秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

豊城入彦命と土蜘蛛

2016-02-28 | 日記・エッセイ・コラム
宇都宮へ行く時に、時間があればいつも二荒山神社を参拝してますが、
この方の存在を妄想するのは、難しいな~と思っていました。
でも、どこかこの神社が女性的に感じ、女体宮がとても癒されるので、なんだろう?と
思っていたら、土蜘蛛という言葉が出てきた。


(運動不足には行く気をなくす長い階段・・・)


(女体宮:祀られている方角がなんかおかしい。)

群馬の赤城山のムカデと、栃木の南体山の蛇大戦は、戦場ヶ原といいますが、
ムカデが土蜘蛛と呼ばれた先住民ということはあるのでしょうか?
ま、よく知らないけど、北関東で伝わるこの話、俵藤太が関係してます。
この方は滋賀県の人で同じ伝承があり、マタギです。


(荒神と奥はミズハノメを祀る)

前回の樋爪氏の話で、源義経などの砂金交易で陸奥を案内していた人だとしたら、
俵藤太と同じルーツで、元はマタギであったが、藤原氏に認められ、
それが功をなし宇都宮二荒神の洗礼をうけたことはないのか?と思ってしまう。
宮城県の伝説に、石巻北村に猿麻呂というマタギが、
ムカデ退治に矢をうった所が、今の宇都宮であり、宇都宮二荒明神は猿麻呂を祀り、
瀧尾女体宮には朝日姫を祀るとある。この話は、石巻北村が日光マタギの発祥になっています。
朝日姫は、石巻の旭山なのかどうか…

詳細はこちら。
「日光の神々の本家は石巻北村?」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20150305

宇都宮二荒山神社の由来-----------------------------------------------

豊城入彦命 (とよきいりひこのみこと)
第10代崇神天皇の第一皇子で、天皇の命で東国を鎮めたとされる。
毛野国(のちの下野国・上野国)の開祖とされる。相殿大物主命 - 崇神天皇が都とした磯城瑞籬宮
(奈良県桜井市金屋)の北に鎮座する、三輪山(大神神社)の神 事代主命 - 大物主命の子

主祭神については、時代によって彦狭嶋王、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、健御名方命、日光三所神など諸説ある。
江戸期には日光山大明神と称されたこともあり、天保14年(1843年)には大己貴命、事代主命、健御名方命が祭神であった。


社伝では、仁徳天皇41年に毛野国が下野国と上野国に分けられた際、
下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が曽祖父・豊城入彦命をこの地域の氏神として祀ったのに
始まると伝える。ただし、それ以前に豊城入彦命によって三輪山から勧請された大物主命が祀られていたとも伝えられている。
地元では、当社に参拝すれば下野国にある全ての神社の御利益を受けられるとされ、人々の信仰を集めた。


上毛野氏のルーツは、紀の川流域にいた集団で「荒河戸畔」の名で倭王を擁立したという。
崇神天皇の皇子豊城入彦を始祖とし、百済から招かれた人。
五世紀頃大阪湾へ向かい、須恵器生産の地(場所忘れた)へ行き三輪山信仰を深めていた。
この頃、前方後円墳がたくさんできるようになり、神武天皇と崇神天皇は同一との説もある。
大和朝廷を建国したのがこの天皇であり、ここから前方後円墳が作られたので、
卑弥呼と前方後円墳との関係も考えられそうです。
が、卑弥呼はよくわからないのですが、定説は日の巫女で太陽神。
この方々は、先住民ではないでしょう。縄文人ではないと思いますし、
私はあんまり卑弥呼に興味が持てないのです。
それに、天皇の名前や天皇の系譜については重要ではなく、問題は、なぜ土蜘蛛や蝦夷、隼人や熊襲
といった名前が出てくるのか。またそのような人々を排除してきた本当の理由は何か?が重要です。

それで、三輪山信仰を深めたというよりかは、土蜘蛛やエミシ征伐の時は、
自分たちの氏神(駒形神)を祀るようなことをしてきたのが上毛野氏のやり方なので、
宇都宮二荒神も元は、土蜘蛛のような女性首長の存在があったように感じる。
720年上毛野朝臣広人が、エミシ征伐の前に敗死すると下毛野朝臣石代が副将軍として陸奥へ向かい、
724年大野東人が多賀城を築く。

戦場ヶ原の戦いでは、赤城山の側に駒ケ岳がある。
上毛野氏は、陸奥に入り、駒形神を祀るのだから、ムカデと蛇の大戦は、
土蜘蛛と卑弥呼のような渡来してきた女性シャーマン同士の対戦なんじゃないか?という妄想。
ただ、豊城入彦という名前が、男性の巫女なので、元は女性だったと考えてしまうのです。
女神を封じるときは、男神にすることはよくある。

土蜘蛛とは--------------------------------------------

土蜘蛛については、たくさんの伝承があるのでここでは書ききれません。
興味があれば、過去の記事を参考にして下さい。

豊のトヨは、神名にとても多い。
トヨ=イヨで、台与にも繋がる。
崇神天皇の一族の中にいる卑弥呼の存在を考えれば、トヨは、イヨでもある?
イヒトヨの飯豊などもそうで、宮廷で食事を司る巫女なんだろう。
飯豊の名付け親は役小角と聞くので、この方の家族、母?はそんな巫女系の人だったかもしれない。
役小角は、一族に何かあって巫女を鎮魂してるわけです。
結果、蔵王権現が生まれたから、蔵王権現は母神の意味を感じます。

トヨクモという人がおり、豊雲で、雲の神というが、蜘蛛ではないかなあ。
無理やり繋げるならば・・・。
豊は豊かなことですが、毛野も豊かな大地の意味がある。それが関東地方だったと。


鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「土蜘蛛」(妖怪)

土蜘蛛は、朝廷に対抗し敗れたのですが、土蜘蛛とは虫の蜘蛛ではなく、
岩などの土に籠る「土籠り(こもり)」からであり、洞窟に籠ることが由来。
漢字のように、籠るのは、篭るとも書き、龍と書く。
なので、土蜘蛛との関係も考えれば、上毛野氏が北関東に移り住み利根川沿いに多く集まったのか、と思う。

蜘蛛は手足が長いので、そのように言われたこともある。別名八束脛(やつかはぎ)。
脛が長いということは、長髄彦とも関係してると思うが…

土蜘蛛というと、ナグサトベが浮かぶのですが、体を分ける話は、葛城山の土蜘蛛伝承にもある。
葛城山の一言主神社に土蜘蛛塚というのがあり、神武天皇が土蜘蛛を捕まえて、
彼らの怨念が浮かばないように、頭、胴、足を分けて埋めたという。
蝦夷塚のように、塚というのは土蜘蛛との縁みたいなものを感じる。

耳(ミミ)----------------------------------------

ところで、豊を連想していると、耳にあたる。
気になる伝承は、耳です。ミミってなんだろ?

「肥前国風土記」より、景行天皇が志式島(ししきしま 現在の平戸南部地域)に行幸した際
(伝72年)、海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、
小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。
そこで両者を捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、
「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある。



源頼光土蜘蛛の妖怪を切る図 歌川国芳筆文政前期 大判二枚続
(Wikipedia)

毛野氏は、崇神四代目彦狭嶋王が景行天皇の命で東山道十五ヶ国の監督に任じられている。
ところが、この方が遠征途中で病死したので、毛野国に葬られたと伝わる。

大耳、垂れ耳という耳が何であるか?
鳥見は鳥耳のミミだと考えると、
鳥のミミとは、鳥の巫女だと?
オシホ「ミミ」など、ニギハヤヒでもあるようですが、ニギハヤヒも鳥見がルーツである。
鳥海山はトミだった。
鳥見はトミだから、正統な聖だったと思います。
その鳥海山に手長足長伝説があるので、土蜘蛛のことだったりしないか?と。
それを神武天皇や崇神天皇の一族が、九州~大和~関東~東北と支配し、
自分たちの氏神を建てたのでしょう。
それが、ナグサトベにも通じている民族もあり得ます。
そうなると南の海人である海の先住民。

さて、不思議な話があるもので、話がちょっと飛びますが、こんな宇宙人説もある。
耳長などの耳は、うさぎの耳のように長いことを表すような話もある。
これが、宇宙人説になってますけど、頭につけたアンテナの説もあって面白い。
これが角なわけだよね。鬼の角は、頭になんかのっけてる。牛とか鹿の角とか。
動物の角をつけて動物儀礼をしていた先住民かもしれないけど。

大耳、垂れ耳の話で似たような神話を思い出す。
実際どうなのか?都市伝説みたいな話ですけど。
イースター島のモアイ像に鳥人の壁画が発見された話。
イースター島の伝説に登場する、鳥とヒトの属性を併せ持つ存在、もしくは名誉称号のことであるそうだ。
謎めいた岩面彫刻(ペトログリフ)でも知られており、その代表的なものが鳥人である。
また、この島ではかつて鳥人を選ぶ祭りが行われた。現在は行われていない。

たぶん、動物や鳥のような超能力をもっている者を、神格化しているのだと思いますが、
実際、そんな遺伝子組み換えみたいなことをしていることもあるかもしれない。(先史時代)
その鳥を「マケマケ」とよび、この島に辿りついた鳥を神格化している。

1500年頃、人口過剰、食糧難などにより内戦がはじまり、モアイ崇拝は廃れることになり、
古い神であるマケマケの信仰とタンガタ・マヌの儀礼が行なわれるようになった。
かつて行われた鳥人の祭儀(鳥人儀礼とも)は、この島に複数あった部族から、
その年の支配者を選ぶものであった。
これは、神話上のこの島の人間の祖であるマケマケが鳥に導かれてこの島に
来たことに基づいていたとされる。1866年まで行われたが、白人が支配権を持ったことで、
実質的な意味を失い、行われなくなった。
(Wikiより)

イースタ島のモアイがなぜ運ばれたのか説明がつかず。
また、鳥人の彫刻も不明。
しかし、これに超自然的な力を想定することが行われ、各専門家の間では注目を浴びているものだとか。
そこに耳長族の話が入ってくる。
たとえばモアイを立てたのは耳長族であり、これに短耳族が反乱した、という記述があり、
これを短耳族が人類で、長耳族は宇宙からやってきたというような解釈である。
そういう中で、鳥人もまた宇宙人であるという解釈が取られた事もあるという。

まるで日本版ヤタガラス。
これは、兎の漢字にも何かありそうです。
烏兎(ウト)、木兎(ミミズク)など、月神と関係し、水にまつわる話が多いのです。
ウトはウドに目を突かれたとか、ウドヶ森は、オードから由来する聖山。
角をもつものが鬼とされ、水神であり月とされる。
そういえば、詳しい人に聞いたら、「角が立つ」というように、角は丸より低い次元?要は今の地球。
四角に置くという話も、角がたつから鬼の象徴とされたとか?鬼は、今の私たちの世界なんだろう・・・
月は闇を司る。それが宇宙人説になっている。
「月を恐れる=先住民を恐れる」という意味があるのです。
なので、おそらく、そのような神話を残している人は、自分たちは堕落した人間ではなく、
元は、宇宙からやってきたスターピープルなんです。と、言っているのだ。(優等生になりたい願望)
地球人と一緒にしないで下さい。という事か。悪いスターピープルもいたりするのか。。。







