秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

七つの星に導かれ・・・

2012-03-27 | 日記・エッセイ・コラム

Kuru01 (熱海の梅園より)

今年は寒いな~。

東北は3月までは雪が降ったりして、春が近そうで遠いなぁと待ち遠しかったけど、今年は関東地方も同じように、春が近くにきていそうで遠いなぁ。

2月末に熱海へ行った時の続きになるけど、梅が咲いていたのにはうらやましかった。まだ2月なのにもう梅が咲いている♪

で、あれから1か月近く経ってしまい、そろそろ梅から桜が咲く頃。

熱海の人気は海にある。

名前のごとく、熱海は海があってこそ。この熱海の海の魅力はわからない。言葉にできないが、海は広くて大きいという子供の発想そのままの海に感じる。穏やかというより、この海から荒れる津波のような海が想像できない。

つい、海をみると震災を思い出してしまう。まだ忘れられない海があるというのは、どうなんだろうか・・・故郷は山だけどね、海も山も同じだと思った。

そういえば、「潮」という感じは、水に朝と月を書く。水の誕生は宇宙の惑星や衛星といった星がもたらしたものだとされる。元々地球にはなかった。太陽も地球のものではない。月は地球のかけらから生まれた。

地球に水がやってきて、そこに太陽が融合して月という子供が生まれた。

それが潮なのだ。

命の誕生に、月の満ち引が影響する事がよくわかる。

だから伝説や神話に、「水」が多いのは、この事を伝えたいからだと思う。要は、人類はどこからやってきたか・・・宇宙から、という記憶が伝説になっている。

Atami02 (海のような巨木:来宮神社の大楠)

▲来宮神社と秩父神社--------------------------------------------------------------------▼

Atami03_2 熱海の来宮神社へお参りした時のこと。

境内の横に、大きな岩の上に「開運出世 弁(辨)財天のいわれ」という看板に気付いた。

200年ほど前の江戸時代、大久保将監という徳川家の武臣がおり、出世のために弁財天が鎮座されている奥州の金華山まで、一人の供侍を連れて江戸を発った。

金華山に着き、江戸からはるばる奥州へ下って祈願に来た由を当社の別当に告げると、将監の熱意に感心し、神を拝するいく種類かの修法を授けられて下さった。

それから、将監は21日間の水垢をとり、祈願をした最後の満願の日になると、滝壺から宝殊の石が現れました。

その霊体には「軍を破る七つの星」の姿が顕示されていたので、別当に言われるまま、7年の間、日夜修行を務めたところ、その玉の威徳があらわれて成就する事ができ、官位豊前の守にまで出世ができた。(将軍が任じた官位を幕府から朝廷に申請を行って天皇の勅許を得る必要があり、勅許を得ることで正式にその官位が認められた)

その後、出世した将監はご神体を俗家に安置しては恐れ多いという事で、秩父霊場(今の秩父神社)へお預けして祀られていました。

そして160年前に、熱海本陣「今井半太夫」の所に、東武秩山八十一翁万国僧庵という人が、滞在された時にこのような話をされたので、これを鎮めるために再びこの熱海の来宮神社の地へ奉ることとなった。

▲北斗七星--------------------------------------------------------------------▼

この伝説について、秩父神社では実際どうだったのかわからない。

七つの星とあるのは、妙見信仰の象徴である北斗七星の事。

宮城県にある金華山には鹿がいる平穏な島。黄金山神社という名前だから、お正月の参拝はとっても人気がある。でも船でいかないと行けない山なので、ちょっと行くまでが大変。

この神社は、弁財天様が祀られている山で有名。 

ご祭神は、金山比古神(かねやまひこ)で、奥州藤原氏で繁栄した平泉へのルートにあたる。だから、金がとれた事で多くの渡来人がやってきてここで交易や宗教を伝えたことがよくわかる。

きっとこのような話の裏には、金や鉱石の技術が関わっていたからだと思う。出世にはお金がつきもの。

また、徳川家康と秩父神社の関係は、実はとても縁があり深い関係がある。(ここでは割愛します)

修行をした結果、岩や滝から弁財天様が現れたというのも、妙見様の話とよく似ている。ただ、この場合、「七つの軍」と言っているので、軍事的な意味を含んでいるから、徳川家と奥州をつなげるところから、蝦夷征伐の何かとそのままつながっているような気がします。

Kuru03 これも秩父の農民とか普通の一般の人も蝦夷征伐に駆り出された時代から、銅がとれ、渡来系の住処になり、1200年頃に東北地方の阿部一族との対立で、平泉近くに三峰神社を祀るという軍事的な要素が強い神に奉られて権力を誇示してきた、徳川家の思想にあると思う。

来宮神社もその一つだったのかもしれない。

今はその面影がないけれど、入口近くに小さく三峰神社が祀られているのが不思議だ。

秩父盆地に海はない。

でも、海と深い関係でつながれている秩父地方には、海の記憶がぎっしり大地に埋まって眠っている。

熱海の次はどこか・・・七つの星に導かれて旅はまだまだ続くよ~。

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福島県の虎女伝説

2012-03-02 | 東北地方の伝説(福島県)

Tora03  松尾芭蕉も訪れた不思議な石の話。

遠い昔、9世紀頃のこと。
陸奥国から源融公が、おしのびでこの辺りまで参りました。
夕暮れ近いのに道もわからず、困り果てていると、この里(山口村)の長者が通りかかりました。

