秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

鉾附神社の伝承

2016-10-30 | 東北地方の伝説(宮城県)
蔵王権現巡りで行った古墳の神社について。

「1051年東の大豪族安部氏が9年もの長きに及ぶ
戦乱を起しました。(奥州前九年の役)この戦乱を収める
ために朝廷が派遣した武将、源義家は「日本一の武士」と賞賛されるほどの
豪勇の士で、特に弓矢の術に長けていました。
この神社には、義家にまつわる伝説が残されています。

源義家が小原の清水峠から矢を射た。
矢は空を切りさいて飛び去り、遠く離れた小さな丘の上に突き刺さった。
人々は驚き、その丘に弓矢の鉾が刺さったことから「鉾附神社」と号する
神社を建て、義家を神として祀った。
また矢が突き刺さった時の衝撃で、矢柄が外れさらに八丁(900m)
ほど飛んで別の丘の上に落ちた。
人々はそこに「矢柄明神」を建てて祀った。
やがて矢の突き刺さった丘のある一帯を「矢附」と呼ぶようになった。

この地域は現在も「刈田郡蔵王町大字矢附」という地名でよばれています。
遠い昔の伝説が、時代を超えて現代の地名として息づいているのです。

※鉾は「ほこ」と読みますが、意味は弓矢の切り先、すなわち
「鏃(やじり)」を表しています。」(
看板より)


------------------------------------------------
前九年の役とは、陸奥国奥六郡を作った安部忠頼がおり、
独立的な国を形成していたのですが、
朝廷へ税金などを納めないようになった奥六郡(安部氏)に対し、
多賀城国司の藤原氏が警告する。
1051年、前九年の役が始まり、そのリーダ格に源義家がいた。
「八幡太郎義家」ともいわれ、八幡とは山城国の石清水八幡宮で
元服したことから、八幡太郎とよぶようになった。
再び古代の坂上田村麻呂の役目として立ち上がったのが、源義家であり、
決して悪どい人ではなかった。
けれど、奥六郡という独立をしようとした安倍氏がすごい。
確かに、惨酷なこともありましたが、
今、それがうまくいっていれば、もっと平穏な国が生まれていたと思う。



茨城県に真弓神社というのがある。
真弓山があり、源義家が奥州征伐のために8つの祭神を奉納し、八所権現とよばれる。
具体的な奉納はわかりません。
真弓神社はオオナムチとスクナヒコを祀る

茨城県の黒前神社の太刀割石なども、義家が切った石だとした伝承もある。
創建が806年(大同2年)なので、この時代も、新たな変革があったと思う。

茨城県大子町の近津神社にも、
義家ゆかりの天然記念物の「鉾スギ」がある。
また、茨城県には八巻神社というのもあり、系統が多賀神社、伊豆山神社とある。
八巻神社の旧社号は、伊豆権現だったそうだ。
出雲のような国譲りの話が、茨城県にある。
出雲系の大国主を祀る真弓神社に、義家が関わっているというのは、
宮城県の蔵王麓も、古くは出雲の道があっただろう。

八幡太郎義家と名乗るのは、「八」をかけている。
八巻神社は、八幡から由来しているそうですが、
軍兵の病に苦しんでいたところ、伊豆権現があらわれ、
小豆を断ちきれという。そうすると病が治まったという伝承がある。
この地域では小豆を栽培しないといったタブー伝承もあるらしい。
詳細はわからないが、小豆というのは、伊豆権現に関係する?

小豆といえば、「小豆島」という地名が、雷神山古墳の近くにある。
名取市愛島小豆島。
以前ブログにも書きましたが、清水峯神社のある所が、
名取市愛島小豆島清水坂という所。
鎌倉時代、牛野で牛頭天王の御神体が「ゆりあがった」ので、
それを里人たちが清水の峯に祀り、清水峯牛頭天王と称したと伝わる。

源義家の石清水八幡と、清水嶺神社が繋がっていそうな…。
この小豆をどう解釈したらよいか?
小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海に浮かぶ島にある。
広い田園にぽっかり浮かぶ古墳を小さな島とみたて、
古代吉備国だった豪族が、小豆島をみたてて、そのように呼んだとするならば、
5世紀頃、古墳群をたくさん作った古代豪族が蔵王付近に住んでおり、
後に名取へ向かい、名取老女の伝承がある熊野信仰が生まれたのではないか?と思った。



名取の清水嶺神社について、
「 鎌倉時代~小豆島は、備前児島という島で熊野の荘園だった。
備前児島は、瀬戸内海に浮かぶ児島という島で日本書紀の
国生み神話で吉備子洲と記される。」

「役小角が朝廷から疑いをかけられて伊豆へ配流された時、
門弟子たちが紀州熊野本宮の御神体を持ち、聖地を求め児島に上陸し、
そこに熊野十二社を祀ったと伝わる。
児島全土を熊野神社の領地として寄進し、後に源平合戦の舞台となった。」

伊豆権現(伊豆山権現)は、「ユズ」と「イズ」の響きも似ている。
義家は、源頼朝が先祖で、伊豆山神社(熱海)は、源頼朝が崇拝していた。

蔵王権現巡りで、今熊野神社から始まり、白鳥関連の神社を巡り、
おしまいに熊野那智神社、本宮(2つのみですが)へ巡ったのは、
たまたま近くにある寺社から巡っていた偶然の流れだけでした。
でもそれが、熊野老女の形跡を歩いていたような感じがしてきた。

毒矢--------------------------------------------

蔵王権現巡りの時、Yの字に似た面白い形の雲をみました。
鉾附神社の後、八雲神社へ行ったのですが、その帰りに見えた雲です。
Nさんが、矢かもしれない、と。
さっき、鉾の神社へ行ったこともあったので。
なるほど。あの雲は、鏃の形にそっくりでした。
桙附神社の鏃と、八雲神社の雲をかけている。
神々の計らいが面白い。

破魔矢がありますが、弓と矢がセットになっているお正月に見かけるものですが、
邪気を払うとか、浄化する意味がある。
私は、矢を射るイメージから、「丸にチョン」が浮かぶ。
アワ歌だったかな?
ある説では、丸にチョン(点)は、魂を入れる「キ」の意味があるそうだ。
イザナキのキで、木や気だったりする。
○は実の事であり、イザナミの「ミ」だそう。(いくつかある説のひとつ)
キとミで、君が代。

丸い的に矢を射るのは、二柱を建て、魂を入れこむといった
深~い深い意味もあると思う。
その役目をしていた人が八幡太郎義家だったし、それ以前は、
坂上田村麻呂だった。
古墳が誰のお墓かわかりませんが、亡くなった霊を慰めたり、
目覚めさせたり、いろんな祈祷や呪術の意味もある。

他にも、毒矢のことも考えられると思います。
中世アイヌ人の姿を描いた太子伝というのがあるのですが、
馬上の聖徳太子の前にひざまずく4人のエミシのうち、
3人が、携えている半弓とよばれる短い弓と矢筒が書かれている。
当時、和人がアイヌ人に対して弓矢に長けた人々のイメージが
あったから描かれたと考えられる。
「あさましや ちしまのえぞの つくるなる
 どくきのやこそ ひもはもるなれ」(平安後期の藤原氏の歌)

ナガスネヒコが毒矢を放ち、イワレヒコ(神武天皇)の兄、
五瀬命が命を落とした記述もある。
毒矢を使うのは、トリカブト。
山へ行けば、トリカブトがある。
マタギは山へトリカブトを摂取し、毒矢として獲物を射るために使っていた。
後に、人を射る毒矢として使うようになったと思う。
※「モノから見たアイヌの文化史」より参照

8の遺伝子------------------------------------------

最近、「8」の数字をよくみます。
8が気になるのですが、妄想するに、8の数字の形は、
DNAの遺伝子の形を伝えていると思う。
数字は、形にそっていると聞く。
反面、悪とされる666は、8の遺伝子を分解した形にみえる。
遺伝子のバランスを崩した形。
でも、2つの6を結合すると8の形にならない?


遊んでみた。

エイズウィルスの染色体の数が「9666」という話。
6が悪であるとされても、6を3つにすると力になる。
8の結合は生み出される。
なんだかシャーマニズムな霊的な人が、どう利用するかによって、
良くも悪くも働くから、結構、難しいと思うけど。

説明ができないのですが、覚醒というか、何だか人類の目覚めみたいな、
そんなことを嫌がる人はいて、そういう人にさせないために、666を陥れる
話はたくさんあります。
「18」は、コントロールをするために使われる数字、(暗号みたいなもの)
ですが、666=18で。

潜在的に、気づかないところで、洗脳していこうというのがあるんでしょうけど、
要するに、やっぱり人は未熟というか、暇なんだよね。笑(そこか?)
妄想すぎると、こうなるんだな。

人が「9」のククリのままにしているのも、
完全(遺伝子結合?)の10(ヒト)にさせては困るといった思想がある。
百のモモになれない思想。
なので、日本語の五十音が大事。

モノノフは、「もものふ」なんじゃないかな。
もも(百)のこと。モノではなくて。
十という数字を使ってたし。
それに虫の漢字は、象形文字でいうと、マムシだそう。
虫に関係するお祓いみたいのもやっていたけど、なんだかね~。


(8の字結び:by Wikipedia)

8の字結びは私はできないんですけど、登山の場合、紐を結ぶ時は、
必ず8の字結びです。一結びより強度が強く、まず切れない。
しかもほどきやすいので、結べば強いけど外れる時はほどけやすい。
すごい知恵。DNAも強い結びがあるんだね。

注連縄にも深い意味がありました。Wikipediaより
「縄を綯(な)う=「編む」向きにより、左綯え(ひだりなえ)と
右綯えの二通りがある。左綯えは時計回りに綯い、右綯えは逆で、
藁束を星々が北極星を周るのと同じ回転方向(反時計回り)
で螺旋状に撚り合わせて糸の象形を作る。

左綯え(ひだりなえ)は、天上にある太陽の巡行で、
火(男性)を表し、右綯えは反時計廻りで、太陽の巡行に逆行し、
水(女性)を表している。祀る神様により男性・女性がいて、
方向を使い分ける場合がある。
大きなしめ縄は、細い縄を反時計回り(又は逆)にまわしながらしめ、
それを時計回り(又は逆)に一緒にしていく。」


へ~、しめ縄のルーツって星なんだあ。

そんなスパイラルな8の形を聖数として、
八百数の神として信仰している日本人は、珍しいというか貴重でしょう。
やっぱり、日本人は面白い。
ハプロの染色体も独特ですし。

鉾附神社古墳の詳細はこちらを参考にしてください。
「どきたんドットコム」
http://www.dokitan.com/site/04/08/index.html
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蔵王権現の陰から陽へ

2016-10-27 | 日記・エッセイ・コラム
古代史マニアのおじさんたちが嫌うスピリチャルな話を。
先週の休日に、夫婦で柴田町の巨樹巡りを探訪してきました。
前回、ブログに書いた話です。(柴田町の巨樹巡り)

最北の柚子生産地、雨乞の柚子に行って
「東日本大震災から柚子の収穫が10分の1に減った。理由は不明」
が、気になっていた。
なぜ、この場所に柚子なんだろう?
大イチョウに清水があり、雨乞いをしていたから、
柚子と関係しているとは思っていた。
でもその説明ができずにいた。
ちなみに、柚子の生産地は、一番は高知県、次が徳島県、愛媛県の順となっている。

すると次の日、Rさんからメールが。
どうしても蔵王の刈田嶺神社へお参りしたいと。
他にも白鳥神社、八雲神社やいろいろスサノオ三昧。
一緒にNさんも行けるので、○日に一緒にどうですか?と。
で、その日は私も休みで、なぜか空けておいた。
不思議とNさんも会社の間違いで、休みを多くいれてあったそうだ。
それで、3人がその日のみ、空いていたというタイミングに。


(拆石神社)

あー、そうか。
やっとこういう流れになったのか、と思った。
とにかく、いろいろと不思議なことがあったので、
行かねば、というか、お二人を連れてお供する大伴氏のような役目だという話。笑
大伴氏は、伴うわけだよ。
そういうことをしていた人だと思っていたから、
私がそれをする番だな。と思った。

3人で行くことに意義があるって事がね。不思議だね。
秩父イネハポでもいつも3人だった。
仙台イネハポも3人だ。

ざっと全部で11か所も!巡りました。
サクサクと動けて、スムーズに行けたので、こんなに行ってしまった。
蔵王山麓に、これだけスサノオ関連の寺社を祀るのは、
やっぱし、蔵王権現=スサノオなんだなあ。。

今熊野神社→雨乞柚子・イチョウ→柝石神社→白山神社→鉾附神社
→八雲神社→白鳥大明神→刈田嶺神社→湯神神社→名取熊野那智神社→名取熊野神社。

熊野に始まり、熊野に終わる。
名取老女だね。

ところで、Rさんがメールで、「新MU」さんのブログをリンクしてきて。
「気になることには意味がある」
http://ameblo.jp/agnes99/entry-12212089834.html

これがまさに、ビンゴなんだよって言う。
読んでみると、ほんとだ・・・。


柚子とピラミッドの力--------------------------------------------

Nさんが、数か月前に、源義経が夢にでてきて、
着物の柄が気になったと言っていました。
その柄のマークが、三角形を上下重ねた、こんな形のものが、
小さく着物の柄にいっぱいついている模様だという。



7月だったか、私は最上川にいき、義経と弁慶の話を書いていた。
同じ日に、二人は日本海の縄文聖地に行っており、
Nさんは、やたらと源義経をみていた。

その義経のマークが、「新MU」さんのブログのオラクルカードのマークと
同じものでした。
それが「ピラミッドの力」というタイトルになっている。
そーきたかっ。

で、柚子がキーワードなような事も書いてあり、
鳥取県で地震があったのも、柚子の生産地に関係しているという。
その頃、私が最北の雨乞の柚子に行っているという偶然。
そこに、Rさんもビビビとアンテナがたち、蔵王へ行くことになった。


(白山社)

蔵王権現は、強くて優しい神をつくるために、
役小角が、必死に木で一気に彫りあげたという伝承。
もう、死に物狂いで一気に創造したのが、蔵王権現だという。
覚醒したような状態っつーか。
その荒々しい強い神とは、母を守ってくれるよう願ったとされる。
この時代、腐敗した政治になりつつあり、貧困者も増えてきた。
病気で早く亡くなる子供や母親が多かったので、
役小角は、そんなお母さんたちが強くなれる神がほしいと。
(この話は、水木しげるさんの本で読んだ話です)
それで「日本独自の神」が生まれたのが蔵王権現。
日本だけの神。
イエスでもマリアでも二ギハヤヒでも何も属さない。
蔵王権現は、蔵王権現。