その派閥は古代からずっと続いている。皆、地球にいれば同じなんだけど、違うと言いたい宇宙人がいる。
それは宇宙から何かの存在をおろしてくる巫女に関係する。
このような世の中にしてしまったのは、天皇家につく巫女に問題があった。
おそらく女性。悪循環になるように悪いモノ同士を媒介し、操る存在がいて、今もそういうのがいる。
ということを知っている自分というのは、どっかで過去そんな過ちを犯してきた罪があるのかもしれない。
まあ、みんなそういう部分をもっているのだけど。
そうならば納得いく。鎮魂のために東北にいて、物部氏の痕跡をいつの間にか辿っているようだから。
それがいまだに続いている理由がわかる。たぶん、物部氏の衰退の原因は、巫女にあったのだろう。

さて、他にも耳の漢字は、柔らかい意味がある。
餌の漢字があるように、食にも関係する耳は、柔らかい食べ物のことの意味をもつ。
動物の肉は硬いから、貴族文化が入り稲作が伝わると柔かい食べ物に変わる。
そして、言霊ではミは、身や実のこともある。
実るのは、身という肉体に霊がノルことを意味しているから、実るのだ。

聴くは、聞こえない小さな声を聞くことの意味がある。
人間の耳では感知できない程の音波。なので、聞くとは書かない。
漢字は、耳に目の上の十字と、心。
十四の解釈もありますが、この場合は違うかも。
目と耳は、どちらも霊をみる、霊をきくに繋がるので、四ではなく目だと思います。
その目に十字を置くのはシャーマンの印。
心は旧漢字では、一に心だった。
一は、ひとつだから、ヒトであり心臓。心臓があって始めて人になる。


聴の象形文字
引用:漢字辞典―OK辞典より http://okjiten.jp/kanji1734.html

直訳すれば、真実を知る者又は聴く者が聖であり、聖の漢字にも耳がつくように、
言霊(口)を聴く(耳)ことができる王であると。
で、この王という漢字は、階段の象形文字だという。シャーマンは、傾聴ができるってことかね。


(十社)

で、王はウンモ星人か?笑
また宇宙人話になるから止めよう・・・。
昔は、大王と言ったが、天皇という言葉に変わる。
それが天武天皇がそうしたという話だが、漢字では白い王になる。
白のシラではオシラサマ。新羅とも読めるが、シラは馬を神とする。
なので、上毛野氏は、駒形を祀り大王から天皇に変えたのだ。

王という文字のUFOは、江戸時代?頃の史料にものってるね。
それに聴の象形文字の中に、「階段」と「王」の文字を含めている。
考えすぎかもしれないけど、インドでもシバ神の乗り物がある。それがUFOなんだけど、
時空を超えることができた人々だった。
その乗り物を3次元でみると、「王」という文字が書かれたような乗り物だという。
「階段」も、よく「山から天に向けて橋をかける」といった内容の話は世界中に多い。
地下に階段がある話もある。
宇宙へ行く時の階段は、山頂から伸びており、往来するようになっている。
そんな映像をみていたのだろうと思う。
それで、ヤマタノオロチみたいな爬虫類系の話も多いですが、例えば蛙なども。
これを爬虫類系エイリアンという人が多いですが、実際は、そんな気持ち悪いのはいません。
人間が創造してしまった失敗作で、それこそが人間が堕落した結果の宇宙人でしょうから、
私の中にはいません。
例えば、古代では鬼をつくった。
現代は、爬虫類系宇宙人をつくった。懲りないね。
結局、人間は怖いもの見たさで、何か悪いものを見ていないと自分が良くならないと思っているんだろう。
単なる興味本位ならましだけど、本気で信じている人がいるとそっちが怖い。
善になるには悪が必要。
その悪を外に向けてしまうとこが、全然違う!
悪い者が見える人は、自分の姿であることに早く気づいてほしいものだ。
というか、人間は基本Mなの?

で、耳(ミミ)とつく神名は、言霊であるように、神(宇宙)の声を聞くことができる聖にしかつけられなかったわけです。
すごくクリアで美しい存在だったんでしょうね。音みたいな響き。
それを感じて美しいと思える人間も、やっぱり美しい。

で、結局、豊城入彦はなんだった?
トヨウケという人がいますが、まあ、皆、トヨ一族ってことで・・・。
結局、あやふやで終わる~。
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奥州樋爪氏と三峯神社(宇都宮)

2016-02-25 | 日記・エッセイ・コラム
三峯神社は狼を眷族とする神だけど、それだけでもないのです。
源氏にとっては戦勝の神でした。
奥州藤原氏の関係する人たちの鎮魂をする神であることは宇都宮に来て改めてわかった事。
源氏VS奥州藤原氏の歴史の中に、(奥州合戦)北関東地方も関係している。
それが上野国(現:群馬県)ではなく下野国(現:栃木県)であり、早くから下野国は、
大和朝廷の支配下にあった。その有力な一族毛野氏は奥州征伐へ向かっていました。
仙台市内の大きな古墳は、毛野氏とも関係していると思います。

宇都宮市に三峯神社が3社ある。
一番宇都宮駅に近い田川側の三峯神社へ行ってみました。(大通り5丁目3)
ここは三峯神社の他に、「樋爪五郎の墓」とあり、樋爪氏と関係する場所であった。
ああ、なるほど。だからやっぱり三峯神社が平泉に置かれているわけだ。
平泉の三峯神社も源氏が安倍氏に勝つことができたから、そのお礼に三峯山から分請して祀られている。
宇都宮三峯神社も三峯山から分霊して創建されたそうです。
この樋爪氏という人の名前を、私は初めて聞きました。
ここで奥州藤原氏とのご縁を果たすとはな~。



調べてみると、樋爪氏の墓は各地にあるそうです。
ただ、ここに塚を置き三峯神社を祀るということは、何らかの関係があるとは思いますが…詳細はわかりません。



奥州樋爪氏(ひづめ)-------------------------------------------

あんまりこのへんの時代をよく知らないのだけど、
奥州合戦を知らない関東人のために。簡単にいうと・・・ま、wikiからコピペ。
鎌倉政権と奥州藤原氏の間で東北地方にて行われた戦い。
奥州征伐ともいう。「吾妻鏡」では平氏を倒した源頼朝の次をねらうのは奥州藤原氏だった。
目的は金というが・・・。
詳しいことは、面倒だから割愛。





樋爪氏のお墓の由来は、宇都宮二荒山神社伝により、1189年源頼朝に敗れた奥州藤原氏
の一族の生き残りが各所(関東)へ配流され、そのうち分家の樋爪太郎俊衡入道と、
弟の五郎季衡は、宇都宮二荒神社にて戦勝祈願のお礼として降人(降参する)し、
配されたという。




(この日、神社を地元の高校生が清掃してました。えらいね~)

弟の季衡は故郷の寂しさのあまり、宇都宮二荒山神社を抜け出し、追っ手に捕らえられ討たれたと。
その場所が三峯神社のある所と伝わる。
すぐ先には田川が流れています。





樋爪氏は本当に宇都宮へ配流されたのでしょうか?
平泉志巻上には、「樋爪太郎俊衡入道は(法名は蓮阿)藤原清衡四男泉十郎清綱の嫡男なり。
文治5年平泉滅亡後、追討を受るに際し同9月4日、其居館(樋爪館を称す志和郡五郎の東北あり)
を焼いて奥地に遁れしが同15日三子を具して弟季衡と共に厨川の栄所にて降参す。」


兄弟とも盛岡の厨川で討たれたようですが、源頼朝は兄の俊衡入道は年老いており、
また法華経を熱心に信仰していた為、討伐を免れたと伝わる。
弟の季衡は捕虜となり、下野国へ配流されたと記されている。
他一族も、相模、伊豆、駿河へそれぞれ配流されている。
平泉志誌を信じるならば、弟の樋爪季衡は下野国へきていたわけです。
ただ、伝承にあるような討たれて亡くなったかどうかは不明です。
たぶん、違うかもしれない。そこまで源氏が残酷には思えない。
それにこの方の出生がなかなかすごい。

樋爪氏-------------------------------------------

樋は「ひ」とよびますが、比爪、火爪、日詰氏などの祖となっている。
藤原清綱の嫡子(ちゃくし)というのだから、その家を継ぐ長男ということで、正妻の子になる。
清綱の父は、藤原清衡で初代奥州藤原氏!

その清衡の父である藤原経清は、以前、雪の多い色麻町へ行った時に伝わる塚がある所で、
有加一乃末陪(安倍氏の娘)と結婚した夫。
詳しくは、丹取郡の話で書いてますので、こちらを参照下され。
「丹取軍団の名取氏」
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/6289106fa885baf5833df1c36bba3e2f

てことは、

藤原経清―有加一乃末陪(安倍氏の娘)
    ↓
  藤原清衡(初代奥州藤原氏)
    ↓ 
藤原清綱(亘理権十郎)→他に兄弟が数人いる。(基衡、正衛・・・)
    ↓
子=樋爪俊衡、季衡、乙和子姫。

という事は、樋爪氏は、奥州藤原氏の系統で、関東と往復してたかも。
乙和子姫という方は、源義経の従者として仕えていた佐藤継信、忠信の母である。
福島県信夫郡にいた武将の後妻となっているから、やっぱりすごい人たちだ。
なので、源氏とも関係しているのだから、あんまり残酷に殺された感じがしない。
丁重に祀られている経緯があると思いますが、それにしても寂しい。
また、信夫郡は、茨城県と関係すると思いますが、忍坂姫という忍=信夫ということもあり得ます。
なので、天皇家のルーツもあるわけです。
なので、源平合戦は、それぞれの天皇家を主張する意味もあると思います。

また、樋爪氏のルーツは、安倍氏かもしれない。
安倍氏の血筋だとしたら、源氏が鎮魂する理由がわかる。
そこには大体、三峯神社を祀るのだから。
ヒヅメの由来は、アイヌ語のピッツムイ(河原の港)という説らしい。
紫波にあった樋爪館は、豊富な金が産出された為に、源氏の金捕り合戦となって敗れた。
館は焼失し、弟が下野国へ配流されたという話。

樋という漢字は、懸け樋(かけひ)から由来し、「ヒ」なので、
火と水の意味が含まれている。
まさしく産鉄用語にぴったりな漢字。
実際、はるばる紫波から関東へやってきたのだとしたら、
やっぱり故郷に帰りたい気持ちがあるだろうな~。
でももっと深く調べれば、二荒山神社は陸奥交易の重要地点だったと思うから、
連れてこられたというよりか、縁があったのかもしれない。

ピラのコトシロヌシ-------------------------------------

妄想ですが、ヒラと名乗るのは、龍族の末裔であることの証拠なんでしょうか?
源氏は平氏を倒したとあります。
その後は、奥州藤原氏を追いかけます。
初代奥州藤原氏は、平氏の平(ヒラ)を名のるようにしている気がする。
漢字は「衡」ですが、ヒラとよぶから。
藤原清衡、藤原基衡、秀衡、樋爪俊衡・・・などなど。長にはヒラと名乗る?


(樋爪氏の墓)


(龍のような彫り物がすごい!)

