秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

白鳥信仰の青麻山

2013-09-25 | 東北地方の伝説(宮城県)

青麻山というのが蔵王の麓にあります。
蔵王よりは100万年ほど古いとされる火山で、昔は大刈田山とよばれていました。

Aoso01 Aoso02

青麻山の歴史

(蔵王町史より)8世紀、多賀城以北は黄金、以南の部は布を納めていた。
刈田郡の豪族は大伴臣人足(ひとたる)、大伴刈田臣の姓をもらう。刈田嶺神社は地方神だったのが国家へ昇格したのは、祭祀(占い・祓い)料を朝廷から贈られていることがあった。

Sherin03_2
刈田郡総鎮守として伊達家の家臣、白石城主片倉家の祈願神社として古くから名社だった。(写真)
別号白鳥大明神という。
青麻山の山頂に鎮座していたが、801年西山の若宮に相殿となり1504年~1511年刈田嶺神社に鎮座される。刈田嶺神社の拝殿と随身門の彫刻などすばらしく文化財に指定されている。(看板より)

1300年前に青麻山東の願行寺というお寺が、蔵王修験の本拠地で、最初に青麻山へ登ってから参拝したそうです。

蔵王連峰の蔵王は、蔵王権現の修験者により嶽山が蔵王山とよばれるようになった。
景行天皇の時、熊襲の大将であった川上タケルという人を倒してヤマトタケルと号するようになり、人を傷つけることなく平定できたという事から刈田の宮とよばれるようになったという。

登山口までの道は、宮中学校までは一般道でまあ広いのですが、だんだん林道のように細くなり、対向車とすれ違うことも難しいような狭い道を10分ほど進むと、ようやく鉄塔がみえてきます。
そこが登山口になります。

Aoso03 (ここの木は傾いてる)

東北百名山のひとつだけれど、あんまり人は登っていないみたい。

いきなりスタートから下りなんだけど、20分くらいは日差しも強く杉や松が多い登りだが、青麻山に入ると空気がガラっと変わり、明るい雑木林がずっと続き、とっても気持ちのよい散策で美しい山です。
登りもそんなにきつくなく、至るところに距離を示す看板があるので有難い。

アワ歌の山友からは、麻のアサは、アウワという言葉の響きからアスワになり、アサになったことを教えてくれた。
アウワの響きは、麻のエネルギーから生まれた音?波動?と考えられる。
昔の人は麻のもつ植物エネルギーから癒しを得ていた。

医療が発達していなかった時代、レメディのように、日本の植物では麻が大事な役目だった。
日本が古く栽培していた麻は、麻薬成分はないもので食用や繊維に使われていました。
しかし第二次世界大戦で、アメリカに栽培を禁止される。

Iwa Mori

神社でも麻を神々に奉納するのが当たり前だったわけで、その風習は今でも続く。
例えば、秩父神社では特別な時は麻を奉納するし、お正月などご神木に麻を依代にして使っていることも聞いた。

麻薬とは違う効用の場合は、ヘンプという。食用としてカフェも増えてきた。
麻についてよくわからない人は誤解していますが、私も最初はそうでした。無知は恥・・・

→麻について興味のある方は、那須高原にある大麻博物館へ

http://www.nasu-net.or.jp/~taimahak/

私も麻のアサは、元はアスからきていると思います。
言霊とは違う解釈ですが、青麻山は火山性の山なので火の神としてまつられていたと思いますが、登山途中におおきな岩がみえてきます。
他にも巨石は多く、この山が火山であり信仰の対象になっていたのが想像できます。
阿蘇山のアソがアサに転訛してることも考えられるし、アソも火の意味。
となると、火と麻は関係していたかもしれない。

View 

山頂には、青麻神社の小さな祠があり田園風景がきれいな絶景。
トンボも飛んでいて、山はもう秋の気配。
で、やっぱり山頂のおにぎりは格別~!!

Aoso06 (青麻山の山頂)

青麻神社は仙台市宮城野区にある。清水があり古くから、からむし(麻の一種)の栽培を行っていました。からむしを取るには、とてもきれいな水が大量に必要とのこと。
穂積保晶(山城国)という人が伝えたそうです。
その一族が崇拝しているのが、天照大神、月読神、天之中主神なので、青麻神社のご祭神もこの三神を祀っています。

→青麻神社の伝説

http://www12.plala.or.jp/aosojin/tenwa.htm

▲白鳥伝説------------------▼

この地方での白鳥信仰はとても篤いとききます。
白石市では白鳥が飛来する沼や湖も多く、白鳥神社が多い。
宮地区にある刈田嶺神社の裏には、白鳥を神の使いとして尊ぶ信仰があり、その証として石碑が建てられている。

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(刈田峰神社と文化財になっている門)

白鳥伝説


往古、ヤマトタケルの尊がこの地に遠征に訪れた。遠征の間、尊はこの地の長者の館に滞在したが、側回りの世話をしていた長者の娘との間に男児を授かった。やがて尊は妻子を残して都に帰還。尊と娘の間に設けられた男児は、幼くして非凡だった。
里人は長じれば必ずこの地を征服するようになるだろうと恐れ、男児を川に投げ捨てた。

ところが、男児は白鳥に姿を変えて西方に飛び去った。その後、里では災いがおこるようになった。
里人は天罰が下ったと恐れ、白鳥が飛び去った西方の山麓に祠を建てて許しを乞うた。

その後、また里には平和が訪れるようになった。
この地域には長者の娘が暮らした「内方」男児を捨てた「児捨川」白鳥となった男児を祀る祠をたてた「西宮」など、白鳥伝説にまつわる地名が数多く残されている。

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(白鳥の石碑と神社にいたワンコ。)

白鳥伝説(谷川氏)によると、鍛冶氏族には鳥の伝承があるという。
東大寺や興福寺など、鋳物師大工、銅を鋳造するための火入式を行った時、白鳥が飛んできて、タタラの周りをまわった。

他に白鳥伝説はアイルランドにも伝わり、鍛冶屋は各民族の象徴とされる。
北方では狼、東南アジア~太平洋沿岸では鳥だという。
また、白鳥伝説と縁のある人が物部氏と考察し、鳥部→トベ→トビ→トミと転訛した。