(白山社)

実はあんなに怖そうな感じですが、母を思う姿から生まれたと聞くとグッときてしまう。
蔵王権現は、大地震や大噴火さえ引き起こす、揺るぎある神です。
腐敗した世の中になると、大地震を起こすほど、強い。
役小角が一気に創造したから、その力も一気に増す。
なので、Rさんは、蔵王権現=スサノオと感じたのです。

こうなると、私はただ、運転手になるだけです。笑
お二人を連れていくだけになる。
後は、Rさんが処理してくれると思う。笑

雨乞い柚子に行った時、柚子と地震が気になった。
ちょっと調べてみると、こんな事がわかった。
それで、今、どんな流れになっているのか、
なぜ蔵王権現なのか、考えてみた。


(鉾附神社:古墳です)

「ん」で終わる陰-------------------------------------------------

水は陰の働きをする。
柚子は陽の果物。
冬至のお風呂に柚子を入れるのは、院の穢れを払う意味がある。
地球でいうならば、陰の水と陽の太陽(冬至)に関係する。


(亀さん)

冬至はとても重要な惑星の位置です。
一年でもっとも太陽の力が弱く、日が短い時間とされる。
以後は再び太陽の力が強くなる事から「一陽来復」といい、
この日を境に運が上向くとされていた。

柑橘類や根菜など名前に最後に「ん」がつく食べ物が縁起が良いと。
かぼちゃは、南京(なんきん)なので、良いとされる。
柚子は異なりますが、みかんなどの果物でも「ん」がつくものを食べるのは、
冬が多く、柚子も冬。これから春になる前の禊の意味があるから。
だいこん、にんじん、れんこん、などもそう。



食べ物を体内に含めるこのような伝承は、
「言霊」があるから説明できる。
なので、日本人は日々の生活の中で、言霊の要素を含めているから、
日本人が霊的であるのは、そういう事なんだ。

大地震で柚子の花があまり咲かなくなり、
収穫が減ったのは、地下水や伏流水にあると考える。
地球全体の地下水が減ったのは、
大地震による地殻変動で、地下水の水位が変化したことにある。
東北地方の地殻が下がったのかもしれない。
海側が全体的に。

そうなると、水は木々の枝まで供給されない。
地下水の異常は、他にも磁場も影響されると思う。
水も磁石に反応することがある。
イオン水がそうですが磁気水といい、そのような水は、
体に非常によい。
ということで、大イチョウの水は、昔はイオン水のような
水の中に波動水が活発に動いた貴重な水だったかもしれない。
だから、雨乞いをしていたのだろう。



昔の人は、賢い人がたくさんいたから、
それを知っていて、まるで錬金術な修験者がいて、
大イチョウの木を守るために、柚子を植えたのだと思います。
地元の方に代わって、感謝です。

柑橘類の名前の最後に「ん」がつくのは、
五十音では最後の「ん」になる。
だから陰となり、次は「あ」の始まり=陽になる。
大地震と柚子の関係は、五行説風にいうと、
冬至の陰によって、新たな陽が動いたということ。
一番短い日の光から、今度は長くなるのだから、陰から陽の転換期。
東日本大震災で、地球の内部が変わったのだろうが、
その陰から陽の転換に、ものすごいネジレのようなエネルギーが加わった
という説明もできそうだ。
その転換期が、東日本大震災。
人工地震の話もありますが、人工にせよ、その力は陰から陽の転換な力でしょう。

ちょうど、大川小学校の裁判がありましたが、勝訴しました。
このような出来事が重なるのも、もう一度、大震災に注目させる意図がある。

なので、私は前向きに考えています。
今、大変な時でもありますが、これから上がっていくことを考えれば、
何かが解き放たれるような出来事や、考え方になっていくのだと思う。

大地震が起きることにより、
陰の水が反応し、陽が生み出されるエネルギーというのは、
想像するに、地下で右回りだったのを、左回りにする(その逆も)
といった逆回転する時の、一瞬の空洞ができる「間」のような事。
その「間」とは、エネルギーを蓄えている瞬間だから、
次の瞬間、地響きと共に、大きく揺れるのだな。。。
そんな回転軸の変化が起こったような感じだ。

実は、蔵王権現巡りをした日の晩、大地震の夢をみてしまった。
ある場所で。
蔵王権現を巡ったからだ。という夢でした。

だからといって、どこかで大地震がすぐ起きるわけではないです。
そういう力があるのが蔵王権現なのです。
地球を揺らす=気づかせる。
なので、こればかりは、私たちにはどうすることもできません。
蔵王権現は、気づくまで、揺れ続けます。何度も。
その中にも、不動な力も入っています。
怒りではなく、「なぜ、わからないのだ!」という蔵王権現の力と、
私たちは、「決して揺るがない」不動な力に。



泉の柚子------------------------------------------------------

このような現象にあわせているかのような意味が、柚子の語源由来にもある。
語源は「ユ」や「ユウ」からきており、実をつけて「ズ」になる。
複数形みたいな感じかね?
「融通がきく」という意味もかねて、冬至のお風呂に柚子を入れる話もあり、
いずれにしても、柚子は陰の気を払うためにお湯につかる。
ユ=湯でもあり、柚子は禊の湯神でもある。

柚子は日本語になったものですが、
「柚」いう名詞には、機織りの道具の一つで、縦糸を巻くものとされる。
横糸を巻くのは、「杼」(ヒ)となる。
縦が柚、横が杼。
その軸を「杼柚(チュジク)」という。
木+音符由とは、抽の絞り出す意味もある。
機織りをする際の、軸となる意味の中に、柚子と杼が含まれている。

古代史に繋げると日本書記に、
大彦命につながり、会津になり、山城がでてくる。
「伊杼美(いどみ)」という人がでてきて、
矢で武埴安彦(たけはにやすひこのみこと)を討つ話。
矢を射る話が、桙附神社にもありました。

伊杼美は、今は、伊豆美(いづみ)という。
開拓をしたことの意味があると思うが、イズミ(伊杼美)の語源が、
泉という地名由来になったと思う。
地球の軸に、樹や石を置いたりすることはよくあるが、
それがチュジクの意味だったりして。
その場所から泉が湧きだすという事も。

この場所で雨乞いをしていたことから、
大イチョウの水を穢さないために、柚子がその役目をもっていた貴重な
場所であることがわかった。



レムリアは森に眠る?-------------------------------------------

そのような事を、誰かが教えているわけで、
その重要性を無視してはいけないという事。
鳥取県の地震から柚子へ繋がり、ピラミッドの力に繋がる。

折石神社の磐坂皇子から葛城氏=賀茂氏=役小角へ繋がり、
蔵王権現参りへと導かれた。
白鳥信仰をもたらしたのは、葛城氏であり物部氏である。
それ以前は、タカを貴重としていた阿蘇氏系の九州王朝である。
九州王朝=蔵王王朝なのだろう。
だから、繋がっていると思った。



そんな話をRさんとしていると、とにかく忙しい空があった。
透明な飛行機、異常に接近して低空飛行している飛行機が。
大きさが微妙で。すごく不思議だった。

大イチョウでは、木の側に蛇もいた。
最後に、大イチョウに触れて帰ろうと思って近寄っていくと、
道に、茶色の蛇がじっとしていた。
以前、夫婦岩で登った時にみた蛇と同じ種。
全く動かないから死んでいるのかな?と思ったら、
後からNさんとRさんがやってくると、ようやくスルスルと動きだした。
蛇は、私だけではなく、RさんとNさんにも見せたかったのだなあと。
Nさんがそういうと、Rさんはちょっと悲鳴。。。

阿蘇山と蔵王は兄弟のようだ。
阿蘇山が動くと、蔵王が気になる。
そういえば、武甲山も蔵王権現であり、スサノオだった。
スサノオ=龍。それを白鳥に変えた氏族たち。


(白鳥大明神の白鳥の碑)

例えるならば、地下のエネルギーが外へ飛びだそうとしていると感じる。
龍が天の白鳥(しらとり)となって飛んでいきたいのだ、と。
ヤマトタケルのような。
柚子の由の字は、自由という言葉があるように、宇の屋根(う冠)をはずして、
由にさせることの他に、「壷」の語源由来もある。
木偏に壷。木々の中にある壷という意味?
森の中にある壷。
なんか、エネルギーを蓄えている地球のツボみたいだ。



東日本大震災前日に、大国主のオラクルカードを引きました。
大震災前には、大国主を聞いたり祠をやたらと見つけていて、
大国主が気になっていました。
新MUさんのブログでも、大国主のカードをたくさん引くと言ってました。
大震災の経験から、大きな地震が来る前は、M5~の地震が頻発していた。


(湯神神社)

ただ、地震や噴火などの天災は、今にはじまったわけではなく。
それを、一気に出さないで、
小出しにエネルギーを放出することはできると思うのだが。。
できれば、被害は少なくしてほしい。
蔵王権現は、一気に噴き出すイメージがある。

急激な激しい怒りにならないように、コントロールというか、
鎮める働きを修験者がやってきた感じがして。

大地震=大国主とインプットされてしまっているのも、
人がそのようにしてきた経緯がある。
大国主を信仰してきた出雲族は、大国主=地震を鎮めるために、
龍退治の話をした。それを鎮めるのは、「スサノオしかいない」と。

そして、スサノオをもたらした場所が、山陰地方の鳥取県と出雲大社がある島根県。
山陰地方は、「陰」の気があるから「山の陰」と書く。
陰から陽の転換期なんだ、と思う。
「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」
それを教えてくれたのが雨乞の柚子でした。

だから、蔵王へ行き、スサノオになるわけです。
また、そのように動かしているのも、スサノオでも蔵王権現でもなく、
自分自身にあると思ってしまった。
それは、地震の夢をみたから。

自分の存在が、いかに地球に影響しているか、考える時だと思ってしまった。
神のような存在が、そうさせているのではなく、
皆、自分の中に創造主が眠っている。

なので、私は私の中で治めないとならないことがあるな、と思った。
鎮めるのは、地球とかそういうのではなく、自分だった。
なんか反省・・・。

スピでは、ハイヤーセルフというのですが、
内側にあるもう一人の自分が、どんどん成長して向上していこうと。
そういう人と、そうならない人の差がどんどん明確になっていく。
これから。
人を選別するのとは違う。
自分も何もわからない奴が、他人を選別できるわけがない。
エゴならそうなるが。
気づけるか、気づけないかの違いなだけ。
自分が、今どんな状態か、なんとなくわかってしまった。

蔵王権現も鏡だった。
カガミのカミ。
だから、自分の姿を映された感じがした。


(ホトトギス)

地球と共に生きることは、実はこんな事まで考えることになり、
大変なことなのですが、笑。
精神的に向上したい私は、このような事態から
難なく無事過ごせるようにしたいと願うばかり。

そんな深い、スサノオ祭りでした。
祭りかい・・・。
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柴田町の巨樹巡りと伝説

2016-10-23 | 東北地方の伝説(宮城県)
いい所みつけた~。
探してみるとあるものだね~。
地元の人しか行かないような場所って、
なかなか観光としても成り立たないと思うのか、もったいないなぁ。





休日はゆっくりしたい。
でもちょっと出かけたい。
という時に、距離的にも柴田町はちょうどよい。笑

観光目的で作られた公園とかではなくて、
古くからある寺社と自然のセットは、見ごたえあり!
景色も良かったです。

今回は、柴田町の巨樹巡りを3ヶ所。
アンド、葉坂の磐坂皇子を書いた折石神社へ御礼参り。

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①富沢摩崖仏郡 と大杉
(柴田町大字富沢字岩崎山)






「富沢地区岩崎山西側の凝灰岩が露出した岩肌斜面に、
高さ2.4mの阿弥陀如来座像をはじめ、大小様々な石仏が彫られています。
鎌倉末期の石仏が数体、江戸時代に彫られた三十三観音が丘陵斜面を覆っており、
確認できる最古の石仏は、永仁2年(1294年)の虚空蔵菩薩4体です。
昭和46年、県の史跡に指定されています。



阿弥陀如来坐像は通称「富沢大仏」と呼ばれ、
1306年に恵一坊藤五良が父親の供養の為に彫ったとされています。
富沢大仏は、風化を防ぐために昭和40年代にお堂が作られた為、
はっきりとした顔立ちを伺う事が出来るが、
それ以外は風化が激しいものもあります。」


岩の中に7体の虚空蔵菩薩様がおりました。
名称が「眠り観音」というのです。





入口には、大きな杉があります。



岩場の上にも石碑がずらりと並んでおり、
なぜ、ここだけたくさんの信仰が集まったのか不思議です。





このあたりは、折石神社にも近く、岩場が多い森がたくさんあります。
でも、他の所は何でもないのに、ここだけ大仏を掘ったのには、
この場所に何か特別な意味があったのかな?と思ってしまう。


(千貫森に繋がっていそうだ)

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②雨乞イチョウ(宮城県柴田町大字入間田字雨乞26)



これがすごかった!
国の天然記念物になっているのですが、素晴らしかったです。



折石神社へ行く途中に看板があり、
度々、この道を通る時にいつも気になっていました。
どんな巨樹なのか行ってみると、結構、山の上にありました。
なので、景色も最高。



「雨乞のイチョウは愛宕山中腹にあり、推定樹齢650年、樹高31m、幹回11m、
枝張り東14m、西12m、南11m、北13m、雄株です。
案内板には「乳柱の発達が著しく、長さ4m直径50cmに達するものをはじめ、
16本の乳柱を数える。樹勢が旺盛で樹容も美しく、
イチョウの巨樹として全国屈指のものである。柴田町教育委員会」とあります。
雨乞のイチョウは昭和43年に国天然記念物(植物)に指定されています。」




ここは昔、人々が雨乞いの祈りを捧げた場所だったそうです。
イチョウの根元付近の湧き水は一度も枯れたことがないと言われていますが、
どのあたりなのか全然わからなかった・・・。





柴田町は、日本国内で自生する最北限の柚子と言われており、
柴田町で一番高い愛宕山の中腹にある入間田雨乞(あまご)地区で
4件の農家が生産しています。


なるほど。
後で調べてわかったのですが、
雨乞いイチョウを見る時、結構、上まで行ったのですが、
民家が何軒かありました。
ゆずの生産をしている農家さんだったのですね。
駐車スペースはないのですが、少し上に上がった所に、
ゴミ置き場があり、広くなっていたのでそこに停めました。

推定樹齢数百年の古木もあるそうですが。
気になる話が、東日本大震災の後に花があまり咲かなくなり、
2012年の収穫量は通常の1/10まで減ってしまったそうです。
原因が不明だそう。



