秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

雉も鳴かずば撃たれまい

2016-05-23 | 神話・伝説
犀川という川のほとりに、小さな村があった。
この川は毎年秋の大雨になると氾濫し、村人を困らせていた。
この村に弥平という父親とお千代という娘が二人で暮らしていた。
お千代の母親も先の洪水で亡くなってしまっていた。

ある年の秋、お千代は重い病にかかるが、貧乏な家なので医者も呼ぶことができない。
お千代はかつて一度だけたべたことのあるあずきまんまが食べたいと言う。
小豆を買うお金のない弥平は、地主の倉から米と小豆を盗んで、
お千代に食べさせてやった。その甲斐あってか、お千代はすっかり良くなった。
お千代は父親が畑仕事に出かけているあいだに、
手まり歌で「あずきまんまたべた」と歌ってしまう。

その夜からまた雨が激しくなり、村人たちは咎人を人柱にしようと相談しあった。
そこでお千代の手まり歌を聞いた者が、弥平が地主の倉から盗みを働いたことを話すと、
弥平は役人にひったてられて、人柱として川のほとりに埋められてしまった。
お千代は何日も何日も泣き続けたが、ある日ぴたりと泣きやみ、
それ以後一言も口を聞かなくなってしまった。

それから何年もの年月が流れた。猟師がキジの鳴く声を聞いて鉄砲で撃ち落とした。
キジの落ちたところに向かうとお千代がキジを抱いており、
「雉よ、おまえも鳴かなければ撃たれないですんだものを」とつぶやく。
お千代は自分が手まり歌を歌ったばっかりに父親を殺されてしまったことをキジに
重ねてそう言ったのだ。それ以後、お千代の姿を見た者はいない。


(まんが日本昔話:石川県)

------------------------------------------
犀川は金沢市と長野県にあるのですが、
この話が実際あったような出来事が長野県で記されている。
大正時代、久米路橋にまつわる民話で、上記の昔話と同じ伝承で、
実際に「雉も鳴かずば」の像もある。



ちょっと話がそれますが、今年も秩父の実家に雉がやってきた。
父から写真が送られてきて、うれしい~♪
2年前、ブログにも書いた話ですが、裏庭に雌雉が卵を産み、雛がかえっていた。
この出来事で私は思うことがあり、雉が現れる前の年に雷が落ちて枯れた大杉を
伐採したら、植木職人さんが大けがをしてしまった。
その後、夢に裏庭の竹やぶからインディアンが現れ、大杉を供養してくれた夢。
翌年、雉がやってくるようになったのだから、インディアンと雉は繋がっていると思ったわけです。


(2年前:卵を温めている雌雉)



そんなことがあり、昨年も雉がくるかな~と思って楽しみにしていたが来なかった。
でも今年は雄雉が庭をかっ歩してる!
おそらく雌雉もいるのだと思います。
しかし~、なぜ民家に巣をつくるのだ?
面白いサイトを発見(カラパイア)。
「なぜそこに作ったし。奇妙な場所に作られた鳥の巣ミステリー」
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52193857.html
意外にも鳥は自由に巣を作るものですね。


(雛がいた!2年前)

古事記の雉-------------------------------------------

キジというと古事記の鳴女(なきめ)がいます。
キギシという名前でこの場合は、鳥の雉ではないと言いますが、どーだか。
私は「雉も鳴かずば~」の昔話に、古事記の鳴女と重なる部分が多いと思います。
この話は、鳴女のことの教訓にもよみとれるのです。

古事記では、葦原中国へ派遣された天若日子(ワカヒコ)が戻ってこないので、
思金命は「キギシ(雉)名は鳴女(哭)を遣わすべし」と、鳴女を派遣する。
鳴女がやってきたことを知った天佐具売という天探女(さぐめ)が、ワカヒコに
「この鳥は其の鳴き音がとても悪い故に殺すべき」という。
ワカヒコはこれにより鳴女に天の波士弓、天の加久矢で射殺する。

すると雉の胸から逆さに射上がり、
天の安河の河原に坐すアマテラス、高木神(タカミムスビ)の所に至る。
この矢を拾った高木神は、
「鳴女に射った矢が荒魂の矢であれば、ワカヒコには当たらず、
汚い(誤った)矢であればワカヒコのところに曲がる(禍る)」という。
すると、諸神たちの撃った矢は、ワカヒコのみぞおち(鳩屋)にあたって死んでしまった。
(これを還矢(かえしや)という)
鳴女はいったきり戻ってこない使者となり、「雉の頓使(ひたつかひ)」とよんだ。
(意味:副使をつけないでたった一人だけ使いをやることを忌んでいう言葉。)

こんな古事記の話を聞くと、雉も鳴かずば~の昔話も、
雉に撃たれて側にたっていた女性が、鳴女のようである。
戻ってこないという話や、無口になるということは音無という意味もある。
音無という地名や川名があることにも関係していそうな話です。
ですが、これも言霊だと思います。
言霊の日本語を発することができなくなった。鈴の音ですね。
そういう意味では、鳴女は言霊で神事を行うことができなくなってしまったような話です。
もしかしたら、天から降りてきた話が、天津神で渡来系だとしたら、
日本語を話す人たちではない、という事も・・・?

その後の古事記の話では、シタテルヒメはワカヒコの奥さん?のようで、
ワーワー泣きわめきます。
これが「泣き女」という呪術でした。
泣き女は韓国の葬儀がすごくて。
複数の泣き女が、親族に代わってワーワーと泣くわけです。
感情もむき出しにして。テレビで見た時の様子を今でも思い出します。
でもこれが呪術的な意味があり、死者への慰めとなるのか「魂呼ばい」とよんで、
復活のための泣き女だというちゃんとした職業。
沖縄やアイヌ人の風習にもあります。

日本ではないのですが、中国、朝鮮半島、韓国など、ヨーロッパやエジプトでも
泣き女という風習がありました。
古事記では呪術的なことを書いていて、箒(ほうき)で喪屋を清め、
食物を供え、臼で米をつく人や調理人が儀礼を行う。
臼を米でつく人をスズメ(雀)といい、他にサギもでてくる。
巫女は鳥の名前をつけるのが古事記風。。。


秩父山中で見つけた鳥の羽。何の鳥かなあ。

--------------------------------------------
で、鳴女は何か余計なことを言ってしまったために殺されたのでしょうか?
雉は鳴かなければ居所を知られず、撃たれることもなかったのに、という意味から、
無用な発言をしたために、自ら災いを招くことをいう。(口は禍のもと)

この昔話はとても悲しい話なんですけど、人柱という風習は今では理解できません。。。
そこに優しさがあるのなら、空海は人柱という風習を止めるために、中国へ留学して
治水技術を渡来人から学んでいたのかもしれないよね。
無念な命で散った魂を、純粋に人を救うためのものであって、要は宗教じゃないんだな。
行動力なんだな・・・。とつくづく思います。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

角塚古墳の伝承

2016-05-21 | 東北地方の伝説(岩手県)
むかしむかし、掃部長者(かもんちょうじゃ)という、それはそれはたいそうな長者さま
がおりました。
長者さまには欲深い妻がおりまして、彼女は合わせて365人もいる下男下女に、
朝早くから夜遅くまで仕事をさせていたのです。
とはいえ、雨が降る日は休ませ、晴れた日には野に出して稼がせるというように働かせていました。
しかし、欲深い妻は、次のようなことを考えます。

「雨の降る日に365人を休ませるなんて、1年間ただ飲み食いして何もせずに過ごすのと同じことだわ」

こうして妻は、傘やケラを作り出し、雨の降る日も彼らを働かせるようになったのです。
そんな欲深い妻に、とんでもない出来事が起こります。

ある日、一人の下女が、井戸に水を汲みに行きました。
すると、水の中に1匹の赤い魚がいるのを発見します。

下女はあまりの物珍しさに、それを捕まえて、味噌をくるんで焼きました。
しかし、あんまり良い香りがするものだから、欲深い妻は奥からそれを嗅ぎ付けて来て、
おいしいと言って食べてしまいます。

