秩父・仙台まほろばの道

秩父と東北地方の伝説・神話を探訪。

女川の復興と江島の話

2017-07-12 | 東北地方の伝説(宮城県)

人魚の森のついでに、2年ぶりに女川へ行ってきました。
女川は先に復興が進んで、早くに復興市場ができてましたが、
どんどんまちづくりが進んでます。


女川駅





復興まちづくり 情報交流Web
http://www.onagawa-info.com/revive/index.html

かさあげ工事をしていて、このあたりが住宅になるそうです。
病院はいつものようにありましたが、その上山に確か熊野神社があったと思うのですが、
今は崩されて何もありません。
どこかに移されたか消えたか…。
ま、神様も自由になって良かったのかもしれません。



女川といえば、サンマ。
日本で2番目にサンマの収穫量が多いのが女川です。(1位は北海道)


ここのお店の秋刀魚を買って帰りました。

他にもおしゃれなお店や雑貨、カフェ、石鹸のお店、お花屋さんなどなど、
女子心をくすぐるものばかり。





ついで、海の幸も頂ける。
昭和元年から続く丸金さんの海鮮そば。
暑い日には、最高~♪



団体のおっちゃんたちが、お酒を買いこみ、
お店でつまみになる魚貝を並べて食べてました。
こういう楽しみ方もいいっすねー。

丸金さんは、過去津波の被害にあっているけれど、今回の震災でもそうですが、
それでも丸金さんだけではなく、多くの人たちが再建をとげていることが、
この土地の強さを感じます。



なんど倒れても、起き上がる。
なんどもなんども倒れても、それでも、なんどもなんども起き上がる。

植物だって同じ。
津波に流された中に、桜の幹のみ残った桜が花を咲かせたそうです。
その桜の木で作ったお地蔵様です。


※桜咲く地蔵(優しいお地蔵さんでした)

あの「ダンボルギーニ」も見てきましたよ!
ダンボルギーニ公式サイト
http://damborghini.com/

今、こんな展示もやってます。デカっ
段ボールでここまで作るとは、すごい。はなまる~。





きぼうの鐘:旧女川駅前広場の一角。
かつてここには列車の到着を告げる鐘がありました。
四つの鐘があり、からくり獅子が舞い踊るカリヨンが駅前のシンボルでしたが、
津波で流されてしまいました。
しかし、そのうち1つだけが奇跡的に無傷で見つかり、今はこの鐘がシンボルとなっています。


※希望の鐘



---------------------------------------------------------------
ところで、いつも女川へ行くと、展望台にいくのですが、
はじめて気づいたのですが、この展望台は、「大六天山」にありました。
大六天山は、名前からして気になる山でしたが、
ここがその山の展望台にあたることを今さら、気づきましたよ。
大六天山には、三国神社があるんです。
よくわからない神様ですが、海の神様っつーことで。



そして、牡鹿半島にあたるこの場所には、ちょっと気になる伝承があります。
復興まちづくりのサイトからマップを引用しましたが、
右端っこにある「江島」というのが気になりました。



ネットでググったらWikiに伝説がたくさんあった。
(どの島が江島かわからん。この画像にはみえんのかね?)



江島の伝承:
①1200年頃 - 源義経をかくまった罪で源頼朝に追われた奥州藤原氏の家臣にして、
日詰(現紫波町)を領していた日詰五郎(藤原基衡の孫)が落ち延びたとされ、
これが島が歴史上に登場する最初である。
伝承によると、その際に家宝である金鶏を連れて行ったが、鳴き声で敵にばれてしまうことを
恐れ、海洞の中に閉じ込めたが、ある時嵐によって洞窟ごと吹き飛ばされてしまった。
それ以来鶏を供養する意味で島には犬猫を連れ込まないというしきたりができたという。


②江戸時代は重罪人が流される流刑地であった。
江島自然活動センター裏の東岸の岩場は、「流人ころがし」と言われ、
かつては罪人を突き落とす仕置場であった。
仙台藩で上流に属していた流刑人も多かったため、風流を愛する気風が残されているという。
その一人に豊臣家の家臣筋であった修験者、栄存法印がおり、
死後は島民によって手厚く葬られたというが、埋葬場所はその後農地として開墾されて
しまったらしく、現在は確認できない。


