秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

プラズマと地震

2016-04-20 | 日記・エッセイ・コラム
熊本の地震から数日あけても、被災した方々の不慣れな避難生活はとても大変かと思います。
亡くなられた方々が増えてしまい、本当に残念です。
阿蘇は美しい所ですね。
ご冥福をお祈り致します。

思い出す震災。
私は震災の時は、二週間お風呂に入れなかったのですが、別に死ぬわけではないし、
なんとかなるだろうと思ってましたが、髪の毛は耐えられなかったなあ。
1週間も耐えられなかった。髪の毛は洗わないでいると頭痛がするんですよ。
なので、お湯を沸かして洗ってましたが、さすがに水不足であまり洗えず苦痛でした。

やっと姉が飛行機のチケットを取ってくれて、山形まで迎えにきてくれました。
山形の庄内空港から羽田経由で実家に帰ったのですが、山形では温泉旅館に泊まったんですね。
お客さんは、ほとんど宮城県の人でした。
山形は比較的震災の被害は少なく、全国から派遣されている団体の受け入れ先として
旅館が使用されていました。そんな中で被災者を受け入れてくれた旅館には感謝です。
庄内空港では全国から来た消防団であふれ、この時ばかりは消防団がカッコいい!と
思ったことはないです。笑。
ほんとに有難いと思いました。
ほとんどろくな物を食べてなかったから、旅館の料理が胃痛やストレスで食べられず。
姉が「なんで食べないの?」って、私の分も食べているのをみて、
(この東京人が・・・)と思ったことは言うまでもなく。ワラ

ろうそくの炎----------------------------------------------

さて、そんなこともあった震災の日、不思議な現象を思い出しました。
3月11日の夜、ライフラインが全て止まり、ろうそくの火を灯していました。
ろうそくの火は落ち着きますが、何度も起きる余震の揺れの中、壊れた食器を片付けていた時です。
ドンとつきあがる余震に、ビクっとしながら、ふと、ろうそくを見ると炎が揺れている。


(震災の時に使っていた天使のろうそく立て。ロウも震災当時に使ったまま。忘れないために…)

それを観察していたら、あることに気づいたんです。
ろうそくの炎が風が吹いたようにゆらゆらと傾いた後、余震が起きるのです。
炎が揺れた後、2.3秒後にぐらっと大きな余震がくるのを、何度か繰り返していました。

かなり激しく炎が揺れる時があり、窓など開けてないのになあ。
と思っていると、比較的大きな揺れが起きる。
でも、その時は、それがどういうことかなんて考える余裕などなく、とにかく早く朝がきてほしいと思っていました。

これが、今回の熊本の地震で思い出した現象。どうも気になる。
火が揺れることはよくあります。
ろうそくは、普通の生活では使いませんが、よく聞くのは、炎が風もないのに揺れるのは、
何かが通ったとか言われますね。でも、震災の時は、明らかに地震の揺れで炎が揺れているのがわかった。
地震の振動が、炎により目に見える形で起きているのは珍しいな、と思いました。

で、終わりじゃない。

この現象は、素人の意見ですが、電磁波のような電気が走ったことがあるのでは?と思った。
それが、プラズマというもの。
これはね~、なんというか…難しい。
けれど、炎の揺れと地震の関係は、重要なことかもしれないのです。
これって、不要な情報は忘れるが、必要な情報は何年経っても忘れない。
思い出したというのは、とても重要なことだから終わらない。

もしかしたら、都市伝説のように噂される人工地震というのは、プラズマの正体もあるのでは?
しかし、震災を経験した者としては、そんなことより、明日は我が身。
地震は地球が生きている証拠。

しかーし!なぜ人工地震などといった話が広がっているのかっ!?
なんども言われる東京直下型地震。
でも起きない。
南海トラフも起きるといわれて、熊本県だった。
みんな、え?九州?と思った。

調べてみたら、ろうそくの炎が癒されるのは、光を発するものは、ほとんどプラスの電荷をもつという。
ろうそくの炎は、プラスの電圧を加えると揺れることがわかっている。
その理由に、イオンがある。
スーパーなら知っている。
そのイオンじゃない。
イオンを検索すると、スーパーのイオンしか出てこない。ちっ。

「イオン 科学」と検索してやっと出てきた。
一言、「プラズマはイオン化した気体である」と。
・・・???

意地で妄想。
炎の中にイオンがあるからプラズマが起きていると、ろうそくの炎が揺れて反応するらしい。
だから、ろうそくの炎が揺れるのは、プラスの電荷をもったイオンと負の電荷をもった電子が混じった
気体が地中から流れていることになる。それが地震を引き起こす原因なのか?

地震の揺れはプラズマが関係しているから、人工地震という噂がたつ。
だから、専門家も理解できない動きをするという。
そうなると地震の揺れは単純に地殻変動という物質世界の話ではなく、かなりの圧力により破壊された
「気体」により動いていると?空気のような風。
ただ、地中にある石英のようなものが破壊されるとプラズマも起きますが、しばらく経っておきる。
直後というのはよくわからない。

難しいことは考えないでよそう…


※プラズマ(英: plasma)は固体・液体・気体に続く物質の第4の状態。
NASAが撮影した太陽プラズマ。

ひとつ、ニュースをみて気になることがありました。
震災の時もそうでしたが、4月7日だと思いますが、直下型地震のような大きな余震?が夜11時半くらいにありました。
その時は泉に住んでいて地鳴りのゴーという音がして、とっさに部屋から飛び出したのですが、逃げられるようなものではなかったです。
熊本の地震もあのような揺れだったかもしれない。
すごい揺れたので、みんな3.11よりすごかったと言っていて、私も7日の揺れの方がショックでした。

マンションの住民と外に出て、せっかく片付けもして落ち着いたのに、
ライフラインがまた止まってしまい、こればかりは、本当に嫌になりました。

その地震ではニュースでも放送されましたが、青い大きな発光体がみえたのです。
これは泉の方で発電所?変電所?がある所でした。
なので、泉の方で強く揺れたのです。
この発光体は、変電所がショートしたからと言われてますが、普通は、あのような発光体は起きない。
変電所があったから余計に光が広がった気もする。

それに、今回の熊本の大地震でも地震と共に発光体がありました。
これがプラズマと言われ、度々、大地震で見られる発光体なんです。
プラズマは自由自在にどんな物質もすり抜けるもの。

これらの噂に、HAARP(ハープ:人工地震)がありますが、実際、プラズマ兵器などもあるけれど、
まだまだ地球のことを私たちは知らないだけだと思います。
それが人工的に引き起こしているならば目的が私にはわかりませんが。
私ならば、その噂が人々をもっと不安に陥れるのに効果的だと考える者に、賛同してしまうことになると考える。
だからその話には乗らない。
震災時でも知人から人工地震は聞いていた。
が、その話の前に自粛すべきで、まだ被災者がたくさんいる状況で、その話を持ち出すのはいかがなものか。
言うのは構わないけど、タイミングっちゅーもんが。

人工地震だから怖いという不安を狙いとしている人々は、たくさんいる。
だから、SNSで拡散することを期待している人たちは、残念ながら世界中にいる。

地球の内部からプラズマが発光されているならば、異次元の時空を超えた光があると思ってしまう。
漠然としか言えませんが、あれだけの揺れを引き起こすくらいなのだから。
それは、地球はガイアだから、人間と同じように変容しようとしているのではないか?
そういう発想は、誰かに教えてもらったわけではないが、過去の記憶がそう言っている。
それに、地球上に巨大なプラズマが存在していることもわかっている。

それを、チベットのタントラを指していると思いたい。
そんな人工地震のような次元の低い物質界の話ではなく、
過去、アトランティスでも試していたけどやっぱりダメだった。
なので、私の記憶の中にネパール大地震によって私の過去世が開いたのだから、
震災でも今回の熊本の大地震でも、タントラが開いたことを少し気付かされている感がある。

エミシと隼人の共通点。みな、タントラを目指していた。
ますます直刀がプラズマ地震に思えてくる。
雷が代表的なプラズマ。雷を使って古代の人は、あの世界を求めていたのかもしれない…。
でも封じられた。負のエネルギーをもたらすために?
巨岩や石を積み、プラズマを引き起こさせないために仕掛けられた?
だから雷神山古墳に惹かれるのだな。
なんだかな~。


※18世紀のゲルク派の学匠ロントゥル・ラマの『本初仏吉祥時輪の由来と名目』の説明によると、
シャンバラには9億6千万の町があり、96の小王国がある。
小王たちの上に立つシャンバラ王は王宮カラーパ(英語版)に住んでおり、
そこから南の方角には立体型の大きな時輪曼荼羅がある(画像)。
そしてシャンバラの人たちは寛容な法の下で健やかに暮らし、善行に勤しんでいるという(Wikipedia)。

あの世界に戻りたい願望。ムーやレムリアは、地球(地上)大地母神に留まることに決めたけど、
何かあって地下(地球の内部)に逃れたという話。
その復讐だかなんだか知らないが、HAARPがアメリカなど西洋諸国で行われているというのだから。
西洋ではなくアジアに多い大地震を考えるとね…。

※織物を意味するタントラ、古くから伝わるインドの経典。
タントラの考えはヒンドゥー教、ボン教、仏教、ジャイナ教に共通して存在する。
タントラはさまざまな形で南アジア、チベット、モンゴル、中国、韓国、日本、カンボジア、ミャンマー、インドネシアに伝わった。


※シャンバラ王ヤシャス

地震が多いアジア諸国。西洋では大地震がほとんどないのは単なる地形の問題?
アジアからタントラは開かれる証拠。
それが動き出した意味と捉える。

タントラは時論であり波長の波であり空間でもある。
タントラは、プラズマを表現しているものの一つだと思います。
「12種類の風の気」も、ろうそくの炎が揺れる風の気の一つでもあると思えるのだから。
これは、地球空洞説が関係しており、地球内部にシャンバラの世界があると考えられている興味深い話。


※アティーシャ:チベット仏教を広めた人。

あの震災の時の炎の風が、異次元空間の風であったなら、異次元の扉が少し開いたのかもしれない。
震災から気づかされる数々の出来事。
確実にタントラが開いていると感じます。


(ハート型の花が咲くタイツリソウ)
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十三塚のナゾ その3

2016-04-17 | 神話・伝説
つづきー!
一気に書いちゃいます。
次から次へといろいろと言葉がでてくるのですが、追いつかない。
全然まとめられない。
なので、早く終わりにしたい。ワラ

タカ族とは---------------------------------------------------

仙台市太白区に大野田古墳と春日社古墳がある。
大野も、もしかしたら多氏関係の土地だったかもしれない。
多氏は、「太」という地名を多くもつ。
「仙台平野を治めた~」でも書きましたが、東北地方で初めて革の盾が発見された。
春日社古墳を含めた古墳群は、5C頃で会津の大塚古墳からの影響を受けていると思います。
革の盾は、大和政権が有力な地方豪族に贈ったものだとされ、隼人の盾と同じ意図がある。
隼人も外国人を迎える時の儀式として、盾を送る習慣があった。
紋様も隼人紋様である。
この紋様は九州(熊本県)渡来してきた多氏の横穴石室と同じ形状のもの。
かなり呪術的な渦巻きやギザギザの波紋様などがある。
その横穴式石室は、千葉県、茨城県、福島県(相馬周辺)、宮城県北部に伝わっている。
隼人は熊本や阿蘇と縁がある。



さて、大(オオ)のことを、朝鮮語では、「タカ」という。
高倉下が、オオ氏と関係していると思うのはそれなんですが、
大河原にある大高山神社は、白鳥とタカの話が関係している。
白鳥と鷹の契約とは、物部氏と多氏の友好を意味していることもあるのでしょうか?
それが神剣に受け継がれている気がする。なので、フツヌシと高倉下は同じように伝承される。
渡来人に西漢氏と、東漢氏という名前がでてくる。
西は物部氏、東は多氏や大伴氏だというが…
東北へ逃れた物部氏は、多氏と友好関係を結びながら細々と暮らしていた。
祭祀の鉄や竈を造り、出雲族とも稲作を伝えながら、豊かな文化を育む。
東北は海も山もあり、豊かな土が映え、たくさんの移民がそれぞれの文化、風習を伴って暮らしていたと思います。
日本を西と東に分けて国をつくろうとした坂上田村麻呂とアテルイは、
植民地にならないように、力(軍事)をつけた方がいいと考えていたけれど、
その価値観は全く異なるもので、争うことではなく、
話し合いを務めようとしたところが見受けられるのです。
なので、坂上田村麻呂は、長年、朝廷から陸奥国へ上毛野氏を派遣していたのを通訳者の物部氏に変えたのだろう。
その一人がアテルイだったこともあり得ます。
そこで、モレという人々に出会うのだが、モレは諏訪からきた一族の誰かということも…?

