秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

南総里見八犬伝の聖地

2012-10-28 | 洞窟・巨石探訪

4年くらい前ですが、1月の冬に千葉県の南房総市にある「富山(とみさん」に登りました。標高は394mで、冬でも十分ハイキングが楽しめます。

「とやま」とも呼びますが、展望がよく千葉県は冬でも比較的暖かいので、水仙がたくさん群生する人気の里山です。

Tomi05_2 Tomi01


※冬でも紅葉が・・・

もうひとつ気になる伝説が、滝沢馬琴の南総里見八犬伝で伏姫が自害した話の舞台になった山でもありますが、この山には滝沢馬琴は一度も訪れたことがないそうです。

Tomi06_2
ただ、その後、(滝沢馬琴の死後)実際に洞窟が発見され、注目されました。

その洞窟はいつ誰が利用したか不明なのですが、人工的に作られた洞窟であることは間違いないそうです。

富山の登山から降りるルートに、伏姫洞窟に行くことができます。(写真:伏姫洞窟へ行く門)

現在は中に入ることができませんが、入口近くまで見ることはできるので、小説が好きな人は必見でしょう!8つの玉が治められているそうです。

今はちょっと観光地としてきれいに補装されていますが、不思議なストーリーを醸しだている雰囲気はあります。

あんまり最後までじっくり小説を読んでいないのですが、元は七つの数字を考えていたらしい。関八州という関東地方の各県を表しているので、八犬伝は、それぞれの関東(武蔵)に共通する話でもあります。

気になる説では・・・

(Wikipediaより)

獅子のモデル・・・
獅子(=八房)に騎乗する文殊菩薩(=伏姫)のイメージが投影されているとする。この説によれば「八犬士のうち二人が女装して登場する理由」は、文殊菩薩に従う八大童子のうち二人が比丘(女児)であることに求められ、「犬士の痣が牡丹である理由」は牡丹の匂いが獅子(=八房)の力を抑える霊力があることで説明される。
また、後半に現れる政木大全が「準犬士」として遇されるのは文殊菩薩の従者である善財童子が投影されているためとされている。

北斗七星のこと・・・

『八犬伝』刊行開始前に出された刊行予告から、一時馬琴には『合類大節用集』の記述を無視してまで物語を「七犬伝」とする構想があったという。
高田衛は八犬士に北斗七星のイメージが投影されているとも指摘している。
七星の一つミザールにある「輔星(添え星)」を8番目の星と見なすことにより齟齬をなくしているが、これによって「八犬士のうち一人が子供として登場する理由」も説明できるとする。

Tomi04(犬塚)

天富命・・・

富山の名前の由来は、房総を治めていた天富命という人からきたといいます。

遠見崎神社の御由来(HPより参照)

遠見岬神社が千葉県勝浦市にありますが、ご祭神は天富命で、「古語拾遺」にみえる豪族で太玉命(ふとだまのみこと)の孫。神武天皇のため橿原(かしはら)の御殿をつくったといわれています。

Tomi02_3 (中央に少し富士山が見える)

また、忌部(斎部)(いんべ)氏の指導者だった天富命は、朝廷で神祭りを担当していた忌部の諸氏を率いて神宝の鏡、玉、矛(ほこ)、盾(たて)、木綿(ゆう)、麻をつくらせました。
玉は出雲の国で作り、布は四国の阿波の国で作りました。

地を求めて、四国の忌部一族を率いて、海路を東に向かい、房総半島の南端に上陸しました。
そして、阿波の国で栽培していた、穀物や麻を植えてみると、良く育ちました。


そこで房総半島を「総の国」と名づけました。古代には麻のことを、総といっていたからです。
のちに総の国は二つに分かれ、都に近い半島南部を上総の国、北部を下総の国としました。
また、阿波の忌部氏が移住した本拠地を、故郷にちなんで「安房」と名づけ、天富命はそこに先祖の天太玉命(あめのふとだまのみこと)をまつる神社(安房神社)を建てました。

安房の開拓を終えた天冨命は、その後当地においでになり遠見岬(現在の八幡岬突端)に住まわれ、紀伊に住む忌部族を招き、また上野の名木に御木忌部(材を採取する斎部)・麁香に麁香忌部(殿を造る斎部)を住まわせ、先住民に農業・漁業・建築等の技術を教えました。
これがわが国建築のはじめとされています。