う~ん、地下水なのかなあ。

「雨乞ゆず」なんて素敵な名前。
こんな伝説が・・・

「今から600年も昔、諸国を行脚修行して歩く行者が雨乞地区にたどり着き、
近くの家で水を飲み喉を潤しました。
その水が美味しかったのと、集落の人々が優しかった事に感激し、
行者はこの地に住むことにしました。
しかしある時、行者は風邪をこじらせて寝たきりになってしまいましたが、
雨乞地区の人々の手厚い看病に感謝し、修行中に南の地で頂いたという
柚子の種を差し出したそうです。これが現在の雨乞の柚子の由来といわれています。」


やっぱり人が種を運んできたのですね。
それがこんなにきれいに実ってます。
大きなイチョウの前で。
なんとなく、大イチョウとゆずが家族のようにワンセットになっている光景でした。

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③不動堂のフジ



また、こちらもカヤとフジのワンセット。
「カヤの巨木にまつわり、根元の幹周り2.5mもある。
大蛇のように絡み合い、樹上で直径20mの円を描いて傘状に覆っている。
樹齢400年といわれる。
「フジ」の下に不動堂があり、身代わり不動として信仰されている。
この水は、年中涸れることがないといわれる。」(
看板より)



入口は階段になっており、すぐ上の方に不動堂があります。
が、セコムで守られている・・・。なので中を拝見できず。





小さなお不動さんが愛らしい。
ちゃんと水を守っている感じがするから、昔の人は、
お不動さんの姿が、小さな妖精にでも見えたのではないかなあ。
そんな妄想をしながら、森の巨樹たちを見上げる。
おみごと~。





しっかし、宮城県!
板が敷いてありまして、ベンチもあったのですが、
ここで何かするのかな。と思っておったら、
入口に、小さく「芋煮会」の宣伝が・・・。
10月28日(金)お不動境内にて芋煮会をするそうです。
大光院不動講とある。
講なんだ・・・。

やっぱり私は関東人なのかな。
芋煮からワクワク感が得られない。ワラ
川原で芋煮・・・。う~ん、わからんなあ。
「豚汁みたいなもんでしょ?」と言ったら、
激しくNO!と言われた事があった。笑。
違うらしい。

宮城県は味噌味、発祥の山形県はしょうゆ味。
なので、芋煮はしょうゆ味が基本らしい。
でも、私は味噌が好き。
味噌じゃねっ。ってことなんだ。



この敷地は、下にある大光院のもので、
このお寺にも興味深い伝説の阿弥陀様がおります。


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あせかき阿弥陀像(県指定重要文化財)



鉄造阿弥陀如来座像(四体)
現存する鎌倉時代の鋳造では古いそうです。

「略縁起」よれば、昔、この地の立石長者が旅僧の勧めによって
五体を鋳造し、一体を娘の身代わりに供養し無限地獄の難を免れた
と言われる。部落に異変がある時は、全身に汗をかいてその徴を村人に
知らせたと言われる。
以来「あせかき阿弥陀」と称されている。

「昔、この地域に住むお金持ちの豪族の娘が病気で苦しんでいた。
そんな時、ある旅の僧侶に相談を持ちかけたところ、
「娘の病気の原因は沼に住む大蛇。1艘の船と5体の阿弥陀如来像を鉄で作り、
その沼に沈めると病は良くなるだろう」と言われた。
僧侶の言う通りに事を進めたところ、娘の病気も治り、
沼から4体だけ阿弥陀如来像を引き上げ、人々の信仰を集めたという。」




実は、宇都宮にもあります。
一向寺の本尊。こちらは、国の重要文化財。
「本仏像は「汗かき阿弥陀」の異名でも知られ、
国家の危機を汗をかいて知らせるといわれる。
起源は宇都宮家に凶事がある際に汗をかいてそれを知らせたというもの。
その他、以下の凶事・異変時に汗をかいた(湿気を帯びる)という伝承がある。」

ということで、起源は宇都宮家に関係するようです。
湿気をあびるのは悪いという自然現象からのようですが。

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他にも柴田町にはこんな所があります。

「太陽の村」
自然休養林なので、森歩きもできます。




石と木のオブジェが。





「折石神社」------------------------------

改めて行ってみると違うもので。
狛犬さんたちのお顔がマンガみたいに渋いね。
キリっとしてる。





久しぶりの参拝ですが、裏手の石の配置が変わっていたらどうしよう、
みたいに変なことを考えて、ドキドキしてた。笑。



変わらず、そのまま静かな石の神殿。
石室裏の巨石群。



石の埋葬やイワクラなど、明らかに人工的になっているところは、
京都の葛城氏(秦氏)賀茂氏などがルーツになっている。
イワクラ信仰に通じる山城、岩城、なのだと。

そして、三つ星のオリオンなのかどうか。
星信仰の住吉大社の筒も祀られる。



大和朝廷の和が崩れたのは、秦氏たち京都の都人が追われた
こともないでしょうか?
このあたりまで、石で埋葬する方法をしていた人たちは、
古墳が常識になると、土葬を行います。
石で祈祷をしていた葛城氏たちは、北上を続けたのでしょう。

獲物を追って。



巨石巡りもよいけど、巨樹巡りもいいですね。


※39号線に神社はあります。
マップでは富沢摩崖仏郡は、「大佛如来」になります。
雨乞いイチョウは、折石神社へ行く途中に、看板があるので(仙台方面から)右折。
道なりに進むとあります。


※不動堂のフジは、「寺後」にありますので、寺後に設定するといけます。
中学校を過ぎて団地奥の山へ向かうと、
小さいですが看板があります。森の中を走ること約10分で到着。
駐車スペースはありません。(車1台くらい停められる幅はある)
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黒鼻山登山とトリカブト

2016-10-21 | 日記・エッセイ・コラム
秋保の大倉山に続いて、今回は泉ヶ岳の黒鼻山へ。
黒森山など、黒とつく名前の山は惹かれます。
黒伏山なども。
神社でも黒前神社、黒沼神社、黒石寺など有名な寺社もある。
黒に対して白の描写。
黒は元は白だった。白も元は黒だった。



森が好きなのは、なぜだろう。
と、思っていたら、わかった。



「神話の力」ジョーゼフ・キャンベルの本でわかった。

「自分の本能を殺したくないから。」

なるほど。

怪我もなく、事故もなく、
小さな危険もあったけど、すり抜けている。
その本能によって、私は、自分で自分を守っていたのだ。

本能は、自然の中に長時間身を置かないと、死んでしまう・・・。



「神話の力」より---------------------------------------------

モイヤーズ:
「~私たち現代人は世界から自然の啓示を自然そのものを
はぎとっています。小さな男の子が森で美しく鳴いている小鳥を見つけ、
捕まえ、自分の家に持って帰ったピグミーの伝説を思い出します。」

キャンベル:
「その子は父親に小鳥に餌をあげてと頼むけれども、
父親はたかが小鳥なんかに食べ物をやれるかと言ってその鳥を殺してしまう。
その伝説によると、その男は鳥を殺し、鳥と一緒に歌を殺し、歌と一緒に
自分も殺した。男は死んで倒れた。すっかり死んでいた。永久に死んだ。」

モイヤーズ:
「それは人間が環境を破壊したらどうなるかについての
物語ではないでしょうか。世界を破壊したら。自然や自然の啓示を破壊したら…」

キャンベル:
「人間は自分の本性まで破壊してしまう。歌を殺してしまう。
~神話は歌です。それは肉体のエネルギーによって生気を
吹き込まれた想像力の歌です。昔、ある禅僧が弟子たちの前に立って
法話を始めようとした。いま口を開こうとする瞬間、小鳥が鳴いた。
すると僧は「法話は終わった」と、言った。」


キャンベル氏の「神話の力」の中で、限界領域というのがあり、
境界線に囲まれた社会では、攻撃は外に向いてしまうと。
内集団と外集団は無関係。
それが異邦人という語の意味であると。
異邦人は、同じ人間仲間ではないという考え。
自分と同じ服装をしていなければ同類とはみなさない、といったこと。

神話には人間界と自然界の2つがある。
自然と人間を結びつけた神話と、厳格な社会の神話(ある特定の集団にいる)がある。

厳格な社会の神話とは、聖書である。
それに対し、日本の神話は、自然と人間が結びついている。





本能----------------------------------------------------

黒鼻山は、とっても静かな森でした。
最近、熊の出没が多いのが気になるのですが、泉は毎年、
熊の目撃が相次ぎます。まあ、熊にとっては当たり前。
なので、熊に会ってもおかしくない山。
今まで一度も熊に会ったことはないですが、いてもおかしくない。

泉ヶ岳の麓にある黒鼻山なので、もしかしたら熊に会うかもしれない!と。
水神コースの登山入口では旧青年の家を壊していて工事をしていた。
工事現場の人が、熊がこのへんに出たから気をつけて。という…。

やまちゃんと、鈴をつけ始める。
私もやまちゃんも同じような鈴をもっていた。
熊除けではなく、神社の鈴。
私は友人からもらった伊勢神宮の鈴と熊野大社のお守りをいつもリュックに
つけている。プラス新たなお供は、土偶さん二人。



熊に会ったらどうするか・・・。
どうにもならんなあ。
神社の鈴ではなあ。音が小さすぎるしなあ~。
もし、熊に会ったら目を離さないことだって。

私は一人で山へ入る時は、手をたたきます。笑
登り始めの気合いに。
よく手をたたくのですが、魔よけの音と聞いたことがある。
さすがに狼の遠吠えなんて、ムリだし。

どうでもいんだけど、私は可愛い山姥になりたいと思っていた。笑
そんな山姥を目指そうと思っていた。
でも、できない。
そういう風になれない。
燻製のうずらの卵を食べている時点で、オヤジだな、と思った。

ほんとは、森でシフォンケーキを食べたかった。
クッキーを焼いて食べてみたかった。
ピクニックというのをやってみたかった。
サンドイッチとかもって。

でも今は、酒のつまみをコンビニで買う。
楽だな~と思う。。。(泣)

でも、男性性が強いのですが、登山の後は顔の表情が変わります。
お肌つるつる。さすが有酸素運動。
女性性が高まるのですが、家に帰るとすぐ戻ります。。。


で、ジジイな山姥は愚痴る。
こちらのニュースで、熊が出た場合の訓練の様子をみたことがある。
警察がパトカーに乗ってノコノコやってきて、
銃装備で銃を鳴らし威嚇する。
まるで、テロ対策のような訓練だ。
相手は、熊だゼ?
熊をみかけたとしても、警察がくるまで時間がかかるよねぇ。

マタギはそのためにいるのでは?と純粋にそう思う。
東北には、まだまだいるよ。ハンターは。
熊をよく熟知しているおじさんたちがいる。
そういう人にまかせない行政をみていると、
本能が死んでいるのだな、と思った。



秋田県で人が襲われた話から、熊=凶暴な動物になっている。
人を食べてしまった熊は、人の味を覚えてしまった熊だ。
そういう熊の駆除は必要かもしれないが、そうではない小熊など関係なく、
熊が出たというだけで、何でもかんでも人を襲わない熊まで、
銃で撃たれてしまうのは、さけてもらいたい。

秋田県の例では、以前から、人を襲う熊は目撃され被害があったそうだ。
その熊を早くに対処しなかったことがあるという。
狩猟の人や熊をよく知っている人と、
行政のやり方(警察にまかせることなど)の意見の食い違いとか、
価値観の違いとか、話がまとまらず、
結果、犠牲者を出してしまったこともないのだろうか?

地元ではいろいろな議論がまきおこったそうですが、
熊について考えるきっかけになった出来事でもあった。

やまちゃんが、熊について話を聞きにいった時、
まるで、朝廷とエミシのようだった。と言っていた。
熊に対しての考え方や食い違い。もう価値観が違うのだよね。

何でもかんでも駆除すれば良いというのではなく、
人を襲う熊か、そうでない熊の選定ができる人がいるのだから、
そういう専門家にまかせるべき。でも、行政は話を聞かないという。
また、動物愛護団体みたいなのも、勉強せいっ!と思うのだ。

・・・てな事をやまちゃんと話ていたのは、前回の森だった。笑
今回の黒鼻山では介護の話だった。
まあ、いっか。

震災の時、漁師たちの意見に、宮城県知事が嫌な顔をしたのと似ている。
面倒くさいな、という顔をした。
あの方は、たまにそういう姿をちらっと見せる。
知事も「人間だもの」と、相田みつを風に言いいたいかもしれないけど。

本能が死んでいる人は、なんでも仕事だと思って考える。
仕事の感覚で処理をしようとしている。
でも、自然は仕事をする場所ではなく、本能で結論を出す所。
その訓練が大事だと、震災の経験で多くの人が感じたはずです。

でも、ある人が本能で伝えている意見だとしても、
その意見について自分の本能が死んでいたら答えることができない。
そうだな、と思わなければ、対立するばかり。
大震災で、多くの小学生が犠牲になった学校の話ですが、
助かった男の子は、裏山に逃げようと言ったそうです。
でもそれを聞かない教師たちがいた。
山へ逃げる方が怪我をするから危険という判断。
それで北上川の方の避難訓練をしていた公園へ向かってしまった。
いつもそうしていたからだろう。

海で暮らしている人は、本能的に海に行ってしまう。
でも山へ行っていたら助かった。
津波は海からやってくる。
多賀城の人の話もそうだった。
一番高いビルがあったそうだが、向かった人たちの先に、大津波が襲ってきたそうだ。
助かった人は、本能的に皆と逆の裏山の方へ向かったそうだ。
なぜ、本能的に大津波が来る方の海へ向かってしまうのだろう。

本能で自分を助けるには、年齢は関係ない。
経験でもない。
すでに知っている事。

それをアカシックレコードという。
アカシックレコードに入っている情報を引き出して
脳にインプットするような働きを人間は持っている。
過去に、そういう経験をしている人は、本能的に逃げる方法を知っている。

そうやって何度も魂の生まれ変わりがあり、成長し、今に至る。
その本能とは、過去に蓄積されたアカシックレコードによって、
自身を守っているものがある。

なので直感的に、体が動く。
神でもなんでもない。
自分で自分を守っているのだ。

だから、自然に還る。
また森に戻りたい。
私はそういう風に生きていきたいから、
巻き込まれたくもないし。
だから、本能を殺さないために、森を歩く。




※あっけなく到着した山頂。ちょっと物足りなさを感じるやまちゃん。

という事で、本能のまま登山をしていますが、
元々は、遭難死をだしたツアー会社をよく利用していた。
確かに強行なツアーだったし、高齢者が多すぎるため、
ペースがつかめず、かえって疲れてしまった。
マニアックなルートをあえて選ぶこともあった。
他の会社と違う点を売りにしたことが、汚点に・・・。

それから、一人で登ることに決めたのです。
その方が安全だと思った。
そしたら、北海道での遭難死のニュースが。
高齢の女性が、体力もなく寝不足な状態で、長時間の悪天候の中を
標高の高い山から下山できるはずがない。
私も山好きなので、ショックでした。

ガイドの質が悪いと、たたかれましたが、
本能的に、直感的に、生きていないのだな、と思う。

山も調子悪いときが、あるんだよ。

熊が里まで下りてくることは、昔は、ほとんどなかったそうです。
でも今は、人里を怖がらない熊が多いと。
それが地球の異変なのであるが、人も異変が起きている。

トリカブト-----------------------------------------------

がらりと話を変えて、改めて、この花について思う。
毒をもつトリカブト。
じっくり見たことがなかったが、不思議な花だよね~。
ほんとに冑をかぶっている花。



もう妖精みたいな。宇宙人みたいな。

でもこの花、人間嫌いという花言葉がある。
なして~。
なして人間嫌いな~ん?