北イスラエルと南ユダのことを考えていたのではないかと思ってしまうこともある。
アジアのユダヤ人とはどういうことか?
これは、縄文人が世界中に散らばったけど、再び日本へ戻ってきたことにあると考える。
イスラエルの世界では分離したけれど「日本で和を以て統合すべし」というのが、
和(倭)国だった。それを率先していたのが聖徳太子など。
「日ユ同祖論」というのがありますが、読んだことないのでわかりません。でもそんな感じ。
南の島からやってきた縄文文化と、北の縄文=擦文文化からアイヌ人へ伝授された自然崇拝。
南と北の融合に新たな時代が必要で、その担い手となった代表者が、
南の多氏だったのではないでしょうか。

Yの和---------------------------------------------

もうひとつ考えたいのが熊野信仰です。
名取には熊野三社があり、熊野老女伝説がある。
雷神山古墳の周辺にもたくさん熊野神社があるので、古墳と熊野も関係している。
多分、鹿島神を多く祀る宮城県だったから、熊野は古墳が多く残る名取に熊野三社を置いたのだと思います。
熊野はユダヤとは関係ないでしょう。
後からとってつけた話もありますけど。

余談ですが、個人的に気になっていることがあるんですけど、あくまでも想像で。
旧姓の「ヨコタ」は、元は朝鮮~沖縄、南の「オコタ」が由来にあると聞いた。
漢字は様々にあたえられるが、出雲や東北の陸前高田の横田町のように、熊野に関係していたこともわかった。
しかーし、北海道にオコタヌシという地名があると!
アイヌ語なんだが、似ている言葉に、オッコトヌシというのがある。
これ、「もののけ姫」にでてくる猪の長なんだよね。乙事主(おっことぬし)だと。

…事代主じゃね?
イノシシは、イノ=狼。
東北では、狼をオイノと呼ぶ。
イノを尊敬する呼び名。

なぜ、オコタがYのヨに変化したのか?と思う。 妄想するに、海人のオコタという人々を
尊敬する意味をこめてユダヤ人が「Y」と発音したことはないかなあ~。
日本語でも「御」とつけるように。

「カインをぶらさげている日本人」より引用させて頂きます。
ユダヤの神語のひとつ、「Y」はヒエログリフに記される葦のマークが「Y」
なんだが、葦のマークが一個だけだと、「i」の発音になると。
2個になって「Yi」になるから、「イグサ」のYiになる。イグサは群生するから複数?
アシがヨシになるのは、忌の言葉と連動するという。
英語でYをワイとよむのは、合わせる意味があるW=和と i の合成だからである。
Wもユダヤ人にとって神の響きである。

そう考えると、聖徳太子の「和で以って…」の和はYの和をもつことじゃないか、と。
聖徳太子がユダヤ人で秦氏だったとしたら。
イグサはある種、葦の意味も持つわけだが、日本でいう麻だと思う。
麻生という地名がありますが、これは阿蘇から由来しているでしょう。
しかし、栗原ではそのイグサ(Yi音)を嫌うのが熊野神社というのが面白い伝承。
イグサにより片目を潰されたからだ。

そしてYが深い話なんですけど、
ヒエログラフのi音は、「パイプ」の意味があるという。
イグサの多くが中空になっており、解剖学的には血管を指す。
次に表されるb音は、(人間の足のような形のヒエログラフ)、集めるといった意味がある。
弁や勉強の勉、便(腸)などなど。弁はb音だから、イブという文字は、パイプと弁=心臓と考えられる。
転じて「心」を指す言葉となる。
Y音は振動である。


群れるイグサは、振動であり振るいたたせる音。これは、麻の響きと同じものだったのでしょうか?
さて、他に山田さんの姓もいえるかもしれない。
山田の地名は、熊野信仰に関係していると思うほど、山田の地名が熊野の話に多くでてくる。
あこや姫伝承が伝わる岐阜県でも、地名は山田であり砂金だった。
ヤマダのYをぬくと、アマタになる。
天や海人ではないか?と思うと、ヨコタと似ている。
オコタとアマタ。Yで山田と横田となり、どちらも田である。
横は五行説の木偏と金といわれるのだから、山田も金に関係していた氏族から派生しているかもしれない。
なので、ユダヤ人も和を考えた末に、日本語の言霊にY音を含めようと考えたわけです。
Yの響きがどんなものかわからないが、物部氏の言霊や渦巻き、祝詞が浮かんできてしまう。

地震と大国主------------------------------------------------------

まだまだ多氏については、いっぱい語れそうなのですが、
多氏と物部氏の話になると、とても疲れる。
ほどほどにしたい。笑。


(出雲大社の大国主)

この前は面白い夢をみて、大国主の横顔をみた…
絵の額にはまった横顔っていうのがね、シルエットみたいなんですね。
肖像画みたいな。なんで正面じゃないのか面白い。
よく教科書の絵に描かれるような古墳時代の人。(写真のようなこんな濃い顔ではなかったけど)
年齢は40代~くらいで鼻が高い人だった。
理想のタイプを夢みているんじゃないよな~。笑。
古墳時代~平安~鎌倉~といった風に時代がどんどん新しく変わる度に、
その横顔の人物も変わる。なぜか、江戸時代だと思うが、黒ぶちの眼鏡をかけたサムライが写っている。
「めがねかっ!」という、さま~ずのようなツッコミをして、目が覚めた。
面白すぎっ。

ちょっと気になるのが、震災の時も大国主をよく耳にしていたのですが、熊本の大地震が起きた日にみた夢だったので、
地震が起きると、大国主がでてくるのです。
ニュースをみて思うのですが、大地震が起きる度に、専門家の人は「余震が今までない動き」といいますが、
震災があった2,3年前の岩手・宮城北部地震でも同じことをいってました。
「地下で何かが起こっている」といって、よくわからない現象だというのですが、
数年後、津波の大地震が起きました。
地震は科学では説明できないし予測も無理でしょう。
いつ起きてもおかしくないのが地震です。

なので、古代の人たちも地震には苦労してきたから、
直刀やら要石やら、祈祷やら、占いやらいろいろなことを試していたのでしょう。

以前、鳴神の話をちょっと書いたのを思い出したのですが、ナイが…なんだっけ?
その内容をすでに忘れた。
で、オオナムチを祀っている神社があり、三重県の名居神社。
ナイは地震だった。
祭神:オオナムチ、スクナヒコ、アマノコヤネ、コトシロヌシ、イチキヒメ(イツキヒメ?)ヒルコ・・・。
龍神のオンパレード。

「日本書紀」より、推古7年に大和地方が中心の大地震があり、
諸国に地震の神が祭られた。伊賀では当名居神社がそれであり、「ナイ」は地震の古語である
江戸時代は国津大明神と稱し比奈知川上流に散在する国津神社の惣社であった」

だそうです。

思い出した。
鳴子の温泉石神社は少彦名命を祀るのですが、
温泉と石は地震の意味があり、鳴子のナルがナイであると。

オオナムチの己は、昨年、弥彦神社へ行った時に落ちていたお守りにもあった。
蛇のエネルギーは、マグマの揺れを引き起こす。
名居神社は国津神といわれ、物部氏はその揺れを鎮める祈祷をしている。
でも、だからといって地震を防ぐことはできません。
地震のメカニズムが、人類に深い関係があるとわかる日がくるまでは。

熊本の阿蘇では、大学生が犠牲になってしまったのも残念です。
復興まで時間がかかりますが、辛抱強く待っていてほしいです。
ニュースをみて震災を思い出します。
まずは、逃げることですね。ドンっと突き上がる地震の揺れは恐ろしい。
震災から、いつどこで大地震がおきても大丈夫なように、
出かけた時は、常に逃げ場をチェックしています。(避難先)

全然まとめられないでいつも終わるのですが、多氏も物部氏も、もののふでした。
霊統は、東北の鹿島神社を気にしている様子でした。
震災後はそんな感じで、何か所か鹿島神社を巡りましたが、
今でも無意識にマップで東北の鹿島神社を探してしまうのです。
それでも自然災害は防げない。
ブレないで過ごせる日はいつなんだろう。
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十三塚のナゾ その2

2016-04-17 | 神話・伝説
鹿島神と多氏-------------------------------------------------

私は多氏という氏族が以前からずっと気になっていました。
東北地方に多い熊野神社と鹿島神社は、意味があってたくさん祀っているからです。
物部氏がなんとなく多氏を隠しているような気がするのは、
東北の鹿島神は、茨城県の鹿島神宮とは違うような気がしたからです。
また、多氏は狼信仰だったと思うのです。
モンゴルかコーカサス地方か、砂漠の民であったと想像する。
でも、その根拠はないし、史料に何かが残っているわけではない。
それでも古代史好きな人ならわかると思うのですが、尊敬したい人物が必ずいる。
「オオ」や「タカ」という言葉を残した氏族が、私の霊統であり、
疑うことなく確信になっている。
そのような接触をしてくる霊統は、霊的なものだから私も説明ができない。
感覚的に知ってほしいのだな、ということでしか今はわからない。



古代史を妄想するには、さけては通れない多氏の存在。
大和国十市郡オ富(おお)郡(現:奈良県田原町)を本拠とし、
氏名を大・太・意富・於保とつくる。
唐古・鍵遺跡を上回る弥生時代の大集落地で古墳時代まで続いており、弥生時代から、
「日読み」の聖地とされた。

(※「鬼ものがたり:鬼と鉄の伝承」より)

渡来人ですが、最初は九州に長く住んでいたといわれる。
中心は熊本県。

名取の雷神山古墳は、関東では、茨城県~福島県会津~宮城県へ入ってきた豪族の証だと思う。
おそらく船に乗って航海し、関東地方の千葉県や茨城県へ上陸してきた人と、
日本海へ上陸した人と分かれてきたかもしれない。
後に、日本海にいた豪族(大彦命)と武蔵にいた息子(タケヌナカワ)が、会津で出会ったという話になるのだと思う。
埼玉の巨大な稲荷山古墳にも、鉄剣がみつかり大彦命に関係しているともいわれる。
それが前回、伊具郡で妄想した四代将軍の一人、タケヌナカワの末裔や、海人族だったと思うが、
日本海から会津へ向かった大彦命は、意富彦とも書くので、多氏が関係する。
多氏は、神八井耳命といわれ、鹿島神の祭神であるタケミカヅチは、
神八耳井命を祖とする多氏の奉斎する神だった。
東北地方に多い鹿島神社は、元は多氏だったということになる。
その後、物部氏や中臣氏(藤原氏)が祀る鹿島神社となる。