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安谷渓谷と明ケ指のたまご水

2012-10-23 | 水神巡礼(秩父編・その他)

秩父水神巡礼③(自然編)

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そろそろ紅葉の時期。
山頂では色づき始めているけど、下界はまだまだ。

水神とは何か?巡礼とは何か?わからないまでも行ってみると何となく言葉にできない何かを拾ってくることがある。

それは、水も生き物だと思えてきた事。

秩父に硫黄の匂いがする「明ヶ指のたまご水」というというのがあるのですが、あんまり実態はわかっていません。
昔から個人の方が所有されているようで、地元の人たちは飲み水や生活に利用し、体にも良いとの事で現在まで至っているのです。

その名前通り、硫黄の匂いから昔の人は「卵水」とよんで親しまれています。
美しい渓谷にあり、駅から比較的歩いていける場所でもあり、弟富士山とあわせて散策できるコースになっているのでおすすめ。

武州中川駅から歩いていくつもりでしたが、
この日は昌福寺から先が通行止めだったので、次の武州日野駅まで歩き、浅間神社へ参拝してからたまご水へ向かいました。
武州中川駅から日野駅までの間は2つの橋がかかり、その下には安谷川が流れる。
1930年代の磐越西線阿賀野川当麻橋梁から移設されたアメリカンブリッジ(1913年アメリカ製)の鉄橋があります。

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秩父鉄道(ちちてつ)は、国鉄時代の電車が走っていたり、アメリカンブリッジなど、古い鉄橋を買い取って利用するところはエコ列車だな~。
今では古いものがより高い価値を見出しつつあるので、ちちてつには頑張って古いものを懐かしさに変えてほしいと願う。
電車内の天井を見れば、懐かしい扇風機なので車両により冷房がついていないのが
ちちてつの特徴。木造の駅もナイス。イベント時には懐かしい厚紙の切符も発売!
都会にはない別の楽しみ方もある。
ちなみに、秩父鉄道を略して「ちちてつ」と言った方が親しみ倍増。

Asamasherin
で、浅間神社の奥社が弟富士山にあります。
山容が富士山のようなのでその名前がついたそうですが、尾根を歩くと、木の階段が見えて、それを一気に登るようになっている。
ここだけこんもりと小高く積んだ感じのようですが、外からでは何もわからないです。

春はカタクリ、エイザンスミレ、初夏のチゴユリ、イワタバコなど山野草も楽しめます。

秩父にも富士講(浅間講)があったのでしょう。江戸時代に関東で流行した角行という人が広めた講です。
影森の諏訪神社に「富士登拝十周年記念碑」があります。

Fuji_2
「名峰富士登拝を何時かはと思いつつも、共の機会も無く年号も平成と改り還暦を迎えた平成元年大丸正秩父講社よりの誘いもあり初めて山頂登拝が出来其の感激を味わいました。以来連続十回登頂が出来ました事は浅間大神・諏訪大神の御加護と感激すると共に私達と共に富士登拝された方々の御芳名を石に刻み祝いとするもので
あります。」平成十年十月吉日

私は富士山には登ったことがないのですが、弟富士山の浅間神社に参拝しただけで
十分登った気分になりました。

安谷川は水が澄んで美しい渓谷。
下流に流れて荒川と合流する川なので、ここで光に癒された安谷川は、荒川と融合し
海へ流れていくのです。
日差しが川に降り注いで、まるでこけむす岩が青々とした峰が連なっているようで
不思議な世界観があります。
良い気のある所は、いつまでもず~と居たいという場所で、今までいってきた森の中で一番気持ちが良かったと思います~。


Anya01_2 Tree_2

ここで「野沢菜入りのおやき」を食べるのがぜいたくな?秩父流のお昼休み。
私はいつも西武秩父駅の仲見世にある「おやき」を必ず買っていく!
(たぶん朝10時前から開いていると思います。)

卵水はここから上に登って岩場にある御地蔵様だったかな?を右に歩くと竹林が。
その先を歩くと廃墟?になったキャンプ場があり、さらに先を歩くと橋があります。
そこには今も健在のキャンプ場になっていますが、林道を歩いて行くとすぐ下に卵水があります。

Water Tamago01
秩父市内からそんなに離れていない距離で、これだけの自然が保てるのはさすがです。
たまご水の先には大カツラがあります。時間に余裕がなかったので次回行けたら今度はカツラへお参りしてきます。

