他の貴族を排除し、天皇の血統にこだわってきました。

藤原氏によって排除された他の貴族は、「藤」の名前をつけつつも、
陸奥へ左遷されるような形で、金などの鉱物資産を掲げ、
京都(藤原政権)より以上の力をつけた豪族たちの伝説だと思います。
新たなマロ開拓のため、奥州藤原氏に義経が関わっていたようですが、
義経が実在した人物とはあまり思えないので、私にはよくわかりません。

義経より、弁慶の方に興味があるなあ。
妄想ですが、弁慶は、山伏の格好をした女性だった気がするのだよ。
だったらいいな、という期待。笑
静御前みたいに、男として戦っていたアマゾネスだったら興味深いなあ~。

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私が歴史に興味をもったのは高校生の頃ですが、
一番、好きになった仏像が、山田寺の仏頭です。
たぶん、歴史好きな人は、皆、この仏様が好きだと思います。
そのくらい有名な仏様です。結構大きいんですよ。
いまだにこの仏様をみると、なぜか懐かしさを感じます。
歴史は語る、というより、先祖は語ると思っているので、
気になるというのは、そういうルーツを辿ってきた記憶の断片です。



この仏様は、薬師如来だったそうです。
雷がおちてお寺が火災になったのですが、頭部だけ残ったそうです。それがすごい。
山田寺の仏様は、蘇我氏が開いたお寺で600年代とかなり古い。
私は蘇我氏のソの字もないほど、古代史の中では興味がない。
でも、山田寺の仏様には何かを感じる。

私は白鳳時代に一番興味があります。
奈良や京都の歴史に全く関心がないが、白鳳時代だけは興味がわく。
たぶん、その時代生きていたかもしれない。(前世)

山田寺の仏頭は、日本人(外国人に頼らず)の手によって作られたのではないか、
という話があり、そういう所に、じーんときてしまう。
はるか昔からずっと続いている争いに、仏像たちも翻弄されている。
それでも生き残っている仏像をみると、「生き抜く」と言っているように感じる。
地元の人がそのような気持ちで守ってきたこともあるけれど。
山田寺の仏頭が、そんな風に聞こえるので、強い仏様は大好き。
頭部だけであっても、仏陀の力は、本物。

「大化の改新はなかった」というのが、定説にあるようです。
じゃあ、なんであった事にしたんだろう。
史書を信じるより、自分の直感を信じなさい、と。
そういう歴史が本物です。

それから、マロの祀られ方に何かを感じる日々。
解放だわ。
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アマゾネスな甲冑堂

2016-11-27 | 東北地方の伝説(宮城県)
源平合戦の頃、源義経の家臣として平泉時代から仕えていた
大鳥城主任佐藤庄司基治の息子継信・忠信は、
平家追討に数々の武勲をたてた。
しかし、兄継信は1184年四国八島の戦いにおいて、
義経の身代わりとなって、平能登守教経の矢を受けて
壮烈な戦死をとげた。

弟忠信は、義経の敵と戦い主人一行を落ちのびさせたあと、
京都の堀川の館に潜んでいたところ、1186年200名の
敵に襲われた。これまでと「奥州武士の最後を見よ」とばかりに
腹をかき切って壮烈な最後をとげた。

義経一行は、世を忍ぶ山伏姿で奥州にたどりついた。
兄弟ふたりの死を知った母親の悲しみは、計り知れなかった。
ふたりの嫁は、自分たちの悲しみを押さえて母を慰めたが嘆きは
大きかった。最後に考えついたのが形見の甲冑を着て、
「継信・忠信ただいま、凱旋致しました」と母にふたりの子の姿を見せて
喜ばせたという。
奥州征伐のために大鳥城におれなくなった一族は、宮城・山形に隠れ住んでいたが
菩提を弔うため大鳥城・医王寺に近くのこの地に甲冑堂を作り、
木造にてふたりを刻み後世に考心を伝えようとした。


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奥州街道だった国道4号線沿いにある田村神社甲冑堂。(白石市)
よく通る道でしたが、全然知りませんでした。
先月の霊山登山の帰り、マップの田村神社が気になり
立ちよったところ、甲冑堂というのがお嫁さんが甲冑を着て
義母を喜ばせたという話でした。




※右の座像が継信の妻楓、左が忠信の妻初音。
これらの像は、宮城県柴田町出身の小室達(とおる 1899-1953)作であり、
伊達政宗像の彫刻をした人だそうです。

最初は、二人とも同じ弓矢を持たせていたそうですが、
全く同じものを作るのは良くないという事で、
もう一人は槍を持たせて作り、立つ形と座る形をとったそうです。

こちらのお堂は、社務所に声をかけて鍵を開いてもらわないと、
拝観できません。
宮司さんはご高齢の方ですが、すごい記憶力で。
詳しく歴史の話を聞くことができました。
おまけに資料館も拝観できます。面白いのがありましたよ。



乙和御膳------------------------------------------

いつの時代も、嫁は姑に気を使うのだよね。。。
とか思いつつ、お嫁さんではなく、兄弟の母親の名前が気になった。
乙和御膳といい、「おとは」なんですけど、音羽とも書くのだよね。
平泉に音羽山があり、三角に結ばれる束稲山の一部であることがちょっと気になった。
平泉金鶏山の入口に、義経妻子の墓があります。

まだ世界遺産になる前に、金鶏山へ行ったことがありましたが、
お墓があったことを思い出しました。

乙和御膳の父親は藤原清綱で、平泉を開いた初代清衡の息子。
初代清衡の母は安部氏で、勝利品といわれ敵の夫に嫁いだ話。
安部氏がアイヌ人という説。
乙和御前の父親清綱は、亘理権十郎といい、平泉へ渡る。
後に、名を樋爪(比爪)「ひずめ」と名のる。

話が宇都宮へとぶけど、
樋爪氏のお墓があります。
宇都宮二荒山神社伝により、1189年源頼朝に敗れた奥州藤原氏
の一族の生き残りが各所(関東)へ配流され、そのうち分家の樋爪太郎俊衡入道と、
弟の五郎季衡は、宇都宮二荒神社にて戦勝祈願のお礼として降人(降参する)し、
配されたという。

あー、そうだったのね!!
「奥州樋爪氏と三峯神社(宇都宮)」と題して、
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/5952e0efba38d673d4dd36c96398b98e

宇都宮へ行った時に、樋爪氏のお墓と三峰神社へ行ってました。
お母さんが気になったのは、こういう事でした。


(宇都宮:三峰神社と樋爪氏のお墓)

藤原経清―有加一乃末陪(安倍氏の娘)
    ↓
  藤原清衡(初代奥州藤原氏)
    ↓ 
藤原清綱(亘理権十郎)→他に兄弟が数人いる。(基衡、正衛・・・)
    ↓
子=樋爪俊衡、季衡、乙和子姫。

という事は、樋爪氏は、奥州藤原氏の系統ですが、
乙和子姫という方が、源義経の従者として仕えていた佐藤継信、忠信の母だった。
そう、まさに甲冑堂の母です。その兄弟が宇都宮へ。
そして、武蔵の秩父平家に繋がる。
だから三峰神社を祀るという事ですね。

それというのも、この乙和御膳(音羽)は、「関東川越(河越)太郎の娘」
とある。関東川越太郎??
ネットで調べると、関東川越太郎とは、「河越 重頼」とある。
入間郡の河越=川越(埼玉県)に由来しているのですが、
秩父平家であり、源頼朝の命令で源義経に娘(郷御前)を嫁がせた事から、
源氏兄弟の対立に巻き込まれ、誅殺された人物である。と。
で、郷御前とは、義経の正妻なんだと。

う~ん、同一なのか違うのか。
乙和御膳=郷御膳???
混乱するね。。。

浄瑠璃の「義経千本桜」では、義経の正妻は、
平時忠の養女で川越太郎の実の娘「卿の君」と。
京都で自害することになっているが。
このへん、調べても複雑すぎてわからない。
でも、義経や畠山重忠等に関係してそうです。

樋爪氏の名前由来について、
ヒヅメの由来は、アイヌ語のピッツムイ(河原の港)という説らしい。
紫波にあった樋爪館は、豊富な金が産出された為に、
源氏の金捕り合戦となって敗れた。
館は焼失し、弟が下野国へ配流されたという話。

樋という漢字は、懸け樋(かけひ)から由来し、「ヒ」なので、
火と水の意味が含まれている。
まさしく産鉄用語にぴったりな漢字。



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ということで、田村神社は、坂上田村麻呂ですが
タタラ製鉄がいた所に、マロが偵察にやってきたという事でしょう。
悪党がいたというのではなく、マロはエミシなどのタタラ製鉄の
監督というか、そんな立場で陸奥へ来たのかもしれない。
敵対した感じはなく。
実際、ここにマロが来たか不明ですが、マロを崇拝する一族が
祀ったような気もします。



宮司さんの話より、すぐ隣の山は顔に赤く塗った賊が、
道行く人に乱暴していたのをマロが征伐してくれたので、
田村神社を祀ったそうです。
それが悪路王のことなのですが、赤頭や丹砂を塗って化けた盗賊と伝わる。





この場所は、平泉への街道なので、産鉄族の場所であることは確かです。
そばにある川の名前が斎川といい、マロが武具を洗った川と伝わりますが、
斎という漢字から、禊(or洗礼)を行ったようにもみえます。

松尾芭蕉もここを訪れ、
「馬牛沼の下、鐙越しという岩あり、この岩より下りて二町程右の方に
継信・忠信の妻の御影堂あり」と記している。

兄・継信は、藤原秀衡の命により弟・忠信と共に義経に随行したとある。
金売吉次も義経に随行した人。

義経と霊剣-----------------------------------------------

さて~どうも気になる。
義経には、正妻の郷御前と妾の静御前がいる。
たしか、静御前もアマゾネスな感じで、甲冑を着て戦った美談がある。
これは作られた話だそうですが、甲冑堂の姉妹もそのような美談にしている。
なぜ、お嫁さんは義母に「甲冑を着てみせたか」
義母を元気つけるためとは言うが、甲冑を着るという事に不自然さを感じます。

田村神社の説明書きに、田村将軍が東征のついでに地元の妖魁を鈴鹿御前
の援助で討伐したので二人(お嫁さん)を祭祀した
。とある。

また、信夫佐藤氏は、西行がその一族である。
佐藤姓も東北地方に多い。
西行は佐藤義清といい、藤原秀郷の血統をもち、
西行の一家は、信夫佐藤氏と名乗り、藤原秀衡の郎党であった。
佐渡の藤原で佐藤になったという説もあり、後に、相馬氏、佐竹氏に仕えるようになる。

ちなみに、弟の佐藤忠信の妻、初音は、相馬出身。
あこや姫がいた千歳山周辺の開拓にあたったのは、信夫佐藤氏でした。
西行は馬術に優れ、弓の名人でもあった武士でしたが、
突然、23歳頃に出家し何の宗派も属さず放浪の旅に出ます。
その時、藤原実方(あこや姫伝承)の墓参りにも来ている。
もちろん、松尾芭蕉も。(道がわからず到達はしていないが)

砂金採りの俵藤太は、宮城県金成の金売吉次の伝承にも関係する。
義経を案内した人。
俵藤太=藤原秀郷で、近江三上山の百足退治の伝説で有名。
佐藤兄弟の母の祖先にあたる樋爪氏が、宇都宮にいた時、
「藤原季衡(清衡の子)は故郷の寂しさのあまり、宇都宮二荒山神社を抜け出し、
追っ手に捕らえられ討たれた」
と伝承される。

その意味は、「藤原秀郷が宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で授かった
霊剣をもって将門を討ったと言われている。」
に、通じるものがありそうだ。