「鬼ものがたり:鬼と鉄の伝承」の著者、大橋忠雄氏によると、
最初、鹿島神の祭祀氏族は多氏と物部氏であり、
茨城県の鹿島神宮は、多氏の支配下にあった。

「多氏の常陸における根拠は何処かというと那珂国であり・・・此処の国造は多氏…。」
鹿島神と香取神の分霊は、
765年~768年に大和の春日の地に遷され、
春日大社に分霊、移された後の今の鹿島神が、中臣、藤原氏の祖神になったとされる。
分霊された後の今の鹿島神は、藤原・中臣氏の氏神であり、
春日風鹿島はニセモノで、陸奥の鹿島分社の祭子神が「昔の鹿島神」であり、
今の鹿島神に祟ったと解されている。
元々、多氏または物部氏が奉斎し勧請したタケミカヅチ神は、卜占技術で奉仕していた
中臣・卜部である藤原氏に取り入れられたと考えられる。


大阪府茨木にある阿為神社は、本来は多氏のタケミカズチを祀っていたという。
タケミカヅチは塞神で、茨木市が水陸交通の要であることを考えられるため、
塞神とされたという。
そう考えると、名取の塞神も陸奥街道の要として置かれたわけだ。
阿為神社の末社にも、猿田彦神が塞神として置かれているのだから。
阿為神社は、現在は藤原氏のアマノコヤネ(春日権現)を祀っているという。



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神八耳井の意味は、「八井生む これをもちて天つ水と聞しめせ」
天つ水を入れる「甕」のこと。
これを志理都比古神(シリツヒメ)ともよぶ。

先に多氏がいたので、物部氏は多氏の支配下にいたが、後に藤原氏と手をくみ、
鹿島神を藤原氏の祖神とし、フツヌシの剣を奉納。
石上神宮のフツヌシを祀ることにしたが、それ以前は、「高倉下」の神宝(剣)ということも?
高倉だから、タカ=オオである。(朝鮮語では高をオオとよむ)
同じフツヌシでも、本来は、女性が授かる神宝だったことはないだろうか。
塞神のクナト神は男神とするけれど、私は塞ぐのには、巫女の力が強力だと思うが…
それが、卑弥呼なんだよね。
なぜか卑弥呼が出てくる。よくわからないけど、卑弥呼系統の巫女が塞神を置いたという妄想。

東北の鍛冶集団は、多氏率いる出雲や阿部氏のアラハバキであったが、
物部氏は阿部氏や出雲などと同盟を結んだけど、結局は藤原氏と手を組んで、
物部氏の祖神である二ギハヤヒにしたのだと思う。
ニギハヤヒは、物部氏でいう太陽神。どちらも同じことなんだけど。
なので、私は物部氏や藤原氏の多くがユダヤ人で、
南国からきた南の縄文時代から続く先住民や海人族や出雲を祀ることをしたのだと思う。



でも、そのユダヤ人は抹消させるようなことではなく、オリエンタルユダヤ人というアジア人で
あったならば、同胞だったかもしれない。
今の白人ではなくて。
エミシ征伐が本格的に始まる前は、和の統合があったと思う方が自然。

大橋氏の書によれば、
三輪氏の祀る三輪山(大神神社)は地祗で、多氏が祀る三輪山は天神という。
(天とするのは父神、地とするのは母神。三輪氏と多氏は、女神と男神を双神としたのだろう。)
それら二つの性格があり、三輪氏が三輪山そのものを神とするのに対し、
多氏は三輪山から昇る朝日を神として祀ったと考えられている


また、アフリカでの天からネズミが降りてきて穀物を広めた伝承は、天神の男神である。
地の母神に対し、男神を天から降ろす。三輪氏の地神とは、蛇であり朱塗り伝承があるように、
母神が基本になっている。父親は天の神からもたらされたということ。その話を付け足したのが、
多氏であったと考えられる、
これは、マリアの受胎告知とも似ている。



思うに、人類は宇宙の子。
地球という星に降りてきて生きるのだから、父は宇宙であり、母は地球の大地である。
元は大地母神であったのを、地上を映す宇宙を父としたのは、天孫系といわれた人々だったのでしょう。
これは、西洋の堕天使とは全く違うもの。落ちてきたのではなく、あえて降ろした。
地球で人間として生きていくことを選んだ私たちは、国常立の子でもある。
あえて地球を選んで来たのだから、悪いことをさけることはできず。
またそれを悪いことだと思う必要もない。
「自分で選んできた」のだから、生きるのが辛いといっても、それを選んだ自分は何であるか?
を、まず考える。

そんな重要な思想が、一柱にあると思う。諏訪の御柱のように。
精霊木に人間が群がる姿は、地球そのものの躍動感がある。
なので、自然の脅威の中で互いに生きていかなければならない。
天孫系は別に国神を支配したり封じたりはなく、命の説明をするために、
男女神(双子神)をもたらしたものだった。


(ツインの花を探すのが好きです~。)


その大地母神は、古くは蛇である玉依姫だろう。
それは龍神のレムリア(想像すると)に姿を変える。
事代主(大物主)は、タマヨリヒメ(ワニの姿で子を産む)と聖婚し(異類婚)、
娘の五十鈴比売は神武天皇と婚姻。
その子が神八耳井命で、タケヌナカワの祖という伝承がある。
神武天皇の兄弟を後裔を称する氏族が、「皇別」とし最も古い氏族であるといわれ、それが多氏であった。
多氏は天皇に近い存在で、古事記を編纂した太安万侶は多氏であるといわれる。
なので、五十鈴姫を古事記では、富登多多良~、ホトタタラ~と書く。ホトを突いた神話の話。
大田田根子と同じタタラ。
多氏のタタラ製鉄。ひょっとすると、秩父の宝登山も関係しているかもしれない。
神武天皇を祀るし、ヤマトタケルと製鉄の話があるし、それに何となく多氏は狼を眷属としていた
感じもするのだ。それが大山祇神社の狼に繋がり、安曇氏は、多氏と同族か同盟を結んでいたのかも。

日本書記は、蘇我氏や聖徳太子の「天皇記」というものに記したのを追記しているものだったと思う。
なので、タタラとは書いてないわけだ。
それは、多氏の存在(三輪氏)=出雲族を隠すたためだったのでは?

蘇我氏と物部氏の対立の場合、多氏側についていた物部氏だったから、
蘇我氏により、日本海に左遷されたような形になったのだと思う。
多氏も皇別だから、祝詞をあげていたわけだから、物部氏と一緒に行動していたとは思う。

その古事記に、19の氏族が並び、これらの氏族は血縁に関係なく地方豪族が多氏と同族を結び、
系譜を作成しているものだという。
これらは、「蹴裂伝承」とよび、鍛冶や鉄鋼に関係しているといわれ、
雷神、火神、など金属の別称として語られている。
その氏族の中には、(鬼と呼ばれた)意富臣(オオ氏)、火の君、阿蘇君、筑紫の三家連など。
多氏と同族の阿蘇の祖神は、阿蘇の火口原が一面、湖水であった時、神八耳命の子供で、
龍神であるタケイワタツ命が、今日の立野にあるスガル(数鹿流)の滝を蹴透して阿蘇湖を
乾かしたという伝承がある。

このへん系譜は割愛します。。。
しかし、これは長野県安曇氏の泉小太郎伝承と似ている。

なるほど。これが古代の自然災害か…。
今の阿蘇山の噴火も気になるところですが、
今年は諏訪の御柱祭りがあったから、龍気が揺れたのだろうか…
阿蘇と諏訪は繋がっている。その揺れを阿蘇が引き受けた?
犠牲者が出てしまい残念ですが、古代人は、祭りをすると地震や噴火が起きることを理解していたのかもしれない?
これは、エミシが騒ぐと自然災害がおこるから、朝廷が鎮めるために仏法や要石などを置いて鎮静させたという伝承につながる。
これは隼人のことでもあるだろう。
エミシや土蜘蛛や隼人など。まつろわぬ民は、朝廷に反対した人々のことをさす。
先住民が騒ぐというのは、祭りのことで、天からもたらされた太陽神により地上に豊穣がもたらされるための感謝の祈り。

また、雷は、多氏の氏族の一人「小子部スガル」という人がおり、
雷を呼ぶ神といわれたそうだ。
大蛇と大雷の話があり、お墓にも雷が落ちたというので、
スガルの神は、生きても死んでも雷を捕まえる存在といわれたそうだ。
この意味は、おそらく直刀のルーツがあると思う。地震ということも。
鹿島神宮にも直刀があり、雷が鳴るのは神鳴で、金の杖を持つ鋤のこととの説もある。
これらは、電気を発するものであったかもしれない。
(「鬼ものがたり:鬼と鉄の伝承」より引用。)



ということで、多氏の妄想は、まだまだありますが、次にします。
タカ族と、熊野とYの和。
これ、深い話です。
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十三塚のナゾ その1

2016-04-16 | 神話・伝説
九州がんばれー!
東北の次は九州なのか…ショック!
だから私は古墳の行脚をする。(なんだそれ)
行きたい遺跡が前からあった。忙しくて行く暇がなく。
時間だけが過ぎて行く時に、熊本で大地震。
もしかしたら先祖のルーツは、熊本のからきているかもしれないのに…。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
熊本の友人は無事でした。友人は、東北と繋がっていると言っていた。
ホントだ。九州と東北はよく似てる。
私はこちらでお祈りするしかできませんが、九州からきていたであろうご先祖様に、
何かの形でこの地震を伝えたいと思う。
まずは、川内原発、東日本大震災の教訓を学んでほしい。

今さら気づいたのですが、誰のためにブログを書いてるのだろう?と思ったら、
先祖のためだった。そういうことかあ。
地震は、人の心にも揺れ動くモノ。

さて、宮城県南部には、たくさんの古墳が発掘されています。
ずーっと仙台北部に住んでいたのが、とうとう南の名取の方へ引っ越しをしてもうすぐ1年。
南は全然違うな~と思う。
名取平野だから昔の人もここが住みやすいと、縄文時代~古墳時代の1万年以上?
も暮らしていた可能性があるのでは?と思うような遺跡がある。





十三塚古墳は、縄文時代後期頃らしいので、1万年以上とは言えませんが、
そのくらい古い旧石器の遺跡は、仙台や名取にもあります。
縄文人が暮らしていた土地に、後から弥生人(渡来人など)がやってきて、
先住民にいろいろな知識を教えたり、農耕を伝えながら生活を共にし、
一緒にお墓に葬られるようになる。
エミシという人が発見されたのもそれで、地元の先住民と一緒に人骨が見つかり、
その時一緒に埋められていた冠みたいなものが、近畿や関東などに住んでいた民族とは異なる
ことがわかり、どんな人物だったか不明なので、エミシ(東北に住む異民)ではないか?
というざっくりした話で今は忘れられている。

十三塚公園---------------------------------------------

ということで、春の花咲く公園を散策しながら、縄文や弥生、古墳時代の息吹を感じてみる。
で、いつも行ってるガンセンターの近くだった・・・。




(竪穴式住居があった場所)

名取市にある十三塚公園は、縄文時代~古墳時代の複合遺跡。
弥生時代の早くから稲作が伝わっていた集落だった。
場所は小豆島丘陵北東に位置する。
昭和5年松本彦七郎博士により初めて紹介され、多くの石製模造品や
弥生土器が採集された。
この特徴ある弥生土器について伊藤信雄博士は、東北南部弥生後期の標式として
「十三塚式」と命名された。
その後、昭和48年の調査により、縄文~古墳時代までの竪穴住居跡を百軒以上発見。
この住居跡は、尾根上に凹状を呈する往時の廃屋跡43ヶ所(こうした例は県内でここだけ)
も含まれる。他にも弥生時代の土拡墓群も確認されている。
特に弥生土器では西日本前期の土器「遠賀川式」の類似土器が発見されているため、
東北の稲作文化の伝播を知る上で貴重な遺跡となっている。(
看板より抜粋)



