秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

蕨手刀と円墳②

2012-11-27 | 水神巡礼(秩父編・その他)

Station秩父水神巡礼④つづき・・・

いいよね~、和銅黒谷駅。

ちちてつは、駅舎が懐かしいから良い。昭和の匂いぷんぷん。そーいう観光も楽しい。

はて、④ 円墳については、先にでてきた「国作り神話と大和三山」の著者 大谷幸市氏を参考にしました。

この円墳が水に関係する法則を作っているという事に興味をもったわけです。この著は、前方後円墳の円と長方形の形から、水と火の関係を説明しています。

それは大和三山にある三輪山を、武甲山の西側、影森に三輪神社をお祀りしていた事にあります。そのあたりが蛇ヶ窪といわれる窪地にあたるようです。
三輪山と同様に武甲山の蛇がご神体であることを証明したいためという理由もあります。

Kofun01_2
荒川の和銅大橋を渡ったところに、飯塚・招木古墳群があります。時代は7~8世紀。形のよい円墳が残っているのは県内ではここだけ。

南北約1300m、東西約400mの範囲に存在しているというのだが、実際行ってみるとその範囲の広さがよくわからなかった・・・。

確認されている円墳は、なんと122もあり今後も増えていくという。高さはそんなになくて、5m~最高27mといいます。一番高い円墳は、映画「のぼうの城」にでてくる行田市の円墳ですが、ここはちっさい。

しかも民家の方のお墓や植木、自然に木も生えていたり何でも自由な感じ。歴史的価値の高い・・・といっても円墳が墓ならば、今だって墓として使わせてもらおうよ、という自由な円墳の使い方がよい。雪が積もったら子供だって滑り台として遊んでしまいそうな雰囲気だ。

(円墳:クリックで拡大)

Kofun02
秩父札所巡礼のいくつかのお寺には、武甲山の石灰質の水が通っていますが、地元の人がよく言うのが枯れないんだよね~。ということ。

円墳が武甲山に向かっているのは水に関係しているという思想は渡来人によってもたらされました。五行説の色では水は黒。黒谷、黒岩という地名に古墳はいくつか存在します。

大谷氏は、大和三山それぞれ3つの山が、長方形(水を現す)、正方形(火)、円(太陽)を表し、長方形は二等変三角形(水)が存在し、正方形は正三角形(火)が存在することを幾何学的に説明していました。似ているのが、中国の洪水伝説にある不義と女媧の話で、手にコンパスと定規のような測りをもち、足は蛇です。


洪水伝説は治水思想により再生する意味をもたせたものといわれています。 
正六角形と正八角形の合体は、正二十四角形になりますが、これが円の正体なのです。

水のコントロールといい、大和三山の畝傍山が太陽=鏡、天香具山が火、そして耳成山=水。この耳成山が水の音を聞くということで銅鐸がその水の音だということなのです。
銅鐸は、水の音であり鏡は太陽の祭器で円と光が音を出す祭器として洪水や落雷や大雨などに氾濫する水を沈める意味をもって、銅鐸を地中に埋めたという事なのです。

この世はすべて宇宙も数字で説明しないと、人間は存在している意義を追及する手段が見い出せないから、幾何学的な話は避けられません。

Buko
なので、この話を頭に入れて武甲山を見ると、確かに秩父市内からでは二等変三角形になり、横瀬からみると正三角形になります。

(道路を挟んで丹生神社と円墳の間からみえます→)


これが角度により形を変えるという銅鐸が現すように、(銅鐸の形は横からみると三角形、上からみると円になる円錐形)象徴となる火と水を融合した山であると解釈できるのです。


また、和銅黒谷駅近くに聖神社がありますが、銅で作られた雄・雌のムカデが奉納されています。ムカデは、古事記の中にもあります。オオナムチがスサノオからいろんな試練を与えられ出雲へ行く話しがありますが、その試練の中で蜂とムカデのいる部屋に入れられます。

