秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

渡来人が残した物④ 高麗

2012-01-25 | 秩父の祭りと信仰

Mixi009 西武秩父線の高麗駅は、チャンスン(ジャンスン)が建つ面白い駅。
チャンスンとは、道標や守護神の意味があるそうですが、はっきりとした理由はわかっていないそうです。
「天下大将軍」は地上の神(男)、「地下世界」は、地下の神(女)の意味があります。
天と地を結ぶ所に、チャンスンは立てられたのでしょう。

高麗神社については有名なので、ここでは割愛します。
詳細はHPで♪http://www.komajinja.or.jp/index.html

渡来人の活躍は、天武天皇の時代、白村江の戦いにあります。
(685年頃)百済から男女23人、716年には高麗人
1799人、高麗川、名栗川、吾野川一帯に住んでいたといわれています。
結果は負けましたが、よい仕事をしたわけですから、丁重に扱われ、衣食住は与えられていたので生活は比較的豊かだった様。

日本地名大辞典(角川書店)によると、埼玉県新座市の新座は、新羅から来た人という由来ある地名だそう。
ちなみに、大宮は、クナウ(クンナウ)一つの国の中心の意味。
新堀は、朝鮮語のブル(火)ボル(伐)村邑の意味。

漢字は中国の言葉なので、現在の日本の地名には
純粋な日本人の意味が薄れています。
もっと古い時代を読みたい時は、音読みで読むと見えてくる事がありますが、大体は漢字に変更されているので、想像がちょっと難しい。。。

▲日和田山(ひわださん)登山--------------------------------------------▼

Mixi006 今回は前から気になっていた日和田山(ひわださん)に登ってきました。
標高300mくらいで30分ほどで登れる里山ですがいくつものルートがあり、人気があります。

このあたりから芦ヶ久保方面~秩父まで、金毘羅神社や琴平神社がいくつかある信仰深い里山です。
秩父に多い神社の中に、金毘羅神社がありますが、海人族や渡来系と関係があると思うのです。

こんぴら様は、海の航海の守り神として香川県の象頭山が始まりといわれています。
クジラは宮毘羅(くびら)で、薬師12神の事。つまり金毘羅様は、海の航海。
恵比寿様のエビスは、アイヌ語では、ピスorエピスン。浜の事を言いますが、恵比寿様こそ、
鯨猟の酋長といわれています。

この海人族が、海部といわれヒルコ(蛭子)を氏神としてエビス信仰となっといわれています。
神話にでてくるヒルコはさまざまな説がありますが、そのヒルコこそが、スサノオでありその子孫サルタヒコは、ヒルコや案山子と言われたり、いずれにしても天孫降臨の際に、書き替えられてしまった元祖天孫降臨の人々だという事です。
(詳しくは、「ヒルコ 棄てられた謎の神」戸矢 学著)

「産鉄族のオオ氏」著の柴田氏は、鉄族の地名として宮崎県の降臨地「日向」をあげていましたが、高麗から西武秩父方面にいくと、同じく日向山があり琴平神社が祀られています。
日和田山も、ワタツミ(海神)という言葉を連想させますが、ワタツミも山幸彦と海幸彦の神話にでてくる海人族で、古くは綿津見神社といい、兵庫県海神社には日向大明神、衣財田大明神がお祀りされています。
日向大神宮は、日向の国から船の乗せられた美女の話が伝わっています。

Mixi003_2 山頂より丹沢方面

日向伝説には、ワタツミの娘タマヨリヒメは、巫女の存在として語られています。
また、姉のトヨタマヒメはアマテラスの曾孫であるヒコホホデミ(山幸彦)の間に生まれた
ウガヤフキアヘズ尊を代わって養育し、後にその后となって神武天皇を生んだといわれていますが、秩父市の若御子山(若御子洞窟)に神武天皇がお祀りされているのも、地層や鉱石に意味がありそうです。
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/d/20110525