遠賀川式土器は、九州~近畿地方に伝わる弥生式土器で、青森県まで及んでいる。
特に日本海の東北に多く出土しているので、日本海を通って交易をしていたといわれ、
日本海から太平洋地域へ伝わったと思われます。
弥生式土器の中では紋様(葉など)があるのは遠賀川式土器だけで、
北部九州から伝わっているため、渡来してきた弥生人が稲作を伝え、
急速に遠賀川式土器が広まったと考えられる。





でも、今は形あるものは、何も残ってない。

アテルイが占拠していた胆沢では、3、4世紀頃には農耕社会が成立し、古墳をつくる豪族がいました。
その生産力を軍事力に変えた人がアテルイといわれる。
早くに陸奥へやってきた上毛野氏は、物部氏(6世紀頃~)とも接触していたはずで、
雷神山古墳のような東北最大の古墳をつくるほどの大豪族を、アテルイが無視するはずはなかったでしょう。
巨大古墳は人骨を埋葬する墓というよりは、あの世とこの世を結ぶものと考える方が正しい。
またこの世に蘇ることを望んで造られた箱みたいな入れ物です。





十三塚公園は、雷神山古墳の側にある。
この公園は知りませんでしたが、
まるで、雷神山古墳のために造られたような気がします。



十三塚古墳について調べてみると、いろいろなキーワードが隠されていると思う。
・13の数字
・ネズミとネコ
・多氏
・雷
・東北における春日社と鹿島神社

なぜ、「十三塚式」と命名されたか。
いろいろありすぎてまとめるのが難しいけれど、気になるので妄想。
以前から雷神山古墳は気になる古墳でした。
他にも古墳はたくさんあるのに、雷神山古墳にしか興味が持てないのはなんだろう。
終わらない雷神山古墳の妄想・・・。
かなり前に「仙台平野を治めた酋長」でいろいろ書いてました。
これを今読んでみると、物部氏が関係していると言ってましたが、
この裏に、多氏がいたことが見えてしまった。
それについては後でちょっと書きたい。

もちろん、古墳についての細かい資料などないので、ほとんど直感的なことしか
言えませんが、長いことブログを書いていると、やっぱり雷神山古墳は私にとって
何かがあったと感じてしまう。忘れていても思いだされる光景がパッと瞬間的に浮かぶ映像が
数年前からあるのですが、私の前世か先祖の姿かわからない。
小さい土墳で泣いている若い男性の姿ですが、服装が白い布製のものをまとっているだけで、
かなり古い時代の様子。
古墳はある意味、大豪族と一緒に葬られた一族の墓といえるのだから、何かを後悔している。
雷神山古墳のルーツとなる大豪族に仕えていた一族だったと思うのです。

「勿来」という言葉が浮かんだ話も前にしましたが、
やはり、雷神山古墳には、塞神としての特徴があると思う。
国境といった線引きをされた墓であり、その結界をひかれた意図が、
十三塚古墳に隠されていると思った。
そこまでする必要がなぜあったのかを考えると、もののふ集団がそのように仕掛けたようにも…



13の数字--------------------------------------------------------------

13の数字はユダヤ人の聖数といわれる。
それにこだわった十三塚古墳は全国にあります。
Wikipediaより、十三塚古墳とは、民間信仰による土木構造物。
一般的には13基の高塚から構成され、本来は13仏に由来する。
しかし、数は13に限られることはなく、13仏の由来も不明な部分が多い。
主な伝承としては、戦死者、落武者ら13人の供養塚ないし墳墓として、
又は、埋蔵金の隠し場所として造られた説もある。
起源は、十三仏信仰、古墳時代の群集墳。経塚。
あるいは、善根のための造塔行為として造られた。
怨霊や無縁仏の供養塚。境界を鎮護するためなどがある。

また秩父の話になってしまうのですが、
和銅黒谷付近には、円墳がたくさん残されています。
和銅黒谷は自然銅がとれたところですが、13にまつわる数字がたくさんある。
羽がついた人物(おそらく秦氏)の話など、ユダヤ教とも深い関係があります。
十三塚という古墳名はありませんが、13と古墳は繋がっているわけです。
その付近から、蕨手刀が見つかったのだから、出雲の鉄文化も入っているかもしれない。
それが九州からきたミワ信仰、多氏の末裔だったこともあり得ます。



奈良県の生駒にも十三塚がある。
大和国と河内国の国境、法隆寺へぬける十三街道の北側でキリシタンがいた所だそう。
生駒氏は、前回、車輪の家紋の話をしましたが、智慧の天使の輪である。
車輪の紋様に反応したのは、織田信長で生駒氏は尾張で織田信長に仕えていた。
何度も生駒氏と信長が出入り(尾張藩に)していたというのだから、
織田信長の西洋思想に影響されたのは、生駒氏からだったでしょう。
生駒氏は、藤原氏のルーツがあり、大和国平群(へぐり)という場所に居住していたそうだ。
先住民の土地にやってきて、後に八幡宮などを建てるようになる。

ユダヤと縄文の関係がみえそうなのは、十三塚古墳がある場所にもよる。
関東では千葉県が特に多い。悪路王伝承がある千葉県ですが、古代の千葉は茨城とほぼ同郷。
神奈川県では畠山重忠主従を祀る6つの塚(六つ塚)※陸奥は六つ国から由来?
六芒星と関係すると思うし、
丹波にも十三塚があり、金屋という地名が残されている。
参道に6個づつ小塚をおくという珍しい遺跡。しかし墓とは考えられず、
単に土を盛るだけらしい。
岩手県江刺の十三塚にも丹波山という名前になっている。
「丹波某氏の拠れる地にして、鶴ヶ城主正端入道越前守の滅ぼすところとなる。現に十三塚あり」
15,6世紀に記された文献。
場所はアテルイを模した薬師堂があるといわれる黒石寺近く。

13というと、もうひとつ思い浮かぶのが青森県の十三湖。
青森県はキリストの墓があるヘブライ人との由来がありますが、
13という数字には、北イスラエルと南ユダに分かれた氏族のことが関係しているのでしょうか。
12人だっけ?あえて12人にしてプラス一人を加えた長(巨人=偉大な人)を思わすような伝承がある。
十三塚古墳について、ネズミとネコの話。

ネズミはニライカナイから来た?-------------------------------------------------

「12匹の猫と1匹の大ネズミ」

12匹の猫と1匹の大ネズミの墓とする昔話がある。
昔、その地にあった寺に夜な夜な正体不明の化け物が出るようになり、住職を恐れさせた。
ある日、12匹の猫を連れた旅人が寺に宿泊を求める。
住職は化け物が出る事を話したが、近所に他の家もなく、旅人は猫たちと共に寺に宿を取った。
その夜、現われた化け物に12匹の猫が立ち向かい、一晩死闘が続く。
夜明けとともに静かになり、住職と旅人が様子を見ると、
大犬ほどもあるネズミ1匹と12匹の猫の死体があった。
住職は12匹の猫の塚を造って手厚く供養し、それに大ネズミの塚を加えて十三塚と呼ぶようになった。


ネズミは、死者によりつくという。
これは世界中でも言われており、あまり良く思われていない。
そのネズミを猫が退治してくれるとあって、古代エジプトなどでも猫は重宝されていた。

「十二支の民俗伝承」によると、
ネズミは浄土であり島には穀物などを荒らす被害があり人に悪い影響を与えてきた。
しかし、ネズミを排除することはなく尊敬の念をこめて、
「ねずみ」とは言わず、「ウエンチュウ」や南の島々では最上の敬意を表す
「ウエガナシ」と忌言葉でそれを呼んだ。
奄美大島や沖縄諸島では、ナルコテルコ神といい、ナルコ神は山神、テルコ神は海神という
双神であらわされる。ナルコテルコ神は鳴神と同じような意味があるのか、
「海上にニライカナイという神の世界がある。ネズミはその世界からやってきた」という伝承。
また、ネズミは穀物起源をもち、アフリカでは天からネズミが落下してそこから穀物が生じた話。
他にも古代ギリシャではネズミは「太陽の子」といわれ、
エジプトでもネズミを手にしたセトス王の石像などもある。
ネズミがあの世(黄泉国)からやってきた話はドイツにもあり、世界中に伝承されている。

猫とネズミの昔話はとても多い。
これは十二支のこともあると思いますが、猫は十二支にはでてこない。
大黒点(ねずみを神の使いとする)は、北方の神であり、北を意味する。
十二支でネズミは、「子」で一番最初に始まる。
最初の国生みがネズミといわれ、それが大国主という説もあり、
それが出雲だったという話に繋がる。
たしか、神話でもネズミに助けられる大国主の話があったと思うのですが、
北と冬の冬至の意味もあり、植物が実りの春を迎える生死のサイクル。



十二支の話では、猫はネズミにだまされる。
1日遅れの日を伝えたので、猫は参加できなかった。
13日の太陰暦から12日の太陽暦に変わった話にも繋がりそう。
それに、これらの動物は今は星の名前になっています。
それ以前の、南米ペルーなどの王国は太陰暦であったから、
エジプトは太陽暦に変えたことも考えられますが、もっと深い部分に入ると、
それぞれの宇宙の星からやって来た12の生命体であったりする。
黄道十二星座といわれたり。人間の特徴を12で分けようとしたのか?でも猫はいない。
妄想するに、猫は化けるから、本来の姿ではないということか…
人々の精神に影響を与えている十二星座や十二支。
その思想は、シリウス信仰していた聖徳太子が広めたこともあるでしょう。(秦氏)



忌言葉は、信仰上の理由で悪いことを避けるために、その名前では呼ばず、使わない言葉とされる。
鳥海山の大物主を「大物忌神」と呼ばせるのもそれです。
さて、大物主は何で悪い人にされたか。これも後でいろいろと妄想してみたいが難しい。
しかし、このあたりは雷神山古墳、十三塚古墳(他にも古墳あり)
藤原実方の墓が近くに点在しており、
そこに塞神のサルタヒコ命とアメノウズメという夫婦神が祀られている。
この塞神は、雷神山古墳をさしているのではないか?と思えてきた。
それに、藤原実方の落馬説が伝承されるのも、雷神山古墳を見に来た藤原氏がいたからでしょう。
しかし、藤原氏が落馬して亡くなったことにしている。

ある地元の話では、雷神山古墳を馬鹿にしたから祟りがあったという。
これは、アメノウズメが神話の中で、裸体で踊ることを恥だと考えたので、
藤原実方は(雷神山古墳に対し)そんな下品なものに頭を下げたくない。との話から。


(若葉がきれい~)



また、このあたりや多賀城などでも、「愛島」「小豆島」「浮島」など島とつく地名がある。
ニライカナイではないか・・・。
愛島を「めでしま」と読むけど、とてもきれいな地名です。
霧のかかる広い平野に浮かぶ島。その小さな森が聖なる地であったニライカナイを想像させる。

ところで、ネズミと大国主の古事記をよむと「矢」がでてくる。
この矢をどう解釈したらよいかは、古墳を視点に向ければ矢は「鍛冶」の意味になる。
長くなるので次にします。





※ここで熊本へ向けてお祈りをしたら、青い光がきれいに映っていた。
これは、簗瀬浦遺跡(縄文)の時に映っていた青い光と似ている。
縄文の光が、熊本まで届きますように。