なぜ鍛冶屋なのか?
北欧の鍛冶屋では、指輪伝説があり鳥を捕まえた翼で羽衣をつくるという。
羽衣ができると空を飛べることができ、捕らえられたワナから逃れる魔術とみられてきた。
それは、鍛冶屋が火の力で新しいものを造るので魔術師と考えられ、恐れられてきたという。

そうえいば、刈田嶺神社の入口に、聖徳太子の石碑があった。
頭に「一」の線?文字?が入っている。

仙台市太白区には太子堂があり、庚甲塔や湯殿山、金峯山、馬頭観音など鍛冶屋のネットワークにより伝わったといわれる碑がある。
鍛冶職人、畳屋、山仕事の人たちの組織があり、太子講が始まったという。
地名も「鈎取」という。
湯殿山の石碑は、水銀の金を象徴しており、金鉱の鍛冶職人たちの間に広まったと考えられています。

Sherin01聖徳太子は実在していないとの説がありますが、鍛冶屋の象徴として作られた組織的なもの?だったりして。
そのルーツや伝統を示すかもしれない。
秦氏と関与しているのも世界各地から集まった集団と考えられるから、秦氏と白鳥信仰の氏族といわれる物部氏との対立があったかもしれない。

また、蔵王町史に、599年聖徳太子は、刈田郡司に命じて嶺の神社を修理させ、607年奉幣使を派遣し、祭祀を執行させたが、山頂にあるので登るのに苦労した。
そのため、嶺の神社にはあまり人が登らなくなり寂れてしまう。
920年、坂上田村麻呂が嶺の神社を西の宮に遷し、父の宮、子の宮として一社祀る。
その遺跡には薬師如来の木像を安置された。
(薬師像は願行寺に移されたらしいが現在は不明らしい)
ちょっと薬師像というのが、秩父の雨薬師で話たと思うのですが、片目の産鉄族を思い出す…。
たしか、この薬師様も目の神様だったと思う。

その後は、伊達正宗が白石城を攻めて、現在の白鳥社となったそうです。

Siratori02
柴田郡にある大高山神社では、用命天皇の子=聖徳太子がこの地に白鳥明神を祀ったと伝わっています。
ただ、この大高山が鷹をトーテムとしている氏族と考えられるため、高は鷹だと思います。
白鳥と鷹は同じだけれど異なる氏族同士の婚姻?もさしているかも。

聖徳太子がそこに関係しているのでしょうか?

他にも白鳥神社はいくつか点在している。そのうち遠刈田の白鳥宮は、宮小学校の近くにあるのですが、白鳥神社の裏に牛頭天王の石碑があり、山神の碑は南向き(たぶん蔵王)牛頭天王は西を向いている。

頭天王はスサノオのことなんだけど、厄祓いのお祭りである祇園祭りが発祥。
角田市でもそうでしたが、巨石が多い丸森町でも八雲神社が結構、多い。
八雲神社もスサノオを祀る。
さて、スサノオは秦氏の祖なのか?物部氏の祖なのか?
どちらかが、追い払う為に置いたものなのでしょうか・・・?

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(左:子供を抱えている弁天様?)

▲白鳥と妙見信仰------------------▼

白鳥伝説と羽衣伝説は似ていて、アイルランドに伝わる「天人女房」という話は日本に伝わる羽衣伝説とよく似てます。

土地神と豊穣の神、家畜を守護する月神はケルトの農民たちに信仰されてきた。
土地神は水浴するため白鳥の姿でグル湖に降り、その薄い衣を脱いで岸辺の草むらにおくと美しい乙女に変わっていた。
その様子をみていた伯爵がその衣を隠してしまい、飛ぶことができなくなり、やむなく土地神は彼の妻となる。
やがて息子を産むが母から魔法を教えられて育つ。
土地神は夫に息子がどんな術を使っても驚かないように。と誓わせたのだが、息子が宴会でみせた魔法をみて思わず驚きの声をあげてしまった。

すると母である土地神は姿を消してしまった。
息子がこの世を去った後は、妖精の国へ行きグル湖の水底で眠っているという。
7年に1度、夏至の前夜に武装した騎士を従えて、グル湖の周りを一巡りすると伝えられる。

青麻神社の三神や日月星信仰が、この伝説のケルトの神に似ていると思いますが、白鳥神話はどこからどのように伝わって定着したのかよくわかりません。

北斗七星の七星にはひとつひとつ名前があり、その仲で「貪狼星(とんろうせい)」と書くドゥーベがある。なぜ狼という漢字(密教経典の名)を使うのかわかりませんが、この星は、柄杓の口先の部分なのだとか。
大口真神の口は、柄杓の口のこと?狼と白鳥も繋がっていると思う。信仰ではそれが妙見様に変わった。

北海道にも刈田神社があり、保食神、大物主神、ヤマトタケル尊がご祭神で、境内には、妙見稲荷と弁天堂も祀られている。
大阪府の星田妙見宮に伝わる星祭りは、隕石が落ちたといわれる石があり、その石に妙見菩薩が降臨するのでお祭りをすると伝わる。

白鳥を神紋としている海野氏は、妙見菩薩を信仰しており、七曜、九曜、十曜、星紋が家紋。

白鳥座は北の十字星でクロスだ。
ギリシャ神話では大神ゼウスが白鳥に化ける。
中国神話では七夕伝説の織姫、彦星を結びつける橋があるそうだが、他にもそれを結びつけるのはカササギという鳥で烏の一種。

黒い烏と白い鳥。

熊野神社は刈田嶺神社と合祀されている。
天の川は渡り鳥の経路?それをかける橋?ここでいう鳥とは宇宙を飛ぶ鳥のこと=宇宙船。

Chichibu_3
秩父も星宮なんだと思う。(写真:秩父神社)
星がよくみえるし、昔はもっときれいだったはず。

武甲山は古くは蔵王権現を祀っていた。
山頂の白鳥神社は東北に向く。
古御嶽城跡にあった聖徳太子の石碑も東北を向いていた。
これも鍛冶屋の職人たちが集まっていたことを意味しているのかもしれない。
産鉄族が歩いてきた秩父。その流れは蔵王にもつながっていた。

秩父神社を妙見神と崇め、武甲山を白鳥の山とみる。
荒川を天の川とみたて、北斗七星の七宮を置き、水を返す水分祭を行うことで、
秩父の大地に古代の叡智を吹き込んできたのでしょう。

