秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

生まれ変わった妙見さま

2016-01-30 | 秩父の祭りと信仰
秩父ネタ。
秩父市役所も建て直し中で、先に妙見様が新しく生まれ変わった。

見れば見るほど不思議だね~。
耳が尖ってて、ちと、すきっ歯でね?…
人だか生き物だか。ふっくらしてる。
この姿のルーツは、熊本県八代妙見信仰にあるようです。
いろいろと結びつく妙見信仰について妄想。





八代妙見様の由来--------------------------------------------

妙見神は、北極星と北斗七星を神格化したもので、神道では「天御中主神」「国常立尊」と称され、
仏教とも結びつき「妙見菩薩」と称されます。
北極星は天の中心にあって動かず、その周囲を星がめぐることから、天を支配する星として、
また、北斗七星は一昼夜でその周囲12方向を指すことから、
時を定め寿命の長短をつかさどるものとして信仰されています。
江戸時代の記録によれば、妙見神は、中国明州(寧波)から亀蛇の背に乗って
海を渡って来た、あるいは百済国聖明王の第三皇子琳聖太子であるとの説が伝えられています。
いずれも海を渡ってきた神(渡来神)であり、海を通じて交易が盛んであった八代の歴史が垣間見えます。
亀蛇は、北の方角を守護する霊獣「玄武」が原型と考えられ、
亀に蛇が巻きついた姿をしています。妙見神の仏神像は、亀蛇の形をした台座にのって表されます。
八代妙見祭の亀蛇は、江戸時代、八代出町の人々が、
祭神渡来伝承をもとに周辺の雨乞いなどの造形を妙見祭に取り入れた可能性が考えられます。


※八代市のサイトより
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=36525

亀だか、ウロボロスだか、手がライオンみたいだけど、手をもっと丸めたらドラえもんだし。(違う!)
ちょっと怖い顔なんだけど、親しみを感じるのはなぜ?
夜も見に行ったんだけど、しばし、オリオン座がよく見える下で、ぼ~んやり妙見様を眺める。
北斗七星ではないが…。
やっぱり秩父は星がよく見える。

禹と妙見信仰-----------------------------------------------------

これは、禹歩にも繋がると思う。
荒川と北斗七星で以前書いた内容ですが、
千城著の「古代東北の城柵と北斗七星の祭祀」によると、大和朝廷が置いた多賀城、
桃生城、伊治城、覚べつ城、胆沢城、志波城、徳丹城の側に軍神、タタラ系、
伊勢神宮系などのいくつかの神社が7社祀られ、
どれも5番目と6番目の間に小熊座(β)にあたる社が必ずあることでした。
これを参考にすると、秩父荒川沿いにたくさん諏訪神社が祀られていますが、北斗七星でむすばれている。


(すべて諏訪神社)

なぜ、川沿いなのか?と考えると、ルーツは禹歩なのかもしれない。
伝説より、禹は羌族出身で石紐から産まれたとある。
石紐とは、岩間の窪みのことで、岩塊中より生まれた人は死して再び岩塊中に帰ると信じられてきた。
これを岩間葬(がんかんそう)と言って自然岩の亀裂部分を利用した特殊な墓葬。
禹の伝説の特徴は、石から産まれたことと、魚にある。
イエスキリストも魚をシンボルとする。


(三峰:妙法岳のイワクラ)

千城著にも、
このような北斗七星の祭祀については、「禹(う)歩の祀り」といわれ、
白い衣姿の陰陽師が呪文を唱えながら地上に描いた北斗七星の形をめぐって歩くことで祓い、
地を鎮め、福を招くとされた。北辰(北極星)の周りを休むことなく回り続ける
「車」に例えられ、北斗七星で結界を張りその形通り歩く(巡礼)こと。
と記されている。
秩父の場合は、夏の北斗七星のようなので、冬の北斗七星を元に地上に反転させている。
秩父夜祭が冬に行われる意図も、ここに関係している気もします。

※荒川と北斗七星
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/e232f1181cb6cb09a829c4570be8a829

縄文と妙見信仰------------------------------------------

それで、面白い情報をみつけました。
ネットからですけど。

星たび:金山巨石群・岩屋岩蔭遺跡のサイトより一部を紹介。
http://www.hoshitabi.com/kanayama/1311/iwaya-yorishiro.html

「岩屋を構成する巨石のうち、 東側のE石と呼ぶ巨石には逆向きの北斗七星が刻まれています。
私は天文シミュレーションを使うことで、石に刻まれた年代を推定することができました。
その結果、紀元前5500年の頃の古代人が当時の北斗七星を、
石面に刻んだものであるという結果を導き出しました。

これまで、考古学者は 紀元前2800年頃の北極星トゥバンを見いだすため、と推定していました。
それよりさらに2700年を遡る今から7500年前ということになります。
これは縄文時代早期という時代です。

北斗七星の七つの星のうち、柄杓の柄の先から2つ目の星を ミザールといいます。
7500年前、北天に北斗七星がかかり、ミザールが子午線を通過するそのとき、
ミザールの真下(真北)に天の北極があります。
そこで、北斗七星の形を写し取り、水平にパタンと反転する。
それを岩屋岩蔭E石の石面に刻んだのが、裏返しの北斗七星です。

その北斗七星の柄杓の柄、その先から2つ目がミザールで、その真上にE石の最頂部があります。
ここが天の北極を示しています。
古代人は巨石のてっぺんが天の北極になるように北斗七星を刻んだのです。
岩屋岩蔭遺跡のある地区には、明治8年まで美濃国郡上郡に存在した岩屋村があって、
遺跡と参道付近は、古くから岩屋妙見神社の神域になっています。
祭神は天之常立神 と記載されていますが、取材では別の神の名を聞きます。
『日本書紀』で 天地開闢の際に最初に現れた神とされている、 国常立尊(国之常立神)です。

日月星辰は天の北極を中心に回転しているように見えます。 現在、北極星ポラリスが真北にただ一つ止まっているように輝いています。
ところが7500年前には、天の北極付近に北極星とする輝星は無かったのです。
シミュレーションによると、天の北極には目立たない微妙な光の星が有るような無いような闇の中にあります。
古代人はその暗闇の中を目を凝らして微妙な光を見ようとしていたのではないでしょうか。
なぜなら、その暗闇に神がいると信じていたからです。」


へ~。
ミザール、イワザール、キカザール。三猿だったか。違うし。
そういえば、アイヌ語でホシとは犬のことを言ってたと思う。
全部繋がるね、
星信仰、諏訪神、ミワ信仰、龍、狼、美濃(ムカツヒメ)、秩父。
すべては、宇宙です。栃本を歩くと秩父が星の世界というのがわかる。




(秩父栃本の妙見神社)

狼と妙見信仰(山形県天童)----------------------------------

その昔、この地では三年に一度魔物に人身御供を捧げる風習がありました。
魔物達が恐れているのが「信濃のべんべこ太郎」であることを知ったある僧侶が、
べんべこ太郎を探しに信濃へ赴きましたが、べんべこ太郎とは大きな犬でした。
苦労の末、僧がべんべこ太郎を借り受け魔物を退治したと伝えられています。

言い伝えによれば、べんべこ太郎と魔物たちの戦いは麓の山口から谷の奥の田麦野まで、
激しく繰り広げられたそうです。その後には魔物の正体であるタヌキが骸をさらしていたといいます。
べんべこ太郎も力つき、山口まで辿り着いた時に息絶えたと言われています。
村びとがこの地に、べんべこ太郎を葬りお堂を立てたのが、この妙見神社のはじまりだそうです。
田麦野とはタヌキ野の意味であり、大昔からタヌキが田畑を荒らす害が深刻だったと言われています。
このため魔物退治の伝説が生まれたのでしょう。

この田麦野から山を越えた所に、芭蕉の句で有名な山寺立石寺があります。
立石寺は慈覚大師の開基になる天台宗の古刹です。
また、ヒヒ退治で有名な早太郎伝説の残る信濃の光前寺は、
慈覚大師の直弟子である本聖上人が開いたもので、
立石寺と光前寺は深い関係があったことが分かります。

もしかしたら、べんべこ太郎を連れて来た僧とは山一つ越えた立石寺の僧であり、
信濃のべんべこ太郎とは、早太郎と同様に光前寺に飼われていた狼犬だったのかもしれません。

(来福@参道より http://www.raifuku.net/index2.html

山寺の磐二、磐三郎のマタギ話に通じているようですが、
早太郎伝説は、白羽の矢をたてられた女性を救った話。
猿退治の話になっていますが、生贄を見つけるところは、スサノオのヤマタノオロチと同じ。
ある旅人が、村で生贄にされる娘の話を聞く。
不審に思ってこっそりのぞくと、化け物が「早太郎に聞かせるな」という声をきいた。
早太郎を探したところ、早太郎とは光前寺の犬だった。
娘の変わりに早太郎を送りだすと、犬猿が死んでいるのをみつける。
娘の名前は、矢奈比売という。
矢奈比売天神社が静岡県にありますが、他に菅原道真を祀っています。
また、この娘も天皇家に関わっていたようなので、巫女のような存在だったと思います。

そして、狼の方が古いと思うのですが、狼と龍が関係するのも、
それ以降、龍と蛇退治や百足退治に話が変わっていく。
俵藤太の滋賀県三上山の大蛇と百足退治として伝わる。
俵藤太は、武蔵の鎮守府将軍でした。


(妙法岳に向かって建つ妙見社)


(栃本:竈三柱神社)


(栃本:ワタツミの和田神社)

飯盛山----------------------------------------------------

妙見信仰と関係しているのかわかりませんが、気になるのが、マップにも出ている飯盛山。
ここは多分、大蛇窪に関係してそうな。
確か、横瀬町資料館に展示されていたのですが、昔は、飯盛山あたりにミワ信仰があったようで、
三輪神の名前があった。
秩父夜祭りは、妙見様が武甲山から降りてくるのですが、
飯盛山あたりからスーッと降りてくるならば、秩父神社にぶつかるのかね?
夜祭りは、藁の龍を柱に祀るので、龍神をお迎えするのだから、妙見様は龍だから狼(大神)ともいえる。




(google earthより)

「飯」とつく山名は全国に多いです。
古代では亡くなる時に、もがりと言って、しばらく亡き人の枕元に供物を与えていたそうです。
こんもりとお椀に乗せたご飯をのせる風習もあるようですが。
飯盛山は、その意味でお米を盛っていることの意味があるのでは?
要するに墓場のこと。
死者の食事を用意していたのが、飯炊きの昔話があるように巫女である女性たちでした。
なので、飯盛山は儀式をしていた場所だと思うのです。
お米は、民俗学ではエネルギーでもあるから、魂を呼ぶ意味があり、団子など白いお餅も、
魂を繋げる鎮魂の意味があったそうです。

しかし、飯盛山は、石灰開発で完全に崩されてしまいました。
雪が積もっているのではないよ。石灰ですよ。
偶然にも真っ白いセメントが、ますます鎮魂の色を示している…
武甲山が武甲山自身で鎮魂しているようだ。

あり得ない光景ですな。
秩父人として恥ずかしい。

グチるけど、三菱の三角マークは、トラウマになるね。このマーク、武甲山の森には要らない。
ちなみに、北条氏の三つ鱗も同じ意味で、三角形のマークはここから派生している。
このあたり、北条氏の家臣たちがいっぱい入ってきているよね。
ユダヤ人なんじゃないか、と。



武甲山は複数の企業や個人が所有しているから、面倒くさい。
セメントで年間約 200万の収入を得ている人がいると聞いた。
主に公務員とセメント会社。何もしなくてもお金が毎年入るので、セメント開発をやめない。
今は少なくなっていると思いますが。


(ミワ信仰の特徴、三つ鳥居(三峰神社):3は破壊の数字になってしまった?)