百足退治をした礼にもらった霊剣があり、
それが龍神から贈られたと伝わる。
蜈蚣切(むかできり)とよぶ刀で、伊勢神宮に奉納されたと。
それは、藤原秀郷が考案した刀である。

藤原秀郷が所要していたと伝えられる刀を、「毛抜形太刀」といい、
毛抜形太刀の直接的な起源は、古墳時代、東北地方の蝦夷が用いてきた蕨手刀である。
つまり、蕨手刀の霊剣の技を、朝廷(京都)が奪ったから、平泉の藤原氏(橋爪氏?)が奪い返したのでは?
舞草神社がある平泉です。
日本刀発祥地。
思うに、元は、東北や関東にあった聖なるモノは、京都に奪われているものが多いでしょう。
歴史の中心を京都や奈良にしているのもそうです。

そこから、歴史は変わってしまった。
で、秩父とつなげれば、和銅がとれた聖神社は、「百足」を奉納している。
雄と雌。
百足とは蕨手刀の蜈蚣切のことでは?
蕨手刀は実際、東北から秩父へもたらされています。
その技術をもっていたのが、新羅人(シンラ)と考えられ、足の早い「脛(はぎ)」とつく名前の人が出てくる。
脛は、アラハバキともよめる。
それが平家となり、サンカが守ってきた「ウメガイ」に関係していると思います。
友人から、秩父長瀞あたり(聖神社付近)には、サンカが住んでいたと聞いたことがある。

そしてそのような霊剣を守っていたのが、藤原北家という集団。
藤原氏は、南家と北家とわかれていた。
互いに天皇の正統性を訴えるために、神宝を奪いあっていた話がある。
その霊剣にどんな意味があるのかわからないが、
百足退治の三上山は、琵琶湖を守る山でした。
琵琶湖の形は、淡路島。
竜宮城があったという伝承もあり、龍が住んでいた湖だったらしい。
かなり貴重な霊剣であると思う。
まるで、エクスカリバーのような剣。


※エクスカリバーを水に投げ入れるベディヴィア(オーブリー・ビアズリー、1894年)。

エクスカリバーの剣は、ブリテン島の正当な統治者の象徴とされることもある。
アーサーの血筋を証明する石に刺さった剣と同じものとされることがあるが、別物とされることもある。
アーサー王伝説にも、ニセモノの剣と本物の剣がでてきます。

「見よ、彼は立ち上がった。手にはアルスルの剣を持っていた。
剣身には黄金で打ち出された二匹の蛇の姿があって、鞘ばしると、
蛇の首から二筋の炎が立ち上るのが見え、
それがあまりにも恐ろしいありさまだったので、
だれ一人として目を向けて見る者もないほどだった。」
(アーサー王伝説より)

金蛇水神社の霊剣伝承を想像します。
もしかすると、剣は、血筋のことをいうかもしれません。
金蛇水神社は、蛇ではなく蛙ですが。

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金や砂金は、元来、不老不死の思想があり、
呪術として鉄をつくる産鉄族と、
武器として鉄をつくる産鉄族とわかれています。
それには、水、風水、五行説などなど、立地条件が完璧でなければならない。
剣で争った後鳥羽上皇が、名取老女に「我を祀れ」
という伝承を残しているのは、金蛇水神社の神宝があるように、
名取老女がそのような呪術的(祓い)を行えた人で、
霊剣を作る場所として、名取の環境が最適だった為、
熊野霊場が作られたのだと思います。



それが剣というよりは、血筋に関係する血統と考える。
なので、熊野神社には、ヤタガラスの護符がありますが、
朱肉といって、日本人が印鑑で契約するルーツは、血=肉体の契約という意味で、
熊野牛王符からうまれたと考えられています。
それがまさに、ユダっぽいわけです。
失われた十二氏族。(13?)



このような話は、平泉の黄金を築くためというより、
影には、義経が天皇家の系譜を知っていたか、守っていた人であるから、
頼朝に追われた立場になっている。このへんは、まだボンヤリ。
頼朝に追われた義経話には、安徳天皇も関係している。
安徳天皇と共に沈められた草薙の剣。

義経を守ってた佐藤継信兄弟だというのは、
狙われた理由に、天皇家に伝わる霊剣があり、
その剣(刀)を生み出せる刀鍛冶が深く関わっていることに。
剣そのものではなく、霊剣を生み出せる人物が鍵なんだと。

マロ伝承、タタラ製鉄、松尾芭蕉。
そして神社側にある馬牛沼にも伝説がありました。

もう少し、佐藤氏の母について妄想してみたい。
長くなるので、続く~。
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地下水脈の枯渇

2016-11-24 | 日記・エッセイ・コラム
先月からの雨乞ゆずに続いている話です。
もう一回、言いますと、蔵王麓にある「雨乞ゆず」は、
「東日本大震災の後に花があまり咲かなくなり、
2012年の収穫量は通常の1/10まで減ってしまった」そうです。

前々から地下が気になっていて、
水がとても気になりました。

イネハポという名前は、熊本にいる友達あっちゃんが命名した名前。
縄文語とアイヌ語で「母」という意味。
それは武甲山が原点にあります。
母なる武甲山。
たくさんの秩父人が、秩父をでていきました。(私もそうなった)
あっちゃんもその一人。
武甲山の石灰開発が始まる頃です。
反対してきた人はたくさんいたけど、実際行動をおこした人は、
たった一人ときいた。その方も秩父を去っていきました。

地元の人は、今でも武甲山のおかげで横瀬町が潤っていると信じている。
でも、痛みを感じている人もいる。
環境哲学という言葉がありますが、武甲山をみて知った話です。
自然環境というのは、人と同じ生き方を模索するものであり、
自分を中心にして社会や自然の関わりをもって初めて有機体という「生き物」になる。
単に個々が集まっているものではなく、
漠然と人は生きているのではない。



人の魂が光だというのは、粒子は飛び散るのだけれど、
中心に戻る習性があるという。



耳の痛い話だが、武甲山は「環境破壊の山」と教科書にのる山であり、
神奈備山とはほど遠い山に変わってしまった。
先祖が祖霊として崇めていた武甲山が、いまでは単なる「金」の山となってしまった。
武甲山の里山信仰が、みごとに崩された。
その痛みを知らない人たちは、どんどん武甲山の命を削っている。
それで秩父神社が潤っている。
だから、今の秩父神社を素直に参拝できない。
秩父夜祭も素直に鑑賞できない。

人が気づかない限り、大地が揺れるという話。
震災直後、実家に戻り、友人と登った武甲山で、
人工地震(石灰の発破)を体験した。あれも恐怖だった。
御嶽神社の下が、空洞になっているからかなり揺れる。


※武甲山山頂の御嶽神社

でも、東北地方にそのツケがきているのはなぜだろう。
平家は何かを一生懸命守ってきた人たちだというのはわかる。

平家は、ほそぼそと奥山で暮らす人たちなので、
追われたというよりは、何かをあきらめた感じがする。
秩父は平家里ですが、サンカの影響を強く受けている場所でもあります。
九州にもサンカはいた。
東北地方は、わからないけど。
-------------------------------------------------
数年前、武甲山麓で大量に水が流れるトンネルの扉をみつけた。
すごい音で勢いよく流れる水の音を聞いて、一体どこからきている水なんだろう?と思いました。
扉は頑丈に閉まっているので、開けることは危険なのでもちろんできません。
今は、立ち入り禁止になっています。



セメントを運ぶ時に使う水だと思うのですが、
周りの山は枯渇している。
かつては、川となっていた場所がカラカラになって跡だけ残っている。





そこに、修験者(御嶽講)の墓と産泰神社の石碑なども残っている。
御嶽講の修験者は、山頂から移された御嶽神社を、ここで祈り続けていました。




※岩戸神社

しかし、武甲山の伏流水は枯渇しており、
我家の井戸水も少なくなっています。
三菱セメントそばの札所9番も、井戸水が空になっている。
横瀬では、ほとんどの井戸水が減っていると聞く。

水を奪うリニア中央新幹線----------------------------------

何のための新幹線なんだろう。
ここまで意味のない新幹線は珍しい・・・。

地元の水はどんどん枯渇していくのに、
地元の人は良かったという。
秩父と同じ。

こういう現実があることも知っておいた方がよい。
地下水脈が、人工的に切断され移動させられている話。

「リニア中央新幹線が水を奪う」から引用させて頂きます。
http://www.aqua-sphere.net/literacy/j/j05.html

※水ジャーナリストをされている方のブログからです。
地下水を守るというより、「攻め」の守り方で取り組んでいるようです。
参考に。

・リニア実験線での水涸れ

「ここに「夢の超特急」の1つ目の問題点があります。
トンネル工事によって水涸れを引き起こす可能性があるのです。
私は数年前から山梨県笛吹市のリニア実験線周辺を何度も歩いています。

建設現場近くの道を歩くと何台ものトラックとすれ違います。
ときおり水がゴーゴーと音を立てて流れる場所があります。
静かな山のなかでコンクリートの滑り台を水が落ちて行く様子は異様です。

これは何か。トンネル工事の際、水脈にぶつかると、
トンネル内に水が溢れます。そうなると工事に支障を来します。
そこでコンクリートのバイパスをつくって他の場所に移します。
その水が音を立てて流れているのです。

しかし、そうなると別の場所で水涸れが起きます。
山のなかで水の消えた川に出会いました。
なぜそこが川だとわかったか。干上がった地面に、
水で削られた丸みを帯びた石と、魚やカニの死骸が転がっていたからです。
これはとんでもないことになっていると思いました。

トンネル掘削工事の現場周辺では、井戸水や河川の渇水・減水が相次いでいます。
地下水の豊富な地盤にトンネルを掘削すると、風呂桶の底に穴があいたようになり、
地下水が漏れ出します。
大量の出水により掘削工事は難航し、一方で、その地下水をつかっていた
人々は水に困るようになります。

平地の場合、砂や礫の層にある隙間に水が流れます。
平地にトンネルを掘る場合、既存の井戸があれば観測記録やボーリング
資料などをもとに計画を立てることができます。
~(省略)
しかし、山岳トンネルの場合は、簡単ではありません。
地下水が岩盤の亀裂の中に含まれているからです(火山地帯を除く)。
これを「裂か水」と呼びます。
地下深い岩盤内にどのように亀裂が入っているのか、
裂か水がどの程度存在しているのかはなかなかわかりません。

山岳トンネルを掘るときには、機械で岩を掘り崩し、
一定の長さを掘り進めたところで壁にコンクリートを吹きつけ、
鉄の棒で岩盤に密着させ、防水シートを張り、
さらにコンクリートで内壁を構築します。

あるいは徹底的にトンネル周辺の水を抜きます。
しかし、どこに水があるのかを正確に予測するのはむずかしく、
結果として水脈を切断することがあるのです。


代替水源---------------------------------------------

御坂町の水源である一級河川「天川」は枯渇しました。
八代町竹居の門林地区九世帯が使っていた井戸水は明らかに減っています。
応急対応で市の上水道に接続していますが、ここに住民に話を聞くと、
「工事前には井戸が減ったりしたことは一度もなかった」と言っていました。

御坂町上黒駒の若宮地区でも、生活用水として使っていた簡易水道が
渇水しましたし、八代町竹居で約100世帯がつかっていた
簡易水道の水源も枯れました。

工事者は「水源の水をためる層近くを掘削したことが原因」と因果関係を認め、
「日常的に水脈の観測を行いながら慎重に工事を進める。
仮に新たな報告があった場合、地元住民に対し、
きめ細かな対応をしていく」としています。