<青麻山への道>

車:国道4号線、白石方面へ。宮中学校前の道に看板あり。沢内の方向へ進み、そのまま林道を走ると無線中継所に到着。

青麻山(標高799.5m) 登り:2時間  下り:1時間半 くらい。

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仙台市中山の狼石(おいのいし)

2013-09-18 | 東北地方の狼信仰

昔、実沢の庄之助という人が馬に薪をつけて仙台へ売りに行き、一匹の狼が口をあけて苦しそうにしていた。
近づいてみると、のどに狼の骨が刺さっていたのでそれを取ってやった。
それからは、仙台から帰る時にはいつもその狼が後からついて自宅の近くまで送ってくれるようになった。
庄之助はお昼のおにぎりを二つ持って行き、一つは残して別れ際に狼にやるようにしたという。
庄之助が亡くなった時は、山の方から悲しそうな遠吠えが聞こえたということである。
狼石は後年、その子孫が狼供養に建てたものといわれている。

(仙台教育委員会)

Oino Oino02

(三峰山の石碑)

中山道の月坂とよばれる道に、小さな看板で「狼石」がみえた。
三峰山の石碑、天照大神、馬頭観音など4,5くらいあったと思うのですが、三峰山と天照大神の石碑しか立っておらず、他の石碑は地震のためか?すべて倒れていました。
草もボーボーだけど、お神酒などがあり管理されているようです。

東北地方では特に宮城県、岩手県に三峰山の「おいのいし」がいくつかある。
日本海側では聞いたことがない。
太平洋側に集中しているのも何か意味があるのかもしれない。
が、狼石は、たいてい三峰講の人達がおいていく。

秩父は盆地で地形的に狭い山里。
盆地と平野に住む狼ではタイプも違っていたかもしれない。
秩父では大滝地区や栃本のように峠に住んでいた集落が多く、山と接近しているため、狼との距離も近くにあり生活の中に狼信仰があると感じる。

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(秩父:栃本集落と妙見神社)

東北地方でも峠はとても多く奥深い山々が連なっているが、栃本のように斜面に暮らしている集落はほとんどみたことがない。
なぜなら、冬はとても雪が深いため生活がたいへんだからだ…。

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東北地方の狼信仰は、昔は邪教と考えられることが多かったそうだ。
平泉の衣川にある三峰神社のように、神道が武力として利用されていた時代、三峰神社が政治の力に置きかえられることもある。

三峰神社の狼信仰は江戸時代頃から全国に広まりました。
この頃、狂犬病が流行し、狼が家畜を襲うことが多くなったため、各地で三峰神社や石碑が建てられるようになりました。

家畜を襲う狼を仕留めるには至難の業。
神(狼)にすがるしかない。という思いは、今も昔も変わらず…。
結局は、外来種や銃殺によって絶滅してしまった為、それから一気に狼信仰は途絶えた。

それでも三峰神社はある。(写真:三峰神社の狼)
ただそこに、狼信仰が入ってくるとだんだん人は動物と共存して生きていた時代を忘れてくる。
神社が悪いわけではないけど、あんまりにも神社を全面に出しすぎると本来の姿は見えてこない。

ここに住んでみて三峰神社や三峰講の人たちが、なぜ、この場所に石碑や祠を置いたのか?だんだん見えてきた。
この地形から、狼が森の番人だということが黒川郡同様、見えてくる狼森の風景がある。(今は団地が密集しているが…)

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このあたり、北中山~根白石方面に狼が棲息していた。
根白石には古くから信仰があり、泉ヶ岳も信仰の山。
泉ヶ岳から北西に縦走すると船形山にあたる。坊主岳といわれる名前の山は、別名三峰山という。
三峰講の人たちが、このあたりまでやってきたことがあったようです。

根白石方面は、熊野信仰の他、雷神、道祖神などがある。
魔よけとして建てられた道祖神であるから、このあたりの街道では、ムラを守るために置かれたようです。

伝承では、狼の石碑や三峰神社の祠を祀ると狼が村を襲うことがなくなったと伝わる。
大滝の他に西へ向かう横瀬~吾野~飯能にも狼がたくさんいた。
でも伝説として残っていても、形としてはほとんど残されていない。看板もない。

神社は、実はそこには何もなかったりする。
人が想像して瞑想して、自然に対して弔う場所を作りなさいということが信仰心だと思う。
そういう場所に石碑や祠は立つ。
人ではなく自然や動物に対し、命を弔う場所は必要だった。
山形県の草木塔など、東北地方の信仰心はとても奥深い。

仙台のこの地で、狼を供養する塔として置かれているのはとても貴重なのです。

Kannon View
(途中に仙台大観音がみえます。観音様の展望台から根白石方面。手前はゴルフ場)

<狼石への道>

仙台駅から実沢営業所方面行きのバスで、県特殊教育センター前下車。道なりに下ること約5,6分。 東北道ガードをくぐると看板があります。
※車の場合、駐車できる所がないのでバスがオススメ。

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雲から落ちてしまった雷神さま(角田市) ②

2013-09-11 | 東北地方の伝説(宮城県)

①のつづき~

秩父の長瀞に壱岐島から来た末裔が住んでいて、後に福島県の相馬へ行き、宮城県伊具郡の丸森町や角田、亘理町に住み、北上して北上国(日高見)へ向かったようなのです。

それを結ぶ点が白鳥と阿武隈川でした。

▲女神信仰の巨石の山---------------▼

さて、行ってみないとわからないものです!

