秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

秩父前衛派

2016-03-26 | イベント・セミナー
笹久保伸個展「秩父前衛派」
http://naonakamura.blogspot.jp/


笹久保伸が監督した映画「PYRAMID-破壊の記憶の走馬灯」が国内最大規模の映画祭の一つ、
イメージフォーラム・フェスティバル2016にノミネートされました。
ぜひこの機会に以下のどこかの会場でご覧ください。

http://imageforumfestival.com/bosyu2016/

この映画は
東京:下高井戸シネマ(4/17)
東京:シアター・イメージフォーラム(4/29~5/6)
京都:京都芸術センター(5/14~22)
福岡、名古屋、横浜で上映されます。


笹久保伸
http://shin-sasakubo.com/

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笹久保伸さんは地元、横瀬町出身の音楽家です。
南米ペルーの風景が浮かんでくるギターの旋律はとても良いです。
youtubeでも聞けますが、「秩父の手毬うた」もとてもよい。
民俗学だけではなく昔の歌も、笹久保さん流になると変わりますね。
前衛という言葉も斬新な。

でもぜんぜんっ、私は鑑賞する機会がないんだけどね。
今は仙台から身動きが取れないのだから、今年は私は「静」なんだと思う。
介護をしていると、内観法みたいな感じになってくるので、
日々、自分と向き合う時間を過ごしています。

私は20代の頃、グラフィックデザインを目指していたんだけど、
ロシアのロトチェンコのデザインなんかも結構好きだったな。
アバンギャルドなアートに浸っていたのに、今では古代史って…
なんでこうなったんだろ。

なので、笹久保さんの作品は気になるのです。
映画 『PYRAMID』 予告編 ・秩父前衛派・監督:笹久保伸 pel�・cula de Shin Sasakubo


2015/04/14 に公開
秩父前衛派の2015年新作映画
New Chichibu Documentar『ピラミッド』 より予告編
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宣伝しておきながら、個人的な話ですみません。ちょっと書きます。

笹久保さんとのご縁を頂いたのは、武甲山の大蛇窪の縁と言っても過言ではない出来事がありました。
武甲山はいろいろと運んでくるのだ。

今年1月に「生まれ変わった妙見様」で、武甲山のことを「美化してはならず」と書いたのですが、
このメッセージ通り、笹久保さんが見ている武甲山も、
美しいものではない破壊された武甲山を映しだしたアートワークでした。

秩父人にはどう映るのだろう?
どう感じるのか、自分の心に聴いてみたいと思った。
武甲山という山をどう感じるのかは、人それぞれだからこういう武甲山もあるのだ、と。
美の裏に破壊がある姿。
美と醜は、表裏一体。
今のそのままの武甲山。
これも武甲山の現実。

なので、笹久保さんの作品により不愉快な思いをする人もいるだろう。
それは武甲山よりも自分を保護する人々にとっては。

さて、なぜ私は大蛇窪を知ることになり、またそれをこの機会に得たのだろう?
不思議なので書く。

未来を語る歴史に-----------------------------------------

今年1月に秩父に帰省し、友人と思索の森を歩いた後、西武秩父駅まで歩いていました。
歩きながら友人が、「妙見からGPSを使って直線上に大蛇窪があるのかどうか、
大蛇窪まで?登った人がいるって聞いたんだけど、ギターをやってる笹久保さんという人。」と、
教えてくれた。

武甲山は登山道を外したら、発破してるし崩してるし、登れるものなの?と思ったくらいで、
大蛇窪ってどのあたりなんだろう、と妄想してました。大体、GPS使うくらいの執念がね…

私は横瀬の情報を全く知らないので、その時は笹久保さんも存じ上げませんで…。
ギターと聞いて、タクシーサウダージを思いだしてしまったくらい。
この方も秩父出身で素晴らしいボサノバ。年始の帰省中に、たまたまラジオで聞いて知りました。

帰りは妙見様を拝観し、次の日には仙台に帰ってきて、
妙見様についてブログに書いたわけなんですが、驚いたことに、
その記事を書いた二週間後くらいに、ご本人からコメントを頂いたのです。
武甲山のことについて興味があり、情報共有をしたいと。
コメントは個人情報があったので公開してませんが、
それから笹久保さんとメールで大蛇窪や武甲山の実態などいろいろと興味深い情報を頂きました。

この速い展開にびっくりなのですが、私もさすがにブログで武甲山のことをいろいろ
書いているだけに、笹久保さんに武甲山の歴史をいろいろと教えたいところですが、
なんせ素人だから妄想しすぎる上、伝える術などなく…。

またね~今年に入ってタクシーサウダージという方を知ったのと、笹久保さんからの連絡
が入ってきたのだから、不思議な秩父音頭だよ。
偶然タクシーに乗り合わせた笹久保さんがきっかけで、
アルバムを作ろうと思ったそうです。
「60歳で発見されたボサノヴァ・ミュージシャン「タクシーサウダージ」
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1415770479148.html

ということで、このピラミッドという作品を知る機会を得たのです。
これは、思索の森を歩いてきた結果でしょーか!?

笹久保さんの表現というか共感できるのは、音楽家で芸術として
武甲山をフィルムを通して公開している背景には、
民俗学にたいする笹久保さんらしい考え方がありました。
自由にみんなが語れる民俗学でなければ、地域は良くならないとも思う。

表現の自由があっても、それを阻止する人もいます。
笹久保さんは、破壊している武甲山についてそのまんま見ていると思うのですが、
美化してないし自然の山でも神でもなく墓場としてみている。もう死んでしまったように。
それを間違っていると言いたい人の気持ちもわかる。

ですが、私が思索の森を歩いて感じた不要な三角形。三菱のマーク。
この三角が笹久保さんのピラミッドと重なった。
あ、そうか。
これもある種、負のピラミッドのマークだ。

芸術は爆発だ!と言ったのは、岡本太郎氏ですが、武甲山は爆発だ。

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フェイスブックのシェアがよくできないので、笹久保さんの文章をそのままのせます。

自分の活動を武甲山や郷土と関連させるのは危険な事だ。

若者の多くは「郷土」はダサいものだと思っている。
そして「芸術」という観点から郷土を扱うのは実はかなり難しい。
作品上で郷土を扱うと作品がポストカード的になったり民芸品的になったりする、
それはアートの文脈ではなくなる。
なので、地域でアートする人は二つに分かれる。
・地域を題材としたポストカード的なゆるい事をする。
・地域に住みながら地域とは関係ないアートをする。

僕はそのどちらでもない。
地域を素材にしつつも、地域が喜ぶような作品は作らない。
地域の本質を探す事に徹底しているなかで、
地域の本質を見るための最もわかりやすい例が武甲山だった。
手っ取り早くわかりやすい、そして子供の頃から見ている山の破壊の様子、
それは一番身近な、大きな被写体でもある。

「武甲山」を盲目的に美化している秩父において、その「破壊」に着目して
作品を作る事はそう簡単ではない。

何しろ「破壊」に着目すると、破壊された壁を登るところからスタートしなくてはいけないから、
壁を登るのがマジ恐い。

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過去、何度か武甲山について表現してきた方もおりましたが、しばらく沈黙でした。
それがまた動きだしたようだ。
決して大げさではなく、武甲山という山が大きな影響力を与えることがこれからあるだろう。

さて、大蛇窪はいったいどこでどんな姿で眠っているのか?
いつか登ってみたいけれど、しばらくは無理なので、諦めた。
こればかりは、秩父の地元の人たちが見つけてほしい。

それに、笹久保さんの久保と大蛇窪の窪は同じで、窪は洞窟の意味と同じですが、
カラカラの土の洞窟ではなく、水を含んでいる鍾乳洞のような洞窟のことをさす。
なので、窪の漢字にさんずいをつける。
まさに海のウタキなんだけど、それがペルーの響きになっているんだよね。
それも一つの武甲山からのメッセージ。あと、タクシーサウダージのボサノヴァも。

