秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

ーほんものの おおかみに あえるー

2016-09-29 | イベント・セミナー
---ほんものの おおかみに あえる---
一日限定 おおかみカフェ


山形県東根市にある『あらえびす』から ウルフハンドラー村山茂さんを迎え、
オオカミの話を聴く会を開きます。

そして、北極オオカミの アシタカ(♂) 育ちざかりのハク(♂,6ヶ月)
とふれ合うチャンスです!

山や里で起きているクマ、イノシシ、シカなど の 被害への対応が
気がかりな方にとっては、 「こんなことができるのか!」という
実話を実際にきいてみれるので価値があります!

あきう藁の家の「石臼びきの豆」と あらえびすの
「2000年かけてつくられた伏流 水」で入れた
この日だけ味わえる珈琲を飲みながら、 オオカミと触れ合う一日。

どうぞおいでください。 (山本) ____________________________________



【とき】
2016.10.10(祝)13:00-17:00

【スケジュール】
13:00- オオカミとのふれ合い 14:00-16:00 村山茂さん『オオカミのお話』
16:00- オオカミとのふれ合い

【場所】
秋保ゆめの森「あきう藁の家」 仙台市太白区秋保町長袋菅刈山15
TEL 022-399-2350 車. 仙台駅より50分


【参加費】
[お話会]500円 [触れ合い時間]飲み物代のみ
一杯目500円 二杯目~200円
※中学生以下のお子さんは無料 ※当日はウルフ基金の募金箱を設置します

【お問合せ・お申込み】
[お話会]はできるだけ事前に申込み下さい。
090-9038-9990
ayamomot_ko2y☆do como.ne.jp (山本)

※[ふれ合い時間]は申込み不要
※メールアドレスの☆は、@に変更して下さい。


◆村山茂 プロフィール
Blog http://ameblo.jp/marumku/あらえびすスタッフ、
ウルフハンドラー 新潟出身。
20歳より歯科技工士をして「今の社 会は何か違う」と疑問をもつなか、
あらえびす の活動と出逢う。2013年よりあらえびすス タッフ。
山や水を守る活動の中、ウルフを飼う こととなり、ウルフ担当となる。
自然界(野生) を感じながら現在に至る。

・・・大神プロジェクトの取り組み・・・
http://www.araebisu.net/wolf-s-club 自然界と人間が仲よく
生きるための取り組みを している。

○ウルフ、縄文柴犬の育成・繁殖、ウルフ基金 プロジェクト
○野生動物の被害対策としての出張ウルフパト ロール
○ウルフの糞を活用した鳥獣対策用「ウルフン エキス」販売
○ウルフがいる場における環境調査
○小・中・高等学校等への学習・ふれあいの場 の提供

TVで「ウルフンエキス」によるクマ対策の内容 が 取り上げられました。
Youtube[ウルフンエキス]で検索!

◆あらえびす http://www.araebisu.net 山形県東根市大字泉郷甲808
TEL 0237-44-3288 山の荒廃を防ぎ蘇らせ、
里山に雇用も生み出し ながら、未来の命に「命の源」を残せる仕組みを創っている。
その必須の存在のウルフを復 活させ様々な取り組みしている。
手汲みの伏流 水サポーターなど、様々な活動を続けている。

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追記:

「あらえびす」については、縄文登山を一緒にしているやまちゃんから、
数年前から話を聞いていました。
最初は、そういうのがあるんだね~くらいだったのですが、
震災を経験して仙台に再び戻ってから、だんだんと大事なことだとわかってきました。

誰もが理想とする狼犬や縄文柴犬の繁殖などを試みつつ、
山と人との共生を考えながら、古代に戻る知恵を、実際、試そうとしている方
に賛同したいと思います。

たくさんの子供たちが、狼に触れてくれることを願っています。
子供たちなら、狼の目が何を伝えているか、きっとわかるはず。
そのような子供たちが、大人になってほしい。

アメリカのイエローストーン国立公園では野生動物をめぐる「20世紀最大の実験」
とよばれる試みが生態系の回復の目的でオオカミを連れて公園に放したところ、
鹿の数が減少し、ピラミッド型の生態系バランスがだんだん戻ってきたことにあります。

ただ、日本で同じようなことはできないのですが、少しだけ可能性はあると思う。
日本の自然環境に適したオオカミ犬(狼の血が90%くらい含まれる?)を、
人の手で育てられたオオカミではありますが、例えば、銃で熊や鹿を殺すよりは、
自然に近い方法で、動物たちのなわばりから、守ることはできると思う。

オオカミの匂いは、結構、強いみたいです。
ただ、山里にオオカミを自然に放すことはできませんので、農家の方たちが、オオカミをならして
一緒に農業をするパートナーとして考えるのでも良いと思います。

いろんな選択肢がある中で、このような方法があることだけ知ってもらえたら。

余談ですが、
一度、仙台で東出さんの話を聞きにいったことがありますが、
個性強すぎっ!でしたけど、裏話が面白かったです。ウラ事情がね・・・笑。
2時間以上もぶっ通しでずーっと話をしている人は、
東出さんと野口建さん(アルピニスト)しか知らない。笑
山に精通している人の共通点というのか・・・。

ちなみに、あらえびす=新夷、で、エミシ?


(カレンダーの写真使ってもうた~)

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あいづめぐり:伊佐須美神社

2016-09-27 | 東北地方の伝説(福島県)
奥会津から会津若松へ。
雨の峠越えは緊張しますね。
街中へ向かう途中の、雨と霧がけっこう深くて。
川も見えないくらいな。
でも山にかかる霧が神秘的。
修験者や山伏は、こんな峠を歩いて越えていたのか・・・。




(そば畑)

峠を越えると田園風景が広がり、伊佐須美神社がある。
前から大彦命のことは気になっていて、結構、妄想しまくりでしたが、
「大彦命はいなかった」
という結論。

どっしえ~。
あの妄想は何だったわけ?笑。



いや、開拓民はいたのですが、そういう意味の父子が出会う会津というのでなく、
もっと深いっちゅーか。




夢に出てきた仙人とちょっと似ている。

まず、この神社のイサスミについて知りたいと思う時、
高橋富雄先生の言霊的な視点に、共感します。

「古代語の東北学」を参考に。
大彦命と建沼河別命が高志道(越国)よりし、東方十二道(東海道)よりして
相津に行きあった伝説となっている。
イサスミとは、稲作の神であるイザナギ・イザナミのことで、
イサナミ→イサスミとなった。
ナがスに。

また、イサスミは、「稲作は大いなるむすび」=産霊の語源があるとされる。
要は、ムスビの神。
その意味が後からわかる。



イザナギとイザナミの二柱をもたらした人々の信仰があったのですが、
本来は「稲風」のイナサで、ササが風に転じた意味があると考えられ、
イナサ結び=春にたつみかぜが吹いて、稲作が始まり豊作を祈る意味。

イサスミの響きが、風のように峠を走るイメージがあったのですが、
やはり風なんですね。なんだか美しい響きで女性的。

もうひとつ、この神社と深い関係があるのが、
古四王神社(こしのう)であり、福島県の喜多方市にあります。
菅江真澄によると、古四王神社は、越王(こしおう)であり、
古代大彦命の裔を称して越国から出羽国海沿いの開拓をした安部氏の祖神の名残
という。妙見信仰がルーツにあるそうだ。(北辰)
三古四王というのがあり、秋田の古四王、越後五十公野の古四王、喜多方の古四王。



亀を神格化している古四王神社があり、玄武の亀蛇に座すところから、
北辰信仰と考えられるそうです。
大彦命は伝説の人物とされるのですが、北陸から会津へのルートは、
只見川渓谷に出て、居平盆地に向かい、六十里越え、小出は御出=御成りの道
であり、えらい人(天皇家?)が来た道につけるという。
仙台の太白山も生出森といったわけです。

阿賀川は土流を大川といい、逢う川と考えられるそうですが、
川が歴史的に出会う順路といわれ、それに大彦命が建沼河別命と
往き逢いにされ、逢う川になったと。

北方経営と東方経営が落ちあったという意味から、
会津となったという説になっているそうです。

それでは、その互いに異なる文化が合わさったというのは、どことどこ?
それが、出雲と越国ということ。


(鎮守の森)

気多神------------------------------------

出雲の「出で見」、越は「出で来し」、出羽は「出で端」。
大国主の巡幸の国に関わる場所の意味。

三石神社に白山姫が関与するのは、ククリヒメ大神が気多神社から
由来しているからだろう。
気多神社=越王神元始とされ、岐神とされる。
確かに、天栄村に向かう東に二岐山(ふたまたやま)がある。
ダイダラボッチの伝承があるが、天栄村には、妙見山という名前の山が3つもある。

気多の由来とは、出雲となり因幡国の気多郡、但馬国の気多郡の産土神が
気多神社であり、おこりは山陰地方。
なので、会津地方には、「要害」とつく名前の山が多く、
そこに牛の虚空蔵菩薩を置くのは、岐神とされている歴史背景がある。



会津坂下に気多宮があります。
北陸に入って加賀の気多御子神社、能登国羽咋の気多神社、
越国の射水郡の気多神社など、会津坂下の気多宮におよび、
気多神のネットワークがここで終結していると。
高橋先生は、山陰からの系譜をつぐ海沿いの開拓の神であり、
それは出雲の神でもあると考えられ、
つまり、越王は、気多神であるという。



河沼郡の会津坂下の気多宮は、越国からの勧請神とされ、
越国由来の神が、出雲由来とし、出雲族と越王の融合を婚姻とみる説となる。
それが逢う津となり、出雲大国主と越国奴奈川姫(ヌナカワヒメ)との婚姻である。

おそらく、先に大国主と奴奈川姫の融合であったのを、
後に大彦命と建沼河別命と出会った場所と話を変えたものだと思う。
出雲の居多神社が気多となり、五十公野(いじみの)とは、出雲のこと。

大国主と沼河比売(ヌナカワヒメ)との間に生まれた子が建御名方神(タケミナカタ)で、
諏訪大社の祭神とされる。
会津金山町にある沼沢湖は、カルデラ湖なのですが、龍伝説がある。
それが諏訪湖にも似ている。
奴奈川姫は龍の気があり、水の気でもあり、
また、それが白山のククリ姫の白い気にも繋がる。
それが火山でありカルデラ湖をつくる大きな沼となり、それが大蛇伝説となる。
それを生み出しているのが、会津ではククリヒメなのだろう。



そのエネルギーは、諏訪へ渡り、諏訪神になったと思う。(諏訪の方が古いかもしれない)
なので、古くは龍神なのだ。
出雲族は、その龍神との融合を考えていたのですが、
宗教的な話なので、どのような統合をしたのかは、わからない。
でも、会津がそれだけ重要な場所だったことがわかる。

しかし、越国はスサノオでもある。
出雲のヤマタノオロチでは龍退治をしている。
自らを退治するのは、どういう意味だろう?