日和田と日向という地名が重なり、渡来人が住んでいた所や滝、岩場、竪穴式住居や修験者のルートが昔から確保されていたとなると、その一族が住んでいたという事は自然な事なのでしょう。
日向という地名は秩父市にもいくつかあり、昔は金がとれたと両神山付近にも日向の地名があります。また、和田地名については、丹生伝説のある丹後に多い。

銅がとれた秩父から丹生一族が高麗へやってきた事もあるでしょうし、
和銅の交流から熊谷、千葉、神奈川方面からやってきた拠点になっていた所でもあります。

航海をしながら、海原を渡り上陸した後は開拓をすすめた人たちですから、
海の航海は命とりにもなり、大荒や落雷から身を守るための祈祷の中に琴を弾くことがあったようです。
それから琴平とよばれるようになった説もありますので、後に金毘羅様を信仰していた講がここへきて、あたり一帯に広まったのでしょう。

この山に登ると山を眺めるよりも、海を眺めるような錯覚を起し、「山が海にみえた」海人族の想いのような気もする山頂からの景色なので、とっても不思議な里山です。

すっきり晴れた日は、東京都心のビル街もみえます。

Mixi02

▲地層と信仰--------------------------------------------▼

秩父山地は、1億年以上前の地層が分布しています。昔は海だった秩父ですから、
化石の他、鯨やサメ、爬虫類、哺乳類(ゾウの祖先)、原始哺乳類動物などの骨が
発掘される場所です。

高麗丘陵といわれるローム層は、関東ローム層(65万年~15万年前)のもっと古い
30万年前といわれる多摩ローム層に位置します。
火山などで何層もの地質でつくられているのですが、中でも砂鉄が多く含まれているといい、
古代の産鉄族が、ここへやってきた意図がわかります。

隣町の入間郡越生町に黒山三滝という滝がありますが、上流の黒山鉱山あたりから南の吾野地域にかけて、秩父累帯北帯の中・古生代の地層が分布し、黒山三滝は南西に傾斜した堅いチャートが逆の層になってつくられているそうです。
そこに男滝、女滝、天狗滝とよばれる滝があります。
この場所は、役小角の像があり、吉原の信仰を集めた修験道の山となっていて、越上山という山にも金毘羅神社が祀られています。

日高市という地名は、ヒタカミ国という青森県にあった巨大国家といわれていて、岩手県北上市は、ヒタカミからきているなど、東北地方にとって重要な場所でした。

九州にもその地名は多く、この辺りにある「越辺」という地名は、「おっぺ」と読むから、縄文時代~アイヌ~大和朝廷の軍事拠点になったかもしれない。見晴らしのよい場所に人がきた形跡があるのも、敵をよく見渡せる事もあった。

ただ、日和田山はたくさんある丘陵地の中のほんの一部にすぎず、山頂付近に岩が多いので、加持祈祷に使われ、その後修験道になったとも考えられます。

この先へ進むと物見山(ものみやま)という名前の山がありますが、ヤマトタケル伝説が残っているので、私はこの名前の由来は物部氏と関係があると思います。ヤマトタケル命の影に物部氏というのもあり得ます。

さて、山に戻りまして、

Mixi03 一般の登山ルートとはずれるのですが、巨大な岩場があり、ここはフリークライミング発祥地といわれています。
しかし、ご年配の方がクライミングをやられていたのにはびっくり!
途中で迷子になり、日和田山の山頂はどこですか?と尋ねた私・・・。

高麗川はオーム型をした蛇行の川になっていて、秋には巾着田として観光名所になっています。
この観光名所も、渡来人の子孫が川をせき止めて水田開発をした所なのです。(上の写真の左側鳥居部分の丸い敷地)

登山口途中にある高麗本郷は、海底火山から噴き出した玄武岩質の溶岩が冷え固まって岩石になったものがあり、見ることができると思います。

▲普寛と御嶽神社---------------------▼

金毘羅神社の岩場の上に、普寛の名前の碑がありました。どこかで聞いた名前だな~と思いだしたら、この方の出身は大滝村三峰の方でした。
それこそ、狼の遠吠えを聞いて過ごしていた為だろうか、三峰観音院に入り修験者となって木曽御嶽山の開祖になった人です。

