秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

名取大舘山の樽水伝説

2015-06-27 | 東北地方の伝説(宮城県)
高舘村の山奥に、どこからかわからない安部貞任、宗任という野武士の兄弟がおり、
大舘山に陣を構えだんだん勢力を増し、夜になると農家の田や畑の作物を荒らしていた。

農家の人たちはせっかく育てた野菜などを根こそぎ持って行かれるため、
自分たちの食べ物がなくなる始末でとても困っていました。

そのころ、東北地方ではそんな悪者どもの話しがだんだん広がり、
そんな悪事を働く者を征伐せよと関西地方から、源義家が来ました。
農家では大喜びでしたが、野武士どもは、これは大変だと大舘山の周囲を固めたり、
食糧を蓄えたりして戦にそなえ、準備をしました。

源義家は遠くから来るので大変です。
安部貞任、宗任は、「関所を越え山を越えて来るだろう。」
と油断していました。
軍略の上手な武将源義家は、そんなことを恐れる武将ではなく、
大舘山を攻めて行きました。
安部氏たちは、樽に米を入れ水に見せかけて、どんどん流したが、
鳥がきてつついて見破られてしまった。
安部貞任、宗任が樽に米を入れ水に見せかけて流したことから、
高舘の奥を樽水とよぶようになったということです。


サイト「ぷらっとなとり」より。


ーーーーーーーーーーーーーー

その舞台となるそばに、樽水ダムがありました。やっぱ、秩父人ダムに反応する。
そんなに大きなダムではないが、ちょっと展望もよい所。
なぜか、テニスコートがあった…

似ている話では、伝説の中にある「米を入れて水に見せかけた」という部分は、
栗淵という栗の木橋があり、太白区前田の湧き水の源とされるが、昔、この淵で
米の籾殻を流し込んだところ、前田の清水に湧き出したと伝わる。

この昔話は、財力のあった豪族の様子を伝えているもので、米俵で洪水を食い止めた話しなどもある。
米を流せるほどの権力を持っていたと言いたいのだろう。

大和朝廷は、東北にいた人々を強制的に全国に移住させ、九州まで移住した人もいました。
それらをエミシと呼んでいましたが、その中でも安部氏や奥州藤原氏など、
俘囚といわれた豪族は、税金を免除される代わりに、朝廷に従えば土地も仕事も与えられていたので、
管理はされていたものの、比較的自由だったようです。

そのような力ある豪族に、荘園にして神社や寺などに土地を与えていたのだが、
そのバックには大きく熊野信仰が関係している。

おそらくこの財力は、熊野がもたらしたものだろう。
それは、出羽三山まで続く金の信仰。
源氏がやってくる時に、大舘山で藤原氏は潜んでいたわけだ。

大舘山は、名取熊野三山の奥山で、高舘(熊野那智神社)を、
元は高楯と書き藤原秀衡古城であったといわれる。

「西南に大舘有。東南に一岳の外郊あり。上に羽黒の祠あり。
一説に頼朝東征の時、山舘に次軍す。峯に祠るは、速玉男命、事解男命」
※名取熊野風土記より

また、小舘と大舘があり、源義経が隠れ住んでいたところともいわれ、
小舘は北峯で、藤原秀衡の軍馬数百頭いたところだという。

名取郡は多賀城が置かれるより前は、「アスカ」と呼ばれていた。
名取は陸奥中心地であり、7世紀頃、郡山遺跡がそれで国の役所でした。
アスカは、紀州にある阿須賀のことで、奈良の都にならって…というより紀州熊野にならって、
名取を熊野の聖地とした。
なので、わざわざ熊野に行かなくても名取熊野で参詣できる。
そのような環境を整えたのが、熊野老女と言われる神降ろしができた巫女でした。

熊野権現の分霊については、1123年頃で、熊野老女伝承を参考にして頂きたいのですが、
熊野は、死者の隠れるところで、「おこもり」のコモリノ→クマノになったそうです。
また、死者だけでなく排除された天皇家一族の隠れ家としての意味もある。

安部氏たちを動かしていたのも、熊野なのでしょうか?
熊野は安部氏などの豪族側につき、まつろわぬ民といわれたエミシたちの力になっていたのか?
それともどちらにも属さない平和主義国家を作ろうとしたとか。
金と思想で。
このあたり、役小角の影響があります。



樽水ダムから少し先の川崎方面へ向かう途中に、薬師堂がありました。
川崎~名取の路は、あこや姫伝承でもあるように、このあたりは、
元は新羅人がやってきた路だと思います。
藤原実方、藤原秀衡、源義経、義家などなど、数々の武将の伝説には砂金を探して歩いてきた路がある。
交渉のために、わざわざ陸奥へやってきて、陸奥に点在する数多くの薬師堂はその守り神で、
ここへ来てそのまま土着した人々が祀ったものでしょう。

それに、名取には古墳がたくさん残されている。
東北一の雷神山古墳があるのもそうですが、青麻山に向かって古墳が建てられたと考えられています。
蔵王権現や白鳥信仰、日本武尊の伝説も多い。
熊野修験は、役小角の影響があると思うので、蔵王山に蔵王権現が祀られたことから、
東北全土を金の聖地としたことがある。

どんな豪族が名取に大和と陸奥の和平を結んだのか。
もう少し掘り下げてみたくなった。かなり大きな組織力を持っていた人
で、天皇にも仕えていた人だったでしょう。
なぜ、陸奥へ?目的はやはり金?
なんとなく、中途半端にはできない重要な意味が隠されているようです。



名取市は全国住みたい人気ランキング上位にある。
高舘山も那智が丘団地、百合ヶ丘団地と開発が進み、尚絅学院短期大学がある所は、
昔、水神を祀ったところで、名取老女に関係している所。
そこに女子大があるから、気がよいスポットだと思う。
それに、那智からの風が閖上の海へ流れているので、住んでいると分かりますが、
いつも風が吹いています。熊野の水払いとは、気下ろしの風で龍を生みだしているのだね。
だから、ゆらゆらと揺れるモノと考えて、ユラと名付けらたのだ、と。
閖上の閖や日本海の由利は、名取で繋がっていて、閖上に上陸した人を祀った神社もある。
その人物は…?

今度は、北から南へ。
七つ森から名取の流れは、雷神山古墳の主のルートだったりして。
しばらく、名取探訪が続きそうです。
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イシュタルの鹿島天足別神社 その4

2015-06-24 | 神話・伝説

コトタマ学では、言霊は崇神天皇の頃に廃止されたという。
それが、二人も天皇はいらないと神武天皇に変わり、
神事に言霊を使うことがなくなったということ?それから、
この世は物資文明に変わってしまった。
言霊の重要性を訴えていたのは、崇神天皇だったのでしょう。

言霊で考えると、タリは宇宙の螺旋のようなものといわれます。
タラからタリとラ、リ、ル、レの四音に変化している。
西日本ではタラ、東日本ではタリみたいな時間や意識変化の流れなど、
あり得るかもしれない。
レは、わからん…。

勝手な解釈ですが、口を開けてみるとア行は縦に伸び、
イ行は横に伸びている。すると十のクロスになる。
ラ~リで、十を表す音だったりして。
音の振動を形にしたらクロスになるとかね?
タラやタリより、タルの方がウだから宇宙の中心、天之中御主となり、
ラリルの流れは、開けてから閉じる形なので、
内側にエネルギーを溜め込むようなイメージがある。
すると、子宮に力が入る。
私はウは、外的な働きより内的に働くものに感じます。
また、ウの音で三次元?引っ張り合うから、
十字からウの振動を加えると引っ張られてピラミッドになる?
想像するとそんな立体が浮かびます。

他にも、バランスの悪い結晶や細胞など、形良いものに変えて
健康を保つ方法として、言霊の振動を治療に施していたこともあります。
水の結晶のように。
それが「あわ歌」と考えると、タラという言葉を使っていた古代は、
神代文字からきているとか?

あわ歌のヲシテ文字から、タラを見ていただくと、よくわかると思います。
詳細は、ヲシテ文字のwikiへ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヲシテ
ヲシテ文字

ヲシテ文字は、神代文字と言われ、古く縄文時代から使われていたとの説もあり、
いろんな評論がされていますが、天地創造など地球の創世の意味があります。
また、歴代の天皇の名前にも完結しているという?
母音、父音、子音の構成なのですが、封印しざる得ないことがあったとでもあったのか?