漢字解説のサイトより、衡は、行、角、大の意味がある。
「十字路」の象形と「角」の象形と「牛の体」の象形から、
「つのぎ(牛の角が人を傷つけないように結びつけた横木)」を意味する「衡」
という漢字が成り立つ。

中国では紀元前2世紀、渾天儀(中国で天体の位置測定に用いられた器械)の
心棒(回転する物の中心となる棒)」の意味もある。
北斗七星では、5番目の星とか。ちなみにミザールが2番目。

牛というならば、源平合戦だって、アトランティスVSムーの過去の清算をするための
戦いみたいなものだ。
ヒラが何の由来かわかりませんが、ピラからきているような気がします。
ピラミッドやヒラミドのように、「日来」をヒラやピラとよんだとするならば、
クンピーラ(金毘羅様)の、海神の龍神と繋がりそうだ。
それが事代主という人なのかなあ、と。
「琴(コト)を知る主」=言霊
琴は、コトビキのある熊野と同じ、言霊の原理でしょう。

興味深いのは、古代では、言うの「言」と、出来事の「事」の区別をしていなかったので、
事代主は、事=言である。
言の依り代で、コトシロヌシかな。
言霊は、「言ったことがその通りになる」ことを知っていた人だからこそ、
コトシロヌシという存在に、深いものを感じてしまいます。


(宇都宮二荒山神社の境内にある女体宮は、とても気がよい場所で癒されます)

日光ぷんぷんの栃木--------------------------------------

話は変わり、栃木県は那須高原は別として、日光国なんですな。
日光修験の匂いぷんぷん。私は湯葉が好きです。(それで?)
風景とか山も岩場が多いし、雰囲気や空気が日光修験くさっ。

こんな面白い情報がありました。

「【台風26号】栃木が謎の結界で守られていると話題に【徳川家康】」
http://matome.naver.jp/odai/2138189095681936201

でしょうね。
だから日光くさいのです。

最近、雲や空の天気予報のサイトが、こんな感じで噂されると、自然界にはまだまだ
私たちの知らない所で、生き物のように蠢(うご)めいているのだな、と実感します。
漢字のごとく、虫は龍。
よく空や雲を観察すると、常に龍気はうごめいているという事か。
それをキャッチできる人は、宇宙と繋がれる人だと思います。
私もそうありたい。


(福島県吾妻連峰、ふくしまは、うつくしま~)


(これまた福島の吾妻連峰 カワウソみたいのが寝そべってる雲)

ここんとこ、家族のことでいろいろと大変で、
仙台と宇都宮を往復してますが、新幹線の車窓から面白い雲をみる。
笠雲(レンズ雲)というのは、UFOみたいな巨大な乗り物が浮かんでいるような面白い雲です。
あんまりみることはないのですが、たまたま見られました。


(ちょっとガラス窓が映ってますが、蔵王と笠雲)


(数秒後には崩れてしまいました)

仙台の夕日は、大体、こんな感じの伸びきった雲がよく見えます。
特に夏~秋。
最近、スピ系で話題になっている笠雲なんですが、
通常は山の上空でおきます。風が強い時は稀に山から離れた平地でもみられますが、
雲のふりして実は、UFOです。という話もあって面白い。




(妙に目立った雲)

スペースシップとか、クラウドシップとかいうそうですが、
雲はいつ見ても飽きないね~。

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大森山はピラミッドのこと?

2016-02-21 | 神話・伝説
ずっと前から気になっていた山名がありまして、
大森とつく名前の山が、東北地方にとても多いのです。
ざっと数えると、北海道3座、青森県3座、岩手県15座、宮城県3座、秋田県10座、山形県11座、
福島県1座、新潟県1座。
東北地方では、山とは言わず森とよぶので、広い森と言われれば自然と大森という名前に
なるというのは考えられると思います。

でも、西日本では岡山県1座、徳島県1座、愛媛県4座、高知県2座あるのですが、
気になったのは、奈良県吉野十津川沿い熊野信仰のある新宮との境に1座、
他、奈良県吉野に2座、熊野西牟婁郡1座、東牟婁郡1座という熊野信仰のメッカと役小角がいた
吉野に大森という山名が複数あるというのが、「縄文の聖地には大森という山名をつける」
と、考えてしまう。

牟婁は、ムロで室のことであり、お籠りをしていた信仰があるわけで、
そこに大森とつけるならば、縄文の聖地=ピラミッド崇拝のある森といえるでしょう。

大森山を妄想。。。
1、縄文人の祈りの場
2、室があった場所
3、金や鉱石があった所

関東は秀真国-----------------------------------------

秀真国とはホツマであり、漢字のごとく秀でた真の国という豊かな土壌に育まれた国があったことをいいます。(たぶん)
東京都大田区に大森貝塚があります。
歴史には必ず登場する大森貝塚。
モースが発見したのですが、縄文時代の貝塚として有名でした。
寒冷期に伴う環境の変化により、木の実や動物などの食料が減り、
箱根山や富士山の噴火が長期化したことで、急激に人口が減少。
その際、寒冷化に対応するよう食料源を確保するために、海産物を中心に食するようになったのが貝塚でした。
山の縄文と海の縄文が出会った場所かもしれない。
新鮮な海産物を塩で保存する知識も持っていたのだから、すでにこの頃から、現代人と同じ
知識があったのです。古くから塩の交易も関東~東北は頻繁に行われています。

実は、関東地方は関東ローム層があるように、かなり古くから縄文人がたくさん住んでいました。
東京が首都になるのも、長い長~い地層を育んできた先住民の教えが
いっぱい詰まっているのだから、東京が世界の中心に成り得るのです。
東京が原爆を落とされずにすんだのも、やはり、都市伝説みたいな話は実際あるのだと思います。
はるか昔、先住民が秀真国を守るために、大地にいろいろな呪術を施しているからです。



さて、大森という地名。
ある説によると、大森は、元は「大我井の杜」で大森と呼んだという。
我井は、広大という意味。
それから大森となったということですが、この地名の元になった神社が埼玉県熊谷市にあります。

これをアイヌ語と繋げてみようとすると、富士山へ繋がる。
大我井神社は、「オオガイジンジャ」とよむから、モリとは呼ばない。
これがカイであり、元はクイではないか?と。
クイはアイヌ語で、国という意味。アイヌの人々の国とよんだ方がふさわしいと私は思う。
カイはクイから転訛したものと考えられます。(カイナとか)
そう考えると、大森は縄文の杜であった。
なので、関東が秀真国といわれる由縁なのです。

また、モリを森ではなく、「盛」の方で考えると、三角錐のピラミッドが浮かぶ。
例えば、盛り塩は禊で塩を三角錐に立てることをいう。
それを「盛り」という。
ご飯を盛る(お米)、土を盛る(古墳)、塩を盛る(清め)。
すべて共通するのは、「もがり」であり、霊魂を天井させる場所である。
「我井」の井は、水の祓い(星神)でもあり、天の意味もあると思います。

また、室(ムロ)が森(モリ)に変化したこともあると思います。
モリは、元はムロだった。
宮城県、山形県に神室山があります。神の室です。
室は穴ですが、これを女性の性器信仰と考える人が多いようですが、実際は違います。
男根と対とすればそうですが、インドにもリンガがありますが、古代の性器崇拝は解明されていません。
実態としてそのような崇拝があったことが不明なんです。

私たちよりも先進的な考え方をしていた先住民が、わざわざ性器を崇拝することはないと思うのです。
出産の象徴として祀るようになったのは、時代は比較的新しいもので多くは女性が儀式として
行ってきたものでしょう。
実際は、他の意味があります。

インドでは、リンガはシバ神のエネルギー、宇宙の根源がある。
日本では、国常立神。命あるものは、大地に立つことを意味するのだから、
どういうものかわかりませんが、縄文エネルギー?というのは、宇宙からスパイラル状に下ろす
DNAの記憶だと思います。そのようにして子孫を残すようなことか、と。
麻や言霊の波動で遺伝子が変わるものだったり。
地球に張り巡らされている見えない蜘蛛の巣は、私達の体内DNAに記録、保存されています。
なので、人間の思考と地球はリンクする。
胎内が子宮の意味として洞窟や穴に籠るのは、生まれる前に戻ることで、
DNAの再生の意味があります。修験者や巫女は穴に籠り、異界へ出たり入ったりすることをしていました。

なので古代の人たちは山や森では、何かをやっていると恐れていたわけです。
巫女が山で琴をうちならすと、木々が風のようにザワザワと動く。
その様子の記録は、大体、大きく光るモノとして見られているところが、興味深いわけです。(星宮神社や秋田の大森権現など)
火山の噴火や大地震などの震災を現しているものと思いますが、
縄文人が火を崇めていたことはあったけれど、火山の噴火が起こると、何かが現れるものかもしれない・・・。

東北地方では、富士山のようにきれいな三角形の山を、オドガ、オード(オート)、などと
よびますが、アイヌ語で聖なる山という意味があるそうです。
富士山のある甲斐国も、カイなので、繋がっている気もします。(漢字の意味は不明)

事実、大我井神社は利根川沿いにあり、二柱(イザナミ・イザナギ)のほか、浅間権現を祀る。
お社は、自然堤防に建てられている。
これを建てたのは、渡来してきた(たぶん新羅系)人たちで、古代大きな沼が2つあったそう。
そこに大きな森があったので、大森となった。
つまり、森と名付けたのは、渡来人である。元は、アイヌのクイだった。
縄文人やアイヌ人の聖地を、渡来してきた人も同じように祀ったということでしょう。

HPより「大我井神社は、明治の神仏分離により、今の聖天様から分離して、大我井の杜に鎮座しています。
毎年8月27日には、19時頃から、境内において、摂社として祀られている富士浅間神社の
火祭りの神事が行われ、多くの人で賑わいます。」
ここでも、浅間大神とコノハナサクヤヒメをお祀りしています。
平安時代、入植した渡来人は、「白ひげ神社」を祀っています。

この流れは、甲斐~秩父~武蔵という流れになる。
武蔵国の建国者は、岡山県などの方面と甲斐方面から入ってきている。
なので、秩父は猿田彦神を多く祀るわけです。ということは、先は新羅系かもね。

宮城県の大森(笹倉山)-------------------------------------------------

そう考えると、宮城県の縄文中心地は、最初は七ツ森だったと思うのです。
そこには湧水があり、新緑と美しい田園風景を眺める。
遠くには日高見国の仙台の街並を見渡すことができる。







笹倉山は、宮城県大和町にある縄文集落のあった場所で、とても重要な場所でした。
ホツマツタエでは仙台が日高見国(ヒタカミは北上する)といわれます。
その由縁となる場所は、七ツ森にあると思います。
何度も紹介している石神山精神社のある所なんですが、坂上田村麻呂がやってきたという伝承。
実際、坂上田村麻呂が来てもおかしくない場所です。







ササクラという名前からして高貴なイメージが浮かぶ。
笹は産鉄用語とかいろいろ説がありますが、水の清め、祓戸神として産鉄族が信仰していたものでしょう。
水の清めをしていた巫女がいたイメージがあります。クラですし。







ここも日本刀を製作しており、その際、ここの清水を利用していたと伝わる。
ということは、高倉下の末裔が住んでいたかもしれない。
なので、七ツ森には全ての山に「クラ」をつけるわけです。


※吉田のコタン



神剣といわれる高倉下が、大森に関係するのもあると思います。
岩手県奥州の江刺、衣川、胆沢にもそれぞれ大森という名前の山がある。
ここは産鉄族がたくさん住んでいた場所で、平泉の黄金中心地。

さて、大森を考える時、「縄文と金」は奥深い所で繋がっていると思う伝承がある。
以前にも紹介した話ですが、またのせてしまいます。
秋田県は二ギハヤヒ伝承があるように、それは金に光る龍のごとし。