公は、出迎えた長者の女・虎女の美しさに思わず息をのみました。
虎女もまた公の高貴さに心をうばわれ、二人は愛しあい一カ月あまり公の滞留まで過ごしました。

やがて公を迎える使いが都からやってきました。
公は始めてその身分をあかし、また会う日を約束して去りました。

再会を待ちわびた虎女は、「もちずり観音」に百日詣りの願をかけ、満願の日となりましたが、都からは何の便りもありませんでした。

嘆き悲しんだ虎女が、ふと見ますと「もちずり石」の面に、公の面影が彷彿と浮かんで見えました。
懐かしさのあまり虎女がかけよりますと、それは一瞬にして消えてしまうのです。

遂に虎女は病の床についてしまいました。

「みちのくの 忍ぶもちずり誰ゆえに みだれ そめにし我ならなくに」

公の歌が使いの手で寄せられたのは、ちょうどこの時でした。

もちずり石を、一名「鏡石」をいわれるのは、このためだと伝えられています。

虎女はこの後も会うこともなく、亡くなったと。

東北地方に悲恋伝説はあります。
この話も同じで、中央の役人と地方の娘の恋話という設定です。

この人が実際に存在したかどうかは重要でなく、この歌の美しい人間愛にあふれたものは、他にないと思われるほど、素晴らしい歌だと思います。
松尾芭蕉は、この歌に魅かれてここへ立ち寄っていたのです。

また、鏡石といわれるのも、人の姿を映す鏡の意味よりも、そこに文様や意味不明な
幾何学模様や文字が記されていた場合が多いものです。
もちずり石に書かれた文字を見に、松尾芭蕉が訪れたという話もあります。
しかし、いまだにその文字が何であったか現在はわからず内容も不明という話ですから、
どこか遠くからやってきた人が石に刻んだものかもしれません。

この近くにある「鳴き石」という巨石も、夜になると女性の鳴き声が聞こえるという怖い話もありますが、大体、石には女性の話がつきものなので、石信仰が女神信仰で
あった意味もあるでしょう。

Tora001_3   

▲伊豆山神社▼----------------------------------------------------------------------

福島県から飛んで暖かい場所、熱海に伊豆山神社があります。
この神社の境内に、光り石というのがあるのですが、この話がなかなか興味深いもので、
虎女伝説とつながっていそうです。

虎女(とらじょ)とは富士の裾野の仇討ちで有名な曽我物語の中の虎御前のことである。曽我物語の語り部でもあった晩年の虎女は高麗寺の近くに住んだといわれています。

Tora05 高麗寺は現在の高麗山になっている。
7世紀頃、高麗からやってきた人が、ここに高麗寺を建て、後に秩父方面日高市へ向かったとの事。
高麗山は、埼玉県日高市の高麗の事です。(詳しくは、渡来人が残したもの④へ)ここから、秩父方面へやってきた豪族となりますが、高麗の「高」は、朝鮮語では「オオ」又は「タカ」とよびます。
オオ氏はオオ族という製鉄族の酋長であったといわれていますが、茨城県鹿島~宮城県北部までオオ氏の名残を示す「高」という地名が多いことで、蝦夷と大和朝廷の間にオオ氏という豪族が、横穴式古墳を生み出し、製鉄、騎馬技術ともに優秀であったといわれます。

曽我物語(鎌倉時代)に登場する虎女伝説は、巫女たちの口承で各地に広まり、
南北朝時代から室町・戦国時代を通じて語り継がれたそうです。
寅の年、寅の日、寅の時に生まれたので、「三虎御前」と呼ばれたそうで、敵打ちのために出家した女性で、弔いのために旅をしていた事が後に女性たちの間で語りつがれていったようです。

曽我物語(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%88%91%E7%89%A9%E8%AA%9E

青森県にキリストの墓がありますが、ここで毎年唄われている不思議な歌。
いまでも解読不明のままで代々伝わっている「 ナニャドヤラ(ヘブライ語)」も、女性たちが大変な農作業から開放したいために唄ったのだそう。

もしかしたら、古事記や日本書紀なども、神話伝説は女性たちが伝えたものかもしれません。

▼光り石▲----------------------------------------------------------------

Tora04

伊豆山神社境内の光り石については・・・・、
走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)より、道祖神(猿田彦大神、天宇受売命)とともに来た神様の降り立つ光り石です。(看板より)

なので、この神様が降り立った石といのは、海からやってきた渡来人の事かもしれません。
巨石については、いろいろな話がありますが、波動に関係する事もあるでしょう。
実際、波動治療のように医学が進歩していなかった頃は、自然治療を行っていたわけなので、この石を使って、治療をしていた可能性もあります。

また、この石の後ろにある若宮の御祭神は、伊豆大神荒魂・雷電童子(ニニギ尊)。
海であるから、雷電という雷の神様というのが、船に乗ってやってきた琴平神社と深い関係があり、高麗寺が朝鮮半島から渡ってきた豪族である事もよくわかる。
そしてその一族が秩父に移住し、海を祀る琴平神社・金毘羅神社が秩父の山に多く祀られたのでしょう。

もちずり石も、光り石と同じような役目をもっていたかもしれません。
熱海から福島県に伝わった事を考えると、ここへやってきた渡来人がいたのかもしれません。

語り継がれた女性たちの伝説が、石に宿っている事は確かで、松尾芭蕉はそれを確認するために、みちのくへ旅したのかもしれません。

石にも意思がある。
その石が何を伝えたくて、どんな力を使って今も呼吸をしているか・・・。
それは、自分の足で歩いて見てきた人にしかわからないもの。
石はただ何も考えず無力でそこにいるわけではない事に気づきました。

実は、福島県のもちずり石は、4,5年前の冬に行きました。
2、3週間前から、なぜか虎女伝説が気になり、この伝説をブログに書こうかな~、と思っていたところ、熱海の旅でつながったのです。

石がそれを教えてくれた不思議な旅でした。

Atami01 光り石

もちずり石への道>福島市のサイトへ

http://www.city.fukushima.fukushima.jp/keikan100sen/ichiran/90.html

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