そう考えると、龍は女性のシャーマニズムな感じもあると…。
女性の力を恐れたスサノオがいた…?
そして偏った男性社会へ。
互いに必要だったものが、一方をふさがれたという意味で、
ククリヒメが封じられたという事なのだろう。

なので、陰陽どちらも必要だったから、
偏った社会から脱するために、二柱を祀る必要が会津にもあった。

古代は、そういう時代だった。
それ以前は、一柱しかなかったのだと思う。
男女、陰陽の融合とは、スパイラル状に伸びる木々の根を思い浮かべればわかる。
天に向かうエネルギーを大地からどのように突きあげるか。
しかし、そのエネルギーは、西洋の竜退治にあるように、地下に留められた。
まだ地上にあがっておらず、眠っている気が埋もれている山は、たくさんあると感じる。
日本中にその「気多」を増やすことが、気多神の役目なのかもしれない。
それに、倒語の多気は、滝でもあり、タケとも転じた。それがヤマトタケル。
気多神は、そのようなエネルギーを放出する力をもっている。

その象徴となった大国主と奴奈川姫の婚姻話がわかっただけでも、
大きな前進かもしれない。
互いに結ばれた蛇のような縄が、すーっと天に伸びているようなイメージ。

うれしいことに雨だったのが、空が明るくなり晴れてくれた。
この時だけ、太陽が顔を出してくれた。



毎回、「気づき」がすごいこと。
宇宙の森羅万象の渦が、智慧の渦になっていく。
そうなると、太陽がYESのサインを送ってくれる。

決して権力を誇示して征服したのではない。
一生懸命、平和を考えた統合だったのです。

それを無視してはいけない。
それを流してもいけない。
どんなに悪いことをしたとしても、それを私たちが許すことをしなければ。
先祖の歴史を知ることは、平和を知ることに繋がる。
そうでなければ、私たちは、なぜ、今この時代に再び生まれ変わったのだろう?

とても広がりのある会津探訪でしたが、まだ3分の1くらいしか見ていない。
もっともっと会津は深いのです。
またいつか行く機会があったら、あいづめぐりをしてみたいな。

他にもありますが、後でまとめられた時に、
紹介したいと思います。

あいづの神々へ。
たくさんの導きを、どうもありがとう。

これにて、あいづめぐりは、おしまい~。
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あいづめぐり:三石神社

2016-09-26 | 洞窟・巨石探訪
緑の文化財「三石神社の森」といわれる鎮守の森がある。
森の中に、しずか~に、じっと眠っているような岩。
まるで屋根が岩になっているようで、
お社と同化しちゃってる。
岩が先で、後からお社をたてて祀ったようですが。
珍しい神社だと思いました。



由緒-------------------------------------

山中の三つの磐座、一の岩、二の岩(泪岩)、三の岩(縁結びの岩)
をご神体とするところから、三石神社と呼ばれています。
祭神は、伊邪那美命、白山姫命、少彦那命を祭り、
本社は石川県白山市、白山比咩神社と考えられます。

起源は古く、平安時代末期の12世紀末奥州藤原秀衡征伐の大功をたてた為、
源頼朝よりこの地を賜った金山谷横田の領主、山内経俊が夢枕に立った
神霊のお告げに導かれてこの地に奉願したと伝えられています。
祭礼は、町内の際に合わせ例年九月五日に行われ、
多くの参拝者で賑わいます。
また、杉の大木を縫って行く参道沿いの森は、福島県緑の文化財に
指定されています。




一の岩:岩穴に頭を入れてお祈りすると、頭がよくなり、
頭の病気が治ると言われています。





二の岩:夏の日照りの時にも涸れずに岩から水が染み出ており、
その水を目につけると、目の病気が治ると言われています。

参道入り口から一の岩までは、10分くらいですぐ着きます。


(三の岩)

スクナヒコと巨石-----------------------------------------

会津が北陸の信仰を受けていることはわかったのですが、
白山姫については、ここではスル―します。
ここは、巨石の妄想をしておこう。

なぜ磐座にスクナヒコを祭ることが多いのかな?と思った。



スクナヒコについては、宮城県北部に川渡温泉がありますが、
温泉石神社が祀られており、立派な少那彦命の石碑があった。

「延喜式の神社で玉造部の一座。
昔、鳴子での大噴火により大石の根元から温泉がでたので、
そこに少名彦命を祀った。
玉造塞とは、788年エミシの侵入を阻止する目的で、
川渡温泉の玉ノ木付近に設置したと。
延喜式は平安時代900年初頭~、御醍醐天皇の命で藤原時平が
編纂した律令官(神祗官)。
800年代から温泉石が存在いていたようなので、
大噴火の天変地異が石神によるものと考えた朝廷が、
少名彦命を祀り鎮魂したと考えられたと。」


要するに、スクナヒコは温泉好きだったんです…。なんて。
面白い本があります。
ペトログラフの研究者といわれる方がおられる。
吉田 信啓著
「超古代、最古・最高・最戸尖端文明は、縄文日本だった!」
という衝撃的なタイトル。そのとーり!
この本はとても面白かったです。
巨石が大好き!という方は、ぜひ。



して、この本に、スクナヒコと巨石と温泉の話があった。
私は大国主=巨人、少那彦=小人(現代人)と思っていた。
でも違うらしい。
吉田氏によると、スクナヒコがハワイのメネフネ人ではないか?
と興味深い話が書いてありました。
もちろん、それが必ずしも一致するわけではないのですが、
ハワイの伝承にあるメネフネ人の話を読むと、
イワクラと繋がる意図がみえてくるのです。

アイヌではコロポックルがそうですが、単に小さい人(90センチくらい)
である意味の他、先住民だったので自分たちよりは身分が下の人、という意味で
言われる場合もある。



メネフネ族の話になりますが、
メネフネ族には、ワ・ワオウ・ムウの3族がいたという。
そのワが倭、ワオウ=倭王、ムウ=ムー人?
という解釈もされていて面白い。
ムウ人は、おしゃべりで冗談ばかりいうような人たちですが、
メネフネ人は、勤勉という両極端な性格だそうです。
天草には、小人族の穴洞窟が発見されているそうだよ。

毛深く、体格は70~90センチ、石造建築に秀でており、
ハワイの石積神殿、池、用水路の建造などは、メネフネ族が行っていたそうだ。
そのため、ハワイ(ホノルル)では水利権をもっており、実際、
「メネフネの水」がペットボトルで売っています。
楽天とかでも買える・・・。


※五円の縁を結ぶ。

また、メネフネ族には、秋田のなまはげなど各地の伝承として残される
一晩で建築物を完成させるも、夜が明けてしまい最後まで完成できなかった
話とよく似ている伝承があるのです。
人目につくことを嫌うため、夜の仕事を行い、朝方にわとりが鳴きはじめると、
終わりにするそうだ。
建築物は、わずかに一晩で完成するが、一晩で終わらない場合は、途中で
あきらめることがあるそう。建築物といっても木で作られた家もあるかも
しれませんが、そのような伝承が世界にあるというのが、不思議です。
それが具体的にメネフネ族に限ってあるのだから…。


メネフネの岩
※メネフネ伝説(エピソード集)より
http://www.legendaryhawaii.com/menehune/p06

なまはげがポリネシアのお面と似ている話など、
南国の海からわたってきたルーツがあるのも、納得いく。
古代タヒチの人たちは、ハワイに移住した時に、先住民であったマルケサス
(ポリネシアン)からの移民に対して、「メネフネ」と名付けたそうです。
この人たちは、逆に身体が大きく、力があるので重い石を運ばせて、
奴隷のように使わせた話があり、「マナフネ」というタヒチ語の言葉が、
平民や奴隷の意味があり、それが転じてメネフネになったそうだ。



※マルキーズ諸島(マルケサス)のヒバオア島のティキ像(by Wikipedia)

ハワイでの謎のメネフネ人は、石に彫られたペトログラフにより
証明できるのでは?というところまできているそうですが、
残念ながら、真実はわからず。メネフネ人は今は姿を消してしまったと…。

ん~、ここでハワイと繋がるとはなあ~。
北陸の白山なんだけど、なぜかインドからハワイと繋がる…。

四国へいったスクナヒコ--------------------------

三石神社にスクナヒコを奉る理由のひとつに、
イワクラがあるのですが、今は跡形がなくても、はるか昔、
だれかがここにきて、何かを彫ったりしたことはないだろうか?
なんて妄想をしてみたくなる。

ペトログラフ協会の会長さんの吉田氏の本を参考に。
古事記にも出てくるスクナヒコは、四国の愛媛県大洲市の常世にやってきたと。
温泉治療や薬草を使って病気の治療をしていたという話があるそうです。
稲や粟の農耕や沼地の開拓など、多くの面で技術指導をしてきた伝承がある
のですが、先史時代には高度な文化があった痕跡があるそうです。



山間には、かなりの数の巨石文化遺跡があり、1メートルほどの
自然石を円形にした環状列石など、ドルメンやメンヒル、ペトログラフ
や盃状の穴をいくつも彫った穴石もかなりの数が残っている。



この本で知ったのですが、盃状の穴の石は、栃木県の名草巨石群でみました。
場合によっては、あの穴の形は、何かの星座をあらわしているかもしれない。


(名草巨石群の盃状の穴)

これらの愛媛の巨石文化は、日本では縄文前期~中期にあたり、
神代としてこの巨石文明時代頃になるかもしれないという話。
出雲から忽然と消えたスクナヒコが、伊予の山間に移り住み、
新天地での生活を行っていたと考えられると。



また、スクナヒコが住んでいたとされる都地区には、屋敷跡があり、
九州の別府から四国まで地下の湯道を掘り、別府温泉の湯を松山に
引いて道後温泉を造ったという伝承までもある。
その少彦那神社のそばで見つかった盃状穴石は、地元の伝承では、
薬草を調合して医薬品を作っていたという。それをすりつぶした
石の薬研も見つかっている。
これは、オーストラリアのアボリジニも穀物をすりつぶして、
使用していたものと似ており、世界中の民族が使用していたもの。