ホツマの文字には、ホ=四角、ツ=三角、マ=丸と、この世の世界の基礎となる形を表す。
他二語を加えて、五態を表し、五大元素を記す。



ちなみに、これはフトマニ図。

あまり詳しいことはわかりませんが、Yのような枝分かれの形が、
上と下に交互に宇宙からの気を地球に循環させている。
それがタラの気なのでしょう。

神社の元は、古墳やイワクラ信仰がある原始的な祈りの場が多くありました。
そこを排除したわけではなく、新たにやってきた人々か、縄文人の末裔が、
私たち人類が新たな変化に芽を出すように祈願をした場所だったと考えられます。

古代史の面白いところは、単純に自分たちの氏族を天皇と位置つけるだけの権力の歴史でなく、
人間は地球の雛形だと思うので、例えば、大地は肉体、水脈は血など。
古代の人は、ずっと宇宙に近いところに生きていたのだな、と感じます。

崇神天皇か誰かが、言霊を保存してくれたから、その真理を学んでいた渡来人もいたわけで。
だから日本語は残った。
けれど、それは渡来した人というより、帰還して戻ってきた縄文人の末裔なんだ、と。

わかりにくい表現なのは、言霊という目に見えないモノを理解できない現代人は、
なかなか読み取ることは難しい。
そうなってしまったのは、わからないようにしてきた歴史がある。
真理を追求することが、おかしい世の中になっている。
その方が生きやすいが、私はそーいうのがわからないから、問いたくなる。

しかし、各々の解釈に委ねるしか方法はなく、答えはない。
というところに結局きてしまう。
ただひとつ言えることは、日本語は浄化できる作用を持つ魔法の言葉であること。
それをどのように使うかは、自分が知っているはず。
そこを自分に問うことを繰り返す。

磐座は神事に使用していたと思います。足は柱でもあるので、
新しい柱を下ろす意味かもしれません。
カは、キミと統合する言葉。
メは、眼、芽を出す。
めでる=「芽出る」は、「目出る」とも書く。
目が出ている人をシャーマンと言った。
見るだけで相手の病気や状態がわかること。
向き合う者と私で芽を出す意味。
相手は敵ではなく、もう一人の自分なのだから、
そこからは逃げられない。

イワクラのクラも桶や樽の意味があると思うのですが、
水か酒などを保管していた入れ物を神事に使ったことに由来するかもしれません。
なので、亀は甕だから、亀石は、甕の石。
酒が火と水でできているので、その水=酒を崇めるのは、
もしかしたら、噴火などマグマを鎮めることだったかもしれない。
水で女性を癒し、火で男性を燃えたたせる。
酒は、男女の融合の象徴。
人間が憤り怒っているから、それを鎮めれば噴火もしない。その逆も言える。
マグマが活発になってるのは、地球の変動など外的な要因だと言われますが、
そうではなく、人間がとうとう我慢できず、怒りに溢れてきたらだと思います。
今まで大人しかったのは、ずっと我慢してきただけ。
それが、東日本大震災がきっかけになっているということは、
東北の地が叫んでいるのだと思う。
もっと怒れ、もっと怒っていいんだ。誰が許せといった?

争うことではなく、言うべきなんです。
私はこんな世界は望んでない!と。嫌なものは嫌だ、と。

大同2年807年創建の寺社仏閣がとても多いのも、天変地異が多く、
人々の怒りを鎮めるための祈祷が、各地で行われていたと思う。
その年に建てることにすれば、鎮まることが実際あったのでは?

世界中で災害は多いですが、特にアメリカは大変なことになっている。
自然災害が異常に多すぎる。また、列車事故も異常に多い。
なぜ多いのか?
アメリカの歴史を問えばわかる。

彗星については、マルデゥクや二ビルなどの小惑星や神々?の名前が、
ハンムラビ法典に記されていると。

メソポタミアの世界は、惑星を抜きにしては語れない。
でも、別の何かがこの美しい地球や平和を望んだ創造主がいたのだと思うと、
やっぱり、深くて長い人類の歴史を知ることで、その創造主とやらの存在に応えたいと
思うようになった。
伝説は、その虎の巻なのだ。

魔女の太白山ーーーーーーー

さて、そんな果てしない妄想や現実逃避をしたくても、
太白山は相変わらず目立ってピラミッド。
金星の山に相応しい姿がいつも家から見えます。

この太白山の山頂に祀られている貴船神社は、
サナートクマラという京都の鞍馬山と同じもので、
金星から降りてきた姿は大きな天狗のような存在であったと言われて、
金星を意味するタイハクと名付けられました。

金星から降りてきたとはどういうことか?
まあ、これは個人個人が思うことが一番なのですが、
最近、マグダラのマリアなどの話が多いので、ネットで調べたら、
サナンダという言葉があり、キリストのことだと。

サナンダは2005年に降臨したと、友人から聞いたことがありますが…

このサナンダが金星に関係しているようで、
サナートクマラは、サナンダのことと言われています。
キリストは愛の精神なので、とても平和な愛をもつものなので、
それが金星の象徴なんだと思います。

そう考えると、太白山が仙台にあることが不思議です。
ヒーラーさんと登ったときに、不思議な体験話を思い出すのですが、
憑依しやすい体質といったらよいか、シャーマンな人はやはりそのような山に行くと
体に変化が起きるんですね。電気が眩しくて、
家電製品も身体が受け付けなくなったとか、波長なんでしょうか?
不思議な夢をみたり。
やはり、森には魔女がいるのでしょうか?
太白山登山の後、魔法使いのような女性が夢に出てきたそうです。
神話でいうなら、キルケーのような魔女でしょうか?
私も以前、太白山の後ですが、一緒に登ったヒーラーさんが出てくる夢を
見て、薬のようなものを作っていたのですが、透明なカップの中から何かが生まれたような、
手品を見せられているような夢でした。 場所がヨーロッパのどこか教会のある広場。

なので、その人の体験からも、太白山の力は本物だと思っています。
オドガ森の名前が由来であるように、縄文から続く神の山なのは納得です。



今の季節は緑が濃くなってきて森が美しくなってきました。
鹿島天足別神社は、前に比べて格段と明るくなりました。
震災時は悲惨でしたが。

ここでは、もののふな巨木が成長しているアカガシがある。
カシ類は森の中では大きく育つ。
昔、誰かがここに実を植えたのだろう。
アカガシは北東北では生息せず、宮城県あたりから西に多く分布する。
地下からの螺旋状のエネルギーが湧きたつように、大きく枝を伸ばしている。

やはり、木と石は同じエネルギーをもっているのだ。

てなことで、勝手な金星信仰の妄想はこのへんでやめとく~。

次も東北の伝説行脚しまーす!
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イシュタルの鹿島天足別神社その3

2015-06-21 | 神話・伝説
きりがないけど、続き~。

鹿島神社が宮城県南~北部にとても多いのですが、それは女神イシュタルの信仰を置いていったものかもしれない。
その意味は不老不死であり、完全な人間を目指していたことにある?

永遠に生き返ることを望む方法は、イナンナの神話にあるように、イナンナは結局、
亡くなるのですが、黄泉国で、別の代わりの人を黄泉国にこさせれば、
地上に戻り生き返ることができるとある。
代理とは、おそらく魂が別の肉体に入れば、また生まれ変わることができることを伝えていると思います。
そうなると、代わりに一人亡くなるという話しらしい…

イナンナはメソポタミアの豊穣の女神。
イナンナの姉は冥界の女王。
イナンナは、天界のみならず、冥界も手に入れようと下った。
その時、使いの者に3日経っても戻らない時は神々に助けを求めるように命じておいた。

冥界には7つの門があり、ひとつの門をくぐる度に飾りや服が取られ全裸になる。
冥界の神々は彼女に死の判決を与える。

3日経っても戻らないので、使者は、神々に助けを求めたが、協力してくれたのは、
水神のエンキだけだった。
彼は、爪から二人の神を冥界に派遣し、食物と水を与えた。
地上に戻るには、代わりの者を冥界に渡さねばならず、二人の従者がついてきた。
イナンナは夫に会うが、全く心配もしていないことに怒り、
代わりに夫を冥界に連れていくように頼んだ。
夫は逃れるために、姉のもとに逃げ、結果、一年の半分は夫が冥界に留まり、
半分は姉が留まることになった。

この神話は、粘土板に楔形文字で書かれていたそうですが、
読みにくい部分など、編集された箇所もあるかもしれません。
この話しは、もっと細かい内容で蘇生の話しなどもあり、いろいろな神々が現れる。
古事記のイザナギ、イザナミの話しとよく似ているし、冥界は閻魔大王そのものです。
日本の神話にも人類が神々により創造された話しがありますが、メソポタミア文明からの影響もあるのです。

閻魔大王の話では、門は7つではなく6つで六道の道がありそれを選んでくぐる。
7日かけて閻魔大王は、審判をするのだと。

この話しにも、惑星の運行が関係しているように思います。



死者を送る人は、その命を受け継ぐ役目。
これらの思想など、蘇生はエジプトから影響していると思うので、
物部氏はレビ族のルーツがあるかもしれない。

レビ族はエジプトがルーツらしい。
となると、ガド族はイスラエル、レビ族はエジプト。
なので、ミカドのガド族がイスラエルからで、
失われた十支族や神輿がルーツなのは、この一族に関係するのかも。
ですが、その前には自然崇拝をしていた先住民が住んでいたことは忘れてはならない。

鹿島神が物部氏と関係してるなら、レビ族はガド族を嫌っていたかもしれない。
和平を結んでいたつもりが、祠を立てて弔うことになったのは、
やはり物部氏などの豪族たちは出雲族を排除してきたのかもしれない。
平家に対しても参戦しているし。

神話を読むと、ノアの洪水後の重量増で人間は寿命が短くなったと。
その要因が月だったので、月神を女神として世界中で崇めているのは、
彗星衝突前の不老不死に戻りたい願望なのかもしれません。
つまり、金星のような惑星が現れ、衝突したことで、人類の世直しが始まった。
ある日、突然。
金採掘を止めようとしたのかどうか…

金星は地球と似ているので姉妹惑星とよばれる。大きさも同じ。
彗星衝突が月だと思っていたが、金星もあるかも。
思い出したが、何度か夢で月が二つあるのを見たことがある。
古代文明には金星が突如、地球に接近して月のように光輝く惑星になったのかもしれない。
神武東征で光輝くトビが弓に止まり、ナガスネヒコが降参したとあるのは、
金星という解釈もできる。
当時は月と同じように大きく輝いていたのでしょう。

さて、日本には言霊という日本語がある。
最後に、タラの言霊について。
次回に。
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イシュタルの鹿島天足別神社 その2

2015-06-17 | 神話・伝説
前回の続きを妄想…

その前に、日本での火山活動が活発化しているのは、311の東日本震災の影響によると言われています。
ほんとかね?
全く関係ないとは言えませんが、生きてることが奇跡だと思う今日この頃…
何が起きてもおかしくないのですが、日が経つと防災意識が薄れてしまいます…。

仙台は、全国でも涼しい所で、猛暑日が少ないので快適です。
それに、熱帯夜がまずないんだな。

さて、いろいろと自然災害が世界中で起こっていますが、
惑星と関係してるのでしょうか?