英名では、「僧侶のフード(かぶりもの)」
そのまんま。



ヨーロッパでは、魔術の女神ヘカテーを司る花とされ、
庭に埋めてはならないとされる。
ギリシア神話では、地獄の番犬といわれるケルベロスのよだれから
生まれたともされている。
狼男伝説とも関連づけられている。

さて、昔、誰かがつい食べてしまったら、毒性があり死に至ってしまった
事があったのだろうと思う。
薬草は、実験みたいなもので、実際に試してみないとわからない。

地球の生命の進化と植物や昆虫は密接な関係があるとわかる。
バッチフラワーレメディのように、植物の波動が人間と合うのも、
人類の進化に沿って植物も進化している。
種を遠くへ飛ばすことをしているのは鳥や昆虫だから、
鳥が喜ぶように、花は赤い実をたくさんつけて寄せ付ける。
人も同じ。子孫を遠くまで残すために、鮮やかな衣装をまとうのと同じ。

以前、アーモンドが脳の前頭葉の意味があると書いてましたが、
植物も人間の脳と似た現象があるという。

「花弁に類似しているのは、大脳皮質で進化歴史の中で遅くに出現したそうだ。
人間が原始的な哺乳類や爬虫類と共通にもっている脳の部分は、
人間が魚類と両生類と共有している進化の歴史上、最も古い脳の部分
脳幹を囲んでおり、生殖と自己保存本能(呼吸・循環)を制御している。」


「魂の植物:エドワードバッチ」より参照。

ネアンデルタール人は、花と一緒に人を埋葬していた。
6万年前の古代人の花粉分析でわかっている。
花を添えたのは、飾りというよりは、薬草と考えられる。

でもなぜ毒があるのだろう?
身近にある植物や花たちの多くは毒をもつ。
それは、毒をもつ植物の方が、ないよりも生き残るのに有利だったと考えられるそうです。



毒とは本当は甘いもの?--------------------------------------

もう、うんちくになりますけどね・・・。

トリカブトの異名「附子(ぶす)」という話がある。
狂言の一つなのですが、ある家の主が猛毒が入っている桶には近づくな、と使用人
2人に言う。しかし、留守番をしている時に、どうしても気になって毒のある
桶に近づく。空気に触れたりするだけで毒にあうといわれるが、覗いてみると、
何とも美味しそうに見える。誘惑に負けて使用人が舐めてみると、
毒とは全くのウソで、砂糖だった。
使用人はとうとう最後まで砂糖を食べつくしてしまう。
さて、どうやって言い訳をするか、考えたあげく、
主人が大切にしている茶碗や掛け軸を壊し、
めちゃくちゃにする。主人が帰ってくると、使用人がワーワー泣く。
「大事にしていた茶碗と掛け軸を壊してしまい、死んで詫びようと思い、
桶にある毒を食べたのですが、死ねずに困っているのです。」と言い訳した話。

それで、ブスとは、この「附子」からきてるんです!?
容貌の醜い女性のことを「ブス」というのは、
アコニチン(トリカブトの有毒成分)中毒では神経が障害を受け、
顔の表情筋が不随になっておかしな貌になるからだという。(Wikipedia)

へ~、そうなの・・・。
ブスは、トリカブトが由来なのねぇ。
だから人間嫌いなの??

よくわからない不思議なトリカブトを愛でながら、
黒鼻山では熊に会わなくて良かった~と安堵した山でした。



※泉ケ岳水神コース入口から関口まで歩く。看板があるので左の道へ。
道もわかりやすく、所々にリボンがあるので迷うことはありません。
途中から泉ヶ岳へも行けます。
山頂まで所要時間1時間10分位。下山は40分位。
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植物たちの伝説(野草園)

2016-10-18 | 神話・伝説
初めて野草園に行ってきました。
大年寺山にありまして、かなり坂を上がっていきます。
テレビ塔が建っている所。
青葉山や台原森林公園は何度か散策していましたが、
野草園もとっても良い森でした。





四代仙台藩主伊達綱村は、隠元禅師が伝えた黄檗宗(おんばくしゅう)
に深く帰依し、京都宇治の万福寺に似せた大年寺を1697年開創し、
伊達家の菩提寺としました。
当時は、一説によると300人の僧侶がいたそうです。


(長町方面と太平洋の方)

仙台市内の街中には、豊かな森がたくさんあります。
こんな大都市に、これだけの森があるのもすごいと思うのです。
東京でも新宿御苑や埼玉にも、たくさん森はあります。





でも大年寺山は、中心部から離れてないし、
貴重な自然が残ってます。


★メタセコイアの化石


★挂化木の化石。(メタセコイア)
Wikipediaより、
挂化木とは、木化石とも呼ばれるように、
古代に何らかの原因で土砂等に埋もれた樹木が、
膨大な年月をかけ地層からかかる圧力により木の細胞組織の中にケイ素と酸素、
水素との化合物であるケイ酸を含有した地下水が入り込むことによって、
樹木が原型を変えずに二酸化ケイ素(シリカ)という物質に変化することで、
石英や水晶などと同様に固くなり、化石化したものである。


植物の先祖は石。
これは、泉区中山の方で、掘り起こされた植物の化石。
年月の経過で割れてしまいましたが、オパールのような輝きは失われていない。



★ほととぎす-------------------------------------------

郭公と時鳥とは、昔いた姉妹である。
郭公は姉で、あるとき芋(補一)を掘って焼き、そのまわりの
固いところを自分で食い、中の軟らかいところを妹に与えたが、妹は
姉の食うところはもっと美味しいに違いない。
と思って、庖丁でその姉を殺すと、たちまち鳥になり、
ガンコ、ガンコと鳴いて飛び去った。
ガンコは方言で固いところという意味である。
妹は、では、いいところだけ自分にくれていたのかと思い、
後悔しきれず、やがてまたこれも鳥になって庖丁かけた、と鳴いたという
遠野では、時鳥のことを庖丁かけと呼ぶ。
盛岡あたりでは、時鳥はどちやへ飛んでた、と鳴くという。



※ホトトギス

ホトトギス(杜鵑草):花にある紫の点が、鳥のホトトギスの胸毛の斑点、
または尾羽の白斑に見立てたからだそうです。
模様を見ればすぐホトトギスとわかります。
毒毒しいけど。ユリ科なんですね。

他にも、鼓岡にご滞在の崇徳上皇がホトトギスの声を聞き、深く都をしのんで
「啼けば聞く 聞けば都の 恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎす」
と詠みました。
それを耳にした里人が気を遣い、以来鼓岡一帯ではホトトギスが鳴かなくなったといいます。
その後、ホトトギスを供養し杜鵑塚を建てた塚があるそうです。
「杜鵑」と難しい漢字を使いますが、実際いたような人みたいですね。


(??)

★りんどう(竜胆)--------------------------------

りんどうを見ると、秋だな~と思います。

昔、修行者 役小角(えんのおづぬ)が日光の奥山で、
リンドウの根の時効を発見したという伝説(二荒縁起)があります。
役小角が山道を歩いていると一匹のウサギが雪の中から現れ、
リンドウを雪から掘り出しなめていました。
ウサギは、主人が病気なのでリンドウを探しているのだと答え走り去って行きます。
役小角は、試しに病人に飲ませると優れた効き目があり、
「二荒神のお告げに違いない」と確信します。
それ以降 日光では、リンドウが霊草になったそうです。




リンドウは、日本古来から愛され清少納言は、「枕草子」で、
「リンドウは、枝ざしなどもむつかしいけど、こと花どものみ霜枯れたるに、
いとはなやかなる色あひにてさし出たる」と記しています。


★亜炭採掘跡
300万年前の植物が地下に埋もれて炭化したもの。

★あしたば---------------------------

夕べに葉を積んでも、明日には芽がでるという強靭な発育が速いことからきている。

その昔、秦の始皇帝に「東方の海中に不老長寿の薬があり」と書を奉り、
男女三千人を引き連れて東海へ船出した男「徐福」がいました。

彼らが探し当てた仙薬「不老長寿の薬」というのは明日葉だったと云われています。



※(葉=あしたば)

仙薬を求め、船出した徐福他男女500人でしたが、
途中船は難破して八丈島にたどりつき、
徐福と共に船出した少女達が住み着いた女護ヶ島伝説は、
為朝伝説と結びつき、今も静かに語り継がれています。






アシタバは、薬草として今でも用いられています。
薬草が一番体に合うわけですけど、年とって薬づけはさすがに嫌だ。
義理の母を介護してきて、つくづく思います。
今、義理の父の介護をしていますが、薬はやめた方がいいね。
痛みなどの苦しみがあるなら、薬は飲んだらいんでしょうけど、
そこまできたら、もう手遅れ。
そうならないうちに、考えておかないとな。
と、介護をしていて、ほんと~に思います。




(藤つる)

★ハマナス--------------------------------------------

花は咲いていなかったので、Wikipediaで見てみました。
とってもきれいな花ですね~。



「男鹿の昔はなし」より。

昔、男鹿には蝦夷がたくさん住んでおり、鬼王丸という酋長に守られて楽しい
日々を送っていた。ある日、大和朝廷が東北の蝦夷を討伐するため、
坂上田村麻呂将軍か男鹿を攻めてきた。
鬼王丸の子ども小鬼丸は子孫を残すために蝦夷浜から海へ逃れ能代に着き、
そこからは散り散りに逃れたという。
たどり着く先々で流した涙が磯辺に咲く「ハマナス」の花と言われ、
お盆にはハマナスの赤い実を仏壇に供える。
また、将軍が男鹿攻めをした時は一面の雪で、
馬の飼葉もなかったので海草を兵馬共に食べた。
この海草を「人馬草」と名付けたのが、ジバサ(ぎばさ)だという。




看板より、
「エゾの人たちを野蛮な人種とそしり、
征服にのりこんだ大和の大群にたちむかう
族長の娘たちは、北の浜辺に逃れたが、力つきました。
この娘の化身が北の浜辺に咲くハマナス」

他にも義経伝説にもあります。

石狩の恋物語を彩るハマナスの花 (石狩浜)
石狩にやってきた義経は、恋の遍歴をここでも続けます。
メノコと恋に落ちた義経は、 大望があるためにまた旅に出なければなりません。
別れにさいして、 彼女は石狩の浜に咲く真っ赤なハマナスの花を贈った
と伝えられています。

※義経伝説(このサイトは面白い話があります)
http://mysteryml.com/hokkaido/yoshitsu.html

★シロモジ

クロモジでなく、シロモジ。
ちょっとぼやけちゃったけど、帽子みたいにかわいい~。


★水琴窟(すいきんくつ)は、日本庭園の装飾の一つで、
手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、
その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。
水琴窟という名称の由来は不明だそう。



音は聞けなかった・・・。



★エゾの娘
看板より「クマソは九州南部のエゾはわが北国の先祖。
エゾアジサイは、北国の娘のようにやさしくつつましく咲いている。」

こんな感じのかわいらしい石碑もあります。
面白い野草園でした。


遠くに白く見えるのが、中山にある観音様。
紅葉は家族連れが楽しいと思います。
食事もできます。

★野草園(杜のひろば)
http://www.sendai-park.or.jp/web/info/yasouen/
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日独伊三国同盟と白虎隊

2016-10-16 | 日記・エッセイ・コラム
白虎隊が自害した絵と宇賀神が祀られています。
宇賀神は、同じ境内に祀られる厳島神社に由来するそうです。



休日もあってたくさんの観光客がいました。
みんな白虎隊のお墓をお参りしていますが、
私はある像に釘づけになってしまった。

ドイツとイタリアの碑。
なぜここに?

ヒトラーと白虎隊------------------------------------------

意外にもヒトラーは日本好きではありましたが、
白虎隊の姿に感銘を受けたという話がある。
イタリアもそう。
ナチスのヒトラーとイタリアのムッソリーニ。

「フォン・エッツドルフ氏の寄贈の碑」
1934年この地を訪れたドイツ大使館書紀官エッツドルフが、
白虎隊精神に感動して贈った碑です。
碑には、古来のドイツ国のマークと「若き少年武士へ 一ドイツ人」と
ドイツ語で刻まれ1935年に建てられました。」




ヒトラー・ユーゲントというのがあります。
1926年ドイツナチス党内の青年組織で、白虎隊のお墓へきていたのでした。
会津藩を守るために自害した青年に感銘を受けたので、参拝にきたようです。
ヒトラーは日本が強大な国であることはわかっており、
チベットの地底国に関心をもつほど、どっか飛んでいた人でした。
それに、神道にも興味をもっていたそうだ。
日本に憧れ、ゲルマン人の祖国に対する思いよりももっと深い
日本人の精神。
白虎隊の青年の自害という行為に突き動かされるのです。
これは、イタリアも同じだった。
ローマ人も日本人のそんな精神に魅かれるものだろうか。。。
ムッソリーニは、白虎隊から武士道を学んだという話。



「ローマ市寄贈の碑
1928年白虎隊精神に感銘を受けたローマ市より贈られた記念碑です。
碑の表面にはイタリア語で「文明の母たるローマは白虎隊勇士の遺烈に
不朽の敬意を捧げんために、古代ローマの権威を現すフアシスタ党章の
鉞(まさかり)を飾り、永遠偉大な証たる千年の古石柱を贈る」
裏面には、「武士道の精華に捧ぐ ローマ市元老院および市民により」
と刻まれています。
柱はローマの赤色花崗岩古代円柱で、上に大鷲の像、基石の四隅には
矢束に鉞が配されていましたが、大鷲だけが昔の姿が残っています。


しかも、イタリアの鷲がのっている柱は、
ポンペイ遺跡から発掘された古代宮殿の柱だという!!