③太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月9日、アメリカ海軍戦闘機による
機銃掃射攻撃を受け、民家や学校に損傷を受けた。
近年まで、頭に大きな荷物を載せた「陸前の大原女」が島の狭い坂道を行き交う
風景が見られた。


大原女(おはらめ)とは女の行商のこと。



最初は炭を売っていたそうですが、薪を頭にのせて売っていた事もあります。
髪型を「島田髷(しまだまげ)」の結うのは、未婚の女性です。
なので、遊女の意味あいもあった行商ともいえるかも。


島田髷

結婚式は、「文金高島田」という結い方をします。
武家の娘の髪型をいいますが、髪型を変えておしゃれをするのは、今も変わらず。
当時は、このまげを少し下げたというか、ちょっとゆるくした感じが、
島田髷となってようです。やる気ない感じ。。。
暑い日には、こんな髪型も・・・ムリっ。
--------------------------------------------------
昔は、罪人の処刑は、今のような死刑ではなく、島流しといわれ、
離島にひとりにさせることだったそうです。
一人で島に残されるというのは、社会から切り離されることで、
その恐怖や不安が一番、精神にこたえるわけです。
それが一番重い罪だったから、菅原道真や柿本人麻呂などは、
そのような離島へ流されたということで、かなりの重罪扱いをされていたと考えられます。

そーいや、ホツマでもスサノオと一線を越えた宮中の女性が、(昼ドラみたいな話)
島流しされて、それが宗像三女になっている話だったかなあ。
あの島もシマだから、左遷された場所(罪人)になっていたかもしれん。
あの島に流された高貴な男巫が、神として祀ることにした島だったと思われます。
(勘違いしてたらすみません)
あんま、このへんの裏話をすると、世界遺産になったので文句いわれそうなので、やめとく。

柿本人麻呂は、いろは歌の暗号にあるように「「咎なくて死す」というような
メッセージを残した人で、昔は、多くの冤罪があったと思われます。
※江戸時代、いろは歌の中に「とがなくてしす」という言葉が含まれていると唱えた人がいた。

柿本人麻呂は、いろは歌を無罪であることを主張するために、
利用したと考えられます。

ということで、島はシマのように、カシマから続いているようなのですが、
結構、シマの文化というのは、深いものがあります。
人を寄せ付けない理由は、そういうことで。。。
そういう場所に、どんな人がいたか、というと口寄せやノロ、イタコなどの
シャーマンですね。

江島の伝説にあるように、金鶏というのは、金のトビを想像するのですが、
巫女がもっていた弓のようなものです。
その弓のようなものに金のトビが飛んできて、ナガスネヒコが降参した神話がありますが、
これが、巫女の道具といわれる由縁です。
洞窟にこもる話から、日詰五郎は巫女による施しを受けていたと考えられます。

「栄存法印」という人もいろいろな伝承があります。
実は、かなり前から、釜房山に祀られている栄存神社が気になってました。
どんな神社か調べたら、「栄存法印」のことでした。
土砂崩れか何かで、登山道が通行止めになっていて釜房山には登れず。
別の道もあるのですが、なんだか、その伝承を知ったら行く気がしなくなり。
僧侶の派閥というのか、これまた、怨霊を残して亡くなったみたいな話で。

シマというのは、無念で散った命があり、そのような霊をなぐさめるために、
巫女(口寄せなど)が必要だったわけです。
「陸へはあがらせない」といった海賊の防御もあり、
かつて巫女のような女性が、上陸を拒まれて流されたまま亡くなったとか。
そんな話は、けっこう太平洋側の島に多いんです。
しかも、だいたいが、義経からみなんだよね。
江島の話にも義経をかくまった罪で・・・とある伝承から、
東北地方の太平洋側の島々には、隠された歴史がいまも静かに眠っています。

ちなみに、江島は人が住んでいる島です。
おそらく、名前は江ノ島から由来していると思います。
航空写真でみると、島の形がなんとも不思議です・・・
☆ 江島(↓)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B3%B6_(%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C)#/media/File:Rikuzen-Enoshima_Island_Aerial_Photograph.jpg
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 人魚の森 | トップ | 大武丸の大嶽山と石神 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。