オオナムチは蛇を表し、ムカデは刺激を与えると丸くなりますが、丸くなる虫については多々神話にもでてくるようです。

そのムカデは円の象徴として正六角形を表し、蜂の巣もまた正六角形です。また、ムカデと蜂は同じ日に入るという。

他に、シュメール語説(ムーカテ?)で巨人、鉄の意味があるらしい。6は「むっつ」も言うね。赤い色の頭のムカデがいることや中国では、「ごこう」という漢方薬として使っていた為など。

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神話のオオクニヌシの話は、著者の大谷氏によると、青銅器制作過程(金属精錬工程)のことを説明していると述べているのです。

青銅器作りには、火と水が欠かせません。荒川の水があったおかげで和銅露天堀の道具を作ることができ、また今まで銅を作る大変な工程を、自然銅が発見されたおかげでその手間も省けたことに大きな意味がありました。

(写真:聖神社の和銅出雲神社)

黒谷の円墳の円は太陽を表し、円はまた天を現す。円墳から結ぶ線の途中に秩父神社があり、その先は武甲山の影森あたりで大蛇が住んでいた沼地があるといわれた蛇ヶ窪にあたります。


武甲山からみると秩父神社は北ですが、円墳まで結ぶなら中央にあるので、五行説でいう「土」にあたるでしょう。雨が降った水は土にしみこみます。

木は火を生じ、火は土を生じ、金は水を生じ、水は木~と巡回するサイクルを、当時の人たちは描いていたと思います。
武甲山の火と水の融合で天をコントロールでき、人工的に洪水から守ることができました。
火、水、太陽の三位一体の世界観を最初に作った場所が黒谷だったのです。

また、この古墳群からすぐ近くにある丹生神社は東に向かって建てられています。
聖神社と荒川を挟んで丹生神社があり、その中に円墳がある。その先に見える武甲山はきれいな二等変三角形。
秩父にいくつかある丹生神社は、和銅の鉱山技術に長けていた丹党一族に関係しています。
飯能を拠点としていた多治比氏は、和銅の採掘に関わっていた人であり、丹生神社とも深い関わりがあります。
(このへんは調べてみないとよくわかりませんが…)

Nyusherin_2★丹生神社--------------------------→
丹は、ニウツヒメの丹=水銀の原鉱石である硫化水銀をお祀りする由来があるそうです。
また「乳」ともいいます。


奈良県の丹生川上神社は川上で泉を意味する水源地のこと。シンボルは渦巻き。
元来は高龗神(たかおかみのかみ)を祀っていたという。難しい漢字の龗(おかみ)は、龍の口語で、水や雨をコントロールできる存在。
なのでこれらも洪水や灌漑の神といえるのです。

水銀があるところに金があるといわれて、渡来人たちは、水銀を求め金の採掘目的に日本へ渡ってきました。
その時に犬の嗅覚やシダ植物など、あらゆる自然界の知恵をしぼって発掘していたといわれています。
また、そのような場所には他の人から取られないように石や岩などを置き、ここに入ると祟りがあると脅しつつ、一切触れられないようにした事が、現在の祠として生まれたという説もあります。

後に、三峰山の狼信仰により武甲山の水信仰がだんだん失われていきます。
ヤマトタケルの伝説によって崩された雨降らす山は、御嶽信仰~蔵王権現~熊野大権現~妙見信仰~といろんな神の形に変えられてしまうのです。

横瀬町では武甲山そのものをご神体としてあがめていたので、三峰神社の狼を信仰していたのではありませんでした。
横瀬町の武甲山麓あたりは、猿田彦の祠や愛宕神社が多い。
ヤマトタケルの伝説により武甲山を三峰山と同化させることで三峰講の権力にあやかりお犬様といわれるようになりました。
秩父三山とは、宝登山、両神山、三峰山のことで、武甲山は入っていません。
水を祀った武甲山はそれよりもっと古い龍神の山なのです。