人の繋がりって面白いね。
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川渡温泉の温泉石神社

2016-03-21 | 東北地方の伝説(宮城県)
20日の春分の日に鳴子へ。
まだ寒く雪も所々残る鳴子温泉は、静かでした。

三連休だったので、久々に主人と温泉でゆっくりしようと、北へ向かう。

出発から車のナンバーのゾロ目 のオンパレード。
888→666→777→444、帰路、自宅付近で666。
777ナンバーの車の後ろをしばらく運転してたけど、いいナンバーGETしてる人いるんだね。

こんなにゾロ目をみることはないのですが、私の携帯の後ろ4桁と、
父の車のナンバーが同じとか、もちろん偶然。
ある人は自分の誕生日と車のナンバーが偶然同じだったとか、
いろいろと面白い数字のメッセージ。

さて、今回は、鳴子温泉峡の川渡温泉へ行ってみました。
誰もいない寒い風景の鳴子。紅葉の時期はすごい人なのにな…。




鳴子温泉の歴史----------------------------------------

続日本後紀より833年~玉造塞の温泉河に流れてその色漿の如し。
加ゆるに以て山焼け谷塞がり、石崩れ木を折る。
更に新沼を作る。
沸声雷の如し。此の如き奇怪、勝げて計うべからず。
よって国司に仰して災異を鎮守し、夷狄を教致せむ。




川渡温泉の藤嶋旅館のそばに、温泉石神社(ゆのいしかみ)があります。
延喜式の神社で玉造部の一座。
この大噴火により大石の根元から温泉がでたので、そこに少名彦命を祀った。
玉造塞とは、788年エミシの侵入を阻止する目的で、川渡温泉の玉ノ木付近に設置したと。
延喜式は平安時代900年初頭~、御醍醐天皇の命で藤原時平が編纂した律令官(神祗官)。
800年代から温泉石が存在いていたようなので、
大噴火の天変地異が石神によるものと考えた朝廷が、少名彦命を祀り鎮魂したと考えられます。
(大小の関係)





ということならば、エミシは大国主を敬っていたと思います。
玉造部は、玉作軍と改称し728年頃、加美郡玉造部が中心地でした。
丹取郡は10の村に分割し、そのひとつが玉造部。
柵を多く設けられ、名取は丹取に転じたわけですが、熊野信仰がある場所なので、
熊野と天皇と製鉄の関係はあります。



すぐ側にはアテルイの首が飛んだと噂される鬼首があり、
このあたりはたくさん温泉が湧き出ていて不思議ではないですが、
秋田・宮城・岩手の3県にまたがる栗駒山の存在も大きい。

鳴子噴火とは、昔から噴火が多かった。
1万1800年前から活動し、2000~3000年前に水蒸気噴火が起こる。
史料にもあるように、837年5月に水蒸気噴火が起こり、(潟沼周辺)
鳴子の地名由来は、噴き出した湯のことで鳴声(なきご)から鳴子になったと。
他にも源義経の子がこの地で出産をし、産湯につかわせて泣いたので、
啼子からの説もあります。
ただ、「啼」の漢字は、動物や鳥とかの鳴き声で、赤ちゃんが泣く場合には使わないはず。
もっと悲しい時など深い涙の意味があるからちょっと違う。
義経伝承を伝えるために、後から鳴子を啼子とし、源義経は実は正統な天皇の血筋をもつ人で、
でも迫害された歴史があるから、人々は、義経を「啼」という気持ちをこめて名付けたと思います。


(たかはし亭:〒局の裏にあるお店。雰囲気のよいお店ですよ~)


(たかはし亭の温泉卵カレー)


(鎧の家紋をみて主人がウチと同じだと言った・・・あれ?これは五瓜だから織田家の?
お店の人に聞いたら、伊達家のだと仰っていましたが、主人も伊達家だけど、武将の家紋は五葉の瓜なのだ。
掛け軸のゾウもかわいい~)

こけしとミズキ-----------------------------------------------------------

鳴子といったら「こけし」
こけしの多くはミズキで作られます。
「水木」と書くように、水を多く含む木なのでこけしが「子消し」の由来であるように、
子供の供養のために作られた意図もあるのです。
これは、初めて遠野に行った時に観光ガイドさんから聞いてショックでした…。
亡くなる子供が来世産まれてくることを願って、水に供養をするのだから、
ミズキは水の精霊として考えられていたのです。



アイヌ人のイナウ(木幣)もミズキで作られるそうです。
イナウナニとよび、「木幣を削る木」という意味で、学名のcornusは堅いの意味がある。
とても強い木なので、アイヌ人にとっては神の木でした。
お正月に飾られる五穀豊穣の木の枝にモチや団子を刺して飾る「まゆ玉」もミズキだそう。
街路樹に植えられているのも、ハナミズキで同じミズキ科。
ハナミズキに花が咲くと春だな~と思います。


(ポストがこけしです)

クナイプ療法---------------------------------------------------

温泉ネタ。
温泉療法のクナイプは、ドイツが先進国ですが、日本も温泉国なのに医療としては
あまり考えられていません。
日本人は生活の中にお風呂がありますから、お風呂感覚で温泉を楽しみます。
欧米人は、温泉は完全に治療として考えていますね。
藤嶋旅館は大正時代からある老舗のお風呂で、泉質もとてもよく源泉です。
沸かしてない源泉そのままだから?熱かった!(私には)
藤嶋旅館に「脚気川渡(かっけかわたび)」というチラシがあり、
半健康人や健康人のための温泉について書いてあって参考になりました。
病気により温泉が入れない方もいらっしゃいますが、
「個人の病気と時期によって泉質を選び、温泉地の季節、気候を病態に合わせて決める」のだと。
へ~。医師が温泉療法の専門家であれば教えてもらえるそうですが、
本来は、2週間近い療養をするのが温泉療法なんだそう。
1泊2日みたいな旅行とは違うのだな~。
私が高齢者になり、だれにも面倒をみてもらえなくなった時、(みてもらうつもりないが)
進んで温泉に行き、その時が来たら自ら姨捨山まで歩くぞ!


(藤嶋旅館:日帰り入浴可)


最近、考えているのが「未来のデンデラ野」笑。
高齢者の自然のコミュニティ。老人ホームとは違う。
デンデラ野は姨捨山といわれますが、高齢者が自活していたそうです。
体力がある人は畑を耕して開墾し、弱い人は亡くなりましたが、
お墓もあるので、ちゃんと看取ることもしていた。
一人暮らしの方や子供がいない夫婦向けには、必要だと思う。
後継ぎもなく、何も残さず死ねるのは幸せな事なんだよ。

これからの高齢化社会が良いはずがないのだから。
自活できない人は、それまでという社会。
といっても私はへなちょこなので、きっと誰かに助けてもらうことになるけどね…。
まあ、そういう時のために、未来のデンデラ野があるといいな、と妄想中。
それにはまず温泉が必要だな(ぜいたくな!)・・・ひとつパーツが増えた。

エミシと火山ガス----------------------------------------

エミシは温泉好きだったんでしょうね。(勝手に想う)
アイヌ人や多くの先住民は、まつろわぬ民といわれていたけれど、
自然のエネルギーを有効活用し、医療として考えていたわけです。
追いかけている朝廷は、噴火をすれば鎮魂をし、地震がくれば石を埋めて祈祷をする。
考えてみれば可笑しい行動。
そしてエミシに教え到るというのは、何を教えているのだろう?
そんなエミシは、ホツマツタエでいうところのハタレだったのか?
私はそうは思わない。

久しぶりの鳴子へ向かう途中、大和町~鳴子方面は、決まって懐かしさが蘇る。
胸の内からぐっと何かがこみ上げてくる隙間に、懐かしい空気が入ってくる。
まぎれもなく私は過去、ここに来ていました。
過去の自分に今の自分が感謝している不思議な瞬間。
有難い。またここに戻れたことがとにかくうれしい!
自然の大地に感謝したい気分。

栗原は、コレハリという人が地名由来になっている。
コレハリ(伊治)はアテルイの精神?みたいな何かを受け継いでいないだろうか?
大体、アテルイがよくわからないけどね。
なんでアテルイになったんだろう。

多賀城を焼き打ちしたのは、伊治(これはりの)公呰麻呂(きみあざまろ)の乱
ですが、780年3月というので、それがきっかけで柵を置かれた。
温泉石神社はこの頃からすでにあったのだろう。
コレハリをきっかけに鎮魂が始まる。
その頃から温泉に入ってたのかな。(そこか?)