我が家には一銭もお金は入らない。当たり前だ。
そんな生き方を望んでいない。

地元の人なら三菱セメントの工事見学ができると聞いて、知人を通して希望したが、
何の連絡もなく結局は、断られた。
良からぬものがあるからだろう。
そう思われても仕方ない。
一般人を入れると何かとSNSやブログに書かれるから都合が悪くなるということか。
何を燃やしてるのか。ぼやっとしているところに問題がある。

水俣病を引き起こした企業が、秩父のセメント開発にも携わっている。
こういう企業が関わると、自然破壊があっという間に行われる。
マスコミは中国の環境汚染などしつこい報道をするけれど、どっちもどっち。

武甲山のおかげで、唯一、横瀬町が秩父の中で毎年黒字。だから、秩父市と合併しない。
そう思われても仕方ない。
でも、石灰開発を推し進めてきたのは、地元の人。政治家と絡んでる。
秩父鉄道は、セメントを運ぶために開通した。
今は人を乗せるようになり、鉄道マニアに大人気ですが、武甲山の歴史も知ってほしい。

目の前で環境破壊が進んでいる山は世界的にも珍しい。
武甲山は負の遺産です。
美化することはならず。
再生もならず。
人間のエゴによって犠牲となった山。

そんな代名詞をもつ武甲山は、今もどんどん削られている。(二子山も同じく)
まだこの先、10年は続くだろう。


(妙見様が下りる時は、幣束をたてて準備をする)

それでも毎年、秩父夜祭りを行う。
本当に妙見様は下りてきているのでしょうか?
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言霊と物部氏の渦巻き

2016-01-24 | 日記・エッセイ・コラム
鈴が口ならば、巫女の女性の声が高い周波数を出していたのか?
わかりませんが、その周波数で治療をしていたことも?
癒しのヒーリングだね。
そうやって、鎮魂していたのですね。案外、優しい?やり方。
もっと、憑依しちゃって暴れ出しそうなイメージがあったけど、違うんだな。

言霊の鈴でよくあらわしていると思ったのが、物部氏の鎮魂(たましづめの祭り)というのがある。
秋田物部文書を参考に、体から遊離する魂を招き身体の中府に鎮める祭儀。
新嘗祭の前日に、天皇・皇后の御魂鎮安のために行われる。
この鎮魂については難しいので詳しく述べられませんが、
この頃、天皇に重視していたのは、霊知りという言霊の威力をもっている人のみ持つ力を、
次の代に継続できるための蘇りの祈祷だったかもしれない?
意味わからんな・・・。



物部氏がイワクラ信仰をしているのは、ピラミッドにあります。
日本の方がエジプトより古いので、エジプトのピラミッドは日本がルーツです。
が、日本の方が精神文明の発展があったから、今のエジプトのピラミッドを見る限り、
物質文明(肉体)への転換になってからのピラミッドである。
だから、ミイラが発達した。
永遠の精神ではなく、永遠の肉体をもつことを示した愛という言葉。
人間を愛せよというのは、体を残す方法をこの頃は生み出していたのでしょうか。
薬草が研究され始めたのは、ミイラ保存のためでもありましたが、
言霊となると、ちょっと次元が違うみたい。
エジプトとは違って、物部氏の蘇生という呪術は、次元の違うピラミッドを象る存在か、と。
秋田県にはまだまだ森の中にまだ見つかっていない磐座がたくさん埋まっていると思います。

ケルトの渦巻き--------------------------------------------

天河弁財天の鈴にも特徴があります。鈴が三個ついた三角形で上からみたら宇宙船みたいだ。
三角形にこだわる物部氏のやり方は、ピラミッドと渦巻きが想像できる。
男と女で、三角形は逆になりますが、それを融合して六芒星に。
魂の再生にそんな形をイメージしながら魂振りをしていたように思えます。


天河弁財天のHP
http://www.tenkawa-jinja.or.jp/

それに、天河弁財天の鈴は、ケルトとよく似ている。
3つの渦巻きを表している。
ケルト鈴も言霊。私はケルト民族は日本にやってきていると確信しています。
ケルトも北欧のバイキングと戦っていたけれど、大敗して逃れている。
ケルト紋様は石(遺跡)に刻まれているので、九州の隼人が残してい遺跡の紋様と発想が似ている。
オオ氏が残した横穴式石室の紋様も、ほぼ同じです。
ちなみに、渦巻きは太陽を現すようです。


※西ヨーロッパの新石器時代:ケルトの渦巻き型三脚巴

※ケルトの影響を受けている原始キリスト教やユダヤ教の渦巻き紋様

※日本。左巻き。

これが日本の神という「申」の原型。
今年は申年。

※ブレンダンとケルズの秘密
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/e4008478f01453fe2393141c5b34c0b3

その紋様がなぜか、白人至上主義やナチスのマークに変わっているというのは、どこかで狂った。
誰かが悪いモノとして植え付けた結果です。

三位一体の原理は、日本では、天と地を仲直りさせる背比べ伝承(山など)で表す。
天之常立神と国之常立神の道徳や政治的な意味。
どの山よりも高い天之御中主神が聖山とし、男神と女神の神話や三山伝説があるのも、
三位一体の原理が元にある。

太古の祈祷---------------------------------------
「ふるへ ゆらゆらと ふるへ」と唱え、
ピラミッドのような形をつくり、「天」「地」「魂」と上下左右前後に円を描く。
この時、鈴を使っていたのかわかりませんが、振るえ(震え)は、言霊なのでしょう。
口で何かを発しながら行っていたのかも。
言葉の振動、周波数の修正?そのようにして病気や、もしかしたら遺伝子までも?治してきた。
このような祈祷が、不老不死として伝わる。
また、物部氏も神代文字として「日文(ヒフミ)」文字を残している。
全部で49音。(よくわからないが50音でない)
文字については割愛します。

祈祷の中に、病者の痛む部分に十種の神宝を書き、天津祝詞を奏上しながら、
紙に渦巻き状の線を書いていた。
渦巻きは、「閉じる」と「開く」を意識しているような描き方をしている。
渦を描いて「結ぶ」のは、ケルトにも四つの結び目がある。
円を描いた中に、4つの結び目をつくる。
秋田物部氏の渦巻きも、最後に十字に結びをするものがある。
ケルトの場合、4つの結び目は、4つの方角、4元素の意味がある。
物部氏の2つの結びというのは、陰陽の結びを行っていたと思われ、
それが「虫おさえ」というもの。
虫はおそらく龍のことで、地下のマグマの振動、地震を指すものだと思います。
要するに地震の揺れを抑える祈祷ということ。要石の祈祷?
スケールが大きすぎる祈祷です・・・。


※八大龍王:風の松原内にある(秋田県能代)

また、石上神宮に伝わる十種の神宝の中の「蜂の比礼」「百足の比礼」「種物比礼」
というのは、神代文字のことを言う。
言霊学では、ヒレ=霊顕という文字にあてはめることができると。

神代文字も、文字というよりかは感覚的に残された線みたいなもので。
これを蛇の字として残しているのは、ケルトのドルイドです。
ケルトも言葉は生き物だったので、竜のような図で描かれます。
常に流動的に動く文字を生き物として捉えていたケルトも日本と同じ言霊の威力があったわけです。
だから、ケルトも口承のみで伝えた。
言葉が絶対だからです。文字にすると力が弱くなる。

天河も役小角と物部氏は関係してます。
韓国という人が、役小角が没してから昇進してますが、物部氏系の人らしい。
役小角とは違うシャーマンな祈祷を行っていたと考えられます。


※春日文字

唐松神社の特徴は、古代の祈祷の他に、授子安産、母子安全の祈祷も伝わっていること。
このあたりが、女性が行っていたのではないか?と思うのです。
そう考えると、鈴は男根信仰の古い祈祷の意味もあるかもしれません。
実際、境内はごもっとも様で溢れていますから。
これも、ある時代に塞神になっていたかもしれないです。
この神社にも落馬説があります。
名取の道祖神と同じ落馬説で、馬を祀る駒形信仰の排除を伝えるものかもしれないですけど、
エミシなどの先住民が嫌がった駒形神が関係しているかもしれません。
なので、唐松神社が元は、ナガスネヒコを祀るものだという話もでてくるわけです。

おそらく多くの巫女と関わっていたので、そんな普通とは違う生き方をしてきた巫女も、
敵の巫女同士の呪詛倒しみたいなこともあった。
次の天皇を誰にするかを神降ろし(憑依)して決める巫女が、単なる派閥となり争いのきっかけになった。
ヤマトタケル伝承も巫女だから、巫女を全国に派遣していたと思います。
また悪循環で、そんな残酷で無念の死をとげた巫女の鎮魂も物部氏はしていたと思う。
私は古代の祈祷が理解できない部分もあり、なんだかな~と思ってしまう。

西洋の魔女狩りとまではいかなくても、普通の女性でも若くして神との婚姻といった運命にさらされ、
病気や自然災害を止めることができないと、生贄として犠牲になったこともあったでしょう。
白羽の矢が立つというのは、その意味がある。
が、渡来人はそのような習慣を食い止めたことがあり、意外にも秋田県のマタギ伝説に残っていたりする。
スサノオの八岐大蛇伝承も、生贄の巫女から犠牲者を食い止めたことを神話として残していることもあると。
大王の墓に葬る馬や人型の埴輪は、生贄の風習をやめた証でもあります。
中国の兵馬俑とかも。昔は、実際に人を葬ることをしていたわけで。

かなり前に、インカ文明の生贄にされた少女のミイラを東京で観に行ったことがありますが
おさげ髪の幼い少女です。でもきれいな保存状態で残されているミイラなんです。
見られている側と、見ている側が同じ人間ということが、変な気持ち。
まだこの頃は、人間は未熟で神の僕(しもべ)であると考えられていた。
しかし、ある時代から人間の命は、神と同じくらいの存在価値があることを説いた人が現れる。

アイ----------------------------------------

物部氏が敬っていた愛子神。(あやし)
例えばの話ですが、ホツマツタエのヲシテ文字のアとイが、私には人間に似ていると思った。
アとイを繋げると頭と胴体になるように見える。
これは、前方後円墳の形と同じ。丸と長方形。
大王のお墓にも言霊の威力はこんな形で表されている。


ア=宇宙の始まり
イ=居る(地球・大地)生きるの意味
と、簡単ではありますが、他にもいろいろな解釈はあります。
アイが愛になったかわかりませんけど、
言霊を気にしていた物部氏と繋げるならば、妄想ですがヒト(霊十)なのかな。
イからウになる働きは、愛から「逢う」が生まれる。

でも「逢う」はプラスに働くけれど、マイナスに働くと「遭う」という予期せぬ事故になる。
漢字も上手くできている。
このような事を、言霊では客体と主体といったことで説明している。
客体の「あなた」と主体の「わたし」であったり。このへんは難しいので、割愛。