そして喉が渇いた妻は、下女に水を運ばせます。
しかし、何度運ばせてもどくどくと飲み干してしまうので、
ついに下女は運ぶ力が無くなってしまいました。

これでは仕方ない、と妻は独りで井戸に行き、顔を突っ込んで水を飲みました。
その時、井戸の石が崩れ、妻は水の中に落ち、大蛇へと姿を変えてしまいます。
大蛇は上葉場村という村を湖にして住むようになりました。

その後、毎年作物を荒らすものだから、村人たちは順番に娘を一人ずつ、
大蛇の生贄に捧げるようになりました。
そしてその年、郡司兵衛の番が回ってきました。
しかし、彼の娘は一人しかいなかったもので、そんな大事な娘を生贄にしたくはありませんでした。
そこで彼は旅支度をして、はるばる遠くまで娘を買いに行くことにしました。

郡司兵衛は、肥前国松浦の貧しい一軒を訪れ、事情を話します。
そこには佐夜姫という娘と、盲目の母が二人で暮らしていました。
佐夜姫は「私が身代わりとなって、そのお金でお母さんが暮らした方が気楽でしょう」

と母に言い聞かせます。
母は姫に「この山奥には狸や狐が出てきていたずらをするのです。行ってはいけません」

と言い、姫が行くのを引き止めます。
しかし、郡司兵衛は金を払って姫を連れ帰ってしまいました。
母は涙を流しながらも、どうしようもありませんでした。

そして、佐夜姫が生贄に供えられる時が来ました。
姫はまず尼坂で髪を刈り、化粧坂で化粧しました。

その後、道伯森の頂上に大蛇が来たのを見分け、四つの柱を組み、台を作り、そこに前座しました。
空は曇り、俄かに嵐が起こり、大蛇は赤い舌を開いてやって来ました。

佐夜姫は襟から薬師如来を取り出し、法華経を誦読しました。
すると、大蛇からだんだん力が無くなっていくではありませんか。
佐夜姫は法華経を読み終えると、それを大蛇の角に投げました。
それは見事に当たり、角はぽろりと落ちました。

佐夜姫はそれを角塚に埋め、大蛇の体は大塚に埋めました。
佐夜姫は化粧坂に帰り、
「薬師さまのおかげでした」
と、そこに薬師堂を建てて祈りました。

その後、佐夜姫は肥前国に帰り、自分の家に着きました。
盲目の母は
「お前は娘に化けて来た狸であろう。娘ははるばる北国に行き、
今は死んだはずだ!家に入れることはできぬ! 」
と、佐夜姫が家に入るのを拒みました。
そこで姫はことの有り様を解き明かしたということです。

伝説によれば、佐夜姫が落とした大蛇の角を埋めた角塚は、
角塚古墳――岩手県奥州市胆沢区南都田にある、
日本最北端の前方後円墳を指すということです。


(岩手の昔話)

----------------------------------------------------

この伝承を聞くと、「角」は龍なんだね。
龍には角があるけれど、その角がとれて蛇になっている。

さて、この角塚古墳が胆沢(岩手県)にあるのですが、
最北の前方後円墳だそうです。
でも謎も多くなぜここだけなのかよくわかっていないそうですが、
最も古墳が多いのも胆沢地方なんだそうです。
中でも角塚古墳は、埴輪などが出土されていますが、
古墳の形状や埴輪から、仙台市太白区周辺に点在する古墳群、
特に遠見塚古墳や富沢窯跡とよく似ていることから、
「仙台を治めていた首長」の系譜があると考えられています。
4世紀~5世紀頃まで古墳時代が続いていましたが、
胆沢もこの頃から稲作は伝わっており、後にアテルイとモレが本拠地とします。
また、遠見塚古墳は雷神山古墳の子分といわれ、親分が雷神山、その下に仕えていた
人のお墓が遠見塚と考えられるそうです。

しかし、津軽~北海道の続縄文文化では狩猟生活をしていました。
狩猟と稲作は別に行われていたと思われます。

エミシは朝廷に反対した人といわれていますが、蛇信仰があったことは確実。
ミワ系の人たち?

古墳をつくる豪族は、農耕社会を築いていました。
そこに軍事力をもってきたのは、大和朝廷なのですが胆沢へ移動してきたアテルイは
800年に入ってからと考えられている。
802年は処刑されていると歴史にありますが、いまいち納得いかない。
780年には多賀城を焼き打ちしたアザマロが胆沢城の主となっている。
その後にアテルイが来てエミシと団結するのですが、
角塚古墳の話を聞くと、九州から船で茨城へ上陸~福島~宮城県の名取付近で落ち着き、
その後、水沢の方へ逃れたという痕跡がみえてくる。

仙台市太白区に古墳が多いのは、縄文遺跡がたくさんあったからです。
名取川の源流は仙台神室山(かむろ)。
最も古いのは太白山の奥の森を源流とする「ざる川」にある。
ざる川周辺に縄文人が暮らしていましたが、理由は太白山を崇めていたことにあるでしょう。
ピラミッド信仰のオード森は、東北地方に多いです。
太白山もオドガ森といわれ、聖なる山でした。
それにこの山は蛇がとても多い。
今は少なくなっていると思いますが、数年前までは水場に蛇は必ず見かけました。


(太子堂を流れるざる川)

なので、角塚古墳周辺にも、縄文遺跡がたくさん残されています。

ところで、角=鬼とはよく言ったもので。
蛇と同じように鬼も角がとれると良くなるといった話と同じ。
その鬼退治に薬師如来がかかせない。

名取の地名は、766年に登場しますが、
713年は丹取郡とよばれた。
一関の舞草刀工団は俘囚で、鬼とよばれた。
6~7世紀頃から始まっており、アテルイはその技術を学ぶために水沢へ向かったと
思いますが、モレなどの先住民によって自然崇拝に目覚めたのかもしれない。
もちろん妄想ですが、縄文精神に触れたことがあったならば。

日本刀の源流といわれる刀は、東北地方から生まれています。
蛇は、南国のクリスのように波打った剣がある。
この伝説だと干ばつなどの自然災害を伝えているようにも感じとれますが、
鬼も蛇も同じものであり、鍛冶のことを考えると、
水は強い祓いの力があると信じられたため、魂を剣に宿すために清水が必要だったと思います。
巫女の力なんですがそれを恐れた為、剣や刀が代わりになるようなことも
あったのではないでしょうか?男性は女性になれないので、男性は剣や刀を代替にしたとか?
またそれは地震を留めることにも役立っていたわけです。

そんな神事を施すために刀を作っていたのがエミシでした。
またそれは山で行われていたのだから、稲作を伝えてやってきた渡来人にとっては
意味がわからないことで、恐ろしいことをしているようにみえたのだと思います。

また、角塚古墳には、一本の杉?が植えられている。



※おうしゅう旅浪漫より
https://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/view.rbz?nd=401&ik=1&pnp=397&pnp=401&cd=1567

祠でなく木というのがいいですね。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

四朗丸の城丸明神伝承

2016-05-18 | 東北地方の伝説(宮城県)
四朗丸という地名は、藤原秀衡の家臣、名取四朗がこの地に居城していた
ことが地名由来になっています。
8c頃から荘園としての面影がある。
昔も、広~い田園風景だったでしょう。



さて、病院のお見舞い帰り、近くに城丸明神があるのをマップで知り、
ちょっと行ってみました。



城丸明神は古墳の上に建っており、
ネットからの情報によれば、北関東系の古墳だという。
そこには三宝珠があり、湯殿山や足尾山、山神などの修験のお社でもありました。



ここは、大崎市古川荒谷の斗蛍稲荷神社(とけいいなり)から分霊したと伝わる。
斗蛍稲荷神社は、ウカノミタマ、トヨウケオオカミ、タケミカヅチの三柱を奉る。
社伝によると、1187年、源義経は頼朝の勘気を受け、奥州藤原へ下向けの際、
鳴子から荒谷の斗蛍山へ到着した。
吉野の山によく似ていたので立ち寄り、静御前の遺愛の鼓の調べに聞きいっていた時、
どこからともなく白狐が現れ「鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。
ぜひ、返して頂きたい。そうしてくれれば義経の公の守護に当たり、難を救ってあげます。」と、申し出た。
そうしているうちに、白狐は斗蛍山の岩穴に入りこんだので、義経は弁慶に命じ、祭壇を設け祈願した。