実は、金じゃなくて温泉狙いだったら面白い。
ローマ人のお風呂話みたいに、ローマ人もお風呂好きだったから、
ぽかぽかしながら、馬を走らせていたら平和じゃないか。
仕方なく、エミシたちはまた別の温泉を掘りあてるために探し歩いた。(そんなわけないが)

温泉は硫黄の成分があるし、危険といえば危険。
ガスを放出する火山だから、人や動物が亡くなることもあったわけで、
それが祈祷をしている先住民の怨霊のせいだと、考えていたこともあったでしょう。

そうそうここで思い出した夢の話。
知らない神社の境内にいる私。観光客が結構いるのですが、みんな寝てる。
眠くなる神社なのだ。しかも日本人ではなく韓国人など朝鮮系の人がいっぱい。
みんな寝てしまうから、私は大丈夫ですか?って起しているのだけど、
大きな石碑があったが読めない。
そんな眠ってしまう神社の夢でした。
そういえば、少彦名命の大きくて立派な石碑があった。
あの夢は、温泉石神社だったのかな?
気持ちよい温泉に入った後は、眠くなる。もしくはその水素噴火のガスで・・・。

ということで、まとめになっていないですが、
ごくごく平凡な人生に感謝しながら、東北の春はもうすぐ~。
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雲取山は雲鳥山

2016-03-19 | 日記・エッセイ・コラム
山について書きたくなった。
山、やま、ヤマ・・・クモトリヤマ。



なぜか、雲取山。
数年前に友人たちと雲取山登山をした時、片道10kmというロングコースを制覇し、
自信がついたのですが、今では10kmの登山をするか?といわれたら、NOだ・・・。
ムリぽ。





そんな雲取山なんですが、所在地は、東京都西多摩郡奥多摩町、埼玉県秩父市、
山梨県北都留郡丹波山村と3県にまたがる大峰。
数年前の登山写真をいっぱいのせてしまおう。


(三峰神社の奥の院からも登れます)





※野口雨情の「霧の雲取山」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/2fb2058b74b86ca76fc2c301f8982134
百名山の説明では、『武蔵名勝図絵』に、日原村の項目で
「大雲取山村の西にあり。甲斐丹波山村と秩父郡大血川村の堺によれり。
この辺は悉く高山なれど、わけてこの山は峻峰にして、雲をも手に取るが如く思う
というより斯くは号するなり。」









秩父は熊野と関係しており、秩父に入ってきた吉野修験と熊野修験が三峰とも関係を持ったことは十分考えられます。
熊野には、大雲鳥山と、小雲山があり、大雲鳥山は大山祗神、小雲山は大雷神を祀る。
大雷山とは大きな力の意味で、八(やくさ)の雷神ともいう。
「やくさ」は、賀茂別雷命でヤタガラスと同一。
ということで、雲取山の取りは、本来は鳥だろう。
そう考えると、狼と鳥が一致する。
武甲山にも、大持山と小持山という山名があり、神話では大小との比較はとても多い。
名取熊野にも大舘と小舘という名の館があり、ここに居住していた源義経伝承があり、
隠れ家として利用されていたという。





ところで、「新編武蔵風土記」という漢字だらけで分厚い本で読む気がしない
史料が実家にあり、それによると、三峰神社は国常立命とイザナミを祀っていたそうだ。
現在の三峰神社は、イザナギ・イザナミとなっており、ヤマトタケルが祀ったことになっている。
国常立命はどこへ?





三峰神社が国常立命を祀っていたというのならば、平泉衣川周辺や岩手県に三峰神社が
鬼門に置かれる由縁は、「狼で以て狼で征す」ということか。
源義家は、八幡太郎義家といわれて歌舞伎などでも登場する阿部氏を倒した源氏。
義家は清原氏を利用し、軍神となった三峰神社を信仰するように仕向ける。
怨霊を恐れて、狼信仰が浸透したと思われるのだが。
そうなると、鳥の熊野と狼の三峰というタタール人といわれるチュルク族の存在が浮かんでしまう。
この氏族の存在は無視できないわけです。
狼に育てられた話は、ローマにもありロムレスといい、ローマを建国した。
熊野でも狼に育てられた皇子の話があり、奥州藤原氏の初代清衡も、狼に育てられたとの伝承がある。
モンゴルでは蒼き狼のチンギスハーンも。

※鬼門の三峰神社
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/24ef535efba8afdee27e5ef1a8c0b67f






鳥は、日神で天の男神とし、狼は、月神で大地の女神とした。
天を飛ぶ鳥は獲物を探し、大地にいる狼は子供を育てる。
チュルク族は、必ず狼と鳥が育てるので、どちらか片方という話にはならないが、
日本へ来ると狼に育てられたとなり、鳥に育てられた話はあまり聞かず、
亡くなるとヤマトタケルのように鳥になる話になっている。

その中に、アシナ氏という人がおり、阿史那とかく。
黒川郡のアサヒナ(朝比奈)伝承に似ている名前だが。

チュルク族は、北方遊牧民で四夷とも夷狄(いてき)ともいわれた異民族。
エミシといわれた人の中に、北方遊牧民がいた。
カザフスタン、ウイグル族、トルクメニスタンなど、トルコ周辺から日本へ渡来。
北に赤狄、南に白狄といった。
源氏と平氏の旗の色。
衣川に関を置いた位置が、シルクロードと一致しているという話があり、
万里の長城もそれで、境界を引いたのは匈奴があった。


(送仙山には三峰神社の奥宮を祀る)

匈奴は悪という意味で、動物(獣)をトーテムとする民族がおり、
変わった獣を神格化していたそうだ。その獣がよくわからないが、角のある獣。
この人々はフン族とよび、チュルク語族であるという。
もしかしたら、その角が牛頭天王の鬼のような角をもつ獣になり、日本で疫病神になったとか?