さて、そんなスクナヒコが亡くなったのは、
その神社から約1キロ離れた下流でおぼれ死んだ・・・
という、意外にもあっけない話となっている。





人々は「大いに悲しみ、梁瀬山に葬った」との伝承があり、
スクナヒコが溺死したと伝えられる肱川(ひじかわ)は、
「肱川あらし」という猛烈な自然現象があり、濃い霧で吹き荒れる
河口や、水量の多い治水工事中に深みにはまってしまい、激流にのまれ、
水死してしまったと考えられるそうです。

その亡骸を葬った簗瀬山には、少彦那命の御陵があり、
戦前までは山全体が神域であり、立ち入り禁止だった。
ここが愛媛県最古の神社といわれる由縁です。
昔は、山そのものをご神体としていたので、お社はなかったのですが、
後に建てられたものだそうです。


立派なクリの実~♪

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まだまだ知らない世界がたくさんあるね~。
そのような南国の海民が、日本に上陸してせっせと生活のために、
働いてくれていたわけで、その勤勉な姿をみて、渡来人も
協力してきたのだと思います。

また、そのような石の文明がまだ森の中でたくさん眠っており、
今ではただ意味がなく、そのまま置き去りされているけれど、
この時ばかりは、ハワイを思いました。
それに水のことも。
よくここまでカヌーでやって来てくれたね!
お疲れさまでした。(自分にも)
そんな言葉を伝えたくなるような、三石神社でした。
ここは、本当に優しい鎮守の森でした。


(蒲生岳)

とにかく、会津は、暗い感じが全然しない。
むしろ、明るくて神秘的でした。

で、最後の目的として訪れたのが、伊佐須美神社。
会津の鎮守なので、一度はお参りしておきたい。
これまた、いろいろと思うことありで、
会津探訪の結末っつーか、そういうことか!
という意外な結果に、ますます会津の古代史を深~く知ることになりました。




雨と霧のダム湖

続く~♪
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あいづめぐり:瀧神社

2016-09-23 | 東北地方の伝説(福島県)
まだ続くのだよ~。

お宿は、只見荘でお世話になりました。
料理がおいしいと評判ということで、いつも主人が決めるのですが、
リピータの方も多いようです。
イワナやナスの漬物、赤かぼちゃなどなど、水も美味しい~♪
私も秩父の山に育ったので、山の幸がとても懐かしく美味しかったです。


(只見駅:裏から)

只見荘は只見駅の目の前にあります。
窓の外を眺めると、赤い鳥居がみえました。
駅のすぐ裏手にある。
只見町で唯一?の産土神らしい。



朝、雨が降っていたけど、散歩がてらに行ってみたら、
「瀧神社」でした。
雨に合う神社ですね。



瀧神社の由来-----------------------------------------

「新編会津風土記によると280年勧請とある。
また、御神体は金幣であるといわれております。
旧只見村を流れる只見川は、古来から凶暴な荒れ川で、
氾濫による家屋・田畑を冠水、流失させ毎年のように苦しめておりました。



1716年~洪水に悩まされた当時の唯見村熊野神社の神職であった
赤塚伊勢守尹直は、只見川の鎮撫を祈願してきたが、
熊野の祭神スサノオは戦神のためか、度重なる水害に効き目がなく、
遂に上ノ原の地(只見駅前付近)に瀧神社を建立した。



こうして瀧神社に水神・瀬織津姫命を祀って荒れ狂う只見川を
鎮め村民の安穏を願ったものです。
その後、明治参拾年に約百メートルほど山際の場所に移築されたもので、
鳥居は「両部鳥居」という中心部に柱が袖柱が付属しており、
大きさは別として海の中に立つ安芸の宮島の厳島神社の鳥居と同様の形である。




社殿は向拝、拝殿、本殿からなり、向拝は二重垂木の構造で、それを支える
角柱上部左右に獅子鼻と象鼻の彫物、虹梁上部には龍の透かし彫物があり、
また扁額左右には物語の彫物がある。これだけの彫物が施されている神社は、
この地方の神社としては非常に珍しく貴重のものであります。




内部は二十八畳の拝殿と通路を含めて十畳ほどの本殿があり、
その本殿をこの地方の厳しい風雪から保護するため二重屋根となっており、
その棟木に「奉新築雨覆明治三拾年丁七月大吉棟梁新潟越後国賀茂町
小林佐吉謹造」と記されております。

瀧神社の祭日は、古くは九月十日であったが、現在は、九月五日三石神社と
同日に実施当日は、午前七時から例大祭を行い、集落ごとに子供神輿や
山車を引きながら集落内を練り歩きます。」




-----------------------------------------------
この裏手の山が、またもや登場、要害山です。
要害山とつく山が、山陰地方の出雲周辺、新潟、福島県に多い。
多い順に、島根県7、新潟県5、福島県3、群馬、鳥取、山梨、岡山、広島2、
茨城、三重熊野1。




(要害山登山口の入り口から流れ出る清水)



これが出雲~北陸~会津から開拓が行われた道であると考えられ、
対馬海流にのって上陸した海民の存在がある。
この地区の歴史がわからないので、詳しいことはわかりませんが、
会津の信仰は、新潟が近いので北陸の白山信仰を受けています。


(要害山)

なので、瀧神社はセオリツヒメでもあり、ククリヒメでもあり…。
隣の山に祀られているイワクラの三石神社もククリヒメを祀っている。



イワクラと、くくり姫は、よく一緒に祀られている。
神道家の金井南龍は、ククリヒメを封印したといった解釈をしており、
縄文時代のイワクラ信仰など、白山王朝の血統を
断たせるためであると。神武東征以前の話。
それを解くには、世界を一つにする働きが必要、といったことである。
ある意味、ワンネスは、龍を呼ぶといったことか…。

しかし、世界にククリヒメという「一括り」にする女神は、
たくさん存在しているようで?白山以外にも、長白山なども「白」という山は、
地球の女神として君臨するククリヒメのパワーがあるという。

白山のエネルギーも白龍伝説があるように、白い龍の気というのは、
霧のような世界を想像する。
それが、白い龍という蛇のようなもので、縄文土偶に記される縄文様。
黄泉国なんだけど、次元を超えると地上より高い位置にあった王国。
私はその霧の雰囲気は、中国でも感じたこと。
そしてそれがレムリアの記憶、と思いたい。
私にはそんな懐かしい記憶があったことを、ふっと思うことがある。
まだ、人間ではなかったような感覚。
混沌とした中津国。津は、まだ地が定まっていない未熟な地球の状態。
そんな地球と一緒に、成長してきた。

会津も津だから。
そんなことをフツフツと感じた。
-------------------------------------------------

気体から液体、そして固体へ。
霧から水へ、そして大地へ。
そうやって人間もゆっくりゆっくり段階をふみながら、生まれてきた。



さて、出雲や北陸と繋がっていた会津なのですが、
千手観音→虚空蔵菩薩→苧(からむし)→瀧神社→三石神社、という流れ。
ひっくるめて水だね。
「津」は、水に多い場所につけられると思う。



会津に三津合という地名があるそうです。
高橋富雄先生によると、
大沼、河沼の郡名を平安末期に会津の「水合う」の郷として、
三つの津の合う村=水合いの村が三津合になったという。

その三つの津ではなく、三つの石が祀られているのが森の中にあった。
知る人ぞ知る、三石神社です。
雨の中、ちょっと鎮守の森へ。



----------------------------------------

ところで、全然違う話なんだけど、
雨や水を思う今日このごろ。
アーリア人やインドのことを妄想していると、
こんな写真を見つけてしまった。
インドだよ~。



シヴァ神の像が水没しかけるも…「むしろ破壊神らしさが増している」
と人気を呼んでいた写真。
http://labaq.com/archives/51874510.html

破壊の神であるシバ神が、すごすぎる。
こんな濁流の中で、さわやかすぎる…。
静かに目をつぶり、そしてイケメン。
なんか頭にものってる!これは、女神ガンガーだそう。

「これは、2013年の6月にインドの北の州にあるガンジス河で
撮られたときのもので、14~17日間に通常のモンスーンより375%も多い
雨量を記録した。」
だそうです。
シバ神が流されなくてよかった。

日本では、台風の回数が多すぎるね~…。

てことで、次は巨石~♪
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あいづめぐり:湿原と苧と龍

2016-09-22 | 東北地方の伝説(福島県)
昭和村へ~。
水色や赤色の屋根の家々の合間をぬって走ると、
タイムスリップしたような古き良き日本!な風景で、
すっかり集落萌え~になりました。笑

只見へ行きたい!と思ったのは、新幹線に置いてある「トランヴェール」です。
「自然と人が響き合う奥会津」の特集で、昭和村がのっていた。
有名な「からむし織」の昭和村。

ずっと前にテレビで、からむし織の伝承を継ぐために、
県外から若い女性たちが移住し、からむし織りをしていたのが
印象に残っていました。
どんな所なんだろう~と思いつつ、その前に、行ってみたかった約8万年前の湿原へ。





矢の原湿原------------------------------------

結構、山の中にあるのね。
当たり前か。
嬉しいことに、突然、車の前にひゅ~と鷹?が、悠々と
森の中から出てきたのです!結構大きい鳥だったから、
トンビではないよねえ。
猛禽類の鳥って大きいねえ。
しばらく車の前を飛んでいる。
まるで、道案内してくれてるみたいで。うれしいな~。





鳥をお供に矢の原湿原まで。
日本で2番目に古い湿原帯で約280種類の樹木や山野草が自生しているそうです。
一周することもでき、春は水芭蕉がきれいだそう。
この周辺ではカスミソウの畑が広がっているそうです。
昭和村で栽培しているカスミソウが、一大生産地なんだそう。



1番古い湿原はどこだろう?
尾瀬かなあ。
一番広い湿原は、釧路湿原ですが、年代は同じくらいかもしれない。
でも、尾瀬は矢の原湿原より古いと思います。(たぶん)



さて、この湿原にもこんな伝説がありました。



★七尋泥鰌(ななひろどじょう)
「昔、この辺りには昼なお暗い自然の大密林だった。そのなかに水を一杯に湛え銀色の
沼が静かに寂しく光っていた。沼の主は、七尋(約12m)もある大きな泥鰌(どじょう)が
住んでいた。沼の中には4m四方位の底なしの井戸があり、また一山隔てた小矢の原の密林
に隣村へ通じる一本道がある。
その道側に手杵に赤い帽子を被せ掘へ浮かせたら明日の朝、矢の原湿原へ浮かんだ。
また明日は泥鰌掘へ浮き、今もこの沼には泥鰌がたくさん住んでいる。
※小矢ノ原、底無し井戸、泥鰌掘は、地名として残っている。」

泥鰌はいねが~・・・
なんとなく、大きな沼からぽこぽこと音が聞こえてきそうな雰囲気ですけど。
しばらく歩くと家族連れの賑やかな声。





それが「代官清水」という。
みなさん、ここの清水がおいしいというので、飲んでみた。
冷たくて美味しい~!