このあたりは、ミズバショウや座禅草、エンレイソウやニリンソウの群生などが咲くところです。ミズバショウは芦ヶ久保にも咲きますが、市内に近いところに生息するのは珍しいと思います。
安谷川から駅へ戻る途中にも、如意輪観音堂や弟富士山を通って武州日野駅へ戻るコースなど、里の風景を楽しみながらハイクする水巡礼は、女性にとっての癒しだけでなく、懐かしい風景が思い出に残る歩くアルバムのような癒しの効果はあるでしょう。

近くに駐車場はありますが、駅から歩くことをおすすめします♪

View01_3 Cannon

(写真右:如意輪観音童とそこから見える風景)

如意輪観音堂は「寝入り観音様」とよばれています。

語源については、秩父札所を決めるとき、たまたま如意輪観音様が寝込んでしまい、ついに札所番付けに入ることができませんでした。それ以後観音様は諸人の月厄の苦しみを救おうと発願し、現在に至るまで「不浄除」のお札を授けている。

もう一つは、ほほづえをついて瞑想にふけり、寝入っているように見えるお姿から寝入り観音になったという話。

<安谷渓谷の道>

Busyuhino_3
秩父鉄道武州日野駅下車→弟富士山山頂(20分)→如意輪観音堂(15分)→
安谷渓谷(15分)→卵水(10分)

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武蔵の森

2012-10-20 | 日記・エッセイ・コラム

Mori01
前回の物部天神社から、物部氏とゆかりのある出雲伊波井(いわい)神社と中氷川神社が所沢と入間市にあるというのでいってきました。

物部天神社・・・物部氏と二ギハヤヒ
出雲伊波比(祝)神社・・・アメノホヒ(養蚕・国土の神)、フツヌシ(物部氏の祖神・刀剣武の神・雷神
中氷川神社・・・アラハバキ、スサノオ

出雲伊波比(祝)神社は、ホッタラケの島(CGアニメ)の舞台だそうで、「ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~」は、フジテレビ開局50周年記念作品として全国の東宝系で一斉公開となったフルCGのアニメーション映画です。映画はみた事がないけれど、不思議なキャラクターです。

このストーリーの最初にでてくる神社などその他の風景等は、実際にある場所で、それがハタヤ稲荷と出雲伊波比神社なのだそう。

【出雲伊波比(祝)神社ご祭神】天穗日命 天夷鳥命 兄多毛比命
       (合祀)天照皇大神 大国主命 伊弉諾命 伊弉冉命 倉稻魂命 菅原道真
       大山祇命 市杵嶋姫命 速玉男命 事解之男命 大屋毘古命

Hataya

(ハタヤの稲荷神社)

経津主神(ふつぬしのかみ)は日本神話に登場する神である。
『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。
別名、斎主神(いわいぬしのかみ)、伊波比主神(いわいぬしのかみ)。
『出雲国風土記』では布都怒志命として登場する。

Okumiya
布都御魂の「フツ」と同じ、物部氏が石上神宮に刀などの武器庫として祀っていたことから、経津主神も元々は物部氏の祭神であったと考えられる。が、同様にフツをお祀りしているのは鹿島神宮出身の中臣氏も同じ。

奥にある大国魂神社は「六所宮」「六所明神」と呼ばれ、六所の六は、東・西・南・北に天・地を示し、六方・六合(くに)として国の意味があるとの事。また、神話にでてくる六合とは二ギハヤヒの事をさす。
二ギハヤヒと六合については、火と水の関係にあるので後ほど。

アニメといえば、宮崎駿さんも実は所沢市在住。
トトロのモデルになったトトロの森は、散策コースがあり、自然が豊かで、狭山ヶ丘~早稲田大学のあるあたり「さいたま緑の博物館」まで広大な武蔵の森でハイキングコースとなっている。

出雲伊波比神社は毛呂山町にもあり、関東にはいくつかある。
氷川神社も大宮が一ノ宮とされ、関東地方にたくさんある神社。
氷川神社については、レイラインという富士山と筑波山を結んだ線と、浅間山と冬至の日の出を結んだ線の交差にあたるといわれる。

Nakahikawaレイラインは日本にもよく聞かれる話で、諏訪と鹿島神宮を直線で結んだ位置に秩父神社があることや、富士山と諏訪、伊吹山も直線で結ぶときれいな二等変三角形ができると聞いた。
秩父神社がレイラインに存在すると、武甲山はその南に位置するので、昔は太陽神であるアマテラスと崇めていたという人もいる。
太陽信仰もさかのぼれば、エジプトの時代になるほどとっても古い。