ローマ帝国崩壊よりゲルマン人が移動し、西と東にわかれ、狼をトーテムとした民族が、
日本へ移動してきたと考えられる。
秦は匈奴におびやかされていたが、日本へ渡り互いに交易を結ぶ。
しかし、源平合戦で再び火がついた。





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話は飛びますが、なぜ、秩父は国常立命と縁があるのか。
一つ目の神とは、タタラが崇拝していた神であるが、一柱ともいえる。
案山子も一本足。
国常立命は、一柱で男女の性別がない独神とされる。


(古御嶽城跡の石碑)




(武甲山と少名彦の碑)

しかし、イザナミという月神を置くことで二柱とし、
イザナギという太陽神(渡来系)に改めたのだと思う。それがヤマトタケルの伝承になっている。
国常立命を祀る神社は数少なく、秩父では聖神社のみ。
他に大国主を祀るのだが、和銅がとれた場所におき、ムカデを祀るところが、
やはり製鉄族のタタール人がいたのだと想像してしまう。


(聖神社)


(露天掘り跡)

そのような人たちは、「霊知り」と呼ばれたから、聖になったと思うのです。
吉野の玉置神社、熊野の速玉大社も国常立命を祀る。
それに三峰神社。
また、諏訪神社、秩父神社、武甲山御嶽神社、鹿島神社は多少の誤差はあれど、
北緯36度にほぼ一致して並べて建てられている。
これを、ミロクラインとよび、国常立命のライン(666)といわれている。
後に妙見を祀り、宇宙の中心である天之御中主神を置いた。
これらの信仰は、砂漠の民のほうで、海の民ではないだろう。
砂漠を歩く時、星の方角を頼りに渡ってきた人々なので、秦氏かもしれない。ユダヤ人ね。
それに対して、諏訪の信仰は海神のような感じがする。海の民だから縄文。





秩父がそのことについてあまり知られていないのは、武甲山を崩壊しているという・・・。
ご神体を崩しているので、秩父神社が日の目をみない。なので、いつも秩父はスルーされる。
諏訪神社と鹿島神社の中間を保っているはずなのに、残念ながら釣り合いが取れない。



武甲山の麓にある古御嶽城跡は、神々の墓場である。中心に国常立命の石碑を置いているのだが、
向かっている先は西の方で、おそらく富士山を崇めているのだろう。
大本教の出口直によると、艮の金神といわれた祟り神は、国祖である国常立命であり、
その統治に不満をもった神々により、鬼門に封印。現在は復活が近づくといわれている。


(雲取山山頂からの富士山)

ということは、国常立命の目覚めは富士山であり、龍族の目覚めである。
やっぱり、それがレムリアだと思う。
忘れた頃にレムリアが蘇るような話。
レムリアは岩場に記憶を残すのか?
大滝の聖岩に登った時、とても古い時代の武甲山を思い出した。
その空気は懐かしい透明感のある地球で、まだ完成されていないような姿。
匂いではないが、ひんやりと身体にまとわりつく空気感は、中国の眠っている龍の白い気と似ていた。
おそらく「白」の信仰は、それかもしれない。
龍の気を色で表現するなら白。


(秩父大滝の聖岩(中央の山)



後に富士山のような白い山と表現されるようになるのだけど、ククリヒメの白山信仰は、
富士山に関係している。



ニニギがコノハナサクヤヒメを選んだのは、富士山の女神としたかったからだけど、
本来は、龍族(レムリア)の霊体?をもったイワナガヒメが富士山の女神であったと私は思うのです。
なので、封印されたのは、ニニギの天孫降臨でかき消されたイワナガヒメともいえる。

なぜ、雲取山からこんな話になったんだろう?
不思議だね~。

※参考にモンゴルの遊牧民の鷹狩りの映像。(約5分)

Eagle Catches Fox and Wolf


普通、鷹などの猛禽類は狼を襲いません。逆に襲われる危険があるので。
しかし、群れから外れた一匹狼は弱っている場合もあるので、外敵に狙われます。
狼も人間と同じ集団行動ですが、集団の和を乱すような行為をすると狩ができないので、
あまり働かないような?勝手な狼はボスから外されます。
すると、はずされた狼は他の集団に混じるのですが、なかなか広大な場所で他の狼集団を探すのは困難。
狼の世界も厳しい。
人間に飼いならされた鷹は、狼なども狙い、そのように訓練されます。
とりあえず、動いているものを狙うという。。。
それ以前は、鷹ではなく弓矢で動物を射ることをしていましたが、
このような遊牧民が鷹など猛禽類を日本に持ちこみ、鷹狩りが広まったこともあるでしょう。
日本では古くから鵜飼いをしていた為、神事でも行われていますが、
渡来してきた騎馬民族や遊牧民は鷹狩りを伝えたのだと思います。
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砂金伝説の不老樹と血液

2016-03-13 | 神話・伝説
全国に伝わる炭焼藤太の話。
ある村に住む男と都からやってきた女が結婚し暮らす時に、女がもってきた金塊を男が見つける。
金塊を単なる石だと思い、必要ないと池に捨ててしまう。
女は大事なものを捨てるとは!と怒ると、「あんなものは裏山にたくさんある」
という。すると男が住む山にはたくさん砂金があり大金持ちになったという話。
※炭焼藤太伝説 http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/71337360f4f420d880eab7b84f8e7f95
これが中国からもたらされた伝承で、不老不死にこだわる秦族の言い伝えなのでしょう。

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中国広西壮族自治区の桂平地方には、月・男・木がセットになった神話がある。
大昔、世の中は金がすべてと公言してはばからない石崇という大金持ちがいた。
人々は石崇から仕事を与えられているため、不愉快に思いながらも我慢をしていましたが、
末娘の阿香だけは父親を真っ向から批判しました。
すると激怒した石崇は、柴を売りに来た貧しい柴刈の若者の朋居と強引に結婚させます。
自分を批判した罰として娘をどん底に落としいれようとし、泣く泣く家を出る阿香。
母親はかわいそうに思い、娘にこっそりと粽(ちまき)と小さな金塊を渡しました。

阿香は朋居と連れだって彼の小屋がある山へと向かいました。
やがて歩き疲れた二人は、適当な木陰でひと息いれました。
空腹を覚えた朋居は「お前のおっかさんがくれた粽を食おうぜ」と言うが早いが
阿香の手からを粽を手にとり、ふたつに割りました。
「なんだ。石ころが入っている」
「そうよ、母が入れてくれたの」
「そうかい」
朋居は別段感激したわけでもなく、金塊を川の中へ投げ入れてしまいました。
呆然として阿香は怒るが、朋居はそんなに怒ることか、とあきれる。
「私たちの生活のためだったのに」というと、
「あんなような石は柴刈りに行く山にゴロゴロしているが」と言った。

生活が落ち着いた頃、二人は山の窪地にいきました。
確かに金塊が転がっています。
大喜びをする阿香に戸惑う夫を急がし、たくさん金塊を持ちかえりました。
いっぽう、石崇はふたりが大金持ちになったことが悔しくて仕方ありません。
それで朋居を殺して財産を奪う計画を立てます。
朋居は毎日決まった道を犬と一緒に散歩しているのを知り、その時を狙います。
朋居が大きな木の根元に座って休息しているのを見るや、背後から朋居を刺して逃げました。

さて阿香は散歩に戻ってこない夫を心配して待っていると、
犬だけが戻り、悲痛な声で吠えていた。
何かを察した阿香は、犬の後を追いながら夫の所へいくとすでに亡くなっていました。
泣きじゃくる阿香の側に、どういうわけか小ネズミが彼女の足をかみました。
阿香は痛みにびっくりした弾みで小ネズミを殺してしまいました。
すると木の穴から大ネズミが現れ、木の根元の皮をかじって小ネズミの死体に擦りつけました。
阿香の眼前で奇跡がおこりました。
死んだ小ネズミが生き返ったのです。
阿香はすぐに木の皮を噛み砕き、夫の傷跡に塗りつけました。
案の定、傷口はふさがり朋居は生き返りました。

実はこの木は、天丹樹といって不死の樹でした。
死体を蘇生させるパワーを秘めていたのです。
石崇は朋居が生き返ったことを聞いて愕然とし、天丹樹の存在を知ります。
あの樹がある限り、朋居を殺すことができないと考えた石崇は、天丹樹を切ることを考えます。
しかし、伐っても翌日には切り口が塞がってしまい、埒があかない。
思案の挙句、一晩眠ることにしました。
自分の体で切り口がふさがるのを阻もうとしたのです。
しかし、石崇が寝ている間に、木は彼を包みこむようにして切り口をふさいでしまいました。
天界から一部始終をみていた神は、強欲で邪心に凝り固まった人間の末路を世界の人々にみせるため、
天丹樹を月に移して石崇をさらしものにしました。
こうしたわけで、月の表面には、天丹樹に包まれた石崇の姿が見えるようになったのです。