大森山の光る怪鳥(1481年)---------------------------------------------------

むかし、南部の国(岩手県及び青森・秋田の一部)、鹿角の里に尾去村と言うどごがあったど。
この村っこの奥さ大森山としぇる大きだ山っこあって、木っこいっぺえおがってらど。
文明13年(1481)辛丑の年、この山から光るもの出て、近くの村っこの上を飛びまわったど。
村の人ど大変おっかながったど。
ひるま、その飛んでいる光る物、はね広げるど左右の長さ十余尋(約20メートル位)もある大きだ鳥だっけど。
人どご取って食うばかりの勢いであったど。
口から金色の火、吹き出し、そのなき声、まるで牛ほえでるようで、山々さひびき、
山、くずれるようだ物すごい音であったど。
村の人ど、おっかなくて、生きた気しなかったど。

このばけものみたえんた鳥、ばんげになれば飛びまわって田畑を荒らしてらど。
村っこで山伏をしている慈顕院の別当(神主)が、村の人どと、毎晩、
天さ向かって一心におがんでいたど。「天の日の神様、月の神様、どうか、
この恐ろしい大きだ鳥を退治してください。そして人々を安心させてくだい。
あるとき、大森山のほうから、あの大きだばけものみたいな鳥、泣いてるようにさけんだり、
苦しくて悲しがっているようにさけんだりする声、聞こえてきたんだど。
そのあとばけものみたいな鳥、飛んで来なくなったんだど。
村の人ど、不思議に思って鳥の泣き声したほうさ、行ったど。

したば、赤沢川を流れている水、いつもとちがって、朱を流したように赤くなっていたど。
この赤く流れているどご探しに登って行ったど。
したば、沢木の流れている黒瀧のどこさ、あの鳥、赤く染まって、うつぶせになって死んでいたど。

全盛期の尾去沢鉱山皆んなで、この鳥を引っぱり起こして、おそるおそる見たど。
したば、なんと広げたはねの左右の長さ十三尋(約24メートル)もあったど。
頭は大きだ蛇のようで、足はまるで牛の足そっくりであったど。
鳥の毛、赤と白、ぼつぼつと混ざっていて、ところどころさ金の毛と銀の毛、生がっていたど。
背中と首のどこさ四つ五つほど大きだ傷ついてあったど。 腹、さいてみど。
したば、胃袋の中さ穀物・魚・虫・鳥・草木なんにも入ってなくて、
金・銀・銅・鉛の鉱石いっぺえ入っていたど。

そこで尾去村の村長、じっくりと考えてから、
「われは最近、夢の中で白髪の爺さんと会ったが、その時、われに新しい山を掘れと6回も、
お告げがあった。これまで、どこの山を掘れば良いのだか全くわからなくて
日時がたってしまっていたが、今、この鳥の胃袋から金・銀・銅・鉛、出てきたのは、これこそ、
この山を掘れと言う神様のお告げに間違いない。」 としぇったど。
そこで、この山のところどころ掘って見たば思ったとおり、
四色に光り輝く金・銀・銅・鉛の鉱石がいっぱい出てきたど。
大森親山獅子大権現舞
こうしたことで、田郡・横合・赤沢・西道・崎山・勢沢・下夕沢など鉱石が出る山一帯は、
大森山からの分かれで、峯つながりの子山なので、この山や沢一帯をまとめて尾去沢と
よぶようになったんだと。 このときから御銅山(尾去沢鉱山)が始まったんだと。
村の人どぁ、鳥の体さ大きだ傷ついていたのをどうしてついたか不思議がったど。

一体どんたら強い人が、やっつけてくれたのだべか、神様が殺してけたのだかと思ったど。
山や谷、探しまわって見たば、大森山のふもとのところさ獅子の頭のようだ大きな石、
土の中から出ていたど。 ちょうど、口みたえみ見えるどごさ血いっぱいついていたど。
そこで村人ど、 「これは、きっと鳥どごやっつけだのは、この獅子頭の神様石だべ。

ここのどこさ獅子の頭が土の中から出てきたのは、この大森山は獅子の体で、
この山さつながっている山々は、この獅子の手足だべ。」 としゃべったど。
ここのどこさ、お堂を建て、そしてあのおっかねかった鳥もこごさ埋め、
村の守り神様として、おまつりすることにしたんだと。 この神様を大森山獅子大権現と言ったど。




※尾去沢鉱山より
http://www.osarizawa.jp/knowledge/legend.php
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2万年前の木のミイラ

2016-02-17 | 日記・エッセイ・コラム
およそ2万年前の仙台。
場所は、地底の森ミュージアムがある所。
遠くにある三角山は、太白山。
中央に白く写っているのは、人です。
スクリーンに出てくる人々なんですが、これは二階の展示室でも見られるので、
ジオラマ的な感じが面白い。
寒冷期の気温7.8度くらいで、主に針葉樹の森。



埼玉県川の博物館の図録の表紙が地底の森ミュージアムなんです。
どっかで見たことあるな~と思って。



地底の森ミュージアムはよく行きます。
ここは表現するなら、旧石器時代の木をミイラ化して保存している。
湿度も保ち水の蒸発を防ぐ。まるでミイラのような保存方法?その努力が、考古学好きにはたまらん。



仙台市の南には、縄文遺跡以前の旧石器時代の遺跡が残されています。
縄文の森にも旧石器時代の遺物があります。
地下におよそ2万年前の木がこの場所でそのまま保存されているのは、世界でもここだけです。
一般的には、偶然流れついた数万年前の木など、別の所の木としての一部分はよくありますが、
この場所にそのまま保存されているのは貴重です。2万年前の木とは
どんな世界か想像できませんが、ジワジワと何かが伝わってくるような感じ。



それに、ここには、旧石器時代の人が焚き火をした跡や、穴もあり、なぜか人の姿があるとホッとします。
焚き火の跡は、細かく砕けた木の灰を調べたら、キラキラ光があることがわかりました。
火で燃やすと微かに光る部分が残るそうです。
穴は、必要なくなった石をまとめて捨てたようです。
無造作に放り投げて捨てるようなやり方ではなく、もしかしたら、
次にここにやって来る人がいるかもしれないから?それともまた来る時に使えるように置いたか?


(赤い部分)

どのような人たちがここにやって来たのか、映像に映し出されるストーリーでは、
焚き火をして石器をつくり、一夜を過ごした様子が描かれています。
衣服は、皮製のものを着ていたとか。おそらく、縄文の森がある方面か、
海側から獲物を追ってやってきて一晩過ごしたのかもしれません。


(左側:燃えた跡。右側:穴)

地下に保存されているのは、縄文時代前の地層が深く眠っており、
火山灰なども含まれた赤土のような土壌。いろいろな物が風に流されて蓄積されている。
なぜかここに集まっていると考えると不思議な場所。

普通、考古学でもここまで5m以上掘ることもあまりないのか、と。
何も出てこないと埋めたててしまう。直感が働いたとか…
なので、これを発掘したのだから、諦めなかったことがすごいよね。
発掘の様子は、展示室で確認できます。

この場所は、水が多い場所だったようです。名取川や笊川などの氾濫もあり、
いくつかの沢が集まる場所だから、富沢という地名がついたそうです。
ここはいろいろな人や物が運ばれて集まる森だから、遺跡になったと思う。
そうなるべくして、存在している。

太白山付近に縄文の森がありますが、まあまあ大きい縄文集落でした。
意外にも?仙台には縄文遺跡が集中して多い。ホツマツタエでは、仙台が日高見国でした。

旧石器時代の発掘では、最も古いもので4万年前のものがある。
静岡や長野、関東、もちろん東京でも武蔵台地にも、3万年前の旧石器時代の遺跡がある。
縄文時代の暮らしも、甲信越や関東~東日本に集落が最も多い。
縄文人が大量の黒曜石を必要とし、神津島まで船を使っていたとの説が有力。
黒曜石については、こちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/a3fa21d6f62d19d651af52fb53d1b38d

そのような人々が、ホモサピエンスで、私たちの祖先にあたるのか…。
船で航海してきた最古の人々は、日本に辿りついた。
それが南国から来ているラピタ人や、スンダドント(タイの方)と言われるスンダ大陸かサフル大陸
などの人々のルーツがあるとの事。
南の縄文とは、旧石器時代からいた人々かもしれない。
要するに、アフリカへ一度も出なかったホモサピエンスが、
とうとう荒波を渡り日本やチベットまで航海してきたという伝説のような話。
種を残すためだろうか…

最古の人骨が見つかった沖縄は、2万年前のもので、オーストラリア先住民によく似ているという。
縄文人ではなく。ニュージーランドなどポリネシアンの方。
その中にラピタ人がいたと考えられている。
日本の最古のルートに、南の島が深く関係していることは、十分あり得ますし、
ポリネシアンの音韻も日本語と似ているので、地名由来がポリネシア語で解釈できることも多い。
有耶無耶関や、カヌーもカノウ山の由来など、
アイヌ語と混じり合い、山と海の交流があったと考えられます。北方からの山と南方からの海。
それが、海幸彦と山幸彦の伝承となり、山に海神が祀られる由縁であると考えます。

また、岩手山を望む八幡平の清水を祀る磐座のルーツは、スンダドント特徴の蛇信仰に由来するという説がある。
八幡平にいた長の中心人物が、時盛と言われ、エミシ征伐の話として出てくる人物。
九州の隼人、関東の土蜘蛛、東北の蝦夷、ルーツは縄文の海洋民族なのかもしれません。



氷河期の海岸線。
サフールランドをなす大陸棚とスンダランドをなす大陸棚の間に、「ワラセア」という陸地がある。
アボリジニの先祖たちはこの群島伝いにサフールランドへと渡っていった。
(By wikipedia)

考古学では、旧石器時代の人々が船を使っていることは否定されています。
遺物が見つからないから。
でも、こんな専門家の話がある。
ナショナルジオグラフィックより。

~琉球列島にも、旧石器時代にホモ・サピエンスが渡ってきた、確実な化石証拠があるそうだ。

「──海を渡っているんです。おそらくオーストラリアに次いで、
世界最古級の航海があった場所ですよ。
僕らが考えたいのは、琉球列島に入るためには、単に船があればいいってわけでなく、
実は結構難しいってことなんですね。黒潮を横切らなきゃいけないし。
島と島の距離も結構ある。だから、それを追求したら、
あの時期のサピエンスってこんなだったんだってもっと言えそうです。
そういう話題は幾らでも転がっている」

「──本州ですと、伊豆七島の中に神津島っていう島がありますけど、
そこまで黒曜石(こくようせき)を取りに行ってるんですね。
黒曜石って産地分析ができるので、神津産の黒曜石がもう3万8000年前ぐらいから静岡の
あたりで出るんです。明らかに取りに行ってるんですよ。これも世界最古級」

「──長野県あたりでよく出てくる、砥石ですとか、刃の先を磨いた石斧(せきふ)があるんですが、
こういう磨製の技術って、新石器時代になってから世界各地に普及するんです。
日本のものは、オーストラリアと並んで世界最古級なんですね。
日本で発明されたのか、大陸にもともと起源があるのか、まだわからないんですけど、
この遺跡で出たものを見ると、もうバリバリ研いでますからね」


※実は世界の最先端だった旧石器時代の日本列島(ナショジオ)
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130604/352966/?P=1

鏡がカミであること-------------------------------------------------------

旧石器時代からの住居跡も日本で見つかってます。
すでに船は使われていたから、分解して竪穴住居などや道具に再利用していた為、
船の遺跡が見つからないだけなんじゃないか?とも思う。

本州には酸性が強く人骨は無くなって見つからないが、石器は見つかる。
しかし、沖縄では人骨は発見されても石器が見つからない。
なので、沖縄には旧石器時代に関して考古学者が研究に来ないと。
日本の考古学は人文学で、人類学は理系なので、分野が別々であることが空白を生んでいるという。
歴史も地理と同じ分野だとよくわかるが、これも分野が異なる。
これも、キーワードとなる融合が今は必要なことは、もうわかっていること。
今のような分離した方法では限界にきてること。

スピリットな話ですが、マヤ族は地上から忽然と消えています。マヤ暦だけを残して。
マヤ族も黒曜石を大事にしていました。また、イースター島のモアイの瞳は、
黒曜石を使っていたそうです。黒い瞳と言いますが、目を入れるのは日本でもそうですが、
魂を吹き込むための意味をもち重要な働きをします。ダルマの目を書くのもそうです。
目標達成に目をかく。それが黒曜石でした。

縄文人が黒曜石を大量に使う理由は、単に切れやすく丈夫な道具のことだけではありません。
これは、妄想ですが鏡がキーワードではないか、と思うのです。

黒い鏡という意味のテスカトリポは、神々の中で最も大きな力を持つとされ、キリスト教の宣教師たちによって悪魔とされた。
Tezcatlipoca は、ナワトル語で tezcatl (鏡)、poca (煙る)という言葉から成り、従ってその名は「煙を吐く鏡」を意味する。
鏡とは、メソアメリカ一帯で儀式に使用された黒曜石の鏡のことを示す。(
Wikiより)

黒曜石を磨いて鏡に使用していた痕跡があった!
8000年前の黒曜石の鏡は、トルコのアナトリアで見られるそうだ。
しかも、発掘場所がチャタルホックといい、近東の最古の都市。
これには、相当の技術がないと鏡にはならないそうですが、きめ細かい鮮明な鏡になります。
もうすっきりすぎる程きれいな鏡。
このあたり、アラハバキの地名由来とかの近くであったりしないのか?