View01_4 黒谷からみえる武甲山
 

<丹生神社への道>

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蕨手刀と円墳①

2012-11-26 | 水神巡礼(秩父編・その他)

秩父水神巡礼④(秩父市黒谷) 水にまつわる民俗史

Sherin01_2
日本の水資源を狙う中国人など、海外にとって、日本の水とはなんと甘い水であろうか…。
外国人にとって日本の森は「購入しやすい」という話。
法律がちゃんとしていないというのもあるが、考えてみればはるか昔、水資源や鉱山などの技術の伝授や発展に寄与してくれたのは中国や朝鮮からやってきた先祖たちだ。
それまでの日本人は、何度も川に流され氾濫するたびに、人柱として子供や女性が犠牲になっていたわけだ。

さて、この和銅黒谷は車で通過するくらいで歩いたことがない。しかし、歩いてみると面白いのだ~。

武甲山が水神であるという事を考えるうえで、参考になる場所が黒谷にある和銅開珎です。
ここは、和銅(ニギアカガネ)とよばれる自然銅が採掘された場所で、708年それを記念して和銅という年号がうまれました。
前回に載せているので参考に。。。http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110816

 ここが水と関係している理由
①蕨手刀の蕨の意味
②荒川と横瀬川合流地点に位置する
③近くにある尺度神社の伝承と民間信仰
④すべての円墳(飯塚・招木古墳)が武甲山(南)に向かっている

Mezurasituka
① ここに蕨手刀が伝わっています。
この刀は6~8世紀、東北地方中心に作られていた刀。取手部分に蕨の形である渦巻き文様があるのが特徴で、少し反って湾曲になって作られた技術は、それまでの直刀と異なり難しい技術を要するため、剣を作る技術集団の存在が明らかにされました。
後に関東~九州へ伝わった蕨手刀は、現在の岩手県一ノ関にある舞草刀(もくさとう)に受け継がれています。

わらびは、シダ植物の一種でもあり、シダのことを「羊歯」と書きます。
これは、中国から伝来しているもので羊の歯や角に似ていることなどがありますが、他の説として、福岡県にある珍敷塚古墳後室奥壁の壁画図に蕨手文が描かれています。(写真上)

「さわらび」といって、渦巻き文様と同じ概念をもつ形状で、この蕨の意味が「水」を象徴しているという事がわかっています。
この壁画の意味について、「国作り神話と大和三山」の著書 大谷氏は、日照りの悪い太陽は大陸からの灌漑治水の先進知識と技術の導入により、干ばつを克服した。
盾(矢)は、生命の与奪権をもつ自然災害から防ぐという意味があり、蛙は田植えの後に現れ、もう一つの良い太陽により、稲の生長ができる水棲動物の現れを意味している。

 わらびは群生して育ちます。
芽生え、葉が開き始める円を描いた形から、成長する過程を命のサイクルに表現したと思われます。
その命のサイクルに土に含む水が重要なのです。

Arakawa01 Hodosan_2

(左:荒川と横瀬川が合流する地点(南側)右:宝登山(北側)・・・武甲山と向き合っている)

 ② また、この地点は横瀬川と荒川が合流している所でもあります。
横瀬川は良質のよい川で、昔は氷を製造していました。
入間・秩父の堺にあたり、武川岳の東、伊豆が岳~正丸~大野峠~芦ヶ久保に入り、根古屋の山地を抜けて武甲山の東を流れる生川(小持山が源流地)と合流します。
そして横瀬町中心を流れて高篠の大棚川、定峰川と合わせて黒谷で荒川と合流します。 

   
数多くの筋川を通って後に大きな荒川と合流する山→川→海は、農耕技術が始まってからの思想です。
縄文時代では、逆に海→川→山となります。
海から川へ入り上陸するという流れをもって航海してきた海人たちは、縄文時代からの思想が影響されているのでしょう。
Syakudo_2
人間の足や頭から血液が枝分かれし心臓へ向かうのと同じように、秩父の場合は海から荒川へ各地の川が枝わかれして最終的には山へ登り、天に向かって雲となり雨を降らす。