もうひとつ奥に「源兵衛清水」があります。





8万年前ってどんな地球だったの?
地球年表によると、約10万年前~1万年前は、
現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て世界各地に拡がった。





8万1000年前 地球温暖化に伴う海面の急速な上昇が起こっていた。
国際研究グループが、気候変動に伴う氷床の拡大、
縮小は今まで考えられていたよりも急速に起きる可能性があると発表した。



ふ~ん。。。古すぎてイメージわかない。



からむし(苧)織り--------------------------------------------

さて、あっという間に夕方に。
雨がぽつぽつと降ってきた。



自然を満喫した後は、道の駅「からむし織の里しょうわ」へ。
もうほとんど人がいない中、ちょっと足早に観賞。



日本から古く用いられていた自然繊維の一つで、からむしとは、
青苧(あおそ)とよばれる植物。
とっても肌さわりがよくて、夏の衣類などに用いられています。
薄くて気持ちがいい。
繊細な高級品となっています。



起源は古く3世紀には、三国志の「魏志倭人伝」に記述がみられ、
江戸時代には栽培方法が記されています。
戦前では日本中で行われていたのですが、最上、米沢、会津が主要な産地でしたが、
戦後、急激に減少し、今では奥会津の昭和村などごくわずかだそう。





「苧麻(ラミー)は、古くから「からむし」または「まお」等と呼ばれていました。
福井県の遺跡からは縄文初期のものも発見されており、
特に弥生時代には現在でも再現が難しい高度な織物が作られていたことが、
遺跡の出土品からも知られています。
万葉集や日本書紀にも多くの歌や記証があり、
正倉院に収蔵されている当時の衣料品をみても、
皇族から庶民に至るまで広い階層に使用されていたことがわかります。
最近では衣料品に加え、ファッション素材・インテリア等生活に深く浸透し、
広範囲に利用されています。
また、現在、伝統的工芸品に指定されている小千谷縮(おぢやちぢみ)、
近江上布、宮古上布、八重山上布などは上布(じょうふ)と呼ばれ、
各県、各地で「村おこし」「町おこし」の主役となっているものがありますが、
これらは苧麻の織物です。」


※日本麻紡績協会より
http://www.asabo.jp/ramie.html#ramie-4

最初にビデオをみるのですが、からむしが焼畑のように、多年草であり、
先に出た芽を焼くと共に、根を刺激して一斉に発芽させるための「からむし焼き」
が行われていました。
手間をかけて仕上がるからむし織を、機織姫たちが伝承しているのですね。

会津らしいといいますか、冬の厳しい寒さが、強い糸に仕上がるそうです。
会津の女性たちも辛抱強い感じがします。

興味がある方は、ぜひ訪れてほしい場所なんですけど、
展示の中で、気になることを見つけてしまった。
純粋に会津を楽しみたいのだが、視点がそこにいくのよね。
もう病的だわ。笑

ちょっと話がずれますが、会津探訪は私にとっては「水」
だったことを考えると、やっぱり水は龍神なんだな、と思うこと。

グルジアとからむし------------------------------------

からむし織は、ロシアにも伝授されていました。
明治28年、五十嵐善作とハツという夫婦により、ロシアのグルジアに向かい、
3年間からむし織りを製作し、栽培管理を行っていたそうです。
黒海から吹く湿った暖かい風により、高温多湿にあるからむし織が、
向いていたのかどうか、ロシア領にあったグルジアで受けいれられることに。
そこには農園があり、茶の調査団として上海と日本へきていたロシアの教授らが、
茶の農場を作るための苗を購入し、計画したそうです。
他にも、ミカンや柿、漆なども。



2列目の右から2番目、椅子に座っている方が五十嵐さんです。

この写真に歴史を感じます…。
グルジアとは、英名でジョージアといいます。
不思議な縁だと思うのです。
日本のからむしが、グルジアへ。
他にも苧は世界の地域で受け継がれている?ようですが、
なぜ、グルジア?という歴史に何かを感じてしまう。

カフカス地域なのですが、金属精錬の発祥地でもある。
なにかと、古~い古い時代を感じるグルジアの人たちと思うと、
今でもこのからむし織が、グルジアで生きている?ということが。
今も継承されていればね、すごいことなんじゃないかな。

すべては偶然ではない、と思うと。。。

龍退治のグルジア-----------------------------------------

グルジアは、龍退治をした人物がからむ。
そう、ジョージアの語源由来はグルジアで、古代ギリシャ語では、
ゲオルギオスという。「大地で働く」の意味。
この聖ゲオルギオスが龍を退治した人として描かれるのですが、
この伝承は、11世紀頃からグルジア(コーカサス)で生まれた話なのです。
それから、教会は先住民の聖地に建てられ、日本でいえばエミシ征伐の駒形神社など、
車輪のエゼキエルやミカエルの剣が、龍退治の象徴となっていく。
エミシ征伐が活発になった時代や源平合戦と重なる。


(※グルジアの国章:龍退治をしている聖ゲオルギオスが描かれている。)

でも、もしかしたら、龍退治の話は、日本のヤマタノオロチの方が古い
となれば、日本が発祥にもなる。


(※中世のグルジアで描かれたイコン)

龍を退治する意味は、異教徒の排除の意味があり、
キリスト教へ人々を改宗するための目的があった。
そして、稲やシダ類など、かなりの多くの植物は史前帰化植物で、
外来種である。苧も帰化植物との説もあるが、
日本の歴史の場合の龍退治とは、はるか昔、古来から育てられた植物から、
稲に転換された精霊(シャーマニズム)の排除も考えられる。
なので縄文人が稲作を拒否したということは言えると思う。
稲のエネルギーというものが、単なる植物ではなく細胞を変えるほどの力があるから。
稗や粟などを食べていた時代の方が、ずっと人々が平和であったという事。


(※ラファエロの絵:ヤマタノオロチでいうならば聖ゲオルギオスはスサノオで、
側でお祈りしている女性は、クシナダヒメ。イエスとマリアの意味もある)

上手く説明できないけれど、麻やからむしなどの植物は、
不思議な力を宿していると感じます。
その波動というかエネルギーというのは、水なのかもしれない。
それを龍とよび「ヲ」と昔の人はよんだのではないかな。
ヲという言霊。

尾も「オ」というオとヲは対になる。
しっぽの尾ですね。
龍と繋げるならば・・・。

それで苧のエネルギーは生きたまま、グルジアへ運ばれ、
伝授され土に眠る。
退治された所へ。
平和に考えて、苧はグルジアへ行ったのだなあ。
なんてことを考えると、植物も生きていると思う。
意思をもって。
グルジアと苧が繋がった意味は、深いものがあると思います。

ちなみに、ジョージアの国旗。



十字だね。これがイギリスの国旗のルーツになっている。
ジョージブッシュとか、ジョージの由来も聖ゲオルギオスからきている。
その聖ゲオルギオスは、ヤマタノオロチと同じ内容の伝説になっていて、
生贄の娘を助けることや、またそれが牛であるということも=スサノオ。
虚空蔵菩薩も牛だから、龍退治の話が会津にもたらされていた。

会津で水を強く感じるのは、龍気といった水の存在があるのだな、
と気づかされる。

そうなると、瀬織津姫は、まさに水の織物をする龍ですね!
この後は、宿へ帰るのですが、前回書いた成法寺観音堂へ立ち寄ることに。
虚空蔵菩薩と空海と8。
そして、次の日、瀧神社に行くことになるのです。
やっぱり会津は龍の気が生きているのだね~。

続く~。
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あいづめぐり:虚空蔵菩薩

2016-09-21 | 東北地方の伝説(福島県)
観音様の後は、虚空蔵菩薩。
会津柳津といったら、虚空蔵菩薩堂が有名です。
日本三大虚空蔵菩薩のひとつ。
登米にも柳津虚空蔵菩薩がありますが、「会津柳津」の虚空蔵菩薩の方。





崖の上に立っているので、遠くからみるとちょっと京都の清水寺っぽい。
奥の院がどこにあるか、わからなかったけど。



★赤べこの伝説
今から400年前の話。
会津地方で大地震が起こり、柳津町の福満虚空蔵菩薩寺も尊大な被害を受けました。
これにより、園蔵寺を大きな大きな岩の上に再建することになりました。
しかし、工事にあたっては機械などもなかったため、大きな材木を運ぶのに
人々は大変困りはてました。
すると、どこからともなく赤牛の群れが現れて材木を運び手伝い、
見事にお寺は完成されたのです。
その「赤牛」の力強さにあやかり、今は会津を代表する郷土玩具「赤べこ」
となって、幸せを運ぶ牛、子供の守り神として多くの人に愛されています。



赤べこがナマハゲみたいな伝承で。
赤べこは頭がたれますよね。
日本人も頭をたれますね。
ありがとう、すみません、よろしくお願いします。
なんでも 頭を下げる日本人。
に、赤べこが似ている。な~んて。


龍の彫刻もすごい。

話がちょっと飛びまして、柳津の虚空蔵菩薩様と関係しているお寺が、
もうひとつありました。

宿泊する宿へ行く途中に、昭和村へたちよるため、
只見川沿いの252号線をはずれて昭和村へ向かい、ぐる~と401号の峠ルートから
289号線を通り、只見まで行ったわけです。
けっこうな寄り道・・・。
ところで、只見川の由来は、「ただ見て通れ」からだそう。
ほんとけ?
それほど、川の氾濫が激しかったようです。





で、その289号線の途中に大きな岩がみえまして、結構目立っていました。
通り過ぎた時に、「文化財」という文字が。
しかも「国の」。
気になる~。わざわざUターンして行ってみた…。
そのお寺が、成法寺観音堂 (じょうほうじ)。

梁取の由来と史跡------------------------------------------

「梁取という地名は、弘法大師(空海)が虚空蔵様を祀るため、
当地と柳津とを8回往復されたことから「八戻り(やもどり)」とよばれ、
その名がついたと伝えられます。
当地には、国指定重要文化財の成法寺観音堂があり、堂内には福島県指定重要文化財の
木造聖観音菩薩坐像が安置されています。
背後にそびえる要害山の中腹には、虚空蔵堂があり、虚空蔵菩薩様が祀られています。
その山頂に、梁取要害山城跡があり、当地では亀ヶ城とよばれています。
東方1キロの地にある梁取館跡を鶴ケ城とよび、このふたつの城を兄弟城と称していました。
梁取は、古の歴史と文化をいまに伝える聖地です。」