この白狐こそが左衛門尉四郎衛門忠信に姿を変え、
義経公東下りの先達を務めた狐忠信であり、「義経千本桜」の歌舞伎で有名。
石巻方面の信仰が深く、金華山沖で発見された役400年前の古い錨(いかり)が
奉納されているそうです。




---------------------------------------------
あこや姫の名取太郎を思い出した。
ここが名取だから、四朗丸が名取太郎と似てるな~。
この話も、熊野信仰に関係していると思います。
大崎~名取方面へやってきた人たちが分霊したのかと思います。
ここは名取川にも近く、東は海なので、海にも深い縁を感じる。
他にも3つのお社があったのですが、どんな神様か不明。

ちなみに、狐忠信とは、福島県の信夫山にいた佐藤忠信で、藤原鎌足の一族です。





さて、三宝珠と古墳にお社を建てる発想は、熊野の鳥葬からきていることはないのかな、と思う。
古墳にお墓、というイメージは北関東に多い気がする。
根拠はないですが、富士山信仰が深い北関東なのでこの地を支配していた長の
お墓でもあるのだから、その霊魂を鳥によって葬るという原始的なやり方。
また、熊野信仰にも三宝珠があり、ヤタガラスと3つの丸はセットのようです。

例えば、熊野速玉大社の「神幸船の宝珠懸仏」は、
熊野速玉大社に鎮座する夫須美大神(フスミノオオカミ)の御霊が移った神輿をのせて、川を渡るための船のこと。
宝珠懸仏は、装飾品として取り付ける。



夫須美大神はイザナミと同じといわれる。
「ふすみ」は、「むすび」と同義で「産霊」の神とされた。
また熊野三山に祀られる「家津御子大神」は、ケツミコとよび、ケは食べるという意味。
このケについて、津軽弁は、「食え、おかゆ、毛」など食べることを「ケ」という。
なので、アイヌ語も含まれている津軽弁は、
気づかないうちに言葉の中に、産霊な感性を自然に持っている人達だと思うのです。

そんなケの神では、ウケモチ神であったり、トヨウケ大神なのだから、
このお社を建てたのは、修験の人たちで熊野信者が関係している古墳かもしれない。


(熊野本宮大社の牛王神符)

また、熊野には牛玉宝印という熊野三山など全国に発行されるお札がある。
牛玉とは、身体の中から採れる貴重な薬「牛黄」のことといわれ、
牛黄を朱肉に混ぜて捺印することから、牛玉宝印と称した説がある。
日本人は印鑑で契約しますよね。
これも牛玉宝印がルーツだと思うのです。
深い話で、他人と契約を結ぶには、自分の名前を彫った印鑑を朱肉で用いるから、
体で契約しているいっても過言ではないくらい、重大な決断になるわけです。
肉体と契約しているくらいな。笑。大袈裟ではなく。
なので、印鑑を押す時は、すごい契約を交わすような気分になりますね。
外国のサインでは身がこもってないから、いい加減になる。
他人との契約に重要性を見いだせない外交になるから、日本人に外交は向いてないと言われてしまう。

その牛玉宝印で有名なのが、「熊野牛玉」といわれるもの。
熊野三山に共通するのは、いずれも烏点とよばれる烏の形象と宝珠を組みあわせている。
古墳がなく鳥葬を主としていた熊野にあって、烏は死者の魂を天へ運ぶ霊鳥であり、
不浄を浄化するはたらきがあるとされ、神の使いとして神聖視されていた。
これは神武天皇東征神話におけるヤタガラスの故事以前の古い信仰である。
(スサノオの到来図録より)

イネは金星?----------------------------------------------

ということで、古くは鳥葬からきていると思う遺体の葬り方。
それに土を盛って古墳にしたのは渡来人からのやり方。
元は、誰かのお墓としてあったのを古墳にしたのだと思う。
先が古墳ではなく、鳥葬や石や木だけという自然葬だったのを、
古墳にしたこともあったのではないでしょうか?

丁重な三宝珠をみたのは、岩沼の竹駒神社でした。
ここもお稲荷さん。
狐はたくさんの伝承があるので割愛します。
前にもいろいろ書いてましたが、なんだか忘れてます…。
イネ、カミナリ、シロなど、ウカノミタマのウカも食べる意味がある。
ウケモチという言葉も、食べることを受け持つのだから、受容だね。
このあたりから連想ゲームのようになっていくんだけど、不思議なインスピレーション。

イナルのイから、ウナルのウに変化したことが気になる。
イネが唸るのは、雷。イネは稲ではなく、この場合、イナル=イナンナ。
という妄想。金星が唸るとは・・・?
イナからウナは、ルナでもあると思う。ルナは月。
イ→ウという流れ(言霊)であると考えると、金星信仰から月信仰の転換期。
古くは金星だった宇宙観が、月に変わったというのは水神に変化したのだと思う。
金星は、錬金術などがいましたが、金星を崇拝していたわけで、
その金に縄文も深く関係しているという話。
それが月の水に変化した。その転換期がノアの大洪水だと思う。
水蒸気の崩壊は、地球の変容。
その転換期の神話は、稲作をもたらした白狐として残されていると思います。
その白狐は水を育んでくれたから、食べ物を与えてくれたわけです。
雨をもたらし、実りを与える。そのように月が地球に与えた命だったわけです。
なので、隕石などの衝突により大洪水をもたらした話は、
月が元は2つあったのを、そのうちの1つが地球に落下したという伝承も残されている。

しかし日本では、それ以前、山で暮らしていた縄文人がいた。
稲の前は雑穀で、最初は粟や豆類が地上にあった。
大国主がいた地で、後に稲を従えてニニギが降りてきた。
豆のエネルギーとは・・・?
オオゲツヒメが知っていることなんだけど、
雑穀のビーナス=縄文ビーナス(オウゲツヒメ)と思うのです。
稲が伝わると土ではなく水神の女神がたくさん登場する。
オウゲツヒメもセオリツヒメだと言う方がいらっしゃいますが、
元は土ですから水ではなかったことを知る必要があります。
土に水を加えれば、土偶にはなりますが。
後に水にされた女神とは、どんな経緯があったか?

それは強い祓いが必要で、水によって犯された人間の罪(月といわれる)が含まれているといった
内容の神話や聖書がある。
かぐや姫がそうであるように。
水による罪とは?
古くは土葬や鳥葬だったのを、水に流すことにした。生まれる時も胎水で生まれる。
それを鎮めるために水神を崇拝したのでしょう。二度と水に溺れないように(沈んだ大陸)といった意味もあるかもしれない。
月によりもたらされた大量の水による出来事に、縄文人は危機感をもっていたと思うのです。
何いってんだかわからなくなった…

縄文人は、山におりてくることをしなかった。という話をよく聞くのですが、
稲作ではなく狩猟を行っていたのですが、あえて稲作を拒否していたという話。
1万年以上も縄文時代が続き、すでにこの時代から世界は稲作文化があったのですが、
なぜ縄文人は狩猟を続けており、山から降りてこなかったのか。
今はまだわかりません。

四朗丸は城丸で、知ろう丸。
ゴリ押しで終わりにする~!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ノアの大洪水後の話

2016-05-14 | 神話・伝説
NASAが地底人と思われる電波を受信したというニュース。
また、少年がマヤ文明と星の位置関係を明らかにしたというニュース。
が、同時に入る。
縄文遺跡も神社も星で並べられているのだから、
マヤ文明の話からして縄文ぽい。
きっと、大洪水後に地底に逃げたんだろうね。