また、ある情報では、アジスキタカネヒコという人がいましたが、
関東に縁のある人なんですけど、「アジ」がアイヌ語の黒曜石の意味があるそうだ。
スキは鋤の道具があるように、土を掘るという意味らしい。
ただ、日本では黒曜石を鏡として用いた痕跡はまだ見つかっていません。
何の目的で必要だったかは謎が多い。
私達が歴史で学んだ原始人とは全く別のタイプの人がいたことは確かです。

その後、銅ができて銅鏡に。そして今は水銀を使う鏡になっている。

古事記では、塩土命がでてきますが、この塩も、融合の意味があり錬金術では、
三種の神器に硫黄、水銀、塩とされる。塩は二つの物資を融合するもの。
塩土命が海幸彦に、潮の流れに導かれれば到着する海宮があるとされる。
これは、日本のことだと思うのですが、別の見方をすれば、和をもつ国であることを示しており、
塩は、硫黄の男、水銀の女の融合が塩であることの意味もあると思う。
塩竈神社はその役目をもっていた北の聖地、日高見国の中心になった為、仙台も日高見国になった
ことがあったと思います。

水銀が丹生都比売神社の女神なのも、月を表す。硫黄は太陽で男神。
硫黄は温泉に含まれる。湯神は太陽信仰に由来するのだろう。
秩父に丹生一族がたくさん入ってきて、和銅を開発し、和銅という年号にまでに至ったのは、「辰砂」がある。
秩父が一躍、全国に知れわたり修験が集まった理由に、辰砂を深く調べればわかると思う。

で、それで何をしてきたか?というとやはり不老不死なのだ。
人間は最初、寿命がなかった。若くして美しいままで長生きができた。
ある時、天から大量の水が降り地球が水の惑星となることで、重力の重みが増す。
それから、生物も全て進化しながら、重力に逆らうことなく人は老いるようになった。

共通するのは、黒曜石を使用していた先住民は南方の人々で、日本も含め失われた
ムー大陸伝説のある場所となる。
マヤ族もモアイ像を生み出したのも、島にありモンゴロイドとの関係も否定できません。
旧石器時代に別の人物との交流があったようですが、考古学では証明はできない。
この世界では、妄想するしかないんですね。
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パラレルワールドを導く狐

2016-02-11 | 神話・伝説
今月初めですが、また竹駒神社へ参拝してきました。
昨年と今年で2回目なのですが、いつも奥の院のお稲荷様に参拝するのが好きです。
でも、主人は奥の院はいつも頭痛がするという・・・。
感じやすい人は、そうなんだろうな。
だからといって何か起こるわけでもなく。というか、行かなきゃいいものの、
そのことを忘れるからまた行ってしまう。まあ、それも良し。



※竹駒神社の伝説
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/44339679e7316e6b57305d778658658c

主人は霊感が強く不思議体験をしていて面白い話がある。
そんな話を聞くのが好きなんですが、主人は特に稲荷系が苦手?
度々、いろんな所へ行って、主人が頭痛がするという場所が、たま~にあるのですが、
大体、水っぽい何かの念がこもってそうな寺社だったりする・・・。
私としては非常にわかりやすい。ここで何かあったことがわかるから。笑。
私は全くそういうのが無いので、何か昔話がないか探してしまう。



けれど、狐に化かされた話は、昔からた~くさんある。
父も秩父の峠で白い狐をみたというが、女性だったといい、興奮して帰ってきたのを覚えている。
夜が多いけれど、特に男性は狐に化かされる。
武士に化ける狐の話もあるけれど、どうも主人の体験話を聞くと、狐は女性の霊を弔う
使役であり、人に墓を案内する動物であるため、昔から狐は嫌がられたと思います。
その話は後ほど。

でも本当は、狐はちょっとイタズラ好きなだけで、化けるのが上手。



遠野物語94(狐)----------------------------------------

この菊蔵、柏崎の姉の家に用があって行き、振舞われた残りの餅を懐に入れて、
愛宕山の麓の林を過ぎると、象坪(補一)の藤七という大酒呑みで彼と仲良しの友に行き合った。
そこは林の中であるが、少し芝原のある場所である。
藤七はにこにことして、その芝原を指さし、ここで相撲を取らんかと言う。
菊蔵がこれを受け、二人草原でしばらく遊んでいたが、この藤七がなんとも弱く軽く、
自由に抱えては投げられるので、おもしろいままに三番まで取った。

藤七が、今日はとても敵わん、さあ行こうと言うので、別れた。
四・五間も行きて後、気づいてみれば、懐の餅が見当たらない。相撲をしていた場所に戻って探したが、ない。
初めて、狐だろうかと思ったが、外聞を恥じて人にも言わなかったが、
四・五日の後、酒屋で藤七に会ったのでその話をしたところ、おれは相撲など取るものか、
その日は浜へ行っていたのにと言って、ついに狐と相撲を取ったことがばれてしまった。
それでも菊蔵はなお他の人々には隠していたが、昨年の正月の休みに、
人々と酒を飲んで狐の話になったとき、おれも実はと、この話を白状し、大いに笑われた。

狐の生態系は狼とは対照的に、群では行動しない。
犬と猫のように、狼と狐は対照的でも似ている。
しかし白石市は、狐が群で行動していたこともあるそうで、それを狐塚という。
狐塚は、全国にたくさんあり、狐を信仰している地域も多い。


狐が身代わりになった話もある。

愛知県の狐塚----------------------------------------------

むかしむかし、三河の国大浜の元本堂の森に、性悪狐が住んでおった。
元本堂の裏の浜辺には、いつ、どこからやって来たのか庄左衛門
という老人が一人で住んでおった。
庄左衛門の作る薬は大層良く効き、また気さくな人柄じゃったので、
村人は「庄左さ」と呼んで親しんでおった。

ある日、庄左衛門は薬草を取りに山に出かけ、元本堂の狐が足から血を流して苦しんで
おるのを見つけた。庄左衛門が傷口に薬を塗ってやると、狐は足を引きずって山へ帰って行った。

しばらく経ったある月夜、庄左衛門が薬を作っていると、元本堂の狐がやってきた。
狐は傷が治ったことを見せるかのように、家の前の芒野原を跳ねまわった。
それからというもの庄左衛門と狐はすっかり打ち解け、
狐は毎日庄左衛門の所にやって来るようになって、村で悪さをしなくなったそうな。

ある寒い冬の夜のこと。村の祝言に出席した帰り道、庄左衛門は海岸の崖で足を滑らせて海へ
落ちてしもうた。岩にぶつけて額は割れ、大怪我をしていたが庄左衛門は必死に崖を這い上がった。
そうして着物の袖をちぎって額に巻き、這いずって家に向かった。
じゃが、あと少しという所まで来て、庄左衛門は気を失ってしもうた。

しばらくして庄左衛門が気がつくと、そこは家の中じゃった。
額に手をやると、巻いたはずの布も、割れたはずの傷もない。
不思議に思いながら家の外に出ると、庄左衛門の倒れていた同じ場所に、
元本堂の狐が額に布を巻いて倒れておった。

見ると、狐の額は割れ、全身大怪我をしておるではないか。
狐は、傷を治してもらった恩返しに、身代わりになって庄左衛門の命を救ったのじゃった。
庄左衛門が泣きながら狐を抱き上げると、狐は一声鳴いて、そのまま息が絶えてしもうた。
庄左衛門はそれっきり、村から消えてしまった。どこへ行ったか誰にも分からなかった。
ただ、庄左衛門が去った後に、狐の墓がぽつんと建てられておった。
今はもう狐の墓もないが、狐塚という土地の名前だけが残っておるそうじゃ。


パラレルワールド--------------------------------------------------

こういう話を聞くと、狐も狼も熊も動物たちも、人間と同じように相互的に
影響を及ぼす霊的な存在ということを感覚的に昔の人は、知っていたのだろう。
庄左衛門は、どこへ行ってしまったのか…
それは現代にも起こり得るのだから不思議。そして、これもあの世の世界観があった。

主人が20代の時、東京文京区に住んでいた時の不思議体験。
夜、自転車で家に帰る途中、白山道を真っすぐ行き、途中で右折して直進すると下宿先のアパート
だったのですが、なぜか、また同じ場所に戻っている。
再び、道を走らせ右折するけれど、また同じ元の場所に戻っている。
おかしいな、と思い道を走っていたら、ふと右側に稲荷神社の赤い鳥居がずら~っと並んでいるのが見えた。
とても立派で大きな稲荷神社だったので、こんな立派な神社があったんだ、と思ったそうです。
その後、なんとか家に辿りつきましたが、30分で帰るところ、1時間半もかかったそうだ。
後日、稲荷神社に行ってみようと探したが、見つからない。
確かこの場所だったな~と行った所にあったのは、「八百屋お七」のお墓だったとさ。

八百屋お七は、井原西鶴の「好色五人女」など古来いろいろ書かれて語られる異説が多い。
お七の生家は、駒込片町(本郷)で、かなりの八百屋であった。
1682年、近くの寺院から出火でお七の家が焼けて、菩提寺の円乗寺に避難した。
その避難中、寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった。
やがて家は再建されて自家にもどったが、お七は佐兵衛に会いたい一心で火をつけた。
放火の大罪で捕まえられたお七は、翌年、火あぶりの刑に処せられた。
数えで16歳であったという。(
看板より)
ここには、寺の住職が供養のために建てたお七のお墓がある。


※月岡芳年 松竹梅湯嶋掛額(八百屋お七)

結局、女性の霊に導かれてみせられたのが稲荷神社だったというのがとても興味深い。
それが、処刑された女性のお墓だったことを考えると、このような体験をする人は、なんでも聴いてしまう霊感があるのだろう。

この人ならわかってくれるだろう、というような女性の霊が、男性にいくわけだから。
また、お七も犠牲者のような気がする。実際にモデルになった人がいたと言われますが、
放火の罪は、今よりずっと厳しいものだったようです。