(太陽と月の伝説:新紀元社)

---------------------------------------------------------------
中国の伝承は、沈む龍王国を彷彿とさせるものです。
まだ地球が未熟な液状のような。固体化してない。鉱石が生まれたから個体になったのだから。
それ以前は水のような液体の世界。ビッグバンは気体。その水が月で地球より古い。

龍宮城も中国からもたらされたというか、前世の記憶が日本にあったから、
大陸から日本へ渡ってきたのです。
その龍の島が日本となって受け継がれている。そのような歴史があると感じます。

樹の祖霊は仙人のような長い白鬚で、杖の取手が渦巻きになっている立派な木の杖をもっています。
森の中でふわ~と現れた仙人は、セッション中にみたことがあります。
東南アジアでも木と不死の薬の伝承があり、沖縄でも樹(ガジュマルなど)は精霊として
崇められています。

不老は血-----------------------------------------------------

丹田といいますが、丹は、気のことで、へそのちょっと下あたり。
呼吸法でも丹田は重要で、ヨガ、チャクラ、東洋医学では自立神経を整えるだけではなく、
中心に軸を置くエネルギーが丹田で、地に足をつけるというように、
大地に根(エネルギー)を置くことをすれば、人は全てにおいて健康にもなれるし、
良いエネルギーを頂くこともでき、宇宙と繋がることもできる。
アラハバキの丹内山神社がありますが、子宮も丹田と繋がっているものだと思うので、
これもそんな「気」の意味があると思います。
中国は気功が盛んですから、丹に力を入れることを知っていた仙人がたくさん住んでいた
場所だったと思います。
丹田という言葉は、4世紀頃からありました。

そこで、また新たな発見!
なぜ丹生を崇めていた丹党一族など古代の人たちは辰砂を崇めていたのか?
辰砂は水銀なんですが、精錬すると朱色になり、顔料や薬として用いられた。
妄想するに、これを体内の血と考えられたのではないか?と。
水銀の赤を体内に含める。それが血の働きをしていた?は、わかりませんが。毒ですからね…

これは、血を作るのは骨髄ではなく丹田にある小腸であると考えれば。
丹は朱の意味もある。朱田とは血である。
血液は、精神にも関係する。血が人間を創ってきたわけだから。血液型に性格が現れるように。
それが丹田にある腸だった。それが血を作る存在。
ということは、丹党一族も不老不死を崇めていた秦氏のルーツがあるのだろう。
私は不老不死というとジョフクや物部氏の聖なる樹が浮かびます。



※北欧神話における世界図
中心の木がユグドラシルである。『スノッリのエッダ』の英語訳本(1847年)の挿絵。

中国では月の中に桂がある。この伝承の地名も桂。
月桂樹と言われるように、香りに意味がありそう。
シナモンはミイラの防腐剤として使われていました。
もしかしたら、この香りが遺体を象徴としたので嫌がられたかもしれない。
桂心(ケイシン)といわれ日本では正倉院にシナモンが伝わっている。

血液は骨髄で作られると思っていました。
しかし、最近、血液が腸で作られていることがわかってきたそうです。
まだ未発達の段階なので治療としてそれが受け入れられるかは遠い話になりそうですが。
血が作られるのが、腸であることを知ったのも何かのメッセージのよう。
今、義母の介護中ですが、血液のガンなのです。
日本の医療は良いと思いますが、場合によっては薬に依存してしまうデメリットがあります。
血液のガンに対しては治療は難しいです。
それ以外の自然治癒力を知らないから、患者も病院に頼らざる得ない。
でも医師はできれば入院させたくない。
問題は、自然の寿命ではなく人工的に引き延ばす寿命だと肉体的な苦痛を伴い、
それを持ったまま次へ生まれ変わるとなると、その苦痛の記憶は持続されてしまう。
これを神智学のシュタイナーはカルマと言っていますが、なんとなくわかるような気もします。
病気、特に血液は血液型というように性格に影響を及ぼします。
おそらく、義母をみて思うのは認知症やうつ病(高齢者や病気による)もその人の性質によって
引き起こされると思います。(根拠はないですけど)

抗ガン剤が無意味ということではないが、消化して血が作られるのだから、
食べ物で血は作られるといえるかもしれない。
腸が消化する時のエネルギーがどのように体内に分散されるかわかりませんが、食物も波動を持っている。
そう考えると塩は錬金術師の神器のひとつと考えられるのは、陰陽を結合する働きをもつからだろう。
しかし、一般的には塩分を多くとると体に悪いという。
これも、正しい話ではなく、塩化ナトリウムを多く含む精製塩を多く摂取しなければ、
問題ないのです。天日塩や天然塩なら塩化ナトリウムが少ないから悪くなる要素がないので問題ない。

じゃ、なぜ精製塩が一般的に食べられるようになったのか。
「太平洋戦争の敗戦後、日本にやってきたアメリカ軍が日本の塩をほとんど規制してしまった。
その結果、民間で塩を作ると規制違反となるため、
元々砂漠地帯の海水淡水化や工業用の塩を作るための技術を全面導入し
純度99%を超える塩化ナトリウムが「食塩」が世の中に出回ったのです。」
という話・・・。
※「塩で将来の健康がわかる」より

例えばね、古代の麻禁止、塩は精製塩を食べろ、築地の移転を豊洲に。
みんな裏社会があり、世界の経済を牛耳る輩がいるからです。
築地の豊洲移転も、精製塩を食べさせられるような悪影響を及ぼす影響は大です。
みんな知らないから何とも思ってない。
私は以前、築地移転問題に関係する方と、本当の築地を案内させて頂き、
私たちは、いかに知らされていないか、よくわかりました。
当然、築地は世界ーの市場ですよ。それをまたここで排除された。

東北地方意外の県外の人たちは、原発に汚染された魚はあまり食べたくないと
思っている方は潜在的にたくさんいると思います。
ですが、私は豊洲に移転したら、そこで流通する魚は食べる気はしません。
市場ができれば見た目は綺麗だけど、海底に何があるか、知る人ぞ知る世界です…。
築地を失くすことは、日本の文化を失くそうとする世界の金融市場のやり方ですから。大げさではなく。
日本の和食が世界遺産になった背景には、築地の働きがありました。
和食は単に食べ物のことを言っているのではなく、職人あっての和食だし、かあちゃんの味だからね!

いつもそうですが、世の中の動きが全く理解できませんけど?
よくこんな世界に生きているな、と自分で自分に感心します。半分諦め、半分意地。
このような話はまだまだたくさんあるんです。
私たちがもっと利口になって、上手くスル―していくしかないね。

介護や病院、病気、高齢、必ず人は死にますから老いるとはどういうことか。
いろいろと学ぶ時間を毎日忙しく過ごしています。
ですが、有難がたいことにいろいろな事がわかってきました。
今後、病院に依存しない自然死(老衰)が理想と考えるようになったきっかけと、
やはり人間は霊的な存在なので、精神を高めるしかないですね。
介護は身魂磨き。と友人が言っていた。ホントにそうだ。
楽な身魂磨きはないんだな…
こればっかりは、経験に勝るものはなし!
自分の直感に頼れ!!
力強いメッセージ。
すべてはそれに尽きる。

お稲荷様の鳥居が朱色も血の意味があり、出産や月経の穢れがある。
古代の男たちは、血を恐れた。
その理由はまだわかりませんが、人類が生まれる時に血液が重要だったから。
血統ですね。これは不変なのかもしれない。

もうひとつ、重要な血について思ったこと。
家族になったということは、学ぶために縁になったのです。
なので家族との間には、必ず問題はあります。学ぶためですから。
学ぶ必要がない人とは、結ばれない運命なのです。
だから人間は孤独なんです。
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姥とカルマの法則