(写真:中氷川神社)

大宮氷川ー中川氷川ー三室氷川の三神が直線に並ぶように建てられている。
また、大宮の氷川神社と奥多摩の氷川神社を結ぶ中心に中氷川神社があるという事で、「中」氷川神社とつけられた記録が残されている。

ご祭神:スサノオ命、クシナダ姫、ヤマトタケル命、オオナムチ命、スクナビト命。

ただし、所沢市に中氷川神社は2つあり、今回訪れた三ヶ島の中氷川神社と下山口にある中氷川神社です。
ただレイラインは地上での話。地下の話はどうなってるの?と考える時がある。

Bigtree(中氷川神社の楠)
神社に建つ「地下」に昔は水脈があったのだろうと思われる地質が大事なのであってその点、この三ヶ島の中氷川神社の楠の大木は、枯れてはしまったが大切に守られている地元人のシンボル。そのような大木が存在する場所こそ、聖地だと思っている。
昔は脈々と地下水が流れていたことだろう。

そのせいか、所沢市~入間市あたりは土が非常によいと思います。
首都圏からかなり近い場所にある中、農業がやれるというのはぜいたくだ。
多くの民家では野菜を育てている。
面白いのでは、所沢市内の賃貸で部屋を借りる時に、畑が付いてる不動産の紹介もあるのだよ。
都心に近いのに、所沢市や狭山、入間市などこのあたりは、豊かな自然がまだまだ残っています。
Mori02_2
氷川神社は元は地主神のアラハバキを祀っていた。地主だからアラハバキを信仰していた豪族がいたという事。
それが出雲族であって、兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となったとされる。
そのため、武蔵国は出雲国と同じでこのあたりは物部氏が(入間市あたり)支配していた。

ちなみに、三ヶ島の地名由来は、

「狭山丘陵の北麓に位置するこの三ヶ島は、開村当時は家もまばらであたかも原野に3つの小島が浮かんでいるようであったことに由来する。」

武蔵の神社に共通する話は、「ヤマトタケル命が東国征伐の折~」が多い。
東北地方の坂上田村麻呂と似ている。
ヤマトタケル尊は出雲系なのではないかと思い、また女性的な人だと思う時がある。神話でも女装した話がでていますが、男なのか女なのか・・・。
白い狼に導かれた瀬織津姫と同じようにヤマトタケルも狼に助けられる伝説が秩父にあるのは、女神信仰の名残のような気もするのです。
東国征伐に力を発揮したけど、大和朝廷から必要なくなったかで最後は伊吹山で殺されて(蛇にかまれる)白鳥になって飛んでいったというのが何か腑に落ちない話です。

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重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)
1832年、出雲祝神社には、宇治の蒸し製煎茶法による新たな茶づくりを確立した狭山茶業復興の記念に建碑があります。碑文には、日本での茶の歴史、武蔵河越茶から狭山茶に至る経緯、復興に尽力した人物、茶の効能、茶づくりに対する心構えなどがまとめられています。

原始ヨーロッパでは、春分点の真ん中にある2月に三位一体のブリギッテの祭りというのがあります。
それは白鳥に乗った光の女神が医術と文芸と金工術(呪術)を人間に与えた意味があるといわれます。
ブリギッテの祭りは、聖母マリアお清めの日と姿を変えましたが、今では農民は蜂の巣箱をたたき、果実の木を掘り起こしてローソクに火を灯して祝福を迎えるのだそう。
(参照:魂の植物 フレグランスジャーナル社)

世界に多く存在する聖地の多くは3という数字に由来する。
三位一体という言葉があるように、男女の間に子供、大小の間に中、天下の間に地、黒白の間に灰色、など必ず中間がある。

それを上からみると四角形が存在し、ピラミッドになる。
またその両者の三角をそれぞれ上と下へ近づけると、左図のように六角形になる。

この六角形が蜂の巣の形だったり、水の分子が六角形や六合という神話にでてくるすべてを意味する存在であったりするのも、漠然としてますが、
水が記録するのに六角形(3本の線で結ぶ)でないと駄目な理由があるから、と思うのです。