その雨は大地に沈み、再び大地に湧き出て川となり海へ流れる。
それが水の巡回であり、食物の恵みに感謝するために祠を建てるのです。

その形を現した信仰が、秩父札所観音霊場だと思います。
最後に武甲山で結願できるように設定していたのは、この水の循環を現していたからだと思うのです。

 
③ 測量技術を暗示する神名は、剣=蛇=雷の等式が成立するといわれています。
和銅大橋から少し北上した荒川沿いに、「尺土(度)神社」という変わった名前の神社があります。
この尺土というのは、測量棒のことでこれを剣としてみて治水技術により日照りや洪水を人工的にコントロールできるようになったのを敬うために建てられたものといわれます。

また、尺土という地名が葛城市(大阪府)にあります。奈良県との県境で一言主と役小角の神話がある葛城山の近くにある地名です。
尺土の意味は、赤い土がこのあたりに出たので赤土を佳字(縁起のよい字)に変えたといわれます。

また、葛城山にもムカデに関係しているので鍛冶の里といわれ、賀茂族発祥といわれる葛城は役小角にも関係している系譜の土地だったのです。

聖神社から歩いて15分くらいの所に、オシャングリ様というのがあります。
このあたりの地名には「金山」や和銅鉱泉などがあり銅の採掘の中心になっていた所でもあります。
ここに水の技術が伝わり、後に信仰としてうまれた民俗学的に非常に価値があるとされる石神です。

Osyangurisama_3
オシャングリ様(秩父のコンセイサマ(金精様)

 ここに住む人たちが、飲み水を求めて井戸を掘ったのですが、水が出なくて困っているところ、オシャングリ様が夢枕に現れました。

「この社より辰巳に向かって森のはずれに掘ればよい」と言われたので、そのあたりに掘ってみると水が湧き出たのです。 

 
辰巳の方角は、東南にあたり武甲山の方角になります。
「妙見宮縁起」によると、巽の方角に秩父山と名付ける妙見山(武甲山)があると記されています。巽は、辰と巳の間で、辰は竜、巳は蛇。

五行説の五色の中で水は黒。黒谷の黒は、元々水を表していたのかもしれません。

干支の意味に植物のサイクルがありますが、辰は草木が整った状態、巳は、草木の成長が極限に達した状態を表します。

武甲山へ向かう方向に時間が流れると、成長した状態から完全になる場所が武甲山にあたると考えられていたのです。
 武甲山信仰が龍神であるという事により、その方角に井戸を掘れば水は枯れることがないという伝承のようです。

また「6」という数字が観音様に関係していたり、水などの伝説に6がつくのは「完全」を現す火と水のコントロールがあるのです。
 

続きは、飯塚・招木古墳の円墳と水について。

<尺土神社への道> ちちてつ「和銅黒谷駅」下車、徒歩約15分。

大きな地図で見る

View03
オシャングリ様・・・尺土神社とは逆に、
駅前の信号を渡り、斜め向かいの道を進むと文化財になっている内田家がある。その向かいの道を歩いていくと、(札所1番へ行く方向、看板あり)

約10分くらいで法雲寺があります。そのまま先を下って小さい橋を渡り歩くこと、約4,5分くらいで民家の角にオシャングリ様があります。(地図にのってないので注意)

(写真:オシャングリ様のある風景)

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虚空菩薩と弟富士山

2012-11-18 | 神話・伝説

Photo★浅間神社縁起より


筑紫の国造の末裔石井大乗睦則という人が、富士山へ33度お参りをし、900年頃の6月14日にその御分身を頂き、氏神として私有地の日野村?成山に祀ったのが最初といわれる。

その後、石井道次という人の代になり960年6月のある夜、神様のお告げがありました。

「この山は、私の住むべき山ではないから他の山へ移すように」

しかし、どこへ移してよいかわからないので、その山を教えて頂きたいと訊ねると、「しかるべき山に雪を降らせる」といわれたそうです。

14日の朝、近所の人が騒いでいるので何だろうとあたりを見渡すと、頂上が雪で白くなった山がありました。これは神様のお告げのあった山に違いないと、早速富士山に事の次第を報告しました。