2016-03-05 | 日記・エッセイ・コラム
震災からもうすぐ5年。
何年経っても、あの時の衝撃がよみがえります。
この時期だからこそ、このタイトルに何かを感じる。

さて、前回の村田町の姥神を参拝してから、
またもや、おかしな感情が湧きあがってしまった・・・
突然ですが、世界の起こる出来事にカルマは関係する。
あらゆる宗教が生まれた理由は、カルマの法則にあるのだろう。

なぜ姥からカルマに繋がったのか?
カルマを検索すると、業(ぎょう)とあり、サンスクリット語のクリマット(行為)から由来し、
死によっても失われず、代々アートマンに伝えられるものと考えられた。
アートマンはブラフマンで、宇宙の根源のこと。
これは、中国や日本にも影響を与え、ウパニシャッドという奥義、経典みたいな?ものに残され、
仏教以前からあるもの。その意味は「近くに座す」という。

そのウパニシャッドを、漢字で「優婆尼沙曇」と書く。
だから、優婆=姥は、元はウパニシャッドのウパが由来だとわかった。
カルマの法則を知っていた知識のある人々が、全世界に広め、姥神が信仰となった。
それを、男性の在家は優婆塞(うばそく)。女性の在家は、優婆夷(うばい)と呼ぶ。
蝦夷の夷は、女性のシャーマンの意味もあり、もっと突っ込めば、
夷に女偏をつけると、「姨」になり、これも姥と同じ。

だけど、この意味は、妾(めかけ)や姉妹という意味がある。
古代では正妻ではない女性の意味があったと思います。
なので蝦夷の地に姥神を封じるのは、妾のような役目をしていた巫女にあるわけです。
それを排除して姥神を祀るのは、男女のカルマを解消するためだったとか?
塞神もウパニシャッドに由来するのだから、罪の行為をすることは、
人間に課せられた宿命な行為という深い話。


これは、意外にも気づかないことでした。
インド哲学は難しいので、心理や哲学の視点からみるといろいろな事がわかる。
カルマを考えると歴史もカルマの法則にあることが少しづつ見えてきました。

例えば、ある解釈では、スサノオのヤマタノオロチがそのカルマを伝えている伝承だと私は思います。
ホツマツタエでは、スサノオは王(兄?)の宮中の女性と関係をもち、
その罪で相手の女性が島流しにされた話があった。(いろんな解釈があると思いますが)
それが宗像三神なのですが、古代では王族は、家系に近い人と婚姻を結ぶ習わしだったが、
スサノオは他人の女性と関係したことで、追放される。
当時は皇室などの王家の男女の罪とは、他人や巫女のような女性と交わることをタブーとしたのだろう。
よって、ヤマタノオロチは男女の罪であり、男の権力を陥れた女の罪であると解釈できる。
それが龍であり、カルマとなって龍を封じるという行為に繋がった。
男の優婆塞が行ってきた結界は、そのカルマを解消するためだろう。
なので、塞神というわけだ。

このようなやり方は、「夫婦を離す祀り方」と「夫婦を一緒にする祀り方」の二つがあると思う。
陸奥国のエミシ征伐の境に、男女神を離す祀り方は、西洋的な発想だと思う。
イエスキリストとマリアは一緒にはならない運命だから。
一方の夫婦神は原住民が祀る方法で、道祖神がある(陰陽道が入っているけど)
日本では二柱だからイザナミ・イザナギは一緒に祀る。
これはシュメールも同じで、シュメール文明の夫婦像は、道祖神と同じ手を繋いでいる。
ただ、エミシの地には離して祀ることもある。何かの法則に従って。

戦国時代、敗者の妻は勝者へ嫁ぐ「勝利品」という嫌な習わしがあった。
でもこれも、非常に重要な役目でもある。
例えば、初代藤原清衡の母は、安倍忠頼の娘(有加一乃末陪)ですが、
夫の藤原経清が殺され、敵の清原武則と再婚する。
でもこれがカルマの法則として考えると、有加一乃末陪が献身的に務めた結果、
平泉に浄土思想が生まれた。その発端を作るきっかけは、もちろん嫁であり妻である。
行為はそのまま反映されるから。

介護とカルマ------------------------------------------------

人は老いる時や死を迎える時の場所を、あらかじめ決めているのだろうか?と思う事がある。
今、主人の両親の介護中。
いろいろな事があって、仙台に義理の両親が仙台へやってきた。
二人とも療養中。
宇都宮から仙台へ。義父は宇都宮から仙台市内の病院へ転院。
義母も先月から仙台の病院へ転院したが、今は退院して同居中。
さて、仙台で最後まで主人と面倒を見、看取ることになったいきさつは、
いろいろあったのですが、結果、そうなる運命だったことを思うと、
主人の家系も仙台にとても縁があるのだ。

主人のご先祖様は、伊達政宗(父?)に仕えていた家臣だった。
父親の方と縁があると聞いたが、歴史好きな人は聞いたことがある名前の人でしょう。
(私は知らなかった)
名前を変えて宇都宮へ逃れてきたけれど、結局、先祖は故郷へ帰りたかったわけです。
それを託されたことはいんですけど、嫁は大変なんだぞ…。

介護という行為もカルマの解消がある?
私にとってはすごい体験。
シュタイナーのカルマの法則で考えると、
老人の介護をし看取る役目というのは、誰もが経験することだけど、
それが家族や一族の浄化=カルマの解消になる行為ともいえると私は思うが…。
実際は違うらしい。カルマには善悪は関係ない。
ただ、私の場合、私の先祖は奥州征伐にきた武蔵の武将と縁があると思う。
実は、私の父も長い間仙台に住んでおり、両親も仙台の生活と半々な暮らし。
伊達家がいた時代には、伊達家とは敵だった。(伊達家に興味がなかったのはそれ)
でも結婚したことで、互いに敵同士であったけど、解消された出来事が過去にあったかも。
これは何度も何度も繰り返し行われる。長い歴史の中で、夫婦の関係は何度も訪れる。
その役目として先祖が最後に私たち夫婦に課したのが、仙台で主人の両親の面倒をみることであった。
まあ、これも大袈裟な話かもしれないけど、私にとっては感慨深い出来事なんです。
ただ、これは、私個人のことで家族には影響はありません。
他に家族がいても、私たちでなければならない理由は、私個人の問題だからです。
看取る行為は、相当なエネルギーを要するらしい。
それをどれだけ受容できるか。その器が大きい人でなければ、介護はできないというのです。

よくわかりませんけどね、大変ですよ・・・。でもすごいプラスになる。
でも、主人の両親が望んでいたこともあるので、結果よかったんです。
結婚が大事なのは相手の婚姻を結ぶ縁から生まれる生活により、
その行動がそのまま反映されると考えると、当然、幸せな夫婦であることがいい。
昔は恋愛結婚ではなく、互いの家系の縁で結ぶようにした。
敵同士ならば、敵同士が結ばれる方が、ずっと良いカルマがうまれることも。
それをイエスキリストは愛といったのでしょう。
私はこの話には、すごく腑に落ちます。

今の出来事を考えると、自分が80歳くらいになった時に、40代の時に起こる原因の結果と考える。
その年の年齢の倍が反動になるという考え。
「あの時こうすれば良かった」という後悔をしない為の法則。
自分に加えられた罪の結果を生じさせないこと。それを「なぜ私がこんな思いに?」
といった罪と考えると、それが反動して自分に返ってくる。
でも、「送り出す役目」と考えて働きかけると、カルマは解消し、カルマはやってこない。
また、それをちゃんとわかって行動している人(飛ぶ鳥跡を濁さず)は、カルマとは関係ない。