なぜ、ポンペイが飯盛山に・・・。
これも白虎隊が呼んだのでしょうか?
なんだか、フツフツと悶々としてしまうのです。
何とも言えない感情がわきあがってきます。
でも、観音様にほっとしました。



して、かわいい弁天様!!
癒される~。


白虎隊の死を無駄にしないためにも、美化する考えにしか至らないのだろうけど、
軍国主義を掲げていた日本は、世界でも脅威でした。
アメリカのある番組(ニュース)で忘れたけど、
神風特攻隊=自爆テロと考えている政治家がいた。

アメリカにとって自分の命を投げうってまで祖国のために戦う意味が
わからないでしょうし、今となっては、確かにわからない。
でも、当時は皆、同じだったでしょう。
家族も軍友も、死ぬことが国のためで、お役目だとみんながそう言っていたら、
そうなるしかないのです。
たぶん、そうなっちゃうんだろうね。。。
良くも悪くも、何でも透過してしまう日本人だから、
そんな霊的な日本にあこがれた外国人が目をつけたのが、明治維新ですよね。

日本語という言霊を使っているので、思想や文化、宗教の洗脳は難しい。
潜在的にもっている神道があるのだから。それを嫌だと思う人も多いと思いますが、
天皇(天皇制がどうのこうのでなく)がいる国をこんなに長く温存できるのは、日本だけです。
王族ではなくて。
しかも、このような精神は、世界中に和をもたらしていますね。
好きな番組があって、「こんなところに日本人」という番組。
世界中どこでも受け入れてしまう日本人の精神は、すごいな~と思います。

自害することが全く理解できないアメリカは、野蛮な日本人とみていた。
日本の精神文化を排除するといった陰謀論もありますが、
ドイツと組んだ日本が、何をしでかすかわからなかったでしょう。
アメリカ人の祖国というのは、ネイティブアメリカン(インディアン)をのぞいて、
アメリカではないわけだから。移住者だし。
新しく建国した国に住んでいる。といった感覚。
それもそれで新しいことは良いのですが、民族紛争の本当の意味を知らない。
その根本的な異なる人種のすれ違いの経験がないのでは?

長い歴史の中で生きぬいてきた大地ではないのが、アメリカという国だと思うので、
全くそのような世界と無縁で、新しい国を建国したいと、
白人ユダヤ人や欧米諸国の人たちが移動したわけでしょう?


(中央:森の部分が鶴ヶ城)

そう考えると、白虎隊の精神って難しいけど、
もう地球規模な精神をもっていた貴重な存在のように思う。
だから、ドイツやイタリアのリーダたちが興味をもつ理由がわかります。
ただ、日独伊三国同盟という固いモノが背後にのさばっている気がする。

--------------------------------------------
この時代の歴史は詳しくないのですが、
教科書には必ずある第二次世界大戦中に締結された「日独伊三国同盟」。
偶然、ドイツとイタリアが白虎隊に興味をもったのでしょうか?

西洋のヨーロッパの植民地政策、アジアでは日本と中国の日中戦争。
これに参加していない国から、万一攻撃を受けた場合、
相互に援助するという同盟。

日露戦争で日本がロシアに勝利したこともあり、
ヒトラーは日本に近づいたことがあります。
こういう写真をみると、旗が物語っていますね。
日の丸を真ん中に、卍と十字。


※同盟締結を記念してベルリンの日本大使館に掲げられた三国の国旗(1940年9月)

ムーとアトランティスの間に、和があるっていう綺麗な図式ならいんだけど、
どうもそうはいかない。
いや、そうさせない金融の鬼がいる。

この当時の日本は軍国主義に向かおうとしていた・・・と、いうよりそう仕組まれた。
日本は、アジアの中の指導的立場にいないといけない。
という考えがありました。別に戦争を起こすつもりはなく。
アメリカと日本が悪くなっていた事もあり、ヒトラーとムッソリーニは、
共産主義とは違う軍事力で世界を制することを考えていた。
なので、アメリカが敵国となる。

ただ、日本は戦争をしかけることを本気で考えていたかどうか。
1873年のウィーン万国博覧会では、日本政府として初の参加。
ここから日本ブームが世界に広がる。
「小国なれど大国あれ」と言ったのは、中臣鎌足がいた時代。
再び、蘇った。

かなり前に上野の展覧会で、
万国博覧会で出品した展示品をみたことがあります。



「2005年日本国際博覧会開催記念展
「世紀の祭典 万国博覧会の美術 ~パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品~」
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=486

軍国の象徴である鷲の展示品がすごかったのを覚えています。
もう威嚇みたいな。日本は強いんだよ!って。。。

この作品は、全部含めてます。
「七宝桜花群鶏旭日図大香炉」
(林喜兵衛、杉浦行宗等合作 明治26年(1893年) (有)アート・プロモーション)
「・・・ここまでに香炉には何度も驚かされてきましたが、
これには度肝を抜かれました。
和・アジア・イスラム・欧、そしてアメリカの、
デザインのエッセンスを貪欲に吸収した上でアートとして起とうとする、
エネルギーの塊のような作品です。」

※東京アートレビューの記事より
https://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/art_review/05/index3.html

私もこれをみた時は、日本らしくないというか、
こんな一面をもっているんだな、と感じてました。
やっぱり、壷の上に鷲がのっているんですね。
1876年万国博覧会では、薩摩藩と佐賀藩が出品、参加したことがあります。

経済もそうですね。ユダヤのロスチャイルド。
世界の指導的立場にいられるのは、ドイツとイタリアと日本といったような
考えがあったから同盟を結んだ。
ロスチャイルドは西洋の財閥なのですが、
皇帝ロシアの鷲を象徴とする。

イタリアと深く関わるロスチャイルドで、ヒトラーの軍事資金を提供していた話もある。
幕末の明治維新で活躍した若者たちの洗脳も、古くはロスチャイルドから影響を受けている。
日本を欧米化した方が、もっと軍事力を高められるはずだし、
日本もそう思っていた時代でした。

なので、ロスチャイルドがナチスをコントロールしていた事にあり、
今でも、911がアメリカ政府が仕掛けたことがわかっているから、
歴史は、シナリオ通りになっているわけです。
たとえ、同志が犠牲になってもお構いなし。

だから、アメリカと日本を仲悪くさせ、最終的には原爆を落とされたのも、
単に財閥家の思惑通りだったということに。
今、豊洲移転問題がありますけど、似てるよね。
ただ、今回は、思惑通りにはいかず。小池さんが都知事になったから。
隠せなかったのだよね。
あの空洞になっている資金はどこへ?

明治維新など白虎隊もそうで、若い人たちが世界のために戦うのは、美しいとすら思えます。
かっこいい、とかクールとか。
そんなイベント的に燃えていた若者がいた幕末だったのですが、
でも白虎隊はどうだったのでしょう?
あの時代はそうだった。とは言えませんね。

戊辰戦争が詳しくわかりませんが、白虎隊の行いが、後に世界中の
若者に惹きつけられたことは事実です。



ヒトラーは相当な悪者で、「シンドラーのリスト」をみましたけど、
恐ろしい時代があったとか思いますよね。
でも、ヒトラーも操られていたと思うのです。
本当の悪とは何か、を今は多くの人が知っていると思いますが。
なので、古代史で度々ユダヤ人の話をしますが、
今の白人のユダヤと古代のユダヤが、なんでこうなったのか?
わかりません。



※ユグドラシルと、そこに棲みつく様々な生き物達
17世紀、アイスランドの写本『AM 738 4to』の中の1図。

ロスチャイルドの紋章と似てますね。
上に鷲。
左側の木に登っている生物の角が一本。
これがユニコーンですね。
生命の樹は、ロスチャイルドの理想でもある。
だから古い時代を遡ると、ルーツは龍を封じるという話に繋がるわけですね。

白虎隊は宇賀神。
白龍ですから。



ロスチャイルド家(ロートシルト家)の紋章。(1822年)
盾の中には5本の矢を持った手が描かれ、
創始者の5人の息子が築いた5つの家系を象徴している。
盾の下には、ロスチャイルド家の家訓であるConcordia, Integritas, Industria
(調和、誠実、勤勉)という銘が刻まれている。

今ではコントロールされているのは、ポケモンGOだけどね~。
あんなもん、何が楽しいか全然わからんっ。
大学卒業したばかりのフリータで仕事ない人が、1日中公園にいると。
何をしているかっていうと、公園でずっと1日中ポケモンGO.
友達に負けたくないから。って。
そのうち飽きるんだろうけど。

白虎隊が、死んでも死にきれないって。
ほんとだわ。

なんだかんだ言っても、皆、宇宙から地球を選んできたのだから、
それだけは忘れず。
銀河の星の数だけ魂があると言いますが、その通りで、満点の星空は長く
生きてきた宇宙の歴史です。その中に、過去の自分の魂もあり、
みんな、あります。
何をしたって、結局は、同じ所に帰るだけですから。



悶々としながらも、がっつりソースかつ丼だけは、頂きましたよ!
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弁天さまと飯盛山

2016-10-15 | 東北地方の伝説(福島県)
むかし、会津にある飯盛山は弁天山と言われていた。
それは、山の奥に弁財天が祀られていたからであったが、
あまりに奥で通いにくいことから、
滝沢村では山の中腹に弁天様のお堂を立てることにした。
毎日、一戸から一人、五十人が出て作業し、二ヶ月ほどで完成した。
そして、ある晴れた日を選んで、お堂の広場で盛大なお祝いの宴を始めた。

そのちょうどお昼頃、どこからか牛の鳴く声がして、
村人たちが見ると、一人の娘が一頭の黒牛に乗ってやってくる。
手には赤飯を山盛りにしたお鉢を持って、広場へとやって来た。
その娘のあまりの美しさに村人たちは見惚れた。
そして「この度は、立派なお堂をありがとうございました。
お礼としまして、この赤飯を御馳走いたします」と娘は言った。

村人が「どこから来た?」と聞いても「ささ、遠慮しないで」
と娘は赤飯をすすめて笑うだけで答えようとしなかった。
すすめられるままに村人たちが赤飯をいただくと、
それは今まで食べたことがないくらいの美味さであった。
そして、口々に「美味い、美味いぞ」といって食べた。
その赤飯は、不思議なことに、何度よそおっても減ることはなく、
ひとりでに飯が湧いてきた。

村人たちが不思議に思いながらも、腹いっぱいになるほど食べて満足すると、
娘はお鉢を牛に背負わせて「お粗末様でした」と言って、どこかへ行ってしまった。
村人たちは茫然と見送ったが、ぞろぞろと娘の後を追いかけ始めた。
娘と黒牛は滝沢村の村はずれから南の道を通り、
千メートルくらい行くとボーっと姿を消した。
村人たちは誰いうとなく「あの娘は弁天様じゃったんじゃ」と言い、
牛が消えた辺りに牛の墓を立てて祀り、今では「牛ヶ墓」という地名となった。
また弁天山は飯を盛った形をしていることから
飯盛山と呼び、
今でも親しまれているとさ。
(福島県の昔話)

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牛は牛頭天王のスサノオで、渡来した人と考えられることがある。
弁天様は、水神であり渡来してきた人より前にあったインドの信仰が、
仏教が入り、スサノオの祇園(ユダヤ教?)と仏教と神道が習合した
話として伝わっている地域もあります。まあ、ざっくりと。



さて、9月に行った会津の話なのですが。
奥会津の帰りは、会津若松まで戻り、仙台へ帰りました。
途中、白虎隊の飯盛山へ寄ってみました。
実は、ずっと避けていた山…。
でも、今回は行ってみたいと思って。
登ってみたら、いろいろとあって…。
お彼岸の時期だったので、白虎隊のお墓参りになるとは思ってもみませんでした。

登るといっても、長~い階段をさければゆっくり歩けるコースもあり。
飯盛山は、前回の話と繋がっていますけど、
厳島神社が祀られていて、「しゃもじ」でした。
飯盛は、やっぱりモガリなんですね。
あの世へいく山という事。
そんな信仰深い弁天様がいらっしゃる山で、白虎隊が自害したのには、
意味があると思います。
説明できませんけど。(なんだそれ)




天皇に食事を運ぶ人がいまして、
食べる行為は、他人にはみせないものでした。
なので、天皇に最も近い女性がいたわけです。
そのような人たちに「飯」という名前をつけたりする?



しゃもじは杓子のことで、滋賀県の多賀大社が有名らしい。
杓子のお守りがあるそうですが、柄杓というのは北斗七星のことなので、
これも星信仰が関係していそうです。
杓子は、稲の伝来とともに伝わったものが、「しゃもじ」となったそう。
私は、これに追加するなら前方後円墳も伝わったものだと思います。
しゃもじの形から、前方後円墳が浮かぶ。
しかも、しゃもじとは、「宮島」の意味があるという。
なぜ宮島からしゃもじになったのかよくわからない。
琵琶湖が、しゃもじに似ているので弁天様=しゃもじになったそうだ。
へ~、琵琶湖の形が、しゃもじ??