そして富士山の神様より弟の冠称を頂き、雪の降った山を弟富士山(おとふじやま)とよび、その頂上へ神社を移し、日野村の神様を祀るようになりました。

浅間神社の祭神は、木花佐久夜姫(コノハナサクヤヒメ)、他にここに平将門、藤原秀郷、畠山重忠らが参拝したといわれ、熊倉城にこもった長尾意玄入道の祈願所であったといわれます。

また、この山の北側に虚空蔵岩とよばれる大きな岩がありますが、神様がこの岩に縄をかけて頂上より現在地まで引き下ろしたとの伝説が残っています。

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▲虚空蔵菩薩と円墳-----------------------------------------------------▼

再び弟富士山へ。

一緒に行った友人が、虚空蔵菩薩は、音の神様と教えてくれた。

だから「おとふじやま」というのかな、と思った。音→弟おとに変わった?

虚空蔵菩薩は、丑、寅年の守り神で13という数字がつきまとう。

アーカーシャという広大な宇宙の無限の知恵と慈悲をもち、また虚空というのは母胎の意味がある。

蔵は、「する」という意味があり、お地蔵様とは対になるのだと。

虚空蔵菩薩は、空海が求聞持法(ぐもんじ)といって、真言を100回問いかけて100回唱えることで、見聞きを忘れないことがあるといって、岩蔵で修行した話があります。

蔵に納められるのも、空間の音を聞くためかもしれない。外からの音を遮断するために蔵にこもって音を聞いたのかな?と想像してみたくなる蔵です。

密教の地・水・火・風の物質に加えて、虚空(空気)が加わり五大元素となる。地球の創世にこの菩薩様が関係しているのです。

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不思議と気になるのが、古墳との関係。

古墳の上に神社を建てるのは、よくある事で、小高い丘のようなちょうどよい高さに立てるのが都合良かったから。という理由が主らしく神社と古墳の関係はなし。

そしてあまり巨大な前方後円墳以外の小さい円墳は、発掘調査をしない。だから実態もよくわかっていない。

・茨城県古賀市 円墳の上に建つ虚空蔵菩薩

・埼玉県行田市 横塚の上に浅間神社、他に同じ行田市に円墳の上に虚空蔵菩薩あり。

・群馬県渋川市 虚空蔵菩薩が石室に祀られている

・長野県大星山古墳群 虚空蔵菩薩が頂上に祀られている

・静岡県富士宮市 円墳の上に虚空蔵菩薩あり

・熊本県四山古墳 6C 虚空蔵菩薩が降臨したという伝説がある。九曜紋が特徴。この古墳からは馬具などが発見されている。

・熊本県虚空蔵菩薩古墳 6c前方後円墳 墳上に菩薩様がある。

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(陸に上がったイルカみたい・・・)

ここの弟富士山は巨大な岩蔵の上に建てられたという事でしょうか?古墳ではないようですが、ちょうどよい感じでこんもりした丘になっているので、地層と関係しているかもしれません。

特にここの岩は、さざれ石になっているのが面白い。

他にも埋もれている岩はたくさんあります。

伝説では山頂からおろしてきたとありますが、掘ってみたら巨大な岩だったので蔵に祀ったのかもしれません。

縄文時代から岩や洞窟はスピリットを受ける場には最適。

ここで修行を行ったのかもしれませんね。

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▲再びたびの安谷渓谷と蕎麦-------------------------------------------▼

日野にきたら、安谷渓谷と蕎麦はかかせない。

岩蔵鑑賞の後は、森歩きと蕎麦。

秩父らしい散策でした~♪

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思いやりの木

2012-11-16 | 神話・伝説

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むかし、野坂寺の和尚さんが「若ものの願いをかなえ、人々の幸せを実らせよう」と母なる木、栂(つが)と熟のある木、火の木(ひのき:桧)を抱き合わせて、山の神様(大山津見神社)の社木として植えました。