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しじみの効果

2016-04-10 | 日記・エッセイ・コラム
春ですね~。
東北地方でも桜満開となりました。




(名取市役所の桜)

ところで、義母と同居してるのですが、血液の病気を数年前から患い、
昨年は問題なかったのが、今は要介護です。
いろいろなことがあって、人間は不思議な生き物です。(ジブンも)
病名云々より、「血液は食べ物で作られる」は、その通りだ!
と実感している日々で、和食とはすごい食べ物だ!と実感してます。
当たり前か。

で、毎週ガンセンターへ通院し、私はいつも付き添いですが、
毎回採血し白血球や血小板、ヘモグロビンなどの数値をチェックします。

それが、同居始めて一ヶ月が経つ頃に、ヘモグロビンの数値がいつもより、ぐっと上がった。
と、いっても平均よりは半分くらいしかないので、良い状態とはいえないですが、
輸血しないですむくらいに少し良くなりました。
経験者である義母が珍しいことがあるね~とちょっと驚いていたのだから、
他はあまり変わらないが、ヘモグロビンの数値のみ上がるというのは不思議だ。

今、薬治療はしていないので、どこかで変化があるなら、食べ物にあると。
なので、食べ物で命を繋いでいる状態。
和食中心の料理に切り替えたら、主人が1ヶ月で3キロやせた。
いろいろ動いているせいもあるけどね。
私はいつも変わらない。

それで、何となくね、な~んとなくですが、シジミがとても血液に良い気がしまして。
もちろん、それだけが理由ではないですが、シジミはすごく良いのでは?と思ったんです。
貝類の効果。
義母が一番好んでいたのが、青森県産のシジミで、これ、関東人ならみんな、うなるほど美味し!
義母も始めて青森県産のシジミを飲んで、美味しい、と。
それからよく貝類の味噌汁を食べるようになりました。

十三湖や青森県とあるもの。
ちなみに、セブンイレブンで出している真空パックの青森県産も美味しいです。

それでシジミを調べていたら、津軽ならではの伝説が。

----------------------------------------------
むかし、各地を巡礼中のお坊さんが津軽のある村にたどり着いたのですが、
空腹と寒さのため行き倒れ寸前にまで弱っていました。
村人たちから懸命に看病されたお坊さんは、その甲斐あって元気を取り戻し、
村の子供たちに学問を教えたり、大人たちの悩みの相談に助言したりするようになりました。

そこでお坊さんは、湖でとれるシジミの貝殻を焼き、それを粉末にして、村人たちに飲ませました。
すると、たちまち村人たちの体調がよくなったのです。
二日酔いが改善されたり、黄痘症状が治ったりと、特に肝臓の病に効果があったそうです。


十三湖のシジミ----------------------------------

その昔、十三の湊町が大津波により一夜にして壊滅し、
その悲惨さを空を舞うカラスが哀れ悲しんで流した涙が十三湖のしじみ貝となったと伝えられている。


赤貝の謎---------------------------------------------------

さて、食べ物は個人の好みがありますし、何でも食べたいものが一番体によいと思います。
しかし、病気となるとちょっと違う。土を食べるというと大袈裟だが、和食こそ薬。
東北の風土が美味しいわけです。

食べる行為は、確実に寿命を伸ばします。
シジミなどの貝類は、肝臓によいと言われます。
肝は、五臓の中でも血流をよくするので、女性の月経不順にも効果があると言われる。
なので、血液とも関係している。
それに、肝は血を蔵すという。
肝が陽で血が陰といわれ、血流をコントロールする臓であると。

さて、神話ですが、貝に手を挟まれて亡くなる猿田彦の神話がありますが、
これも貝を煎じて飲ませたら、蘇生した意味がある。
が、猿田彦は海に沈められましたけど。
ヤサカトメにより、オオナムチが殺された時、赤貝と蛤貝とつく二人の巫女が、
貝を煎じて飲ませたら、蘇生できた話。これって、縄文だよね。貝だから。

これが、血液と関係しているなら、神話は、ある種メッセージ。
病気を治すのに植物や貝類を使用しており、
それを食べることで五臓の働きをよくすることを知っていたわけです。

私は植物や貝類など、まだ人類が生まれる前の生き物は、人間のひな形だと思ってます。
人間はそれらを元に造られている。
そう考えると、なぜ、赤貝で蘇生できた神話になるのかは、血を造ったことにあると思うからです。
赤貝の由来は、血を意味してます。
貝にも血液がありますが、無色透明です。
しかし、赤貝は人間と同じヘモグロビンをもっているのだ。
なので、血が赤いから赤貝なんです。
ということで、貝類が血液に良いと、直感的に感じたわけです。

法螺貝----------------------------------------------

貝といえば、法螺貝ですが山伏がもって吹くもの、
悪いものを退散させる「音」で、エネルギーが良くなるといわれるが、
実際、どんな働きがあって法螺貝が生まれたのかはわかりません。
しかし、山伏は狼の遠吠えを聞いている。狼の声を真似ている説もある。
そのように夜の山は危険なので、悪いものや動物を退散させる目的もあったと思う。

ただ、ルーツはチベットのトゥンカルというもので、
「白い法螺貝」を意味することからだと思います。
Wikipediaより、
梵語で法螺貝を意味するシャンカ(śaṅkha)とも呼ばれる。
白い法螺貝の上に鏤められた錫や青銅の象眼細工や良きエネルギーを表す明色のビーズによって
飾りがなされている。

インド史を通じ、法螺貝は大いなる力・権力・威信の象徴であった。
インドの叙事詩の英雄達はみな名を持った白い法螺貝を持っていた。
英雄が白い法螺貝を鳴らすとき敵軍は恐怖に慄き、それは戦いの始まりを意味した。
この古の信仰はチベット音楽における、白い法螺貝の平和と良きエネルギーの神聖なる象徴という
イメージへ影響していると考えられる。

トゥンカルは有史以来宗教楽器としてチベットの宗教音楽において使われてきた。
チベットでは仏教の到来以前、シャーマニズムであるボン教が信仰されていて、
トゥンカルは霊を呼び起こして家畜や作物の成長を助けたり、
病や破滅を齎す悪霊を消し去るために使われていた。
今となってはトゥンカルは主に仏教寺院か興行において見られ、
非宗教的な使い方は非常に稀である。(Wikipedia)


※トゥンカル(by wikipedea)

日本では猿田彦命が、貝に手を挟まれて海に沈められたという話にしてるのは、
巫女の呪術的な原因で亡くなったと解釈できます。
手を挟まれるというところで、手は撫でる(テナヅチ)の力があったけれど、
その力を失ったという意味でしょう。チベットと少し違い、
日本では貝の首飾りが巫女の象徴でもあった。なので、美しい女性と見られる。

また、桜満開の東北ですが、櫻という漢字に貝二つの女とは、まさに巫女の意味が含まれています。
この貝は、子安貝ともいい、タカラガイという渦巻きの貝だそう。

貝の使用は、巫女が行なっていた祈祷にあり、蘇生や魂の供養をするためのものといわれる。
特に貝を首飾りとしていたそうだが魔除けかもしれない。
縄文時代の沖縄では呪術的に用いられた装飾品である。
サのクラという言霊も働いている。
私が思うサクラは、字のごとく、咲くことであり、また、割くことでもある。
分けることは、前回の剣の言霊でも話ましたが、生と死の境を割くモノや、悪いものから避ける 。
サクラは、「さあ!」とか、「サナギ」のサとか、かけ声のように「始まり」であると。
自らを咲くためにあるクラ=倉だったり。倉庫は保管するものですが、
豊かな実りを持つものを蔵山ともいうのだから、食物の女神。
人は食べることで命をもたらす。(食べる物にもよります)


(モクレン)

それが桜という木に変化しているから、日本人は桜そのものや言霊に魅力されるのです。
梅よりは香りが無いのに、甘い香りがしてくるような。
さあ、始まりですよ!と言って咲いているような桜。



本来、巫女は純粋で美しく透明感があったはずです。また、多くの実りを与えてきました。
呪詛で倒すような、また、怨霊と呼ばれるような巫女ではなく。
普通の女性であったことを、もう少し認識すべきだと思う。
犠牲になった巫女はたくさんいたのだから…



こういうとなんだけど、家系というのは重たいね。
今の時代、その発想は必要ないかもしれない。
学ぶためとかいうのとは違う。
夫婦は学ぶために一緒になりますが、家系は断つためと考えても良いと思うのよ。
家族と家系は違うから。

私みたいに、好奇心で先祖を追いかけているのはまだ良い。
ただ、先祖はうざい、と思っているらしい。ワラ
数年前のヒーリングでも、マスターは何も教えてはくれなかった。
教えると調べられるからだって・・・。
いつも近づけそうで近づけない。
なので、今は介護という「静の時間」を与えられ、「内観しなさい、」と言われている。
なぜなら、私はそういうのが苦手だったから、早くから与えられてしまった…。

家系が行なってきた面倒な役目を終わりにしたかったら、割くことなんだよね。
なにも先祖の悪い行いを継ぐ必要はない。良いものはいいけどね。
そこは、断つべきで、割くということだね。
良いも悪いもなくて、「ただ選択する自由を得る」。
そうしないと、何でもいいんだな、と思われてどんどん重荷になる。
「それは違う」という気持ちを持って、嫌なものとは心を割く。
心を分けることができると、心に咲く。
サクラには、そのような力があるような気がします。
そこは切って、自由になるべきです。
そうしたければ、自分にどれだけの強さが必要か問われることが起きるから、
そうなったら他人がどーのこーの入る余地がない。
自分で何とかしないとならない。

ということで、毎日、毎日当たり前に食べている食材。
日々、同じことを繰り返していると、ある時、ふっと気づくことがある。
何を食べたら、体のどの部分に良いか、なんとな~くわかってきたような。

「腑に落ちる」とはいいますが、
前頭葉にたまっている知識を、チャクラのみぞおちあたりに落とすことを「腑に落ちる」という?
それは、毎日同じ作業をしていると、ある時、頭でっかちから、みぞおちに落ちてくるから、
ああ、そうか、とわかってくる。
その人の経験により、再び知識が増していく。

うんちくだけど、みぞおちは、鳩尾(きゅうび)という。(鳩がふくらましている姿)
経穴といって、気と血のツボなんだね。
九尾の伝説は、鳩のことだった。
神話や伝説にも鳩がでてくることがある。鳩は聖徳太子にされてる感あるなあ。
おそらく、感覚的な部分、精神の目覚めの臓器といわれているので、
そのツボが、前頭葉から降りてくるのだから、これもまた神話も理にかなっている。
日々、当たり前のことが、ちゃんと説明されているのだから、
こういう事もちゃんと自分で説明できて、納得できると、人生はもっと豊かになると。
そのうち忘れるけどね…
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姫を待つ瀧

2016-04-05 | 東北地方の伝説(岩手県)
「むかし達谷の悪路王
まつくらくらの二里の洞
わたるは夢と黒夜神
首は刻まれ漬けられ」
宮沢賢治:原体剣舞連


剣は亡くなった人の霊を慰めるためのモノであり、
蕨手刀はその由来があって作られたものである。
アテルイは自らの剣で、魂を鎮めることになったのでしょうか…。
人を斬るために作られたモノではなかった舞草刀は、
アテルイの死後から、武士の味方となり日本刀が誕生する。

前に、刀を持たせてもらう夢をみた事があったのですが、
先端の部分は霊力が強いので、絶対手で触れてはならない、という事を言われた。
先端部分にもちゃんと名前があるのですが、「横手」という名前がある。
剣道でもオテ(御手?)と言いますが、あれは、横手からきているのかな?
刀の振り方で、左からと右からでは意味は違うという。
縁を切りたい時など、刀の振り方は左だったかな?忘れたけど、
左右のどっちからか先に切るんだと。十字にクロスするように。