頭へ宇宙からの気を下ろし、脳の松果体、首を通り体にそのエネルギーを送る。
首はたまりやすいのか?それを下ろさないと滞るので肩コリや頭痛の原因にもなる。
歪みとも関係してそうな。骨に振動が伝わるのだから。
みぞおちやお腹は、温めないとエネルギーを温存できない。

その頭と胴体を支えている大事な首。首筋に霊魂が入るのはそのため。
そして出ていくのはお腹。
しかし、残酷なのは、その繋がりのある部分を切ると霊魂と肉体が離れてしまうため、
それを狙う者が出てきてしまった。
無意識にそういうことをしてしまう。霊的ではなく肉体を傷つけること。
残酷な民族は、首を狙い敵をそのように罰する。永遠に肉体に戻らないようにするためだ。
そのため、戦闘の時なども首を守るために、古代人は髪を長く伸ばして首の所に布のような物を
巻いて髪を結い、首を守っていたと聞いたことがある。
でも、男性が髪を伸ばす意図も、霊力を利用している事がある。
髪の毛は、巫女でも髪は長い方がよいとされるのは、髪の毛が一番霊力を受けとりやすく、
こもりやすいという。お坊さんは、それを妨げるために坊主にする。

竹内宿禰が、エミシを見て、「もとどり結い」をしていると言っている。
エミシは髪が長い人たちと言われているが、髪をひとつにまとめて、結いあげる髪型。
冠にかぶり紐は正面に交差して結ぶ。
冠を外すことは下着を脱ぐくらい恥ずかしいことなので、このような髪型は、
貴族や位の高い人たちがしていたと思うのですが。
エミシが皆、そのような髪型をしていたかは疑わしいですが。

アヤシがアイのヲシテ文字から考えると、もしかしたら、本来の物部氏は、
生粋の日本人で、ユダヤ人と一緒に日本へ戻ってきた人だったりして。
だから、長髄彦の伝承があるのかなあ。
失われた十二?支族。その中のレビ族が関係しているらしい。ま、このへんは流しておく。

蘇我氏や藤原氏に政権が変わり、大王、もののふ、でなくなることで、
物部氏と名乗れなくなった。
その後は、単なる産鉄の物部氏となる。多分、誰かの支配下に入り。
それが先に東北にいた大伴氏かもしれない。東北にきて阿部氏と対立する。

それでも愛子神を敬う秋田物部氏。
秋田物部文献は唐松神社で発見されたそうですが、ほとんどが公開されていません。
公開してはいけない秘密とは、今、私たちが知っている日本の歴史が180度変わるからで、
それが天皇に深く関係している内容があるからでしょう。
崇俊天皇は暗殺されてないとか、蜂子皇子が熊野信仰と関係し出羽三山に逃れたのは、
天皇の継承を守るためとか、何とでも妄想できますが、その話を古代に仕掛けている人がいる。
また、史書に先住民の名前は残されないのだから、あまり意味もないか。
なぜ、物部氏は東北へ来たのか。菅原道真は左遷されたけど、関東、東北地方に多く祀られる。
東北地方は天皇などの皇族をかくまる場所であったから、なおさら謎が深まります。

秋田県の物部氏5
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/cfdce1aa1bdcbf485d2f269d06a97e8d
秋田物部氏のルーツは、母神という女性を敬う信仰があると思います。

「愛子様が天皇」
言霊を持つ、もののふは今も生きているのだな、と思う。
あやしは、怪しくもある。
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鈴は口の言霊

2016-01-23 | 東北地方の伝説(宮城県)
宮城県に伝わる鈴の昔話。

むかし、宮城県鶯沢の日向(ひむか)という所に田の神様があって、
そこに鈴が一つぶら下がっておった。ところがこの鈴、たいそう音が悪かったそうな。

「他所の神社だったら、違うかもしれねえ。」そう思った鈴は、近くの袋(ふくろ)という所
の金毘羅様にやって来た。ところが、金毘羅様の参詣の人々は皆、鈴の音の悪さに逃げ帰ってしもうた。

「鎮守の八幡様に行けば褒める人がいるかもしれねえ。」
こうして鈴は八幡様にやって来て、既にあった鰐口(わにぐち)の脇へぶら下がったが、
八幡様でも誰一人鈴の音を褒める人はおらんかった。

「向原(むかいっぱら)の御駒(おこま)さんの所なら、
参詣の人も多いし一人くらいは褒める人がいるはずじゃ。」
しかし、ここでも鈴を褒める人はおらんかった。

「鈴の音を聞いたことがない人が聞けば良い音だと思ってくれるかもしれねえ。」
鈴は最後の望みを抱いて、はるばる細倉鉱山(ほそくらこうざん)を通り、
山神様までたどり着いた。鈴はもうぼろぼろになっておった。



「はよ、おらのこと鳴らしてくれろ。」山奥の山神様だけに参詣人もめったになかった。
そうして、ようやく現れたお参りの人は、鈴の音の悪さに悪態をついて帰ってしもうた。

鈴はもう最後の望みも断たれてしもうて、ぽとりと地面に落ち、あてもなく転がった。
そうして駒ヶ淵まで来ると、鈴はそのまま淵へ身を投げて、ぐしゃりと潰れてしもうた。

鈴が潰れた岩は、かのど森(かのどもり)の岩じゃった。そうしてかのど森の観音様は、
哀れな鈴を一匹の虫に変えてやったそうじゃ。

その虫は澄んだ鈴の音のような美しい声で鳴くので、人々は大層喜んで「鈴虫」
と名付けたそうじゃ。こうして鈴はやっと救われたのじゃった。

今でも秋になると、人々は鈴虫の鳴き声に心を慰められるということじゃ。


※「まんが日本昔はなし」より

-------------------------------------------------
かわいそうなことに、鈴は良いものなのに悪い音になってしまった。
でも、その悪い鈴の音が、癒しの音になったという不思議な昔話。
この話、かなり深そうです。
観音様が癒しを与えているところ、何か不思議な感じ。
細倉鉱山は1200年前からあったそうでかなり古い。
大同か貞観の頃なので、ここも坂上田村麻呂のエミシ征伐の話があります。

さて、今は真冬ですが秋の夜長、鈴虫の音に癒されるのは日本人だけ?
この音を感じ取れるのはある意味で幸せなんだと思う。
日本人は、左脳で虫などの鳴き声を聞いている。
日本以外のアジアや西洋では右脳が反応する。
音楽を聴く右脳だと虫の声は、単なる雑音にしか聞こえないという。
でも日本人は左脳の言語で聞いているから、虫の声として聞こえている。
人間なのに虫と同じ聞こえ方をしていることが、すごいんです。
虫の音に限らず、風鈴も風の音でちゃんと聞けるから、涼しく感じる。
外国人にとって風鈴はうるさいらしい。
これらは、周波数を聞き分けていることになる。

そのようなことができるのは、日本語の仕組みにある。
日本語を聞くと、左脳が働く。

追記:「日本人の脳は欧米型は異なり、左脳は論理、数学などの西洋的ロジックに加えて、
一音一音の母音や、情緒的、感情的な自然界にある音(風や川の音など)から邦楽楽器まで含んでいる。
右脳は「もの」で表される西洋楽器や機械音に限られる。
これは、日本語そのものに原因があることは証明されている。肉体的遺伝ではないということ。」

本来は、人が聞き取れない周波数を聞くことができる日本人の特徴を生かすために残された言語。
それを五十音で「五十鈴」という。

五十鈴は言霊なので、それを元に考え出されたのが、あの神社の鈴だったわけです。
なぜ、神社の鈴を揺らすのか。
後で妄想します。

それで、スマホなどの携帯や録音では、鈴虫などの音は聞こえないという。
鈴虫の音は、2500Hzという高音。
これは、モーツアルトなどのクラシック音楽で言われる癒しの音の範囲なのだ。
スマホなどの機械には、ここまでの周波数音は入らないようなっている。
電話だから、人間の声が届く範囲に限って作られているからだ。
これも、ある意味では悪い洗脳だよね。
高音の周波数を聞けるようなスマホも開発され始めたようですが、そうなると都合が悪い者が反対する。
スマホも悪影響になるよう施されているのです。
スマホはかなり低い周波数だから、あまりスマホはやらない方が身のためと思う。
が、スマホは何かと便利な「おもちゃ」として使ってしまう。

そんな癒し音をスマホがシャットアウトしている鈴虫の声は、オス。
メスを呼びよせるのに、こんな癒しな音を与えてくれる鈴虫はありがたいね~。
こっちが寄ってしまうね~。笑

そういえば、登山用リュックにいつも友人からもらった伊勢神宮の鈴をつけて登ります。
熊よけの鈴に比べたら弱いが、心地よい音で安心するので、なくてはならないのです。
そういえば、お守りは八咫烏の熊野神社のだった。これも頂いたもの。
八咫烏に導かれてることもあるのかね?面白い。

鈴虫の音は、鈴の音色とよく似ているので、鈴虫と呼ばれています。
松虫もありますが、リンリンと鳴くのは鈴虫なので、より鈴の音に近い。
山歩きの時に、必ず鈴を持っていくというのは、その音が癒しの振動だと考えれば、
鈴の音が森の中で木霊しているのだ。それは山にとって良いことなんだな。
私は声で高音のような癒しの音なんて出せないし。
ケルト鈴もあったな、持ってないけどあれも究極の癒し音。
熊よけの鈴も良い音だと思うのだが、熊にとっては嫌な音らしい。
根拠はないから、都市伝説だったりして…

じゃ、何で神社に鈴なんだろう?
これは、言霊学で説明されています。

鈴は口--------------------------------------------------

島田先生の「コトタマ学入門」より参照。

神社の鈴は、言霊では「口」の形になる。
※「朽ちる」とは、口が老いる=死という意味にもなる。
人間が口を開けた形。
口を開ければ言葉が出る。
一音、一音の単位が言霊。
なので、神社に鈴がつけられている。
参拝者にとって正面の本殿に座す存在とは、綱を振って鳴らす鈴の音、
それに表徴される言霊。



※鈴は、人が口をあけている形に似ている。

伊勢神宮は昔、拆釧(さくくし)五十鈴宮とよばれていたそうです。
釧(くしろ)とは、古代の腕に巻く飾りのことで、その周りに小さい数個の鈴がついている
もので、五十鈴にかかる枕言葉となった。
五十鈴とは、五十音のことで、アイウエオの言霊のこと。
※五重塔もアイウエオの言霊のこと。
参拝の二拝、二拍手、一拝も20音、20音、10音で50音を表す。


--------------------------------------------------
ところで、鈴というと真っ先に思い浮かぶのは、秋田の唐松神社。
あの秋田物部氏の。
たくさんの鈴が奉納されていた。あれほどの鈴を祀るほどのこだわりが珍しい。
やはり、これが言霊ではないかな、と。



さて、思索の森歩き後のイネハポ談話にて、神話や神事などの伝承が言霊と一致するという話で盛り上がった。
秋田物部氏は、なぜ東北に逃れてひっそりと暮らしていたのか?
また、なぜ大量の鈴を奉納し、祝詞に「宣る」というのが物部氏だったのか。
蘇我氏と物部氏の対戦は、どうも天皇(大王)に関係しているよう思える。
物部氏も鈴を使った祈祷を行っていた。
その鈴とは、言霊を意味しているのでは?