すくすくと育ち、栂は桧を根元まで抱きかかえ、そして一体となり、二本とも高い木に成長しました。

いつしか「思いやりの木」と呼ばれるようになり、この二本の木をなでて山の神様にお願いすれば、結婚がかなったり、夫婦が仲良くなったりすると伝わっています。

これをそばで見ていた藤の木は、面白くはありません。

栂と桧の上部をつるんでからんでしまいました。
そして桜が散り、新緑になると、この藤の花は満開となりアカシアの花と共に咲き乱れます。

(野坂町誌)

栂は、木が曲るという意味の「とが」から「つが」に変わった。組み合わせるという意味もあるのだそう。マツ科である。

これがDNAのルーツか??木の螺旋は地球のDNAだ。

桧は火の木。火は母のことでもある。

大山津見の神様は、男神になっているけど山神様なので、本来は女神。コノハナサクヤヒメの(富士山の女神)母であるとの説も。

母はいろんな所でひっそりと生きている。

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女性の願いを叶えてくれる白山観音様

2012-11-05 | 秩父の祭りと信仰

243_2江戸時代、関東(特に千葉県)では巡礼地について男は伊勢、女は秩父と言われていました。
札所とは異なりますが三峰信仰も、女性は山へ入ることを禁じられていたのを、
現在の太陽寺が受け入れていたのです。

★札所24番の縁起

(光智山 法泉寺)・・・室町時代、聖観世音。

養老元年(717年~724年頃)、越前の大徳泰澄、夢のお告げによりこの霊地に加賀の白山を勧請したものといわれ、本尊も当山より現れ観音像を安置奉祀したといわれます。

又、武州恋ヶ窪の遊女、口内の病に悩んでいたところ、秩父の修行憎が一本の楊枝を与え、白山の観音を信じてもちうべしと教えられ、歓んで信心し、かの楊枝で口内をそそいだところ、癒えたという。

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柳の枝で口を洗う話もあります。植栽木として川や池に柳を植えるのは、先人の水害防止策でもありました。

空海が中国にいた時、中国では旅の別れに柳の枝を渡すといわれていました。

楊枝などの枝で口を洗う方法は、アッシリアやシュメール時代からあり、歯止めのサルチル酸、解熱鎮痛剤に楊枝が含まれているといわれています。

ちなみに秩父には、和菓子などの楊枝に使われるクロモジ(黒文字)がアロマとして販売されています。この縁起とつながっているのかどうか?植物の医療について知識のあった方が、秩父いらっしゃったのだと思います。

★観音様と札所について(秩父札所連合会より)

(写真:平和観音様)

観音信仰はインドの西北部で成立し、中央アジア、東南アジア、チベット、中国、朝鮮を経て日本に伝わりました。西国、板東、秩父それぞれ三十三か所の札所が始まり、最後の秩父で一か所加えて、合わせて百か所の観音霊場を成立させました。

三十三とは、観音様が現世の幸せを求め、救いを求める人々に対しその立場に立たれて親身に考えて救済される例を三十三示しているのを型どったものです。

縁起によると、性空上人は、播磨国の書写山(姫路市)にこもり観音信仰に没入し、円教寺(西国札所27番)を創建した僧侶でした。

上人は冥途に呼ばれて7日間の説法により地獄の罪人を助け、閻魔大王の返礼に第1に秩父、第2に板東、第3に西国を巡礼しました。
その時、熊野権現をはじめ特に伊勢の諸神が擁護されました。

なぜ、そのように上人が観音霊場を巡るようになったのかは、閻魔大王から仏教を理解していない人達(凡夫)を救済するために、日本に百か所観音を安置するようすすめられるからです。