普通すぎる普通の森に突然現れる巨石群。どの石も1~2m以上はあると思う。
大きいものでも3mくらいはある立石もあり。

今回もレンタルサイクル(5時間まで100円!)でママチャリこいで稲穂をみながら目指す。
角田駅から15分くらいなので良い運動だ!天気もいい!
ただ山はわかってもどう行ってよいかわからない・・・。こーいう時にネットは有難い。
相善山についての情報を確認しながら何とか道を見つけたけれど、遠野の時と同じ、どのくらい登ったら着くのか不安。
標高は200mもないだろうからあっという間だと思うけど、お墓の前を通るのでちょっと足早に登る。途中に、住吉神社の祠あり。

Sherinkobine Amateru

だんだん暗くなってきて心細くなってきた。。。
何となくうっそうとした杉林が、飯能(埼玉県)の天狗伝説がいっぱいあった子の権現の山に雰囲気が似てる。

15分登っても何もなかったら帰ろうと思ったら、赤い鳥居が見えた!
神社は後で調べたところ、「子眉嶺神社(こびみねじんじゃ)」という。

Batou
子眉嶺神社は、福島県相馬郡新地町にある神社。
・・・だからか?
入口に馬頭観音の石碑があり、馬を祀る山のようだ。

伊具郡誌によると、相善山の桜というのがあり、農民が女夫櫻が繁茂し、枝が交叉していて
邪魔になるので伐採してよいか、石川公に願いをだしたらOKしてくれたので、伐採したところ許した石川公の馬が落馬してしまったと。
それが櫻を伐採した祟りと考え、高蔵寺の裏に馬頭観世音をたてたと伝えられています。
ここの入口にも一本桜の木があり馬頭観音の碑があります。

会津は元は「相津」と書いた。相津~相馬~相善となって相善は神聖な馬のことを意味するともある。「相」という漢字に何かありそうです。

子眉嶺神社のご祭神は、豊受大神宮で、伊勢神宮外宮と同じだといわれていが、伊具郡誌には、宇加之御魂命(うかのみたま)を祀るとある。
また、手代木沼の近くにある大荒山神社は火産具命と祀り、沼の側にある八雲神社はスサノオを祀る。

Raijin_2 (この石碑の裏に巨石がある)

宇加之御魂命の主神は、お稲荷さん。
伊勢神宮では御倉神(みくらのかみ)といい、穀物・食物の意味であり食は女性の神と考えられていました。
それは、命を産む(出産)ところから元はきており、ミタマは霊ですが、稲の霊と書いてウカノミタマともいう。
これは、雷神の雷と稲荷が同じであるという由縁かもしれない。
火産具命を祀る大荒山神社は、相善山と繋がっていると思います。

Sherinyagumo
もうひとつの八雲神社も何か関係ありそうですが、丸森町に立石という巨石があり、そこは八雲神社の奥の院といわれているので、巨石にはスサノオとも関係しているのでしょうか?立石は賽の神の役目を果たしていたりして?

鉄を産出し青銅器や祭器、農具などを造ってきた民族は、女性を敬う女神信仰がルーツなので、巨石も女性を象徴しているのかもしれません。
それを熱心に信仰していたのが、阿部氏や物部氏だったと思います。(写真:八雲神社)

境内には立派な石碑がありました。
天照御大神と雷神。比較的新しい年代(大正時代頃)に作りなおされているよう。
天照御大神の横に、古峯講を祀る石碑もあり古峯神社は、明治時代に講から観請されたようです。

雷神碑の裏を回ってみたら、大きな石がいくつもあり不思議な光景。
さすがに杉林の中にこれだけあるのは違和感。

阿武隈山系は花崗岩が多いので、石切り場などに使われたこもあるため巨石は多い。あのあたりから運んできたこともあるかもしれません。

Is01

赤い鳥居の横に道ができていたので、もっと近くから巨石をみてみた。

秩父のように地質的に巨岩の山ならわかるけど、そうでもないらしい。
杉林の普通の里山にゴロゴロと石がある。
ざっと数えても20個以上はある。
道っぽいのがあったのでそのまま歩くと途中でこんもりと土をもったようなものがあって道が途絶えていた。

Kofun Is10

古墳っぽい。

昔は、見晴らしがよく石が遠くから見えていたと思います。
今は土がかぶっていて生い茂る森になってしまったから外からは全く見えないし山からの展望はほとんどない。

雷神の碑があるので、ここでも雨乞いの儀式をしており、後に修験の人たちによって神社を祀るようになったのかもしれません。

天照大神の碑もあるので、古くは太陽神を祀っていたピラミッドの存在もあるでしょう。

Is03 (3mくらいあるかな)

ただ、鉄の話意外では、雷神は菅原道真の怨霊を鎮めるためにできたといっても過言ではない神。稲作がもたらされた頃、雷は雨をもたらすので食物にとっては恵みの雨。
同時に、自然災害をもたらすのは怨霊だと信じていた時代。
そういう目的で置かれた雷神碑であることもあり?
先に巨石があって、後になってその上に神社を置いた感じ。

馬(渡来系の豪族)と女性(巫女やシャーマン)の関係が深い山だ。
お互いの氏族繁栄のために、「祈り倒す」ような時代があったのかもしれない…?!

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▼女性たちが敬ってきたもの------------------▲

子眉嶺神社に伝わる伝説があります。

相善神の由来 (新地町史より)

敏達天皇の御代(6世紀頃)、都に美しい身分のよい姫君がいた。
ある年の3月、梅の花の風情を賞でようと伴ぞろえをし輿を召しておでましになった。
邸内の馬屋には筑紫は唐津より献上の今帝駒という三代の天子に仕えた名馬が飼われていたが、姫の輿が近づくと突然高くいななき、馬屋の板を蹴り上げて暴れだした。
この姿をみた姫は不吉に思い、その日の外出はやめた。
その夜、今帝駒は姫の夢の中に現れ、間もなく姫は懐妊した。
時の大臣はかねて姫を思慕を寄せていたが、馬屋に入って今帝駒が姫と通じたと知ると激怒し、殺そうとしたがかえって駒に食い殺されてしまった。

  

このため姫は罪に問われ、うつぼ船に乗せられ伊勢の二見浦から海へ流された。
船は奥州宇多郡の浜(現在の新地町今神地区付近)に流れ着き、土着の豪族糠塚太夫なる者が姫を憐れみ、仮屋を立てて住まわせた。

  

が、後に半里ほど西へ入った相善の地(子眉嶺の地)に移して扶持することになった。
やがて姫は一子を産み、権太夫は赤子をみて驚いた。
生まれた子の顔があまりに馬に似ている。姫の落胆を思った権太夫は子を秘して姫に見せないことにした。
しかしわが子に会いたい姫の思いは募るばかり。
権太夫は「それでは池のほとりに子を連れて行くから池の水に映る子の顔を見よ」といった。

  

その日がきて、姫はわが子の顔をみたが、驚きのあまり病気になって死んでしまった。

  