長くなりそうなので、次回。
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マレフィセントという映画

2016-01-19 | 神話・伝説
2014年に公開した映画なのですが、眠れる森の美女のリメイクとして話題になった映画をDVDで観ました。
なかなか面白かったです。
これは、伝説、神話の世界が凝縮されていてわかりやすいし、
映像もとても綺麗。実際、こんな事があったのかもしれないと思ってしまう。


(C)Disney http://www.disney.co.jp/movie/maleficent.html

森の女王は立派な角を持ち、たまに蛇の皮を角にまとい、鷲のような巨大な翼を持つ。
高速で空を飛び回り、風を起こす。
魔法は全て意思のまま、その通りに起きる。翼さえあれば無敵な女王。
アンジョリーナってとこがまた迫力あり。
妖精と人間の二つの国は仲が悪かった。人間は森を支配しようと争いを起こすが女王は強かった。
ある時、幼いころから恋仲だった人間界の恋人と森で酒をのみ泥酔していた間に、
翼を切られてしまう。恋人は王の座がほしい為に、恋人を裏切るのだ。
森の女王はその恨みから、人間界の国王になった恋人の子供に呪いをかける。
それが16歳になると永遠の眠りについてしまうという眠れる森の美女にさせる呪い。

それから、人間界と妖精界の争いがおきるのですが、女王は、翼を失うと空を飛べなくなるので、
その代わりにカラスを弟子にし、悪と戦う時は、ドラゴンと共に戦う。
最後は翼を取り戻し勝つんですけどね。
それに、女王は鉄にとても弱い。
なので、人間界では鍛治集団を募り鉄を作らせ攻撃する。

眠れる森の美女は真実のキスで目覚める話ですが、それが王子でなく呪いをかけた当の本人
だったというわかりやすい展開。笑。
想像つくわ。
本当の真実とは何か、を教えているもの?
大地母神の存在を認めたアメリカのディズニーだから、深い意図があると思った。

結局、子供はかわいいものだから、呪いをかけたことを後悔して解こうとしたけど、
永遠の眠りは、どんな魔法でも解けないと言ってしまったからできない。
この場合の真実の愛とは、男女の恋ではなく、母性愛だったという話。

他にも、ジャックと豆の木や、面白くなかったノアの箱舟。
ロビンフッドやラプンツェルも見たけど、童話をリメイクしているハリウッド映画の中では、
この映画が一番、真実に近いかもしれない?ラプンツェルはアニメだけど。

この映画、最後は、ハッピーエンドなのですが、翼を失うと空を飛べなくなり、
人間と結婚する天女と同じような話とよく似ている。

ところで、似たような話で、翼を取られて早く走れなくなった伝説は秩父にある。
いきなり話が飛びますが、秩父の和銅黒谷で伝わっている昔話。
この翼を失うと魔法が使えなくなるような話は、どうやって生まれたのだろう?
数年前にも書いた内容ですが、再び、羽人についてこんな話が。

「羊太夫は、奈良まで(和銅を持って)毎日、天皇の御機嫌伺いに100余里の道を往復した。
太夫の乗った馬に小脛(こはぎ)という若者がついて行くと、馬は矢のように走った。
ある日、都への途中、木の下で昼寝をしている小脛の両脇の下に羽が生えているのを
羊太夫は見てしまった。
普段から「私の寝姿は絶対に見ないで下さい。」と言われていたので、
かえって好奇心が湧いたのだった。
そっと羊太夫は小脛の羽を抜いてしまった。そこからは今までの速さでは走れなくなり、
天皇の怒りをかった羊太夫は討伐されてしまった。」



※これは「羽人」といって、11.5センチ、中国江西省から出土。
玉器で貴族の日常生活で使用された祭器、礼器で最古の羽人像。

小脛とは(八束小脛)は神通力を持ち太夫を助けたとされ、山の知識に優れた騎馬民族ともいわれています。
このことから小脛は、羊太夫に協力した渡来人や蝦夷等の人格化ではないかとする説がある。

羽衣伝承とあわせるなら、白鳥伝説(天女)もある。
湖水におりた天女(白鳥)は薄い衣を草むらにおいて水浴びをしていた。
その姿をみた者が衣を盗み、天に帰らせないようにする。
仕方なく天女はその男と結婚をし、人間界で生きる。


※滋賀県余呉湖畔にある天女像

天女は、中国では仙女となり、西王母といわれている。
クンルン山脈に住んでいる女神。
半人半獣の姿で三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくる。
道教の影響により、西王母は日本にもたらされ、新潟県黒姫山にも西王母が住むという伝承がある。
ここは、翡翠がとれた所だから。

白鳥を家紋とする海野氏は妙見信仰だった。
白鳥座のクロスは、十字という。
また、羊太夫の羊が、「日辻」氏との説もあり興味深い。
辻の意味が、交差点の十字のことを意味する。
「迷える子羊よ」とかってキリスト教ではよく聞くね。
もしかしたら十字の交差点(方向)を迷っている人々に指して、イエスが問いかけているという想像が浮かぶ。

熊野の黒い鳥はカササギらしい。
白鳥と黒い鳥の八咫烏が混在する秩父。
それが原始キリスト教に関係してます。
その話をもたらしたのが、羊という人。
なので、私は羊という人は、秦氏関係のユダヤ人だったと思います。

善悪二元論-----------------------------------------------------

映画なのに、こんな深い思想が頭に入りこんできた。
果てしない妄想・・・。

アメリカなど、西洋では二元論があり、必ず善悪で記す。
善悪二元論は、よくない方向へ流されてることに。
必ずそれは、相反するもの。

基本的なこの世を示す時、客体と主体かによるのだという。
難しいけれど、感覚を通して見ることや知るもの、作ることは客体で
主体は、受け取る側によるもので、自分はそれをどう感じて受け取るかという意識にある。
なので、主体の世界の方が重要で、自分がもたらした結果、この世が完成されていると考える方が正しい。

神話の読み方も受け取る側により180度解釈が変わる。
神の名前がコロコロ変わるのは、受け取る側の人がみんな違う受け止め方をするからだろう。
また、古事記などの編纂も、「作られた歴史」だから、客体側の視点がある。
なので、勝者側の歴史だと言われる。それは、精神ではなく、単なる物でありBOOKにすぎない。
そう考えると、それぞれの神々の名前を明らかにすることは不可能だし、無意味なわけだ。

神話はその二元論を元に作成されている。なので、神話そのものが客体となっている。
主体で書くならば、悪いものを悪いとは言えなくなる。
悪を認めることは、自分が悪そのものになってしまう。
でも、本来はどちらも存在するものだから、悪は自分の中にもある。

なので人は常に葛藤する。
悪いことをしているとわかると、罪悪感がうまれるが、それが普通なこと。
しかし、人が歴史を語る場合、どちら側になるのか考えると、善悪の二元論が入り込む。
歴史を作るには、例えば、神社などの物を作るという発想。
作られた建築物は客体だから、封じると思いこむ人が出てくる。
そこに悪があるから、神社を建てるという考え方がよくない。だから敵を探すことになる。
また、物質社会の客体は自分が善だと思い込むから、悪いことをしていることがわからない。

それに対して主体は、例えば、山などの自然は人が作ったものではないからそこに悪も善もない。
ただ、存在しているだけ。それを「不変」といった。その象徴が富士山。

有名な話では、ニーチェはキリスト教の善悪二元論を説いたが、
その主張こそが二元論を認めていることになるという矛盾になったそうだ…

二元論では戦争反対は、戦争を認めているから反対すると考える。戦争には必ず悪が必要。
平和的思考とは、反対にはならない思考。
この場合、平和が主体となる人は、反対とは言わず平和という。

それで、古代人は主体側で世界をみていたと思う。聖徳太子の「和で以って尊す」
という言葉は、言霊だと感じる。ある人が戦争が起きないように、争うことなかれ、ではなく、和といった。
争うというと、戦争が起こってしまうから、平和や融合の意味の和と言った。
その言霊を後世、歴史書に残し、今でも使われる言葉こそ言霊として生き続いている。
そして、それを仕掛けた人がいたはず。
聖徳太子は、本当の大王だったと言える。大王の発する言葉が言霊だったのだ。
その聖徳太子とは誰か?は、ここではそれを問うことに何も意味がない。
言葉そのものが重要なのだから。


※セラフィム。ヴィクトル・ヴァスネツォフ (1885-1896頃の作品)。

セラフィムは、蛇で天に火のように空を飛ぶ天使といわれる。
ケルビムという天使は、智天使といわれ、旧約聖書にあらわれる中に、
東に回転する炎の剣とともに、ケルビムを置いたという。
よくでてくる回転する車輪は、中心に北極星がありその周りを天体が回っている思想でうまれたらしい。
それが日本に伝わり妙見信仰になった。

契約の箱の天使は、神の姿をみることができるというので、金細工の箱になっており、
それを智天使とよんだ。
しかし、ケルビムも黒い天使ともいわれている。
地獄の反逆者。黒い天使で、背中にある翼で地獄中を自在に飛び回る黄泉国の世界の審判をする。

この映画も、平和な精霊の国といえど、悪い部分もある。
けれど、人間の国は悪そのものであり、それを倒さない限り悪は消えないことも伝えている。
常に悪は存在し、それと戦うことが善であるといったアメリカの考え方は、客体側なのだ。
客体の思考を持つ者にとっては、悪は存在し、また倒さない限り消えないと思っている。
それに反して主体は平和を望む。悪は自分の中にもあるのだから、悪を消すことはできないと気づく。
その主体側の象徴をもつ日本。
この映画の公開は、アメリカと日本だけらしい。
ちなみに、アンジョリーナは、母方がイロコイ族の血筋をもってるそうだ。
まさに、妖精の女王にふさわしいと思う迫力ある映画。
それに、イスラム教の天使もユダヤ教、キリスト教の天使もほぼ同じである。
みんな同じ天から降りてきた。

映画もご縁だということが、わかった。
この映画を見ようと言ったのは、私ではなく主人だから、
やっぱり私よりパートナーの方がずっと精神世界の中で生きているわけよ。
私だったら選ばないもん。笑
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鬼の角がとれた鬼子母神

2016-01-17 | 神話・伝説
生まれてからずっと秩父から出ることがなかった友人が、晴れて東京で暮らすことになった。
仕事が東京なので。
秩父の横瀬、武甲山の麓に住む友人の家は本家で、代々、金細工の職人として有名な地主さんでした。
彼女の仕事もいわば職人のような仕事で、先祖から受け継いでいるものだったりする。

その家から出なかったのは、ずっと家の先祖を守るためであり、
若い時にご両親を亡くしているので、一人でずっと重荷を背負ってきました。

そんな友人が東京へ住むことになるので、近所に挨拶周りをしていたら、
何か通じるものがあるらしく、寂しい感情が湧きだし、とうとうお世話になった
住職さんまで泣いたそうだ。

そんなの田舎にしか通じない話だけど、山里に住むとは、そーいうことなんです。
今の時代でも家系を守るという武士みたいな女子もいるのだよ。笑。
やっと重荷がとれたか!と、喜んだが。これからは、自分のために生活するのだから、
軽くなったと言っていた。

横瀬は、そういう所なんです。
横瀬は落里と昔はよく言われていました。
山里に暮らすには、代々受け継いできたものを守るという意識がとても強い。
特にうちの地区は。
改めて友人の武士道な性格に、秩父人の気の強さを知る。

面白いことに、友人にもオラクルカードをひいてもらったんだけど、キーワードが金なんだよね。
先祖が金だったから?