秩父神社が天神地祇といったけど、それは天神(天つ神)が上、中間に国つ神、下に根の国(黄泉の国)があるという世界観が日本人にはあります。
潜在的に日本人の考えは、他の国と違って「中間」でいられる民族だと思う。
それは特徴としてあると思うし、他国の文化を受け入れられるのもそのようにどちらでもない「間」に入ることができるからだと思います。

それだけ昔は日本は多民族国家だったわけで、国際社会ではうまくやっていけないというのは、そういう性質のある民族であることを忘れているだけの事。

ただこれからの社会、どちらがよいかと言えば中間は中和であり融合でもあるから、日本は率先して愛国心とは違う民族を訴える時期にきていると思います。

震災の教訓から、これから日本がどんな方向性にいくか、史上起こり得なった現実に最初にぶち当るのはいつも日本。原爆にしろ震災にしたっていつも日本から始まる。

その根本となる思想が、神社にはたくさん詰まっているわけだから、そこからもっとさかのぼっていくと「空」の精神だけが残る。

それが何かを追及する時代にきていると思うし、世界にわかりやすく伝える時もきている。

航海してやってきた民族が最後に目指した場所が日本だというのはよく知られている。奈良県の正倉院などのように、多くの文化を最後に保管する所として存在した。

神社もその役目をもっていて、出雲祝神社の「寄木様」信仰は、自然界にある木々の精霊を祈願していた土着信仰の名残なのです。

Izumo_2
出雲祝神社の由緒(看板):

御祭神 天穂日命由緒延喜式内社で人皇第12代景行天皇の御代創建。大宝2年9月29日再建す。その後幾度かの乱世にあいながらも御神徳のゆるぐことなく一般から寄木様と親しまれてきた。
弘治3年小田原城主北条家より社領を賜り、尚徳川家康将軍はじめ代々将軍より朱印十石をいただく。
明治になり有栖川宮一品親王より御染筆を賜る。
宮寺郷の総鎮守でむすびの神(生々発展の神)としてたたえられ、この宮内に大黒様(八千矛命)天神様(菅原道真公)も合祀されている。
尚古社を物語る石剣、棟札、和琴その他文献等多数の宝物あり。

<出雲祝神社への道>

小手指駅からバスで約15分。中氷川神社は、「掘之内」で下車。 出雲祝神社へは、そこから「JAいるま」で下車し、徒歩約10分。

大きな地図で見る

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芦ヶ久保の日向山

2012-10-14 | 秩父周辺の山々

Mhinata
日の出に向いた山という意味のある日向山。
向かっている日の出は、武甲山。
南にある武甲山は日出る山でもある。

または産鉄用語としても日向の地名はある。
宮崎県の日向(ひゅうが)の高千穂は、筑紫の日向にくじふる嶺と、ニニギノミコトが降りてきたところでもあった。日は火にも同じ。
日向をサシとも読むらしい。

サやシの語源は、焼畑以外にも鉄を産出していた地域に残されているため、日向=サシと読む地名が岡山県にも存在しています。
岡山県といえば桃太郎伝説の鬼だ。

Sherinview_3 (白髭神社から)

芦ヶ久保から横瀬に入ったところに双子山という名前の山があるが、巨人がいたという伝説が残る。
また、秩父には長者屋敷という名前の山名がいくつかあり、鍛冶に関係している。
この近くに羊氏が住んでいたとか、和紙を伝えた伝説もあることから、渡来系の人たちが高麗からやってきた可能性はあります。
Amulet_2
日向山や丸山は冬でもハイキングが楽しめます。
登り口には、秋のフルーツが実る芦ヶ久保果樹公園に入るので、違った楽しみも味わえる。この時はぶどう狩りがにぎわっていました。
登り口すぐの所に、茂林寺と白鬚神社あります。
まずは、ここで参拝してから登ることに。

(横瀬町HPより)
舟乗観音は千嶋壽氏の調査によると、もともとは日向山山中の小堂に安置されていた。
舟に乗った木彫立像の聖観音で、像高87cmを測り、形態細やかな仏像である。
厨子は宮殿造りの荘厳なものであり、江戸時代の高度な技術が活かされている。
「安永八年(1779)江戸浅草田原町仏師三上藤□ 塗師三上喜□□□」
の名が厨子に記されている。
 舟乗観音には、2枚の札の版木が附属している。
2枚とも舟に乗った観音像が彫刻され、1枚には、「秩父十八番目」「見東院」「瀧見観世音」と記され他の1枚には「秩父懺悔堂」「行基菩薩之御作」の文字と御詠歌