でも、NASAの地底人はどうかな。
あんまり信用できない。
なぜ今このタイミングで地底人なんだろう。

話はかわり、これもシンクロなのかな。
今、仙台では青葉まつりをやっています。
すずめ踊りというのをやりますが、これが伊達家からの考案らしい。
祭りは行ってませんけど、私は秩父人なのでお祭りというと秩父夜祭だと思っている。
秩父屋台囃子がないとお祭りとは思えないのです・・・。
そのくらい秩父のお囃子は魂に響きます。
雀の前に、ノアの大洪水の話。

ノアの大洪水は水蒸気層が原因という?
やっぱり彗星か惑星衝突が要因。
金星は元は忘れたけれど、惑星を回っていた衛星だったそうだ。
それが今のような惑星になった。理由は不明。
水蒸気が地球を覆っていたので温室効果状態だったのが、
彗星のような大きなものが衝突して水蒸気が崩壊した。
それで長い雨が降り続いたと。
それ以前は、大気圧は今より2倍だったので、大型動物、巨人(2m~3m)は
いたと思われ、植物も大きく生い茂る世界だった。
長寿だったのも、宇宙から有害な放射線などが遮断されたとも考えられているが…。

秩父の地層で妄想した話なので、省略するけど、ノアの大洪水は実際にありました。
世界で大洪水の伝承があるのに、なぜか日本にはない。
古事記の天地創造は、大洪水後の話になっている。
まだ地が定まらない混沌とした世界は、水蒸気で覆われた地球のことをいっている。
紀元前300年、バビロニアの記述に、~王が船を作り動物や必要な食べ物を
備えて船を作れという。それがアララト山に漂着した方舟。
残ったノアたちは、最初カラスを放ったが帰ってこない。
次に鳩を放つと、オリーブを加えて戻ってきた。
三度目に放つともう戻ってこなかった。

これが日本列島だったら?
鳩が葉を加えてやってきたのは、日本列島をみつけてきたのでは?
と、勝手に思う。
オノコロ島から始まり、五色人を日本で集め、大洪水後の処理をどうするか。
日本列島が世界の雛型だというならば。
オリーブを加えてきた鳩は、日本をみてきたのか?

この話を妄想するに、例えば鳥海山があります。
鳥海山に降り立ったニギハヤヒという高速回転する物体は、
船といわれ天の鳥船という。
ノアの方舟のことをいっている気もする。
誰かがもたらした話。
それで前から私はニギハヤヒは実際いた人ともいわれますが、
私はUFOにしかみえない。
ミャオ族に伝わる天地創造は、地にはタカとトビを創造。
地球のことを地の玉とよび、一周しているものだと考えられていた。
地球は丸いことはもちろん知っていた。
タカやトビという鳥が天地創造したミャオ族は、日本人とよく似ている。
鳥海山など日本海に上陸した人たちが、ミャオ族といわれる由縁なのです。
鳥見山の語源が、トミ(トビ)族からであることも。

それと関係するのかわかりませんが、生駒郡斑鳩。
生駒氏は何度かブログに書いてますが、どうも車輪の家紋がきになる。
生駒郡は生駒氏からきているのでしょうか?
また、生駒氏の斑鳩に鳩という地名にしているのは?
古くは「角の鳥」と書き、鳩ではなく雀だったという衝撃。
へ~、すずめ・・・すずめ踊りやん。
というシンクロ。
ようやくここで、青葉祭り。笑。



すずめ踊りをみてピンときた。
この踊りは、大阪(堺?)からきた石工の踊りが、雀のように小さく跳ねるように
みえるので、伊達家の家紋が竹と雀ということもあり、すずめ踊りとなったそうだ。
すずめ踊りは1600年頃から始まっている踊りなんですね。

で、本来は斑鳩のイカルは、鳩ではなく雀(スズメ目)だということ。
ここは、聖徳太子、蘇我氏、物部氏がいたところ。
だから鳩なのだ。しかしイカルの雀をなぜ、鳩にしたのかよくわからない。



だから、本当にノアの大洪水に鳥を放ったのは鳩なのか?ということ。
以前、藤原実方の話で竹駒神社のことを書きましたが、
入内雀といわれた藤原実方が関係しているように思った。でも根拠はないけど。

竹駒稲荷神社:これも駒だね。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/44339679e7316e6b57305d778658658c

ノアの方舟で助かった一族は、鳥海山に到着した?
鳥見山に降り立った鳥は、世界をみてきた鳥だった。
そして日本の島を発見した。
なまはげ伝承では、五色の旗を掲げた武帝という人が出てくる。
赤色の人で、すでに先住民がいたところへやってきた。
エミシ?たち先住民は、赤色の人に従うことになる話。
赤色は、インディアンかユダヤ人、エジプト人(アラビア)だという説がある。
男鹿半島へやってきた人たちは、「雲の車」にのってきてコウモリが囲んで
つきそっていたという伝承なのだ。
これはコウモリではなく、ワタリガラスだったら・・・。黒い大きな影。
そうか、先日ちょこっと書いたボブさんのワタリガラスの神話。
ここで見つけた!そうだ、こんな話もされていたんだ。

「ワタリガラスの神話」から引用します。
http://www.office-ten.net/watarigarasu/raven-.htm

たましいのことを語るのを決してためらってはならない。
今から話すことは、わたしたちにとって、とても大切な物語だ。
だから、しっかりと聞くのだ。

これは、「クリンギットインディアンの古老、オースティン・ハモンドが1989年、
死ぬ数日前に、クリンギット族の物語を伝承してゆくボブをはじめとする何人
かの若者たちに託した神話だった。
この古老の最後の声を、ボブはテープレコーダーに記録した」

ずっと昔の話だ。
どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森
をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。
人々は森の中に座り、どうしていいのかわからなかった。

木は生長せず、動物たちも魚たちもじっと動くことはなかったのだ。
ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。
ワタリガラスはじっと見つめていた。
すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。
彼の嘴は素晴らしく長く、それは一羽のタカだった。
タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆくタカにワタリガラスは聞いた。
あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れなければならなかった。
「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた時、タカはやっと振り向いた。
「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲しいのだ」 「どうやって?」 
ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくると、
それをタカの自慢の嘴に結びつけた。
「あの火の玉に近づいたなら、頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」 
若者は地上を離れ、ワタリガラスに言われた通りに炎を手に入れると、
ものすごい速さで飛び続けた。
炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。
ワタリガラスは言った。
「人々のために苦しむのだ。この世を救うために炎を持ち帰るのだ」 
やがて若者の顔は炎に包まれ始めたが、ついに戻ってくると、
その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れた。
その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動きだし、
森の木々も伸びていった。
それがわたしがおまえたちに残したい物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましい
をもってわたしたちを見つめている。そのことを忘れるな。
これからの時代が大きく変わってゆくだろう。
だが、森だけは守ってゆかなければならない。
森はわたしたちにあらゆることを教えてくれるからだ。
わたしがこの世を去る日がもうすぐやって来る、だからしっかり聞いておくのだ。
これはわたしたちにとってとても大切な物語なのだから。

-------------------------------------------------
ワタリガラスの話に感動します。
炎は魂。
だから鳥の船も魂を運んできた鳥になっているのだと思う。

駒形神社や駒形山という山名が多い東北。
駒形神社付近でよくエミシが反乱を起こしていたという専門家の説があるがよくわからない。
コマは、高麗という話もあるけれど、
これも深い話で、ちょうど友人とコマの話をしていた。
そのコマとは、ジャイロスコープ。



縦にも横にも十字型にバランスをもつもので、これこそが地球そのもの、という話。
回転すると車輪になり、上空へあがり空を飛ぶ古代のテクノロジー。
地球ゴマともいう。
1.円盤が高速で回転運動を行っている間は、外部から力が加わらないかぎり回転軸の向きが常に一定不変に保たれる。
2.回転軸にいったん外力を加えると、その加えた力とは直角(垂直)の方向へ回転軸が移動する。
独楽(こま)の原理であるこの二つの特性はジャイロ効果と呼ばれる。(Wikipediaより)



それを家紋にしている生駒氏だから、なんかすごいと思った。
ルーツは海洋民族?
波だから。海というか水上に回転するものを描くという力作。
その水もどこか大洪水の話に繋がってそうなんだけど、やっぱり確信がない。

ちなみに、兵庫県太子町の斑鳩寺に伝わるソフトボール大の地球儀があるということ。
1600年代に作られたものだそうですが、斑鳩寺に見つかるところが謎ですが、
この地球儀にはムー大陸が記されているという。

大洪水では鳥は助かっている。
ノアの方舟に遣わされたのは、鳩ではなく、雀という話があってよいかもね。
まとめると、鳥をトーテムとしている人たちは、
ワタリガラスが本拠地なんじゃないか、と思います。
そして、雀は何かの理由があって、小さくなってしまったという妄想。

全然まとまってない...
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

白頭山が動き出した?

