秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

秋田物部氏とアテルイ その1

2015-07-31 | 東北地方の伝説(岩手県)
最近多い地震や噴火。
古来から天変地異は、ナーガ(龍)が騒ぐからと考えられていた。
縄文人やエミシは、喜びの祭りをし、大地がうごめくごとに
新たな地球の命の誕生を祝いながら暮らしていた。

大噴火が起こる前後にエミシが反乱をおこすと言われていた。
山に多くの神々を鎮魂するのは、大噴火や地震を鎮めるためにある。
それは龍を祀る人々の祈りを消すことにもなる。

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秋田物部氏について昨年の8月にいろいろと妄想してきました。
あれから一年。
いまだに秋田物部氏がずっと頭の片隅にあり、度々現れる。
しかも、唐松神社がしつこく出てくる。
よくわからないが、ネパール大地震からなので、
ヒマラヤの記憶の王国(マナスル)が、地震の影響で開いたのだと思います。
あれから女性性が高まり、スピリチャルにはまっていた頃と同じような状況になると、
不思議と天日宮の存在がまた大きく見えてくるのです。


(栗原の田園風景)

最近は、姿がぼんやり浮かんでくるようになった。
やはり目で主張してくるようで、片方の目の色が黒色ではない。
伊達正宗みたいだが、それより私は片目の色が違う虹彩異色症?という人が
たくさんいることを始めて知りました。
でも、紳士的な雰囲気でとても優しい目をしています。

さて、何の根拠もなく「アテルイは物部氏」と、ひらめいた。
そんなことを洗濯している時に浮かんでくるのだから、相当だね…。
何か関係しているのだろう、と思うとキリがないが、吐かないといられないので、
再び、秋田物部氏について、東北の物部氏がどのように朝廷と接していたのか、
自分なりに想像してみました。

考えてみたら、6世紀後半には北東北に物部氏がいたのだから、
アテルイやモレ、坂上田村麻呂と接触していても不思議ではない。
アテルイという人は、後で伝承になった人ではないか、とも思う。
実際に、胆沢にいた酋長であったと思いますが、
美化しすぎる英雄な話に、ちょっと違和感もあったり。

唐松神社の護符の愛子神が、水沢の古刹に置かれていることと、
胆沢城跡に物部氏の遺品が残されていること。
この遺品はかなり古いと聞きました。
また、東北大の高橋富雄先生によると、水沢のことを「ミサ」とよんでいたのだ。
ミサ、ミッサとなり、水の沢となった。
洗礼を受ける聖地として賑わいがあった所だと考えると、アテルイに関係する土地には、秦氏の影もある。
ユダヤ教の洗礼は独特だったらしい。
そして源義経、奥州藤原氏、伊達正宗・・・アテルイと同じ夢を見、日本を西と東にわけ、
東に国を造ろうとした意味は何か。
このへんを突き詰めていくと、どうしてもユダヤ教やヘブライ人を知る必要がでてきます。
この分野はほとんど未知の世界なので、後で述べたいと思います。

エミシ探訪では、平泉や一関によく行ってましたが、水沢はずっと前に一回だけ
行ったことがある程度。ほとんど無知で、胆沢城が水沢にあることすら今まで知らなかった。
栗原などもよく行っていたけど、なぜ水沢は今までずっと素通りだったのだろー。



ところでアテルイとは、
村の支配者の村名として使用するもので、田茂郷跡呂井(水沢市田茂山)が由来。
天照井という意味のアテルイ説もあり、岩手の照井さんはアテルイの子孫と言われる。
また、単に集団の名前としてアテルイと呼んでいたこともあるかもしれない。

アテルイとモレの里--------------------------------------------

まずは知っておきたい所。
水沢江刺駅(新幹線)の裏手の山に羽黒山がある。
ここには羽黒神社がお祀りされています。
びっくりしたのは、アテルイとモレの里という大きな看板。
初めてここで、アテルイの文字を見た・・・。



羽黒神社の由来
祭神:ウカノミタマ
例祭日:6月15日

正確な記録はないが、51代平城天皇の頃、坂上田村麻呂が建立したと伝わる。
奥州の蝦夷である悪路王を攻めて勝利をしたので、羽黒権現を祀った。
貞観の頃に、慈覚大師入作の阿弥陀、薬師、観音の仏を納め、後に源義家が再興したとも伝わる。
この頃の歴史については後で述べますが、
「貞観の頃に慈覚大師は・・・」というところ、自然災害を鎮めた意味もあるかもしれない。
貞観地震という大きな地震が東北地方にありました。
それを機に、869年松島に五大堂を祀り鎮魂したことがある。



羽黒神社までは駅から行く場合、そんなに遠くありません。
徒歩20分くらいで到着できます。

片目のイラスト付の看板がいくつかある。
片目はこのことだったかもしれないね~。
水沢は砂鉄や砂金が多くとれた所でした。
この看板の説明によると、
「遺構、小堂跡、溝、焼土、灰層跡が検出され、
奈良時代の土師器杯の破片が発見され、アテルイ時代のエミシがここに足を
踏み入れたことが明らかとなりました。
古銭、鉄釘、キセル、銅製品、石碑なども出土されています。」




この場所がアテルイの里といわれた理由には、
続日本書記に(789年)「東山より出て官軍の後を絶つ」とある。
776年~789年、紀古佐美の朝廷軍を破った胆沢のアテルイが登場する。
801年坂上田村麻呂と対戦し、胆沢城造営最中の802年河内国椙山(現在の大阪府牧方市)
にて処刑されました
。(看板より)

東山はこの場所にあたり、アテルイが陣地として潜んでいた可能性があり、
その証拠とされる遺品も発見されたことからアテルイ郷土の里となったわけです。
その東山には、大黒堂、田神、愛宕神社が祀られています。
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田神を参拝中、また古い感じの言葉がちょっと流れてきた。
私のエミシ探訪は「母と一緒に歩いている」のだと。
この場合、母は私を産んでくれた母ではなく、この後にアテルイとモレを顕彰する碑をみてわかった。
母なる大地のことだ。



いろんな解釈があると思いますが、アテルイとモレの字をみて、父神と母神のことだと思う。
いつ頃、モレを母という漢字を用いたのか?
モレの名前には諸説がありますが、母體(モタイ)とよぶ。(磐貝公母體)
アテルイが生まれたといわれる場所を、田茂(タモ)という。(田茂郷跡呂井)
モは、母の地名をあてる事が多い。
母袋(もたい)、田母神(たもかみ)など。



栗駒山は磐井郡駒形山で、母体村といった。
「田茂」も元は、田母といったかもしれない。
緑生い茂る豊かな自然をさす。
豊穣の神とするのをモレ(女性)とし、天(空)を神とするのがアテルイ(男性)。
そのような思想が隠れている。
歴史では二人とも男性で戦士となっていますが、モレは女性のイメージがあります。