ここのお墓は、赤い旗が掲げているので、それを鳥居と見間違えたのでは?と思うのですが、
主人が言うには、全く違うもので、鳥居がたくさんあって、神社も大きかったと言う。

だから、男性は狐に化かされやすいのか、と・・・。
私は、知らない土地でお稲荷さんにあっても寄らないし、参拝しない。
お稲荷さんは、私には要がないから。というか、女だからその強い念みたいのをふと感じるから、あまり近寄れない。
神社境内にあるお稲荷さんに会っても、何となく近寄りがたい雰囲気はある。

これは、妄想なんですが、火で燃やす行為は、女性的な深く重い恨みの現れではないか、と思う事がある。
もちろん、全てがそうだとは言えません。
ただ、水が火より強いとする信仰は、その強い女性の悪い念を消す、供養するようなことをしていたのが、
水の祓戸神といって祀るのかもしれない。
稲荷神とは、そのような女性をまた供養するために、狐が眷属として信仰されるようになったと思うのです。
またそれは、罪を被せられた巫女の歴史が隠されていると感じます。



でも、竹駒神社の奥の院は、なんだか良んだよね。多分、ここは龍が祀られているからだと。
龍は水神だから。
ももまんじゅうみたいな三つの丸いもん(三宝珠)とか、お母さん狐とか、白目の龍とか。
地下道くぐるのはどうかと思うけれど、嫌な感じはしない。 それは火に強い水により守られているからだろう。



主人の東京で体験した話を聞いた時、「パラレルワールド」があるんだな、と思った。
パラレルワールドとは、タイムトラベルみたいな話で、
ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指すという。
異次元ではなく、私たちが地球という3次元の世界で生きているのと同じ次元の世界が
別の宇宙にも存在するという興味深い話。
その世界に迷い込んだわけだ…

震災の体験をした人の中にもパラレルワールドの世界をみた人の話が数多く確認されたそうだ。
その科学的な根拠を示した学者がいる。
「時空の歪み」が原因だといわれるが、大地震と原発のメルトダウンが、
科学者の想像をはるかに上回る現象があったと考えられると…
また、この歪みにより、UFOが福島県で多く確認されたことも原因のひとつらしい。

詳細は、こちら。
Never「異次元?!本当にあった不思議な話」
http://matome.naver.jp/odai/2137568384032254401

また、このような体験をする人にとっては、日常とは変わらない普通の生活で起こるので、
特に体調が悪かったとか、そういうのではないらしい。

世の中、不思議ばかり。
みな、狐に化かされることが一度はあるかもしれない。
道に迷った時は、狐に化かされているのかもしれないね。
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たったひとつの武甲山

2016-02-09 | 武甲山
今年に入って、いろんな情報がたくさん入ってきてしまい、自分でもどう頭を整理して
処理して手放してよいのかわからない。
とにかく一気にいろいろなモノがきた。
今年に入ってUFOの夢や不思議な夢がとても多い。
これも武甲山の思索の森を歩いたからだ・・・あの森は本物だった。
グリーンマンなんだよね。

さて、・・・あんまり外に出かけられないので、地元のネタを話そうか・・・。
秩父は何かと頑固だ。
ある地元の方が、「秩父人の多くが武甲山と秩父神社を愛しています」と言い切った人がいた。。。。
それが勘違いなのだ。
秩父神社は妙見信仰。横瀬のお天狗様は修験、札所観音霊場、三峰神社の狼信仰、御嶽信仰、宝登山神社・・・
などなど里山信仰も含めたら、秩父の信仰は秩父神社がすべてではない。
数多くある信仰の中で、すべての宗派、宗教、信仰のすべては武甲山から始まっていること。
なので「武甲山が環境破壊の山だといわれて、秩父神社がかえって被害を受けている」という意見はおかしい。
地元人が本気でそう思っているのだから、この頑固さにはお手上げ。
まあ、それが良い所でもあるんだけど、さすがに武甲山を美化できない。

さて、なぜ、秩父神社なのか?
それには星信仰がルーツにある。

秩父神社を中心にみる武甲山信仰と横瀬の武甲山信仰は違うようだ。
秩父神社を北極星としているため、宇宙の中心である天御之主神とした。
秩父神社を中心として車輪のように北斗七星が四季により型を変えて一周する。
地上にある北斗七星に結ばれた諏訪神を反転させると、
柄杓が地にこぼれるような図が出来るから?春の豊かな恵みに水は、
秩父全土に広がるよう構想されたものだろう。
そのへんは妄想するしかないが。

しかし、この話しは秩父神社を妙見信仰とあわせ、里宮とし、龍穴を奥の院とした場合の話だろう。
亀に乗った妙見様は、龍の瀬にのるのだが、それが地下水脈のことであり、
秩父神社の方まで水脈が流れているところから生まれた思想にある。
札所13番に居住していた丹党中村氏は、すでに龍穴からの水脈を当てていたわけだ。
その上に見える空は、天の川だったというロマン。(ホントカ?)

しかし、横瀬では大蛇窪の存在は認められても、その信仰を元にお天狗様を祀っているのではないようだ。
横瀬宇根地区のお天狗様は実家の氏神。
どのような経緯か不明ですが、正式に認められたお天狗様だという。
ということは、横瀬の武甲山信仰は天狗をもたらした修験だった。
その後、横瀬に住みついた人がそれぞれに猿田彦神を分請したという。

天狗とは、(Wikiより一部引用)
空海や円珍などにより密教が日本に伝えられると、
後にこれが胎蔵界曼荼羅に配置される星辰・星宿信仰と付会(ふかい)され、
また奈良時代から役小角より行われていた山岳信仰とも相まっていった。
山伏は名利を得んとする傲慢で我見の強い者として、死後に転生し、
魔界の一種として天狗道が、一部に想定されて解釈された。
一方民間では、平地民が山地を異界として畏怖し、
そこで起きる怪異な現象を天狗の仕業と呼んだ。
ここから天狗を山の神と見なす傾向が生まれ、各種天狗の像を目して狗賓、
山人、山の神などと称する地域が現在でも存在する。
したがって、今日、一般的に伝えられる、鼻が高く(長く)赤ら顔、山伏の装束に身を包み、
一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持って自在に空を飛び悪巧みをするといった性質は、
中世以降に解釈されるようになったものである。


おそらく、赤鼻から猿田彦神をイメージさせるようになったものかと思うが、
修験の道が武甲山麓を巡礼するように作られたきっかけのひとつが、縄文遺跡だったと思う。
横瀬は根古屋、奥宇根、影森と修験の道を作った側に縄文遺跡が見つかっている。

古代には、魂は海へ還ると考えた氏族と、山へ還ると考えた氏族が別々に住んでいたと思う。
私は、この猿田彦神と天狗信仰、八坂神社などを考えると、
やはり、端のサエ神を元にしていると思う。
小百合の花が由来になったサユリから由来することもわかった。
横瀬は、三輪山に鎮座する狭井神社から由来していることはあるのか?


(梵天をあげるお天狗様)

奈良県三輪山に鎮座する荒御魂を祀る狭井神社がある。
疫病を鎮圧する神とされ、狭井が佐葦河(さいかわ)とよび、
その河の辺りに山百合草が多くあった為、その山百合草を取って佐葦河と名付けた。
この神は、佐毘売山神社といって金山彦を祀る。
武甲山は、オオナムチを由来とする大持山、スクナヒコを由来とする小持山という山がある。
秩父が三輪信仰であるというのも、諏訪神が最も古いものであり、
秩父は天武天皇の時代より、国譲りの舞台とされている。
天津神と国津神を祀る秩父神社は、天孫降臨の神話の舞台と位置づけるためだろう。

百合が秋田県の由利や閖に繋がっているのも、熊野修験があるが、このへんは不明。

縄文時代、武甲山の麓までは海であった。
大蛇窪の正確な位置はわからないが、石灰質の鍾乳洞は数多くあり、動物などの骨も多く
見つかっている。大蛇窪も鍾乳洞であり、海水により浸食された洞窟だったと思われる。
そこに人間に限らず全て動物をも墓場として葬ることをしてきた先住民がいただろう。
タイリクオオカミの骨が発見された根古屋の鍾乳洞は他にも動物の骨が見つかっている。
人骨は見つかっていないが、縄文人は食べ物も全ての生き物も同じ洞窟に埋葬していた習慣がある。
それを貝塚というが、だいたい海側につくる。東北では貝塚と巨人説は結びつけられる。
魂は天に還るのではなく、海に還ると考えられてきた先住民もいた。
それが、海神であり諏訪神を祀る人々であった。
武甲山の墓場は、根古屋鍾乳洞のように、麓にあったのだろう。

武甲山麓には洞窟が多く先住民の墓場としての祭器場であったことも考えられる。
それが、後に里山信仰となり、人の魂が海や洞窟ではなく、山へ天上するようになる。
それが天孫系がもたらした信仰と思うが、それも新たな先住民の思想だ。

また、疫病祓いも、海から異国人がやってくる海への侵入を拒むことから由来していると思う。
それを立てるイナウが、後に天狗信仰になり梵天をあげることになったことも?
神の依り代と立てるものだが、これもイナウがルーツではないだろうか。
イナウとはアイヌ語で「立っている」という意味。


※イナウ

天狗信仰では梵天を高くあげる。
仏教の守護神である天部の一柱で古代インドの神ブラフマーが仏教に取り入れられたもので、十二天に含まれる。
梵天は宇宙の中心としたものであるが、これも修験がもたらしたもの。
いずれも、宇宙の中心を置く場所が武甲山であること。
あの世とこの世の境として考えた先住民(海の縄文人)は、海はあの世、
陸はこの世としてイナウを立てた。後に渡来してきた人たちが結界(境)とし、お社を立てたのだろう。
武甲山を墓場とし、巡礼地にしたのは、縄文人の死生観が元にある。

もうひとつ、以前から気になることがある。
疫病祓いが、星神に由来するという説。
横瀬資料館に展示されている氷雨除けの護符が、香香背男(かかせお)という星神のことではないかと。
これは、遠野不思議空間に詳しく載っているので、詳細はこちら。
※鉄の蛇(日高見とアラハバキ)
http://dostoev.exblog.jp/22444456/

カカセオのことを、コオラサメとよんでいた。
氷雨は、ヒサメではなくサメであると解釈すると、ヤマトタケルや神武東征により
氷雨を降らされ、またナガスネヒコが降参したのは、龍神=水気であると考える。


※横瀬町資料館

その氷雨除けとして護符があるということは、疫病祓いは、武甲山に鎮座する龍を祓うことになる?
もし、それが祇園祀りとして秩父夜祭に伝わるのであれば、
星神を信仰していた先住民、カカセオを祓う目的だったことになる・・・。

横瀬では、秩父夜祭りにあたる祇園は、宇根八坂神社の天王様のお祭りである。
特に宇根の天王様のお祭りが重要だったとも聞く。お社の彫刻は諏訪神の彫刻のように立派である。
疫病を封じる神を祀ることで、氷雨という龍神を防ぐといったものか。
それが、星神であるということ。
また、それが秩父全土に諏訪神が多いのも、自らの疫神を自らの信仰で防ぐように仕掛けた
ようにもみえる。

また、この猿田彦神も、龍穴のハリサイニョと同じ女神であり水神である。
長瀞に鎮座する善女龍神社がある。祇園祭の神輿巡行に描かれている南海の神泉苑という龍宮城と関係している。
龍神は、祇園祭りより由来する井戸神である。
井は、また狭井でもある。