2016-05-09 | 日記・エッセイ・コラム
白石に次いで白頭山。
シロ続き。

ちょっと不思議なこと。
先日、スマホで自分のブログサイトの編集画面をみていた時、
画面下に手が触れてしまい、ランダムに表示されている誰かのサイトを勝手に開いてしまった。
すぐ閉じたのだけど、その瞬間見えた文字(タイトル)が
「白頭山噴火の兆し」というタイトルが。

え~。
それでネットで調べてみたら、こんな記事があった。

「北朝鮮の聖なる火山「白頭山」に噴火の兆候」
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/041900143/


ナショジオが言ってるのだから、本当なんだよね。

 一般的な火山は、構造プレートがぶつかる位置にあるが、
白頭山は、日本列島を形成した巨大な沈み込み帯から1000キロ以上離れた、
プレートの真ん中に居座っている。
つまり白頭山は、本来あるべきでない場所にある火山なのだ。


・・・あるべき場所にない火山ってどういうこと?

やっぱり、なんだか富士山と白頭山が繋がっている気がするのです。
頻繁に白頭山周辺に地震が起こっているそうですが・・・。

白頭山は、以前にも書いてました。
※「白頭山の謎」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/adf9be238cc51562f7eda33f11d1ddce

--------------------------------------------------

もっと気になる情報がこれ。
今、北朝鮮の核実験が問題となっていますが、
これによって人工地震を引き起こし、白頭山を刺激しているという話。

「北の核実験、地震M7越えれば白頭山噴火の可能性」
http://s.japanese.joins.com/article/184/212184.html

研究チーム(延世(ヨンセ)大学地球システム科学科のホン・テギョン教授研究チーム)
は、実験の結果、地震規模が大きいほど最大地盤加速度
(PGA、地盤がどれくらい強く揺れるかを示す指標)と応力が共に増加した。
核実験規模が大きくなれば白頭山の地盤が受ける外圧がそれだけ高まるという意味だ。
白頭山の地下にあるマグマ房に加わる圧力も増加する。

地震規模7に該当する核実験をした場合、
マグマ房が受ける圧力が最大120キロパスカル(kPa)まで上昇し、
マグマの噴出を誘発する可能性が大きいと主張した。
その程度の圧力が加わればマグマ房内に気泡が形成されてマグマが地上に噴出する
というのが研究チームの説明だ。


でも、この話はどうかなあ、という専門家もいるようですが、
論文発表するところ、核実験を注目させる意図もあると思うのですが・・・。
食い止めるためのものであるならば、この論文に賛同したいけど。
もし、これがあり得る話なら、915年頃に起きた白頭山噴火は何が要因だったの?
と思うのです。

大地震の歴史-------------------------------------------------

以前から日本の東北大が研究を重ねてきましたが、
今回は、ロンドン大学の地質調査が入ったそうだ。
さすがの北朝鮮も白頭山の噴火に警戒した為、他の各国の調査団を受け入れたという。
なので、白頭山が動きだしたことは事実です。
そうなると、ポンペイに匹敵するといわれるほどの大噴火となるため、世界が注目している火山である。
そういえば、日本でも各地で火山の小規模噴火があいつでいますね。
小規模で終わってほしいものです。

この山の不思議なところは、915年頃に白頭山の噴火がおこり、
日本にも灰が積もり、朝鮮の伝説にも語られるほどの大きな噴火だったのに、
ほとんどそれを記した史料がないこと。
当時、どれだけの噴火だったのか想像がつかない。
史料に残されていないのは、ほぼ壊滅した為に、そのことを知っている人物が
皆、亡くなっているために記せなかったという説もあるほど。

朝鮮の伝説をよむと、白頭山は「カササギ」が神の使いだという。

「その昔、天女の三姉妹が水浴びをしていると、神の使いであるカササギが赤い実を
運んで来ました。 末の娘・仏庫倫がその実を口に入れると、たちまち身ごもり、
布庫里雍順という男子を産みました。 布庫里雍順は容姿端麗にして聡明であり、
成長すると川を下り、争っていた3つの部族を治めて満州族の始祖となりました。」


カササギは、日本の熊野信仰のヤタガラスと同じものだという。
ワタリガラスもいる。大きな黒い鳥だが、インディアンの神話では、自由に動く者とみている。
アイルランドもワタリガラスの智慧により世界が作られたとあり、
共通している鳥神話は、「翼をもった大きな存在」というところ。
でも神といった存在ではなく、自然の中で生きている精霊の方が近い。

白のカササギ、黒のヤタガラス。
どちらも同じ鳥を使いとするのを神としたのは熊野信仰である。
鳥海山(山形・秋田)も同じように鳥が降りてきた活火山になっている。
火山は鳥となっていることも世界共通(特にアジア)なのだ。
細かくいうと、その氏族がオロチョンだといわれオロチ族に関係するらしい。
オロチは、蛇や龍の意味があり、ヤマタノオロチの龍でもある。
天使というよりは、ドラゴンみたいなもの?
翼をもって空を飛ぶ龍。

数年前に秩父三峰で、アラスカ先住民のボブさんから聞いたワタリガラスの神話を思い出します。
村を襲う敵から逃れた少年の話だったかな。
大きな家の柱に巨人が隠れていて、敵を倒してくれた話だったと思う。
それがワタリガラスで、後に少年はワタリガラスと会うのだけど、
村に再び戻り再生の道をすすめたといったようなこと。
その少年が、ボブさんたちアラスカ先住民の先祖にあたるのです。
ボブさんは、ワタリガラスを大きな影のような巨人で、力があったと言っていた。

私はこの話を聞いて想像するのは、大きな存在だった大物主です。

----------------------------------------------
ところで、東日本大震災は、869年貞観地震の再来といわれている。
貞観地震について、

「5月26日癸未の日、陸奥国で大地震が起きた。
(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を挙げて身を伏せ、
立つことができなかった。
ある者は家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに呑まれた。
驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合い、
城や倉庫・門櫓・牆壁などが多数崩れ落ちた。
雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、
海嘯が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した。
内陸部まで果ても知れないほど水浸しとなり、野原も道も大海原となった。
船で逃げたり山に避難したりすることができずに千人ほどが溺れ死に、
後には田畑も人々の財産も、ほとんど何も残らなかった。」


これが初めて地震にともなう発光現象の記録だという。
それから被災地へ役人を派遣し、今のようなボランティア活動や
被災者の税金の免除など、この頃から行われていました。
この頃(9世紀)は各地で地震、火山が相次いで起こりました。
貞観地震の前に、富士山(864年)、鳥海山(871年)そして、白頭山が噴火している流れに。

868年南海トラフ(M8)クラスの地震もこの頃にあった。(仁和地震)
9世紀、何があったんだろう?と思ってしまう。
しかし、この意味は、
「この頃に地震記録が集中しているのは、地方の地震が京都に報告される体制が
整備された中での、六国史編集の人為効果による見掛けの現象であるとの見方も有る。」そうだ。