ところで、イシュタルは羽をつけている。
カカセオを倒したハツチオの別名も、天羽槌雄神で羽をつける。
多分、お互いに同じ部族だったんじゃないかなあ。
鹿島天足別神社は、イシュタルを意味し、ハツチオのこと?という妄想。
ハツチオは男神。女神にしないところワケありなんでしょう。
カカセオは女神でハツチオは男神て、こともあり得る。
倒した部族の女神崇拝を排除したら、あとあと怖いので男神にしたとか?

日本の神話では、元は女神も男神にされてしまう感じがする。

亀は世界の神話にとてもよく出てきます。
主な話は、不老不死、大地、島、天地創造に亀が関与している。
女神イシュタルは、イナンナという月神と同じとの話しもあるので、
そのイナンナが、ギルガメシュ書に、永遠の命を得るために、大洪水前から生きていた人物に、
若返りの効用草をもらうが、水浴中に草を蛇に食べられてしまう。
それから、人間は寿命が短くなった話しが、アダムとイブに似ている。

また、死の起源では、神は亀と人間と石をつくったが、亀は子供を欲しがり懇願したが、
生き物は子供を産むと死ななければならないが、それでもよいか?と尋ねられ、亀は同意し、子供を得た。
しかし、石は子供を欲しがらなかったので、死ぬことがない。という神話がある。

日本では、それをカグツチ神とするようです。苦しみながら火に燃えて亡くなり、
身体からいろんな食べ物を出す保食神ともいえる。
出産時、火を焚いていた縄文土器、愛子神との名で祀る物部氏の祖神は、
カグツチ神とも考えられるそうだが、やはり古くに物部氏は土着した先住民と思う。
縄文人の信仰を融合したのだろう。

不老不死、イナンナ、甕と亀石。
また、持統天皇は、昼間にみえる金星を恐れていた。
持統天皇は、根子の称号をもつが、天皇としては初めて火葬をした人でした。
火で終わろうとしたところ、カグツチとタリ=根子が繋がっているような気がします。

それに、イナンナはシュメールからきている。
シュメール人を検索すると、目の大きい像が出てきますが。
北関東に多い石尊山の山名由来は、イシュタルの由来があると聞いたことがある。
イシタルと読ますために、石を尊敬すると書くが、読み方は、「せきそん」となっている。
その石尊神社が東北にもあった。宮城県栗原にあり、石尊様と呼ばれ、火伏せ祭りが有名。
ここではヤマトタケル伝承が伝わっています。

妄想するに、金星と言われるカカセオは、甕星といい、タケミナカタのことで、星信仰を祀る海の民。
星信仰は、後の妙見星や北極星を神格化することになる。
なので秩父の場合、妙見様は亀にのってやってきて、秩父神社の北極星と出会う。
その星の由来は、金星なのかもしれない…
てことは、前にみた夢の話しですが、武甲山にUFOが降りて、
白人男性がいたのは、金星人かもしれない。

その金星は、実は彗星だったのが、4000年くらい前に惑星になったという。
古代文明にはまだ金星はなかったと考えられていて、
なぜ金星は彗星になって地球の近くにやって来たのか?謎です。

メソポタミア文明などの四大文明が日本のような島にたくさん逃れてきたことは自然なことで。
後にヘブライ人が活躍し、新たな信仰を深めていったのでしょう。
タケミナカタはその頃から続くアフリカ系の人々かもしれない。
エジプト、イスラエルに関係する部族。

中臣氏、物部氏を中心とした鹿島は、女神イシュタルを崇めるもう一つのシュメール人で、
これも金星信仰が由来かも。て、ことは同じルーツかも。

どこかで、天皇制が分かれたとは言われており、同じルーツかもしれないが、
物部氏と蘇我氏がいた頃、特殊な呪術をもっていた十種神宝を祀る物部氏は神武天皇側に
ついたとの八咫烏神話がありますが、調べるとガド族は崇神天皇の最初の天皇家らしく、
後にルビ族という一族が神武と名乗って天皇になったらしい。

そこで、二人も天皇はいらないとなる。
なので、神武東征は、先にガド族の崇神天皇を排除したかもしれないのです。
それが大物主であり出雲封じとなる?

ただ、同胞ならば、時期が違うだけで単純に敵、味方と簡単に区別するものではないかもしれない。

そして、カカセオを悪い星として塞いできたのでなく、天足アマタリを分けたというのは、
和気とも書く神社もありますが、四柱、もしくは八柱の宇宙から降ろしてきたエネルギーを
四ヶ所に分けたという神事の意味かもしれない。
東西南北を囲いこむ形になりますが。

なので、それぞれが異なる神事をすることになっただけかもしれないのです。
別に排除ではなく。

エミシの中心人物は、縄文から続く女神信仰だったでしょう。

岩手県八幡平には松尾という地区があり、龍神を祀る岩や湧水、
ストーンサークルがあり、アテルイ?伝承やエミシ征伐として激しい争いがあった場所です。
この松尾の地名由来に女神があるかもしれない。
エミシには3種類いたといわれ、その中のエゾのマドオマイから由来してると思った。
このアイヌ語の意味は、婦人の女性がいた場所で、女性を崇めていた場所だった。
マトオマイからマツオマイになったのでは?

まだ続く…
次はイナンナ伝説へ。
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イシュタルの鹿島天足別神社その1

2015-06-12 | 神話・伝説
イシュタルという金星の女神がいますが、富谷町の鹿島天足別神社は、
イシュタルのことなんじゃないかな?と思った。
カシマアマタリワケと読む神社。

根子マタギで話ましたが、足をタリかタルとよむとならば、
天足別とは、タリシヒコなんだと。

それで、足をタリやタラと読むならば、金星はイシュタルという女神のことだから、
イシュタルのタルから由来してたりして?

あまりはっきりと金星と言えないので言霊でごまかしてる感じもする。
このような思想は、中臣鎌足から、もたらせれた信仰かもしれない。

そんなにエミシたちは危険な存在だったわけではないと思う。
九州ら紀伊半島などを超えて東北まで逃れた天皇家に関係する氏族が祀ったものでしょう。

また、天変地異のような自然災害が東北にはとても多かったことにあるかもしれない。
それを鎮めるには、星の動きがある。それが金星の女神だと…

改めて看板の説明を読んでみると、鹿島神のタケミカヅチと、香取神のフツヌシを祀るとある。
東国征伐の際に祀ったとあり、近くの石神山精神社と同じくらい古いお社です。

似たようなのが、茨城県にある。
茨城では、大亀山の亀は甕になる。
茨城県日立市の大甕神社は、天津甕星=天香香背男を服従させた建葉槌命、タケハツチを祀る。
社伝では、天津甕星は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配した。
その大甕山と同じ甕星と書くカカセオは、金星のことをさす。

ミカは、イカとよみ、カカセオは輝くことの意味があるそうです。
私はイカはイヒカ井氷鹿のヒが薄れてイカになったかと思う。
吉野に井氷鹿という光る井戸がありますが、縄文人が土着し、水銀を採掘していた人たちといわれている。
メソポタミア文明まで遡る鉄族のイメージがあるが、泉の信仰が何となく古ユダヤ教のようです。

タラシヒコを帯日子とも書く。
帯の名前の天皇も多い。
これは、戦いの女神イシュタルのことと考えると、秋田物部氏が帯を祀るとあるのは、
タラシヒコのイシュタルだったら、興味深い。
それに、戦いの女神のように祀るふしがあるのは金星の女神のことだったりして。
すると、さきたま古墳の獲加多支鹵王に繋がる。
このへん、まだよくわからないが、
東北へ逃れて建国し、金星を祀る考え方になっているのかと。
地元にいた縄文人に金採掘を促したこともあると思う。
なので、鹿島神社はエミシを倒したわけでなく、
もっと深い信仰で、「わける」とあるのだから、四隅に何かしらのモノを分けて祀ったのだろう。
その思想がエミシ征伐となった。
ワケは、和気と書く神社もあります。
イシュタルはシュメール人なので、この先の北部にある、ユキ神社、スキ神社も
金星信仰のシュメールに関係しているかもしれない。
それに、この先エミシ柵を作り始めた場所は四竈と呼んだ。
シカマの竈=釜は、元は壺のことで、ミカドの由来になっているガド族が持っていた
マナの壺だったりして?
壺的な何か。
天皇家がここまで来ていることは、あり得ます。出雲から。
大伴氏かどうかはわかりませんが。
ちなみに、ガド族はイスラエル12氏族といわれてます。
詳しいことはわかりません。

宇宙樹というのがありますが、天地創造は、
円形の形になっていると考えられていて、
その四隅に例えば古代北欧神話では小人が支えているという。
古代北欧神話の宇宙樹は、9つの世界がある。
東北に来て、転々と聖地にしていた場所だったと思います。

長くなりそうなので、次回に続く…
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脱皮

2015-06-11 | 日記・エッセイ・コラム
ネットがしばらく使えなくなった。
なので、スマホで更新する。
めんどくさっ。

テキストのみというしばらく地味な感じがありますが、
いろいろと思うことを書いてみたり、面白い昔話を探してみます。

そろそろ梅雨の季節なので、
ネガティブになってみる。笑。

伝説を読んで思うこと。
私たちの世界が黄泉国だと思う。
ニュースをみて思うわけよ、こんなに残酷な世の中は普通じゃない。

もしかしたら、この世は夢で現実ではないかもよ。
地上の世界でも同じこと言ってるかもね。
下の人々はどんな世界なんだろう?と。
願わくば、そーであってほしいね。
この世は嘘だと!