(池袋ラシーヌ:おいし~いパンが食べられるフレンチ)
--------------------------------------------------------
さて、その友人とランチの後、お正月のお札を燃やすので、お札を奉納しに
行きたい所があるというので一緒に行ってきた。そこが、池袋にある鬼子母神だった。
これって、関東に多いのかな?
あんまり東北で聞いたことがありません。福島県二本松にすごい磐座があり、
鬼の伝説があるんですが、その鬼とはちょっと違って、元はインドからのようですが、
その鬼の角がとれて鬼でなくなったと。
そんな鬼子母神はたくさんあります。

鬼子母神を守護する夜叉で女神。ヤクシーの一尊。
象徴物はザクロ。



サンスクリットの「約束」「契約」のこと。
例えば、不動明王には剣を持っているのと同じように鬼子母神はザクロをもつ。
豊島区の雑司が谷(ぞうしがや)の鬼子母神は鬼の字に角がとれている。
このあたりは、東京音楽大学があり、また有名な文学者の墓地がたくさんある。
気の流れそのものが、黄泉っぽい感じなのですが、
それもそのはず・・・?
私たちが入口だと思って最初に御対面したのは、鬼門の北辰神の方でした。
妙見様からお参りしてぐるりと周り、鬼子母神に参拝する流れとなった。




(半分石が埋もれてる・・・)

鬼子母神の由来---------------------------------------

当山におまつりする鬼子母神(きしもじん)のご尊像は室町時代の永禄4年
(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、
山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、
星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、
東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。
東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、
ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、
その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。



その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578年)
『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。
現在のお堂は、本殿が寛文4年(1664年)徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常公の息女で、
安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され、
その後現在の規模に拡張されています。
昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年から54年にかけ、
江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われました。
鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、
もともとの来歴には深いいわれがあります。

(雑司が谷 鬼子母神のサイトより)



鬼子母神の伝説-----------------------------------------------

その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、
王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。



お釈迦様は、その過ちから帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。
その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、
「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、
その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、
その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。

当山の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、
吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、
とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い 「雑司ケ谷鬼子母神」と尊称しております。

日蓮聖人は御書のなかで「十羅刹女と申すは10人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。
また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり」と述べられ鬼子母神を重視されています。

もともと鬼子母神信仰は平安朝の昔から一般的な信仰としてありましたが、
法華信仰に生きる者、日蓮宗に属する者にとって、
鬼子母神はただ単に子供を守る神であるばかりでなく、
信者・宗徒の外護神として崇められています。




ザクロ--------------------------------------------

ザクロの原産地は、イラン高原中心の小アジア~西インド。
1200万年~100万年前からすでに自生していた。
日本には10c~11cに到来。ザクロの象徴は「赤」で「血」でもある。
リンゴと同じようにザクロを禁断の果実とする地域もある。
血の浄化の働きをする。
ギリシャ神話のヘーラという女神は、オリンポス12神の1柱。
天界の女王でザクロを手に持つ。
子供を喰らう鬼女は、インドより伝わったようですが、
子を食べる変わりに、ブッダがザクロを与えたことで鬼は変わった。
この鬼とは、幼い子供を襲う病魔のことです。

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オラクルカードとアボリジニの神話

2016-01-15 | 神話・伝説
思索の森を歩いてから、少し何かが変わった。またちっと変性意識状態みたいな。
あんまり違和感はないんだけど、変な感じ。
そして、また変な夢を見た。
やっぱり?プレアデス。
それで、プレアデスは音だという。
音楽や芸術のことかもしれない。

てなことで、森歩きって、やっぱり面白いな~。
今年もまたいろんな森とお付き合いしたいと思うのよ。
心身共にパワーアップして東北探訪を数倍も楽しくしたい!
そんなことを考えていたら、ふっと思い出した。
ずっと前に友人から頂いたオラクルカードがある。
英語の解説でほとんど使っていなかった。
自己分析に役立つオラクルカード。
で、試しに、もっとスピリットな楽しみ方をするにはどうしたらよいか?
と思いながらカードをきって3枚ひいた。
オラクルカードにはあんまりルールとかないので、自分のやりやすい方法でカードを選びます。
過去、現在、未来という風に、3枚ひいたら、面白い結果に。
やっぱり…、と思った。



過去がイナンナ。
現在がアボリジニ。
未来がカップを手にした男神とでもいうべきプリンスだ。

このカード、世界の女神が入っていて素敵なんです。ウケモチとかイシスとかもある。

それで、このカードの説明によると、Lessonとなる学習すべく今後の4枚目をひくようになっている。
なので、もう1枚ひいたら、プリンセスだった。
やっぱり。
私は男性性が強すぎるので、女性性を高めなければ…という結果。
もうずっと前から言われてること。



だから今年のテーマは、男女神を祀るところを辿ることになるわけだ?
これは、物資文明から精神文明への転換も表していると思う。
なので、プリンセスがでたのだから、再び母系社会への到来!?
明るい未来だと信じよう…無理矢理。
そう考えると、年明けから同祖神なんだよね。そんな流れから森歩きして、
まだ1月半ばなのに、男女神がたくさん現れる。

ところで、伝説好きな私は、アボリジニのカードをひいて「?」と思った。
始めて聞いたWawalag。
私の今でもあるし、現在の世の中を示していることもありそうです。
これはどーいう意味だろう?

ユルルングルは虹蛇-------------------------------------

ユルルングル(Yurlungur)は、オーストラリア南部のアボリジニ、ムルンギンの(Murngin)
の人々の神話に登場する銅の体を持つ蛇。
聖なる泉「ミルリアナ(Mirrirmina、岩の錦蛇の背中)」に棲む。
ユルルングルは、彼の子孫でもある姉妹(WawalagまたはWawilakとして知られる)の姉が
泉に経血をこぼしてしまったことで長い眠りから覚める。
泉から出るとその勢いで洪水を起こし、ユルルングルはそのまま姉妹と
その子供たちを飲み込んだ。その後にヘビが集まり会議が開かれ、
ユルルングルは子孫を飲み込んでしまったことを告白し、彼らを吐き出すことを約束した。
ユルルングルが彼らをアリ塚に吐き出すと、ユルルングルの魔法のディジュリドゥが
ひとりでに鳴り響き、アリが姉妹と彼女らの子供を噛み彼らは蘇生する。

父なる蛇であり、天候も司るとされる。彼の声は雷であり、彼の住まう泉は虹色に輝く。
そのため虹蛇としても知られる。アボリジニの中でヘビ(ニシキヘビ)を信仰する習慣のある
部族はどれもヘビと天候、特に雨雲を結びつける考え方を持っている。
ユルルングルの神話が元になり、アボリジニの儀式では嘔吐が一人前の男になるための通過儀礼となった。


また、この蛇は「虹蛇」といわれる。
雨乞いは日本にも多い。
アボリジニも雨乞いはあり、蛇を信仰する部族は蛇を天候、特に雨雲を結びつける考え方をもっている。
創造と雨を降らすのは、巨大な蛇であり、天候の虹に関係すると考えられている。
オーストラリアの他、北米、西アフリカの神話に虹蛇が登場し、虹は「虫」偏なので、
中国では虫が竜の一種だとみていた。

アフリカの創造母神マウウは、大地を支えるために海底でとぐろを巻いて、
時々、解いて自分の体で空にアーチをかける。
これを虹蛇という。
そして虹蛇は雨を降らせ、もし干ばつが続くようなら、それは虹蛇が眠ったまま
目を覚ましていないことを意味する。


まるで、クンダリニーのような、ミシャグチのような。

ちょっと脱線しますが、クンダリニー症候群というのがあるそうだ。
何かのきっかけで覚醒が起こってしまうというものだが、
統合失調症は、クンダリニー症候群と症状のうえで重なる点があるらしい。
ま、似てるってことだ。
「男性よりも女性に」「若い世代ほど」経験者が多いといった調査結果も存在する。
というのだから、興味深い。
へ~。

そういえば、鬱(うつ)という漢字にも深い意味がある。
「漢字語源辞典」より、「木の叢生するなり」ウツとは南方に産する香草で、
その葉を煮て酒にあえ、香気をこもらせる。
ウツであえた香酒を、鬱チョウという。ウツの原字は、
「臼りょうて + 缶かめ + ウツ + 彡かざり」の会意文字で、
その略体に林をそえたのが、鬱の字である。
上から抑えて中にこもらせる意を含む。
鬱陶ウットウと熟する。日本語の「ウットウしい」はその借用語である。」



私はこの語源の由来に、森の中で祈祷をしていたシャーマンの由来(巫女)があると考えます。
象形文字は、その姿を漢字にあてていますが、お酒を作る時、縄文時代から行われた一つに、
「ミシャグ」がある。「ミキ」の転訛。
女性が粟や米を噛んで吐き出し、醗酵させてミシャグを作った。
それを「カン(噛む)ミシ」といった。それが転じてカムイやカミになったと思うのですが、
この方法は、台湾、ミクロネシア、南米の原住民に分布。
稲作が伝わる前の稗、粟を食べていた風習による。この伝統は石垣島の八重山で続いているそうだ。

シャーマン(巫女)が森の中で酒を作りながら、薬作りもあるが、そんなうっそうとした
煙っぽい様子を、渡来系の人がみて、漢字にあてたのだろう。

なので、うつ病など、社会不適合者などと云われるが、そんな事はない。
こんな複雑な気難しい現代に適合できる人間なんていない。
本来は自然の中で生きていたのだから、個々が大活躍する時代でした。
なぜなら、狩猟は常に動いて獲物を追っていないと捕まえることができない。
障がいではなく各々の個性と捉えるならば、直感的な判断があったから、命を守ることができた。
今は、自然じゃなくて機械に守られているから、のほほんと麻痺しながら生きている。
狩猟文化の消滅は、獲物を捕まえることができなくなったからでしょう。
人間は都合よく進化したというべきか・・・。

話を戻し、雨乞いは龍である。
アボリジニでは、蛇を目覚めさせるために騒いで儀式(雨乞い)を行うという。
ただし不用意に蛇を怒らせると、大地を叩きつけあらゆる災害を起すといわれる。

オラクルカードの絵は、泉がみえている。
雨期になると泉から姿を現し、雨を降らす虹蛇を待っている姿。
アボリジニでは虹蛇を「エインガナ」とよび、全ての水、動物、人間の母の意味がある。
無限の砂漠に横たわっていたが、それに飽き、地上に存在する全ての生き物を生み出した。
エインガナは、全ての生き物につけられている紐を持っており、それを手放すと、
種族は死に絶えるという。


まるでへその緒のような話。
まさしく大地母神のエインガナ。
今年こそ、龍の到来になりそう。目覚めた龍たちが騒ぐ。

-------------------------------------------------------------

ところで、アボリジニの人々は、遺伝的にアルコール耐性がないので、
非常にお酒に弱く、少量で泥酔してしまうそうです。
神話には、例えばヤマトタケルの伝承のように、お酒を飲ませて酔わせる戦術がある。
インド~東南アジア、南国のポリネシアン、オーストラリアでは、サフール人といい、
黄色人、黒人、白人とことなる人種である。
このような人々も他の人種により支配された歴史があると思う。
青人と赤人のいずれかが、オーストラロイドにあたるのだろうか?
アボリジニの人たちは子孫を残さないと宣言したことを聞いたことがある。
残念ですが、それで良いと思う・・・。

また、アボリジニの人たちの間では、夢の世界が生きていることで、真実であるという。
目覚めている生活は、幻想であると。
どんな目でアボリジニの人たちは、世界をみていたのでしょうか?
私たちのような現代人とは違う色でみていたはず。
ネオンのような人工的な光でなく、自然の虹色をみていた世界。
そんな目で世の中を見てみたい。

さて、大地母神。
そんな繋がりのあるお参りをしてきた。
これも先週の話なんですが、東京で母神に会う。
やはり、今年は大地母神。龍の目覚めに期待!
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思策の森を歩く in秩父 その2

2016-01-12 | 秩父周辺の山々
横瀬の奥宇根は、上野台とよんでいた。実家周辺は、小豆台。
中郷は、下野台。奥宇根を上とよんでいたのは、武甲山に近いので、カミとした。
そこには彫刻が立派な八坂神社を祀り、宇根の八坂神社では傘鉾をひいた祇園祭りがある。







そう言えば、サルタヒコは、椿神社に鎮座する。椿を都波岐とかく。
そして、椿は瀬織津姫との説。
やっぱり、瀬織津姫なんでしょーか?あんま、この言葉は出したくない。
変な人が商標登録したせいだ…
完全にこの言葉は力を失ってしまった…。
そういえば、カヤは十一面観音様を彫る時に使われる木だった。
その木がよく育つ森とは、どーいうことかね?