鎌倉時代に建立されたとされますが、現在の建物は16世紀に再建されたものと考えられています。
中世の仏堂建築を知る上で貴重な建物で、和唐折衷の様式を持ち、
国の重要文化財に登録されています。
中に安置されている聖観音菩薩坐像は福島県の重要文化財に登録され、
応長元年(1311年)の作と伝えられ、鎌倉時代末期の只見地方の仏教文化を象徴する
仏像といわれています。
現在住職不在のため、お盆の時期のみ御開帳されます。
(奥会津歳時記の郷より)



空海の伝承では、ここから柳津の虚空蔵菩薩まで8回往復お参りしたという。
8という数字は、ゲマトリアというヘブライ数秘術でイエスキリストのことだそう。
ヘット(chet)で、nのようなマーク。
ヘットがヘクト(hecto)にならないかなあ。百という意味。
完全を求めていた空海ならば。
そういえば、空海の高野山もユダヤのマークがありましたね。
六芒星でしたっけ?忘れた。
イエスキリストかイナンナを降ろしてきた岩だったりして。
宗教もひとつから生まれていますし。
たどっていくと、結局は、ひとつに戻る感じですよね。
それが、空海でいうと空という無になるということでしょうか。
むずかしい~。



古代のことを考えると、このあたりにある御神楽岳と博士山が気になる。
四代将軍の大彦命の話。
会津といったら、「相合わさる土地」
父子が出会ったという単純な話ではなく、もっと深い意味で、
別の氏族や宗教も含めて権力者同志が出会い、統合して参りましょう。
といった意味があると思う。
腰に刀を佩かせ(博士山)、峰々を越えて日本海から会津へ、いざなう。
その統合を目指していた一人に、大彦命という人がいたのです。



御神楽岳は、
「古くから信仰の対象とされてきた山で、福島県会津美里町の伊佐須美神社縁起では、
紀元前88年(崇神天皇10年)、四道将軍大毘古命と建沼河別命の親子が蝦夷を
平定するため北陸道と東海道に派遣された折、出会った土地を「会津」と名付け、
天津岳山頂に国土開拓の祖神として諾冉二神を祀ったのが起源といい、
のちにこの山を御神楽岳と号したという。
その後、山頂に鎮座していた神社は博士山・明神ヶ岳を経て、現在の会津美里町に遷座された。」






だから、「要害山」なんだと思います。
これが、只見にもありました。
山形県寒河江にある出羽三山神社にも要害神社がありますし、全国にあります。
「空海が唱えていると口の中に金星(明けの明星)が入った」話があり、
金星を信仰していたようです。
なんとなく聖徳太子のようで、空海はルシファーになったと言っているようなものです。
以前、岩手のアラハバキ大石の神社へ行った時にも想像していたアトランティスとムーの関係。
空海はアトランティスとムーのことを知っていた感じ。
牛と金星。
虚空蔵菩薩は鬼門の意味もあるそうですが、
岩場に虚空蔵菩薩を置くことが定説のよう。
洞窟であの世と交信していた?


(柳津の牛)

------------------------------------------------------
虚空蔵菩薩は「明の明星」の化身なので、金星です。
「虚空の母胎」という意味があるそうで、「空」だから空の宙。
空海の空の海とは宇宙のことで、無の根源まで近づいた人なんだと思う。
自由に宇宙へ行き来していたのだな。

ルシファーならば、666の箱をあけてはならない。
といった封じ方もあったのかなあ。
思い出すのが、秩父浅間神社の弟富士山に祀られている虚空蔵菩薩様です。
鍵で頑丈に閉じられている。


(秩父浅間神社の虚空像大菩薩)

成法寺の岩場にある虚空蔵菩薩は、柳津よりは古い感じがしました。
と、行っても岩場まで登っていないので、雰囲気がわかりませんけど。
柳津の虚空蔵菩薩堂の中へ入ると、将軍が描かれた大きな絵が2枚ほど飾られていました。
刀を手にもち、中国人貴族のような衣装をまとった姿。
私は、ふっとインド系?のアーリア人のことを思った。


(柳津虚空像菩薩堂からの眺め)

白人よりはインド系のアーリア人のイメージ。
立派な刀をさして、派手な明るい衣装をまとい、踊るマハラジャのような
迫力あるインド人を想像してしまう。して、やたらと踊る。。。
もしかしたら、空海は中国へ留学していたけれど、インドからの影響を受けている
ような気もするのです。



インド・ヨーロッパ語族に属する言葉を使う民族全般の祖のことをアーリア人といいますが、
古い時代、世界に縄文人が住んでいたのですが、アーリア人の入植により、
農耕や産鉄の技術が広まりました。
アーリア人はインダス文明のモヘンジョダロを滅亡に追いやったといわれますが、
王制がない庶民的な人たちだった話もある。
中国大陸へ渡り、騎馬民族と同化して王制になったアーリア人が日本へ渡った
こともあると思います。
でも、カースト制度というイメージが強くて、いまいちアーリア人がよくわからない。

さきたま古墳群の埋葬は、騎馬民族の特徴があり、メソポタミア文明に似た
装飾文様の遺品が見つかっている。
メソポタミア文明は、シュメール人が築いたといわれ、
稲荷山古墳出土の鉄剣には、ワカタケル王の文字がありますが、
大彦命だといわれています。
一概にいえませんが、それによってさきたま古墳のような巨大古墳や軍事、
馬の生産などが発展したと思います。
シュメール人はアーリア人よりも、ずっと古いです。

また、アーリア人は牛を信仰していました。
牛を神聖化している人たちは、龍信仰をしていた縄文人と日本で出会うのです。
空海の祈りは、牛(アトランティス)と龍(ムーかレムリア)の和を考えた祈りだったと感じる。
文明を築いた技術を優先する時代か、自然を糧とした人類の繁栄を目指す時代か。
迷った時期だったと思う。
どちらも受け入れればよかったのですが、前者が選ばれた。
人は技術を目指してどんどん新しいものを開拓するようになる。
平野に住んでいた先住民は、山へ逃れ洞窟で生活するようになる。
そこに住んでいる人たちを「要害」とよんで、境界を引いていたわけです。

要害というのは、城がおかれる場合が多いのですが、
意味として、たいせつなこと。要点。ぬま。
神武紀には、「賊虜(あだども)の拠(を)る所は皆是要害の地(ところ)なり」
天武紀には、「機(はかりこと)の要害を宣示(のたまひしめ)して先づ当郡の兵を発せ」
とあるので、元々山賊のような人たちがいたことも示している。

そのような場所であったと考えると、空海も大彦命などの開拓があった場所に、
虚空蔵様をたてたのかも?と思う。
空海の弟子かもしれないけど。

この「要害」をこの後も目にすることになるとは、思いませんでした。
只見町で、いろいろと思う中に、セオリツヒメという水のケガレを祓い、
荒神を信仰していた場所であったことが印象に残っています。
それが一番の気づきだったかな。
詳しくは、後ほど。

四大文明の発展の中に、稲作があるのですが世界にこのような文明が広がった時、
縄文人は狩猟をしていました。
稲をもたらした伝説の多くは、四大文明を気づいた人たちが深く関係しています。
しかし、日本列島では長い間、狩猟を中心にした縄文文明が栄えていたのです。
その後、アーリア人のような民族が日本へ渡り、開拓を行ったのではないか?
と思うのですが、アーリア人が残虐な人々だったという説がある。

たぶん、悪いアーリア人が白人至上主義になったと思う…。
白に悪が入ると黒になる。
はっきりとした善悪が生まれるが、アジア人はその中間のグレーにいる。

ずっと前に、白人至上主義の映画「アメリカンヒストリーX」を見たことがあります。
若者が白人主義を掲げて闘争するんですけど、なんか、切なくなってくるね。
仲良い兄弟の兄が逮捕されて刑務中に、黒人の縄張りに翻弄されます。
そこでようやく気づく。
肌の色の差別とか争うことに何の意味もないと。
兄は白人至上主義の仲間から外れるのですが、
弟はすでに兄の洗脳を受けていて、兄は弟に気づかせようとし、
ようやく光が見えてきたところで、弟は黒人に殺されてしまいました。



どうしてこうなるのかなあ。という感想でしかない。
けれど、みんな、過去に経験している事でもあり…。
なので、何度も生まれ変わりながら、学びつつようやくわかってきた感じ。
ようやく、私は。
やっぱり人間は未熟で危険だから、シュメール人が宇宙人な人間を
コントロールしてきたのは、仕方ないとも思ってしまう・・・。

観音様の像が印象的でした。(写真)
落ちそうになっている人を、しっかりつかんでくれている。
何かに守られて生きていることを、忘れないことですね。

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ということで、なぜか、アーリア人が気になったのですが、
奥会津にいくなら、一度は立ち寄ってみたかった昭和村へ。
まだまだ会津の妄想は、続く~。
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あいづめぐり:立木観音堂

2016-09-19 | 東北地方の伝説(福島県)
秋雨前線でずっと雨。
それに台風も近づいている。
というのに、奥会津へ行ってきた!
本当は、夏のお盆休みに行く予定で宿の予約もとっていたのだけど、
台風上陸のうえ、義父の急変でキャンセル。

あれから会津行きはあきらめていたのだけど、
義父が良くなったので、リベンジ!
どうしても只見に行きたい!という主人の希望についていく感じで、
行きあたりばったりの、のほほ~ん会津探訪してきました。



仙台~福島市内~吾妻連峰を眺めながら磐梯山の方へ向かう。
猪苗代湖の周辺を通り、只見川沿いの道である252号線をひた走る。
川沿いを走るって気持ちいい。(天気がよければ…)
最上川もよいが、只見川もすごく良かった。



とにかく只見までが遠いのなんのって。
奥会津というだけあって、遠いのよ~。
ほんとに秘境。でも、どこか奥秩父の栃本みたいな感じだし、
長野の鬼無里みたいな感じもあり、秘境ってどこもこんな風景だなあ。と思うが、
奥会津の集落は、広々としていて温かみがある。
屋根の多くが水色と赤色。雪が深い所なので屋根に特徴あります。
会津の版画家、斎藤清さんの絵が浮かぶ。
そんな豊かな会津を感じましたが、この豊さは、貧しさを感じないところに
会津信仰という生きる力にあると感じます。
信州の歴史と繋がっている道があるからだと思うのです。
一言で、「火焔土器ルート」です。天栄村も近いしね。
やっぱり縄文の聖地なのです。会津も。



さて、いつもプチ旅の後に感じること。
今回の会津の目的というか、何を得るための旅だったのだろう?と思います。
ずばり、雨が多い日もあって、水、水、水だった。
水ばかり飲んでいた。
なんせ、天然の炭酸水まであるのだよ!(苦手なんだけど)
名水といわれる場所が非常に多い。只見だけでも数多くの名水を集めているようで、
山や森にいけば、湧水に出会うことが多かった。

そして、なぜか、虚空蔵菩薩だし、セオリツヒメを祀る神社もあった。
水ばかりの会津。
そういうことで、会津の最初に出会ったのが、巨大な千手観音像という話。





※餅井戸清水:国道252号の蒲生橋近くにあり、村一番の銘水とのこと。
近くに岩がありました。

立木千手観音像------------------------------------

会津坂下へ向かっている途中に、「重要文化財」という文字が目に入った。
なんの文化財なんだろう?と思って途中下車してみました。



それは、8.5mもある大きな千手観音様。
私は観音様の中で、千手観音様が一番好きです。
宮城県斗蔵山にある千手観音様を一目ぼれしてから、好きになってしまった。
そんな千手観音様が、こんなに巨大とはっ!