まず西国三十三か所を巡り熊野三社に詣でると、「東国に下り十三身の観音を建立するように」と熊野権現からお告げがありました。
そこで花山法皇、恵心憎都、白河法皇、医王上人、良忠僧都と同行し、信濃善光寺、武州の慈光寺を経て秩父に入ったのです。

すると、善光如来と六観音が極楽浄土の光を放って観世音はこの郡内に留まるので、自分と一緒に巡礼するようにと、熊野権現のお告げがありました。
この時が、994年の3月18日で、秩父札所の順礼が始まります。
途中、大蛇が現れ熊野権現、妙見宮、蔵王権現、千手観音の光目により逃げ去り、水込(水くぐり)で諸願成就の札が納められたといわれています。

当初は最後に武甲山で結願できるような順番になっていました。
武甲山の信仰が、熊野権現、蔵王権現、妙見様と変化しているので、秩父札所のすべてが武甲山が見えるように設定したのも、武甲山が蓬莱山
(中国の神仙思想に説かれる三神山の一。山東半島の東方海上にあり、不老不死の薬を持つ仙人が住む山と考えられていた。)
と崇めていたからです。

秩父札所の起源説は、994年と、1186年、1234年説があります。
熊野権現の鳥、稲荷大明神の狐、日枝神社の猿、の様に観音菩薩の眷族が馬であるところから、干支の申と牛を結びつけて、申牛年の創建が説かれ、後に申牛年の総開帳も行われることになりました。

水込の水くぐりは、ククリヒメの潜り(くぐり)にもつながります。
ククリヒメは白山信仰の水神とされています。
また、3という数字は、無限数を指します。

ククリヒメは、菊理姫神で再生の神とされています。

99の括りで、未完成の状態が長く続くことを願う数字の力も関係しています。(日光東照宮の柱が99本であるのと同じ思想)未完成であるという事が、人間であるという思想です

ですが、秩父札所の観音霊場は34ヵ所と、一か所増やして100にしました。これが秩父で完成される意味というのは、神が100であるから人間から完成された状態になると捉えてもよいいと思うのです。

札所のスタートは何番からでもOKです。自分の行きたいと思う観音様から巡るのが自然です。そういう意味では、今回、納経帳も買って巡礼する気持ちが芽生えた始まりが24番というのは私にとってふさわしい観音様だと感じました。

また、白山市で開催された「水のフォーラム」では、信仰の水や川にまつわる研究が活発で白山の水の利用は、富士山より広大であるという。

こういった議論は、例えば白神山地のブナ原生林について、会津地方の方がブナ原生林の範囲が広い(つまり手を加えていないブナの棲息地域が広い)といった議論があるように、「偏った見方は危険」であって、どれだけ地域の人たちの自然の価値意識が高く、世界に発信できるかどうか、が問われていると思う。

範囲は関係ないわけで、秩父は忘れ去られた土地や自然が多いから、誰にも目に触れずにいる所へ行ってあげる事も、重要なことである。

加賀の白山信仰を秩父に置かれたのにも、白山講の活動範囲を広げる意味もあるが、九頭の大龍がククリヒメの姿であり、水底に隠れていた観世音の光を放って武蔵の秩父におりてきたという話は、武甲山と豊かな荒川の自然に共感したからと思います。

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★六観音

6と言う数字もいろいろな意味を含みます。
すべての命の型を現すのに6つ必要だったのです。その例が六坊星です。
男性性の▲と女性性の▼を合わせると六角形の形ができます。
二極性による三位一体を現す数字として6は重要でした。

馬が6の数字として崇めているのは、古代ヨーロッパの神話にも伝わっています。
参考→六兵衛さん

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20120827

また、水の分子が六角と球形であるので、観音様が女性や水と深い関わりがあるのはこのような意味も含まれているからです。
例えば、札所24番の白山観音は、女性の願いを叶えてくれるといいますが、女性の体の仕組みに観音様が関わっているからだと思います。
水を崇める信仰が多い日本では、水を蛇(龍神)としています。
水から人類が生まれたことを幾何学で現し、人類が初めて陸にあがった爬虫類系の祖先をもつことを伝える意味とも考えられているようです。