(大蛇窪のあたり)



さて、天王様がこの場所に祀られたのを、現在は下に移している。
ここから先をしばらく歩くと、おきうねの出口へ。



途中、イネハポみよさんが、古銭をひろった。永楽通宝かな。
みよさんの手の指が光りすぎ!
指から何かエネルギーが出てるのって、こんな感じなんだね…?



おきうねから下りるのも良いですが、分岐してるところで木の間へ出る道もあります。
木の間の地名由来がわからないのですが、ここからも武甲山が真近にみえます。

そして、ひゃくいち田んぼ。
数えて百だと思っていたら、立っている田んぼを数えてなかったから、一足して百一だとか。
昔、ここまで落人が住んでいたそうです。父の話から立派なお屋敷だったようで、
今は家はないですが石垣だけが残っています。



ところで、年明けから夫婦神が気になっていた。
イネハポの話で武甲山は、シバ神の信仰だったー?!という話。
でも、それってジワジワと納得できる。
だから、牛頭天王として疫病祓いとなる。武甲山に塞がれているから、ここから先は行けない。



ここまで疫病がきてもらったら困るから疫病祓いがうまれる。
その力は武甲山がもっていると考えられていた。



(二子山と三角山)

そして、ここでまた椋神社との関係を思わせるような話がある。
それは、十日夜という行事が秩父にある。これは全国にあるそうで農耕が始まってからだとされる。
この行事は吉田でもよく行われていた。
しかし、気になるのが、それを「むぐら(もぐら)追い」と言っていたこと。
モグは、椋のムクからきている説もある。高麗語で村という意味。
もしかして、むぐら追いとは、高麗と関係する?渡来人が疫病をもたらしたと考えてしまうのだが。
元は早くにいた先住民やアイヌ人が住んでいたムクを高麗の渡来人が、ムグとよび、椋にした?
やっぱり、私は牛頭天王のスサノオは、渡来系がもたらした神だと思うのです。
牛頭天王の蘇民将来の伝説が、韓国のムーダン(武塔神)の由来と繋がる。
十日夜は、毎年、その年にとれた藁で藁鉄砲とよばれるものを作り、歌をうたいながら、
田畑のあぜ道を打ち鳴らす。
スサノオが蘇民将来に教えた茅の輪をくぐれば、疫病から逃れられるという伝説は、
スサノオは渡来人であったが、先住民にその方法を教えたという妄想。
またケルトだと藁ではなく、丸い石をくぐる所がある。

※十日夜(行事歌)については、こちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/d1b5077ab6e8b280aee7bc9486f3ce36



シバ神に話を戻しますが、男女の融合神で、観音様も両性なんです。
だから、武甲山がシバ神であるから牛頭天王となり、札所観音霊場が置かれた。
そのシバ神はヒマラヤなどいろんな山に鎮座するのですが、私が一番気に入っているのが、マナスル。
それがシバ神の鎮座する山なんです。だから私はマナスルに惹かれるのか、と思った。
シバ神を信仰している人々もいたかもしれない。
インドには目を向けていなかったが、それから仏教へと流れるのだから。
その山と武甲山が同じであるなら、納得できる話。それに多神教のヒンドゥー教ときた。
女神は、パールバティで黒い肌をしているのを、金色に変えられた話がある。


(シバ神が住むといわれる聖山カイラス:武甲山の山頂の形に似ています)


※友山クラブの加藤忠一さんより、カイラスの写真。(ご本人の許可を頂いております)


(武甲山)

カイラスが最もな須弥山です。
また、私はネパールというと、ネワール族が浮かぶ。すごい彫刻芸術なんです。
ネワール族は芸術そのもの。歌や踊り、音楽を楽しむ人々と言われます。
また、ここにも諏訪湖のような想像が浮かぶ、湖伝承がある。
かつて大きな湖があったが、文殊菩薩が山々を切り開き、水を外に流して住めるようにした、
という治水工事のような話。
ある話では、諏訪湖に住んだ人の中にネワール族もいた、と。
諏訪湖がその湖に似ていたからと言われ、スワナンブヤートのスワからとった?とか。
ネワール族は4世紀頃で、独特なクマリという処女神がいる。

秩父札所観音霊場は、導かれて来ている人も少なくない。それも先祖の計らい。
そういう設定にしている札所巡り。
秩父札所観音霊場と横瀬の里に熊野信仰が関係している理由は、江戸時代の舟乗観音があります。
芦ヶ久保に舟に乗った木彫りの聖観音がある。元は日向山にあった。
芦ヶ久保の茂林寺の船乗観音を1番とし、懺悔堂ともいわれ、ここで懺悔してから札所を巡る
ようになっていたそうだ。
懺悔は、妙見信仰の特有の儀礼だという。
熊野那智より観音の住む島である補陀落山の渡海入定ことを現すとされる。

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先祖がどこからやってきて、どんな思いで森を見ていたのかを考える時、自然と武甲山に目がいきます。
横瀬は、南を遮るように武甲山がある。どうしても武甲山を向いてしまう。



何かを思う時、いつも武甲山を見上げてしまう。
思索の森とは上手く言ったもんで、武甲山を思う森になっている。



この森がある限り、不滅だと思った。武甲山から自然が失われてもここには残っている。
カヤがありモミがあり、光に向かって新しい芽を伸ばす小さな命。
杉は一層高く背を伸ばし、風を頼りに鳥が鳴く。



目の前の武甲山を見上げ、私はここでこうして生きていると、そう言える人間の正直なところ。
どんな祖神であれ、祠がなければ森があるだけ。



また、言葉は伝承されて残されました。
ケルトも縄文も同じで、文字を書くと力が弱くなるからです。
言霊は言葉を発する霊力。それは、本当に必要な人にしか伝えないものでした。
ケルトでは水晶を使って保存されてきました。レムリアもそうです。
でも、日本には日本語という言葉があり、その言霊が全てです。
とか言って重要なのはわかるけれど、まだまだついていけない・・・。
物で祀ることに何の意味もありませんし、カミは自分の内にあるのだから、それに気づけた事。
それがとてもうれしい。
これからは、自分自身のための救済になりそう。それが全てになる。
精霊は気づくまで、森を歩かせる。
やっぱり私はグリーンウーマンだ。笑。
次はどんな森かな~。

※思索の森への道。
妄想したい人にはオススメ…。



★森への道~
横瀬駅下車。
お土産屋のあるお店すぐ横に地下道がある。地下道を上がり右へ。
途中看板がありますので、左へ進む。
ちょっと行くと左に民家の間の狭い道があり、森へ入る。
山を上がると鉄塔あり。道なりに登るとお天狗様。お天狗様からは正面下り、
ハイキングコースになってます。所々看板があるので、迷うことはありません。
お天狗様~おきうねまで、約1時間くらいです。
芝桜と合わせて歩くことをオススメします。
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思索の森を歩くin秩父 その1

2016-01-11 | 秩父周辺の山々
横瀬には武甲山を囲むように、猿田彦神3社、愛宕神2社、天王様1社の計6社を祀る。
その道を「思索の森」と呼ぶ。



論理的に筋道を立てて考えることを思索というが、なぜこの名前になったのかは、わかりません。
ですが、どんなことに思いふけるのか。そんな森歩きになりそうで、ワクワクしてくる。

さて、今年は申年だから、サルなのだ。サルタヒコに導かれて久々にゆっくり横瀬に帰省。
お天狗様までは行ってたけどその先の森を歩いたことがない。


(お天狗様)

いつの間にか、思索の森という看板ができていることはずっと前から知ってましたが、
ようやく歩くことができた。
しかも、2日連続この森を歩くとは!まずは父と。
2日目はイネハポと。やっぱり、気づくまで歩かされるとは、こーいうことか、と。
それに思索とはよく言ったもんで、かなり深い思想になった。





ここで生まれ育った者にとって、地元の里山は知っているつもりでいたが、
全く初めての未知な森だった。
未知は道だから、歩かないことには道ができない!
そして未知の世界から、知識の森に変わるのだからスゴイ。





また、武甲山麓の小さな森に、こんなに大きな木がたくさんあるとは。
ヒバなどのヒノキ科やイチイなどは、よく育つ。
冬でもよく日が当たるからでしょう。樹齢は300年近くありそうな木も。
それが、カヤなんじゃないか、と。
モミにも似てるが、カヤらしい。葉を見ると。樹脂はモミっぽいが。
こんなに大きく成長しているのは珍しい。







それにカヤは縄文の森だ!
だから、猿田彦神や八坂神社や天王様や、スサノオやら。
いろいろな先住民の智慧が蓄えている森だったわけで。すごく楽しかったし、癒されました。
それに、ほぼ手付かずなので昔のまま、そのまんまの森。





お天狗様過ぎて杉の森が、何となく心地よい。暗いけれど嫌な感じが全然なくて不安もない。
途中、光るものを見つけてよく見たら、大きな根が。
思索の根っ子。どんな思いが浮かぶのか。恐竜みたいな顔してる。
これは、根が上になってひっくり返ってるみたいですが、なんでこーなったかわかりません。





この森から昔は武甲山へ登っていたと聞く。
ほとんど岩をよじ登るクライミングになりそうですが。修験者は忍者だね。



修験の道には、必ず地層がある。
地層が直線上に現れている先に、愛宕神が祀られていた。



武甲山ほど古くはないが海底から隆起した地層が埋まっており、海の水神だから、
火神の愛宕神を祀ったと思います。
9区は立派だね…

愛宕神の由来
「御祭神は、この大八州日の本の国を肇め給ふ神の御子、迦具土の神、火の神を
司り人の心を清める神と伝えられる。
当社の起源は遠く中世戦国時代に甲信越の諸将の絹の地、秩父を窺う時、
横瀬七郷の諸士は合力し根古屋城を築き、この城の前面一帯を外縁の守りとし、
山頂に火の神を祀り砦となす。
この故に敵の来襲・火難にあうこともなく年々崇敬して四百有余年、神助を得て
幸運の郷土を受け継ぐことができた。」




まるで地層の道が、神の道のようだ。これも武甲山からの名残。
何か生き物の背骨のように緩やかな線を描いて伸びている。



さて、なぜ猿田彦神を祀るのか?
東北では、塞神にアメノウズメとサルタヒコを祀る傾向があり、それをサヘノ神ともいう。
境を引くとき、大和側は男神、エミシ側は女神といったように。
女神は先住民のことを言ってるのかどうか。ただ、アメノウズメは、
渡来してきた女性になっていますが。

男神は天の神で、女神は地の神。
大地母神の母神を父神と同じように崇めることで、弥生と縄文の融合の意味があったと、妄想します。
なので、猿田彦命を祀るのは、先住民のいた古いムラがあったことを示していると思う。
それが母系社会だったのでは?