そうしたなか、やや意外に思ったことがありました。
何人もの住民に話を聞いたのですが、水源が枯渇したことへの
怒りの声はあまりなく、補償として代替水源を確保してくれた
ことへの感謝の声ばかり聞きました。
とりあえず今日、明日の水が確保されればいいということでしょうか。

ですが代替の水は遠くからポンプで配送されているため
エネルギーコストが高いはずです。
さらに生活水の補償は、国土交通省の通達で「最長30年間」
という期限がありますから、
将来的には水道料金として住民が支払うことになるでしょう。
そのときになって地元の水が消えたことを後悔しても遅いのです。


--------------------------------------------------------------
この記事を見つけた時は、武甲山のセメント開発と同じだ、と思いました。
武甲山には岩盤に含まれる水が大量にあるという。
その岩を削り大量に水が流れ出たと考えることもできる。

山の山頂付近に突如、岩盤から湧き出る水を「裂か水(れっかすい)」といいます。
地層水は、地下水なのですが、
岩の割れ目から量は少ないですが、地下の岩盤に貯まった水をいう。
武甲山は、石灰岩(もしくは大きな穴がある)の中に大量の水が埋まっている
話がある。長い長い時間をかけて雨水で貯まった裂か水によるものだろう。

山梨県富士川町から豊丘村に至る延長約50キロのトンネルと考えられ、
富士川、大井川、天竜川という三河川の流域を一本のトンネルで貫くそうですが、
現在、水涸れについて最も心配されているのが大井川だそうです。

大井川は、古くは駿河国と遠江国の境界線でした。
国境線には豊かな伏流水が眠っている。
それが枯渇する。
アルプスが一番水が豊だと思っていたが、実際、そうではなかった。

・生態系保全の視点はない---------------------------------

「これまでつかっていた水がなくなっても、代替の水は用意してくれると
言っているんだから、それでいいじゃないか」
という人がいます。
そういう人はほかの動植物のことを考えていない人です。

工事によって、河川や湖沼の水深が浅くなる、流れが切れる、水温が上がるなど、
生態系がダメージを受ける可能性は高いのですが、
長大なトンネルの建設現場を取り巻く南アルプスには多様な希少動植物が存在します。


これから、日本の地下水がどんどん減っていきます。
その水を使って資源開発している企業がもうかるだけで、
生活基盤となる水は枯渇する仕組み。
自立できない生活をしてしまったから、何もできません。
ただ、地元の人が、このことについてどう思うのか。
武甲山の二の舞が、あっちこっちに出てくる。

腹黒い国交省-------------------------------------------------

無駄に水を使うことが、結果的には廃墟に向かおうとしている事になる。
こんな話、あっちこっちにあります。
地下水の重要さを知らない地元の人だから、工事が行われるのです。
反対しないから。という理由で。

リニア中央新幹線本線は、東日本大震災から間もない2011年5月に国交省が
「GOサイン」を出し、建設に向けた動きが一気に加速しました。


「2011年5月27日、国土交通大臣がJR東海に対して中央新幹線の建設を行うよう指示した」

まるで、震災を待っていたかのようなGOサイン。
今のうちに手を打っておかないと反対されるから。
震災直後は誰もそのことに気づけない状態ですし、弱っている時ですから。
しかも、あの大変な震災の時に、工事を始めた国交省って腹黒いなーーー!
でも国交省としては、地元の人が何も言わないし、反対もないのだから、
非がないと思っています。
何度もいうけれど、痛みを知らない人が世の中をつくっています。
残念。

時間がたって、今頃になってこういう実態に気づく。
もう手遅れ。
その原因はどこにあるのでしょう?

武甲山は、小学生の頃からすでに破壊されていました。
なので、子供には阻止できません。
大人はその時、何をしていたのだろう?と思います。

私の友人は、今、東京に住んでいるのですが、
横瀬町にずっと住んでいて一度も実家から出たことがありませんでした。
40年以上もずっと実家暮らしをしていた理由は、先祖代々、屋号は「飾り屋」で、
神輿などの金細工をしていた先祖の実家を守るためでした。

その話は、友人が東京へ引っ越す時に聞いて、びっくりしました。
早くにお母さんを亡くして、ずっと介護していた友人だったので、
そんな深い理由があったことを知らず。
家を出ることは良くないと思っていたそうです。
ずっと先祖が友人(一人だったので)を引きとめていたわけですが、
本人にとっては、ようやく自由になれたわけです。

横瀬町は、土地や先祖を大事にする人が多いんです。
そういう所だから、友人の気持ちが、よ~くわかる。
友人が実家を出ていくことを、檀家のお寺の僧侶が聞いて泣いたそうです。
近所の人たちが、長い間、苦労してきた友人をねぎらう。
それは、先祖をみな知っているからと、後継ぎがもういないという意味でもあります。
こんな武士みたいな女性もいるのだよ・・・・。

友人は、「自分のために」東京へ行きました。
長い間パン職人として働いていましたが、今はスイーツのお店をまかされ、
忙しい毎日を過ごしています。
おいしいパンを焼くんだよ~。

---------------------------------------------------------

ということで、残念ながら、地球を破壊していく方向に世の中は流れており、
里人もどんどん減っていきます。
それでも前向きに考えよう!とあきらめない先祖の声も聞こえます。

「破壊と同時に再生が生まれる」という話を聞きました。
その通りで、震災から変わりました。

片目の伝承は、真実を見せないためでもある。
両目を見開いているのは、ネパールの神々。
インドですね。
インドが世界を救うという事を聞いたことがある。
それによって日本が救われた歴史もあるそうです。

シバ神など、私はこの神が好きです。
それが、艮の金神でルシファーです。
艮の金神は、鬼門にたつ。(国常立命)
まあ、神々は何でもよい。

ある人が教えてくれました。
堕天使は、光をもっているから闇がある。
あえて闇となり、暗闇にいる人たちを救済するための「光」の働きをする。

なので、縄文人は「6」を聖なる数字としています。
6が3つそろうのは、三位一体。
三人で何かを成し遂げるというのは、
二人の間を取り持つ人が必要で、それがククリヒメという働き。
「混乱しているものを、一括りにする」という事で、
仲裁や和解を行ってきた人と考えられます。
ククリヒメが気になる人は、和解する方向に動ける人だと思います。

古事記では、死の国(イザナミ)と生の国(イザナギ)の仲介にあたった。
二柱に一柱をつけて三柱にするのは、三角形のピラミッドを形にするためだと
思っていますが、「救済」の意味もあるかもしれません。

666は、悪いものからの脱却です。
それを封じたり阻止する歴史は、キリスト教からで、
悪がないと善が成り立たない思想なだけです。
そこに深い意図はありません。

国常立命が坐する方角は、北東北です。
重要な鍵を握っている東北人なのです。
今回の福島県のM7の地震は、気づくまでまつろわぬ民は震えますという意味で。


※実家の横瀬町古御嶽城跡の国常立命の石碑。
左:アラハバキの氷川大神の石碑。右:天照大神

個々の解釈によって、これからの未来が決まることになります。
重要な位置にいる自分を忘れず。
また、そんな自分を大事にすることですね。

また、思考が現実化する現象が、急速に進んでいる気がします。
それと同じくして、先祖や霊統という次元の違う人との繋がりが濃密になってきています。
それは、私にとっては有難いし、望んでいたこと!
もう一度、歴史を振り返る時にきていると思うので、
その時間を大切にすることが、良い方向に導いてくれるようです。(^^)
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オロチの射日神話

2016-11-22 | 神話・伝説
震えちゃいましたね。
被害が少なくて良かったです。
福島と宮城は本当に地震が多いですね。
昔も何度も地震はあったというけれど。
に、しても数年前(震災前から)おかしい地震だと感じます。

地震があった朝、寝てました。
ええ、起きませんよ。朝早いし。(眠気に勝ものなし…)
地震に慣れると怖いね…。
揺れてるな、というのはわかる。
かなり大きいな。震源地はどこかな?
で、寝る。旦那も起きない。
じぶんちが震源地だったら即アウト。

でも、またこれで思いだした。
とりあえず、水の確保!

外ではサイレンみたいな、何か放送してるけど、
沿岸部の方は、不安になりますね。
我家は内陸なので心配はないのですが。
でも、今回が余震ということもありうるので、しばらく用心した方がよいですね。

地震の朝、雲から顔を出している太陽をじっとみて思うこと。
太陽が気になる。
なぜ、あんなに強いのだろう。と思う。
最近、太陽が強いと感じるのです。
日差しが強いというより、何かが違う太陽な気がするのです。

太陽フレア。
前に書いたな~。
太陽フレアによる波動の影響を受けて揺れるというのはあると思います。

それに太陽といえば。
最近、耳にしていた二ギハヤヒ。
三次元の物質界でいえば、太陽の動向による影響。
神話(精神)の世界では、太陽神の二ギハヤヒがでてくる。
特にアジアに多い射日神話。
なぜ、太陽を射ったのか。
はるか昔、今と同じように太陽がおかしい事があった。
古代の人たちは、科学的に説明ができなかったわけではなく、
科学で解明できないモノは、科学で説明ができないわけですから。
2つか3つもしくは、7つ、8つ、9つという説もあるが、
数ある太陽の中で、たった1個だけ太陽を残し、ほかの太陽は落とした。
という伝承があります。

射日神話が世界中に伝わっており、中でもアジアに集中しているのは、
天岩戸開きとも関係している。
簡単に云うと、2つの太陽信仰があったが、1つを落とした。
落とされたのが二ギハヤヒの太陽神と考える。
それが私はアイヌラックルの神話に関係しているように思います。
アイヌラックルの話では、太陽神というのは具体的に登場しませんが、
まるで「もののけ姫」の世界のようなのです。

妄想ですが、オオヒルメムチという太陽(女神)というのは、
神武天皇より前の古い太陽信仰なのでは?と思います。
アテルイや悪路王が関係する太陽神だと思います。
そしてその太陽神が、悪玉姫の龍なんですね。
もう、私の中ではレムリアの世界が浮かんでいます。
それを落とされた話が、射日神話の影に隠れている。

たくさん射日神話のある中で、気になった神話をご紹介。
北方の先住民たちの伝承です。

・オロチ(オリチ):サハリン、アムール川流域

天地が創造された頃、天空には3個の太陽が輝いていた。
このため鉱物も煮え立つほどの暑さであり、地上世界には創造神ハダウだけが
存在していた。ハダウは暑熱を和らげるため、ふたつの太陽を射落とした。
これによって地上世界は、人間や動物たちが暮らせる環境になった。
同族には次のような伝承もあります。

「遙かなる昔、天空には3個の太陽が輝いており、地上世界は非常に暑かった。
このため人間は水の上で生活し、空中を歩いていた。
地上で暮らしたくなった人間が、弓矢でふたつの太陽を殺すと、大地は冷えて
森林に包まれた。人間が地上で暮らすようになったのはこのときからだ。
なお、山で目にするたくさん穴のあいた岩は、太陽が3個あった時代の名残である。
余りの暑さに岩がまるで沸騰したのだ。」


ウデ、オロッコ、ナーナイ、ネギタル、ニヴフ族などの神話には、
すべて太陽が3個あり、そのうち2つを落として1個にすると、
世界が住みやすくなったという話になっている。

・入間の射日神話


垂仁天皇の御代に、9個の太陽が出現したことがあった。
朝廷は、ただちに天文博士を召し出して占わせた。
すると、北の端にある太陽は本物であり、南に並んでいるのはカラスが化けたもの。
このままでは天下の災いになる。
朝廷では早速8人に弓の名人に太陽を射落とすよう命じた。
応じて武蔵国入間郡(埼玉)に向かう8人の射手たち。
垂仁天皇も事の推移を見届けるため、わざわざ武蔵国の行幸した。
準備が整うや8人は、神に必中を祈りつつ矢を放ち、見事に8つの太陽を
射落とした。太陽が落ちたのは九州の日向国宮崎郡であり、
このときから同地には「日向」の字があてられるようになった。