私たちは、本当に落ちてきたんだろう。
低いレベルの世界に。
ただ、自分だけが天上して精神的な世界へ行き来するという考え方は好きではない。

みんなで一緒に天上できた方が、ずっといいに決まっている。

大地に人々をおいて上がったところで、また落ちる。
蜘蛛の糸のように。ここでは、地下のマイナスな世界にいつまでも居続けることになる。
マグマが引っ張ってるのだから。
それを引力というが、他の力も働いている。
なので、ここにいる限り、落ちてきた意味を考えなければ上がれない。

そこに人が生きている限り、変わらないのだ。
みんなが変わらないと変わらない。
自分が変われば周りも変わるのだろうけど、もう時間がない気がする。
地球も歳をとってきたようだ。

なので、生きるのが大変なのは、自分だけ良くなればいいは、通用しない世界だから。

葛藤しますな。

しっかし、こんなことを妄想するってことは、脱皮したいんだな。笑。
蛇信仰は、脱皮なんです。
ごもっとも様だと思う方が多いと思いますが、脱皮です。
そのままそっくり古いものは捨て、更新するわけです。
カエルも脱皮する。だから、世界の神話には爬虫類信仰が多い。

ただ、私の場合、単純に登山したいだけなんだろな。
そのストレスだけなんだな。
今、ちと、忙しいのでなかなか登山ができない…。

そっちか。
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マオリ族の地底国

2015-06-06 | 神話・伝説
有史以前、四代文明が滅亡した原因が、核戦争であったという話がある。
常識的でない話なので、まともに考えられることはなく。
単なるオカルト的な話として流されている。
モヘンジョダロの遺跡発掘で、核で焼かれたように高温の破壊力を証明する跡が見つかり?
古代核戦争が注目をあびたが、
後に「証拠とされる品物が、実は「発見者」や「オカルティスト達」によって捏造された可能性」
と、そういうのを嫌う人たちが言うようになって、結局、また流された。
でも、話題に上がるのだから、実際にあったと私は思うが…。

今の原発問題をみてもそうですが、なぜ、原発にイライラさせられるか。
世界の神話、伝説が語られる意味は、「後世、同じ過ちを繰り返さないように」との教訓である。
それに、当時は核がどういうものかわからないから、私たちには、
「地上では悪いことが起こっている」という表現で伝えるしか方法がなかったと思う。
人類の知らないところで、天上では戦争が起こっていた…。

古代核戦争があったのかどうか、マオリ族の伝説をよんで、
それを回避するために、地下へ逃れて暮らしている人がいると妄想してしまう話がある。
マオリ族に伝わる伝説は、地底から地上へあがった話が多いようにみられる。
ハカの踊りもそうだけれど、ポリネシアでも、古事記の黄泉の国のような世界があったと伝わる。
また、古墳があの世とこの世の境であったり、
遠野物語にもあるマヨイガの話も、マオリ族の伝説に似ているものがある。
それは、地上で戦争が起こった時に逃れた人々が住んでいる世界だったこともあるのでしょうか?
ちなみに、ポリネシア語も日本語のルーツがあるのだから、縄文人の末裔だと思います。
地下に逃れた縄文人・・・。

また、この伝説には、入墨の話もあって興味深いです。

妻を地下の国から連れ戻す-------------------------------------------

ニュージーランドのマオリ族にマタオラという男が目を覚ますと
地下の国から来たツレフ(死者の霊)たちが寝床の周りにいて話あっていた。

マタオラは、ご馳走を出してツレフたちをもてなそうとすると、
地下の国では、料理したものは食べないと辞退したので、
生の魚を勧めると喜んで食べた。

ツレフの中に、ヌヴァラフとよぶ美しい女がいた。
マタオラは恋をし、妻となって人間界にとどまるように頼むと、
彼女は同意し、夫婦になって暮らした。

しかし、マタオラの弟が妻の美貌を褒めるので、
マタオラは嫉妬し、妻を疑い殴ってしまう。
彼女は腹を立て地下の国に帰ってしまった。

マタオラは後悔し、妻の後を追って旅立った。
地下の国の入り口で門番の者に、ヌヴァラフが泣きながら通っていったと聞き、
急いで地下の国に降りていき、やがて死んだ舅のウェントンガが住む村についた。
村人は、マタオラの顔をみてただ色を塗っているだけだと嘲り、それでは
すぐ消えてしまうと言って、手で彼の顔をなでると色彩がすっかり消え落ちてしまった。

ツレフである村人たちは地下の国には入墨があり、いったん顔に模様をいれると、
いつまでも消えないというので、うらやましがるとウェントンガの所に行って、頼めと教えた。
マタオラが舅の家を訪ねると、ウェントンガは承知して入墨を施してくれた。
色を塗るのと違い、痛いので紛らわすために歌をうたうと、たまたま機を織っていた
妻のヌヴァラフが聞きつけてやって来て、彼の世話をした。

こうして二人は仲直りしたが、しばらくすると、マタオラは人間界に帰りたくなり、
妻を伴って帰郷の旅を始めた。

途中でチワイワカという鳥が、人間界には今悪いことばかり起こっているので夏まで
待ってと教えたのでしばらく中止し、夏になって再び地下の国を旅立ち、
人間界との境にある門まで来ると、番人が地下の国で作った神聖な衣を置いて
行かなければ通すわけにはいかないと、ヌヴァラフがとがめた。

そこでやむなく門番の言う通りにした。
二人が人間界に出ると、番人は門を開けておくと、生きた人間が勝手に出入りすると言って、
固く締めた。
それ以後、生きた人間は地下の国に行けないようになった。


Description=Te Puni-kokopu, Honiana, d 1870

---------------------------------------------------
暗く冷たい寂しい世界があった。
地上にいた人類や動・植物も氷河の世界のように、
太陽の光をさえぎる重い雲に支配されるようになった。
長い間、それはしばらく続いた。

小学生の頃、学研の地球の本で氷河期のナウマンゾウと人類の絵が書かれたページをみて、
子供ながらに、その頃の様子を思い出していた時があった。

思えば、あれは氷河期ではなく、地球の成層圏で爆発した核だったのか、と。
こんな事を言ったら、やばい人だといわれそうだが、地上の話であれば、
ウランの自然分裂したことも考え得るだろうけど、あくまで地上の話で。
宇宙に目を向ければ、地球の外では、いろいろあったわけだ。

「夏まで待て」
という意味は、それによって氷河期に突入したことも伝えていると思いますが、
そのきっかけが何であるか説明できない。
地下の国が、生きた人間は入れないようにしたところを、黄泉の国と言っている。
世界には、地下は女性が住む場所だと伝え、男性が連れ出す話は、
イザナギ・イザナミにも共通してある。
ツレフというのは死者であり、入墨をしている。
入墨の儀式のような話の中に、機織りもでてくるのだから、妻は機織り姫のようです。

この地下に対し、空には天女がいる。
夫を残し天に帰るのは、羽衣伝説。
鳥が空から地球をみていることを示し、人間界(地球上)で
悪いことが起こっているから待て、と言っている。

これは地下の洞窟が宇宙に繋がっていることを伝えているものだと思います。


※1904年ハカの踊り

地底にいるのは鬼-----------------------------------------------

朝鮮半島にも地下の悪鬼退治伝説がある。
マオリ族の伝説では、地下には入墨をした人がいるといっているが、
朝鮮半島では、そのような人を鬼と例えている。

地下では鬼がこの世に現れて荒らしていると。
その鬼に捉えられた公主が3人おり、
地上の王は、鬼を退治したものは、娘を妻に与えるとのお触れをだす。
桃太郎伝説のように、若武者が鬼を退治しに行くのですが、地底国には立派な建物がある。
それが鬼の屋敷で、鬼退治にきた若武者が様子をうかがっていると、
甕をもった美しい女が門から出て来て水を汲んでいる。
女は若武者に気づき、よそ者は門には入れないと忠告する。
若武者は呪術を使って、西瓜に変身した。
屋敷に入ることができ、
鬼を退治した若武者は、捕らわれていた公主を救ったのだが、
地上にいた公主は穴を石で塞いでしまい、若武者は地上へ出られなくなった。
計られたと知って嘆いていると、老人(山神)が一頭の馬を連れて
馬にのって外へ出ろという。
若武者は一気に穴の中を飛びあがり、王の前に進みでると若武者こそが
真の恩人であるとわかり、約束通り公主の娘と結婚した。