そんな意味のある刀の振り方があると聞いて、へ~と思った夢。
その夢によると、私の先祖も武士の時代がありましたが、
結婚すると名字が変わりますね?
そうなると、○○家との縁が終わったみたいな感じで、刀を振ることで
その縁(たぶん先祖代々から続くモノ)を終わりにするために、
知らない御祖父さんから刀の振り方を教えてもらい、家系を切って新たな家系に
縁を結ぶといった意味の夢をみた。
刀にはそういう意味があって作られたことを教えてもらい、
そのおかげでずいぶんと生活もそうですが、精神的に楽になったことは確かです。

それ以前は、自然霊がカミだったので、結界といいますが、
剣で線引きするようなことをしていたんだと思います。
人間界と自然界の領域は互いにおかさないように、幣束を立てるのはその意味があると思います。
白旗も巫女の生贄だったり、中国の兵馬ようは、その風習を止めて変わりに埴輪を作るようになりました。
それを止めた人物に神話でいうとスサノオがいて、スサノオは人の命の重さを知っていた。
ヤマタノオロチは、その生贄を実施していた女性の神官みたいのがいたと思う。
なんせ、お腹を痛めて子供を産みますから。
生み出すことも死にいく人も、同じ所からスタートする。なので、そこに深い意図はないという発想。



遠くからよく見えるのが、岩面に彫られた大仏ですが、
33mあり、敵・味方関係なく戦死者を弔うために阿弥陀如来を彫ったそうです。
何かを物語るような凛々しい顔。
私はこの大仏に何かを感じてしまうのですが、鹿島神宮に奉納されているアテルイの顔にみえてきた。

ところで、私は説明書通りに参拝していないことに気づいた・・・笑
最初に姫待不動尊を巡り、金堂へ行き、白山池をみて毘沙門堂へ行ったが、
本来は逆らしい。まあ、いっか。

108体の多聞天というところで、私は108を「トワ」とよんでしまった。
除夜の鐘は、108回。
十和田、十和利山(キリストの山)、東和町、永久に・・・などなど。
言霊ぽい。

かつら石と姫待不動堂----------------------------------------------------

悪路王等は京からさらってきた姫君を窟上流の「籠姫」に閉じ込め
「櫻野」でしばしば」花見を楽しんだ。
逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は、「姫待瀧」と呼び、
再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪をかけた石を
「かつら石」という。
姫待不動尊は、智証大師が達谷西光寺の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを、
藤原基衡公が再建した。




髪の毛と櫛は巫女の象徴。
三つの鳥居は三鳥居のことなのか。
エミシを三輪山に連れてくると、大騒ぎしてうるさいので、別の場所へ移したと話があるが。
これは祈祷をしてうるさいということ。
クシミタマは、奇魂であるから、三諸山に住むミワ信仰となる。
オオナムチの爬虫類ぽい名前は、龍の気を奮い立たせることで、
大地震を引き起こすような出来事もあったと思う。
しかし、それは地球に生きる糧なのだから、エミシたち先住民にとっては不思議なことではない。
ちなみに、ミズハノメは、水の精霊である。





そういえば、二ギハヤヒの名前の漢字にも「櫛」がつく。
櫛は「奇し」で巫女のことをいいますが、
毘沙門堂の伝承の中に、髪の毛に関する伝承があるのは、
クシナダヒメというスサノオの奥さんがでてくる。
『古事記』では櫛名田比売、『日本書紀』では奇稲田姫と表記する。
ヤマタノオロチ退治の説話でアシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。
ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて
湯津爪櫛(ゆつつまぐし)になる。
スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。





あまり詳しく述べませんが、妄想するに、人は死にますから。
その姿が醜くなるわけです。
イザナギがイザナミの変貌した姿を、醜いと思ってしまう。
美しかった妻は、嫉妬や怒りを知ってしまう。
ここにもそんな意図を感じる像があります。
骸骨というのがリアルですが、人間はそういう姿になる。



あんなに美しい人がこんな姿に。という衝撃が、スサノオにもあったのか、
クシナダヒメの姿を思う「~出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る~」
と歌っているという人間的な感じも受けます。
人間的とはこの世の世界で、八の世界ならば、一生美しくいられる別次元だからです。
スサノオは落ちてきた人ともいえる。西洋では堕天使という。
また、クシナダヒメは、ニニギの話に出てくるイワナガヒメのことと同じだと思う。

名前は通常、『日本書紀』の記述のように「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神
と解釈される。 原文中では「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)にその童女(をとめ)を取り成して~」
とあり、クシナダヒメ自身が櫛に変身させられたと解釈できることから
「クシになったヒメ→クシナダヒメ」という言葉遊びであるという説もある。
さらに、櫛の字を宛てることからクシナダヒメは櫛を挿した巫女であると解釈し、
ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある。

もうひとつは、父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から
「撫でるように大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされる。
(Wikiより)

撫でるといえば、髪の毛を撫でるってこともありか?
神と髪は同じだな。
そうすると、大山津見の海人族がでてくる。

スサノオが剣などではなく、戦いに櫛を選んだのは、呪術であったと考えられている。
自らの頭に櫛を付けることで、女性の霊力を得るためであり、
髪の毛を伸ばし長い髪にするのもその意図がある。
男性でもロン毛だったエミシは、髪を結い上げていた説もあるほど。
ちなみに、稲田神を祀っている神社が興味深い。
廣峯神社(兵庫県姫路市)、氷川神社(さいたま市大宮区)、須佐神社(島根県出雲市)、
八重垣神社(島根県松江市)、須我神社(島根県雲南市)、八坂神社(京都市東山区)、
櫛田神社(富山県射水市)、櫛田宮(佐賀県神埼市)のほか、各地の氷川神社で祀られている。

多くの神社では、夫のスサノオや子孫(又は子)の大国主などと共に祀られている。
しかし、茨城県笠間市にある稲田神社は、唯一クシナダヒメを単独で祀っている。(wiki)

蝦蟇(ガマ)は虫偏なので、龍や蛇のことでもあり、ウガ神の伝承がある。

蝦蟇ケ池-----------------------------------------------

昔、満面の水をたたえていた達谷川や北上川を美しい浮島が行き来するのと、
奥州巡錫の慈覚大使は、五色の蝦蟇の姿で貧乏をもたらす貪欲神が化けていると見破った。
大使は嶋を捕らえて、窟毘沙門堂まで引きい、再び逃げださなぬように一間四面の堂宇を建立し、
蝦蟇を降伏する白蛇、即ち宇賀神王を冠に頂く八肘の辯才天女を自ら刻して祀り、
蝦蟇ヶ池辯天堂と名付けたと伝えられる。
昭和60年の調査で蝦蟇ヶ池きゅう護岸から平安末期の土器が大量に発掘されている。
昔は、お姿が美人であったが祟りを恐れて誰も御顔をのぞきみる者がいなったという。




扉が開いているので、辯才天女を拝観できますが、色白で大人しそうなかわいらしいイメージ。
姫待不動尊とは対照的。



坂上田村麻呂には、竹伝承がある。
櫛は、竹で作られており、イザナギが黄泉から追ってくるイザナミに、櫛を投げると筍に変わり竹となって助かった話がある。
宮城県の金が発掘されたのの岳も、逆さ竹の話がある。
もちろん、坂上田村麻呂が巫女を排除した所の一つにあたる。

クシナダヒメを排除することは、スサノオ排除と同じで、出雲の水神かどうかよくわかりませんが、
蕨手刀の取手は水の象徴である蕨のデザインを施している。
水の清め祓いをする巫女を、坂上田村麻呂は、蕨手刀で封じる呪術を積極的に行っていたのでしょうか?
ン~、坂上田村麻呂は剣をもっているイメージがないから、これもモノノフ集団であったと思う。
なので、アテルイの刀も呪術の意味をもって使われていたわけだ。
そのような怨霊を恐れてフツヌシを奉納している神社がある。
フツヌシは石上神だが、正統な高倉下の刀。
茨城県の稲田神社は、クシナダヒメだけを祀神としている。
そこに合祀されているのが、フツヌシ、菅原道真、大山咋神、オオヒルメムチである。
これらは、全て意図的に朝廷が何らかの畏れをなし、怨霊を恐れて祀られたと思う。

また、セオリツヒメのこともあると思うが、どうもセオリツヒメという言葉は、錯乱する。
ここも池が重要。イボとりとか、蝦蟇とかの伝承などもあり。
アマテラスは男神、女神は…
いろいろな名前にされている女神ですが、
セオリツヒメならば、二ギハヤヒの存在があっておかしくないが、毘沙門天を祀るのは、
鬼門でもあり鬼が産鉄ならば、平泉近くなので舞草鍛治集団を考えると、アラハバキなど独特の鉄文化をもっていた人々と出雲、
またはオオ氏などの海人族の集団だったと思います。

悪はアクア------------------------------------------------

ドロドロした飲めない水を、飲めるように清水に変えた話は多い。
これは、産鉄族が金を発掘する際に、水銀という有毒な水が大地に染み込むと大変なので、
清水用に開拓した人物が、慈覚大師や空海などがいたのだと思う。
仏教へ帰依する目的もあるのかもしれない。
が、仏教も金で巨大な大仏をつくったり、木を伐採して建築物をたてる。
もちろん、環境破壊だから、エミシたちは神聖な場所を守ろうとした。
なので、悪路は悪い水というよりも、インドを想像するとわかるが水を清める祓いの水であり、
それを風習としていたのがエミシだったので、仏教はそこを別の考え方で止めようとした。





湯殿山でもそうですが、砂金に水は欠かせず。
必ず池や沼があり、弁天様を祀る傾向があり、金を崇める産鉄の女神がある。
水の清め、祓いをしてきたというならば、姫待とは、産鉄たちの水を司る神であった。
「姫を待つ」という言葉もきれいですが、何かあったような名前です。
それに熊野っぽい。


(姫待瀧)

アクアという清水の語源の由来があるように、悪路はワッカの清水が由来だと思います。
ここに閼伽堂がありますが、不動様の水で眼を洗うとよいといわれる。
眼はいろいろな能力を見る力があるが、もう一方で環境もある。
このあたり一帯は、平泉の側である。
水銀など金を精製するさいの水は有毒。失明する人も多かった。
また、アクア→アスハにも通じる。
アスハ神(阿須波神)は、四座に水と田の神を伝えるものだが、
田の神という渡来系と、水という縄文系の融合な気もする神です。



名取熊野にも閼伽水伝承がある。
閼伽は供養する水のことですが、インドが由来で口で水をすすぐことや、来客に足を洗うという
行為が、アカをとるといった意味からきているようです。
悪いものを水で流す。清め祓うこと=精製する
その力をもっていたセオリツヒメ信仰をしていた巫女たちは、隕鉄や水銀などの鉱石を見つけていたのではないかな。
超能力みたいに。その時に、池に沐浴のような姿で水に祓いを行っていたようなイメージがある。



その長が、女性だったという妄想。
なので、すぐ前に川があり、この先に滝があるわけです。
まるで、修験者たちは、姫を待っているかのようにたたずむ・・・。





ん~、謎多い達谷窟毘沙門堂。
でもとても穏やかで気持ち良かった。

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平泉探訪の前に、一関インターで降りて、厳美渓~一関博物館(道の駅もある)~
達谷窟毘沙門堂~姫待瀧(駐車スペース有)~かつら石~平泉へ。
電車利用は、一関駅から厳美渓行きのバスがあります。(1時間に1、2本有り)
厳美渓~博物館(徒歩5分)~達谷窟毘沙門堂(徒歩30分)~姫待瀧(徒歩5,6分)~かつら石(徒歩3分)

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オオヒルメムチとエミシ 

2016-04-02 | エミシについて
一関博物館から徒歩30分位で達谷窟毘沙門堂(たっこくいわやびしゃもんどう)
へ行くことができます。


(遠くに見える山は栗駒山)




(なぜかヤギがいる)

平泉まで行く場合、車で行ってしまうとこの先の姫待瀧に気づくことは難しいかもしれない。
初めて毘沙門堂へ来た時は、主人と一緒で観光客もたくさんいた。

もちろん、瀧のことも知らなかった。
しかし、今回は一人で他に誰もいない毘沙門堂をゆっくりと独り占めできて、ラッキーでした。
こんなことはなかなかありません!