※太陽と月の伝説(新紀元社)

入間の話は、南に並んでいる太陽が、九州のことをさすのか、
太陽のふりをしたカラスがいるという話。
そのまま読むなら、カラスはヤタガラス。
神武東征のヤタガラスの光とは、新たな太陽神の政権交代。
もしくは、太陽を射られたのが月であり闇となった。

今の太陽は、ヤタガラスが導いた神武天皇の太陽です。
なので、今の天皇制は、神武天皇から始まっています。
それ以前が、矢で落とされた太陽神か月神。
-------------------------------------------------

突然ですけど、ブログを読んで頂いている方々、
すべての方に本当に感謝でいっぱいな気持ちになっています。
なぜか、みんなの力が、どんどん繋がりをみせてくれている気がします。

いつも妄想ブログですみません。
勝手に先祖のことを言いまくってすみません。
でも、そんなご先祖様に感謝の気持ちでいっぱいです。
また、コメントを入れて下さる方々が、
みんな、繋がっているということもわかりました。
そのような方たちが、とても良いメッセージを送ってくれることを、
ちゃんと受け止めることができるようになりました。

本当にありがとうございます。
おかしい話かもしれませんが、私はそう思っています。

先祖が過去の過ちを繰り返してきたことについて、
本当に反省している。というのを感じています。
申し訳ないという気持ちがあるようです。
なので、過去に敵同士、戦いあった者どうしが、
これからは手を組んで、協力して、互いに子孫(末裔)が出会って、
喜び会えたら、こんなに幸せなことはない!と。
そのようなことを先祖がフツフツと仰っているようです。

これについては、私も心底、思うことです。
歴史は何度も繰り返す!でも、もう争いは終わりにしよう!
先祖が仲良くなるのは、理想です。いや、実現させねば。

ということで、私は先祖の教えについて、
神話や伝説、昔話からでないと、理解できません。
先祖は私たちに、そのような話を残してくれたのですから。

最近、コメントを頂いた方が武蔵国(昔の)出身の方でしたので、
それでピンときたわけです。
入間(埼玉県)の射日神話ですね。
これが二ギハヤヒと繋がっているという事で?

大物忌神社で書きましたが、私は二ギハヤヒという太陽の夢をみてました。
厳しい顔している姿でしたが、私は「怒り」だったら・・・と。
心で解釈するなら。
太陽で解釈するなら、暑い太陽。
まるで射日神話のような。。。

怒りはもつべきものではないですが。
でも、人間だもの・・・。
私たちがそのような怒りやイライラをもつから震える。というのはあります。

そしてまた、最近、コメントを頂いた方が、何かを感じるということで、
調べてみたところ、気になっていた地下水脈にピンときた。
太陽(陽)と水(陰)。
何かありますね。

今回の地震や、これからの事に関係していると思われるので、
また次も妄想します。
痛い話ですけど。
環境破壊と地下水の枯渇を。

-------------------------------------------------

十数年前に「ダ・ヴィンチ」という雑誌に私が書いたエッセイが掲載されたことがありました。
内容は、子供の頃、夏の入道雲をみて、ハワイだと本気で思っていた話。
雲が島で、空が海。
あの雲へ行けばハワイに行けると本気で思っていました。
今おもえば、あれがレムリアの世界だったのだな。

その記憶を忘れないために、わざわざ?武甲山麓に生まれたわけです。
秩父は昔は秩父湾の海だったのですが、ハワイ沖から隆起した岩盤の端が
秩父帯といわれる地層です。(沖縄まで続いてる)
ハワイの一部ということ。
ハワイはレムリアの記憶をもっているそうです。
特に、武甲山は特殊らしいです。
詳しいことはわかりませんが、隆起している形が変わっているそうだ。
逆さまになっている状態。足が上で頭が下。
それって植物と同じでなんですよ。

地下深くにレムリアの記憶が眠っている武甲山。
だから、破壊されるのです…。

茨城県はパンゲア大陸の東端。5億年も遡るほどの古い地層が
茨城県にあり、阿武隈山系と繋がっている。
なので、イワクラ信仰が多い。

神武天皇が落とした太陽というのが、トヨタマヒメの龍ですかね。
地震が多い茨城県の鹿島神宮に石を置いているのは、
龍の気(地下の何か)が動かないようにした為であり、
落としたのは、もっともっと重い次元に落としたような事があります。

今、その石の力がだんだん弱くなっている?!
石が軽くなっているといった方がよいかもしれない。
要するに、これからの地球は軽くなっていくのではないでしょうか?!
次元上昇というのは大袈裟ですが。

なので、地下に眠っている龍気が目覚める時がやってきていると
私は考えています。
レムリアが再び上がってくれたらな~。

次回、地下水脈の話を。


写真:photo stockerより
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まつろわぬ民の震え

2016-11-20 | エミシについて
ひとりごと
こんなことを考えている自分は、いったい何者なのでしょう。
・・・暇だ。それか。笑

もののふの祈祷に、「ふるえ~ふるえ~」の祈祷がありますが、
フルエは、そのまんま「震え」の意味があると思います。

噴火や大地震が起きると、まつろわぬ民は、
どんな祭りかわかりませんが、祈祷をして祭りをし喜びに歓喜しました。
大和朝廷は、その様子が異常だというので、まずは九州の阿蘇氏を成敗する
ように考えます。
エミシ征伐の始まりは、阿蘇氏を中心とした豪族や大地母神の思想、
熊襲の征伐によるものです。

それは、噴火や地震の揺れが恐ろしいというよりは、
人間の魂の震えをよびかけることになるから、朝廷側は危機感を覚える。
また、同じことを繰り返すことになる、と。
災害があるたび、神社が昇格するという話は、祈祷を強めることに通じる。
そのようにして古来から続く、自然崇拝の威力を知った朝廷が、
別の神により鎮めることを行ってきた。

人類は何度も絶滅の危機を経験しています。
天変地異を起さないと、人が目覚める(覚醒)現象が起こらないというもの。
私たちよりはるかに先を生きていた古代人の智慧です。
残念ながら、被害がでるのは致し方ないという発想です。

なので、大国主をあがめていたエミシを悪く捉えるのはそのような背景がある。
問題は、そのことについて、「自分の祖先がどの位置にいたか」が、重要。
他人の云うことに自分が従うのではなく、先祖はその時、どうしていたか。
それが今、私たちに繋がっているからです。
そこを見ることができれば、今後、自分はどの役目としているか、
自然とみえてくると思います。

あれだけの震災ですから、多くの方が亡くなられたのは、
いまでも、これからも、ずっと私は、傷ついて生きています。
あの震災で多くの人が傷つきました。
それでも生きなければならない理由に、覚醒などと綺麗事を言うのはどうかしてる。

でも、古代史からずっと歴史をみてみると、環境破壊による要因があったのです。
簡単に述べられないのですが、私たちに返ってきたことだったのです。
なので、これからは、あのような大震災はおきません。
今ようやく私たちが、それに理解しはじめたから。

地盤の傾きや地殻変動の振動、火山の噴火の音(振動)などなど、様々な振動が人の魂を気づかせます。
地震の揺れで心がブレることになる。
その時、恐怖や不安になるか、単に地球のうなりと考えるか。
その意識だけで、180度くらいガラっと世界が変わる。

私は311の揺れより、4月7日の時の揺れの方がショックでした。
地下から湧き上がるゴー、という地響きの音は、普通ではないな、と思ったものです。
あの音は今でも感覚的に残っています。
あの音が、人の魂に震えを起すモノだと感じる揺れでした。
なので地下からドンっと突き上がってくる揺れは、熊本の震度7と同じ揺れ
だったのではないか、と思うのです。

しかも、311から2週間後くらいにいったん実家に戻り、
4月7日の日に、再び高速バスで仙台に戻ってきたのです。
その日の晩に、ドンと地震が起きてしまった。
地震の揺れを体験しなければならないのだな、と思ったのです。

こういう話はキリがないのですが、ちょっと科学的に根拠があるんです。
以前から、私は長白山が気になっているのですが、
4月7日の地震の揺れの方が衝撃だと思ったのは、かなり深いマントル
(地球には上層マントル浅い方、と深いマントルがある)で起こった「スタグナントスラブ」
といわれる地震でした。
深いところで沈み込むマントルの揺れや振動が、心に響いたということです。

これが、実は日本と長白山と地下深い所で繋がっているのです。
言うならば、長白山の存在は、スタグナントスラブによって説明できるという事です。


詳細は、こちら。
「沈み込んだプレートの穴と長白山火山の起源のなぞ」
http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/utokyo-research/research-news/enigma-of-changbaishan-volcano-and-a-gap-in-stagnant-slab/

なので、決して人工地震ではないモノです。
人工で起しているという話は、その揺れを鎮める働きをしているものかと思う。
ただ、それが逆に大きな被害をもたらしている事になっているが・・・。

縄文~古代人は、そのような振動により、人間の核となる魂は、
地球の核となるマグマのエネルギーによる震えを教えに生きていた人々でした。

しかし、大和朝廷など渡来してきた(特に白人)人は、その意味がわからない。
恐ろしいことが起きると予言した人たちは、
そのような震えがなくとも、「自分たちでコントロールできる」と考え、
鎮める祈祷を始めます。
覚醒のための開く祈祷ではなく、地球の震えを鎮める祈祷により、
閉鎖的においこんできた歴史があります。

今、いろいろなスピリチャルの方たちが、鎮魂をされていますが、
大地震や大噴火に異常に反応する人たちは、古代人からみると、
朝廷から派遣された鎮める側の役目として霊統がついているのだな、と思います。

私は地震や噴火が起こることは必要なことだと思う方なので、
エミシを考える。が、まつろわぬ民を追いかけてきた記憶も少しあるので、
どちらの経験もしている。
なので、よく葛藤するのは、自分はどっち側なんだろうということ。
それは、大伴氏もそのような位置で悩んでいたらしい。
私は、大伴氏と縁があるようだ。先祖ではないと思うけど。
(最近、みえてきたこと)
古代史でいうと、物部氏と大伴氏はよくでてくるけど、私の中では、
蘇我氏がみえてこない。
この人は、軍事ではなく財政をおこなっていた政治家や経済界にいた人なので、
私には無縁なんですかね。
家の先祖は、長い間、近衛兵のような役所にいたことがわかっているので、
あまり関わることがなかったのだと思う。

だから、鎮める気持ちにはならないのは、呪術的にどうなんだろう?
という疑問もわいてくるから。
先祖もそのようなことをしていたから、ここで葛藤するのだ。
「こうするほか方法がなかった」と、大国主が泣いてた(と思う)
これは、震災前日の晩に、オラクルカードで大国主を引いた時に出てきた言葉でした。
今になって、だんだんその意味がわかる。
大国主が、大地震を引き起こしているのではなく。
大地母神というのは、そのような揺れを引き起こすエネルギーをもっている。
たぶん、それがオオヒルメムチという母神だと思う。

綺麗ごとかもしれないけれど、そうでなければ、「人は目を覚まさないから」という。
人というのは、土地の霊(神)だと思う。
土地の霊は人に憑きやすいかもしれない。
人を動かすのも土地の霊だったりする。
良くも悪くも入りやすい。

神々とはいうけれど、人間と同じなんだな。
もしかしたら、大国主の方が、私たちに助けを求めているのではないかな?
震災前の年、海をみたくて常磐線で秩父へ帰った。
今おもえば、震災が起きるからエミシが歩いてきた海をみたかったとわかる。
その時、初めて、鹿島神宮に立ちよったのです。