羽黒山について、安永風土記御用書出は、「社地より西北、江刺郡はもちろん、
上伊沢郡残らず、南部境通り嶽山ともに見え渡る。
南は下伊沢の田畑並び山々残らず東山あたりの諸山が見える風景の場所」と、記述しています。
現在、その展望は失われていますが、アテルイの時代には北の北上市から南の平泉町
まで見渡せる場所だったと考えられます。
この眺望の地に789年、アテルイが400人ほど伏兵を隠した「東山」ロマンを
求めた市民発掘が平成13年9月に行われました。
この地点で、10個の柱穴跡、石囲炉跡、土師器、鉄製品、などの出土が報告されました。
発見された柱穴跡について、古代の烽火台(のろしだい)跡や物見櫓跡と期待が
もたれましたが、確定までには至りませんでした。
しかし、考古学的な実証とは別に、今回の市民発掘は古代ロマンを探求する
「古代の烽火再現イベント」として新たな展開を迎えようとしています。(
看板より)

水沢は鉄王国があったわけだ。
そこに物部氏が来るのも当然だった。
南部鉄器があるように、後に日本刀の発祥である舞草刀が生まれる。

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田神が祀られている横路に、古塚というきれいな小山がありました。
愛宕神社がありましたが、こんな説明が。
「愛宕神社は、かつて古塚の上に建てられてあった。
明治初期の頃、同社を修繕する際に、敷地内から破損した古刀や不明の鉄器が発掘された。
さらに埋蔵されているのもあったが、そのままにして土を埋め戻した。
この古塚は石堰が埋められているので、これを発掘すれば、血の雨が降るとの伝説がある。
この時は、すごい豪雨にみまわれたという。」




石堰とは、用水路の流水量を調節する石造の施設。
金や鉄を精製していた場所と考えると、金や銀を不純物と分離するときに、
水銀を用いていたので、大量の水も必要だったと思う。
下には加藤の池というのがあり、今は枯れているようでないみたいですが、
日照りの時でも枯れないといわれる。

このような池や沼地というのは里山に多いが、水を必要とした産鉄族が水を年中保つための
貯水池として利用していたので、水が枯れないようにしていたのだと思います。

ただ、水銀(辰砂)は有毒なので、水に含まれて大地に流れたら稲作など作れるはずもなく。
2,3世紀頃から水沢では稲作が普及していた。
山間部と平野での生活を住み分け、5世紀頃から地方豪族の国造制度が始まる。
しかし、そのような産鉄族のやり方には環境被害がとても大きかったと思います。

平泉には、ほぼ不純物のない鉄が発掘されています。
鉄の技術に長けていた人がいたのですが、水沢鋳物は870年平安時代末期、(アテルイがいた後)
藤原清衡が近江国の鋳物師を招いて鋳造を始めたと伝わります。
それを生みだすことができたのには、北上山系にあります。
2億年前以上の地層が眠る北上は、ヒタカミの山であった。
北上川には良質な川砂があり、磁鉄鋼、砂金、木炭、粘土など鋳物にするには
欠くことのできない資源に恵まれていたことにあります。



このあたり周辺を占拠していたのは、安倍氏なので朝廷は北上の資源がほしかった。
南部鉄器など詳しいことは、キューポラ館という南部鉄器の伝統館がありますので、
興味ある方は、水沢江刺駅側なので行ってみて下さい。
リアルな人形が鉄を作ってます。。。
本物の人かと思ってびっくりしたよ。
展示されている人形も完成度が高い…。



さて、愛宕神社が祀られているところにも、愛子神と通じるものがありそうです。
愛宕は「おたき」ともよんだ。ウタキ?
道祖神で修験者の火神とされますが、丹波桑田郡阿多古神社が発祥らしい。
由来は、704年頃、役小角と白山の開祖泰澄により建立されたと。
中国五行思想があり、火に関係する神はカグツチである。
愛子神をカグツチだという説もあり、湯殿山のご神体の上に、
愛宕神のカグツチと水神を祀っていた。
火と水の融合で鉄をつくっていた人達の信仰が、羽黒山にあったのです。
また、ここの地名は羽田という。秦氏も来ていた所だったわけで。



産鉄族が集まる場所…そんな鉄王国を築こうとしたところが水沢だったのです。
それに、鉄とキリスト教も関係している。
その先駆者がアテルイとなり、英雄となった。

次回に続きますが、長い探訪になりそうです…。汗
物部氏の行動の裏に、アテルイが本拠地としていた所と重なるなら、
自分の手柄として、物部氏は後になってアテルイ伝承としたのでは?
アテルイと物部氏が敵対していたなら、征服した物部氏が占拠したということも?



しかし、調べてみると物部氏はどちらでもない中立の立場をとっていたことが
みえてきた。歴史上、あまり物部氏はよく書かれていない。
蘇我氏に対して罵声をあびるように荒々しい性格で描かれる。
しかし、そんな性格の人が祝詞をあげることができるのだろうか?

物部という名前は、鍛冶集団で構成された名前なのですが、二ギハヤヒを祖とした物部氏は別格?

もう少し胆沢の歴史と、東北の物部氏について妄想してみたい。
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人来田の地名由来

2015-07-26 | 東北地方の伝説(宮城県)

昔、この付近の田に榎の大木があった。枝葉が繁りこの辺りの田作の妨げになっていた。
村人たちはこの木を伐ろうとしたけれど、斧も及ばず切口は一夜のうちにもとの通りになるので、
後の祟りを恐れて伐ることを止めてしまった。
ある時、身の丈一丈あまりの山伏が突然現れ、この榎を引き倒してどこかへ持ち去り、姿も見えなくなった。
村人はこれを神の使いと信じて感謝を捧げ、その後この地を一木田と書いたと伝わる。


ーーーーーーーーーーーーー

勿来とは逆に、おそらく元は勿来だったのが、人がたくさん来てしまった場所になったでしょう。
磐境とは、川神に祈る時、神が常にどこに住んでいるかわからないので、
神を祈る人々の身近に降臨の場を設け、念が届くようにした。
磐境の中央に堅い木を立て、それを神の寄代として降臨して頂いたと考えられている。

一木田の榎はそのための印であったのだろう。

しかし、今は人来田となっている。
これには、太白山の御出森八幡大社が関係しているようです。
それで、人来多の地名由来もある。

このあたりは白鳥八郎行任の持主で陣取り、源義家一行は、
名取は阿部貞任の一族の陣であったから、合戦後に義家は八幡社をたてる。

白鳥八郎は、名取、広瀬川の両川に縄張りをはり、柵を数十丁引いて敵を遠さなかった。
ある時、陣のそばを一人の樵(きこり)がやって来て、「吾は土人なり。」と言うので、
「両川の間道を知らせよ」と頼むと、樵の案内で赤石山のふもとに着く。
するとここに貞任は、人来るとて大いに驚き「人来多」と名づけたという。
追いに賊徒を追い払い、赤石山ふもとに陣ありてこの山に登る。
里人は八郎宮を建立し、御出森八幡神社として祀る。