この伝説に、西瓜という「瓜」がでてきます。
きゅうり(胡瓜)も瓜ですが、瓜は七夕に関係している。
祇園祭りに胡瓜を食べないタブー神話があるのは、織り姫と彦星の話に由来する。
中国からもたらされた800年以上も前の話ですが、なぜか犬が関係してくる。
「犬飼星」は、彦星のことをいう。
マオリ族も機織り姫があらわれますが、天に行く中国の話は羽衣伝説となり、
羽衣を身につけた天女は織り姫となる。

おそらく、犬は古代からシャーマンにとって必要だったかもしれない。
巫女が犬を用いてい宇宙と交信していたと思われる話なのですが、
宇宙に目を向ければ、おおいぬ座はシリウスの象徴となっている。
北斗七星にも狼の名前の星がある。

ウガヤフキアエズは籠に魂?を入れられ海の底へ流されたという伝説があった。
地底国がウガヤ朝に聞こえるのですが、これもレムリアの記憶のひとつだと思います。
地底に逃れたのはその子孫たちで、代々言い伝えとして残されていることを考えると、妄想がふくらむ…。
また、朝鮮半島では逆にそれらを鬼として退治してきた話になっている。
日本に牛頭天王が女性(母性的な)シャーマンでなく、男性のスサノオが荒々しく地球に
天変地異を与える悪いものだと伝えられるようになったわけは、再びレムリアが浮上しない
ように岩で封じたことにある。

桃太郎伝説はインドの「ラーマヤーナ」の話が起源といわれる。
鬼退治にでかける島は、魔王の棲む島であった。
山に住む猿の王がでてくるのですが、猿王は誘拐されたヴィシュヌ王の化身
の子供を探しに軍をだす。将軍をハヌマンといい、空を飛ぶことができた。
捕らわれた魔王の宮殿に入りこみ、子供を保護することができ、
将軍に仕えていた猿や熊は、魔王の軍隊を退治する。
動物と魔王退治するところから、桃太郎にも猿やキジなどを登場させるようになった。

-----------------------------------------------------------
でも、考えてみると地球は丸いのだから、上も下もない。
地底とは地球の内部にあたるが、その地底国がシャンバラのことなのかどうか・・・。
平泉の話で、チベットと日本人に多くのDタイプの遺伝子(ハプログロープ)
があることを話しましたが、シャンバラは日本にも関係していると思います。
観音霊場や日本の須弥山などといわれる山が多い日本ですが、
シャンバラを伝えているものか、と。

シャンバラは宇宙観をもっています。
よくわかりませんが、チベットと日本に特有のシャンバラ思想?みたいのがあるのは、
YAP遺伝子に関係していると思います。
このへん、難しいので流しますが、どうも古代に突然変異?みたいのがあって、
何らかの原因により、Y染色体のDNAの中に配列されたという話がある。
生体の謎は多く、解明されていない中で、YAP変異というのが、
ハプログローブEとDにだけ限られており、非常に珍しいことだという。

※Eタイプ=アフリカに多い。
DE=ナイジェリア、チベットに多い。
D1a チベット等に多い
D1b 日本で頻繁に見られる。アイヌ人に多い。
E1b1a アフリカ中~南部。ニジェール・コンゴ語族と関連。
E1b1b アフリカ北東部・北部、中東、南ヨーロッパなど。アフロ・アジア語族と関連。

ホモサピエンスがチベットと日本にわかれたそうだが、(D1a,D1b)遺伝子が
大きく関係していると思います。なぜ、アフリカから旅立ったのか?
なぜ、日本には多くのピラミッドが残されているのか?
その理由に突然変異があり、シャンバラのような黄泉の国を継承をしている
のが日本とチベットに限られるというならば、古代の遺伝子変異にムーやレムリア大陸に住んでいた
人々の遺伝子の多くがチベットと日本人が受け継いでいることになるのだろう。

シャンバラは仏教の最終経典と呼ばれるチベット密教の「カーラチャクラ・タントラ」により、
インドのシャンバラ島がでてきたことにある。
カーラチャクラ・タントラを説いたのは、ゴータマ・シーダールタ(釈迦)だといわれている。
そのシャンバラに熱をあげていた人物に、ヒトラーがいたことは有名。

「地図を広げてシャンバラを探しても見つけることはできない。
それはカルマと徳の熟した者以外には見ることも訪れることもできない清浄な土地なのである。
実在の清浄な土地であったとしても、通常の人が飛行機の切符を買ってたどり着くことはできない。
もし将来、宇宙旅行の技術が発達して超高速飛行が可能になれば、
あるいはそこに辿り着くこともできるかも知れない。
だがその場合、その切符は高価なものになるだろう!
実際にはその切符とは徳を積む行為のことだ。
-ダライ・ラマ14世-」


生きた人間が地下へ入ることができないように門を閉めたマオリ族の伝説や、
穴を岩でふさいだ朝鮮半島の鬼の洞窟も、
ダライラマの言うように、私たちにとっては遠い世界になってしまった。
それもまた孤独でさびしい。
マオリ族たちも縄文人の祖先をもっていると思います。
南からきた縄文人はポリネシア人。
-----------------------------------------------------------
そういえば、
この前、大亀森公園の展望台で空をみていたけれど、風だけが強く吹いていて、
空があんまりにも静かなので、
「みんなどこへ行ってしまったんだろう?」
と思っていた。
空にはいないのだな、と。
もしかしたら、地下なのかもな。。。どこかの山中か、地球が空洞ならば、
その中に何かあるのかな、と思っていた。
ここでシャンバラが繋がるのだから、そーいうことなんでしょう。

洞窟を抜けると別世界にいけると古来の人は信じていた。
というか、そういうものなのだ。
ずっと前に見た夢の話だけれど、洞窟を抜けたら知らない場所にでて、
川が流れている側に、青い色の小屋があった。
その中に大きな牛が眠っていた。
側には知らないお爺さんがいて、瞑想しているみたいだった。
ここは別世界へ行けるらしい。タイムスリップ?そんなことをお爺さんが言っていた。
何で牛なのかわからないが、濃い水色のきれいな色の小屋はよく覚えている。
青と牛は、プレアデス星団の象徴。
スバルに「統」の意味があるならば、地上に上がってきてほしいなぁ。


チベットのシャンバラ
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十宮の富谷町

2015-06-04 | 東北地方の伝説(宮城県)
富谷町の伝説

昔々富谷のある山里に、 お政という絶世の美女がいました。
おまさに求婚する者は数多く、紫太夫もその中の一人でした。

ある日おまさが修験者に占ってもらうと「その美男こそ魔性のものに違いない」と言って、
ある秘策を授けました。その夜も、求婚しに来た男に
「明日の夜はっきりと返事をいたします」と言い、
男の着物の裾にそっと糸を縫いつけました。翌朝糸をたどってみると、
それは大きな木の洞の中に続いており、そこで初めて、紫太夫が大蛇の化身であること
がわかったのです。


(日吉神社)

その夜、おまさは修験者に言われたとおり男に言いました。
「熊谷の源内にある大きな木にコウノトリの巣があります。
その巣から卵をとってきてくれたら、あなたと結婚いたしましょう」。
紫太夫はいつになく寂しそうな表情を見せ、
それ以後おまさを訪ねてくることはなくなりました。

数日後、その噂を聞いた里人たちが源内にある大きな木に行ってみました。
するとそこには、バラバラに切断された大蛇の死骸があったのです。
あの夜、大蛇は卵を奪うためにコウノトリと格闘になりました。
卵をかかえたコウノトリをぐるぐる巻きにした瞬間、
コウノトリは自慢の羽をはばたかせて大蛇を殺しました。

大蛇の体は十個の破片となって飛び散りました。
里人たちは「大蛇は命がけで娘を愛していだんだねぇ…かわいそうだごど…」と、
十個の死骸を十ヶ所に葬り、それぞれに宮を建て、ねんごろに弔いました。



(十二神の薬師堂)

TOMIYA自由大学サイトより。
http://www.tomiya-jiyudai.com/?p=488
※富谷町の情報についてはこちらのサイトがおすすめ。

-------------------------------------------------------
黒川郡にある富谷町は、大きな街です。
東北一人口増加率が高い町で、2016年市に移行する話があります。
仙台市内からも比較的近く、北部に位置するので冬は市内に比べて寒いですが、
とっても住みやすい場所と聞き、私も富谷町はいいな~と思います。


(栗駒方面)

富谷町は、面白い歴史が多い。
古くは800年代の大亀山森林公園でしょう。
鹿島天足神社が祀られ不思議なイワクラがある神社です。
何度かこのブログでも紹介しましたが、黒川郡の森は縄文の森が残っています。



この大亀森山公園の展望台は、138m。数字にも、「とみや」にしている。足すと、12。
ここにもキリスト教の聖数が隠れていた。12にまつわる数字はとても多い。
また、十三夜=とみや、と呼ぶこともあるそうです。
13の闇は、ユダヤ教。光と闇が富谷町の象徴ならば、
ここは、その聖地であったかもしれない。
12の数字については、きりがないので流しますが、キリスト教についてはこの後で。
とにかく、私はここの景色が大好きです。
ひろ~い空にひろ~い緑の森。残したい宮城の風景です。

(左:泉ケ岳、右:七つ森)

