秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

赤湯の烏帽子岩

2015-12-29 | 洞窟・巨石探訪
赤湯温泉街に烏帽子山公園があり、そこに烏帽子岩という巨岩があります。
この石は赤湯七石の一つで「米府鹿の子(べいふかのこ)」
紀元2,396年より紀元2,424年に至るまで書かれた古文書によりますと、
「塩釜明神より慈覚大師の方へ使いの神来り問答終り塩釜に帰らんとする時、
えぼしを置きたる石なり」とあります。
然し、この石のは磨涯碑なのであります。
板碑は一種の供養碑で鎌倉時代に生まれた新佛教の所産で浄土門の彌陀碑が最も
多いようです。この碑は紀元が磨滅して判明しないが近くに
永仁二年の在銘の磨涯碑もあることからして当時のものではないかと推測されます。
烏帽子山公園の地名にも神社の社名もこの石から名付けられております。




塩釜明神と慈覚大師の問答…?
塩釜明神が置いた石と伝わるようですが…。
先が尖っていて変わっている。



この石は、もののけ姫のエボシ御前のモデルなんだとか。
宮崎監督は赤湯温泉に来たことがあり、その時に烏帽子山公園の烏帽子岩を
見たらしいですが…。
確か、もののけ姫は大和朝廷とエミシの話ですよね。タタラも出てくる。
ずっと前に見たものだからもう覚えてないですけど、
もし、宮崎監督が東北を訪れた時に、白竜湖と烏帽子山の石の由来をヒントに得たのだとしたら、
塩釜明神は「志波彦」だから、もののけ姫で例えるならば、志波彦は、アシタカなんでしょうね~。




(階段状のもの、マッチ棒みたい。これって登れるの?)

ここじゃないですけど、蛙のような形をしたビッキ石という巨岩もあり、
山形市畑谷の大沼の蛙が白竜湖の主になろうとしてきたが、
新田についたところで暗くなり、村人に白竜湖はまだかと聞いたところ
「十年坂」と「鳥上坂」の二つの難所を越えなくてはならないといわれ、
がっかりして石になったという伝説が残っています。



白竜湖があったからどうか?その所以に巨石がある気がする。
白竜湖はもっと広い湿原だったのだから、磐座を信仰していた人々の面影を感じます。


(八幡神社)
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ところで、白竜湖へ行った晩、不思議な夢をみました。
知らない女性の姿が夢にでてきたのですが、私はオバケが大嫌い。
知らない女性=ユーレイだと思い込むから、ヒャーっとなる。
が、不思議なのは、マリア様だという。
私はこのブログで、女性の霊のような話などしてませんが?それ全てはマリア
なんだと言うのです。ユーレイじゃないよ、と。
はっきり覚えてない文章ですが、「今、マリア様がたくさん降りてきている」ので、
私が想像している女性は、全てはマリアなのです。と、いった内容の文章だった。
でも、やっぱり怖いので、ヒャーとなる。だって普通の人なんだもん。

昔話は、よく枕元に観音様など何かが現れてお告げを受ける話が多いですが、
それと同じような体験なのかな、と思いました。
なので、私はこの夢から白竜湖の弁財天は、マリア様のような存在だと思います。

また、ここで女性が入水していることもあるかも。
いつの時代かわかりませんが、
その方は、肉体に宿すことなく霊のまま?マリア様のような存在になったと。
その女性が現れたとしたら、マリアになったことを伝えたかったのかもしれない。
そーいえば、昔話にも坊さんに惹かれたけど叶わぬ恋だと入水した話があったな~。

思うにマリア様の姿はいつも宗教画に描かれるような姿とは限らないと思います。
日本人のような姿だったり、アジア人だし。マグダラのマリアかどうかわかりませんが。
不思議な夢でしたが、白竜湖は何かあると感じました。

新星爆発?の夢---------------------------------------------------------------

このブログは5年以上も続いていますが、こんなに長く続くと思わなかった・・・。
先祖のルーツを調べるようになってから、霊感が強くなってしまった・・・。
変な霊をみるとかそういうのではなく、「気づき」が多くなってきたうえに、また不思議な夢を見るようになった。

そろそろオリオン座がきれいに見える頃。
今日も夢ですが、満天の星空で、空全体が宇宙なんですが、赤い銀河や赤い星がたくさん見える。
オリオン座が別の銀河に変わったりして、相変わらず流動的に銀河が動いている。
しかも、宇宙で何かがあったらしく、星が死んだか新星の爆発があったのか・・・
スマホの電波が入らなくなったという夢でした。
オリオン座と赤い星の爆発を連想するなら、ペテルギウスです。
もう年老いた星なので近々、爆発すると言われていますが、もう爆発して無くなっている星かもしれない。
人間と同じ、星も新たな誕生と死を繰り返しています。

となると、来年はますます宇宙の魂が目覚めてくるわけです。
ますますパワーアップする東北探訪は来年も続きま~す♪


(ペテルギウルの爆発:イラスト by Wikipedia)
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白竜のいずる街

2015-12-27 | 水神巡礼(東北編)
東北水神巡礼7(自然編

冬の赤湯温泉へ。
南陽市にある赤湯温泉は、1093年、奥州統一を担った源義家が戦をしていた時、
同行していた弟義綱に発見されたと伝えられる。
赤湯なのは、戦国武将たちが温泉で怪我を洗い流し血で真っ赤になったことに由来する。



さて、ずっと行きたかった白竜湖へわざわざ寒い日に行ってきました。
遠くから眺めたことはありますが、近くまで来たのは初めて。
目の前で白鳥が飛び立つような湿原で神秘的でした。
白鳥って羽を広げると大きいね~!

しかし~、やっぱり山形は寒い。
ずっと暖かい日が続いていたのですが、この日は仙台でも風が強くチラチラと雪が。最高気温も2度くらい。
白石~七ヶ宿~高畠経由で行ってきたのですが、まだ昼前なので、七ヶ宿からの峠は路面が凍っており
所々雪道なので、旦那の運転ではありますが、ヒヤヒヤしながらの山形行きでした。
行きは2台のスリップ事故をみてしまった…いずれも路面が凍っていたので、
スリップしたらしく畑に車が突っ込んでいた…
もう一台のは高級車!カーブで曲がりそこねてぶつかったのね…お気の毒。
いずれも大事には至らずにすみ、大きな事故ではなかったのでよかったです。
昨年に比べたら雪は少なく道もそんなに悪くないですが、しばらく峠越えは無理ですね。


(七ヶ宿の滑津大滝)

さて、赤湯は大学の時に行った以来です。すっかり街は綺麗になって変わっていました。
美味しい山形牛が食べられるイタリアンのお店もあって小さい街ではありますが、良い所です。
東北の伊勢と言われる熊野大社もあり、何といっても私が憧れる風景は、
高畠の田園風景と白竜湖でしょう!初夏の車窓から見える景色が一番綺麗です。
寒かったけど雪の湖もなかなか良い。


(秋の白竜湖)

白竜湖にはいろいろな伝説があります。そして、どこの森かわかりませんが、
弁財天を祀っているので鳥居があります。



不思議なことに、白竜湖にもうすぐ着く時にラジオを聴いていたのですが、
何処かの沼地を清掃する話をしていて水底にいろんな物が落ちていると。
中にはお賽銭箱が沈んでいた話をラジオで聞いていた。



湖に沈んでいる話を聞くと、石牟礼道子さんの小説「天湖」を思い出します。
ダム湖に沈んだ水神の話です。この話も不思議で、ずっと前に友人と友人の知人と電車を待っている時に、
出身地の話をしていて、秩父だと言ったらその方は登山好きで、武甲山を知っていた。
「かわいそうな山ですね~」と、悲しい顔をされた。
その方は、環境学の研究をしているアメリカ人の教授で、武甲山をどうにかしたいと言ったら、
天湖の本を読んだことがあるか?と聞かれた。なぜか、あの本を読むといいと。
実はその方が翻訳されていた本で、また不思議とその後、水俣に行く流れになったのだ。
石牟礼さんは熊本出身で、水俣病の本を書いた方です。
それから、水について考えるようになりました。

それを思い出してしまったのだから、白竜湖には何かが沈んでいるのかもしれないと思った。
物ではなく大事な何か。
それは、やっぱり環境なんです。

この湖もいつか無くなります。
武甲山と同じようにいつか無くなるものだから、竜が住むと言われる由縁。
龍神の必死な抵抗なのだ・・・。
そんな事を考えさせる物語があります。



白竜湖について-----------------------------------------------

白竜湖は南陽市の北東部標高2000m内外の低地にあって、
湖の周辺に約1000haにわたって大谷地泥炭層が展開していた。
昭和30年(1955年)、泥炭形成植物群落地域90.59haが
県指定天然記念物となった。特に湖に近接する泥炭地には、
中間湿原から高層湿原に自生する植物が群落を形成していた。
ところが、1900年ころから、大谷地の水田区画整備事業が推進され、
さらに昭和44年(1969年)には農業水利改良事業として
白竜湖の底の土砂を取り去ったことで、原生的な自然植生はほとんど消滅し、
アシ、マコモ、イヌビエなどの群落がとって代り、湿原植生とその環境は消失した。
(山形の宝ポータルサイトより)



白竜湖の伝説-------------------------------------------------

置賜がかんばつ旱魃に見舞われて、あちこちで水争いが起こるようになった。
村人は毎晩のように雨乞いをしたが、雨は降りそうもない。
旅の僧がやってきて、惨上を見て気の毒におもい、
天に向かって経文を唱えること三日三晩、一天にわかに曇り、
ぽつりぽつり雨がおちてきて、やがてざわざわと風が起きたと思うと、
湖から白竜が巻物をくわえて天に登って行ったという。
そこから村人はこの湖を白竜湖というようになった。

 東正寺は烏帽子子山の東側にあって、白竜湖に面している。
その寺の若い坊さんは、びもく眉目 に秀でていたので、町の評判となった。
湖の向かい側の金沢へ法要に行った折に、金沢の娘はすっかりほ惚れ込んで、
何とか若い坊さんの嫁になりたいと願うようになったが、思いを遂げることができず、
湖に身を投じてしまったが、やがて白い竜となって天に昇ったという。

 屋代村(現高畠町)深沼に竹田作右衛門という人がおった。
家の前に種池があり、秋上げも終わって、餅をつ搗いたが、
その杵を洗おうと種池に浮かしていたところ、次の朝になって杵が見えなくなっている。
不思議に思って探すこと七日ほどして、杵が白竜湖に浮かんでいたという。
置賜の池の底はみな白竜湖に通じているのだという。

 またこんな話も伝わっている。昔、白竜湖のある場所はたんぼ田圃だったというが、
ある日、一夜にして田圃が陥没して湖になったと思ったら、竹の森村(現高畠町)
に大きな山が出来上がっていた。その山が竹の森山であるという。