こんな看板の説明がありました。
このタイトルにもなっている「あいづめぐり」
観音霊場が、女性のためであるということ。

「会津めぐり、その起こりは古く定かではないが、会津めぐり又は
観音様参りといえば、三十三観音参詣を指し、一度はお観音様参りは
すべきだと言われ、わが郷土会津では善男善女の信仰の的であり、
今日も脈々として続く誠に深い信仰である。
~(省略)
各家庭で迎えた妻(嫁)が主婦の座につくそれまでには、広く社会を見聞し、
会津をことごとく知ることが必要であった。
観音様の巡拝のかたわらに、足と目と耳で会津の森羅万象を確認しなければ
ならなかったのである。
作物の栽培の仕方、家の造り、風俗習慣、人情の機微、時間と金の大切さを知り、
我家に長所を取りいれ短所を捨て、足をひきずりながら遠く我家を想う近隣を想う。
時に知る仏の恵と恩、地の恵、このような心くばりから、
自分の心が豊にあり、家を豊にし、村を豊にし、会津全体を豊にした
すばらしい主婦の誕生である。」


「耶麻郡の九観音の札所は九品浄土を、
河沼郡五観音札所は、五智如来を、
北会津西部三観音札所は、身口意の三業の清浄を念じ、
北部六観音札所は六道輪ね六道解脱を念じ、
大沼郡十観音札所は十善戒を守る」といわれている。」




あわせて三十三観音。

-------------------------------------------------------------

主婦の誕生…
会津信仰は主婦たちによって広がったものといえる。
大変だったと思うけど。
観音霊場が盛んな所は、女性によって広められたと言えます。

「会津を知るには、まずここに寄りなさい。」
という千手観音様の言葉。
女性のためであることが、豊かになる証拠。
だから会津は豊かだな~と感じたのです。



鰐口(わにぐち)-----------------------------------

大沼郡金山町名入(只見川の上流にある村)の名主五十嵐吉兵衛殿が、
伊勢参拝に出発にさいし道中の無事を一夜おこもりして祈願され出発。
無事お伊勢参拝がすんだので、金毘羅宮に参るべく桑名から渡し船で向かう
折龍魚の難にあわれた其の折に当山立木千手観音を念じ、後利益をえて奉納されたもの。

※櫛の奉納・・・苦しみや病気などの精神的な苦しみ、死への恐怖などを
和らげるために奉納されている。黒髪の奉納は、女性の真心の奉納で切なる心願である。


狐石-----------------------------------
この水は、250年前に地下10mまで井戸が掘られ、
現在でも安心して呑むことのできる天然水です。
この大きな手洗石鉢は、「狐石」といい、河沼郡不思議石の一つで、
只見川の川岸近くの和泉集落にあり、よく狐を集めた石といわれ、
七折峠の山坂道を約10キロ程経て、多数の信者の力により当山に寄進されたものです。




ところで、この寺社の由縁は、空海説と徳一の説がある。
鎌倉初期の作。
いや~、私は徳一という方を知りませんでした。
会津では慧日寺を建立した方として有名ですが、空海と最澄と同じ時代を過ごしていた
立派なお坊さんなのですが、空海は徳一を信頼していた?と思うのです。(徳一の方が
年上)手紙を書くなどして、徳一は空海に対していろいろと意見をしていた方だったようです。
最澄は、東北地方へ天台宗を広めるつもりだったけど、
徳一がすでに東北地方では権力があったと思います。

だけど、ほとんど名前が知られていない。
徳一は、藤原不比等の系統。
だから?このへんはよくわかりませんね。


絵心あるパンフレット

「大同3年(808年)一木彫で日本で最大の8.5mの観音様ですが、
立木というのは、今でも根株が仏像と続いている一木であることから。
一本の木の芯を止め、枝を払い、皮をはぎ、根のあるままに彫刻されたものです。
また、だきつき柱もあり、この柱にだきついて心願すると願いが叶い、
「ころり観音」ともよばれ、老人の後生安楽になるという。」

しっかりハグしてきましたよ~。

撮影禁止なので、ポスターでどれだけ大きいかUPしてみました。


※右下に人がいるのが、わかりますか?


左下の女性がいますが、ほんとに見上げるようになります。
二十八部衆も迫力あって、皆、大きい彫刻なんです!

「日本に仏教が伝わったとされた(五三八年)以前今から一千年以上も昔中国から
青岩(せいがん)と言うえらい偉いお坊さんが仏教を伝える地を求めて会津にやって来ました。
青岩は会津坂下町のある山を理想の場所として寺を建て
「(せきとうざん)石塔山恵隆寺(えりゅうじ)」と名づけましたが、
山のふもとの村人たちは、高い所に寺が建ったのでたかてら高寺と言い、
いつしか山の名前が高寺山となりました。
その後、この寺は非常に繁栄し、高寺山には立派な七堂伽藍が建ちならび並び、
山の所々に三十六坊舎を建てお坊さんの数は数千名にもなったそうです。
その後、徳一の開いた恵日寺と勢力争いが始まり、ついに戦火を交えることとなりました。
結果高寺山は敗れ建物は全部焼かれ、ほとんどのお坊さんは戦死または逃げてしまい、
今は何一つ寺の跡は残っていません。
三十六坊の中には、その後寺としてどくりつ独立し新たに建てられたのが二十ほどあります。
高寺の昔の面影はなくなってしまいましたが、村々に伝わるふしぎ不思議な歌があります。

「立てば前 座ればうしろ山吹の黄金千杯 朱千杯 三つ葉うつぎのしたにある。」


804年に恵隆寺が焼失して再興するのですが、利仁と空海、坂上田村麻呂が協力する
とあり、空海と坂上田村麻呂の創建がからんでいる話から、古くから修験の聖地であったのですが、
それには砂金がとれた所だと思うのです。

金の話-------------------------------------------------

「昔、朱はたいそう喜ばれ黄金同様貴重品でした。寺がほろ滅びる時ひそかに宝を埋め、
そこに目じるしとして三ツ葉のうつぎを植えたらしい。
その話は、まんざらウソではないらしく、明治の末のほんとの話で、村人が馬をに逃がしてしまい、
馬は高寺山に逃げこんだらしく、方々かけめぐってやっとつかまえた時、
馬の片足が血だらけでした。
小川できれいに洗い傷口をさがしましたが見あたらず、
血ではなく朱に間違いないと村人はおもいました。その話を聞きつけ、
何人もの人々が黄金を求めて高寺山に入り三つ葉のうつぎを探しに来ましたが、
まだ見つかっていないそうです。 おしまい

伝説ですがこの話しが本当であれば、奈良京都より早くこの会津の地に
仏教が伝わったことになります。」


※立木観音のサイトより
http://www.aizu-reichi.gr.jp/tatiki/index.html

三ツ葉のうつぎは、埋蔵金伝説の話によくあります。
みつわうつぎは、湿めっている所や谷などに咲くので、
砂金と清水の関係から、ウツギ(空木)が鉱山に咲く植物の象徴になっている
かもしれません。
シダ類もそうですが、植物を医学として考えていた薬草にも通じる話なんですね。


※みつわうつぎ

小金塔(こきんとう)
会津風土記(寛文6年ー1666年)の記述によると、その昔、
恵隆寺立木千住観音堂の現境内地に、小さなまばゆいばかりの塔があったと書かれている。
このことにより、昭和57年の調査で礎石が発見され、
方形に塔の4隅の土台石として正方形に発掘された。
寺に継承されてきた御仏も、昔をしのぶ御姿に大補修され、
発掘された4個の大石を4隅に配し再建して今日を迎えた。




会津には古刹といわれる古いお寺が多いです。
このまま只見へ進むと、会津柳津へ。
なつかし~い。
博士山に登ったことあるのですが、どの山だったか全然覚えてない。曇っているし。
ただ、志津倉山登山口の看板はみえましたが・・・また登りたいな~。

さて、続けて虚空蔵菩薩様と聖観音様に出会うことになるとは、思わなんだ~。
これも、また何かの導きで?
まだまだ会津探訪は続く~。
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CERNとリニアコライダー

2016-09-16 | 日記・エッセイ・コラム
どうなのかなあ。
どうなのかなあ。

どーでもよいと思いつつ、もちろん、こんなこと賛同しないし、
よく「思考は現実化する」というけど、私は一度もこんなものを
望んだことない!と思うのだけど、過去に望んでいたのかもしれないよね…
自分はそうではない。とは言えない。
こんな世の中をさっさと終わりにして、別の世界へ移住しようと思っても、
「飛ぶ鳥跡を濁さず」でなくて、後を濁していたら、戻ってきてしまいます。
ちゃんとそのことを終わりにして、片づけて、きれいに掃除をしてからでないと、上にいけない。

こういうのを望んでいる人間が、圧倒的に多いというのではなく、
このような者を作る人の思考が、異常なんだろうね。

しっかし、よくこんなものを作ったね~~・・・。

信じるか信じないかは、あなた次第です。
という話になりますが。
私は好奇心が旺盛すぎるので、こういう記事を見つけてしまう。
なので、興味で書いてますが、気持ち悪い話でもある。

リニアコライダーは、実際、ぼう大な額が誰かの懐に入るんでしょうけど、
とりあえず、穴はあけてそれらしいことを見せておいて、実際は、
全く違うことを考えていないかなあ。という素人意見。