「つみとがも きへよといのる ざんげどう 大し大ひの
 ちかいもれねば ただいそげ みのりのふねの いでぬまに 
のりおくれては たれかわたさん」が刻まれている。
 江戸-飯能-芦ヶ久保を経て秩父にはいる街道沿いにあり、札所巡礼の「手引き観音」ともいわれている。

Temple_2懺悔は、妙見信仰の特有の儀礼だといわれています。
舟乗観音は熊野那智より観音の住む島である補陀落山への渡海入定を現しています。
日向山の近くにも琴平神社が祀られていて、高麗の日和田山と同様に航海をお守りする氏族がいたのかもしれません。
秩父にも翡翠がとれる事で、新潟県の糸魚川流域との交易や信仰でつながっていた事もあったようです。それは文化財になっている白鬚神社の獅子舞からもみてとれます。
なので、このあたりに武甲山信仰が成り立ち大国主=龍神を信仰したのも新潟県~諏訪地域~秩父のルートもあったのでしょう。

白鬚神社の本社は、近江にある。
猿田彦神をお祀りし、祭神は神格化すると白いひげの老人になるとされる事から長寿の神様とよばれています。

古事記より、「天の八衛に居て上は高天原を光し、下は芦原中津国を光す神」
と見えている。高天原からこの国土に降る途中に四方八方に分岐する道があり、猿田彦神は、そこに居られて道を守り、道を案内した神様である。

天地創造の「光あれ」の映像が浮かぶのですが、横瀬町の札所玄関口にとって、導きの神様にふさわしい神社でしょう。

8月に行われる白鬚神社の獅子舞は、「ささら」と呼ばれ秩父では
あまり見られないとの事。埼玉県の無形民俗文化財にも指定されています。
伝承によると、越後(現在の新潟県)魚沼郡十日町来迎寺の生阿是心比丘(しょうあぜしんびく)という僧侶が、1752年龍源寺に住職として移り住んだおり、村越五左衛門の協力によって村の若者に伝えたといわれています。

Sherin_4


この舞の中で、諏訪に伝わる蛇掛りというのが含まれていて、あんまり獅子舞ではないらしい。
お諏訪様の眷属(けんぞく)である蛇にちなんだ庭で、「山カガシ」を模したつくりものを呑み込む動作をするもの。

「山カガシ」とは、蛇の事だが、「カガシ」とは案山子(かかし)のこと。
「嗅がし」から、かかしになったという。
かかしは、昔は神の毛や魚の頭などを焼いて串にさしていたので、その嫌な匂いで鳥獣を追い払っていたとの事。
竹や藁の人形を使うようになったのは、近世の関東地方からで漢字の案山子は、中国の僧侶がつけた言葉なのだそう。(語源由来辞典より)

猿田彦神の印象は、目が赤く光ってホウズキのような光の眼だという。

Monument_2山かがし=蛇=かかし=猿田彦神? 
ちなみに、チチカカ湖の「カカ」はハハ(母)に転じた言葉だという。
つまり、父と母。母なる大地に天の父から生まれた水が融合して生まれた湖がチチカカ湖なのだという。隕石の衝突からできた湖といわれているので、隕石に一緒にくっついていた生物がそこで生まれたのでしょう。

横瀬町はおそらく高名な方たちが里へやってきて生活していた場所だと思うのです。位の高いお坊さんや格式ある人の子(隠し子)たちの隠居話などが伝わっているところから、横瀬町は元は逃れてきた平氏や源氏の里ともいえるかもしれません。
それが盆地という地形が生み出した歴史なのです。

(写真:鳥獣慰霊碑 武甲猟友会)

▲日向山への道--------------------------▼

Mountbuko1

日向山は花の道コースをたどっていきます。
分岐点には看板があるので比較的わかりやすい。
農村公園の入口へは、うっそうとした林になるのですが、10分くらい歩くと、赤いローラーの森へ到着。
そこから先へ歩いていくと、八坂神社があり道にでます。
そこから左へ行くとすぐに果樹園があるのですがそこを通って山へ行くのですから、何となく人の家にあがりこむような感じでちょっとドキドキする・・・
また、この階段の段差がでかい!運動不足にはコタエル・・・。