これより先、今帝駒は姫の跡を慕ってはるばる奥州へ下り、相善の姫と再会し、姫の無事を喜んで都へ戻って行った。
この故事よりこの地を駒返りの嶺とよぶようになったという。
一方、都の方では金帝駒が逃げたのを知り、追手を差し向けた。
奥州へ下ってきた追手は、途中で駒と出会い、連れ戻すことができたのでその地を行き会い道という。

※子眉嶺神社は、この馬に似た顔を持つ子供を祀る神社といわれ、神社の南にある羽山は姫君を祀る場所で母を祀ることから「母山」とよばれているそうです。

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遠野物語のオシラサマに似ている伝説。

糠塚という名前の他に、地名でこんな由来があったりする。
青森県八戸市に糠塚という地名があり、昔、長者が住み地中より糠がでたという話。
糠(ぬか)は、穀物を精白した時に出る種皮や胚芽、米糠などとよくいわれていますが、いずれにしても麦などイネ科を育てていたことがわかります。

また、糠を使う言葉には、「糠喜び」というのがありますが、あてがはずれてがっかりするという意味。
もしかしたら、馬の顔の子が生まれてがっかり?ショック?だった伝説の由来だったりして。。。
他にも「糠雨」や「糠星」という言葉があるのですが、糠は小さいことを意味している。雨や星などの天候によく用いられるのも、稲作は天候に左右されるので気象に詳しい人であったことも考えられます。

岩沼を過ぎると「槻木駅」があり、阿武隈急行に乗り換える駅。
以前、槻が後に欅となった八槻の伝説をのせましたが、槻の木伝説も福島県からうまれている。ヤマトタケルに征伐された土蜘蛛の所から槻の木が生えたという話。
八槻とは、奥州一ノ宮としてある八槻都々古神社があるところ。
つつこ→つつき→続石(遠野の巨石)は弁慶岩といわれる巨石で有名。
槻は蝦夷の先住民だったわけだから、伊具郡にはその名残があるのです。

Is08(人工的に切られてる)

ここの槻木は、ちょうど白石川と阿武隈川が合流するところにある。
阿武隈川のアブにも阿部(安部)に由来していると思います。
白石川の白=白鳥のイメージと、阿武隈川との合流が、阿部氏と物部氏が合流したようなイメージが浮かびます。

またここの地名は稲置という。
稲を置くということから「イナオキ」を連想してしまう。
イナオキは稲穂を神宝とし、アイヌの祭に用いられていました。
この近くにも縄文人が住んでいた梁瀬浦遺跡があり、高倉から花島までの低湿地に住んでいたことがわかっています。

相善神が伝わる新地町は貝塚の遺跡があり、手長の仙人がいたとして手長明神社跡も残されている。それが秩父の長瀞にあった天手長男神の碑を思い出した。壱岐島からきた石碑であり、長瀞にも白鳥の地名がある。

それに天手長男神の碑がある神社を「簗瀬神社(やなせ)」という。縄文遺跡の梁瀬浦と名前が同じだ。(簗は国字)角田から東にある亘理町には「長瀞」と「吉田」の地名もある。偶然とは思えない。

(秩父まほろば学より)

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20130519

伊具郡の伊具は、夷語(蝦夷は日本語を使わなかったので蝦夷の言葉)で、イクといい(アイヌ語との関係は不明)、「川向へ」という意味。
このイクがイキからきていると思うのです。

長瀞で見つけた天手長男神の石碑は、壱岐島からきていました。
壱岐島のイキから阿武隈河口までやってきたイク(伊具)の地へ。
ここに居た人たちが北上へいって、ピタラカムイとよんだ。
それが日高見のことで、河床の神という。
阿武隈はアパカムイペツで、河口の神。アフは夷語で水神という意味。
神奈川県大山にある阿夫利神社のアフリが水神の龍を祀る意味がよくわかる。
夷語やアイヌ語の地名が残り神社名になっているという事なのです。

また手長の仙人は鹿と白狼をしたがえていたという由来から、鹿狼山という山があります。
ここの山のご祀神は大山津見神。

Karousan(鹿狼山山頂の大山津見神社)

巨石という場所には、大体、縄文時代から関わる何かがあるのですが、私はここに卑弥呼のように巫女的な女性の存在を強く感じます。
伝説でも姫といったように女性をテーマにしているところもそうであり、母と名前のつく山を信仰するくらいならば、なおさら。女神伝説に岩や巨石を置く山は多い。

大山津見神は、コノハナサクヤヒメとも関係している。
富士山との関連も見逃せない。(グランドマザー?)
そこに女性のシャーマニズムがあったような気がして巨石は女性を象徴しているような感じもしてきた…。

女性が主体と感じる理由には、オシラサマの祭日が不思議なのだ。
おしら様の祭日を「命日(めいにち)」と言い、旧暦1月・3月・9月の16日に行われる。
命日には、神棚などからおしら様を出して神饌を供え、新しい衣を重ね着させる(これを「オセンダク」という)。
この日は、本家の老婆が養蚕の由来を伝える祭文(おしら祭文)を唱えたり、少女がおしら様の神体を背負って遊ばせたりするので、かつては同族的な系譜を背景とする女性集団によって祀られていたとも考えられる。
盲目の巫女であるイタコが参加することも多く、その場合、イタコがおしら様に向かって神寄せの経文を唱え、おしら様を手に持って祭文を唱えながら踊らせる。
おしら様に限っては祭ることを「遊ばせる」といい、このような行事を「オシラアソバセ」「オシラ遊び」「オシラホロキ」と呼ばれる。
(wikipediaより)

View01
でも今のように穏やかな時代ではなかったので、女性たちの祈りにも様々な人間の恨み、妬みも含んでいたと思います。

ムラの形成に卑弥呼のような女性酋長の存在はありました。
東北地方にはまだまだそのようなムラが残っていたような気がします。

なぜか急にスイッチ入った。女性酋長って?