さて、この大蛇の伝説がいつ頃の話か不明ですが、
奈良の三輪山信仰の話しとほぼ同じ。
それに「コウノトリ」は、日本でも赤ちゃんが運んでくるのはコウノトリと言うように、
火と出産の信仰がある。遡れば、縄文時代、ホモサピエンスの祖までいきあたる。

パプアニューギニアでは、火の起源が女性の体から出現したといわれる。
苦しみながら出産したのが、コウノトリとヒクイドリという鳥であり、
火で焼かれながら生まれたと伝わる。

他にも女性の体(主に母)から火がでて、美味しい魚を食べられるのは、
こっそり火を使って料理をしているからだ、と。
それに盗み見した兄弟が火を盗み、それから人類は火を知ったという話がある。
ギリシャ神話のところでも火を盗む神の話がありましたが、
東南アジアと同じように日本でも、主に女性のホト(記紀の神話にあるように)を突いて
亡くなった話がありますが、東南アジアからもたらされたものかもしれない。


(三角形の山が太白山)

「神話にあるように、女神が体を焼かれて苦しみながら火を生みだし、
人間の手に火が入った神話は、縄文時代にすでにあった可能性がある。
主に関東地方の西部~中部にかけての地域に、「釣手土器」というのがあり、
焼け焦げた跡があることから、ランプのような使われ方をし、
宗教儀礼として数少ないもので見つかっている。
釣手の部分に、人の顔が表されたもので、全体が明らかにお腹が大きく膨れた妊娠を思わせる姿である。
この土器で火が燃やされる理由には、土器が胎内に子を宿した姿で、
母の体に火を燃やしていることになる。
それは、母神を現したもので、火を燃やすことで体を焼かれながら苦しむ
人間のために、貴重な子として生みだしてくれる有様を祀っている。
神話の中に、母神が火傷を負って苦しみながら死んだというイザナギの話しは、
その起源が縄文時代にさかのぼるもので、きわめて古いものと想定できる。」

「ヒト科の動物による火の使用の歴史は、はっきり確定できないが、
50万年以上前にさかのぼる。私達の祖=ホモ・サピエンスは、発生の当初から
火を使い、その火の使用は人間の他の生物とのもっとも重要な違いのひとつだった。」


引用:「世界神話辞典:角川書」


(日吉神社となりにあった祠。にんまり笑顔の狛犬)

--------------------------------------------------------
人間と動物の違いは、火を使うか使わないか、にある。
世界の神話でそれほど変化がなく、火が何かによって盗まれたことで使用ができる
ようになったという神話は、ホモ・サピエンスが火を使う人々であったという事。
それが進化し、ヒトとなった。

出産の苦痛も、多くの女性が亡くなったことにある。
火が体から出るという激しさは、出産の苦しみから例えたものでしょう。
それは、胎児が大きくて産道を通らないこともある。
古代から帝王切開があったのは、お腹を切って赤ちゃんを出す方法しかなかったと考えられるそうだ。
ある説では、胎児の大きさは巨人だった時代の名残であり、なぜか人類の胎児だけ?は、
退化(小さく)しなかったという。
つまり、私達は小さい体になったのにも関わらず、胎児は巨人だった頃の大きさのまま
生まれてくるのだという・・・。それは苦しいわけだ…。
信じるか信じないかは、あなた次第です。という都市伝説で終わりそうなんですが、
それだけ、出産は命がけでした。

母神を祀るのは、そのような痛みから耐えられず若い女性が犠牲になったことがある。
弔いは、そのように若くして亡くなった母への想いにあるのです。
役小角が、蔵王権現を生みだしたという信仰は、若くして争いに巻き込まれて亡くなる少年、
病気や早い出産で若い母がなくなっていた時代でした。
なので、「もっと強い神がほしい」という願いで生まれたと聞きます。
確かに、蔵王権現の形相は怒りをあらわしているような気がします。
それは、慈悲愛のようなマリア様とは対照的。
命を落とさず、死と立ち向かうことができる強い母がほしかったことから生まれていると思います。
アマゾネスのような存在の女神は、出産に対する戦いだったのかもしれません。

ということで、富谷町の大蛇とコウノトリの話しは、
男女の性行為によって子供が生まれる起源の話しとしてある。
遡れば、それは縄文時代から続いている信仰であることがわかり、
大蛇が十か所の体に分かれ、その地名由来として十の宮=とみや、
となった話しは、貴重な伝承だと思います。
--------------------------------------------------------------
富谷町が史料に登場するのは、1772年頃。
村名由来は、「往古は当村の内熊谷の中す所に宮十有之候を以て
”とみや”と申し候由、文字にも十宮村と書き申候由に御座候処、
何時の頃に御座候や文字も相改め富谷村と書き申候。」


古くは熊谷の宮の沢(落合)にお宮(神社)が10社あったので、十宮とよんだ。
現在、日吉神社のみが残る。



鎌倉時代~室町時代頃に、黒川氏が落合の御所に居住していた。
ところで、落合という地名は、キリシタンに関係しているのでしょうか?
仙台市の西側、愛子周辺にも落合の地名があり、このあたりもキリシタンが多かった。
これらは、支倉常長に関係しているようなのです。
富谷町に、10社の神社が置かれた理由には、キリスト教が深く関係している。


(仙台市方面)

黒川キリシタン--------------------------------------

1615年頃、仙台領内ゼスス会、フランシスコ会の二派が存在していた。
この二派には互いに反発しており、争いになっていた。
会津若松の信者たちは、双方の伝道師に負けた者を追いだす。(討論で)と主張。
この経緯についてフランシスコ会の司として活躍していたディエゴという人が出した
書簡が黒川郡吉岡、富谷地方のキリシタン衆に宛てたものが仙台で発見された。

この書簡の宛名には9か所あり、これらの地方にキリシタンが存在していたことを
証明するものでした。

特に多いのが、一関村、三関村、石積村350人余。
三か所の地区に教会をおき、この中に「大谷」の地名がある。
大谷は支倉家と関係しているといわれ、支倉常長の子孫たちが住んでいた。

西成田上地蔵堂、地蔵堂は安産地蔵と称する祠がありますが、祭日がクリスマスイブ。
新年の門松は藁で作った十字架を飾っていたそうです。

しかし、なぜ富谷町なのでしょうか?
キリスト教の普及は、各国に派遣された宣教師によるのではなく、
そこへ移住してきた信者たちの影響により、信仰が始まると考えられています。
初めて奥州へ行き組織的な伝道をした人が、スペイン出身
フランシスコ会のルイス・ソテロ神父。(1611年)
ですが、2年くらいで支倉常長と共にヨーロッパへ出発。
その後、1614年にキリスト教禁教令が。

九州や中部で伝道活動していた人々が、キリシタン禁制になった為、
奥州へ逃れて信仰を守りながら、熱烈な布教活動をして広まったようです。
東北のキリシタン降盛時代、富谷町に多くの隠れキリシタンが集まった。

また、仙台から日帰りで来られる場所で比較的近い立地条件にあったこともある。
夜のうちにやってきて、朝早くに仙台へ戻ったそうです。

支倉常長は帰国後、キリシタン禁制の圧迫をうけ、密かに黒川郡大谷村の
東成田西光寺で余生を送ったと伝わります。
その影響により、富谷町に多くのキリシタンがいたそうです。


(支倉常長:仙台市博物館蔵)

「1591年春、正宗君葛西大崎一家征伐後、御領地替の時、
常成領地元の如く、黒川郡に於いて五十余町を受け賜り、
同郡大森邑に住み、その後同郡富谷下の原里に移る」


※参考:黒川郡誌より

マリア信仰の面影----------------------------------------------

いぼ取りの伝説は全国各地にあります。
イボが治った話はとても多い。
なぜかよくわかりませんが、いずれもマリア様信仰に関係していると思います。

三ノ関にあるいぼ取り太子堂は、聖徳太子のことをさす。
昔からいぼ取りの神様として信仰され、
いぼが出たら太子堂に参詣し、石碑に供えてある小石で、イボをこすると
たちどころに治ると伝わる。
治ったら石を倍に返すといわれています。

三ノ関にキリシタンの人が多く住んでいたことを考えると、
他にも富谷町には水神信仰もあったりする。
もしかしたら、住吉神社の三角形の鳥居も、どこか昔のユダヤ教に通じるものがありそう。

(大亀森山公園の巨石たち)

大和町落合悟渓寺本堂にマリア像がある。
「緩帯(天衣)観音像」というのもある。
「かんたい」とは、腰間に剣をかけて帯をしめている様子のこと。
これは妊婦さんが腰に帯をまいて剣をさしていた事に由来するのでは?
なので、「ゆるく」帯をしめていた。
このへん、神功皇后の三韓征伐の伝説に似ている。
腹帯を祀る神社(唐松神社など)は神功皇后のことを差すようで。
当時、夫(仲哀天皇)が亡くなった代わりに、神功皇后が平定したことに由来する。
その時妊娠していたのだが、剣をもって一緒に戦ったアマゾネスのような
存在として語られているふしがある。
その帯をしめていたという話が神格化されて、女神=母神の象徴となった。

しかし、仲哀天皇を古事記では帯中日子天皇とよび、「タラシヒコ」の称号がついている。
実在していない話は神功皇后も同じですが、「帯」という漢字を使うのにも他の意味があるかもしれません。


(大亀森山公園)