Topview1_3
そして森へ入り、ようやく登山らしくなってきたな~と思いきや、またすぐ道路にでてしまった。
飽きたら木の子茶屋で休んでもよいかも。(たぶん休日やっていると思う)

そこから先は春先に咲く蝋梅になっているのですが、(ここでまた階段…)
ここから見える武甲山は絶景です。

そして左へ登っていくと日向山山頂に到着です。

平日だとだ~れもいない。
一人占めの山頂。
でも展望はあんまり望めません。冬はOKだと思います。
ここからは大持山、小持山もよく見えます。

秋はキンモクセイの香りが漂う季節。
気持ちのよい秋晴れに、山が喜んで唄っているようです♪

<日向山>

芦ヶ久保駅~茂林寺・白髭神社(5分)→農村公園入口(約20分)→八坂神社(約15分)→車道を出て右すぐ果樹園入口登り森へ入る(約15分)→再び車道にでて(看板あり)山頂まで(約15分)

___6 (日向山山頂)

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高麗の巾着田

2012-10-06 | 日記・エッセイ・コラム

チャンスンが建つ西武秩父線高麗駅から歩いて5分くらいのところ。

秋になると赤いじゅうたんのように彼岸花(曼珠沙華)がたくさん咲く。

ここまで群生していると、さすがにすごい!しかも元々は自然に咲いていたというのだから。庭に植えたとしてもこんなに大きく育たない事も多い。

Manjyu01

日和田山登山の時に散策した所でもあるのですが、渡来人の想いが彼岸花に託されている気がしてなりません。

※日和田山について

http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20120125

716年、朝鮮半島の高句麗からやってきた1799人は、現在の日高市、飯能市あたりになる高麗郡が置かれ、高麗人の初代郡司「高麗王若光」により統治されました。

現在の高麗神社は、その流れを組む方々により受け継がれています。
Manjyu03_2
ただ、朝鮮からやってきたから朝鮮人や外国人か?といえば、それだけでなく、任那(現在のプサンあたり)という所は元は日本の領土であったので、白村江の戦いにより負けて帰ってきた日本人も含まれていたと考えられています。

その戦いの奨励に、住宅、食事など生活等の手当を当時の天武、持統天皇により手厚く保護されていました。
高麗郡に移住した人は、高句麗滅亡後、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野に住んでいたそうです。
大和朝廷では入間郡の一部に広がっていたが、空地であった高麗に住みはじめ、灌漑用水など治水工事も整えて生活基盤を建ててきた歴史があります。

その治水工事などを行っていた痕跡がみられるのが、彼岸花の咲く巾着田(上からみると巾着のような形に似ているので)なのです。

▲彼岸花の群生について-------------------------------------------------------▼

彼岸花は種を付けずに球根で増えます。
そのため、一般的に河原にある彼岸花は上流から流されてきた球根が自生して群落をなすといわれています。
また、あぜ道に植えられていたものが、洪水のたびに流出することもあります。

巾着田の彼岸花は、この上流やあぜ道から流出した球根が岸辺に沿って定着したものと考えられます。
1985年頃までは雑草・雑木に覆われ、わずかしか咲いていませんでした。

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(白い彼岸花も咲きます)

しかし、藪(やぶ)を取り除き草刈をするうちに年々たくさんの花が咲くようになったといいます。

自然に生えていた彼岸花に加え、以前畑だったところに移植するなど、地元の人たちの手によって大切に保護されることにより、巾着田の彼岸花は国内でも最大といわれるほどの見事な群落になりました。

Manjyu02

(巾着田のHPから)

元はゴミ捨て場でもあったという。駐車場にする予定だったのを地元の人がヒガンバナを植えることで保護した経緯もあります。

台風の影響で枯れてしまったものもありますが、今が一番見ごろです。

※途中の阿里山カフェ(オーガニックカフェ)でランチもおすすめ♪

<巾着田への道>西武秩父線高麗駅下車。徒歩約5分。横断歩道を渡って豆腐やさんの所を右へ進む。水天宮を通って橋を渡ると阿里山カフェに。その先すぐ右に下ると巾着田の入り口です。

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※川に咲く彼岸花。繁殖力が強いね~。。。(右)高麗川でたそがれる白鷺。

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※阿里山のカレーと御土産に買ったジンジャーエール

阿里山カフェのサイト

http://www.alishan-organics.com/Alishan2010_organics_jp/?page_id=38

巾着田のMAP

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