その先住民とは、アイヌ人だったでしょう。アイヌ語から秩父の地名はたくさん読み取れる。
あまりアイヌ語からの変化がないので、そんなに政略したような歴史はなかったと思います。
例えば、武甲山の山名由来は、「ムコウ」から来ていると言われます。
武甲山をアイヌ語で考えると、ムクやムコには、塞がれたや、さえぎるような意味がある。
また、私は猿田彦命を祭神とする埼玉固有の椋神社(むく)が吉田に集中しているのも
アイヌに関係しているような気がするのです。
ムクが、アイヌ語の塞神であるから、猿田彦命を祀るとするなら、椋神社は塞ぐクナト神なのです。
それが椋という漢字に置きかえられたのだと思います。
東国征伐に来た時に国境を置かれ、早くから吉田にアイヌのコタンがあったから塞神をたくさん置かれた。
黄泉としてのクナトは、禊の地に。秩父は禊の地とされた。

吉田には、女とつく地名がいくつかあり、女のオナがオオやオオタに変化した説もある。
アイヌ語では、女が大きいことの意味があり、中国雲南省の母系社会でも女の意味は、
大きいや親のような大きな存在となる。
大きいから大田や太田になったとも考えられます。
そんな女の母系社会から水神を奉ることになったと思います。

※秩父アイヌ語、縄文語地名考:中澤道三より参照。



そうなると、吉田は中心的なアイヌの里であったと思うのです。
ヨシなどの地名も、悪い湿地帯を悪アシにするのは良くないから、
良い言葉に置きかえるのはアイヌ語の特徴で、宮城県北部の吉田川も、
アイヌのコタンがあった場所です。

有名な秩父事件も、椋神社で結集します。
秩父事件の主は、北海道へ逃げてアイヌ人に助けられます。
母の祖父は秩父事件の時、屋根裏に隠れて東京へ行ってると嘘をついていたそうです。
一揆に参加すると捕まることもありますが、母の実家は養蚕をしていたわけではなかったからです。
でもほとんどの家が一揆に参加したそうですが、
家族はどんな思いで送り出したのでしょうか。

その結束する秩父人の性質は、とても頑固です。よく言えば我慢強くじっと耐えるのですが、
怒ると旗をあげ戦闘態勢に。それも元は土着した武士だったのだから、
相手が政府であろうと構わない。
エミシ征伐も、そんな秩父人気質が買われたこともあるでしょう。
実際、武蔵からたくさんの人が陸奥開拓に来ているわけですから。

秩父は、厳しい環境で土地も貧しい場所での生産は、養蚕しかありませんでした。
秩父銘仙を生んだ機織りの女性たちは厳しい環境で働かされたようです。
ほとんど実家には帰れませんでした。自殺もあり、貧しいことは、やはり苦しいものです。
そんな秩父の歴史があるから、武甲山のセメント開発は、村人にとって大変有難い救済だったのです。
母の実家にも昔、蚕部屋があり、秩父は桑畑が広がっていました。
その聖なる山が吉田からは、向こうに見える武甲山であった。



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さて、違う視点から秩父を読みとる。話がちょっとズレます・・・。
森の話ではないので、歴史に興味ない人はスルーして下さい。
次回も森の続きを書きますので~。

なぜ秩父は天皇ゆかりの地なのか。秩父神社は、天思兼神を祀っており、
以前に伊具の古代史で妄想してましたが、壱岐島に繋がる。
811年大日本国一宮記には壱岐島の天手長男神社の祀神は、思兼命を祀るとある。

他に天手長男神社(壱岐島)の祭神に、アメノウズメが祀られている。
天手長比売神もある。
それが、塞神としてのサルタヒコとアメノウズメが重なるのです。

秩父に海の信仰があるのは壱岐島から諏訪を渡ってきた氏族がいた。
壱岐島にある天手長男神の碑が、秩父長瀞の簗瀬神社境内にありますが、
壱岐島の手長男神社には、物部布都神社を合祀している。それを物部村という。
これは、長瀞にも石上神社というフツヌシの剣を祀ることからも、同じ氏族であったと思います。

また、秩父長瀞?の岩根神社にも天手力神というのを祀り、養蚕神もある。
タケヌナカワが濃霧で迷ったときに、大山津見神の使いである巨犬に導かれ、
大山津見神社を祀ったとされる。これは、福島の大山津見神社由縁と似てる。
後に、ヤマトタケルが剣を奉納したと。武甲山にもヤマトタケルが兜を奉納、
白鳥神剣社を置いているが、長瀞と横瀬の関係が見えてくる。

タケヌナカワは、会津の地名由来で越国からやってきた父と武蔵にいたタケヌナカワが
出会った場所。大彦命とも。
それから、会津~福島~伊具まで思兼命を祀る痕跡が残されている。
それが手長明神を祀ることであり、ヤマトタケルや坂上田村麻呂などの伝承は、
巨人説の手長明神の東国進出を鎮圧するために作りあげた神話になっていると思うのです。
その手長明神は、福島の鹿狼山にも鎮座する。

手長足長伝説は巨人で貝塚に住んでいた話ですが、島に住む手の長い人のことで、
宮中で酒宴などの膳を運び取り継ぐ人でした。
神に仕えていた人であり、蝦や猿、島、蛸といった生き物の言葉であるとされる。
これって差別用語にも聞こえる。
なので、猿田彦神もサダルという導きなのに、猿にされてしまったところ、
全く関係ないとは言えない。

手長足長については、長いですが長瀞の話で妄想してます。
こちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/7772ec648a30d6e3a11c65e1492de94a

横瀬の森は、神奈川方面から飯能~横瀬に入る時の塞神として、古御嶽城が建てられたと考えられます。
石碑しか今はありませんが。
長瀞の荒川~横瀬川を上り、端の根古屋にやってきたので、猿田彦神を祀ったのでしょう。
要するに、その当時は異国だったわけです。まだ支配が及ばない地域の境。
だから塞いでいた神としての猿田彦神があるわけです。
セットで置かれている愛宕神や八坂神社は、ヤサカトメで諏訪の女神?または、アメノウズメ?

そこに、熊野修験者がやってくるのですが、秩父が天皇家に深い理由の一つか、と。
ホツマツタエにワカヒコが出てくるのも気になるところ。


(看板の熊の方が怖い。笑。)

これは、妄想ですけど、猿田彦命=手長足長神=高倉下。なのかな、と。
なんで高倉下だと思うのかは、高倉下が元は正統な天皇だったという話を聞いて。
なので、高倉下が神剣をもつにふさわしかった。それが天皇の証。だから剣を祀る。

また、私はサンカの多治比彦が気になる。
以前に書きましたが、サンカは蝮のことで、多治比彦のことをいう。
多治比彦は秩父平家にあたり、天皇の系統をもっていると考えられます。
サンカ用語にある「ウメガイ」は剣(刀)を隠すことを意味するという。
山刃というウメガイは、他人に見られることはタブーとしている。それは、薙の神剣に似ているそうだ。
長瀞の「梅ケ井」は「うめがい」という。
ここに祀られているお社に剣が奉納されている。(木ですが)
サンカのウメガイの剣が、正当な天皇を記す剣のことを言っているのではないか?と思うのです。

それが手長神と繋がるのかは、東北では手長神は鬼のように悪い解釈をされる伝説が多く、
仏法で鎮める話がある。
特に鳥海山は。鳥海山は手長足長が住んでいたと。
ここにニギハヤヒが降臨したと言ってるのは、ニギハヤヒを祖とするウマシマジという物部氏が、
手長足長神がニギハヤヒ=高倉下の系譜をもっていたから、
高倉下の剣を奉納したことを伝承したものではないか?

物部氏は仏教じゃないから、仏教で鎮められた話として伝わるわけ。
ちなみに物部氏は、ユダヤ人だと思います。正しい日本語を理解し、
言霊でもって祝詞をあげることができた今とは違うユダヤ人。ノルの祝詞。
諏訪の守屋を名乗ったのは、洩矢の先住民を継承するためらしい。



海人が敬う神武天皇に変わったのは、高倉下が正統だと知っていたけど、なぜか神武天皇にすり替えられたのかもしれません。
海人は、渡来してきた人だと思いますが。
その高倉下を敬うことをしていた中に熊野信仰も入っていたのだから、
天皇の由縁がある場所に来て、祀ることをしていたのが熊野修験なのかもしれない、と思う。
だから、秩父は手長足長神と関係しているから、秩父神社にそれを祖とする思兼命を祀るのだと思います。
手長明神も、諏訪の思兼命とつながります。
それが高城や高と名のつく地名由来にもなっている。
それに、高倉下は弥彦神社にも祀られ、名手栗彦とも言われる。
ヤヒコは、彦だから、天皇という説。やはり日本海なのだ。

辺境と言われた秩父は東北と同じように隠れ里でした。
しかし、その先には大きな武甲山がそびえ、南を塞いでいるから行き止まり。
武甲山を超えるか、迂回して奥秩父へ回るようなルートになる。



思索の森は、武甲山を囲むように根古屋~宇根~浦山へ向かう道となり、
後に、平家が落里となるのも、その由縁でしょう。
また、平家も平と名乗るのは、よくわかりませんが、
本物の聖の地を守るためだったと、思います。


(おきうねの方へ降りる)

相当な妄想が広がってますが、地元ながらの直感もあり。笑。
次は、サルタヒコだったお天狗様から、なして天王様なのか?
牛だね。
続く~。


蝋梅が見ごろ。
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栃木の多氣不動尊

2016-01-06 | 神話・伝説
昨年の宇都宮の話ですが、多氣不動尊へ。
多気山は、宇都宮にあり標高は350mくらいですが、2年前?だったか行ったことがあって、
不思議な所だな~と思い、また行きたくなりました。





多気の由来は、田下という地名からだそうですが、長けるのタケルから、タケ→岳、嶽の意味になったそうです。
滝のタキがタケになったような気もしますが。
そんな水ぽい気が多い不動尊を歩くと不思議です。


(かわいらしい大黒様)


(恵比寿様)

いろいろなモノがおります。
なんか日光ぽいな、と思ったら、日光開山した勝道上人の弟子が多気不動尊を祀ったそうです。
8角の紋様から雰囲気が瀧尾神社のミズハノメに似ています。
亀の甲羅みたいな。







剣もありカエルも鶏も。伝説上の生き物たちが勢ぞろいの中で階段を上がると本堂に到着します。


それに弘法大師の堂もある。
ここでも金がとれたのでしょうか?