他にも、マリア観音様が長楽寺に残されている。
キリシタン禁制後の隠れキリシタンが所有していたもので、
表向きは観音像ですが、実はマリアの像として礼拝していた。
とてもシンプルで観音様というより、素朴で髪の長い女性の像といった感じで可愛らしい。
(写真が郡誌に掲載されています。)

穀田の立石



他にも富谷町穀田に水神の碑がある。
近辺の田畑をうるおして良水を産したことから穀田という。
長さ2m、幅70cm、厚さ15cmの砂岩。


巨大なので、道しるべとしてあるのではなく、水神を祀るためにあったそうだ。
信者が砂鉄を製鉄した際にできた鉱滓ともいわれている。


(立石側の溝近くにも白い石があった)

クロスの十-------------------------------------------------

10という数字は、何かと多く現れる。
ヒト=10、は言霊でも重要な数字といわれていますが、
キリスト教における10は、モーセの十戒やノアの洪水にも10という数字が
関係しているようで、全体と宇宙を現す数字といわれています。
私は、十という漢数字が形としてみえるのは、十字架なので、そのような意味
も込めて10を十としたような気もします。
クロスの縦は、天と地が真っ直ぐ下りてきた柱で、地は下から伸びる。
横は人間の真っ直ぐな心といったものか?時間の現れとも言われる。

難しいのですが、十の形を高速に?上下左右に揺らすと円になるらしい?
三角錐のピラミッドなんでしょうけど、最後は完全な円を描くということなのかな…
物部氏などの祈祷に似たような図があり、鈴が円のことを指すのかわかりませんが、
近いものがあると思います。五十鈴は50だから、五回やるとなんかあるのかね~?

日本で最古の十字を使った家紋は、鎌倉時代の島津忠久。
甲冑に十文字があったことが最古の記録としてあります。
フランシスコ・ザビエルが布教のために鹿児島県に来た際に、
島津氏が白い十字架を使用していたことに驚いたという記録がある。
ザビエルが来た以前から、島津氏はキリスト教を信仰していたのです。


※島津十文字(漢数字の十を図案化したものといわれ、筆書きのような十字架)

支倉常長について「侍」という小説を読んだことがあります。
遠藤周作の小説は好きで、「沈黙」を始めて読んだ時、カルチャーショックでした。
宣教師としてやってきた異国の人でも、仏教のお寺で埋葬されていたりする。
日本にきてキリスト教を伝えるはずだったのが、仏教に改宗した外国人もいた。
「日本人は十字架(イエス・キリスト)をみているのではなく、その奥をみている」という
遠藤周作の宗教感が好きです。

支倉常長は帰国後、あいにくのキリスト教禁制だったわけで。
長い旅の帰路、仙台に戻りどんなことを感じたのでしょうか。
静かに余生を暮らした支倉常長の沈黙も、「侍」を読んで頂くと、
心の内が感じとれるかもしれません。

もひとつ気になること。
大森山公園はわりと標高が高いので、岩がある場所からも、
展望はよく見える。
なぜ、あえて138mもの高い展望台を作ってしまったのか?
ここからの景色は、360度宮城県全土?は大げさだが、ほぼ見渡せる。
大森に支倉常長など一族や信者が住んでいたとあるが、
場所はこのあたりなんだと思う。

東京スカイツリーも、634m=ムサシ、武蔵にしている。
日本人は数字も言霊と考える。
十宮が仙台の伊達藩、特に伊達政宗と支倉常長の中で
取り決めた何か秘密をもっていた場所のような気がする。
はっきりと言えないが、この約200年後くらいに、ペリーが来航する。
確か、伊達政宗はキリスト教禁止は考えていなかったが、
支倉常長が戻る頃に、キリスト教禁止することに同意した。

だから、仕方なく沈黙を守っていた気もします。
支倉常長の使節団はメキシコにもいっているし、
当時の1600年代は、欧州にとって日本の情報は、知りたかったはず。
天皇制がどういうものなのか。キリスト教にとって天皇政が一番難しいこと。
使節団がそのまま現地に残っている者もいることを考えると、
明治維新前から、支倉常長使節団により、情報を知り得ていたはずなので、
その功績は、欧米にとってはプラスだった。
おそらく、仙台城前にあるフリーメイソンの石碑は、
伊達政宗でなく、支倉常長に対する恩恵のために置かれたと、思いたい。

この塔は、単に展望台としてあるが、支倉常長の理想でもあったかと。
いや、伊達政宗かな。
これだけ高い展望台を作らせた野望は…
仙台全土をキリストの聖地としたかったのだろう…
伊達政宗は世界を見ていた人でしたが、なんだか、謎多き人だと思います。

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日吉神社について
1774年比叡山より勧請した黒川三社の内の一社。815年、比叡山の行尊が造営したと伝わる。
主祭神は、大山咋命で比叡山の地主神として坐していたが、後に最澄が延暦寺を建立して、
天台宗をひらき、古くから山岳信仰と結びつき、やがて神仏習合思想に密着して延暦寺と並び、
深く多くの信仰を受けるようになった。
日吉神社は山王権現とよばれ、鳥居は山王鳥居とよび、明神鳥居の上に破風型の合掌造りを加え、
柱の脚に藁座(根巻)をつけている。(看板の説明より)


※日吉神社のご眷族は猿です。


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根子マタギ

2015-06-02 | 日記・エッセイ・コラム
秋田県阿仁地区はマタギ発祥地で知られていますが、
阿仁地区に「根子」という集落がある。
ネコ・・・?
どっかで聞いたことあるな~。

天皇の名前に「根子」とつく名称は多い。
例えば、古くは清寧天皇や持統天皇、桓武天皇、平城天皇など。

持統天皇は、「大倭根子之廣野目女尊」と書き、
倭根子(ヤマトネコ)は、天皇の美称でつけられるという。
ということは、倭根子というようにしたのは、持統天皇が発祥では?と思った。

根子とつく地名は全国に案外多いもの。
大和朝廷と関係の深い地名だとしたら、
秋田の阿仁は、マタギが大和朝廷と関わっていたことになるのでしょうか?


※遠くに見えるのが森吉山(秋田駒ヶ岳より)

根子集落について、「くまの棲むまち」サイトより引用
http://rice-land.com/"

「他のマタギ集落とは少々違った集落がこの根子集落。
比立内、打当ともに米代川支流の、阿仁川に面して開けた集落で、
“船場”という地名が残る事を見ても、かつては船を利用した物資の輸送も
盛んだったと思われる。しかし根子だけは、まるで人目を避けるかのように、
険しい山を隔てた盆地に、ひっそりと住み着いて切り開かれた集落なのである。
今でも国道から根子集落に入るには、ここから先に人が住んでるのかと思わせる
ような場所から、入り込んでいかねばならない。

この地の住人は根子集落を“平家の落ち武者が開いた村だ”と言う。
この説には他説もあって、源氏(義経家来)の末裔の開いた集落という説もある。
真偽の程は定かではないものの、確かにこの集落だけはポツンと別世界のような
雰囲気がある。たとえば阿仁川沿いの町村に今も残る郷土芸能といえば、
獅子踊りや駒踊り、棒使いなどが多いのに比べて、根子だけは全くこの種の芸能が無い。
あるのは“番楽”と呼ばれる勇壮な舞い。ストーリー性に富み、
弁慶牛若丸や源平の合戦の様子が舞われる芸能である。
“番楽”という芸能は秋田県以外の地域にも、いくらか残っていると聞くので、
どんなものなのか想像できる方もいるかもしれない。

「阿仁川沿いの集落の歴史はというと、土器や石器が出土する事から、
比立内、打当の集落が古くからあった集落である事は間違い無い。
後に人目を避けるように開いた根子集落は、平家にしても源氏にしても、
落ち武者伝説が本当だとすると、12世紀の終わりころに出来た集落ということになる。
農耕作業と併せて、農閑期の狩猟活動も当然行われただろうが、
何しろ縄張りは比立内マタギ、打当マタギに大半を握られていたから、
新規に縄張りを獲得するのは大変な事だった。

 根子集落のマタギ関係の住民に、その点を尋ねてみると、
確かに比立内や打当方面(森吉山も含む)へ出かける事は、
あまり無かったようで、根烈岳と呼ばれる集落の西方向の山か、
八幡平、駒ケ岳など遠くの山へ出かける事が多かったと聞いた。
ちなみに森吉山という山は、クマが繁殖する山として、
その生息数は東北随一の山と言われている。根子マタギは、
その山に取り付くことが出来なかったのである。」



秋田駒ヶ岳(あきこま)


(山開きしましたよ~)
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阿仁でマタギの開祖となった伝承に、
磐司磐三郎がいますが、この方が下野国(栃木県)出身だとされ、
そうなると、根子という地名がついたのは、後から下野国の豪族が
秋田までやってきて、根子と天皇を総称し、(尊敬をこめて)
住んでいたとしたら、この根子は持統天皇のことをさす?
持統天皇に仕えていた関係深い栃木の豪族といったら、下毛野古麻呂がいるが、
その系統が日光修験になり、阿仁地区に日光の修験とマタギが融合したと考えると
興味深いものがあります。

ま、妄想なのでいろいろと解釈できると思いますが、
山寺に円仁がやってきて、磐司磐三郎から寺院建立の為、土地を譲ってもらう話しがある。
円仁は900年頃で大化の改新の後なので、時代が異なりますが、
その一族が逃れて旅をしながらマタギになっていた可能性はあると思います。

(奥の山寺:円仁居の跡)


円仁も下野国の壬生出身だから、磐司磐三郎の弓人(弓が上手)で朝廷の軍部としていた
下毛野氏と関係していたとしたら、接触したかったと思う。
仏教でエミシを鎮めるという話しもありますが、磐司磐三郎もエミシと同じように
考えられいたのでしょうか?
磐司磐三郎の出身は奥州という話もある。
前に石巻北村の話しを書きましたが、日光の神々の本家が石巻(小野猿丸という)
であり、奥州から群馬の赤城山(大蛇)と日光男体山(ムカデ)対戦で、日光側につき、
手柄をたてたから、朝廷から山での狩猟を許され、その証明に巻物をもらい
山寺にやってきたという話しが繋がる。
他にも、磐司磐三の描写を「猿」としている。
猿のような山人ではなく、猿麻呂(マロ)といわれたのだから、
元々、皇族に仕えていた豪族の出身者だったんじゃないか?と。
それが出羽三山に逃れて秋田県阿仁へ旅マタギとしていた人とか?