 白竜湖を埋めて、少しでも田圃をひろげようと考えたのは宮内の町割を行った
代官安部右馬助であった。するとその晩、右馬助の夢枕に女が現れて、
「この湖を埋めてしまえば、あなたの命は必ずなくなる」と言ったか思うと、
姿を消した。右馬助は夢のこととして一笑に付し、次の朝には家来に命じて石を運び、
白竜湖を埋めさせたのだった。次の朝見ると、あれほど積んだ石は一夜して
沈んでしまった上に、その夜に右馬助が急死してしまったとも、
右馬助が白竜湖を見に行くと、湖の向こう岸に光りものが輝いているのを見て、
恐れをなして、埋めるのを取りやめさせたともいう。

(南陽市:夕鶴の里よりhttp://nansupo.ddo.jp/nanyo-cl/yuduru/legend.html


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他にも南陽市には鶴の恩返しの話などがあり、いろいろ伝説が埋まっているようです。
また機会があったら行ってみたい所でした。
次も、赤湯のお話。不思議な石を発見♪

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カヤの木と十一面観音

2015-12-26 | 日記・エッセイ・コラム
南仙台の柳生という所には、仙台市で一番古いカヤの木があります。
伝承では、平泉が栄えていた頃、源頼朝が馬をカヤの木に繋いで休んだといわれます。
熊野神社にも源頼朝が腰をかけた石などがあり、このあたりは奥州平泉に関係する街道だったようです。
樹齢1300年と伝わるカヤは、根元から薬師如来が発見され、江戸時代からの旧家である阿部家を中心とした隣組
がお堂を建てて祀ったそうです。



カヤの木の多くは、十一面観音を作る時に使われる木だという。
ヒノキよりカヤを使う。
カヤは元は、「カヘ」といい、朝鮮語から転じたもので、
柏(ハク)カシワと区別するために、栢(カシワ)という和名を「加倍(カヘ)」に当てたという。
つまり、「栢」のことを「カヘ」と呼んでいたわけだ。
カヤは、蚊帳というように、カヤを燃やすと蚊が来ないからだそう。
カヤの煙で虫が寄り付かないことに由来しているものと思います。
カヤは「榧」という漢字を使いますが、これはあんまり意味がないらしい。



カヤが観音様や仏像によく使われる理由は、はっきりしていませんが、
湿気に強いからという事があげられます。
他にも香りに特徴があるかもしれないのです。
もしかしたら、昔の人は観音像を奉る時、香りは芳香剤のようなものや、
邪気を払うものと考えていたと思います。
カヤは針葉樹の他の木々より独特らしい。
ヒノキではアロマでもよく使われていますが、フィトンチッドのような役目もあるのか、と。
人にとっては癒しの香り。


(名取熊野神社にある。源頼朝が腰をかけて座ったらしいよ・・・)

ただ、イチイ科の木として使われているのは、弓の語源になっているように
弓として用いていたそうだ。かなり強い木なわけです。
イチイは位の高い貴族の証明である笏(シャク)の材料に使われた。
おそらく、奈良県の春日山のカヤが良質だったからと思います。
仁徳天皇の頃、両面宿儺(りょうめんすくな)という鬼(飛騨の山岳民らしい)
を退治した時に、降伏の印としてイチイの木を献上したという。
福島の土蜘蛛の時は、槻でしたが。
他にもイチイは、東北・北海道では神事に使用する玉串にサカキを使うけれど、
寒冷地なのでサカキの代用にイチイが使われた所もあるそうです。
種子の色も赤い(紫がかった)色なので、染料にも使われた。
他にも将棋台など。



ところで、南仙台の中田神社の裏手には、「伊豆権現社」があります。
古墳の上に建っているという。
周りは建物に囲まれて、決してよい場所とは言えない・・・。
そして三社だから、宗像三女神みたいな、三ツ星。
このあたりは、熊野三社があり名取老女伝説のある一部となる。



柳生には、日向古石碑という板碑がたくさんあった。
普通の公園かと思いきや、板碑が並ぶ光景は珍しい。
板碑は供養塔に使われる石碑ですが、武蔵型板碑といって多くは武蔵に集中している。
その板碑は秩父産の緑泥片岩を加工して造られるため、「青石塔婆」とも呼ばれ、
日本最大の板碑は、野上(のがみ)にある。
ほとんどの武蔵型板碑は秩父産だ。



鎌倉~室町時代にかけて、武蔵の武将は東北にも板碑をもたらしていた。
だからか、この風景が懐かしいと思うのは・・・。
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磐裂根裂神社と八柱

2015-12-22 | 神話・伝説
栃木県には星宮神社がありますが、また、この神社も栃木県固有?で珍しいと思います。
私が東北で見かけたのは、羽黒山でしかありません。
五重塔にある羽黒山を下って行くと、一番最初に祀られる神様。

星神で剣の意味をもつ神は、岩裂根裂神社(いわさくねさく)という。



神社の由縁-----------------------------------

元亀元年九月二十九日に本殿を建設し、正一位の位をいただいて、
明治七年九月二十九日に安塚神社に昇格し、社号を改めて、村社磐裂根裂神社に改定し、
現在に至っています。

磐裂根裂神社は、名のとおり磐裂神・根裂神が主祭神で、この二神の誕生は文献によると、
「伊邪那岐神は、伊邪那美神が火の神を生んだ際にその火に焼かれて死んでしまったことに悲しみ怒って、
その迦具士神を十挙の剣で斬り殺してしまいました。
その時、その剣先についた血により化成した神」なんだそうです。

また天正十三年(七四一)日光開山の勝道上人は、
「日光男体山頂きをきわめたのは、常に磐裂神、根裂神を尊崇して、
必ず神恩を忘失すべからず」とさとされた当神社の神様です。



磐裂神>
古事記の火神被殺の条において伊邪那岐神は、伊邪那美神が火の神火之夜芸速男神
(ひのぎはやおのかみ)を生んだ際に、その火に焼かれて死んでしまったことに
悲しみ怒って、その子迦具土神を十挙の剣で斬り殺してしまった。
その時、その剣先についた血が湯津石村に走り就いて化成した神。
石柝は文字通り石(岩)をも裂く程のすさまじい威力の意で、
刀剣の神格化とみるのが一般的であるが、雷神とみる説もある。

根裂神>
伊邪那岐神は、伊邪那美神が火の神、火之夜藝速男神(ひのやぎはやおのかみ)
を生んだ際にその火に焼かれて死んでしまったことに悲しみ怒りて、
その子迦具土神を十挙の剣で斬り殺してしまった。
その時、その剣先についた血が湯津石村に走り就いて化成した神。
根拆は木の根までもを裂く程のすさまじい威力の意で、刀剣の神格化とも、
雷神ともいわれている。



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星宮神社のご祭神は、岩裂、根裂神。男女神なのでしょう。
栃木県は日本一?とにかく落雷が多い所。

ここは壬生の安塚という地名で、
「その昔第十代崇神天皇の皇子が天皇の命をうけて東国平定
にやってきて、無事に平定を終えてこの地に住みました。
その皇子たちが住んだ跡、八つの塚として残り、これを八つ塚といい、
いつしか八つ塚が安塚というようになった」
と伝えられています。

この話が、福島県の都古別神社の由来にも似ている。8人の土蜘蛛を征伐したところに、槻木が生えた話。

いわねさんの鎮座している塚は八塚(亀塚・皇宮塚・牛塚・大八塚・鈴塚・竒子塚・秋宮塚・宝物塚)
の一つであり、崇神天皇の皇子が、この辺りに永く住まれ、長寿なされたため
「亀塚古墳」と呼ぶようになり、現在、栃木県指定文化財になっています。

亀塚古墳は、6世紀後半のもので、おそらく日本海~北関東のルートを探っていた
豪族たち(タケヌナカワや大彦命)の一族が住んでいたと思います。後に福島へ。
ちなみに、この神社は巻寿司発祥地だそう。



奥へ導かれるようにしていくと、お宮があった。
「若宮神社」とあり、フツヌシをお祀りしていた。



鉄かあ~。
壬生はニフの丹生です。
裂と使うところでは、岩裂山があり、「おざくさん」と呼ぶ。
2年前だと思うのですが、近くまで行ってみました。
鬱蒼として暗い所です。一人ではちょっと危険かも。
勝道上人という日光を開山した人が関係しており、日光に入る前に石裂山、古峰山、日光に入ったという。

サクが、裂というのは、まるで雷が落ちてスパッと切れたようなイメージがある。
亀裂という言葉は、ある暑い猛暑日に亀が大変だから、ほかの場所へ移動させようと
鶴が亀を口にくわえて空を飛んでいたら、亀を落としてしまった。それが亀裂の由来の話だと。

私は、この亀裂が大地震であったと思ってしまう。
要石など鹿島に石を置くのと同じで、亀は陸として現される。
それが裂けるわけだから大地が分かれる亀裂。
裂けるとは、どうも自然現象のように思うので、そこに剣が登場する。
十拳剣=フツヌシ=高倉下。

デタ。
高倉下。
伊具郡で妄想してたな~。
して、地図を眺めていたら、やっぱりこの場所にも「羽生」がありました。
神社から少し南下すると羽生田の地名がある。羽生田には、熊野神社の七つ石がある。
この石はイザナギを祀る熊野神社に由来する話で、神社の傍にある石が七度鳴動したという。
まさに地震・・・でね?

そしてやっぱり星神は七つ。北斗七星。
亀塚古墳にも周りに七福神として七つの石があるようです。
一回りできるようですが、そこまで歩けなかった。
この古墳を囲むように七福神として七つの石を置いているとなると、妙見様にもつながるものでしょうか。


(布袋様の左の前足?)