ということで、いつ何がおこってもおかしくない時代に生きているということで。
何度もこんな経験をしながらも、地球で生きるって何だろうね~。
まあ、いつも私は妄想ばかりなんで、私の人生をたとえるならば、
ムーやレムリア時代のカルマを、今になって経験しているのだと思う。
だからこうやって大災害の中で生きなければならない。
その罪をおかしていることを懺悔するのが、祝詞なのでしょうから。
神道に興味をもってしまうのも仕方ないっていうか・・・。

白頭山を見守りたいと思いますが、なんかもうこれも、仕方ないっていうか。
地球上でボンボン破壊しているのだから、平穏に暮らすことなんて到底ムリ。
核実験しておきながら、聖山は気にしているっていうジコチュウ。
日本も地震が起こっても原発止めないのだから、どっちもどっち。
半分あきらめ。大災害はとめられない。逃げられない。
しかとこの地球の実態をみよ!っていわれている。
厳しいよね~。現実逃避するよね~。
でも、そんな中でも自然を大切にしながら、生活を豊かにしている人は身近にもたくさんいる。
そんな暮らしをしながら、平穏な心で生きている人もたくさんいる。

私は現代の楽チン生活から抜けられないから、妄想しかいえない。
それでも、一番身近な家族を平穏にさせることを、今は行っているつもり。
これもある種の業(介護も業)。
まずは、そこから少しづつ広げていければ、平穏な死を迎えられそうです。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

五色の旗と人類のカルマ?

2016-05-07 | 日記・エッセイ・コラム
でた、カルマ…。
あくまでも、ここでいうカルマとは良い悪いではなく、
行為そのものです。過去、人類が行ってきたことを祓う意図がある日本。
人類が同じことを何度も繰り返すのには、カルマがあるから。
という説明なくしては、語れないと思う出来事からきています。





その前に、GWに白石城へ初めて行ってみました。
こじんまりとして、とってもきれいなお城ですね~。
片倉家は良い所に住んでいたんですね。


(左:蔵王)

伊達家もここだけは譲りたくない、という思いが伝わってきます。
そんな自然豊かな風景です。
やはり、お城へのぼってみると蔵王山が目立って美しい。
こんな場所に住んでいたら平和な気持ちになります。
しかし、この時代、争いが絶えない時代だったというが…。





あんまりこの時代は詳しくないのですが、ちょっとだけこのお城について。
1591年豊臣秀吉が伊達氏の支配下にあったここを没し、会津若松城とともに蒲生氏に与えた。
その後、上杉領になり、1600年関ヶ原の戦い直前に、伊達政宗が白石城を攻略、
再び伊達領になった。
以後、片倉小十郎により大改修され現在に至る。





旧小関家の武家屋敷に見学してきました。
御堀を流れる白石川が美しい。
昔にタイムスリップしたような感じ。



ここは、JRのCMに使われていた場所でした。
「大人になったらしたいこと」
ほんとにその通りですが、健康がなによりです。





この小関家に興味深いものが展示されていました。
こちらの家は拝観料200円で中に入ってみることができるのですが、
私は「旗指物」という分厚い冊子に釘づけになった!
これはなかなか見られないと思います。

「片倉氏の大馬験(おおうまじるし)や家臣たちの旗指物が描かれています。
戦場で自分の働きが目立つようにと旗を背負って駆けまわったものです。
また、家臣たちが片倉氏から頂いた給料(俸禄)も書かれてあります。
一貫文は米10石(1.5トン)となります。
決して高い俸禄ではなく、この為、米つき、粉ひき、紙布織、うーめんつくりなどの
内職をしていました。家屋が小さいわけもこの辺にありそうです。」




この頃から、うーめんがあったんだね…。


※白石うーめん(温麺)

この旗指物は当時のままらしいです。
数えてないけど、100名近い家臣の名前があると思う。
旗の数やデザインの豊富さ!面白い。



こんなにたくさんの旗があったら、一体、誰がどこの出身でどの系統で・・・
なんてことを考えて争いなんてできないよね~。
例えば、安倍氏はムカデなんだよね。(阿部家すべてがムカデというわけではないです)
これを見た敵はぎょっ!として退散・・・ということはないか。
ムカデを書くのは大変だと思いますけど。



日本の争いというのは、しきたりがあって、
名前を名乗り自分がどこの家系か自己紹介をしてから戦いをしたそうだ。
いちいちその説明を聞いていたら埒あかないと思ったかどうか、
外国人だから何言ってんのかわからなかったのか、自己紹介してる時にあっさり斬られた、
なんて話もあったり?
基本、剣道のように1対1で争うものを、外国人は、これまた袋だたきにして、
日本人は気が良いから、いつも損をしていた?
なんてこともあったかもしれない。
汚いやり方をする人はいたわけです。今も昔もこのへん、変わってない。

根本原理の五色の人--------------------------------------

ところで、私は片倉家が意識していたと思われる五色の旗に釘づけになってしまった。
争いの時は、大体、五色の旗を掲げるという。
北条氏がとくにこだわっていて、後北条という人だったと思う。
五つの名前?チーム?を設けて争いをしたという話が。
片倉家は、五色の旗を掲げ、自らの九曜紋を置き、北斗七星を掲げていた。
これはどういうメッセージかね?



2020年の東京オリンピックが、ごたごたしていましたが、
エンブレムや競技場がうまくいかなかったのも、必然です。
前のエンブレムのデザインでは世界に伝わらない。
これもある種、スポーツという競技の上での旗指物みたいなものだ。
その国の代表といえるエンブレムは、日本の旗となる。
以前のエンブレムだと、Tという文字になるから、Tはアルファベットだから却下。
と、思っていました。
なので、今回のエンブレムが、市松模様というのは日本の伝統だから選ばれて当然だった
と思います。
間違った方向へ行こうとすると、必ず修正が入るから不思議です。

しかも、このエンブレムは、「輪」を意識しているといいますが、
円の中の一つの四角(長方形)を下に移動させて崩していくと、
パラリンピックのデザインになるという不思議な形をしているものです。
とてもよく考えて作られているので、私はこのデザインは好きです。
とか言ってますけど、私は冷めた人間なので、オリンピックはどうでもいいです…。

で、オリンピックの五色は、五色人からきています。
五色の人がなぜか蔵王の御釜から作られたという伝説もあるのだ。
なぜそのような話になったのかわかりませんが。
五色の人がオカルトの間でしか伝わっていないようですが、
五色の旗が古くから伝わっているところ、五色人はあり得ます。

有名なのは、熊本県幣立神社に収蔵されている五色人を象ったお面があること。
五色祭というのは各地で伝わっており、人類は五色人でこの世をつくった
という話がある。
また、熊本の阿蘇氏に繋がるのだけど…。

「阿蘇開拓の主、健磐竜命(たけいわたつのみこと)は神武天皇の孫に当ります。
日向国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部に入られました。
このとき一羽の白鳥が幣立神宮へ案内しました。命は御幣(ごへい)を
立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起こったといわれています。
でも、それは偶然の結果といったものではありません。
命はこの地が高天原・日の宮であることを知っており、
阿蘇開拓に情熱を注がれたのもこの”神代の神都”の備えを固めるためです。
ここに伝承の背後に秘められた歴史の真実があると思うのです。

幣立神宮には人智では計ることのできない不思議がいろいろあります。
八月二十三日の五色神祭には世界から人々が集います。
五色とは世界の人種を肌の色で表したもので、赤色・白色・黄色・黒色・青色の五つの色です。
幣立神宮にはモーゼの水玉、五色神面が奉斎されています。
詳しい由来は省きますが、五色神祭は世界の神々が集まって人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。
祭典は時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、
その波動は参列者の魂を深くゆさぶらずにはおきません。
五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界の実現は全地球的願望です。
私の話は神がかりと思われる方も多いと思います。それはそれで構いません。
ただ、人間は志を高くもって生きなければ存在する意味がありません。
幣立神宮の神域のなかに身を置くと宇宙の意志といったものを体感し、
人間どう生きるべきかを考えさせてくれることと思います。」


※熊本県観光サイトより
http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=104&pre_page=6