秋保方面に行くと、赤石という地名があり、赤石観音堂がある。
川底に光る石があり、赤石川から十一面観音が現れたと伝わる。

太白山は、古来、ウドが森と言われ、烏兔ケ森と書く。
日月神なので、ここも熊野信仰だった。小出森八幡神社に伝わる神楽は、
熊野神社から密かに伝わったものである。

烏と兔の漢字を当てたのはいつ頃か不明だが、元はアイヌ語でオート(ド)森とよび、
神の山とされ、烏とは熊野、兔とは出雲、と考える。

兔は一羽、二羽とよんだ。
なぜウサギを鳥にしたか?は、いろいろ。
昔は、獣の肉を食べることを禁止していたので、食べたい為に?兔を鳥として数えた。
ぴょんぴょん飛び跳ねるので鳥とした。
立っている姿が鳥のようだから。
耳を束ねて持つ時が、鳥の足を束ねて持つのと似ているので鳥とした。
特に意味はない。
など。江戸時代では、一耳、二耳と数えていたらしい。


百合ヶ丘より。名取平野と太平洋
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仙台平野には大きな名取川と広瀬川がある。

熊野と出雲の融合と考えると、名取が多賀城が置かれるより前から郡を置き、郡山遺跡として今は残される。
古代、九州から出雲族がきていた。多氏の系統だろう。後に朝廷から大伴氏がやってきた。
熊野修験は、出羽から川崎を通り名取へ入り、熊野三山を置いた。
本来の天皇を継承するためと、新たな東北を建国するために、
大和を超えて北東北に「希望の地」を望んでいたのは、特に物部氏だった。
蘇我氏の敗北ではなく、はるか遠い砂漠を超えて緑豊かな自然崇拝を重んじるヒタカミを望んでいた時に、
河内国では上手くいかず、北東北へやってきたのだろう。



なぜ、今、物部氏なのか?
大化の改新はなかったと聞く。
蘇我氏と物部氏も実際は交友関係にあった。
神道も仏教も原始キリスト教も神の名前は違えど、この頃は自由な信仰があった。

東北に望みをかけた平和とは?
再び、秋田物部氏について考えてみる。


夕日の太白。中央左の三角山が太白山。左奥の山は大東岳。
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一木田と八木田

2015-07-25 | 日記・エッセイ・コラム
今日はマヤ暦の空白の日。
そんな日になぜか、宇宙兄弟展を観に行ってきました。
仙台市天文台で開催してます。
旦那の誕生日は明日で、毎年、誕生日が近づくと何かあった日だよな~と。
で、マヤ暦の空白の日を迎える頃だな、と思い出す。



宇宙開発の夢とは言うけれど、冷めた私は、そんなに膨大なお金を使い、
宇宙に行きたい気持ちがわからない。なんの開発だかさっぱりわからない。
漫画で十分なわけよ。
そんなことを言ったら、もともこもない、と旦那に言われたが…笑。

しかーし、今、ソユーズに乗ってる油井さんは、旦那と同じ年だ!
中年の星…中年の危機という心理用語があるが。
危機じゃないんだな。
すごすぎ!

ーーーーーーーーーーーー
さて、話は変わり~、

こんな夢を見た。

八木田という地名が出てきた。
知らない場所だが、畑の畔道に大きな石碑があったが、なぜか倒れた。
倒れた時に、石に彫られていた文字が見えて、それが「八木田」とあった。
始めて聞いた文字だが、九州の知人がいて、八木という名前について、こんなことを自分は話している。

近くには植林をしているボランティアが数十名いて、その指揮をとっていた人が八木田に関係している人らしい。

その人は森の植林をしている人で、鷹か森にいる大型の鳥が、
村に降りて来れるように森に道を作ったと言っていた。
その自然に対する思想が素晴らしいと、知人と感激している。
八木の由来について、森や自然を生かし、人間と共生することを考えていた
古来の植林が関係しているという夢らしい。
それに関わる人に八木という名前か地名があてられたようだ。

木がつく名前がそうだと思うが、方木田や八木田は福島に地名があり、
元は木田氏の美濃からきている源氏のルートといった話しもある。

八木田の名は、本来は自然を崇拝する村の長であったと思われる。
何となく、昔が偲ばれるような夢だが、実家の近所にも八木と付く名前が
何軒かあることを思い出した。
宇根地区には多いかもしれない。



太白山麓の地名には、人来田(一木田)の他、八木山がある。
また、米を分解すると八木になるので、稲の意味もあるそうです。
古くは、奈良県八木寺か古代河内国の八木郷のルーツのようですが、
詳しいことはわかりません。

松の漢字も八木の意味がある。
しかし、ムが加えられる。
木と八とム。
八木(はちぼく)という八種類の木がある。その中に松が含まれるが、
八木が無いという意味になるのだろう。
ムを使う漢字を考えてみると、無くなる意味がある。
仏は人がいなくなること。
お払いも手が無いと書く。
手ではらうことが、その場を無にするということ?
中国では无が無のことですが、ウと発音する。
ムとウの違いも不思議。
ムー大陸のムも今は無き島だ。

夢の場所は、九州のようでミカン農園にいた。
九州の知人が出てきたのだからそうなんだろう。
柑橘類の植林をしていたかもしれない。
時代はわからないが、そんなに古くはない。

たくさんの人がボランティアでお手伝いしており、私も手伝っていた。
その時に石碑が倒れたのだが…
不思議な夢だったので、八木田を検索したら、福島県が出てきた。
一木田と八木田は繋がっていると思われる夢で、
太白山を崇めながら森を崇拝していた人が住んでいたのだろう。



そして、一木田(人来田)には、神降ろしをした思われる地名由来があった。

続く~。

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北欧神話となまはげ

2015-07-23 | 神話・伝説
秋田のなまはげ伝承には、五色の鬼と千の石段を一晩で作る話があります。
結局、鶏に邪魔されて未完成に終わってしまうのですが、北欧神話にも同じような話がありました。

秋田なまはげ伝承についてはこちらへ。

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/0232dc31a0455165b2a6ddc5001872ab/?cid=101f9743fa5fd125391a62e5d036a6ec&st=0


昔、アースガルズの国にまだ堅牢な城壁が出来上がる前のこと、
ある鍛冶屋の男がオーディンの館を守る城壁を一年で作りますと申し出た。

その城壁は堅固な造りでどんなに強い巨人もそれを超えてアースガルズに侵入することはできないという。
ただし、男はこう申し出た。
「報酬にはヴァン神族の女神フレイヤを頂きたい。それから、天を巡る太陽と月も欲しい」と。

いつもはリーダーのトールが指揮をとるが留守だったので、他の神々だけで相談することにした。
結局、「もし、ひと冬で城壁を仕上げたら報酬をやろう。
しかし、夏が始まる日に石がひとつでも足りなかったら約束は無効とする。
さらに、仕事は誰にも手伝わせないこと。」
と、条件を出した。