日光も星信仰です。
徳川家康の思想というより、勝道上人の思想のようです。
北辰信仰や妙見が秩父に流れ、狼を祀るようになった。
狼と星信仰は、繋がっているのだけど、その説明はなかなかできない。
中国にも北斗七星の中に狼の星があるのだから。

さて、日光と関係している神社というのならば、気になる「紫」という話。
古代の天変地異には、紫色の雲が現れるという話が結構ある。
虹色の虹彩と解釈されるが、実際は不明です。

雷が落ちやすい場所は、地下の水脈に関係している。
神社の御神木が異常に成長しているに、水脈が考えられます。
ヨーロッパではオーク(カシ)の木は水脈のある場所で育つから雷がよく落ちるため、雷様と呼ばれる。

剣に通すエネルギーというものが、地下のマグマまで繋がるようになっているとしたら、
剣は大地のエネルギーを通す柱となる。昔は木だったが、鉄が作られると剣に変わった。
その力を水神である不動明王に持たせることで、一層、力になる。
物部氏の剣は、そのエネルギーを支えるために四隅におくと考えていたらしい。
それはどんな意味が有るのか?
こんな神話が中国にある。



「天柱神話」(中国)--------------------------------------------

天空を支えている四隅の柱が折れて天の一部が堕ち、そのため大地は裂けて傾き、
大変事となった。
そのとき人頭蛇身の女?(じょか)が巨大な亀の足を切り取って天空を支え、
五色の石を練って天空の割れ目を補修し、天地を元どおりに直したと伝えている。
ほかにも、争いを巡って負けた方のものが、くやしさのあまり西北の天柱を切ってしまった。
そのため天空の西北が傾き、地綱を切ってしまった。
多くの河川が中国では東南へ流れるのは、こうして出現したからといわれる。

天柱は8本と伝わり、破損したのは東南の柱だと伝わる場所もあり、様々。

地上に落ちてきたのは、天と地を切断したことにある。宇宙と繋がれなくした話と想像できる。

「五色の石」というのは何だろう。
五色の人種は日本でも伝わっていますが、
石=人?だとしたら、石は鉱石ではなく、「意思」をもったモノと考えるのかもしれない。
死の起源には石も伝わる。

「死の起源」-------------------------------------------

神は亀と人間と石をつくった。
これらは、子供を残すことはできなかったが、歳を取っても死なないで若返った。
亀は子供がほしいと繰り返し神に懇願する。
「生き物は子供を産むと死ななければならないのだが、それでもよいのか」
「子供が持てるなら死んでもよい」
そこで亀は子供を得た。
それを見た人間も亀と同じように主張した。
こうして出産と死が始まった。
石は子供を望まなかったので死ぬこともない。
(ナイジェリア)

石が長生きした話を想像すると、イワナガヒメがいる。
ニニギはコノハナサクヤヒメを選んだ。
イワナガヒメを選んでいたら、人間は不老不死になれたのだ。
イワナガヒメはイワ=石かもしれない。

紫雲----------------------------------------------

さて、この神社の「裂」に日光開山の勝道上人という人と「紫」が関係すると思えてきた。
紫色の雲がとても気になる。
紫色の雲とは「紫雲」といい、念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎(らいごう)する雲だとされ、吉兆であると。
仏教で何かを修めた、という話の多くは、紫色の雲が現れたと伝承される。
日光開山の由縁も。。。
766年(天平神護2年)3月、勝道上人32歳のとき大谷川の
激流を神仏の加護を受けて渡り(現在の神橋)山内地区に草葺きの小屋
を建て、毎朝、礼拝石に座り、二荒山、男体山の霊峰を拝しておりました。
ある日、いつものように霊峰を拝していると、背後から紫の雲が立ち昇り悠々と
大空に舞い上がって東北方面に吸い込まれました。
勝道上人はこの壮厳なる風景に心を打たれ、その地点に急ぎました。
その地点(紫雲石しうんせき)が、青竜・白虎・朱雀・玄武の四神守護の霊地と感じ、
この場所にお堂を建て「紫雲立寺(しうんりゅうじ)」と名づけたのが現在の
「四本竜寺」と伝えられています。1200年以上になる日光山の歴史のはじまりです。

(日光の世界遺産より)

また、鹿児島県出水市と薩摩にある最高峰(1067m)の「紫尾山」という山がある。
山名由来は、継体天皇の時代に空覚という僧侶が夢のお告げを得て山に登った際に、
山頂から麓へ向かって紫の雲がたなびく様子を見て名付けたとする説。
但し、継体天皇の時代に仏教は日本へ伝わっていなかったことから時代を疑問視する見方もある。(参考:日本の仏教)
秦の使者徐福が皇帝に命ぜられ不死の薬を探すためにここを訪れた際、
紫の紐を献じたことから名付けられたとする説。



紫色----------------------------------------------------

紫色は、貝紫色といって赤みのある紫色を生み出すことができた。
その発明は、フェニキア人であり、フェニキアで多く利用され王の色となった。
貝を使った染色は紀元前から行われており、赤染氏という渡来人
(フェニキア人)が修験者と混じって出羽三山に入ってきている。
日本でも冠位十二階に紫を高貴な人に与えるのも、ユダヤから由来しているような気もします。

ただ、この場合の「紫」というのは、色ではないと思う。

紫はシ---------------------------------------------

宮城県では塩釜神社のご祭神を、志波彦命(シワヒコ)という。
紫と書く場合もあり、どちらが正しいか不明だが、紫は「シ」と読むのが正しいようだ。
岩手県にも紫波がある。
宮城県松島に紫神社というのがある。
主祭神が天御中主神。
妙見様の秩父と同じだ。
由来には、本社は平安朝時代、淳和天皇の天長年間(824~833)既に御鎮座ありし古社といわれ、
往古は松島蛇ケ崎梨木平という所に鎮座し松島明神、
又は松島と高城駅との間に在りしを以て村崎明神とも称し奉った。
村崎の紫に通うより紫神社と書きかえ奉らんと祈願してより今の字に改めたといわれる。

この地区が「高城明神」という地名であり、紫は村崎からなので、シではないが、
ここも塩釜神社と関係深そうなので、紫はシワヒコの事ではないか?と思えてきた。
紫波のシワ。
フツヌシがここにも繋がる。

紫色の卵-------------------------------------------------------

高句麗、新羅、百済の始祖神話の中に新羅が紫に関係していた。

新羅始祖の赫居世王も卵から生まれており、新羅六部の祖先たちが君主を迎えるために高い
ところに登って南の方をみると、楊山の麓に雷光のような光が地面に射して、
そこに白馬が跪いて礼拝をするような姿勢をとっていた。
六部の祖先たちが駆けつけてみると馬は天にのぼってしまって、
そこには一個の紫色の卵があった。それを割ると顔立ちや姿が端正で美しい男の子が出てきた。
その男の子を東泉に連れて行って沐浴させると、体から光彩を放ち、鳥や獣も
いっしょに舞い、天地が揺れ動き、日と月とが清明であったので、赫居世と名付けた。
また卵の形が匏(ひさご)のようで、その地方の人は匏を朴と同じ発音で言っていた
ことから姓を朴と言った。
新羅の始祖は紫色の卵から生まれ、赫居世という名前がついたのは光彩を放つ王権を現しているわけである。

(日本古代文学における「韓国」のイメージ:金鍾徳)

光彩と紫色の卵が紫色の雲となったような話だ。

ということで、何かと紫には不思議な力が宿ると考えられてきた。
星神と考えるなら、亀ではない甕がある。妙見様が乗っているものは亀であるが、水甕の海神が関係していると思う。
そこには、北斗七星に結界をひくのだろうか?
二度と大洪水が起こらないように。

この怒りは、香香背男であると考えられてきたのかどうか。
カカは光輝く星で、金星と考えられているが、茨城県に大和朝廷に従わない星信仰の酋長がいて、
タケミカヅチとフツヌシが平定するという話。
栃木県には星宮神社が多く、大平山の星宮はカカセオを祀る。
奥の院は、巨人の鉄、天一箇目神。
デカイ犬に吠えられて奥の院に行ったことがあるが…

まつろわぬ民といわれた星を信仰するカカセオも、祟りを恐れられ仏法で封じた話は東北地方にある。
その方角が、塩釜神社だという話があるのなら、そのルートが伊具郡で妄想してましたが、
海神で壱岐島なのかと考えてしまう。

七ではない八の柱。

神話で壱岐島は、伊岐島といい、5番目に生まれた島。壱岐島には8島あり、
天からの柱を下ろすエネルギーの場である聖地、まさに生きている島であったから、生き島と言われた。
天から柱を下ろした神話が残されているのは、福島では磐梯山がある。
役小角も山に橋を繋げたかったのは、天からのエネルギーを温存させるためだったと妄想する。
高山はみんな柱を下ろしていたから、山頂に剣を置く。

また、壱岐島は動きまわるため、8つの島を囲むように柱で繋ぎとめておいたが、
折れてしまい折れ柱と言われる岩だけになったと伝わります。
結果、壱岐島も柱を切断された。

安塚の地名由来に、8つの塚を置いているところに、何か通じるものがありそうです。

そこから、神社に要石を置くようにした理由が見えてきます。
島が流動的に動く龍と考えられていたが、どの世界の神話も天と繋がれていた柱が折れたことになっている。
そのエネルギーをそのまま温存?させて本州へ分霊させた神が、壱岐島のツクヨミだった。
妄想するに、天に帰れなくなった神がいると?それが堕天使なのかもしれない。
地球に降りて二度と帰れなくした。666の話。
宇宙と繋がれなくした。

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ところで、出羽三山の羽黒山の入口に天地金神社がある。
龍を繋ぎ止めているような?こちらも八岐大蛇を退治したスサノオになっているらしい。
そして、坂を降りると、岩裂神と向かいあうように根裂神がある。
妄想ですが、羽黒山は、天地をおさめた自然神を並べた参道を歩かせてから、祓川を渡るようになっていると思う。
スサノオが荒ぶる自然の猛威を鎮め、岩から剣を生み、八つの島を納める。
五十猛を祀るのは大八州をスサノオと納めたから?妄想しすぎかもしれないが、倉稲魂と関係する大年神社も置かれている。
これがハリサイニョとする龍神との話もあるのだから、
豊玉姫の社を置くのも神話の中のストーリーからといった単純なものではなく、
国を追われた大國主の御霊から先に参拝させるような仕組みがある気がしてくる。
それを鎮めるためなのか、尊敬の念を込めているのかどうか…


(羽黒山の階段:ちょっと左に映っているのが岩裂神)

出羽三山の意図は、天皇が海神であることを伝承しているだろう。海から陸へ上がった母神であることは言える。
なぜ日本には海神がいるのか?
それがなぜ龍と伝わるのか?
豊玉姫を最後に参拝し、祓川を渡る。その先には滝があり黄泉の世界が広がる。
その先に五重塔。平将門が建立したというが、平将門も海神かもしれない。
なぜか、海神を祖とする人は征伐され祟り神にされる。
海に鎮められたエネルギーが海底にあり、それを地上で崇めている世界。
天孫降臨に描かれる海神は荒れ狂う龍にされる。



それが奥深い山に置かれているのは、海幸彦、山幸彦の神話にある塩土神に関係するのかもしれない。
そこにシワヒコさんが再び浮かんでくる。
蜂子皇子の形相は鬼の力を象徴しているものだろう。動物的な力。
人間ではないことを伝えている存在。それが山の獣、狼とも考えられる。
なので、鬼であれば女性とみる。
崇峻天皇は海の人だろうか?
蘇我氏と海神の安曇氏が海幸、山幸の話に関係してたり…
古事記の話で山幸彦が兄の釣り針を無くし、塩土神のアドバイスを受けて、豊玉姫の竜宮に行く。
そこで鯛?の魚の喉に骨がひっかかっており、食べ物が食べられないところ助ける話になっている。
そして釣り針を見つけるといった話。

私はこの話が山版、狼の喉に骨がひっかかって食べられないのを助ける話になったと想像してしまう。
海人の魚(龍)と山人の狼が同じ話になって伝承されているものだと思う。
海神と山神が同じに祀られるのは、弥生人と縄文人と区別してみるのかわからないが、別の一族との契約があったような話だ。
なので、福島県の大山祇神は狼を眷属とするワタツミを主神としているのではないだろうか?
だから、秩父の狼信仰は、海神が原点にあると思うし、
出羽三山も神武東征の神武天皇が関係していそうですが。