複雑な武甲山信仰--------------------------------------------------------

武甲山を死生観をもって祈祷していた先祖がいたにも関わらず、
破壊を続ける地元企業が信仰し、剣を奉納した神社が、白鳥神剣神社だった。
地元の方から教えて頂いた情報ですが、なぜ東に向いているのか、ようやくわかったが、ガッカリ。
「昭和7、8年当時、㈱昭和電工花岡工場長の信仰により、剣を埋葬してこの神社が造営。
神社造営にあたり、皇居から武甲山が見えるという由来によったものである」
そういうことか。東に皇居があるからか…
上からみたらこんな山頂になっているが。
剣を埋めたところで、穴はふさがらない。
その穴をあけている昭和電工は、剣を埋めたという。
その矛盾をどう説明してくれるのだろう?御嶽神社の下は空洞だ。
発破でかなり揺れる。地震のように。毎日、毎日、人工地震を受けている。
しかし、私たちは武甲山に手を合わせる。




※Goole Earthより

昭和初期といったら日本政府の経済投資が活発に行われ、産業革命の突入時期であり、
あの頃はそういう時代だったが、もう白鳥神剣神社の意味がない。

塞ぐ為のサエ神が、見事に発破によって穴をあけられた。
白鳥にしているのは、ヤマトタケルが白鳥だからで、
私がヤマトタケルが甲を置いたという神話を、「降伏」として見ているのは、
破壊を続ける人々全てが降伏する場所であるべきだと訴えたい思いがある。
誰がいつこの神話を持ち出したか不明だが。



信仰は人の心により動くモノである。
環境哲学という言葉がある。
特に高齢者は武甲山のおかげで豊かになったと思っていても、そのおかげで人間は生きているという考えに至らない。
武甲山が崩されていく痛みを感じるのは、自然と人間は共存しているわけで、
破壊が行われている心理的作用が人間の心理にも影響を及ぼすことを知らない。
わからない人が、社会を作っている。

反対する人は、自分たちの経済が破壊されると思うからでしょうか。
経済に影響を及ぼすと思う人と、自然に影響を及ぼすと思う人の違いは、真逆に働く。



崩された跡


秩父太平洋セメントのサイトより
http://www.ct-cement.co.jp/2jigyo_miwa.html

<ベンチカットを行っている主な企業>
・秩父石灰工業
http://www.titi-lime.co.jp/Company/Association.html

・宇根鉱山 菱光石灰工業株式会社
http://www.ryokolime.co.jp/ja/company/une.html

しかし、たとえそれが誤った祀り方をしてもその時代に生きてきた人にとっては、正しいと思っただろう。
貧しい家の若い女性が秩父銘仙へ厳しい環境の中、働かされることがあった。
何と言われたか忘れたが、「鬼~」で、秩父絹織物を鬼とよんだ。
それほど大変だった為、自殺も多かった。
姿の池は、その霊を弔うお地蔵様が静かに座す。
武甲山の石灰開発が始まったおかげで、家族が集まり食事ができるようになった。
だから、高齢者の方の多くは、武甲山が破壊されているとは思っていない。
有難いとすら思っている。
どちらが正しいのではない。また、破壊だけの武甲山でもない。
しかし、今の時代もう必要ない。
白鳥神剣神社は今は何の機能もない。

秩父は、セメント開発が日本経済の発展になるという神話を掲げた。
発破の破壊から祟り神を恐れるために戦勝の神であるヤマトタケルならば、自然神に勝つことができると。
その償いもすべて武甲山に背負わせることにした。
それを地元の人は、崇拝している。これが今の武甲山信仰だ。

だから、岩手県に祀られている三峰神社も、戦勝の神として鬼門におくといわれる。
そのようなやり方を秩父人(平家?)がするから、未だに東北地方では三峰が狼信仰であることを知らない人が多い。
ヤマトタケルの戦勝の神としての方が根強く、安倍氏を討伐したものだと言われるだけだ。

徳川家康が平和を望んでいた経緯があるのは、
江戸幕府では、秩父はやはり墓場=聖地としてみていた。
天下統一の基盤をたてるために行った検地が、52年間もの長い間、
横瀬、大宮郷、山田村など行われていない。
(詳細は、秩父聖地説で)
西北は神が座すと考え、武甲山と両神山を神格化していた徳川幕府の歴史がある。
それはまた武甲山を恐れていたことにあるだろう。
なぜ、徳川家が武甲山=横瀬を特別にみていたかはいろいろな説があるが、
おそらく検地をすることができなかった理由に、横瀬の名主たちや肝煎り衆がいたからだろう。
肝煎り衆は、東北で名主のことを言う。新潟か東北地方から名主としてやってきた人の力の恐れも考えられる。
徳川家が配慮していた可能性もあるのだが、どんな人物かわからない。
また、もし肝煎り衆が、東北からやってきた人だとしたら、秋田県へ行った横瀬の安保氏がいる。
その末裔が横瀬に戻ってきたならばとても興味深いが、その血を受け継ぐ人々が行った結果、
今は、私がその苦しみを背負うことになった。
すべては武甲山の鎮魂の為に、東北を歩くことになったのだ。
だれにも理解されない孤独な作業・・・

ということで、武甲山は複雑な土地をもつだけに、信仰も複雑なんです。
こんな山は世界中探してもない。
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黄金伝説展とレムリア

2016-02-05 | 神話・伝説
この世で最も美しく貴い色黄金。
黄金への憧れはやがて伝説となった。




今、宮城県美術館でやってます!
地中海文明は不思議~。
面白かった!
アトランティスの世界が浮かびます。





金は希少価値で権力や富みの象徴ですが、古代の金は、腐敗しないことから、
不老不死の象徴でした。
秦の始皇帝は、水銀を飲んでかえって寿命を短かくしてしまった話があるように。
エジプト文明やメソポタミア文明よりも古い6000年前の金製品が見つかったトラキア文明。
トラキア人は文字を持たない人々でしたが、錬金術師のように金細工はできた。
その知識はどこからきてるのだろう?それがアトランティスとムーにあると妄想。
彼らは、アトランティスの末裔なんだろう。
また、器を平に立てられるように、青銅器も使っていた。青銅器の技術もこの頃からあった。

ギリシャのクレタ島のミケーネ文明は、牛の角と斧を象徴とする。
牛はアトランティスで、牛を飛び越える儀式はギリシャが発祥だが、日本では牛頭天王として伝わる。
なぜか、牛が疫病神となっているが。
斧は、蝶が羽を広げたような型とも考えられる。
紀元前14.5世紀から蝶か蛾のような昆虫やタコなどをデザインした装飾品がたくさん作られる。
蜂もあり、幾何学模様や渦巻き、八紋様もある。
日本の家紋は、ここからがルーツだったら面白いね。

でも、まだこの頃は、アトランティスとムーは仲が良かったのだろう。
蛇を型どった指輪やネックレス、腕輪がたくさんある。エジプトがルーツかもしれないが、
この時代、牛と蛇は神格化されていた。
驚いたことに、すでにこの頃から卍型のピアスがあった!
卍はムーの象徴だと友人が教えてくれた。へー、意外!
ここで卍をみるとはなー。
卍は、ブログのコメントでいろいろ書いていて、卍てなんだろう?
と話していた最中だった。
ここで、紀元前の金細工に卍型のピアスが出てきたわけだ。
それが、ムーという答えだった。
理由はわからないけど・・・。

日本でも鹿は黄金だと記される伝説はある。
早池峰山まで鹿を追いかけたマタギは、山頂にて額に月マークの黄金の鹿がいたという昔話がある。

時代が新しくなるとギリシャにも鹿が現れる。動物の角は、鹿の角に変化。
鹿は何から派生したのかな?
壺のデザインは、水神を表すので、ワラビのような巨大シダのような植物が必ず記される。
それに惑星なのか、丸い星も描かれ、必ず女性がいる。
錬金術では、惑星と鉱物を組み合わせて考える。
詳しくはわかりませんが、例えば、シダが生息するところは水銀が見つかるという
話も植物と鉱石を結びつけるエレメントなのだ。
ワラビは、丸の象徴。
日本の蕨手刀の取手にデザインされるようになった為、蕨手刀とよぶ。
ワラビも水を象徴とします。
女神アフロディテのものも多く、多産の象徴。倉稲魂みたいだ。

日本では、金山彦は金属の神とされる。
日本神話には、イザナミの吐いたものから、男女の金属の神、カナヤマヒコ、カナヤマヒメ。
大便から男女の粘土の神ハニヤスヒコとハニヤスヒメ。
小便から水の女神、ミツハノメとワクムスヒ。
食物の女神トヨウケヒメの親神となった神がうまれる。
火とともに金属、粘土、水、穀物、蚕、桑などの起源の説明があり、
金属の利用や粘土と水をこねて火で焼いて土器を作ることや、農業や蚕などが
なぜ可能になったかという話になっている。

金はずっと古いが、鉄はBC2500年から人工的に隕鉄(鉄を含む隕石)
で石と同じように扱われていた。
広く使われるようになるのは、それから1000年経ってから。
丹生神といわれる水銀は、金と銀を他の金属から分離する。
不純物の分離によって水銀が使われていたわけだ。
産鉄族は、ずいぶんと環境破壊を繰り返してきた。
鉄の精製に、木も多く伐採されるようになる。
しかし、金は環境破壊はなかった・・・?

古代では金星は、男性である。元はビーナスではない。
エジプト、インド、ユダヤでは男性をさす。
日本でも金山彦だから、男性。
金山彦は、金を兼ねる男神という意味。

賢者の石は、まさしくアトランティスで、
ユニコーン、ライオン、ドラゴンなどが現れる。
ドラゴンが地下に眠っていたり、悪く捉える西洋では、第一物質という一番
未熟な物資と考えられている。
一番、洗練された原質は、ユニコーンで現れるが、その象徴としてイエスキリストの姿とも。
うまく説明できないけど、エーテル体のような透明な存在の精神世界から、元素を作り物が生まれる。
植物や鉱石、木、人間や動物が生まれて地球ができる。
それを物質文明といい、アトランティスは率先してそれを行った為に、
重力が増し(大量の水を必要としたので)地球の引力にひっぱられた天空に住むレムリア人が落ちてきた。笑。

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さて、アトランティスとムーは同時期に存在していたと考えられます。
しかし、ドイツのヒトラーは、アーリア人がアトランティスの末裔であると主張。
日本はムーを主張。
日本とドイツは同盟を結んでいたが、よく似ているというのも、どこかで繋がるからだろう。
日本人とドイツ人の性質もそっくり。技術力があり勤勉。
第二次世界大戦は、ある意味、アトランティスとムーの大戦みたいなものだ。
戦後、岩倉具視使節団もドイツに習う政治を目指した。
しかも、ナチスは逆卍だ。卍を逆にするのがアーリア人という話。
それも重ねれば、融合で歯車。歯車はうまくかみ合えば見事に風を起こすが・・・。
でも争いは起こってしまう!…第二次大戦でまた、分離してしまった。

さて、もうひとつレムリアがある。
ムーとレムリアが同一か、わからない。
ですが、私はレムリアという響きに反応してしまう。
夢で透明の丸いドーム状の家をみたことがある。その後災害が起きるのですが、
チャネリングでは、レムリア人はドーム状の家に住んでいるそうだ。
そして争いで沈んだが、水爆で沈没したと。

このような話は、好きな人は、好きだよね。
惹かれるシャスタ山。
シャスタ山のレムリアより、参考になる部分を引用させて頂きます。
が、信じるか信じないかは・・・ご自由に。