鍛冶屋の男は、石を運ぶための馬だけは許してもらい、昼は石を積み、夜は馬で石を運んだ。
みるみるうちに、高くなる城壁を見て、神々は完成が現実味を帯びてくることに恐怖を抱いた。
女神フレイヤも太陽も月もやることになったら困ると。
そこで、神々はロキに鍛冶屋との取り決めが破談になるように脅した。
ロキが馬を男に許したことが原因で、完成されることを責めた為だ。
ロキは、馬に化け男の牝馬に近寄り馬から引き離した。

こうして岩石を運ばせなくし、鍛冶屋は城壁を作ることが出来なくなった。
男は段々と気が狂ったようになり、その様子を見て始めて男が山の巨人であったと知る。
結局、城壁は完成できず男は死の国へ投げ込まれた。


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北欧と日本はよく似ている。
海賊がいたこと。
狼を信仰することなど。
巨人の国ツ神(北欧ではヨトウンヘイム)天ツ神(人間の住むミズガルズ)
中ツ神(どちらも住んでいるアースガルズ)のようです。

ロキは、牛で巨人族から生まれている。荒々しい人なので、日本でいうスサノオに似ている。

この話は、巨人族と人間界の契約を破棄したことを伝えている。
北欧神話では、天地創造の神はオーディンで、アース神は雷のこと。
ヴァン神のフレイヤとは、豊穣の女神と戦士の女神の意味がある。

なまはげ伝承の階段は、天にかける橋を巨人が造ることをやめさせられ、
地下に落とされたことになる。
それが北欧神話と似ている。

秋田のなまはげ伝承に、ヨーロッパの神話があることは、北欧神話の影響を受けていることになりますが、
バベルの塔と関係する、シュメールの人々からの教訓ともいえます。
簡単に言うと人間が神に近づこうとしたからです。
神はそれに怒り言語をバラバラにした。
神話の話で身体をバラバラにして大地に分けて埋めるといった話も異なる言語を使わせることで、
意思疎通を出来なくしてしまったことにあるでしょう。
それまでは、みんな一つの言語を話し意思疎通をしていました。

世界には宇宙樹という思想があります。
北欧ではユグドラシルといい、9つの世界で描かれる。
東洋では扶桑といい、10個の太陽がある。
ユグドラシルとは、ユグ=恐ろしい、ドラシル=馬に乗った罪人。
別名オーディンだと言われます。
なぜ馬なのかはわかりませんが。
オーディンは、知恵と不老の力を得るために木から逆さ吊りになり、
自分の身体を槍で突き刺し、9夜9日の苦行の末、ルーン文字(神の力)を得たという。
なぜか、それが罪となった。

オーディンは、原初神の巨人を殺してしまいます。
ユグドラシルは、天には鷹がおり、地下にいる飛竜に指令を下す。中津(地上)には鹿がいる。
三人の女神は泉の水を絶えず与えているので木が枯れることはない。

オーディンは巨人を殺害し、体をバラバラに埋めたと伝わる。
日本ではオウゲツヒメがスサノオによりバラバラにされるのと似ている。
要するに、巨人とは縄文から?続く母系社会の女神で、
それを後からきた天津神により排除され地下に送られた。
巨人というのだから、身長が私たちよりは高い。大体、2、3メートル。
和解をしようとしたが、阻止されたので、ずっと地球の歴史は巨人と人間の争いが続くことになっている。

北欧神話の狼も巨人の子供で、フェンリルという。
皆既日食などの惑星の位置により天変地異が起こるとされ、フェンリルは最終戦争で
オーディンを飲み込もうとします。

北欧神話では、狼がなぜ大きな口を開けているのかは、
飲み込もうとするフェンリルを神々が口に剣を刺したからだという。その狼のよだれが小川になったと伝わる。
口に剣を刺すのはよく日本でも見かける。

例えばこんな感じ?


湯殿山大日坊瀧水寺の波分大聖不動明王。
すごい迫力。パンフレットからですが、手がウロコなんだな。
口に剣を刺している姿がすごいよ。
目力も強烈だ~。

これらの話しは、大地震か巨大津波などのことを意味し、
沈んでしまったレムリア大陸のことかもしれません。
もしくは、アトランティス。
北欧だからアトランティスかな?
そんな記録を残す北欧神話にはストーリー性に長けており面白い。
なまはげがリンクするとは、これも秋田なのだから、もののふな人々が伝えたものかと。

日本の扶桑は10で、北欧のユグドラシルは、9を聖数とする。
秋田なまはげが造ろうとした階段が999で終わりにしているところも、
神は完全なのだから千だけど、人間は999のままなのだ。
銀河鉄道999…。
この話しもよくわかる。
メーテルは色白の金髪で長身で美人。鉄郎が、機械人間だっけ?
母の記憶と復讐のために、宇宙を辿りに行くのですが、
焦る鉄郎をメーテルが優しく付き添うのです。
まだ未熟だから、いろいろな星へ行って学ばせていく。
鉄郎に付き合いながら、教訓を伝えている。その段階を踏んでから完全なる星を目指すところは、
神話の神々が人間に付き合いながら、教訓を伝えているのと重なる。

銀河鉄道999は、まさにレムリアかムーの教えなんだと…。
あと、蛍の光の歌も、卒業式などによく歌いますが、レムリアの故郷の歌なんですと。
元はアイルランドの歌ですが、日本とアイルランドは兄弟だね。

アトランティスとレムリアの対戦も完全にさせようと人間を導こうとしたアトランティスと、
まだ未熟な段階で完全にさせることに待った、をかけたレムリアの人たちが表されているようです。
と、言うことは、神に近づくことを禁止したのは、その失敗を経験しているプレアデスなのかな~。
北欧では牛がよく出てくるので、青い星なのかな?
よくわかりませんが、プレアデスは教訓として私たちに何かを伝えているのかもしれません。

あわてず、あせらず。
ゆっくりと確実に階段を造ればよいのだと…?

まあ、妄想ですが神話の中に、沈んだムーやアトランティスを含めて考えると、
意外にも説明できそうですよね~…
日本の神話も世界の神話もみんな、同じように伝わっているのは、教訓なのでしょう。
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えみし馬

2015-07-20 | エミシについて
東北地方では、青森、岩手、福島、宮城県で狼を駆除したことが記されている。
江戸時代後期頃から明治にかけて狼の駆除が活発になる。
(ハイイロオオカミ、エゾオオカミ)が、絶滅した原因は、狂犬病のような流行病の他、狩猟や駆除による。

なぜ東北で多くの狼を駆除したのかは、古代から東北地方は馬が重宝されていたことにある。
狼は馬も襲う。
遠野では馬も狼も大事でしたが、馬は生活の糧である。狼は元々馬を襲うものなのか不明ですが、
狂犬病などの病気により人を襲うようになってしまった。