昔は、フツフツとした国生みの世界を呼び出して、そのエネルギーを持ったまま、蜂子皇子に参拝し、
より大きな力を得たいとした修験者が集まる場所であったことは確かです。
イデハの出羽だし、ツクヨミだし、牛だし・・・。

多分、出羽三山は、海神と山神が合わさる場所なのかもしれない。
その中の岩裂、根裂は、雷のように強く轟くエネルギーなんだと思います。
別に結界があるとか封じているものではなく、私たちの思考が封じているのだから、
解放的な思考に変化させるべき場所。

ということで、栃木から福島、宮城へ向かった星神は海神と関係していると思うのですが、
後を追うように大和朝廷も歩いている所でした。

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裏のヒマラヤ

2015-12-18 | 日記・エッセイ・コラム
ヒマラヤの企画をやっているついでに便乗してある本の話を。。。
裏のヒマラヤってことで、戦時中のヒマラヤってどうだったのか・・・。
歴史とは関係ないので、興味ない人はスルーして下さい。
留学時の体験話です。

30歳の時に漠然と何か大きいことをする。とずっと思っていました。
おかしい話ですけど、転機だったようです。
ちょうど、仕事の契約期間が満了になる時期だったので、社会勉強というと聞こえがいいが、
現実逃避に中国留学を考えていました。

中国語が好きで教室へ通っていたのですが、「日中友好30周年」にもあわせて、日本を脱出。
また、「エベレスト登頂50周年記念」の年でもあり、お祝いムードな感じでもありました。
(私だけですけど)

さて、そんな中国!
私にとっては最強のパワースポットでした!!
日本に帰ってきてから、まるっきり人格が変わってしまい、まるで別人が中に入ってきてるような違和感。
自分が自分でなくなった。
顔も変わった。目が優しくなって前と印象が違う。
それからスピリチャルの世界にはまったのは言うまでもなく。
女性性が高まるとそうなると。
やっぱり女性性を高めるってすごいなあ、という体験。
別に意識したわけでなく、中国に行ってそうなった。
今は山へ行くと女性性が高まります。

ヒマラヤのスパイ------------------------------------------

留学の直前、エベレスト登頂50周年を記念してディスカバリーChで、
ヒラリーとテンジンのエベレスト特番をやってました。
ヒラリーはニュージーランド人で、テンジンは地元のシェルパでした。
当時、欧米ではヒラリーを神のごとく称えていたのですが、
「どっちが先に登頂したか?」の論争がまきおこった。
どっちでもいいじゃん。と思いますが、まだ、この頃はシェルパの偉業は認めてもらえず、
単なる荷物運びみたいなものとしてみられていたので、
もし、シェルパが先だったら、歴史が変わってしまうくらいな論争だったのです。


(ヒラリーとテンジン)

なぜ、白人はいつもアジア人より上にいたいのか?
エベレストは、前人未登だったので、西洋人にとってそこが重要だったわけです。
それに、ヒラリー登頂の前に、マロリーという人が登ったかどうか。
下山後なのか、登る途中だったのか、亡くなっているため登頂したか不明です。
もし、マロリーが先に登頂していたら、ヒラリーは2人目ということに。


(テンジン・ノルゲイ:チベット人シェルパ)

ヒラリーはテンジンを信頼していたと聞きましたが、最初のアタックする1チームが登頂できず、
2番目に控えていたテンジンとアタックしたそうです。
どっちが先か?は、互いに主張すべきものではないし、テンジンはガイドですから、
ヒラリーが先に登頂した。というわけです。
それがきっかけで、テンジンも一躍時の人となりました。
その後も苦労されたようですが、テンジンの本も出ていますので、興味ある方は、
読んでいただくことをおすすめします。

日本人女性も残念ながら亡くなっています。
成功したら、若くして初の女性登頂でした。
でも高山の世界はシビアで、動けなくなった登山者をまだ息があっても降ろして下山することは不可能だそうです。
崖ぷちですから。
自分の身も危険になるので、
残酷ですが、まだ息があっても助からない命とわかるとそのまま放置していくそうです。
なので、エベレストの死の谷といわれる急登付近には、
たくさんの遺体があるので、遺体を横目に登るようなことになるので、気が狂うそうです。
成功の秘訣は、死に対する恐怖がないことだそう。
・・・そこまでしてなぜ登りたいのかね~。
でもその頃、なぜか私は遭難や滑落などで亡くなったヒマラヤ登山記録の本ばかり読んでいました。

私自身の過去世に関係していると思うのですが、その中で特に忘れられない話が、
「ヒマラヤのスパイ」という本でした。
著者はシドニーウィグノールで、有名なイギリス人クライマー。

この本はフィクションだと思っていたら、どうもノンフィクションで実際にあった話を書いています。
(写真つき)
戦争中のヒマラヤの話は、なかなか聞けません。
人それぞれのヒマラヤがありますが、人に翻弄されていたヒマラヤの裏の歴史もあったのだ、
と思う実話になっています。まあ、絡むのが中国なんですけどね。



1955年インド政府からチベットの中国軍の実態を調査するために、
著者のシドニー氏が頼まれたことから始まります。
チベット最高峰のマンダーラという山の測量調査の名目で、スパイ活動をするというもの。
しかし、案の定、中国軍に捕まり、シドニー氏と大学の教授一人とネパール人のガイド3人が、
チベット、ネパール、インドの国境に属する「タクラコット」という場所で数か月監禁される話です。



インドは、当時イギリスの植民地にありました。
中国がインドの国境近くまで占拠していたので、
インド政府としては中国がどのあたりまで軍事態勢をもっているのか、情報を知りたかった。
高山のヒマラヤまで登ってそこから監視するという予定だったが。

中国人は登山をする意味がわからないので、酸素ボンベの残骸を爆弾だと思いこみ、
欧米人のエベレスト登山は、爆弾をしかけに登っていると思われて尋問をうけるのです。
エベレストは中国領土と言い張っていたので、シドニー氏はアメリカのCIAから
来た人だと思われていたわけです。そんなやり取りがちょっとおかしいけど。

監禁されたシドニー氏は、荷物を没収されてしまったので、
たばこの包み紙や壁などに記録を残していました。

最後は、中国軍から解放されるのですが、何もない不毛のヒマラヤで解放されるのは、
死を意味します。なので、その場では殺しません。
しかし、良心な中国軍兵士に助けられ、何とか帰国することができました。
残念ながら、助けてくれた中国人兵士は殺されてしまいましたが。



また、雪山での不思議体験ものってます。
この体験は、インド政府との約束で40年経ったら出版してもよいとなり、
1997年に発行されました。
その後のシドニー氏は、中国のヒマラヤでの核実験調査の為に、
何度もアタックを試みていますが、登山に失敗しています。

そんな裏のヒマラヤを知り、重い余韻を残しながら私は上海へ行ったわけです。
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中国留学中は、面白い話がてんこもりなんですが、
この話にでてくるプランの地名を耳にするとは思ってもみなかった・・・。
タクラコットは現在のプランです。
今は国境にあるのでバザール(市場)になっています。

日本語を勉強していた四川省の女子学生と仲良くなり、
妹のように可愛がっていたのですが、その学生の彼がチベットで英語と数学の教師をしていると。
チベットのラサだと思っていたら、「プランで教師をしている」と言うのだ!
「えー、あのプランに住んでるの!?」と驚いたら、
「えープラン知ってるの!?プランを知っている日本人に初めて会った!」
と逆に驚かれた。
何で知ってるの?と、食いついてくる。
言えねー。

一応、「ガイドブックで知った」と言ったけれど、今は普通に観光できます。
プランからネパールまでバイクで20分くらいで行けるそうです。
彼は、バイクを使いネパールでよく買い物をしているといった話をしてくれましたが、
50年以上前にあんな事があったことなど全く知らないだろう。
もちろん、中国語に翻訳されてはないし。まあ、知ってほしくはないが・・・。

プランは普蘭と書き、タクラコットはネパール語よみらしい。
プランはチベットですが、ヒマラヤのスパイにあるよう、今も中国チベット自治区となり中国の領土です。
で、彼女も登山が好きでいろいろな山に登っていました。

また面白い日本人留学生がいて、タロット占いがよく当たるという噂をきき、
面白そうだからと、その人がルームシェアしているマンションへ遊びにいったら、
占いでもキーワードが「登山」とでてきた。
なんで登山なんだろう?と不思議がり、私はずっとヒマラヤのことを考えていたので、
ヒマラヤが好きなんです、と言ったら、「じゃ、ヒマラヤ登山するといいですね!」と軽く言われた…

帰国してからは、何が何だかわからない生活をしてました。
変成意識状態みたいのがずっと。
それから1年後くらいに突然、街中で貧血を起こしてしまった。
忘れもしないジャズフェスで、ピアノ弾き語りの暗~いガンダーラを歌っていた
タケカワユキヒデの声で気持ち悪くなり気を失った。
あの瞬間、ガンダーラの世界に行ってしまった。笑。

高校生の時に、ひどい貧血で気を失い自律神経失調症になったことがあるが、
再び貧血になったので、完治していなかったことにがっかり。
そんなショックな状況の中で、私の脳裏に「山に登れば治る」という確信が走った…

それから登山にはまったわけです。
しかも修験系の・・・。
もちろん、あれから貧血は一度も起こっていません。

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(太湖:by Wikipedia)

さて、話は変わりまして、留学中に行ったところで、不思議な場所だったところは、
杭州と太湖でした。杭州の湖は懐かしい記憶が蘇る場所でした。
夜の柳と月が湖に浮かぶ中国らしい風景は素晴らしかった。
初めて来たのに、昔、来たことがあると思うデジャヴみたいなのは何度もありました。

また、浙江省に太湖という海のような大きな湖があります。
その中に島?ができていて、そこの旅館に宿泊したのですが、不思議な空気でした。
中国は大きな湖が多いのですが、つねに空気悪くガスっていて霧深い光景が多い。
朝霧の白い霧に包まれたぼんやりとした世界。
太湖も深~い霧のひんやりとした神秘的な空気を持っている場所ですが、それもそのはず。
後で知ったのですが、隕石が衝突してできた湖でした。
他にもクレータは中国にたくさん埋まっているようです。
※詳細はこっち。
http://www.recordchina.co.jp/a38098.html

創世記の神話の中に、まだ大地ができていない混沌とした中ツ国は、
白い霧に包まれた世界を描いています。次元が異なる世界かもしれませんが。
私はこれが龍の気だと思うのです。
これがウガヤフキアエズの世界なんだ、と。

肉体を持たない霊的な存在で、ひんやりしたもの。
白い煙のようにモヤっとしたモノが龍気だと感じます。その空気が神秘的で懐かしいのです。
まだ地球が成長を始めたばかりの段階。
そんな中国も龍が眠っている国ですが、見えているモノしか信じない。
はるか昔、中国も四大文明の一つで、黄河文明があり日本より早くに文明が栄えていました。
数多くの発明には、前世の記憶を持っていたから、と言われています。
それがなぜか、記憶に頼ることをしなくなった。
前世を誰も思い出すことができず、多くの発明も失敗に終わる。
そして、中国で多くのことを学んだ人々は、日本を最果ての地として新たな一歩を望んで航海してきたのです。