私は、卵巣にも見えるんですね。
卵巣も二つあるでそ?
心臓だって2つだし。
左右対称ってことなんでしょうけど。



「飯盛山にある厳島神社も、弁天様でしゃもじです。
「いちきしまひめ(市寸島比売命)」で、水神とされるのですが、
アマテラスとスサノオが天真名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)
の際に、スサノオの剣から生まれた五男三女神(うち、三女神を宗像三女神という)
の一柱である。」
だそうです。(難しいのでスルー)
神名は、「斎き島」で、神に斎く島の女性(女神)という意味になるそうです。

そういえば、琵琶湖と淡路島の形が似ている話がありますね。
前回の天栄村の龍ヶ塚古墳に淡島神が祀られているとあった。
飯森だし、会津だし、四大将軍だし。
繋がっていそうだなあ。

琵琶湖のそばに鎮座するのは、日吉大社。
申(猿)の神です。
山王七社となっているので、これも北斗七星にかけていると思います。
まあ、名だたる名前の神々ですね~。
西本宮:オオナムチ、東本宮:オオヤマクイノカミ、宇佐宮:タゴリヒメ
牛尾宮:オオヤマクイノアラミタマ、白山宮:ククリヒメ
樹下宮:カモタマヨリヒメ、三宮宮:カモタマヨリヒメノアラミタマ


画像:日吉大社のHPより
http://hiyoshitaisha.jp/

それに、古墳群だったんですよね。
日吉大社のサイトより、
「山王鳥居の立つ「総合の坂」の参道脇に、「猿塚」と呼ばれる大きな石組が
ございます。これは古墳の石室の蓋が露出したもので、
境内には約70基もの古墳が確認されており、
「日吉古墳群」として遺跡に指定されています。
出土品から6世紀中頃から後半と推定されます。
この古墳の穴は唐崎(日吉大社ゆかりの湖岸)まで通じていることや
神様のお使いの神猿さんが年老いて自身の死期を悟ったときに、
自ら猿塚の中へ入っていくという伝説がございます。 」


--------------------------------------
なんだか、深い池がありました。
弁天洞穴といいます。



看板の説明より、
猪苗代湖北西の戸ノ口から会津盆地へ水をひく用水堰で、
全長31kmに及ぶ。
1623年、八田野村の肝煎八田内蔵之助が、開墾のため私財を投じ
工事を行い、1641年八田野村まで通水した。
その後、1832年会津藩は藩士佐藤豊助を普請奉行に任命し、
5万5千人の人夫を動員し、堰の大改修を行い、この時に弁天洞穴(約150m)
を掘り、1835年に完成した。
1868年戊辰戦争時、戸ノ口原で敗れた白虎士中二番隊20名が潜った洞穴である。




・・・白虎隊が潜った?!
ひゃ~。

さざえ堂-------------------------------

レオナルド・ダヴィンチでも作れなかったさざえ堂といわれる国宝の建築物。
六角堂ともいわれていますが、中に入ることができます。
右回りのらせん状を登っていくのですが、スロープなので階段ではなく。
建物内を三度回ることになることから、「三匝堂」ともよばれる。
入ってみるとわかりますが、私は平衡感覚が少しおかしくなりました。
(誰でもなるわけではないですよ)
3と6をかけていることも、三十三観音像が祀られているのも、
建物そのものが、変成意識状態になりそうな感じです。



どこから登ってきたかは覚えているけど、どうやって下りてきたか覚えてない。笑



大袈裟ではなく、こんなに不思議な建物に登ったのは初めてです。
とても不思議な感覚でした!
6本の心柱と6角柱を駆使しているそうですが、神話でも6を聖数としている
話はたくさんあります。さざえ堂のすごい所は、
実体験として6の数字がどんな働きをするか、入るだけでその感覚を得られると思った。
だから、変成意識状態的な。
そんな事を考えられる人が、作ったとしか思えない。



潜在的に働くものなので、説明できませんけど。
すごい人が会津にはいたんですね~。ほんとにすごい。



詳しいサイトがありますので、興味がある方はこちらへ。
「さざえ堂と飯盛家」
http://www.geocities.jp/aizu_sazaedo/cn01/index.html

--------------------------------------------------

さざえ堂を鑑賞した後、やっぱり私は白虎隊のお墓までは行く気がせず。
もう帰ろうかな~と思っていたけど、主人が、せっかくだから行こうと言う。
なぜか、私は気がのらない。
興味がないって言えばそうなんだけど、やっぱり美化しすぎていることに
違和感はありますよね。
若い人たちの死を無駄にしなために。という意図があったとしても、
それを仕掛けていた大人や外国(欧米諸国)がいた事を考えると。
また、今も全く変わっていない日本のことも考えると。
また、それに全く気づけない日本人。
いつまでも、白虎隊を美化してはならないのだよ。

私はちっと違う視点に目を向けちゃうんだよね。
でも実際、行ってよかった。
知らなかった。
あんな像があったなんて・・・。
だからずっと避けていたところで、やっぱり、「今」なんだね。
今、知る必要があったのは、ようやく自分がそこまで気づけるように
なったからです。
ずっと行かなかったのは、行ってもなにも気づけないのなら、行く意味がない。
なんでもそう。
行く機会が得られないのは、まだ、早いからです。
その時期が来たら、行くことができます。といった事を知りました。

続く~。
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阿蘇山と蔵王

2016-10-13 | 日記・エッセイ・コラム
もう大六天神社とは離れてますね。笑
まあ、いっか。
この回で終わりにしたい~。

大六天神社の北斗七星が、妙見信仰からきているという話から、
葛城王に繋がった。
昔は、天皇には地方の豪族の娘を、人質のように贈るという風習があったそうな。
福島の安積に伝わる采女みたいな話。
葛城王朝というのがあり、漠然としてますが、
富士王朝や九州王朝、白山王朝などなど、各地に王がいて、
その中に、小さな王国として葛城王が続いており、天皇家につくために娘を
贈っていたのかもしれない。
しかし、他の王朝が忽然と消えたのは、葛城王朝特有のイワ(岩)の祈祷に
あるような気がする。

福島県岩瀬郡天栄村に、妙見山という名前の山がある。別名飯森山。
標高は532mと低いのですが、妙見山という名前には大体、イワクラ信仰や
巨石、ラッキーだとペトログリフや星を刻んだ石が見つかることがあるという。

妙見山(天栄)
http://ftk-ac.net/01_hik/3864_myoken/3864_myoken.htm


http://ten-ei.net/nature.aspx
※天栄村観光協会より(妙見山)

その妙見山頂手前に猿田彦大神の石とよばれる巨石がある。
「上松本にある標高532mの妙見山はかつて男神山と呼ばれていました。
今から約400年前、増見讃岐という人物が妙味仏を祭り、
現在の山名になったそうです。
この山にもユーモラスな大天狗伝説がのこってます。」

そして、妙見神社が祀られている。
他にも福島県須賀川の妙見山、鮫川村の妙見山があるが、
須賀川の妙見山は、飯豊和気神社と八雲神社(スサノオ)を祀っている。

--------------------------------------------------

さて、私は天栄村の妙見山が、龍ヶ塚古墳に関係しているように思えた。
猿田彦大神の石と名付けるのは、東北地方に多い?のかもしれない。

福島県国見町の伝説でも書きましたが、「猿」とつく名前の岩が多い伝承とは、
世界中の巨石にペトログリフ(ギリシャ語で石)を残した人類で、
それが猿田彦の象徴になっていると思った。
猿とつく岩には男神とし、女神はミズハノメとした。
なので、各地にある庚申碑(こうしんひ)は、ペトログリフの名残として、
石碑にした・・・なら、面白い。
ペトログリフの文字はわからないけれど、宇宙語のような言葉を、
庚申として申の使い、申=神の使いとして全国的に石碑を祀るようになったとか。
まあ、妄想で。


※ブライス・キャニオンのペトログリフ。数千年前のものと推測されている。

岩城、山城、と「キ」とよむのも、巨石文明の名残というのもわかる気がする。
秦氏のいた葛城や葛野にも、巨石を残している。
例えば、葛城山系の不動山にある巨石は、耳をあてるとゴーという音がするという。
丸森町の巨石にも、耳を当てるとお坊さんの声がするといった伝承がありますが、
不動山の祠には、八大龍王を祀っているものがある。
葛城=賀茂氏は役小角の系譜をもつ。

ヤタガラスは、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)といい、足の神様。
なのでわらじを奉納する。
この点が、アラハバキに似ている。
御祭神である「賀茂別雷大神」の「別雷」とは若い雷(神鳴り)という意味もあり、
雷を神様と考えていた。
雷=稲荷=稲になったのはなぜだろう。
妄想するに、イナリを鋳成るの産鉄用語とする。雷は鉄を作る時の火や音を現す。
その鉄技術をもたらした人々が、賀茂家や葛城氏であり、稲作を伝えた渡来人であると。
なので、仙台の雷神山古墳の雷は、稲作と鉄技術をもたらした大豪族だったのではないか。

古代の鴨(賀茂家)の由来は、崇神天皇の時に疫病が流行った。
この病をもたらしているのは、大物主を祀る三輪山に原因があるという。
私の子孫にあたる意富多多泥古を奉れば、病が治まるといい、
意富多多泥古を探したところ、病が治まったという話が「日本書紀」にある。

しかし、古事記は、大田田根子と表記され、
「建甕槌命の子」と書いている。
タケミカヅチの「タケ」が、三輪山を鎮めたということだろう。
そうなると、エミシが三輪山や大物主を崇めていたと考えると、
エミシ征伐とは、崇神天皇の疫病祓いから始まっているといえる。
崇神天皇=神武天皇という話。

その痕跡に巨石がある。
巨石がある場所には、三輪山信仰のようなピラミッド神殿的な要素、
つまりは、ウガ神の信仰があったと思うのです。
三輪山の神話に蛇の話があるので。
そのような先住民の祈りが、疫神をもたらすと渡来人は考えていたのだろう。

なので、イワクラを祀り、役小角が八大龍王として蛇を鎮魂する。。。
石と蛇とは、シャグジである。東京都の石神井などはそれ。
そして、シャグジがシャモジに転化し、ご飯を盛る時に用いるシャモジになったのは、
飯盛(森)山が、飯であり、蛇信仰の意図を示す、あの世への入口であり、
別次元にいった龍の入口ともいえる。
古墳の形も、シャモジに似ている。長方形と円の形。

ところで、タケという人が、天栄村にもいた…。
-----------------------------------------------------
天栄村に話を戻し、
千年以上も前に発見された「丈龍私印(はせたつしいん)」がある。

奈良・平安時代(1300~800年前)の集落で、役所跡とも見られています。
多数の竪穴式住居の跡や建物の跡とともに、
地方豪族のものと思われる「丈龍私印(はせたつしいん)」ときざまれた
銅でできたハンコも見つかっています。
このハンコは、この時代のものとして県内でただ一つであり、貴重なものです。
(志古山遺跡出土。)

奈良時代のもので、天栄村が政治の中心であったことがわかっている。
火焔土器ルートといわれる北陸から会津への縄文土器の道でもあったため
天栄村は縄文時代から栄えていたとても自然豊かな村があったと考えられる。
そこに妙見山が鎮座する。

気になっている古墳とは、規模は小さいが、龍ヶ塚古墳のこと。



「今からおよそ1400年前に作られた前方後円墳。
現在、東西主軸約36m、前方部17m、後円部径14m、高さ後円部4.5mでこの周辺では最大の古墳である。
この古墳は、裾部が開田によって削りとられ、変形しているが前方後円墳で、
明治初年作製の字切図のは墳丘のまわりに周濠(四周の堀)がみられるが、
農業基盤整備工事により改変された。
調査の結果、六世紀中葉の前方後円墳であることがわかった。
葬られているのは、古墳・奈良時代にこの地を支配した石背国造第5世の
建磐主命(たていわぬしのみこと)とされている。
現在、前方部の塚上に淡島神の石祠がある。」


建磐主命という人がどういう人かよくわからないが、
天栄村の主になっていた人だった。
でも、似ている名前の人が九州にいた。
健磐龍命(神皇紀BC21)、阿蘇霧島第二王朝が外寇を受けた際、
九州に指揮官として赴く。
52代続いたウガヤフキアエズ王朝の初期、BC600~5000年以前の
縄文時代に遡るという。

昔は、石背国(いわせのくに)といった。
陸奥国5部に設置された一つで、岩代国と同じ地域だった。
東は磐城国となり、石背国はとても狭かった。
畿内の山城国が、7世紀に「山背」と表記されたので、石背も「いわせ」ではなく、
「いわしろ」と読むようになった。
古くは、「代」の方。後に背となり、桓武天皇から城となり、キやジョウとよむようになった。
これが、山城の葛野との交流があったことを伝えている。

健磐龍命は、阿蘇神社の祭神。
阿蘇神社が奉斎する阿蘇山の神としての性格を持つほか、
阿蘇神社では神八井耳命(神武天皇の子)の子と伝える。
子に建稲背命、速瓶玉命(国造大神)八井耳玉命(甲佐明神)(Wikipedia)

水沢のオロシエ神(於呂閇志神社)は、原住神で祭神は、須佐男之命、木花咲耶姫命の他、
「彦八井耳命」も祀っている。ということを「~その2」で書いていましたが、
北上してきた九州の阿蘇氏の系統であったと思う。

天栄村にある龍ヶ塚古墳の龍と建磐の関係があり。
また、この近くにある二岐山は、巨人説がある。
阿蘇神社の健磐龍命にも、「健磐龍命は祖父の神武天皇の命をうけて阿蘇山へ至り、
外輪山の上から目の前に広がる湖を眺め、その広大さに感心して、
水をなくして田畑を造ろう、と考えた。
そこで、外輪山の一部を蹴破ろうとしたが、
一度目に挑戦したところはなかなか蹴破れなかった。
それは、山が二重になっているからで、以後、その場所は「二重(ふたえ)の峠」
と呼ばれるようになった。」


天栄村の開拓に乗り出し、龍ヶ塚古墳として眠っている?(実際のお墓か不明)
建磐主命とは、阿蘇の九州からきた人ではないか、と思う。
葛城氏は、先住民の海部氏や阿蘇氏たちと、協力して・・・という考えに
至らず、蘇我氏と一緒になり、仏教をもたらし、先住民(隼人や熊襲、土蜘蛛など)
を山へ追いやったのだろう。

山へ行った先住民は、安(阿)部氏なり、火君の祖となる。
「あ」が祖の意味があるとするなら、阿蘇氏は、蘇の始まりという意味になる?
蘇は「蘇り」である。黄泉へ還る。蘇我氏とは関係なし。
そんな意図がある陰の黒の月の女神であると思うのです。

また、阿蘇神社の健磐龍命の象徴が、鷹の羽。
大高山神社と蔵王~名取へ。
このへんは、「名取熊野老女と阿蘇氏」で妄想しているので、割愛します。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/0b8a27706e58eeaa392082ea3dd04c02

エミシ征伐=疫祓い-----------------------------------

また、この古墳の塚上に「淡路島神の石碑がある」と書いてあるが、
淡路島神とは、Wikipediaには、スクナヒコとする説、住吉神の后神とする説、
神話の淡島の説、ハリサイニョ(婆利塞女=龍神)の説。
船でやってくるのが共通の説。
ハリサイニョは、婦人病の神験であることから、女神説がある。

エミシ征伐の際に行われた疫病祓いにも、女神が関与していた。
山形県の東根の話で書きましたが、赤=疫病祓いである。
疱瘡(天然痘)の話から、東根の若木山にもイワクラが山頂に祀られている。

茨城県にも崇神天皇の話がある。
「茨城」の地名の由来となった黒坂命(くろさかのみこと)を祀った。
「常陸国風土記」より、朝廷に帰順しない国巣(土着豪族)に対して、
大臣の一族である黒坂命が、原野に自生する野ばら(茨刺・うばら)で、
賊の住居である穴を塞ぎ滅ぼしたという伝承にちなみ、
茨城の縣名が起こったという。
往昔には角枯山(つのかれやま)と呼ばれていたが、
崇神天皇の時代、黒坂命が蝦夷征伐の帰路この山で客死したため、
山上に黒前神社をもうけたことから黒前山と呼ばれるようになった。」