その馬がいなくなることは大きな痛手で、仕方なく駆除したこともあったそうだ。
遠野では、狼の神様(大口真神)を祀ることで狼を追い払うことをしていたので、
三峯神社も多く祀られていたそうです。
狼を供養する碑もある。
不思議と三峯様を祀ると狼がいなくなることがあったと聞きます。

その狼信仰は、今は全く語られることがないが、特に関東地方でも狼を信仰する風習は昔からあったので、
狼がたくさん棲息しており、山人の担い手となっていたわけだ。

鹿や猪などの里山荒らしというのも、狼がいなくなったことにある。
狼がいたらここまでの被害はなかったと思うが…アメリカでは狼を復活させる活動があるが、
日本では難しい。今の環境ではアメリカの狼を持ってきたとしても長くは生きられないと思う。
日本の環境には合わないこともあるが、あまりにも里山の開発が進みすぎてしまった。
広範囲に移動する狼にとっては、残念ながらもう日本での森の住処はない。
でも、狼信仰は残っているけど。

ーーーーーーーーーーーーーーー
東北地方には大和ですらほとんど馬がいなかった頃、
北東北では早くから狄馬というエビス馬がいた。
出羽、渡嶋の朝貢貿易に、地方特産品としてアイヌは熊、エビスは馬であった。

まだ陸奥が置かれるより前に、エビス(えみしの呼称)は、
馬を輸出し彼らが目指す文明開化政策の文物輸入のための通商であった。
日常必要とする生活必需品の他に農耕具がその見返りとして輸入されていた。
それを密輸の不当貿易として指摘し、鎧、兜などの鉄を鋳つぶして農器、鉄製のスキ、クワにし
エビスに密輸している実態があった

※「古代えみしを考える」高橋富雄

ずっと前に角田の相善神社へ行ったことがある。
巨石が多い里山なのだが、蒼前神社(そうぜん)というのは、青森、岩手県にも多い。
この蒼前は馬を神格化した神なので、狄馬のことを祀るものかと思う。
また、アテルイがいた水沢には駒形神社があり軍馬の産地であった。
700年頃、北関東の豊城入彦を始祖とする上毛野氏が東国へ入植し、
今の花巻あたりを支配していた。

東北大教授の富田先生は、えみしの反乱には、駒形山や駒形神社が祀られている場所に集中しており、
上毛野氏が駒形神を氏神として祀ったことが要因であると。
上毛野氏は、5世紀までは和歌山県の紀の川付近に住んでいたそうだ。
一世紀もの間、えみし征伐として陸奥攻略に費やした渡来系氏族で、
百済からのルートがあるようです。

しかし、だんだんと上毛野一族が分断し、逆に先住民たちから監視されるようになり、
上毛野氏の中にもえみし派になる人もいた。

そのため、坂上田村麻呂の関西への配流は、上毛野氏により配置された部民で
村の長(おさ)がほとんどだった。
田村麻呂は、中央からの援助もなくなり居場所がなくなってきた者や、
エゾに反乱を起こしてきた長を引き取る形で、征伐ではなく各国のえみしの長を検校や防人として移し
賜姓も与えた。

今で例えるならば、力はあるけど、能力を生かせない人々を新しい場所へ転勤させたといったようなもの。
それから田村麻呂は、胆沢城ができてから、駒形神を農耕神に置き換えた。
元々は駒形神も農耕の意味もあるのですが、
えみしが見ている馬は違うものだったかもしれない。

しかし、狄馬がどんな特徴があるのかわかりませんが、北の動物は体格がよく、
大型なので小型ではなかったかもしれない。

朝廷から東国へ下向した者が、狄馬を買いあさることを禁止したお触れも出ていたほど。
もし、上毛野氏がモンゴル~百済~日本と蒙古馬のような小型馬を輸入し、
それを祀っていたならば、狄馬とは異なる馬であると。
またそれは軍馬でなく農耕馬としてあったかもしれない。
しかし、えみし馬とは軍馬として重宝されていたと考えると、
その馬と交易していた人々が、想像するに中東のアラブ地域かもしれない。
後の奥州藤原氏の平泉には、インドではなくアフリカ象の角が発見されている。
この頃はインド象が多いのだが、鎌倉時代末期~アフリカとの交易があったことを考えると、
北東北は古くから世界中と交易をしていたことに。

そのような小型馬を神格化することは、えみしにとっては理解できなかったのかもしれない。

それに、坂上田村麻呂が胆沢城を置いてから馬神を農耕神に変えた理由には、アテルイが関係していると思う。
アテルイ処刑後に胆沢城を置き、駒形神を農耕神とした。
また、全国にえみしの長を配流したのも、アテルイが亡くなった後から。

アテルイと狄馬は深く関係していそうだ。

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のほほん宇宙人

2015-07-18 | 日記・エッセイ・コラム
暑いので、こんなのほほん宇宙人をみて涼む…笑。


木星人(寒そうだ)

1940年代、フランクRパウル(イラストレーター)という人がこんな面白い宇宙人を描いていた。
こんな宇宙人だったら、仲良くできそう…?

※フランクRパウルのイラスト集

http://dailynewsagency.com/2013/03/30/life-on-other-planets-as-b7g/


くだらない世界のニュースを流してるDNAというサイト。
くだらないのについチェックしてしもた…
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なこそのなこそ

2015-07-15 | 日記・エッセイ・コラム
今年初めての宇都宮二荒山神社へ。 この神社と縁ができるとは思わなんだ~。
市内の賑やかな通りにあり、とてもきれいで立派な神社です。



いわきは元は石背で、イワセでなく、イワキだったが、岩城のキと同音になるので、シロと表記したという。
なんでそれが背なのかわかりません。
シロはシンラから由来していると思うから、白山信仰でしょうし、新羅のシンラではないか、と。
イワキとしたのは、岩城とは兄弟国とする意図があり、
常陸の中央であった那珂川とその奥の白河とすることで、陸奥開拓の始まりとされている。
那珂川は、那須岳を支流として茨城県の大洗へ流れる。
那須岳は九尾の狐伝説があり、大洗磯前神社も海に降りた神として大物主を祀る。
震災の時に、巨大渦巻きが発生した所だ。

専門家の話しでは、城をキとよむのは、毛国と城国は同じで、キがケに転じたと考えられるそうです。
宇都宮に鎮座する豊城王のことに関係し、豊は美称であるとする。
そうなると、城国に。

古代、陸奥国の開拓に向かった中に上毛野氏がおり、宇都宮二荒山神社に祀られる豊城入彦を始祖とする。

豊城入彦を祀るのは、下野国(宇都宮)二荒山神社。日光は、「ふたらさん」と読むが、
宇都宮は、「ふたあらやま」とよみ、日光は補陀落が由来ではないかと思う。
宇都宮が二荒神だったから、同じ漢字を用いたと?二荒山神社のご祭神は、豊城入彦と大物主と事代主。
他にも多くの神々を祀り、聖水とされる井戸もある。