たぶん、それで私は中国で前世の記憶を(中国にいた時の)思い出したわけです。
それに気づいたのも、不思議な流れがあってわかったことでした。
特に杭州。
なので、今こうして古代史以前の世界を描きたい欲望が生まれてしまった…。
私の前世の中のひとつに、中国で石碑を調べていたことがあったそうです。
巻物に書いたり歴史を編纂する仕事でしたが、何かを知ってしまい宗教に葛藤します。
その頃、チベットで友人と会っていました。(前世)
これは友人が教えてくれたのですが、友人はチベットで僧侶でした。
今は信頼できるヒーラーです。
でも、私はその時と同じように、宗教に葛藤し友人に相談している・・・面白い。
そして真実を知ることなく終わっているので、それをまた調べているという現世・・・。
やり残したことがあると?
人間はマカ不思議で面白いけど、核となる魂は生き続けることを知りました。

物部氏に興味をもつのも、前世を忘れないために、
記憶を持ったまま肉体に宿す不老不死という思想を生みだし、追求した人だったからです。
それを率先していたのが、秦の始皇帝でした。

水銀や金が不老不死に効果があると知り、黄金と龍が眠る日本へ。
今では天孫降臨などとよび、渡来人と一括りにし、東北では秦氏や物部氏がその系譜をもつと考えられ、
東北の金探しに務めますが、今では何の痕跡も残っていません。(うまくいかなかった)
彼らも中国の龍の気を感じていたのでしょうか?
あの頃にまた戻れたらいいなあ、と思います。
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企画展:ヒマラヤの憧れ

2015-12-17 | イベント・セミナー
イベント:「ヒマラヤの憧れ」
東北人の登山記録から防災アウトドア

2015年12月15日(火)~2016年3月21日(月)

東北歴史博物館



いい企画ですね~。
ヒマラヤは憧れです。
マナスルに初登頂した日本人は、槇有恒さんという方で、
仙台市出身です。
ネパールも日本と同じように山信仰があり、
マナスルも聖山でしたので、外国人の登山を禁止していました。
しかし、地元の方に伝わったものがあったのか、
日本人の登頂を許され、槇さんの初登頂が実現できたそうです。

一度は失敗したものの、2度目の挑戦で成功したのですが、
槇さんは、泉ヶ岳によく登っていたそうで、山頂からの眺めをみてマナスルの
再アタックを決意したという話を聞いたことがあります。
泉ヶ岳から見える宮城の山々がヒマラヤと似ていたのかもしれません。



●東北歴史博物館
http://www.thm.pref.miyagi.jp/enter_top.html

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片目の伝承と脳の不思議

2015-12-13 | 日記・エッセイ・コラム
寒くなってくるといろいろ妄想してしまいますね~・・・。

これだけいろんな神話、伝説や古代史を読んでいると、どのあたりの時代から
ズレてきてるんだろう?と思うことはあります。
沖縄にディズニーランドを作るとか、どうしてそういう話になるんだろう?
世の中がおかしいのはわかっていますが、こんなに人間の価値観てズレるもんだろうか?
ただ、結論、人間は「霊そのもの」ということだけはわかりました。
生きているから、肉体をもっているだけで、他は霊と何も変わらない。

それが脳にあるという話があって、
詳しいことはわかりませんが、歴史の中に何かを伝えている部分はあると思った。
それが「片目になった話」

その前に、脳の話…なぜか脳みそ。
片目の話の前に、脳についてちょっとお勉強。

アーモンド、小豆など、日本でも小豆島は聖地だったりする。
これは、アマンドゥとよび、古代ギリシャ語から由来し、扁桃体のことを示している。
ヘブライ語では、アーモンドのことをシャケードとよび、釈迦となる。
その意味は、覚醒。目覚め。

大野東人を、あずまんど、と呼ぶようにしたのは、薬師如来を祀るためである。
と、いうことは、大野東人は東北にシャケード思想をもたらした人でもあると私は思います。
そして、大野はオオヌテと昔はよんだ。オオヌテは大きな銅鐸のことで、大鐸。
出雲そのもの。
偉大なる無音の宇宙と訳したらよいか。その無音も覚醒。

それが、扁桃体と松果体という脳の働きに隠されていた。
目をもたない魚が松果体を通して光を見ていることがわかった。

ずっと前に武甲山登山中、友人に夢の話をした記憶がある。
もしくは、武甲山登山後に見た夢だったかどっちか。
それが、石に彫られた片目の夢で、右目が大事という夢だった。
とても不思議だったので覚えている。

扁桃体がアーモンドの形によく似ているからそうなったというのだから、
松果体も何かの形に似せている。

レム睡眠(夢をみている時)は扁桃体が活発になっている。
日中に体験したあらゆる情報が必要かどうかを振り分けをし、重要だと判断する情報
だけを記憶するのが海馬。
その重要だとする記憶の中に、時空のない記憶もあるんじゃないか、と。
だから、経験してないのに、恐怖を感じたり懐かしいと思うのは、そういうことなのかなあ、と。

また、良い情報だけを記録するのでもないようだ。
扁桃体が活発になっているのは、
危険を察知した「逃げる」という防衛本能が関係している。
なので、夢を見すぎるのも疲れるけれど、夢はストレス発散になっているので、
悪い夢は逆に脳にとってとても良い。
そのように扁桃体が活発になると、
「前頭葉」は、「安心してください、大丈夫ですよ。」と言うために働いてくれる。
とにかく明るい安村みたいに。芸人さんですが、友人が「いつも明るい安田」と言っていた。
近そうで、遠い~。ワラ。

で、マイナス思考な人や、うつ症状が出てしまう人などは、前頭葉があまり働かないそうだ。
なので、常に扁桃体が「逃げろ」と言い続けているので、どんどんネガティブになる。
よく、向き合うという言葉を使いますが、過去に経験した恐怖や不安から逃げないことを、
向き合うと言うのだろう。やはりそれを越えないと相変わらず前頭葉は働いてくれない。

昔の人は、そういう事を知っていたのだろうか?と思うことがある。
人々の想念が大事であったから、信仰や宗教は脳のメカニズムを考えて誕生したといっても過言ではない気がする。

修験や山伏が霊的に高い状態でいられるのは、登山が歩く瞑想と言われているように
覚醒のようなものを引き起こすからであり、それに脳が関係している。

私も経験から、有酸素運動により自立神経失調症をほぼ完治したことがあり、
パニック発作がほぼ治まったことがある。(100%とは言えないが)
有酸素運動とは、登山。
学校の課外授業で登った武甲山。
たった1回きりで良くなった。これも行動療法ともいえますが、
武甲山が霊的な山だからこその体験でした。

また、このような現象はシナプスに刺激を与えることがあると思う。
変な夢をみたり、登山で不思議な体験をする方もいますが、
シナプスという神経は、出力するものと入力する情報伝達を働かせるもので、外部からの情報を受けやすくなる。
なので、気づきも多くなる。
貧血は極度な脳内の鉄分不足で起こりますが、カルシウム不足もあり、
そのカルシウムが不足するから、キレやすい大人や子供が増えている。
これは食べ物に原因があります。
それを解消するには、認知にも効果があると最近では考えられているようですが、
シナプスを活発にするために、持続的な長い呼吸法が効果的とも言われる。
まあ、これには個人差がありますが。。
登山はそれを意識しなくても得ることができるので、私は登山療法が一番合っている。

そしてシナプスは、松果腺に到着する。
難しいことはわかりませんが、複数のシナプスが松果体を刺激することで、
松果体が脳の奥の骨にあるのに関わらず、光の信号が到着することができると。
振動は骨にも伝わるらしい。動物の骨を飾りとしている先住民も知っていたのだろう。
ちなみに、羽黒修験は女性も多く、動物の牙を身につけていたそうだ。
多くは山犬の牙。狼もテレパシーで山歩きをしていた?

こんな理論くさい話をしなくても、昔の人は信じるものは救われるで、
良いと思うことだけを信じるような伝承を残しています。

ところで、脳神経は宇宙の銀河とそっくりです。
脳は宇宙のミクロ。
これは友人の話。
子供の頃、少し脳の障害があり手術をして完治した友人がいます。
脳の状態をみるために、注射を打つことがあったそうです。
目をつぶっていたのですが、注射を打った瞬間、ぱっと脳の神経が見えたそうです。
色は赤ではなく緑だと言っていた。
その事をとても不思議だと言ってました。
要は、目が見えなくても脳の神経は見ることができる。
「脳が見ている」という事なんですよね。
ちなみに、友人の障害とは、退化した脳が稀に働いていることがあり、
その脳波により言語中枢の部分を刺激していたようです。
日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字の3箇所の言語中枢を持っているので、
3カ国語を話していることになります。
なので、最初にわからなくなった言語が、ひらがなだったので、
比較的見つけやすかったそうです。

さて、脳が退化している部分とは、松果体も同じく退化してるとか?
その見る力を失う片目の伝承・・・。

片目の伝承の裏に---------------------------------------------

伝説にも片目の話が多いのはなぜか?
鎌倉権五郎景政は、平安時代後期の平氏。
東北地方は、山形、秋田、岩手、青森に片目の伝承が残る。
青森では、鳥海三郎という人に、右目(左目という話もある)を射られたが、
白滝神社で目を洗ったら、その池にいたウナギが盲になった。
西和賀にも片目のカジカの話、山形の阿久津八幡神社でも、八幡太郎義家が鎌倉景政に矢を射った。
その池で目を洗ったら葦が片葉になった。
山形では弁天池で目を洗ったらそこの池にいた魚が盲目、もしくは片目になった。
タタラ製鉄も片目、片足が多い。

薬師様の話もある。
仙台市の蛸薬師堂は、八幡神社を祀る。阿久津八幡神社と同じで、
薬師様が流れついた池の中に生える葦は片葉になる。
ということは、片目の伝承には八幡神社が関係していそう。

源氏の守り神は岩清水八幡神社。
八幡太郎義家は、源氏との関係を強めるために八幡と命名され、
前九年、後三年の役で活躍する。
鎌倉権五郎景政も平家一門で関東の坂東平家となるが、
後に千葉家や畠山重忠などと関わり源氏に。
ところで、青森県の伝承では、鎌倉景政に矢を射ったのは、
鳥海三郎という人ですが、安倍宗任の事で、奥州の俘囚だった。
いずれにしても、片目を失うのは鎌倉景政と決まっている。

しかし、清水で目を洗うと見えるようになったと付け加える話もある。
清水が貴重なのは、その闇から光を再び取り戻すための力があったから?
薬師如来は目の神様となった。
なので、薬師如来は目を司る。
右はミキで、水気の説がある。ツクヨミが水神で、ヒダリは、火垂り。アマテラス。

これを善とするか悪とするか・・・、と考えるのは西洋的。
私はそうやって別けるのは好きではないが、
みんな悪いところをもっている。かなり悪な部分。嫌だけど。事実だからしょうがない。
片目にすることで、太陽神の象徴としていたのを光を失った目と捉えるのか・・・。
そんなことどうでもええやん、と思うのだけど、
伝説に片目が多いのには、別の見方があると思っていた。
なので、妄想してしまう。

太陽神のエジプト、ホルス神は右目を司る。
伝説では、自分を神と認めない者に自らの片目を雌ライオンの女神につけて地上へ送ったと。
罪を持っているものにも、目を潰す残酷なことがあったと聞く。
しかし、これが単なる目ではなく脳のことを言ってる。
ホルスの目は、松果体。
地上に送った片目は松果体であると解釈できる。



脳の断面が松果体とする説があるのだから驚きだ。
※6の意味。2の倍数。

となると、片目の伝承はエジプトがルーツにある。
単に失明したというのではなく、太陽神や光を受けることを壊した話と考えるのか?
光が見えなくなると闇の世界になる。
闇の世界になったことを伝えているという裏の伝説があった?