巨石巡礼より
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kanto/iba_tatuware/tatuware.htm

賊とは土蜘蛛だろう。
しかし、疫病をもたらしたのは、牛頭天王の話があるように先住民ではなく、
日本へ上陸した渡来人がもたらした天然痘である。
各地の島から日本へ渡ってきた者は、たくさんいたのかもしれない。

それによって秦氏は、八幡を祀ることをした。
坂上田村麻呂も戦勝祈願として八幡神を祀る。
ヤハウェのユダヤ人でもあった。
渡来したユダヤ人と、縄文人は違う。
しかし、ユダヤの秦氏=賀茂家=葛城氏、物部氏などの共通にはイワクラ信仰がある。
安部氏も同じ。
阿蘇氏も同じように、共通するのは妙見信仰という星信仰である。
---------------------------------------------
宇宙への期待を石に刻む意味は、世界共通の言語を会話していた祖先がいて、
いつか星へ還ることができるための、メッセージを世界中に残した。
いつか、私たちがわかる時が来るように、と。

それが縄文人とよばれ、蛇文様の土偶を残した。
その末裔が日本人といわれる。
天然痘というのは、病気ではなく伝染病でもなく、
全く異なる人類のことだと思う。
価値観の違いが差別になってしまった。

今でもこうして巨石探訪をしていることを思うと、
人類のDNAの中に、石が刻まれているとしか思えない。
巨石から何かを発しているような気さえしてくる。
岩からの波動というものなのかどうか。

それがピラミッドの記憶なのかもしれない。
飛来見戸(ひらみど)。
来たる扉を見る時は、いつなのだろう。

全然、まとまってないけど、
古くは仙台の開拓にやってきた豪族は、海民の九州からやってきた人、
後に、葛城氏や賀茂氏がやってきて、熊野信仰となる。
葛城氏は天皇家の座についていたが、蘇我氏や藤原氏などの仏教伝来より、
物部氏と共に弱くなっていく。
東北へ逃れ、殺された皇子の血筋を絶やすぬように、
出羽三山という独特の修験道を開く。
安部氏は、大和朝廷側についた豪族に抵抗していたのだろう。
鉄や鉱石の資源を交易に発展させることに熱あげていたと思うが、
物部氏や秦氏たちは、両立を考えていたけど、
祈祷という独特のシャーマニズムの鉄文化を考えていたように思う。

ヤマトタケル伝承が多い蔵王の白鳥信仰なども、
白鳥と鷹の融合で、タケの阿蘇氏がやってきた場所ではなかったか、と思う。先に隼人やクマソなどがいたので、ヤマトタケルのクマソ征伐にのせて、白鳥信仰をもたらしたと。その話を持ってきたのが、葛城氏たちということもあると。

タケ=高=鷹ですが、白鳥=葛城氏(物部・賀茂氏)=蔵王。
蔵王権現は役小角なので、賀茂家の系譜であることから蔵王は、
葛城王国でもあったわけです。
阿蘇も蔵王も、どっちも火山帯ですね。
だから、阿蘇山の噴火があった時に、蔵王と繋がっていると思ったのは、
きっと、ここで繋いでいかないといけない、という認識です。

隼人に似た紋様の盾が仙台市の長町の古墳で見つかっていることもあるのだから、
阿蘇氏のいた九州の日高見、安曇氏のいた飛騨の日高見、物部氏のいた茨城の日高見、
安部氏のいた東北の日高見と、
長い長い歴史の中で、ようやく東北の北の日高見にきたのだな、と。
先祖はそんなことを感じているようです。
長~い旅だったよね~。(しみじみ)
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名取の大六天神社その3

2016-10-10 | 日記・エッセイ・コラム
雷神山古墳、角塚古墳に続いて、気になる古墳があります。
その前に、
押磐皇子(市辺之忍歯別王)は、神武天皇ではなく、雄略天皇に殺された
話になっていましたが、後に雄略天皇に政権がまわったような話。
このへんの政治事情は難しいので、
簡単にいいますと、押磐皇子は葛城氏の系譜らしい。
天皇家に娘を嫁がせることを、ずっとしていて皇族には葛城氏が
牛耳っていたような話。
お妃が、夷という漢字を用いる名前なので、豪族の娘(エミシ)だったかもしれない。

共に殺された佐伯部は、「さへぎる者」の意味で、朝廷に反対した人か、
「さわぐ」で、大声を発して邪霊や邪力を追いはらったり、
相手を威嚇するといった呪術的儀礼に従事祈祷などをして大声をあげたりする
意味で言われたそうだ。

朝廷に反対した人が、排除したような感じです。
この葛城氏というのは、葛野(かどの)「葛」でもある。

葛野といえば、秦河勝がいた所。
葛城は一言主と役小角の話がある奈良県吉野だっけ?
葛野は、京都の太秦。
秦氏だね。
秦河勝→ヤタガラス→神武天皇→熊野信仰。
みたいな。(みたいな、としか言えない(笑)

なので、福島県の飯豊山は、役小角が「飯豊」という名前をつけた。
山頂に5神の王子を立てたと伝わりますが、五子王は、「越王(こしおう)」
がなまったらしい。

押磐皇子滋賀県に陵があるそうです。
滋賀県といったら、浮かぶのが天智天皇。

押磐皇子に気になる系譜がいた。
飯豊青皇女(いいとよあおのひめ)という女帝?
飯豊青皇女は、「忍海郎女」ともよむ。
「いひとよ」とは古語でフクロウのことをいい、
「おしぬみ」は葛城内の地名・忍海で、飯豊王の本拠地。
平将門をフクロウと見立てる話がある。
関係してないこともないな~。

女帝かどうか。という話なのですが、
おそらく、天皇家の後継ぎを決める重要な祈祷をしていた方か、と。
天皇家についた巫女だったのですが、一時、天皇がいない時があり、
飯豊青皇女が女帝になった話がある。
飯豊青皇女は、二人いた説があるので、詳細がわかりませんが、
福島県にこの方に由来する山がある。


※大日岳からみる飯豊山(Wikipedia)



福島県の飯豊山について、陸奥風土記より
「白川郡。飯豊山。此の山は、豊岡姫命の忌庭(ゆにわ)なり。
又、飯豊青尊(いいとよあおのみこと)、物部臣(もののべのおみ)をして、
御幣(みてぐら)を奉らしめ賜ひき。故(かれ)、山の名と為す。
古老曰へらく、昔、巻向珠城宮(まきむきのたまきのみや)に
御宇(あめのしたしろしめしし)天皇の二十七年戌午年の秋、
飢えて人民多く亡せき。故、宇惠々山と云ひき。
後に名を改め豊田と云ひ、飯豊と云ふ。」

飯豊は、「豊」なので、豊岡姫命とは豊受大神のこと。
飯豊に関係する神社をみると、福島と福井、奈良が重要だったことがわかる。

・福島県白河市に「飯豊比売神社」
・福井県大飯郡高浜町の「青海神社」には、飯豊女王が禊をしたという池があり、
伝承にまつわる神事が伝わる。
・奈良県葛城市の「角刺神社」は飯豊女王の「角刺宮」跡と伝えられ境内に
飯豊王女が鏡として使ったという池がある。
・上記の福島県の飯豊山には「飯豊山神社」がある。
・宮城県加美郡加美町の「飯豊神社」は巨石を御神体とする。
・福島県田村郡小野町の「飯豊神社」は秋祭の11月3日に獅子舞が奉納される。


※加美町の飯豊神社のご神体。

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難しいので妄想になりますが、
私は飯豊神の元が、イワクラ信仰にあり、その人たちの道が、
山城、岩城という地名にあると思った。

「キ」は、ペトログラフの世界では「城」を意味するのですが、
巨石文明の都!?という意味があるのです。
キは男神、ミは女神で、男神が大山祗神で、女神はミズハノメだそうです。
そのミズハノメ=申(猿)だという興味深い話。
実は、この説明は、天栄村にある!と思った。
そう簡単に行ける場所ではないのですが。。。
この話は、次回に。

ちなみに、蛇塚古墳というのがある。
秦氏のお墓。



すんごい墓ですね。
重そうな石ですな~。

新羅の郷で、関係していそうな入間田の葉坂の折石神社の石室。
もう一度、復習。

「807年(大同2年)6月14日。風雨激しく雷声を発し、御神霊が飛び来たり。
現社地にある大石を裂き、中央部分から二つに割り、この石に宿った。
その石の形は並び立つ屏風のようであった。
よって破山神社とも折石(さくせき)神社とも称した。」





ここは、入間田の隣、葉坂という。
折石神社(さくせきじんじゃ)は、大宜都比売神(おおげつひめのかみ)を祀り、
配祀に菊理媛神(くくりひめのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)
表筒男神(うわつつおのかみ)、中筒男神(なかつつおのかみ)、底筒男神(そこつつおのかみ)である。

柴田町史には、ヤマトタケルの磐坂皇子を祀るとある。
磐坂皇子は、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)なので、ここの葉坂という地名は、磐坂皇子の磐坂→破坂→歯(葉)坂になったといわれている。

また、島根県の八雲神社に同じように、磐坂神社があるので、スサノオと出雲の関連があって、堺に岩鞍があるのだと思うのです。

祭神のオウゲツヒメは、保食神で、豊受大神と同じ。

なので、秦氏の信仰や石室、祈祷などが横穴式石室を残した多氏や
阿蘇氏、安部氏、物部氏、蘇我氏などなど、古代の人たちの祈祷は、
イワクラ信仰がメインだったわけです。



ところで、石川県羽咋神社にも七塚がありました。
四大将軍の出雲と越国の話ですね。
羽咋神社は「岩城別王」の墓があるという。それが七塚になっている。
・大塚・姫塚・犬塚(黒、白、まだらの犬)・宝塚・剣塚・大谷塚・痛子塚
とある。

雷神山古墳へ行った時、「勿来」という言葉が出てきた。
来るな、という意味だと思っていたけれど、
勿来から来た。という意味らしい。

勿来は、10世紀頃からなので、やっぱり平将門あたりに関係してそう。
雷神は、稲という意味かもしれない。
稲をもたらした神々といったら、お稲荷さん。
トヨウケ大神=ウカノミタマ=宇賀神=お稲荷さん

会津から続く話で、多珂国が茨城県にあり常陸の国境として菊多関=勿来
とした。多珂=多賀であり、常陸は日立ですが、日が立つという意味にも通じる。
その多賀とは、多賀宮のことだと思う。
茨城県にも多賀宮があり、北上して多賀城になった。

多賀城にはアラハバキが祀られている。
豊受大神は、多賀宮に祀られる宮だそう。
伊勢神宮の多賀宮は、豊受大御神荒御魂を祀る。
外宮より内宮の方が上であるというか、重要だったわけで、
「入内雀」の伝承も、内宮に入る荒魂の意味があると思うのです。

茨城県の鹿島は、多氏の支配下(黒坂命)にあったのが、
中臣氏と統合して、国造を多氏とし、春日大社に分霊したと思う。
なので、多氏(神八耳井)という人が、神武天皇の系譜だから、
神武東征とは、豊受大神の荒魂だった神を、中臣氏、藤原氏の政権にした
わけです。それ以前は、葛城氏の秦氏と蘇我氏の政権だった。
豊受大神だった上毛野氏は中臣氏についたのでしょう。

そのように考えると、伊具郡の古代史では、
最初の氏神が、ウガヤフキアエズの鳥屋嶺神社を祀っていたので、
後に大和朝廷側の熱高日神社を祀ったわけです。
ニニギを祭神とし、熱日高神社はオチ(越智)という人が祀ったので、
北陸からきた四大将軍の大彦命の一族が関係しています。

鳥屋嶺神社の鳥は、烏の方です。
烏の屋根は産屋のこと。なので、烏屋嶺になったと思う。
その烏が鳥の漢字に似ているから、鳥になった。
鵜戸神社(とやじんじゃ)というのがあり、
ウガヤフキアエズが出産した所で、豊玉姫の産屋があったと伝わる。
豊玉姫はワニ(龍)を産むのですが、
ウドはウトとなり、烏兎で「ウト」と読む。
そのウトは月のこと。
伊具郡は、トヤの豊玉姫を祀っていたことになるわけです。

仙台の太白山も、ウトヶ森です。
なので、ここにも勿来の意味で逆の「人来田」の地名になっている。
小出森ともいうので、皇室が御出になった場所。
地名由来には、「白鳥八郎行任の持主で陣取り、源義家一行は、
名取は阿部貞任の一族の陣であったから、合戦後に義家は八幡社をたてる。」と。

そして飯豊神を多く祀る福島県には、葛城一族がその痕跡を残し、
賀茂家や物部氏などの一族が後を継ぐ形に。
よって、ヤタガラスは葛城一族が、殺された押磐皇子の鎮魂も考えて、
出羽三山に修験を開いたのかもしれない。それだけが理由ではないですが。
なので、熊野信仰が東北地方に多いのだね。
それは、出雲族も絡んでいると思います。

東北の陸奥開拓をするというよりは、後世、静かな平和を祈る。
という意味の方が近いのかもね。いや、そうであってほしいなあ。
秦氏は、そんなに悪い人たちだったとは思えない。
ガツガツ感がないっつーか。笑
だから、ユダヤ人(今の白人ではない)

そのような思想をもって大和朝廷より早くに入ってきた人たちが、
阿蘇氏であり九州の人たちであり、それが「タケ」という熊襲の人たちだった。
と思うのです。
なので、雷神山古墳は、タケの人たちに関係すると思う。
そう考えると、「神八耳井命」を祀る理由もみえてくる。
それで、多氏は出雲系で神八耳井命なのですが、早くに衰退したらしい。
その後を継いだ人たちが、多氏を伴にした意味の大伴氏でした。
鷹の羽をもつ阿蘇氏と白鳥信仰が、からんでくるのですが。

今までも、いろいろと妄想してきましたが、
今回、天栄村のある古墳によって、阿蘇氏と繋がっているだろう、
ことがわかってきました。

まだ続きそうなので、次回に。
終わらないね~。。。笑
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名取の大六天神社その2

2016-10-09 | 日記・エッセイ・コラム
阿蘇山が噴火しましたね。
熊本の大地震があった時にも、十三塚古墳のことを書いていました。
その時、阿蘇氏は東北に来ていた・・・妄想を。
詳細はこちら。

名取老女と阿蘇氏
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/0b8a27706e58eeaa392082ea3dd04c02

