秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

倭姫命の遠流志別石神社 その2

2017-07-17 | 東北地方の伝説(宮城県)
ところで、不思議な写真がとれました。
これは遠流志別石神社の入口に祀られている「黄金山神社」ですが、
「黄金」が薄くなって「山神社」とよめる。
なんか変ですよね。
あれ?おかしいな?と思ったのは、遠くから「黄金山」の文字がみえたはず。
でもこの写真だと、画像処理したみたいに、「黄金」が薄くなっている。
右上には、「金華山」の文字があります。



実は、この登米に行く前に、金鉱脈について書いてました。
だから、金くさいと思っていたわけで・・・。
それを書こうと思ってましたが、この写真をみて、妄想するのをやめた。
エミシ側からしたら、黄金は、利益のある今の経済といったカネではなく、
錬金術のような呪術的な不老不死といった深い意味のある金であると言いたいのかもしれません。
「大事なのは黄金ではない」というメッセージ。
よって、ここは「山神である」と。
そういう風に、受け止めることにしました。

なぜなら、遠流志別石神社へ行く前に、お昼は蕎麦屋にいったのですが、
近くに「津島神社」がありました。



そこに山神が祀られており、中にきれいな鏡と、女性の木像が祀られていました。
コノハナサクヤヒメみたいです。
そうなると、一関の六芒星の中心にあった配志別神社が繋がりそうです。
コノハナサクヤヒメとニニギが祀られていました。

登米の津島神社は、「猿田彦神」を祀っているのです。
これも「それ以前の神」といえます。
しかも、境内にあった竹駒神社が道祖神となってます。

この島も、人魚の森で探訪した鹿島神社と同じ「山と鳥」の漢字をもっていました。
「シマ」という文化。海も山も同じ。


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朝廷側は、金は、物質文明でいうカネという利益をもたらすものとして、
「炭焼き藤太」伝承が生まれたと思うのです。
砂金が大量にあることを知ってかどうか、都からきた娘が藤太に嫁ぐ話。
藤太の息子(京都にいた):金売吉次は、義経を伴って陸奥へ向かいます。
炭焼藤太伝承のあるお墓が、栗原の金成にあります。

出発地点が、首途八幡神社で、「首途(かどで)」とよみます。
それから「かどで」が出発の意味になったのです。
これも、「はじまり」の意味があります。
それは、秦氏なんですが、元は物質的な金と考えていたのではないと思います。
金は、祈祷や祈りに使うものだと。
侵略者がカネにしたことに問題がある。
後に、陸奥の金を狙った海外との交易に発展し、今のロスチャイルドみたいな。

しかし、金の概念が、先住民とは異なっていました。
その先住民というのは、オロチ族もそうですが、
前回書いた山形県のオナカマの道具が国の文化財に指定されていますが、
その道具が、「北方シャーマンの持つ道具と類似している」と指摘されています。
アイヌ人とは違う北の民です。
シベリア、ツングース、ニブフなどからやってきた人たちが、
北海道へ移住し南下してきたわけです。
その呪術道具が、オナカマの使う巫女道具と似ているという説。
なので、邑良志別君は、北方先住民だったと思います。

オラシとつけるのは、そのような人たちをエミシの首長とし、
朝廷につかえていた物部氏などは、東北に逃れて北方先住民と融合し、
新しい国家を作ろうとしていたと思います。
マロは、それを快く受け入れていたでしょう。

アテルイが登場するより100年以上前に、物部氏は佐渡~秋田へ逃れています。
金が絡んでますが、マロが征夷大将軍になってから、
上毛野氏から物部姓を陸奥に派遣し、物部という人は、大和朝廷とエミシの仲介の役目をもっていました。
東北地方は、大陸との交易をすでに行っており、
それは「塩」なのですが、古代、塩は金のことを言っていたそうです。
金というとばれるので、塩といってごまかしていたとか。
なので塩とつく地名に金鉱脈があったという指摘もあります。

塩釜神社にも鹿島神が祀られているのもそれで、
それ以前の神がいたからです。
金の交易をすすめるために、鹿島神を置いたといっても過言ではありません。
そこに物部氏とマロが深く関与していたと思います。

本来、物部氏は先住民側にあったと思いますが、
朝廷側の熟エミシになって、産鉄族の長になっていったと思います。
なのでアテルイは、物部氏ともいえる。
水沢のお寺(どこか忘れた。黒石寺ではない)に物部氏の遺品があることを、
秋田唐松神社の宮司さんに教えてもらいましたが、水沢といったらアテルイの本拠地。

ただ、その物部氏に無念さを感じ、忽然と歴史から消えたのも、
マロとは信頼のおけるパートナーだったと思うのですが、
殺されたことにあるのかもしれません。
信頼していた人だったけど、朝廷を覆すことはできなかったような。
その無念さが、エミシの土地にいまだに残っているので、
マロがエミシの鎮魂役として、いまだに京都で鬼門に向いて葬られている。
それもそれで、気の毒な話です。
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まあ、どちらの視点からでも妄想できる、東北の古代史は貴重です。
朝廷側の立場から、エミシ側(熟えみし)の立場から、先住民からの立場から。
3つの支配権があったことは確か。
そこが混乱するところですけど。
それぞれの想いを、ここで繋げていけたら、理想です。

9月24日まで登米歴史博物館で、
企画展「坂上田村麻呂伝説~東北に息づく田村ガタリ~」をやっています。
まだ行ってないですが、興味のある方はどうぞ。

※登米歴史博物館
http://www.city.tome.miyagi.jp/rekihaku/

おまけ(津島神社)---------------------------------------------------------

余談ですが、津島神社の横に立派な木(イチョウ)がありまして、
そこに行ったら、涼しい風が吹いてきました。
主人が、この風は、住んでいる高舘山(熊野那智神社)から吹く風と同じだと言ってました。
・・・・どう同じなの?と聞いてみるけど、説明できないらしい。



でも同じ質の風だという。
高舘山のある場所から閖上まで風がよく通ります。
主人の知人の家は、10センチくらい全く草も木も生えないラインができているそうです。
そこは気が通るから何も生えないんだそうです。







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