とりあえず、この石はどこから運んでここに置いたのかな?
まあ、ここから先は想像にまかせよう。。。

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雲から落ちてしまった雷神さま(角田市) ①

2013-09-11 | 東北地方の伝説(宮城県)

角田市延寿寺の伝説

「昔、とても蒸し暑く雷鳴とどろいて近くに雷が落ちた。その後カラリと晴れあがった涼しい夕方、見慣れぬ僧がこのお寺にやってきて、しばらく世話になると頼み寺に住むことになった。
置いてみると、朝から晩まで夜は寝ずに寺の内外の掃除、読経や修行と只者ではない様子。
また、水が枯れるほどの日照りが続いていた時、僧は一晩のうちに深い井戸を掘り、水飢饉を救ってくれた。

不思議に思った住職は、僧をこっそり観察することにした。
ある晩、住職が僧の部屋をのぞいてみると、ぴょんと神棚の上にはね上がり、腕組みをしている僧侶の体から、金色の光がさしているのをみた。

驚いた住職に僧侶が気付いたので、住職はおそるおそる名前をたずねた。
すると僧侶は、

「私は実は雷神であり、去年の夏、誤って雲の上から落ちてしまった。
八竜山の頂上で薪を焚いて煙をあげてほしい。その煙に乗って天に昇りたい。」と懇願する。

住職は村人を集め、言われた通りに煙を焚くと、僧は再び雷神の姿になり天に昇ったという。

雷神は、「もし日照りが続いたらこの山の上からワシを呼べ。必ず降らせる。
それから世話になった御礼に竜神の彫物を残して行く故祀るがよい」と言った。
それから龍神を寺に祀り、日照りの年には八竜山に登って雨乞いをするのだという。

(丸森線の里:あづま書房)

View02_3

雲から落ちてしまった雷神さまを、村の人たちが天に返すという話は聞いたことがなかったので興味を持ってしまいました。
あやまって落ちるってことがあるんだ・・・と、ちょっとほのぼのする話。

舞台は、蔵王を見渡す山々に囲まれた角田市。
伊具郡も含め角田市は昔からアイヌより前の民族?であるコロポックルやアイヌ、蝦夷、出雲系先住民などが住んでいた所でした。

角田の尾山という山は、昔は麻(お)山で、麻やからむしの栽培をしていたそう。
浅生原(あそうはら)は、麻生原といった。

広~い田園風景がとてもきれいで、稲穂が実るそばに白鷺の群れもみかける。
冬になると白鳥が飛来する沼がいくつかあり、そのひとつ手代木沼は、7月頃から蓮がみられるのですが今年は猛暑のためか蓮の姿はみられませんでした。

Kanban_2震災前の2010年、レンタルサイクルを借りて斗蔵寺まで行った以来、久しぶりの角田探訪になりました。
深まる秋の準備に稲穂が風に揺られて泳いでいましたが、最近の豪雨によって、川も水位が上がっていたみたいであちこちで強風が起こっていたかのような跡もあり、稲が倒れていたりとちょっと痛々しい感じでした。

この伝説は修験の人たちが伝えた龍神を祀る話だと思うのですが、伝説に伝わる延寿寺というお寺が見当たらないのだ…。
地元の観光課の人に聞いてもわからず…。

ま、いっか。

でも、気になる山と城跡を発見!
城は角田市の東にある「八竜城跡」といい名前が八竜なので雨乞いをここでしていた可能性もありますが、城だったところなので今回は行くのはやめた。

もうひとつ、直接この伝説と関わるかどうかわかりませんが、関係ないともいえない微妙なところに小さな山を見つけました。
それが「相善山」という三角山。(Google Earthでみるとピラミッド形の山だった)

ネットで山頂に「雷神」の碑が写っている写真をみて妙に気になり、どんな山なのか行ってみました。(詳細は後ほど)

Numa_2(手代木沼)

▲雷神とは?-------------▼

よく伝説にでてくる雷神さまとは、龍のことを現しているのが多い。
龍神は雷なので音を鳴らして雨を降らすものと考えられ、干ばつが続いているような時は、山に登って雨乞いをする話は各地に多い。

雷が落ちる時、雷獣といって怪獣が落ちるといわれ、鬼門=丑寅のことをさす。
雷神をお祀りする神社は関東地方の北部(群馬・栃木県)に多くあります。

雷神さまゆかりの神社
・上賀茂神社
・菅原道真の天満宮
・鹿島神宮(たけみかづち)
・春日大社(たけみかづち?)
・塩釜神社(たけみかづち?)
・雷電神社=火雷神=別雷神
・加波山神社
・八雲神
・冨士神社
など
雷神が龍と考えると、このあたりには「八龍神社」や「八竜城」などがあり、丸森町では逃れてきた安倍一族が住んでいたので安倍姓が多いと聞く。

丸森町大内猿倉山に、貞任の池というのがあり青葉の茂みに隠れて難をのがれたという伝説が残っています。
熊野神社が祀られている宮もあり、桜の前の姫君という女性が阿部貞任が討伐されたと聞いて、自害したと伝わります。
そこに祀られている八龍神社には、舘矢間という所にあり源義家を祀っている。
古墳、鏡2面などが出土しています。

このあたりは、白鳥飛来地として有名。
蔵王の麓にある白石市は白石川が流れ、白鳥神社が多い。
また、昔からこの付近の白鳥に対する信仰はとても深いものがあります。
福島県の阿武隈山系や丸森町などは巨石の山が多いのですが、石についてはよくわからず、土着の要素がとても強く感じてシャーマニズムの影響が強かったと思います。
アラハバキのように石を神格化しているのとはちょっと違う。

白鳥伝説の谷川健一氏を参照すると、

ミカ(御雷)は、イカでもあり、イカヅチはミカヅチと同じ。ミカハヤヒは、イカハヤヒと同じで火を乾かし、速日(ハヤヒ)は、迅速である意。日は太陽。
イカヅチはタケミカヅチ(鹿島神宮の)でもあり、父をイカハヤヒという。
イツは厳の意味。刀剣の鍛造工程の際に、閃光などの走る意味があるという。

つまり雷神は、刀剣の工程で生じる光だという。
 
鍛冶屋が雷神を信仰することがあったのも、物部氏がニギハヤヒを祀り雷神を信仰していたこともある。
イザナミの火の神でカグツチが生まれる。銅や鉄で炉の火をとかし、金山彦はその鍛冶屋の守護神。
そのカグツチを大刀で3つに切る。その血からうまれたのが、フツヌシ・タケミカヅチ・磐裂神(星宮神社の神とされる)。
そこから天目一箇神を祀るようになった為、栃木県や群馬県に雷とつく神社が多いのは鍛冶屋の影響があったから。

また雷神と松をつなげる話もあります。
龍燈というのがあり、海中に出現しいくつもの火が連なったり海岸の木に留まる怪火のことをいう。
火の玉のようにいくつもの火が出没するのだそう。
なぜか広島県厳島神社と福島県(磐城国)でよく知られている。

龍神の住処として神聖化されている天橋立は、龍灯の松という一本松がありますが、最近、話題になっているのが震災で気仙沼に現れた龍の松。
龍にそっくりな松なのです!