鷹と白鳥の婚姻話も気になる。
大高山神社の話。
もしかしたら、阿蘇山は蔵王山と繋がっているのではないかな。

蔵王麓には古墳が多くある。
蔵王=青麻山が重要だったのでは?
蔵王麓から北上したところに、名取平野があった。
平野なので海も近く、生活するにはとても環境がよかった。


※村田町歴史みらい館

名取市にある十三塚公園は、縄文時代~古墳時代の複合遺跡。
縄文~古墳時代までの竪穴住居跡を百軒以上発見。
特に弥生土器では西日本前期の土器「遠賀川式」の類似土器が発見されているため、
東北の稲作文化の伝播を知る上で貴重な遺跡となっている。


※「七つ森は語る」より

遠賀川式土器は、九州~近畿地方に伝わる弥生式土器で、青森県まで及んでいる。
特に日本海の東北に多く出土しているので、日本海を通って交易をしていたといわれ、
日本海から太平洋地域へ伝わったと思われます。

上毛野氏--------------------------------------

名取の大六天神社の七塚に、陸奥国の豊受大神が関係する理由の前に、
上毛野氏について知っておきたいことがある。

ところで、遠野不思議空間の御伽屋さんのブログにあったのですが、
「~6番目のミザールの位置には早池峰神社が来て、8番目のアルコル
の位置には、ちょうど神遺神社に来る」とあった。
アルコルはミザールの隣にある。
やはり、星信仰には、地上に北斗七星を反転させる意図があるんだね。

さて、名取国とも大和国とも連合しない日高見国。
そこへ入ってきた一族に、上毛野氏がいる。
渡来してきた人で駒形神を崇拝していた。

上毛野氏は、5世紀頃まで紀の川流域にいた集団で、
豊城入彦と始祖とする。(栃木県二荒山神社の祭神)
古墳づくりに徹底しており、6~7世紀頃の古墳文化を確立した人たちでした。
この頃から大型古墳の全盛期となる。

上毛野吉弥侯部(きみこべ)という人がいる。
アテルイがいた水沢に入った時に、すでに中央から官人が来ていたという。
7世紀頃土師器の出土により胆沢城が築かれる前に、胆沢川を下った
オロシエの方面からの農耕文化が広がっていた。

オロシエ神(於呂閇志神社)は、原住神で祭神は、須佐男之命、木花咲耶姫命の他、
「彦八井耳命」も祀っている。
上毛野氏がくるより前に、彦八井耳命を始祖とした氏族がいた。
彦八井耳命を祀った人は、おろしべ君(邑良志別)という村の長(おさ)であり、
蝦夷の人物神とされ、「オラシ」の名称を使う。
シエは、「しへ」ではなく、「へし」の間違いらしい。

おろしべ君とは、アイヌの精霊信仰のオヤシからオラ(ロ)シ(邑良志)となり、
ベの部分が「別」と表記されたことで、「ワケ」と読まれるようになり、
オラシワケ君が成立したと考察している(君は族長・村長の意)。
その斎場が遠流志別石神社や於呂閉志(志閉)神社だったと。

「別(わけ)」と名前をつけるのは、物部朝臣、上毛野国、下毛野国の俘囚たちに
つけられる名前と考えられる。この「ワケ」は、皇族の子孫や軍事指導があった人
につけられたもので、ヤマトタケルの頃からあるそうだ。
そして上毛野氏の「ワケ」に、「荒田別(あらたわけ)」がいる。
上毛野君の遠祖、荒田別と鹿我別(かがわけ)は、将軍に任命されて
新羅へわたった巫部(かんなぎべ)と考えられると。

陸奥開拓の際に、巫部を共にしてきた上毛野氏がおり、
また、巫部という業?の意味は、二ギハヤヒであるとも。。。?
(このへんわかりませんが)
そういえば、岩手県の達谷窟毘沙門堂は、霊を「靈」と書く。
「霊」はまた「巫」である。

上毛野国造は、日本書紀によると、崇神天皇の皇子の豊城入彦命が
東国統治を命じられ、上毛野国造や下毛野国造などの祖先になったという。
また、その孫の彦狭嶋王が景行天皇朝に東山道十五国都督に任じられたが、
道中病死して亡くなった。
墓は、赤城山(群馬県)の側にある駒形岳であるといわれる。
しかし、墓の説は誤りであるとされるが。

それから上毛野氏は、会津に入り駒形神を祀り、708年陸奥守となる。
720年頃から1世紀もの長い間、陸奥へ攻略した。
ちなみに、陸奥の由来が、「六つ」との説もあり。

赤城山といったらムカデと蛇(日光男体山)の対戦がある。
利根川流域にいた洞窟の人たち。
それが土蜘蛛であり、ヤマトタケルが土蜘蛛を退治した話が、
郡山の都々古別神社の由来に関係する。
これも「ワケ」を使っている。
ツツコワケのツツは、星だろう。
星信仰のツツは、筒と書く。



ということで、陸奥国開拓にのりだした上毛野氏とは、
祖先が豊城入彦命によるヤマト王権を確立させるきっかけをつくった。
そこに土蜘蛛との敵対心が芽生えてしまった。

・・・どのようなエミシ征伐なのか?

日本書記より、
豊城入彦は、「三輪山に東に向かって槍(ほこ)や刀を振り回す夢を見た」と答えた話がある。
弟の活目尊は、「御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見た」と答えた。
その結果、弟の活目尊は領土の確保と農耕の振興を考えているとして位を
継がせることとし、豊城命は東に向かい武器を振るったので東国を
治めさせるために派遣されたという。

---------------------------------------------------

豊城命の豊が、トヨであるから豊受の意味も含まれていると考える。
日本書記の豊城命は、武器を使うことを考えていた荒々しい人で描写される。
豊城命の母は、荒河戸畔(あらかわとべ)の娘とされる。

なぜ、赤城山の駒形岳に、彦狭嶋王の伝承が生まれるのだろう?
実際、墓でないとしても、土蜘蛛に関係することはありうると思う。
彦狭嶋命と彦狭嶋王と二人いる。
別人なのか同一なのかよくわからない。
彦狭嶋命は、伊予国を統治した越智氏の祖である。

「王」の方だと、山道都督に任じられた豊城命の孫として祀る神社として、
玄松子のサイトより、二宮赤城神社 (群馬県前橋市)、
佐志能神社 (茨城県石岡市柿岡)、倉賀野神社 (群馬県高崎市)がある。
土蜘蛛、茨城の関係が深いので、やはりトネとトメにあたると思う。

ネは、根で男。だから男根信仰といわれる。
メは、ミの実のこともあり、体からいろんな生命を生み出す女性。
トネとトメという男女神は、土蜘蛛の思想と考えられる。
その祖とは、トヨウケ大神である。

上毛野氏のルーツは、紀の川流域にいた集団「荒河戸畔」の名で
倭王を擁立したという。
崇神天皇の皇子豊城入彦を始祖とし、百済から招かれた人。

ということは、百済=上毛野氏であり、新羅=平家という図があると、
新羅の郷は、百済系の人が後から追ってやってきたわけだ。
じゃあ、新羅=どんな氏族がリーダとして君臨していたか?

新羅=秦氏だと思う。
なので、秦氏は史書に出てくることがない。
新羅の郷のシンラが、秦氏のルーツをもっている。
元南田のあたりを妄想するに、砂金取りの金売吉次、藤原秀郷など、
名取へ入ってきて、熊野信仰をもたらしたこともあると思う。

藤原の姓を名乗ることも、中臣氏と茨城の黒坂命の関係もある。
けれど、難しい。

ホントに難しいですが、中臣氏と多氏の古代国家について、
どうしても気になる皇子がいる。市辺押磐皇子という人。
この方が、新羅の郷から続く人だと思ってしまう。
以前もちょっとブログにも書いた。
ほんとに、無念な死を遂げたのならば、光をあてたくなる。
だから妄想しまくりたい。

実際、もしそうだとしたら、蔵王の白鳥信仰にも関係すると思う。
なぜ、ヤマトタケルは白鳥になって飛んでいったのか。
その白鳥信仰が色濃く残る場所が、蔵王なのか。
そこになぜ、大高山神社があるのか。

上毛野氏が豊城命の遠祖であり、崇神天皇と関係していることが重要。
「崇神天皇の皇子の豊城入彦命が東国統治を命じられ・・・」というのは?

崇神天皇は、神武天皇と同一。という説がある。
そうならば、神武天皇から指示を受けた一族の豊城命という話。

神武天皇のために、征伐をしていた一族が上毛野氏。
何を?そんなに執拗に?と感じることがある。
新羅の郷からつながる入間田の話。

もうこうなってくると、あんまり大六天神社が関係ないね。笑
陸奥の古代史になってくるねぇ。
キリがないねぇ。

そういえば、昨晩、嫌な映像が浮かんだ。
こういう事を考えていると、夢ではないけど、夜中、ぱっと目が覚める時、
ある映像が浮かんだ。

まっ白い血の色もない死人のような顔をした女性。
でも首から下は龍なのだ。
まっ白い龍。
白龍なんだけど、気持ちが悪い。
でも怖くはない。

ほんとは美しい姿なんでしょうけど、あーなってしまのだなぁ。
私の心に、そんな部分があるんだろうとも思ってしまう。
人間はどこかで悪の部分をもっているから、バランスをとっている。
というのはありますが、そうもいかない事もあるよなぁ~。

どこかで皆、憤りを感じている。それがいけない。
でもそうなってしまう。
ずっとずっと長い間持ち続けている過去の事もいろいろある。
そういうことから終わりにするために、試行錯誤してきたつもりだったけど。
何の意味もない感じ。

たぶん、何かに愛されていない感があるんだと思う。
宇宙から来ているけれど、孤独だというのは、
どこかで捨てられたと思っているか、自分一人でやってきたか。
そんな孤独な愛情不足を、皆、持っているものだと思った。
ちょっと白龍は悲しい顔もしていた。
同じだ。人間と同じ。龍は神ではない。

もう終わりにしたいから、平和に歴史を振り返ることをしたいけど、
未来をみる気持ちは全くない。
過去にさかのぼり、今のままで終わりにしたいタイプ。
けれど、まだ、清算しきれていないんだな。
女同士の呪詛ってもんが。

陸奥開拓の場合は、けっこう重いと思う。古代の歴史は。
あっちこっちに悲劇が散乱していたわけではないけれど、
巫女の力はいまだに健在。
過去にそんな祈祷をバトルしていた女性たちがいたことがある。
巫女も、いろいろと大変だった。
普通の人間なんだけど、そのようにしてしまった背景には、
皇族の政権争いがあり、それに翻弄された巫女が、まだ鎮魂されずにいるのだな、
と感じることはある。

龍退治が多い世界の伝説。
その退治へ追い込まれた国に、ウガヤフキアエズ朝がある。
龍神というのは、神様ではなく人間と同じような姿でもあった。
古代は、今よりもはるかに優れた霊的な人々だった。
なので、呪術に長けていたのですが、ある時、巫女の神降ろしの祈祷が悪いと
言われるようになる。
自分の思い通りにいかなくなったと、責任転換をする皇族が増えてきて、
巫女が成敗させられるようになる。
本当は、自分に問題があるのに、家族や仕事が上手くいかないと
占いに問題があるといわれるようになる。

そうなると、巫女もお手上げ。
もうこのような人たちとは付き合わない。となってしまう。
そして、別次元や他の世界に行ってしまった。
そうやって線をひいて、私たちのような人間が入ってこないように
結界をした。また宇宙人な人間も、そのような龍族がおりてこないようにした。
その去ってしまった人たちは、レムリアでした。
ハワイには眠っているレムリアの記憶があるそうです。

そうそう、幼少期、私は雲の上にハワイのような楽園があると信じていました。
きっと、レムリアをみていたのかもしれません。

でもその龍の怒りが、大洪水を起こしたと思う。
もうこれ以上龍が怒らないように、北斗七星に結んだのは、
柄杓を逆にする=水を止める思想からだろう。

戦いとは、宇宙戦争ですから。
一族同士の争いの裏に、最初は、みな同じだったけど、
どこかで歯車が壊れて、バラバラに引き裂かれた家族が増えてしまった。

なぜ、そうなってしまったのだろう?
それが気づけるまで、ずっとここに留まる運命なんでしょうね。
結界を解かない限り、見抜けませんが、
今を一生懸命生きるほか、方法を知らない。
いつか、わかる時がきます。
という事みたいです。

はるかに崇高な霊の存在だったけど、線引きされたから何も気づけなくなった。
白龍だと思って祈願していたが、実は、負の精神をもっているだけの
人だった、なんてこともある。
白龍に化けている他の存在がいるということ。
でも、それが気持ち悪いものでも、それはそれ。
同じだから。

なので、昨晩は、そんな負の部分をもっている白龍を見たのだろうと思う。
なので、もう祈る時代じゃないのだな。
自分で見抜いて生きないと、楽しくないなぁ。
せっかく、面白い世界で生きているのに。
じゃないと、先祖も喜んでくれない。


松浦静山『甲子夜話』巻34より「白竜」
※龍は基本的に空を飛べるが、白龍は特に空を飛ぶ速度が速く、
これに乗っていれば他の龍に追いつかれないともいう。
ときおり魚に化けて地上の泉などで泳いでいることもある。
-----------------------------------------------
さて、この方も古代史のうえで、いろいろとありそうな歴史です。
それで気になる市辺押磐皇子ですが、
次の王位継承に、押磐皇子が邪魔だと言ったのは、神武天皇という話。
だまして殺しちゃった話。
これが、八重歯で「歯」の人なんだよね。八重歯があった人というらしいが、
古事記では、「歯の先端が3つに割れていたことから」という意味がわからない
説明なんだけど・・・。

でも、歯といわれる人が他にいる。
多遅比端歯別天皇。(たじひみずはわけのみこと)
反正天皇のこと。
この天皇は、ミズハノメであり龍であり、身長3m以上といわれた
淡路島で生まれた人と伝わる。
後の平氏の祖となる多治比彦は、多遅比端歯別天皇の系譜である。
そして、それがサンカなのだ。

もうね、こうなってくると神武天皇もそうかもしれないけど、
散々、真面目に古代史を語ってきて、結局は次元の違う話になってしまう。
そういう結論にしないと、見えない。

陸奥征伐にウガヤ朝が絡んでいると思う。
ウケモチのウケと、宇賀神のウカノミタマ。
ウケとウカが似てるし。


大高山神社の額:エミシを成敗してまっせ~の図。

まだ、悶々としているので、もう少し妄想してみたい。
市辺押磐皇子と新羅の郷、豊受大神と陸奥の古代史。
難しいけど。
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