秩父市大滝の意波羅山に、普寛神社があります。
秩父御岳山という名前で登山客も多い里山ですが、こちらも岩場が多い山です。

Fukan Fukan01

※左:御嶽山大権現の碑 右:斜め模様の地層:山頂付近はゴツゴツした岩場が多く、「しゅう曲構造」といった縞模様が流れるような岩も見られます。

▲縄文住居跡--------------------------------------------▼

最後に、高麗駅から歩いてすぐのところに縄文遺跡があるのでちょっと拝見。
この住居跡は、縄文時代中期のもので、昭和4年に発掘されました。
当時は竪穴式住居は、全国的に少なく埼玉県内では初めてのもので、その後の考古学研究の先駆けとなった事で知られています。
多数の縄文土器のほか、耳飾、磨製石器などが検出されています。
(看板より抜粋)

Mixi008

まだまだ探せは縄文遺跡が埋蔵されていて、その中に埋れた願いもあったりする。
この川も何万年も前の地層で、懐かしいと思う里風景は、昔ここで遊んでいたかもしれない場所だったりする。
地層が沈む川でも耐えず流れ続けているもので、実は、人間は変わっても信仰という
目に見えない何かだけは耐えず人を惹きつけて、流れているものだ。

養蚕、和紙、銅などの他、信仰までも秩父にもたらした物は、
はるか遠い海の国からやってきた人たちだったのです。
まだ見つかっていない巨大な青い洞窟を求めて?!
それがどの地下に埋まっているのか、鉱石をたどればわかる?不老不死の泉。

まだまだ続くよ~。

Mixi01_2 高麗川

日和田山への道>西武秩父線高麗駅下車。道路を渡って高麗神社の看板をたよりに歩くと日和田山の看板表示があるので、橋を渡り、信号の所を左に曲がると登山口に到着。(約15分)

歩きやすい道で、コースもいくつもあるのでいろんなルートが楽しめる。登山口から山頂までの所要時間は早くて30分くらい。山頂付近の男岩方面はちょっときつい登りなので、女岩方面からいくと楽です。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

1枚の写真

2012-01-18 | 武甲山

実家の和室に飾ってあった写真なのですが、ずっと前(私が生まれる前)から飾っていたようで、もう薄れて古くなった写真だったから、どこの場所なのかさっぱりわからなかったのです。

Imgp1896 (1966年 梅の木と武甲山)

今は、ここがどのあたりかわかりますが、秩父らしい写真だな~と思うのと、不思議な世界だな~と小さい頃から気になっていた写真なのです。

「1966年清水武甲」というサインがありますが、有名な写真家です。

女性の巡礼者を撮影したものですが、秩父札所は女人講といわれたように、秩父は女性を受け入れる観音信仰として、関東地方では定着していました。

千葉県の方では、男は伊勢、女は秩父といわれ、40歳過ぎに巡礼を許されて一人前の主婦とされたそうです。

三峰神社は男性のみで、昔は女性は禁止されました。

その代りの巡礼地となったのが、太陽寺です。

太陽寺は、都会から一人でやってくる女性が多いと聞きますが、今も昔も変わりません。

個人的な話になりますが、私の先祖は、その太陽寺のお嫁さん選びとして仲人的な事をやっていたことが横瀬町史に記載されていました。

江戸時代後期あたりでしょうか、太陽寺の跡取りとしておられた息子さんのお相手に、横瀬町から花嫁として迎い入れたのですが、なぜ横瀬町からだったのかというと、横瀬町は太陽寺に木材や、しいたけといった産物を提供していた為、太陽寺とは交流がありました。

横瀬町は森しかないので、良質の木材は、大滝や三峰の方などに出荷されていたようです。

横瀬町の札所は武甲山があるように、秩父最終の札所が多く存在しています。太陽寺との交流や関係が深いのも、信仰深い地主・名主たちが、家族、一族の繁栄の意味も込めて、信仰との間で婚姻を交わしていた時代だったのです。

Buko02( 現在の武甲山)

★上の写真は、展望台のある所から撮影されたと思います。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

縄文風景(吉田町)