(弘法大師堂)

多気という名前に変えたのは、昔、多気城がありそのお城には不動尊を祀っていたので、
多気にしましたが、漢字を同じにするのは恐れ多いとの事で、多氣にしたと伝わる。


(八角紋)

出雲の横田にも多気神社がある。
以前、陸前高田市横田町の瀬織津姫を書きましたが、
やはりここも金のルートに関係していたから、水神を祀っていたのだな、と思います。
出雲の多気神社と関係するのか不明ですが、出雲にもイタケ(威武)の神があるから、多気となった。
由縁より、
「威武(イタケ)の神、邪気、怨霊折伏の神として鬼神伊我武大明神と称えられたとあり、
地域支配の各武将が寄進している」
寄進とは?
出雲国仁多郡小国里 鬼神大明神縁起一巻
出雲国仁多郡横田荘小国里 上宮船燈山鬼神伊我多気
大明神者素盞鳴尊五十猛神也 延喜式云五十猛陵地伊我多気社是也など。
よくわからないが、鬼神。

どうも出雲の多気は、スサノオと五十猛がソシモリから到着した時の峯に鎮座し、
ヤマタノオロチを退治したことになっており、砂鉄を含む花崗岩のある磐鞍があるそうだ。


(断層)

また、多気とは逆に読む「気多神社」もある。
日本海に多いのですが、大己貴を祀り、こちらも出雲から大己貴が日本海へ渡り
蛇を退治して祀ったとされる由緒あるお社。
ケタとタケは、沖縄で用いられるサダルのサルタみたいだ。
琉球語で「導き」の意味があるサダルの音韻が転じて?サルタになったから
サルタヒコとなったという説。他いろいろありますが。
今年は申年なので、サルと何かご縁がありそうです。



タケを人物としてみるなら、ヤマトタケルの武だが、クマソ(熊襲)の猛々しい意味の猛=タケかもしれない。
熊襲のことを、イタケなどと呼ぶ場合がある。
私はイソタケルのイタテになっていないか?と思ったりする。
宮城県にありますが、フツヌシを祀る伊達神社のことをイタテという。
東北で訛ってイタケがイタテになった?と、なると出雲?
この人たちが日本海に上陸し東北へ入ってきたなら、しっくりきます。
また、スサノオも日本海に上陸し、それ以前に出雲と関係しているならば、
龍退治はスサノオといわれた男神で、別の渡来人がもたらした神だと思う。
スサノオは出雲などのタタラと交友関係をもっていたけど、
結局は失敗?してその怨霊を自ら祓うような役目にされてしまったような気がする。
それがエミシと交友関係をもっていた坂上田村麻呂と似ている。
やたらと東北には坂上田村麻呂創建が多いが、やたらとスサノオ由来の寺社も多い。

またタケは、植物で妄想することもできる。
宮城県箟(のの)岳は、黄金がとれた場所ですが、坂上田村麻呂が竹を逆さに刺したら枝が生えた話がある。
逆さにするのは、何かを葬る時に逆さにする習わしがある。北枕のように。
それから竹を弓として作ったことから、箟(のの)は竹の意味があるとする。
竹も、多気の由来との説もあるから、何となく繋がってそう。
竹の語源は、高い(タカ)や丈(タケ)と同じで高く伸びるもの。
縁起がよいとされるのですが、朝鮮語ではタイとよみ、和語として「高」となった。
タイは高いで、ケが木の意味があるから、タケ=竹になったと思われます。
ちなみに、仙台の伊達家は、「竹と雀」を家紋としている。



九州~日本海~東北にやってきた熊襲(クマソ)だとして、
その人々をタケと読んでいたから、タケを逆さにしてケタとよんだ。(倒語)
言葉を逆さにするのも呪術の意味がある。
それが気多神社になったなら、興味深い話です。
また、熊襲征伐と考えれば、のの岳の坂上田村麻呂の鬼退治に繋がるから鬼=出雲かクマソともいえる。
いずれにしても、水のある場所は祓いを行う。
それだけに強い霊力が隠されているのだから、その力にあやかりたい僧侶がたくさんいた。
その人達が仏教をもたらしたわけですが、そのルーツはインドかもしれないと思う昔話がある。

栃木県では足尾銅山があるので、足尾神をよく見かけます。
日光開山した勝道上人の話がありますが、出羽三山の稲と白キツネではなく、
こちらでは白ネズミの話があります。
ネズミは神話の中で、大国主がスサノオから試練を受ける時にも助けます。
五行説の意味があり、稲が地下から目を覚まして芽を出す過程を伝えた農耕の由来もある。


(足尾神)

焼畑などの狩猟を行っていた人たちに、農業などを伝えたのが出雲だったのだろう。
神話ではスサノオが出雲を建国しなさい、と大国主に伝える。
それにネズミを神としているのはインドで、ガネーシャ(象)の乗り物がネズミ。
インドの神話では、退治された悪魔がガネーシャ神によって姿を変えられた話。
暗闇を象徴しているというが、
巨人から小人(現代人)に政権交代した話もあると思う。全てが小型化された。
手長足長の巨人説、ダイダラボッチの伝承がなぜ多いのか?
実際そういう2m以上の人たち、いやもっと3m以上かもしれんが。
やっぱり古い時代にいたわけです。その後ネズミのような小さい現代人が現れた。という妄想。
大国主は巨人だったと思います。
「進撃の巨人」というマンガがありますが、ちょっとだけ読んだことがあります。
気持ち悪っ!な話ですが、あんなに変な巨人じゃないけど、普通に大きい人が夢に度々現れます。
ビルより高い人たちなんだから・・・笑。
まあ、身長の高さよりも精神的に高い人だったか、天空の城ラピュタのように空高い所に住んでいた人たちのことだと思います。

スサノオは現代人、と思う。
これも対戦した話ではなく平和を考えて統合し、巨人といわれたダイダラボッチは国譲りをしたのだと思います。
もしかしたら、それが猿田彦命だったかもしれない。
また、足尾というのもアラハバキみたいな繋がりもあるかもしれない。足の神様。
足を撫でる神といったら、アシナヅチ。


(足が大きい・・・)


(一番重要な場所:湧水)

足尾は、ネズミである現代人が稲をもたらした話になっている。
ネズミの小人は、神話ではスクナヒコ。
また、赤い糸が出てくるので、三輪山信仰の話も入ってます。
だから反対した人も、たくさんいたのでしょう。
その時の怨霊があると考えた仏教の僧侶たちが、せっせと水神を祀り荒れ狂う龍をなだめるのです。


(飛龍)
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日光市足尾の地名の由来

昔々、下野(しもつけ)の国のある所に、それは仲の良い爺さまと婆さまが住んでいた。
2人はたいそう信心深く、朝な夕なに必ず畑の側の大黒さまに手を合わせていた。

ところが、もうそろそろ稲が実を付けはじめる頃。ひどい嵐が吹いて、
大黒さまの祠を吹き飛ばしてしまった。爺さまと婆さまは、
畑の中に倒れた大黒さまをひとまず家に持ち帰り、
大黒さまのために新しい祠を作ることにした。
2人は嵐が吹いても吹き飛ばされない所がいいと考え、山の中腹の硬い岩盤をくり抜いて、
その中に大黒さまを安置することにした。

爺さまはノミで硬い岩を削り、婆さまはモッコで石くずを運んだ。
2人は昼も夜も休まず働き、その年の秋も終わろうという頃、とうとう祠は完成した。
ところが、無理がたたったのか、爺さまと婆さまは腰を痛めてそれ以降寝込んでしまった。
もう冬が近いというのに、2人の田んぼはまだ刈り入れを済ませておらず、
村の中で1枚だけ稲穂をつけたままポツンと残っていた。

大黒様のお使いの白ねずみは、この様子を見ると2人の田んぼから稲穂を1本くわえ、
どこやら山の中へ走って行った。白ねずみが向かった先は、その頃日光の山々に道を開き、
仏の道を広めていた1人の坊さまの所だった。
坊さまは稲穂を持って来た白ねずみを不思議に思い、なにやら伝えたいことがあると見て、
ねずみの足に目印の赤いひもを付けてその後をついていくことにした。

そして坊さまは、白ねずみに導かれて爺さまと婆さまの家にやって来た。
坊さまは、早速2人のために薬を作り、さらに茎が固くなった稲をガリガリと刈り、
あっという間に刈り入れを済ませてしまった。

白ねずみの案内で爺さまと婆さまを助けたこの坊さまは、
日光開山の祖と言われる勝道上人(しょうどうしょうにん)だったそうな。
そして、上人が白ねずみにひも(緒)をつけたことにちなんで、
この地は足緒(足尾)と呼ばれるようになったという。



(仲良し夫婦神~)

足尾が元は足の緒だとしたら、瀬尾(セオ)の胴体の背に繋がりそう。
頭、胴体、足を3分割にしたハイヌベレ信仰を元に作られた話にも思う。
ナグサトベやのの岳も同じ伝承。
地層の頭~胴体~足をそれぞれ祀る場所に、足尾があったのだと思います。
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多気山は30分くらいで山頂まで登れるそうです。
宇都宮市内なので比較的行きやすい場所です。

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今年のテーマにしたいこと

2016-01-03 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は熊野那智神社へ参拝しました。
今日、金蛇水神社に行ってみようか、となって行ってみたら、すごい人。
こんなに並んでいるってどーいうこと?
お金の神様だから?


(金蛇水神社:こんな行列は東京大神宮とココくらいじゃネ?)

さすがにここまで並んで参拝する気はない。諦めて帰りました。
途中の道祖神へ寄ったら誰もいない。静かな神社でホッとします。

ん~、やっぱり今年の私のテーマなんだな。道祖神に行くことになったのだから…
バラバラにされた男女神を繋げること。さて、どうやって?
わからん。
だいたい、別れた男女神がどこにあるかわからん。



でも、そーいうことばかりが浮かぶ。気持ちが抑えきれないほどの感情。
そこに気づいてほしいような。



やっぱり、パートナーは大事だから、本当に良い縁に恵まれるには、やっぱり力をお借りしたい。
私は良きパートナーに恵まれて幸せです。それもご縁ですから。
縁は円だから、一緒にいると丸くなります。そうなるまでは大変ですけど…
昔は、結婚はシャーマンのようなお祓いをする人や、人生経験が豊富なお年寄りが決めていました。
出雲もそうですね。
先祖との縁で結ばれるもので、過去は敵だったりする。
そうでなければ、互いの先祖供養にならないし、そうやって幸福のために、一緒に学んでいくもの。
それでようやく家族が報われる。

人も土地の縁も引き合わせる力は、無限の力がある。
銀河のように渦を巻いて引き合わせるのだから、アメノウズメなんだ。
なので、ますます私はここに来て、男女神を祀る意味を考えなさい、と言われているような気がしてならない。
それに私の氏神である猿田彦神だし。
そんなことを思わせる道祖神こそ、男女と夫婦の原点があると思った。
1万年以上も続いた狩猟の文化から、弥生の農耕へ切り替わる誓約結婚だったのだろう。
サルタヒコは縄文人で力のある人だった。
しかしなぜ、縄文の文化から渡来人の文化を受け入れようとしたのだろう・・・。

サルタヒコとアメノウズメの絵が書かれているお社の中に、文字が暗くて見えなかったので写真を撮ったら、田村明神とあった。
田村神社は香川県の水神で井戸神である。東北では坂上田村麻呂の場合もあるが、この場合は、水神の方だろう。



バラバラにされている男女神の存在を、目に見えないところで、ひっそりと修復するべきなのか?
そして、その力に頼っても良いと。

「ひとつをふたつに。ふたつをよっつに。
よっつをやっつに。わかれるな。ひとつになれ」



(被災した海を眺める)
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