阿仁のマタギが日光系だというのは、下野国の豪族が関係している。
なぜ栃木から阿仁で持統天皇なのか?

北関東の争いがいつの時代かは不明。
しかし、大化の改新の頃に、下毛野朝臣古麻呂という人がいたことは事実。
下毛野朝臣古麻呂は、7C頃に下野薬師寺(跡)を建立し、
天武・持統天皇に仕え、藤原不比等の信頼を得ていたという。
このお寺は、鑑真が来日してから認められたのが、「受戒」の儀式で、
これを受けなければいけない決まりになった。
それを行うのを「戒壇」といい、それを持つ寺院が三か所あり、
畿内東大寺、九州筑紫観世音、東国下野薬師寺だった。

下毛野古麻呂は、下野国造で大三輪君、大野君などと名乗り、
大三輪君は「大田々根子(おおたたねこ)」=オオモノヌシの祖といわれる。
宇都宮二荒山神社の豊城入彦命をあがめ、日光の二荒山と関係しているか不明ですが、
豊のトヨが巫女と考えると、群馬の土蜘蛛とよばれた巫女VS日光の巫女同士の
対戦が後に戦場ヶ原の戦いという話しになったのだと思います。

しかし、ネットからの情報ですが、根子はネコとはいわないのだそう。
足のタルやタリシという「タリ」と同じだという。
根子はタリと読むらしい。
そのタリやタリシの意味は、タラスからきており、親や首長の意味がある。
なので、根(ネ)とつく人物は、スクネなども含めて天皇家に関係していると思われます。

根子がタリシである由来など詳細はよくわかりませんが、
タリシヒコという人が浮かんでくる。

タリシヒコが誰かわかりませんが、ある説では聖徳太子ともいわれる。
しょっちゅう出てくる聖徳太子ですが、
そういえば、マタギの神に「ジョウトク」という仙人みたいな人がでてくる。
ショウトクがジョウトクになったと私は思うのですが。
(詳細は、白神山地のマタンキをチェックしてみてください)


(奥山寺の森)

そこにも火の信仰がある。マタギの儀式は修験に似ている。
女人禁制であり、もし女性のことを考えたり夢でも見たら滝行をする習わしがある。
煩悩を捨てろ~ってことで、山神は女性であることの意味がある。
ジョウトクの伝説では、身なりをきちんと整え、鬚も剃って山へ入るという。
しかし、妻がそれを浮気をしていると勘違いし、後をつけていくと全く獲物がとれない。
ジョウトクは妻がいることに気づき、それに山神が怒ったから
獲物がとれないのだ、と怒り、遠くへ飛んでいったという話し。
もしかしたら、旅へ出たということかもしれないよね。

釜神様伝承に、「ショウトク」という童のような変わった子供がでてくる。
おへそをいじると金が出てきたとか、また龍の子ともいわれ醜い顔をしていたなど。
マタギの神がなぜ、ジョウトクと呼ばれたか定かではありませんが、
修験と関係が深いマタギを考えると、火の信仰からうまれたショウトクの釜神様からうまれたかもしれない。
産鉄族が金を求めて阿仁へ来たこともあり、またショウトクはヒョウトクから転じた話もあるのだ。
ショウトク→ヒョウトク→ヒョットコ(ひょっとこのお面)→ひおとこ(火男)

菅江真澄が記した東北地方の紀行文に「はしわのわかば(続)」というのがあり、
それに桃生郡河南町鹿又で見た土製のカマ神の話がある。
「此あたりの家の,竃の柱に土をつかねて目には貝をこみて,いかる人のつらを作りたり。
是を『かまおとこ』といひて,『耳のみこのふるごとありと』いひつとふ」


目が貝である釜神は、川崎町でもみたことがあります。
「耳のみこ」が、耳とつく名前をもつ人だとすると、聖徳太子につなげるならば、
聖徳太子の別名が豊聡耳(とよとみみ)なので、釜神を信仰していた産鉄族は、
聖徳太子を信仰していたのでしょう。

そう考えると、出羽三山に逃れた本来の?天皇が、阿仁地区へいっていたこともあり。
それに仕えていた弓の名人がマタギの開祖となり、各地に広まったのではないかと思います。
マタギの風習には深いものがあると思います。
動物儀礼などの儀式に、水と火が必要だったわけです。
山神が女性であり水神であるから、そこへ火をもたらす必要がある。
女性が山に入っていけないのは、同じ水同士では融合しないので、男の火が必要になる。
ただ、火の信仰は縄文時代は女性からきている。母神のこと。
後に火の信仰が男性の山伏たちに移行したのは、母性の力が山に封じられた(この場合、三輪山)
を復活させるためにあるのかもしれない。
スピな話ですが、レムリア大陸やムーに繋がる話。
鬼門が東北地方にされたのは、その末裔たちの終焉地が東北だったからでしょう。

怖いけれど、坂上田村麻呂のお墓が発見された時、立ったまま埋葬されていたのだと。
方角は鬼門の東北へ向いているという。
再び、暴れないように?

坂上田村麻呂としては、迷惑な話ですが、呪詛というのはそういうものだから困る。

何か悪いことがあれば、水垢離をするのは穢れといって、
女神に対して失礼にあたらないような配慮もある。それは女神を封じてきたことにあるのだろう。

山神にオコゼを備えるのも、龍のことが関係していると思う。
オコゼも醜い顔をしている。
醜い顔をしているオコゼをみせると山神も醜いから怒らないという話がある。
オコゼが片目だという話も多いが、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)という
製鉄の神様のことをいい、栃木県大平山神社の奥の院に、天目一箇神を祀る。


(天の岩戸の神話で、霊剣を造った氏族の氏神)

という妄想から、
日光の修験から阿仁のマタギに伝わった流れに、天皇などの皇族たちが関係している
のはあると思います。

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余談ですが、持統天皇と天武天皇の子は草壁皇子ですが、
草壁皇子の娘が、絶世の美女だったといわれている。
元正天皇となり、第44代の女帝で女帝の中では一番の美女と。
弟の文武天皇がまだ幼かったので、即位したといわれますが、
あまりにも美人だったので、女帝になったという話もあるくらい。
ということは、両親も美男美女だったわけで。

天武天皇が吉野にこもっていた頃、持統天皇は40代になっていましたが、
その頃、役小角と何度も持統天皇は会っていたそうです。
修験者に力を得ることは政治では珍しくありませんでしたが、
役小角が左遷され伊豆へ流されたのは、天武天皇崩御後の持統天皇の命令だと思います。
持統天皇はちょっと独裁者的な感じがするので、政権を呪術で利用されるような
ことを恐れていたから、天皇の周りには呪術者みたいな人をたくさん従えていたと聞きます。

持統天皇の影響力はすごかったのだと思います。
尊敬というより、カリスマ性があったと思うので、
何か秘めたものをもっていたからこそ、崇拝していた貴族、豪族たちが東北へ行った時に
持統天皇を女神的に崇めていたこともあったのでは?と思うのです。
もしかしたら、役小角もよく東北地方で語られる人物ですが、
母神を祀る傾向があるのも、どっかで持統天皇の力になりたいと思っていたかもしれない。
支援者というような形で。でも左遷された…。

それで、元正天皇も日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)
といい、根子がつき、生涯独身だったそうです。
根子がつく人は、女帝なんだと思っていたのですが、根子の象徴が女帝だとしたら、
持統天皇が親分だったんじゃないかな~。
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全国都道府県の知名度ランキングでは、群馬、栃木、茨城、埼玉は、
いつもワースト10入りだ・・・。

茨城県なんて古代史では日高見国といわれていたのに、最下位だよ。
北関東も埼玉も古代史では上位にあがる歴史をもっているけれど、
だから何なんだ?と、言いたくなるご時世。
そんなことはどーでもいいが、もったいない。
もう古代史なんて言ったもん勝ちだから、言ってしまえー、といつも思って書いてる…。笑。

この前、旦那が「宇都宮が日本の中心なんだよ」と、あっさり言いおった。
ずいぶん、さらっと言うね~。
そんなことを言ったら、神話の舞台がある宮崎県民が黙ちゃいないんでねーの?
でも、栃木県に高原山というきれいな山がある。
名前からして高玉原な名前だ。それに茨城県がすぐお隣なのだから、昔は常陸国と一緒だった。
縄文人が採取していた黒曜石が宝庫な高原山だけに、
ん~北関東の古代史も面白い発見がありそうだな~ぁ。
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