2012-01-12 | 日記・エッセイ・コラム

年末年始は帰省する方が多いですが、故郷がある人は幸せです。

別に観光名所のようにカレンダーになりそうな風景ではないけれど、小学生の時と同じ風景はそのまま残っている。そんな里がある事が、一番幸せなのだと思います。

縄文遺跡が多く残っている太田や吉田近辺には、アイヌのコタンのような風景がみられ、やっぱり、日本の風景には必ず縄文遺跡や古墳があるのだな~と思いました。

それは宮城県黒川郡の七ツ森でみた風景と似ているからで、日本全国、このような縄文風景はたくさんあるのです。

Yosida01 (クリックで拡大)

赤平川は、ワッカ(アイヌ語で清水)からきていると前に記したと思いますが、赤という漢字は後からつけられているので、ピラは谷という意味がありますから、谷(岩盤)のある川という風景からつけられた名前と思います。

昔は、風景や香り、音といった五感で地名を付けていて、その後、漢字を当てているから解釈がとっても難しい。。。なので、そのまま漢字のみを解釈すると間違ったまま信じてしまうので、それはもったいない。

例えば、埼玉県のさいたま市は、合併してその名前がつきましたが、何で「ひらがな」かな~と思いますけどね・・・。元、埼玉は「幸魂」という意味だったというのを聞きましたが、幸ある魂の場所?か、魂に幸あれ!という願いか?いずれにしても「さち(き)たま」→「さいたま」に変わっています。

古墳名は「さきたま古墳」とついているので、それだけは救われてほっとしています。

ま、古墳はどうしても無言の墓なので、スルーされがちですが、まだまだ縄文風景は秩父にたくさん残っています。

▲狼と吉田町---------------------------------------------------------▼

秩父の特徴は、アイヌ人の熊に対し、秩父は狼を重視しているところです。

アイヌの人たちは、熊狩の後、熊の骨などを家に置いて魔除けにしたり、神様からの贈り物として丁重に崇め、熊と向き合った森の暮らしをしてきました。

秩父も同じように、山の生活には欠かせない狼の存在を神格化して向き合ってきましたが、山神といった土着信仰である独特の風習から受け継いできた猟師の文化があるので、日本全体は大体そうですが、怨霊など特にハンターといった猟師にとって、動物の霊を非常に恐れました。

そこが、アイヌの風習とちょっと違うな、と思うのです。

でも、マタギの文化がある東北地方には、あまり狼信仰はみられません。なぜ、秩父だけ独特な犬神様といわれた狼が鎮座されるようになったのか、はっきりとした事はまだわかりません。

しかし、狼と人が共存してきたのは秩父だけではなく、世界中にはたくさんある話で別に不思議な事ではないのですが、狼が神様の使いとして守り神になったのも、人物が神にされたのと同じように、狼も人と同じように消滅させてしまった原因があるからと思います。

熊を神格化して崇めたアイヌの文化よりも、魔除けとしての要素が強いのが狼なのです。

なので、狼神社は、病や悪い気などを防ぐ役目をしてもらうために、祠を建てたと考えた方が自然ですし、「エミシをもってエミシを制す」と同じように、オオカミをもってオオカミで制すという封じた歴史を掘り起こされないように、フタを閉めて敬う日本人の信仰にあった思います。

Yosida02_3 吉田町では、狼の骨など(鹿もあり)、動物の骨を家に置いている事があったそうです。それは、一般家庭より猟師の家にあったそうですが、「きつねつき」という、病気を防ぐためともいわれ、お守りとして持っている風習があるのです。

きつねつき、といのは、狂犬病のような、どこか人間と違って動物的な感覚をもち、異常なふるまいをするので、昔の人は動物の祟りがあったと、本気で信じていました。

(写真:両神山) (クリックで拡大)

三峰神社にある博物館に展示されているかどうか、定かではありませんが、狼の骨をくだいた粉のようなものを飲み、病気によって引き起こされた悪事を退治する(病を治す)という話も残っています。