震災の翌日、大洗神社(茨城県)がある海に大きな渦ができた。
震災の時、スーパーで食料を買うので並んでいた時に、
たまたま見てしまった画像だった。
ショックと同時に、とうとう起こった、と思う方が強かった。

今でも大国主の祠に会うと、悲しくなってきます。
なぜ、そうするほか、方法がなかったのだろう。
ただ、犠牲者は最小限に留めてほしいと、常に願っています。
---------------------------------------------------

よく先祖のことで家系に悪いことが起こるといった話をききますが、
本当に先祖が子孫に祟るというのなら、私たちは生まれていません。
本当に祟られる家系は、すでに絶えていると思いがちですが、
実は密かに生きのびていた。
「名前を変えて」(言霊)生き延びている先祖がいたのだから、
子孫がそれでも自分たちの家に悪いことが起こっているのは先祖の過去の行い
があったから。という人がいると、私も悲しくなります。
ですが、もうそう言ってる時代は終わりました。
先祖が・・・というのならば、その先祖の力を逆に私たちが試す時です。
もちろん、良い方向に。

先祖が泣いているイメージが浮かぶ時があります。
特に平泉。私の先祖かどうかわかりません。
思いだすのは、震災の数年前に起こった宮城県北部の地震。
あの時、衣川が泥になって土色の川になっていた。
あれをみて、フツフツと古代を思い出す。
たぶん、同じ光景を昔にみていたからだと思います。
アテルイといった地の場所では、無念さを感じる。
先祖も、一生懸命今でもいきていて、違う形になって側にいることを感じる。

先祖というか霊統というのか、何かが「違う」と一生懸命言っている
のを感じることも、多々あります。
たぶん、私たちが違う方向にいこうとしているからだと思います。
どう修正してよいかわかりませんが。
たぶん考え方、勘違い、食い違い、ということだと思います。

やっぱり本能しかないと。それしか私には言えない。
本能を育ててきたのは先祖でもある。
本能が一番、信頼できるパートナーです。
自分の本能を鍛えるためには、前にも話ましたが、自然に多くつかること。
それに尽きます。自然崇拝は、本能を鍛えるものです。
神社では本能は鍛えられない。

祈祷など巫女の家系にいた人は、「祈りがたりない」といわれることがあります。
祈りがたりないから、宗教に入るというのは全く違います。

求めるのではなくて、与えることをしなさい、という事です。
たぶん、大国主は、与えてほしいと、言っていると思う。
私たちが大国主に対して、何かしてほしいこととは?

実は、私はこれが一番苦手。
だから、早くに介護がふりかかってくるのです。(私の場合は)
平穏に何なく暮らしている人は、もう満たされていると思います。
不公平にもみえますが、先祖が相当な苦労をしてくれたおかげです。
我家も主人の家も、有難いことに災難はありません。
先祖がそのような祈りを続けてきたことを「わかっている」からです。
理解する。それだけで良いのです。
理解をしないから、先祖が悪い行いを・・・という理由になる。
それは違うと先祖が言っている。

怪我や事故、それに免れなかった被害が多いですが、
増えているというよりは、高齢者のドライバー事故の話は、
ようやくニュースで取り上げた事だと思います。
事故の多くは高齢者が圧倒的に多く、それは以前からそうでした。
80歳をすぎた高齢者が運転をする。それ自体、もう本能が死んでいると
思っています。災難を自身で防げないから。
普通は、その年齢で運転はしません。
家族もさせません。
でも自分は大丈夫だと思っている高齢者が非常に多い。
自分の力量をわかっていないのは、本能が死んでいるからです。

もし、この先、事故が起きるようなことがあれば、
それ以前から、車の運転ができない流れになります。
本能が自分を引き止めてくれるものです。
本能とは、そういう働きをするから「本物の能力」という言葉通りのことです。
本質的にすでに持っている霊力です。
その働きは脳のどこか。(これはわからない)

残念ながら、退化しているという意味でもありますね。
高齢者の事故だけではなく、豊洲移転の問題でも、人が退化していきているのだな。。

日々、日常の中で、与えることが少ないといった考えはよくあると思います。
介護でもボランティアでも何でもよいと思いますが、
人に与えることが供養になることは、実際あります。
まれに、家族のひとり(兄弟姉妹の末子は特に)その役目が来ることがよくあります。
私も末子ですから。そういう時は、素直に引き受けるしかありません。
「その人にしかできない」という意味ですから。
それはすごい事なんですよ!
自分のためだったのが、いつか、人のために変わっているものだから。
なので、大変な経験をされている方は、それだけやり遂げる力がある証拠です。
ただ、無理なくね。

福岡県博多で大きな穴があいたニュースに驚きましたが、
水が大量に湧きでてました。
以前から、あの場所では陥没があったそうですが、今回は普通ではありません。
でも、下水も電力もガスも、ほぼすべてのライフラインの管が、
全く問題なかったことがスゴイ!!
建て物が崩れてないことも。
それに、もう復旧している・・・。

元々地下にあんなに大量な水があったわけではないと思います。
詳しいことはわかりませんが、以前、「雨乞ゆず」で書いた話のように、
昔は大量にあった地下水が大震災によって減少した地下水脈があります。
変わりに別の場所で、枯渇していた地下水脈が、大量に湧き出る場所があるのは
不思議ではありません。

ということは、博多市内に?大量に地下水が溜まっているというのは、
熊本の地震によって、地盤の大きな崩れが内部で起こり地形が変わった。
そのため、地下水が集まったという事かもしれない。
被害もゼロだから福岡には天神の地名がある。
地名通りなのだな、と思いました。
九州の地下で、何かが変わっているのはあると思います。
なので、東北の震災と九州の震災により、地下水脈の移動が行われている。
という事は言えると思います。
地下水脈も龍脈のように、流動的に動いてる。

さて、今回の、この福岡の陥没が、地震と繋がっているということで、
これからは、天より地下に目を向ける時かもしれない。
世界の神話では、地下には龍が眠っている話だった。
龍が動いていることは、もう疑いのない事実と考えた方がよいね。
それが東北と九州というキーワード。
地下で繋がっている話。
妄想するに阿蘇山は、東北のどこかの山と地下深く何かで繋がっているかもしれない。

なので、私は前向きに考えています。
未来は、これから明るい方向に、ようやくいってくれます。
今まで見えなかったモノが、だんだん見えるようになってきます。
これから賑やかになるね。
そうそう、以前秩父で「賑わい塾」に参加していたことがあった。
賑わいは、二ギハヤヒからとったという。
そういうことだね。

※気仙沼のスーパームーン
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ムスヒの太白山

2016-11-16 | 東北地方の伝説(宮城県)
縄文登山@太白山。
久しぶりの太白山へ。
11月8日の話ですが、8という数字に縁があります。
やっぱし、このお山は素晴らし~!



ええ、この日も、3人で登ってきましたよ。



宇宙と太白山のはなし~。
ところで、太白山は、こんな山です。


これは大袈裟だけどね。笑
秋保里センターにありました。興奮しているのは私と男の子。
ええ、大体そうなりますよ。子供は動く電車に夢中。
私はご飯のような太白山に夢中。



おいで~、おいで~の生出森。
太白山に登る時、いつも私は自然観察センターの方から登ります。
生出森八幡から登る方が早いですが、
それでは本当の森を堪能できない。
お二人を連れて太白の森へ♪

湿原の水量がとても減っている。
秋は毎年こんなに減ってるものだっけ?
なんかおかしい。





-----------------------------------------
太白山は古くは、ウト(オト)とよばれてました。
「烏兎」と書くのですが、オトガ森の由来は、ウトからきている。
「うとふ明神」というのがありました。

「熊野堂今昔風土:川村善次郎」によると、
場所がよくわかりませんが、宇道山というのが古図にあり、
古老の話では、「烏兎山(金鳥玉兎、日と月)と推測されると。
「うとふ明神」は日と月の神を祀ったお堂で、「うとふ」
は「烏兎」の訛った言葉と思われる。
太白山がオトガ森といわれたのは、烏兎から由来すると。

青森県に善知鳥神社があります。
http://www.actv.ne.jp/~utou/utou.html

「うとう」という鳥は、
中型の海鳥(ウミスズメ科)で非常に個性が強く親子の情愛が深い保護鳥。
こちらのサイトより、
【善】徳の究極、すなわち神の意志に叶うこと
【知】神を祀ることによって、神より与えられるもの
【鳥】予知能力をもち、天空の神々と地上の世界を結ぶ神の使わしめ
古代人は、ウトウ鳥が天空の神々より与えられた神意を地上の世界に使わし、
人々を善へ導く聖なるものと考え神使の象徴として善知鳥の字を充てた。


善知鳥神社の由来には、
葦をアシともヨシとも唱ふるより、アシには悪字を書し、ヨシには善字を書し、
葦原の中に住む千鳥ゆえ悪千鳥、善千鳥と書し、善知鳥となった。


「陸奥の方言に、海辺の出崎をうとうといふ。外浜なる水鳥に、
嘴は太くて眼下肉つきのところ高くでたるあり。
故にこれをうとふといふ。彼鳥の嘴に喩て、出崎をうとふといふか。
出崎に比て彼鳥をうとふという 何にまれ、さし出たる処をうとふといふは
東国の方言なり。 」




アイヌ語の
「烏頭 ウトウ u-toのuは、名詞の接頭語として場所を示す。
toは沼を意味する。よって、u-toは「沼のある場所」となる。」

「ウトウはアイヌ語で「突起」を意味する語であり、
この鳥の嘴が突き出ているので「ウトウ」と呼ぶようになった。
などがあります。

私は、ウトウは、トートが由来だったら面白いと思うのですね。
トートは、エジプトの鳥(女神)ですが、
「自らの力で石から生まれたとされる説がいちばん有名である」という話があるから。
トートがウトウの響きになった感じもします。


※末期王朝時代のトート神像(ウィーン美術史美術館)

何年も前ですが、友人と太白山へ登った時、薬草を作っている魔法使いのお婆さんのような人が
夢に出てきたと言ってました。
私もその友人が、魔法を使っている(水で)夢をみてました。
場所がヨーロッパのイメージ。
友達はキルケーみたいだと(ケルトのアーサー王伝説にでてくる人物)。

トートも実は、魔法使いや呪術を用いて、薬をつくっていた人物として語られています。
ホルスに頭を切り落とされたイシスを、牝牛の頭に挿げ替えて復活させたのはトートであると。

謡曲にもある「善知鳥」ですが、
鳥類をたくさん殺してしまった狩猟の人の人生を描いたものなのですが、
それに感化された人がいて、青森県出身の版画家棟方志功です。
棟方志功は、富山県に疎開したことがあり、
そこで善知鳥に出会ったそうです。
善知鳥の作品もあるのですが、富山県は立山です。
善知鳥の能は、立山が元祖でした。

「富山県立山の地獄谷が発祥地といわれ、長野県塩尻市に善知鳥峠、
青森県青森市に善知鳥神社がある。出羽国でも仙北郡美郷町千屋、
秋田市(旧雄和町)平尾鳥などにも「善知鳥」の地名がある。」

それで、善知鳥神社のご祭神をみて、またもや。
宗像三女神とあった。
宗像は、棟方志功の名字と同じ読みですね。

「天照大御神様(あまてらすおおみかみ)と速須佐之男命(すさのおのみこと)
との誓約(うけい)によって生まれた神々。
『日本書紀』によると大御神が三女神に、道中にあって天孫(天皇)をお助けし、
天孫の祭りを受けなさいとの言葉を下されたとある。別名「道主貴」
(みちぬしのむち)と呼ばれ、道中安全(交通安全・海上守護等)の神として
篤い信仰がある。