その井戸に向かって鎮座するのが、女宮で、その井戸にある場所には倉稲魂を祀る。
女神が囲いこんでいるから、水神やマリア信仰が浮かぶ。洗礼を受けた井戸かもしれない。
イエスキリストは紀元前に遡るから、どこかで縄文神とマリア様が融合してることなんかあるのかな~…
でも、キリストの場合は水より油の方が大事だったかも。アロマね。



他にも豊については巫女のトヨやトメに関係してると思うのだけど、場所も鬼怒川のキヌがあり、
毛野川もケノも同じく。
キは鬼でもあるし、ケと表現されているのは、毛国や毛人=異人と言われていたヒナ国のことを示すと思います。異もケと読んだわけだから、鬼怒川も毛野川も同じように呼んでいたかもしれない。



また、ケは、もののけのケであり、息吹といわれる霧の神がいるように、命を吹きかける風や息である。
つまり、物部氏が行っていた蘇生のことの意味もあり、エミシの実態とは不明ですが、
ケな人々と言われていたことは確か。それが差別されたわけです。

これは、言葉が異なる女神を崇め母系社会のあった国のことを言っていると思います。
大和が受け入れなかったことは、その母系社会にあるのでは?
中には残酷と思われる風習もあったと思いますが、原始アニミズムとは、
命そのものを頂きます。という死生観がある。
動物や人の死も自然なことと考えていたから、特別なことではなかった。

確かホツマでは、ニギハヤヒの正妻がセオリツヒメで、息子はシワヒコといわれる。
シワヒコとシワヒメも宮城と岩手に祀られる。
ククリヒメは、ニギハヤヒの伯母であるとの話も。
ニギハヤヒが縄文の末裔だとすると?エミシとよばれた人や俘囚の名は、
恥となると姓名を変えるので、アマテルにしたと考えるなら、
ニギハヤヒの名前を出すことをためらったことになる。
要するに、大和朝廷にとっては縄文的な思想が恥じなのだ。
日の本という大国に、アニミズムの風習は受け入れないと…

エミシとの境とは、異人が住む国境として置かれ、信仰する神々にも異国に置いていくやり方で、
神事の執り行いについても、異なる氏族の対立もあったと思う。巫女の神降ろしも、
本当に信頼できるものだったか?



イザナギとイザナミを国境に置くのは、平和な意味で解釈されており、
どちら側にも神々が鎮座するのだから、国境を越えても悪いことはできないよ、
という意味での教訓みたいなものだ。お互いに侵さない誓約と解釈される。
なので、境に男神と女神と線引きした。

ーーーーーーーーーーーーーーー
勿来関は朝廷側が置いたのだとすると、北から南へ南下することを恐れて置いたのだろうか?

なぜ、白河あたりを勿来としたのか?
栃木と茨城、福島いわき市の繋がりにあるのは、やはり巨石信仰にあると勝手に妄想。

多珂郡で亡くなった黒坂命は常陸だし、タツワレ石という巨石は、
黒坂命がそこに住む先住民を征伐したと伝わる。それが、カカセオなんじゃないかな?

ぱか~と割れた巨石は、阿武隈山系に属し、いわき市も鬼伝説が多く巨石の聖地。
栃木の名草巨石群や、群馬の榛名山など北関東にも巨石群が多い。
やはり、阿武隈に隠れていた鬼とは、巫女なんだ、と確信する。
また、かなり古い時代の地層と考えると、砂鉄や砂金などの鉱石がとれたことにあると思う。
砂鉄や隕鉄の豊富な資源が、東北の鉄文化を生み出した。

また、馬の産地でもあったので、もしかしたら、武蔵のさきたま国は、
早くから北方民と馬の交易をして騎馬大国にしたんじゃないかな?
そうなると、エミシ征伐は南から北の話だが、逆に北から南へ流れて馬や鉄の文化が広がったと考えられる。
埼玉の入間は、入馬な訳だ。
ーーーーーーーーーーーー
さてさて、勿来の妄想はこのへんで。

話は変わり、2年前の今頃は何をしていたかな、とブログを振り返っていたら、
ちょうど今頃、秩父札所観音霊場のことを書いていた。
雨薬師という目の神様の祭りがある。
いつも秩父探訪している人と、深い話をして感動したことを覚えている。ミスドーで。笑。

その時の話をまとめて書いたと思うのですが、
観音様が教えてくれたことなのかもしれない。
読んでたら、またホロっと涙がでてくるから不思議。
99と100についても書いてある。
私は書いたらほとんど忘れるうえに、最初から覚える気もないんだが。
なので、過去の自分の記事を読んで、今さらナルホドと思う。

今、またその記事に触れるというのは、薬師様の導きと思い、また勿来などという言葉は、
観音様は使わない。
誰でも大いに受け入れる。
それが本物だと思わせるところがスゴイ。

勿来は良くない言葉なので、このことを書いている間は、嫌な気もしていた。

そんなマイナスの気を秩父の観音様が祓ってくれたような優しい内容で結びとなるのだから、やっぱりスゴイ。
勿来の終わりは、こーなのか。
古代でも、恐怖や不安は常にあり、それを閉じてしまい、見ることをしなくなったことに問題がある。
それが差別になった。
差別は、自分が線引きして区別することから生まれる。
最初から線を引くことなどない。
観音様は、それが間違いであることを教えている。

また、秩父の観音様を訪ねたくなる。我が故郷が一番のパワースポットだとつくづく思うのでした。

※2年前のブログ
眼を慈しむ観音様
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/402be6b3b882be0d6a2d50127b9de06f


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なこそ

2015-07-13 | 日記・エッセイ・コラム
勿来の勿は、タブーなこと。
~なかれ。という禁止。
この意味の由来が、宗教のように戒律から来ていると思うのですが?

ちょっと調べてみようと思ったら、いろいろな事が出てきてまとめられなくなりました…。
思いついた部分でも長くなってしまう…。
1、ある民族のこと?
2、大物主?
3、下野国の豊城入彦?
で、妄想…。

1、例えば、中国に勿吉(もつきつ)という長白山に住んでいた狩猟民族がいる。
勿来は漢文なので、漢字を用いる人々の間で考えられていたのではないか?と。
万葉仮名という日本語でいうならば、勿来とは書かず。

ミシハセなども同じような風習をもち、7世紀阿部比羅夫が遠征した時に、
エミシのミシハセ族数人を朝廷に献上したとある。

その人々の風習が不思議ですが…。
それが直接的な影響で、勿来関が置かれたとは言い切れませんが、
来てほしくない人がいたとの意味はあるのだ。

勿をあえて漢人が使うのだとしたら、古代から続く不仲な百済や高句麗側から、
新羅に対して勿来と使ったとも考えられる。

ミシハセは、元寇の歴史にでてくる。11世紀頃で女真族という人々で、新羅はこの人々に滅ぼされる。
異類婚の神話が多く、ツングース系に属していると。モンゴルを駆け巡っていたスキタイ人とも。