毘沙門堂の前で静かに座っていると、不思議と安らかな気持ちになります。
3つの鳥居をくぐると、そこは黄泉国という設定がある。

お堂の前には弁天池、裏手には白山池。櫛の巫女が金を守り、毘沙門堂が金=不老不死になれるよう
約束しているかのように、ずっとここでお籠りをしている何かの存在がたくさんいる。
(108体あるんだと)
じっと見られているような感じではなく、とても静かに息を潜んでいるような感じ。
だから人間に気づいていないと思う。
変な話、あちらの存在も、なぜここでずっとこうして守っているのかも、
わからないんだと思う。
感じ方は人それぞれなので、あくまでも、個人の感想です。

この平穏さが、後の坂上田村麻呂の鎮魂の御加護であるというならば、
坂上田村麻呂とアテルイ(悪路王)との間には、深い信頼関係があったと思える。

クシナダヒメが深く関係していると思ったが、「靈」の漢字をみて、
私はオオヒルメムチという言葉が浮かんだ。
秋田の大日堂。

その前に、ブログにも書いた覚えがあるのだが、いつものように忘れているので、もう一度おさらい。
しかし、相変わらず悪路王が悪いように書かれていますが、そんなことはないと地元民は
思っているのかどうなのか…。

栗原出身の知人に、歴史の授業でアテルイやエミシのことについて勉強したのか
聞いたら、歴史にエミシは出てこないと言っていた。
悪い人たちだと思っているから、学校では教えないんだろう。

縁起-------------------------------------------------

1200年前、悪路王、赤頭・高丸等のエミシが磐に塞をかまえ、良民を苦しめ
女子供をかすめる等乱暴なふるまいが多かった。
国府もこれをおさえることができず。
そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂たちに蝦夷征伐のために派遣。
対する悪路王は達谷窟より3千の賊徒を率い、駿河国清美関まで進んだが、
大将軍が京を発する知らせを聞くと、武威を恐れ窟に引き返し守りを固めた。

801年大将軍は窟に籠る蝦夷を激戦の末討ち破り、悪路王・赤頭・高丸の首を
はね、ついに蝦夷を平定した。
大将軍は毘沙門天の御加護と感じ、その御礼に京都の清水の舞台を模して
九間四面の精舎を建てて、百八体の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所として
毘沙門堂と名付けた。(別名窟堂)




-------------------------------------------------------

奥州合戦の帰路、源頼朝もここに立ち寄ったそうだ。
葛西家の崇拝も厚く。
葛西氏といえば、秩父平家の祖でもあるのですが、
あの武甲山に三菱マークは要らないと思っていたマークと同じ3つ柏だった。
それに、葛西氏が使っていた旗が巨大な卍だった!
ムーだ…
どっか繋がってしまうね。


(※「郷土のかたな」一関博物館より)

葛西氏が治めていた場所で、宮城県北部の佐沼城があるのですが、ここに照日神社が祀られてます。
最初にここを治めていたのは、照井という名前の一族。その後、
葛西氏が占拠し後に伊達政宗が統治した。
葛西氏は、モノノフのエミシの聖地を占拠していたように思う。
それに、佐沼城は鹿を埋めていたというのだから。鹿の儀式というところ、諏訪神かモノノフか…

その照日神社には、出雲神社も一緒に祀られている。
なので、アテルイを天照皇神とするならば、靈(ヒ)という漢字の巫女は、オオヒルメムチみたいだと思う。
ヒルメのヒの漢字は、女という漢字を含む。

秋田県のだんぶり長者とオオヒルメ神社。大日堂とよばれる大霊日貴神社があり、
黄金マスクのポスターにカルチャーショックを受けましたが…


大日霊貴神社(オオヒルメムチ)※ムチに貴という漢字をあてている。

また、二ギハヤヒと関係していそうだと思ったのは、
「二ギハヤヒ供奉衆」というのがあり、高天原から派遣された二ギハヤヒ軍の将軍みたいなもの。
そのリストが先代旧事本紀以外は、意図的に削除されたという。
理由は、神武東征の優越性を主張するためと。
数あるリストの中に、八意思兼命、阿智神社や武蔵秩父国造の名がある。
秩父彦は二ギハヤヒに従ってやってきた証であるとされる。
秩父に蕨手刀が伝わっているのは、そのような理由があるからだろう。
また、秩父に神武天皇のお社が多いのも、神武東征の転換のために置かれたとも考えられる。
それは物部氏より、尾張氏の可能性が高いという。
では、それ以前は何か、というと、ウガヤ朝であったと思う。(このへん複雑)
達谷窟毘沙門堂もそのリストの一つにあるわけではないが、ウガヤ朝という白蛇の蝦蟇(ガマ)伝説が
残されていますが、ガマは白蛇のことだという。(伝説については後ほど)

個人的な話ですが、そのニギハヤヒの供奉衆のリストに、私の旧姓、「横田物部」というのがあった。
横田は金の意味があることは以前、横田町(陸前高田市)の話で書きましたが、物部とは~。
「天物部25部の人同じく兵杖を帯びて天降り供え奉る25人」
という中に、横田物部が入っている。他に鳥見物部。鳥見といったらトミの鳥海山ではないかっ!
横田は古くは、「オコタ」と呼んだ。
OがYの「ヨ」なっているのは、ひょっとしたら、ヘブライ語かもよ。
YHWHEだっけ?ユダヤの神音。ヤハウェ。ヘブライ人は、オコタと言いづらいので、
ヨと言ったんじゃないの?(勝手な妄想ですけど)
横田はユダヤのルーツもあるかもね。
なのでモノノフのユダヤ人説は否定できません。

アイヌの神=オオナムチ?-----------------------------------------

オオヒルメムチという言葉から、だんぶり長者に繋がる。
だんぶりとは、トンボのこと。
トンボは神の使いとも言われていますが、なぜトンボなのかは、
はっきりとわかりませんが、勾玉のような穴の空いた飾りのような気がします。
トンボ玉は、トンボの複眼に似ているのでその名前がついたそうですが、
古くはオリエント時代や、エジプト文明でも作られており、
ガラスも奈良時代から日本にもたらされている。
穴が空いている石を奉納しているアラハバキか、オオナムチの由来に
飾りの装飾品があったことも何らかの関係があるでしょう。
この話は、簡単にいいますと、だんぶり長者の娘が亡くなって、オオヒルメを祀ったという。
オオヒルメとは、天照大神。だんぶり長者は、清水から酒に変えた人でその娘は、
継体天皇に仕えたのですが、亡くなるとオオヒルメを祀り供養したそうです。
そしてそこに銀杏を植えたと。
銀杏は、秩父の国神にもある。大銀杏は秩父の象徴なんですが、
国神にある大銀杏には秩父彦の墓ともいわれ、秩父彦はワカヒコでないか、という話。
ホツマツタエに秩父彦が出てきたと思う。和歌が上手なヒルコは、ワカヒコに歌を捧げた話。

ワカヒコは、アマノコヤネと同一というか斎名。ワカヒメとワカヒコの関係は、
ヒルコとヒルメとなる。
また、ワカヒコは春日神であり、秩父長瀞には春日神やアマノコヤネを祀ることが多い。
妄想するに、国生みの最初は、ヒルコであり、女神を立てて、
ヒルメとしたのがアマテラスではなく、オオヒルメムチとしていることはないか、と。
それが、オオナムチということ。
オオヒルメムチとオオナムチが似てるだけなんだけどね…
卑弥呼は出雲と関係しているので、先の縄文の産鉄女神から、
出雲族が卑弥呼崇拝の天照神(アマテラス)としたとか?

また、アイヌラックルでは、地上で誕生した初めての神であり、地上と人間の平和を守る神とされる。
オイナカムイ、オキクルミなどの別名でも伝えられている。

つまり、オイナはアイヌの神で、それが訛ってオオナとなっており、その語源がヒルコのオオヒルメムチであると。
ムは不明だが、チは(大地)だから母神。
アイヌの最初の神が、ヒルコだったが、正当性を記す際、古事記ではヒルコを流すことにした。
それは左遷されたというか、失敗したのは「女性から声をかけた」ことにあり、
神の声は、「男から発することにした」それが国生みだとする意図が隠れているとかも?
その話が、神武東征と似ているのです。
また、そのオオナムチは大物主ということもある。
エミシが崇拝していた大物主は、アイヌの神と同一とは言いきれませんが、響きが似ていると思います。

その後、ヒルコを継承する卑弥呼を大和朝廷は、追いかけていたことになるのだろうか?
秋田へ逃れた物部氏や阿部氏など他一族の末裔が、大日堂のオオヒルムチを崇拝していたような気がするのです。
だんぶり長者の娘は、それを継承していた巫女だった。

例えば、兵庫の廣田神社は神功皇后の海外遠征の勝利の時に、荒魂の力によるので、
武庫の地、廣田に創建とある。
この話は、秋田物部氏の伝承、唐松神社の由縁の中にも海外遠征で、神功皇后の話があり、
その勝利のお礼に腹帯を祀るとあるところは似ている。
ちなみに、廣田神社の荒魂はセオリツヒメといわれるが…。

さて、詳しいことはわかりませんが、達谷窟毘沙門堂も何かそんな繋がりがありそうです。
伝説は続く。
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伝アテルイの刀と剣

2016-04-01 | エミシについて
久々に東北探訪。
暖かくなってくると歩くのも楽しい。



今回は一関へ。
昨年、舞草神社へ行き、舞草刀などあまり刀に興味がなかったのですが、
なぜか最近、剣と刀が気になりだした。
さて、1日空いたのでどこへ行こうか?考えたところ、
一関博物館に舞草刀が展示されているというので、博物館へ行ってきました。
2年ぶり?の達谷窟毘沙門堂へも。

※舞草刀についてはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3acd245b041f7ce7175922e0bad6a363


厳美渓



なぜ刀と剣が気になったか、ある本からの影響もあります。
またもや、「二ギハヤヒ」と題した黒~い本をみつける。
著者は「ヒルコ」でも書かれていた戸矢学さんの本ですが、なかなか面白い。

この本を読んでいたら、刀と剣の違いを知りたくなった。
誰がどんな目的で剣や刀をあやつっていたのか、というより、
漠然と、剣であったモノが刀という片方だけの刃(片刃)になったことで
(※カタナはカタハ(片方の刃)から由来。)
バランスを欠いているような気がしたのです。
でも剣は対になって両方必要なモノ。
片葉(かたは)の伝説が各地にありますが、片目などもそうで、
それは刀の片刃(かたは)の事ではないか?と思ったわけです。
善悪二元論という悪を作り出したことで、より悪いモノから断ち切ることを考えて作られた刀であると思う。