写真はこちら。(朝日新聞より:昇り龍)
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201201070130.html

なぜ、松に龍は宿るのか?
常陸国風土記によると、立速日男(火男)は、落雷により災害をもたらす神で「松沢の松の樹の八俣の上」に坐したとある。要するに松に落ちたらしい。

いろんな所で、いろんな形や方法で多くのメッセージを伝えてくるわけで、龍の気が松に宿る証明であり水も龍なのだ。
そういう意味では、震災によって自然が生き返ったような底力とはすごいものだと実感します。
相善山付近は火を産む神を祀る神社もあるので、阿部氏や物部氏と関係していた土地だったかもしれません。

Mountsou_3(相善山)

▲金原保-----------------▼

14世紀 伊達郡北東部梁川、保原をあわせて金原保(かなはらのほ)とよばれていました。
阿武隈川から西を西根(相善山がここにあたる)、東を東根(八竜城がある方)とよび、この保の成立については、「産鉄族のオオ氏」に記していました。
「保」は、氾濫原のあったところを開発して耕地(耕田)づくりを行うことで、その地を豪族に面倒をみさせ、雑税を収入としていたとされます。

宮城県黒川郡にも大谷保(おおやのほ)があり律令下に及ばない(国司に支配されていても)
領地であったので、大倉山という祖霊を守っていたオオ氏という豪族が住んでいたのではないか?ということです。
倉は、神の座す山という意味がある。(鞍ともいう)

黒川郡は七ツ森という山があり、すべての山に「倉」がつきます。
(遂倉山、 鎌倉山、蜂倉山、大倉山、 撫倉山 、松倉山 、笹倉山(大森)

Temple02_2
角田市の金原保にも、高倉という地名があります。
国指定重要文化財になっている高蔵寺があるところです。
藤原秀衡の妻が建立したと伝わるお寺で、このあたりは奥州藤原氏の拠点だったようです。

また、ここから少し南にいくと斗蔵山があり、山頂の斗蔵神社には「えんころ唄」の碑がある。
斗蔵神社は白山信仰。
えんころの唄は船おろしの祝い唄というが、船岡という地名があるのだから、船に乗ってやってきた海人族が浮かぶ。

斗蔵山は、鳥屋嶺神社の屋が倉or座で鳥倉嶺になったとの説もあり、石座を信仰していたそうなので、戸座山が斗蔵山になったともいわれる。

この近くに熱日高彦神社があり、ヒタカミルートがあったようです。(北上へのルート)
それに、鳥屋嶺神社のご祭神は、ウガヤフキアエズとサルタヒコなのだ。

(写真:高蔵寺)

海人族とは阿曇氏のこと。竜神や海神を祀る技術集団といわれ、紀伊半島~伊勢~伊豆~出羽国(山形)まで勢力をのばしていました。

海神の総本宮である志賀海神社(福岡市)は阿曇氏を祀る。
鹿の角が埋められた鹿角堂や、亀にのってやってきたので亀石も境内にある。

亀にのってやってきた?というのは、秩父神社の妙見様の姿が浮かぶ。
相馬も妙見信仰。秩父も同じ。狼。共通点がありそうです。

九州~武蔵(秩父の長瀞に末裔がいた)~福島~北上(日高見)へ。
そのような人たちの名残が角田市、丸森にありました。

長くなるので、次回、相善山について書きます。

Abu_2  Kakuda_2
(阿武隈急行に乗り換える槻木駅)


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住所が荒脛巾(アラハバキ)

2013-09-03 | 日記・エッセイ・コラム

Arahabaki
岩出山にあるアラハバキ神社。広い田畑の中にぽつりとあるので、その場所を通るといつも気になっていた。

所在地が岩出山町下一栗字荒脛巾164と、住所がアラハバキなのだ。
近くのバス停の名前は荒屋敷。
昔ここにアラハバキを信仰する一族が住んでいたようです。

看板には、
祭神は、祖神、天・地・水の三神を基とし、日輪(日・月・星)を父なる神、万物を育む地、水(山海)を母なる神とする。自然信仰で2千年に及び鎮座する産土神。

由来は、古代先住民(アラハバキ族)が祀ったもので、ある文献によると、古代東北・関東の地に600余社数え、平安期のアラハバキ系中心王候は、南部衣川、安倍氏が後裔といわれる。前九年の役後、改神或いは合祀の憂目にあい、現在県内に残るアラハバキ社は、当社の他数社ご鎮座がみられます。

祭祀年は、アラハバキ王城の地を西暦前に、米山町朝来に、西暦後に多賀城へそして古川市宮沢に移したと(302年)ある。
いずれにせよ、一族がこの地に守護神としておいた。

このアラハバキ神は、「みずいぼ」神とよばれ、目・耳・鼻の神であるといわれる。

リンク:多賀城のアラハバキ神社

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20101023

▲アラハバキとは何か?----------------▼

「東北蝦夷の魂」高橋克彦著の中で書かれている説を参考に記します。

 津軽で信仰しているアラハバキの御神体は黒光する鉄の塊で正体は不明。
~トルコ辺りに存在していたヒッタイトの土器と似ているものが、亀ヶ岡遺跡や大湯ストーンサークルから出土している。~ヒッタイトでは、鉄製品をハパルキと呼んだ。
アラジャ・ホユックのハパルキが転じてアラハバキになったのではないか?
土器の類似性から相当古い時代に龍を崇める民が日本に渡って、津軽辺りに住み、縄文時代を作りあげてきた。

Arahabaki03
ヒッタイトは初めて鉄を作った国といわれています。
慈悲深い国だったようで、エジプト・アッシリアなどの近隣国などが風習としてあった生贄(いけにえ)が唯一無かった国だと聞いています。

鉄を管理していたのがハットゥシャで獅子の門が有名。
アラジャホユックは鉄を生産していた中心部で、鹿の像が軍旗に取り付けられていたことがわかっています。
鹿を信仰していたのは日本では物部氏だったので、アラハバキを信仰していた氏族が物部氏であるといわれています。