「道主貴」とは、宗像大社にありました。
「貴(むち)」とは最も高貴な神に贈られる尊称で、
伊勢神宮の天照大神 「大日靈貴(おおひるめのむち)」、
出雲大社の大国主命 「大己貴(おおなむち)」、
そして宗像大社の宗像三女神「道主貴(みちぬしのむち)」の三社
のみに与えられている称号です。


天照大神は、古くは「オオヒルメムチ」
そして出雲。
沖の島に七夕伝説。
仙台に七夕祭りが今でも続いているのは、伊達家のおかげです。
伊達家は、出雲であり大国主(大物主)をまつる宗像系にルーツがあるのかもしれない。
九州からやってきた豪族が仙台を治め、その継承に選ばれた人が伊達政宗。
よって、金星を太白山に治めたのだろう。

アイヌの人たちが「ウトガ森」と聖なる山とあがめていたからで、
アイヌ人という説のほかに、九州からやってきていた人たちの末裔が深く関与している。
そのウトウという鳥は、烏と兎と漢字をあてているのは、
烏が熊野で、兎は出雲という意味だろう。
また、その兎とはセオリツヒメとの説があるが、おそらく熊野信仰から
由来しているもので、水神を単に祀っただけであると思う。
それより太白山が重要なのは、「山の力」であって神がどうのこうのではなく。

それはどういう意味か?
その統一を考えていた伊達政宗の妄想・・・。
そしてその意味は、「金星」なのです。



金星と五芒星------------------------------------------

八幡宮より上に祀られているのが、貴船神の金星神です。
里宮は八幡として、本宮が「太白山」としている。



それには、もっと深い話があるのです・・・。
「タイハク」は、金星が落ちてきた=鞍馬の天狗を貴重としているからですが、
サナト・クマラは、堕天使といわれます。



「うとふ」から太白に変えたのは、伊達家の構想だといわれる。
太白は金星信仰(空から金星が落ちてきた)のため、
山頂に貴船神社が祀られることになった。
太白山を聖山としてあみだされたものだと思う。


この岩も、あの岩も、どの岩もみんな、静かに眠っているみいたな岩。
はるか昔、どんな岩だったのでしょうね~・・・

イワクラと思われる岩です。(上から)


下から。



上からみると大きいのがわかると思います。(↓)


太白山の形をしているような岩。

この子がめっちゃかわいくて。
岩のすぐそばにあったのだけど、一角の狛犬。


気付かない所にぽつんといた。


こっちは喜んでるね。
------------------------------------------------------

さて、なぜ、「8」なのかも関係していることがわかりました。

すごいサイトを見つけまして。
こちらのFlash動画を参考に見て下さい!
わかりやすいっ!

「SHINOblog」金星が8年周期で
http://shinobu.cocolog-nifty.com/apty/2006/06/8_7e80.html
「金星が八年周期で地球との共同作業で軌道上に五芒星(ペンタクル)を描く」
地球と金星が重なる点をつなぐと、五芒星に!(すごい)
その中心にあるのがもちろん太陽なのです。

一緒に登ったNさんがイメージしていた、三角の形は重ねると六芒星でした。
五芒星と六芒星の違いはなんだろう?と思うんですね。

難しいのですが、シュタイナー理論では、五芒星は、人の形をしています。
ダビンチの絵にもあるように、星は人を現します。
左から右?もしくは逆にエネルギーが移動する流れをエーテル体と示している。
六芒星は、立体的な三角形を描く。
女と男の三角形をかさねている意味は、アストラル体を意味するのだという。
それがマカバの形になっていて、「6」は「ム」なので、
産霊(むすび)といわれる由縁です。


(生出森八幡宮)

なので、太白山に祀られる貴船神社とは、
貴船神の祭神が、
本宮:高おかみ(雨に龍の文字)神
奥宮:高おかみ神、もしくは闇おかみ神(くらおかみのかみ)
結社(中宮):磐長姫命(いわながひめのみこと)
となっている。
ああ、そうか。
イワナガヒメなのか。
龍というのは、シュタイナーでいうと、アストラル体の世界にいる。


(山頂の貴船神社)

高天原におりた高木神がタカミムスビといわれるのですが、
ホツマツタエで、仙台が高天原だというのは、
太白山におりたムスビの神があったと思うのです。

なので、名取川周辺に熊野三社を置いて神格化したのは、
太白山が重要な位置にあったからだと思います。



おかみさ~ん(タカオカミ)への入り口。
その前に、ザ!心臓やぶりの道。
もう、「ザ」がつくほど急なのぼり。



樹の傾きに注目。。。


(樹の根がすごくね?)

妄想するに、アストラル体の世界からエーテル体という
下の世界に降りてきて、姿を表したという感じがするね。。。



エーテル体は、簡単にいうと(違う解釈だったらすみません)、
体に近い層(オーラ?)にある部分なのですが、
アストラル体は、体から離れたエーテル体とは上にある層。
人間の体には、3層だったかオーラがあるのですが、
低い霊や私たちは、エーテル体にいるので互いに認識できる。
でも、アストラル体は一段上の層に存在する粒子なので「見えない」。

昔は見えていた。
見えていた人は、太白山がアストラル体になれる要素をもっているマカバ
の力が働いていた山だから、太白山には伝説がたくさんあるのです。
それに蛇(マムシ)がとても多いことでも有名だった。



ということで、太白山の山頂に貴船神をおいたのは、
6の「ムスビ」に由来する。

まさに、五芒星の金星(エーテル)から、太白山に登ると、
アストラル体に結ばれる山であることを示しているのです。
現実化しやすい空間や宇宙の創造が実現できるような力が、
太白山にはあるという事でしょうか。
まさに、宇宙への扉が太白山にあったんですね。
・・・でも私には実感がない。ワラ

ということで、伊達家が丁重に太白山をみていた事は確かで。
伊達家はセンスがよい。その影の力は、片倉家。
「カタ」クラの逆は、「タカ」クラですね。
片倉と高倉は良く似てますよね。
改めて、仙台はすごい街ですね。
六芒星に仙台の寺社を祀っている星の街は、片倉家の思想らしいですが。



太白山は、オールシーズンOKですよ~。
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神秘の丸池様

2016-11-14 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼9(自然編)

大物忌神社(蕨岡)の次に、吹浦の大物忌神社へ向かう。


写真はわざとモノクロにしてるけど、雲がね、なんか不思議でね。

途中で、鮭が遡上する川があるというので、連れて行ってもらった。
すごいよ~。今は、鮭が戻ってくる時期だからね。
いいよね、遊佐の人たちは、こんな豊かな自然の中で暮らしているんだよ!




子供も興奮だね!
私も興奮!
でも。。。地元の人もあまり知られていない神秘の池があったのだ。



鳥海山から湧き出る清水こそが、薬水だったと妙に納得。
十二湖も良いけど、ここもすごいきれいです。
ほんとに鏡池です。



ここは「牛渡川」の側にあるのですが、すごく透明度の高い水です。
日本で生息が確認されている5種類のカジカ全部が同じ水域で見られるのは、
この川が日本唯一といわれているそうです。
バイカモ(梅花藻)などの動植物が生息している川ですが、
鳥海マリモも有名ですね。
牛渡川は、湧水を利用した鮭の孵化事業が行われています。
日本一古いそうです。
牛渡川で成長した鮭は、海で4年間成長したのち、再びこの川に戻ってきます。
秋から冬にかけて戻ってくるので、今の時期、大きな鮭がたくさん遡上してます。
・・・4年間!



3時頃に来て、もう鮭は完売しています。
干されちゃった鮭。(なんかリアルだなぁ)



そして、ここは、ほぼ100%が湧水なんです。
う~ん、ほぼ湧水ってどうすごいんだろう。。。
まあ、鳥海山そのままの水が流れているってことで。
その量が毎分24トン(1日3万トン)といわれてます!



さて、この鮭たちが遡上するだけあって、
美しい水を保っている池があります。
地元の方もあまり知らないという「丸池様」


(木がゆらゆらと映ってます)

丸池大明神---------------------------------------------------

「この池は、県内唯一といわれる湧水のみを、水源としています。
直径20m、水深3m50㎝、水はあくまで冷たく澄んでおり、
水中の倒木さえもなかなか朽ちはてず、まるで龍のごとく池底にひそんでいます。
「丸池様」なる信仰の対象となっており、決して魚など捕ってはなりません。
この「丸池様」の社叢は全くの原始林なので町の天然記念物にも
指定され、保護につとめております。」






丸池神社があります。
小さな祠。
この近くにも鳥海山大物忌神社境外末社があります。
看板にはこんな内容が書かれていました。



「丸池神社は、一般には丸池様と称され、瑠璃色の池そのものが
御神体として崇敬されてきた。現在の祭神は、田心姫命、
市杵島姫命、多岐津姫命の宗像三女神である。」




ひょ~、ここに宗像三女神がでてきた!
う~ん、もうこれは九州から海民が日本海へ上陸したってことだね。
・・・火山を崇めていた阿蘇氏の匂いが~。

「神社の本殿は、神池を拝むような形で配置されており、(省略)
八月七日の例祭では、本殿向かい側の拝殿で御頭舞(獅子舞)、
巫女舞が奉納されている。
江戸時代、遊佐郷の景勝地を巡った記録「遊佐細見往来」という書き物に、
こんな記述がある。」




「丸池大明神を参詣いたしける。此池は稲倉嶽の御尊の御手洗にして、
此所に瑠璃の御玉と云ふ宝物あり。御機嫌の節は彼の御玉、水の上に浮むと
云伝ふ。若し此池に塵塊抔を投入不浄いたし候ば、俄に東風吹出し、田畑を
そこなふ事眼前なりと。此池の名、俗説もり池と云ふ。
今にも森池東風とて吹くことあり。
慎むべし。昔より此池に住みし魚皆片目なりと承る。」



(人が池に映るほど透明度が良い)

看板の解説によると、稲倉嶽の神の御手洗とは、
水分(みくまり)の山である鳥海山=稲倉嶽であり、本池が御手洗のことと考えられる。
鳥海湖と丸池が地中深くに通じているとの伝承もある。
「片目」とは、安部宗任(鳥海弥三郎)と戦った鎌倉権五郎影政が、
宗任の左目を矢で射った伝承のこと。
「片目のカジカ」などの話もありますね。片目のカジカは秋田県だったと思います。

稲倉というのが、「ウカノミタマの宮」といった意味もあると思う。
稲をもたらした事になりますが、羽黒山の伝承でも、滝神とキツネが稲をもたらした伝承があるのは庄内だけです。
詳細は、こちらに書いてあります。

「鼓の滝と獅子踊り:羽黒山①」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20140709

夢にでてきた小さいおじさんは、スクナヒコかもと思ってしまうが、
ホツマツタエに詳しい知人が、スクナヒコは薬だという。
一寸法師。
体の中に入って悪いものをやっつける(毒を消す)のがスクナヒコ。
だから目に見えないほど、とっても小さいのを称してスクナヒコといった。
なるほどね~。
そう繋げて妄想すると、ニギハヤヒは火で治療を起こす意味だったりしてね。
水よりは火のイメージだね。陽の気。

さて、ここは柴燈林遺跡(さいとばやしいせき)など縄文遺跡群があり、池の側に流れる牛渡川
が流れ、縄文時代~現代に至るまで水にまつわる信仰が残っている貴重な史跡と
なっています。