先日、名取老女で阿蘇氏のことを妄想していましたが、
こういう所でつながるのが不思議です。
しかも、白石の旧家で・・・。

片倉家の九曜紋から、諏訪大明神と関係していることもあるのかどうか。
仙台の泉にいた国分氏も九曜紋。
また、井の形などを家紋とする家系があるのだから、水銀などの水信仰や産鉄族の
イヒカに繋がるのかもしれない。早池峰神社もそう。
それはルーツが縄文人で、もっと遡ればインカ帝国などの金に関係する。



五色の中で最高の色が、黄色(金)でアジア人だという。
黄金のジパングが平泉だったといわれるのも、インカ文明など忽然と消えた金の王国が、
鉄をつくる刀の技術で日本に伝わっていたことも考えられます。
北斗七星を描く力作にも、念がこもっています。
赤と白は、源氏(白)、平家(赤)という意味もあります。
伊達氏の敵は、この頃は佐竹氏でした。佐竹氏は源氏で白旗を掲げていたけれど、
源頼朝が白旗だったので、佐竹氏は月マークにして区別したという話がある。
伊達政宗にも兜に月マークをつけている。
源氏は、清和源氏の系譜、平家は、桓武平氏の系譜。
でも結局は、どちらでもなく結構自由に平氏や源氏と名乗っていたようです。

この旗をみていると、まるで宇宙戦争だな、と思う。
人類が日本に集まる時を考えていたけれど、それに賛同できない人は斬った?
といったところまで考えていたかどうか。
少なくとも、片倉家は旗を意識していたのだから、ルーツを気にしていたことはあると思う。
では、五色の旗を掲げる大名たちの争いとはなんだろう?

ユダヤと日本のカルマ----------------------------------

繋がっていると思うので少し、書いてみたくなったこと。
以前から、ユダヤは気になっていて、古代史ではユダヤがあまりにも濃すぎる。
イネハポ談になりますが、先日、友人とこんな話になった。

「言霊(ふとまに)に秘宝は、日本にしかないので、日本語を使う日本人にしか
自覚できない」という事。

コトダマ楽の島田先生より
「人間が万物の霊長である根本原理そのものを、言語化した日本語を使う民族は、
万物の霊長たるべき原理を自覚し、その原理を継承、保持して原理の指示する
恒久平和、全民族平等の理想世界を建設する使命に生きる責任をもっている」

だから、私たちは日本人として生かされている。
生きる責任が問われている。
これは、東日本大震災で気づいたこと。




(白石の芝桜と藤)

幣立神社の五色祭りでもモーゼがでてきましたが、関係しているかもしれないのです。
モーゼに言霊の原理の一部を教え、世界支配に託したのは、ウガヤ朝であるという事。
ウガヤ朝の天皇だからそれゆえにユダヤ人は自らを「神選民族」と呼んだ。
日本では天孫降臨という。
日本語を理解しない限り、言霊のフトマニはわからない。
ユダヤ人にはわからないので、世界平和を穏便に支配するのは、
結局日本人のやらねばならない事。

アラハバキ、ユダヤ、イエス、マリア、モノノベ、縄文、弥生も皆、
全部取りこんで自らのカルマを浄化しつつ平和な世界を築く使命に目覚めよ、といったこと。
自らのカルマとは、例えば、国譲りやユダヤが行ってきた数々のこと。
具体的なことはわかりませんが、破壊も含めたことなどを祓うことにあると思う。
そのようなことを記したのが「古事記」という話。
古事記を解読すると、そのような意図がみえてくるらしい。

そのカルマが、「大中臣」といった祝詞になっているという。
「天津宮事以て 大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて・・・・」
大中臣がユダヤかどうかわかりませんが、
大中臣氏といのは、中臣鎌足なので、祝詞を行っていたのはユダヤのカルマであったといえるかもしれない。
大中臣とは天皇の代行者のことを言うので、モーゼに言霊の原理の一部を教えたことの
心を取りこんで、禊祓いをすることの骨子が「大祓祝詞」であると。

その部分を祓うのが中臣氏であり、その系譜に藤原不比等がおり、
古事記を編纂した太安万侶もいた。
大安麻呂=多氏であるかどうか、ユダヤとは言い切れない部分もある。
阿蘇氏とユダヤは別の民族だったかもしれない。
先に東(日本)へやってきた物部氏と、後から西を経由して日本にきた
中臣氏(後の藤原氏・ユダヤ)という事も考えられます。
物部氏は縄文人?とユダヤと別の民族が名乗ったこともあったのかどうか・・・。
いずれ、再び西からユダヤが日本へやってきた時、日本で融合が始まるといった
予言のような話もあります。
西のユダヤが日本に来ない限り、カルマは解消されない為。

ユダヤと考えられる祝詞については、以前に勝手ながらに妄想していました。
秋田物部氏の祝詞。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/ad5e287073757f61a05d5530f295a302

自然を破壊してきた罪---------------------------------------------

大事なのは、阿部氏やアイヌ人やエミシなどは、どちらにも属すことなく、
自然とともに生きてきた人たちが基本であったこと。
そのような人たちの思想が重要。

当たり前だけど、戦争をすることは考えていなかったので、
話合いで決めるために、どの村にも長(リーダ)を置いていた。
モレという人がいますが、この人もそんな使命をもって生きていた人だと思います。
この人は、なとなく逃げていた気がします。
争いをさけるためには逃げるしかないのだけれど、
延々と北上しながら逃げ続けていた一族のような気がします。
そんな姿を見かねてかどうか、アテルイという人が立ちあがったのでしょう。
この人もユダヤだったと思うから。東(東日本)から和を広めるために?
坂上田村麻呂もそれを承知の上でやってみたけど、結局失敗しました。
そのカルマを背負わされていることになっている。東北で・・・。

五色の旗を掲げることで、それに賛同できない者は参加させないようにする。
といった集合意識が戦国大名の中にもあった。
単純な領土争いではなく、自分たちが世界を動かす使命であることを、
伊達政宗は特に感じていたと思う。
その認識をもって、自分たちの先祖のシンボルとして対戦により目覚めさせる。
そんな意図があったと思われる旗指物であった。



個人的な意見ですが、片倉家と伊達家の関係は、
坂上田村麻呂とアテルイの関係に似ていると思うのです。
どこでそう感じるかわからないのですが、伊達政宗が生まれつき片目であることも、
カルマだと思ってしまうのです。
東北はそういう土地なんだろうか。
伊達政宗の愛姫(正妻)は、田村(坂上田村麻呂?)家の子孫だという。
これも過去のいろいろなことを背負っているのだな、と感じてしまう。
ある方から、仙台の六芒星は愛姫の考えではないか?という話を聞いて、
妙に納得してしまった。これも、ある意味呪詛みたいなもので。
もしそうなら、伊達家のカルマを解消させるための愛情の印が、
六芒星だったならば、大変な思いをした愛姫なのに、尽くすところが可愛いと思ってしまう。
愛姫はわかりませんけど、私には、とても愛らしい女性のように感じます。

カルマとは、決して悪いだけのものではなく、良い行いをすればそのまま返ってくる
ものなので、良い心だけを維持していければ、カルマはやってこない。
なので、カルマ自体がないという話もあるけれど、
行った行為は、必ず返ってきます。
だから、私は楽観的に考えている方。
未来はこの空のように、明るい日差しか、それとも曇り空のままか。
それは自分が決めること。



戦争をしなければ、当然ですが平穏がやってくる。
それでもお金を牛耳る者は争いをやめない。
そのカルマは、日本人が背負うことになっている。
なぜなら、言霊を話す民族だから。
人類が何千年も争そうことをしてきた償いを、日本人が日本語の言霊で祝詞をあげ、
禊祓いをする。それが神道なのです。
冗談じゃない、と言いたいが、そういうことなんです。
日本人なら平和にする力があると気づかないといけない。
だから、五色の人の中の最高は、アジア人である黄色(金)なんです。
片倉家に記されているように、五色の色の中央に黄色を置くのはそのような意味があるからです。