今起こっていることが何であるか、その原因を考えないとカルマは繰り返し反動するのだから。
高齢化を迎えた時にどうするか?という準備ができるから、幸運なことだと思っています。
大変だけどねー!!
その働きの裏に、先祖の魂が働いていることも実際はあるのです。

震災とカルマ-------------------------------------------

これは、どう思うかは人それぞれだと思います。
これらは、何も起こらない人より、将来は楽に魂が解消されることになると期待してよいのか?
精神世界の話ですが、もっと軽い人間関係、家族との関係、過去の怨念などもあれば
それも含めて、解消されるから自分の家族がよくなっていくと。
ただ、これは見返りと違って、見返りは、相手に求めて生じることだが、
カルマというのは「魂」の行為だから「出来事そのもの」です。
なので家族との間で起こることがとても重要。
これは一族だけではなく、人類の民族にもカルマは働いている。
大和朝廷がエミシ征伐をした。という行為のカルマを東北人が受けていることはある。
戦争など、それらを撃退した人の行為は、どうなのか?
シュタイナーの理論では、「個人のカルマは民族や人類のカルマとも結びつく」と言っている。

個人の体験が受け入れられず恨みとなっていくと、その反動は何十年、何百年も続く。
カルマがすごいのは、魂は輪廻転生なので、死んでもカルマは続くこと。
「人類全体のカルマが、この時代にこの人(争いを起した人)たちを、この場所に置いた」
戦争ばかりしている場所は、過去の歴史を振り返るとよくわかる。

先祖の過去の行いを、その家族の誰かが引き受けることにもなる人生とはなんだろう。
それがプラスになればよいが。
そのような苦痛を、スピ系の人たちの多くから「それだけ耐えられる人」とか、
「苦しむ人は神さまに好かれている人」ともよく聞いた。
・・・・・そんなわけないよな。
人は苦しむために生まれてきているのではないし。

震災の時もそうだった。
「東北地方だから耐えられるだけの場所」とスピ系の人たちからも多く聞いた。
私も最初はそう思った。
東北地方は別格だと思っていた。
でも、これにはもっと深い裏の意味がある。
東北地方は過去の長い歴史から大変な苦痛をたくさん受けてきた。
その原因があったから、迫害された民族の精神の反動で起こった出来事が震災だったと思う。
迫害された民族がたくさんいて、恨みをもって亡くなったことに問題があるからです。
そう考えると、東北地方は、
「カルマの解消を甘受できる役目をもっている人が多く集まる場所」となる。
それならば、震災でも耐えられる精神を持っている人たちが多いとも言えるのです。
これは優しいのとは違います。
すでに人類のカルマを受けているのだから、それを跳ね返す力が強いとそのまま反動になって
かえってくる。なので、大人しいと言われるのは、東北の先住民からきている子孫の精神があり、
「仕返しをしない」ことを、潜在的に教えられて過ごしているようにも見えるのです。

さて、こんな深い話、どうやって考えることができるだろう。
先祖はそのことを知っていたから、良い行いをしてきた。
キリスト教では、悪い行いは人間そのものの行為だと説く。
善は神による行為だと。この世の善悪を生み出した世界。
でもアジアには、善悪が基本はないのだ。
今、起こっている自分の出来事で、いろいろと思うことがあった。
何でこうなんだろう?という変な悔しさとか家族とは何だろうというフツフツとした思い。
そんな時に、「シュタイナーのカルマ理論」という本を見つけ、
姥神の話に繋がった。そのおかげで私は救われました。
私は宗教が嫌いなので、哲学に逃げます。



まだまだ学ぶことがあると言われていて、
まだまだあるのか・・・・と、なんかやっぱり自分と向きあうことは大変です。
ということで、まだまだある。
神話にはなぜ月が迫害されたのか。
これも面白い哲学論。続いちゃうんだな・・・。
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姥の手掛石

2016-03-02 | 洞窟・巨石探訪
久々に村田へ。
前、村田の蔵を見学しにいく道途中に「民話の里」という看板をみつけ、(25号線)
いつか行ってみよう~と思っていました。
ここの住所が姥ケ懐(うばがふところ)というので、なんかありそう。



と、調べてみたら鬼伝説がありました。
行きたい場所があっても、伝説を読むと行く勇気がない場所はいくつかあります。
ここもそうでした。



鬼の話は各地にありますけど、ここは謎の手形石が残っているというので、
ちょっとみてみたくなる。
でも、話を聞くと、やっぱり行く勇気がない。
が、私はあるサイトをみて「あー!!」と、気づいたことがありました。

それは、以前、狼展などをやっていた「村田町歴史みらい館」をたずねた時に、
ここの展示室は面白いものがあって、鬼の顔と手が展示されていたのです。
木箱に保存されているのですけど、けっこう大きな顔ですが、
なんか~こういうのはじっと見てると、怖いんだよね。本物かわからないけど。
なので、その鬼伝説の話も全然読む気がせず。
それでも何度か、みらい館を訪れては、いっつもその鬼が気になってはいました。

そしたら、その展示されていた鬼は、ここの鬼伝説に関係していたとわかり、そうなると、行きたくなってくるのだから不思議。

「日本珍スポット100景」というサイトに写真がのってます。(マニアックなサイトだね…)
けっこう衝撃的です・・・。
http://bqspot.com/tohoku/miyagi/699

姥の手掛石について-----------------------------------------

我が集落の中心地に「姥の手掛石」を御神体とする姥神様が祀られているのがこの手掛石。
昔、東北部に位置する姥ヶ森という山奥に子守沢という場所で老婆が大きな赤ん坊を背にし、
生活していたが、ある日、喉の渇きを覚えて水を飲もうと川辺の大きな石に老婆は手をついた
ところ、その石に手形がはっきり残り、それが姥の手掛石といわれるようになった。
その背中の赤ん坊は、成人してから京都で活躍した渡辺の綱とも言われ、里人の住人相集い
子守沢から現在地に移し、姥神様の御神体として古くは、渡辺一族、地域全体の守り神
として信仰を厚くしている。

(御神体の看板より)





地元の方が作られた看板の説明だと、鬼とは一言も書いていないわけです。
子供を育てる普通の母親が、石を形見?とするように残し、それを「姥」という地名にした
ことは、姥神を信仰している人たちが住んでいたいたわけです。


(手形のような凹みがありますね)

それが、なぜ鬼退治の話になっていったのか?
そういう所は、本当はもっと深い話があるのだけれど、やっぱり何者かに退治されたように
供養というよりかは、祈祷をされたのだな、と思う。
実際、行ってみると川の側(新川)にあるので、禊っぽい雰囲気。修験くさいわけです。





ということは、この川が、「三途の川」と見立てているのかもしれない。
それが姥であり母神である。なので、鬼ではない。

山の峠や尾根道などの境界に祭られる神に「姥神社」と呼ばれる神社があることがある。
似たやうな場所には姥山、姥ヶ懐などの地名もある。
この神は、三途の川の奪衣婆だつえばのやうに人を襲ふ山姥のやうでもあり、
また金太郎を育てた山姥のやうに山中密かに子育てをする乳母である伝説もある。
この姥神もまた、生と死の両方を司る神であるやうである。
奪衣婆の居る場所は、三途の川の川岸の木の下といふことになってゐて、
禊に奉仕する巫女の変化との説もあるが、大きなウロを持った老樹の神を連想せずにはゐられない。
姥神と似たやうな場所に祭られることの多い「御霊神社」の中には、
高皇産霊尊(高木神)を祭神とするところも多い。
これも境の地に立つ高い木を祭り、境を守る神のやうである。
埼玉県大里郡大里村の高城神社は、旧称「御霊宮ごれいのみや」と言ったやうで、
やはり高皇産霊神を祀る。

(引用:神話の森 http://nire.main.jp/rouman/ubu/ki2.htm)