もしかしたら、全くのウソなのに、こんな情報を流していて、
実は、水面下で全然違う動きをしています。
ということもあり得るかもねえ・・・。
目的がわからないけど。

SWI(スイス)の情報

「次世代加速器ILC、CERNを通り越し日本で建設か?」
http://www.swissinfo.ch/jpn/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6_%E6%AC%A1%E4%B8%96%E4%BB%A3%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%99%A8ilc-cern%E3%82%92%E9%80%9A%E3%82%8A%E8%B6%8A%E3%81%97%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E5%BB%BA%E8%A8%AD%E3%81%8B-/37012822「新しい加速器がここで建設される見込みは絶望的だ」と、
CERNのジェネラルディレクター、ロルフ・ディーター・ホイエルさんは語る。
「我々はLHCで手一杯だ。ILCを妥当な期限内に建設出来る国は一つしかない。日本だ」。
日本政府は十分な資金を集めるつもりだが、
見積もり費用は80億フラン(約8700億円)にも上る。

日本の候補地には東北の北上山地が挙がっている。
他にはドイツ、ロシア、米国が候補にある。最終決定が下されるのは2015年。
次世代加速器の運営がどのような団体に任されるのかもまだ分からない。
ホイエルさんは言う。「一つだけ確かなことがある。
それは、運営団体は国際的、または世界的な団体だけに限られるということだ」

※LHCとは、大型ハドロン衝突型加速器のこと。
CERNとは、欧州原子核研究機構のこと。

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いっとき、武甲山が核廃棄物処分場になりそうだ、という噂を聞いて、
あれから何でもないけど。
武甲山も空洞があってトンネルがあるうえ、石灰石の岩盤が強い。
そこに棄ててしまえ、という発想。
結局、私たちは、何も知らないし、知らされてもない。

北上山地もそんな運命をたどるの?
こんな私みたいな素人に疑われるのも仕方ないよな。
もう、信用できないし。

地底に住んでしまおう、とか。
もう既に別次元ができていて、自分等は、その世界に行きます。
という発想かなあ。

もうすでに忘れかけてる事件ですが、
オウム真理教がありましたね。
優秀な科学者並みの頭良さそうな人を集めていたけど、
発想が普通ではないし、幼稚というか現実味がなく生きているような人が、
世界にはたくさんいるのだな。。。

とりあえず、本当に北上に建設しようとしている??
リニアコライダーの技術は、LHCを超えたものである??
らしいので、妄想するに、北上山地に行ったら、神隠しな事になってもおかしくない??

ということで、本能を鍛えるしかね~な。
動物的な本能で、避けるしかないよなあ。
万一、大津波が再びやってきても、本能的に助かる知恵をもらおう。
だれに?って感じですけど。

チェルノブイリの楽園など、動物は人間とは違うことをみせてくれました。
これは、私たちに見せられている教訓ですね。
ですが、人間はいない方がよい。という考えをしている人たちが、
リニアコライダーを考えたり、火星移住を考えたりするのだと思う。

違うのにね。
皆、地球を選んで生まれているのだから、なんの得があってそんなことをするのか、
全然わからない。
ということで、私は案外、この世界では生きにくい人間だったりする。
でも、どこかでそんな矛盾の中で生きていることも、ありかなあ、と思ったりもする。
そんな矛盾の中で、生きてる!感を味わいたくて、地球に来ているかも。

------------------------------------------------
「情報速報ドットコム」
「ネパール大地震発生時にCERNのLHCが稼働していたと話題に!
4月上旬にLHCが稼働してから災害が増加したとの指摘も!」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6339.html
ちょっと大げさな話かもしれないけど。。。

わかりづらい話だけど、ネパール大地震から何かが開いた感があって、
宇宙に繋がる出来事や、前世や、ソウルメイトや、いろいろと降ってきて、
また思い出すような感じになっていた。

でも、もしネパール大地震が、CERNの実験によるものだとしたら、
私の目覚め感は、ネパール大地震ではなく、CERNによる共振を受け、
共鳴してしまったことになるのだろうか???

スピ系の世界でアセンションというのが、わからないけど、
物質的につくられた器械からのアセンションとなったら、大変なことにならないかね?
間違った次元?
器械でつくる次元上昇ってなんだ??

浅川嘉富さんのサイトに興味深い話があります。
「CERN上空に異様な光景が出現」
http://www.y-asakawa.com/Message2016-3/16-message123.htm
youtubeでも何度か見たことがあるのですが、
CGってことはないよね??なんて思っていたんですけど。
ここの研究所の方が、消えちゃったそうだよ・・・。
そういや、こういう話を震災でも聞いたよね。
パラレルワールド。


※2009年12月、ノールウエー上空に出現した怪光  

自然を破壊して次元上昇するなど論外ですな。
正統なモノではない人工的に作られた別次元とは何?


※2016年6月24日 スイスの欧州原子核研究機構(CERN)
で秘密実験が行われた日に、大型ハドロン衝突加速器の上空に出現した怪しい雲と
光の不思議な現象。

------------------------------------------------
陰謀論説がたくさん出回っていますが、
こういった情報は、自分でどう処理するか。しかないと思います。
情報リテラシーのこと。
情報と識学。


うのみにする前に、自分の気持ちと符合する内容であるかどうか。
また、どう感じるか、また、どう受け止めるか。
その話が、自分にとって良い感覚を引き起こすものか?
そうでないなら、なぜ、嫌な気持ちになるのか?
嫌だからといって流さず、無視せず。
それについても向き合って考えなければ、本当に自分が望んでいることがわからないし、
たくさんの亡くなった方の遺志を、ついでいかねばならない。
特に東北地方はっ!

目をつぶるな。と言っている。

ただ、上に行くか、下に行くかは、自身が決めること。
アセンションというのは、そんな意味があり、自分で行きたいなら、
その世界へ行きなさい。という世界なんだと思う。
例えるなら、夢の方が現実世界です。ということ・・・。
理解できないかもしれないけど、そろそろ決める時期にあることは確かなようです。

ま、こんなこと考えてもキリがないのですが、
とりあえず、栗拾いでもして、栗ご飯食べて、考えよう~。
そろそろ、宮城県では大好きな亘理町名物の「はらこめし」の季節です。
楽しみだなあ~♪

やっぱり、私はへなちょこだ。笑
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空海も来ていた中国の雲隠寺

2016-09-10 | 神話・伝説
2005年の上海留学の時に、杭州へ旅をした時のこと。
懐かしい写真がでてきたので、眺めてました。
この頃は、デジカメなんぞなかったので、インスタントカメラだったのですが、現像していた時代。


(西湖)

特に、私は杭州が気に入ってしまい、
ここにずっと住んでもいいな、と思うくらい良い所でした。


(こういうのとか)


(こういうのとか。中国らしい。笑)


(雷峰夕照)

杭州では有名な西湖という巨大な湖があります。
西湖の南に「雷峰塔」があり975年に建築されたものが、
2002年に再建され、長いエスカレータになっていたのには、
これまた中国らしいなあと思うのでした・・・。



階段ならまだわかる。
エスカレータで参拝するのって、なんかいやだな…。
よくわからない伝承なのですが、この塔は、「千尺の浮図(仏陀のこと)
をπ(パイ?)で表していた。」
πを理解すれば天国にいけると??
ちなみに八角形の塔。


(1910年代の雷峰塔)

雷峰塔には、こんな伝説があります。
人と妖の恋愛話。白蛇の化身である女性と人間の男性が恋をする異類婚。

「四川省の峨媚山の上にある洞窟に住む白蛇の精、白娘子は、
お供の青蛇の精と共に、姫と下女の姿に変身し、西湖へ観光に行った。
そこで白娘子は、人間界に住む書生の許仙と出会い、彼と仲良くなる。
やがて、二人は夫婦となり幸せに暮らすが、金山寺の和尚・法海は、
白娘子の正体が人間ではないことに見抜き、彼女を雷峰塔へ閉じ込めてしまった。」


空海像のある霊隠寺----------------------------------------------------

留学時、仲良かった女子と二人で旅をしよう!となって悶々とした
留学生活を脱する勢いで、杭州を満喫してました。
京都のような雰囲気で、西湖は夕日がとても有名。ほんとにきれいでした。

杭州での旅は、不思議なことばかりだったので、
この杭州の旅で、前世の記憶が蘇ったようなものです。
何も計画もせず、いきあたりばったりの旅だったので、とっても面白かったです。

杭州は六和塔が有名なので観光してきたのですが、
霊隠寺については、どういう経緯で行ったのかあまり覚えていない。



雰囲気は、広大な山寺といった感じ。
でも奥まった深い山で、この頃は、まだ歴史に全く興味もなく、
スピリチャルにも何も目覚めていない時だったので、やばいとこ来ちゃったな~。
という怖い雰囲気だったのは覚えています。
やっぱ、中国の霊気って普通ではないです。

なので、何を見てきたか、ほとんど覚えてません。笑

それで、よくよく写真をみると、霊隠寺の空海像があった。
どこに空海がいるかわかります?



右にちょっと映っている金色の像。後ろ姿の上半身だけ。。。
この像が空海と知った経緯を、よく覚えていない。
前から見たわけでないし、後ろ姿のこれだけだもんな。
でも空海だ!と思ったから撮った写真なのです。
・・・不思議だね。

「霊隠寺」のサイトから写真を引用させて頂きました。
http://jp.lingyinsi.org/list_174.html
こちらが、空海で~す。



ネットで空海像をしみじみと眺めてみる。
イケメンですなあ。
ん~、しっかり見ておけばよかった~。笑
お顔が色っぽい空海様です。

804年、空海が中国へ仏法を学ぶ時、福建から杭州へ経る時、
霊隠寺へ来て参拝したそうです。
そのため、2002年に「中日国交正常化30周年」を記念して、
空海の像を建てたそうです。


(壁一面の彫刻:見ずらくてすみません)

そうだった、
私が留学した時は、日中友好30周年記念という、日本と中国にとっては良い年だったのです。

日本でよく弘法大師の清水とかって伝承があちこちありますけど、
中国となると別ね。本物だ!って思いますね。
そうなっちゃうね。
実際、ここに空海が来ていたんだな、と思います。

雲隠寺のHPは、日本語で充実してます。
実際、行ってきた感じに楽しめます。
興味ある人は、チェックしてみて下さい。

で、空海が来てしまうほどの霊隠寺は、ただもんじゃない。
ということで、こんな由縁がありました。

「霊隠寺は、328年に建てられ、
インドの僧侶、慧理(えり)が中原(中国古代史の舞台になった中国の北の地域)を行脚して後、
浙江に入り、霊隠山に登った時、飛来峰を見て、故郷のインドの山を思い出し、
「これはインドにある霊鷲山(りょうじゅせん)にそっくりだが、
いつごろここに飛来してきたのだろう。
お釈迦様がご存命であった頃は、多くの神霊たちがこの山にかくれ住んでいたものだ。」
と言いました。そこで、飛来峰の前で霊隠、霊山、霊峰、永福、下天竺と言う名の五つの寺を
建立しました(一説に、霊鷲、霊隠、霊山、霊峰、霊順)。
しかし、霊隠寺以外の四つの寺は廃仏のために壊されたか、他の建物となったか不明で、
結局その後、なくなってしまい、最後に霊隠寺だけが残リました。」
(昔は武林山とよばれていた。)