片目になった伊達政宗は、真実を知っていても片目しか見えなかったわけです。
これも先祖のカルマで、片目でしか見られない現実で生きなければならなかったと思います。
たぶん、それを受けてしまったんだと思う。
体で体現されていた伊達正宗の片目には、深いメッセージとなり生き続いているのです。

カタハ(片葉、片刃)の伝説は、片目を潰されている。
真実を知っても結局は片目を潰されるという伝説。
そういう事を考えると、伊達政宗は戦国大名の中でも霊的に高い人だったと思うし、
そんな伊達政宗が築いている仙台だから、ホツマツタエで言うように仙台は高天原だった。

今の世の中は、片目でしか見えていないことを伝えているものが片目の伝承で…。
フリーメーソンの眼も、真実は片目でしか見えてないわけです。
真実を見通す両目をもつには、言霊を自覚する必要がある。
しかし、西洋では、それを恐れている。
「真実はアジアにある」と知ったら、今までの歴史が変わってしまうからです。

きれいごとですが、片倉家の掲げてきた旗は、
崩壊のための争いではなく、再生のための争いであったと思います。
全人類が平和な時を過ごせるように、認め合うことの五色の旗であったならば、
私たちがそれを受け継いでいかなければならないと、つくづく思います。
そのような自覚をしないと、報われない霊も確かに存在するからです。
まあ、楽しみながらじゃないと、身がもたないけどね。
ちなみに、言霊の自覚ができてわかる人は、普通の人たちで、特別な人ではないです。

とりあえず、旗指物に興味がある方は、ぜひ、訪れてみて下さい。
白石城から歩いていけます。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

神石白石と菊面石

2016-05-04 | 洞窟・巨石探訪
GWに石を2連発!
場所は宮城県白石市。蔵王の麓。

神石白石は、白石市の縁結びスポットとして有名です。
石の直径は1.05mと大きく、神様の宿る石の一つとして考えられています。

この石の根っこは深く、白石市から仙台市泉区の根(ねの)白石(しろいし)まで続いていると
伝えられていて、遠い二つの場所にある石が繋がっているように、
神石白石で良縁祈願をすれば成就すると言われています。



また、お参り方法が決まっています。まず白石駅でこより(50円)を購入します。
そして、神石白石で、大切な人を思い浮かべながらこよりを専用の場所に結びます。
その後、神石白石の周りを2周してから祈願します。




この石は、泉の根の白石に行った時に知っていました。
「根の白石」http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/bf57cde14ae0d5c63e0213f8ed424d20

この石の由来から、「白石」という地名がついたそうです。
中華龍亭というお店のすぐ隣なんだけど、この中華店も気になるなあ~。
神石は、「白石市いきいきプラザ」の隣にあります。
向かいには、白石うーめんの協同組合の建物。
味がある建物ですね~。





菊面石の伝承-----------------------------------------

さて、白石には珍しい石が見つかっています。
国指定天然記念物となっておりますが、実際の石は見ることができません。
というか、どこに何がどのように埋まっていたのか理由がよくわからない。
また、なぜここで見つかったかというのもわからん…。



「球状閃緑岩は、閃緑岩の母岩の中に、球状構造体(斜長石・角閃石の
放射状結晶を中心として、その外側に雲母、角閃石が結晶し球状化したものを含み、
一見、菊花の紋を並べたように見えるので通称「菊面石」と呼ばれている。
菊面石がどのような条件のもとで形成されたかについては、解明されていない。(
看板より)

注意というのがあり、
1、慣行による利用の他に土地の使用方法を変えること
2、岩石の現状に影響を与えること
3、岩石を採取すること。
これを犯したら、処罰されるとある・・・が、その岩石がどこにあるかなんて全然わからん。
ただ、フェンスに囲まれた中に祠があるだけです。
厳重のような、そうでないような・・・。
まあ、「白石市いきいきプラザ」でレプリカを見ることができるので。





球状閃緑岩(きゅうじょうせんりょく)、通称「菊面石」は、
白石の他、フランスのコルシカ島で産出される。
この説明だと白石にしかないような文面ですが、日本国内では、
香川県、宮崎県、福井県、佐賀県などで見られるそうです。





白川地区には、この石にまつわる伝説があります。
1595年、犬卒塔婆(いぬそとば)宮の沢屋敷の平石衛門・安右衛門兄弟が
田んぼにネギの花が咲く夢を三晩続けてみました。
そこで、田んぼを掘ってみると、菊の紋様のある立派な石が出てきました。
兄弟はこの石をご神体として菊面石神社を建てました。
この田を尊田(とうでた)といい、神田とし大切に耕作しており、
その家では今でもネギを食べない習慣があるといいます。



(菊面石付近1)

ネギと犬卒塔婆----------------------------------

ところで、この場所は「犬卒塔婆」という不思議な地名。
お産で死んだ犬の供養、安産祈願のためにたてるY字型の塔婆のことを、
犬卒塔婆といい、利根川流域に歴史がありそう。
コトバンクでは、「利根川下流域では十九夜講やユサン講などの講員である若い嫁が,
毎年2月から4月ころにかけて定期的に行うが,雌犬が死んだ際に臨時に行うこともある。
犬卒塔婆とよぶY字形の塔婆に握飯を入れた藁苞(わらづと)をつけて,
村はずれの川や三差路まで鉦(かね)・太鼓で送っていき,そこに立ててくる。
これは無事に子どもが生まれてくることを願う安産祈願の行事である」

犬供養は、仏教以前の習俗だという。
動物供養と同じもので、民俗学的にとても古いもの。
安産祈祷のためのものですね。

こんなサイトを見つけました。
千葉県八千代市に「ザンマタ」とよばれた犬供養があり、
二股にわかれた枝の木を、三又路にある場所に置く。
犬は安産で子だくさんなので、それにあやかり安産祈願をしたおまじないだそう。
これらは、後に道祖神と同じように道中の安全も含めた祈願とされたと思う。

やはり、犬卒塔婆の犬供養の風習は、利根川流域を発祥としている感じがする。
トネという地名から、女性のシャーマンがたくさん住んでいたのだから、
安産祈願をするのも女性たちというのがみえてくる。
それに、群馬県にもネギ畑に入ることをタブーとしている地域がある。
白石川と利根川。関東からやってきた人たちの風習が伝わっているのかもしれません。


(菊面石付近2)

また、野菜を食べない理由は、「半夏生」といって、季節の変わり目に設けた特別な暦。
例えば、節分やお彼岸など。
七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、
かつては夏至から数えて11日目としていたが、
現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。
毎年7月2日頃にあたる。
といった細かい設定になっている。
農家にとって家にとっては大事な節目の日で、
この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、
この日から5日間は休みとする地方もある。
この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、
この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。
なお、七夕にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わる。(Wikipedia)

さて、ネギの花の夢をみて、掘ったら石がでたという面白い話。
ネギは奈良時代以前から日本に伝わり、ネギの漢字「葱」は、匂いが強いので、
やはり呪術的な野菜としてあり、神事にも使われていた。

別名の「ひともじぐさ」というらしい。
それにはちょっと興味をそそがれる。
「き」の一文字で表されるからとも、枝分れした形が「人」の字に似ているからとも言う。
その人の形を逆さにするとY字型になるなあ。
いや、全く関係ないともいえないな~。
人を模した形を逆さにしてY型の「木(き)」にしたならば、供養している意味があるよね。
逆さにすることは、死者の意味がある。

犬卒塔婆は犬供養をすることで、安産の御加護を得るための祈願であった。
道に置く理由は、あの世とこの世の境の意味として置いた。
白石の犬卒塔婆では、葱などの野菜を伝えた人がいて、
先住民がその人たちの田を崇めるようになり、おそらく石もその人々により
伝えられたものだと思う。


(菊面石付近3)

田を尊重する意味で、田を敬うようになり石神として祀ったのだと思います。
日本には大事に受け継ぐ故郷の風景が、たくさんあります。

※菊面石

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加