また3月18日に観音の縁日としたのも、18は3と6の倍数で数字の3と6が深くかかわっています。
西洋では、666も18です。
アメリカではこの数字が悪魔と捉える傾向がありますが、観音霊場は、逆にその数字がプラスの威力や慈悲として解釈する部分が多くあります。

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(写真::札所1番)

★六観音とは(七観音ともいわれます)

1.千手観音菩薩 (一手一眼が各々の二十五の迷界を救い、千の御手と千の慈眼が衆生を     導き利益を与える)

2.聖観音菩薩 (単に観世音菩薩としていたのが、変化観音が増えてしまったので区別するために頭に聖の冠をつけた。)

3.馬頭観音菩薩 (猛威催伏の形相で頭上に馬頭をおくものと、人身馬頭の二種がある。
転輪聖王の宝馬が天下を駆け巡るが如く邪悪を折伏すると同時に大慈悲を速に施すことを現している。
  

※観音菩薩の眷族が馬なので、この世に対する悪の念を排除する力をもつことが札所巡礼によって成されると考えられます。)
4.十一面観音菩薩 (観音菩薩が十方を観照してすべての衆生を救済しようと示し、それに聖観音の本相を加えて十一面とした)

5.准胝観音菩薩 (女神とされ、七億の佛母という意味から。その徳は広大で安産、夫婦和合、病平癒などに現れる。出家、在家、浄、不浄を選ばない広い心の観音様)

6.如意輪観音菩薩 (手に持つ宝珠は不思議な徳があり、自分の欲しいものは何でも出るので、願いのまま授け給うところから救世観音ともよばれる)

7.不空羂索観音菩薩 (不空とは心が空しくないという意味で、目的を成就させる意味がある。台蜜では、准胝観音菩薩の代わりに不空羂索観音菩薩を入れ6観音としています)

これら全部を合わせて7観音といいます。

数ヶ月前にNHKの番組で「見狼記」というのをやっていました。
狼信仰についての番組でしたが、ペリーが来航した時代あたりから、
疫病が流行りました。
江戸時代、特に関東地方では狼信仰が流行りつつあったため、
三峰神社などの狼のお札を大量に配ったという話がありました。

アメリカという強大な国のもたらす影響から人々の混乱や恐怖を抑えるのは、
狼しかないという事なのかどうか。
ただその狼の威力が何かわからず、今は絶滅したとされているので、
ニホンオオカミを誰も見たことがない。
それでも狼信仰は残っているので、狼が残したものは人々の祈りの力ではないかと
思うのです。

そんな狼聖地の秩父の他にも、人々の悪の部分を浄化してくれる力が
あると考えるのが札所観音霊場なのです。


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メニューは森林浴と蕎麦のセットで。

2012-11-03 | 日記・エッセイ・コラム

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再び安谷渓谷。

ほんとにここは気持ちがいい~♪

友人を連れて案内する。ついでに大カツラも拝見。

かつて太平洋のどこからか隆起したものがごつごつと流れて漂着し、日本列島ができました。

今から1億年以上も前の秩父古生層(ジュラ紀)の地層も見られます。

カツラは県内2番目の大きさとの事で、幹回り11m、高さ30m。

まだ子供のカツラが大きな親の木を囲んで成長しています。この子たちもまた大きく育つのです。

Anya03 Anya06_2

そして今は新そばの季節!!

卵水に入る手前に「十二天水」といわれるお水が湧き出ています。この水は冷たくて繊細です。

卵水入口にある「和味(なごみ)」はコシがあって美味しい。おかわりしたくらい。

秩父はこの時期、森散策と蕎麦はセットで頂く!

★ちちぶ荒川新そばまつり

11月18日(日)蕎麦好きな方、遊びに行ってくださ~い。http://navi.city.chichibu.lg.jp/festival/sobamaturi/ (秩父観光サイト)

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