しかし、なぜ、鎌倉権五郎だけ片目の伝承が多いのか。
奥州合戦で手柄をたてた人は、片目になった。
それは、第3の目をもったものの為せる技?と。変な話だが…要するに、片目になるとは、
一つ目の神になったということだろう。
鎌倉にある御霊神社は鎌倉景政を祀り、目の神様という。

他にも秋田県の胡四王神社も、ウドが目にあたり片目になった。
胡麻殼が目にあたり胡麻を栽培しない話しもある。
薬師祭りの日は、目が潰れるので、山へは行かないと。
これは、宮城県北部栗原の六角にあるイグサを嫌う神も同じ。
イグサで目が潰れた話し。
イグサ嫌う神で書いてるので参考にして頂きたいのですが、
イグサやアシが片葉になるのも、ユダに関係している。それがヘブライ語。
先住民がイグサ(ヘブライ語)を嫌った?
八幡神社に多い片目の伝承を考えると、ユダヤ(ヤハウェイ)に関係していそうだ。
秩父にも雨薬師のお祭りがありますが、これも目の神様。

「胡麻」が何をさしているのか不明です。「護摩」なのか?
もしこれを呪文のようなものでみると、「開けゴマ」の呪文のゴマは「シム」(アラビア語でゴマのこと)」となる。
アラビアンナイトで扉が開いた話。
「開け」って何を?
何かの宝なんだけど、魔法の力みたいな話。


(重ねてみた)

松果体は、松の果実とかく。
豆粒のように小さいが、進化する前はもっと大きかった。
松の木の精霊があるように、松が松果体の光を司る象徴となったようだ。
それに松果体は、24時間周期の現象を起している。
光と温度の体内時計。
Wikiに、松果体の哲学論では、異なる物質と精神の2つの実体が存在し、
「魂のありか」とよんでいる。だから、奥まった部分にあるのだと。
それは大脳にも接してない?から。
という事は、片目の伝説は、「物質文明と精神文明の融合」という重要な意図があるから、
片目にしたのだろう。
盲になるのは水にいる魚である。動物ではないのも意味があると思う。
目がなくても光で感知する魚のことなんだろう。

第3の目といわれるように、真ん中のおでこに目を書くのは、松果体が脳の中で唯一、
右と左に別れていない中央に位置するものだから。
それも融合。
なので、一つ目の神様が巨人の鉄族の象徴となってるのも、
松果体という光の信仰が鍛治集団に広まったことにある。



※一つ目の神は巨人。「オドュッセイア」に登場する巨人(wikipedia)

脳の松果体が光を通して鮮明にみるテレパシーなもので、幻覚をみるものだったり。
それが、フリーメイソンと関係してるか不明ですが、片目をシンボルにしているのは、
石工の掟であるから、意識していることはあると思う。
が、あまり良い感じはしない。
片目のシンボルがオカルト的に悪いように捉えられているのは、
この世はまだ、融合にはなってないからだろう。
経済と権力の時代だから、松果体は物資文明の方が強くなったような。
その発端を作りだしてしまったのが、源平合戦なのだ。
源氏と阿部氏の戦い。
なので、このあたりから歴史は変わったと思う。
それ以前は統合することを考えていた。

伊達政宗は先天性の目の病気だったらしいので、独眼竜となった。
これも何かその部分を背負っているようで…伊達家も産鉄族だと思うので、
一つ目神の末裔かもしれない。ま、妄想。

ということで、片目のシンボルには深い意味があったということ。
まだ私は葛藤するのですが。
古代史や歴史を、史書という言葉だけを信じても真相はみえない。
反面、精神論で歴史を語るとなると、今度はオカルトといわれる。
何の根拠もない、となると史書が残っていない古代史や先史時代はオカルトにくくられる。
どちらもバランスよく歴史を語るのは、とても難しい。
そこに常に葛藤していますが、昔話や伝承は、どちらでも説明できる話だから面白い。
人間は霊そのものなので、物質世界だけを見るのは私は苦しいので、伝説にはまるわけです。

子どもの頃に見た夢をいつまでも覚えているのは、
海馬が大事だからと思ってストックしているものなのか?だからふっと思い出す。
その引き出しは無限大。
海の馬、てのもすごい漢字だね。
それも不思議な脳の働き。
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スバルの国分寺の瓦

2015-12-11 | エミシについて
蔵から瓦へ。
スメルは、スバル、統べるの統一。
昴はプレアデス。
スメラミコトは、宇宙を統一する役目の意味。
菊紋様がそれを示している。
瓦の紋様からこんな宇宙の妄想。


(長町駅の待合室に展示されている。蓮をかたどった瓦文様)

神道から仏教の転換も、瓦の模様にも変化があるのかね?
16枚から8枚に。
そもそも菊紋様は大体、16枚。
12枚もあるが、失われた十二支族の一つの意味で、12らしい。ホントカ?
正十二四面体は、立体の六芒星。
6次元?とでもいうのかどうか。

いつの間にか、それが太陽の円になった。日の丸がそれ。
多面体をどれだけ重ねれば球体になるかわからないが、光が回転している現象は、
科学的に説明できるとするが…
太陽に足がついて回転するトンパ文字や、
九曜紋もそんな車輪から太陽になる現象かもしれない。
それが、聖母マリアの出現と関係しているのだから、すごい話。
聖母マリアの出現話は、ナショジオに、ちょこっと載ってる。



ただし、天皇に菊紋様を記すようになったのは、明治時代になってから。
それ以前の紋様を妄想するならば、エジプトにもあるようにフラワーオブライフが起源なんだと思う。

皇室は32弁とする表と裏?に菊紋様を描く。
16×16=32。


(平城京出土瓦展より。奈良平城京の瓦:8世紀後半)

で、中心を含めると、33になる。
菊紋様は、エジプトやイスラエル、ペルシャの紋様も皆、世界の遺跡にも記されていますが、
菊紋様は、正四面体の形が隠れていると。
平面?にしたらその形なんだけど、正四面体は、球の中に秘密があった。



多分、完全な円を求める形に、33が関係しているのかも。
札所観音霊場を33箇所にしたのは、おそらく江戸時代からかもしれないが、
それで秩父に一つ追加して34カ所にして100という完全にしたい思想があったわけだから。
しかも、13人の権現者がそうした、という伝承からユダヤぽい。

それで、こんな情報が。
ネットからの情報ですけど。

地球内部に正四面体を南極の頂点に合わせると、不思議な数字が出てくる。19.5度。
球と正四面体の間の空間の角度が、19.5度。
また、109.5度は、蜂の巣の6角形の角度。
最も均整がとれた無駄のない(頂点、辺、面の数が少ない)からでしょう。
メタンの構造も正四面体をもち、周りに4つの水素を結合しているが、この角度も109.5度。
氷の結晶も正四面体。
この数字は世界中のパワースポットに含まれるうえ、火星のピラミッドは、西経33度、北緯19.5度など。
惑星にも関係する数字。
エジプトのピラミッドが火星のピラミッドと酷似しているのは、
こーいうことからきてるかもしれない。
詳細はこちら。
★ピラミッドと地球が作る奇妙な数字の謎
http://matome.naver.jp/odai/2137000037094147401

じゃ、この瓦の文様は何なの?
てことで、トーラスのフラワーオブライフを平面にしたもので、
立体にしたら別次元に覚醒できるものなんだろう?
だから、ピラミッドは覚醒できる別次元の形だ。

地球のグリッドも蜂の巣形で説明できるかもしれない。
そのラインをレイラインと呼ぶそうですが、先史時代の遺跡だけが残されて、
人の痕跡がないのは、何かしらの現象が起こったと言えるかもしれない。

日本はそのルーツをもっている一員、一家ですよ、ということか…
みんな他の星から転生している。

震災の歴史-------------------------------------------------

先月行われた「陸奥国分寺と貞観震災」の史料から、へ~ぇ、と思う話。

貞観地震(869年5月26日)日本三代実録より
<地震>
陸奥国の地、大に震動す。流光、昼の如く隠映す。
しばらくして人民叫呼し起つことあたわず。
或は屋たおれて圧死し、或は地裂け埋えいす。
馬牛驚き走り、或は相昇踏す。
城郭倉庫、門櫓墻壁、崩れ落ちてんぷくすることその数知らず。
<津波>
海口は哮吼(こうこう)すること声雷に似たり。
驚濤湧潮(きょうとうようちょう)、泝し張長してたちまち城下に至り。
海を去ること数十百里、浩々としてその涯?(がいし)を弁ぜず。
原野道路はたちまちに滄溟(そうめい)となる。
船に乗るにいとまあらず、山に登るにおよび難し。溺死する者千ばかり、
資産苗稼殆ど孑遺(けちい)なし。


※孑遺・・・残るところ

--------------------------------------------------
貞観地震の政府の対応について、5月に震災が起こってから、9月に使いを現地へ派遣。
使者と国司が直接現地を訪れ、「民・夷を論ぜず保護せよ」と。

津波への政府の対応(869年10月)
(省略)
聞くならく、陸奥国の境、地震尤も甚だし。或は海水暴に溢れて患となり、
或いは城宇くずれ圧して殃を致すと。
百姓何の辜(つみ)ありてこの禍毒にあわんや。
憮然として愧懼(きく)するに、責は深く予に在り。
今使者を遣わし就きて恩煦(おんく)を布く。
使と国司とともに、民・夷を論ぜず勤めて自ら臨み撫でよ。

既に死する者は尽くし、しゅうひん(埋葬)を加えよ。
その存する者は、詳らかに振血(しんじゅつ)を崇ね(施しをあたえる)
租調を輸することなかれ。(
以下省略)

民・夷問わず。というのは、公民であるか蝦夷であるかを問わずに援助しなさいという通達があったのだ。
正直、この時代は物騒な世の中だと思っていた。
でも違ったのね。
今も、まだ戦争している時代。
この頃からボランティア精神が芽生えていた国の対応。