その関係していると考えられる女真族は、長髄彦の子孫といわれる安日彦……
については、八戸えんぶりの時に書いているので参考にして下さい。

ところで、勿来神社というのが宮城の利府にもある。
悪玉姫伝説の伊豆佐比売神社のある所。他にも横穴石室や西の森には青麻神社がある。
ここから加美町には飯豊信仰があり、悪玉姫伝承で妄想してましたが、飯豊神社は物部氏が祀っていたらしい。おそらく同族の穂積氏かも。

名取が陸奥国として多賀城より早く開拓されたのは、南の阿武隈川と北の北上川との間に
仙台平野名取があった。
平野という地形が住みやすい土地であったこと。
名取川沿いに歩くならば、閖上あたりから上陸し、
熊野三山、太白山付近、蕃山、秋保、二口渓谷、山寺から山形に入る。
ーーーーーーーーーーー
2、いわき市の勿来関は、10世紀頃福島県いわき市と茨城県の境界の勿来関で、
それ以前は、菊田という地名であった。
菊田のキクは、ククリヒメのくくりからきていると思う。
ククリヒメは、あの世とこの世の仲介をすると言われる。
イザナギとイザナミの仲介をしたと神話に出てくる。

また、菊田国造が、大同元年に出雲神を勧請し、代々祭祀を執り行うことをしてきたそうだ。

勿来町には、国魂神社がある。
オオクニヌシ、スセリヒメ、スクナヒコを祀る。スセリヒメはスサノオの娘で、
オオクニヌシに試練を与えて、娘と一緒に出雲へ行く話。
ざっくりとですが。

国魂とつく神社では、他には武蔵の大國魂神社、難波の生國魂神社がある。
武蔵の大國魂神社は、645年大化の改新時に、武蔵の国府を置くことにより、
国内の祭務を総轄する所とした。国司は、国内の奉弊巡拝や神事を行うことをすすめて、
各地に配祀することにした。それを六ケ所に置き、武蔵六社を総社として大國魂としたそうです。
氷川神社や秩父神社も含まれる。
大國魂を大物主の魂としたのが、スサノオの娘とオオクニヌシの出雲建国の話が繋がるので、
武蔵には出雲神を多く祀るわけだ。

同じように、生國魂神社も大物主を祀り、天皇即位の際にどの天皇がふさわしいかを
生島の巫女(宮中)と言うのが占う。この神社の例祭が9月9日なのだから、ククリヒメを意識していると思う。
天界と地下の行き来ができるシャーマンであり、菊は、聴くとの意味もあるそうなので、
星々の振動で宇宙の音を耳鳴りしているみたいに、聞いていたのだろう。

大物主を祀るところに勿来があるならば、来てほしくない人々とは、出雲族の大物主であると伝えている?
それは、大国主とは違うのだろう。
奈良の三輪山に大物主を封じたという話があるが、天武朝の頃に、
スサノオである出雲の正統な皇室を排除したことにあるという話が。
大国主という架空の人物を置いて、大物主として祀ると?

次は下野国の鎮守神について続く。
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スサノヲの到来

2015-07-04 | 日記・エッセイ・コラム
この前、メディアテークに行ったら、こんなチラシを見つけた。
すごいタイトルだな~…
しかも山寺だ~。



久々に山寺もいいね~、と考えてたら、行きたくなってしまった。
久々に円仁さんのお餅を食べに行ってきますか。
そっちか…

名取熊野から閖上の薬師様や観音様がスサノオという話しもあり、その流れでスサノオ到来とは。

ソシモリは、八岐大蛇に出てくる新羅の地名。牛首は月山の峯の名前。
由利の閖上には、上陸した牛頭天王、などなど。熊野の付近にはスサノオがいる。
それに秩父もそうだ。我が武甲山は龍穴を祀るハリサイニョなのだから、武甲山にスサノオは関係している。
だから御嶽講は、根古屋の城跡に国常立命を祀り、地上の神として降臨したスサノオに祈りを捧げていたのだ。

でも武甲山は破壊されてしまったから、スサノオは荒ぶる怒りの神と。

スサノオが女性的な存在でも見られているようですが…
全ては対なのだから、男でもあり女でもある。

今、芭蕉記念館でやってますが、館長さんに声をかけられて、
5年かけて5箇所の学芸員たちが企画したことを教えてくれました。
かなり念入りに前から企画していたようで、神話、古代史ファンには必見です。
次は東京が最後です。



その企画中に震災にあったので、スサノオは、荒ぶる自然の躍動力とリンクしますが、
八重垣の歌があるように人間的な優しい部分も持っていると。
清らかな怒りと評されていましたが、ほんとにその通りだな、と思います。

今も自然災害は続いていますが、いろいろと考えさせられる企画展でとても良かったです。
縄文あり~の、出口なおの生筆跡もあった。
現代作家たちの展示もすごかった。

ところで、牛頭天王とはスサノオのことですが、蘇民祭の由来である伝説には、
出産の穢れも含まれる。
出産は痛み苦しむもので、古代は母子ともに亡くなることも多かった。
普通ではない状態のことは、穢れといい、浄化や水かぶりをして払い清めるのだが、
血のチは、命であるから血を生活の中から決別せずに身近な生死ととらえていたのは、
特に縄文人やユダヤ人などであると思われます。

その話の中に、武塔神というムーダンがいて、これはムタプ又はムータンといい、
朝鮮から由来している女性シャーマンのこと。
おそらく、トリアゲバーサンのお産婆さんのことだと思う。
なぜか日本では荒ぶる男神のスサノオに変わり、疫病神となる。
兄のコタンショウライは、出産まじかの女性を穢れと考え、悪い事が起こると断った。
出産では母が亡くなる確立が高いので、死を招きたくない星巡りにたまたま合ってしまうのだ。

しかし、弟は受け入れたので、後に疫病が流行った時、藁の輪を作れとの言い伝え通りにしたので助かり、
兄は疫病で苦しんだという。
死生観のある話し。

それからスサノオは疫病を払う神として祀られるようになる。
しかし、伝承の中には、千人あまりの僧侶を集め祈祷し、兄を復讐したとまで言っている。

醜いことや汚いことを断ると怨に変わり、復讐のように殺害される神話は多く、
黄泉の国でのイザナミを醜いといったことで、地上と地下を分けた話と似ているような。

古代では出産時、悪い星巡りにならないように、星の運行をみながら生死を見つめていた縄文時代に遡る。
火を焚くのは魔除けであり、
火の力により出産を乗り越える意味もある。

出産が無事終わるまでは、悪いものを寄せ付けないないような祈祷をしていたと考えられ、
主に女性がその役目をしていた。もちろん、男性も立ち合う。
女性=胎水の水、男性=火の象徴だから、周りの人々の気力が出産を安産に導いていた。
なので、出産は一種の儀式でもあり、火を焚いて産み出される命を待っていたわけです。