柴燈林遺跡は火炎土器が出土されています。
会津の話でも、火炎土器ルートの話をしましたが、
信州~会津~福島のルートがあった。
途中で、日本海と太平洋へと向かった二つのルートがある。
ざっくりとですが、それが日本海側へ向かった宗像系と太平洋側へ向かった安曇系があると考えられる。
安曇系は、信州から関東地方(伊豆)へ向かったと思います。
同じ九州からですね。
おそらく、火炎土器は、火山をイメージしていると私は思います。
ただ、逆さに埋められている縄文土器もあり、なぜ、逆さに埋められたかわかっていません。

上の方に大きな磐と祠がありました。
写真がぼやけてしまいましたが、近くまで登らず。
急だったし、登山靴ではなかったので今回は登りませんでした。



火山の池らしく、飲み水のある水中から、
ポコポコと湧きだしています。



あ、ちなみに「ハタハタ」は、神の魚と書くんですよ!(知らなんだ~)
お寿司屋にいくと、大体、ハタハタは売り切れるようです。
夕方に行ったら完売してた。。。

山形にだけ?特によく知られるハタハタの由来がすごかった。

鰰(はたはた)の名前は魚へんに神と書いて「鰰」(はたはた・ハタハタ)と
読みます。これは雷神の古名とされ「霹靂神(はたたかみ)」に由来していると
言われています。
その昔、冬の厳しい日本海沿岸の貧しい漁村の人々にとって、
冬の季節の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に突然海岸にうちよせる獲りきれないほどの
ハタハタの大群は、雷神様がつかわした魚と信じられ、ありがたい魚として
鰰(はたはた)と呼ばれるようになったと言われています。


また、ハタ科の魚はいずれも体表に「斑(ハタラ)」のあり、
ハタハタも体表に流紋状の斑紋のあることにより、
「斑斑(ハタハタ)」または「斑鮮(ハタハダ)」と命名されたとされる説。
「はたはた」とは北日本各地では「ひらひらすること」「きらめくこと」
「稲光・雷光」を意味する言葉を語源とする説。
「海が時化て波の多い時期によく捕れるので、波多波多(ハタハタ)になった」という説。

※お魚名前辞典より

由来はいくつかありそうですが、いずれにしても大量に捕れた魚だったので、
神が恵んでくれたと昔の人が思ったのでしょう。
神がもたらした魚ということで、ハタハタと呼ぶようになったと思います。
私は、音から来ている感じもしますが。
ハタハタといった音?秦さんではないと思うよ。笑
それこそ、船の帆の音だって考えられますし。そんな音に聞こえるかもしれない。
船の帆がハタハタと音をたててきらめく。
はるか遠く海を渡ってやってきた人々が上陸した。
それが鳥海山。

ここは教えたくないほど素晴らしい場所でした~。
行ってみたい人は、自力で探して行って下さい。
私も場所がわからんのよ。

再び、私も鮭のように戻ってくるよ~♪
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大物忌神社ニ奉納ス

2016-11-13 | 日記・エッセイ・コラム
鳥海山大物忌神社(蕨岡)へ精麻(せいま)を奉納してきました。
と、簡単に言ってますが、ここまでの流れに、豊受大神の計らいがあった
ことがわかりましたが、ブログに書くことはためらう。
でも、大物忌神社の宮司さん方々が受け入れて下さったこと。
このような事が、これからも続いてほしい気持ちもあって書きたくなった。
本当にありがとうございました。


最上川にかかる霧が白竜みたいだね。
こんな霧ばっかり見えてました。

久しぶりの山形。
しかも1日の日帰りという強行で。
行けるもんだね。しっかり、うまいもん食べて、しっかり観光もしてきた。


鳥海山がうっすら。

麻は、大麻の逮捕や大麻栽培免許をもっていても逮捕される昨今、
なぜ、麻が必要なのかは、私は詳しくわかりません。
でも、麻は地球上では必要な植物であり、ただ存在しているだけで
良いと思っています。なので、人が体内に含める必要はないと思う。
人それぞれですが、私はそう思うので、古来から神事に使われてきたのだから、
麻は神社で使うので十分だと思っています。
伊勢神宮では、独自に大麻栽培を始めたそうです。



昨年、知人は地元の方と3人で、鳥海山大物忌神社(吹浦)へ
精麻を奉納してきました。
その時、宮司さんにとても喜ばれた経緯がありました。
大物忌神社は里宮が2つあり、海側は吹浦、山側は蕨岡。
本宮は鳥海山山頂に鎮座している。
ご祭神は、豊受大神(大物忌大神)と月読命。



潤っている神社は、麻は国産を使うのが当たり前。
でも神社も経営が厳しくなり、氏子の後継ぎもだんだん断たれている。
一般的には、麻は毎年替えますが、安い中国産の麻を使う神社が多いそう。
それ以外では、藁やひどい場合だと、注連縄がビニール製だったりする。
ビニール製は多いですね。
形だけなんとかしておけばよい。というわけにはいかない。
これだけ日本全国に神社が多いことを考えたら、相当な意味がある。
宗教というレベルの話でもない。

ただ、中国製の麻も麻であるなら、中国が日本の神々を支えていると言っても
過言ではない。でも、やっぱり国産は別格。



「国産の麻は高いので、なかなか手に入らない。」
と言っていた宮司さんは、昨年のこともよく覚えていて、
今年も、大物忌神社への奉納ということで、驚かれていました。



今回、私はそのような活動をコツコツ行っている知人を通して、
参拝することができ、ほんとにラッキーでした。
今年は、地元の方が行けないということで、私が入ってまた3人となった。
これも、不思議な流れで知人から誘われた。
またも、大伴氏の気分で、お伴(供)する…。笑

考えてみれば、会津の時から、豊受大神のことばかり書いてました。
トヨ、トヨうるさい私に、大御所の鳥海山が、来たらいいじゃん!と言っていた?(そんなわけない)
東北地方に豊受大神(ウカノミタマ)を祀る神社が多いことがわかったのも、
会津探訪からで、この頃から、豊受大神が気になっていた。
それに鳥海山が豊受大神だということも・・・。
導かれて鳥海山。とうとう始めての鳥居をくぐる。

新嘗祭------------------------------------------------

通常は蕨岡は社務所は空いていないので、いつも人がいない。
なので、今年も吹浦の方へ奉納する予定でいたのですが、
吹浦へ行く前に、蕨岡へ行ったら社務所が空いていた。
人がいるねえ~・・・。



知人が声をかけたら、両方の里宮の宮司さんがいらした。
なんと、この日が「新嘗祭」だった!
もう神事は終わっていたけどね。
もちろん、この日が新嘗祭だったなんて、みんな知らなかった。

気持ちのよい本殿の空気。
ここから空気がガラっと変わる。
思わず、私は「おー」と声をあげてしまった。
なんかすごい。
空が広いという感じ。



もうね、こうなると、豊受大神が待ってました!と言ってるわけだよね。笑
精麻を待っていたんだよね。
なので、今年は蕨岡へ奉納できて良かった!という話。
本殿の中も、ちゃんと整えていらっしゃる。
単に私たちは鳥海山が好きなだけですけど。
ほんとにそれだけ。
神事に使って頂ければ、それだけで私たちは十分です。
だから、こちらとしても嬉しい。



宮司さんが精麻をみて、「おぉ」と、お顔がほころぶ。
知人は、こんなに喜んでくれるのがとてもうれしいと。
今回は、4人の寄付があってちょっと多めに奉納できました。
潤っている神社に比べたら、微々たるものかもしれないが、
昨年よりは、多めの収穫。
新嘗祭に相応しい麻の収穫の報告ができたようなものだ。



神社によっては、麻を拒否するところもあるそうで。
宮司さんの受け止め方は、いろいろです。

でも重要だと思っていた鳥海山大物忌神社は違いました。
受け止め方が謙虚なんだな。純粋に。
余裕がないと仰っておりましたが、全然、心に余裕のある方たちでした。

だから鳥海山が好きなんですよ。
それはやっぱり「鳥海山の水」が人をそうさせている感じがするのです。
水が豊な土地だから、五穀豊穣となる。
なので、水神と豊受大神は同じ働きがある。
薬師さまは薬なので、鳥海山の水が薬なのですね。

-------------------------------------------------
さて、私たちは、その麻を奉納して頂きたくお願いした。
新嘗祭の後のお神酒などと一緒に、本殿に置いて下さり、
宮司さんの話を少し伺うこともできました。



思いだせる範囲で~。
大物忌神社は、薬師様でした。
神仏分離で分断されたのですが、今は、大日如来と薬師如来
を一緒にして
別の所に収められているそうです。
ちょっとこのへん詳しく忘れた。

「忌」とつくのは、宮司さんも詳しくわからないそうですが、
昔から伊勢神宮も「大物忌」とつく若い?巫女さんがいるそうです。
なので、神に使う巫女の働きがあるという。
蕨岡の本殿は、元々、もう少し高い所にありました。
階段があるのですが、今は先までは登れません。(雑草がすごいため歩けない)
扉を開けると鳥海山のご神体が見える構図だったそうです。
ですが、昔火事があり、山の上には水がなかったので、
火を消すことができなかった。
そのため、下におろして今のような本殿となったそうです。

柱がとても太い立派なもので、欅だったと思う。(確か)
とにかく立派。
今ではこのような太い木は取れないと。

鳥海山の丸子氏伝承や、鳥が降りてきた話は、吹浦の方です。
ところで、鳥海山に降りてきたのは、鳳凰でもある?
帰りにも興味深い出来事が。

鳥海さん------------------------------------------

帰る時、ちょうど社務所から宮司さんとその後ろに高齢の男性が歩いてきました。
「ごくろうさまです」と声をかけられ、次を急いでいたので帰ろうと思って
いたのですが、精麻のことについて関心をもたれ、
「志が高い人がいるとは、と。どんな方なんだろうと思っていたら、
若い女性とは思わなかった」と驚いていた。
まあ、おばあちゃんがやりそうなことだもんな。
普通は、修験者みたいのとか、神社関係者の人とか神道の宗教団体
を想像するかもしれない。
でも観光がてら、な感じの。。。(そんなものです。)



で、その高齢のおじさんは、鳥海さんと書いてトリノウミさんでした。
このあたりの家は、数件、姓が鳥海ですと。
鳥海さんは、麻について志という気持ちで受けとめて頂いた。
そんな神社関係者が増えたら、もっと世の中が変わると思う。

鳥海さんは、蕨岡の管理をしており、庭木の剪定などすべての管理を
行っていました。
昔は、宿坊が何件かあったのですが、今はやっていないそうです。

で、私は、神社へ行く前に見た夢を思い出してしまった・・・。
神社へ行く前々日、赤い太陽のように燃えているのがみえて、
ちょっと厳しい顔をしたおじさんが太陽の中心にあり、
その顔が黄金色に輝いていた。
じっと私の方をみていたのですが、この時、いろいろと身内のことで
頭にきたこともあって、怒りが赤い色として現れたと解釈して流していた。
でも、目が覚めるころに、その顔のおじさんが「ニギハヤヒ」だとわかった。
なぜ、二ギハヤヒとわかる?