「慧理法師の言った「神霊たちが隠れ住んでいた」は、武林山と仏様を結びつけただけではなく、
趣きのある石と静かな洞窟という武林山の環境にも非常にふさわしかったので、
後の人は、この一帯を霊隠と呼ぶようになりました。」




このお寺には、たくさんの猿がいたそうです。
ここは洞窟がたくさんあり、青林洞や玉乳洞、竜こう洞、呼猿洞などがある。
青林洞は、飛来峰が石灰岩でできており、
山頂まで5代~元代までの石像が300余り散在する。
山の上の方まで奈良の大仏様並みの大きい大仏様が、建立されています。

ある伝承では、インドの僧侶慧理は、白い猿を飼っていたそうです。
この猿は人と交流でき、人慣れした活発な猿だったようで、
黒い猿と白い猿がいたという。
なので、呼猿洞とよばれる洞窟があるのです。



白猿についてサイトの逸話によると、

「当時の人々は白黒の猿の出現を不思議に思っていました。
また、慧理法師が呼猿洞から呼び出した黒と白の2匹の猿であると主張する人もいました。
しかし、慧理法師が開山し、寺院を建立した頃から清の順治まで、
既に1300年余り経っていますから、もし本当にそうであったら、
二匹の猿の寿命は極端に長くて不自然です。

ただし、古くから霊隠山に猿がいたことは事実であり、
またその猿の一番早い飼い主は慧理大師であったことは確かです。
慧理大師はこの高くそびえている霊隠寺の開山者であるとともに、
霊隠の谷間に「猿鳴(えんめい)」という景観をも作り上げたのでした。」


猿が未知との遭遇みたいだし、
洞窟が多いから、宇宙人が出入りしてたかもしれないし。

白と黒の伝承は、福島県の霊山とも似ている。
白い狼と黒い虎の話。
霊山も奇岩だし、霊隠寺っぽいなあ。

五行説で考えると、白色は金で(申・酉)、黒色は水(亥・子)。
金から水へ流れる場所だったと考えると、清水が湧き出る所。
地下水とか。
であれば、空海が訪れる理由もわかります。

結局、霊とは何を意味するのでしょうね。
何が隠れているのでしょうね。
洞窟の数の多さも謎。
いろいろと妄想してしまいます。
とかく、中国はスケールが大きい。
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オナカマという巫女

2016-09-08 | 日記・エッセイ・コラム
お盆後の話ですが、橋姫伝説があった広瀬川のほとりに、
十八夜観音堂があります。
愛姫(橋姫)は、人柱になる時、
「断食して根岸観音(十八夜観音)にお籠りする」という話になっていました。

十八夜というのは、八十八夜というのとは違うのでしょうか?
調べてみてもよくわからないのですが、「十八夜」という神がいるようだ。
山形県にも十八夜観音堂があり日月信仰と関係し、
「オナカマサマ」という巫女が祈祷をしていたとありました。

東北地方には、オナカマサマとよぶ人たちがいる。
オコナイサマやオシラサマとよく似ています。

岩谷十八夜観音堂---------------------------------------

山形県東村山郡に、岩谷十八夜観音堂があります。
昔から目の病気をなおす仏神として信仰され、
本尊の縁日が18日であることから十八夜観音といわれています。



「観音堂の縁起には、飛鳥時代の開基とあるが定かではない。
拝殿は大同2年(807)に再建されたとの言い伝えがあるが、
現在の拝殿は江戸中期の建物と鑑定されている。
また、本殿は文政9年(1826) 8月18日再建の棟札が残っている。
しかし、観音堂の南西約1㎞の高峰山頂近くに「奥の院」と呼ばれる場所があり、
そこの洞窟内にある石造物(宝篋印塔=鎌倉~室町時代)の存在から推定すれば、
古い時代に建造されたものが再建されたものとみられている。

主に村山地方一円から納められた数多くの「オナカマ」の道具や絵馬など合計951点が、
国の重要有形民俗文化財に指定されたことである。
この資料は町の歴史民俗資料館で見ることができる。」

※中山町のサイトより。

文化財遺産オンラインには、
「我が国には、古くから、庶民の依頼にこたえて神がかりし、神意を託宣する巫女がいた。
山形県村山地方は、こうした巫業が盛んだった典型的な地域の一つで、
オナカマと呼ばれる巫女たちによる巫業を介して庶民信仰が濃厚に展開されてきた。
この庶民信仰資料は、オナカマや信者たちから篤く信奉されてきた
岩谷十八夜観音をめぐる関係資料を体系的にとりまとめたもので、
オナカマの巫業に関わるもの、信者から岩谷十八夜観音に奉納されたもの、
および前二者に密接な関係にある関連資料を網羅する内容となっている。
岩谷十八夜観音をめぐる庶民信仰の実態と推移を即物的に理解することができるものである。」

トドサマ37点 梓弓22点 数珠36点 筮竹・算木23点 剣18点 
外法箱7点 鏡205点 絵馬72点 鰐口・鈴12点 祈願札389点 その他130…


文化財オンラインでは、オナカマサマの魔法グッズ?がいくつかみられます。

文化財オンライン(岩谷十八夜観音堂)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136144/6

ん~、なんでしょう。不思議な魔法グッズ。
もし、私が先住民だったら、自然のモノは不思議で面白いと思う。
初めて見る物はなんでも好奇心にあふれる。
いいな、と思うものは、何でも身につけて手元に置いて、
語りかけてみたら、世界が変わりそうなモノだ。

それで、「目」なんですよね。
ネパールで見た知恵の目。
目が描かれている物がいくつかあった。
両目。眉毛もちゃんと書いてある。
だから、神ではなく、人だよね。
重要なのは、私たち人間ですよね。

このような風習が東北地方に多くあるので、
橋姫もオナカマサマのような巫女だったと思うのです。

「梓弓(あずさゆみ)は、仏降ろしの口寄せ。
オナカマサマが巫業に使用した道具で、オナカマが亡くなると、
酒一升を添えて、この地方の巫女たちの本山ともいうべき、
岩谷十八夜観音堂に納める習いがあった。」

「トドサマは二対に一対。
オナカマサマはこのトドサマを両手に捧げて揺り動かしながら、
神を降ろし、託宣を聞く。
死者の霊(仏)を降ろす時は、梓弓である。
トドサマは口寄せには使用しないらしい。
オナカマになろうとする少女が一定の修行を終え、独り立ちするときには、
「神つけ」という行事が行われる。
神が憑くと、手にしたボンデン(御幣)がぶるぶる震える。
神の名を問われ「お十八夜」と答えると、神つけの儀式は無事に終了する。
そのときのボンデンの棒に布をかぶせ、トドサマが作られる。」


「十八夜様」(とやさま)は神のようで、オナカマに憑くという。
特徴としては、遠野のオシラサマと違って、神像の様子があまりない。

「御幣の竹に空洞の護身符を納め、その上を真綿で包み、さらに細い布切れを
縫いつけて覆ってゆく。オナカマが神降ろしのために揺り動かす姿は、
おそらく神の依り代としての採り物や御幣そのものではなかったか。」


※(東北学:忘れられた東北 赤坂憲雄著)より引用

修験の関わりはとても深く、獣の牙や骨、貝殻や古銭などがはさまれた飾をしている。
羽黒山の巫女が訪れ、御堂の前に小さな草庵を建てて布教をおこなったという
伝承もあるそうです。
秋田のオシラ神を祀る巫女は、羽黒山にとても多いそうで、
オナカマ・ワカ・ミコなどと称された。

北方民族のシャーマン---------------------------------------

秩父には狼の骨を摺り、それを飲むと「きつねつき」が治るという風習がある。
ある民家には、狼の頭骨を保管し、村に削られた骨の一部を配ったこともあったそうだ。
オナカマサマの数珠にも、狼の牙がはさんであるという伝承があった。
しかし、調査の結果、狼ではなく山犬でしたが、
狼信仰にも関係していそうな話です。

山信仰には、狩猟が上手くいくように祈願として、
動物の骨や牙などをお守りとして持参しますが、修験の結びつきが強い。

現在、岩谷十八夜観音堂の拝殿の中には、オナカマたちの道具は置かれていないそうです。
このようなシャーマニズムは、北方民族のシャーマニズムとの関わりがあるそうです。

赤坂憲雄著の中にも、
「シベリアのシャーマンたちが用いたオンゴン像や、シャーマンの矢、
馬の杖といった呪具などは、確かにオナカマが携える道具のそれぞれが
偶然としては片づけにくい。奇妙なほどの形態的類似をしめす。
北方シャーマニズムとの関連という問題は疑いもなく、かぎりなく魅力的なものだ。

シベリアの狩猟民族の習俗と、東北のオシラ神や口寄せ巫女にまつわる
習俗とをつなぐためには、アイヌ民族の文化や宗教の研究を欠かすことができない。」


アイヌの人が最も重視した動物神は、陸では熊、空ではシマフクロウ、海ではシャチ。
熊儀礼のイオマンテ、里を守るシマフクロウは、コタンコルカムイとよんだ。
沖を守るシャチは、レプンカムイ。
すべては、カムイ。



ウイルタ族(ツングーズ)のウイルタ木偶が、なんだかオシラサマに似ている。
目には中国製と思われるガラスの小玉。(a)
首にはロシア製の木綿、寛永通貨をさげている。
北方の交易は、アイヌやニブフ介して、中国、ロシア、日本製の様々な物資を得ていた。



※「モノから見たアイヌの文化史」より。


※ニブフ民族(古くはギリヤーク)

楽器のトンクル(蝦夷胡弓)というのがある。
弓を使って引くのは、元は呪術的な意図からのコトヒキにも通じる
ものがあると思う。



アイヌのイナウはシベリア、アイヌ、東北を結ぶ文化の道。
東北の祈りが、橋姫にも通じているような気がした。

-----------------------------------------------
台風10号の被害から、アイヌの人たちの霊的なモノを感じているのか、
とってもアイヌが気になって仕方ありません。
アイヌの神器が、そのような働きを示していると感じてしまう。
気にしてほしいというか、これからの事を心配しているような。

オナカマサマがいてくれたらなあ。
カムイの声を聞いてみたい。
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