ただ、古代では出産は決して良いとは思われていなかったようです。
普通ではない状態に陥るのだから、穢れとされたと考えられます。

弥生時代あたりから、生死は生活から切り離すようになり、
命について真正面から見つめることをしなくなった。

命の誕生は、惑星や十二星座など星の位置により人生が決まる。
そのような星占い的なことをしていたのも、女性シャーマンだったのでしょう。
十二社など権現を祀るのは宇宙の星々で、皆、それぞれの産まれ星がある。

※詳しい牛頭天王については、神話、伝説項目の、武甲山の龍穴と牛頭天王、
星と牛頭天王を参考にしてください。

でもなぜ、スサノオになったのか?
荒れ狂った後に、スサノオは、サスラオという名前に変化してる。
よくわかりませんが、流離い(さすらい)のように漂流しちゃったような。
言霊の意味もあると思います。

八岐大蛇を退治するのはスサノオ。
八岐大蛇はいろいろな説がありますが、十人十色な説があって良いと思うので、勝手に妄想。

蘇民将来が出産と関係するなら、暴れる龍は、出産にもがき苦しむ母の姿と考える。
新たな命はありがたいが、そんなに苦しんで亡くなる母をみるのは辛いもの。
八岐大蛇は人間の母の苦しみを解くことがあると思う。
スサノオは亡くなった母のイザナミに号泣して黄泉までついていってしまう。
でも地上に連れ戻される。
スサノオが男女どちらでもあるのは、ツクヨミと同一で、男神として地上にあがったから、
境には女神と男神とを祀るようになっている。
地下は女神、地上は男神ということか。
そのような祀り方を境の明神といい、福島白河関と栃木県境にあるようなものと似ている。
確か、栃木がイザナギで白河がイザナミだったと思う。
宮城、岩手県境にも。
地下と地上には陰陽のスパイラルの働きがあるのだから、地上に上がると反転する。

地上の神は強くなければならない。それに人々の苦しみもわかる神でなければならないから涙も流す。
その涙を変若水(おちみず)といい、若返りの水とされるが、死を悼む意味の他、
出産の痛みもあると思いますが…
要するに、死の概念がなかった時代があったのが、死を経験することになった。
黄泉国へ行くことは、醜い姿となる。
西洋の神話にもあるように黄泉国へ行くとだんだんと衣服がはぎとられ、裸になり再び新しい命を宿す。
そうなると、また母は痛みと共に産み出さねばならない。

龍の姿を出産の母と重ねると、もがき苦しみ亡くなったカグツチの火を産む神がいる。
確か龍族だったと思う。

神話では、身体中から食物をだすオウゲツヒメがいて、スサノオがお腹がすいたから食べ物を恵んだら、
オウゲツヒメの何でも食べ物をだすことに不信感をもち殺害するといった話がある。

これも、世界神話で語られる人間が初めて火を使ったことで、火で料理をする女性(母)から、
火を盗もうとして殺害されるのと似ている気がします。

カグツチは、土と火があるので縄文土器だと思うのだが、その土器が出産時に使われていること。
その火を炊く土器は、関東、甲信越に集中している。
スサノオの子孫たちは新羅から新潟に上陸し、諏訪へ入り関東というルートがあるそうだが。

また、カグツチは多くの神を産み出すのだが、地上にいろいろな宇宙人類を産み出した存在で、
カグツチのカグは、カカの輝きから由来すると聞くので、カカセオとセオリツヒメは、
人間の苦しみを受け入れながら、新たな命を産み出した大地母神といえるのかもしれない。
それは、オウゲツヒメも同じ。
新たな食文化が伝わったこともあるでしょう。

地震は地球の鼓動で、人間の心臓に血液を送る。心臓からも電磁波は出ているのだから。
また、血液は呼吸にも関係し、鼻から生まれたスサノオは、息吹なわけで。
新たな地球の再生と宇宙人と人間の融合…平和な統合を目指すはずだったが。

カカ=輝き、セ=瀬、オ=尾。
輝く水の峯(金)
山の峯と考えるか、龍の爬虫類と考えるかによって全然違う解釈になるけれど。

ま、何でも自由な妄想にしてしまうのですが…

生まれる時から痛みと苦しみの洗礼を受けるのが人間なのだ、
というところに、スサノオの八岐大蛇は、葛藤しているようにみえる。
肉体をもつから苦しむ。
人間はなんでこんなに苦しむのだろ~ぅ。と、スサノオも思ったかどうか。
人間臭いところも感じる。
が、スサノオは龍族ではないのだから、牛と龍と何かしらのトラブルがあったと思いがちですが、どちらも角があるので、同じようなものではないか?と。

純粋にスサノオ信仰に没頭しに展覧会を見ると、全く違う世界がありました。

知らないことが多くて、ナルホドだらけ。

展示の中に、両神山と御嶽山の狼の護符が現代作家の方の作品展示にありました。
なんか懐かしいな~。
犬は振動だと。ナルホド~。
狼は振動で叫ぶのか。

ただ、どうしても混沌とした世界がある。
まだ地球には人類が誕生していないような、あの洪水後のような。
寂しい悶々としたドロっとした世界…。

ーーーーーーーーーーーーー
さて山寺は、こんなに岩が多いとこだったかな?と改めて不思議に思った。



山寺はたくさんの人がお参りにきていて、
最近、外国人観光客も多く見かけるようになりました。

ちょっと時間があったけど、五大堂に登る気力なし…。
へなちょこになったので、芭蕉像の側でさくらんぼソフトクリームを食べていたら、じーっと猫が見ている。
修行が足りん、とでも言いたいのか…。

山寺は何度か行ってますが、境内に、草木供養を発見。
今まで気づかなかった。
山形には、草木塔が各地にあります。草木の供養をちゃんと形にしているのは、山形県だけ。
芭蕉記念館のある風雅の国という施設にも草木塔があります。
木を倒して建設しているのだから、その木々に対して、ちゃんと供養をするのです。



草木供養に、ふと足を止めて切り株をなでてしまう。
へなちょこな私が言うのもなんだが、長い間よく頑張りました、と言いたい。ここから新芽が生えるといいね。
※石やお地蔵さまが奉納されてます。

こーいう教えは、どこからもたらされたのだろう?
先祖はすごいな、とつくづく思う。
このような環境哲学は、山形に原点があると私は思う。
なせなら、縄文遺跡がとても多いから。

松尾芭蕉の読んだ句碑の風景が、今でも残されている山寺。
やっぱりスサノオは、地球を謳歌しているのだ。
それは人々にも伝播するとわかった。
実は、展覧会後にお土産屋さんのある風雅の場所の草木塔を見るつもりでいたのをすっかり忘れていた。

円仁さん餅だけはしっかりゲットするくせに、アイス食ってる場合じゃねぇ~と…反省。



それで、帰りに山寺境内で偶然見つけた草木塔だったので、ああ、そうだった。
大事なのはこれだった。と、気づかされたのでした。

ありがとうのスサノオ探訪でした。
…という平和な感じで終わらない。まだ続きそう。

なんせ、スサノオが到来したわけだから、
震災から始まっているわけで、これからもスサノオは荒れ狂うからです。
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