大きな赤ちゃんとか、巨人説を思うようで、海神や諏訪神のような話でもある。
高皇産霊は、高倉下と関係するから神武天皇前の皇族かもしれない。ニギハヤヒとか。

渡辺綱の伝説----------------------------------------------

京の朱雀大路の羅生門で、渡辺綱は鬼と格闘して右腕を切り落とす。
しかし取り逃がしてしまったために、切り落とした腕を石の長持に保管して、
諸国を回って鬼を探し求めた。
そして辿り着いたのが姥ヶ懐という地でであった(一説では、ここが綱の故郷であるとされる)。
滞在してまもなく、綱を訪ねてくる者があった。
綱の伯母である。用件は、切り落とした鬼の腕を見たいということであった。
綱は断り続けたが、伯母も全く引き下がらない。
とうとう根負けした綱は、石の長持から腕を取り出して伯母に見せた。

しげしげと見つめていた伯母はやにわに腕を掴むと、ついに正体を現した。
伯母に化けていたのは、羅生門の鬼。腕を取り返すと一散に逃げようとする。
逃すまいと、綱は太刀を手にして斬り掛かる。囲炉裏の自在鉤を伝って、
鬼は屋根の煙出から家の外へと飛び出すと、一気に川を渡ろうとした。
ところが、あまりに慌てていたためか、そこで体勢を崩して転倒しかかる。
思わず近くの石に左手をついて身体を支えると、そのまま川を飛び越えて逃げおおせて
しまったのである。
これ以降、姥ヶ懐の土地では、囲炉裏に自在鉤も煙出も作らないようにしたと言われる。
また節分の豆まきの時でも「鬼は外」とは言わないようになったという。
また異説では、金太郎を背負った山姥が川を渡ろうとして思わず滑って転びそうになって
手をついた跡であるとも伝えられている。
川沿いの小社の一角に、囲いに覆われた石があり、
今でも彫ったように四本の指の手形と思しきものが残されている。



※安達吟光『大日本史略図会』

縄文のイヒカ(井光)--------------------------------------------------------

渡辺綱は、平安時代中期の武将。
嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもとのつな)。
通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。
この方、生まれは武蔵国(現在の埼玉県鴻巣)渡辺氏の祖となり、
大江山の酒呑童子退治や、京都の一条戻橋の上で鬼の腕を源氏の名刀「髭切りの太刀」
で切り落とした逸話で有名。
謡曲『羅生門』は一条戻橋の説話の舞台を羅城門に移しかえたものであるそうだ。
で、イケメンだったらしい。先祖が源氏物語の主人公だっていうのだから、
村田は古くからあこや姫伝承にあるように、宮城~山形の街道で、新羅人や平家たちもよく来ていた所。
砂金交易や奥州藤原氏の関係もあると思うので、藤原実方みたいな話だ。




(八巻家住宅:江戸時代後期)


(ちょっと怖い鎧)

大江山の鬼は、桃太郎の鬼退治に関係しています。
元伊勢の話など、いろいろと伝承が残されている場所ですが、トヨウケ大神が日室ヶ嶽(鬼伝説が伝わる所)
にとどまったという。日室だから、室であり巫女がいたので、子孫が村田町にきて広めた鬼伝説は、
天皇に仕えていた巫女と関係していそうです。

このあたり、渡辺氏の子孫がやってきて住んでいた所だったようです。
民話の里に展示されている鎧の家紋は、渡辺氏の家紋で三つ星に一文字。
渡辺氏の族人はもともとは源綱の登場以前から天満にあった坐摩神社の守護集団であり、
またその源流は大阪に土着していた朝鮮からの渡来人集団の子孫・ツゲ(都下あるいは闘鶏)氏
であるとも言われる。

「坐摩神社」を「ざま」と読んでしまうが、これは「いかすり」と読む。
大阪にある神社ですが、かなり古い神社で三ツ鳥居。
祭神がすべて井戸水。
これはイヒカなんでしょうか?
イカスリというのは、イヒカということか?
井氷鹿(イヒカ)という井戸が奈良県吉野にある。
水銀のことで、不老不死の薬として昔は利用されていた。もちろん毒ですが。
産出地が中央構造線で、丹生神でもある。
それに「いかすり」のイカは、イワレヒコである神武が関係しているそう。
熊野へ行った神武天皇が吉野を通り、戦いをした話は「ナグサトベ」についても記録されている。
たった一行だけ名前が出てくる女性首長ですが、ナグサトベは神武に殺されて、身体を分けて埋められた話。
そこに光る井戸が発見されたことから井光となづけられた。
縄文人の水銀採取といわれている。ナグサトベは南方の方の人なので、宗像大社にも関係してると思います。

水銀の産地には、碇(いかり)という字を当てるらしい。
なので、ここの新川を渡る小山に鎮座されているのは、不動尊(不動明王)である。





不動尊も水神で水銀の神(金)に関係する。
山の中に鳥居があり村の人たちの氏神様が祀られていました。参拝させて頂き、やはり熊野神社の名前があった。

渡辺氏の坐摩神社のご祀神も、すべて井光という井戸神に通じる。

生井神 (いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ) - 竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ) - 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)

縄文人の水銀採掘を利用するために縄文人を排除たものか?
鬼退治として後世伝わることになるが、渡辺氏も同族だったのでは?
おそらく、ここの鬼話は、縄文人の末裔が住み土着した人たちの村があったのだろう。
アスハ神やハヒキ神は、ハヒキが波比岐神となり、
頭に顕(神々の現れ)をつけて「顕波波木(アラハハキ)」とよむ。
井の神で水を祀り、屋敷神や大地にふんばって立つ防人の守り神といわれ、
アスハ→アスカ→スカ→スガ→ソガ(蘇我氏)なんだと。ホントカ?

蘇我氏は、確か猪と呼ばれた。物部氏がそう呼んで馬鹿にしたとあるが、
二十八宿で室は、祝い事や祭祀、井戸掘りなど水に関わる時に行われる時間。
動物が猪で、宿火猪という宿図。火と水の要素がある。
火に苦戦するヤマトタケル伝承にも猪は登場する。

また、ハヒキのハハキだから、ハハ(カカ)蛇神で、アラハバキ。
やはり、アラハバキは水銀などを使い金を産出していた縄文人だった。
仙台市泉区にはシワヒコ伝承があり、古内という所に雲水神社がある。
そこも同じ足神であり、七北田川が水銀などの金と関係していたならば、
セオリツヒメと二ギハヤヒの子とされるシワヒコ命が落馬した話として残されているのだろう。
ということは、皆、縄文人であったので、そのような人々を渡辺氏が退治したという話にしてる。
その渡辺氏も水神を信仰している。ちなみに松浦党(安倍氏の一族とも)も関係しているようです。

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民話の里には、ロボットおばあちゃんがいて、
渡辺の綱の話を語ってくれるそうだ。15分も。コワイネ。



本物の人かと思ったくらい、ずっとここでこうしてロボットおばあちゃんがいるのかと思うと、
いつか動きだすんじゃね?(そんなわけないが)
音声だけ流していればいいと思うのだけど・・・。
宮城県ってこういうとこがヘンだよね。地方の観光地にはヘンなものが多くて、面白いけど雑。


(不思議な形のモニュメント、意味がわからない)


(姥の黒松)




(読めねー)

黄金がとれた黄金山神社も、神社境内に説明が流れるボタンがあるんだけど、
音が大きすぎるんだってば。森の中で男の人の声が響いているのもどうかと。
結局うるさくて最後まで聞かない。しかも長い。途中で止めた。


(遠いっ!モニュメント)

興味ある方はどうぞ。村田町民話の里
http://www.murata.miyagi-fsci.or.jp/toku/minwa.html

姥神は、民話の里駐車場から道路を渡り右奥へ進むとすぐです。

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