ただ鹿の前は龍だという説が強いので、角がはえていたものでしょう。
「角」がキーワードで、角を神格化していた可能性もあります。

それ以前は、武器では皮が主流でした。皮→青銅→鉄。
ヒッタイトも武器などは主に青銅を使っていましたが、鉄が金よりも5倍も高い価値があったそうです。

なぜ、そんなに鉄が重要だったのか?
その鉄は、隕石に含まれている「鉄隕石=隕鉄」を使っていたことが最近わかってきました。
分化した小惑星の金属核が起源と考えられています。

空から降ってくる光を神として崇めるという信仰は、もしかしたら隕石のことかもしれません。
ヒッタイトのその後は、トルコ~アルタイ山脈~モンゴル~朝鮮半島~日本へ渡ったとと考えられます。
その間、山々に落ちた隕石を探しながら旅をしていたかもしれません。

産鉄族の痕跡がある所、昔から縄文人が住んでいた所、アイヌ語地名、三角形の山や巨石の里山などなど、「空から落ちてくる光」or「山が一晩で高くなった」「山の背くらべ」といった伝承は、意外にも多いもの。

隕石の中に含まれる鉄は純度が高く、90%近く純鉄が得られるそうです。
地層から発見するよりは高度らしい。

またその鉄の貫通力は皮や青銅に比べて強いものでした。

蝦夷が武器に強かった理由は、鉄の威力だけではなく技術力も優れていました。
矢を射る時に、少し円を描いて射る方が貫通力が強いらしい。
大和はまっすぐに伸びる矢しか射ることができなかったから弱かったときく。

日本刀のルーツになっている歪曲の刀もそれで、直刀ではない発明がヒッタイトからもたらされた技術かもしれないのです。

和銅が発見された秩父の黒谷でも、純度が高い(イマイチ純度がよくわからない)といわれていましたが、その発見は、隕石をみつけた時のような喜びだったでしょう。
その銅を祀り守護しているのがムカデの形の銅。
雄雌とも足の数が異なる。
その神社の名前は、聖神社。(ひじりじんじゃ)

友人が教えてくれたのは、聖のひじりは、「霊(ひ)知(し)り」のことで、いろんな知識を備えている人のことを指すのだそう。
言霊の「ひしり」は、五十音のひらがな(アワの仕組み)を知っている人のこといいます。
日本語は、ひらがなの言葉の音と、人間の体の構造を仕組んで作られた50個の音。
それがどういうことか?私はすっかり忘れていますが、その使い方を知っていた人のことを「ひしり」というのだそうです。

▲穴のあいた石---------------------▼

Ana岩出山のアラハバキ神社裏に置かれていた穴のあいた石がありました。
とても小さいものばかりですが、何かを象徴しているようです。

大国主命のことを「大穴持命(オオナムチ)」と言う。
アラハバキ神社を祀っている多くのご神体は、オオナムチなのだ。
高橋克彦氏は、大きな穴をもっている神とよめるので、鉱山の持主という意味では?と言っています。

穴があいた石は、大穴持命の象徴かもしれない。

盃状穴(はいじょうけつ)というのがあります。
世界中にみられる穴のあいた岩のことで、再生や不滅のシンボルとされています。
穴の大きさは、3、4センチ~10センチほどでたくさん空いています。
特に女性のシンボルで、子宝や治療の神でもあり、治療の神というところが、大国主と同じだ。

穴があいた石については、江戸時代のお墓や石碑などの台座にも残されています。
石をたたいたり何かを削っていたりして穴があいた信仰の跡かもしれませんが、私の実家では、先祖のお墓参りをする時、丸い石を使って墓石の角(台座になっているところ)をその石で2回たたいて拝んでいました。

石でたたくというは他の地域ではあるのかどうか?小さい頃はそれが当たり前だと思ってやっていたことを思いだしました。
おそらく、そのように石をたたくことによりだんだんと穴があいたという事があったでしょう。

Sekihi
もうひとつ、アラハバキ神社の裏に「三吉神社」の石碑がありました。
これは秋田県の太平山のこと?なのかどうか。
だとしたら、大平山三吉神社は山頂に祀られていて、修験の山として有名。
ご祭神は、オオナムチとスクナヒコ。
役小角が開山したと伝わる。
三吉信仰は、力の神様で勝負に強い。

信仰と絡めて考えると、現代は人的な力が自然よりも絶大に膨張しているので、オオナムチ=オオモノヌシの力(自然の力が絶大だった時)を再び蘇らせる祈りのためにアラハバキ神社はあると考えています。

その隕石や鉱石を現す巨石とアラハバキが結びつけられて、現在の石信仰につながっている。
またその石は、音にも繋がっているのかもしれない。
風鈴のように、石に穴をあけて風を通して音をだすという楽器の役目も昔はあった。
そのように自然とコミュニケーションをとっていた時代がありました。

時代が経って物質的な物が増え流通や知恵が働き、多くの人が混乱するようになり、自然のままで生きることができなくなると、人とのコミュニケーションがあんまりとれないから、宇宙の誰かがその音と人間の体の仕組みを忘れないように構成された言葉が日本語の50音で、潜在的に私達はその言葉を使っているのです。

すべては忘れないために。

隕石と同じように生き物は元々はソラからに石に乗ってやってきた小さな光の粒だったわけで、それが水のある地球で命を育み大地に根付いて泥ん子になって生きてきたわけだ。

アラハバキはそのくらい古い時代からよく知っているひしりの神だと思う。

森に入って大きな石があったら、チェックしてみるのも面白い。

またこのお社の中にはいろいろな願掛けがあり、御神体と思われるのが、かわいらしいニット帽をかぶった小さな2対の像であった。

2対は、TWINの双子の意味があると思う。古代では双子はとても重要な意味とされていて、双子で一つと考えられ神格化していた。

一つだけでは宇宙は成立できず、反転するもうひとつの鏡(ミラーマター)がないと存在できなかったことも考えられると思ったのです。

男女の神とされるイザナギ・イザナミのように、もっと広い意味が込められているように感じるお社でした。いずれにしても、2対の像というのは珍しい。

Arahabaki02_2

<アラハバキへの道>

岩出山バイパスを走っているとみえます。岩出山を過ぎて池月方面へ向かう途中にアラハバキ神社があります。

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