言霊では、太刀(たち)といい、「絶ち」に通じる。
これは、人間が産まれた時から授かっている判断力で、
物事をわかろうとする分析力となる。
分析、すなわち分けなければ永久に分かりません。
分けるから分かるのです。
この分析する・分ける働きを表徴する器物を太刀とよびます。
~全体としてそのものが理解した時、良いか悪いかの判断をする。
この総合する働きを「剣(つるぎ・連気)とよび、何かを一緒にする時の
「つるむ」と同じことをいう。
分析の太刀と、総合の剣の両方の働きをする古代の剣は、両刃でした。
これに対して物事だけを絶ち切るだけの働きは剣は刀(片名)とよばれました。

キリスト教「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。
平和にあらず、反って剣を投ぜんために来れり。」
※ただ平和にするために来たのではない。人々に正しい判断をするために来たのです。

仏教「両頭を裁断すれば、一剣天に奇って寒し」
※あれかこれか経験知の迷いをするより、すっぱり切ってしまえば物事の正邪善悪を
決定することができる」


(言霊学:島田正路著)

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剣から刀になることでかえってバランスを欠いたことはないだろうか?
判断力の欠如により、ただ恨みをもって自分だけの勝手な念を消したい為の道具にすぎない。
剣は切らないから両方の手でもつ。
刀は片方だから、片手で持てるように考えだされた。
剣を口の中に入れる不動明王があるが、山頂に置かれた鉾や剣をみても天から垂直に
落ちてくる力を大地に含め、人間の体内にも含める。
体の中心の軸にエネルギーを通す時、剣を使って地球の大地の中(マグマ)まで
響かせるようなイメージ。
それを落雷に委ねたのだろうと思う。当たったら死ぬけど…。
雷神とは、剣を使って大地にエネルギーを投入したとか。
意外にも雷と剣は深い関係がある。


※両方の刃をもつ剣:(剣名:以餅鉄守一作之1864年)

そのようにすると、大地震がおこるような震動があったのかもしれない。
それは直刀でなければならなかった。
「天羽羽矢」は羽を2つ書く。羽とはこの場合、刀のことで刀が2本で剣になる。
それを「ハハ」とよび、蛇と重ねた。
月山刀は、赤色の蛇とよばれ、ヤマタノオロチの時に生まれた剣と伝わる。
八劒神社はヤチホコの意味で、大国主を祀る。
また、「八つの肝」の意味もあり、肝は五臓の中で一番重要。
肝心、肝に銘じる、というように剣で五臓をおさめる。
そんな意味がありそうです。
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世界遺産になっている平泉の中で、金色堂に納められている刀が
坂上田村麻呂伝承のものやアテルイが使っていたものと同じと思われる
蕨手刀などがあるそうです。

蕨手刀は、ほとんどが東北産で関東地方の他、長野県、島根県で出土されているという。
大和があった近畿地方にはあまり見当たらない。
やはり、エミシが崇拝していた大国主と出雲族が関係していると思う。
蕨手刀のルートが、東北地方~関東~長野(山間部に特に多い)~島根県という流れ。
舞草鍛治の刀が全国的に広まり、舞草鍛治は全国へ派遣され技術を教えることになりますが、
それが良くなかったのかどうか、舞草鍛治は衰退し、なくなります。

NO.1一関市指定文化財 蕨手刀 長41.7cm 奈良~平安時代
一関市大東町摺沢に鎮座する摺沢八幡神社で出土。
ほぼ完全な姿をとどめており、刃の反りは0.9センチあり、柄の先端部分は1.2センチ
ある強い反りの形状



NO.2岩手県指定文化財 毛抜形透蕨手刀 陸奥国 中尊寺蔵
長52cm 反り0.4cm
エミシの首長・悪路王の佩刀(はいとう)と伝えられる。



NO.3太刀 銘 舞草 陸奥国 鎌倉時代後期 長72.7cm 反り2.1cm
鎌倉末期の記録写本「観智院本銘尽」では全国の名人42名中8名の舞草鍛治が記録されている。


(こちらは実際に展示されています)

※「郷土のかたな」一関博物館より

武蔵に伝わる蕨手刀----------------------------------------------------

かなり前にブログで「蕨手刀と円墳」で書いた通りなんですが、
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/05c2da036750b5143ca2463cad45ed8a

日本で初めて自然銅が発見されて(ニギアカガネ)、朝廷に献上したのは、
聖神社に奉納されているムカデを象徴とした。(元明天皇も祀る。)
雄と雌の足の数が違うが、意味はわからない。
記念に大国主と金山彦を祀り、朝廷から派遣された三宅氏らに監督させた。
この辺りでは、円墳がたくさん残されており、7世紀~8世紀初め頃とされる。
荒川と横瀬川の合流地点の南側段丘で、和銅開珍などの古銭と蕨手刀が出土された。
その側に鎮座する美の山は、美濃から由来しており、知知々夫彦の伝承がある。
蕨手刀は東北~武蔵の秩父まで伝わっていたのです。
この刀を重要だと思っていたのは三河だと思います。
三河については割愛しますが、大国主伝承やアラハバキなどのお社、イワクラなどがある三河。
子孫は東北出身だったかもしれない。

しかし、蕨手刀は質の悪い剣であるため、切るものではなく、どちらかというと
神事など儀式的に用いられていたと考えられ、剣は地にさすためのモノであった。
しかし、刀は切るためと変化した。
その違いは、蕨手刀(精神文明)と舞草刀(物質文明)の転換期だったと感じる。
もっと質がよく切れる刀に改良されたのが、舞草刀だったのです。

二ギハヤヒは隕鉄剣?-------------------------------------------------------

戸矢氏は、隕鉄剣は二ギハヤヒの依り代であるという。
隕石伝承は、全国各地にありいずれも磐座信仰と直結している。
天空から降臨した神と考えられ、
そのイワクラは、神奈備山や神籬(ひもろぎ)と同様で古代神道の依り代である。

巨大な隕石が落下して大地を震動させる。
そんなことが古代には頻繁にあったのだろうか?
埼玉県飯能市の星宮神社の伝承にあるように、光るものが落ちてきたので、星宮神社を祀った話がある。
また、雷神と剣の関係も深く、地震の神を祀った推古天皇の話がある。
夏に大地震がありただちに全国に「地震の神」なる神を祀ったという。
そういえば、鳴神という名の神社もあった。
鳴るは、「なヰ」で「ないなる」といったそうだ。
ナイは地震の古語である。
三重県に名居神社というのがあり、オオナムチとスクナヒコをお祀りしている。

東北地方の特に岩手県に集中して舞草鍛治が集まり、良質の刀が完成されたのは、
鉄を多く含む土地であっただけではなく、空から隕石が落ちてきたのを山中で探して拾い、
その鉄から刀を生み出したとも考えられると?
探していたのは、修験者や山伏といった人たちかもしれない。
巨石は宇宙から落ちてきたもので、隕石が含まれているとも考えていただろう。
確かに、隕鉄は古代エジプトの時代から知られていたもので、
鉄を生み出したアッシリアでも隕鉄を使っていた。

また、隕石から鍛造された刀剣はとても重いのだが、
研磨すると隕鉄特有の紋様が浮き上がり、その紋様があたかも龍が昇るようにみえることから、
「龍紋」とよばれているそうだ。

それに鍛治集団は、鬼でもある。
鍛治神掛図というのがあり、一関博物館で見られます。
中央に立っているのが、三宝荒神とよばれる鍛治の神様。
3つの頭と6本の腕をもっている姿をしている。
手前には、鍛冶場の様子が描かれ鬼が剣を作っている。
奥には稲荷(狐)も描かれている。

ところで、アテルイが身につけていた舞草刀が、なぜ伝承されたのだろう?
これも物部氏たちが仕掛けた伝承かもしれない。
二ギハヤヒとアテルイは似ている。
二ギハヤヒという人が実際人物として存在したならば、アテルイは、その祖である?
もし、高倉下という人と繋がるのならば、神宝は、
その技術を手に入れた人のことも言えるかもしれない。

ヒは靈(タマ)-----------------------------------------------------

そんな妄想をしたくなる一関を歩いていると「照井」の文字が。
小学生の絵がいいね~。







達谷窟毘沙門堂には悪路王伝承がある。
悪路王やアテルイという人の伝承が毘沙門堂に伝わる由縁には、
「靈」と書く「ヒ」にあると思うのです。

二ギハヤヒは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(先代旧事本紀)
おそらく、こちらが正式な名前かと。
そうなると、日は靈であることもいえる。



ニギハヤヒの霊を鎮める場所か、巫女がいたと考えられるのがこの洞窟だったような気もしてきた。
なので、達谷窟毘沙門堂は、「達谷靈窟」と書くのだろう。



重要な言葉を発する巫女は、神の言葉を伝える役目をもっていた。
その代表的な人は卑弥呼ですが、東北に卑弥呼が逃れてきたという話はないし、そのへん後で妄想しておく。

靈の漢字は「雲から雨がしたたり落ちる」象形と「口」の象形と
「神を祭るとばり(区切り)の中で人が両手で祭具をささげる」象形から、
祈りの言葉を並べて雨ごいする巫女を意味し、そこから、
「神の心」、「巫女」を意味する「霊」という漢字が成り立ちました。

(漢字辞典より)


ということで、達谷窟毘沙門堂に「姫待不動尊」があるわけです。
姫待とは「櫛」である。霊力をもつ髪の毛の伝承。
これが巨大な岩になっているものが近くにあるのだ。
こうなると、どんどん繋がっていくので止まらない。
(このへんは後ほど)

戸矢氏は、二ギハヤヒの速を、隕石のように天から落ちてきた高速な光(太陽)
のようなものと表現されていますが、私も同じような感覚はあります。
二ギハヤヒは高速に回転する光。
これは、西洋にも同じものがある。
回転する光とは、西洋ではケルビム(智天使)やエゼキエルという輪がついた車輪である。


(ケルビムと車輪)

実は、これを紋様としているのが生駒氏だった。
生駒は、元は二ギハヤヒ降臨の鳥見白庭山という所を占拠していた氏族。
これは、秋田の鳥海山と同じ二ギハヤヒ降臨地やエミシの地周辺に駒形を祀る
のと同じ意味があると思った。
駒形を祀るのを嫌がるエミシとは、大国主を祀る(ミワ信仰)ことを排除されたから?
それを物部氏が嫌がったということもあり得ます。

妄想するに、堕天使を想像した西洋のユダヤ教やキリスト教など
の異民が先住民の祀る縄文式のイワクラ信仰などを別の信仰に置いたということ?
仏教ではなく。
生駒氏の車輪の象徴は、波を切ってすすむ波切車という。
波というと海を航海してきたように思うが、海に車輪は使わないと思う。
それに車輪が日本では平安時代の貴族が乗る牛車の象徴というが、それが貴族の象徴として家紋にしたならば、
他の貴族もみんなその家紋を使うはず。

生駒氏の「駒」の意味に、回転する光があるならば、駒は、高麗、狛、独楽・・・といろいろある。
狛犬は高麗の犬。独楽は、回るものだが古代にあったものか不明。
まあ、このへんはまた後にしよう。


※生駒氏の家紋

これらの車輪は、中国雲南省のトンパ文字にも歩く太陽として回転する太陽が描かれている。
おそらく、回転する太陽は、地球の周りを回る太陽だと思っていたかもしれない。
私はUFOだと思いますが。
地球が公転しているのだけど、古代の人は、太陽は地球を常に一周していると考え、
その象徴として車輪が生まれたと思います。
生と死も太陽と同じように、日が昇る誕生と月による闇が死を意味する。
人間の一生をたとえたものだろう。

さて、櫛名田比売という巫女がおりますが、そんな姫伝説を。
続く。

一関博物館
http://www.museum.city.ichinoseki.iwate.jp/display/index.html

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