「レムリアの真実:シャスタ山からのメッセージ」より。
古代レムリア人は、大陸が沈むことは以前からわかっていた。
エネルギー、クリスタル、音、波動を使って地下を掘り、広大な地下都市をつくる。
一晩で大洪水により海に沈み、レムリア人はシャスタ山に移り住んだ。
目に見えない小さな人で、1メートルくらいで山の守護神。
見えない波動をもつが、時折、山の周辺で目撃される。
姿を現さないのは、人間を恐れているから。

シリウス、ケンタウルスのアルファ星、プレアデス、他の惑星から地球に
進化するために、レムリアの「種」を魂に加えたと。
五次元から四次元に落ち、完全に三次元に落ちた。
この意識の低下は数千年間にわたって起こる。」



(武甲山にて植物のもののけ・・笑)

スサノオの垣根の歌や、母に会いたいと泣きわめく神話など、
すべては「8」という場所(ムー?アトランティス?)へ行きたいけど、行けないと嘆くものだろう。
スサノオは「7」という現代の物質文明へ落ちてきた。
8の世界にいきたいけど、垣根が邪魔して行けない。
ヤマタノオロチ→アマタ(世界)の龍(蛇)・・・?
また、ヤマトタケルが「吾妻はや」と妻を恋しくなって嘆く歌も、
アトランティスかレムリアかどっちか不明だが、これらも落ちてきたことを嘆いていると思う。
吾妻のあずまは、東のこと。たぶん、日本のムー(レムリア)のことだろうと勝手に妄想。
ちなみに、レムリアの世界はシャスタ山だけに限りません。
アジア(東南アジアも)あります。ヒマラヤにも。

妄想ですが、スサノオはアトランティスから来ている人だと思います。
日本では牛頭天王としてムーダンの巫女話から蘇民将来の話が生まれる。
星の巡り合わせにより、運悪く良くない出来事にあった時に、(出産の穢れ)にお断りしたことで、
バチがあったような話だ。しかし、たまたまその星巡りにあっただけのこと。
星の運行は排除できないので、星が移動するまで待つ。それを「客人(まろうど)にお帰り頂く」といった
解釈をして、静かに星の動きが変わるまで「待つ」ことだった。
そのような静かな祓いをしていたのが朝鮮から伝わった牛頭天王のムーダン(武塔神)であるといわれる。
なので、武甲山にヤマトタケルが冑(甲)を置いたのは、アトランティスの降伏と考えたっていいわけで。
タケルという「武」の集団ですから。
だから、武甲山の大蛇窪といった龍の洞窟信仰が根強く埋まっているのだ。それがレムリアの記憶だと思う。
大げさだが、大蛇窪が目覚めれば、レムリアがもっと開けると私の中では期待している。
これはあくまでも、私個人の希望なだけ~。

巫女が互いにのろい倒すみたいな話は、アトランティス側とムー側の対決みたいな。
でも、巫女の呪詛はそんなに大事なことではない。
要するに占星術みたいに、星の動きと自分の人生の巡り合わせを占い、
よくない星巡りにくる時は、外へは出ない。人に会わない。といった事を「自分で決める」運命を示していたのだろう。
納得するまで動きまくる人がいるけれど、そういうのは悪い巡り合わせにあう確立が高くなる。ただそれだけ。


(武甲山)

私が武甲山に来ると、いつもレムリアのことを思いだす?のは、
およそ1億年以上も前に、ハワイ沖から隆起した岩盤がのめりこんで秩父古生層になり、
沖縄まで続いているからだ。その東端が秩父湾であった武甲山などの島々だった。
最も古いのは両神山。2億年前の地層が眠っているという。


(両神山)

巨大なレムリアは、ハワイ、イースター島、フィジー、オーストラリア、ニュージーランドなど。
この本では、レムリアはBC450万年前~1万2千年前とされる。
それが本当だとしたら、武甲山も秩父連山も皆、レムリアの記憶をもっているはず。





そう考えれば、レムリアのイデオロギーは、日本の伝説、神話に凝縮されている。
先住民の言葉の多くが南国由来であるのは、レムリアの末裔だからだ。



アトランティスは、ドラゴンを地下に閉じこめる。
レムリア封じと解釈する。(私は)
しかし、レムリア人は「地球の民として私たちは一つの大家族」と伝えている。
やっぱりその転機というか、気づけるようになったのは、震災から。


(2014年武甲山山頂にて)



これは、武甲山に登った時も同じだった。
「ひとつになれ」
この言葉だけは、いつも里帰りをすると聞こえてくるのだ・・・。
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天狗の隠れ蓑(みの)

2016-02-02 | 神話・伝説
天狗の隠れ蓑

昔、彦一(ひこいち)と言う、とてもかしこい子どもがいました。
小さい頃から頭が良くて、ずいぶんととんちがきくのですが、大が付くほどの酒好きです。
何しろ彦一の夢は、毎日たらふく酒を飲むことです。
「酒が飲みてえな。何か、うまい知恵はないだろうか?」
考えているうちに、ふと、それをかぶると姿が消えるという、
テングの隠れみのの事を思い出しました。

 テングは村はずれの丘に、時々やって来るといいます。
「よし、テングの隠れみのを手に入れて、酒をたらふく飲んでやろう」
 彦一はさっそく、ごはんを炊くときに使う火吹き竹(ひふきだけ)を持って、丘に来ました。
「やあ、こいつはええながめだ。
 大阪や京都が、手に取るように見えるぞ」
 そう言いながら、火吹き竹を望遠鏡(ぼうえんきょう)のようにのぞいていると、
松の木のそばから声がしました。

「彦一、彦一。のぞいているのは、かまどの下の火を吹きおこす、ただの火吹き竹じゃろうが」
 声はしますが、目には見えません。
 テングが、近くにいるのです。
「いいや、これは火吹き竹に似た、干里鏡(せんりきょう)じゃ。
 遠くの物が近くに見える、宝じゃ。
 ・・・おお、京の都の美しい姫がやってきなさったぞ。
 牛に引かせた車に、乗っておるわ」

「京の都の姫だと?
 彦一、ちょっとで良いから、わしにものぞかせてくれんか?」
 テングは、彦一のそばに来たようすです。
「だめだめ。
 この千里鏡は、家の宝物。持って逃げられては、大変じゃ」
 そのとたん、目の前に大きなテングが姿を現しました。
「大丈夫、逃げたりはせん。
 だけどそんなに心配なら、そのあいだ、わしの隠れみのをあずけておこう」
「うーん、それじゃ、ちょっとだけだぞ」
 彦一はすばやく隠れみのを身につけると、さっと姿を消しました。
 テングは火吹き竹を目にあててみましたが、中はまっ暗で何もうつりません。
「彦一め、だましたな!」
と、気がついたときには、彦一の姿は影も形もありませんでした。

 隠れみのに身を包んだ彦一は、さっそく居酒屋にやって来ると、
お客の横に腰をかけてとっくりのままグビグビとお酒を飲み始めました。
 それを見たお客は、ビックリして目を白黒させます。
「とっ、とっくりが、ひとりでに浮き上がったぞ!」

 さて、たらふく飲んだ彦一は、ふらつく足で家に帰りました。
「うぃー。これは、便利な物を手に入れたわ。・・・ひっく」
 隠れみのさえあれば、いつでもどこでも好きな酒を飲む事ができます。



 次の朝。
 今日も、ただ酒を飲みに行こうと飛び起きた彦一は、
大事にしまいこんだ隠れみのがどこにもない事に気がつきました。
「おーい、おっかあ。
 つづら(衣服を入れるカゴ)の中にしまい込んだ、みのを知らんか?」
「ああ、あの汚いみのなら、かまどで燃やしたよ」
「な、なんだと!」
 のぞきこんでみると、みのはすっかり燃えつきています。
「あーぁ、なんて事だ。毎日、酒が飲めると思ったのに・・・」
 彦一はぶつくさいいながら灰をかき集めてみると、灰のついた手の指が見えなくなりました。
「ははーん。どうやら隠れみのの効き目は、灰になってもあるらしい」
 体にぬってみると、灰をぬったところが透明になります。
「よし、これで大丈夫だ。さっそく酒を飲みに行こう」
 町へ出かけた彦一は、さっそくお客のそばにすわると、とっくりの酒を横取りしました。
 それを見たお客は、
「わっ!」と、悲鳴をあげました。
「み、みっ、見ろ。めっ、目玉が、わしの酒を飲んでいる!」
 隠れみのの灰を全身にぬったつもりでしたが、目玉にだけはぬっていなかったのです。
「化け物め、これをくらえ!」
 お客はそばにあった水を、彦一にかけました。
 バシャン!
 すると、どうでしょう。
 体にぬった灰がみるみる落ちて、裸の彦一が姿を現したのです。
「あっ! てめえは、彦一だな! こいつめ、ぶんなぐってやる!」
「わっ、悪かった、許してくれー!」
 彦一はそういって、素っ裸のまま逃げ帰ったという事です。

※熊本県八代市には「彦一ばなし」として伝わっています。
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隠れ蓑は、男性版羽衣伝説みたいだ。
姿が見えないといった透明人間のような話。
おそらく、蓑をまとうのは、狩猟をしている先住民に変身することで、
京からの貴族といった位の高い人の身分を「隠す」意図もあるかもしれないし、
そのような能力を隠すことも考えられそう。





この蓑のデザインがオシャレ。
蓑を見るとなぜかウキウキする変わり者です。
蓑を着たことがないのに、簑を見ると懐かしいと思ってしまう。前世、簑を着てたんだな。
犬を連れて。マタギやんか…

蓑を着ていた人の中に、男性のシャーマンがいたと何となくわかる感じがする。
藁などは神事にも使われるように、不思議な力を宿すイネ科です。
なまはげも、藁を被りますね。



蓑といえば、秩父の美濃がありますが、
前回の秩父の妙見様の話で、美の山は美濃から来ている可能性大ですが、
八代市に伝わる彦一と考えると、秩父と九州は繋がっていると思います。



知知夫彦がこの山で雨乞いをし、その時に来ていた蓑を松の木にかけたので、
その名前がついたとの伝承があります。





美の山は、とても山野草がきれいに多種咲きます。
こんなに標高の低い山に花々が咲く里山に出会えるのはなかなかないので、5月は特に最適。
なぜ、この山が美と名付けられたかも、やはり花々が咲き乱れる美しい里山だからです。


(宇宙人あらわる・・・イカリソウ)

また、花々の生息が豊かなのは、地層にも関係しているのかなあ、と。
この山は、あの不整合を起こした金昌寺の地層と繋がっている。


(榛名神社)



新しいとしても、1500万年前の地層。
金昌寺は8000万年前も遡る。
だから、知知夫彦の伝承があるわけです。
海の地層ですから。美の山に神社が祀られていますが、大山祇神です。



※蓑山と知知夫彦
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/3b87ab0bc6ce4b01ffaf47b84ca959d7

美の山のブログにのせてた時の登山中の出来事なんですが、
下り、登山道から外れた林からガサガサと音が聞こえました。
かなり大きな音なので、友人と音のする雑木林へ入っていきました。
確かにガサガサ音がするんだけど、鳥でも動物でも人でもなく、何もいないのに、聞こえるんです。
木は伐採しているようで、明るく開放的な場所なのですが、大人が一人入れるくらいの
枝で作られたツトコみたいのがありました。
何か動物の巣かな?とも思ったのですが、ただ、音が聞こえているのに姿が何も見えなかった。

あれは何だったのだろう?と今でも思います。
もしかしたら、あれが天狗の隠れ蓑だったのでは・・・
上手い終わり方。ワラ
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