吉田町に前方後円墳や円墳があったのは、赤平川があったからで、その原点となる川は荒川です。

もっと多くの狼がいたであろう荒川近辺には、大きな両神山が鎮座されています。

Image331_4  また、都心にも狼神社はありまして、江戸の庶民にも受け入れられていました。

← 東京都渋谷区の御嶽神社

宮益坂を上る途中にあります。

日本狼を原型にモデルとしたブロンズ像のスマートな狼です。

やはり、こちらの狼は都会的ですね~。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

影の秩父

2012-01-02 | 秩父の祭りと信仰

Buko01_2

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞ、秩父をよろしくお願い致します。

久しぶりのブログです~。

年末、友人が教えてくれた秩父の白久にある神明社に行ってきました。

そしてお正月の元旦、所沢に引っ越しをして始めてお参りした神社が、所澤神明社でした。

この偶然は何だろうと思っております・・・。神明社に終わり、神明社に始まる。

所澤の神明社について、そのままHPから抜粋します。

日本武尊が天照大御神に祈られたことに由来します。
 日本武尊が東夷征伐にあたり、当神社の付近である小手指原にさしかかり、ここで休憩したと伝えられます。所澤神明社は、そのおり、日本武尊が天照大御神に祈られたことに因んで、土地の民が天照大御神を祀ったものといわれます。
 所澤神明社は、所沢周辺に数多く残る日本武尊に関する伝説の中心的な存在でもあるわけです。

天照大御神の他に、ご祭神は、

倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

です。

三神は、太陽・農耕・海(水)の意味がある神様です。

この象徴する意味は、日本のことだと思います。今年も日本が世界をリードしなければならない教訓があるでしょうが、期待できそうな年になるようで、ワクワクしています♪

Mixi01 秩父の神明社は、お神楽が有名で、ここからお神楽は秩父地方に伝わりました。1854年頃、水車大工徳丸という人が、ここで神楽を地元の人たちに伝授し、伊勢神楽に加え、歌舞伎も取り入れた面白い内容になっています。

3月15日、7月28日、12月23日に演じられます。

ここの神明社は、荒川の水と深く関係している神様で、荒川の感謝を祝う事もあって、お神楽が生まれたと思います。

今でもそれが伝わっているという事は、秩父の風土の豊かさを感じます。

▲秩父気質------------------------------------------------------------------▼

荒川とは関係ないですが、冬の秩父は盆地なのでとっても寒いです。朝は、低い時はマイナス3度くらいになります。

朝の最低気温がマイナスになるのは、仙台ではありませんでしたからよほど秩父は寒いところなんだな~と感じます。

今は無くなりましたが、清水写真館という有名な写真館が、秩父市役所近くにありました。「嫁の手」という写真が有名ですが、秩父の写真を撮られた「秩父」から、「秩父気質」というのを紹介します。

Mixi02 (神明社へ向かう里風景)

秩父盆地のどの位置に立っても、まず最初に見る方向は、南だと思います。

その南には、国境の奥秩父背稜が高く長く屏風のように視界をさえぎってその屏風のような稜線は、みな北側を向いていて、それは影なのです。

盆地の風景は、南を向くような位置にあたるために、私たちは常に風物の影だけを見て、暮らしてきたということになります。ですから、南を向いた暗さに馴れた目で北を向いたとき、その風景の明るさに驚きます。

しかし、それはあまりにも明るく地平線の低い、あまりにも秩父らしくない景観なのです。

秩父の人には前方に、山がなければいけないのです。

霧の多い日に山が煙って見えない日はなにか、終日不安定な気持ちがするのです。

この暗さを終日見て暮らしてきたこの土地の人の心に、何かそれらの影響がない訳はないと思います。

~以下省略~

Buko02 秩父鉄道三峰駅より。

中央にみえる三角形の山は、武甲山。夕暮れ時、山に西日があたる。

秩父の明神社へは、里の風景をみながら歩きたければ、白久駅から右方向へ歩くこと約20分。駅から橋を渡ると看板が表示されているので、それに従ってあるけば辿りつけます。

帰りは、三峰口駅からすぐです。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加