東日本大震災は、お店を壊して物を盗むなんてことはしない。
海外メディアが、おとなしく列をなして並んでいる姿を賞賛していたが、
歴史をみると、この頃から「食べ物は分け与える」精神が残っていたんだろう。
その日本に住んでいる外国人も、その精神を学んで日本にいるし。
世界に日本人がいなかったら、とっくに滅んでいたんだろうな、とつくづく思う。

しかーーし、救済の影には、「エミシが暴動を起こすので注意しなさい」
という言葉もある。
なぜ、震災が起こるとエミシは暴動を起こすのか?
例えば、イエメンの大雨洪水で、
フランス大統領が、気候変動は紛争に繋がるといった発言があった。
「テロと温暖化は分けて考えてはならない」と。
それぞれの場所で遊牧民と農民が住んでいたが、震災の影響で、
水不足となり、遊牧民が農民の領域へ侵入したことで反乱が起こったことがある。
それがテロに繋がるのはまた別の話だと思うが、水不足という不安が暴動を起こす考えは、今も昔も変わらない。

水信仰や、弘法大師の湧水伝承などは、震災などの影響で水が枯渇することを
防ぐための、灌漑用水の技術を伝えたものだろう。
空海は、自立した水の確保を学びに留学し、密教を含めて考えていた人でした。
それが平和に繋がることと密教との繋がりがある。
それだけに水不足は深刻だった。

貞観地震も、震災により社会不安が蔓延し、大規模な混乱が起こる可能性を警戒しているものだった。
民は、大和朝廷側の開拓民のことを指すと考えれば、
どちらも被災しているので、民が弱くなると考えたエミシが、ここぞとばかりに、
反撃することを想定した話なんだろう。
そう考えると、帰化人もいましたが、エミシは生粋の日本人ではない。

「エミシたち野心を鎮め、役人や民衆の恐怖を安じたい」という事で、五大菩薩を建立する。
この文章だけ読んだら、エミシは野蛮だと思ってしまう。
しかし、やたらに多い塞神を考えると、エミシは民族の総称でもないので、
本当の歴史がどうだったか、そのまま信用するわけにはいかない。
柴田郡にある新羅の郷は、新羅人がいたから後に源氏が追いかけている。
このあたりから山形~笹谷峠は金のルート。
朝廷が金をねらっていた事は確実で、新羅人は峠越えをしながら山伏となり、
修験に助けられながら東北へ逃れていたことが見えてくる。

また、新羅は秦氏と関係している。
渡来人の背後には、秦氏や物部氏の豪族たちがいたわけです。
それに「ヒラ」という地名や名前にも。
ヒラ=平家の平と名乗る人々。そのヒラの意味はまだわからないが、
ヒラミドという言葉がある。
妄想するに、ピラミッドが「日来(ヒラ)神宮石」などと、太陽信仰の意味がある。
卑弥呼を中心とした太陽神とする末裔たちのことだと思う。

新羅の郷については、あこや姫伝承にのせてます。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/25d93640d9e191c8a4328663b34182f5

陸奥国分寺も震災で倒壊しました。
その復興に力を尽くしたのが、柴田郡の新羅人だった。
「870年9月 新羅人潤清ら10人を陸奥国に移住。
前年6月の新羅海賊豊前国貢綿船襲撃事件への関係容疑で拘束された人々」
造瓦に長けた3人を「陸奥国修理府料造瓦事」を預からせ瓦工に技術指導させる。

(潤清らの技術指導によるもの)
ただし、これは百済や高句麗の影響を受けた文様であったという説も。

復興瓦は、台原森林公園がある五本松窯跡。
今では仙台市民の憩いの場となっている森林公園で瓦造りをしていたとは…。

新羅人は海賊だったのねえ・・・。
新羅入寇といわれ、九州を襲ったものが多かった。
しかし、国(朝廷側)の豪族も関与している可能性があるそうです。
現代でも移民の問題がありますが、それと同じで、
新羅での社会不安(飢餓など)があった為、日本へたくさんの移民が入ってきたことにある。
「天平宝字3年(759年)9月、天皇は太宰府に、新羅からの帰化人に対して、
帰国したい者があれば食料等を与えたうえで帰国させよとする勅を出した。
翌年には、帰国を希望しなかった新羅人131人を武蔵国に送還した」
武蔵が強かったのは、海賊の祖でもあるからなんだよね・・・。
---------------------------------------------
話は変わり、アメリカと日本が対戦する夢を見てしまい(戦争ではないよ)。
あの、ムカデ対大蛇伝説の戦場ケ原のような夢。
森の中で。
そして岩場で大騒ぎ。
物資文明と精神文明の対決。
ですが、どちらも必要なことらしい。
どちらも兼ね備えたバランスを持たないといけないという。
男の△と女の▽。このバランスが星になる。

それで、わかりやすい動画を発見。
正四面体とは、星でした。
星信仰は宇宙。

国分寺の瓦から、こんなところに繋がることが不思議なんだけど。

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蔵と屋号

2015-12-10 | 東北地方の伝説(宮城県)
ずっと蔵(クラ)繋がり。
休日、どこか行こうか~と主人と話をしていて、村田町の蔵を見に行こうか、となった。
仙台から近いし。車で3,40分くらい。
前から村田町の蔵巡りはしてみたいと思っていました。
ずっと前に、白鳥神社へ立ち寄りましたが、何かと村田町へは行くことがあるなあ。
道の駅もあるし、郷土資料館もある。しかも無料。
あそこの図書館はなかなかいいですよ。奥の方にあって落ち着きます。
地元の資料も豊富。

村田町は、重要伝統的建築物群保存地区に指定されています。
http://yamani.main.jp/





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この蔵の町並みの由来は古く江戸時代にさかのぼり、
花のお江戸と呼ばれた徳川将軍家お膝元の御用商人や両替商、卸問屋等街屋が、
度々の出火により家屋が廃墟となった経験から、漆喰造りが生まれたことによります。
江戸中期になると、この商家の伝統的建築様式が周辺に広がって行きました。



 川越、喜多方、真壁(村田領主初代村田業朝公故地)、
村田が蔵の町として名が広まっていますが、
村田を除く各地は蔵の建築が大正時代に終焉を迎える中にあって、
村田の店蔵は江戸中期から、明治、大正、昭和初期と延々と建築され続けました。
二十数棟が立ち並ぶ蔵の街並みは圧巻で、全国で唯一、現在の街並みと
蔵の街並みが時代を超えて共存しています。

山田邸 文政5年(1822年)3月の棟札、川越市大澤邸に続く日本で
二番目に古い店蔵、大沼邸 銘酒「乾坤一」醸造元は建築界の大御所、
藤島亥次郎博士、子息幸彦氏共著「町屋点描」に紹介されています。



カド家、大養家、升家、ヤマショウ家、カネショウ家、カクショウ家、
佐藤カネマン家、カネジュウ家、マルジュウ家、ヤマニ家、鹿島家、田山家等々、
店蔵がかつての村田商人の殷賑ぶりを彷彿とさせ、
想いを遠い昔へとタイムスリップさせてくれます。

(村田町商工会より)



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紅花は非常に高価なもので、山形県が京の都とのルートが確保されていた
のは、船の方が陸より負担が少ないことがあったそうです。
陸では、馬が何頭も必要で宿を何泊もしないとならないから費用がかかる。
村田~笹谷峠~最上~船で富山県を通り、京都へ運んだ方がリスクは低いと。
しかし、船は沈没しやすいので、分散して複数の船をつかって運んだそうです。
京都との交易をしていた商人だけに、村田町はどこか雅な感じがします。
それに、雅なお雛様も伝わっており、山形県にお雛様が伝わっているのも京都からの文化を
受け継いでいるからなんですね。



何か所か、無料駐車場があるので歩いて見られます。
規模は全国の蔵町に比べたら小さいですが、何より、私個人として価値があったのは、
カネショウの大沼さんという元気なおばあちゃんに出会えたこと。
大沼さんも根っからの商人の血をひいているので、楽しい時間を過ごすことができました。


(カネショウ)



大沼さんは、カネショウ大沼邸を管理しており、10年間もの月日を費やし、
「紅花と村田の一商人」の本を書かれたすごいおばあちゃんでした。
81歳とは思えない若さとパワーを頂きましたよ!


(懐かしのオルガン♪を弾いてくれた大沼さん)

震災で、裏の蔵は被害を受けたそうですが、その中に大量の古文書や懐かしい品々を発見したそうです。
宮城大学の学生がボランティアで復興修復を兼ねて、蔵の保存に注いできたそうです。
昭和の懐かしい道具から、大正時代のものまで貴重な品々がたくさん。





さすが商人だけあって豊富です。
2階は畳をしいて改造し、客人などを招く場合に使われるようになっていたそうです。
道はさんで向かいが、カネショウの本家。






(大正時代の電燈)

蔵を観に行ってわかったこと。
私の実家も本家だったので、蔵があった。
今は壊してないですが、実家の屋号が「やまじゅう」だった。



これまた不思議な流れ・・・。
先日、仙台城跡に行った時、積んである石にマークが記してあった。
これらは、屋号のような意味があるのだろうか?と思ったことがある。


(仙台城壁、一番高い石垣。高さ17m:この曲線美に石工のプライドを感じます。よく復元したよね~、すごい。)

実家の瓦が「やまじゅう」だったこと思いだし、
その意味は何だろうと考えることが度々あった。
それで村田町の蔵めぐりでちょっと理解できた。
どうも「ヤマ」は本家らしい。大沼家でもそうみたい。
企業でもキッコーマン(きっこう=亀甲は六角形)他、井ヶ田の「井」など。


(仙台城石にあるマルのマーク)


(○に囲まれたのが「井」のマーク)

他にもマルもあったり、いろいろ。
カネは大工の道具の形です。
一家は、屋号で呼んでいたわけで、村田町の蔵も細長い形でずっと奥まで蔵がある。
うちの実家のように、どんどん古いものを壊す中、残されているだけで十分うらやましい。
管理はとても大変ですが、ぜひ、残してほしいものです。

ちなみに、実家の秩父は関西方面からやってきたのか?
「し」を「ひ」と発音する。
「しちや」だったら、「ひちや」と言う。

平家落里----------------------------------------------------------

昔話や伝承は、信仰の原点にある。
車など無い時代、そこまで巡りついた土地の御加護や縁がある。
修験は「経験を修める」と書くけれど、歩いている人にしかわからない徳だ、と。

村田に伝わる八竜様の怪童子

むかし、沼辺の田辺の「はまいば」に大勢の子供が集まって遊んでおった。
そこへどこからともなく一人のの子供があらわれてみんなと遊ぶようになったと。
その子は顔は人の子なんだが体は熊の子のようだった。
彼は朝早く誰もいないうちから「はまいば」に来ていて夕方遅くまで遊んでから帰った。
でも、どこから来るのかもわからんし、何か物を食っているところも見たことがない。
そしたら辺りの大人たちは「ありゃ神様の子供じゃ。
罰があたるとたいへんじゃからいっしょに遊ぶな」といって子供を連れ帰るように
なってしまった。とうとうその子は一人ぼっちになってしまった。
するとその子は腰に下げていた袋の中から何かを取り出し、
辺り一面にばらまくとぷいっと消えてしまったと。