それで、鳥海さんと話をしている時に、あれ?と思ってしまった。
夢にでてきたおじさんの顔によく似ているなあ。
でも鳥海さんの方が、ずっと優しいお顔をしています。
ん~、不思議だね。
だから鳥海さんの先祖は、二ギハヤヒなのかな?と思ったり。
まあ、勝手な妄想なので。

そして、その夢では、姿がぼんやりとあって、
身長が低く150センチもないくらいな小太りなおじさん。
背が低いのが特徴。
顔が濃くて、南の方の人っぽい。
鳥海さんは身長は男性の平均と同じくらいなので小さくはないですが。

二ギハヤヒは南の縄文人だったのかなぁ。
船で上陸して鳥海山の吹浦あたりへやってきたのだろう。

鳥海さんは、山本坊庭園をやっていらして、
自由に見学していいよ、と。
せっかくなので、神社を後にして山本坊まで歩いていると、
「鳳山学校跡地」という看板が。
ホツマツタエに詳しい知人が、鳥海山は鳳凰なんだ、と。



火の鳥を連想しますが、修験が火を飛び越える風習は、
あえて火に飛び込み、苦しみに逃げずに死を経験すると、
新たに生まれ変わる死と再生の意味がある。(ほかの意味もあるかもしれんが)





熊野まで神武東征の時に、ヤタガラスが導いた話。
黄金色に輝くトビが、ナガスネヒコの矢に止まった。
光があまりにも眩しくてナガスネヒコは降参した。
そのトビがトミで豊受大神。
そしてそのトビが鳳凰だったかもしれない。
それが鳥海山に降りてきた大きな鳥という想像。



苦しみから逃げると生まれ変わらない。という思想がある。
ナガスネヒコは眩しくて「目をつぶった」
現実に目を背けるというより、世代交代?
妄想するに、ナガスネヒコは、他の世界にいったのかもしれない。
光の方へ。その変わり、二ギハヤヒが降りてきた。
地球の重たい方へ。あえて苦しみを受け入れるために?



その流れできているのが、即身仏だそう。
日本一即身仏が浸透している日本海のルーツは、鳥海山であり、
豊受大神が即身仏を始め、広めたという。
自ら、火や岩場に入るという行為らしい。
即身仏は、自ら岩場の中に籠ることで、新たな再生を目指した。
ホツマツタエにそのような事が書かれているそうです。

私はまだ即身仏をみたことがないのですが、
たくさんの人が即身仏に集まるのは、そのような苦しみから逃れず
受け入れるのは、「私たちに代わって」行った業であることを認識すべきで。
その恩恵を受けて、私たちは豊かな恵みで生かされていることを忘れるな、ということ。


夢のおじさんは、厳しい顔をしていたから、そう言っているのかもしれない。
おかしい世の中だから。
でも、苦しみだけではない。
もちろん、自然の美しさを知ったら苦しみなんて飛んでいく。





お籠りというのは、即身仏のことを言うのかもしれない。
そこを受け止めてから、新たに生を受けることで世直しができる。
ということで、出羽三山の古くは、鳥海山と月山なのです。
月山の月。鳥海山の太陽。

鳥海さんの後継ぎはいらっしゃるのか心配なのですが。
体に気をつけて長く続けていって下さいと伝えてきました。
鳥海さんは、太陽のように燃えているわけだね?
遊佐の人たちは、なんだか不思議だ。


いいね~。遊佐恋観音

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ちなみに、なぜ3人なのか?と思っていたら、
看板の文字をみてピンときた。
3人の女性とは、神話でも「宗像三女神」といいますね。
3は、強い数字といわれる由縁。



人が3人集まって山となる。人となり樹となり山となる。
そういう意味でした。
また、流れがスムーズでタイミングが良いことは、
確実に進んでいるという意味です。

その他、蕨岡周辺のいろいろを探訪してきましたよ~。





遊佐恋観音のそばにある大欅。


大きなしめ縄があります。





中をのぞいたら向こう側に穴があいている。
二本の木が交差している?ようです。

遊佐は楽しい所でした!
連れて行ってくれたお二人さんも、どうもありがとう!
おかげで貴重な体験ができました。
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紅葉の霊山

2016-11-09 | 日記・エッセイ・コラム
今朝の太陽の光が、とっても強く感じました。
カーテンをしているのに、眩しすぎる。
カメラのフレアが、フラワーに。



寒波なのに。
アメリカの大統領選に似ているなあ。
空は明るいけど、風が痛いほど冷たい。
クリントンかトランプの、どっちかが明るい光で、どっちかが冷たい風。
が、もうトランプですなあ。

明るくて強い太陽の光に一票!!
あの方は、口は汚いけど、嫌な感じはしません。
どっちにしても、のほほん~とは居られないかもねえ。
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で、また、行ってきた・・・・霊山。
先週の話ですが。



確か、9月頃に行ったと思うのですが、
また霊山に行きたいと、主人が言うので行ってきました。

久々に6号線から相馬へ向かって行ってみました。





どうよ、まだこの状態だよ。
被災地は。
何もない。



トラックがバンバン走ってる。
「復興工事中」の看板がならぶ。
葛藤するね。
これが現実。

平穏なことが続いても、ある日突然変わることがある。
このような風景をみても、自分は満足でいられる、とは言えない。

祈りは、はるか昔から行っていた儀式ですが。
その結果がこれだ。というのは、私たちの祈りはどこにも届いていません。

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やはり、駐車ができず道にずら~と車の列。
そのまま駐車して登山口まで少し歩く。





出店も少し出ていて賑やか。

もう霊山のネタがないので、写真のみでお楽しみ下され。





私は岩場の穴(洞あな)があると、覗く癖があります・・・。
清水が湧き出る。



霊山はいろいろなコースがあり、もっと深い所までいければいんでしょうけど、
いつも、同じ所をぐるぐる巡って終わる。










変わらず霊山の絶景。
とにかく気持ちがいい。













真ん中の岩が、白い目にみえて、人の顔に見えちゃうんですけど。
未知との遭遇・・・。







遠くに半田山(崖崩れのようになっている山)
そのすぐ麓が、伊達政宗初陣の梁川と国見。





不思議な光ちゃんがとれてました。
豆みたいだね。





ということで、霊山は秋が一番よいかもしれません。

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太陽フレアと蝦夷征伐

2016-11-06 | エミシについて
蝦夷征伐がいつから始まったか、はっきりした年代は特定できませんが、
774年、大伴駿河麻呂が「狄」の征伐と書かれた陸奥開拓へ乗り出し、
それから811年までの蝦夷征伐を「38年戦争」と言われている。

ということで、きっかけは、774年となる。(日本書紀より)
蝦夷は、全列島に統治していた話は中国の史書にある。
「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国」
九十五国を征した中心人物、特に東北地方は、上毛野氏が支配していたので、
毛人と言われているのです。
甲冑を身につけ、山川を駆けめぐり弓をもつ人の姿で書かれている。

蝦夷征伐は、早くは秋田県。647年越国に柵を設ける。
742年名取の郡山(国司)遺跡、後に多賀城に国府が置かれる。
770年に秋田県能代に来着した賊長がおり、この頃から鷹狩りが規制され、
墾田永年私財法(743年)など、不満が募り、蝦夷が反乱をおこす。

ざっと簡単にまとめてますが、
なぜ774年がきっかけで蝦夷征伐になったのか?

この年、宇宙ではこんな出来事があった。
私はこの事に、蝦夷の反乱と何らかの影響があったと思っている。(妄想ね)
全く関係ないことはなく。
古代の人たちは、こういう事にとっても敏感だったから。

赤い十字架--------------------------------------

2012年に名古屋大学太陽地球環境研究所の研究チームが
屋久杉の年輪を検査した結果、西暦775年にあたる年輪から炭素14や
ベリリウム10などの放射性物質の割合が過去3000年間の間に、
最も高くなることを発見した。
これらの放射性物質は宇宙から降り注ぐ宇宙線が大気中の
窒素と衝突して生じる。
これにより、775年頃に地球に宇宙線が大量に飛来していた
ことが明らかになった。この研究結果は2012年6月にNatureに掲載された。

(Wikipedia)

994年にも同様に炭素14が急上昇したことがわかっている。

774年~775年の一年間、ほとんど地球上には存在しない「放射線炭素14」
の濃度が過去最大級だったそう。

「ドイツにあった古い木の年輪でも炭素14が、774年~775年に急増していることが
確認された。
さらに、南極にあるアイスコーン(氷の塊)でも西暦774年に
宇宙線が大量に降り注いできたという証明となる
「ベリリウム10」の数値が急上昇していたという。」



(C)NASA

「774年、イギリスで日没後の空に「赤い十字架」が出現したという記録を、
カリフォルニア大学サンディエゴ校の学生がある歴史書から発見した。
その歴史書とは、「アングロサクソン年代記」で、
これは古代から中世にかけてイギリスの歴史を知る貴重な資料であり、
774年に戦いがあった時、天に赤い十字架が現れ、
さらに大地に見事な蛇が現れたという記述があったという。」


また、ドイツの修道書を分析すると、776年に赤く燃え盛る2枚の楯が、
教会の上を動いていくのを見た、という記述も見つかった。」


中国でも。
「大暦2年(767年)の7月、太陽の脇に青と赤の気が有り、長さが四丈ほど。
太陽の上に赤い気があり、長さが2丈ほど。9月にも太陽に青と赤の気が。
3年正月には太陽に黄色の冠のような気があり、赤と青の気もまわりにあった。」

という記録があったという。

謎カレンダーより
http://enigma-calender.blogspot.jp/2014/03/AD-775.html

これらの異常気象は、太陽フレア説が有力だという。
赤い十字架や赤い盾などは、オーロラのことを示しているとする。
イギリスの古文書には、「大地に現れた見事な蛇」と書かれている。



-----------------------------------------------------------
774年この頃、蝦夷が桃生城を襲撃。
大和朝廷から命令された移民がたくさん住み始めたのもこの頃で、
古くから住んでいた先住民からしたら、ストレスになっていたわけだ。
そして、この事がきっかけで派遣された人が、
大伴駿河麻呂であり、場所が、陸奥国遠山村との事。

それが、この前いってきた登米だった。(昔は遠山村といった)
その5、6年後、アザマロが登場する。南のアテルイと言われた人。
ちなみに、大伴駿河麻呂が「狄」といっているのは、先住民の中でも、
アイヌ人の説があります。ただ、敵意をもって言っていたのかは不明です。

イタリアでも気になる国がある。
774年に滅んだロンゴバルドという国。
ロンゴバルド族がいた王国であり、カール大帝により滅ぼされた。
カール大帝は、キリスト大国を開拓した人で、
また、ヨーロッパにおける封建制度の確立もこの頃がきっかけ。
ロンゴバルド族は、ゲルマン人といわれている。

----------------------------------------------------
ところで、太陽フレアが有力だとすると、
この電磁波は精神状態にも影響を及ぼすものでしょうか?
答えは、YESだという。
地震や噴火といった異常気象も及ぼす可能性はあるというが、
774年頃の天変地異では、大地震の記録はない。


(C)NASA

もし、近く強烈な太陽フレアが起こると、大停電が起こるそうだ。
インターネットなんてできない。
その方がいいけど。
最近、列車のトラブルや停電は多いですね。

でも、決して悪いばっかりではない。
難しい話ですが、太陽フレアは人類の形成に深い関係がある。
太陽フレアによってもたらされた分子が生命を生んだとされ、
アミノ酸とRNAの生成という。

RNAというのが、DNAの遺伝情報を転写した「伝令RNA」
といい、メッセンジャーというのですが、遺伝情報を伝達する核のような存在だそう。
太陽フレアにより、人類の遺伝子やアミノ酸、たんぱく質による形成の源があり、
何らかの潜在的な遺伝子への、もっと深くいうと魂の部分で、
影響を及ぼしていたことがないのかなあ、と消極的な妄想。

結局、いろいろなことを及ぼす宇宙の異変で、不安定な情報だったのか、
それとも前向きな情報だったのか。。。
蝦夷にとっては、どちらに働いた影響だったのか?

といった古代の歴史を宇宙の歴史と繋げてみるのも興味深い。
螺旋に繋がる遺伝子は、宇宙の出来事と互いに引っ張られていることが、
実際あるのだな、と思うのです。


(C)NASA
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