いつもいっしょに遊んでいた子供たちはその子のことが心配になって後で探しにきたんだと。
そしたら、八竜様の石段をしょんぼり登っていくあの子の姿が見えた。
でもその頃、八竜様と「はまいば」の間は大きな沼だったのでその子がどうやって
向こうに行ったのか誰もわからんかった。するとそのとき、
八竜様のお宮おの上から白い鳥が一羽、小泉の熊野神社の方へ飛んでいくのが見えた。
鳥はそのまま姥ヶ懐の方へ飛んでいった。「やっぱり、あれは神の子だったんだ」とみんな納得したという。
それから夏が過ぎて秋になった頃、子供たちがあそんでいたところには麻がわんさかと
成った。あのとき子供がばらまいたのは麻の種だったんじゃね。
村人はその麻から糸をつくって布を織り生活の足しにするようになった。
それから八竜様のお祭りには麻を奉納するようになったんたと。
今も小泉の熊野神社から「はまいば」まで御神輿が来るのは、
こんなお話があるからあるからなんじゃ。


(村田町ドットコムより http://town-murata.com/2010/05/post-27.html

「はまいば」とは、お正月に参拝すると神社にある破魔矢のことかもしれない。
柳田国男は、「ハマ」は、濱井場(ハマイバ)というのがあり、地名として残っている所もありますが、
弓を射る場所に言われたそうです。
でも、村田町では、竜と白鳥が神の使いになっている。
ヤマトタケル、スサノオ、白山信仰がみんな混じっているような、
それらが麻を伝えた話として伝承されている。とても興味深い話だと思います。
-------------------------------------------------------------------
それが平家なんでしょうか?
やっぱり、ここも平家落里でした。
「きゅうりを食べない」や「きゅうりを栽培しない」話を大沼さんから伺いました。
平家はきゅうりを崇める。

きゅうりについては、祇園に関係している。
妄想しまくりですが、きゅうりを食べない話は、こちら。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/49b89f75ff577a22fd383c4c22ab1471



山形の最上~定義山~秋保~村田町までやってきたそうなので、
山形県の出羽三山と繋がっていると思います。
村田町にある熊野神社には、龍伝説もあるし。
熊野神社は支倉村(川崎)にもあり、新羅の郷だ。
小泉村の北の村田郷の鎮守は白鳥社であったそう。
そういえば、秩父の横瀬も小泉姓が多い。
それに秩父も熊野だ。
小泉は職人の意味があるのか・・・実家の友人も本家で、「かざりや」と呼び、
金細工をしていた職人だった。
お祭りなどの神輿など重要な彫刻に金を施す職人です。



新羅などを考えると、スサノオ信仰があったと思う。
秩父と重ねて考えると、陸奥開拓に武蔵は関係しているので、
要するに平家はスサノオ信仰が根底にあるのではないか?と思う。
きっと村田町を通って北上した秩父平氏もいたんだろうな~あ。
似ているもん、感覚が。
そして祇園祭りや秩父夜祭とつなげるのならば、シオン(ZION)。
平家はユダヤっぽい。
ユダヤ人はアジア人=日本人です・・・(という説が有力)
山伏の格好が、ユダヤ教とそっくりなのはよく知られてます。

「古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪・黒目の浅黒い肌(褐色)をした人種で、
背が低かった。体格は日本人とそっくりであった。
更に、日本人とオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)の
男性Y染色体の大きさが同じであることが、パリ大学の教授によって発見された。
これは、他には見られない現象だという。」(日ユ同祖論より)

オリエンタルユダヤ人 !!…とは、白人ではないユダヤ人のこと。

きゅうりの切り口が、六角形に似ているから、などいろいろな説はありますが、
屋号だって職人の印としている時点で、何か深い意味がありそう。
それが現代版、フリーメーソンに繋がっていることはあると思いますが…

そんなことを思うと、蔵の魅力って何かな、と思ったりする…。
古代の石工はピラミッドから発祥しています。
蔵造りもその名残があるのか、瓦に印をつけることが多い。
瓦は、16枚の菊紋様を使うのが古い。国分寺の瓦がそれ。
仏教では蓮の8枚に変わる。
仙台にある国分寺は、新羅人が瓦を造っていた。
それも川崎に住んでいた新羅人が、瓦の技術をもっていたという事から。

蔵はその技が手に感じとれるから面白いが、残すことは大変だと思う。
秩父は過疎化の代名詞(埼玉では)になっていますが、
何を残すか、を考えると、物は震災であったようにすぐ壊れて無くなるもの。
伝承は、言葉や人で伝わるものだから、コツコツと地元人が伝承し、
人々の思い出の記録として残していくほかないと思います。

カネショウの大沼さんが蔵を案内してくれます。
暖かいお茶とお菓子も頂けますよ~♪
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百々石公園の巨石

2015-12-06 | 洞窟・巨石探訪
宮城県には、狼より猫の方が力があるといった昔話がありました。

「犬と猫と狼」

むかしむかし、ある山のふもとに大きな屋敷があり、そこでは犬と猫が飼われていた。
猫は大事にされていたが、犬は年を取りすぎていて、
どろぼうが入っても吠えなくなったので、最近ではエサもろくに食べさせてもらえず、
ひもじい思いをしていた。

そこで、犬はどうしたものかと裏山の狼に相談しに行った。すると狼は言う。
「毎晩、屋敷の奥さんは子供に小便をさせに外に出るので、
次の満月の夜に自分(狼)が子供を襲うふりをする。そこで犬が出てきて自分を追っ払って
手柄を立てればいい。」

満月の夜が来ると、はたして狼が現れ、屋敷の奥さんと子供に襲い掛かろうとした。
犬はこれを追っ払い、事は計画通りに運んだ。翌日、犬は家人から褒められ、
たくさんのご馳走を食べさせてもらった。

ところが、狼はお礼に自分の願いを聞いて欲しいと言う。それはなんと、
屋敷の猫を食べたいと言うものだった。困った犬は、どうしていいか分からず、
猫にこのことを話してみた。

すると猫は「狼と決闘して、負けたら食われてもよい。」と言うのだった。
犬がこれを狼に伝えると、狼は「猫のやつ、俺に勝てると思っているのか!?」と怒ったが、
兎にも角にも狼と猫の決闘は決まった。

決闘の日、狼は山の一本松のところで待っていたが、
猫は約束の時間をとっくに過ぎてるのに現れない。狼は待ちくたびれて、
とうとう居眠りしてしまう。そのころ屋敷では、そろそろいいだろうと言って、
猫は犬を連れて裏山に向かった。

猫は裏山に着くと、眠っている狼のそばに足を忍ばせて近づき、狼の耳元で鳴いた。
すると、寝ている狼はうなされ始めた。狼は、あべこべに自分が猫に食われる夢を
みていたのだった。その時、猫は狼の耳をパシッと叩いて狼を起こした。狼が起きると、
目の前には、大口を開けた猫が立っている。狼は猫に食われると思い、
大慌てで山の中に逃げていった。それから狼が姿を見せることは二度となかったそうだ。

一方、犬と猫はそれからも屋敷で大事に飼われた。




----------------------------------------------------------
さて、観音堂は、百々石公園の入口にありました。
このあたりをマップで見ていたら、百々石公園を発見。
景色良さそうなので、行ってみたら、巨石群。





さすが丸森。
犬も歩けば巨石にあたる・・・。
観音堂からちょっと上に登っていくと駐車場があります。



百々石は、ももいしだと思っていたら「どどいし」と読むと。
そして公園だと思っていたら、石碑がいくつかあり修験の山だった。
全て花崗岩だというのだから、不思議。





名前の由来や詳細はわかりませんが、どど色は桑の実の色なので、
養蚕がさかんだったことを考えると、桑に関係しているかもしれません。



また、「百石の舟」という言葉があるように、
阿武隈川のすぐそばなので、昔は、舟で荷物を運んだりしていた場所かもしれません。





巨石群の多くは標高は高くないが、見晴らしのよい場所がほとんど。
ここも見晴らし台のような感じ。


正面に立石のある山が。



立石がよくみえるので、何か意図があって巨石が積まれた感じです。
埋まっているからわかりませんが、岩石の塊だったりして。



丸森町に、こんな不思議な話があります。

「鉄砲の弾があちこちに跳ね返って飛び続ける話」

昔、宮城県丸森という所に、正吉という猟師がいた。
腕が悪い庄吉は、これまで獲物らしいものは一匹も仕留めた事がなかった。



ある日、大きな鹿を崖の上に追い詰め、正吉は鉄砲を撃った。
しかし撃った弾は鹿にはあたらず、そのまま森の木々に当たって跳ねかえってきた。
森の中を縦横無尽に飛び回る弾は、七日間たっても落ちることなく飛び続けた。



村の中でも弾が飛び回り、仕方なく正吉は再び山に入った。
弾に向かって大声で文句を言ったはずみで、うっかり発砲してしまった。
すると弾同士が偶然にもぶつかって、飛び続けた弾はやっと地面に落ちてきた。
庄吉が辺りを見回せば、飛び回った弾に当たったのだろう沢山の鳥が落ちていた。

正吉はお詫びとして村人たちに鳥を分け、あの弾をお守りとしていつも大切に持ち歩いた。






------------------------------------------------------------
鹿は、山神様と考えられているけれど、鳥が落ちてきたところ、
鳥をトーテムとする秦氏や熊野にも関係していそうな。
それに丸森町ほぼ全土といっても過言ではないほどの巨石群は、
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)に関係しているのでしょうか?
それには阿武隈川が関係していそうです。





Wikipediaより、
神名の「鳥」は、船が進む様子を鳥が飛ぶ様に例えたとも、
水鳥が水に浮かんで進む様に例えたともされる。
「石」は船が堅固であることの意である。
「楠」は、船は腐食しにくい楠の材で作られていたことによるものである。
建御雷神(タケミカヅチ)が天鳥船とともに天下ったのは、
雷神は船に乗って天地を行き来すると考えられていたためである。




(青麻神社)

これらの巨石がいつ頃か不明ですが、磐鞍信仰の阿部氏や物部氏なども関係しているならば、興味深いです。
白鳥信仰や金(砂金)などは巨石と関係しています。
岩手県では鬼=巨石は結びつけて考える。
秦氏も製鉄集団といわれるので、羽田が秦から由来しているように、
羽をつけるのに、秦氏が関係していることも。
黄金の平泉ができた背景に、秦氏と熊野は関係しています。
修験者が公園に石碑を置くのも、秦氏などの有力な氏族の痕跡があったから。
という妄想をしてしまいます。


(白山神社)

銃弾が7日間も空を飛びまわるという話。
単純に舟ではなく、UFOなのでしょうか?
地元の方からは、福島県はUFOをよく目撃するといいます。
丸森町は福島県に近いし。
巨石は何かと謎が多いですね~。

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